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久しぶりに泣いてしまいました。現在公開中の映画「タイヨウのうた」。ドラマも始まったようですが、すいませんがこちらは見る気になりません。太陽の光にあたれないXP(色素性乾皮症)という不治の病に冒された16才の主人公が、限られた人生を、歌うことによって精一杯に生きた、そういうお話。 難病を題材にした感動的な話というものがあまり好きではなかったので、初めはこの作品も見る気なかったんですが、主演のYUIさんの歌声をテレビやら何やらで耳に挟んだときとてもいい歌だな、とパッと感じてそのまま見に行ってしまいました・・。 細かいストーリーについては見に行ったらわかりますし、そもそも特に凝ったストーリーではなく、話としてはシンプルな純愛物語です。 この映画がとても感動できるものになったのは主人公である雨音薫(YUI)の歌声のためだと思います。歌には力があるということを実感させられました。(特に僕の場合は内容というより歌を聴きたくて見に行ったので・・)こういう映画をみると、映画みてきてよかったなと思えます。
2006.07.30
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今日はとても暑い日でしたね。太陽光線もじゃんじゃん地表に降り注いだことでしょう・・・ということで、科学の話題を少々。(なぜ!??)青い海と白い雲。地球だけにある美しい光景です。この現在の地球環境というのは生物が作り出したものといえなくもないのです。海に出かけていくと誰でも潮の香りを感じて気分が高まったことがあると思います。この潮の香り、実は海に住んでいる生き物たちが生み出しているものです。海中に生息する植物プランクトン、海草や藻はジメチルスルフィド(以下DMS)という化学物質を放出しています。化学式で書くとこんな感じ。はい、なんのこっちゃわからんという人がほとんどでしょう。。特に気にしないで次進みましょう。笑 潮の香りとはこのDMSの香りなのです。さらに話は続きます。海中のDMSは大気中に放出された後少しずつ大気上空へのぼっていきます。その途中OHラジカルという大気中に存在する特殊な物質によって酸化されてゆき、SO2(二酸化硫黄)という物質になります。さらにこれは水と反応してH2SO4(硫酸)になります。 硫酸といっても小さな小さな粒子にすぎませんが、この粒子の回りに大気中の水が徐々に集まってくるのです。やがて大きくなったこの水滴は雲として私達の眼の前に現れます。そう、お空に浮かんでいる雲の一部はもとをただせば海のプランクトンや海草なのです。言い方を変えれば、もちろん全部ではありませんが、生物自身がこの地球の環境を作り出していると言えるのです。(※酸性雨というのはまた別の話。これとは違います)場所を変えて森に入ってみましょう。よく森林浴と言われますが、森には確かに森特有のあるものがあります。すがすがしい気が満ちていると言ってもいいですが、テルペンという化学物質が木々から放出されているのです。また化学式で書くとこんな感じ。血圧を下げる、気持を落ち着かせるなどの効果があるそうです。 身のまわりには色んな物質があります。それが良い効果を生むこともあれば、害になることもある。量が多いものもあるしごく微量しかないものもある。私たちの気分や考え方というものは思っている以上にこうした物質を含めた周囲の環境によって形作られているのかもしれないと考えたりします。
2006.07.26
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今週は平日が一日休みだったせいもって短かった。仕事はわりとスローペース、逆に私生活は生き急いでいる気がするわたくしですが、今日はスローペースのつけが来たな、、、いやはや。スローって体の動きも覚えの悪さも・・。まだまだこれから! で、まったくカンケイない話題に移りますが・・・クラムボンというバンドの原田郁子さんが以前から妙に気になっていて知るほどにどんどん好きになってしまいました・・。(クラムボンというのも変な名前ですが宮沢賢治のお話の中に出てくる謎の生き物の名なんですよねー。) 以前34回目の記事でohanaというバンドのことを書きましたが、このバンドから彼女のことを初めて知りまして、試しにクラムボンのCDを聞いてみるとよかった!(「JP」というアルバム。ファーストアルバムかな?1999年) ohana自体の曲は今一歩なのですが、ジャケット楽しそうだしその後もなーんか気になってました。 