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「戦場のピアニスト」 The Pianist 2002年 フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス映画監督 ロマン・ポランスキー主演 エイドリアン・ブロディ カンヌ国際映画祭パルムドール、米アカデミー賞監督賞・主演男優賞・脚色賞、英アカデミー賞作品賞など、数々の賞を受賞している名作です。 実在のユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記をもとに、自らが幼い頃ポ-ランドのゲットー(ユダヤ人居住地区)で生活し、母親をアウシュビッツで亡くしているポランスキー監督、渾身の感動作です。 ナチスのワルシャワ侵攻から、ユダヤ人の迫害はどんどん加速していきます。家族での所持金を制限され、ダビデの星の腕章を義務付けられ、ゲットーへの移住を強制され、有無を言わさず突然収容所へ送られ、強制労働を課せられ、わけもわからず突然殺され、こういった目を覆うような場面が、これでもかと出てきます。監督が本物を経験しているからか、その描写は非常にリアルです。 シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)は、知り合いのユダヤ人警官(ユダヤ人を取り締まるためのユダヤ人の警察)のおかげで、収容所送りは免れますが、強制労働で慣れない力仕事に就かされ、ゲットーを逃げ出し、昔の友人にかくまわれます。そのうち、ポーランド人のワルシャワ蜂起で、町は崩壊します。それでも廃墟の中で隠れているシュピルマンは、今度はあろうことか、ドイツの将校にかくまわれるのです。 彼らは、どうしてシュピルマンを助けるのでしょうか。確かにシュピルマンは肉体労働には不向きの優男で、いかにも芸術家肌です。(エイドリアン・ブロディの演技力?)ちょっと疑問だったので調べてみました。 カギはショパンでした。ショパンはポーランドが生んだ偉大な芸術家で、ピアノ曲を好んで作ったことから、「ピアノの詩人」と呼ばれています。ポーランドの人々にとって、ショパンは特別な存在なのです。そのショパンのピアノ曲を弾くことのできるピアニストは、ただの有名人ではないのです。 この映画の冒頭、シュピルマンはラジオでショパンの曲を弾いています。ここに大きな意味があったのです。彼はラジオという不特定多数が聞く舞台で、ショパンを弾くことを許された大いなる存在だったのです。まさに国の宝と言っていいほどの芸術家だったのです。 ポーランド人がシュピルマンを助ける理由はわかりましたが、最後に出てきたドイツ軍将校が彼を助けたのはなぜでしょう。発見された時ピアニストだと名乗るシュピルマンに、将校はピアノを弾くことを命じます。廃墟の中のおそらくは長いことほっておかれたピアノで、長い逃亡生活で非常に久しぶりに演奏するピアニスト、その音はお世辞にも素晴らしいものではなかったでしょう。 しかし、彼はシュピルマンの命を助けました。その場だけでなく、その後も何度か食料を運んでいたようです。シュピルマンが廃墟に隠れ始めたのが、ポーランド人のワルシャワ蜂起の時で8月、そしてドイツ軍が撤退し、シュピルマンが逃亡生活から解放された時は雪が積もっていました。つまり、少なくとも半年、シュピルマンは廃墟に隠れ住んでいたのです。その間生きながらえてこられたのは、このドイツ軍将校のおかげなのです。 久しぶりにピアノを弾くシュピルマンは、恐る恐る弾き始めます。恐ろしいドイツ兵の前で、何年も触っていなかったピアノ、不安と戸惑いでいっぱいの中、何かを探り出すような弾き始めです。しかし、弾いていくうちに、彼の表情や雰囲気が変わってきます。いかにも幸せそうに、演奏にのめりこんでいきます。陶酔しきった彼の表情は、ドイツ人に、これは本物だと認識させるのにあまりあるものがありました。だから彼はシュピルマンを助けました。エイドリアン・ブロディの主演男優賞、納得です。 このドイツ軍将校、ヴィルム・ホーゼンフェルトという名で、元教師で、ドイツ軍のポーランドでの所業に疑問を持ち、シュピルマンのほかにも、何人か助けたポーランド人がいるそうです。この映画の中ではちょっと出てくるだけですが、シュピルマンもこの将校を助けるためかなり奮闘しているそうです。残念ながら、助けられませんでしたが。 しかし、最後の、この将校がソ連軍の捕虜になっているときの、命乞いのシーンはちょっといただけないですね。なんか女々しい感じで鼻につきますが、どうやら、実際にはこういうことはなかったそうです。(シンドラーなんか、1100人のユダヤ人を助けながら、最後に、「もっと努力していれば、もっと助けられた。」といって泣くんですよ。) ネットにあるこの映画の感想をいろいろ読んでみましたが、題名にピアニストとあるので、もっと演奏が出てくるかと思ってがっかりした、というものがありました。確かに、シュピルマンが、ピアノを演奏するシーンは、最初の方と最後の方に少ししかありません。 しかし、彼は、終始ピアニストでした。ゲットーから逃げた後、2番目に行った隠れ家には小さなピアノがありました。もちろん隠れているので、音を出すことはできません。でも、彼はピアノをあけ、その前に座ります。彼は鍵盤の上で指を動かし、弾く真似をします。長い隠遁生活の中で、同じことを何度も繰り返していたことが想像できます。また、廃墟で隠れているとき、彼が静かに椅子に座り、目を閉じて指を動かしているシーンが何回か出てきます。ピアノを弾くことはかなわないのですが、彼がピアノを忘れることはなかったことが、これらのシーンからわかります。 そして、彼がピアニストであることが、その命を助けたのは、上記の通りです。 この「The Pianist」という題名は、間違いではありません。邦題の「戦場のピアニスト」の方がわかりやすいですが。
2011.08.28
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「アルマゲドン」 Armageddon 1998年 アメリカ映画監督 マイケル・ベイ主演 ブルース・ウィルス 前回の「ディープ・インパクト」に遅れること2カ月、同じような映画が続けて公開されるということで話題になりました。こちらは、主演が大スターブルース・ウィルスということもあり、明らかに宣伝も派手で、興行的にも前者に大きく水をあけて大ヒットしました。内容も、緊迫感が半端ではなく、全体に派手になっているので、まあ、当然かなという感じですが、はっきりいって、科学的なデタラメ度も派手になっています。マイケル・ベイ+ブルース・ウィルスだから当然ですが、とりあえず突っ込んでみますか。 まず、テキサス州ほどの小惑星が地球の方へ向かっていて、あと18日で衝突するということでしたが、どうしてそこまで発見できないのかということです。 時速35000kmということなので、距離にして、単純計算で1500万km(18×24×35,000=15,120,000)ぐらいです。 これがどのくらいの距離かというと、地球と火星が一番近い時で約7800万キロだそうです。つまり、火星軌道よりもずいぶん近くまで来ているということです。これは、もしかしたら肉眼でも見える距離ではないでしょうか。どうして、もっと早く、発見できないのでしょうか。 現在、世界中の天文台や研究所や素人天文家が、毎晩毎晩、空を観測しています。新彗星や新星などを発見できないかと頑張っているのです。(もちろんそれだけではありませんが) そして、見つけたら、我先にと報告をします。なにしろ、新彗星や新星を発見できれば、自分の好きな名前がつけられるのですから、ライバルよりも、1秒でも早く報告したいのです。そんな中、大きさからして、超A級の彗星(小惑星も動き始めたら彗星です。)が、やってくるのですから、即座に発見して当然でしょう。 アステロイドベルト(火星と木星の間にある小惑星帯)の中の小惑星(イトカワのような)だったら、めぼしいものは名前も付いていて、位置もきちんとわかっています。また、単独で太陽を回っている小惑星や彗星も、かなりの数が分かっています。ハレー彗星などの有名な彗星が来るたびに話題になっているように、現在位置から、最接近の日時まで、きっちりと分かっています。 「ディープ・インパクト」では、1年以上前に、素人の高校生が数10kmの彗星を発見していました。昨日そこにも突っ込みを入れましたが、この「アルマゲドン」の状況は、それよりもありえないことです。 しかも、この映画では、小惑星の衝突のわかった理由というのが、観測ではなく、まるで誰かが操作したがごとく、うまい具合に、スペースシャトルにぶつかってきた小隕石群でした。これで、その後小惑星がやってくることになるのか、全く意味不明です。小惑星と、小隕石群とは、どういう関係なのでしょうか。小惑星が地球にやってくる理由として、2つ考えられます。 ひとつは、大きな楕円軌道を描いている小惑星の軌道が、ちょうど地球がいるときに地球の公転軌道と、交差するときです。太陽系には、惑星の軌道と交差するように大きな楕円軌道で、太陽を公転する小惑星がいくつか知られています。しかし、この場合、軌道はすでに分かっているので、衝突があるとすれば、何年も前から分かるはずです。そして、前触れで小隕石が飛んでくるというのは全くあり得ません。 もうひとつは、上記の小惑星、あるいはアステロイドベルトの小惑星が、ほかの天体との衝突などで、軌道を外れ、飛んでくる場合です。この場合、分裂したり、爆発したりして、大小の破片に分かれて飛んで行くことは当然ありますが、違う方向に飛んで行くはずです。飛んで行くエネルギーは衝突のエネルギーしかなく、真空中なので空気抵抗とかはないので、大きさや質量に関係なく、同じ速度で飛ぶはずです。だから、同じ方向に、違う速度で飛ぶということは、ありえないのです。それから、飛んでくる途中で、何らかの理由で分裂したとしても、飛ぶ速度が変わるはずがなく、一緒に飛んでくるはずです。(飛んでくる途中で、またほかの天体との衝突で分裂した場合、飛ぶ方向が変わるはずです。詳しくは、「VS嵐」のデュアルカービングで観察してください。) 以上の理由で、小隕石群が来たことが、巨大な小惑星が地球に飛んでくる前触れにはなりえないのです。 以上、基本設定の部分で、2点突っ込みを入れさせてもらいました。もちろん、まだまだ、突っ込みどころはたくさんありますが、書きだしたらきりがないので、これくらいにしておきます。 このように、科学的には、めちゃくちゃなお話ですが、話の展開や、盛り上げ方、アクションの迫力、ちょっと大げさな親子愛のドラマなど、科学考証を気にしなければ、なかなか楽しめる映画です。ハラハラドキドキして、涙することも可能でしょう。 しかし、「アルマゲドン」って、聖書に出てくる終末戦争のことですよね。キリスト教関係から、抗議とかなかったんですかね。
2011.08.26
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「ディープ・インパクト」 Deep Impact 1998年 アメリカ映画監督 ミミ・レダー出演 イライジャ・ウッド ティア・レオーニ ロバート・デゥバル モーガン・フリーマン ブログタイトルを変えました。紹介よりも、批評に重きを置きます。そのため、あらすじを書かないことが多くなるかも、(結構あらすじを書くのが大変で、文も長くなるし。)そして、ネタばれも多くなると思います。 さて、今回は、ほぼ同時期にほぼ同じネタの映画が公開され話題になった「ディープ・インパクト」です。 結論からいって、なんで、こんなに大騒ぎするんだろう、というのが第一印象です。たかだか数十kmの彗星がぶつかるだけなのに、どうしてあわてて逃げるのだろう、と思いました。地球が破壊されるわけではないのに。1年も前から分かっているのに。いったい、きちんとシミュレートした結果なのでしょうか、ちっとも科学的じゃないんですよ。 いったい巨大彗星(数十kmクラス)が地球にぶつかったとき、何が起きるでしょう。考えてみましょう。 1 落下地点周辺(半径数十~数百Km)は破壊される。 2 衝撃で地震が起きる。 3 落下地点が海や海岸だったら、津波が起きる。 4 衝撃で地球内部のマグマが刺激され、全地球的に、火山の噴火や、地殻変動や、地震が起きる。 5 飛び散った破片や噴煙などが空中に漂い、太陽光線をさえぎる。 こんなところでしょうか。このうち、瞬時に起こるのは、1~3までで、4.5は数日~数カ月、場合によっては数年、数十年というスパンで起こることです。そして、それは先日の地震のように突然起こるのではなく、前もってわかっていることです。しかも、現代の人類の技術をもってすれば、落下地点はかなりピンポイントで分かります。 全世界政府が協力し、きちんと避難計画を作り、飛行機や船を総動員して、先を争うことなく落ち着いて、大陸の真ん中に避難すれば済むことです。(先日の「2012」の時にふれたように、モンゴルがお勧めです。)この映画のように、地下シェルターにというのはいただけません。地殻変動や地震でつぶれたり閉じ込められたりします。(核攻撃じゃないんだから) また、彗星落下までは時間があると思われるので、仮設住宅などを前もって作っておいたり(もちろん耐震構造は不可欠です。)、太陽光線がさえぎられ、闇の世界や、冷たい世界に対応できるように、発電施設(もちろん原発以外)や、人工の光による農業施設などを整備することも避難計画と同時進行で進めていけばいいでしょう。その上で、彗星破壊計画も同時進行で進められるはずです。この映画のように、もしも、彗星破壊が失敗したとしても、大丈夫です。 しかも、世界的な危機だというのに、ほぼアメリカのみです。アメリカなんてでっかい国だから、大陸の真ん中へ逃げればあんな津波何ともないでしょう。日本なんて都市部の大部分が沿岸にあるし、もっともっと大変です。 それから、もう一つ気になったのが、彗星を発見したのが、素人の高校生(イライジャ・ウッド)だけってことはないでしょう、ということです。夜、日常的に空を観測している人は、プロアマ問わず、世界中に山といるはずです。そのうちの何人かは、気づくはずです。1番は彼としても、2番や3番や4番や5番や……、世界中で多くの人が気付き、そのうちの何人かは政府に報告して、かなり早い段階で対策が国際的に建てられるはずです。 というように思ってしまったので、感動的な場面をいくら観せられても、全く泣けませんでした。モーガン・フリーマンの大統領がどんなに感動的な演説をしても、ロバート・デゥバルが特攻しても、女性新聞記者(ティア・レオーニ)が覚悟の上で、お父さんと波にのまれても、イライジャ・ウッドが、家族を捨てて彼女と逃避行しても、感動できませんでした。ドラマは、まあまあ良くできていると思ったのですが、残念です。 きちんとシミュレートして、物語を、しっかり吟味して科学的に納得できるように作ってほしいものです。
2011.08.25
