2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全8件 (8件中 1-8件目)
1
そうしてうちのだんなから物件Bの車庫から水漏れが起こっているという連絡をうけ急きょ不動産屋の親父とインスペクターは家の中にはいってどこから水が漏れているのかを、見に行ったようです。結局は地下にある水道管が寒さのため破裂して地下室が水浸しになり、その水が車庫まであがってきたようです。その水は地下を水浸しにし、壁も水浸し、早速売り手の不動産屋に連絡をしましたが、売り手のほうは契約が AS IS ということで直す気はなかったようです。私とだんなは電話で話し合い、結局水道管を直すのはたいした額ではないけれどd、壁を取り壊して、中にはいっている防熱材をすべて取り替えまた 壁を張らなくてはいくなく、そのままにしておくと、カビが生えてくる可能性があるということ。そうするとそのカビは知らないうちに空気中に放散して家族の健康を将来害する危険性があること。しかし、その防熱材をすべて取り替えるとなると、とてつもない修理費がかかるらしいです。だんなはこの家をとても気に入っていましたが、私としては、よりによってその家の検査の日に水道管が破裂するなんてこれはまた 神からのサインだと思いました。ということは、潔くこの家はあきらめて次にしなさいということだと思いました。私たちにしてみれば、その家を買ったことによる環境の変化は将来的に予想がつきません。ばかなことを信じてと思うかもしれませんが、私は方災というのもこの世には存在すると思っています。それを普段から私は私の神に祈願していました。この家に住むことによって私たちの将来がどのような影響があるのか、私たちには予想もつきません。私はこの家が私たちにしあわせを運んできてくれる家でないのならば、どこかで私にサインをくださいと....そうしていたらこの水浸し事件です。うまくだんなを説得してこの家の契約を破棄して次に行くことにしました。そしたらそのあたりに私たちが最初に見事に玉砕した物件Aの不動産屋から家の不動産屋の親父に連絡が来ていたそうです。内容は、売主が、考えを改め、ある値段の提示をしてきて、このそのぐらいだったら売りたいからもう一度考え直してくれという由の電話だったようです。私たちはもともとその物件Aが一番に気に入っていて、売り手が提示してきた値段もそれなりの値段だったのでその値段で契約書にサインすることになりました。あらかじめ不動産屋に渡しておいた手付金をそのまま次の家に使うことなり、ローン会社にも連絡を新しい物件の詳細を伝えました。それからは、1週間後に家のインスペクションがあり、インスぺクターの話によると、そこの売主は比較的よく家の手入れをしていたようで、あえて大きなダメージはないとのこと。中の上のコンデションだということでした。このすべてのことが私が日本にいる間に起こったので、きっとうちのだんなとしてストレスのたまる一週間だったようです。そして今から1週間ほど前、エスクローがクローズし、晴れてその家は私たちの持ち物となりました。そして あと1週間で引越しです。我が家は大変な状態です。
2006.03.30
コメント(2)
そして私が 某日系の航空会社の春の特別キャンペーンでビジネスクラスの席でおもいっきり手足を伸ばし ”ア~~日本だわね~~~”と言っている間に家のだんなはデンバーの不動産屋とそれからローン会社と一日に何度も電話で話しながらその話を進めて行ったようです。物件Bは 2500SFに地下室が1000SF、土地も8000SFあるとても大きな家です。そして この物件は築2年なので、カーペットも何もかもまだまだ新品のようです。一階からはもちろん庭に出るドアがあってそれにプラスして2階のベッドルームからもベランダに出られるようになっています。庭は家から塀に向かって緩やかな上がり傾斜になっていてその塀の向こう側は道路になっているのでプライバシーが保てます。中は4寝室と3バスルーム、車庫は3台分やはりあり、リビングルームとほかにダイニングルームがあります。ただ物件Aと比べてこの家は私にしてみれば家の中が細かく仕切られているようであまり広さが感じられませんでした。けれども場所といい、値段といい申し分なかったのでこれにオファーを入れました。この物件はあらかじめ不動産屋同士の話し合いでこの値段だったら、売り手が契約書にサインする、ただし、AS IS(売り手はどこに壊れているところがあっても直さない、そのままの状態で売るということ)という値段を聞いていました。