GWのときちょうど2日間だけ東京に帰るとohana出演のショートムービーの公開記念で原田郁子さんのトークイベントをやるということでいそいそと出かけていき、10分程度であったろう予定時間を倍に引き延ばして明るく(好き勝手に・・・)トークをしてくれて好き度が上昇、したところに同じGW中旅行で行った九州で彼女の妹の原田奈々さんの写真展が開かれていて妙に縁があるなあとますます気になる。(38回目の記事も参照) そうした流れの中で原田郁子さんが出したソロアルバムを知り聞いてみると、いいなあ~ともうファンになってしまった次第でして・・。のんびり、ほんわか、やさしい、そういった気持になれます。http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200604100000/ (34回目)http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200604230000/ (38回目)「ピアノ」 2004年 青い方の画像は「ピアノ」にも入っている彼女のソロ・シングル「うれしそう かなしそう」です。 「ピアノ」は、郁子さんが4歳の頃からやっているピアノを中心に据えたアルバム。そういえば奈々さんが出した写真集も「ピアニスト」でしたね。(結構重要なキーワードだな) この中に入っている「うれしそう かなしそう」と「ワルツ」、そして先の「JP」の中に入っているクラムボンのデビューシングル「はなれ ばなれ」が今のところ一番好きです。 とても伸びやかな声でちょっと不思議な感じを持っています。ohanaの活動なんか見てるとご当人は好き勝手にやっているように見えますが、周囲を和ませる魅力を持っています。ちなみにこの「ピアノ」を作るときハナレグミやポラリスの永瀬たかし、オオヤユウスケと一緒に曲作りをしたのが契機となってohana誕生に繋がっていきます。(以前からライブ等で共演はしていましたが)これからも活躍してください。
2006.07.21
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なかなか梅雨が明けませんねえ。ああ、久しぶりの日記だ。先週の土曜日に大阪で加古隆のコンサートに行ってきました。4月に発表されたアルバム「ピアノ」のコンサートツアーです。(39回目の記事参照)http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200604250000/ (39回目)これまでに発表された作品とアルバム中の作品の2部構成。「白い巨塔」、「博士の愛した数式」、「大河の一滴」の曲も演奏されました。基本的に加古さんの作品は全部好きです。気が付けばコンサートに足を運んだのはこれで3回目アンド3年目。CD屋では取り寄せないと売ってない加古さんのアルバムを(敢えてネットで買わずに・・)会場で買うのが恒例になっているなあ。今回買ったのは、「アポカリプス-黙示録」 (1989年)ブラジル出身の舞踏家であるイズマエル・イヴォ氏と舞踏演出家の天児牛大(あまがつ・うしお)氏とのコラボレーション作品。ダンスのための音楽。ダンスパフォーマンスは1989年ウィーンと東京で初公演されました。1992年再演。そして今年2006年、イヴォ氏の希望により再再公演されるそうですが、場所はドイツです・・。I am dying everyday, that is why I live.私は、日毎、死ぬ。だからこそ、私は生きている。1. 日々のルネッサンス 一つの空間に異なった二つの者が場を専有することから2.曙光 晒された記憶の断片3.ネオ・ペトルーシュカ 不自由をかかえることの自由と、自由をかかえることの不自由4.背面の響 疾走する意識5.エンプティー・トランス 中心に立つことから始まる自己の中心に至る交感6.水底の風 浮遊と沈殿7.アポカリュプシス 引きはがされた水面のごとく、それはダンスを渇望するかっこいい言葉が並んでますの~。 ピアノに向かう自分と、一人のダンサー、そんな情景が、ある時、一瞬見えた。それは、まるで音を想像している時と同じような純粋さで、私の心に立ち現れたのだった。 それから2年以上の歳月が経ち、私はイズマエル・イヴォ氏とめぐり会った。(中略) イヴォ氏の考えていること、信じていることは、おかしい程、私のそれと一致していた。一見、偶然のように見える出会いは、私達の想像をはるかに超えて、長い間準備されたものであったのか、と驚かされる。 私達二人の予想に間違いがなければ、私達がこれから創り上げるものは、未だ、どこにも無かった、新しいものになるだろう。(アポカリプス-加古隆、抜粋) 二人の人間と一台のピアノ。ピアニストは瞑想をしているかのように座っている。とてもゆっくりとした演奏が始まる。すると彼の体から波が生まれ、その波動の中からもう一つのからだが、あたかも彼の背中から立ち上るかのように出現し、音楽の波に乗って彼の肉体を離れていく・・・・・・これは現実なのか?