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「ダイ・ハード4.0」 Die Hard4.0:Live Free or Die Hard 2007年 アメリカ映画監督 レン・ワイズマン主演 ブルース・ウイルス 日曜洋画劇場45周年企画4週連続ダイハード、4週連続で観てしまいました。そして、4週連続ダイハードの記事を書いています。(TVの企画に乗せられています。) 今回はアメリカ東海岸、ニューヨーク・ワシントンD.C.・ボルチモアと3都市をまたにかけ、F-35戦闘機、ヘリコプター、巨大トレーラー、そして数え切れないほどの車やビル、高速道路の陸橋など、壊しまくり、爆破しまくりの大迫力で、お金を湯水のように使い(何と製作費は1の4倍近くあります。)、それでも、相変わらず、ジョン・マクレーン警部(ブルース・ウイルス)は、不死身で、執拗に犯人を追いかけます。 今回の相棒は、若いハッカーの男マシュー(いつの間にか、全編通して行動を共にする相棒がお約束になっています。)、それもそのはずで、相手にする犯人は、サイバーテロを仕掛ける、元国防総省のプログラマー・ガブリエルです。コンピューターには全く疎いマクレーンひとりでは対抗できないからです。 ガブリエルは、政府機関・公共機関などのコンピューターにハッキングし、アメリカ全土を大混乱に落とし込みます。マシューは、多くのハッキング仲間とともに、知らないうちに、その下準備に参加させられ、口封じに殺されかけます。それを助けたのが、FBIからの指令で、マシューを保護・連行することを命じられたマクレーンです。 サイバーテロが相手ということで、コンピューターを駆使した戦いがあるのかと思いきや、やはりそこはブルース・ウイルスです。そのアクションは、肉弾戦による戦いでした。相手のガブリエルも、コンピューターのプロという設定なのに、初めから武闘派のメンバーを用意しており、その戦いぶりはやはり力技でした。 コンピューターのプロが、サイバーテロを仕掛けるのなら、誰にもわからないように、どこかの隠れ家からコソっとやればいいのに、と思うのは、僕だけでしょうか。国家相手にハッキングするために人手がほしいということで、仲間ではないマシューたち一般のハッカーをだまして協力させ、口封じのために爆破させて殺してしまうというのは、何か違うような気がするのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。 やはり、体を張った戦いが得意なジョン・マクレーンとしては、サイバーテロを相手に戦うという設定自体に無理があるのではないでしょうか。 しかし、マシュー役のジャスティン・ロング、まだまだ若くて出演作品も少なく、見るからに優男ですが、体を張って、がんばってましたね。まあ、マクレーンに引っ張りまわされちゃあ、がんばるしかないか。
2011.10.31
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「ザ・ウォーカー」 The Book of Eli 2010年 アメリカ映画監督 アルバート・ヒューズ アラン・ヒューズ出演 デイゼル・ワシントン ゲーリー・オールドマン ヒーロー・デイゼル・ワシントン、悪役・ゲーリー・オールドマン、2人の演技派の対決ということで、楽しみにしていた、近未来SFアクション映画です。 世界滅亡後のアメリカ、イーライ(デイゼル・ワシントン)は、1冊の本を守り、西へ向かって歩いていました。ある町で、ある本を探す、町の独裁者カーネギー(ゲーリー・オールドマン)に出会います。イーライが持っている本こそ、探していた本であることを知ったカーネギーは、執拗に彼の後を追います。 派手な色の全くないくすんだ風景は、まさしく、世界滅亡後という、いい感じですが、「マッド・マックス」か「北斗の拳」かという感じで、二番煎じ感は否めません。短い刀を片手で操るデイゼルはかっこいいですが、アクションとしては、いまいちです。というか、せっかくの知的な演技派の2人ですから、心理戦というか、知的な対決を期待してしまったので、残念でした。ゲーリーのボスぶりも、力で抑えつけている感じで、いまいちでした。 イーライが守っている本ですが、TVCMなどで予想していた通り、「聖書」です。(今回結末は語らないようにしていますが、この本の正体についてはバレバレですので、はっきり書きます。)イーライは、この本を手にした時、声が聞こえたそうで、その声に従って、西に向かっているそうです。カーネギーは、その本を利用し、人々を支配しようと考えていました。 こういったキリスト教的背景が、日本人で、キリスト教徒ではない僕には、全くわかりません。どうして、「聖書」というのは、これほど特別視されるのか、なぜ、それを読むことで、心の安らぎを得ることができるのか、そういうことが分からないので、はっきり言って、この映画のことが実はよく分かっていないのでしょう。 イーライは、「この本が戦争の原因と言われた。」と、映画の中で語っています。30年前の世界が滅亡する原因となった戦争(30年前に、世界が滅亡したという設定らしい。)は、宗教的な要因を持った戦争だったのでしょう。ということは、今の状況から考えるに、アメリカVSイスラムと考えるのが順当なところでしょう。 古来、キリスト教をめぐる人々の争いはたびたび繰り返されています。ローマ帝国のキリスト教弾圧に始まり、十字軍、魔女狩り、ガリレオなどの宗教裁判、日本でのキリスト教禁止令と隠れキリシタン、ナチスのユダヤ人迫害など、世界史に詳しくない僕でも、いろいろと挙げることができます。 キリスト教には詳しくないですが、確か「モーゼの十戒」の中に、「汝、殺すことなかれ」とか「汝の隣人を愛せよ」とかありませんでしたか?なぜ、キリスト教をめぐって、人々の争いが絶えないのでしょうか。 無神論者の僕ですが、ひとつ考えるに、唯一神というのが一因かな、と思います。キリスト教の神は、唯一神で絶対神、万能の神ですから、ほかの神が許せないのではないでしょうか。僕自身の勝手な考えで、あまり深く考えられておりませんので、むきになって反論されて来られても困りますが、日本の八百万の神、あらゆるところに、様々な神が宿っているという考え方の方が、争いにならなくていいと思うのです。 ということで、今回話がそれまくりでしたが、そんな宗教的なことを考えさせる映画で、アクション映画としてはいまいちでしたが、退屈することなく、最後まで、楽しめる映画でした。 ところで、アメリカって、歩いて横断すると30年かかるのですね。やっぱり大きな国ですね。確か、寛平ちゃんは、走って2.3カ月で横断していたと思いますが。
2011.10.29
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「イーグル・アイ」 Eagle Eye 2008年 アメリカ映画製作総指揮 スティーブン・スピルバーグ監督 D・J・カルーソー主演 シャイア・ラブーフ ミシェル・モナハン スピルバーグ製作総指揮の、SFアクション映画です。 大学を中退し、しがないコピー屋で働いていたジェリー(シャイア・ラブーフ)と、夫と離婚したばかりで息子のサムだけが生きがいのレイチェル(ミシェル・モナハン)が、携帯電話に突然かかって来た女の声に指示され、国家を揺るがす事件に巻き込まれてしまうというお話です。 SFとしては、よくあるコンピューター反乱物ですが、アクションは、カーチェイスなど、逃亡する主役2人がギリギリのところで助かっていくところなど、ハラハラして、なかなか見応えがあって、退屈はしませんでしたが、話の進み方も、カーチェイスと同じ進み方で、とてもテンポが速く、ついて行くのが大変でした。結構、DVDを戻して、観直したりしました。映画館で観ていたら、話がよく分からなかったかもしれません。 お話的には、ご都合主義のところが多すぎて、非常に疑問が残って、すっきりしません。以下、主だった疑問について述べていきます。観ていない方にはチンプンカンプンかもしれませんし、多大にネタばれなところに触れるかもしれません。ご了承ください。 まず、なぜ、2人が選ばれたのでしょうか、というところです。ジェリーについてはわかります(後述)が、レイチェルが選ばれた理由がよくわかりません。息子のサムが爆弾の起爆係に選ばれた理由もよく分からないのですが、レイチェルの役割は何でしょうか、ジェリーを連れてきて殺させるだけならだれでもいいですよね、なぜでしょう。どうせなら、サムのトランペットに爆弾が仕掛けてあることを明かしてしまえば、もっと必死になって働いたと思うし、それなら理由も付くと思いますが。 それから、あの途中で奪わせたブリーフケースの中身がなぜ、輸送機に貨物室として乗るための低気圧に対応するための薬なのでしょうか。初めは、普通に旅客機に乗ろうとしているのに、FBIが追って来たために、仕方なく輸送機に乗るようになった感じだったのに、初めからそう決まっていたようにかなり前から薬が用意され、しかも、乗るためのコンテナまで用意してあったではありませんか。しかも、偶然セットしてしまったタイマーが、その間にFBIと小競り合いもあって、正確な時間が読めるわけないのに、ちょうどいいタイミングで終わって、ケースが開くのはどういうことでしょうか。 2人が田舎道を歩いているときに、やってきた楽器屋に切れた高圧線が正確に当たるのも、不可解です。題名は「イーグル・アイ」ですが、アリアは上空から見ているわけではなく、携帯電話などの電波や、街角の監視カメラで、2人を監視しているようです。あの田舎道のどこに監視カメラがあったのでしょうか、電力会社のコンピューターに入り込んで、電線が切れるほど高い電圧の電気を一時的に流すことはできるかもしれませんが、切る位置を特定したり、位置が見えていない相手の上に正確に落とすことはどうやってやるのでしょうか。 あの宝石のような爆弾が、トランペットとネックレスと2つあったのもわかりません。かなり爆発力が強いみたいで、1粒でフットボール場が吹っ飛ぶほどだそうですが、なら1つで十分でしょう。しかも、そのネックレスのものをレイチェルにわざわざかけさせるのもわかりません。より確実に2つとも爆発させるつもりだったのでしょうか。それから、トランペットに入れた爆弾の起爆装置ですが、Fの音に反応するようになっていて、サムのトランペットがFの音を出す前に何とか演奏を止めることができましたが、周りにいたほかの楽器はFの音をそこまで出さなかったのでしょうか、合奏しているわけですから、当然ほかの楽器の出している音に反応してもおかしくないのではないのでしょうか。 一卵性双生児の顔や声って、コンピューターの認証をごまかせるほど正確に同じでしょうか。生まれてすぐならともかく、20年以上も成長した後で、機械の目がごまかせるほどぴったり同じというのは、無理がありませんか。成長していく中で、傷もできるだろうし、寝方によっても顔や頭の形って変わりますよね。ましてや、ジェリーとイーサンは、性格的にかなり違うみたいだし、子どものころに好んだ遊びとか違うはずだし、片やエリート軍人で、片や大学中退のフリーターのような男ですよ、生活とかもかなり違うはずですよね。 それに、イーサンの音声でロックがかかっているのに、その肝心のイーサンを殺してしまうなんて、なんてお間抜けなコンピューターなのでしょう、アリアって。しかも、ジェリーを捕まえるために、さんざん大騒ぎして、かなりの物を壊し、かなりの人の命を奪ってますよね。もっと、スマートにできなかったのでしょうか。 そして、最も、変なのは、大統領御一行を暗殺するためにアリアが立てた作戦です。大統領はじめ首脳陣を殺したいのなら、閣議か何かやっているときにホワイトハウスを爆破すればいいのではないでしょうか。なぜ、子どもたちの楽団や、観客たち、一般人がたくさんいるところを狙わなければならないのか、ちっともわかりません。まあ、ジェリーたちを車で暴走させたりしているので、アリアは、初めから人の命など、まったく気にしていないようですが。 以上、お間抜けなコンピューターに振り回される人々のお話でした。
2011.10.25
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「ダイ・ハード3」 Die Hard:With a Vengeance 1995年 アメリカ映画監督 ジョン・マクティアナン出演 ブルース・ウイルス サミュエル・L・ジャクソン ジェレミー・アイアンズ お待たせしました。月曜日恒例の「ダイ・ハード」の記事のお時間です。 今回の舞台はニューヨーク、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(ブルース・ウイルス)にとっては、地元です。そして、犯人サイモン(ジェレミー・アイアンズ)からの御指名で、事件にかかわり、市内のいろいろな場所を走り回ります。最初から最後まで行動を共にする相棒の黒人のゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)がいます。そして、警察も大変協力してくれます。(自分の同僚だから当たり前)奥さんとは、再び不仲で、全く事件にかかわってきません。季節もクリスマスではありません。(というか、夏っぽいです。) つまり、ジョン・マクレーンが、クリスマスに、仕事場とは全く違う、ある限定された場所で、奥さんを助けるため、事件に巻き込まれ、地元警察などは全く当てにならず、孤軍奮闘で事件をかたづけるという、1.2でのお約束は、全く踏襲されていません。そして、2ではロサンゼルス市警に転属になっていましたが、再びニューヨーク市警に戻っており、そのことに関しての言及は全くありません。また、1,2と続けて登場していたロサンゼルス市警のアル・パウエル巡査と、うっとうしいTVリポーターのソーンバーグの登場もありません。 しかし、1とはつながりがあります。今回の犯人サイモンは、1の犯人ハンスの兄であり、弟を殺された復讐のため、マクレーンを御指名だったということです。それと、ブルースのランニング姿です。 今回の監督は1と同じジョン・マクティアナンです。2は、レニー・ハーリン監督でした。 そこから察するに、マクティアナン監督は、お約束を踏襲する気は、全くないということです。というか、彼はハ-リン監督に怒っているのかもしれません。「勝手にお約束なんて作りやがって、そんなもん、ぶっ壊してやる。」という、マクティアナン監督の声が聞こえてきそうです。もしかしたら、マクティアナン監督は、2をシリーズとは認めていないのかもしれません。 でも、観客にとっては、やっぱりシリーズですから、1,2で作ったお約束は踏襲してほしいと思っているでしょうね。実際、僕も、今度のクリスマスはどこで事件に巻き込まれるのかな、と期待して観始めたので、この前2作と全く違うこの映画に、軽く失望感を持ってしまいました。しかも、冒頭で、サミュエル・L・ジャクソンが出てきたときは、あれ、なんでこんなスターが出ているの、とがっかりしてしまいました。 ということで、マイナスからスタートしたこの映画の評価ですが、前半、”Simon’s says”のゲームになぞらえた犯人の出す問題に答えつつ、ニューヨークの街を移動していくところは、謎解きの楽しさに、なかなかいいぞ、と思っていたのですが、途中でFBIからあっさりと犯人の正体を明かされ、謎解きは全く無視して、犯人まで一直線に向かっていくマクレーンに、やっぱりこの人には、謎解きは無理だったか、どうしてもこの人は肉体派なんだ、と思いました。(だから、「シックス・センス」は違和感ありありです。) そうか、だから、頭脳派の相棒ゼウスが必要なんだ。でも、あの、4ガロンの水の問題が分かる人が、小学校の爆弾がおとりだということに気がつかないんでしょうか。僕はすぐ気が付きましたよ。マクレーンの上司の警部が、爆弾捜索にみんなを手配した時に、「あ、これは、市内の警備を手薄にして、何かを盗むつもりなんだ。」と。 もう、それからは、アクションばかりです。車で暴走したり、洪水に追いかけられたり、船に飛び乗ったり、ヘリコプターでチェイスしたり、迫力は満点ですが、頭を使わなくても楽しめるただのアクション映画に成り下がってしまいました。 もう後は、突っ込みどころが気になるばかりです。 まず思ったのは、連邦準備銀行というのは、どうして、あんなに警備が手薄なのでしょうか、ということです。すぐ隣の駅で爆弾が爆発したばかりだというのに、あんなに金塊がたくさん集まる(あの金塊山積みの映像にはびっくりしました。)ところなのに、あまりにも、簡単に侵入できすぎではないでしょうか。自前の警備兵が山ほどいたり、赤外線などを使った警報装置などもあってしかるべきと思いますが。 それから、問題を出してマクレーンたちを振り回したりして、頭脳派っぽい犯人のサイモンですが、肝心なところで抜けているのが気になりました。 小学校の爆弾をおとりにして連邦準備銀行から大量の金塊を盗むというのは、なかなかいい計画ですが、侵入経路が、爆発のあった地下鉄の駅からというのが頂けません。マクレーンがとてもうまくやって、地下鉄の爆破を完全に阻止して、爆発が起こらなかったら、どうしていたのでしょうか。 また、最後に、自分の居場所のヒントになる薬を、気軽にマクレーンに渡してしまうのも、気になります。瓶の底のラベルに気がつかなかったというのは、あまりにお間抜けすぎるでしょう。 ということで、ちょっと頭を使う展開に挑戦してみようと思ったけれど、やっぱりブルースには、体を張ったアクションが似合うということを、再認識させられた、シリーズの3本目だけど、実は2本目だった「ダイ・ハード3」でした。 では、来週の、「ダイ・ハード」の記事の時間をお楽しみに。
