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「ヤギと男と男と壁と」 The Men Who State at Goats 2009年 アメリカ映画監督 グラント・ヘスロヴ出演 ジョージ・クルーニー ユアン・マクレガー ジェフ・ブリッジス ケヴィン・スペイシー CSTVの企画で、お笑い芸人の千原ジュニアが邦題をつけたという、『実録・アメリカ超能力部隊』という本を題材に作られた、話題になった映画です。 新聞記者のボブ(ユアン・マクレガー)は、上司に妻を寝取られ、傷心をいやすために、始まったばかりのイラク戦争の取材に志願します。 ボブはイラクでリン・キャシディ(ジョージ・クルーニー)という男と出会います。その名は、ボブがかつての取材で、見つめるだけでヤギを殺せる男として聞いていた名前でした。 ボブは同行取材を求め、しぶしぶ承諾したリンと、砂漠へ車で走り出します。道中、リンがかつて所属していた米軍の謎の超能力部隊“新地球軍”の話を聞き出します。 とても面白い題材で、主役級の俳優を4人(うち3人は米アカデミー賞受賞経験有り。)もそろえた意欲作なのですが、はっきり言って、ちっとも面白くありません。 道中、超能力を持つというリンの奇行に振り回され、事故に遭ったり、ゲリラにつかまったり、ボブが四苦八苦する中、かつてのビル・ジャンゴ中佐(ジェフ・ブリッジス)率いる超能力部隊“新地球軍”の様子が語られていくという構成なのですが、いろいろと繰り返されるギャグがすべて空回りで、何しろ、“新地球軍”の計画が“ジェダイ計画”と言い、リンが自ら“ジェダイの騎士“だと、ユアン・マクレガーに語っているというところが、唯一笑えたところですから。(このギャグわからない人はいないですよね。) 後半、ケヴィン・スペイシーが悪役的に登場し、行方不明といわれていたジャンゴ中佐が意外なところに現れますが、結局何がしたいのかわかりませんでした。 米軍や、かつてのソ連が超能力を真剣に研究し、その軍事利用を真剣に考えていたという話は、いろいろなところから聞きます。SF映画やコメディ映画の題材として、とても興味深く、面白い題材だと思います。うまく料理すれば、とても面白い傑作が生まれると思うのに、非常に残念な結果になって、悲しい限りです。話を聞いて、期待しすぎた僕がいけなかったのでしょうか。 2011年も、今回が最後になってしまいました。皆様よいお年を。
2011.12.31
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「カポーティ」 CAPOTE 2005年 アメリカ映画監督 ベネット・ミラー主演 フィリップ・シーモア・ホフマン フィリップ・シーモア・ホフマンが、本物そっくりという名演技で、米アカデミー賞主演男優賞をはじめ、数々の賞を受賞した、「ティファニーで朝食を」の原作で知られる作家、トルーマン・カポーティを描いた映画です。 カンザスの農場一家4人の惨殺事件が起き、作家のトルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、幼馴染の作家ハーパー・リーとともに取材に向かいます。周囲の聞き込みや、担当警部の取材を続けるうち、2人の犯人が逮捕されます。 カポーティは、自分の小説を書きあげるため、犯人との接触を求めて行きます。 ナルシストで自信家で、おねえな仕草で、何か人を小馬鹿にした感じで、甲高い声で話すカポーティは、はっきり言って、すごい嫌いなタイプです。 カポーティは自分が事件を題材にした小説を書くために、死刑判決を受けた2人の犯人の処刑を遅らせるべく、優秀な弁護士を用意し、控訴できるように働きかけます。 しかも、彼は、はっきりとこの犯人たちのことを、自分の金脈だ、と語っています。 ところが、犯人との面接を繰り返すうち、とりわけ、ネイティヴ・アメリカンの血を引き、塞ぎがちな犯人ペリー・スミスと話すうちに、その心情が変わってきたようです。 しかし、彼は犯人への取材と平行して小説の執筆を始めていました。その題名は「冷血」。当然、その犯行の残忍さを象徴している題名なのですが、ペリーの取材を繰り返し、彼と親しくなるにつれて、その印象が変わってきたのでしょう。 カポーティは、ペリーに小説の題名を聞かれて、「まだ、決めていない。」と答えるしかできませんでした。 また、ペリーが再び控訴すべく弁護士をまた都合してくれ、と頼んできた時は、弁護士を用意することはしませんでした。 彼らの処刑が決まった時、ペリーから、「友人として、見に来てくれ。」という内容の電報をもらっていながら、カポーティは悩んでしまいます。 結局行くことにした彼は、処刑前の2人と面会し、思わず涙で言葉が出てきませんでした。そして、ペリーの処刑を目の当たりにした彼は、ハーパーに電話で「恐ろしい体験だった。立ち直れないかもしれない。」と語ります。 この後、「冷血」はベストセラーになりますが、カポーティは、それ以降作品を生み出すことなく、アルコール中毒で亡くなります。彼にとって、この出来事が、いかに大きかったのかを物語っています。 フィリップ・シーモア・ホフマンが、単なるものまねに陥ることなく、その心情まで、見事に表現しています。数々の受賞も納得です。 しかし、はっきり言って、非常に重く、暗くなる映画です。
2011.12.30
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「ドリームキャッチャー」 Dream Catcher 2003年 アメリカ映画監督 ローレンス・カスダン出演 モーガン・フリーマン スティーヴン・キング原作のSF映画です。ところが、レンタルビデオ屋では、サスペンスのコーナーにありました。公開時の宣伝のあおり文句や、DVDのパッケージの解説などを見ると、確かにサスペンスと思うようなことが描いてあったので、勘違いしてもしょうがないと思いますが、超能力やエイリアンが出てくる、まぎれもなくエイリアン侵略物のSF映画です。 ヘンリー・ジョンジー・ビーヴァー・ピートの4人は、子どものころからの親友でした。彼らは子どものころ、いじめられていたのを助けた精神障害のある子ダディッツから授けられた超能力を持っていました。 この冬も4人は休暇を共に過ごすべく、いつもの山荘にやってきました。ヘンリーとピートが町へ買い出しに行っている間、狩りをしていたジョンジーとビーヴァーは森の中で遭難しかかっているおじさんを助け、山荘へ連れてきました。おじさんがやたらげっぷや屁をするのを不思議がっていると、2人は山荘の前を同じ方向に逃げて行く動物たちを目撃します。 ここまでは、4人が超能力を発揮する様子を映し出しながら、回想で、4人とダディッツの出会いや、5人で“ドリームキャッチャー”(ネイティヴアメリカンのお守りのようなもの)を作り、友情を確かめ合っているところなどが映し出され、同じスティーヴン・キング原作の名作「スタンド・バイ・ミー」のような、4人とダディッツの友情物語の様相を呈しています。 しかし、謎のおじさんが登場し、そのおじさんの中から奇妙な生物が現れるところから、エイリアン退治の使命を帯びている軍隊がからんできて、物語は変貌していきます。 詳しくは延べませんが、この後、当然のごとく、4人+ダディッツが超能力を駆使して、エイリアンを退治する方向に進んでいくのですが、エイリアンのほとんどは、モーガン・フリーマン演じる指揮官が指揮する軍隊により退治され、彼らが退治したのは軍隊の包囲網を突破した一体だけです。 話の中で、だんだん明らかになるのですが、ダディッツは予知能力もあり、この日があることを予知していて、そのために4人に超能力を分け与えていたようなのです。しかし、4人のうち2人は超能力をほぼ発揮することなく命を落とし、ダディッツもそれに全力を挙げて力を発揮し、命を落とします。ここで、僕は疑問を持ちました。 モーガン指揮官によると、彼はもう25年もこのエイリアンと戦い続けているそうで、エイリアンたちは繰り返し地球を襲ってきているようです。今後もあるかもしれません。それなのに、実はその正体はこのエイリアンの宿敵らしき存在であるダディッツが、こんなに簡単に命を落としていいのでしょうか。 どうやら彼は、侵略してくる宇宙人を退治してくれる別の宇宙人です。つまり、彼はウルトラセブンなのです。(知っている人はわかると思いますが、ウルトラマンは少し違います。)一回の戦いで命を落としてはいかんでしょう。もっともっと、戦ってくれなければいかんでしょう。 また、25年もかけてエイリアンと戦い続けて来たモーガン指揮官も、何か勘違いしたのか、頭がおかしくなってしまったのか、エイリアンの侵略を阻止するべく軍隊が封鎖していた地区を抜け出した一体のエイリアンを退治するべく追ってきたヘンリーとそれに協力していた部下を、ヘリコプターで追ってきて、邪魔しようとして命を落としてしまいます。あれ、彼は何がしたかったのでしょうか、どうしてエイリアンを追っている者を邪魔するのでしょうか。全く意味がわかりません。 とにかく、今回のエイリアンの襲撃は何とか阻止することはできましたが、今後、このエイリアンが襲ってきたときには、阻止するのは難しいでしょう。このエイリアンに非常に詳しいベテランのモーガン指揮官はいませんし、宿敵であるダディッツもいません。人類の最期は近いです。こんな結末でいいのでしょうか。 それから、とても気になったのが、いつもの通り、エイリアンの設定です。 ずっとこのブログをご覧になっている方はわかると思いますが、この映画のエイリアンの描き方、非常に変ですよね。 どこからかはわかりません(常識的に考えれば、太陽系外ですが。)が、宇宙船を操縦して地球にやってくるほどの進んだ文明をもっているエイリアンです。非常に高度な知能を持っているはずです。 しかし、この映画で描かれている宇宙人の所業は、どう見ても知的な生物とは思えません。米軍の通常兵器の攻撃に全く無策でただ逃げ惑っているだけですし、人の襲い方も非常に野蛮で、全く知性が感じられません。 ただ一体、ジョンジーに取りついて軍隊の封鎖をみごと突破したヤツは見事でしたが、そういうことができるのなら、もっと知的な作戦を考えることはできなかったのでしょうか。何か、行き当たりばったりな作戦がたまたま当たっただけのような気がしてなりません。そこには、未だ地球人がなしえていない宇宙空間を旅して他の星へたどり着く(はっきり言って地球人が現在たどり着けているのは、自分の星の庭同然の月だけです。)という、高度な科学技術を持っている生命の知性が感じられないのは私だけでしょうか。 僕は原作を読んではいませんが、この映画、原作のスティーヴン・キング氏が、「映画化された中で、最高の出来だ。」とほめているそうなので、きっと原作にかなり忠実に描かれているのでしょう。つまり、今僕が突っ込んだことは、原作者が考えたことなのですね。まあ、確かに、彼の原作の映画はいろいろと観ていますが、彼がSF的科学知識が豊かだとは思えません。仕方がないのですかね。 まあ、あまり知識がないのに、雰囲気でいつもとは違う分野のものを描くといろいろとボロが出てくるということですかね。 あと、名優モーガン・フリーガンの扱いが、あまりにもかわいそうでした。彼は、文句言わなかったのでしょうか。