これはやはり不動産屋の交渉力がものをいう場合でしょう。たいてい直すのに高い金額のかかるのは、屋根と水周りなどですが このように比較的新しい家はその心配がないので それで契約書にサインすることになりました。そして 買い手がだいたい その契約とともに$5000 から $10000の手付金を不動産屋に渡してここからエスクロー(ローンの手続き、家の名義の変更...)がオープンすることになります。エスクローはたいてい30日から 60日程度です。うちの場合は普通に30日のエスクローとなりました。それから 私たちの収入証明〔3回分の給料明細)、銀行の残高証明、私のグリーンカード、などなどと一緒にアプリケーションを出し、その中にはいくら銀行にお金があって、どこにいくらの借金があって、何の車に乗っていて、その価値はいくらぐらいで、今どこに住んでいて家賃はいくらだとかすべての収入、支出に関する書類を提出します。このアメリカの住宅の高騰前は、銀行もローンの貸し出しにあまりリスクを負いたくないため、何の借金もない状態の人でローンが収入〔税込み)の33%が上限でした。借金のある人はその毎月の借金を織り込んで収入の28%以内とかこの審査が厳しくなります。現在では、この住宅の高騰と低金利のあおりを受け、銀行はあまりその割合についてはうるさく言わないようです。一度新聞で、収入の50%を家の支払いに当てているという人の記事を呼んだことがありますが、そんなんだったら人生何の楽しみもないですよね~~~。そのうちでは、お金がなくてケーブルも引いていないとか(ここら辺でケーブルを引かなかったら、はっきり言って、テレビが映りません)まあそれはさておいて、それと同時に、そのエスクローがオープンした日から1週間程度で、インスペクション〔専門家による家の検査、これでガス漏れがないかとか、屋根の雨漏りはないかとか家の中と外の検査です)が行われます。これは専門家に頼んでもいいし、自分も行って物件を確認してもかまいません。うちの場合はインスペクターと不動産屋が一緒に行ってくれました。そのころ私は実家で上げ膳据え膳の生活です。コタツに入ってオリンピックを毎日見て、のんびりと何のストレスのない生活を送っていました。その間にうちのいだんなはすべての書類を集め、不動産屋と毎日何度もはなし、ローン会社の人とローンの利率の話し合いをしと、結構ストレスのたまる毎日だったようです。ごめんね~~そんな時、だんなから電話がかかってきました。”今日家の検査にインスペクターが行って 車庫のドアを開けたら中から水が逆流してきたらしい。どうやら、地下室のしたの水道管が破裂して、地下室は水びたしのようだ。””え~~~~そんな~~~~~~”チャンチャン...to be continued...
2006.03.24
コメント(2)
だんなの仕事が決まったのが2月中旬、それから急遽だんなはデンバー行きのチケットを取りました。その時点で私の一人での日本行きがもう年末から計画されていて、その前に一度デンバーへ行って家探しをしたいというのがだんなの魂胆でした。私のほうは夏から妹の葬式にもいけなかったし、お墓参りもしていなかったので、それときっと夏には引越しということになると思っていたので自分の中で気持ちの整理をするためと、両親と水入らずで時間を過ごすというのが目的でもう日本行きは目の前でした。けれどもだんなの意思を尊重してだんなのデンバー行きに賛成しました。まず、2回目にあった不動産屋の親父 ノームに連絡を取り、それまでにも毎日私たちの狙っていた近辺で不動産の売りの情報が出るとその日のうちにその詳細がメールで送られてくるというシステムを利用していたので、その中から自分達の条件に合った家を20件ぐらい絞りこんでもっと詳細な情報を送ってもらいました。〔さすがインターネットのよのなかですよね~~~)この3日ぐらいうちのだんなはデンバーの地図とそのメールにかじりつきながら場所を確認したり広さを確認したりして物件を絞っていきました。もちろんわたしもそのだんなの横で あーでもない...こーでもない...と家探しをしていました。そしてその物件を 15件ぐらいに絞り、メールの情報を印刷し、だんなと1から15まで好きな順に番号を振りました。そして 2セットずつコピーをとりました。