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「コララインとボタンの魔女」 Coraline 2009年 アメリカ映画監督 ヘンリー・セリック 人形を使ったストップモーションアニメです。劇場公開では、3D版でしたが、今回CATVからの録画ですから、もちろん2D版を鑑賞しました。 ピンクパレスアパートに引っ越してきたばかりの11歳のコララインは、友達もなく、忙しい両親にはかまってもらえず、さびしい思いをしていました。 コララインが新しい家の中を捜索していると、壁紙で封印された小さなドアをありました。無理やり開けてみると、奥へと延びる穴があります。穴を通って行ってみると、向こう側にも同じ家があり、ボタンの目をした“別のママ”と“別のパパ”が居ました。 “別のママ”は、コララインに、手作りのお菓子やおいしい料理を食べさせてくれたり、新しい服をくれたり、何かとコララインにやさしくしてくれます。“別のパパ”は、庭を美しくガーデニングし、優しくお話ししてくれました。 ストップモーションアニメにCGを加えたその映像は、ダークなお話で、夜の場面が多いのですが、原色も多く、非常に、美しく作られています。いろいろなものも飛び交っており、これは3Dで観た方がよかったなと、ちょっと後悔しました。 お話は、日常に不満を持っている子どもが、魔物の甘い罠にひっかかってしまうという、子どもものによくありがちなストーリーですが、テンポも良く、いろいろな場面を次から次へと見せられるので、退屈することなく、楽しむことができました。大人も楽しむことができるお話に仕上がっています。小さい子には、全体の雰囲気がダークすぎて、ちょっとトラウマになってしまうかもしれません。でも、お話がちゃんと呑み込める子なら、教訓的なこともありますし、しっかり楽しめるお話だと思います。 しかし、いくつか気になる点があるので、書かせていただきます。 まず、お話のかなり最初の方に出てきた古井戸、いかにも怪しい古井戸ですが、これがお話の中にどうかかわってくるのか楽しみにしていましたが、なかなか出てきません。やっと最後に思い出したように、後始末をするために出てきましたが、やっぱり怪しさ満点で、いかにものごとく隠されていた古井戸ですから、何かしらお話の中で関わり、生かしてほしかったですね。井戸って、その存在だけで、怪しい雰囲気を醸し出しているものですからね。 人形のストップモーションの映像に、CGを加えた映像の意味が、よくわかりませんでした。全面CGではいけなかったのでしょうか、わざわざ時間と労力のかかるストップモーションアニメにする必要性がわかりません。 ストップモーションアニメは、人形を、ほんの少しずつ動かして、1コマ1コマ撮影していくものです。だから、どうしても、動きがぎこちなくなります。しかし、そのぎこちない動きがいい味を出していたりするものです。 CGを加えたことにより、背景などが美しく、人形のぎこちなさを感じられなくなっていました。きっと、言われなければ、ストップモーションだと気が付かないで観ていた人もいるでしょう。 何か、ストップモーションに掛ける時間と労力が、もったいないような感じを受けるのは、私だけでしょうか。 ということで、若干気になるところもありますが、とても面白かった、ダークファンタジーでした。
2011.11.30
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「ミッドナイト・エクスプレス」 Midnight Express 1978年 アメリカ映画監督 アラン・パーカー 脚本 オリバー・ストーン主演 ブラッド・デイヴィス 公開当時、ほぼ無名の新人主演の作品が、ゴールデングローブ作品賞を受賞し、アカデミー賞でも、作品賞にノミネートされた(受賞は逃しています。)ということで、話題になりました。レンタルビデオ屋で、このDVDを見つけ、当時観たいと思っていたことを思い出し、借りてみました。 アメリカ人旅行者のビリー・ヘイズ(ブラッド・デイヴィス)は、大量の麻薬を持ち帰ろうとして、トルコの空港で逮捕されます。裁判で懲役4年2カ月を言い渡され、刑務所に投獄されます。 あと50日あまりで刑期を終わるという時、裁判のやり直しがあり、改めて懲役30年を言い渡されてしまいます。 題名の“ミッドナイト・エクスプレス”とは、脱獄のことを表す、受刑者たちの隠語です。ですから、いつ脱獄するのか、どんな上手い手を使って脱獄するのか、と思っていたら、なかなか脱獄せず、ビリーの境遇は、どんどん悪くなっていきます。 そして、最後は、偶然所長を殺してしまい、そのすきに、脱獄をしたのです。それは、決して用意周到に計画したものではなく、単なる偶発的ものでした。 “脱獄”という題名からすると、どんな計画を立て、どう見事に脱獄をするかを描いた、トリッキーな作品を創造してしまいます。 しかし、どうやら、トルコの人権無視な刑務所のひどい状況を描きだすのが主題のようで、ドラマチックなお話に仕上がっています。 ところが、僕は、そのドラマに感動することができませんでした。 主人公のビリーは、冒頭、自分の体に大量の麻薬をまきつけ、その上から服を着て、麻薬を持ち帰ろうとしています。つまり、明らかに自分が摂取するだけではなく、売って一儲けしようとたくらんでいることがわかります。そして、隠し持っていこうとするところから、悪いことをしているという自覚があるということもわかります。 また、空港で、身体検査をしていることがわかり、何とかごまかそうと悪あがきをしたり、(もちろん、無駄なあがきで、捕まってしまうのですが。)面会に来た父親に、何とかお金の力で出してもらうようにお願いし、父親もそれにこたえようとしている場面が出てきます。 映画の冒頭で、そんな場面を見せられた僕は、そんな主人公が大嫌いになり、全く感情移入できませんでした。だから、刑務所でひどい仕打ちを受けたり、裁判のやり直しで、刑期を伸ばされたりしても、自業自得だと思うだけで、かわいそうとか、理不尽だとか、全く思いませんでした。 麻薬という物は、それを摂取することで、一時的に快楽を得ることができる代わりに、常用することで、徐々に体をむしばみ、最後には廃人になってしまうという、恐ろしい薬です。それを自分で使うことは、自己責任ですから、どうでもいいと思っていますが、それを作ったり、人に売ったりということは、殺人に等しい、人道的にひどい犯罪だと思っています。 だから、この主人公が、警察に捕まり、刑務所でひどい仕打ちを受けようが、長い刑期を受けようが、自業自得だと思うばかりです。どうしても、彼に同情することができませんでした。 だから、この作品が、いかに名作と言われようが、それに同感することができないのです。以前肯定的な記事を書いた「ショー・シャンクの空に」も同じ脱獄物ですが、あれの主人公は冤罪でした。だから、鑑賞後、非常にスカッとしましたが、この映画は、現行犯で捕まっています。彼の罪状は明らかなのです。 この作品が賞をもらったり、候補になったりするということは、いかにアメリカの映画界が、麻薬に侵されているかという、証なのではないでしょうか。 僕は、アメリカ映画の、迫力やスケールの大きさ、幅の広さ、奥の深さには感心していますが、こういう麻薬や犯罪に関しての無関心さや鈍感さには正直に嫌悪感を抱いています。
2011.11.27
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「プレデター」 Predator 1987年 アメリカ映画監督 ジョン・マクティアナン主演 アーノルド・シュワルツェネッガー ずいぶん前に観たのですが、すっかり内容を忘れていましたので、レンタルして、また観てみました。「プレデターズ」を観たので、また観てみようと思ったのです。 アメリカ特殊部隊のダッチ・シェイファー少佐は、ゲリラにさらわれた要人を救出するため、CIAの友人ディロンと、数人の部下とともに、南米のジャングルへやってきました。先行部隊の無残な死体を発見し、たどり着いたゲリラの基地を壊滅させますが、救出目標は要人ではなく、CIAのメンバーで、すでに殺されていました。ディロンに利用されたことにシェイファーは憤慨します。 現地から撤収すべく、ジャングルを進んでいると、謎の見えない敵に急襲されます。 やっぱりシリーズものの第1作というのは、なかなか見ごたえがありますね。なかなか姿を現さないプレデターにハラハラドキドキしました。 この映画、前に観ていますし、今やプレデターの造形は、いろいろなところで見ることができるので、どんな姿をしているのかはわかってしまっているわけですが、これが予備知識は全くなく、初めて見るものだとしたら、もっともっと、楽しめただろうなと思うと、ちょっぴり残念な気持ちになりました。 また、この映画は、やっぱりシュワちゃんの映画なのだなということを再認識しました。 1982年に、「コナン・ザ・グレート」で注目され、1984年の「ターミネーター」でスターの仲間入りしたアーノルド・シュワルツェネッガーは、80.90年代はSF映画やアクション映画、時にはコメディまで、出演しまくっています。そして、そのどれもが、大ヒットしまくりで、まさにドル箱スターでした。 そんな中の1本なので、アクションスターとしての魅力を発揮しまくりの1本なのです。しかも、今回の相手は、凶悪犯でもなく、テロリストでもなく、新型ターミネーターでもない、戦うことのために生きているかのような異星人なのです。 とにかく、プレデターは強いのです。姿は見えないは、動きは素早いは、レーザーや小型ミサイルのような武器を使うは、シュワちゃんお得意の米軍特殊部隊員としても、たいへん苦戦させられます。何しろ、精鋭を集めて臨んだはずの仲間たちも、すべて失ってしまったほどです。(その割には、あっけなかった人もいますが。) 敵の、赤外線で物を見るため、熱を発していない物は認識できない、という弱点をついたことで、何とか、自爆に追い込むことができ、やっと勝てたわけです。(あっ、言っちゃった。まあ、いいか、シュワちゃんが負けるわけないものね。) そんな、シュワちゃんのアクションスターとしての魅力が詰まった作品です。 ただ、シュワちゃんのもうひとつの魅力であるコミカルな部分は全くありませんが。
2011.11.26