私は突然、ピアニストの魂かそれとも彼の肉体の影が空間に出て彼自身をなぞる形を見たのであろうか。 確かな主題とその転移。幻の肉体はそれ自身ひとりでに動き、また静止する。ピアニストは協和音や不協和音に沿って踊っている。そしてピアノは、その二人の為に奏でている。(加古隆の印象-イズマエル・イヴォ、抜粋)一つの空間に異なった質の二者がそれぞれの場を専有していることから、一方は場から動くことなく、他方は動くことによって、一方は同心円をくりだし、他方は同心円をかきみだし、響きのすき間に体を同調させたりもする。ガランの内に啓示を受けた二人が出会い、始源、現在、未来を見つめるとすれば、私はガランの外の園丁のような者なのかも知れない。(天児牛大、抜粋) 抜粋が長くなりましたが、最初の1,2曲目を聞いていると、ゆっくりとした旋律の繰り返しとともに、意識の内面に向かってゆっくりと階段を下りていく、そんな気がします。その先にあるのか混沌?静寂? 3曲目以降、目覚めた二つの新しい意識が激しく一つの場所でぶつかり合います。ピアノから飛び出す一つ一つの大きな音滴にぶつかり、あるいは突き動かされ、ダンスは果てしなく続く。公演を見たことはありませんが、そのダンスを想像するのは容易だと思うくらい激しい情動がこちらに伝わってきますので。 今のところ、ダンスというものには全く縁がないのですが、やっぱり生で見ると違うものなんだろうか・・。 最新作「ピアノ」の音は質も高く一つの完成形としてきちんとまとまっていて、それを良しとするならもちろん良いのですが、この「アポカリプス」や「クレー」、「エンスタンプ・ソノール」といった過去の作品は実験的といった方がぴったりくるもので、完全にまとまっていなくとも(十分完成してますが)、野心も刺激もあり、僕としてはこちらの方が心動かされる所が多いです。現在の加古さんは円熟期に入ったということなのかもしれない。
2006.07.18
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日記です。土曜日映画を3本見ました。大阪の十三と京都で。はい、見すぎです。ミニシアターばっかだし会員になってるので3000円で済みましたが。機会があればまた映画の話でも・・。あとはピアノの練習です。来週は加古隆のコンサート at いずみホール です。楽しみです。日曜日午後1時から写真撮影の実習。4時間も。at 琵琶湖外の天気は曇り時々晴れ、それよりも湿度がおかしい。じめじめしすぎて外にいるだけで発酵する!水辺で遊んでいる子供、カラフルなビーチパラソル。撮ります。じゃんじゃん撮ります。1時間もしたらネタ尽きましたけど。終了後、複数クラス合同で飯&飲み。47歳社長に21歳フリーター、色んな人が近くのパルコにあったイタリア料理屋で一緒に飯を食ってビールを飲んでいる。面白い。写真以外の勉強にもなりました。笑まだなんにでもなれる20代、1億払っても戻りたいと社長は言っていました。月曜日もちろん会社です。天気もよくなさそうだったので今日はカメラは持っていきません。明後日締め切りの板金図面の作成です。ものを描くこと自体は好きですが、細かい作業は苦手です。ねじ穴多すぎ。内径何ミリとかバーリングとかもう知らん!C言語のプログラミング解読もしないかんのに・・、明らかに遅れている。ああ、夜9時まで残ってしまった。日没とともに、とはいかなくてもその日の内には寝たいものです。ある研究によれば人間はレム催眠とノンレム催眠一回ずつで計3時間で持つはずだということですが、睡眠は単に肉体的な回復以上の意味を持っていると思っている私には受け入れられません!寝ているときは至福の時なのです!ああ眠い。
2006.07.10
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今日は雨。昨日は晴れ。少しずつ夏が近づいてきます。別にタイトルに示すような悲しい話があったわけではありません・・・。最近なかなか更新できなくなってます。ゆっくりでも続けて行ければ、と思ってます。 以前住んでいた所は東山区の平安神宮のすぐ近くにありました。昼は平日休日問わず老若男女、日本人外国人問わず大勢の観光客で賑わいますが、夜になると人の気配も消え、極めて静かになります。深夜ともなるとたまに暴走族が三条通りを通り過ぎ、爆音を立てて静寂を破ろうとがんばりますが5分もすればまた元通りの静けさです。 平安神宮の傍は琵琶湖からの疎水が神宮を囲むように流れています。また巨大鳥居の周りには京都市美術館や京都国立近代美術館もあり、広々とした空間になっています。 外からの帰り、よくこの平安神宮一帯を自転車で通過しました。酒で酔っ払っていることもあり、寒さに凍えながらひたすら自転車をこぎまくっていたこともあります。 