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前回みたく英語英語英語ォォぉぉ~って言い続けても疲れますんで。話がくるくる変わる。天災は忘れた頃にやってくる。僕が好きなアーティストであるorange pekoeとこれまで交流があるアーティストの方々について。。(orange pekoeのことは9回目と32回目にも書いてます)http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200601270000/ (9回目)http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200604060000/ (32回目) 初めに書くのは、カンバラクニエさん。初期のCDジャケットを手掛けています。京都在住。柔らかくて、ちょっと太めの輪郭線。のびやかな絵が多いです。(この4枚は全部orange pekoeの作品より)振袖のデザインなんかもしてます。http://www.kuniekai.com/index.htm 二人目はツモリチサトさん。ファッションデザイナーです。TSUMORI CHISATOというブランドがあります。ブランドにはあまり詳しくないのですが結構有名なのでしょうか?ジャケットに関わっているのかは存じませんがorange pekoeの二人とコラボレーションしてTシャツ作っちゃったりしてます。水玉が多い。http://store.a-net.com/ 三人目は清川あさみさん。アーティストとも言えるしデザイナーとも言える。(ともにorange pekoeのalbumより)写真に糸や布を縫いつけて別の作品にしてしまったりと、布や革を使って衣装やコラージュ、タペストリーなど色々作っています。元はモデルやってたそうです。「独特」という言葉がぴったりくる。 これなんか皆さんよくご存知ではないかと。↓http://asamikiyokawa.com/色んな絵を貼り付けてみて、日記がカラフルに仕上がったところで今日はもう寝ます。
2006.06.26
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英語は難しい。。 金曜は英語学校でリスニングのお勉強です。まさに瞬きしている内に言葉が流れ去っていく~。狐につままれたような顔をして「すいません、もう一回お願いします」。それでも聞こえない自分が歯がゆい。クラスの中でもよくできる人のやり方を真似でもなんでもいいんで実践してみよう。ということで、リプロダクションの練習。(短いセンテンスを聞いて、聞いたあとから全く同じセンテンスを口に出して言ってみる練習)「The Japan Times 社説集」 音声はネイティブによる録音。多分ナチュラル・スピード。社説なので単語レベルは少々高い。あとは、この会社の「思想」が分かりやすいのでそういう意味で面白い、かな?それはさておき聞き終わってCDを一時停止してみて・・・あれ、何も覚えていない・・・ということがいかに多いことか。今までその程度にしか頭に残ってなかったんだなあということを実感。読むだけなら4,5分で終わる記事なのにリプロダクションの勉強だけで1時間は飛ぶ。。他にも手をだしてるものは沢山あるんですが、、、どれも長続きしません。涙「CNN English Express」これがナチュラル・スピードなのかもしれないが、やたら速く感じる。口語表現多し。また勉強を再開すべきか思案中。「English Zone」 スピードはやや遅め。ネイティブの録音。英語そのものより内容が面白い。毎回様々な分野の人からインタビューを行っている。外国人ももちろんあるのだがこの雑誌、日本人のキャリア・アップというビジネス誌的な観点も持っているようで国内、または海外で活躍する日本人へのインタビューも積極的に行っている。それが面白い。 