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「ジャケット」 the jacket 2005年 アメリカ映画監督 ジョン・メイバリー出演 エイドリアン・ブロディ キーラ・ナイトレイ クリス・クリストファーソン ダニエル・クレイグ 「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディと、「パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ」のキーラ・ナイトレイの、SF的な、ラブストーリーサスペンス映画です。 1992年、湾岸戦争で、重傷を負ったジャック・スターク(エイドリアン・ブロディ)は、後遺症で、記憶障害を負っていました。 帰国し、田舎のうっすら雪が積もる道を、ジャックが歩いていると、車が故障して立往生している母子に出会いました。ジャックは故障を直してあげましたが、具合の悪い母親には嫌われ、自分を気に入ってくれた少女ジャッキーに軍の認識票を渡し、別れました。 その後、ジャックがヒッチハイクした車に乗っていると、パトカーが近づいてきます。運転手の男が警官に対応します。 次の場面、ジャックは病院にいました。そこは、精神に障害がある犯罪者を収容する病院でした。ジャックは、警官殺しを疑われ、記憶障害があるため、ここに収容されたのです。どうやらあの運転手の男が、警官を殺し、逃げてしまったようです。ジャックは、男がいたことを主張しましたが、聞き入られなかったようです。 その病院は、独裁的な院長ベッカー医師(クリス・クリストファーソン)の元、恐ろしい実験的治療が行われていました。それは、患者に拘束衣(ジャケット)を着せ、引き出しのような狭くて暗い遺体収容所に閉じ込めるというものでした。 ある日、ジャックもジャケットを着せられ、閉じ込められました。泣きわめき、記憶が混乱するジャックでしたが、いつしか眠りに落ちていきます。 次の瞬間、ジャックは町の中にいました。寒さと空腹に震えるジャックは、ひとりの女性(キーラ・ナイトレイ)に拾われ、自宅に連れて行かれます。その女性は家族もおらず、ひとりですさんだ生活をしていました。 彼女の家で、ジャックは、あの雪の道で少女に渡した認識票を見つけます。なんと、彼女はあの少女ジャッキーで、今は2007年でした。そして、ジャック・スタークスは1993年に、亡くなっていると、彼女に告げられます。 ジャックは、引き出しから出されました。いつの間にか、1992年の病院に戻っていました。どうやら、あのジャケットを着て、引き出しの中に入ると、タイムスリップするようです。 というストーリーです。この後、ジャックは、タイムスリップするたび、ジャッキーと自分の死の真相を探り始め、いつしか、2人は愛し合うようになります。そして、ちょっともの悲しい結末へと向かっていきます。 という不思議な物語ですが、どうしてジャケットに縛られて引き出しの中に入るとタイムスリップするのか、結局、ジャックはどうなったのか、という肝心な部分が、実ははっきり描かれていません。観た人に、自分で解釈してほしいということなのでしょうか。 以下、自分なりに考えられる3つの解釈を述べます。非常に、ネタばれの部分を含みますので、読みたくない方は飛ばしてください。1 何故かはわからないが、ジャックはタイムスリップしており、1993年では死んでいるが、2007年では生きており、ジャッキーと幸せな未来を築いていくという、素直な解釈。2 タイムスリップというのは、実はジャックの夢で、彼は、1993年の引き出しの中で死んでいる。3 実は、すべてがジャックの死に間際の夢で、彼は湾岸戦争で、死んでいる。 1は、1番素直な観方ですが、ジャックの死体が1993年に発見されたという話や、あれだけ大量の血を頭から流しながら、生きているとはどういうことか、という問題が残ります。 2では、病院の中で、唯一ジャックに同情的だったローレンソン医師が、ひそかにプライベートで治療していた少年のことや、ベッカーが隠しておきたかった患者の名前(彼の治療で、悲しい結末になってしまった患者名、2007年にジャックに告白している。)をジャックが知っている理由がわかりません。 3は、実は、一番つじつまが合う解釈ですが、「何だよ、結局夢オチかよ。」と突っ込みたくなります。 皆さんは、どう思いますか。 ところで、病院の患者役で、まだ007になる前のダニエル・クレイグが出ています。もちろん、精神を病んでいる役なので、ちょっと目つきが、いっちゃっています。あまり重要ではない役ですが、渋くてかっこいい007とは全く違っていて、彼の懐の深さを感じます。
2011.11.26
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「ノーイング」 Knowing 2009年 アメリカ映画監督 アレックス・プロヤス主演 ニコラス・ケイジ 公開時、TVCMで飛行機事故と、地下鉄事故の迫力映像を盛んに流して宣伝していたのを、ご記憶の方も多いでしょう。ニコラス・ケイジ主演のSF映画です。 マサチューセッツ工科大学の教授ジョン(ニコラス・ケイジ)は、息子のケレイブが小学校のタイムカプセルで受け取ってきた不思議な「絵」を見て驚愕します。50年前の小学生が、ひとりひとり絵を描き、タイムカプセルに入れたものを、現代の小学生が、ひとり1枚ずつ受け取ったもので、その「絵」は、紙一面に細かく数字が羅列しているものでした。それは、50年前にルシンダという女の子が描いたものでした。 とても絵に思えないその「絵」が非常に気になり、見入っていたジョンは、その一見意味のない数字の羅列の中に、2001.9.11という数字の後に、あのテロ事件での犠牲者の数の数字が描かれてあることを発見します。 気になって調べてみると、この50年の間に起こった事故などの日付と犠牲者の数字が含まれていることがわかりました。そして、最後の方に、これから来る日付のものが、3つあることもわかりました。しかし、その事故の数字の合間合間にある数字の意味がわかりませんでした。 という風に、非常にミステリアスに展開されるお話で、どんどんその展開に引き込まれていきます。つまり、そのルシンダという子が描いた「絵」は、その後50年に起こる事故などの大惨事を予言していたものだったのです。 この後、ジョンは「絵」の予言通り、飛行機事故を目撃し、地下鉄事故を阻止できずに目撃します。この2つの事故の映像は、CGを駆使し、非常に迫力たっぷりに作られていますが、CMで散々見せられていたので、「おっ、来たな」という感じで、あまりドキドキしませんでした。そして、迫力ある映像はそれだけでした。 その後、物語は、過分に宗教的方向にシフトしていきます。そして、非常に宗教的結末へと向かって行くのです。 人類滅亡的なスペクタクルを期待して、この映画を見た人は、肩透かしを食らったみたいに、がっかりするでしょう。僕もそうでした。飛行機事故と地下鉄事故の映像が、非常に迫力たっぷりだった分、余計に、残念に思えました。 アメリカ映画などでは、このように、SF映画やスペクタクル映画であるとともに、聖書的な世界を描いている映画が少なからずあります。我々、キリスト教的世界になじみがない多くの日本人は、そういう展開が、わからなかったり、勘違いしていたり、残念に思ったりします。 その上、この映画もそうだったように、日本の配給会社の宣伝関係者は、そういうことが、わかっていないのか、わかっていながら隠しているのか、大体において、宗教的においを隠した予告編やCMを作ってしまいます。そして、純粋に、迫力ある映像と、その危機から逃れるために奮闘する人々のドラマを楽しむために観に来た人々をがっかりさせます。 たしかに、宗教的な映画であることを前面に出した宣伝すると、観客が限定されてしまい、観客動員数が見込めないのかもしれませんが、何とかならないですかねえ。 ということで、一部の映像とミステリアスな展開にドキドキしましたが、結局はがっかりした一品でした。
2011.11.24
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「12モンキーズ」 Twelve Monkeys 1995年 アメリカ映画監督 テリー・ギリアム出演 ブルース・ウイルス ブラッド・ピット マデリーン・ストウ タイムトラベルとバイオハザードを題材にしたSF映画です。テリー・ギリアム作品にしては、比較的わかりやすいという評判です。(「未来世紀ブラジル」とか、「Dr.パルナサスの鏡」とかに比べたら、ということですね。) 2035年、20世紀末に何者かにばらまかれた新種の細菌によって、人類の99%は死滅していた。囚人のジェームズ・コールは、その細菌の原種を手に入れるという使命を帯び、1996年に送り込まれることになります。 ところが、送られた先は1990年でした。コールの言うことは信じてもらえず、妄想癖があるということで、精神病院に入れられてしまいます。そこで、細菌学者の息子で、患者仲間のジェフリー・ゴインズ(ブラッド・ピット)と、精神科医のキャサリン・ラリー(マデリーン・ストウ)と出会います。ところが、コールは忽然と姿を消してしまいます。 再び、過去へ送られたコールは、1996年で、ゴインズが“12モンキーズ”という動物保護団体の代表であることを突き止めます。 なかなかよくできた僕好みの人類滅亡型SF映画です。 キャサリンがコールの話を信じるのに、タイムトラベルの効果がうまく利用されており、非常に理にかなった、よく練られた話に出来上がっていると思います。ちゃんと、最後にはどんでん返しも用意してありますし、コールが時々見る悪夢の伏線も、きちんと回収されています。 中でも、気に入っているのが、ブラピの演技です。彼はとても整った容姿をしたイケメンですが、おかしなやつをやらせたら天下一品ですね。この映画のゴインズという、いっちゃった奴の役は、彼が最適任者でしょう。ブラピが出ている映画は結構見ていますが、この映画と、前に記事を書いた「バーン・アフター・リーディング」のブラピが、最高に好きです。(やっぱり、能天気な奴の役です。)あっ、「イングロリアス・バスターズ」も好きです。これも、結構いっちゃってますね。(笑) 主役がブルース・ウイルスなのに、アクションが無いとか、今から二十数年後にタイムマシンができているわけないとか、コールとキャサリンが簡単にくっつきすぎとか、1990年にしては、精神病院の描写が古いとか、いろいろと、突っ込みどころはあると思いますが、ギリアム監督好みの暗い未来で、それが回避されることなく、きれいにまとまっているところが、非常に僕の好みでもありました。コールの活躍で、細菌散布が阻止されたら、タイムパラドックスが起きてしまいますからね。 しかし、最後のところ、「20世紀少年」とかぶると思ったのは、僕だけでしょうか。まあ、未知の細菌によって、人類が滅亡するという基本的な設定自体、かぶっているのですけどね。
2011.11.22