2011.12.25
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「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」Mr.Magorium’s Wonder Emporium2007年アメリカ映画監督 ザック・ヘルム出演 ダスティン・ホフマン ナタリー・ポートマン ジェイソン・ベイトマン メリクリなので、今日はクリスマスにふさわしい映画を。 不思議なおじさんが営む、不思議なおもちゃ屋さんを描いたファンタジー映画です。アメリカでは、ちゃんとクリスマスシーズンに合わせて公開されています。日本では残念ながら、翌年の2月という非常に中途半端な時期に公開され、興行的にいまいちに終わりました。 自称243歳のマゴリアムおじさん(ダスティン・ホフマン)が営む創業113年のおもちゃ屋は、不思議なおもちゃ屋でした。ちっちゃな外観からは想像できないくらい、広い店内に所狭しと並んでいるおもちゃたちは、好きに動き回っています。その間を大勢の子どもたちが遊びまわっています。おもちゃたちは、どうやらマゴリアムおじさんの不思議な力で動いているようです。その店を仕切っているのは、ミュージシャンになる夢をもつ店員のモリー(ナタリー・ポートマン)です。 ある時モリーは、マゴリアムおじさんから自分はもうすぐいなくなるから、店を継いでもらえないかと打ち明けられます。おじさんのように不思議な力を使えないモリーは、自分でいいのか悩んでしまいます。 子ども向けのファンタジーかと思っていたら、結構考えさせるドラマがあってびっくりしました。おもちゃが動く不思議な世界を目当てに観に来た小さな子たちには難しくて分からなかったかもしれません。夢とか将来とかを考えさせるテーマで、なかなか考えさせられるもので、どちらかというと、小学校高学年から中高校生ぐらいが観るとちょうどいいかなという感じです。というか、大人が観ても、人生をあらためて考えさせられるかもしれません。とりわけ、壁にぶち当たって悩んでいる若者にお勧めです。 ところで、この映画には、もうひとり重要人物が登場します。それは、マゴリアムおじさんが、店を移譲するべく、一度整理するために雇った会計士ヘンリー(ジェイソン・ベントマン)です。 彼は、非常にまじめな性格で、おもちゃ屋の不思議を全く見ることができず、この店を普通のおもちゃ屋だと思っています。彼は職業柄非常に現実主義で、夢を全く信じていないようで、おもちゃたちも、彼の前でははしゃぐのを遠慮しているようです。 どうやら彼は、夢や希望を捨てて、現実に埋もれてしまっている大人たちの象徴として描かれているようです。彼が店の不思議を見ることができるかということも、サイドストーリーとして、描かれているようです。 そんなお話ですが、やっぱり見どころは、最近「ブラックスワン」の熱演で米アカデミー賞主演女優賞を受賞して、のりにのっているナタリー・ポートマンが、王女様やバレリーナとは違う、素の女の子を演じて、笑顔が魅力的で、とてもかわいいということでしょうか。
2011.12.24
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「ウエスト・サイド物語」 West Side Story 1961年 アメリカ映画監督 ロバート・ワイズ出演 ナタリー・ウッド リチャード・ベイマー ジョージ・チャキリス リタ・モレノ ラス・タンブリン タッカー・スミス 言わずと知れたミュージカル映画の名作です。米アカデミー賞を作品・監督賞をはじめ、10部門受賞しています。「ロミオとジュリエット」の物語を、現代のニューヨークの下町を舞台に作り替えたブロードウェイミュージカルの映画化です。 ニューヨークのウエストサイドを根城にしている不良少年グループ、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)率いるプエルトリコ系のシャーク団とリフ(ラス・タンブリン)をリーダーとするイタリア系のジェット団は、ことあるごとに対立していました。 ベルナルドの妹マリア(ナタリー・ウッド)は、あるパーティで、元ジェット団のリーダー・トニー(リチャード・ベイマー)と出会い、一目で恋に落ちてしまいます。二人は周囲の目をしのんで、逢瀬をしていました。 ある夜、シャーク団とジェット団は、ふとしたことでけんかになり、リーダー同士のナイフによる決闘になり、ベルナルドがリフを刺し、カッとなったトニーはベルナルドを刺してしまいます。 ヤバいと思った、両グループのメンバーは、その場を逃げ出します。 トニーは、けんかを止めようとしたのに、はずみとはいえ、人を、とりわけ最愛の人の兄を殺してしまったことにショックを受け、マリアの所へ逃げていきます。しかし、ベルナルドの彼女アニタに見つかりそうになり、再び逃げ出しますが、騒ぎを聞きつけてきた警察に倒れてしまいます。 くだらない意地の張り合いの結果、兄と恋人を失ったマリアの攻める言葉に、一同は返す言葉がありませんでした。 というように、お話は非常に単純でわかりやすいです。「ロミオとジュリエット」の対立する2つの家を、対立する2つの不良グループに置き換えているのがお分かりでしょう、ストーリーもほぼ同じで、結末が若干違うだけです。 ミュージカル映画ですから、やはり特筆すべきは歌と踊りです。 マリアとトニーが非常階段(「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーン)で愛を確かめ合うデュエット曲“tonight”は、1番有名で、美しい曲ですが、僕はこの映画の1番の見どころは、群舞の素晴らしさだと思っています。 シャーク団のみなさんが溜り場で、アニタを中心に、男女掛け合いで歌い踊る曲、“America”と、決闘の場から逃げ出してきて興奮するメンバーをジェット団のサブリーダーのアイス(タッカー・スミス)がなだめる“cool”、この集団で、歌い踊る2つの曲は、迫力があり、思わず引き込まれてしまいます。 また、せりふが全くなしで、曲と踊りでシャーク団とジェット団の関係を紹介していくオープニングも秀逸です。男性ダンサーのかっこいい群舞に魅せられて、作品の世界に入り込んでいきます。 ミュージカル映画は、今まで普通にしゃべっていたのに、いきなり歌って踊り始めるので嫌い、というタモリさんのような方は多いとは思いますが、こういう良質のミュージカルから入れば、その世界の素晴らしさが理解いただけるのではないでしょうか。
2011.12.22
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「チェンジリング」 Changeling 2008年 アメリカ映画監督 クリント・イーストウッド主演 アンジェリーナ・ジョリー アンジェリーナ・ジョリーが、巨匠イーストウッド監督のもとで、母親役を熱演し、米アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたということで、話題になった映画です。(惜しくも受賞は逃しましたが) 1928年、ロサンゼルス。電話局で働くクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)は、10歳の息子を持つシングルマザーです。 ある日、仕事から帰ると、自宅から息子ウォルターの姿が消えていました。警察に捜索願を出し、待つこと5か月、警察から息子さんが見つかったとの連絡が入ります。 ところが、その子は、見るからに別人です。しかし、警察はこの子がウォルターだと言い張ります。絶対に違うというクリスティンは、精神病院に入れられてしまいます。 わが身に起こることを考えると、非常に恐ろしい物語ですが、実は実話です。(ギャグではない。) 子どもが居なくなって困っている親に、別の子どもをあてがってお茶を濁し、文句を言ってきたら、精神病院に入れてしまう、という、あまりにもの警察や行政の腐敗、無能ぶりです。そんな恐ろしい時代が、かつてこの国にあったのだという、老獪な監督の主張が、街並みや車、汽車やファッションなどの時代考証もきちんとした重厚な映像で、確実に語られていきます。 そんな監督の主張を支えているのが、主演のアンジーの演技です。 最近のアクション映画で拳銃や機関銃を打ちまくり、男を蹴り倒しまくっているアンジーしか知らない人も多いでしょうが、彼女は若い頃(といっても1999年の事ですが。)、かの「トゥームレイダー」に主演する前、「17歳のカルテ」という映画で、米アカデミー賞の助演女優賞を受賞している演技派だったのです。 恥ずかしながら、僕もその事実を知らず、あのアクションばかりしているアンジーに、母親役なんてできるのだろうか、イメージが全くわかないなあ、と思っておりました。 ところが、この映画を観てみたら、なかなかどうして、堂々とした母親ぶりではありませんか。最愛の息子が居なくなった。帰ってきたと言われたのに、まったく別人だった。そんな母親の悲哀を見事に表現してくれました。 考えてみたら、アンジーはすでに、6人の子ども(養子を含む)の母親でした。先日、夫のブラピと来日する彼女の姿をワイドショーなどで見ましたが、子どもたちの手を引いたり抱っこしたりして、堂々の母親ぶりでした。行方不明の息子を心配する演技なんてお手の物なのかもしれません。 いつも、男をなぎ倒す強い女を見せてくれているアンジーですが、この映画では、違う意味で強い女を演じ、実はしっかり演技できるんだぞというところを見せつけてくれました。 この2,3日、いい映画を紹介できていませんでしたが、この映画は本当にお勧めです。 ただし、なかなかいうことを聞いてくれない警察や、拘束しようとする精神病院のスタッフを、いつもの調子で、やっつけてくれればいいのに、とアンジーに期待してはいけませんよ。