野口聡一(宇宙飛行士)、佐藤琢磨(F1レーサー)、工藤夕貴(女優)、矢野沙織(サックス奏者)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、フジ子・ヘミング(ピアニスト)、佐藤可士和(アートディレクター)、大平光代(弁護士)、大前研一(経営コンサルタント)、吉井怜(女優)・・・。これだけいたらみな誰か一人位気になっている人がいるのでは。 世の中色んな学習雑誌がありすぎです。。しかしどれをやるにしても結局は語学学習に近道はないと痛感しております。覚えるの嫌いなんでなるべく「今、がんばって覚えている」という感覚にならないように(?)勉強してきましたが、これまでの経験から考えるに、語学の勉強法は一言で言えばやっぱり「ひたすら覚える」に尽きます。(以下の話は外国語を英語に代表させてもらいます) 自分は、文法から考える理屈人間ではなくてフィーリング人間だと思ってますし、実際5文型いまだに覚えてませんが、「文法」という言葉を知らないだけで頭の中で5文型の表現パターンは覚えているのだと思います。「英語は絶対勉強するな」とか「覚えないでらくらく英語」的な学習法をよく見ますが、そもそも覚えていないもの(つまり知らないもの)をどうやって話せるというのですか。「暗記」という作業を意識的にやるのか無意識的にやるのかという違いだけですね。どちらにしろ「暗記」は「暗記」です。 仰仰しい学習本を何冊も買い込んで勉強するなんてヤダというなら実地に外国人と話すなりその人なりの方法で「暗記」したらいいと思います。しかし世間話程度ではなく英語の小説や新聞もちきんと読みこなしたいというなら結局相当な時間がかかるのではないでしょうか。 語彙には見たらそれと認識できるけど自分では使うことのできない受動語彙と、自分ですぐに使用することのできる能動語彙があります。その数の関係は常に、受動語彙>>能動語彙です。英字新聞を読めはするけど、同じレベルの文章を書けと言われたらそれは今の僕には無理ですね~。 英語の詰め込み教育は良くないとよく言われますが、では詰め込み教育を受けてきた高校・大学出身者の語彙レベルで海外の英文発行物が全て読めるかというとまず無理です。海外新聞の「Economist」とか「Financial Times」とか見てみればいかに自分のレベルが低いか分かります。(これは背景知識の有無も大きいですが) 確かに会話に重点を置かなさすぎだったとは思いますが、会話だけやっていても海外と互角に渡り合う実力はつきません。どんな話題にもついていける教養の広さ、それを母国語以外でも伝えるだけの豊富な語彙・表現力が必要になるのです。そもそも母国語でそれを表現できなければ話になりません。英語学習にも国語が必要といわれる所以です。 もちろん皆が皆外国との交渉の場に立つわけではないですから、これは国を代表する立場の方々に要求されるレベルということになります。とは言っても最近開かれた国際会議で、留学経験もある日本人出席者が通訳者をつけず頑張って英語で話してみたのはいいけれど、一人でスピーチするだけならよかったが、原稿のない質疑応答になるとろくに質問に答えられず大恥をかいたという話を聞きました。国益が関わる重要な場でそのような軽率な行動を取るということに憤りを通り越して呆れてしまいます。その会議の場ではその人が日本の代表なわけです。一体日本という国が他の国にどのように思われたか。一億総中流(今は下流?)、みんな平等の時代でも、誤解を恐れずに言いますがエリートは必要だと思います。 話がわかりにくくなってしまいますが、あくまでこれも英語学習について一つの側面を捉えているにすぎません。スポーツをやる選手に英語のエリート教育は要りませんし、音楽をやっている人に英語で小説を書かせることもありません。実地で使える英語力さえあれば十分です。自分は勉強しなくても英語はものになった、という意見はこのレベルを指していると思います。ただ自分の専門のこと以外にも広い視野を持ち、それを語る言葉を持っている人の方が面白い人だなとは思われる気がするのです。そのためにはいわゆる「お勉強」も必要かと・・・。ここから先はもうその人次第ですね。 自分が英語を勉強しているのは何も自分を磨いてスキルアップしようとはそこまで思ってなくて、好きだからとしかいいようがない・・・。 まあ上を目指せるなら上に行きたいというのは僕の性質みたいですが。