そうしたら だんなは現地で私はここで 同じインフォーメーションを見ながら話ができます。そうしてうちのだんなはデンバーへ出かけていきました。それから3日間、毎日4-5回電話で情報交換が始まりました。だんなは実際にその物件にいき私は写真を見ながら物色をして回りました。そして うちのだんなはデジタルカメラで写真をとり、それを夜になるとラップトップにダウンロードして 送ってきます。そして 私はコンピューターを見ながらいろいろと詳細の情報をだんなに伝えます。例えば、敷地はどのくらいの広さなのか、築何年かなどです。やはり ”百聞は 一見にしかず” といいますが写真のイメージと実際の物件はかなりの差があるようです。それでも何軒か私たちの選んだ中で、私もそしてうちのだんなも気に入ったのが何件かあり、それを私たちはだんなが うちに帰ってきてからじっくり検討することにしました。そして だんなが帰ってきてから私と彼は1からその15の物件のレビューをして どの物件にオファーを入れるかを検討しました。私たちの一押しの物件は、物件Aです。2階建てで 3寝室、2バスルーム、リビングルームとファミリールームが別々にあり広さは 2300SF, それにプラス1177SFの地下室があり、その地下室はもうオーナーがカーペットと壁を作り、エキストラに寝室と、バスルームがあります。敷地も7000SFあり、3カーガラージです。アメリカでは売り手がこの値段で売りたいという値段の表示がありそれに対して、買い手側が、このぐらいだったら買いたいというオファーを入れます。売り手はそのオファーを見て それを検討するかしないかを決めます。検討する場合には たいてい売り手は、表示の値段より低い値段でオファーを返してきます。そうして売り手と買い手がある程度のところで折り合いがつけばその価格で売買が成立しますが、時とした、その折り合いがつかないこともしばしばです。そうするとその話し合いはそれで幕を閉じます。これがまた、ちょっと頭を使う脳ゲームなんですよね。売り手はどの程度売りたいという気持ちがあるのか、どの程度のディスカウントが 期待できるのかなどなど。たいてい、毎月の支払いに困って家を売ろうとしている人たちは、結構なディスカウントが期待できますが、家を売る必要に迫られてもいないけど、このぐらいで売れればなどと思っている売り手からはほとんどディスカウントは期待できません。そして 私たちは最初のオファーを出したのですが、あまりにもオファーの値段が低すぎたのか1回目は見事に玉砕してしまいました。そして その次の日には物件Bにオファーを入れることにしました。そしてその日は私が日本へと旅立つ日でした。
2006.03.21
コメント(2)
なんだか このカリフォルニア脱出計画、その7まで行ってしまいました。一月中旬にデンバーから帰ってきてから、うちのだんなは夏に向けての就職活動を始めました。実は デンバーの行く前に彼は何件かレジメをその近辺の会社に出しておいてあわよくばその週デンバーにいる間にひとつでも面接を...と思っていたらしいのですが、そうは問屋が卸しませんでした....が....帰ってきて次の日にある会社から電話面接をしたいといって電話がかかってきました。その会社は名前をいえば誰でも知っているアメリカの投資会社のローン部門の会社でした。そして面白いことに私の弟もその会社の日本の部門で働いています。その2-3日後に行われた電話インタービューはうちのだんなが自分で関心するくらいうまくいったそうです。最近のアメリカの会社は先に書類選考をして、それから電話でのインタービューというパターンが多い気がします。昔は書類選考からいきなり面接、そしてその面接が2次、3次まで行くというのが多かったのですが、今では電話面接でかなり突っ込んだ質問までして会社側は、本当にその人がその応募してきた仕事をするだけのスキルがあるのか、知識があるのかをあらかじめ試しているようです。アメリカ人だけにに限りませんが、履歴書にうその経歴とか、経験、学歴を書いている人はかなりいるようです。特に今のような不景気な世の中では、仕事のない人にとっては、仕事はのどから手が出るほどほしいのもわかります。その電話インタービューでその人がその仕事ができるという確信の下に今度は面と向かっての直接インタービューが行われます。うちのだんなの場合は、自費でデンバーへ行って面接をする予定でいました。もしそうなっていたら、そのインタービューで会社側がその人を雇いたいと決めたなら、会社側はそこから別の会社へ、身辺調査の依頼を出します。