深夜の12時も回ったような遅い時間にここを通ると、いつもではありませんが街灯も何も全て消えて真暗闇になっていることがあります。暗いなぁと思ってふと自転車を止めてあたりを見わたします。目が慣れてくると、すぐ横に京都市美術館の古風な建物がものも言わず超然と佇んでいるのが見えてきます。見上げた空は若干の星光を含みながらも夜としての役割を十分に果たしています。 そのまま東山の山並みに目を移すと、山は空より一層の暗闇でもって風景を塗りつぶし、空との境目にその漆黒の木々を浮かび上がらせています。比叡山の山頂から届く細々とした光がどこか遠い世界のよう。 音もなく、人もおらず、自分は今この暗闇と一体になっているのだとわかった瞬間、なんとも言えない興奮が湧き上がったのです。何なんでしょう。自分を越えた大きなものとの一体感とでも言えば良いのか、それがとてつもない恐ろしいものであるかもしれないのに抑え難い好奇心が掴んで離れないのです。 平安神宮からも近い京都の名刹、南禅寺。やっぱり夜に出かけてみたことがあります。ここも夜は昼とは全く異なり人っ子一人おらず(猫一匹くらいはいますが)、静寂の中に身を置くことができます。 何も識別できない真っ黒な地面の上に、それよりは少し明るい灰色のこもれびが上から洩れています。山門にたどり着き上を見上げると、ちょうどそれまで雲に隠れていた満月が姿を現し地上を淡い黄金色に照らします。南禅寺を囲む山々は月を背景に鮮やかに浮かび上がり、影によってできた明暗が一層山門に幻想的な現実感を与えてくれます。 扉の前に腰掛けて座っていると、静寂に誘われて歌い出したい気分になりました。月を隠していた雲が夜の闇の中に消え、また新たな雲が流れてきて月を隠すまでそうして座っていました。 以前から闇というものに対して奇妙な興味があるのです。 おそらく僕の暗闇の原風景は小学生の時に北海道で札幌から稚内へ向かう夜行列車の窓からみた車窓です。人家なんて全く見えません。黒い鬱蒼とした森の影ばかり。それをなんとはなしに眺めていました。一体何時だったか、一瞬、民家の明かりが2つあっという間に窓を通り過ぎていきました。光! そのときの驚きだけが今も記憶の中に残っています。 高校の国語の教科書に一つの小説が載っていました。当時はそれほど気になったわけではないのですが、ある時ふと急に、非常に強く気になって、うろ覚えの作者名からその小説を探し出しました。「蒼穹(そうきゅう)」 作者は、梶井基次郎 1901.2-1932.3 わずか31歳でこの世を去った小説家です。大阪に生まれ京都の3高、そして東京大学文学部に進学。1925年同人雑誌「青空」を創刊、同誌上に「檸檬」を発表する。肺結核の治療のため、伊豆湯ヶ島に転地療養、川端康成と親交を結ぶ。病に悩まされつつも次々と作品を発表。帰阪の勧めに従い、大阪に帰るも度々の発熱と呼吸困難の後、1932年死去。 幼い頃から度々病に侵され、彼の作品には常に重い陰影がかかっています。しかし、重いはずなのにどこか清清しいのです。闇の中でもきらきらした輝きが見えるのです。若くして亡くなったこともあって彼の小説は青春小説として扱われることが多いです。 ちくま文庫から全集が出ていますが全1巻だけです。彼の生きた証が全て入っています。「檸檬」が一番有名です。この作品の舞台になった京都の丸善は昨年の10月閉店してしまい、残念ながらなくなってしまいました。その後に建ったのはバカでかいカラオケ店。時代の流れでしょうか。(最も執筆当時の丸善はまた今とは違う所にあったそうですが) また「桜の木の下には」もよく取り上げられる有名な作品です。上に書いた「蒼穹」は伊豆湯ヶ島を題材にしたもの。この中の闇の記述が、僕の眠っていた感情を呼び起こしたのでしょうか。 「蒼穹」 ・・・ ・・・ (省略) その夜私は提灯も持たないで闇の街道を歩いていた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇の中であった。街道へその家の燈が光を投げている。そのなかへ突然姿をあらわした人影があった。おそらくそれは私と同じように提灯を持たないで歩いていた村人だったのであろう。私は別にその人影を怪しいと思ったのではなかった。しかし私はなんということなく凝っと(じっと)、その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺めていたのである。 その人影は背に負った光をだんだんと失いながら消えて行った。網膜だけの感じになり、闇の中の想像になり--ついにはその想像もふっつり切れてしまった。そのとき私は「どこ」というもののない闇に微かな戦慄を感じた。この闇のなかへ同じような絶望的な順序で消えてゆく私自身を想像し、云い知れぬ恐怖と情熱を覚えたのである。