2011.10.24
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「ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発」 2008年 日本映画監督 河原実 昔、僕は「怪獣博士」でした。しかし、実はいわゆる「怪獣ブーム」には、間に合っていません。1954年に始まる、最初の「ゴジラシリーズ」の時には生まれていませんし、最初の「ウルトラシリーズ」の時はまだ小さかったのです。 しかし、「帰ってきたウルトラマン」から始まる「第2期ウルトラシリーズ」には、リアルタイムではまりました。そのころ最初のシリーズの「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」も再放送があり、はまりました。 特にはまったのは怪獣です。実はウルトラマンやウルトラマン太郎などのヒーローはあまり好きではなく、怪獣が好きでした。小学館の「小学○年生」に毎号必ずある怪獣記事にワクワクし、買ってもらった「怪獣図鑑」を穴があくほど熟読し、友だちと怪獣談議で盛り上がり、豊富な怪獣知識を自慢し、怪獣ごっこに励んでいました。 僕が好きだったのは、ゴモラやレッドキングやゼットンやナースやエレキングやアーストロンやベムスターなど、カッコよく強い怪獣たちです。また、ぺスターやタッコングやツインテールなど、造形の変わった怪獣も好きでした。 「ゴジラシリーズ」も、日曜日の午後などにTVで放映していたので、よく観ました。また、僕が劇場で初めて見た映画は、「ゴジラ対ヘドラ」でした。「怪獣総進撃」で、行き着くところまで行ってしまった「ゴジラシリーズ」を、当時問題になっていた公害をモチーフに、改めて新怪獣とゴジラが対抗する形に戻した、シリーズ第11作です。怪獣大好きな僕なので、親が連れて行ってくれたのです。 東宝の「ゴジラ」に対抗して作られた大映の「ガメラ」もTVでよく見ていました。そして、ブームに乗り遅れまいと作った、日活の「大巨獣ガッパ」、松竹の「宇宙大怪獣ギララ」も、そのころ、TVで観ました。 「ガッパ」は、鳥と河童のあいのこのような造形で、パッと見コミカルな印象を受けますが、さらわれた子ガッパを、親ガッパが取り返しに来るという家族愛に満ちた作品でした。 「ギララ」は、何と宇宙が舞台でした。話の内容はよく覚えていないのですが、何か、スマートというか、未来的というか、ほかの作品とは違うイメージで、当時としては、新しい印象を受けたことを覚えています。怪獣の造形も、アダムスキー型空飛ぶ円盤のような頭部で、やはり未来的なイメージでした。 前置きが長くなりましたが、ここから本編です。 そんな僕が、レンタルビデオ屋で、この映画を見つけました。「こんな映画あったんだ。これは観てみなければ。」と思い、早速借りて、観てみました。そして、非常にがっかりしました。 「ギララ全く意味ないじゃん。」「なんで、ザ・ニュースペーパーのおもしろくもない政治家コントを見せられなきゃいかんの。」「たけちゃんマンかよ。」「よくこんな踊り、まじめな顔して踊れるなあ。」「なんで、ギララは律義に次の攻撃を待ってるの。」「ロシアの人、仰天ニュースとかの再現ビデオによく出てくる人だ。」「コマネチって、こういうことか。」「洞爺湖サミットに便乗しただけじゃん。」 全く面白くなかったです。怪獣映画としても、コメディ映画としても、全く面白くなかったです。 正統派怪獣映画でなくてもいいです。コメディでもいいです。でも、なんで、ザ・ニュースぺ-パー何でしょうか。彼らの似てるのか似てないのかよく分からない政治家コントで、僕は笑ったことがありません。一年ごとに変わっていく、我が国の総理大臣に、次々対応していく彼らの努力は買いますが、彼らのコントは、ちっとも面白くありません。TVでも、ほとんど見たことがありません。つまり、TV業界の方々も、彼らを面白いと思っていないのでしょう。そんな彼らを中心に据えたこの映画が面白いわけがありません。非常に残念です。 真剣な顔して変な踊りを踊らされた加藤夏希さんがかわいそうでした。(別に彼女のファンではありませんが。) ところで、「ききいっぱつ」の「ぱつ」は、「髪」ですよね。「発」ではないですよね。何かを狙っているのか、それとも、ただのお馬鹿なのか、よくわかりません。
2011.10.23
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「南極料理人」 2009年 日本映画監督 沖田修一出演 堺雅人 きたろう 生瀬勝久 豊原功補 高良健吾 元南極観測隊員、西村淳氏の「面白南極料理人」というエッセイを原作に、調理担当の目を通した南極観測隊の生活を楽しいエピソード満載で描いた作品です。 海上保安官の西村(堺雅人)は、南極へ行くのが子どもの時からの夢で隊員に選ばれて喜んでいたのに事故のため行けなくなった先輩隊員の代理で、調理担当として南極に行くことになりました。そこは、沿岸の昭和基地から内陸に1000km離れており、標高3810mにあるドームふじ基地です。内陸で高地にあるため、年平均気温は-54.4℃で、ペンギンもアザラシもいない極寒の土地です。 隊員は、夜食でラーメンを食べるのが楽しみな気象学者の“隊長”(きたろう)、仕事がら何度も南極へ来ており奥さんに愛想尽かされている雪氷学者の“本さん”(生瀬勝久)、日本に残してきた彼女と毎晩のように電話(1分740円)している雪氷助手の“兄やん”(高良健吾)、空気の薄い基地でトレーニングに励み帰国したらトライアスロンに挑戦しようとしている医師の“ドクター”(豊原功補)、夜食のラーメンがなくなり代わりにバターをなめていた通信技師の“盆さん”、いつも雪上車の中で漫画を読んでおりノイローゼ気味になって引きこもってしまう車両担当の“主任”、引きこもっている主任が意外と元気なのに腹を立てていた大気学者の“平さん”、そして調理担当の西村の8人です。 食材は外で自然冷凍で保管、水は氷を取って来て溶かしてタンクへ、防寒具がないと耐えられない極寒の地ですが、基地の中は普通に生活できるほど快適です。朝はラジオ体操をし、マージャンやビデオや将棋や卓球を楽しみ、食事は全員そろって、てんぷらや照り焼き、チャーハンやエビチリなど、ごく普通のメニューです。 時には、誕生会で、ケーキやローストビーフを食べたり、冬至の記念で、フランス料理を食べたり、節分で豆まきをしたりと、イベントも楽しんでいます。 調理担当が主役なので、調理シーンや食事シーンは頻繁に出てきますが、実は、観測隊としての仕事の部分の描写は、驚くほど少ないです。南極の仕事の内容や過酷さなどは、ほぼ、わかりません。それを描こうとしていないのは明らかです。 ノイローゼ気味で引きこもっていた主任が、元気に鼻歌交じりでシャワーを浴びているところに出くわした平さんは、怒って彼を追っかけまわします。西村はその騒動に巻き込まれて、大切にしていた娘の乳歯をなくしてしまいます。落ち込んだ西村は個室に引きこもってしまいます。食事の時間になっても彼が出てこないので、腹が減った残された7人は、手分けをして食事を作ります。出来上がったのはベタベタで胃もたれしそうな唐揚げでした。 また、ラーメンがなくなり、夜食が食べられなくなって、隊長が不眠を訴えたり、盆さんが夜中にバターをなめているのを見た西村は、本さんのアドバイスから、科学的にかん水を作り出し、ラーメンを作り上げます。待望のラーメンに涙する隊長でした。 これらのエピソードから、隊員たちは西村の苦労を知り、食事の大切さを実感したことでしょう。どうやら、その辺にこの映画の主題がありそうです。 個性派ぞろいの南極観測隊の生活を、コミカルに描いていく中で、ただ単に生きるための栄養を摂取するだけではなく、食事には大切な役割があるということを、考えさせられる作品でした。
2011.10.22
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「監獄島」 The Condemned 2007年 アメリカ映画監督 スコット・ワイパー主演 ストーン・コールド・スティーブ・オースチン 行きつけのレンタルビデオ屋で、おすすめコーナーに置いてあったので、予備知識ゼロで、観てみました。 後で調べてわかったのですが、主演のスキンヘッド・マッチョ男は、その筋では有名な悪役レスラーだそうで、結構ファンも多いそうで、その筋の観客が見込める作品なのです。(すみません、僕は、その筋は全く疎いので、全く知りませんでした。) ある金持ちTVプロデューサーが、「死刑囚なら殺してもかなわないだろう」という、いかにも身勝手な発想で、世界各地から、10人の死刑囚を集め、脱出不可能な絶海の孤島で殺し合いをさせ、それをネット配信するという鬼畜な番組を企画・実行するという、だれもが考え付きそうなお話です。 死刑囚の10人は、足に小型爆弾をつけられ、30時間以内に最後のひとりになるまで殺し合いをさせられ、逃げようとしたり、時間内に目標達成できないと爆破させられてしまうのです。そして、最後の1人は、罪が許され、釈放されるという、お決まりのご褒美も用意されています。 主演のストーン・コールド・スティーブ・オースチンは、もちろん、10人の死刑囚のひとりで、予定していた10人のうち、ひとりがいきなり都合つかなくなり、急遽選ばれたメンバーで、実はアメリカの特殊工作員出身という役柄です。 もちろん、彼は、生き残っていくわけですが、もうひとり生き残ってきた男が、実は主催者との裏約束があって、というお約束な展開で、結末は、もちろんお約束な結末で、スタッフの中から裏切り者が出て、その手助けもあって、主役の彼が、悪いスタッフもすべてやっつけ、裏約束のある男もやっつけて、ただひとり生き残るという結末です。(お約束な結末なので、全部書いてもいいな、と思って、何も気にせず、すべて書いています。おっと、忘れていた、見なければ。お約束と言えば、「吉本新喜劇」ですね。小学生の頃から、土曜日のお昼と言えば「吉本新喜劇」です。) というお約束な内容のお話なので、見どころは10人の死刑囚の戦いぶりということになります。ところが、そのメンバーは、美人だけどたくましい女2人、ややマッチョで少し身軽な日本人の男、それ以外はすべてマッチョな男です。マッチョ率75%です。もっと、バラエティに富んだメンバーを考えなかったのか、とがっかりです。 小柄だけどやたら身軽でアクロバチックな動きで人を殺めて行く男とか、細身だが剣術の達人の日本人とか、過剰に色っぽくて男を色仕掛けで誘って殺す美女とか、暗く目立たないけれど冷徹に表情を変えずに人を殺す男とか、いろいろと考えられるだろう、もっと頭使えよ、と思ってしまいました。 しかも、女のうちのひとりと、マッチョ男の中のひとりが、夫婦という設定で、お互い刑務所に入っていたので、久しぶりの再会で、うれしくて、ついHしたりしていますが、生き残るために、愛を裏切り、Hの最中に旦那を殺す女房とかいった展開にはならず、残念です。2人そろって生き残ったらどうするつもりだったんだろうという余計な勘ぐりは関係なく、あっけなく2人ともやられています。 そして、またお約束ですが、おごり高ぶった主催者とスタッフが、またお馬鹿で、困ってしまいます。 戦闘ゾーンとスタッフのいる場所を仕切るのは、金網フェンスのみです。一応、電気を流したりしていますが、マッチョな男たちには、何の妨げにはならないでしょう。巨石でもぶつけられたら、簡単に破れそうです。なぜ、自分たちが襲われることを想定していないのでしょうか。思い上がりもいいところですね。案の定、主人公に、あまりにも簡単に、侵入されています。普通の頭のある人間なら、戦闘する死刑囚たちと同じ島には行かないで、海を隔てた別の場所から遠隔操作するでしょう。世界の刑務所を買収できるほどのお金持ちなら、それくらい簡単でしょう。 それから、物語の後半、死刑囚たちの戦闘の映像が、あまりにも残酷で、観ていられなくなり、主催者を、裏切ろうとするスタッフが数人現れます。お前ら、すべて承知の上で参加したんじゃねえのかよ、甘えたこと言ってんじゃないよ、と思ってしまいました。想像力がなさすぎですね。(汚い言葉遣いをしてすみませんでした。) そうなんですよ、このスタッフたち、主催者のお金持ちプロデューサーも含めて、想像力が、あまりにも欠如しているのです。やはり、ふつう、こういう大掛かりなプロジェクトを催す場合は、考えられる限りのあらゆる事態を想定して、その対処を考え、準備しておくことは、鉄則です。死刑囚がスタッフを襲ってくることとか、裏切るスタッフが出てくるなど、充分に想定できる事態だと思います。しかし、彼らは、思いあがっているためか、ただ単にお馬鹿なだけか、想像力欠如で対策ができてなく、大金をかけたプロジェクトが台無しにしてしまいます。まあ、お約束ですけどね。 ということで、思った通りの展開で、思った通りの結末で、安心して、純粋に肉弾的なアクションを楽しめる一品を、今回は紹介しました。もちろん、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンのファンの方には、彼の体を張ったアクションがたっぷり楽しめる作品です。
2011.10.22