卒業した学校にうそがないか、現在の会社の勤務状況、その前の会社の勤務状況、以前に法を犯したことはないのか、最近では銀行の口座までも調べて、借金はどのくらいあるか、また 借家住まいの場合、毎月の支払い状況はどうかまで調べられます。特にうちのだんなのように金融関係、家のローン、銀行関係はもっと詳しく個人のファイナンス状況を調べられます。もちろん不正な取引や、横領を防ぐためです。それがクリアーになると向こうから年俸いくら、プラスボーナス〔あるところもあるし、ないところもありますが...)、プラス福利厚生という形でオファーが出されます。そのオファーによってそこから会社と年俸のネゴシエーションをしても言いし、そのまま受けてもいいし、断ってもいいのです。うちのだんなの場合、その話を彼のいまのボスにしたそうです。 彼は別に脅かしているわけでもなかったのですが、彼が夏までにはいなくなるということを遠まわしにボスに告げるつもりだったようです。そうすると会社側でもその穴埋めの人を早速探し始めることができます。それがどう転んだのか、かれのボスから出てきた言葉は、”もうすぐ昇給の時期だが、君の今年度の働きを高く買って、かなりの昇給をあげようと思っているのだが、それでこのままここに入ることを考えてもらえないだろうか???”ということだったらしいです。けれどもうちのだんなは、”悪いけど、少しぐらい多く昇給させてもらっても、あまり足しにはならないから、それはできない” といったそうです。それはかれの本当の気持ちだったと思います。そうするとボスは”それならこれはどうだ。うちの会社は支店がデンバーにある。君も知っている通りショーンが〔出た...出た)面倒を見ている支店だ。そこに転勤ということにするというのはどうだろう。いまと同じサラリーをキープしてかまわない。君の仕事事態は個人プレーが主だし、向こうにいても、電話や、メールでコミニケーションには困らない。どうだろうか...その代わりそれに同意するのなら直ちにその就職活動はやめてもらいたい”ということでした。ひょうたんから駒とはこのことでした。だんなは、ボスの前では勤めてクールに装ったようですが家に帰ってきてからは、もう興奮しっぱなしで、私には何を言っているのかあまりはっきりわかりませんでした。私はこれは本当に私の神からのメッセージだと思いました。これは私の神が”心配しないで行きなさい...大丈夫よ”って言ってくれているような気がしました。私は今ひとつこの引越しに対して自分の心に確信がもてなかったのですが、このことがあってからなんだか自分の中の不安がまた消えました。ただひとつ問題は、そのオファーを受けるのなら夏までは待てないという事でした。だけどこれはわたしの運命が後押ししてくれているのだから、そうしようって思いました。そしてうちのだんなは彼のボスにその日から45日~60日で向こうへ移るという返事をしました。そして、電話インタビューをした会社へは、後々のことを考えて、事情を説明して今回はその面接を取りやめることにしてもらいました。そうして筋を通しておくと、将来何かあって、この会社へまた応募したときに、それが有利に働くことでしょう。2月の上旬のことでした。カリフォルニア脱出計画その8に続く...TO BE CONTINUED....
2006.03.16
コメント(2)
そうしてサンクスギビングが終わり、クリスマスが終わり、1月になりました。今度は違う不動産屋のおじさんにあらかじめ連絡を取って私たちの要望を伝えました。なぜ 不動産屋を変えたかというと、よい地域、あまりよくない地域、学校の良し悪し、などなどなどなど、人によって意見はさまざまです。私たちは違う人の意見を違い角度から聞いてみたかったのです。金曜日に昼で早退し、2時近くの飛行機に乗るはずでしたが、悪天候のためシカゴからのフライトが遅れ1時間半の遅れとなりました。そしてホテルへと向かったのですが、そのホテルもだんなが夏にとまったホテルを取ろうとしてまちがって同じ名前のホテルを違う場所に取ってしまいました。ホテルについてだんながチェックインをしている間私はフロントをうろうろとしていたらえ~~~~~~~~XXXXXX!!!!そこには昼間に話をした、私のサポートするセールスの人が奥さんと娘さんとそのフロントにいるではありませんか。