-- その記憶が私の心をかすめたとき、突然私は悟った。 雲が湧き立っては消えてゆく空のなかにあったものは、見えない山のようなものでもなく、不思議な岬のようなものでもなく、なんという虚無!白日の闇が満ち充ちているのだということを。私の眼は一時に視力を弱めたかのように、私は大きな不幸を感じた。濃い藍色に煙りあがったこの季節の空は、そのとき、見れば見るほどただ闇としか私には感覚出来なかったのである。(1928年)彼の作品にはとても繊細な情景描写があります。それは青空の中に湧き上がる雲、遠くで聞こえる物売りの声、オートバイの音、子供の遊び声、切なくて、儚い。そんな印象を受けます。 「城のある町にて」 ある午後 「高いとこの眺めは、アアッ(と咳をして)また格段でごわすな」 片手に洋傘、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗に禿げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓をはめたように見える。--そんな老人がたからかにそう云い捨てたまま峻(たかし)の脇を歩いて行った。云っておいて此方を振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望へ向けたままで、さもやれやれと云った風に石垣のはなのベンチへ腰をかけた。-- 町を外れてまだ二里程の間は平坦な緑。I湾の濃い藍が、それの彼方に拡がっている。裾のぼやけた、そして全体もあまりはっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠(わだかま)っている。-- 「ああ、そうですなあ」少し間誤(まご)つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんの拘りも知らないようなその老人に対する好意が頬に刻まれたまま、峻はまた先刻の静かな展望の仲へ吸い込まれていった。--風がすこし吹いて、午後であった。・・・ ・・・ (省略) 今、空は悲しいまでに晴れていた。そしてその下には町が甍(いらか)を並べていた。 白堊(はくあ)の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そして其処此処、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。或る家の裏には芭蕉の葉が垂れている。糸杉の巻き上がった葉も見える。重ね綿のような恰好に刈られた松も見える。みな黝(くす)んだ下葉と新しい若葉で、いい風な緑色の容積を造っている。 遠くに赤いポストが見える。 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。--・・・ ・・・ (省略) 空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青よりやや温い深青に映った。白い雲がある時は雲も白く光って見えた。今日は先程の入道雲が水平線の上へ拡がってザボンの内皮の色がして、海も入江の真近までその色に映っていた。今日も入江はいつものように謎を隠して静まっていた。 見ていると、獣(けもの)のようにこの城のはなから悲しい唸声を出してみたいような気になるのも同じであった。息苦しいほど妙なものに思えた。 夢で不思議なところへ行っていて、此処は来た覚えがあると思っている。--丁度それに似た気持で、得体の知れない想い出が湧いてくる。 「ああかかる日のかかるひととき」 「ああかかる日のかかるひととき」 何時用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。-- 「ハリケンハッチのオートバイ」 「ハリケンハッチのオートバイ」 先程の女の子らしい声が峻の足の下で次々に高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。 この町のある医者がそれに乗って帰ってくる時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちに「ハリケンハッチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と云っている児もある。 三階の旅館は日覆をいつの間にか外した。 遠い物干し台の赤い張物板ももう見つからなくなった。 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩(せみ)。(1924年)
2006.07.05
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