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「サンシャイン2057」 Sunshine 2007年 イギリス映画監督 ダニー・ボイル出演 キリアン・マーフィー 真田広之 クリス・エヴァンス あれ、真田広之出てる、と思って観てみたら、とてもしっかりしたSFで、感動しました。 2057年、活動が低下している太陽を活性化させるために、マンハッタンほどの大きさがある核爆弾を打ち込むという使命を帯びたイカロス2号には、カネダ船長(真田広之)をはじめ、8名のクルーが乗っていました。 水星の近くまで来たある日、謎の救助信号をキャッチします。それは、同じ使命を帯び、7年前に出発したが、消息不明になっていたイカロス1号からでした。 生存者がいるかどうか疑わしかったのですが、コースを若干変更して救助に行くか、変更せずにまっすぐ行くか議論になりましたが、核の専門家キャパ(キリアン・マーフィー)の、2発あれば成功の確率が2倍になる、というツルの一声で、1号によっていくことになります。 1号によっていくための軌道計算をしていたトレイが、大事なシールドの角度調整をミスったため、シールドの一部が破壊されてしまいます。やむなくシールドを傾け、修理個所に太陽光線が当たらないようにして、カネダとキャパが修理のため船外に出ます。 その修理中に、酸素と食料の生産に大切な植物園から火災が起こり、全焼してしまいます。また、コンピューターが自動制御になりシールドを戻そうとし始めます。手動に戻そうしているうちに、何とか修理は終えましたが、カネダ船長が太陽光で焼け死んでしまいます。 責任を感じて自殺しそうなトレイを薬で眠らせておき、1号のもとへ到着し、無事ドッキングできました。4人のクルーが1号へ乗り込み調査します。 1号の中は埃で覆われていましたが、植物も酸素も無事でした。しかし、……。 この後、意外な、恐ろしい展開になりますが、書かないでおきましょう。 この映画の何が気に入ったかというと、とても合理的で科学的な設定です。 まず、このイカロス号のデザインです。太陽に近づくほど強まる太陽光と太陽風を防ぎながら飛んで行くための大きな深いきのこ状のシールドにつつまれた船体、そして、爆弾投下のため切り離した後、帰還するときの太陽風を受けつつ太陽光を防ぐための、大きな平らな丸い壁が一番太陽側についた画鋲状の構造、どちらも非常に科学的だと思います。行きも帰りも太陽光を防ぐためのカバーが必要なのは容易に考えつくと思いますが、太陽風のことまで考えているところがすごいと思ったのです。 また、酸素の補充と二酸化炭素の吸収、そして食料の確保、その一石三鳥を考えた植物園の存在がすごいと思いました。「アポロ13」では、事故後の帰還で最大の障害が二酸化炭素の増加でした。また、大航海時代、長い航海に出る船の一番の問題点が野菜など植物性食料の不足によるビタミン不足でした。360度水に囲まれた外海では、動物性食料は魚を捕まえれば補充できたわけですが、野菜は補充が難しいのです。そういった問題が、船の中で植物を育てていくだけで一挙に解決でき、なおかつ酸素を大量に持っていかなくても、容易に補充できるという利点もあるのです。 そして、もうひとつ、クルーの中に精神科医がいることです。長い航海の間、限られたメンバーで、狭い空間の中に閉じ込められているわけで、精神に変調をきたしたり、関係が悪化したりということは起こりがちです。しかし、それでは、重要な任務に支障があります。そこで、精神科医の存在が重要になってくるわけです。実際、劇中でもケンカをしたり、ミスに悩んでしまったりという描写が出てきますし、イカロス1号の失敗も、そういった関係が原因だったと推測できます。 しかし、残念ながら、その設定の部分で、科学的に?のところがあります。 それは、物語の大元である、活動が低下している太陽に、核爆弾を投下して刺激を与え、活性化させるという作戦についてです。 太陽は、直径で地球の110倍、質量で33万倍ある非常に大きな天体です。その中心物質は水素で、その水素を核融合することにより、膨大なエネルギーを放出しており、その温度は表面で約6000度、中心では1500万度に達しています。つまり、その内部には、どんな物質を放り込んでも、その超高温によって、瞬時に蒸発してしまうのです。現在発見されているすべての元素の沸点(物質が液体から気体に変わる温度)を調べてみましたが、6000度を超えるものはありませんでした。つまり、すべての物質が太陽の表面で蒸発(物質が液体から気体に変わること)してしまうということです。 だから、いくらマンハッタン島ほどの大きな核爆弾を持ってこようが、太陽表面ですべて蒸発してしまい、内部に入り込むことができないということで、ましてや太陽の中心部で行われている核融合反応に刺激を与えることはできないのです。残念。 太陽の活動が低下し、地球が凍りついている状況をどうにかしたいなら、星野之宣先生の漫画「巨人たちの伝説」(‘77)にあるように、太陽系最大の惑星であり、その主成分が水素である木星に核爆弾などで刺激を与え、太陽と同じような燃える星に変えるという方が、より科学的であり、実現可能ではないでしょうか。太陽系の内側に飛んで行くより、外側に飛んで行く方が簡単ですし。 でも、地球が氷河期に間もなくなるかもしれないと思われているというのは、「デイ・アフター・トゥモロー」の記事で触れた通りです。NASAあたりでは、対策を考えているのではないでしょうか。 以上、最も基本のところで、疑問があると言いつつも、この映画は、科学考証も比較的しっかりしており、物語の構成も比較的よく考えられた、いい映画だと思います。 ただ、真田広之がとても最初の方で死んでしまうことと、ヒューマン・トーチ(クリス・エヴァンス)が、冷却水の中で死んでしまうところが残念でした。 あっ、もうひとつ、サブリミナル効果は、意味わかりませんでした。
2011.08.23
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「トゥルー・クライム」 True Crime 1999年 アメリカ映画監督・主演 クリント・イーストウッド クリント・イーストウッド御大の監督・主演です。あまり話題になっていない地味な作品ですが、さすがと思わせる佳作です。 かつては大手の敏腕記者だったが、酒と女におぼれ、今は地方新聞の記者のエベレットが、同僚の女性記者の不幸で、仕事を引き継ぎ、実は無実の死刑囚を死刑執行ギリギリで救うという物語です。 人種問題や、家族愛を絡め、ハラハラドキドキの展開も含め、うまくまとまっている佳作です。 コンビニのバイトの女の子が銃で殺され、わずかなお金と彼女のペンダントが盗まれたという、アメリカではよくある強盗殺人事件です。容疑者は前科者の黒人で、被害者にお金を貸していた男、たまたま店に来た会計士の男に被害者のもとにいたところを見られ、逃げるところをおばさんに目撃されていました。凶器も盗品も見つかっていません。つまり、目撃者の証言からの状況証拠だけです。物的証拠は出ていません。 どうしてこれで死刑判決になるんだ、というのが最大の疑問ですね。日本では証拠不十分で無罪となるのが、目に見えているので、警察は凶器の拳銃や盗品のペンダントを必死で探すでしょう。 ところが、アメリカではここにもう一つの要素がからんできます。それは、人種問題です。容疑者は黒人、被害者と目撃者2人は白人なのです。おまけに容疑者は前科者です。 犯罪大国アメリカです。この程度の事件は日常茶飯事です。警察は非常に忙しく、こんな小事件の捜査に割く時間はありません。充分に調べることなく、容疑者逮捕に至ったことでしょう。 そして、貧困層に属する前科者の黒人に、優秀な弁護士を雇うことなどできるわけなく、裁判はたった1回だけです。アメリカには控訴や上告の制度はありません。優秀な白人検事に、黒人弁護士はやられてしまったのでしょう。(「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も同じような感じでした。) ここに、この映画のテーマがあると思われます。アメリカでは、この映画のような冤罪事件は日常的にあるのではないでしょうか。 アメリカの根底に流れる人種問題の根深さを考えさせられる秀作です。 しかし、イーストウッドこの時69歳だそうで、あまりにもおじいちゃんで、女たらしで、走り回る新聞記者をやるには、違和感ありすぎです。もっと若い役者にやらせようとは思わなかったのでしょうか。(彼のことだから自分でやりたがったのかもしれません。) 娘の役をやった、明らかに小学校前の女の子は、本当の自分の娘だそうですが、どう見てもおじいちゃんと孫です。
2011.08.21
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「半落ち」 2004年 日本映画原作 横山秀夫 監督 佐々部清 主演 寺尾 聰 最初に断っておきますが、原作の小説は読んでいません。映画を見ただけの批評です。また、言いたいことが結末にかかわることなので、ネタばれしています。ご注意を。 なお、「半落ち」とは、警察用語で、犯行を自供しているが、重要な事柄を語らず隠していることをいいます。一部自供ということですね。ちなみに、自供することを「落ちる」と言い、すべて自供することを「完落ち」と言います。 結論から言います。泣けました。いい映画です。特に、主役の寺尾聰さんと、被害者の姉役の樹木希林さんに泣けました。 警察官の梶総一郎(寺尾聰)が、3日前妻を殺した、と自首してきます。梶は、アルツハイマー病の妻に殺してと頼まれたためという動機、白血病で息子を亡くしていること、殺害状況などは隠さず自供し、簡単な事件かと思われましたが、自首する前の2日間の行動をどうしても自供しません。 警察は、梶のコートのポケットから新宿歌舞伎町の店のティッシュを見つけたが、全く自供しない梶に、死に場所を求めてさまよっていたということを言わせて、単純な嘱託殺人ということで、調書を作成し、検察に送ります。 検察は、この調書が捏造であると考え、取り調べるが、やはり自供しません。新聞記者が調書の捏造を聞きつけ、梶が新宿へ行っていたことを嗅ぎつけますが、検察は、ほかの事件での検察官の不祥事と交換する形で、捏造は不問にし、取り調べを終えます。 マスコミが「空白の2日間」について騒いでいる中、被害者の姉の依頼という形で雇われた弁護士にも、梶は自供しません。また、警察は、梶の息子が骨髄移植のドナーが見つからず亡くなっていたことから、梶夫妻がドナー登録をしており、梶が骨髄移植でひとりの少年の命を救っていることを突き止めます。 結局2日間は空白のまま、裁判が始まります。裁判官の一人はアルツハイマー病の父がいて、この事件に熱意を持っていました。 新聞記者は、梶がドナー登録をしていたことを刑事に教えられ、梶が骨髄移植で救った少年の新聞投書が存在し、それを梶夫妻が知っていたことを突き止め、弁護士と検察官にも知らせます。 裁判の2日目、弁護士も検察官も、「空白の2日間」に新宿歌舞伎町のラーメン屋にいる少年に会いに行ったのではと、骨髄移植は50歳までできるので、もうひとり救いたいと思って自殺しなかったのではと、梶を問い詰めますが自供しません。 判決は求刑通り4年の実刑判決で、執行猶予はありませんでした。その帰り道、梶は、刑事に伴われたラーメン屋の少年の姿を見かけます。 「空白の2日間」、梶は首をつって自殺しようとしましたが、ふと妻のノートが目にとまり、ノートに貼られていた新聞の投稿記事を見つけます。そして、そのノートを義姉に託し、新宿歌舞伎町のラーメン屋の少年に会いに行っていました。その上、臓器移植によって、命を救えることを思い出し、移植期限の50歳までに、まだ救えるかもしれないと、自殺を思いとどまるのです。 そのことを、なぜ梶は言わなかったのでしょうか。 それは、少年のことを思いやってのことでした。梶が告白すれば、マスコミが少年のもとに殺到することは目に見えています。中には、犯罪者の骨髄をもらった少年ということで後ろ指さすものもいるかもしれません。そうした状況を避けたかったのでしょう。 劇中に、被害者の姉や弁護士にマスコミが殺到する場面が出てきます。そのTV放送を見ていた弁護士の娘が、「お父さんいじめられてるの?」と涙ぐむ描写も出てきます。 この映画は、相手の状況を考えず、興味本位で取材合戦に躍起になっている、そういった現在のマスコミの姿勢を糾弾したかったのかもしれません。 弁護士は、執行猶予をつけたがっていました。そのため、骨髄移植の件を追求しました。しかし、梶は黙秘を通しました。そのため、骨髄移植の件は事件と関係ないことになり、「空白の2日間」については分からないまま、裁判は結審し、実刑となりました。アルツハイマー病の看護から逃げ、命を奪ったことももちろん加味されてのことですが。 淡々とした静かな雰囲気が流れる中、芸達者な役者さんが勢ぞろいで、現代的なテ-マを追求した、よい作品でした。しかし、ちょっと気になった点も少しあります。 まず、女性新聞記者とその上司の不倫、特捜本部復帰を目論む地方検事、検事と弁護士が同期という設定、これらの描写はいらないなと思ってしまいました。原作の小説では、事件に何らかの形でからんできているのかもしれませんが、けずった方がすっきりして事件に集中できるのではないでしょうか。 また、必要のない豪華キャストも気になりました。島田久作さん、高嶋玲子さん、笹野高史さん、奥貫薫さん、田辺誠一さん、これらの役はもっと無名の出演料が安い役者さんでもよかった気がしますが。無名だけど、しっかり演技ができる役者さんがいるはずです。 余談ですが、柴田恭兵さんが抑え気味の静かな演技ができる方とは思いませんでした。失礼しました。
2011.08.20
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「ターミネーター4」 Terminator Salvation 2009年 アメリカ映画監督 McG(マックジー)出演 クリスチャン・ベール サム・ワーシントン アントン・イェルチン 最初に断っておきます。ターミネーターシリーズを見たことのない人にはチンプンカンプンの内容になっております。ご了承を。 2018年、「審判の日」後、ジョン・コナー(クリスチャン・ベール)が、反乱軍のリーダーとなり、まだ10代の父カイル・リース(アントン・イェルチン)と出会うところを描いた、人気シリーズの4作目です。 前3作のイメージで見ると幻滅するかもしれません。後半でコナーとT-800の試作品との戦いが少しありますが、基本的にはマシーンと人間との戦争を描いた映画だからです。もちろんアーノルド・シュワルツェネッガーは、出演していません。(T-800の映像は、体格が似たほかの役者に彼の顔を合成したもので、すぐに燃えてしまうので、一瞬です。) ネットに出ている感想でも、否定的なものが多かったですが、それはやはり前3作のイメージやシュワちゃん(長いので省略)の出演を期待していたからでしょう。でも、ちょっと考えたらわかります。「T3」はスカイネットによる核攻撃が始まったところで終わりました。その後はマシーン対人間の戦争を描くしかないでしょう。その上、シュワちゃんは知事の仕事で忙しいのです。そして、ジョンがカイルを過去に送った2029年(「T2」のおかげで、数年ずれるはずです。)を描くには、間が開きすぎです。そこで、シュワちゃんを出さなくてもいいT-800が量産される前の話を1本作っておこうということになったのではないでしょうか。そう考えて、僕はなかなかの秀作にできているな、と思いました。少なくとも「T3」よりはいい出来です。(「T3」はジョンのヘタレぶりに幻滅しました。新型のT-Xもいまいちだったし。) 僕が、この映画を気に入った点は、まず、ジョン・コナーが抵抗軍のカリスマ的指導者になる過程が描かれているところです。この映画ではジョンは抵抗軍の部隊長でしかありません。抵抗軍のトップではないのです。考えてみれば当然です。「審判の日」の時ジョンはプータローでした。(「T3」参照。)人類のほとんどが死滅したとはいえ、間が十数年あるとはいえ、プータローがいきなり人類の指導者にはなれないでしょう。政府関係者や軍関係者が生き残っていれば、その人たちが指揮をとるのが当然です。この映画では、海中の潜水艦が司令部になっています。劇中ではっきりと語られていないので推測ですが、おそらく「審判の日」の時、海中にいて核攻撃を免れたロシアの潜水艦をそのまま司令部としていると思われます。ジョンは、スカイネット軍に捕まったカール・リースを助ける時間を稼ぐため、その司令部の総攻撃命令に逆らい、他の部隊に待機指示を出します。他の部隊は司令部ではなく、ジョンに従います。ジョンは必死です、何といってもカールが殺されれば自分自身も消えてしまう運命にあるからです。他の部隊の皆さんは、そのことは知らないと思いますが、ジョンがラジオで、世界各地の生き残った人々に呼び掛けていたことは知っています。そして、海中に隠れて指示している司令部とは違って、ジョンがマシーンたちと命をかけて戦い続けていることも知っています。こうして、ジョン・コナーは「T1」の設定通り、抵抗軍の指導者にのし上がっていくのです。このようにプータローだったジョンが、いきなり抵抗軍のトップとして登場していないところにリアリズムを見ました。 もうひとつ気に入った点は、プロトタイプターミネーターのマーカス・ライト(サム・ワーシントン)です。 冒頭でマーカスの成り立ちが語られます。2003年、マーカスは処刑を待つ死刑囚でした。