その人はデンバーに住んでいて、私はその人の秘書のように毎日その人のアカウントをサポートしているのです。私はその人にその前の日、金曜日から月曜日までバケーーションに行くから急ぎのことがあったら早く言ってねと行っておいたのでした。だけど、びっくらこいたのなんのって!!!その人もXXXX~~~~~~なんでここにいるんだ~~~!!!私は、彼に、”前に話したことがあったでしょう。ここに移ることを考えているって。視察旅行よ”といったら”ああ...そんなこと言ってたよね、忘れてた...”だって。彼はそこから30分ほどのデンバーの北に住んでいるのですが、彼の2番目の女の子がそのホテルで次の日から行われるダンスコンテストに出場するのに朝早いので、奥さんとこの娘さんをこのホテルに送ってきたそうです。こんなことってあるかね。私らの飛行機が1時間半遅れ、ホテルもまちがったホテルを取り、そのもタイミングが5分でもずれていたら会ってなかったと思います。これが私の言う神からのサインなのです。次の日は寒いのは寒いのですは空は真っ青で太陽がきらきらという快晴のお天気でした。あちらこちらに雪が10CMぐらい残っていますが、それも水分を含んでいないさらさら雪です。道路の雪はすべて解けてしまっているので運転には支障がありません。ホテルの人にきいたらこれはデンバーの普通の冬のお天気だそうです。空気が冷たいのだけれど、太陽の光は気持ちいいし、あまり寒くは感じませんでした。それから、約束した不動産屋のおじさんのオフィスに行きました。そこで3時間以上、おじさんはいろいろなインフォーメーションをくれました。彼の話によるとデンバー近郊で学校区のよいところは文句なくチェリークリーク学校区だそうです。ただそのエリアは比較的古く、家のねだんもほかに比べて高めです。そしてところによってはアソシエーションのない地域もあるそうです。そしてかれも前のおばさんと同じことを言っていました。仕事を探してから家を探すか、もしくは家を買ってから、仕事を探したほうがよいということ。デンバーの北から南へと毎日通勤するのは無理だということ。その日は土曜日だったので、この一日はデンバーの北に焦点のを絞ることにしました。前日会ったセールスの彼の住んでいるブルームフィールド、ソートン、ブライトン、ウエストミニスターなどなど。今回は私とだんなだけで地図を片手にドライブしに行くことになりました。デンバーの北は、南に比べてあまり開発されていないような気がしました。何軒か新築のモデルルームも見に行きましたが、値段もそんなに南に比べ安くはありません。家は新しいのだけれど、その周りに付属するスーパーやら、ファーストフードの店やらの店が近くにないところが多く、そのうえ何もない土地に新しい住宅街を作ったため、小学校や、ミドルスクールなどが近くにないのです。隣町まで行かなくてはならないといった感じです。(ちょっとオーバーかしら...) だって、市だか州から許可をもらって、小学校がその近くにできるのは5年後くらいなんていわれたら....下の子も小学校終ちゃうよ~~きっと私の中では夏に行った南の印象がとてもよくてあまり来たのエリアはピンとこなかったというのが本音かもしれません。だんなにそれを言うと彼も同じような意見だったようです。その日はそれで終わりで、次の日はまた南に行くことにしました。南は南でも、チェリークリーク、ハイランドランチ、ローンツリーの焦点を絞ることにしました。次の日、チェリークリークはやはり古い家が多いです。古いといってもまあ築20年くらいですが、ほかの新しい地位地域の10年いかの物件に比べるとちょっと見劣りします。というのは おじさんの話によると、デンバーの家はだいたい 1995年以降の物件だと、建築の構造上、断熱に対してとてもいい材料を使うようになったけどその前までの家は、買ってからもう一度断熱に対しての対策を考えたほうがいいということ。窓もそれ以降は、ダブルのグラス窓だけど、その前は1枚のグラスしか使ってないということ。それを考えたら、チェリークリークは私たちのとってあまりよいチョイスではありませんでした。ローンツリーの中に ”ファーム”というネイバーフッドがあります。家のだんなはもうそのエリアが気に入って気に入って大変です。かなりのアッパー階級のエリアです。とてつもなく広いブリックの家で、3ガラージ、とにかくとにかくある程度の金持ちの住宅街なのです。私も ”あ~~~こんなところに住みたい~~~”と思ってしまうほど素敵な地域です。