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「グリーンゾーン」 Green Zone 2010年 アメリカ映画監督 ポール・グリーングラス主演 マット・デイモン 監督ポール・グリーングラス、主演マット・デイモンという、「ボーンシリーズ」のコンビによる、イラク戦争を描いた戦争映画です。 ロイ・ミラー准尉(マット・デイモン)率いるMET隊は、イラク・バグダッド市街で、大量破壊兵器を探していましたが、行った先は、ただの廃工場でした。これで3度目の失敗です。ミラーは、情報が間違っているのではないかと疑い始めます。 イラク戦争のきっかけになった「大量破壊兵器が存在する」という情報は、間違いであったということは、現在、アメリカ政府も認める事実です。それが明らかになった今、この映画を作る目的は何でしょうか。 それは、誤った情報に踊らされる米軍の姿を描くこと、そして、その嘘情報の出所を探り、明らかにすることではないでしょうか。 もちろん映画ですから、必ずしも真実を描きだすことが求められているわけではありません。ひとつの仮説、推測を描くことにより、世の中に問題定義することが目的となってくるでしょう。 ミラーが調べていくうちに、情報の出所が“マゼラン”と呼ばれる人物であることを突き止め、その“マゼラン”の正体に迫り、その黒幕がアメリカ国防総省のバグダッド駐在の高官パウンドストーンであることを知ります。 しかし、そこまででした。情報を操作していたのが、パウンドストーン個人(まあ、これはありえないけどね。)なのか、それとも国防総省の組織的なものなのか、政府の中枢まで及んでいるのか、武器商人がからんでいるのか、イラク新政権を取りたい勢力が関係しているのか、全くわからないまま、終わってしまいました。はっきり言って、拍子抜けでした。 あくまでも、フィクションでいいのですから、もっと奥深くまで踏み込んで、問題定義してほしいと思うのは、私だけでしょうか。イラク戦争の反省のひとつとして、ここはひとつの仮説をきちんと打ち立てるべきだったのではないでしょうか。 それとも、嘘情報に関しては、アメリカ政府は関係ないよ、アメリカも情報に踊らされていた被害者なんだよ、ということを宣伝したかったのでしょうか。という風に、勘ぐりたくなってしまいます。いわゆる、プロパガンタ映画ということですか。それでいいのでしょうか。 アクション映画としては、なかなか良くできていて、退屈することなく観ていることができただけに、非常に残念な結末で、がっかりした映画でした。
2011.11.20
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「コンフィデンス」 Confidence 2003年 アメリカ映画監督 ジェームズ・フォーリー出演 エドワード・バーンズ レイチェル・ワイズ ダスティン・ホフマン アンディ・ガルシア 詐欺師を主人公とした、いわゆるコンゲーム映画です。しかし、コンゲームといえば、以前記事にした名作「スティング」、豪華キャスト娯楽大作「オーシャンシリーズ」や、言わずと知れた日本の超有名アニメ「ルパン3世シリーズ」などと、つい比べてしまうので、どうしても見劣りがしてしまう1本です。 詐欺師のジェイク(エドワード・バーンズ)は仲間ともに、会計士のライオネルを引っ掛け、大金をせしめます。ところが、その金は暗黒街のボス・キング(ダスティン・ホフマン)のものだったことから、仲間のアルが殺されてしまいます。 ジェイクは、自らキングのもとを訪れ、もっと大きな仕事をし、倍返しすることで話をつけますが、キングの敵モーガン・プライスを罠にかけるよう、条件をつけられてしまいます。 ジェイクは、仲間のゴドー、マイルス、新たにスカウトした美女のリリー(レイチェル・ワイズ)、監視役としてキングのもとからやってきたルーパスと、計画を立て、準備を始めます。 ところが、ジェイクを昔からしつこく追いまわしている連邦捜査官のビュターン(アンディ・ガルシア)が、やってきたという情報が入ります。 ジェイクたちは、プライスの銀行の法人融資副部長に、架空の会社への融資を持ちかけ、500万ドルをだまし取ろうとします。しかし、それは、リリーの色仕掛けをきっかけにした、非常に平凡な方法で、いまいち面白みに欠けます。しかも、外国の銀行の口座に振り込ませるという方法で、何と、副部長のCPのキーを1つ押すだけで済んでしまうのです。 ここで、僕は思ってしまいました。「それなら、そのまま、みんなで外国に逃げてしまえばいいじゃん。」と。でも、彼らは、わざわざ空港の係員を買収してまで、大量の現金を、持ち帰ろうとします。もっと頭を絞って、観客が唸るような手口を工夫してほしいな、と思ってしまいました。 また、実は、最後のどんでん返しで、うまいことキングをはめて、警察に逮捕させてしまうわけですが、それでいいのか、と思ってしまいました。 話の中で、キングは以前、「2000ドルをだまし取られた男を、5年間探して捕まえ、制裁を加えた。」という話が出てきます。これでは、キングは怒り狂って、彼らがどこへ逃げても追ってくるぞ、と思ってしまいました。 「スティング」のすごいところは、だまされた相手が、最後まで、だまされたことに気付かないというところです。やっぱり、もう少し、頭を絞ってほしかったですね。 主役のジェイクをはじめ、彼の仲間たちの中にスターと言われるような有名な俳優はいませんが、(みな、わき役として、どこかで観たことのある人ばかりですが。)敵役に、アンディ・ガルシア、ダスティン・ホフマンという大スターが配置されています。 はっきり言って、その意味がわかりません。 キングは、暗黒界のボスという役柄なので、ある程度貫禄が必要だと思いますが、でも、ダスティン・ホフマンほどの大大大スターを持ってくるほどではないでしょう。もっと、出演料の安い、悪役が得意なスターがいるはずです。 ビュターン役のアンディ・ガルシアについては、なぜ彼なのか、全くわかりません。しかも、無精ひげいっぱいのだらしない感じで、パッと見、彼とは気が付きません。「オーシャンシリーズ」の高級スーツを見事に着こなした、いかにも裏社会の顔役という感じからは、ほど遠いヴィジュアルです。いったい、どうしてでしょう。 もうひとつ疑問に思ったのが、殺されたアルの代わりに仲間に入れた美女リリーの存在です。彼女は、酒場で金を持っていそうなじいさんを色仕掛けでだまし、財布を盗み取っていました。彼女を、「素質がある、仲間にならないか。」と言って、スカウトするジェイクですが、明らかに、容姿が好みだったので選んだ感じです。それでいいのでしょうか。 たまたま、彼女は口がたち、結構頭も回る、使える女でしたが、ジェイクは、たまたま街で見かけたいい女という感じで、彼女に目をつけています。ただの色気ばかりで、頭は空っぽの女だったという可能性もあったと思います。 案の定、ジェイクはリリーとHして、いい仲になっているわけですが、結局、Hしたかっただけかよ、と思ってしまいました。 ということで、わき役に超大物を持ってきたために、予算や時間が足りず、話を練り切れなかったのでは、と思ってしまった、残念な1本でした。
2011.11.20
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「JUNO/ジュノ」 Juno 2007年 アメリカ・カナダ映画監督 ジェイソン・ライトマン出演 エレン・ペイジ マイケル・セラ ジェイソン・ベイトマン J・K・シモンズ 最初7館のみの公開だったインディーズ映画が、大ヒットし、アカデミー賞にノミネート(受賞は脚本賞のみ)されるまで評判になった映画です。どんなものか、一度観てみたかったので、深夜にTV放送されていたのを録画し、さっき、観たばかりです。 16歳の女子高校生ジュノ(エレン・ペイジ)が、軽いノリでボーイフレンドのポーリー(マイケル・セラ)とエッチし、妊娠してしまいます。最初は中絶しようと思ったのですが、思い直し、産むことにします。そして、赤ちゃんを引き取ってくれる里親候補も決め、両親に打ち明けます。 10代の女の子の妊娠・出産という、ともすれば暗くなりがちなテーマを、軽く明るいコメディタッチで描いています。それでいて、問題を軽く考えているのではなく、人権などの問題もちゃんと考え、きちんと描いています。 まず、何といっても語るべきは、主人公ジュノが、非常にしっかりしているということです。礼儀や言葉遣いはよくない現代っ子ですが、妊娠が分かってもうろたえることなく、中絶のできる医者を探しています。産むと決めてからも、冷静に、高校生の自分には育てることは難しいと判断し、里親を自ら探し、両親にもきちんと報告します。里親候補との交渉でも、物おじせず、自分の意見をはっきり述べ、堂々としています。おなかが目立ってきても、堂々と学校に通い、全く隠そうとしません。あまりにも、しっかりしているので、やや現実感に欠けるところも感じますが、たいしたものです。 これは、監督や脚本の力も大きいと思いますが、主演のエレン・ペイジの演技力の確かさに負うところがやはり大きいでしょう。それは、彼女がこの後出演した「インセプション」でも、ディカプリオや渡辺謙を相手に、しっかり存在感を示していたことからもわかります。末恐ろしい新人が現れたと思います。 また、もうひとり、存在感の大きいのが、彼女のお父さん(J・K・シモンズ)です。さすがに妊娠を告白された時は、動揺したようですが、その後は、常に冷静な対応を見せています。里親候補との交渉の時も、礼儀知らずの娘の態度にも冷静で、きちんと交渉しています。また、別の時には、帰宅した娘の気になる態度にすかさず反応し、的確なアドバイスを与えたりしています。 なるほど、こういう父親だからこそ、こういう娘ができたのだな、と納得しました。きっと、彼はその度胸の大きさから、常に冷静で、娘を放任しつつ、締めるところはきちんと締め、娘の考えは尊重しつつ、的確なアドバイスを与えて、しっかりと育ててきたのだな、と思いました。 この人、どこかで見たな、と思っていたら、「スパイダーマン」の嫌味な編集長でした。脇役にこういうしっかりした人がいると、話全体が締まってきますね。 しかし、この父親以外の男性陣は、情けない男どもです。 まず、お腹の中の子の父親ポーリーですが、見るからに、気の弱そうな草食男子です。実は心からジュノを愛しているようですが、はっきりと言えずにいて、どうやらジュノとの性交も一方的に彼女にリードされてのことのようです。妊娠についての対応も、ほとんどカヤの外で、はっきり自分の意見を言えないでいます。ジュノとめでたく正式にカップルになったとしたら、完全に尻にしかれるタイプでしょう。ある意味、お似合いかもしれません。しかし、もう少し、責任を感じてほしいものです。 もうひとりの情けない男は、お腹の子の里親になる予定のマーク(ジェイソン・ベイトマン、変なおもちゃ屋の会計士、またはハンコックのプロデューサー)です。TVCMの音楽の仕事を主にしている作曲家(つまり、アメリカ版キダ・タローですね。知っていますか、浪花のモーツアルト。)です。 里親交渉の場面で初登場した時は、妻を愛する、しっかりした大人の男に見えましたが、実は、パンクロックとカルトなホラー映画が好きな、オタクっぽい男で、趣味を妻のヴァネッサに抑え込まれていて、悶々としている子どもっぽい男でした。趣味が合うジュノがたびたび訪問し、一緒に遊んでいるうちに、妻に対する不満が募って来たようで、お腹がかなり大きくなったジュノの前で、とうとうケンカしてしまいます。実は、この里親の話も、どうしても子どもの欲しい妻の結構強引なリードで進めていたようで、父親になる覚悟がちゃんとできていなかったようです。 そんな情けない男どもに翻弄させられながらも、ジュノはきちんと自分で考えて行動し、ハッピーエンドを迎えます。そんな中で、彼女は、大人の階段をひとつ上ることになるのです。 前半、ジュノの礼儀知らずで軽はずみな言動をする小娘ぶりが、鼻について嫌でしたが、徐々に彼女の成長が見えるようになって、めでたしめでたしの結末に、思わず拍手する自分がいました。なるほど、アカデミー作品賞ノミネートにふさわしい作品だな、と思いました。(受賞となると、疑問ですが。)