そこへ、サイバーダイン社の科学者セレーナ( ヘレナ・ボナム=カーターです。一目で悪役と分かります。何故かは「ハリーポッター」他参照。)が現れ、実験体としてスカウトします。マーカスは、人間とマシーンのハイブリッドに改造されますが、「審判の日」のため、地中に埋もれてしまったようです。 それが、抵抗軍の攻撃を受け、出てきたようです。改造されたまま15年間眠っていたマーカスはどんな改造をされたのか分からないまま、変わり果てた世界に戸惑いながら、カ-ルを助け、マシーンを倒し、大奮闘します。抵抗軍の基地でも、スカイネットの基地でも、迫力たっぷりのアクションを見せてくれます。その不死身ぶりは「T1」「T2」のシュワちゃんを彷彿とさせるものがあります。 実はこのマーカスが主役なのでは、と思わせるほどの存在感で、明らかにジョン・コナーは喰われています。クリスチャン・ベールは「ダークナイト」に続いて残念ですが、この後「ザ・ファイター」で主役を喰って、気をはいているようです。 以上のように、SF戦争アクション映画として、まあまあ良くできている「T4」ですが、気になるところもありますので、書かせていただきます。 「審判の日」スカイネットは、核兵器を使い人類を抹殺しようとします。つまり、全世界で核兵器が爆発し、地上はめちゃくちゃに破壊され、放射能が蔓延したはずです。この映画では、めちゃくちゃに壊れた町や、砂漠のような風景は出てきますが、放射能の影響は全く見られません。生き残った人々は、人間狩りを繰り返しているマシーンにおびえながら、細々と隠れ住んでいるのですが、原爆症に苦しんでいる描写は全くありません。というか、出てくる人々はみな、普通よりたくましいというか、元気な人ばかりです。明らかに「審判の日」以降に生まれた子どもとかもいて、あろうことか、ジョンの妻ケイトは妊娠しているようです。(カールと行動を共にしているスターという女の子はどう考えても核攻撃から1,2年の間に生まれているはずです。)この人たちは放射能が空気中に蔓延していた間どこにいたのか、何を食べて生きてきたのか、全く考えられていません。どうもアメリカ人は核兵器の放射能の恐ろしさに無頓着な傾向にあります。 それから、マシーンたちは人間たちを捕まえてトランスポーターで基地へ連れて行くのはなぜでしょう。スカイネットの目的は人類の抹殺ですよね、見つけたらすぐに殺せばいいんじゃないでしょうか。なぜ捕まえて連れて行くのでしょう。もしかして、人類に何本もコードをつないで、生きたまま眠らせて、夢を見させておいて、人体エネルギーを電気エネルギーに変えて自分たちの動力にしようとしているのでしょうか。(笑)でも、そのおかげで、カール・リースが助かったのですが。 また、スカイネットはどうして、人型ターミネーターを作ろうとしているのでしょうか。この映画では、モトターミネーターなど、人型でないいろいろなマシーンが登場してきますが、人間を抹殺するのにわざわざ人型にする必要はないですよね。これは前3作に何とかしてつなげたいというつじつま合わせとしか思えません。まあでもしょうがないか。 ということで、過去と未来がリング状につながる物語のミッシング・リンクとして重要な1本、「ターミネーター4」でした。この次の「T5」は、シュワちゃんも出演して、(知事は辞めたからね。)T-800とカール・リースを過去に送る話になるでしょう。期待しています。
2011.08.20
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「重力ピエロ」 2009年 日本映画原作 伊坂幸太郎監督 森 淳一出演 加瀬 亮 岡田将生 小日向文世 鈴木京香 渡部篤郎 吉高由里子 大学院で遺伝子の研究をしている泉水(加瀬亮)と、町の落書き消しをしている春(岡田将生)の兄弟は、父親(小日向文世)と3人で仙台に暮らしています。 春は、いま話題の連続放火事件の現場が必ず、同じグラフィックアート的な落書きの近くであることに気付き、兄とともに、犯人を捕まえようとします。兄泉水は落書きと現場の店名などの頭文字が、必ずA.T.G.Cであることに気付き、DNAと関連付けたメッセージがあるのではと思います。 実は春は、母親(鈴木京香)が、連続レイプ犯(渡部篤郎)にレイプされた時にできた子で、泉水と春は、母が事故で死んだときに父から告白されました。しかし、父の「俺たちは最強の家族だ。」という言葉に勇気づけられ、固いきずなで結ばれていくのです。 「重力ピエロ」という題名、意味がよくわかりませんでしたが、後半の方で、兄弟が子どもの頃、家族でサーカスを見ているという回想場面で、ピエロがコミカルに空中ブランコをやっているのを、ハラハラしながら見ているところで分かりました。 父親のガンの手術で、兄弟が病院の廊下で待っている場面で、春が泉水に「本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ。」と言うところがあります。これは、春の考えではなくて、実は父親の考え、いや信念です。そんな父親の信念が春の根底にもあるのです。 ピエロは、滑稽な化粧で、コミカルな演技をしますが、実は、たいへんな実力者なのです。失敗しそうな演技をして、観客をハラハラさせながら、結局は難しい技を成功させるのです。 この映画は、レイプ、放火、いじめ、事故死(自殺?)、ガン、ストーカー、レイプ犯の子、などなど、暗い状況に合いながらも、明るく強く生きていく家族を描いています。それは、どんな状況でも、明るくひょうひょうとしている父親が支えています。重力につぶされそうな状況でも、ピエロのように笑って乗り越えていくことが、この父親の信念であり、それは2人の兄弟にも受け継がれているのです。そんな意味の題名なんだと思いました。 小日向文世という俳優は、本当に多くの映画やドラマにわき役として出演しています。一見頼りなげなおじさんですが、いつもいい味を出していて、場面を和ましてくれる名優です。この映画は、まさに彼の真骨頂です。はまり役です。彼のためにある役といってもいいでしょう。 映画を見ていて、結構最初の方で、放火犯の正体が分かってしまいました。たぶん、ほとんどの人がわかるでしょう。そして、全体の3分の2くらいのところで、春のストーカーの夏子(春を追っかけているので夏子だそうです。吉高由里子)によって、ばらされてしまいます。でも、この話は犯人を当てるミステリーではありません。だから、ここでは語りませんが、この後の展開が重要なのです。 犯人の目的は放火ではありませんでした。それはある恨みを果たすことでした。結局、犯人はその目的を果たします。そして、警察に捕まることなく映画は終わります。この結末に対して、映画の感想を議論する掲示板では、いろいろと意見しているようです。 僕は、この後も警察には捕まらないと思います。日本の警察って、意外と優秀ではないと思っています。TVのドラマなどでは、だいたい犯人を捕まえて終わるので、(崖の上で?)そういうイメージがありますが、実は検挙率って思ったほど高くないんです。特にこの事件のような高度な推理を必要とする事件では、より低くなります。現実には、古畑任三郎や、名探偵コナンはいないのです。たぶん放火と落書きを結びつけて考える人はいないでしょう。続けて放火がないとしたら、迷宮入りにならざるを得ないでしょう。 日本映画は、この映画のような小品は非常に上手ですね。お金をかけた大作は、TVでの宣伝は派手ですが、心からよかったと思えるものが少ないのが非常に残念です。実力ある監督がスポンサーの意見に左右されず力を発揮できる環境ができないものですかね。 余談ですが、泉水と春、2人とも英語にすると「スプリング」で、母親は気に入っていました。ということは、3人目が生まれていたら、「ばね」ですか?
2011.08.18
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「エド・ウッド」 Ed Wood 1994年 アメリカ映画監督 ティム・バートン主演 ジョニー・デップ 「史上最低の映画監督」と言われたエド・ウッドをコメディタッチで描いた伝記映画です。「シザーハンズ」に続く、バートン・デップコンビの第2弾です。エド・ウッドの大ファンであるバートン監督が、当時の雰囲気を大事にするため、わざわざ白黒で撮った傑作映画です。 売れない映画監督エド・ウッド(ジョニー・デップ)が、敬愛するかつての怪奇映画スターで、今は仕事がなく麻薬中毒になっているベラ・ルゴシと出会うことで、年の差を超えた友情を深め、3本の映画を製作する様子が描かれています。 1本目は「グレンとグレンダ」。B級映画会社が当時話題になっていた性転換者を映画にしようとしているのを聞きつけたエドが、自らが女装愛好者であることから売り込んだが認められず、ベラ・ルゴシが出演することで承諾されました。話題の性転換者本人には出演を断られたため、エドが自ら主演し、女装者の苦悩を描いた作品になりました。ベラは、映画の冒頭にストーリーテラーのような形で出演するだけで、映画の内容は知らされていませんでした。 1本目の不評で、映画会社に次回作を断られたエドは、自ら資金を集めることにします。酒場で知り合った女性ロレッタが、資金を出してくれることになったので、主役を恋人のドロレスからロレッタに変更して「怪物の花嫁」の撮影が始まります。ところが、ロレッタはお金がないことが分かり、再び探したスポンサーが精肉会社で、その息子(素人)も出演させることになります。ベラ・ルゴシはマッドサイエンティストの役で、最後には水中でオオダコと格闘するなど大熱演です。このオオダコは、ほかの映画のものを盗んできたぬいぐるみで、もちろん動かないのでベラが自分で動かします。博士の助手は迫力が気に入りエド自らスカウトしたプロレスラー、トー・ジョンソン(もちろん素人)です。ドロレスは、チョイ役で出演してくれましたが、撮影終了後、打ち上げで女装して踊るエドの姿に、愛想を尽かし、彼のもとを去ります。映画はやはり不評で、騒ぐ観客のため、エドたちは舞台あいさつの場から逃げ出すほどです。 ベラは麻薬中毒が悪化し、入院します。エドはその病院で新しい恋人キャシーと出会いますが、お金が続かず、ベラは退院させられます。治ったと思っているベラは、エドに映画を撮ろうと持ちかけますが、資金がありません。仕方なく、ベラの家の前で、ベラの姿をフィルムに残します。その直後、ベラは亡くなります。 ベラの最後の姿を生かして、遺作を作りたいエドは、関係者全員にわざわざ洗礼を受けさせ、パブテスト教会をスポンサーにした、「プラン9・フロム・アウタースペース」を、おかしな仲間たち総出演で作り始めます。トー・ジョンソンはもちろん、前から友達だったオカマのバニー、TVの怪奇番組に出ていた変な予言者クリズウェルと怪奇女優ヴァンパイラ、そしてベラの代役は、頭の形だけが似ているキャシーの接骨医トム(素人)です。バニー扮する宇宙人の、死者を生き返らせる計画(プラン9)で、生き返った死者たち(トー、ヴァンパイラ、トム)が、墓場を黙って(下手なのでセリフはなしにした)徘徊したり、お皿に色を塗った空飛ぶ円盤(キャシーが夜なべ仕事で塗った)が飛んだりする映画のようです。スポンサーの教会関係者が、いちいち文句を言うので、怒って撮影所を飛び出したエドは、酒場で偶然出会った崇拝する大監督オーソン・ウェルズに励まされ、何とか映画を完成させます。 出来上がった映画そのものは劇中には断片しか出てきませんので、どんな映画かはわかりません。残念ながら、僕も観たことはありません。この映画の撮影風景などは、ほとんど事実通りに作られているそうで、そこから推測するに、ひどい映画のようです。世間一般の評判でもかなりひどいようです。 でも、監督をしているエド・ウッドは、楽しそうです。お金がなくて、街角でこそっと無許可でロケしたり、同じ大道具を何度も使ったり、小道具を盗んできたり、彼女に作らせたり、衣装が用意できず私服のままだったり、そんな苦労ばかりの撮影ですが、楽しそうなのです。彼は映画をとることが大好きです。出来が変だろうが、つじつまが合ってなかろうが、映画を作るということが大好きなのです。だから、ベラ・ルゴシはどんなに苦労させられようが、また映画を撮ろうと呼びかけるのです。仲間たちも集まってくるのです。そして、そんなエド・ウッドが、ティム・バートンも大好きなのです。 そんな、いい気持ちにさせてくれる、いい映画だと思います。(ジョニー・デップの女装も見れますし)ティム・バートンは、大作よりも、この映画のような小品の映画の方がいいですね。 エド・ウッドの映画、どんなにひどいのか、観てみたくなりました。
2011.08.17
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「アイランド」 The Island 2005年 アメリカ映画監督 マイケル・ベイ主演 ユアン・マクレガー スカーレット・ヨハンソン クローン人間を題材とした近未来SFアクション映画です。あまり期待していなかったのですが、まあまあ楽しんで観ることができましたが、途中で、結末が分かってしまったので、やっぱりがっかりしました。後からよく考えてみるといろいろと突っ込みどころがうかんできてしまいましたので、書かせていただきます。結末は分かってしまうと思いますが、一応触れないように、まずは、あらすじを書かせていただきます。 2019年、リンカーン・6エコー(ユアン・マクレガー)は、外界から隔離された施設で、生活のすべてを管理されて暮らしていました。外界は汚染されており、この施設内でしか暮らせないのだということでしたが、時々抽選で選ばれた者だけが、汚染のない理想郷“アイランド”へ行くことが許されているのでした。 リンカーンは毎日の生活に退屈していて、夜は悪夢に悩まされていました。ある日、部屋を抜け出した彼は見てしまいます。“アイランド”行きに選ばれた男が、臓器を摘出される姿を。彼は“アイランド”行きに決まった友人のジョーダン・2デルタを伴い、施設を脱出します。 外の世界が、全く汚染されていないことを知った2人は、施設の裏側で知り合ったマックを訪ね、その秘密を知ります。自分たちは臓器提出用に作られたクローンで、“アイランド”行きとは、臓器を摘出され、死ぬことを意味していることを。 2人は、助けを求め、自分の注文主リンカーン本人(もちろんユアン・マクレガー2役)に会いに行きます。 基本的な設定がおかしいですね。労働や戦闘用ではなく、臓器摘出用のクローンなら、知性は必要ないですよね。クローンを作れるくらいなら、DNAを操作して、運動や感覚の機能だけ残して、脳を縮小した形で作る方が、反乱や脱走の心配をしなくていいですよね。 知性を残して、まったく人間と同じにする方が簡単に作れるというのなら、全汚染された地球とかの知識を植え付ける必要はないと思います。全く白紙状態で生まれてくるので、あの施設内が世界のすべてという知識を植え付けておけば、外に出るという発想をしないと思いますが。 以上のどちらの処置もしていなのにかかわらず、施設内の警備があまりにもずさんではないでしょうか。クローンたちは施設内を結構自由に動けるようになっているのに、ひとりひとりに監視などは付いていないようでした。非常に好奇心の強いリンカーンなどは、施設内にとどまらず、裏の機関部のようなところまで行っていて、裏方の仕事をしているらしい、明らかに外部の人間であるマックと知り合いになっています。あのブレスレッドが追尾装置になっているらしいのですが、チェックが甘すぎます。ひとりだけ、立ち入り禁止地区にいれば、すぐにわかると思いますが。結局、いざ脱走という時になって、この機関部らしいところへの道が脱走経路になるのです。あまりにも、簡単に脱走できて、あっけにとられてしまいました。 とにかく、基本の舞台設定が、脱走することを前提に作られているんではと、勘ぐってしまうぐらい、いまひとつなのです。そして、脱走後のアクションも目新しいものは何もなく、やはり、いまひとつ感があります。そして、オチは読めてしまうのです。つまり、すべてがいまひとつということです。もうひとつ言わせてもらえば、ヒロインにスカーレット・ヨハンソンというセクシー女優を持ってきていながら、色っぽい場面もいまひとつです。 クローンを使って臓器移植の商売をする、という発想は面白いので、設定などをもっとよく練れば,もっともっと面白い作品になったと思われ、残念です。まあ、これがマイケル・ベイの限界というところでしょうか。DreamWorksの作品ですが、スピルバーグが参加してないとこんなものか、と思いました。 ちなみに、最初2019年という字幕が出て、非常に洗練された未来都市のような、この施設しか出てこなかったので、「えっ、あと10年もたたずに、こんな世界???」と思いましたが、脱走後、今とあまり変わらない世界が出てきて安心しました。