2011.12.21
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「シークレット・ウインドウ」 Secret Window 2004年 アメリカ映画監督 デヴィッド・コープ主演 ジョニー・デップ スティーヴン・キング原作のサスペンス・スリラー映画です。 人気作家のモート・レイニー(ジョニー・デップ)は、妻エイミーに浮気されたため、別居して田舎の湖のほとりの家にひとりで暮らしていました。 ある日、なかなか文章が続かずスランプに陥っていたモートのもとに、ジョン・シューターという男が訪ねてきます。彼は、モートの“シークレット・ウインドウ”という短編が、自分の書いたものの盗作ではないかと言い、その原稿を置いて行きました。 ジョンが置いて行った原稿と自分の本を見比べたモートは一字一句違わないことに驚きました。 そこから、モートは、付きまとう影に悩まされ始めるのです。 ヒッチコックかデ・パルマあたりが作っていそうな、ありがちなサイコスリラーです。そのため、結構早い段階でジョン・シューターなる謎の人物の正体がわかってしまい、はっきり言って興ざめでした。あまりにも早くわかってしまったので、それを逆手に取ったどんでん返しがあるかなと思っていたのですが、それもなく、いくらヒットメーカーのスティーヴン・キングの原作とはいえ、ジョニー・デップが主演でなかったら、だれも見向きもしない作品だったでしょう。大スタージョニー・デップ主演ということで、かろうじて製作費は回収したという作品です。 以前にも書いたように、漫画の神様手塚治虫先生といえども、その作品には失敗作があるように、スティーヴン・キングにもあまり面白くない作品があるということでしょうか。 しかし、見どころもあります。 それは、主人公のダメ男ぶりを、ジョニーが見事に演じているということです。 びしっとした格好をすれば非常にかっこいいジョニー・デップですが、実は彼はダメ男が非常に似合っています。あの大ヒット作「パイレーツ・カリビアン」のキャプテン・ジャック・スパローも部下に裏切られたり、どこかの島の原住民につかまったりと、そのダメダメぶりが面白いですし、チョコレート工場のウィリー・ウォンカも、コンプレックスの塊のような男です。あっ、エド・ウッドなんて、ダメ男の見本のような男もいましたね。 この作品でも、小説が書けず、ボロボロのガウンを着て、酒を飲んでソファーで寝転がっているダメ男を、実に上手に演じています。それでも、どこかしらかっこよく、魅力的に見えてしまうのは、大スターたる所以でしょうか。 良質のサスペンスをお好みの方には、お勧めできませんが、ジョニー・デップのダメ男を見たいという方には、おすすめの逸品です。
2011.12.19
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「完全犯罪クラブ」 MURDεR 8Y NUM8ERS 2002年 アメリカ映画監督 バーベット・シュローダー主演 サンドラ・ブロック 完全犯罪を狙った殺人を犯した2人の高校生が、敏腕の女性刑事と対決するサスペンス映画です。 川辺の林の中で女性の死体が発見され、殺人担当の捜査官キャシー(サンドラ・ブロック)は、相棒のサムとともに捜査に入ります。 キャシーは、現場に残された足跡から、地元の高校生リチャードに目をつけます。ところが、リチャードは、靴は盗まれたもので盗難届も出してあると言い、死亡推定時刻には友人と勉強会をしていたというアリバイがありました。 またキャシーは、現場に残された嘔吐物から、もうひとりジャスティンという少年にも目をつけます。しかし、ジャスティンはリチャードとクラスメイトだが、2人は特に仲がいいというわけではありませんでした。 というお話で、上手に作れば、「古畑任三郎」のように、すごく面白い作品になると思うのですが、はっきり言って、全くいけていません。 2人の高校生の完全犯罪のための工作をじっくり描くのではなく、それを全く隠して刑事が推理していく過程をしっかり描くのではなく、犯人と刑事の心理的な対決をしっかり描くのでもなく、非常に中途半端な感じで、何かダラダラとした流れで、ほとんど緊迫感もなく、全くいけてないのです。 サイドストーリーとして描かれている、キャシーが若いころ受けたDVの描写も中途半端です。事件と全く絡むことがないこの話は、キャシーが刑事になったきっかけ、この事件にこだわる理由として描いているつもりと思われますが、はっきり言って全く生きていません。 ましてや、キャシーと相棒サムのベッドシーンなど、全く必要を感じず、何を考えているのか、全くわかりません。 そして、肝心の2人の高校生による完全犯罪を目指した工作が全くダメです。 被害者には彼らと全く関係のない通りすがりの女性を選んだり、髪の毛や衣服の繊維、指紋などを残さないようにすべてカバーして犯行に及んでいたり、麻薬の売人でもある校務員のレイの部屋のカーペットの繊維やレイの飼っているサルの毛などを採取して、わざわざ死体に付着させたりしていて、一見うまくやっているように見えます。 しかし、死体遺棄現場で嘔吐したものをそのまま残していたり、盗まれていることにしてわざと足跡を残した靴をレイの部屋に隠していなかったり、レイの部屋で犯行が行われたのならもっと大量に付着しているはずのカーペットの繊維やサルの毛などが1本ずつしかなかったり、崖の上の廃屋という2人だけの隠れ家がありながら自宅で犯行をしていたり、いざ殺人となったら萎縮して、殺すことをためらって譲り合ったり、その犯行の様子をビデオに撮影(これはリチャードの独断のようですが)し、そのテープの包装ビニールをそのままにしていたり、学校では2人が実は仲のいいところを見せないように気をつけていたのに、街中で仲良くしているところを刑事に目撃されたり、というように、ボロが有りすぎです。 もちろん、彼らがボロを出すことがなければ事件は解決しないのですが、これでは有り過ぎでしょう。完全犯罪を目論む犯人というのは、本当に完ぺきにやるのですが、たったひとつのカケラのような遺留品とか、たった一言の失言からボロを出すのです。 そして、彼らが一番ダメなところは、優れた刑事や探偵は、非常にカンが鋭いということを知らないことです。ホームズさんやポアロさんやコロンボさんや古畑さんやコナン君は、犯人のちょっとした態度の違いや、不用意な一言などから、捜査のわりと早い段階から目をつけ、捜査を進めて行くのです。 被害者とのつながりが分からないように、公務員のレイが疑われるように、工作しているのに、捜査の結構早い段階から刑事が来たことで動揺したのでしょうか、その尋問を受ける態度は疑われるには十分なものでした。全くダメですね。彼らは、まだまだ若いということでしょうか。 以上、サスペンスというには、あまりにお粗末な映画でした。これは、演出と脚本が全くダメということなのでしょうか。もっと、ヒッチコックやデ・パルマ、三谷幸喜(特に「古畑任三郎」)の作品を見て、勉強してほしいですね。 ところで、この映画、題名が全く変ですね。邦題も原題も。“クラブ”って何?MURDεR 8Y NUM8ERSって?変なところに凝るよりも、内容をもっと考えなよ。困ったものです。
2011.12.18