2011.11.19
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「ヒトラー~最期の12日間~」 Der Untergang 2004年 ドイツ・オーストリア・イタリア映画監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル主演 ブルーノ・ガンツ 題名の通り、ヒトラーの最期の12日間を、そのそばにいた若い秘書の目を通して、ドキュメンタリータッチに描いた作品です。 第2次世界大戦の末期、連合国軍が、ドイツの首都ベルリンへ迫ってきている最中、ドイツの総裁ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)は、側近や恋人のエファ・ブラウンたちとともに、地下要塞で暮らしています。 とにかく、リアル、その一言に尽きます。本当に、当時の現場に行って撮っていたのかと思われるほど、リアルな映像が、淡々と流れます。 僕は、ナチスドイツの幹部たちについて、詳しくは知りませんが、ヒトラーをはじめとして、その恋人エファーやゲッペルス宣伝相など、その姿や言動は非常にそっくりに再現されているそうです。 とにかく、徹底したリアルな映像で、ナチスにも、連合国軍にも、どちらにも肩入れせず、淡々と描かれた映画なのです。 その映像のほとんどが、地下要塞の中の描写で、戦闘シーンは非常に少ないのですが、彼らが追いつめられていることが、ひしひしと伝わってきて、長い映画ですが、退屈せず、最後まで画面に見入ってしまいます。 そんな中、やはり見るべきは、怪物でもなく、英雄でもなく、ひとりの人間として描かれている、アドルフ・ヒトラーです。 女性や子どもには優しく接し、質素な食事に文句も言わず、個室では彼女と不安に震え、人間ヒトラーの姿が描かれていきます。 一方では、悲惨な戦況報告し、弱音を吐く幹部はその場で罷免し、勇ましいことをいうものを新たに要職につけ、作戦会議では、部下を叱咤し、しっかりとした一面を見せるかと思えば、ほとんど壊滅している部隊を、前線の援軍に送るように命令し、もう存在すらない精鋭部隊が助けに来てくれると願っているなど、狂気な一面も見せてくれます。 一番近くにいたからこそ見ることができた秘書の視点で、丸ごとのアドルフ・ヒトラーが描かれていきます。 悲惨な戦況を報告に来る部下たち、その背景で、全てに絶望し、酒盛りをして気を紛らわす部下たち、作戦会議とは名ばかりで、怒る総裁をなだめるのに精一杯な部下たち、ほとんど壊滅状態のドイツ軍幹部たちのリアルな映像が、描かれていきます。 その中でも、印象的なのが、シェンク医師と、ゲッペルス宣伝相です。 シェンクは、ベルリン市内の病院の悲惨な状況を報告に地下要塞にやってくるわけですが、悲惨な状況に絶望して、酒盛りをしている幹部たちにあきれ果て、総裁に直に会って、その狂気を知り、ドイツ第三帝国の終わりを身に染みて実感するのでした。最後まで、理性を失わず、冷静な幹部のひとりでした。 ゲッペルスは、ヒトラーと最後まで運命を共にする覚悟で、夫人と子どもたちまで連れて、地下要塞に住んでいました。ヒトラーが、自ら命を絶ったことを知ると、他の幹部たちが地下要塞を捨てて逃げ出していく中、夫人とともに、子どもたちに毒を飲ませ、自らも命を絶つのです。夫人と無言でうなずきあい、ひとりひとりの子どもにやさしい言葉をかけながら、順番に毒を飲ませていく、その場面は、やけに丁寧に描かれており、自業自得だと思いながら、思わず涙ぐんでしまう場面です。 映画を見て楽しむとか、感動するとか、教訓を得るとか、そういうことは度外視して、一つの史実を描き出していくということで、見事な作品を作り上げたものだなと、感心させられる作品です。
2011.11.18
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「ショーシャンクの空に」 The Shawshank Redemption 1994年 アメリカ映画監督 フランク・ダラボン出演 ティム・ロビンス モーガン・フリーマン スティーブンキングの中編が原作で、日本アカデミー賞外国語映画賞をはじめ、数々の賞を受賞している秀作です。米アカデミー賞では、7部門にノミネートされましたが、惜しくも受賞は逃しています。 銀行員のアンディ(ティム・ロビンス)は、妻とその愛人を殺害した罪で、終身刑の判決を受けます。実は冤罪なのですが、ショーシャンク刑務所に収監されます。 刑務所の雰囲気に慣れず戸惑っていたアンディですが、“調達屋”のレッド(モーガン・フリーマン)と仲良くなり、所内の環境改善に取り組む中で、他の受刑者とも打ち解けるようになってきました。 また、銀行員としての経験を生かし、刑務官たちの税務相談や、所長の所得隠しまで、請け負うようになっていきます。 10年ごとに審査される終身刑の仮釈放審査はなかなか通らず、何十年もたってやっと仮釈放が許された老受刑者が、外での生活になじめず自殺してしまうという、悲惨な描写もあり、もちろん、受刑者間のいざこざやいじめ、刑務官からの理不尽な仕打ちなど、結構悲惨な場面が映し出されていきます。 そんな中、アンディは、常に前向きで希望を捨てずに生き、係になった図書館の改善を皮切りに、所内の環境改善に取り組んでいきます。その一方で、実は、別の計画も進めていたのです。それは、石を掘って彫刻を作るのが趣味だと言って、レッドから石堀用のハンマーを調達したり、部屋の中にリタ・ヘイワースやラクエル・ウェルチのポスターを貼っていることが伏線なのですが、あまりにも、彼が所内で前向きに生きているために、まったく、気が付きませんでした。 だからゆえ、この話の結末には非常に驚かされます。その上、痛快です。結果的に、彼は自由の身になるわけですが、そのやり方は、実に巧妙で、ずるがしこいやり方です。多分、観た人の99%が、「やられた!!!」と思うことでしょう。(原作を読んでいる人は別ですが) この結末は、ただ単に、彼が賢かった、というのだけではなく、彼が常に希望を持ち、前向きに努力した結果なんだということに、後で気づきました。 どんな悲惨な状況に置かれていても、前向きに努力していけば、道が開けてくるものだ、ということが言いたいのかもしれません。 悲しいことがあった時、落ち込んでいる時、気分がすぐれない時、消極的になっている時など、この映画を見ると、結末の爽快感で、元気になれるかもしれません。そんな逸品です。 また、主役の2人、ティム・ロビンスとモーガン・フリーマン、アカデミー賞の常連(特に助演男優賞)の2人の演技は、やっぱりいいです。「ミスティック・リバー」のおどおどしたおじさんが、この映画の前向きに生きる青年と、同一人物とは思えません。
2011.11.16
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「ジュマンジ」 Jumanji 1995年 アメリカ・カナダ映画監督 ジョー・ジョンストン出演 ロビン・ウィリアムス キルスティン・ダンスト ロビン・ウィリアムス主演の、恐ろしいボードゲームを題材に、当時のCG技術をフルに駆使して描かれた、ファミリー向け、ファンタジー映画です。 1969年、ある田舎町の靴工場の息子で、いじめられっ子のアランは、工場の工事現場で、古めかしいボードゲームを見つけます。さっそく、家の2階で、女友達のサラと、そのすごろく型のボードゲーム“ジュマンジ”で遊び始めます。 そのゲームは、サイコロを振って駒が進んだマスにより、呪文のような言葉が現れ、その言葉に応じた恐ろしい現象が現実化する、悪魔のゲームでした。 ゲームが始まって間もなく、アランは、ゲーム盤に吸い込まれ、5か8が出るまで出て来られなくなってしまいます。アランがいなくなってしまって恐ろしくなったサラは、逃げ出してしまいました。 月日は流れ1995年、かつてアランが住んでいた家に、叔母に連れられた姉弟がやってきます。その姉弟、ジュディ(キルスティン・ダンスト)とピーターは、事故で両親を亡くし、引き取られた叔母とともに、今は空き家になっているこの家に越して引っ越してきたのです。 おばさんが出掛けた隙に、家の中を見て回っていた2人は、屋根裏部屋で“ジュマンジ”を見つけ、ゲームを始めてしまいます。最初はジュディが、ハトほどもある巨大な蚊を呼び出します。次にピーターがサイコロを振ると凶暴なサルの群れが現れます。ピーターはゾロ目だったので、また振ることができます。ピーターが5を出すと、凶暴なライオンとともに、ターザンのような男(ロビン・ウィリアムス)が現れます。 現れた男はアランでした。“ジュマンジ”に吸い込まれた彼は、26年間、どこかのジャングルでサバイバルしていたのです。故郷に帰ることができた彼は、喜々として両親を探しましたが、靴工場は廃墟と化し、両親は、行方不明の息子を探すために財産を使い果たし、亡くなっていました。 町は、すでにゲームから現れた巨大蚊と、いたずら好きのサルたちのおかげで、大混乱に陥っています。 ゲームには、最初にゴールした者が“ジュマンジ”と叫ぶまでゲームは続く、との注意書きがありました。26年前ゲームを始めたアランとサラも加わり、だれかが上がるまで、続けなければならないのです。 調子に乗って、あらすじを半分ぐらい書いてしまいましたが、この後、4人がサイコロを振るたびに、人食い植物や、大あらしや、暴走するゾウやサイなど大型獣の群れや、しつこく追いまわすハンターなど、次々と危ないものが現れてきます。家はバラバラになるは、町は大混乱だわ、もう、大騒ぎです。 もちろん、ゲームをしている4人も、次々と危機に陥っていきますが、4人で協力して、何とか危機を脱していき、ゲームを続けるのです。 次々現れる様々な危機に、ハラハラドキドキし、たちまちお話に引き込まれ、あっという間に時間がたっていきます。下手なサスペンスよりも、ずーっと興奮する、とてもよくできたお話です。 ちょっと古い作品なので、CG技術が、現在より未熟で、出てくる動物たちの動きがぎこちないですが、話に引き込まれているので、まったく気になりません。しかし、この映画の監督は、特殊効果のプロで、スターウォーズシリーズや、インディ・ジョーンズシリーズで、CG映像を作っていた人で、当時としては最新鋭のCG合成技術が駆使してあります。 また、ロビン・ウィリアムの、ちょっとオーバーな演技が、この映画にはぴったりで、初めて観たときは、彼と同じように、びっくりしたり、喜んだりしている自分に途中で気付き、ひとりで観ていたのですが、恥ずかしかったです。 あと、あのスパイダーマンの彼女MJ、またはマリー・アントワネットが、たぶん10歳ぐらいですが、とってもかわいいです。