2006.06.25
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映画。映画。映画。いや、まあ最近の土日の過ごし方がこれで埋まっているということです。。金曜の夜も埋まってたかな? 京都みなみ会館(以下RCS)で特集上映されている「成瀬巳喜男(なるせみきお)の世界」。戦前・戦中・戦後と活躍した日本映画界の大御所。小津安二郎や黒澤明、溝口健二なんかと一緒に名前がよく出てきます。去年が生誕100周年ということで東京では春頃から色々やっていたようですね。フィルムセンターとか色々な施設が東京にはたくさんあるのが羨ましい。(映画に限らず)なにやら知った風に書いてますが見たの初めてです・・・。(映画好きというからにはこうした人の作品も全部知っとかなきゃだめだよね・・・。すいません。)金曜の夜は会社をちょっと早めに出て同志社大学へ。。同志社大学寒梅館ハーディホールにて、RCSでの特集とリンクして、ここでも成瀬巳喜男作品が2作品上映されました。「君と別れて」、「夜ごとの夢」 ともに1933年のサイレント映画。古~い。しかもピアノ伴奏付き。初めなんでピアノ?とか思ってました。演奏会とセットなのか?よく考えたら「サイレント」映画なんですね。映像に何らかの音が要るのです。今回ピアノを弾いてくださったのは無声映画伴奏者の柳下美恵さん。主に東京で活動されていますが、今回RCSのお茶目?な館長の依頼ではるばる来てくださったそうな。”無声映画伴奏者”・・・なるほどそういう職業もあるんですね・・・。 同志社大学に入るのも実は初めて。ああ、久しぶりの大学ー♪とか思って入ってみると、なんかみんな若いなー。なんか雰囲気違うなあ・・・。初めての土地とはいえ、既にギャップを感じ始めている自分が悲しい・・・。そう思いつつ構内を徘徊。だって似たような名前の「~館」という建物があちこちにあってどこが目的地か分からなかったんだもの。(結局道路はさんで反対側だった) 寒梅館ハーディホール到着。(きれいな建物だなあ。。さすが私立は違うなあ。うちとは大違いだ・・)とかまたあれこれ考えながらホールの中へ。RCS会員証がここでも使えた。だいぶ得してる気がする。観客は中年の方々が中心。やっぱり古いもんね。。あとは”映画にはまってます”オーラを強烈に放っているベレー帽かぶった学生や無造作に髭を生やしてどこか暗い喫茶店で演劇論を戦わせてそうな20代後半位の青年が少々。多分自分も変なんだろうなと思いつつもあまり気にしないことにして上映を待つ。「君と別れて」 「夜ごとの夢」柳下美恵さんのゲストトーク入れてしめて3時間くらい。映画の感想は、、、素晴らしい。。。 いかにも古い日本映画、という趣だし、筋も典型的だけど(そりゃあこの人たちが作り出したんだから当たり前か)スクリーンでじっくり見ると本当に良い。いろんな人間模様が鮮やかに描き出されていて、映画を見れば人生が勉強できるなんてよく言うけどその意味がわかった気がした。サイレントだから技術的に映画で伝えられることに限界があるんじゃないの、と少し思ってたけど、むしろ逆。今の方が技巧は凝ってても必ずしもメッセージが豊富とはならない。今の映画見なくても昔の映画見てればそれで済むんじゃないかとさえちょっと思った。こうした古い映画も今ではDVDで見れるのでもちろん見てもらいたいけど、多分テレビ画面ではこの感動は味わえないだろうな。これがスクリーンの力。 あとは、、、「君と別れて」に出演した水久保澄子に惚れてしまった。かーわいーいー♪(恥ずかし・・)当時のトップアイドルだったそうだが、おそらく今でも普通に売れるなあ。小津安二郎の「非常線の女」にも出演したらしいが、とにかく活動期間が短い。1932年にデビューして1935年にあっという間に姿を消してしまう。トーキーになる前。その後の消息はほとんどわかっていないらしい。その謎めいたところも加わって今も隠れファンがいるそうな・・。 成瀬巳喜男の作品は、一般市民の生活を描いたものばかりで黒澤明の「乱」とかと対照的。