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「イエスマン“イエス”は人生のパスワード」 Yes Man 2008年 アメリカ映画監督 ペイトン・リード出演 ジム・キャリー ゾーイ・デシャネル 前年、やたらと暗い「ナンバー23」に主演して、不評だったジム・キャリーが、本来の土俵に戻って主演した、やたら明るいコメディ映画です。 常に“NO”と言ってきた後ろ向きな男カール(ジム・キャリー)が、ふとしたことで参加した講演会で、“YES”ということに目覚め、何にでも“YES”と答えることで、仕事もうまくいき、可愛い彼女もできて、人生がいい方に転がっていきます。 やっぱりジム・キャリーは、コメディですよ。身近ないろいろなことに“YES”と答えることで、最初はいい方に展開していくのですが、だんだんおかしなことになっていくという、ありがちなコメディですが、とても面白い作品です。 何といっても全体の雰囲気が明るいのがいいです。前年の「ナンバー23」で、終始しかめっ面の暗い演技で欲求不満だったのか、ジム・キャリーはいつものちょっとオーバー気味な演技で、表情豊かな個性を十二分に発揮しています。 と言って、ただ馬鹿なことをやってばかりではなく、人生の教訓的なテーマもちゃんと踏まえていて、観た人は、「よし、自分も明日から“YES”と言うぞ。」と、つい思ってしまうようないい映画です。 やっぱりジム・キャリーの映画はこうでなくっちゃ。 それから、もうひとつ注目すべきことは、カールの彼女になる女性アリソン(ゾーイ・デシャネル)が、非常にかわいいことです。目がくりくりしていて、小動物のような雰囲気で、笑顔が非常に似合う女性です。 この映画では、ちょっと不思議ちゃんキャラで、“ミュンヒハウゼン症候群“という名の変なバンドのボーカルをやっています。鳥やタツノオトシゴなどのかぶり物をしたり、奇抜な衣装で、数人の固定ファンのために、変な歌を歌っています。その様子は、劇中で出てくるだけでなく、DVDの特典映像で観ることができますし、youtubeでも、観ることができます。 そんなちょっと変わった女の子の役がとっても似合っているゾーイちゃん、まだまだ出演作も少ないですが、魅力たっぷりで今後が楽しみな女優さんです。 そんな、ジムキャリーの魅力を再発見し、今後有望な女優さんを見つけ、幸せな気分を味あわせてくれた、良質のコメディ映画でした。
2011.12.17
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「サマーウォーズ」 2009年 日本映画監督 細田守声の出演 神木隆之介 桜庭ななみ 日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞をはじめ、国内だけでなく国際的なものも含め、非常に多くの賞を受賞している、公開時、非常に話題になったアニメ映画です。 全世界に影響を及ぼすサイバー空間OZ(オズ)が、謎の人工知能ラブ・マシーンに乗っ取られかかったところを、主人公健二(神木隆之介)と、ヒロイン夏希(桜庭ななみ)と、田舎の大家族が救うという物語です。 僕の第1印象は、同じ細田監督の「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」とほぼ同じだということです。 同じ監督なので、絵の感じも同じで、同じようなサイバー空間で、同じような危機が起き、同じように一般的には危機に気づかず、同じようにサイバー空間上で戦って地球の危機を救う作品です。 「デジモン ぼくらのウォーゲーム」は、TVのアニメシリーズ「デジモンアドベンチャー」終了後、その後の出来事という形で、作られた劇場版作品なのですが、一般的にはヒットしたとは言い難く、デジモンファンだけが観たという形で終わった作品なので、細田監督としては、やや不満だったのでしょうか。 TVアニメシリーズの「デジモン」から離れた形で、サイバー空間での戦いで、地球を救うというお話を作り、大ヒットさせたかったのでしょうか。 その監督の思惑通り、一般的には知られていない前作など眼中にない、多くの観客や、映画評論家、様々な映画賞関係者には、大受けしたようです。 しかし、「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」を知っているごく少数の人々の中に位置する僕としては、このあまりにも似ている本作に対する違和感が、どうしても気になってしまいます。もちろん、同じ監督が作ったものですから、盗作とかそういう問題ではないのですが、前作の焼き直しという形で、ヒットを飛ばし、数々の賞をもらったことについて、細田監督は、どう思っているのでしょうか。 他にも、主人公が数学の天才的才能を持っているとか、大家族の中に、自衛隊や電気屋やOZ内の伝説のキャラクターや、挙句の果ては人工知能ラブ・マシーンの製作者までいるというご都合主義とか、最後のヒロインの取ってつけたような告白とか、最後の決戦がどうして今どき花札やねんとか、突っ込みどころは満載なのですが、やっぱり「デジモン ぼくらのウォーゲーム」の焼き直し作品であるということが大きすぎて、そんな些細な突込みどころは、どうでもいいとさえ思ってしまいました。 そんなことを思ってしまったので、ネットでこの作品に対して、絶賛の声を上げている皆さんのように、手放しで肯定的な意見を述べることができません。きっと、そんなことを抜きにして観れば、面白い作品なんだろうな、と思います。 ところで、相変わらず話題作りのためでしょうか、今回は大胆にも、主役級の声優に、若手俳優を持ってくるという大冒険をし、見事玉砕しているという悲しい現実がございましたことは、もう今のアニメ映画界では当たり前になっているので、あえて言うまでもないでしょう。
2011.12.17
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「イングロリアス・バスターズ」 Inglourious Basterds 2009年 アメリカ映画監督 クエンティン・タランティーノ出演 ブラッド・ピット クリストフ・ヴァルツ ブラピが、ナチスを殺しまくる男に扮したということで、話題になった映画です。タランティーノ監督お得意の、やたら殺しまくるバイオレンス映画かなと思いきや、意外とストーリーがしっかりしていて、上手にまとまっているなあという印象でした。でも、やっぱり人がたくさん死ぬ映画ですが。 第1章、1941年ナチス占領下のフランス、“ユダヤ・ハンター”とあだ名されるナチス親衛隊のランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)が、田舎の一軒家に隠れていたユダヤ人一家を惨殺します。逃げ出した少女ショシャナを除いて。 第2章、アメリカ軍のレイン中尉(ブラッド・ピット)が、秘密部隊として、“イングロリアス・バスターズ”を組織し、ナチスの兵士を惨殺し、頭の皮をはいでいきます。 第3章、1944年パリ、ショシャナは名を変え、叔母の遺産だという小さな映画館を経営していた。その映画館で、ナチスのプロパガンダ映画「国民の誇り」のプレミア上映会をすることになります。 第4章、レイン中尉は、パリでのプレミア上映会に集まるナチス幹部を一気に抹殺しようと画策し、スパイであるドイツ人女優と酒場で落ち合います。 第5章、プレミア上映会の日です。ショシャナはナチスに復讐すべく、密かに計画しています。 タランティーノ監督の、緊張感をあおる演出が見事です。第1章でのユダヤ人一家をかくまっている家の主人とランダの駆け引き、第3章のショシャナとランダの会話、第4章のナチス将校とナチスに化けた“イングロリアス・バスターズ”のメンバーとドイツ人女優の探り合い、第5章のドイツ人女優を尋問するランダなど、独特の間で、互いの秘密がばれるのかばれないのか、ハラハラドキドキして、つい画面に引き込まれていきます。 また、タランティーノ監督お得意のバイオレンス描写も、“イングロリアス・バスターズ”が、捕まえたナチス兵を殺すシーンや、打ち合いのシーンなど、鬼気迫るものがあり、見事なものです。 また、”イングロリアス・バスターズ”のメンバーに「ナチスを抹殺し、頭の皮をはいで来い。」と命令するシーン、捕まえたナチス将校を尋問するシーン、そして最後の場面など、ブラピの完全にいっちまっている演技、最高です。 そして、ナチス親衛隊のランダ大佐の見事な悪役ぶり、非常に憎たらしいです。米アカデミー賞助演男優賞など、数々の賞を貰っているのも納得です。 ちょっと、グロテスクなシーンもあり、そういうのが苦手な人にはお勧めできないですが、実は史実と明らかに違うところもありますが、非常に見ごたえがある作品に仕上がっていて、とても満足でした。 やっぱりブラピは、いっちゃってる演技が最高です。
2011.12.16
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「名探偵コナン 漆黒の追跡者(チェイサー)」 2009年 日本映画監督 山本泰一郎声の出演 高山みなみ他いつものみなさん DAIGO 実は、「名探偵コナン」も好きな漫画の一つです。単行本もすべて購読しております。今回は、劇場版第13作ということで、例の黒ずくめの組織が話にかかわってくるということを、大々的に宣伝していたので、見たいと思っていた一遍です。少し前にTV放送があったものを録画していたので、観てみました。 まず、「名探偵コナン」を知らない人のために解説しておきます。 青山剛昌作「名探偵コナン」は、週刊少年サンデーに、1994年から連載されており、サンデー史上最長の連載で、今や大看板漫画となっている作品です。(現在も連載中)単行本も73巻(続巻中)を数え、「こち亀」や「ゴルゴ13」に並ぶ大長編漫画となっています。 TVアニメも、1996年から放映中で、原作にかなり忠実に作られています。 劇場版映画については、来年公開されるものが第16作で、ほぼ1年に1作、公開されています。TVアニメとは違い、原作から離れたオリジナルストーリーで、毎回作られています。 主人公は江戸川コナン、小学1年生です。その正体は実は、高校生探偵工藤新一です。ある時、新一は謎の黒ずくめの男たちの犯罪現場を目撃してしまい、彼らに毒薬を飲まされます。命を失うことはありませんでしたが、体が小さくなってしまいました。仕方なく、江戸川コナンと名乗り、幼馴染で、探偵毛利小五郎の娘、蘭の家に居候しながら、謎の黒の組織の情報を探りつつ、様々な事件を解決していくという物語です。 毛利探偵と娘の蘭、コナンの正体を知っている発明家の阿笠博士と少年探偵団の歩美・元太・光彦、元は黒の組織の一員でコナンと同じく小さくなってしまった灰原哀、警視庁の目暮警部と高木・佐藤・白鳥・千葉刑事、蘭の親友で鈴木財閥のお嬢様園子、なにわの高校生探偵服部平次と彼女の和葉、黒の組織を追うFBIのみなさんなど、おなじみのメンバーに囲まれ、毛利探偵が事件を解決する形を守りながら、実はコナンが解決しているというお話です。 