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「ユナイテッド93」 United 93 2006年 アメリカ映画監督 ポール・グリーングラス あの911アメリカ同時多発テロで、ハイジャックされた4機のうち、唯一目標まで到達しなかったユナイテッド航空93便の離陸から墜落までを、管制センターや軍の対応も交えながら描いたノンフィクション映画です。 もちろん、実際93便に乗っていた人はすべて犠牲になっているので、当時の機内からの通話記録や、残された資料、関係者の証言などをもとに、実際の機内の様子など、可能な限り、事実に近いように再現した映画です。 ニューアーク国際空港で、サンフランシスコ行きユナイテッド93便に乗員・乗客が乗り込みました。朝の離陸ラッシュに巻き込まれ、30分遅れての離陸でしたが、天候も良く、最初は順調なフライトでした。 一方、ボストン管制センターでは、朝のラッシュ時の運行管理に大忙しでしたが、アメリカン航空11便の通信が途絶え、あやしい機内の声が聞こえたため、ハイジャックを疑い、追跡していたところ、レーダーから機影が突然消えてしまいます。 ちょうどその時、ニューアーク空港では、ニューヨーク・マンハッタンの国際貿易センタービルから煙が上がっていることを視認し報告します。 アメリカン11便が消息を絶ったのが、ちょうどマンハッタン付近であったことから、貿易センターに衝突したと推測した管制センターでは、他の便の無事を確認します。すると、通信が途絶えた便がいくつか出てきて、緊迫感が広がります。 そのころ、アメリカ空軍も、事態の重要性を認識しつつあり、対応を始めます。 ユナイテッド93便では、3か所に分かれて座っていた4人の犯人が、行動をためらって、そわそわしていました。そのうちひとりが、トイレで爆弾の準備を始めました。彼が爆弾を腰に真希、トイレから出て来たのを合図に、残りの3人も動き出し、乗客のひとりをナイフで刺し、2人はコクピットで、パイロット2人を殺害し操縦席に座り、残りの2人は爆弾とナイフをかざしながら、乗客を制御しました。 そのころ管制センターでは、数機の通信が途絶えた航空機に警戒していました。そのうちユナイテッド航空175便が、レーダーから消えます。モニターに大きく映し出していた貿易センターの映像には、もうひとつのビルに激突する航空機が映し出されました。 軍では、情報収集と、旅客機の護衛の戦闘機の手配に、混乱しています。 ユナイテッド93便機内では、乗客たちが、ハイジャック犯の目を盗んで、機内電話や携帯電話で、家族や警察などに連絡を取っていました。自分の状況を知らせるとともに、貿易センタービルの状況を知らされます。自分たちの機も同じだと思った乗客たちは、何とか犯人たちをやっつけられないか相談し始めます。 管制センターでは、ユナイテッド93便の連絡が取れないことに気付き、警戒し始めます。 とうとう意を決した数人の男性乗客が、行動を起こします。まず、客席にいる2人の犯人に襲いかかり、爆弾を奪いました。そして、コクピットのドアを破り、運転席の2人に襲いかかります。操縦かんを奪われそうになった犯人は、観念し神に祈りながら、機体を山に墜落させていきます。 この映画、有名なスターはひとりも出ていません。役者はすべて無名の人ばかりです。その上、管制官や軍関係者の役には、本人が多数出演しています。そのため、誰もクローズアップされることなく、誇張や演出もなく、非常にリアルな映像になっています。 事件からまだ数年しかたっていないため、人々の記憶が生々しく、事件をドラマチックに演出して描くことははばかられ、徹底したリアリズムが追及された結果です。何しろ、リアリズムを追求するため、乗客たちの服装まで、遺族に聞いたりして調べ、再現しているほどです。 そんな風に、誇張や余計な演出のないこの映画ですが、ものすごい緊迫感の連続で、2時間、まったく退屈することなく、一気に集中して観てしまいました。結局、どんなに凝ったお話を考えても、事実に勝るものはないということでしょうか。それだけ、たいへんな事件だったということでしょう。 大事件の記憶を風化させることがないように、後々の人々に語り継げるように、事実をしっかりと調べ、余計な感情を挟むことなく、しっかりとした映画を作ってくれた、グリーングラス監督はじめ、この映画にかかわった人々の努力をたたえます。 このテロ事件によって、亡くなった多くの人々の御冥福をお祈りいたします。
2011.10.21
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「プレステージ」 The Prestige 2006年 アメリカ映画監督 クリストファー・ノーラン出演 ヒュー・ジャックマン クリスチャン・ベール マイケル・ケイン スカーレット・ヨハンソン デヴィッド・ボウイ ウルヴァリンとバットマンの戦いです。または、ヴァン・ヘルシンクとジョン・コナーの戦いでもあります。(笑) “偉大なダントン”ことロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン)と “教授”ことアルフレッド・ボーデン(クリスチャン・ベール)は、同じ師匠を持つ、ライバル同士のマジシャンです。アンジャーは、師匠の“サクラ”をしているころ、ボーデンのミスから、師匠のアシスタントをしていた妻を亡くしており、彼を恨んでいました。ボーデンも、街角で“弾丸つかみ”のマジックを披露しているとき、アンジャーに失敗させられ、右手の指を2本なくしていました。 2人は、お互いに、舞台の妨害をしたり、秘密を探り合ったりします。 そんな中、ボーデンは、“瞬間移動”の新ネタを披露し、評判になります。その新ネタの見事さに驚いたアンジャーは、そのタネを探ろうとします。何とかボーデンから秘密のキーワード“TESLA”という言葉を聞き出したアンジャーは、アメリカのコロラドの田舎町に住むニコラ・テスラ(デヴィッド・ボウイ)のもとを訪れ、粘り強く交渉した結果、ある機械を手に入れ、“新・瞬間移動”の新ネタを完成させます。 アンジャーとボーデンの妨害合戦は、大人気ないなとか、陰湿だなと思いつつ、なかなか面白く、退屈せずに見ていられましたが、やはり問題は2人の“瞬間移動”のタネです。 そのタネが明らかになった途端、それって、マジシャンとして、反則ではないか、と思ってしまいました。2人とも。 ボーデンの方のタネは、ある特殊な人にとってはとても簡単なものです。それは、マジシャンでなくても、その特殊な人たちには簡単にできるものです。だからこそ、マジシャンとしてどうかな、と思ってしまいました。(伏せているけど、わかっちゃったかな。) しかし、彼の偉いところは、そのタネを、自分以外のすべての人に秘密にしていたことです。それは、最愛の妻サラや、アンジャーの言いつけで彼をスパイに来たが寝返って愛人になってしまったアシスタントのオリヴィア(スカーレット・ヨハンソン)にも秘密でした。サラが、その秘密にかかわることで悩んで自殺しても、明かすことのできない秘密だったのです。それは、大したプロ根性だなと思いましたが、やはり僕は疑問を感じました。 その秘密は、最初から疑いを持って観ていれば、わかるかもしれません。(僕も、2回目に観たとき、クリスチャン・ベールの演技を注意深く観ていたらわかりました。改めて彼の演技力の素晴らしさを感じました。) アンジャーの方のタネは、どう考えても、マジシャン失格です。これはSFです。実現不可能です。というか、物理法則に完全に反しています。ハリー・ポッターの世界です。ボーデンの方は、ギリギリ許されるかなと思うことができますが、アンジャーのタネは、はっきり言って、腹が立ちました。サスペンスのどんでん返しとしても、反則だと思います。 マジシャンは魔法使いではありません。観客に奇跡を起こしているように見せはしますが、タネはあるのです。Mr.マリックだって、ハンドパワーと言っていますが、ちゃんとタネがあって見せているのです。 人間のきたない面をさらけ出す、良質のサスペンスだと思っていただけに、心の底から、がっかりしました。 ちなみに、、この映画では、あやしい科学者として登場し、現実にはありえない機械を創り出すニコラ・テスラですが、彼は実在の人物です。19世紀から20世紀にかけて活躍した科学者・発明家で、交流電源の発明者です。空中放電やラジコンの実験も行っています。エジソンの会社に電気技師として入社し、発明家としてエジソンを尊敬していましたが、直流電源による電気事業に反対し、交流を主張したため、エジソンと対立し、1年ほどで退社しています。現在、電気の送電はすべて交流で行われていることを考えると、どちらが正しいのかは明らかですが、当時すでに発明家として有名人だったエジソンには逆らえなかったのですね。 エジソンという人は、発明家としては、誰もが認める偉人ですが、(まるちゃんの歌にもありますよね。)性格的には、問題がある人だったそうです。この、ニコラ・テスラとのことについても、才能ある若い者に対し、嫉妬心があったのではないかと言われています。この映画の中にも、エジソン側の人間が、ニコラ・テスラの隠れ家にやって来たので、彼は逃げて行くという描写がありますが、実際に同じようなことがあったそうです。 しかし、ニコラ・テスラ役のデヴィッド・ボウイ、全くわかりませんでした。年月は恐ろしい、ということですね。 余談ですが、最後の場面で、唯一2人のすべてを知っていて、マジックの道具などを作っていたカッター役のマイケル・ケインとクリスチャン・ベールが、何もかも承知のように、目配せし合って別れるシーンを見て、「バットマン」だ、と思ったのは私だけでしょうか。監督が、お気に入りの役者を、いつも使うというのはよくあることですが、2人が執事のアルフレッドとブルース・ウェインに見えてしまいました。
2011.10.20
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「アイデンティティー」 Identity 2003年 アメリカ映画監督 ジェームス・マンゴールド出演 ジョン・キューザック レイ・リオッタ 豪雨の中、荒野にポツンとあるモーテルを舞台にしたサスペンスです。この映画2重のどんでん返しがあります。今回は、そのひとつめのどんでん返しにかかわる点について、述べさせていただきます。 豪雨のため、道路が冠水し、11人が、荒野の中のモーテルに閉じ込められます。車がパンクして立ち往生した夫婦ジョージとアリスと息子のティミー、パンク修理中に道にいたアリスをよそ見したため轢いてしまった運転手のエド(ジョン・キューザック)とその雇い主女優のカロライン、田舎に帰る途中の娼婦パリス、結婚直後だがケンカしている夫婦ルーとジニー、囚人を護送中の刑事ロード(レイ・リオッタ)と囚人メーン、そして、モーテルの管理人ラリーです。 この11人が、次々に殺されていくのですが、誰が犯人かわかりません。最初に殺されたカロラインの死体が発見された時、1番疑わしい囚人のメーンが逃げ出しているのが発見され、彼かと思わせますが、彼は3番目に殺されてしまいます。誰が犯人か分からないまま、緊迫した場面が続きますが、実は物語の根源を揺るがす秘密があるのです。 このモーテルの物語と並行し、ある死刑囚の再審議を考える会議の模様が、所々挿入されています。その死刑囚は、連続殺人犯で、“解離性同一性障害”(いわゆる多重人格というやつです。)でした。そこに目を付けたマリック医師が、死刑を回避するために、関係者を集めた会議でした。最初、はっきりとした説明がないので、この会議に囚人を届けるために、ロードが護送しているのかと勘違いしてしまいました。 ところが、11人のうち、7人までいなくなったところで、1つ目のどんでん返しがあるのです。この会議に囚人が現れます。それはマルコム・リバースという太ったスキンヘッドの男でした。そこで、そのマルコムの顔が、突然エドの顔になります。 実は、モーテルの物語はマルコムの頭の中のことでした。出てくる11人は、マルコムの分裂した11人の人格だったのです。(実際は、彼の顔が変わったわけではありません。わかりやすいようにエドの顔に変えただけです。) そこにエドの人格が現れたことに気付いたマリック医師は、彼が“解離性同一性障害”であることを告げ、エドもそのひとつの人格であることを告げ、治療のため、人格を一人ずつ消していることを告げます。その人格がひとつずつ消えていく様が、モーテルの場面では殺されるという描写で現れるのです。そして、殺人者の人格が消えれば、彼は殺人者ではないので、死刑は回避されるべきだ、と主張するのです。 また、モーテルの場面に戻ります。残っているのは、元刑事で女優の運転手エドと娼婦パリス、刑事のロード、実はモーテルの管理人ではないことがばれているラリーの4人です。パリスは、ロードの車から囚人の書類2つと、死体を発見し、ロードが刑事ではなく、護送中の啓示を殺して逃げている囚人だということに気付きます。そして、殺し合いになり、パリスがただひとり残ります。 マルコムは、治療されたとして、死刑は回避され、マリック医師の預かりということになります。 この後、2度目のどんでん返し、真の恐ろしい結末があるのですが、語るのはやめておきましょう。 とてもよくできたサスペンスでした。最初から、パンク修理中親子のお母さんがいきなり後続車にひかれたり、犯人が誰だか分からなかったり、新しい事実が、少しずつ明らかになったり、ハラハラドキドキの展開で、観客を飽きさせない展開です。 モーテルの場面が、死刑囚マルコムの頭の中と分かってからでも、もうひと波乱あり、結局、1番あやしかったロードも死んで、1番まともそうなパリスが残ったことで、みんな、「あー、よかった。」と思わせます。しかし、………。 ところが、僕は気付いてしまいました。マリック医師は間違っています。 マリック医師は、“解離性同一性障害”の治療が完了し、殺人を犯した人格がいなくなることにより、マルコムは凶暴性がなくなるので、死刑の必要がないと主張しています。 それは勘違いです。“解離性同一性障害”の治療は、人格の“消滅”ではなく、“統合”です。主人格以外の人格をなくしてしまうのではなく、すべての人格を一緒にすることです。つまり、主人格以外の人格が行動したことを、すべて自分がしたことと自覚させなければならないのです。殺人の意識は殺人者の人格とともに消えてしまうものではなく、主人格の中に、意識させなければならないのです。 また、その治療は、この映画のように、1晩ですむものではありません。何日も何日も、場合によっては何年もかかって治療していき、人格をひとつひとつ統合していく必要があります。とても根気がいる治療なのです。詳しくは、「24人のビリー・ミリガン」を読むといいでしょう。 ということで、詳しくは延べませんが、マリック医師の最後の不幸は、ここにあったと思われます。
2011.10.19
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「ダイ・ハード2」 Die Hard2:Die harder 1990年 アメリカ映画監督 レニー・ハーリン主演 ブルース・ウイルス 先週に引き続き、日曜洋画劇場を見ました。 今度はワシントン・ダレス空港を舞台とした事件に、たまたま居合わせたロサンゼルス市警(前作で仲直りした奥さんのいるロスに転属しているようです。)のジョン・マクレーン刑事(ブルース・ウイルス)の孤軍奮闘を描いています。 前回は舞台が高層ビルだったので、縦の動きを主としたアクションでしたが、今回は、舞台が空港ということもあり、場所が広く、とにかく、ブルースが走っています。残念ながら、今回は裸足でも、ランニングでもありませんが。 前作のヒットで、製作費が2.5倍になっており、アクションも派手になっています。何しろ、輸送機を1機ぶち壊し、旅客機を2機爆破炎上させています。しかし、前作のエレベーターを火が立ち上ってくるとか、屋上から消防ホースをまきつけて飛び降りるとかのように、工夫されたアクションがなくなっているのが、少しさびしいかな、と思ってしまいました。 また、前作のように、多くの伏線が絡み合うような、凝ったところがなく、全体に単純なストーリーになっています。まあ、味方だと思った特殊部隊が、実は敵だったという、ちょっとしたどんでん返しはありましたが、そんなに驚くほどではありませんでした。 輸送機に脱出装置はないだろうとか、燃料のほとんどない飛行機はあんなに大爆発はしないだろうとか、ジェット燃料はガソリンじゃないから雪の中では火はつかないだろうとか、いろいろと、突っ込みどころはありますが、1番の突っ込みどころは、空港の管制部長と警察署長が、なんでこんなに無能なの、ということです。 管制部長は、最初、荷物室で侵入者2人をやっつけてきた部外者のマクレーンに対し、話を聞こうともしない警察署長を押さえ、物分かりのいいところを見せて、頼りになる男かな、と思ったのですが、管制室の機能を、テロリストどもに抑えられてからは、全くの無策で、何もしていません。散々な無能ぶりです。テロリストに脅されているとはいえ、空港の責任者として、もう少しやれることはなかったのでしょうか。 そして、警察署長は、それに輪をかけた無能ぶりです。最初マクレーンを全く相手にしなかったのは、前述の通りですが、その侵入者にまったく気がつかないで、マクレーンがやっつけた後も、荷物泥棒と勝手に決め付けて、ろくに調べもせず死体を運びださせています。また、工事中の別館の作業員が、実はテロリストであることに気がつかないばかりか、簡単に武器を持ち込ませています。滑走路で、旅客機が激突する事故が起きたと言うのに、空港内にいる、一般人を避難させたり、護衛させたりすることなく、あとで、TVに事件がスクープされた時に、全く落ち着かせたりすることなく、パニックを起こさせています。空港の安全を守るものとして、これでいいのでしょうか。 そして何より、テロリストたちが、空港のそばにいることが分かっているはずなのに、全く探そうとしていないところが、最大の無能なところです。 テロリストたちは、管制塔の電気系統のすべてをジャックし、完全に別の場所に、管制塔の機能を移してしまいました。ということは、空港内の別のところか、近所のところで、電線などから、ジャックしていると考えるのが普通でしょう。犯人は必ず近くにいるのです。なぜ、事件の初めから、図面をチェックするなどして、テロリストの居場所を探そうとしないのでしょうか。 旅客機が1機犠牲になった後から、チーフ・エンジニアが気が付き、マクレーンと2人でテロリストの居場所を見つけていますが、責任者である彼らが、早くから動くべきではなかったのではないでしょうか。僕は、かなり早い段階から、どうして、テロリストたちの居場所を探さないのかと、気になり、違う意味で、ハラハラしてしまいました。 確かに彼らが無能で、事件が起こらなければ、マクレーンの活躍する場がなくなり、お話が成り立たないのですが、首都ワシントンD.C.の玄関口を守るものとして、こんなに無能で、いいのだろうかと思ってしまいました。 ところで、前作に引き続き出演のTVリポーター、何か前回の最後にマクレーンの妻ホリーに殴られた意味が分からず裁判を起こしたみたいですが、全く懲りていず、前作に輪をかけたKYぶりで、自分の名声のみを考えて、事件をスクープし、空港内にいた乗客たちにパニックを起こさせています。出口あたりで、ドミノ倒しを起こしたり、車で事故を起こしたりしていましたが、もし、死者が出ていたりしたら、彼はどう責任を取るつもりでしょうか。アメリカの報道陣というのは、こんなやつばかりなのでしょうか。機転を利かせて、スタンガンでやっつけたホリーのファインプレーでした。 ということで、前作とは違い、迫力ばかりが目につく、お金がかかったアクション大作に成り下がった「ダイ・ハード2」でした。でも、何も考えずに見ていれば、面白いと思いますけどね。 ジョン・マクレーン刑事は、クリスマスは穏やかに過ごせないのですね。ちょうど、両さんの誕生日(3月3日)みたいですね。(最近、作者秋本治先生は、忘れているみたいですが。)
