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にほんブログ村 愛知県知多郡南知多町の岩屋寺。記録的な猛暑。あまりの暑さに、石仏にさえも涼を求めてしまいます。熱中症には十分にお気をつけて。【 冷たいの! 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.30
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にほんブログ村 先日の「お地蔵様」の日記の続報です。「記事」 「怖れの高さに操られ」2m前後の仏像に”怖さ”を感じる点について、「いわどん0193さん」 からコメントを頂きました。それは”怖さ”についての分析です。「人間として自分より少し大きな者を恐れるのは当然です。 ただ人間によく似た姿で3mを越す存在はありえませんので、 そこからは「動物」あるいは「建造物」とみなすので怖くないのでしょう。」なるほどと思いました。少し大きな生物を恐れる、動物的な本能なのでしょう。コメントありがとうございました。2m前後の像には怖さがありますが、小さな像には”不気味さ”を感じることがあります。・・・・・・・愛知県知多郡南知多町の岩屋寺。その薄暗い参道には、多くの石仏があります。その石仏の写真4点から、”不気味”と思うものがあれば、コメント欄から番号で投票お願いします。1)群れなす2)くやしい3)待つ4)呼ぶなしもありかも。【 マスクしましょう 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.28
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にほんブログ村 先日の愛知県岡崎市 諏訪神社の石灯篭。岡崎市で最も古い石灯篭は、塩問屋 国分久右衛門守胤により寄進されました。その国分家ゆかりのもので、私がみつけたもの。それは「馬頭観音」でした。「石灯篭には、馬の彫刻があり、塩の運搬には馬を使った。」これがヒントでした。この神社は、岡崎市内の神社仏閣10ヶ所以上を、徒歩で巡る中で立ち寄りました。石灯篭の存在も、国分家も、馬頭観音があることも知りませんでした。馬頭観音は、諏訪神社と境内を共有する誓願寺にありました。誓願寺は1566年に、徳川家康が建立ました。馬頭観音は、諏訪神社の鳥居前の墓地にありました。歴代の御住職の墓石の間に、隠れるようにして馬頭観音があります。馬頭観音に興味がなければ、間違いなく見逃すことでしょう。本来の馬頭観音は、憤怒相。しかしこの馬頭観音は違います。やさしく馬の成仏を願う様な表情の馬頭観音です。馬頭観音の背面には、「馬頭〇〇 国分治介」と書かれています。「馬頭〇〇」の〇〇は、「観音」とは読めません。怒りを捨てた、そのやさしい表情に、国分家では「観音」以外の名を与えたのでしょうか?・・・・・・・・・・・先日の石灯篭のクイズ。国分家ゆかりの物は「馬頭観音」でした。たくさんのご回答、ありがとうございました。正解者は下記の方々です。【正解者】 (コメント順、2022年6月25日23時時点) 〇 「トンカツ1188さん」 〇 「neko天使さん」 〇 「恭太郎。さん」 〇 「flamenco22さん」 〇 「LimeGreenさん」 〇 「天星音1005さん」 〇 「ザビ神父さん」 〇 「ヴェルデ0205さん」 〇 「みぶ〜たさん」 〇 「marnon1104さん」 【 冷たいスィーツが恋しい 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.26
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にほんブログ村 愛知県岡崎市指定文化財 諏訪神社石灯篭。1588年に寄進された歴史がある灯篭。国分久右衛門守胤により、この石灯篭は寄進されました。灯篭には、神社の紋の九曜紋、日、月、馬、鳥などの彫刻があります。また灯篭下部の地輪には、海の波を示す海波文があります。国分家は塩問屋でした。海波文は塩との関わり、塩の運搬には馬を使ったと推定されています。寄進された石灯篭は、長い年月を経て、塩問屋の繁栄を今に伝えます。さて、私はこの諏訪神社の境内で、国分家に関連する物を見つけました。見つけたのは偶然ですが、私の記事によく登場するもの。さて、何を見つけたでしょうか?ネタバレ可ですので、遠慮なく答えをコメントください。【 映画も人気らしい 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.24
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にほんブログ村 愛知県豊明市 禅源寺。この様な晴れ間もなく、降雨と曇り空が続く梅雨。更に猛暑が続いています。みなさん、体調はいかがでしょうか?水害が懸念される梅雨ですが、今年は大きな地震の心配まで。平穏な梅雨でありますように。 【 蒸し暑いですね 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.22