今回の劇場版は、連続殺人事件に、黒の組織がかかわってくるというお話ですが、はっきり言って、突っ込みどころ満載で、まったくいただけません。がっかりしました。 まず、連続殺人事件ですが、探偵物にもかかわらず、まったく推理を必要としない事件で、普通に警察が捜査していけば、普通に解決できる事件で、まったく面白味がありません。実際、目暮警部たちとコナンは、まったく別個に捜査していますが、双方とも同じ犯人に行きついています。被害者たちの共通点を探っていけば、2年前の京都の火事に行きつくのは当たり前で、そこから犯人にたどり着くのも非常に簡単です。現実の警察でも、簡単に解決するでしょう。まあ、今回は黒の組織との対決がメインなので、事件としては、このくらいでいいということにしておきましょう。 さて、黒の組織の方ですが、今回は、原作には登場しないアイリッシュという男が、直接の対決相手です。彼は、工藤真一がコナンであることを突き止め、刑事のひとりを誘拐監禁して、変装してすり変わり、最後の対決の場にやってきます。そして、独断専行がすぎるとして、ジン(工藤に最初に薬を飲ませた男。黒の組織の中心的役割の男。ポルシェに乗っている。彼らは、お酒の名前のコードネームで呼び合っている。)たちに抹殺されてしまいます。 ここで、疑問に思うことが頻出してきました。 まず、アイリッシュはどうして、工藤がコナンであることがわかったのでしょうか。姿を隠したまま。実は黒の組織には、もうひとり工藤がコナンであることを知っている人物がいます。それはベルモットという女で、彼女はかなり長いことコナンたちの近い人物にすり替わっていたため、わかったのです。コナンは、身近な毛利探偵や蘭たちにも絶対わからないように、非常に慎重に行動しており、ばれていません。それを、姿を現すことなく、どうやって調べたのか、非常に疑問です。 また、そのコナンの正体をなぜ、組織に報告しないのでしょうか。ベルモットは、長い潜入生活の末、コナンたちを非常に気に入ってしまい、組織には報告しないことを宣言しているわけですが、アイリッシュには、そんなわだかまりはありません。どうして組織に報告しないのでしょうか。 またまた、アイリッシュが、わざわざ刑事のひとり(誰かは、書かないでおきます。)を、誘拐監禁してすり変わったのは、なぜでしょうか。どうして、そんな非常に危険なことをするのでしょう。顔などを見られないようにうまくやっていますが、はっきり言って、足がつきやすい、非常に危険な行為です。もっとうまくやる方法はなかったのでしょうか。 そして、最後の場面で、ジンたちは、ヘリコプターで東京タワーに近づき、機関銃で、打ちまくっています。東京タワーの展望台は、もう蜂の巣です。謎の組織が、そんな派手なことをやっていいのかということです。はっきり言って、どう考えても大騒ぎです。その大騒ぎぶりに、周辺の住人は絶対気づくでしょう。そして、目撃者はかなりの数に及ぶでしょう。そして、調子に乗って打ちまくった機関銃の弾は展望台の中に残りまくりです。証拠が残りまくりです。謎の組織として、それは有りなのでしょうか。 ということで、事件の陰に隠れて、コナンと黒の組織がいかに対決するか楽しみに観ていたのですが、陰に隠れない、予想外の派手な対決で、びっくりした次第です。 原作にはない話なので、コナンと黒の組織の間で、何かしらの進展があってはいけないのは分かっていますが、この展開はないだろう、と呆気にとられた次第でした。 いつものエンドロール後のミニコントも、コントになっていなかったし、非常にがっかりした一篇でした。 余談ですが、ゲスト声優のDAIGOには、がっかりしたのは言うまでもありません。いい加減、話題作りのためのゲスト声優という制度は、やめません?
2011.12.13
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「バタフライ・エフェクト」 The Butterfly Effect 2004年 アメリカ映画監督 エリック・ブレス主演 アシュトン・カッチャー 以前、「ジャケット」という映画の記事を書いた時、参考のために、ネットで感想を見ていたところ、「バタフライ・エフェクト」に似ているという感想が少なからずありました。まだ、未見だったので、とても気になっていました。 今回、DVDをレンタルして観ました。結論、「全然、似てないやんけ!!!適当なこと言ってんじゃねえよ!!!」です。 確かに、タイムトラベルを扱っていて、恋愛の要素もあり、精神病院が出てきますが、それぞれの扱いが全く違います。「ジャケット」では、原因不明で、肉体ごと未来へタイムトラベルし、未来の女性と恋愛し、主人公は基本ずっと精神病院にいます。「バタフライ・エフェクト」は、主人公の遺伝された能力で、意識だけ過去へタイムトラベルし、現在の彼女と恋愛し、精神病院にいるのは一部だけです。 これは、似ているんですか?これが似ているのであれば、僕と福山雅治は似ていることになります。目と眉毛と耳と鼻の穴はふたつずつ、口と鼻はひとつずつ顔の中にあります。そして、2人とも天パーで、40代の男です。彼は坂本龍馬の役をやり、僕は坂本龍馬が好きです。どうです、僕と福山雅治は似ているでしょう。 「ジャケット」と「バタフライ・エフェクト」が似ているなんて、いい加減なことを言わないでください。自分の分析能力がおかしいことをひけらかさないでください。 すみません。あまりに腹が立ったので、言わせていただきました。 さて、「バタフライ・エフェクト」ですが、なかなか面白い映画でした。 人はみな、過去のある地点へ戻って、現実とは違う選択をしていたら、人生変わっていただろうと、思ったことがあるでしょう。遺伝された能力により、それができる男の話です。 時々、記憶をなくす少年だったエヴァン(アシュトン・カッチャー)は、少年のころ書いていた日記を見ると、意識が過去に戻る能力があることを発見します。そして、過去に戻って、周りの働きかけることで、未来を変えることができることを知ります。 エヴァンは自分のせいで、幼馴染の少女ケイリーの人生を狂わせてしまったことから、過去に戻り、人生を変えていきます。しかし、何度戻っても、ケイリーやほかの友だち、家族や自分など、誰かが不幸になってしまうため、戻る地点を考えなければならないことに気づくのです。 エヴァンは、何度も過去に戻って行く内、自分の記憶が蓄積して行き、脳に異常な負担をかけることに気付いていきます。実は、彼の父親も自分と同じ能力を持っていたため、記憶の異常な蓄積で精神を病み、彼が物心ついたころには、精神病院にいたのです。 その、父親の例からもわかるように、この能力は、悪魔の能力です。何度も何度も、人生の選択をやり直すたびに、脳に負担をかけ、ゆくゆくは脳がパンクしてしまうのです。 人は、人生の分岐点において、何度も何度も選択を強いられます。時にはいい選択をし、時には間違い、その結果として今生きています。選択のたびに生まれるリスク、それがあるからこそ、様々な選択を経て、人は人として成長していくものではないでしょうか。 人生の分岐点でひとつの選択をするということは、ほかの可能性を捨てるということですから、そこに何かしらのリスクが生まれるのは必然ではないでしょうか。全くリスクの生まれることのない選択というのはあるのでしょうか。そんな選択を望むというのは、傲慢というものではないでしょうか。 彼は、何度も何度も過去に戻り、選択のやり直しを繰り返します。でも、そのたびに周りの誰かが不幸になります。そして、結局彼が選んだ選択は、ハッピーエンドですが、実は彼にとっては1番アンハッピーな結末でした。彼は、この結末を選ぶことで、何とか精神に異常をきたすことは免れます。これが、1番いい選択だったのでしょう。 彼のこの能力は、選択をやり直すことはできますが、結局は選択をすることには変わりありません。そして、すべてが満足する選択というのはありえないので、結局は、どこで妥協するかということです。それに気付いたエヴァンは、もう過去に戻ることをやめようと決意するのです。今後は、彼は人生の分岐点に立つたびに、慎重にその道を選び、その結果がどう出ようと、それを受け入れ、人生を有意義に進んでいくことでしょう。 結局は、それが一番いい、ハッピーエンドだったのです。 ということで、人生を考え直す、いいテーマを持った、いい映画だったと思いました。 題名の「バタフライ・エフェクト」というのは、通常なら無視できるような小さな差が、巡り巡って、やがては大きな差を生んでしまうことを言います。ある場所での小さな蝶のはばたきが、そこから離れた別の場所の将来の天候に影響を及ぼすことから生まれた言葉です。 まあ、言ってみれば、「風が吹けば桶屋が儲かる」ということです。 だから、タイムトラベルは、難しいのです。
2011.12.11