2011.10.17
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「アドルフの画集」 Max 2002年 ハンガリー・カナダ・イギリス映画監督 メノ・メイエス主演 ジョン・キューザック ノア・テイラー 若き日の画家を目指していたアドルフ・ヒトラーと、画商の交流を描いた作品です。今回は、結末にかかわるところについて語りたいので、あらすじをすべて書かせていただきます。 1918年、第一次世界大戦で右腕を無くし、画家をやめざるを得なかったユダヤ人画商のマックス・ロスマン(ジョン・キューザック)は、同じく従軍していた貧しい画家のアドルフ・ヒトラーと出会います。ロスマンは、ヒトラーのスケッチを見、その技術の確かさに興味を持ち、作品を持ってくるように言います。 敗戦後の今も軍の世話になっているヒトラーは、上官に、演説のうまさを見出され、軍の勢力回復のため、期待されています。作品がうまく作れないヒトラーは、演説の快感に、心を動かされていきます。 ヒトラーの才能に期待するロスマンは、ヒトラーにお金を渡したり、女を紹介したりします。 しかし、作品を作ることに挫折し、政治は芸術だとうそぶくヒトラーに、不安を感じたロスマンは、ヒトラーのアトリエを訪れ、彼の考えた未来の建築や軍服のデザインなどのスケッチを見、新しい芸術性を感じ、作品にして持ってくるように言います。 上官に勧められ、演説会で、ヒトラーは反ユダヤ思想について熱く語ります。その演説で反ユダヤ思想に興奮した若い兵士たちは、帰り道、目についたユダヤ人を暴行します。それは、ヒトラーとの待ち合わせ場所に向かうロスマンでした。 待ちぼうけするヒトラーは、あきらめて帰るしかありませんでした。 若き日のヒトラーを描き、その芸術家としての挫折と、政治家への道を明らかにするという試みは、非常に面白いと思いますが、残念ながら、その心の動きなど、描ききることができていません。以下、僕の自分勝手な解釈ですが、思いつくところを語っていきたいと思います。 まず、ヒトラーが、なぜ画家の夢に挫折するのか、という点です。この映画で見る限り、彼は、非常に本物そっくりな写実的な絵を描くことができるようです。しかし、この時代、美術界では、既存の写実的表現は影を潜め、野獣派や立体派、未来派やダダイズムなど、新しい表現を模索している時代でした。 ロスマンの店にも、そういう作品が並んでいましたし、一瞬出てくるロスマンの作品も、ブラックのような立体派の作品でした。ですから、ロスマンがヒトラーに要求していたのも、そういう作品だったはずです。 美術をよく知らない人がよく誤解していますが、この、20世紀から始まる新しい表現の美術(一見、何が描いてあるか分からない作品と言えばわかりやすいですかね。)も、基本は、写実的表現です。 あのパブロ・ピカソも、非常に若いころの作品(10代~20代前半ぐらい、青の時代とかバラ色の時代とか言われる頃です。)は、とても写実的な表現で、その上手さは、誰もが驚くほどです。 ところが、ヒトラーはそういった新しい表現が、全くできませんでした。見たものをそっくりに写実的に描くことはできても、そこから自分なりの考えで、自分なりの表現を創り出すことができなかったのです。 しかし、彼が、政治の方に興味が移り、いずれ打ち立てようと考えていた“第三世界”の現代建築を思わせるような斬新的な建物や、後のナチスの制服(マニアに間ではカッコいいと高評価です。)や、鷲のマークなどのスケッチを見たロスマンは、そこに、いわゆる未来派のような新しい表現を見たのです。 こういった美術史的背景が説明不足のため、ヒトラーが画家の夢をあきらめる心の動きがわかりにくくなっているのではないでしょうか。 また、ヒトラーが、街角や演説会で、反ユダヤ主義の思想を、非常に熱く語っているのに、ユダヤ人であるロスマンを頼って、付き合っているのが、非常に理解できません。 ロスマンは、その演説を聞いていますが、そんなことはやめて芸術家の道にいそしんでほしいと思っているようですが、ヒトラーの方は、どう思っているのでしょうか、それが全くわかりません。心情的には気に食わないが、芸術家になるためにはしょうがない、と割り切っているのでしょうか。全くわかりません。 一方、ロスマンですが、裕福な家庭に育ち、美しいバレリーナの妻と、2人の子どもにも恵まれ、愛人もひとりいて、非常にぜいたくな暮らしをしているようです。 しかし、戦争で右腕を失ったため、自分自身では、作品を作ることができなくなり、仕方なく、芸術家を見出すことに情熱を注いでいるようですが、その辺の心の動きが、説明不足と言いますか、不十分な感じです。もっと、踏み込んで語ってもいいのではと思いました。 実は、アドルフ・ヒトラーが、芸術家を目指していたことは史実ですが、それは非常に若いころで、1905年ころのことです。そのころ、ウィーンの美術学校を受験して失敗しているそうです。その後、浮浪者のようになり、自筆の絵ハガキを売って生計を立てていたことがあるそうですが、第一次世界大戦の頃には、その夢はすっかり諦めていたようです。 若い頃からドイツ民族主義に傾倒しており、大戦前から、反ユダヤ主義も、持っていたようです。第一次世界大戦も、志願して従軍しており、その後は、軍の仕事から、政治活動にひた走っていくことになるのです。 ロスマンは完全に架空の人物ですし、この映画で描かれていることは、全くの架空のお話です。ヒトラーが、芸術家を目指していたという、たったひとつの事実から、創作された物語でした。 108分という短い映画です。もう30分ぐらい長くなっても全然問題ないので、もっともっと、描きこんでほしかった作品です。発想は面白いので、非常に残念です。 ちなみに、ヒトラー役のノア・テイラーという人、どこかで見たことあるなあ、と思っていたら、チョコレート工場をもらうチャーリーのお父さんでした。非常に貧乏が似合う人です。
2011.10.16
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「スティング」 The Sting 1973年 アメリカ映画監督 ジョージ・ロイ・ヒル出演 ロバート・レッドフォード ポール・ニューマン ロバート・ショウ チャールズ・ダーニング アメリカン・ニュー・シネマの代表作「明日に向かって撃て」の3人が、再びトリオを組んだ作品です。米アカデミー賞で、作品賞をはじめ、7部門受賞に輝き、間違いなく歴史に残る名作です。 若い詐欺師のフッカー(ロバート・レッドフォード)は、その師匠でもある黒人詐欺師ルーサーと組んで、町でチンピラから大金をだまし取ります。ところが、その金は、賭博場の上納金で、大物ギャングのロネガン(ロバート・ショウ)に渡るはずの金でした。 フッカーは、彼をつけ狙う悪徳警官のスナイダー(チャールズ・ダーニング)から、ロネガンのことを聞き、ルーサーの家に行ってみると、彼は殺されていました。自分の身の危険を感じたフッカーは、町から逃げ出しました。 フッカーが逃げた先は、伝説の凄腕賭博師ゴンドーフ(ポール・ニューマン)のところです。彼は、足を洗い情婦の元に身を寄せていました。ゴンドーフとフッカーは、ルーサーの復讐のため、ロネガンから大金をせしめるべく、大掛かりな詐欺の計画を立てます。 フッカーとゴンドーフが、騙すのは3人です。ロネガンと○○(ごめんなさい、この人物の名前を書くとネタがばれてしまいますので伏せます。)、そして、観客です。そうです、我々映画を見ている観客もまんまと騙されてしまうのです。その仕掛けは実に巧妙で、まずほとんどの人が騙されてしまうでしょう。 ルーサーの死を悲しむ仲間は、実に大勢いました。全員で30人ぐらいになるでしょうか、彼の人望がうかがえます。そんな仲間を募り、ロネガンを引っ掛ける準備が、着々と進められる様子が映し出されていきます。その様子が、実に粋で楽しく、見事なのです。やはり、それは、脚本が絶品なのでしょう。 また、主演のレッドフォード、ニューマンの2人は実にかっこいいですし、画面全体がおしゃれで、楽しさに満ちています。舞台設定は、1930年代のシカゴの下町です。アメリカにとっては、世界恐慌から続くどん底の時代で、よく見ると街中の風景などは暗く荒んだ感じもあるのですが、そこで暮らす彼らが、実に明るくおしゃれで、生きることを楽しんでいる感じが伝わってくるのです。アカデミー賞の、美術・衣装デザイン賞も納得です。 それから、特筆すべきは音楽です。こちら方面については、僕は実に苦手で、今までも、ほとんど言及してきませんでしたが、この映画の楽しく軽快な音楽は、実にいいです。特に、主題曲の「ジ・エンターティナー」です。この誰もが楽しくなってしまう、ジャズピアノの軽快なナンバーは、映画を知らなくとも、今やだれもが知っている曲で、いろいろなところで、耳にすることができます。 ラストは誰もが「やられたっ!」と言ってしまう、痛快なお話ですが、オチを知った後でも、何度も楽しめる、楽しい映画です。
2011.10.16
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「となりのトトロ」 1988年 日本映画監督 宮崎駿 今更説明の必要はないでしょう。スタジオジブリの、大大大ヒットアニメです。 もう、はまりまくりまして、いや、ぼくじゃなくて、うちの子が。 家にビデオ(DVDではない)がありまして、小学校に上がる前だと思いますが、大好きで、毎日毎日見ていました。もちろん僕も付き合わされて、毎日毎日見ていました。 おかげで、ストーリーはもちろん、せりふも、かなりの部分覚えてしまいました。「マックロクロスケ出ておいで。」とか、「やーい、おまえんち、おっばけ屋敷。」とか、「おじゃまたくし。」とか、「お父さん、お花屋さんね。」とか、「メーイちゃーん!!」とか、使って、子どもと遊んでいました。 メイちゃんが、チビトトロを追いかけて、穴の中に落っこちて、初めてトトロに出会うシ-ンとか、夜のバス停で、サツキが初めてトトロと出会うシーンとか、ネコバスが田んぼの中をすっとばして、人の横を通ったのをその人がまったく気がつかないシーンとか、大好きです。 自分自身、田舎の生まれで、この映画で描かれている田舎の風景に、ノスタルジーを感じる世代でもあるわけで、(実は、この映画の舞台は昭和30年代初頭なので、まだ僕は生れていないのですが。)実に大好きな映画です。 ただ、ひとつだけ、大嫌いなところがあります。それは、お父さん役の声優、糸井重里さんです。演技しているとはほど遠い、抑揚のない棒読みのせりふ、落ち着いているというほめ方しかできない、感情のなさに、がっかりでした。とりわけ、トトロに初めて会ったメイちゃんが戻ってきた後、神社の御神木にお礼を言う場面、お父さんのいいセリフが、あまりにも棒読みなため、いい場面が台無しです。確かに、声の質的には、このお父さんにぴったりかもしれませんが、本職はコピーライターで、声優はおろか、実写での演技もろくに経験がない彼をなぜ起用したのか、大いに疑問が残ります。 ジブリアニメは、細部にまでこだわった見事な映像を作り、その完成度も高く、公開するたびに、大ヒットしていますが、こと声優に関しては、こだわりがないようです。 最近のアニメ映画は、話題作りのためか、主役級の声優までも、タレントや実写の俳優さんを使っているものが多くあります。中には、なかなかの演技を見せる人もいますが、時に、全然だめだという人もいます。お笑い芸人など日頃ドラマや映画に出ていない人ならしょうがないのですが、時には、実写の演技では、非常に達者なところを見せている人なのに、声だけだとどうしてこうなっちゃうのだろうという人もいます。そんな人が主役だったりした場合、映画全体が台無しです。それは、ジブリアニメも例外ではありません。 こういった状況は、声優を本業にしている人たちは、どう思っているのでしょうか。 この間、バラエティ番組で、長年アニメの主役級の役でがんばっている、「タッチ」の上杉達也役で有名な三ツ矢雄二さんが、MCの爆笑問題にこの辺を聞かれ、返事に困り言葉を濁しているところを見てしまいました。肯定的に思っているのなら、素直にそう答えればいいわけで、何か不満を持っているからこそ、答えに困ったということでしょうか。 かなりのベテランで、シリアスな役からコミカルな役をこなし、バラエティ番組で、顔を出しての出演も多く、結構ペラペラとしゃべりそうな三ツ矢さんですが、非常に、返事に困っているようでした。何か大人の事情的なことがありそうです。残念です。 というわけで、お父さんの声以外は、大好きで、とてもよくできている「となりのトトロ」でした。
2011.10.15
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「掠奪された7人の花嫁」 Seven Brides for Seven Brothers 1954年 アメリカ映画監督 スタンリー・ドーネン とても古い半世紀以上前のミュージカル映画ですが、今観てもとても楽しいミュージカルです。 山奥で農場を営む7人兄弟がいました。長男のアダムが、町へ買い物に来たついでに、一目ぼれした花嫁ミリーを連れ帰ります。それに刺激された6人の弟たちは、お祭りで町に行った折、それぞれお気に入りの娘を見染めます。アダムにそそのかされた弟たちは、町へ行き、6人の娘を掠奪(略奪?)してきてしまいます。 あまりの横暴さに、ミリーが怒って、男たちを全員家から追い出してしまいます。 冬になり、辺り一面雪景色です。山への道は不通になり、町の人たちは奪回に行けません。春が来ると、ミリーには赤ちゃんが生まれ、そこそこにカップルの姿が、やっとやって来た町の人たちも、弟たちと娘たちの結婚を認めざるを得ませんでした。 という、非常に単純なストーリーですが、それが、コーラスの美しいバラードや、アダムとミリーのデュエットや、末っ子のギデオンのソロや、楽しいダンスに彩られています。 何といっても楽しいのは、お祭りのシーンです。フォークダンスを踊っているうちに、それがいつの間にか、兄弟たちと町の若者たちの娘たちの争奪戦になり、だんだんと男っぽいアクロバティックなダンスになっていきます。またその後、イベントで、小屋を競争で建てるのですが、いつの間にかケンカになり、作りかけていた小屋は、すべて壊れてしまいます。 また、あまりにも無骨で女心が分からない弟たちに、女性の扱い方をミリーがレクチャーするシーンや、町から奪回にやってきた人たちが、赤ん坊の声を聞き、「誰の子だ」と聞くと、もう帰りたくなくなっている娘たちが6人そろって、「mine!!」と答えるシーンが好きです。そんな楽しさとユーモアにあふれたお話です。 兄弟たちは、長男がアダム、次男がベンジャミン、………末っ子がギデオンという具合に、アルファベット順の名前になっており、常に決まった色のシャツ(関ジャニのように、スバルは歌の中心だから赤、ヨコは悪役だから黒です。)を着ているのですが、よく区別ができません。(すみません、名前もよく覚えていません。)娘たちは、単独でアップになることすらほとんどありませんので、もちろんです。結局、長男カップルのアダムとミリー、ソロナンバーのある末っ子ギデオン(「ウエストサイド物語」のジェット団のリーダーをやっていたラス・タンブリン)しか、わかりません。でも、そんなことは気になりません。 つじつまの合わないところ、都合のよすぎるところなどありますが、とても楽しいミュージカルです。山の自然も美しいです。(書割の背景もありますが) アカデミー賞では、作品賞など5部門にノミネートされていますが、作曲賞の受賞のみです。 しかし、サスペンスのような邦題、何とかならなかったのですかね。掠奪された花嫁は6人だし。(最初のミリーは掠奪されていません。)