あと溝口健二のように京都の文化風俗とその絢爛さ奥深さを描いたものともちょっと違う。(溝口作品は1つしか見たことなくて、後は又聞きなのでその辺はご容赦を) また成瀬作品は小津と同様女性に焦点を当てた作品が非常に多い。自立した強い女性と対称的に弱く脆い男性が描かれていたりして僕としてはちょっと複雑?? で、今日はみなみ会館で成瀬の「娘・妻・母」と「山の音」を鑑賞。こちらは昨日より新しくてちゃんと音声もあるし、「娘・・・」の方はカラーだったがやっぱり昨日の2作品の方がよかったな。今後有名な「浮雲」もやるのでまた見に行こうっと。「娘・妻・母」 (1960年)先週は映画監督を招いてのワークショップに参加してたし、あっという間に休日は過ぎていく・・・。 学生時代にもっと色々手をつけておくんだった。家でまったり、なんてしてる場合じゃなかった。(もともとまったりぐーたら生活がしたくて入ったんですけど・・・。なのでそれはそれでよかったと思う) なんでもっと広く周りが見えなかったのか。こんなに世の中には素晴らしい世界があるのに。目覚めるのがもう少し早かったら。 やりたいことが多すぎて、見たいものが多すぎて、わけわからん。体がいくつあっても足りない。焦りとも不安ともつかない猛烈な感情が全身をかけ巡って一向に収まらない。仕事との関係も含めて今後の自分のあり方をいい加減決めなくてはならない。結局うやむやに流されて、あの時はアクティブだったなあという回想に終わらせてしまうのはどうしても嫌だ。寝ることさえ惜しいこともある。答えが出ない。 成瀬巳喜男
2006.06.17
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マンガ。。「あたしンち」(なんでこれ?というつっこみは無しで)作者・・・けらえいこ1962年東京に生まれる。モノゴコロがつくのが遅く、茫漠(ボーバク)とした少女期をすごし、現在にいたる。 このマンガ、俺の実家のことを書いているとしか思えない・・。みんなが見過ごしてることをほんとによく見てます。。 「「あたしンち」は、もはや私の心の実家である。」 by 角田光代言い得て妙ですな。 読売新聞で好評連載中。
2006.06.12
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NHKがこの前の日曜にスペシャルで放送していた番組。”好きなものだけ食べたい” ~小さな食卓の大きな変化~ん?どこかで聞いたような話題だなあ。と。。2003年にこんな本がでました。(ちょっと画像でかすぎたか??)「変わる家族 変わる食卓」 -真実に破壊されるマーケティング常識- 株式会社アサツー・ディ・ケイの岩村暢子氏によって書かれた現代日本の食卓事情を徹底的に分析した本。衝撃的です。一体日本人はなんて悲惨な生活をしているんだと。でも何も扇動的なことが書いてあるわけではないんです。よく思い出してみると自分の今までの食生活とあんまり変わらない気がするんです。わざわざ本で読んだからびっくりしたわけで。それくらい普段の生活に注意払ってなかったんです。 アサツー・ディ・ケイが実施してきた<食DRIVE>調査は、首都圏に在住する1960年以降生まれの(子供を持つ)主婦を対象に5年間毎年行ってきた食卓の実態調査。アンケートによる食生活、食卓に関する意識調査とともに、1週間毎日3食の食卓について食材の入手経路、決定理由、作り方、食べ方、食べた人、食べた時間を日記と写真で記録してもらうというもの。NHKでの特集もこの調査の延長線上にあります。今頃取り上げるのもちょっと遅いなあとか思ってちょこっとだけ見てました。 僕は自分の食生活がだめなのを自覚しているので読みましたが、むしろ食べ物大好きという人に読んでほしい。「食育」という言葉をむやみやたらと使うのではなく、根本の価値観から変わらないといけないかもしれません。(あいかわらず僕の食生活改善されてませんが・・・。汗)この本の中で僕が一番ショッキングだったのは最後の付論「家庭科で習った通り」の件。 ある年代を境に日本の主婦の食事に対する意識や感覚に明確な違いが現れる。