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「レッドクリフ」 赤壁 Red Cliff part1 2008年 part2 2009年 中国映画監督 ジョン・ウー出演 トニー・レオン 金城武 「三国志」の前半の山場、“赤壁の戦い”を、現代の技術をフルに発揮し、迫力十分な映像で映画化した作品です。全編5時間にも及ぶ大作のため、Part1,part2と2つに分けて公開されました。今、CATVで放映しているので、観ながら書いています。 「三国志」とは、中国の後漢時代末期、黄巾族の反乱から、群雄割拠の時代になり、様々な勢力が攻防を繰り返し、やがて、「魏」「呉」「蜀」の三国の争いになっていく様を描いた史書です。(西暦でいうと、180年頃から280年頃のことです。)それが、後の時代「三国志演義」という小説が書かれ、一般に広まりました。 わが日本でも、古くから「三国志演義」や、その他の物語・史書により、よく知られていましたが、近年、一般によく知られることとなったのは、吉川栄治の小説や、横山光輝の漫画によるところが大きいでしょう。 僕も横山光輝の漫画「三国志」(文庫版)を購読し、吉川栄治の小説「三国志」も読んで、物語を知り、好きになりました。 “赤壁の戦い”は、物語の前半のクライマックスで、三国が形成されるきっかけとなる戦いです。後漢の皇帝を守り、丞相として江北に一大勢力を築いていた曹操(後に「魏」を建国)に対し、江南に「呉」を建国しつつある孫権と、この時点では勢力は少ないが関羽・張飛・超雲など名将に恵まれ、諸葛孔明を軍師とした劉備(後に「蜀」を建国)が連合し、長江(揚子江)沿岸の“赤壁”で激突した一戦のことです。「呉」の大都督周瑜の水軍の活躍と、孔明の天候を読んだ見事な策略により、圧倒的勢力であった曹操軍を退けた戦いです。長い「三国志」の物語の中で、知略のおもしろさと、戦いの規模の大きさで、群を抜いて見ごたえのある戦いでしょう。 Part1は、劉備軍を撃破しようと南下してきた曹操軍との戦いに敗れた劉備軍が、撤退する場面から始まります。この状況を打開するため、孔明(金城武)はともに戦うため、呉を説得に向かいます。 呉では曹操と戦うべきか協議していました。劉備を破った曹操は、その勢いで呉へ向かってくるのは明らかです。そう考えた呉の大都督周瑜(トニー・レオン)は、主君孫権を説得し、赤壁の城で曹操軍を迎え撃つのです。 Part2は、孔明と周瑜の知恵比べで始まります。孔明は不足している矢を10万本手に入れること、周瑜は曹操軍の水軍の要である蔡瑁と張允を亡き者にすることです。 周瑜の元へ、降伏を解くため曹操軍から幼馴染の蒋幹がやってきます。周瑜は彼を利用し、偽手紙で蔡瑁と張允が呉軍と通じているように見せかけ、見事2人を処刑させることに成功します。孔明も、濃霧を利用し、曹操軍から10万本の矢を手に入れました。 しかし、曹操軍の圧倒的優位は変わりません。連合軍は火責めを考えますが、風向きがよくありません。孔明は雲の流れを読み、明日にでも風向きが変わることを予言します。 連合軍は、風向きが変わると同時に、火のついた船を対岸の曹操軍に向かわせ、曹操軍の水軍を壊滅させ、その期に乗じて、一気に総攻撃にかかります。 横山「三国志」でこの物語になじんでいた僕としては、この映画の映像の迫力に魅せられてしまいました。 横山光輝先生の漫画「三国志」は、その落ち着いた独特の作風で、非常に丁寧に淡々と描かれて、非常にわかりやすくていいのですが、戦いの迫力という点ではいまひとつの感が否めません。 なので、この映画の迫力ある戦いの場面は、新鮮で、楽しんで観ていました。 炎が燃え盛り、矢が雨のように飛び交い、刀や槍で戦い、砦の壁をよじ登り、集団でぶつかり合い、盾で周囲を覆いながら敵陣に飛び込み、騎馬で駆け抜ける。 当たり前のことですが、当時の戦いはこうだったのだろうな、と思わせるリアルな迫力ある映像は、非常に見事にでき上っています。時間を忘れて、つい見入ってしまいます。 周瑜と、絶世の美女と言われたその妻小喬の濡れ場はいらないだろうとか、細かいところを言い出せば、突っ込みどころもいろいろとあるでしょうが、「三国志」ファンの僕としては、“赤壁の戦い”を、迫力映像で見事に再現してくれたということだけで、絶賛したい大傑作です。 「三国志」は、非常に長い物語ですが、この映画のように、部分的に取り出して映画化することで、中身をしっかりと描くことができ、見事にまとまった作品になっています。 長編漫画を映画化しようと考えている映画関係者の皆さんに、是非、見習ってもらいたいと思っています。
2011.12.10
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「X-menファイナルディシジョン」 X-men:The Last Stand 2006年 アメリカ映画監督 ブレット・ラトナー出演 ヒュ-・ジャックマン パトリック・スチュワート イアン・マッケラム ハル・ベリー エレン・ペイジ 以前、はまってしまったと語ったX-MANシリーズの完結編です。「1」「2」とみて、非常に面白かったので、今度はDVDを買ったのですが、観てがっかりして、すぐに売ってしまいました。今回、この記事を書くにあたって、かなりの内容を忘れていたので、DVDを借りてきて観ました。(なんとアホなことをしているのだろう。)そして、やっぱりがっかりしました。以下、どんな点にがっかりしたか語っていきましょう。 まず、冒頭からがっかりしたのが、前作で仲間を助けるために自ら犠牲になり命を落としたはずの、ジーンの復活です。 前作の最後で、自らの危険を顧みず仲間を助けた彼女の姿に、感動し涙を流した人も少なからずいたと思うのですが、「なんだよー、感動して損した。」と思ってしまったのではないでしょうか。確かにミュータントの能力は底知れないものがありますが、死まで超越してしまうのはやり過ぎなのではないでしょうか。 しかも、復活したジーンが、化け物じみた超パワーを発揮します。実は、彼女の心の奥には、すごいパワーを秘めた別人格(“フェニックス”という名だそうです。)が眠っており、プロフェッサーX(パトリック・スチュワート)が押さえ込んでいた、といういかにも後付な言い訳がなされていますが、ちょっと違うのでは、と思ってしまいました。まあ、確かに、「2」では、ジーンの超能力はすごいことは見受けられますが。 またまた、しかも、ジーンが亡くなってすっかりしょげかえっているスコットが、なぜか、思いついたように現場のダム湖に行った途端、ものすごく都合よく復活します。その上、あろうことか、その最愛であったはずのスコットをそのものすごいパワーで殺してしまうというのは、いかがなものかと思いますね。 前のジーンとは別人格なんだよということをわかりやすく描きたかったのかと思いますが、「1」「2」と、X-MENの主要メンバーでありながら、ほとんど活躍の場が無かったスコットに、追い打ちをかけるようにこの仕打ち、彼があまりにも不憫でなりません。 そして、またまたまた、しかも、ジーンは勢い余ってウルヴァリン(ヒュ-・ジャックマン)に色っぽく迫り、プロフェサーをぶっ殺し、マグニートー(イアン・マッケラム)の側の女王様になってしまいます。「こんなの、きれいで優しかったジーンじゃないよー。」と思った方が多かったのではないでしょうか。 次に、前作、そのテレポート能力を生かしたホワイトハウス襲撃で華々しく登場したナイトクローラーはどうしたのでしょうか。全く姿を見せないというだけでなく、その存在すら語られないのは、いかがなものでしょうか。いくら役者の都合ができなかったとはいえ、何かしらの一言があっても良かったと思うのですが、なまじ、前作でかっこよく登場しただけに、彼の活躍が見られなかったのは、悲しい限りです。 それから、今回新登場のミュータント、主要なところでは、背中に大きな羽を付けた“エンジェル”、壁抜け少女キティ(エレン・ペイジ)、青い肌で毛むくじゃらな“ビースト”がいますが、気になったのは“ビースト”です。 プロフェッサーやマグニートーと同世代らしい彼は、政府の高官ミュータント省長官として登場してきますが、いったい政府でどんな仕事をしているのでしょうか、見たところ、マグニートー率いる“ブラザーフッド”に対する対策を担当しているだけのように見えます。 前作で、ミュータントの人権が認められ、差別や偏見をなくす方向で政府が動き出した、その表れとして高官を置いたという流れだと思うのですが、この映画で描かれている“新薬”の開発に対する対応などは、まさに彼の担当になるのではないでしょうか。一民間企業の仕事といえども、彼が全く知らなかったところからこの“新薬”が出てくるのは、政府として、あまりにも無策なのではないでしょうか。 そして、大統領のコロコロ変わる態度も非常に疑問です。ミュータントの事を認めて担当の長官を置いているほど、理解が深まったのだなと思っていたら、“ブラザーフッド”が例の“新薬”の研究所に攻め入ったら、「ミュータントを殺せ!!」的な発言を見せ、最後、X-MEMの活躍で事件が収まったら、またにこやかにビーストと握手をしています。いったい、彼の本性はどこにあるのでしょうか。 そして、何より、この映画最大の疑問は、ミュータントを治すという“新薬”です。 ミュータントは、その言葉通りの解釈からすると、DNAレベルでの人類からの変異のはずです。それを注射1本で変えてしまう“新薬”というのはどんなものなのでしょうか。しかも、ミスティークが劇中でこの“新薬”を打たれたところから見受けるに、非常に即効性のある薬のようです。打たれたそばから、みるみる彼女の姿が変わっていきました。 この“新薬”の開発には、ミュータントの力を無力化する能力を持つミュータントの少年が関係しているようですが、彼の能力は、自身の周り1mぐらいの範囲にしか及ばないようです。 どういう理屈で、彼の何が使われ、“新薬”が作られているのか、どのように大量生産しているのか、もう少し、劇中で解説してもらわないと、いくらSF映画の絵空事とはいえ、納得して観てはいられません。 あの大リーグボールだって、ハイジャンプ魔球だって、スカイラブ投法だって、一応の理屈付けは、話の中でされているのです。いかにももっともらしい理屈を付けてごまかされているだけなのですが、せめて、観客をごまかすだけの理屈を用意してほしかったです。 ということで、改めて見直しても、やっぱりがっかりした、ちっとも完結していない完結編でした。 ところで、タイトルクレジットでは、かなり後の方で、複数名で名前が出ていた、壁抜け少女キティ役のエレン・ペイジですが、非常に出番が多く、アイスマンを誘惑し、ローグの心を惑わし、最後には“ジャガーノート”を手玉に取り、例の少年を救い出してくるという大活躍でした。 やはり、この子は将来大物になるということを、監督が見抜いて、異例の大抜擢ということでしょうか。 ちなみに、「JUNO」は、この翌年公開です。