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にほんブログ村 先日ご紹介した、お地蔵様。「右 重原」の横に文字があると、 「LimeGreenさん」 からコメントを頂きました。しかし残念ながら、文字がよく判別できません。ただ、その答えは近くのお地蔵様にありました。初めのお地蔵さまから数十メートルの距離。このお地蔵様もみちしるべです。幸い接写の写真もありました。「右 重原 本重原 左 のだ 半城土」と読めます。右の方向には、現在は、上重原,重原本町、下重原という地名もあります。近くには「本刈谷神社(もとかりやじんじゃ)」もあります。現在の重原本町は、かつては本重原と呼ばれていたのでしょう。左の方向の「のだ」は、現代の野田町でしょう。「半城土」は「はじょうど」と読みます。重原、半城土、野田などの地域は、愛知県でありながら、福島藩の領地でした。初めのお地蔵様に戻ります。「右 重原」の横の文字も「本重原」と読めそうです。みちしるべのお地蔵が、その読み方まで教えてくれました。【 梅雨は外出しにくいなぁ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.20
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にほんブログ村 救いが得られるはずの仏像を、私は怖いと感じることがある。そして、怖れを覚える仏像には共通点がある。それは仏像の身の丈が、2メートル前後ということだ。「愛知県西尾市矢田 養寿寺」仁王像の様に、身の丈が3メートルを超えれば怖くない。感じるのは怖れではなく、迫力や威圧感である。身の丈より少し大きな仏像に、私は怖れを感じる。しかし、それは仏像に多い大きさではある。なぜ仏師はこの大きさで、仏像を作ったのだろう。仏師はこの”怖れの高さ”を知っていたに違いない。私はそう思い、仏師のその思惑に、たまらなく悔しさを覚えている。【 子供の頃、家に飾られた、私より大きな市松人形が怖かった 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.18
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にほんブログ村 事故情報提供のお願いを見かけました。信号機がない交差点。自転車3台が絡む事故。容易に状況が想像できません。最近の自転車はスピードが出ます。歩道を歩行中、猛スピードの自転車に追い越され、驚くこともしばしばあります。自転車に関して言えば、徐行が第一と思います。スピードさえ出さなければ、事故は大半回避できます。また自転車が加害者となる場合も、徐行時なら怪我も少ないでしょう。不幸な事故にならないよう、自転車は徐行でお願いします。 【 動くと光る 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.16
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にほんブログ村 先日のお地蔵様の日記の続報です。お地蔵様のみちしるべを、私は「右 重原 左 カロ」と読みました。その際、 「じゃここうこさん」 から、「ロ」ではなく「田」ではないかとのご指摘を頂きました。たしかによく見ると、「田」と読めます。そこで、みちしるべが示す場所を地図で確認しました。現代の地名では、その場所は「東田」と「塩田」になります。「田」と読むのは間違いないようです。問題は「カ」です。カタカナの「カ」ではなく、漢字の「力」でしょう。しかし、「東」、「塩」とはつながりません。色々考えましたが、単純な結論に至りました。素直に「力田」で、「りきでん」と読むのでしょう。「力田(りきでん)」とは「農民が開墾した私有の田」です。つまり「左は私有地ですよ」と、お地蔵様が教えてくださっていたのです。「力田」、また勉強になりました。【 土地がないなら水耕栽培 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.14
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にほんブログ村 愛知県安城市の総合運動公園。すべては、そこで僕が出会った出来事。しかしそれはあまりに荒唐無稽で、今思えば幻だったのかもしれない。*その日、いつも通りの日常が、突然、非日常に変わった。陸海空、すべてを制する海賊船が、この街に現れたのだ。海賊たちは、海の魔物クラーケンさえも従わせる。彼らに狙われたが最期、この街も終わりだ。そう覚悟した時、海賊船の船長が現れた。船長は言う。「おびえないでくれ。 争う気はない。 ともに今日の良き日を、楽しもうではないか。」その言葉通り、海賊たちは陽気な音楽を奏で始めた。音楽に合わせてクラーケンは8本の脚をくねらせ、くじらも愉快に巨体を躍らせた。海賊船の大砲からは、砲弾の代わりに紙吹雪が放たれ、人々は、特に子供たちは、すぐに海賊たちを受け入れた。特に子供達に人気だったのは、くじらの口のすべり台だった。僕は船長に問いかけた。「なぜ、あなたたちは、これほど友好的なのですか?」船長は答えた。「暴力と略奪からは何も得られない。 愛と笑顔から生まれる融和こそが、真の宝なのだ!」その時だよ。僕が統治者と呼ばれる者が、持つべきものが何かを知ったのは。【 その者 青き衣をまといて 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.12