2011.10.14
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「ヴィレッジ」 The Village 2004年 アメリカ映画監督・脚本 M・ナイト・シャマラン出演 ブライス・ダラス・ハワード ホアキン・フェニックス エイドリアン・ブロディ ウィリアム・ハート シガニー・ウィーバー 「シックス・センス」「サイン」の、M・ナイト・シャマラン監督のサスペンス(?)作品です。いや、恋愛映画かもしれません。一応、レンタルビデオ屋では、サスペンスのコーナーにありましたが。 中世ヨーロッパ風の深い森に囲まれた、10軒余りの小さな村の物語です。すべて自給自足で賄い、村人全員で食事するなど、全員が家族的に仲良く暮らしていました。村全体にかかわることは、この村の第一世代の十人ほどの評議会で決定されます。村人は、森に入ってはならないという厳しい掟に縛られていました。森には、怪物がいると言われています。その怪物が時々村にも現れ、その時は全員家に閉じこもり、怪物をやり過ごすしかできませんでした。 村の評議員のひとりであり、村長的立場にあるエドワード・ウォーカー(ウィリアム・ハート)の次女アイヴィー(ブライス・ダラス・ハワード)は、盲目だが、心優しい子で、知的障害があり、村人からバカにされているノア(エイドリアン・ブロディ)にも、やさしく接しています。 そんなアイヴィーが、同じく評議員のアリス・ハント(シガニー・ウィーバー)の息子、ルシアス(ホアキン・フェニックス)と恋仲になり、婚約します。 いつも優しくしてくれるアイヴィーが婚約したと聞いたノアは、ルシアスを刺して、大けがをさせてしまいます。抗生物質を投与しないと助からない重症です。 愛するルシアスを救うべく、村にはない薬を手に入れるため、怖い森を抜け、町へ行くことを決意するアイヴィーを、評議会は渋々認めます。 閉鎖された村、厳しい掟、そして森にすむと言われる怪物、これは何かあるな、シャマラン監督だからどんでん返しがあるな、と思っていましたが、何となく、怪物の正体は、予想がついてしまいました。 そう思っていると、何と途中で、怪物の正体については種明かしがあるのです。もちろん予想通りでしたが、あらためて、そこまでして掟を守るのはなぜ、という疑問が強くなってきます。 そして、最後に、とんでもないどんでん返しが待っていました。やられた、と思いました。ちっとも気がつきませんでした。よく考えたら、ありそうなオチでした。でも、ちっとも気がつきませんでした。最初から懐疑的な目で見ていれば気がついたかもしれません。 しかし、ルシアスを一途に思い、けなげにがんばるアイヴィーのかわいさに惑わされたのか、そんな結末は思いつきませんでした。終盤は、とにかくひとりでがんばるアイヴィーちゃんの独壇場で、この子が存在しなければ、この映画が成り立たない、それほどのがんばりでした。そのため、オチに気がつきませんでした。シャマラン監督の作戦にまんまとはまってしまいました。 ということで、怪物の正体を探るというミステリー部分は大したことありませんし、途中で分かってしまったことでサスペンスのドキドキ感はいまいちです。しかし、けなげにがんばるアイヴィーのおかげで、恋愛映画としては、いい線いっているのではないかと思いました。 最後のどんでん返しが明らかになると、この村の存在理由も明らかになります。それは、アメリカの暗部というべきことのせいでした。この村の第一世代(つまり評議員たち)は、その、アメリカの暗部から逃げてきて、この村を作ったのでした。それでいいのでしょうか。逃げるのではなく、もっと正面から立ち向かうべきではないでしょうか。そんなことが言いたいのかもしれません。 しかし、アイヴィーが森を抜け外部と接触し、掟は崩れましたが、その父親たち評議員は、まだ、この村を維持するつもりです。異論がある方もおられると思いますが、僕にはそう見えました。 アイヴィーは、盲目でした。外部と接触しましたが、それを見ていません。森の外がどうなっているのか、実は分かっていないのです。評議員たちは、これ幸いとこのまま、村での閉鎖的生活を続けることでしょう。というか、アイヴィーが盲目だからこそ、その出立を承認したのでしょう。彼女なら、外の世界を見ることはないから。 それでいいのでしょうか、ルシアスは最初から、いまの閉鎖的生活に疑問を持ち、何とか理由をつけて、町へ行きたがっていました。しかし、今回のアイヴィーのがんばりで、森を抜けて外へ行ってくることが、がんばれば可能であることが分かってしまいました。第一世代が健在なうちは、難しいかもしれませんが、でも、時間がたてばわかりません。この村の崩壊も時間の問題です。その時、外の世界を全く知らないルシアスたち第二世代以降の住人は、どうなるのでしょうか、それを考えると、第一世代が逃げてきた状況よりも怖い結果になるのではないでしょうか。彼らの未来は明るくありません。
2011.10.13
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「奇談」 2005年 日本映画原作 諸星大二郎 監督 小松隆志主演 藤澤恵麻 阿部寛 以前にも書きましたが、諸星大二郎先生は、昔からの大ファンです。1974年に、「生物都市」での少年ジャンプ手塚賞受賞、その直後の初連載「妖怪ハンター」、1976年の初の長編連載「暗黒神話」と、リアルタイムで体験し、その独特の世界観、独創的なアイデアに魅せられて、一気にファンになりました。それから、ちょこちょこと不定期に出る作品集を買い続け、その変わらない作品レベルに驚きながら、今は「西遊妖猿伝」の新刊を心待ちにしています。 この映画の原作「生命の木」は、異端の考古学者稗田礼次郎を主人公とした妖怪ハンターシリーズの一篇で、連載ではなく、1976年の「暗黒神話」連載の後、単独で増刊号に発表された30ページほどの短編です。最初の妖怪ハンターシリーズとして、ジャンプ・スーパー・コミックスの「妖怪ハンター」に最初の連載のものとまとめて収録されています。 「妖怪ハンター」は、先生の最初の連載であると同時に、掲載誌を転々としながら、現在まで、30年以上続くシリーズで、長髪黒ずくめの異端の考古学者稗田礼次郎が、奇怪な事件に遭遇し、それを解明(決して解決ではない)していくお話です。対決する相手は、世間一般で言うところの妖怪という範疇に納まらず、何かしら得体のしれないものばかりで、「妖怪ハンター」という名前は、最初の連載の名前だからそう呼ばれているのだと思いますが、いまいち内容とあっていません。(最初の連載だから、読者受け至上主義の悪名高き少年ジャンプ編集部に決められてしまったのでしょう。あまりにも俗的で、僕は好きではありません。) さて、映画の方ですが、なかなか健闘しているではないか、なんとか合格点といったところでしょうか。(なに、この上から目線?) いつも、漫画の原作ものについては、評価が辛い僕ですが、この映画は、原作の雰囲気を何とか出そうとして、頑張っているのがよくわかり、好感が持てました。諸星作品は、都会が舞台のものでも、その描線からか、おどろおどろしいというか、泥臭いというか、独特の雰囲気があるのですが、この映画はその感じを出すことに、かなりの力が注がれているようで、とてもよい感じ(諸星作品として)の映像に出来上がっています。舞台が、東北の山の中の村というのも、よかったのですかね。 大学院で民俗学を専攻する佐伯里美(藤澤恵麻)は、かつて、7歳の頃に2ヵ月間だけ過ごした東北地方の隠れキリシタンの村へ、調査にやってきました。そこで、隠れキリシタンの調査をしている異端の考古学者稗田礼次郎(阿部寛)と出会います。 里美は、16年前、この村で同じく7歳の少年新吉とともに、神隠しにあい、かろうじてひとりだけ生還するという過去がありました。里美と稗田は、村の長老であり、やはり子どもの頃に7歳の兄とともに神隠しにあい生還した経験を持つ老婆に話を聞き、村の奥にある“はなれ”と言われる集落が怪しいと、目星をつけます。“はなれ”は、住人がすべて7歳程度の知能しかなく、明治になって、キリスト教信教が解禁になった時、多くの村人とは違い、カトリックへの帰依を拒み、隠れキリシタンの教義を守っている、閉鎖された集落でした。 調査を続けるうちに、里美と稗田は、村の神父とともに、村の聖地カルバリ山(骨山)で、キリストのように十字架に張り付けにされている、“はなれ”の住人善次の死体を発見してしまいます。 ここでは書くのは控えておきますが、この後、あっと驚く結末が待っています。この結末が、原作を知らない方には、あまりに唐突で難解に思え、受け入れられにくいようですが、原作通りの映像で、コアな諸星ファンの僕としては、よくやった、よくぞここまで映像化した、と涙チョチョ切れる思いでした。 しかし、神隠し関係の話が、取って付けたようで、いまひとつ話の本筋になじんでいません。それもそのはずで、神隠しは、原作には出てきません。どうやら、原作通りだと、どう考えても1本の映画の長さに作り上げることができないと判断した制作関係者(監督・脚本小林隆志なので、きっと彼でしょう。)が、諸星作品にふさわしい要素として、設定したものと思われます。その視点は、間違っていないと思いますが、少し吟味が足りなかったようです。 以前の、「壁男」の時も書きましたが、諸星作品の短編を、2時間程度の映画に仕上げるのは非常に難しいと思われます。着想が面白く、その切り口が独特であるが故に、感動し、映像化したい衝動に駆られる気持ちは分からないではありませんが、あまりに独創的であるがため、その話を引き伸ばしたり、改造したりすることは容易ではありません。この映画も、「壁男」も、一生懸命工夫して引き延ばして、90分前後の映画に仕上げていますが、どうしても違和感が残ってしまいました。 無理せず、「世にも奇妙な物語」で、2.30分の映像を作ることをお勧めします。どうしても映画を作りたいのなら、「暗黒神話」「孔子暗黒伝」「海神記」「マッドメンシリーズ」をお勧めします。長さ的にちょうどいいでしょう。個人的には、「栞と紙魚子シリーズ」のクトゥルーちゃん関係の話をつなげて作るのも面白いと思いますが。 しかし、稗田礼次郎役、他にいなかったのでしょうか、阿部寛さんは非常に上手で、いい感じで演じていましたが、どうしても「トリック」とかぶってしまいます。見た目的には、「ヒルコ」のように、沢田研二さんが最適ですが、(稗田礼次郎は、他の話の中で、ジュリーに似ていると言われています。)もっと、よく考えてほしかったです。 また、題名はどうして「奇談」なんでしょうか、これでは意味が広すぎて、諸星作品のすべてに当てはまってしまいます。原作通りの「生命の木」ではいけなかったのでしょうか。キリスト教関係から圧力でもかかったのでしょうか。
2011.10.12
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「ダイ・ハード」 Die Hard 1988年 アメリカ映画監督 ジョン・マクティアナン出演 ブルース・ウイルス アラン・リックマン 超有名大ヒット映画で、ブルース・ウイルスの出世作です。昨日、日曜洋画劇場で放映していましたので、初めて見ました。そうです。初めてです。 元来、映画は考えるところがなければ、と思っています。メッセージがあったり、謎説きがあったりといった映画が好きです。単純なアクションやホラーなど、壊しまくったり、暴れまくったり、殺しまくったり、脅かしまくったりするだけといった映画は嫌いです。(以前、チラッと書きましたが、「ランボー」は観ていますが、2以降は観ていません。あの日本通のアクション俳優の沈黙シリーズも観ていません。) そういう意味で、嫌っていたわけですが、何か、記念で4週連続で放映するそうですので、じゃあ、観てみようか、と思ったわけです。 結論から言いますと、ごめんなさい、結構おもしろかったです。低予算でスター不在(ブルースは、この時、まだ無名なので。)のいわゆるB級映画ですが、なかなか良く考えてある作品でした。これは、脚本がいいんですかね。 ニューヨーク市警の刑事ジョン(ブルース・ウイルス)は、ロスに住んでいる妻ホリーの日系会社のパーティに招待され、ロスのナカトミビルに行きます。ちょうどその時、テロリストらしき一団がビルを襲い、パーティの参加者を人質にしてしまいます。市警やFBIはあてにならず、ジョンは孤軍奮闘、というストーリーです。 舞台になるのは巨大ビルだけです。もちろんその理由は低予算だからですが、大きな移動がない分、わかりやすいです。当然、派手なカーチェイスなどは不可能なわけですが、うまく工夫されたアクションは、迫力十分でした。エレベーターや屋上の爆破シーン、消防ホースで体を縛って、屋上からダイブするなど、なかなかやるなあと思ってしまいました。 また、結構、伏線がたくさんあって、「ああ、こうなるんだ。」とか「なるほど。」「そのためなんだ。」というところが色々発見されて、心地よかったです。 例えば、ジョンは、冒頭の飛行機の中で、隣り合わせた人に、「高所恐怖症には、裸足になって指を丸めるといいですよ。」と言われ、ナカトミビルに着いから、裸足になっていました。ちょうどその時、事件が始まったため、裸足のまま、飛び出していきます。そのため、彼は終始裸足で戦っています。犯人グループのリーダー・ハンス(アラン・リックマン)にそれを見つかり、周囲のガラスをわざと割られ、足の裏を傷つけてしまいます。 空港にジョンを迎えに来たリムジン、運転手がおしゃべりで、うっとうしかったですが、ビルに着いた時、気を利かせて、地下駐車場で待機しています。音楽を聞いていたりして、犯人グループの駐車場の入り口ギリギリのでかいトレーラーが入って来ても気がつきません。やっぱりうっとうしい奴だな、と思っていると、終盤、犯人グループのひとりが、逃走用の車をトレーラーの荷台から出しているのに気付き、リムジンをぶつけて、妨害します。また、ジョンが電話で運転手と話しているときに、ちょうど犯人グループが電話線を切り、ジョンが異変に気付き、警戒することができ、銃声を聞いて素早く行動することができた、というおまけもあります。 ジョンが着く前、ホリーはジョンから連絡がないので、軽く怒っていて、オフィスの机上の家族写真を伏せてしまいます。また、ホリーがこの会社に引き抜かれロスに移住することにジョンが反対し、別れて生活するはめになったため、ホリーは、旧姓を名のって働いていました。そのため、ホリーのオフィスに座って、部下たちを指揮していたハンスですが、結構終盤まで、ジョンとホリーが夫婦であることに気付きませんでした。 それから、無線が効果的に使われているのがいいですね。 ジョンは、犯人グループから無線機を奪い、警察に連絡します。ところが、当然、犯人たちも聞いているわけで、本名を名のるわけにはいきません。そのため、信じてもらえません。また、本来、比較的近距離で使う無線機で、連絡しているので、少しでも電波が届きやすいように、彼は屋上にいるに違いない、とハンスに気付かれてしまいます。 そして、ジョンと犯人グループと警察、この間の連絡がスムーズにでき、携帯電話がまだ普及していない時代なので、非常に便利です。ただ、犯人グループも聞いているので、作戦などを打ち合わせるわけにはいかないというのが玉に傷ですが。 とりわけ、ジョンと警官のアル・パウエルの会話がいいですね。家族のことを聞いたりして、緊迫した状況の中で、ひとつの清涼剤とでも言いますか、緊張が緩和される場面です。 やっぱり、大ヒットしただけありますね。なかなか、よく考えられたいい作品でした。でも、2からは、大金をかけて作られ、大味なものになっていくと聞きます。来週の放映、どうしようかな。 ところで、ふと思ったんですが、大量の債券を盗みたいだけだったら、パーティをしているんだし、コソっと忍び込んで、見つからないように盗んだ方がよかったんじゃないかな。どこかのオーシャンたちみたいに。まあ、結局は、そこまで賢い男たちではないということですか。ハンスも含めて。 それから、ジョンの来ているランニング、最初真っ白でしたが、最後は深緑のような色になっていました。「すげえ、汚れたなあ。」と思っていたら、着替えているシーンが、カットされているということでした。 ちなみに、犯人グループのリーダー・ハンス役のアラン・リックマン、なんとこの映画がデビュー作です。この時すでにアラフォーですが、イギリスの舞台で活躍していた俳優さんだったそうです。謎のプリンスとなるのはまだまだ先の話ですが、すでに抜群の存在感です。