2002年の段階で43歳と34歳前後あたりに「断層」が見えると・・。(今は2006年だから4年足せばいいのか) 43歳より下の年代では上に比べて「栄養・機能志向」が強く、一つ一つの食材をそれが主要に含む栄養素に還元して捉える感覚があり、味よりも栄養素を組み合わせたり網羅することを重視している。そして34歳以下の主婦は、上に比べて総じて食に関する技術も関心も低い。栄養を網羅的に取ろうという意識もあまりない。内容よりも楽しく、好きなものが食べられることを志向する。なるほど、なるほど。。 ではなぜそのような断層が生じるのか? どうも彼女たちが中学校時代に受けた家庭科教育と密接な関係がある、と話は展開していきます。中学校の学習指導要領、「技術・家庭」教科書の改訂と、時期も特徴内容も一致しているというのです。 43歳から下の主婦が使った教科書では、調理実習よりも食品を栄養素別に分類したり、それを組み合わせて一日の栄養所要量を満たす工夫を教えている。「栄養・機能」のバランスが取れているかを献立の構成バランスより重視する。「ゆとりある生活」に向けての作業効率化を語る記述が多い。 34歳から下の教科書では男女別学から共通の1冊になり、方針に大きな変更はないが学習内容がより簡略化され、またここから家庭科の授業時間は減少し、調理時間も大幅に削減され始める。家庭の食事を管理したりまかなうための教育から、「個」として自分自身の食管理を中心に考えさせようという方向になっている。 こうして考えてみると今日「いま時の主婦は」と非難されているような事象も、実は多くがその時々の学校教育で教わったとおりなのではないかと気づくのである。断片的な知識は忘れてしまっても教育の中で示されたものの捉え方や価値観は気づかぬまま心に長く残るのではないか?今行われている家庭科教育が、10年、20年後の家庭の食をどう変えていくのか、それは大変興味深い問題でもある。うーん・・。 頭では納得できるのですがやはりショックです。教育が与える影響は、家庭科に留まるはずもありません。人間の個性なんて、言うほどすごいものではないのかもしれない。食卓を覗くだけで人の価値観の根幹に関わる部分まで見えてくるとは。 教育の重要性はどれだけ議論してもし足りるものではないでしょう。「ゆとり教育」やったり止めたり、もう少し時間かかってもいいからしっかり方針を決めた方がいいんじゃないでしょうか。失敗できないものですから。(そうした混乱を招くような教育者も産んだのも過去の教育ですけど)長くなりました。なにはともあれ、一度お読みになることをお勧めします。
2006.06.07
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絵の話。前回とは内容が一気に変わりますが、、、共通点があるとしたらその「無限性」でしょうか。今日は結構長いです。草間彌生。日本の現代美術の先駆者。Fireflies on the water 水上の蛍 (2000年)初めの作品は近年の展覧会でもしばしば出品されている豆電球を使用したインスタレーション。2枚目はおそらく1960年代アメリカで活動中にさかんに描かれた無限の水玉。お次はネットで画像検索したら必ず出てくる「かぼちゃ」の水玉模様。点・点・点・・・・・点・・・・・・テン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 無限に広がるドット(点)やネット(網目)、水玉は草間彌生のシンボル。現実のビルそのものをカラフルな水玉模様で覆ってしまったり、湖に無数の銀球を浮かべたり、スヌーピーも水玉模様にされてしまったり・・・。あっという間にクサマワールド。http://55.snoopy.co.jp/lifedesign/works/index.html 彼女についてポップでキュートな捉え方をする人も多いようで、それは新しい見方でもあり、作品自身が昔より丸くなっているということかもしれません。しかし1929年生まれでもう77歳になる彼女の作品には様々な変遷があります。