2011.11.13
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「ソルト」 Salt 2010年 アメリカ映画監督 フィリップ・ノイス出演 アンジェリーナ・ジョリー リーヴ・シュレイバー アンジェリーナ・ジョリー主演の、スパイアクション映画です。 イヴ・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)は、アメリカCIAの腕利き捜査官です。 ある日、謎のロシア人密告者オルロフは、かつて身寄りのない子どもを教育しスパイに育てるロシアの施設出身の潜伏スパイの名がソルトであり、その任務が、アメリカの副大統領の葬儀にやってくるロシア大統領の暗殺であることを告白します。二重スパイだと疑われたソルトは、拉致されかかったところを、逃げ出します。 副大統領の葬儀の教会に、監視の目をうまく潜り抜け、ソルトは潜入し、ロシア大統領の暗殺に成功します。 アンジーが超人的なアクションで、屈強な男たちを見事倒していく様は、見事というしかない素晴らしいものです。手錠をはめられ、絶体絶命というところから見事逃げ出していくところ(しかも2回も)など、「トゥームレイダー」でスターの仲間入りをした彼女のアクション女優としての真骨頂というところでしょうか。 また、途中まで、「えっ、本当に二重スパイなの?」と思わせ、「ロシアの二重スパイが主人公でいいの?」と心配させるなど、ストーリーの妙が加わって、退屈することなく、終盤まで、楽しむことができました。終盤で、彼女の目的が分かり、安心できたのは言うまでもありません。 今更ながら、冷戦時代の遺物と化している、潜伏スパイを取り上げたところも、彼女の目的を考えれば、なるほどと思えて、納得できました。 ということで、よくできたアクション娯楽映画ですが、若干、気になるところがあるので、述べさせてもらいましょう。 まずひとつは、彼女の同僚のCIA捜査官、ウィンター(リーヴ・シュレイバー)です。そうです、あの、ウルヴァリンの兄貴のひたすら不死身の野獣ミュータントセイバートゥース:ビクターをやっていた人です。 どう考えても悪役顔の彼が、正義(あくまでアメリカ側から見た)のCIA捜査官、と言われても、これは絶対何か裏があるな、と思ってしまいます。案の定、ここでは詳しく延べませんが、裏がありました。やはり、彼には悪役が似合います。かつての、ロバート・ショーやアーネスト・ボーグナインのような、悪役大スターを目指してもらいたいものです。 これは、明らかな確信犯で、伏線のひとつなのでしょうか。しかし、配役から、話が読めてしまうのは、やっぱり残念です。 もうひとつは、観た人の99.99%が思ったと思いますが、ラストです。時間的にも、1時間半ぐらいでしたし、「えっ、これで終わり???」と思ってしまいました。もう、続編を作ることが、丸わかりの終わり方に、興ざめしました。 超人的アクション女優のアンジーが、もうひと踏ん張りを見せてくれるな、と思った矢先のエンドロールでした。「それはないだろう~~~。」という感じです。 明らかにジェームズ・ボンドやジェイソン・ボーンを意識した作りで、金もうけ感がありありの感じで、がっかりでした。 とりわけ、アンジーのアクションが素晴らしいだけに、謎めいた前半がおもしろかっただけに、この終わり方には興ざめでした。 しかも、続編はソルトの目的がはっきりしているだけに、今回のような、謎めいたところはなくなり、単純なアクション映画になるしかないわけで、どう考えても、レベルが下がることは明らかです。この次は、アクション的な仕掛けをかなり良く考えて作らないと、大ヒットすることは難しいという状況に陥ることも、明らかです。 どうか、スタッフの皆さん、誰もが驚くようなアクションを考えて、本作を超えるようなアクション映画を作ってくださいね。期待しています。(と言っても、このブログを見ているわけないか、日本語だし。)
2011.11.13
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「ハンコック」 Hancock 2008年 アメリカ映画監督 ピーター・バーグ出演 ウィル・スミス ジェイソン・ベイトマン シャーリーズ・セロン ウィル・スミス主演のSFヒーロー物です。嫌われ者のヒーローが生まれ変わるという、他にない発想に着目し、観てみた作品です。 スーパーヒーローのハンコック(ウィル・スミス)は、怪力と無敵の体の持ち主で、そのままだ空を飛び、不老不死です。犯罪や事故があるとどこからともなく飛んできて、人々を助けますが、そのやり方が過激すぎて、余計に物を壊したりして、迷惑をかけるので、みんなからは嫌われていました。 ある時、広報戦略マンをしているレイ(ジェイソン・ベイトマン)の命を助けます。その時、列車を無理やり止め、脱線させているので、やはり周りの人々から罵声を浴びますが、レイだけは心から感謝していました。 その日から、レイはハンコックを、周りから感謝される真のヒーローになるためのプロデュースを始めます。 ということで、レイのプロデュースにより、ハンコックは見事人々から感謝されるようになりますが、レイの妻メアリー(シャーリーズ・セロン)が登場してきたところから話はおかしな方向へシフトチェンジしていきます。 ハンコックの名誉挽回が、結構あっさり成功し、相棒の妻という脇役なのに主役級の大物を持ってくるな、と不思議がっていたら、やっぱりわけがありました。 なんとメアリーは、実はもともとのハンコックのパートナーで、同じ能力を持つスーパーウーマンだったのです。彼らは、はるか昔から存在し、以前はたくさん仲間がいたのですが、今では2人だけになってしまったのだそうです。しかし、一緒にいると能力が衰えてしまい、不幸に見舞われる運命なので、メアリーが自ら身を引いたのだそうです。 僕は、はっきり言って、すごい疑問に思ってしまいました。その設定、なんか根本的におかしくないか、と。生物学的におかしいだろうと思ってしまいました。 いったい、彼らの種の保存というのはどうなっているのだろう。どのように、彼らは生まれてきたのだろう。 彼らが男女で惹かれあい、一緒になると能力を失い、不幸に見舞われるのなら、どうやって子孫を残すのだろうか。昔はたくさんいたのに、2人だけになってしまったのは、そこらへんに理由があるということなのだろうと、一応納得することはできる。 しかし、そもそも、彼らがどうやって生まれてきたのかがわからない。能力を失うことを覚悟の上で、子どもを作ったのか。その子どもを親が世話すると能力を失ってしまうので、生まれた子供はすぐに捨て、自力で育ったのか。そんなことは可能か。スーパー能力の持ち主だから、赤ん坊でも生きていけるのか。それとも、子孫を残すのに男女はいらないのか。ではなぜ、男女の形をしているのか。一緒になると能力を失うパートナーって、意味あるのか。種の保存ができない生物というのは生物としての存在価値があるのか。 考えれば考えるほど、いろいろと新たな疑問がわいてきて、頭の中が混乱してきてしまいます。 この映画に関する感想を、ネットで拾ってみると、「前半は面白いけど、後半が疑問。」「後半になると違う話になる。」というようなものが、結構たくさんありました。多くの人が、後半の話の展開に、疑問を持っているようです。 単純に、嫌われ者のヒーローが、名誉挽回する話で、いけなかったのでしょうか。レイと組んで汚名を返上する部分をもっと膨らませていけば、十分1本の話ができると思うのですけど、いかがでしょう。刑務所に入っている間に、もっともっとひどい状況になっていたり、人々がヒーローを待ち望んでいる所を、もっと詳しく描いたり、ハンコックが物を壊さずに人を助けるところを、もっともっと描いたりすれば、十分、話ができると思ったのは、私だけでしょうか。 それとも、「Mr.インクレディブル」に先を越されてしまったので、嫌われ者ヒーローの名誉挽回話だけではダメだ、と思ってしまったのでしょうか。 とにかく、残念な1本でした。
2011.11.11
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「パコと魔法の絵本」 2008年 日本映画監督 中島哲也出演 アヤカ・ウィルソン 役所広司 妻夫木聡 劇団ひとり 土屋アンナ 阿部サダヲ 加瀬亮 小池栄子 國村隼 上川隆也 山本圭哉 ちょっと前に、「主演の女の子がかわいい。」とか、「役所広司がじいさん役やるんだって。」とか、「とにかく変な話だよ。」とか、「すごいメルヘンチック。」とか、話題になった映画です。 変人ばかり集まっている変な病院がありました。院内一偏屈で嫌われ者の頑固じじい大貫(役所広司)は、事故の後遺症で記憶が1日しか持たない少女パコ(アヤカ・ウィルソン)と出会います。 大貫は、パコと接していくうちに、次第に打ち解け、何とかパコの記憶に残るようなことはできないかと、パコが大好きな絵本を劇にして、病院の変人たちと上演する事を思いつきます。 お話は単純ですが、心温まるいいお話で、最後は、つい涙がこぼれてしまいます。 しかし、特筆すべきは、その映像です。とにかく全編、絵本のような派手な色に彩られ、変な登場人物たちと相まって、映画全体が絵本のようです。 この映画を現実離れした変な映画、と批判する人がいましたが、それは見当違いです。これは、明らかに、現実離れした絵本のような映像を作ろうと作られている映画だからです。スタッフは確信犯なのです。 だから、現実離れした変な映画、という批判は、けなしているのではなくて、見事にスタッフの思惑にはまってしまったということなのです。つまり、それは褒め言葉になってしまうのです。 だから、僕はこの映画は、現実離れをした絵空事を、わざと作ったのですから、ただ単純に、物語の世界にどっぷりと浸かって、ただ楽しめばいい映画なのではないだろうかと思います。ちょうど、ティム・バートンの「チャーリーとチョコレート工場」や「アリス・イン・ワンダーランド」と同じようなものです。 僕はむしろ、この日本の保守的な映画界の中で、よくやった、とほめてやりたい気分です。 ということで、登場人物たちが、いかに変なのか、書いておきましょう。パコ(アヤカ・ウィルソン) 両親を亡くした交通事故の後遺症で、記憶が1日しか持たないという障害を抱えた少女、最後に両親にもらった「ガマ王子対ザリガニ魔人」という絵本を大切にし、毎日読んでいる。大貫(役所広司) 大会社の会長で、浩一の叔父。偏屈で頑固者。悪態をつき、意地悪ばかりしているので、みんなからは「くそじじい」と呼ばれている。滝田(劇団ひとり) 消防車にひかれて大怪我をした消防士。人命救助が生きがいだが、いつも空回りをしている。室町(妻夫木聡) 薬物依存症の入院患者。自殺癖があり、入退院を繰り返している。かつては売れっ子の子役だったが、大人になり、壁にぶつかっている。浩一(加瀬亮) 大貫の甥で、雅美の夫。妻には頭が上がらない、いわゆる恐妻家。雅美(小池栄子) 浩一の妻。悪魔のような性格で、浩一にかみつくこともしばしば。お金のために大貫に媚を売ろうとしている。龍門寺(山本圭哉) 銃の暴発で怪我をしたヤクザ。木之元(國村隼) ジュディ・オング好きのオカマ。とっくにけがは治っているが、賠償金をせしめる為に入院を続けている。堀米(阿部サダヲ) 精神的な病で入院しているらしいが、神出鬼没で、謎の入院患者。一応、語り手のようですが、場の空気を読むことは苦手のようです。タマ子(土屋アンナ) 髑髏と薔薇のタトゥーを入れた、こわーい看護婦。浅野(上川隆也) 変装好きのへんな医者。 こんな変な人たちが、極彩色の映像の中で、暴れまわるお話です。 なお、アヤカ・ウィルソンちゃん、非常にかわいいです。ご注意を。