2011.10.10
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「キャプティビティ」 Captivity 2007年 アメリカ・ロシア映画監督 ローランド・ジョフィ主演 エリシャ・カスバート レンタルビデオ屋のサスペンスコーナーで、面白そうだな、と選んだこの映画、観てみて、やられたと思いました。 売れっ子モデルのジェニファー(エリシャ・カスバート)が、誘拐監禁され、ひどい仕打ちを受けるという、最近ありがちなシチュエーションスリラーというやつかと思いきや、隣に、もうひとり監禁されている男がいて、という「おっ新展開か」と思いきや、オチばればれの残念な展開で、がっかり、といった内容です。 前半、酸のシャワーを生きたまま顔に浴びせられて殺される女性の映像を見せられたり、人間の目玉や耳、内臓などを血でシェイクしたジュースを、漏斗をくわえさせられて無理やり飲まされたり、その筋の方が喜びそうな、えげつない映像が続き、なかなかやるなあと思いましたが、そこまででした。 監禁部屋と隣の部屋との境目がなんと透明ガラスに塗料を塗ったもので、塗料の剥がれたところから光が漏れ、隣に、もうひとり監禁されていることがわかります。それがなんと、イチロー似の若いイケメン、聞くところによると、3日前からいるといいます。ガラス1枚隔たれているだけで、会話もできるほどなのに、今までまったく気がつかなかったという、思いっきり怪しい登場ですが、彼女は、100%信じてしまいます。監禁状態で、追い詰められているから、という考え方もできますが、彼女は五体満足で、拘束もされていません。彼女がダイコンなのもありますが、全く追い詰められた感じではないのです。 ぼくも、このゲリーという男、ご覧になった多くの方が気づいたように、登場した瞬間に、「あ、こいつ犯人だ。」と思ってしまいました。まだ、映画の中ほどのことです。 その後、彼女が箱に入れられ、砂を流しこまれるという責めを受けているとき、もう少しでスペースがなくなるというグッドタイミングで、彼が天井を破って登場します。あれ、監禁させられてたんじゃないのと思っていると、2人で逃げ出し、ガレージで車に乗り込み、扉をぶち破って走り出したとたん、もうひとつ部屋があって、止まらされ、ガスを流しこまれて、逃亡は失敗です。 そして、彼女は、再びベッドに縛り付けられて、愛犬を目の前で爆死させられ、その血を浴びさせたりします。彼が罰を受けたのかはわかりません。ここは、彼女をより怖がらせるために彼が責められるところを見せておくべきでしょう。 次は、2人並べて、ベッドに縛り付けられます。ここで、フードをかぶった犯人登場です。あれ、ゲリーは犯人じゃないのかと、思わせたいんでしょうが、僕は、ああ、もうひとりいるんだと思っただけでした。この時、ゲリーは初めて責められ、奥歯を無理やり抜かれたりするわけですが、流れる血の量が異様に多い、責めが非常に手ぬるいなど、不信感は思いっきり残ったままです。 その後、あろうことか、2人一緒に、ひとつの部屋に戻すではありませんか。なんやそれ、って思っていると、またまた、あろうことか、2人はHを始めるではありませんか。そうか、そういうことか、彼女への責めが、どうも精神的なものばかりだと思っていたら、やりたかったんだ、きれいな体のまま。同じ監禁されている身として登場したのも、そういうことだったんだ、と納得しました。 そして、なんとこの後、早くも種明かしです。もう、観ているみんなにばれているので、開き直ったのか、と思うほど、あっさりと種明かししてくれます。 Hの後、眠っている彼女を残し、ひとりで自ら鍵をあけ、部屋から出て行くゲリー。この時、ベッドを後ろにして、彼の顔がアップになるところがあるのですが、全然だめです。猟奇的犯罪の犯人が分かる大事な場面です。ここは、彼のいっちゃてる顔をアップにすべきでしょう。彼の顔は真剣な冷たい顔をしていますが、猟奇的嗜好を持った、常軌を逸した、いわゆる”いってしまった顔”ではありません。きっと、彼の演技力ではできなかったのでしょう。残念です。 ゲリーが上の階に上がっていくと、大男がいました。彼はゲリーの兄ベン。2人の共謀の犯行でした。2人は、これまでにも犯行を繰り返していたようで、しかも、ただの兄弟ではなく、怪しい関係のようです。 しかし、ゲリーは、早く女を殺せ、と言われ、ベンをナイフで刺してしまいます。ゲリーはジェイミーに惚れてしまっていました。しかし、「この後どうするつもりだ、ゲリー。」と思っていると、その時、あまりにも唐突に現れる、ジェイミーを捜索する2人の刑事も殺してしまいます。ますます「どうするつもりだ、ゲリー、お前ちゃんと考えて行動しているんだろうなあ。」と思っていると、なんと彼は、ジェイミーを助け出し、地下の監禁部屋から、上へ連れてきます。一応、死んでいる2人の刑事が犯人と思うように、2人の犯人を殺したと言ってはいますが、やはり彼は、ちゃんと考えていませんでした。 そして、あろうことか、リビングに彼女をひとり残し、逃げ出した後、自分が犯人とは分からないように、証拠になるものを始末しに行ってしまいます。地下室でごそごそしている姿はTVに映っていますし、今までの犯行(彼らの思い出)アルバムは目につくところに残したままです。そのおかげで、ジェイミーは気付いてしまいます。この後、ちょっとハラハラさせる2人の対決がありますが、ゲリーは結局、ジェイミーに殺されてしまいます。 やっぱり、ゲリーは何も考えていませんでした。今まで、冷静に犯行を繰り返して、うまくやってきたのに、ひとりのきれいな姉ちゃんに惚れてしまったおかげで、何もかもぶち壊しです。どうやら、猟奇的な嗜好で犯行をリードしてきたのは、兄ちゃんのベンの方のようです。いったい彼は、この後どうするつもりだったんでしょうか、うまくジェイミーに正体がばれなかったとして、2人で逃げたとしても、こんな一時の感情で生まれた恋愛関係なんて、直に破たんすることは、目に見えています。でも、ゲリーは家を捨てて逃げてきてしまったわけですから、帰るわけにはいきません。結局、彼女に捨てられた後は、別のところで、また似た様な犯行を繰り返すのでしょう、今度は、今までリードしてくれた兄ちゃんはいないのですが。 事件の解決した後、ジェイミーが連続殺人犯になってしまう後日談が、最後に挿入されています。そのターゲットは、性犯罪を疑われたが、証拠不十分などの理由で罪に問われなかった男、つまり、いわゆる女の敵、と言われる男たちのようです。 しかし、彼女、今回の事件で、そんな猟奇的犯行を続けるほど、追い詰められていたのでしょうか。確かに、それとは知らず、犯人とHをしてしまっていますが、そのやり方は、いたってノーマルなものです。やはり、猟奇的な犯罪を行う人というのは、いわゆる、”いってしまっている人”です。そこまで、追い詰められていたようには、見えませんでしたが。それとも彼女の演技力の問題ですか。 脚本もいまいちで、演出もいまいちで、中心の2人の演技力もいまいちで、できあがったものが、残酷描写がいまいちで、謎説きもいまいちで、Hな描写もいまいち(もっと見せろよ、せっかくきれいな姉ちゃんの主演なんだから)で、何もかも中途半端な映画でした。 もっと、「羊たちの沈黙」とか、「セブン」とか、「シャイニング」とか観て勉強してください。 ところで、主演のきれいな姉ちゃん、ジャック・バウアーの娘だって、ちっとも知りませんでした。
2011.10.09
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「アイ・アム・レジェンド」 I Am Legend 2007年 アメリカ映画監督 フランシス・ローレンス主演 ウィル・スミス 昨日、日テレ系で放映していましたね。前にレンタルで観たことがあるので、チラッと見ていました。 新種のウィルスの流行のため、人類のほとんどが死滅してしまった世界で、ニューヨークでただひとり生き残った科学者ロバート・ネヴィル(ウィル・スミス)の孤軍奮闘(文字通り)を描いたSF映画です。原作の小説があるそうで、しかも、これ以前にも、2度映画化されているそうですが、僕はいずれも観ていません。なので、この2007年の映画に限り、書かせていただきます。 突っ込みどころはいろいろとあるのですが、まずは、誰もが疑問に思う点に関し、自分なりの解釈を書かせていただきます。 それは、どうして彼だけ生き残っているの?という点です。 2009年、クルピンという女性科学者により、ガンの治療薬として、抜群の効き目のある薬が、はしかウィルスを元に作られ、テストとして1万9千人のがん患者に投与され、1万9千人が完治した。というニュースが、映画の冒頭に流れます。しかし、その内の何人かが凶暴化し、人々を襲い始めました。ウィルスがテスト患者の体内で突然変異を起こし、別の凶暴なウィルスに変化したものと思われます。それは、開発者の名前から、クルピン・ウィルスと呼ばれました。 襲われた人々は、死ぬか、凶暴なダーク・シーカーと呼ばれる者に変化しました。政府はやむなくニューヨークを閉鎖し、対抗しましたが、いつの間にか空気感染するようになったクルピン・ウィルスにより、人類のほとんどは死滅し、夜の闇の中ではダーク・シーカーが獲物を求めて動きまわる世界に変貌したのです。 劇中、ネヴィルは完全に免疫があり、相棒のサム(犬)は、空気感染にのみ免疫がある(接触感染と空気感染ではウィルスが別?)という説明があります。(この設定のおかげで、サムがダーク・シーカー犬にかまれ、やむなく安楽死させる場面があり、思わず涙を誘います。) どんなウィルスにも、生まれつき免疫がある者がいるそうで、たまたまネヴィルは、ニューヨークでただひとりクルピン・ウィルスに対し免疫があった、ということなのでしょう。だから、全世界的に考えれば、免疫がある人類が、まだ、何人かいるはずです。だから、物語の後半、アルゼンチンからやってきたというアナとイーサンが現れるのも、全く不思議ではありません。 この点に関しては、なかなか科学的にできているな、と感心した次第です。 さて、それでは、恒例の突っ込みといきましょう。 まず、多くの皆さんもお気づきでしょうが、ネヴィルの暮らしている家、ライフラインはいったいどうなっているのかということです。ライフラインといえば、電気・水道・ガスです。ネヴィルは、照明をつけ、TVでビデオを見たり、(TVのニュース映像のようなものを見ていますが、ウィルスの研究のため、昔のニュースを録画したものと思われます。)パソコンや医療用機械を操作したり、シャワーでサムを洗ったりしています。ネヴィルはありませんが、アナが料理している場面も出てきます。 もちろん賢明な方々は分かっていると思いますが、これらのものは、コンセントや蛇口やガス栓から、自然に出てくるわけではありません。人類が、機械を使って作りだし、電線や管を通って、各家庭に送られてくるものです。おそらくアメリカ合衆国で、ただひとりの生き残りであるネヴィルです。いったい誰が、送り出しているのでしょうか。機械で自動化されているにしても、その元になる機械は何の動力で動いているのでしょうか。 家庭用の発電機で発電(動力は灯油やガソリンです。町に放置されている車やガソリンスタンドへ取りに行けば手に入ります。)したり、雨水を屋上のタンクに貯めたり、ガスボンベを集めたり、といったことをすれば、確保することは可能ですが、そういった描写は一切ありません。もしそうなら、リアリティを持たせるために、きちんと描写しておくべきでしょう。 町の放置されている車の間を走り回るインパラの群れ、それを狩ろうと銃を持って追いかけるネヴィルとサム、突然やってきて獲物を掠め取っていくライオン、そういった場面がありますが、インパラやライオンは、クルピン・ウィルスに感染しないのでしょうか。犬は感染するようで、ダーク・シーカー化した犬が出てきます。人間以外の哺乳類にも感染するようです。ライオンは3頭しか出てきませんが、インパラは、かなりの数の群れが出てきます。(たぶん、人間がいなくなったので、動物園などから逃げてきたものと推測されます。出てくること自体には異論はありません。人類がいなくなって3年たってますし。) ネヴィルが、自動車の重さを利用した罠で、女ダーク・シーカーを捕らえます。クルピン・ウィルスを退治する血清を研究するためです。数日後、同じ罠で、ネヴィル自身が捕らえられてしまいます。仕掛けたのは、ダーク・シーカーで間違いありません。彼らに、知能が残っているのではと思わせる場面で、結末につながる伏線ではないかと思わせますが、それっきりです。どういうことでしょうか。 実は、この記事を書くにあたり、ネットで、この映画のことを検索していると、もうひとつの結末があるという情報を見つけました。しかも、Youtubeで、観ることができるというので、観てみました。 この映画の結末、ある夜、ネヴィルの家にダーク・シーカーが大挙して襲ってきます。追い詰められたネヴィルとアナとイーサンは地下の研究所に逃げ、透明なアクリル板の扉を閉め、立てこもります。そこには、ネヴィルがネズミの実験で効果のあった血清の試作品を注射され、人間に戻りつつある、女ダーク・シーカーが眠らされていました。もう逃げられないと観念したネヴィルは、女ダーク・シーカーから、血液を採取し、アナに託し、アナとイーサンを避難させ、爆弾を抱え、ダーク・シーカーたちとともに爆発します。場面変わり、北の方にあるといわれる伝説の生き残り人間たちの集落へたどり着くアナとイーサンの描写で終わります。 もうひとつの結末は、家にダーク・シ-カーが襲ってきて、地下の研究所に逃げ込むまでは同じですが、その後、襲ってくるダーク・シーカーのリーダーらしき男の表情が気になったネヴィルが、ふと気がつき、眠っている女ダーク・シーカーを引き渡すところが違います。女ダーク・シーカーを渡されたリーダーらしき男ダーク・シーカーは、いとおしげに抱き上げ、お礼を言うかのごとく、ネヴィルを見つめ、仲間とともに、去っていきます。場面は変わり、車でどこかに向かっているネヴィルたちの描写で終わります。 もうひとつの結末は、明らかにダーク・シーカーに、知能や社会性が残っていることを語っています。彼らは、凶暴な怪物になったのではありません。凶暴なところはあるが、新人類といってもいい存在になったのです。ネヴィルは血清の研究の無意味さを悟り、アナとイーサンとともに、北にあるといわれる伝説の人間の集落を目指して旅だったのです。 この結末なら、あの罠の伏線が生きてきます。また、どちらかというと、こちらの方が、高尚な印象を残すことができ、他の人類滅亡的映画や、怖がらせるだけのゾンビ映画などとの差別化ができるのではないかと思ってしまいました。単なるエンターテイメント映画ではなく、テーマ性をもった考えさせる映画になる機会を、結末を変えることで、製作者自ら、放棄してしまい、非常に残念です。 アメリカでは、異形の者は、滅ぼした方が受けがいいのでしょうか。それは、アメリカ人の意識の根底に、差別意識があることを物語っているのではないでしょうか。残念です。
2011.10.08