2011.12.07
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「ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」 The Hangover 2009年 アメリカ映画監督 トッド・フィリップス スター不在の低予算コメディ映画が、アメリカで2週連続全米1位の興行収入を飾り、ゴールデングローブ作品賞(ミュージカル・コメディ部門)に輝いたということで、話題になったので、観たいと思い、やっと観ることができたので、書きます。 結婚を2日後に控えたダグは、親友のフィル(教師・妻子持ち)とスチュ(歯医者・婚約者有)、そして花嫁の弟アラン(変人)の4人で、バチェラー・パーティー(独身さよならパーティー)で、ラスベガスの高級ホテルのスイートルームにやってきました。 手始めにホテルの屋上で夜景を見ながら乾杯をした次の瞬間、朝になり、ホテルの荒れ果てたスイートルームで目を覚ましました。 部屋はとにかく散らかっており、鶏が1羽闊歩しており、バスルームにはトラがおり、スチュの前歯が1本抜けており、アランはへそピアスをし、リビングのソファーには赤ん坊がおり、あろうことか花ムコのダグはどこにもいませんでした。 フィル・スチュ・アランの3人は、二日酔い(ハングオーバーhangover)で、昨夜のことは何ひとつ覚えていません。 3人は、行方不明の花ムコを探すため、昨夜の行動を探り始めます。 3人が捜索するうちに、4人の昨夜の行動がいかにハチャメチャだったか、徐々に明らかになっていきます。まだ未見の方のために詳しくは語らないでおきますが、とにかく、羽目を外すにしてもやりすぎです。 コメディに、謎解きの要素が加わり、なかなか面白い作品に仕上がっていますが、何しろ男4人が思いっきり羽目を外しているので、少し下品です。そういうのが嫌な人はちょっと嫌かもしれません。でも、アメリカで大受けだったというのは分かる気がします。なにしろ、アメリカという国は、おバカ大好きですから。 本編も面白いのですが、実は一番面白いのはエンドロールです。 本編の最後に、この夜の行動を映したデジカメが見つかります。その写真がエンドロールで、クレジットの横にスライドショーされるのです。カジノやバーで、いかに彼らがお下劣な行動をしていたかが、よくわかり、大爆笑です。 一応、言っておきますが、最後は何とか結婚式に間に合っています。ご安心を。
2011.12.05
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「ナンバー23」 The Number 23 2007年 アメリカ映画監督 ジョエル・シュマッカー主演 ジム・キャリー トム・ハンクスが、コメディ映画から脱却した今、アメリカのコメディの帝王と言えば、そう、ジム・キャリーです。しかし、彼は、時々コメディじゃない映画にも出演し、その演技力の確かなところを見せてくれます。以前このブログで紹介した「マジェスティック」もそうでしたし、ゴールデングローブ賞(ドラマ部門)主演男優賞を受賞している名作「トゥルーマン・ショー」もあります。でも、この2作は明るい人情ドラマで、コメディタッチで描かれている作品ですので、彼の表情豊かなところが生かされた、いい感じの作品でした。 しかし、この映画は違います。全編暗い雰囲気で、夜の場面も多くあります。ジム自身も、いつもの豊かな表情は封印し、終始しかめっ面で、ほとんど笑顔を見せません。 動物管理局で、主に野良犬の捕獲などを仕事にしているウォルター(ジム・キャリー)は、誕生日の2月3日に、妻のアガサから妄想小説「ザ・ナンバー23」という本をプレゼントされます。 それは、“トップシィ・クレット”というあやしい名前の作者が妄想したことを、主人公の“フィンガリング”という探偵が行動するという小説でした。 最初は嫌がっていたウォルターですが、読み進めるうちに引き込まれ、主人公と自分に共通点が多いと言いだし、これは自分ではないかと思い始めます。 小説の主人公が“23”という数字に取りつかれ始めると、ウォルターも“23”に取りつかれ、自分の身の回りの数字から、“23”をどんどん探し当てていくのです。 映画の前半、ウォルターが生活のいろいろな場面でこの本を読んでいる場面と平行し、その読んでいる内容が映像化されます。主人公の探偵“フィンガリング”を演じているのは、もちろんジム・キャリーです。ウォルターが文章を読んで思い浮かべている映像がそのまま、劇中劇の形で映像化されていくわけです。 この前半、物語の進み方がゆっくりで、不覚にも、眠ってしまいました。ふと気がつくと、30分ぐらい時間がたっています。「いかん、いかん、」と思いつつ、DVDを巻きもどして、ということを、2回ほど繰り返してしまいました。決して、退屈というわけではないのですが、何しろ物語の雰囲気が暗いのです。 ウォルターは自分の身の回りから、どんどん“23”を見つけ出していきます。自分の誕生日が2月3日、運転免許証番号、社会保障番号を足してみると“23”、ウォルターという名前もアルファベットの順番で番号を付けて足してみると“23”、生まれた時間が11時12分で足すと“23”、妻と出会った日が9月14日で足すと“23”、結婚式が10月13日で足すと“23”、家の番地が1814で、上2ケタ1+8とした2ケタ14を足して“23”、または、上2ケタ18と下2ケタ1+4を足して“23”、または全部足すと1+8+1+4=32逆にして“23”、妻の靴が“23”足、ラテン語の文字が“23”文字、タイタニック号の沈没が1912年4月15日で1+9+1+2+4+1+5で“23”、広島の原爆投下が1945年8月6日で1+9+4-5+8+6で“23”、ヒトラーの自殺が、1945年4月で1+9+4+5+4で“23”、同時多発テロが2001年9月11日で2+0+0+1+9+11で“23”といった具合です。 「凄い、“23”に呪われている。」と思いましたか? ごまかされてはいけませんよ。よく見てください。ものによっては年号や日を無視したり、数字のばらし方も1ケタだったり2ケタだったりで、原爆投下に至っては-が入っていたりします。 そうです。明らかに意図的に“23”を作っているのです。上手に“23”になるように操作しているのですね。 しかし、ウォルターは“23”に取りつかれていると感じています。 そうです、明らかに彼は狂気に陥っているのです。 世の中には、新聞記事や雑誌や書物や絵画から意味のある暗号を読み取ってしまう人がいます。自分勝手に作った法則により、文字や言葉を引き出し、都合のいい具合につなげて、意味のあるものに作り上げてしまうのです。 そして、「聖書に暗号がある。」とか、「『モナ・リザ』にはダ・ビンチの暗号が隠されている。」とか、「『TIME』の記事の中に共産主義者のメッセージがある。」とか言い出すのです。 そういう人は、確信犯的に意図的に操作をしているか、狂気に陥っているかどちらかです。真に受けて、大騒ぎしてはいけませんよ。 ちなみに、狂気に陥っている場合の例は、ラッセル・クロウ主演で、第74回アカデミー作品賞に輝いた「ビューティフル・マインド」という映画に詳しく出てきます。 ウォルターの場合は、どちらかというと、狂気の方でしょう。でも、この映画では、精神病院に入るほどのことはなく、彼はこのおかげで、失われていた記憶を取り戻すことができるのです。その記憶は、ここでは詳しく語ることはやめておきますが、忌むべきもので、彼は自ら記憶の中から追い出していたのです。 彼は、この記憶を受け入れ、家族(妻アガサと息子ロビン)もそれを受け入れることにより、一応のハッピーエンドを迎えます。(あくまでも一応ですが) 後半の話の展開は、どんどん事実が明らかになるにつれて加速し、この結末まで一気に行ってしまうほど、テンポが良くなり、引き込まれていきます。でも、雰囲気は相変わらず暗く、ジムはしかめっ面のままです。 というお話です、まあまあ良くできたミステリーサスペンスですが、察しがいい人は、オチに気がついてしまうでしょう。ひねりというか、どんでん返しというのがあまりない感じがします。「えっー!!」という感じではなくて、「あっ、やっぱり!」という感じです。 しかし、この映画のプロデューサーは、どうして主役にジム・キャリーを起用したのでしょうか、彼は、持ち前の演技力で無難に演じきっていますが、終始しかめっ面のこの役、彼のちょっとオーバー気味だが、表情豊かで弁舌で、多くの人に好感を持たれるという、個性が完全になくなっています。 彼がコメディ一辺倒の芸歴から脱却したいというのはわかりますが、いい個性を消してしまってはだめではないでしょうか。 余談ですが、“レオナルド・ダ・ビンチ”というと、ルネサンス期の超有名な画家・科学者ですが、その名は、訳すと“ビンチ村のレオナルド”という意味です。“ダ・ビンチ”というのは、苗字ではありません。ですから、良識のある人は、名前を略するときは、“レオナルド”と言います。だいたい美術関係の書物は、“レオナルド”と書いてあるはずです。 ですから、僕は、“ダ・ビンチ”と呼んでいるものは基本的に信用しません。しかし、中には、美術書でありながら、“ダ・ビンチ”と書いてあるものがあるから、悲しい限りです。 ですから、僕は、大変話題になった映画ですが、「ダ・ビンチ・コード」という映画は、いまだに観ていません。トム・ハンクスは、好きな役者のひとりで、だいたいの作品は観ていますが、「ダ・ビンチ・コード」と「天使と悪魔」という映画は観ていません。きっと、これからも観ないでしょう。もちろん原作の小説は言うまでもありません。
2011.12.04