2011.08.16
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「プライベート・ライアン」 Saving Private Ryan 1998年 アメリカ映画監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 トム・ハンクス マット・デイモン 今日は終戦の日、ぴったりの映画を紹介します。 スピルバーグ監督の、唯一の戦闘シーンたっぷりな戦争映画です。たったひとりの二等兵を8人で救出に向かう部隊の苦悩と戦闘を描いた作品です。 第二次世界大戦、ノルマンディー上陸作戦のオマハ・ビーチでの死闘を、多くの部下を亡くしながら生き残ったミラー大尉(トム・ハンクス)は、特別な任務を与えられます。 それは、ほぼ同時に3人の兄を亡くしたライアン二等兵(マット・デイモン)を発見し、帰還させることでした。ライアンは第101空挺師団パラシュート部隊に属しており、部隊は、降下目標地を大きくそれ、バラバラに降下していたため、ドイツ軍が点々といる中、探さなければならなかったのです。 ミラーは7人の部下を連れ、理不尽な任務に疑問を感じつつ出発しました。途中情報を集めながら、2名の仲間を亡くし、ある破壊された市街地にたどり着き、ライアンを発見しました。 発見した後もひと波乱あり、結果的には、悲しい展開になるのですが、語るのはやめておきましょう。 この映画、まず目につくのは戦闘シーンの悲惨さです。冒頭で30分近く続く、ノルマンディー上陸作戦で最も激戦地だったといわれるオマハビーチでの戦闘の描写はすごいです。 事前に予定していた空挺部隊の作戦がうまくいかず、海岸のトーチカの機関銃座が生きている中、さえぎるものが何もない海岸を上陸していく歩兵部隊、もちろん次から次へと倒れていきます。ヘルメットではじかれて助かったと思っているところを撃たれる兵士、落とされた自分の腕を探す兵士、腹から内臓を出し「ママーっ」と叫んでいる兵士、飛び散る血や肉片、非常にリアルで悲惨です。 劇中でミラー大尉が上官に聞かれます。「こっちの死傷者は。」「35人だ、負傷者はその倍。」ミラーは中隊長だったので、調べてみたら、だいたい一個中隊で百数十人、そのほとんどを戦闘不能にさせられた戦いだったわけです。実際、オマハビーチの作戦は失敗だったといわれているそうです。 後半の市街戦でも、爆弾で飛び散る兵士、火炎ビンを投げられ燃える車から火ダルマで出てくる兵士、60ミリ機関銃で撃たれ飛び散る兵士、もみ合いになりナイフでゆっくり刺される兵士など、思わず目を覆いたくなるような描写がたっぷりです。スピルバーグ監督は戦闘の悲惨さを表現するために、いろいろな技術を駆使し、わざわざ悲惨な映像を作ったということです。 そして、何より気になるのが、ひとりの二等兵を8人の兵士が命をかけて救出に行くという任務の理不尽さです。 戦死報告を作成するところで、たまたま発見された3枚の同じ家あての戦死報告から、上層部の話し合いにより、残った一人を守るという作戦が企画された感じで描かれています。この場面から、偶然なのか、期間が開いていたらどうしたんだ、全く別方面で(例えばアジア戦線)死んでいたらどうなんだ、とか思ってしまいましたが、調べてみると、実際、兄弟が戦死し、残った一人を除隊帰国させたり、後方に回したりということはあったみたいです。でも、この映画のように救援部隊を出すということはなかったみたいです。 出発した時から兵士たちは任務に疑問を持っているようです。「どういう計算だ?8人が命をかけて1人を助ける?」「息子を亡くしたお袋のためだ。」「おれにもお袋はいるぜ。」という会話をしています。また、仲間を一人失ったとき、思わず「ライアンめ」とつぶやいています。 ミラー大尉も実は心が揺れているようで、部下をひとり亡くした晩、「部下が死ぬと、それは10人の部下を救うためだったんだ、と割り切る。」「今度はひとりの兵士のために。」「その価値があるやつかな?難病の特効薬とか切れない電球を発明するやつ、カパーゾ(死んだ兵士)10人分に値するやつでなきゃ。」と会話しています。 2人目の犠牲者が出てしまった後、とうとうケンカになってしまい、一人が命令違反を承知で、帰ろうとし、もうひとりが拳銃を構えて止めるという騒動になってしまうのです。ミラー大尉が間に入り、何とか最悪の事態は免れましたが、それは任務に納得したのではなく、大尉の人望で収まったというのが正しいところでしょう。 人と人が殺しあう戦争、そんな非人道的な行為の極みの中に、人道的な行動を持ち込むことに無理があるのです。理不尽を感じて当然でしょう。 戦争の悲惨さ、理不尽さを表現するため、話が組み立てられ、よりリアルな映像が製作された映画だと思います。疑問や、嫌悪感を持って、観る映画だと思います。
2011.08.15
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「セブン」 SE7EN 1995年 アメリカ映画監督 デヴィッド・フィンチャー主演 ブラッド・ピット モーガン・フリーマン 前回に続いて、結末に落ち込む映画です。 ある荒廃した街に赴任してきた若い刑事ミルズ(ブラッド・ピット)と、その町を知り尽くすベテラン刑事サマセット(モーガン・フリーマン)が、キリスト教の「七つの大罪」になぞらえた連続猟奇殺人事件解決に挑む姿を描いたサスペンスミステリーです。実はもうひとり犯人役で、アカデミー賞受賞経験がある大物演技派俳優が出演していますが、わざとオープニングクレジットに名前を出してないくらい秘密にしていますので、ここでは触れないようにしておきましょう。 「七つの大罪」とは、「GLUTTONY(暴食)」「GREED(強欲)」「SLOTH(怠惰)」「LUST(肉欲)」「PRIDE(高慢)」「ENVY(嫉妬)」「WARTH(憤怒)」(映画登場順)のことで、ダンテの「神曲」では、これに合わせた煉獄が登場しわかりやすいです。また、キリスト教とは関係ないのですが、漫画「鋼の錬金術師」には、この七つの名前をつけられ、名前通りの性格の人造人間(劇中では「ホムンクルス」と呼ばれています。もちろん悪役です。)が登場し、意味がよくわかります。何しろ、グリトニーは見るからに大食漢の体型で、人間でもなんでも食べてしまいますし、グリードは強欲すぎて、全てを支配する力を欲しがり、自分のボスも裏切ってしまうほどです。 「GLUTTONY(暴食)」は、非常に太った男でした。イスに縛りつけられ、机上の食べ物に顔を沈めて死んでいました。口内には食物が詰まっており、胃が破裂するほど押し込められていました。非常に長時間にわたって食べさせ続けられたようです。冷蔵庫の裏に脂で書かれた「GLUTTONY」の文字がありました。 「GREED(強欲)」は悪徳弁護士でした。自分のオフィスで、ちょうど1ポンドの肉を切り取られて殺されていました。切り取られた肉ははかりに乗っていました。「ベニスの商人」ですね。床に被害者の血で「GREED」と書かれていました。 「SLOTH(怠惰)」は麻薬の売人でした。自室で発見された時、舌と左手を切り取られ、ベッドに縛り付けられていました。ガリガリにやせ、生気のない顔から死体と思われましたが、生きていました。室内にはだんだん衰弱していく様子を写した写真が1年前のものからありました。もちろん「SLOTH」の文字も書かれていました。 「LUST(肉欲)」は娼婦でした。SM系革製品の店で作らせた刃物のついた特別な道具を通りすがりの男に装着し、拳銃で脅して無理やり性交させ、陰部を貫かれて殺されました。ドアに「LUST」と書かれていました。 「PRIDE(高慢)」は美人モデルでした。「PRIDE」と書かれた壁の前のベッドで顔をひどく傷つけられて死んでいました。左手には睡眠薬、右手には電話を持たされていました。傷ついた顔で助けを呼ぶか、それとも死ぬか、自分で選ばされたようです。 ここまでで、犯人は自ら警察署に出頭してきます。でも、ちゃんとあとの2つ「ENVY(嫉妬)」と「WARTH(憤怒)」も達成するのですが、語るのはやめておきましょう。非常によくできた話で、結局は犯人の計画どおりにすべて進んでいき、七日間ですべて終了します。自首するのも計画のうちで、納得しますが、やるせない気持にもさせられます。 舞台設定も、暗い気持ちにするのに一役買っています。前半はずっと雨です。しとしと雨の降る中、2人の刑事の背景には、どこも薄汚れた感じの建物ばかりで、路地にはゴミがいっぱいあります。治安も良くない感じです。訪れる現場はどこも薄暗く、必ず懐中電灯の光で捜索させられます。ミルズの新しいアパートは、地下鉄を電車が通るとひどく揺れる部屋でした。 ミルズ刑事は、非常に直情的な性格で、考えるよりもまず行動するタイプです。犯人に対し、非常に怒っています。サマセット刑事は、定年退職まであと1週間で、沈着冷静で、粘っこく手がかりを探すタイプですが、この荒廃した街に対し、さめた気持ちを持っている感じです。ミルズの妻トレイシーは、引っ越してきた街の雰囲気に慣れることができず、サマセットに相談したりしています。 この2人の刑事をモデルに、「踊る大捜査線」の青島刑事と和久刑事のコンビが作られたそうです。そういえば、「踊る大捜査線ザ・ムービー」の、小泉今日子が湾岸署に乱入してくる場面は、この映画の犯人が自首してくるシーンにそっくりです。
2011.08.14
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「ダンサー・イン・ザ・ダーク」Dancer in the Dark 2000年 デンマーク映画監督 ラース・フォン・トリアー主演 ビョーク カンヌ映画祭でパルムドールと最優秀女優賞を受賞した名作ということで、一度見てみたいと思っていました。とことん暗い映画で、落ち込みました。主人公のセルマ(ビョーク)が、けなげでかわいいだけに、余計落ち込みました。どう暗いのか、ネタばれですが、あらすじを全部書きます。 セルマは、工場で働きながら、息子のジーンと暮らしています。大家の警察官ビルとリンダ夫妻、同僚のキャシーやジェフなどの優しさに囲まれて暮らしています。セルマには秘密があります。それは遺伝的な病気のため、間もなく失明するということ。ジーンも同じ病気になりつつあること。そして、息子は手術が受けられれば治るので、故郷のチェコから手術のできるアメリカへ移住し、内職もしながら、お金をためているということ。セルマはミュージカルが大好きで、キャシーと映画を見たり、小さなミュージカル劇団で歌ったりしています。そして、落ち込んだ時は、工場や電車のリズミカルな音に合わせ、歌ったり踊ったりという空想をし、心を落ち着かせているのです。 ある晩、深刻な顔でやってきたビルの実はお金に困っているという告白に、つい自分の秘密を話してしまいます。 夜勤を頑張ろうとして、キャシーに目のことを忠告され、気の沈んだセルマは、機械のリズムに合わせいつもの空想に浸ります。そのため、ミスして機械を壊してしまいます。家に帰ると、ビルが預かっていたジーンを連れてきてくれました。セルマの目が悪いことを知っているビルは、帰ったふりをして、お金を隠すところを見ていました。 セルマは工場長に呼ばれます。先日機械を壊したことから、クビを宣告されます。線路で空想しながら家に帰ると、大事にためていたお金がありません。ビルに談判に行くと、謝りながらもビルは拳銃を出してきました。もみ合っていると、拳銃が暴発し、ビルの足に当たってしまいます。するとビルは「いっそ殺してくれ、殺して持って行け。」と言います。涙ながらにセルマは何発もビルに打ち込み、お金を奪います。そして、空想しながら逃げていくと、ちょうど約束していたジェフの車がやってきました。 ジェフの車でやって来たのは病院です。ジーンの手術をお願いし、ビルから取りもどした全財産を支払います。帰りにミュージカルの練習に顔を出すと、やってきた警官に逮捕されてしまいます。 裁判では、やり手の検事に、犯行の残忍さや共産主義国からの移民であることを強調され、お金の使い道のウソを見抜かれ、言葉に詰まり、また空想に逃げてしまい、死刑判決を受けてしまいます。 キャシーとジェフはお金の使い道が、ジーンの手術代であることを突き止め、もっといい弁護士を雇って、再審請求を出すことを、セルマに提案します。しかし、やってきた弁護士が、ジーンの手術代で雇われることを知ったセルマは、断ってしまいます。それは、死刑判決を受け入れることを意味しています。 ついに死刑執行の日がやってきました。足がすくんで歩けないセルマに、既に仲良くなっていた女性看守は、足音でリズムを作ります。そうすれば、踊る空想をしながら歩いてくれると思ったからです。 死刑執行場でも抵抗するセルマに、見届け人席にいたキャシーはジーンのメガネを手渡します。ジーンが手術を受けたことを察したセルマは、落ち着いてゆっくり歌を歌い始めます。そして、死刑は執行されました。 どんどんつらい状況に陥っていくセルマ、そのたびごとに、歌い踊る空想をするセルマ、歌い踊るセルマの表情はとても楽しそうでかわいいのですが、歌詞を見てみるとちょっと切なくなってきます。工場をクビになり、ジェフに目が見えないことを見破られたセルマは「私はもう見たのよ、……必要なものも目にした、それでもう十分、これ以上は欲張りというもの、……何もかも見た今、もう見るものは何もない、……。」ビルを殺してしまった後は、「私はどうしたらいいの、何もかも悪い方に行く……時間を下さい、……許してださい。心から悔いています。」そのうえ、ジーンのコーラスで「母さんは仕方なくやっただけ。」と繰り返し入ります。と、こんな具合です。 最後、死刑執行のときには、空想ではなく、本当に歌います。「これは最後の歌ではないわ、これは最後から二番目の歌……」映画の最初の方で、「最後の歌は見たくないわ。グランドフィナーレが始まるとがっかり、……最後から二番目の曲が終わったら、映画館から出てしまうの、そしたら映画は永遠に続くでしょ。」と語っています。そして、歌い終わらないうちに、床が抜け、死刑執行されるのです。 いかん、書いているうちに、涙がにじんできました。終わります。
2011.08.13