2011.11.09
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「しゃべれどもしゃべれども」 2007年 日本映画監督 平山秀行出演 国分太一 香里奈 伊東四朗 TOKIOの国分太一主演の落語の映画ということで、前から気になっていた映画です。本業の歌手だけでなく、バラエティ番組やCMでも、非常に自然体のリアクションで、いい味を出している彼が、落語家をどう演じているのか、気になっていたのです。 今一つ伸び悩んでいる二つ目の落語家、今昔亭三つ葉(国分太一)は、ひょんなことから自宅で話し方教室として落語を教えることになります。その生徒は、関西弁のため転校してきたクラスでなじめないでいた小学生村林優、無愛想で口下手な美女十河五月(香里奈)、口下手のため解説者の仕事がうまくできない元プロ野球選手湯河原太一、の3人です。その落語教室を通して、先生である三つ葉の成長を描いた物語です。 三つ葉や、師匠の今昔亭小三文(伊東四朗)が、町を歩いていくと、そこらへんで掃除しているおばさんが声を掛ける。そんな下町の情緒や風情を、その街並み、路面電車、寄席、ほうずき市、そして市井の人々などの映像を通して見事に醸し出していました。 物語も、口下手な3人が落語家に話を習うことにより、そのコンプレックスを克服しようというアイデアは非常に面白いと思いました。(もちろん、原作の小説がいいということですが。) しかし、脚本がよろしくないのでしょうか、登場人物の心情的な深みが今一つのような感じがしました。 三つ葉は、真面目なんだけど、頑固で融通が利かない性格で、古典落語に非常にこだわり、仲間が新作をやろうといっても、耳を貸さない感じです。しかも、短気な様で、渋々やることになった落語教室でも、ぶっきらぼうな言い方で、たびたび生徒たちと衝突しています。そのへんの表現は、太一君が、日頃のバラエティで見せる愛想の良いところを隠して、何とか頑張っていたような気がします。 しかし、肝心の落語の方はというと、そういった性格のため、融通が利かず、今一つ壁を乗り越えていけていないというところが、今一つ、説明不足で、一門会に二日酔いで遅れてやってきた三つ葉に、師匠が機転を利かせて、向かい酒を飲ませ、酔った勢いではじけさせ、大受けするというところが、万人にうまく伝わっていたか不安です。 また、三つ葉と十河の恋についても、ラストシーンでいきなり2人がくっつくのが、その間の心情の変化がうまく表現されていないため、非常に唐突に感じられました。蕎麦屋で十河が突然泣き出すシーンとか、ひそかに三つ葉が届けたほうずきの鉢をかいがいしく世話する十河のシーンとか、チャンスはあったのにと、残念に思います。 非常に無愛想で口下手なため、人間関係がうまくいっていない女という設定なので、表情に変化を付けるのが、難しいとは思いますが、ひとりになった時には、気楽に表情を出してもいいのではと思います。例えば、ほうずきに水をやりながら、ひとりで微笑むとか、ちょっと変化を付けるだけで、三つ葉に対し、何かしらの好意を抱いているのがわかり、違ってくると思うのですがどうでしょう。 もうひとつ気になったのが、湯河原が来年からコーチに就任することになるという決着のつけ方です。原作もそうなっているのならしょうがないのですが、村林が、クラスメイトの前で落語を披露することで、個性を認められ、仲良くなることができたという決着に対し、野球解説でうまくしゃべれないのをどうにかしたいという湯河原の悩みに対して、結局うまくいかないので、別の方へ行きました、ではダメではないでしょうか。 居酒屋でバイトしている湯河原のもとへ、三つ葉がやってきたシーンで、TVの野球中継を見ながら、言葉はうまくないですが、見事にその後の展開を言い当てるというところがありました。(ロッテ×日ハム戦で、ピッチャー渡辺俊介対バッター森本稀哲でした。)彼は話すのはうまくないですが、野球をよく知っていて、その見る目は確かです。 彼の話の欠点は語彙が少なく、すぐにバカとかダメだとか、汚い言葉になってしまうところと考えられます。そのため、うまく言おうとするあまり、言葉が出てこないのです。汚い言葉でもいいので、その見る目が確かなところを生かして、毒舌解説者という売り出し方をすれば、よかったのではないでしょうか。 確かに、村林に野球を教えているところを見れば、彼のバッティング理論はしっかりしていて、非常に教え方がうまく、コーチに向いているとは思いますが、結局、解説はうまくいかずコーチになった、では、彼の弱点の克服にはなっていないので、残念に思いました。 というわけで、題材としては、非常に面白く、上手に仕上げればもっといい映画になったのではないだろうか、と思われる映画でした。
2011.11.08
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「プレデターズ」 Predators 2010年 アメリカ映画監督 ニムロッド・アーントル出演 エイドリアン・ブロディ ローレンス・フィッシュバーン 姿を消すことができ、赤外線で物を見、戦闘能力の非常に高い宇宙人“プレデター”のシリーズ、第3弾です。第1弾はジャングル、第2弾は都会、と舞台は変わり、今回は地球ではないどこかの星です。 8人の殺しのプロがパラシュートで落とされたところは、未知のジャングルでした。互いに面識のない8人は、ここがどこか、なぜここにいるのか誰もわかりません。傭兵としての経験が長く、他の組織にも詳しいロイズ(エイドリアン・ブロディ)が、自然とリーダーになり、彼らはあてもなく歩きだします。 姿の見えない敵と戦い、犬のような怪物の群れに襲われ、2人の仲間を失いながら、見晴らしの良いところに出た一行は、ここが地球じゃないことを知ります。 殺し屋たちを拉致し、どこかに閉じ込めて戦わせるというのは、以前記事を書いた「監獄島」と似ていますが、マッチョ率の高かった「監獄島」とは違い、こちらは各国の兵士たちが主ですが、中には、日本人のやくざ、何人も殺している凶悪犯、女性スナイパー、優男だが毒物に詳しい医者など、人選に多少、工夫が見られます。 途中まで、プレデターは、全く姿を見せず、まず現れたのは、犬のような狼のような怪物で、そのスピードと凶暴さで、一行は危機一髪に追い込まれますが、どこからか聞こえてきた笛の音のような音で、怪物たちは引き上げていき、助かります。ここまでは、思わせぶりな展開で、ハラハラドキドキ観ていられますが、ここからががっかりでした。 “プレデターズ”という題名から、この後大量のプレデターに襲われるのかなと思いきや、出てきたのは、プレデターの姿を消す機能の付いた仮面をかぶった人間でした。しかもそれが、ブクブクに太ったモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン、もちろん役名は違います。)。どうやら、地球から強そうな人間を連れてきて、狩りを楽しむことを、プレデターたちは何度もやっているようで、彼は以前の兵士たちの生き残りのようです。 意外な展開で、驚いていましたが、しぶとく生き残ってきたはずの彼は、結構あっけなくやられ、プレデターの集団が襲ってくることはなく、一度に出てきたプレデターは2体までで、見せ場は、日本刀を手に入れた日本人やくざがプレデターと一騎打ちするところぐらいでした。(日本人が、みんな刀を使えると思ってんじゃねえよ。やくざだって、みんな使えないからね、今では。江戸時代じゃあるまいし。) とにかく、全然“プレデターズ”じゃない展開にがっかりしつつ、最後は予想通り、ロイズとイザベラ(女性スナイパー)は生き残り、やっぱりがっかりでした。(もっと、予想を裏切るどんでん返しとかは、考えつかなかったのかよ。) ということで、期待が大きかった分、余計がっかりした映画でした。 しかし、エイドリアン・ブロディが、とてもたくましく、しっかり経験豊富な傭兵に見えたのはびっくりしました。あの、線の細い優男のピアニスト(「戦場のピアニスト」)や、頼りなげな新米兵士(「シン・レッド・ライン」)や、知能障害があり優しいお姉さんに世話されている男(「ヴィレッジ」)とは、同一人物とは思えませんでした。彼の演技力のふり幅の大きさにびっくりしました。
2011.11.06
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「雨に唄えば」 Singin’ in the Rain 1952年 アメリカ映画監督 ジーン・ケリー スタンリー・ドーネン出演 ジーン・ケリー デビー・レイノルズ ドナルド・オコーナー 若い映画ファンの人は、ご存知ないかもしれませんが、1940年代~50年代にかけて、MGM社のミュージカル映画が一世を風靡した時代がありました。(と言っても、僕もリアルタイムで経験しているわけではありません。) ジーン・ケリー、フレッド・アステア、フランク・シナトラ、ジュディ・ガーランド、デビィ・レイノルズ、ミッキー・ルーニーなど、歌って踊れるスターを中心に、大掛かりな舞台や、数え切れないほどのダンサーを使った圧倒的な群舞、個性的で楽しいダンスに、魅惑の歌声などで、ヒット作を連発していました。 その中の、誰もが認める代表作が、この「雨に唄えば」です。ジーン・ケリーが、土砂降りの雨の中で、題名にもなっている主題歌“雨に唄えば”を歌い踊るシーンはあまりにも有名です。 時代は、いまだサイレント映画の時代(おそらくは1920年代後半)、ハリウッドにトーキーの波が訪れ始めたころのお話です。 サイレント映画の大スター、ドン(ジーン・ケリー)と同じく大スターリナ・ラモントの主演映画を、トーキーに作り直すことになりました。しかし、ト-キーのノウハウがよくわからず、しかもリナは美しい顔立ちにふさわしくない、ひどい悪声(いわゆるアニメ声)でした。 ドンは、親友のコズモ(ドナルド・オコーナー)と、ドンの彼女で駆け出しのミュージカル女優キャシー(デビー・レイノルズ)と相談し、映画をミュージカルで作り直すことを思いつきます。そして、問題のリナの声は、キャシーが吹き替えることになります。 そんなトーキー映画創世記のドタバタを、歌と踊りを交えて、楽しく語っていく、とても楽しい映画です。前述の雨の中で踊るジーン・ケリーもいいですが、僕は、ドンとコズモとキャシーがソファーを使って歌い踊るシーンと、コズモがモップを相手にチークダンスを踊るシーンが好きです。 とにかく、いま見てもとても楽しめる、ミュージカル映画の大傑作です。