だけど私たちは考えました。背伸びをして、無理をしてそのネイバーフッドに住んでも、生活のレベルが違う人たちの中で暮らすことは、大変だよね、という結論に落ち着きました。バケーションンだって私たちが日本に里帰りと言うときに ヨーロッパ一週、着ているものも全部ブランドもの、ターゲットの服なんか着ないわ、なんていう ご近所さんに囲まれたらこっちが参ってしまう。私らそんなお金ありません!!!という理由です。そして最終目的地は ハイランドランチ。やっぱりここが私たちには一番あっているみたい。比較的新しく、学校区もよいし、何しろ中流家庭の集まりがやはり心地よい。そしてあのレクリエーションセンター...得点高かったでした!!!私とだんなはそうやってある程度の地域が決まったのでそれからは夏に向かってだんなの就職活動を始めることにしました。(注:アメリカでは子供は夏に約2ヶ月の夏休みがあるので引越しを考えている人、家の買い替えを考えている人たちはその期間を使って移動することが多いです)
2006.03.10
コメント(4)
私とだんなは1月の中旬にもう一度コロラドへ行く計画を立てていました。その間に私たちは自分たちなりのリサーチを進めていました。うちのだんなの働いている会社は アメリカ中にオフィスがあります。そしてその会社では1年に1回、全国の従業員が集ってグループセミナーと懇親会のようなものが開かれます。今年はそれがここ南カリフォルニアで開催されました。今回はそこで無理やりグループセミナーといってランダムに人を選び、グループを作り、だされた課題をそのグループごとに考え、創造し、完成させるというものでした。その課題は、はしと輪ゴムとのりを使って橋を作るというもの。橋は橋でもその10人のグループの中で、どういう橋を作るか、デサイン、構造、時間、などなど10人の意見をまとめ時間内にそれを完成させなくてはなりません。そこでうちのだんなは たまたまコロラドデータセンターの所長(彼の名前はショーン)と同じグループになりました。そして 彼らの作った橋が20数グループの中で優勝したのです。何時間も一緒にそのようなプロジェクトを一緒にするとかなりその個人個人の性格や、仕事に対する姿勢、コミュニケーションスキル、などなどがにじみ出てきます。早速うちのだんなはショーンとコロラドについて話し始めました。ショーンは うちのだんあの仕事に対する姿勢や知識、コミュニケーションスキルなど高く評価してくれたのですが、彼の働くデータセンターはうちのだんなの探しているIT関係の仕事はありません。けれどもショーンはうちのだんなに”もし何かあって家のセンターにそういう採用があったら間違いなく君を雇うよ”といってくれました。私の方といえば私の知り合いを駆使し、いろいろな情報を集めました。前に書いたように私を採用してくれた元のボスがカリフォルニアから引越ししていまコロラドにいます。その人に連絡を取り、彼に彼の意見としてのコロラドのいいところ、悪いところを聞き出したり、どのエリアが子供の多い地域か、学校区のこと、そしてどの地域の交通渋滞がひどいのか、日本食は手にはいるのかなどなどなどなど...その他、もう一人の会社のセールスの人手私が何年も知っている人、彼も昔この南カリフォルニアに住んでいたのですが、ここから家族でコロラドへ引っ越したという人です。その人にもメイルで連絡を取りました。もうひとつびっくりしたのは、私たちが夏にコロラドからだ帰ってきた次の日、会社行くと、2年ぐらい前に結婚して、子供が生まれてやはりだんなさんの仕事の関係でコロラドへ移った同僚がいるではありませんか。びっくらこいたのなんのって!!!彼女は妹さんの誕生日でサプライズでコロラドから子供をつれて里帰りしてきたのです。もちろん、誰もいないところで彼女とも話しました。彼女も ”コロラドはいいよ~~~ 特に子供を育てるのにはもってこいのところよ。あなたが引っ越してきたらランチに行こうよ”なんていってくれました。私は皆さんも知ってのとおり 教会にいって神の教えを学んでいます。その私にとって、私の周りにおきるほんの小さな出来事が私は神からの私へのサインだといつも思っていますし、私はそれをいつも見逃さないようにとこころがけています。ですから今回の家のだんなのショーンとの出会いといい、私の古い同僚との再会といい、それも私たちがコロラドから帰ってきた次の日です。これは何かしらのサインだと思っていいと私は思いました。