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「インセプション」 Inception 2010年 アメリカ映画監督 クリストファー・ノーラン出演 レオナルド・ディカプリオ 渡辺謙 ジョセフ・ゴードン=レヴィッド エレン・ペイジ ディカプリオと渡辺謙の共演、常識をぶち破る斬新な映像などで、話題になり、大ヒットしたSFアクション映画です。 やはり映像がすごいです。周りのあらゆる物が爆発しスローで飛び散る、めくれあがる街並み、世界が回転したり無重力になったりする中の格闘、など、今までになかった映像が次から次へと登場し、圧巻です。よく、「マトリックス」と比較されますが、「マトリックス」は人の動きがスローだったり、角度や方向が変わったりしますが、世界そのものの形が変わったりはしませんでした。また、夢を見ている大多数の人々は、現実と思っているからネオ以外の人は、その世界を変えることはできないのです。 この映画映像がすごいだけではありません。何層にも重なる夢の世界を絡めて、アクションを展開するストーリーがとても面白いのです。しかし、夢の世界が何層にも渡り絡み合うがため、しかも、そこに主人公コブ(レオナルド・ディカプリオ)の個人的な物語がからんでくるがため、非常に難解な物語になってしまっています。 でも、その設定やルールをきちんと理解していれば、物語が絡み合うが上のおもしろさに気付き、痛快な物語なのです。ちょっと、コブと奥さんのサイドストーリーの方は、その深刻さ故に、考えさせるものがありますが。 夢・深層心理に関する研究が進み、その解明や操作が可能になっている近未来(パラレルワールド?)の物語です。夢についてのルールが解明され、夢を共有する機械が作られ、睡眠の長さや深さを調節する薬が開発され(非合法?)、夢に入り込んでくるものに対抗するための訓練やセミナーが考えられている世界です。 この映画からわかる、夢のルールは以下の通りです。 夢の中で死ぬと目が覚める。ただし、薬などで調整されている場合は、目覚めず、夢の第4層(日本語吹き替えでは“虚無”となっていて、これは2度と戻って来られない感じで、怖い。)にとらわれてしまう。あらかじめ決められた刺激(キック)で、目覚めることもできる。 想像力や発想力の豊富な者は、夢の世界を構築できる。また、夢の中で、別の人物になり済ます能力を持つ者もいる。 夢の中では、時間の流れが1/20になる。夢の中の夢では、また1/20(つまり1/400)になる。現実の10時間が、夢の第1層では200時間(1週間と4時間)、第2層では4000時間(166日と2時間、約半年)、第3層では80000時間(3333日と1時間、約10年)になる。 現実や、すぐ上の層の夢で、体が動かされると、すぐ下の夢で影響がある。振動や傾きが伝わったり、宙に浮いていると無重力になったりする。 以上のルールを踏まえ、ストーリーを整理してみましょう。 夢を操り、他人の夢から情報を盗むことを生業にしているコブは、昔、妻のモルと2人、夢の奥深くで、2人だけの世界に浸りすぎたおかげで、夢と現実が区別できなくなった妻を亡くすという、悲しい過去を持っていました。しかも、妻の殺害を疑われ、母国(アメリカ)に帰ることができなくなっています。 強大な力を持つ大企業のトップ、斉藤(渡辺謙)の依頼で、ライバル会社の2代目ロバートの深層心理に、会社をつぶすように導く概念を植え付ける(インセプション)仕事でした。コブが受ける報酬は、家に帰れるようにしてもらうことです。 長年の相棒アーサー(ジョセフ・ゴードン=レヴィッド)、パリで夢関係の研究をしているコブの父親の教え子で、夢の世界を構築する“設計士”のアリアドネ(エレン・ペイジ)、夢の中で他人になり済まし、ターゲットを惑わす“偽装師”イームス、眠りをコントロールする薬を作る“調合師”ユフス、そして、コブと斉藤、以上の6人が仲間です。 作戦は、ロバートと確執のある父親を感動的な演出で仲直りさせ、今の会社を捨て、自分の道を切り開く気にさせることです。そのため、3層の夢をアリアドネは設計します。 ロバートが、シドニーからロスに帰る飛行機に同乗し、作戦を決行します。つまり、作戦が成功して、斉藤に手を回してもらえないと、コブは入国すると逮捕されるので、飛行機から降りられないことになります。ロスに着く前に、見事作戦は成功し、全員無事に目覚め、コブも無事入国できました。 夢の第1層は、ロスのオフィス街です。現実だと思っているロバートを拉致し、父親の側近ブラウニングに化けたイームスが、同じく拉致された体で、この直前に亡くなった父親には、秘密の遺言状があることを告げさせます。しかし、ロバートは夢に侵入してくる敵に対し、対抗する訓練を受けており、それが、攻撃をしてくる部隊という形で現れ、想定外の攻撃を受け、斉藤が瀕死の傷を受けてしまいます。一行は、ユフスの運転するワゴン車に乗り込み、一斉に眠りにつきます。(夢を共有するための機械の操作と、眠っているみんなを見守るため、必ずひとり残らなければならないようです。)ユフスは、全員の眠りを見守りつつ、攻撃をかわしつつ、ワゴン車を運転します。しかし、追い詰められ、車ごと橋からダイブします。これが次の夢から覚ますキックになります。このワゴン車の激しい運転とダイブが、次の第2層に影響し、地震のような揺れや無重力状態を引き起こします。目覚めた後、ロバートは、父親の遺言を聞き入れ、自分の独自の道を切り開くことを、ブラウニングに宣言します。 第2層は、大きなホテルです。部隊の激しい攻撃をかわし、なるべく速く目的を達成するため、ここでは、作戦を変更し、ターゲットに夢であることを明かし、協力させる作戦を使います。(ミスターチャールズというらしい。)ホテルのバーで、コブがロバートに近づき、夢を守る訓練のために現れたボディガードのふりして、ここが夢であることを気付かせ、父親の遺言を確かめるため、協力させます。ホテルの一室で眠りについた一行を、残ったアーサーが守ります。ここでのキックは床を爆破して、全員を下に落として衝撃を与える予定でした。アーサーは、第1層でワゴン車が土手を転がり落ちているため、上下が回る廊下で、敵と戦うはめになります。そして、ワゴン車が川へダイブしたおかげで、無重力になった世界で、床を爆破しても寝ているみんなを落とせないので、無重力を利用して、寝ている全員を縛って、エレベーターまで運び、爆破の衝撃でエレベーターを落とします。 第3層は、雪山です。山の中の要塞のような病院の金庫室の中に父親がいます。一行は敵の攻撃をかわしながら、病院の金庫室をめざします。ところが、金庫室の前にやって来たロバートを、突然現れたモルが撃ち殺してしまいます。モルはコブの夢にたびたび現れ、邪魔をするのです。つまり、コブも精神を病んでいるということです。夢の中で命を亡くしたロバートは、第4層(虚無)にいるはずなので、コブとアリアドネはもう1層降りる決意をし、眠ります。残ったイームスと、瀕死の斉藤は、敵と戦いながら、3人を見守ります。戻ったロバートは、父親に会い、父が自分を愛していたことを知ります。病院の爆破(キック)で、第4層に残ったコブと死んでしまった斉藤以外は目覚めます。 第4層には、コブとモルが作った世界が残っています。かつてここで、2人は50年もの月日(現実では、2時間半ほどです。)を過ごしています。コブとアリアドネは、モル(実はコブの潜在意識が作り出している幻影)のもとにいるロバートを救いだします。アリアドネとロバートは戻りますが、コブは死んで落ちてくる斉藤を探すため残ります。かなりの時間を費やして、老人になっている斉藤(夢とは思っていないので、年を取ってしまう。)を探し当て、2人で戻ります。現実では、1.2時間ほど遅れただけのはずです。 ラスト、家に戻り、子どもたちと出会うことのできたコブのシーンで終わりますが、これは現実のはずです。 以上のストーリーが、同時進行で進んでいくので、頭が混乱して、わかりにくくなっているのです。見事によく練られたストーリーで、作戦も、コブの病気も、見事解決する、ハッピーエンドなのです。 アーサー役のジョセフ・ゴードン=レヴィッドと、アリアドネ役のエレン・ペイジが、いい味を出して、大奮闘でした。ところで、ぼくは、アーサーがアリアドネにアプローチして、いい感じになっているように見えましたが、気のせいでしょうか。どさくさにまぎれてキスしてますし。
2011.10.07
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「戦場にかける橋」The Bridge on The River Kwai 1957年 アメリカ・イギリス映画監督 デヴィッド・リーン出演 アレック・ギネス ウィリアム・ホールデン 早川雪洲 第2次大戦中の、日本軍のタイ・ミャンマーを結ぶ泰緬鉄道建設で、最大の難所と言われたクワイ川にかかる橋の建設をめぐり、日本軍とイギリス人捕虜の対立や交流を描いた感動作です。米アカデミー賞作品賞をはじめ、多くの賞を受賞しています。 クワイ川に近いジャングルの中の日本軍の捕虜収容所に、イギリス兵の捕虜1隊がやってくるところから、物語は始まります。200人ぐらいのその1隊は、口笛で曲(クワイ川マーチ)を奏でながら、整列して行進してきます。捕虜とは思えないその姿は圧巻です。 先頭にいるのは、隊長のニコルソン大佐(アレック・ギネス)です。この収容所の前捕虜部隊の生き残り、アメリカ兵のシアーズ中佐(ウィリアム・ホールデン)も、呆気にとられています。このシアーズ中佐、アメリカ人らしい合理主義者で、この時も、もうひとりの生き残り兵と、仮病を使って“病院”と呼ばれている宿舎に入っていました。 収容所の所長は斉藤大佐(早川雪洲)です。ニコルソンを先頭に、整然と並ぶ捕虜を前に厳格なあいさつをします。主役3人の性格がしっかりと分かる、見事なオープニングです。 翌日の朝、整然と並ぶ捕虜たちの前で、前日と同じく、将校も含め、全員働いてもらうと斉藤が宣言すると、ニコルソンは、ジュネーブ協定で、将校には労働させないことになっている、と反発します。兵士たちが、橋の建設労働に出発しても、ニコルソンと将校たちは、立ったままその場を動きません。銃で脅しても動かないので、斉藤は黙って宿舎に入ってしまいました。熱帯の焼けるような日差しの中、将校たちは夕方まで動きませんでした。斉藤は、将校たちを宿舎に監禁し、ニコルソンは、独房に監禁しました。それは、犬小屋のような小さな箱です。そのまま、何日も日がすぎていきます。 その間に、シアーズ中佐は、2人の仲間と、夜の闇にまぎれて、脱走をしました。2人は銃殺され、シアーズはがけから転落し、川に流れて行きました。 橋の建設作業は、日本兵たちの指示で進められましたが、イギリス兵たちは、サボっていて、遅々として進みません。斉藤は、現場監督を解任し、自ら監督に立ちましたが、状況は変わりません。彼は悩みました。期日までに橋が完成しないと、責任を取って、切腹するしかないからです。 ある日、斉藤はニコルソンを呼び出します。今日は、日露戦争の戦勝日だから、恩赦として、将校たちを解放する。将校は労働をしなくていいから、監督をしてくれ。 ひとりで宿舎から出てくるニコルソンを見て、イギリス兵たちは雄叫びをあげます。彼の信念が勝ったからです。その夜、斉藤はひとり声をあげて泣きました。彼は、工事を進めるために、切腹から免れるために、プライドを捨てました。負けを認めたのです。 工事の監督を任されたニコルソンは、専門的知識を持つ部下2人と、現場を視察し、自らの考えを示します。彼は、この工事が敵である日本軍の利益になることを承知の上で、イギリス人の指揮のもと、全力を尽くし、期日までに完成させ、イギリス人の偉大さを示そうと思っていたのです。また、彼は、戦争云々ではなく、この鉄道の建設は、この地域のためになるとも考えていたようです。そして、工事は順調に進んでいきます。 一方、シアーズは無事でした。イギリス軍の拠点に、何とかたどり着きます。 半死半生でたどり着いたのがうそのように、海岸で女性将校とイチャついているシアーズのもとに、イギリス特殊部隊のウォーデン少佐がやってきます。クワイ川の橋の爆破作戦に参加させるためです。橋の場所があまりにも奥地にあるため、その場所を知る、シアーズの協力が必要だったからです。嫌がるシアーズに、ウォーデンは、実は彼が中佐ではなく二等水兵であることがばれていることを明かし、アメリカ海軍も承知であることを告げます。シアーズは承諾するしかありませんでした。 自分のプライドを大切にし、信念を持って、誇り高く生きているニコルソンと斉藤を見せられてきた眼には、このシアーズのいい加減さが、鼻についてきます。 シアーズとウォーデン、そして水泳が得意ということで選ばれた若い兵士ジョイスの3人は、ジャングルの道なき道を、案内係の現地人ヤンと荷物を運ぶ数人の現地女性とともに、進んでいきます。道中、日本兵と出会って戦闘したり、野宿したり、なかなか大変なはずですが、現地女性とイチャイチャしたりしているので、大変そうに見えません。 シアーズ一行が、橋が見えるところにたどり着いたのは、第1号列車がやってくる前日でした。その列車とともに橋を爆破する計画でした。もちろん、斉藤に課せられた完成期日でもあります。橋は完成し、満足げにニコルソンと斉藤が連れ立って歩いていました。 その夜、収容所では、イギリス兵たちが、完成を祝う宴会を催していました。シアーズたちは、橋の下に爆弾を仕掛け、導火線を伸ばし、離れた所に起爆装置をセットし、仮眠をとりました。 翌朝、シアーズたちが目を覚ますと、川の水位が下がり、導火線が所々見えています。橋の上を歩いていたニコルソンは、橋の下に見覚えがないひも状のものを発見します。斉藤を伴い、河原に降り、ひも状のものをたどって行ってみると、起爆装置にたどり着きました。状況を察知したニコルソンは、大声で日本兵に知らせます。 起爆装置のもとにいたジョイスは、ナイフで斉藤を殺し、ニコルソンに押さえつけられます。向こう岸にいたシアーズは、駆け寄りますが、日本兵の銃弾に倒れます。ジョイスも流れ弾に倒れ、ニコルソンは、離れた丘の上にいたウォーデンの迫撃砲により、ダメージを受け、倒れます。倒れた所には、ちょうど、起爆装置がありました。 橋は爆破され、1番列車がちょうどやってきて、川に落ちていきます。すべてを、少し離れた丘の上から見ていた収容所の軍医は「馬鹿な!」とつぶやくのです。 ニコルソンと斉藤が信念を持って完成させた橋は、爆破されてしまいました。戦争のむなしさ、理不尽さを訴えているのでしょうか、鑑賞後には、「馬鹿な!」とつぶやく軍医と同じく、呆気にとられる自分がいました。 この映画の原作者は、実際に捕虜として、泰緬鉄道の建設に従事させられた経験があり、それをもとに、この小説を書いたそうです。しかし、ここに書かれているような事実はなく、クワイ川に架かる橋は、この映画の設定の1943年にはすでにできており、鉄道も運航しています。翌1944年に、連合軍の爆撃を受けますが、修復され、泰緬鉄道は、終戦まで、日本軍の物資運搬に働いていたそうです。 早川雪洲さんは、戦前から、アメリカなどで活躍していた俳優で、この映画の時点では、すでに大スターです。若い人は知らないかもしれませんが、渡辺謙さんよりも、ずっと以前に、ハリウッドで活躍している日本人がいたのです。この映画で、米アカデミー賞助演男優賞にノミネートされています。(受賞は逃しましたが。) 昨日の、マンドレイク大佐の“捕虜として、ラングーン鉄道の橋を作っていた発言”は、ピーター・セラーズとアレック・ギネスが似ていることから発せられた、ジョークです。
2011.10.05