2011.11.05
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「その土曜日、7時58分」Before the Devil Knows You’re dead 2007年 アメリカ映画監督 シドニー・ルメット出演 フィリップ・シーモア・ホフマン イーサン・ホーク アルバート・フィニー 「十二人の行かれる男」「セルピコ」など、社会派の名作を多く世に送り出した名匠の、遺作です。演技派の名優を中心に持ってきた重厚なクライム・サスペンスです。 兄のアンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、不動産会社の重役で、裕福そうに見えますが、ヤク中で、会社の金を横領していて、それがばれそうになって焦っています。冒頭で濃厚なベッドシーンを見せるなど、女房とうまく言っているかのように見せていますが、後の方で明らかになるように、女房は弟ハンク(イーサン・ホーク)と不倫しています。幼少時から厳しく育てられたようで、父親(アルバート・フィニー)ともうまくいっていないようです。 弟のハンクもやはり金に困っていました。離婚した妻のもとにいる娘の養育費と私立学校の学費が払えず、滞っているのです。そのうえ、娘に、サマーキャンプが行きたいので、150ドル払ってほしいとせがまれています。 アンディは、弟に、両親の経営する宝石店を強盗することを提案します。保険に入っているので、被害は補償されているし、土曜日の朝なら、お手伝いのばあさんがいるだけなので簡単だろうというのです。おもちゃの拳銃で少し脅すだけで、片が付くだろうと思っていました。 ハンクは、初めてのことでうまくできるかどうか、不安でした。そこで、知り合いのボビィという男に、応援を頼みます。ボビィは手慣れたもので、ハンクは車を運転すればいいからと、ひとりで店に入っていきます。 ところが、店にいたのは兄弟の母親で、強盗に対し、隠してあった拳銃で応戦し、ボビィは死に、母親も重体になってしまいます。警察が駆けつける中、ハンクは逃げ出すしかできませんでした。 誰も死ぬこともなく、簡単だったはずの強盗に失敗し、12万ドル入るはずだったお金は手に入らなくなり、兄弟は、ますます困り果ててしまいます。その後、重体だった母親も結局亡くなるなど、2人の打つ手は、裏目裏目に回り、多くの関係者が命を落とし、悲劇的な結末へと向かって行くのです。 この映画、強盗の場面から始まり、時系列が行ったり来たりし、同じ場面を違う視点から見せたりしています。例えば、母親が亡くなった後、父親とアンディが連れ立って庭に出ていく場面での後ろで、アンディの妻が電話で話していますが、後で、同じ時間のハンクの動きを追っていく中で、電話の相手はハンクだと分かり、2人の関係が怪しいことを匂わせる、といった具合です。 こういう手法、映画慣れしていないと訳が分からなくなりそうですが、時間が行ったり来たりする中で、いろいろな事実がわかり、事件の全貌が徐々に明らかになって、退屈しません。僕はこの手法、嫌いではないです。 この映画の原題は、“Before the Devil Knows You’re dead”です。訳すると、「悪魔が死んだことに気づく前に」です。悪事が明らかになる前になんとか取り繕ってしまおう、という意味です。まさに、この兄弟がやろうとしていることを表しています。 しかし、やはり、悪いことをしようとしても、うまくいかないのが、世の常というものです。結局、この兄弟は、何とかしようとあがけばあがくだけ、泥沼にはまっていってしまいました。でも、まあ、自業自得です。 全体に暗い雰囲気の映画で、どんどんひどい状況におちいっていき、最後の結末は,救いようのないものでした。でも、この兄弟に対し、嫌悪感を持って観ていたので、何か最後は納得の結末でした。やっぱり人間、まじめに生きなきゃいけませんよね。 ところで、この邦題、最初の宝石店に強盗に入った時の犯行時間ですが、もっといい題名を思いつかなかったのでしょうか。確かに、原題のままだと、もっと変な感じなので、何かしら邦題を付ける必要はあると思いますが。
2011.11.05
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「バーン・アフター・リーディング」 Burn After Reading 2008年 アメリカ映画監督 イーサン&ジョエル・コーエン出演 ジョージ・クルーニー ブラッド・ピット ジョン・マルコヴィッチ フランシス・マクドーマンド ティルダ・スウィントン コーエン兄弟の豪華キャストによるおバカブラック・コメディです。 豪華キャストですが、その演じる役が、そろいもそろって一癖あるものばかりです。ハリー(ジョージ・クルーニー) 財務省の連邦保安官、オズボーンの妻との不倫だけでは飽き足らず、出会い系サイトで相手を探し、イケメンなのをいいことに、女を食いまくるスケベ野郎。チャド(ブラッド・ピット) スポーツジムの店員、頭の中も筋肉かと疑うようなおバカな筋肉オタク。オズボーン(ジョン・マルコヴィッチ) アル中を理由にCIAをクビになった分析官、その腹いせに暴露本を執筆中。妻には愛想を尽かされている。リンダ(フランシス・マクドーマンド) スポーツジムの店員、全身整形したいがお金が無い独身中年女。出会い系サイトで男を探し、好きでもない相手とも簡単に寝る女。ジムの支配人に惚れられているが、眼中にない。ケイティ(ティルダ・スウィントン) オズボーンの妻で、女医、ヒステリックな性格で、患者からは嫌われているらしい。ハリーと不倫中、離婚を決意している。 スポーツジムのチャドとリンダが、オズボーンの暴露本のデータが入ったCDを手に入れ、機密事項と勘違いして、オズボーンをゆすって整形費用を捻出しようと企みます。ハリーとケイティの不倫などが絡み、ドタバタ劇になっていきます。 とにかく、おバカな映画です。訴えるものがどうとか、何かを風刺しているとか、余計なことを考えずに、軽い気持ちで観て、楽しんでもらえればいい映画です。 題名通り、見て楽しんで、ぱっと忘れていい映画です。(「読後焼却すべし」という意味です。) やはり、演技ができる人たちは、コメディをやらせても上手にやるなあと思いました。 いつもクールなイケメン役ばかりのジョージ・クルーニーのあわてふためく顔と、ブラピのはじけたおバカぶりが見たい人必見です。特に、リンダ役のフランシス・マクドーマンドが最高です。気弱なジムの支配人、巻き込まれてかわいそうでした。
2011.11.04
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「ドラゴンヘッド」 2003年 日本映画監督 飯田譲治主演 妻夫木聡 SAYAKA 望月峯太郎原作の人気漫画の映画化作品。若手有望株の俳優妻夫木聡の主演と、松田聖子の娘SAYAKAの映画初出演で話題になった映画です。 修学旅行帰りの新幹線が、静岡のトンネル内で大地震にあい、脱線し閉じ込められるという大惨事が起きました。奇跡的に生き残った高校生テル(妻夫木聡)とアコ(SAYAKA)は、苦労しながらもトンネルを脱出し、大参事がここだけではなく、かなりの広範囲にわたることを実感するが、何とか家族の待つ東京にたどり着けないかと旅立ちます。 大惨事により崩壊した町や、極限状態の中、生き残った人々が、欲望向き出しで、狂気におちいっていく様が、容赦なく表現され、そんな中、極限状態に置かれた2人の高校生が、いろいろな人に助けられ、裏切られながら、たくましく道を切り開いていく姿が実にうまく表現されていて、好きな漫画の一つで、単行本も持っています。 そんな人気コミック(といっても、やや気持ち悪い系の独特の絵柄から、たぶん偏った人気ですが。)が、どのように表現されているのか気になり、観てみました。そして、またまた打ちのめされました。 確かに、大惨事に見舞われた新幹線(中のおびただしい死体の山も含めて)や、死の灰にまみれた崩壊した町など、映像的には、見る物はありましたが、それだけでした。終始、原作のストーリーを追いかけるのに必死で、恐怖感を呼ぶ演出(原作はこの辺が非常に巧みです。)や、登場人物の心理描写など、まったく描かれていません。原作のダイジェスト版なのです。 やはりこれは、演出や脚本のせいでしょうか。やっぱり、監督や脚本家が、原作のいいところを全く理解していない、というか、勘違いしているのではないでしょうか。この漫画、世界の崩壊しているところが見せ場でしょうか、それは違います。崩壊した世界での、人々の狂気やエゴ、そして成長がテーマのはずです。原作の一番表現したいところを表現せずして、映画化作品としては成り立たないでしょう。 実は、世界が崩壊している漫画というのは、非常にたくさんあります。「北斗の拳」や「バイオレンス・ジャック」、「太陽の黙示録」など、挙げていけば、かなりの数になるはずです。映画でも、たくさんありますよね。「2012」や「ディープインパクトや」「マッドマックス」やetc.…、映画や漫画の世界では、世界が崩壊するなんて、よくある話なのです。だから、いまさら崩壊した世界が見せ場の物語なんて、はっきり言って、意味が無いです。 やはり、そんな中で、いかに人間として生きていくか、人と人の絆をどうつないでいくか、そんな人間ドラマに、観客・読者は感動するのです。それを描かなくて、何が映画でしょう。 この漫画、単行本にして、全10巻です。そのストーリーのすべてを網羅して、2時間程度の映画にまとめようとしたら、無理があります。どうしても、ダイジェスト版になってしまうでしょう。どうして初めから気が付かないのでしょうか。 以前にも述べたと思いますが、漫画を映画化するにあたって、2時間程度にまとめようと思ったら、単行本2.3巻が限度でしょう。ところが、人気のある漫画は、普通何10巻もの大長編です。それを、1本の映画にまとめようとするのが、どう考えても無理だということに、どうして日本の映画界は気づかないのでしょうか。 漫画ファンは、漫画のダイジェストを期待してはいません。やはり、漫画から受けた同じ感動を、その映画化作品からも受けたいと思っているはずです。 この作品にしても、トンネルを脱出するまでで1本、自衛隊員との絡みで1本、最後題名の意味が明らかになるところで1本、以上3部作にすれば、心理描写もきちんとできる漫画の完全映画化作品として、できあがるのではないでしょうか。 度胸のある映画関係者を期待しています。 ところで、全面悲惨なこの映画ですが、その中でも、取り立ててひどいところがあります。この部分に触れずに、この映画の批評としては成り立たないので、延べさせていただきたいです。 それは、ヒロインのアコ役のSAYAKAです。はっきり言って、ひどすぎます。滑舌は悪いは、声は聞き取れないは、表情が固いは、サバイバルなのに肉付きがいいは、ちっとも汚れていないは、演技しようという気があるのでしょうか。 話題作りのために起用したというのが、バレバレですね。話題の大スターの2世ということで、存在自体がすでに話題の彼女なのですが、なぜ、この作品を映画出演の第1作の選んだのでしょうか。はっきり言って、巧みな演技力が無いとできない役だと思います。ただの一般の女子高生が、極限状態に置かれ、必死で生きていく中で、ただ泣きわめいて人に頼っていただけだったのが、たくましく成長していく話です。全くの素人ができる役ではないでしょう。 それとも、できると思ったのでしょうか、演技派大女優の娘ではなく、映画やTVドラマの経験はあるが、お飾り的な演技で良しとされてきた、元アイドルの娘ですよ、彼女は。あの母親のかつての演技を見ていて、どうしてその娘に難しい役ができると思ったのでしょうか。 原作漫画ファンとして、日本映画界の猛省を望みます。