実を言うと私はそれまでここの南カリフォルニアを離れたくありませんでした。私にはいい仕事もあります。いい友達もたくさんいます。ここの天気はもう最高の天気です。子供達にもこの地域はありとあらゆるチョイスがあります。日本食も何でもてにはいります。日本にも近いです。こんな地域に住んでいるとどこにも行きたくないのは気当然でしょう。けれども半信半疑で行ったコロラド、そして帰ってきてからのポジティブなサイン、そして夏に帰ってきた後に子供達にその話をしたら、子供達はコロラドへの引越しにとても前向きでした。数々のアクティビティに参加できること、冬になるとスキーやスノーボードができること、大きい家に住めること、そしてうちのだんなの私へのえさ~私が働かないで家にいられること~これは得点高いです。私の中でもそのだんなからのオファーには心を揺るがされました。私は長男が 1年半のときからフルタイムで働いてきました。次男坊なんて生後6週間からデイケアーに預け仕事に戻りました。長男が幼稚園へ行き始めたときも、毎朝手を引いて学校に連れて行ってあげたかったけどそれもできませんでした。その子達ももう10歳と5歳です。早くすれば長男はあと8年で家を出てしまいます。え~~~そんなあ~~~後から悔やんでもきっと後の祭りですよね...時間は刻々とすぎていくのです。私はこのコロラド行きを自分の中でもっともっと前向きに考えることにしました。そうしたらなんだか、今度の2回目の視察旅行がとても楽しみにも思えてきました。
2006.03.09
コメント(4)

もう日本では 3月9日ですがここアメリカでは今日が 3月8日、家の次男坊の5歳の誕生日でした。もうそんなにたったの???って感じです。え~~~~5年なんて瞬きひとつですよね~~~うちではここ何年も子供達の友達を招いての誕生会はしていません。特に次男坊はドナおばさんのホームデイケアーへ行っているので毎年そこで彼の小さな友達達と小さな誕生日パーティーをします。先週から次男坊に今年のテーマは何にするかを聞き出して、それにあわせてケーキと紙皿、ナプキン、カップを買いに行きました。それから彼の小さな友達達にGOODY BAG(アメリカでは誕生日に来てくれたお友達にお返しとして小さなバッグにいろいろおもちゃとかお菓子とかを入れて帰りに持たせる習慣があります)をあげるためその中身の小さいおもちゃとかクッキーなども買いました。今日は朝から次男坊は興奮のしっぱなしです。いつもなら私が6時半ごろに起きて二人の子供達を起こすのに今朝は私がおきて洋服を着ているところにもう着替えの終わった次男坊が ”まま おはよう!!!”と立っているではありませんか。もうびっくり!!!いつもなら起こしてもおこしても起きやしない次男坊が......彼は ”XXX家のスリーピーヘッド”(日本語で言うのなら寝ぼけ坊主 といったところでしょう)といつも呼ばれ、かれかわれているのに...それから朝ごはんを食べていつもならたらたら食べて私に ”あと5分ででるよ...あと3分よ...”とせかされるあの子が10分前には ”僕、準備できた!!!さあ~~~~ レッツ.ゴー!!!!”だって...笑っちゃいました。仕事に行ってその話を同僚達にしていると”え~~~~5歳~~~あなた 昨日 プレグナント(妊婦)だったじゃない!!!”とみんなに言われてしまいました。さて初登場!!! 私のかわいい次男坊です。それから仕事が終わって迎えに行くと彼はもうほくほく顔で私を待っていました。”まま~~あのね~~あのね~~xxもらって、xxxもらって、xxxもらったの。ケーキのとってもおいしかった”だって。よかった、よかった。グランパやグランマたちとは今週の土曜日に集ってお祝いする予定です。なんだか5歳ともなるともう私のベイビーなんて言えなくなるな~思うとなんだかママ寂しい気分です。特に男の子は長男の年頃なんかになると(ちなみに10歳)人前でハグなんてしてくれないんだもの。まだ次男はデイケアーに入っていくときにはママにたくさんキスしてハグして そして”ILOVE YOU,MOM”を忘れない。あと何年してくれるかな~~~だけど次男坊は私はこれで最後の子供だと思っていたので、自分自身に ”長男のときは何がなんだかわからないうちに大きくなっちゃったけど、今回は楽しみながら子育てしよう”って思って育ててきたのでまあ心の準備はできていたという感じでしょうか。だけどお願いだからあんまり早く大きくならないでよね...