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にほんブログ村 愛知県刈谷市野田。この辺りには、みちしるべとなるお地蔵様がいくつもあります。例えば、神明社の鳥居前。三角屋根の下に、お地蔵様。お地蔵様の下には、みちしるべ。「右 重原 左 カロ」と読めます。道に迷えば、お地蔵様に問いかけます。「私はどちらに向かえば良いですか?」お地蔵様は、諭すように答えます。「みちしるべはあるけれど、進む道を決めるのはあなたです。」GPSも教えてくれない進むべき道。お地蔵様だからこそ、教えてくれます。 【 コンパス 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.10
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にほんブログ村 愛知県豊明市の豊明市役所に隣接する八釼神社。その神社にある祠。祠の中には、役小角(えんの おづぬ)がおられます。飛鳥時代に実在しん役小角は呪術を操り、鬼神を使役したと伝わります。様々な神社仏閣で見かける役小角像。宗派を問わず役小角が祀られるのは、その力にすがりたいという願いからでしょう。私も役小角様に祈りりましょう。不可能を可能にする、その力に期待して。役小角様、どうか私の病気を治してください。【 神頼みしよう! 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.08
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にほんブログ村 愛知県豊明市の謎のコンクリート像、聞き込み結果の続きです。「身替り弘法(千体弘法)」は、山中からこの地に移設されたとわかりました。移設したのは、初代毛受組 毛受善市氏。昭和57年のことです。では、水子弘法など、3体のコンクリート像は?以下、その情報です。●水子弘法も、同時期に初代毛受組 毛受善市氏により建てられた。●ただし水子弘法は、移設ではなく新作であった。●「毛受組」は豊明市内の国道1号線沿いの「毛受コンクリート㈱」ではない。 (毛受組は「毛受建材」?)●毛受善市氏は、かなり前に他界された。●今では水子弘法の詳しい経緯を知る人はいないだろう。昭和後半の出来事が、既に闇の中。作家銘のない作品は、驚くほど早く、その記憶が失われることを実感しました。【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 晴れても暑いので、聞き込みは辛い 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.06
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にほんブログ村 こちらのコンクリート像(セメント像)を覚えておられるでしょうか。愛知県豊明市の作家不明の水子弘法です。以前の記事で、製作年から「作家は浅野祥雲ではない」と推定しました。浅野祥雲作ではないとしても、実によくできた弘法様です。そこで、作家が知りたく、今回、現地周辺で聞き込みしました。聞き込みからは、意外な事実もみえてきました。では、調査結果を列挙します。まずは水子弘法の横にある、御堂の中の「身替り弘法」の情報から。「身替り弘法(千体弘法)」●石碑にある通り、この場所は「昭和57年」に「初代毛受(めんじょう)組」が整備した。●毛受組は現在も、この場所の地主である。●千体弘法はもともと山中の別の場所にあり、初代毛受組(毛受善市)がこの地に移設した。千体弘法は移設されていました。次回は続いて、本命の謎の水子弘法の情報です。【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 晴れないと聞き込みも辛い 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.04
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にほんブログ村 愛知県刈谷市の龍江寺。こちらには、鍾馗(しょうき)様が2体。端正な御姿です。こちらにも、もう1体、鍾馗様。こちらは勇ましい。鍾馗様には、魔除けのご利益があるとされます。ただし、鍾馗様は道教系の神様。お寺に祀るのは無理がありますので、御住職の御趣味でしょう。宗派や形式に拘らない。その寛容さを、私は受け入れたいと思います。【 それなりのお値段 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.02
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