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「デイ・アフター・トゥモロー」The Day After Tomorrow 2004年 アメリカ映画監督 ローランド・エメリッヒ出演 デニス・クエイド ジェイク・ギレンホール すいません、またエメリッヒ監督です。この人、CG満載SF系パニック映画が得意なものですから、よく見ているんですよね。またいつか「インデペンデンスデイ」も書きますのでよろしく。 この映画、不覚にも、DVDを買ってしまったのです。実は監督名を確認してなくて、地球温暖化の話だから、きっと現実的な映画だろうと思ってしまったのです。題名の意味も考えずに。でも、観てみてやっぱり最初の原因が現実的だからでしょうか、案外いいなあと思ってしまいました。決して、宇宙人や怪獣が襲ってきたり、わけのわからん予言通り唐突に世界的地殻変動が起こるわけではなく、地球温暖化が原因なのですから。 実は、地球温暖化によって、極地の氷が解け、海流が変わって、氷河期になるという異変、現実に起こりうることなのです。科学的に分析して、そう主張している学者がいるのです。確かに、ヨーロッパなどは、緯度的に温帯なのはおかしいのだけれど、大西洋に流れる暖流のおかげで暖かいのだ、というのを昔学生時代に習った覚えがあります。また、実はまだ氷河期のうちで、最後の氷期が1万年ほど前までだから、今は間氷期で、そろそろ氷期になる頃だという説も聞いたことがあります。 だから、現実的には、起こりうることだとしても、実際には兆候が現れてから何年もかかって徐々に氷が増えてというように、十分対応できるペースで変わっていくはずですが、それでは監督の好きなパニックにならないので、あっという間(地球的には2,3日でというのはあっという間です。)に、変化するという話にしてしまったのです。だから、題名になっているように、地球的規模の異変があっという間に起きてしまうというのがこの映画のみそなのです。 映画の中では、主人公の気象学者ジャック・ホール(デニス・クエイド)が、言い出してから、明後日(day after tomorrow)に、異変が始まるので、TVなどで世間に警告を与える間もなく、政府など関係機関を説得する間もなく、人々が避難する間もなく、家族が再会する間もなく、大騒ぎになってしまうわけです。そして、香港のような東京でこぶし大のヒョウが降り、ロサンゼルスが竜巻で壊滅し、イギリスでヘリコプターが墜落し、ニューヨークが大高潮(原因が地震ではないので津波ではない)で水浸しになり、超低温で超大型の低気圧が地球上に3つも現れ、北半球の大部分が氷で覆われ、勇敢に避難した人々が凍死し、図書館の本が燃やされたのです。しかし、これらの被害は頭の固い副大統領が、ジャックの言葉に耳を貸さなかったせいではありません。すべてが、まさに想定外だったからです。これは決してお役所のいいわけではありません。誰が明後日から氷河期になるなんて予想ができますか。専門家のジャックだって分かっていなかったのだから。 ということで、エメリッヒ監督好みの展開になるわけですが、意外と早くアメリカが氷におおわれてしまうので、後半は大異変が起こらず、静かに危機が起こります。超低温超大型低気圧の中、息子を助けに旅立つジャックと、図書館にこもって助かっていたのに、惚れた女の子の危機を救うために薬を探しに吹雪と狼の群れの中へ出ていく息子のサム(ジェイク・ギレンホール)の、超低気圧の超低温の目をギリギリ避けるという離れ業で、ドキドキさせられます。とにかくドキドキハラハラが作りたい監督です。 しかし、息子が心配でたまらないからといって、超低気圧の中、助けに行きますかね。いくら観測のため南極とか行っていて慣れているとはいえ、無謀もいいところですよね。しかも、これから政府の中枢で働かなければならない立場になることがわかりきっているのに。結果として、見事たどり着けていますが、仲間の一人が命を落としているじゃないですか。本人は覚悟の上のことですが、サムがそのことを知ったら、どう思うでしょう。父親の助手だから、顔見知りだと思われ、その人が、自分を助けるために命を落としているという事実、高校生には荷が重い事実ではないでしょうか。もう少し冷静に行動してほしいものです。 それから、気になるのは、世界のほかの場所がどうなっているかということです。異変が起こり始めて最初の方で、東京とイギリスはちらっと出てきますが、後半はニューヨークとその近辺(ジャックのいるところのこと、何度見てもジャックがどこから息子を助けに行くのかがわかりません。足かけ2日で歩いてニューヨークに行けるところですから、あまり遠くのわけがないんですが。)と、アメリカの臨時政府が置かれているメキシコと思われるところしか出てこないのでわからないのです。確か、超大型低気圧は、3つ発生していて、アメリカとアジアとヨーロッパ方面でしたが、あとの2つの被害はどうなっているのでしょうか、日本人としては、アジア方面が気になるところですが。それから、寒くなってない南の方の国の状況も気になるところです。実際、昔の氷期の時も、赤道に近い方は凍ってなかったわけですし、東南アジアや中近東や、アフリカやアマゾンはどうなっているのでしょうか。(意外と、全く異変に気付いてなくて、日々の生活を送っていたりして)世界的な配給を考えているなら少しは描写しておかなくては、と思うのは僕だけでしょうか。 もう一つ、細かいことですが、狼たちはどこから来たのでしょうか、アメリカって、ニューヨークという大都会のすぐ近くに狼の生息地があるのでしょうか。ニューヨークが氷に覆われてから、何日もたってないはずですし、船の中に始めからいたわけないですし、どう考えてもわかりません。もしかして、セントラルパークに住んでたりして。 しかし、アメリカのパニック・SF映画って、自由の女神好きですよね。ニューヨークが被害にあうと必ず、自由の女神が象徴的に壊されてます。この映画でも、凍った海の中で、寒そうに凍っている自由の女神が見られます。
2011.08.12
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「アポロ13」 Apollo13 1995年 アメリカ映画監督 ロン・ハワード出演 トム・ハンクス ケヴィン・ベーコン ビル・パクストン ゲイリー・シニーズ エド・ハリス キャスリーン・クインラン 「輝かしい失敗(successful failure)」と呼ばれている、アメリカNASAのアポロ計画で、唯一事故にあったアポロ13号の実話を映画化した感動作です。前回の記事「20世紀少年」を書いていたら、この映画をケーブルテレビから録画していたことを思い出し、改めて観て、この記事を書いています。 ジム・ラヴェル(トム・ハンクス)、ケン・マッティングリー(ゲイリー・シニーズ)、フレッド・ヘイズ(ビル・パクストン)の宇宙飛行士3人は、アポロ14号のクルーとなることが決まっていましたが、13号のクルーのひとりに体調の不良が見つかり、13号に乗ることになりました。訓練や取材などで忙しい中、打ち上げの2日前、ケンが風疹の保菌者であることが分かり、ジャック・スワイガート(ケヴィン・ベーコン)が、初めて宇宙に行くことになります。 13号の打ち上げは予定通り行われ、順調でしたが、月まであと少しの所まで来た3日目、酸素タンクが爆発するのです。月着陸は断念し、主任管制官ジーン・クランツ(エド・ハリス)を中心に、3人の宇宙飛行士を地球へ帰すことに全力を注ぐことになります。 帰還のための電力温存、二酸化炭素の増加、手動による軌道修正、少ない電力の中での司令船の再起動、機体破損の不安の中の大気圏再突入、などの危機を、宇宙飛行士と地上スタッフのすべてが見事な働きで乗り越え、無事、奇跡の生還を果たすのです。 元は実話なので、結果は分かっています。しかし、何度見ても、感動して涙が出てきます。いったいこの映画の何がそうさせるのか、僕なりに分析してみました。 ひとつめに、徹底したリアルな映像でしょう。打ち上げやロケット切り離し、月着陸船と司令船のドッキングなど、宇宙船の外観はすべてCGだそうですが、非常にリアルにできています。どのくらいリアルかというと、その映像を見たラヴェル船長本人やNASAの職員が「よくこんな映像が残っていたなあ」と言ったぐらいです。とりわけ、打ち上げ時のロケットから落ちる氷片など見事に再現されています。 また、宇宙船内の映像もとてもリアルで、本当に宇宙にいるように見えます。ラジオや宇宙食が、本当に宙に浮いているのです。実は、宇宙で撮影しているわけではなく、飛行機の急降下によってできる無重力の中で撮影しているんだそうです。しかも、一回に25秒しか無重力にならないので、なんと約600回も飛んだそうです。 2つめに、脚本の良さと、俳優陣の名演技でしょう。主演のトム・ハンクスの演技力は、もう有名ですが、直前に下ろされ、くさっていたのに、危機に際しシミュレーターで奮闘するケン役のゲイリー・シニーズと、直前に乗ることになり打ち解けることなく乗り込み、事故の原因となる酸素タンクの攪拌スイッチを押したジャック役のケヴィン・ベーコン、それから、宇宙船内で体調を崩し、ついジャックを攻めてしまうフレッド役のビル・パクストンの3人もいい味を出しています。 そして、主任管制官ジーン・クランツ役のエド・ハリスと、ジムの妻マリリン役のキャスリーン・クインランの2人は最高です。(2人はアカデミー助演賞にノミネートされています。) ジーンは、地上スタッフのトップで、危機脱出の指揮をとるわけですが、常に冷静で、貫禄があり、てきぱきと指示していて、かっこいいです。打ち上げ準備完了時、みんなが拍手をすると「拍手は着水まで待て。」。月着陸船の推進力を地球に向かうために使うことに反論され、「設計の目的より、何に役立つかだ。」。部品会社の担当者・設計者などをすべて集めるよう指示し、「おれの担当で飛行士は殺さないぞ。」。NASAの最大の危機だというスタッフに対し、「言葉を返すようだが、栄光の時だよ。」。しかし、会議の初めにOHPを使おうとしてライトがうまく付かないと、無言ではねのけるなど、冷静に見えて、実は一番イライラしているのではと思わせます。エド・ハリスは、「トゥルーマン・ショー」や「ビューティフル・マインド」などでもいい味を出している名脇役です。「アビス」では主役もいいなあと思わせてくれました。 マリリンは、終始、夫を心配しています。最初、打ち上げを見に行かないと、夫に打ち明けます。宇宙に行くのは4回目になるベテラン宇宙飛行士の妻ですが、打ち上げ時の不安は非常に大きいようです。(結局は見に行きますが)また、打ち上げ当日、シャワーを浴びていて誤って結婚指輪を流してしまいあわてる場面は、非常にリアルです。事故の後も、自分も不安なのに冷静に息子に説明していたり、宇宙船からの通信をうるんだ目で聞いていたり、月の裏側で通信が聞こえないときはひとりで泣いていたり、自宅に押しかけてきた報道陣を涙目ながら気丈に追い返したり、以前の夫の映像がTVで流れていたら思わず見入ってしまったり、NASAの管制室と宇宙船の映像の間に短い時間だが挿入される映像で、心配でたまらない妻の様子を見事に表現しています。 3つめに、スタッフのチームワークの良さですね。事故直後、ジムが宇宙船の体勢を立て直す計算をし、検算を求めると、即座にいくつも答えが返ってきます。二酸化炭素の増加が問題になった時は、宇宙船内にある材料を使い、即席のフィルターをすぐに作成しました。また、限られた電力で、司令船を再起動させるために、シミュレーターを使って何回も試行し方法を見つけ出したりします。こういうことがあるから、最後に無事生還した時の喜びを共感できるのではないでしょうか。 今回の記事を書くために、この映画のこの映画の感想をつづったページを見てみましたが、緊迫感が今一つという意見があったのは残念でした。このアポロ13号のクルーが無事生還できたのは、奇跡に近い出来事です。この中で起こっている危機が、すべて生命の危機につながっていることが分からないのでしょうか。なぜ、司令船の機能を止め着陸船に移ったのか、手動で軌道修正するということがどんなに危険か、二酸化炭素が増えると何がいけないのか、少ない電力で司令船を再起動させることがなぜ難しいのか、大気圏突入の角度が違っているとどうなるのか、大気圏突入時に機体の破損があるとどうなるのか、こういった科学的知識が欠如していると、わからないかもしれません。(あっ、だからアカデミー作品賞が取れなかったんだ。) しかし、アメリカ人は飽きるのが早いですね。例の歴史的11号の月面到着が1969年の7月20日、13号の打ち上げが1970年4月11日、1年も経ってないのに、TV放映はなかったようです。そういうこともあって、事故後やってきた報道陣に余計に腹が立っていたのですね、マリリンは。 ちなみに、アポロ“13”号は、“13”時“13”分に打ち上げられ、事故が起きた日は、4月“13”日だそうです。そういえばマリリンにジムが13号に乗ることを報告した時、「なぜ“13”なの?」「12の次だからさ」という会話がありました。 余談ですが、「20世紀少年」でどうして、この映画を思い出すかというと、11号の月面中継をドンキーがケンヂの家で夢中になって見ていたからです。そして、“ともだち”がコリンズの無念を盛んに気にしていたからです。当時の小学生にとってアポロというのは大阪万博と並んで、大大大事件だったからですね。
2011.08.11
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「20世紀少年」 日本映画第1章終わりの始まり2008年 第2章最後の希望・最終章ぼくらの旗2009年監督 堤幸彦出演 唐沢寿明 豊川悦司 常盤貴子 平愛梨 香川照之 石塚英彦 佐々木蔵之介 皆さんご存知、浦沢直樹の本格科学冒険漫画「20世紀少年」及び「21世紀少年」の実写映画化作品です。ぼくも思いっきりはまった作品なので、映画化は非常に楽しみでした。結論から言いますと、残念の一言です。 それは、原作を描き切れていないということです。そもそも原作は、単行本にして22+2巻あります。それを3本の映画、合計時間約7時間で納めるというところに無理があるのです。しかも、大ゴマの連続で単行本1冊を5分ぐらいで読めてしまうような、どこかの死神の漫画(でも好きです)とは違い、内容がしっかり詰まっていて、1巻読むのにたっぷり30分から1時間くらいかかるものなのです。 確かに、話は3つに分けることが可能です、ひとつめは、2000年「血の大みそか」まで、ふたつめは2015年の西暦の終わりまで、そして、ともだち歴3年(2017年)です。そこから3部作という計画が生まれたのだと思いますが、はっきりいって、無理ありすぎです。2本目なんて、単行本にして、10巻分ぐらいありますから。 案の定、第1章、第2章は切りまくりで、内容的には半分以下になっています。そのため、最終章の話を変えなければならなかったほどです。 第1章では、まず、ケロヨンの結婚式と関連する思い出の忍者部隊ごっこ、ロックに夢中になっているケンヂ(中学、大学)、ドンキーとの思い出のジャリ穴のこと、田村マサオ(13番)の描写と草野球、ともだちコンサートに出ていて大阪でウィルスをまく漫才コンビ、万丈目と市原弁護士の絡み、同窓会でのスプーン曲げの思い出とフクベエの家でのケンちゃんライス、オッチョのタイでのことのほぼ全部、敷島教授と万丈目たちのロボット会議、洞穴の思い出とカラのロボット格納庫で見つけた“ともだち”のメッセージ(実は、あの有名なセリフ「ケ~ンジくん、あーそーびーまーしょ」はここにある。)、などの場面が省かれています。敷島リカの彼氏(実は彼は、“ともだち”一派の最も初期から参加しており、キリコの彼を殺し、敷島リカをたぶらかすという重要な仕事をし、物語の最後まで出ていながら、名前が出ていないのです。)に至っては、存在そのものを消されています。彼のやったことはすべて、万丈目がやったことになっています。 そして、クライマックスの「血の大みそか」(2000年の大みそか、つまり20世紀最後の日)のたたかいにおいては、友民党内部の描写(人が死んでいく映像を見て笑っている人たち)と、フクベエと仮面の男とのやり取りなどが省略され、戦い全体が非常に簡略化されています。 第1章は単行本にして6巻分くらいなので、カット分も少なく(でも、書き挙げてみたら、意外とたくさんあってびっくり)、物語の大筋は変えることなくすんでいるのですが、第2章はかなり大幅に切られ、物語が変わっています。 まず、ともだちランドの描写が、極端に少なくなって、カンナと小泉が同時に入ることになっています。原作では、まず小泉だけが行き、カンナは後から過去のことを探るために、ヨシツネと一緒にバーチャルアトラクションに入るのです。また、万丈目や“ともだち”本人も入っています。そのため、過去の描写が極端に少なくなっています。 また、カンナとマフィアたちの絡みが、少なくなっており、カジノの場面に至っては全面削除です。そのため、赤ん坊のカンナがお菓子の入っている手を当てる場面(第1章)と、スプーンを簡単に曲げる描写、つまり、超能力を発揮する場面が、まったく無駄になっています。これは、第1章でスプーン曲げの思い出をカットしたため、“ともだち”が超能力者ではなくなってしまったことも関係あるでしょう。 サダキヨの出番も少なくなっていて、特に、彼が恩師に会いに行き、貴重な素顔の写真をもらう場面は全面カットです。そのため、どうしてバーチャルアトラクションの中でサダキヨの顔だけ大人なのか、どうして彼が“ともだち”を裏切るのかよくわかりません。(最終章公開前の第2章のTV放映では、その上にサダキヨの出演場面がすべてカットされていました。ユースケさん怒ったでしょうね。ひどいもんです。) 春波夫さんの過去の描写はすべてなくなり、どうしてマルオがマネージャーをやっていて、“ともだち”お抱えの国民的演歌歌手の彼がケンヂたちの味方なのかわかりません。 