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「X-MEN2」 X2 2003年 アメリカ映画監督 ブライアン・シンガー出演 ヒュー・ジャックマン パトリック・スチュアート イアン・マッケラン ハル・ベリー 昨日、「X-メン」の記事を書いたら「2」を見たくなって、思わずDVDを観てしまいました。ということで、今日は「X-MEN2」です。前回の記事を未読の人、X-MENについて知らない人にとっては、全くチンプンカンプンな記事になっておりますので、ご注意を。 もちろん続編ということで、新登場したミュータントの新キャラクターがいます。 身軽なテレポーター・ナイトクローラー、冷凍人間アイスマン、火を操るパイロ、相手に幻覚を見せることができるジェイソン、そして、ウルヴァリンと同じく、超速再生能力があり超合金アダマンチウムの骨格を持つレディ・デスストライクです。 今回の敵はストライカーという男。政府関係でかなり重い地位にあり、結構独断で軍隊(私兵?)を動かせる男。ミュータントの息子(ジェイソン)を持ち、そのおかげで妻を亡くし、ミュータントを憎んでいる男。そのくせ、けっこうミュータントに詳しくて、薬を使ってミュータントを操れる男。そして、ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)を作った男です。 金属完全排除のプラスチック製の特別監獄(これがまた見事です。)に入れられていたマグニートー(イアン・マッケラン)は、そのストライカーに薬で無理やり自白させられ、X-MENの本拠地「恵まれし子らの学園」と、その中にあるプロフェッサーX(パトリック・スチュアート)にしか使えないテレパス増幅装置「セレブロ」の秘密を明かしてしまいます。 そして、ストライカーの手により、マグニートーの面会に来たプロフェッサーとスコットは捕らえられ、「恵まれし子らの学園」は軍隊の急襲を受け、命からがら逃げ出せたのはウルヴァリンとローグ、アイスマン、パイロの4人だけで、ほかのミュータント(ほとんど子ども)たちは、捕らえられてしまいます。 ホワイトハウス襲撃男(ストライカーの差し金らしい)であるナイトクローラーを仲間にするために出かけていたジーンとストームと合流したウルヴァリンたちは、ミスティークの手助けで脱獄したマグニートーと、共通の敵を倒すため、ストライカーの本拠地に向かいます。それは、1作目の最後で、プロフェッサーのテレパスにより深層心理をのぞいてもらってわかった、ウルヴァリンの失われた記憶と関係のあるらしいダム湖の地下にあるのでした。 ということで、共通の敵(人間)に対し、前作では敵だったX-MENとマグニートーが手を組んで戦うという、非常に理にかなった、単純なストーリーで、わかりやすくでき上っております。そして、うれしいのは、それぞれのキャラクターにそれぞれの能力を生かした見せ場が用意されているところです。 新キャラのナイトストーカーは、その身軽さとテレポート能力を生かしたホワイトハウス襲撃シーン、ストーム(ハル・ベリー)は、その能力で多数の竜巻(ちょっと、下界に住んでいる方々は大変だったかもしれませんが)を起こし、スクランブル発進をした米軍に戦闘機を撃退し、アイスマンは、氷の壁を瞬時に作り、脱出の手助けをし、パイロは火拳(エースよりも強力かも)で警察のパトカーをふっ飛ばし、ジェイソンはストライカーの命で、幻覚を使ってプロフェッサーを操り、ストライカーに操られたスコットとジーンの対決、アダマンチウムの骨格と爪を持つ不死身者同士、ウルヴァリンとデスストライクの対決、ミスティークは前回に引き続いて上院議員に変身したり、デスストライクに変身して機密を探ったり、とファンにとってはうれしい限りです。 とりわけ見事なのは、マグニートーの脱獄です。まだ未見の方のために、詳しくは述べませんが、ミスティークの手助けにより手に入れたほんの少しの鉄を使い、巧みに脱出する様は、非常にかっこいいです。 そして、そのケタ外れのパワーのすごさを見せつけたのは、ジーンです。プロフェッサーが実は自分よりもすごいパワーを秘めていることを見抜いており、ひそかに後継者にしようともくろんでいたジーンですが、詳しくは延べませんが、ラストで、そのすごさを見せつけてくれます。 以上のように、前作よりもパワーアップした、それぞれの見せ場を作り、見事にお話を2時間の映画にまとめ上げた監督の力量には感心させられます。 しかし、気になるところもあります。それは、キャラクターたちの恋愛事情に関する描写です。 その能力ゆえ、好きな人と直接触れ合えないローグの悩みは、物語のテーマに関わるところなので、外せないかもしれませんが、前作から続くウルヴァリンとジーンとスコットの三角関係は余分だなと思いますね。ミスティークの密かなウルヴァリンへの片思いは、言うまでもありません。 まあ、年頃の男女(実は「ウルヴァリンX-MAN ZERO」でわかりますが、ウルヴァリンは違います。)ばかりなので、あっても不思議ないのですが、ストーリー展開には邪魔でしょう。ひとりだけハバになっているストームがかわいそうだとは思わないの、あんたたちは。(個人的には、ジーンよりはストームの方がコンパクトグラマーなので、好みですが。)まさか、人種差別しているのか、あんたたちは。 と、冗談はさておいて、世界観の紹介に終始している第1作に比べ、アクションもおもしろさも、格段にアップしている2作目でした。ただ、第1作を観ていないとこの第2作は確実に理解できませんが。
2011.12.03
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「X-メン」 X-MEN 2000年 アメリカ映画監督 ブライアン・シンガー出演 ヒュー・ジャックマン パトリック・スチュアート イアン・マッケラン ハル・ベリー アメコミ原作の人気シリーズの第1弾です。 僕は、日本の漫画は大好きですが、アメコミはよく知りません。ほとんど読んだこともありません。しかし、「スーパーマン」「スパイダーマン」「バットマン」と並んで、「X-メン」の名前は知っていました。超能力者集団の戦いの話だということも知っていましたが、細かい内容は、全く知りませんでした。 でも、この映画を観て、はっきり言って、はまりました。非常に、面白いですね。 元来、SFものは大好きなのですが、実は、こういう超能力ものは、昔から好きでした。日本の漫画でも、古くは石の森章太郎先生の「サイボーグ009」「幻魔大戦」(平井和正原作)から、「AKIRA」「凄ノ王」、あたらしいところでは「ONE PIECE」まで、結構はまりまくっています。 特に、それぞれのキャラクターの能力が、どんなものなのか、非常に興味があり、その能力をどう使って戦うのかが、非常に楽しみです。「ONE PIECE」でも、非常に強い悪魔の実の能力者、“ゴロゴロの実”の能力者、電気人間であるゴッド・エネルに対して、主人公の“ゴムゴムの実”の能力者モンキー・D・ルフィが、ゴム人間であるが故に電気攻撃が効かないなんて設定を聞くと、「なるほど!!よく考えてるな。」と思ったり、新キャラが出てくると、「何の能力者だ?」と、ワクワクしてきます。 この映画でも、超合金のツメを持つ超速再生で不死身の男ローガン=ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)、接触した人の力を奪う少女ローグ、超テレパシスト・プロフェッサーX(パトリック・スチュアート、エンタープライズ号の新艦長)、テレパシストでサイコキネシスト・ジーン、天気を自在に操るストーム(ハル・ベリー)、目からレーザー光線を出すスコット=サイクロップス、磁力人間で金属を自在に操るマグニートー(イアン・マッケラン、ガンダルフ)、自在に姿を変えることのできる女ミスティーク、などなど、ワクワクする超能力者がどんどん登場して、非常に楽しんで観ていました。 アクションが物足りないとか、アカデミー賞女優であり、ラズベリー賞女優でもあるハル・ベリーの出番が少ないとか、ハンサムなサイクロップスをもっと生かすべきだとか、もっと人間との対立を描くべきだとか、ジーンの能力が強すぎるとか、科学的に解明できていない超能力を増幅する装置ができるわけがないとか、突っ込みどころはいろいろと出てきますし、ウルヴァリンの記憶喪失の謎が結局解明されてないとか、プロフェッサーXとマグニートーはなぜ対立しているのかとか、ローグのミュータントであるが故の悩みが解決していないとか、明らかに続編を意識している謎を残したストーリーになっていますが、そんなことはどうでもいいとさえ、思ってしまいました。 それぞれのキャラクターの紹介をし、ミュータントである悩みや、人間との対立、X-MEN(プロフェッサーXの側)とブラザーフッド(マグニートーの側)の対立など、その世界観を説明し、短い時間(104分)で話を上手にまとめ、観客をその世界にうまく引きずりこんでいて、シリーズの第1作として、申し分のない作品に仕上がっていると思います。 とりわけ、かっこいい男の魅力ムンムンのヒュー・ジャックマンをウルヴァリンに起用し、主役に持ってきたのが、大成功の大きな要因になっているのは、疑いのない事実でしょう。 なお、ミュータント(mutant)というのは、突然変異という意味で、何らかの要因で、遺伝子的に異質で、その形質や能力が変異している生物個体のことで、実際の世界でもまれに見られる現象です。例えば、いろいろな生物でまれにみられる色素が欠損している“アルピノ”というのもそのひとつです。一説には、生物進化のメカニズムともいわれている現象です。決して、超能力者とか、新人類とかいう意味ではありませんので、お間違えのないように。
2011.12.02
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