2011.11.03
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「ディファイアンス」 Defiance 2008年 アメリカ映画監督 エドワード・ズウィック出演 ダニエル・クレイグ リーヴ・シュレイバー ジェイミー・ベル ベラルーシの森の中で、多くのユダヤ人をドイツ軍から守りぬいた、ビエルスキ兄弟の実話の物語です。 ビエルスキ兄弟は、ドイツ軍に両親を殺され、森に逃げ込みます。同じように逃げ込んできた同胞と森で暮らし始めます。 この話で、ユダヤ人集団の指導者となるビエルスキ兄弟は、シンドラーのようなお金持ちでなく、杉原千畝のような外国人の外交官ではなく、自分自身がユダヤ人で、肉体労働者です。はっきり言って、平和な世の中なら、指導者になるはずのない男たちです。それゆえに、長男トゥヴィア(ダニエル・クレイグ)は、苦悩します。 食料の調達はもちろん、病気の流行と薬品の調達、仲間の受け入れ、意見の対立、反乱分子への対処、ルールの構築と徹底、問題は山積みです。 食料を調達してきたからと言って、順番を守らず、人より多く食事を貰おうとした男が居ました。彼は自分の取り巻きを従えて、反抗的な態度を見せています。トゥヴィアは、拳銃で射殺してしまいます。周囲の空気は一瞬で凍りつきました。 しかし、恐怖政治では、集団をまとめられません。 最初、新たに子どもを産むことは禁止していました。むやみに集団が大きくなるのを抑えるのに、やむおえないルールでしたが、ひとりの女性が、妊娠していることが発覚します。女性陣のかたくなな反対にあい、トゥヴィアも許さざるを得ませんでした。 また、冬が来て、森が雪でおおわれたころ、どうにも食料が確保できず困り果てた時には、トゥヴィアは、大切にしていた愛馬を食料として提供します。 ドイツ兵が迷い込んできたときには、森の住民たちは、その迫害された経験から、思わず誰とはなしに、リンチが始まってしまいました。トゥヴィアは、みんなの憎しみがわかるだけに、渋い顔をしながらも、見ていることしかできませんでした。 そんな試行錯誤を繰り返しながら、弟のズシュ(リーヴ・シュレイバー)とは考え方の違いから袂を分かつことになってしまいましたが、成長した3男アザエル(ジェイミー・ベル)にも助けられながら、何とか森の中の村をまとめてきたトゥヴィアでした。 とりわけ、ドイツ軍に見つかり、襲撃を受けた時には、やむを得ず村を捨て、逃げ出したわけですが、若い戦える男たちは後方で銃を持って戦い、子どもや女性、年寄りたちを率いて、トゥヴィアは集団を先導していました。やがて、森を抜け、目の前に大きな湿地帯が現れました。トゥヴィアは、湿地帯を抜けていくべきか、迷ってしまいます。結局は、後方で戦っていたアザエルたちが追い付いてきたため、湿地帯を抜けていくことになるわけですが、決断ができず、迷っているトゥヴィアの姿が印象的でした。 実際には、食料の調達は、近隣の農家などを襲って盗むことを繰り返し、山賊まがいの生活をしていたわけで、必ずしも、彼らのすべてが肯定すべきものではありませんが、最終的には、シンドラーが救ったユダヤ人に匹敵する1200人もの集落になったということで、彼らの業績は評価できるのではないでしょうか。 そんな、ドイツ軍に屈することなく、自ら道を切り開いて生き延びることができたユダヤ人たちがいたことがよくわかり、その暮らしぶりなど非常にリアルに表現できている秀作でした。
2011.11.02
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「ドッグヴィル」 Dogville 2003年 デンマーク映画監督 ラース・フォン・トリアー主演 二コール・キッドマン レンタルビデオ屋で、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のトリアー監督の作品を見つけたので、借りてみました。そして、また落ち込みました。 アメリカのロッキー山中にある、10件もない小さな町ドッグヴィルに、ギャングに追われた美女グレース(二コール・キッドマン)が逃げてきます。小説家志望の青年トムを中心に、町ぐるみで彼女を匿います。初めは同情的で、親切だった町の人達ですが、だんだんと傲慢になり、彼女をこき使うようになります。そして、悲劇的なラストを招くのです。 まず、町の映像に驚かされます。倉庫のような体育館のようなただっ広い何もない床に、チョークのような白い線で仕切られただけの町のセットです。ベッドやイスなどの少しの家具が置かれ、一部分だけある壁とか、宙に浮いている伝習所の鐘などがあるだけで、まるで前衛的な演劇の舞台のようなセットで、終始、語られていきます。役者は、ドアを開けるふりをして中に入り、家の中の様子は見えるのですが、見えない演技をしています。 どうしてこんなセットなのだろうと思った観ていましたが、グレースが、家の中でレイプされている場面を見てわかりました。レイプされているグレースをバックに、子どもたちが遊んでいたりします。町中が知り合いで、性格や生活ぶりなどみんな知っている、プライベートはないような小さな町なのですが、壁ひとつ隔てた家の中では何が行われているか、実はよく分かっていません。そういう状況を如実に表すための、壁のないセットなのです。 町の迷い込んできたグレースを最初に発見し、追ってきたギャングの車を追い返したトムはグレースに提案します。町の人々に匿ってもらうため、各家に1日1回訪問し、何かお手伝いをすることを。 グレースは、けなげにまじめに働きます。逃げてきた事情は決して語らないのですが、町の人たちに認めてもらおうと必死です。その甲斐あって、町の人たちに認められ、町に住むことを許されます。しかしそれは、町の仲間と認められたわけではありませんでした。 町の人々は、だんだん傲慢になっていきます。グレースが各家に奉仕することは当たり前になり、まるで、町全体の小間使いのような扱いです。そして、とうとうグレースはレイプされます。 トムはグレースを愛していました。夜はグレースの家で二人で過ごす事が多くなっていきます。しかし、彼はグレースを抱きません。口では愛しているとか言いながら、大事にしたいと言いながら、実際には行動しません。グレースも、愛していると口では言っていますが、きっとそれは彼に合わせた詭弁でしょう。 トムはグレースが町の人々にひどい仕打ちを受けているのに、まったく助けようとしません。グレースが嫌になって逃げ出そうとすると、手助けしようとしますが、それはお金を使って人に頼むだけでした。やはり、自分では行動しないのです。 グレースの逃亡は失敗しました。あたりまえです。トムが逃亡を頼んだ相手は、町の運送屋のベンでした。彼も、町の住人のひとりとして、彼女に逃げ出されては困るのです。 町へ戻ってくると、彼女の逃亡資金としてトムが用意したお金は、彼女がトムの父親から盗んだことにされていました。実際はトムが黙って持ち出したのですが、町の人に詰め寄られたトムは、彼女が盗んだと言ってしまったのです。 その後のグレースは奴隷でした。首輪に鎖を付けられ、重い鉄の重りがつながっています。その重りは、引っ張って街の中を動くのはできますが、それを引きずったまま、逃げ出すことはできないのです。 グレースは重りを引っ張りながら、家々を回り、言いつけられた仕事をし、男たちにはとっかえひっかえレイプされ、子どもたちにはいじめられ、そして、トムには見て見ぬふりをされるのでした。 そして、現状を打開したいと、悩んだトムがとった行動は、なんと、グレースを探していたギャングに連絡するということでした。そうして、悲劇的な結末を迎えるのです。 どんな結末かは、書かないでおきますが、悲惨だと感じる人もいるし、スカッとした、と感じる人もいるでしょう。僕自身は、予想していなかったので、というか、グレースが自殺するか、何とか逃げ出すかすると思っていたので、驚きました。でも、よく考えたら、当然の結末だな、とも思えました。 町の人々の傲慢さを思えば、当然の結末でした。人間というものは、しいたげていい存在がいると、ここまでひどいことができるものなのだなと思いました。教室や職場など、いろいろな場所から、いじめやセクハラやパワハラがなくならないわけです。そんな人としての業のようなものを感じ、落ち込んだのです。 ところで、町の人々については、グレースにひどい仕打ちをしていますが、不思議とあまり腹は立ちませんでした。集団心理のなせるワザであることがわかっていたからでしょうか。 しかし、僕はトムに対しては、非常に腹が立ちました。口では、愛しているとか、助けてあげるよとか、調子のいいことを言いますが、結局、彼は終始何もしませんでした。お金を使ったり、人に頼んだりはしましたが、結局自分では何もしませんでした。 よく考えたら、彼は初めからそんな人でした。自称小説家です。考えているとか言いながら、実は何ひとつ書いていないのです。そして、町の住人を集めて、理想を語ったりしていますが、その実は言うばかりなだけなのです。 物語の結構早い段階で、トムはグレースに告白しています。そして、いい返事ももらっています。なぜ、サッサと結婚してしまわなかったのでしょう。なぜ、自分の彼女だから、と町中に宣言しなかったのでしょう。そうしていれば、町の人々は、グレースを受け入れてくれたのではないでしょうか。 また、グレースが逃げたいと告発した時、なぜ、一緒に逃げようとしなかったのでしょうか。そうすれば、確実に逃げることができたでしょう。 結局、彼には勇気がありませんでした。グレースの事についても、自分の小説についても、自ら一歩踏み出して、行動する勇気のない人間だったのです。 だからこそ、ラストでグレースは、トムだけは、自分でやらなければ気が済まなかったのです。(何をやったのかは秘密です。)グレースも、やはり、一番許せなかったのは、彼女にひどい仕打ちを一切やらなかったトムなのです。口ばっかりで、何もしないトムなのです。 ということで、壁の無い町で、見えてきたのは、人間の非常に醜い業でした。というお話です。
2011.11.01
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