法王がらみのエピソードもすべてカットです。(法王は“ともだち”と会談をしたというTV報道が出るだけ)これでは、仁谷神父がどうしてケンヂたちの味方なのか分からず、ただたんにカンナとマフィアたちの行きつけの教会の神父に成り下がっています。 そして、何といっても、“ともだち”が死んだ時(死に方も変わっていますが)と前後して、みんなが“ともだち”の正体にいろいろな方向から気づくところが全くなくなり、その正体がわからないまま、すぐに万博開会式での復活になり、そのまま、終わってしまうのです。 もちろん、他にもカットされている場面は膨大にあり、書き挙げていると大変なので、重要と思われるところだけ書かせていただきました。 最終章は、第2章で“ともだち”の正体が明らかにならなかったため、原作で第2の“ともだち”となる人物が真の“ともだち”となり、大阪万博関連の描写、「1970年のウソ」が、大変縮小され、“ともだち”がなぜ新しい万博に固執するのかわからなくなりましたが、おかげで、内容は大変減りました。 また、ともだち歴となった、日本の人々の悲惨な生活の描写が、ほとんどなくなり、最後の戦いと音楽祭の様子だけが印象に残り、内容がほとんどないものになっています。(それでも上映時間は一番長く2時間半あります。) 最後に「21世紀少年」の部分のケンヂが最後の後始末に行く場面はありましたが、カンナがお母さんに会う場面がなくて、かわいそうでした。 意外なことに、一番カットが多い第2章のみ、原作者の浦沢直樹が脚本を書いています。思うに、第2章は一番たくさんカットしなければならないので、ほかの人ではどう切ったらいいか分からず、原作者に依頼したのではないでしょうか。そして、第1章でフクベエに関する場面が切られていることもあり、大幅カットのついでに、原作者の権限で、話を変えてしまったのでは、と僕は勝手に推測します。 漫画の映画化というのは、ほんとに難しいですね。1本の映画にうまくまとめられるのは、せいぜい、単行本3巻くらいでしょうか。でも、映画化の企画が持ち上がるほどの人気作はたいてい何十巻もあるものですが。 ところで、この映画、キャスティングは見事でした。豪華キャストで、イメージぴったりの皆さんを配置しています。とりわけケンヂの仲間たちはアラフォーで、ぴったりの人を見事に配置しています。ただ、2017年は彼らは57歳のはずで、少し無理がある人がいますね。特に僕がぴったりと思ったのは、小泉役の小南晴夏さんと高須役の小池栄子さんと、仁谷神父役の六平直政さんです。 しかし、カメオ出演でしょうか、名の知れた人がチョイ役でたくさん出ているのは参りました。藤井フミヤさんとか、徳光和夫さんとか、タカトシとか、オリエンタルラジオとか、竹中直人さんとか、高嶋政伸さんとか、ロンブー淳さんとか。意味ないじゃんと思いました。
2011.08.10
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「どろろ」 2007年 日本映画監督 塩田明彦出演 妻夫木聡 柴崎コウ 瑛太 中井貴一 手塚治虫原作の同名漫画の実写映画化です。原作通りではありません。でも、ひとつのエンターテイメントとして、なかなか楽しめる作品になっています。これはこれでアリかなと思ってしまいました。 「どろろ」は、先述の「デビルマン」同様、映画ファンで漫画ファンの僕としては、いつか実写映画が見たいと思っていた作品のひとつです。しかし、原作通りはまったく望んでいませんでした。というのも、「どろろ」の原作というのが、失敗作だからです。 漫画「どろろ」は、1967年に「少年サンデー」で、連載が始まり、暗い陰湿な内容から不人気で、翌年打ち切られています。しかし、なぜかTVアニメ化が決まり、1969年「冒険王」で連載が再開されました。でも、結局は最後まで描ききれず、中途半端で連載終了しているのです。 室町時代の武士醍醐景光は、ある寺で48体の魔像に天下取りを祈願し、生まれてくるわが子の体をささげることを誓います。やがて生まれてきた子どもは、体の48か所が欠損しているこけしのような姿で、川に流されてしまいます。その子が成長したのが、主人公の百鬼丸(どろろではない)です。百鬼丸は、自分の体を取り戻すために戦います。魔物を一体倒すたびに、体の1か所がもどるのです。 はじめのうちは、苦労して魔物を倒していく様子が、一体ずつ描かれていきます。そして、体の一部が戻るたびに、「見える!見えるぞ!!」(目が片方戻った時のことです。)というように、喜んでいる描写もあります。 しかし、だんだんはしょってきて、30体の魔物がいっぺんに襲ってくるというような無茶な話になってきます。明らかに打ち切りが決まったので急いでいるという様子なのです。しかも、30体全部は倒せなくて、戦いはまだまだ続くという感じで終わるのです。 漫画の神様手塚治虫の作品だからといって、そのすべてが名作とは限りません。明らかな失敗作もあるのです。「ブルンガ一世」なんかひどいものです。 しかし、この「どろろ」の、自分の体を取り戻すために魔物と戦い続ける孤高の主人公、という設定は素晴らしいと思います。時代が早すぎただけです。今、青年誌や恐怖マンガ専門誌などに連載すれば、大人気になるはずです。そうすれば、わざわざ子ども向けに子どもの主人公(どろろのことです)を出さなくても、おどろおどろしい雰囲気のいい作品になったはずです。そう考えると口惜しくて、コール少年に一肌脱いでほしいほどです。 だから、「どろろ」の実写映画をつくるなら、長いシリーズになることを覚悟して、本来のストーリーを最後まできちんと作って、百鬼丸の願いを成就させ、五体満足の体に戻してあげてほしいと思っていたのです。でも、そうすると、一本の映画で4.5体の魔物を倒すとしても、10本くらいのシリーズになって、「ハリー・ポッター」(8本)よりも長くなってしまいます。それだけの覚悟と度胸と技術が、日本の映画界にあるわけないので、残念ながら実現不可能と思っています。(ワンパターン映画のシリーズを48本もつくる度胸はありますけどね。) ということで、僕の夢の実現には全くなっていませんが、原案だけ借りた全く別の楽しめる映画という意味で、今回の映画「どろろ」はなかなか良かったと思います。 しかし、最近手塚漫画の映画化が続きますね。「MW」といい、「ブッダ」といい、「ATOM」といい。そういえば、手塚先生だけでなく「カムイ外伝」や、あのくそ「デビルマン」や、「ゲゲゲの鬼太郎」なんかもあったね。ドラマでも「怪物クン」とか。 僕としては、手塚先生の「陽だまりの樹」を大河ドラマの原作にしてくれないかなと思っています。去年、大河は「龍馬伝」(オリジナル脚本)でしたが、3年ぐらい前、大河で「竜馬」をやると聞いて、「おーい!竜馬」が原作かなと淡い期待を持ってしまいました。(司馬遼太郎の「龍馬がゆく」はすでにずいぶん前に原作になっているので。)
2011.08.08
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「紀元前1万年」 10000B.C. 2008年 アメリカ映画監督 ローランド・エメリッヒ さっき、TVでやってました。公開時CMとかを見て、観たいと思い、映画館へは行けなかったので、後日レンタルで観て、なんじゃこりゃ、と思ったのを思い出したので書いています。 紀元前1万年、今から1万2千年前、最後の氷河期が終わりつつあり、マンモスやサーベルタイガーが絶滅しつつあり、人類は旧石器時代から新石器時代に移りつつあり、北アメリカから南アメリカに進出しつつある時代です。もちろんその生活は狩猟が中心であり、農耕や文明国家はまだまだ先、という時代のはずです。 だから、もちろん僕はマンモスやサーベルタイガーを狩る人々の生活や、それらの動物の生態などを、ドキュメント的に再現している映画だと思ったわけです。理系で動物大好きな僕としては、これは観なくてはと思ったのです。監督があの「インデペンデンス・デイ」や「GODZILLA」や「デイ・アフター・トゥモロー」のローランド・エメリッヒだとは知らずに。 時代考証、(科学考証?)が、めちゃくちゃなんです。 まずは、僕が一番期待していた動物です。出てきたのは3種類だけ。まずマンモスとサーベルタイガー、これは期待通りです。氷河期といえばこの2大スターを忘れてはいけません。でも、マンモスはこれでもかと出てくるのですが、サーベルタイガーはほんのちょっとだけ、しかもあのかっこいい全身が映ることなく。そして、もう1種類は、ディアトリマと思われる恐鳥類。確かに、恐竜の絶滅後、いなくなった肉食恐竜の代わりに、肉食の大型走行性鳥類(恐鳥類)が生態系のトップにいた時代がありました。でもそれは大型食肉目(イヌ・ネコの仲間)が出てくるまでのこと。40万年前を最後に絶滅しているはずです。そのあと大型走行性鳥類として進化してきたダチョウの仲間は草食のはずで、臆病な種類だから人を襲うことはないはずです。オオツノジカや、オオナマケモノや、オオアルマジロはどこへ行ってしまったのでしょうか。 次に、主人公たちが長い旅の末たどり着いた、砂漠でピラミッドを作っている文明国家は何でしょう。だいたい冒頭から、馬に乗って現れたところからおかしいと思ったんだよね。文明国家を作ったり、家畜を飼ったりということは、定住生活で農耕していることが前提条件です。この時代、まだ石器時代で、狩猟生活のはずです。狩猟生活では、定住すると周りに狩る動物がいなくなったりするので、移住を余儀なくされるわけで、国家が形成されるほど大きな集落にはならないはずです。しかも、文明国家の連中は、金属で作った剣を持ち、ツルや植物繊維ではなく、糸らしきものをよったロープを使っていました。文明国家の形成は一番早い説でも中国で紀元前7000年頃です。ピラミッドを作ったエジプト文明は紀元前3000年ころ始まったというのが定説です。(つまり、劇中の時代より、現代の方がエジプト文明に近いということです。)彼らは、雪の残る土地からジャングルや湿地帯を通り砂漠まで旅する間に、7000年ほどタイムスリップしたのでしょうか。劇中で、「彼らは海を渡ってやって来たらしいぞ。」というせりふがありますが、もしかして、ムーやアトランティスってこと?そこまで奇想天外な話なの? 後、細かいことですが、謎の文明国家ではなく、狩猟民族の部族の中に布でできた服を着ている人がいるんだけど、どういうことでしょう。それも、植物繊維を細かく裂いて編んだゴワゴワしたものではなく、明らかに綿や絹など細い糸を編んだらしきサラサラの布の服を。布の起源について調べてみたら、紀元前2200年ごろの中国だということがわかりました。こんな、素人がネットでちょっと検索してわかるようなことが、わからないのでしょうか。 結論、この映画は歴史物語ではなくて、架空の世界を描いた空想物語だったんですね。 (サイエンスフィクションではないので、SFでもありません。) つまり、間違っているのはたったひとつ、題名だけということです。ごめんなさい、突っ込みどころを間違えました。
2011.08.07
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「シックス・センス」 The Sixth Sense 1999年 アメリカ映画監督 M・ナイト・シャマラン出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント ブルース・ウイルス この映画好きです。レンタルで最初見て、よかったので、DVDを買って、その後3回くらい見ています。映画大好きな僕ですが、実は、唯一ダメなジャンルがあります。それはホラーです。おじさんですが、極度の怖がりでして、ゾンビや幽霊や血がドバーっというのが苦手です。この映画は公開当時話題になっていて、ヒットしていましたし、行きつけのビデオ屋では、ホラーのコーナーではなくて、サスペンスのコーナーに置いてあったので、幽霊が出てくるのは承知で、借りてみたわけです。そしてはまったということです。 今回、この映画について書こうと思ったのは、ネットのいろいろなページを見ていて、この映画の批評に、「オチが途中で分かってつまらん。」とか「オチだけの映画」とか書いている人がいて、カチンときたからです。 死んだ人の霊が見えるコール少年(ハーレイ・ジョエル・オスメント)が、児童心理学者マルコム(ブルース・ウイルス)とのカウンセリングにより、前向きになることとができ、救われるという感動ドラマです。 コール少年のもとには次々と死者の霊がやってきます。霊は一見普通に見えますが、死んだときのケガがそのままで、死を自覚しておらず、家の中のものを動かしたりします。また、いたずらにコールを傷つけたりすることもあります。彼はそんな霊が恐ろしく、家の中にキリスト像に囲まれた逃げ場スペースを作ったり、教会に逃げ込んだりします。その状況を母親に言うことができず、関係がギクシャクしています。 そんなコールですが、マルコムと話していくうちに、霊が何か言いたげなことに気付き、話を聞いてみようと思うようになります。 ある少女の霊は、とても強い霊らしく、コールの逃げ場スペースまで入り込んできます。彼はその話を聞き、あるビデオの存在を知らされます。コールはマルコムとその少女の家に行き、父親にビデオの存在を知らせます。そのビデオには母親が、病床の娘の食事に床洗剤を入れるところが映っていました。母親は、「代理によるミュンヒハウゼン症候群」でした。身近な人をわざと病気にし、その看病をすることによって、他の人にほめられることで喜びを感じるという精神疾患の一種です。それを父親に知らせることにより、第二の被害者である少女の妹も救われ、少女の霊は成仏できました。 コールのもとに来る霊たちは、この世に未練があり、成仏できないでいるのです。それを、霊が見えるコールに何とかしてほしくて集まってくるのでした。(どこかの死神代行と同じですね。)それがわかったコールは、自分の役割が分かり、前向きに対処できるようになったのです。 自分に自信が持てるようになったコールは、自分の能力のことを母親に打ち明け、おばあちゃんの伝言を母親に言うことができ、母親との仲を修復することができました。自分の娘と誤解のあるまま亡くなってしまったおばあちゃんも成仏できたでしょう。 また、かつてコールと同じ状況だったのに理解できなくて救うことができなかった少年ヴィンセントのことを理解することができ、奥さんと話ができないでいた原因もわかり、マルコムも救われるのでした。 この映画には重要な秘密があります。それを監督はじめ製作側はバラしてほしくないようですので、わからないようにあらすじを書いてみました。後、学校でのこととか、友達のパーティのこととかありますが、省略しました。 この映画はホラーではありません。Wikipediaにはホラー映画と書いてありますが、僕は違うと思います。ホラー映画はゾンビや幽霊や怪物や殺人鬼などが、観ている人を怖がらせるために出てきて、観客も怖がるために見るものです。この映画は、家族愛や夫婦愛がテーマの感動ドラマだと思います。幽霊が見える少年が、そのためにギクシャクしていた母親との関係を自らの手で修復する感動ドラマなのです。少年の成長を描いたドラマです。 今回この記事を書くために、改めて見返してみましたが、どこで出てくるかわかっているので全く怖くありませんでした。でも、コールが母親に告白する場面では不覚にも泣いてしまいました。 1回目に観たときには、最後の例の秘密(オチ)が明らかになるときに、確かに驚きましたが、そのオチが分かっていても感動できる映画です。決して「オチだけの映画」ではありません。シャマラン監督のほかの映画には、確かに「オチだけ」のものがありますが、この映画は感動できるいい映画です。シャマラン映画で唯一、アカデミー作品賞にノミネートされていることが、それを証明しています。(まあ、アカデミー賞が絶対ではないことはわかっていますが。) あんまり自分に見る目がないということを吐露するような意見は、書かない方がいいですよ。
2011.08.07