2006.03.09
コメント(4)
なんだかんだしているうちにとてつもない長い時間が経ってしまいました。デンバーのことを書こう書こうと思っていたのですがちょっと忙しさにかまけていました。さて今度は私と主人はデンバー、コロラドへの視察旅行を計画しました。デンバーは文字通り(???)寒いところなので、私たちの計画としては夏に1回、それで気に入ったら真冬に一回行ってみようという計画でした。デンバーというところは私たちに何の縁ないところではありません。私のいま一緒に仕事をしているセールスの男性もデンバーに生んでいます。私を今の会社で採用してくれたもとボスの男性もセールスの仕事に移りカリフォルニアを去って去年からデンバーに住んでます。その他 4-5人の人がその近辺に住んでいます。最近のカリフォルニアの家の高騰により、家を売ってデンバーに引越しキャッシュで家を購入する人もここ2-3年多いようです。9月中旬、あらかじめこちらも不動産やのおばちゃんとメイルで連絡を取って、あらかじめリロケーションする予定だということ、そして家ではなく、それこそデンバーのエリアを見たいという希望、そして予算、家の希望などを話し合っておきました。ここオレンジカウンテーからデンバーまでは直行便で約2時間です。デンバー近くになると山々の間にとてつもなく広い盆地が現れます。周りを山で囲まれ本当に平たい土地です。空港から車をピックアップしてホテルへ向かいます。その夜は 疲れてぐっすり眠りました。次の日、約束どうり、その不動産屋のおばちゃんのオフィスへと向かいました。おばちゃんはあらかじめいくつかのエリアをアピックアップしてくれており、その中でも何件か売りに出ている中で私たちの条件に合う家のインフォメーションんを印刷しておいてくれました。そのおばちゃんによると、本当のデンバー市はとても古い市でどこの地域でも見られるように、郊外への人口の移動が激しいようです。たくさんの企業が集中しているのはやはりデンバーのダウンダウンとその南に デンバーデックセンターという大きな新しいオフィス街があります。それにプラスして、ノースのほうにはまた違うハイテック企業が立ち並ぶエリアがありそのほかにデンバーのダウンタウンの西側にはデンバーフェデラルセンターという国家公務員の人たちが働く大きなエリアがあります。ところがところがそのデンバーを北から南に走るのが I-25です。そして西から東へ走るのがI-70です。そしてその周りを 山手線のように走るのが I-470です。この都市もほかの都市にもれずあさの渋滞はすごいものだそうです。おばちゃんは最初に家をかって近くに仕事を探すか、もしくは仕事を決めてから家をその近くに買ったほうがいいわよという助言でした。デンバーの北に住んで南のデンバーテックセンターなんかで働こうと思ったら 自殺行為よ...通勤時間1時間半よ、といわれてしまいました。そんなのカリフォルニアと変わりないじゃない!!!ということでその日はおばちゃんの得意なエリアの 南を見ることにしました。パーカー、ハイランドランチ、ローンツリー、チェリークリーク、などなど...何件か家も見たのですが、ここコロラドの家は...ベースメント(地下室)のあるいえがほとんどです。それも映画などのような薄暗い幽霊の出てきそうなベースメントではなくて、明るい子供のプレーエリアだったり、ベッドルームを作ったり、おおきなリビングルームにして とてつもなくでかいテレビを置いて映画館のような ファミリーシアターにしたりとその用途はさまざまです。そしてここ南の方も比較的新しい新興住宅街では学校も新しく、公園もいたるところにあり、私たちの望むアソシエーションのもちろんあります。中でもハイランドランチというところは、ここ10年ぐらいの間に開発の進んでいる住宅街で、中流階級の子供連れの家族がとても多く、学校の程度も比較的たかく、校舎も新しく、親達が積極的にコミュニティーへ参加しているのです。そして 私がとっても気に入ったのは私たちの好きなアソシエーションではこの地域に4つ大きなレクリエーションセンターがあります。そのひとつひとつに スライド付屋内プール、屋外プール、 デニスコート、フリーウェイトのジム、室内ジョギングコース、屋内ロッククライミング、パーティールーム、マッサージルーム、室内バスケットボールコート、などなどなどなど....至れりつくせりのレクリエーションセンターです。そしてその中で、いろいろなクラスも行われます。エアロビクス、ピラテス、スイミングレッスン、バスケットボールリーグ、などなど...それがその住民ならば1年で500ドルで家族みんなが使用できます。え~~~ここしかないよ~~~と私と主人はちょっと興奮状態でした。なんだか子供達の楽しそうな顔が目に見えるようでした。そして 私たちは次の冬の視察旅行へと計画を立てたのでした。javascript:void(0);[h068]
2006.03.08
コメント(4)
全8件 (8件中 1-8件目)
1