ただいつまでも変わらない凄まじいばかりの創作意欲には脱帽の一言です。 長野県松本市出身。実家はわりと裕福だったようです。しかし彼女が芸術の道に入るまでには家族との確執など様々な波乱がありました。彼女の創作の原点が、幼少時から見えた点や網の幻覚であることはよく知られています。1939年、10才の時に描いた母の絵が残っていますが既に絵の中に無数の点が出現しています。また離人症的な症状もあったようで彼女の人生は自身の病との闘いから始まったと言えます。 草間彌生の自伝が出ていますのでそこからちょっと抜き出します。 「・・・ ある日、机の上の赤い花模様のテーブル・クロスを見た後、目を天井に移すと、一面に、窓ガラスにも柱にも同じ赤い花の形が張りついている。部屋じゅう、身体じゅう、全宇宙が赤い花の形で埋めつくされて、ついに私は消滅してしまう。そして、永遠の時の無限と、空間の絶対の中に、私は回帰し、還元されてしまう。これは幻でなく現実なのだ。私は心底から驚愕した。そして、怖いインフィニティ・ネッツに身体を拘束される。 ここから逃げなくては、赤い花の呪詛にかけられて、私の生を奪われてしまう。夢中で階段に駆けていく。下を見ると、一つ一つの段々がバラバラに解体していく。その有様に足を取られて、上から転げ落ち、足をくじいてしまう。 のちに私の芸術の基本的な概念となる、解体と集積。増殖と分離。粒子的消滅感と見えざる宇宙からの音響。それらはもう、あの時から始まっていた。 また、しばしば私を悩ませたのは、私の周囲を、薄い絹のようで色の定かでない灰色の帳が取り囲んだこと。そういう日は、人が彼方に遠のいてしまい、小さく見えてしまう。人と対話しても、意味がまったくわからなくなってしまう。そんな時に外出すると、私は帰路を忘れ、路上を彷徨い、人の家の軒下にしゃがみこみ、思い出すまで一晩中、暗闇にじっとしていることが何度あったことか。離人カーテンの囚人となった私は時間と速度、人間の会話を失い、部屋に閉じこもってしまう。その結果、私は一層手に負えない"駄目な子供"となっていったのだ。・・・」 子供の頃から絵が好きだった彼女が、自分の感覚を取り戻すための唯一の手段が絵を描くことだったのです。 「・・・ そのようにして、物心つく頃から私の視覚や聴覚や心の襞には、自然界や宇宙、人間や血や花やその他さまざまなことが、不思議や怖れや神秘的な出来事として強烈に焼きついて、私の生命のすべてを虜にして離さなかった。そして、しばしばこれらの得体の知れない、魂の背後に見え隠れする不気味なものは、怨念にも似た執拗さをもって、私を強迫的に追いかけ廻し、長年の間、私を半狂乱の境地に陥れることになった。 これから逃れ得る唯一の方法は、その「モヤモヤ」、輝いたり、暗く深海に沈んでしまったり、私の血を騒がせたり、怒りの破壊へとけしかけるモモンガァ、それらは一体何だろうかと、紙の上に鉛筆や絵具で視覚的に再現したり、思い出しては描きとめ、コントロールすることであった。・・・」 芸術がなかったら、私はとっくに病に飲み込まれていただろう、と彼女は過去を振り返って言っています。私達が生半可で絵描きたいとか言ってるのとは動機からして違います。集積の大地 Earth of accumulation (1950年)(ともに1950年代と思われる) 京都でも1年間日本画を学び、1952年初めての個展も開いていますが、必然というべきか、当時の旧態依然とした日本の画壇には我慢できず1957年に遂に日本を飛び出しアメリカにわたります。 アメリカに渡る以前の作品は、原始的と言った方がよさそうなものでこれは決してけなしているわけではありません。私が彼女の作品により惹かれるのはむしろ渡米前の20代で若い頃の作品なのです。もう魂の叫びとしか言いようのない、内面を曝け出したような絵に激しく心が揺さぶられ動揺するのです。朝から晩までひたすら絵を描きまくっていたようで、それこそ一日何十、何百と。それらの絵をみると、心の奥底にわっと真っ赤な火がついたような、眠っていた自分の中の真実が一気に迸り出るような、そんな感覚になります。絵の好き嫌いという点では、相当好みが分かれるでしょうねえ。 