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「タクシードライバー」 Taxi Driver 1976年 アメリカ映画監督 マーチン・スコセッシ出演 ロバート・デ・ニーロ ジョディ・フォスター スコセッシ、デ・ニーロの名コンビの、最初期の出世作です。ほんと名コンビですよね、これほどの名コンビは、あとティム・バートンとジョニー・デップくらいしか知りません。でも最近、スコセッシはレオナルド・ディカプリオがお気に入りのようですが。 今回は、言いたいことを述べるために、ネタばれ承知で全編のあらすじを書かせていただきます。これから観たい方は、読まないでください。 ベトナム帰りの元海兵隊員トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は、極度の不眠症のため、タクシードライバーの仕事に就きます。ニューヨークの夜の街をイエローキャブで流すのです。 トラヴィスは、次期大統領候補パランタインの事務所の職員で、上品で知的な美人ベツィを、デートに誘います。行った先はポルノ映画館、ベツィは怒って帰ってしまいます。 ある夜、トラヴィスは偶然パランタインを乗せます。大統領候補に「今アメリカの問題点は?」と聞かれたトラヴィスは、「このゴミためのような街をきれいにしてほしいですね。大統領なら水洗便所を流すようにきれいにできるはずです。」と答えます。 また、ある夜、女の子(ジョディ・フォスター)がタクシーに乗り込んできて叫びます。「早く出して!」トラヴィスが戸惑っていると、男が連れ去ってしまいました。 ある中年の男の客(なんとスコセッシ監督本人)は、到着地でメーターを止めさせず、車から降りずに語ります。「2階の窓に女の影が見えるだろ、おれの家内さ。あれは他人の家だ。家内は殺す。44口径のマグナム拳銃で殺す。粉々に吹っ飛び何も残らん。」 トラヴィスは先輩の男に語ります。「落ち込んでる。ここから飛び出して、何かをやってやる。何かをやりたいんだ。」先輩は答えます。「どうせ俺たちは負け犬さ、俺たち運転手に何ができる。あまり気にするな、それが第一さ。」 それからトラヴィスはヤミで拳銃を4丁買い、射撃練習をし、体を鍛え、引き出しのレールを使って銃が手元に飛び出す装置を作り、そして「You talkin’ to me?(誰に言っているんだ?)」とつぶやきながら、銃を構える練習を繰り返します。 コンビニでトラヴィスが買い物をしていると、銃を持った強盗が現れます。トラヴィスは持っていた銃で強盗を射殺します。店員はトラヴィスを逃がし、「今月はこれで5回目だ。」と言いながら、死体を殴るのです。それからのトラヴィスは銃を持ったままTVを見るようになります。 ある日、トラヴィスは街でいつかの少女を見かけ声をかけます。ひものマシューズの許しをもらい、少女アイリスとホテルの部屋へ行きますが、12歳と聞いて、抱こうとせず、助けたいと説得します。説得に応じないアイリスと翌日食事の約束をし、帰ります。しかし、翌日も説得できませんでした。 パランタインの演説会が街角で行われます。トラヴィスは体中に拳銃とナイフを仕込み、頭をモヒカンにして現れますが、SPに察知され、逃げるしかありませんでした。 その夜、トラヴィスは、アイリスのいる売春宿を襲います。マシューズや元締めたちを殺し、自分も重症です。泣いているアイリスの横で、自殺しようとしますが、弾切れでした。警官が踏み込んできますが、抵抗することはできませんでした。 次の場面、家出少女の帰還に感謝する両親の手紙が声で流れる中、トラヴィスの写真入りの新聞の切り抜きが壁に貼ってあるのが映ります。そして、トラヴィスのタクシーのお客はベツィです。「新聞見たわ」というベツィの眼には、尊敬のまなざしがうかんでいますが、トラヴィスは料金を受け取らずに別れます。 少女は無事両親のもとへ帰り、トラヴィスは、重症だったが命は助かり、アイリスの両親に感謝され、英雄的に報道されたおかげなのか、3人も殺害しているのにもかかわらず、罪に問われず職場復帰し、思いを寄せていたベツィからも見直されます。このハッピーエンド、違和感ありありです。全編にわたって流れる暗い雰囲気からすると、売春宿の血まみれの現場で、ぷつっと終わって、トラヴィスは死んだのかな、最後まで報われなかったな、ベトナム帰還兵は、やっぱりまともには生きていけないんだな、という方が合っていると思うんですが。 でも、忘れてはいけません、最後にベツィを降ろした後、バックミラーに映るトラヴィスの目の怪しい光を。トラヴィスはアイリスを解放しただけで、悪人を3人やっつけただけで、英雄的に報道されただけで、満足はしていないでしょう。トラヴィスの希望は、都会の闇にうごめく汚いゴミを一掃することでした。売春婦や殺人者や強盗やジャンキーやヤクの売人やチンピラや浮浪者や家出人やホームレスなどを、すべて憎んでいるのです。それを、自分が何かやることで、改善したいのです。最後の眼の光は、まだ何かやるぞという意味なのではないでしょうか。もちろんそれは、大統領候補を襲おうとしたように、たいへん不器用なやり方だと思われますが。やっぱりまともではないですからね。今回の事件で罪に問われなかったことから、上手くやれば捕まらないんだと思ってしまったかもしれません。実は、本当の地獄はこれから始まるのではないでしょうか。 ところで、このエンディングの違和感、公開当時から話題だったみたいで、別の説があるそうです。それは、この最後の場面はトラヴィスの妄想だという説です。つまり、やはりトラヴィスはここで死んでおり、死ぬまでの数分間の間に見た、頭の中の風景だというのです。なるほど、それは理にかなっている。確かに最初観たとき、トラヴィスは首に銃弾を受けて、すごい出血して、死んだなと思いました。しかも、トラヴィスにとって都合のいいことばかりなのです。その説もいいなあ、と思ってしまいました。 この映画は、カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)をはじめ、数々の賞を受賞していますが、米アカデミー賞では、作品・主演男優(もちろんデ・ニーロ)・助演女優(もちろんジョディ)・作曲の4部門でノミネートされていますが、すべて選ばれませんでした。いわゆる「スコセッシの呪い」の始まりです。ジョディ・フォスターはこのとき作中とほぼ同じ13歳でした。後に主演女優賞を2回ももらっています。さすがです。
2011.08.06
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「縞模様のパジャマの少年」The Boy in the Striped Pyjamas 2008年 アメリカ・イギリス映画監督 マーク・ハーマン ついさっき見ました。レンタルビデオ屋で、前からちょっと気になっていたので、借りてきたのです。ショックが大きかったので、書いています。 8歳のブルーノは、軍人である父親の仕事の都合でベルリンから田舎に引っ越します。友だちと別れるのはいやだったが仕方ありません。両親と12歳のお姉さんと暮らす新しい家には、頻繁に軍人が出入りし、父親は「所長」と呼ばれています。ブルーノの部屋の窓からは、遠くに「農場」が見え、「縞模様のパジャマ」の人たちが大勢働いているようです。ブルーノは、友達がいなくて退屈なので、ある日、こっそりと「農場」にやってきて、電気の通った鉄条網の向こうにいる、「縞模様のパジャマ」の少年シャムールと友だちになります。 第二次世界大戦中のドイツの話です。「農場」というのは、もちろんユダヤ人強制収容所です。ブルーノの父は、ナチスドイツの高官で、そこの所長として、家族を伴って赴任してきたのです。 これは、戦争映画です。戦闘シーンは出てきませんが、ナチスドイツの所業を描いた戦争映画です。90分台と短い映画ですが、ナチスの悪行がよくわかるエピソードが盛りだくさんなので、ショックなラストがネタばれしない程度に、書かせていただきます。 田舎なので学校がないようで、姉弟に勉強を教えるため、家庭教師が来ることになります。結構年輩の男の先生で、使うテキストが、ナチスドイツの思想や業績を書いた本です。小さいブルーノは理解できず、つまらなそうですが、お姉ちゃんはみるみるナチスに染まっていきます。引っ越してきたとき持ってきたたくさんの人形は地下室にしまってしまい、お姉ちゃんの部屋は、ナチスのポスターでいっぱいになります。 一家の台所には、縞模様のおじさんがひとりいます。いろいろな汚れ仕事をするための使用人です。ある日、庭の古タイヤで作ったブランコからブルーノが落ちてけがをします。おじさんは手際よく手当てします。話していると、おじさんは元医者だといいます。そのことをブルーノはシャムールに話します。「元医者なのに今はうちでイモの皮むいているよ。」「うちのパパは時計職人だけど、今はクツ作ってるよ。」と、シャムールは答えます。 父親の側近で、若い中尉がいます。イケメンなので、お姉ちゃんのお気に入りです。彼は、縞模様のおじさんに強く当たります。命令口調でいつも怒鳴るのです。ある日、ブルーノがひとりダイニングに行くとシャムールがいました。小さい手がグラスをふくのにちょうどいいので呼ばれたのです。ブルーノは友だちにお菓子をあげます。そこへ中尉が入ってきて、シャルームに怒鳴りました。ブルーノはその剣幕に、ぼくがあげたと言えず、シャムールがつまみ食いしたことになってしまいます。 中尉は一家の夕食に呼ばれた席で、所長に父親はどこにいると聞かれ、答えられませんでした。中尉の父親は、ナチスが嫌で、海外に亡命していたのです。それを上官に報告していなかったので、しばらくして、中尉は前線に飛ばされてしまいます。 「農場」の煙突からは黒い煙が出る日が時々あります。その時はひどいにおいもします。ブルーノにそのことを聞かれた母親は、中尉の言葉に耳を疑います。「あいつらは焼いても臭いですからね。」彼女は、夫の残酷な所業を知り、嫌悪し、混乱します。 ある日、お父さんが、同僚たちと何やら映画のようなものを見ています。ブルーノは、ドアの上の窓からのぞきます。それは、ユダヤ人収容所の様子を宣伝するフィルムでした。ユダヤ人は昼間働いた後は自由時間があり、スポーツをしたり、映画を見たり、カフェでおしゃべりしたり、快適に過ごしていますという内容でした。もちろん国民を安心させるためのウソの映像ですが、ブルーノは真に受けてしまいます。 おじいちゃんから電話が来ます。新居を見に行きたいが、おばあちゃんの具合が悪いので、ひとりで行くと。実はおばあちゃんはナチスが嫌いで、行きたくなかったのです。そんなおばあちゃんが爆撃で亡くなります。お葬式でナチスの高官である息子は総統からの花束をささげます。そんな夫をますます嫌悪する妻でした。 そんなエピソードが続く中、ブルーノは何回もシャムールに会いに行き、友情を深めます。無邪気なブルーノは幼いが故に、お坊ちゃんが故に、無知でした。シャムールや縞模様のおじさんがユダヤ人であることを知りながら、「農場」が収容所であることを知りながら、それがどういう意味を持っているのか、知りませんでした。ドイツは戦争中で、父やその周りにいる人たちがどういう人たちなのか、知りませんでした。 ラストは、なかなか衝撃的です。思わず「えっ、うそ!!!」と叫んでしまうでしょう。この後、描かれてはいませんが、間違いなく夫婦は離婚し、父親は軍をやめてしまうかもしれません。もしかしたらこの家族の中に自ら命を絶つ人がいるかもしれません。家庭崩壊は免れないでしょう。
2011.08.05
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「ドリームガールズ」 Dreamgirls 2006年 アメリカ映画監督 ビル・コンドン出演 ジェイミー・フォックス ビヨンセ・ノウルズ エディ・マーフィー ジェニファー・ハドソン シュープリームスとダイアナ・ロスの実話をもとにした同名のブロードウェイミュージカルを映画化した、ミュージカル映画です。日本でのヒットはいまいちでしたが、大スター歌手ビヨンセ主演で、ゴールデングローブ賞の作品賞(コメディ・ミュージカル部門)をはじめ、数々の賞を受賞し、アカデミー賞でも話題になったので、ご存知の方も多いでしょう。 エフィ(ジェニファー・ハドソン)、ディーナ(ビヨンセ)、ローレルの3人、「ドリーメッツ」は、黒人スター歌手ジミー・アーリー(エディ・マーフィー)のバックコーラスのオーディションを受けていました。アーリーのプロデューサーでカーディーラーのカーティス(ジェイミー・フォックス)は、3人に目をつけ採用します。 ツアーを続けるうち、エフィはカーティスと、ローレルはアーリーといい仲になっていきます。 ある日、「ドリーメッツ」が、エフィの兄C.C.が作った曲「Cadillac Car」を歌うのを見たカーティスは、「ザ・ドリームス」と名をかえ、デビューさせ、同時にレーベル「レインボーレコード」を立ち上げます。 しかし、エフィは不満でした。それは、デビューに当たって、センターポジションを美人のディーナと交代させられたからです。3人の中で歌唱力が1番だと自負していたエフィは、自尊心を傷つけられたのです。 「ザ・ドリームス」のデビュー曲は黒人専用のラジオ局を中心にヒットし、R&Bチャートのチャ-トの上位を飾ります。しかし、白人に曲を盗まれてしまいます。 カーティスは、カーディーラーをやめ、車を売り、白人も聞くラジオ局などにお金を使うなど、強引な方法で、3人を売り込んでいくのです。 そんな中、エフィの不満は膨らんでいき、周囲に当たり散らすなど、目に余る行動をとることが多くなっていきます。そして、カーティスの心はエフィから、ディーナへと移っていくのです。 この後、エフィの脱退、ディーナのソロデビュー、ジミーの没落など、いろいろとあって、エンディングに向かっていくのですが、あとは観てのお楽しみということで。 しかし、何といってもエフィ役のジェニファー・ハドソンです。その圧倒的な歌唱力と、感情むき出しの体当たりの演技は、ジェイミー・カーティス、ビヨンセ、エディ・マーフィーら、大スターを喰って、存在感たっぷりです。これがほとんどデビュー作というから驚きです。アカデミー助演女優賞は当然です。(菊池凛子さんは運が悪かった。彼女がいなかったら取れたかも、残念。)これは彼女を売り出すための映画だったんだ、と勘ぐってしまうほどです。まあ、感情むき出しなだけに、大スターたちの役よりもやりやすかったのかもしれませんが。 後、いくつか気になった点がありますので、述べていきましょう。ひとつめは、カーティスの扱いです。何か、悪役のような扱いで、強引な手を使うところが強調されていますが、売り込むために金をばらまいたり、スター性があるタレントをエコひいきするのはよくあることですよね。お金をばらまいたのは、3人の歌を聞いてもらうためで、聞いてもらえれば、才能があることがわかるからです。決して、不正をするためではありません。むしろ悪いのは、アメリカの根底にある人種差別の気風です。また、キャンディーズも、スーちゃんからランちゃんにセンターを替えたら売れてきたし、どこかの総選挙も人気を維持するためには当然だと思います。エフィの歌は確かに迫力があって、すごいですが、どう見ても、ディーナの方がスター性があります。渡辺直美がドリームガールズの曲で踊るときには、ビヨンセのまねではなくて、ジェニファーのまねをしているんでは、と思うくらい容姿が違います。聞くところによると、ビヨンセは、ジェニファーの方が歌がうまく見えるように、わざと押さえて歌っていたということですが。 もう一つ気になるのが、最後「ザ・ドリームス」の4人(エフィが抜けた後入った子も入れて)が仲良く一緒に歌って、いろいろなことを水に流すというところがあるんですが、それはないだろうと思ってしまいました。あんなにプライドが高かったエフィが、年をとって丸くなったとはいえ、兄に説得されたとはいえ、ディーナが謝罪しているわけでもないのに、男も地位も奪った相手と簡単に和解するんじゃないよ、と思ってしまいました。悪い部分は、カーティスに全部押し付けて、それでいいのかと思いました。 と、突っ込みを入れつつも、やっぱりいい映画だと思います。音楽業界の話なので、突然歌いだすという、ミュージカル嫌いな方の違和感も軽減されていると思います。しかも、シリアスな演技をするエディ・マーフィーという珍しいものを観ることができる、という特典付きです。どのくらい珍しいかというと、驚いたアカデミー会員が思わず助演男優賞にノミネートしてしまったくらい珍しいものです。
2011.08.05