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「博士の異常な愛情、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を”愛する”ようになったか」Dr.Strangelove Or:How I Learned To Stop Worrying And Love The Bomb 1964年 アメリカ・イギリス映画監督 スタンリー・キューブリック出演 ピーター・セラーズ ジョージ・C・スコット コメディです。とびっきりブラックなコメディです。ブラックすぎて怖くなるくらいのブラックコメディです。キューブリック監督が「2001年宇宙の旅」の前に撮った作品です。 冒頭、「この映画に描かれているような事故は絶対に起こりえないと合衆国空軍は保証する」という字幕が流れます。 アメリカ戦略空軍基地のリッパー将軍は、配下の飛行部隊にR作戦実施の命令を出します。それはただちに、50メガトンの核を搭載して、ペルシャ湾から北極海にかけて飛んでいる、戦略爆撃機B52の全34機に伝えられます。また、基地の全員に、この基地に近づくものは、たとえわが軍の制服を着ていようが、敵だから、攻撃せよと命令を出します。そして、英国空軍から出向してきているマンドレイク大佐(ピーター・セラーズ1役め)を道づれに、指令室に立てこもります。 爆撃機の機長キング・コング少佐は、R作戦の内容を確認し、部下に通信装置にCRM装置を接続するように指示します。CRM装置は、敵からの通信妨害を防止するために、通信を全く受け付けなくする装置で、リッパー将軍の知っている暗号でしか解除することができないものです。攻撃目標はソ連国内のICBM基地です。 ペンタゴンでは、会議室に、マフリー大統領(ピーター・セラーズ2役め)や、タージドソン将軍(ジョージ・C・スコット)ら、合衆国首脳が集合しています。大統領の問いかけに、タージドソン将軍は、爆撃機を呼び戻すことがいかに不可能なことか説明します。大統領はリッパー将軍の基地へ攻撃するよう指示を出し、ソ連大使を呼び、ソ連首相に電話します。大統領は、状況を説明し、米軍機の撃墜をお願いしますが、ソ連首相から、「皆殺し装置」の存在を聞きます。それは、攻撃を受けると自動的に爆発し、世界中に死の灰を撒き散らし、放射能は93年消えないものだとソ連大使は説明します。 リッパー将軍の基地では戦闘が始まっています。マンドレイク大佐は、なんとか将軍から暗号を聞き出そうとするが、敗色濃厚になってきたことを知った将軍は、捕虜になることを恐れ、自殺してしまいます。 一方、コング少佐の爆撃機は、ミサイル攻撃され、一部破損しますが、何とか持ち直し、飛び続けています。通信装置は破損、燃料は漏れ、低空飛行を余儀なくされます。 リッパー将軍の机上のメモから、暗号を推測したマンドレイク大佐は、侵入してきた兵士に脅されながら、公衆電話で、大統領に連絡することができました。爆撃機は、撃墜された4機を除き、全機引き返すことに成功したと連絡を受け、歓声が挙がるペンタゴンですが、ソ連首相から連絡が入り、撃墜は3機で、まだ1機飛んでいるとのことでした。大統領は攻撃目標を知らせ、防御するように要請します。 残っている1機はコング少佐の機でした。燃料不足から、攻撃目標を変更していました。命令解除を知らないコング少佐らは、着々と爆撃準備を進めますが、爆弾投下口が故障で開きません。少佐が修理に向かいます。修理完了したちょうどその時、目標に到達し、馬乗りになったコング少佐ともども、爆弾を投下します。 ペンタゴンでは、兵器開発局長官で科学顧問で、元ナチスの科学者ストレンジラブ博士(ピーター・セラーズ3役め)が、国民を選抜し、選ばれた優秀な人々を地下に避難させ100年頑張ればいいと大統領らを説いています。 ラストシーンは、きのこ雲の連続映像です。 勢いに乗って、あらすじを最後まで書いてしまいましたが、これに、登場人物のおかしな言動が乗っかって、見事なブラックコメディが出来上がっています。とにかく、出てくる人々が、ことごとく変なのです。 まず、爆撃機の司令官ジャック・D・リッパー将軍。物語の元凶ですが、どうやら、共産主義を恐れるあまり、あらぬ妄想にとらわれています。共産主義者がアメリカに侵入してきており、水道水にフッ素化合物を混入させているというのです。なぜ、それに気づいたかというと、最愛の奥さんとの夜の営みの時、大事な物が役に立たなかったからそうです。(単なる年のせいだと思いますが)そして、基地の部下たちが降伏し、敗色濃厚になった時、捕虜になるのを恐れ、自殺してしまいます。 次に、タージドソン将軍、思いっきりタカ派で、反共、自軍の戦力に異常に自信を持っており、その無敵さを大統領に熱弁します。「皆殺し装置」のことを聞いた時には、そんな爆弾がほしかった、と思わずつぶやいています。この事件の連絡を受けたとき、下着姿の美人秘書と、まさしくベッドインするところで、会議中も、その愛人からの電話を受けています。 爆撃機の機長、キング・コング少佐、結構任務にまじめな兵士ですが、終始カウボーイハットをかぶっており、爆弾にまたがって、雄叫びをあげながら落ちていきます。 英国空軍から出向している、リッパー将軍の副官マンドレイク大佐、一見まじめな軍人ですが、銃を撃ったことがないそうで、片足は義足で、第2次大戦では、日本軍の捕虜になり、ラングーン鉄道の橋を作らされていたそうです。(このギャグが分かる人は昔からの映画ファンです。)実は、リッパー将軍の命令でR作戦の指令を出したのは、この人です。可哀そうに、作戦の内容は知らされていなかったんですね。 ソ連大使は、アメリカに異常に反感を持っており、ペンタゴンに入るときに、すでにひと悶着起こしており、何かと挑発的な発言を繰り返します。また、この期に及んで、すきを見ては、隠しカメラでペンタゴンの内部を写真に撮っています。 マフリー大統領は、一見、この中で1番しっかりしてまともそうですが、実は体面にこだわっており、何とか丸く収まらないかと考えている、ことなかれ主義者のようです。 そして、何といっても、兵器開発局長官で科学顧問で、元ナチスの科学者ストレンジラブ博士です。もう、見るからに変な人です。いろいろと体が不自由なようで、車いすでサングラスをかけています。右手も不自由なようで、常に左手で押さえてないと、上にあがってしまい、“ハイル、ヒトラー“の姿勢になってしまうようです。そして、その表情は、常にニヤけていて、爆弾の話をするときは、とてもうれしそうに、熱弁します。最後には、明らかにナチスばりの選民思想的発言で、長年の主張を発揮できてうれしそうです。つい興奮しすぎて、立ち上がり、歩き出すほどです。 この映画の公開当時、米ソは、全くの冷戦状態で、軍拡競争真っただ中でした。そんな状況を思いっきり皮肉った、痛快なブラックユーモアにあふれる怪作でした。何といっても、3役を怪演して、本領発揮したピ-ター・セラーズは、見事です。 この作品、米アカデミー賞で、作品・監督・主演男優(もちろんピーター・セラーズ)・脚色と4部門にノミネートされましたが、もちろん例の如く無視されています。
2011.10.04
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「スラムドッグ$ミリオネア」 Slumdog Millionaire 2008年 イギリス映画監督 ダニー・ボイル 米アカデミー賞作品賞をはじめ、非常に多くの映画賞を受賞し、大ヒットした映画ですので、皆さんご存知でしょう。ネタばれ承知で書かせていただきます。 インド・ムンバイのスラム育ちの青年が、自身の恵まれない人生を振り返りながら、クイズ番組を勝ち上がり、不正を疑われながらも、富と愛を手に入れる、サクセスストーリーです。 スラムで生まれ、幼いころに親を亡くし、兄サリームと2人でたくましく生きてきたジャマールは、幼馴染のラティカが観ていると思い、「クイズ$ミリオネア」に挑戦します。問題がことごとく彼の人生とリンクし、正解を繰り返していきます。 3問目の「ラーマ神が右手に持っているものは?」という問題では、母親が亡くなった暴動の時、兄と逃げ回っているときに、たまたまそのラ-マ神の扮装をしている少女に出会っただけでした。「クリシュナ神の歌を書いた詩人は?」という問題では、浮浪児を集めて物乞いをさせていたママンという男のもとにいた時に、歌わされていた歌でした。1000ルピー札の顔のガンジーは知りませんでしたが、アメリカの100ドル札の顔が、ベンジャミン・フランクリンであることは知っていました。久々にムンバイに戻ってきて、ラティカを探していた時出会った、昔ママンのところにいたときの友達に教えられたからです。 ジャマールはとても聡明です。学校はほとんど行ってないので、知識はあまりありませんが、上記のように子どものころちょっとだけ触れたものを覚えていますし、ママンのところを飛び出してからは、電車の中で商売をしたり、タージマハールでガイドをしたりと、たくましく生きてきています。クイズでも、司会者の言葉にうまく切り返すことができます。 特に、僕が彼は賢いなと思ったのは、クリケットの選手の問題の答えが分からないときのことです。ちょうどCMで、トイレで司会者が去り際にBと鏡に書いていきました。放送が始まって、ライフラインの50:50で、BとDが残り、彼はDと答えるのです。司会者は、それを見て、不正をしていると確信したようですが、それは違います。彼は、司会者の性格を考え、正解を教えるわけがないと思ったのです。CとDが残っていれば、彼は分からなかったかもしれません。 最後の問題を残し、時間切れで翌日に繰り越されました。その時、TV局を出るジャマールを警察が逮捕します。司会者かスタッフが、不正を疑い通報したのでしょう。しかし、警察は、尋問で彼の生い立ちを聞き、彼の聡明さと真面目さで、不正はしていないと確信し、釈放されます。 最後の問題、「三銃士の名前、アトス、ポルトス、あとひとりは?」という問題でした。彼が幼いころ、たまたま行った学校で三銃士の本を読んでいました。しかし、彼は、聞き逃していました、3人目の銃士の名前を。だから当然わかりません。残ったライフライン・テレフォンで、彼は兄のサリームに電話します。ちょうどサリームが自分の携帯を持たし、ラティカをギャングのジャヴェドのもとから逃がしたところでした。ラティカが電話に出ましたが、同じくスラム育ちの彼女にわかるわけがありません。でも、彼は満足でした。ラティカと連絡が取れたからです。彼は、適当に答えます。彼にはもうどうでもよかったのです。でも、正解でした。 映画の冒頭、画面に問題が出ます。「彼は、あと1問でミリオネア、なぜ勝ち進めた?A:インチキした、B:ツイていた、C:天才だった、D:運命だった。」映画の最後に答えが出ます。「D:運命だった」 恵まれない境遇だったジャマールですが、彼はたくましく、まじめに生きてきました。そんな彼を神が見捨てるわけがありません。「この世には偶然なんてないわ、あるのは必然だけ。」これは「xxxHOLIC」の侑子さんの言葉ですが、そんなことを、この映画から思いました。いい映画です。最後のダンスは、ご愛嬌でしょう。きっと、インド人のスタッフや出演者たちが踊らないと納得しなかったからでしょう。 しかし、イギリス製作で、基本的に英語で話している映画ですが、スタッフ、出演みなインド人というこの映画が作品賞を取れるのなら、「硫黄島からの手紙」も受賞してもいいと思うんですけど。当時は、ほぼ日本映画に見えるからしょうがないかと、思ったんですけど。 余談ですが、アミターブ・バッチャンって、本当の大スターですね、全身ウンコまみれの子どもにも動揺せず、ちゃんとサインしてくれるんですから。肝が据わってます。
2011.10.03
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「ジャンパー」 Jumper 2008年 アメリカ映画監督 ダグ・リーマン出演 ヘイデン・クリステンセン サミュエル・L・ジャクソン ダイアン・レイン ジャンプ(瞬間空間移動)という特殊能力を持つ男の能力の目覚めを描いたSF映画です。劇場公開時、盛んにTVCMを流し、話題になっていましたし、すでに地上波のTV放送もしているので、ご存知の方も多いでしょう。 ジャンプの描写や、そのジャンプを利用したアクションなど、見ごたえはありましたが、それだけでした。ドラマに感情移入できず、主人公が危機に陥っても、どうやって逃れるのだろうという興味だけで、何か、冷静に見ている自分がいました。 なぜ、感情移入できないのでしょう。やっぱり、まず、主人公のキャラクターでしょう。幼いころに母親(ダイアン・レイン)に捨てられ、内気でいじめられっ子だったデヴィッド(ヘイデン・クリステンセン)ですが、ジャンプの能力を自覚してからは、銀行の金庫にジャンプしてお金を稼ぎ(?)、ニューヨークの高級マンションで暮らし、スフィンクスの頭の上で日光浴するなど、傍若無人の生活ぶりです。そして、能力を使って、子どものころいじめた同級生に復讐するなど、明らかにジャンプの能力のおかげで、天狗になっています。 超人的能力を利用して、正義の味方になろうとか、恵まれない人を助けようとか、そんなことは微塵も考えないようです。その能力を自分が優雅な暮らしをするためにしか使わない、自己中のお子ちゃまなんですよね。生い立ちが、恵まれなかったとはいえ、これは感情移入できないでしょう。 それに、ヘイデン・クリステンセンは、イケメンですが、にらんだ顔など、とても眼力が強くて、怖いんですよね。やっぱりアナキン・スカイウォーカー(「スター・ウォーズ」シリーズ参照)のイメージが強すぎて、まだフォースの暗黒面に捕らえられているのか、と思ってしまいます。(エピソード3のアナキンは鬼気迫る感じで迫力ありました。) 一方、ジャンパーを狩る組織パラディンは、明らかに悪役として描かれ、そのやり方は強引で、高圧的で、ジャンパーを人間と思っていないかのような振る舞いです。出会っていきなり攻撃してくるし、電気で縛り付けたり、一般人であるデヴィッドの彼女ミリーを襲って人質にするなど、汚いやり方でジャンパー抹殺を狙ってくるのです。特に、そのリーダーのローランド(サミュエル・L・ジャクソン)のしつこさは、ターミネーター並です。ジャンパーを狙う理由は一理あるかもしれませんが、その振る舞いにはもちろん感情移入できるわけありません。 そして、最後のいかにも続編があるかのような、尻切れトンボの終わり方、非常にがっかりです。まだ観てない方のために、詳しくは、書かないでおきましょう。 以上、CGやアクションは見ごたえあって、なかなか楽しめますが、ドラマ的には、あまり評価できない作品でした。続編って、できるんでしょうか。
2011.10.02
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「インスタント沼」 2009年 日本映画監督 三木 聡出演 麻生久美子 風間杜夫 加瀬亮 松坂慶子 レンタルビデオ屋で、変な題名とパッケージの麻生久美子の笑顔にひかれ、借りて観ました。全くノーマークであったのですが、意外と楽しめて、満足しています。 沈丁花ハナメ(麻生久美子)は、編集長をしていた雑誌が廃刊になり、仕事を失い、母親(松坂慶子)が近所の沼でおぼれて意識不明の昏睡状態です。ハナメは、偶然発見した昔の母の手紙で、驚愕の事実を知ります。それは、手紙の宛名、沈丁花ノブロウ(風間杜夫)という遠い親せきの男が、実の父だということでした。 ハナメは、実の父を訪ねてみます。ノブロウは「電球商会」という、ガラクタのような骨董を売る店を営んでいました。ノブロウと出会うことで、ハナメの人生は劇的に変化していきます。 基本的にコメディで、登場人物はみんな何かしら変で、展開も奇想天外ですが、異様な雰囲気を醸し出しているノブロウや、意外と誠実で頼りになるパンクロッカーのガス(加瀬亮)や、明るく元気で常に前向きなハナメなどのキャラクターに引っ張られ、楽しく観ることができました。 しかし、いくつか気になるところがあるので、書かせていただきます。 まず、最初のハナメが編集長を務める雑誌が売れず、心霊特集が云々という展開はいらないなと思ったことです。話全体の展開を考えると、とにかくどんな職業でもいいので、ハナメが失業することが必要で、雑誌の編集である必然性がありません。それなのに、長々と売り上げを伸ばそうと試行錯誤して、ホテルが不気味だったとか、沼に何かいるから取材に行くとか、全く必要なく退屈でした。特に、沼の取材は沼つながりであとの展開に関係するのかと思いきや、全く関係なく、がっかりしました。 また、細かい意味のないギャグが、ところどころ挿入されているのがうざったい、と思ってしまいました。ニュ-スの犯人がドボルザークに似ているとか、ハナメがイスに座り損ねて転ぶとか、ナンナロナとか、手作りのお守りとか、リサイクル業者の背の高い男がいちいち鴨居に頭をぶつけるとか、USAファームの飼育員が海パン一丁とか、昼飯が5/8チップとか、ハナメの母親がおぼれたのが殺人事件云々というくだりとか、天然ぽい看護婦が生命維持装置をピーと言わすとか、沼から出てきたポストの中の手紙を並べてゲルニカとか、乾燥サソリやびっくりガムとか、「泰安貿易」のおっさんが持っている変なラケットとか、リサイクル業者のひとりが腹を下しているとか、占いマシーンの電源が入らないとか、骨董市の客が商品を取り合うとか、河童のミイラと変な坊さんとか、看護婦の舌打ちとか、神主が巻物を見るのに庭まで出て行くとか、巻物の中の下ネタとか、観直しながら挙げていったら、とってもいっぱい出てきてしまいました。 最初の編集部のくだりは退屈ですが、電球のおっさん(ノブロウ)が出てきてからの展開はテンポも良く、とても楽しかったです。あと、麻生久美子さんかわいいですね。 シオシオミロって、うまいのかなあ。
2011.10.01
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