渡米後の彼女の絵は、その国のスケールの大きさのためか、キャンバスが一気に巨大化します。そのキャンバスを埋め尽くす無限のドット。これだけを頼りにアメリカの美術界に乗り込み、やがて認められるのです。芸術に対する懐の広さはさすがアメリカか。 しがらみから開放されたアメリカでの彼女は、まあ言ってみればやりたい放題で、得意の水玉模様をボディペインティングして街中を大勢で歩き回ったりして、ハプニングの女王とも呼ばれていました。日本ではその特異性だけが報道され地元で色々揉め事もあったようです。なので彼女が世界的に認められてからも地元での評価は微妙だったようですが、それはいたしかたないことかなと思います。 またこの頃から作品が立体化し、彼女のもう一つのシンボルである、詰め物をした布製の突起物で無数に覆われたソフト・スカルプチャ(柔らかい彫刻)が登場します。彼女いわくこの突起物はファルス(男性性器)であり、性というものへの嫌悪感を払拭するためにあえて作られた「サイコソマティック・アート」という自己療法なのだと。(「サイコ」は精神、「ソマティック」は身体) 無限の網も、男根状の突起物も、作って作って作りまくってその表現の中に埋没し、そして「自己消滅」するのです。1970年代に入ってからは製作の場を日本に戻し、絵だけでなく、コラージュ、立体インスタレーション、さらには小説、今日に至るまであらゆる芸術を作り続けています。ねぐらにかえる魂 Spirit going back to its home(1975年) (コラージュ) ハーイ、コンニチワ! Hi, Konnichiwa(Hello)! (2004年)様々な衣装・表情に描かれた人形が壁中に張ってある。これは明るくて面白い・・・ 2005年日本で大規模な草間彌生の回顧展が行われました。東京国立近代美術館から始まって京都、広島、熊本、松本と、展示内容も増殖・変容しながら巡回。(松本: 2005/7/30-10/10 草間彌生―魂のおきどころ Yayoi Kusama: The Place for My Soul 松本市美術館)美術館にあった自動販売機さえも水玉で覆われていました。もちろん中の缶も・・。 「無限の網」 自伝です。赤裸々に書いてあります。この人から美術観やさらには人生にも有形無形に少なからぬ影響を受けている気がします。(ああ、何をみても水玉に見えてしまう・・笑) 自意識めちゃくちゃ強いです。それでこそ芸術家とも思いますが。生と同時に逃れがたい死への執着、愛そして芸術への情熱にただただ圧倒されるばかりです。ちなみに若い頃の写真は結構きれいですね~。「・・・ 芸術家を志している私は、理不尽な環境に打ち勝つということは、追いつめられた立場に置かれた己れの苦しい情況に打ち勝つということであり、人間として生まれてきた故の試練であると思っている。だから、私の全人格をもってそれに立ち向かいたい。こういうことに巡り合ったことも、一つの人の世の運命であるから。 天の啓示によって、私は神に生かされているのである。艱難辛苦、己れを玉にする毎日である。そして、歳月とともに、死を意識すること、日一日である。 光明に近づく求道の姿勢をいっそう深めたいと思い、大宇宙を背景にしても人間はしがない虫けらではないという畏敬の念を感じて、未来の心の位置を高めたい。そのため、私は芸術をそれへの手段として選んだ。これは一生かけての仕事である。私の心を、死んで百年の間にたった一人でもよい、知ってくれる人がいたら、私はその一人の人のために芸術を創りつづけるであろう。」ウェブ・ページ。http://www.yayoi-kusama.jp/宇宙物語 The tale of the universe (1993年)書き疲れたー。
2006.06.03