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「デビルマン」 2004年 日本映画監督 那須博之 前回、「2010年」で不快な思いをしたことを記事に書いていたら、もっと不快な思いをしたことを思い出しましたので書きます。 永井豪先生の漫画「デビルマン」をご存知でしょうか。TVアニメの「デビルマン」は1972年に放送されたコメディタッチのヒーローものアニメで、人気もあり、再放送も何回もやっているので、ご存知の方は多いでしょう。ぼくも大好きで、主題歌は2曲とも空で歌えるほど、何回も見ていました。漫画の方は、アニメと同じ1972年に「少年マガジン」に連載されていました。 当時、僕は小学生で、「少年ジャンプ」は読んでいましたが、「マガジン」は、もう少し上の世代のものという意識があり、読んでいませんでした。 高校生ぐらいになって、大好きだった「デビルマン」の漫画が存在していることを知り、単行本を購読しました。カルチャーショックでした。当時、僕の認識では、永井豪先生はギャグ漫画家でした。アニメの「デビルマン」や「マジンガーZ」の原作は永井先生だということは知っていましたが、ギャグ的な描写も多い作品でした。ところが、漫画「デビルマン」は全く違っていたのです。 デーモン(いわゆる悪魔、地球の先住民族という設定)と合体した高校生不動明がデビルマンに変身し、デ-モン族と戦うというところは同じですが、ギャグ的な描写はありません。しかも、話が進んでいくにつれて、デーモン族の総攻撃が始まり、明の親友飛鳥了の正体が明らかになり、明の最愛の牧村美樹の一家がパニックになった人間たちに殺され、人類滅亡、デビルマン軍団とデーモン族の全面戦争、そして黙示録の世界へ、というように、シリアスを通り越して、ハードな内容になっていくのです。 まさに、「ガーン!!!」と、頭を撃たれたようでした。それから、「手天童子」や「バイオレンスジャック」や「凄ノ王」など、永井先生のハードなSF漫画にはまりました。今でも大好きです。特に「デビルマン」は、生涯のベスト1漫画です。 その後、「火の鳥」や「日出処の天子」や、「動物のお医者さん」や「おーい!竜馬」や、「ONE PIECE」や「20世紀少年」など、いろいろな漫画にはまりましたが、やっぱり「デビルマン」がベスト1です。 そんなめちゃめちゃ大好きな漫画が、実写映画になるというのを聞いて、観ないわけがないでしょう。観ました。しかも、絶対何回も観たくなるので、わざと劇場公開は観ずに、余計な知識は聞きたくなかったので、評判とかは絶対聞かないようにして、DVDが出たら即座に買って、観ました。 結果は無残なものでした。かつてないひどい映画でした。主役はセリフ棒読みだし、説明的なセリフが多いし、出演者は素人ばかりだし、場面は理不尽に変わるし、大事なエピソードをはしょるし、余計な描写が無駄に長いし、美樹は変にしとやかだし、シレーヌは出番が少ないし、飛鳥了は始めから人を殺しまくるし、設定が変に変わってるし、唐突に変な人がカメオ出演してるし、サタンが天使じゃないし、いいところが全く見つかりません。演出も、脚本も、編集も、衣装も、役者の演技も、どこもかしこも最低です。 監督の那須博之という人を知らなかったので、どんな人か調べてみると、1952年生まれで、東大出身で、日活ロマンポルノから始め、「ビーバップハイスクール」シリーズを監督した人だということがわかりました。しかも、この映画公開の1年後、がんで亡くなっているそうです。 脚本は、シナリオライターの卵20人に書かせ、監督自ら審査し、結局その中から選ばず、「ビーバップハイスクール」シリーズと同じく、奥さんの那須真知子氏に書かせたということです。 これは、監督が漫画「デビルマン」を全く理解していないな、と思いました。まさか、読んでいないということはないだろうが、原作のテーマや世界観を全く理解していないに違いないと思いました。しかも、監督をすることになってから、仕方なく、はじめて読んでみたというようなことかもしれないとも思ってしまいました。 いったい、漫画「デビルマン」の実写映画化というのは、どこから出てきた話でしょうか。最近の日本映画は、映画会社が単独では作れないので、TV局やアニメ会社、おもちゃ会社などが集まって、○○製作委員会というのを作っています。そのため、責任の所在が分かりにくくなっています。言い出しっぺは誰でしょうか。僕のように、原作漫画に思い入れを持っている人物ではないことは確かですね。思い入れを持っていたら、こんな映画許すわけがないからです。 悲しいです。僕の大大大好きな「デビルマン」がこんなひどい映画になるなんて。映画好きで、漫画好きな僕は、実はひそかに、映画監督になりたい、という夢がありました。そして、漫画「デビルマン」を実写で作りたいと思っていました。悲しいです、僕の夢がこんなひどい映画になるなんて。この怒り、どこに持っていけばいいんでしょうか。 このDVDは、1回観ただけで、即座に売りに行きました。
2011.08.03
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「2010年」 2010:The Year We Make Contact 1984年 アメリカ映画原作 アーサー・C・クラーク監督 ピーター・ハイアムズ主演 ロイ・シャイダー 大好きな「2001年宇宙の旅」の続編ということで、期待度200%でワクワクして、観ました。がっかり度500%で、落ち込みました。前作の木星付近で消息を絶ったディスカバリー号を探索に行くということで、ボーマン船長や、モノリスなどが出てきて、確かに続編らしいのですが、あまりにも違うところが多すぎて、正常な気持ちで観ることができませんでした。以下、どんな所にがっかりしたのか述べていきましょう。がっかり点その1 (80%分) ロイ・シャイダーのフロイド博士 前作で、月に発見されたモノリスを調査に行き、ディスカバリー計画を考えたフロイド博士を、「ジョーズ」の警察署長役のロイ・シャイダーが演じていました。前作では、非常に落ち着いた感じで、いかにも紳士という感じのフロイド博士でしたが、とても肉体的で、男の色気たっぷりな感じに変わっていました。感情の起伏も結構激しい感じで、同じ人とは全く思えませんでした。ロイ・シャイダーはとてもいい役者さんだと思いますが、あんたじゃないだろう!!!と思いました。がっかり点その2 (120%分) あまりにも違う雰囲気 前作の良いところに、細部にまでこだわった美しい映像と、ゆっくり流れる時間というのがあったと思います。「美しき青きドナウ」が流れる中、月に向かうシャトルの中で居眠りするフロイド博士、CAがゆっくり現れ、静かに浮いているペンを戻す場面、ディスカバリー号の中で、プール副長がジョギングをしている場面、プール副長が、ポッドにぶつかり、静かに遠ざかっていく場面など、全編にわたって、余計な音がなく、静かで美しい場面がたくさんありました。それがテーマの壮大さととても合っていて、タダものじゃない雰囲気を作っていたのです。しかし、この続編は、セリフも多く、激しい場面があったりして、全く流れる空気が違うという感じです。 これは、監督の違いが大きいのでしょうか。ピーター・ハイアムズという監督さんは、「プレシディオの男たち」や「エンド・オブ・デイズ」の監督で、サスペンス・タッチの作品を得意としている監督さんです。がっかり点その3 (300%分) 米ソ冷戦の描写 そして最もがっかりさせられた点は、地球上で米ソの関係が悪化し、宇宙船上でも米ソの対立が見られるという描写があるところです。 アメリカ人のフロイド博士は、自国の宇宙船が都合できず、ソ連の宇宙船に乗りこんで、木星に向かいます。最初から、ソ連人クルーとピリピリしています。そして、地球上で、米ソの小競り合いがあったようで、関係が悪化したため、お互いのクルーと交流するなという命令が来るのです。映画製作当時、もちろんソビエト連邦はまだ存在しており、その後崩壊するということが予想できなかったのは、しかたがないことですが、人類の、地球の、宇宙の未来を考えた、この壮大な物語の中に、人類の汚点である、醜い争いを持ち込んでほしくなかったです。 だいたいが、米ソの冷戦というのは、共産主義や資本主義というのは、実は口実でしかなくて、結局は、世界のリーダーを争う大国のエゴなんですよね。ただ単に相手に負けたくないという低レベルのエゴが、核を産み出し、武器の量を増やし、人類を無理やり宇宙に送ったんですよね。おかげで宇宙開発は飛躍的に進みましたが、歴史上かつてなかったほどの人が亡くなり、自然環境が壊れたのです。今、両国は当時の負の遺産を取っ払うのに一生懸命ですよね。 でも、現在の宇宙ステーションの様子を見ていると、とても和気あいあいのようで、うれしい限りです。 すみません。若干、話が横道にそれてしまいました。 ということで、僕は「2010年」という映画を「2001年宇宙の旅」の続編とは認めないことを、ここに宣言します。
2011.08.03
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「マルコヴィッチの穴」 Being John Malkovich 1999年 アメリカ映画監督 スパイク・ジョーンズ出演 ジョン・キューザック キャメロン・ディアス ジョン・マルコヴィッチ 変で面白いという評判を聞いていたので、レンタルして、観てみました。やっぱり変でした。 売れない人形師クレイグ(ジョン・キューザック)は、動物の世話に夢中なペットショップ店員の妻ロッテ(キャメロン・ディアス)と倦怠期です。 クレイグは、妻に責められて、定職に就こうと、あるビルの71/2階にあるレスター社に就職します。オフィスは天井が低く(71/2階だから)、レスター社長は、ワイ談が好きな自称105歳の変な人です。 ある日、クレイグはオフィスで隠し扉を見つけました。中に入ってみると、それは、俳優のジョン・マルコヴィッチ(本人)の中に15分だけ入れる穴でした。 クレイグは、心ひかれている同僚の美女マキシンと、夜中に商売をすることを思いつきます。ロッテは、夫に話を聞き、穴に入ってみます。ロッテは、マルコヴィッチになれることに異常に夢中になります。 この後、クレイグ、ロッテ、マキシン、そしてジョン・マルコヴィッチの人生は、おかしな方向へ転がっていくのですが、ここからは、観てのお楽しみとしましょう。 とにかく変な話です。これは、マルコヴィッチが、異変に気づき、自分で穴に入っていき、穴がおかしくなって終わりかな、と思っていました。案の定、マルコヴィッチは、異変に気づき、怒って乱入してきて、自分で穴に入っていきます。予想に反し、穴は壊れませんでしたが、その見える映像はなかなかシュールなものでした。そして、またまた予想に反して、映画はまだ続いたのです。というか、そこからは結末に向かって、変度が加速していきます。 結末は、やっぱり変ですが、なんか納得させられました。おもしろかったです。自称105歳の変な社長がカギですね。71/2階と出てきたときから、なにかあるなと思っていました。どこかの駅の93/4番線と関係あるのでしょうか。 主演のジョン・キューザック、ぼさぼさの長髪と無精ひげだったけど、童顔ですぐにわかりました。キャメロン・ディアスは、ぼさぼさ髪とノーメイク、ダサい服装で、最後までわかりませんでした。
2011.08.02
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「ノー・マンズ・ランド」 No Man’s Land 2001年 ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロバキア、イタリア、イギリス、フランス、ベルギー 監督 ダニス・タノヴィッチ no man’s landとは、誰もいない土地、中間地帯のことです。戦場においては、最前線の陣地と陣地の間の一番危険な地帯のことです。ボスニア紛争のことを描いた反戦映画です。全編コメディタッチで描かれていきますが、せりふなどから、この内戦の状況がわかってきます。そして、ラストは……、こわいです。 霧の深い夜、10人ぐらいのボスニア兵が前線に向かっています。明るくなると、敵のセルビア人の陣地の目の前にいることに気付きますが、あっという間に銃撃を受け、ほとんどやられてしまいます。その中の1人チキは、中間地帯にある無人の塹壕に落ち、命拾いします。塹壕の上をのぞくと、仲間のツェラが倒れているのが見えましたが、どうすることもできません。塹壕の中を見て回っていると、セルビア兵が2人偵察にやってきました。 チキはあわてて隠れて見ていました。セルビア兵は、ツェラの遺体を運んできて、味方が持ち上げると爆発するように、地雷を仕掛け、その上に置きました。 チキは飛び出し2人を攻撃します。1人は倒し、1人は負傷しました。チキは銃を構えたまま、地雷を解体するように命令します。しかし、地雷を仕掛けたのは倒れたベテラン兵の方で、生き残ったニノは新兵で、何もわかりません。 塹壕の上では銃撃戦が始まりました。物置に隠れながら二人は、言い合いをします。「そっちが戦争を始めたのだろう。」「いやそっちだろう。」「おれの村は焼き討ちされた。」「僕の村はどうだ。誰が村人を殺した。」その時銃を持っていたのはチキでした。ニノはしぶしぶ非を認めさせられます。 銃撃はやみました。その時、ツェラが目を覚まします。死んでいなかったのです。あわてて動かないように制したチキは、状況を説明し、介抱します。そのすきに、ニノは銃をとり、チキに聞きます。「どっちが戦争を仕掛けた。」チキは、しぶしぶ答えます。「俺たちだ。」 ツェラの提案で、チキとニノは、丸腰で塹壕の上にあがり、白旗を振ります。それを見た両陣営は、国連軍へ連絡します。仲裁をするために国連防護軍が駐留しているのです。ただし、武力行使も危険地帯の立ち入りも禁止されています。連絡を受けたマルシャン軍曹は2人の部下を連れ装甲車で様子を見に行きます。 国連防護軍本部のソフト大佐は報告を聞き、めんどうな状況なので、かかわりたくないようです。現場に到着し状況を理解したマルシャン軍曹ですが、帰還命令が届き、すぐに、戻ってしまいます。 戻る途中で、TVクルーに出会います、無線を傍受していて、状況を理解しています。マルシャン軍曹はTVを利用することを思いつきます。 結局、マルシャン軍曹は、地雷処理班と、TVクルーを現場に呼ぶことに成功しますが……。 ネタばれしてしまうとこれから見たい方に悪いので、このくらいにしておきましょう。 チキが彼女の話をすると、ニノの知り合いでした。このとき、打ち解けるかと思われた2人ですが、やっぱりいがみ合ってしまいます。この戦争は、ユーゴスラビアから、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立する際に、反対したセルビア人を無視して独立宣言をし、そのセルビア人をユーゴ政府が援助し、といった複雑な状況で始まった内戦です。元は同じ国であった人たちが戦っていて、このときは泥沼化していたのでしょう。チキとニノはただの一兵士ですが、両陣営の状況の縮図になっています。 そして、国連軍とメディアの立場も微妙です。人道支援という言葉を口実に、傍観者に徹したいソフト大佐は、この後現場にやってきますが、ミニスカートの美人秘書を連れています。最前線に一番近いところに駐留していたマルシャン軍曹たちは、現地の言葉がわからないフランス人です。TVのリポーターはチキとニノにインタヴューを試みますが、邪険にされてしまいます。プロデューサーは状況を理解してないのか、ツェラにインタヴューしろと命令します。 このように、いろいろと皮肉がたっぷりで、苦笑いさせられる作品ですが、ラストは恐ろしく、考えさせられます。 リポーターと話している中で、マルシャン軍曹は、オフレコでこう言います。「殺りくに直面したら、傍観も加勢と同じだ。」登場人物のほとんどが、何かしらおかしい中、このマルシャン軍曹だけが、まともで、心の底から彼らを助けたいと思っているようです。 アカデミー外国語映画賞をはじめ、いろいろな映画賞に輝いている作品です。
2011.08.01
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