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宇宙の話。あちこちで流行っているスピリチュアルな話ではないのであしからず。 このブログでは書いたことないかもしれないですね。科学の話は。なんで急にこんな話を、というのはあるニュースをたまたま目にして忘れていた情熱が蘇ったからです。皆さん惑星探査機「ボイジャー」って覚えてらっしゃいますかね。訳すなら「航海者」。 1977年に打ち上げられ、1989年まで太陽系の各惑星について初めて詳細な観測を行った探査機です。日本でも当時「コスモス」という特集番組が組まれて定期的に放映されていました。人類が始めて目にする宇宙の鮮やかな姿に感動した人も多かったと思います。1977年8月20日ボイジャー2号が、9月5日ボイジャー1号が地球を飛び立ちました。1号機は1980年の土星観測を最後に私達の惑星系を離れていきました。2号機はその後も観測を続け1989年には海王星に接近、そして1号機同様人類が知っている世界の外に飛び出していきました。(ちなみに太陽系の惑星の順番ご存知ですかね??一応下参照)左から太陽 水星 金星 地球 火星 木星 土星 天王星 海王星 冥王星 私は1989年をもってボイジャーは終わったと思っていたのです。もちろんしばらくは交信くらいはするんだろうけどそのうち電力も切れてしまったろうと思っていました。その後マーズパスファインダーなどの様々な探査機が登場しすっかり忘れていたのですが、先週そのボイジャー2号がまだ生きているというニュースを見たのです。しかも太陽系の最果てで。 天文学では太陽と地球の距離を1天文単位(1AU)と表現します。多くの人が知っているであろう最も遠い惑星である冥王星がだいたい40AU(60億km)の距離にあります。ボイジャー2号が現在いるのは太陽から76AUで114億kmくらいです。そこはターミネーション・ショックと呼ばれる領域で太陽から吹く太陽風と太陽系外から吹いてくる恒星間風の衝突する領域、つまり太陽系の終わりです。この領域を完全に抜けるのは2020年頃と見られています。いまボイジャーは地球から最も遠くに存在する人工物なのです。(ここは読み飛ばしても構いません。太陽系は太陽風によって外界とは違う環境にあります。宇宙空間というと静寂と無というイメージがありますが、場所によってはそういう場所もあるでしょうが、実際には高温のプラズマが渦巻いていたり秒速何百kmというガス嵐が吹き荒れていたりかなり過酷なところです。かといって別に太陽風が優しいわけではなくて、これも荷電粒子の嵐みたいなものですが・・。太陽系の境界はターミネーション・ショックから始まってヘリオシースという領域を通り、ヘリオポーズが最終的な境界面になります。ボイジャーの観測から太陽風の速度が時速116万kmから時速12万kmにまで急激に落ちたこと、太陽系外星間物質が観測されだしたことからボイジャーがこの領域に達したと推測されています。) 後から知ったのですがボイジャー1号も現在太陽から85AUの距離にあり2号機より一足さきにターミネーション・ショックに入っているそうです。ボイジャーはプルトニウムの核分裂による熱を電力源にしておりうまくいけば2020年くらいまで持つそうです。1977年から今までずっと交信を続けていたなんて驚きです。当初の設計寿命は4年くらいだった気がするが・・。ボイジャーも他の探査機に洩れず、人類の存在を示す印が刻まれています。将来他の知的生命がこれを目にする日が来るのでしょうか。 このボイジャー・ミッションの成功には欠かせない人物がいまいた。カール・セーガンというアメリカの惑星科学者です。20世紀の惑星科学を牽引した第1人者で、著作も多数あり「コスモス」や「惑星へ」など日本でも広く紹介されています。1996年に亡くなられましたが、彼が創設した米国惑星協会というものが今もあり日本にも支部として日本惑星協会があります。(ちなみに私会員です。。) だいぶ昔の記憶なのですがその「惑星へ」を読んだとき、見開き1ページ目にボイジャー(おそらく1号)が太陽系から遠ざかりつつある中で最後に我々を振り返り、地球の姿を映した写真が載せられていました。真っ暗闇の中で、真ん中にただ一点、白く輝く星が映っていました。地球はなんて孤独で、なんて美しいんだろうと思ったのを今でも覚えています。
2006.06.01
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