2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全10件 (10件中 1-10件目)
1
10歳のうちの長男くん、先週の金曜日に小学校を卒業した。こちらでは日本のように小学校、中学校という違いが余りなく、ただ 5THthグレ-ドから6THへ行く過程(CONTINUATIONというそうです)のようなもので、特別にお祝いをするという事もないようです。だけど...この長男くん...最近特に 宇宙人になりつつあるあるな~と思っているのはわたしだけかしら...その前の週は 5TH グレードと6THグレードの合同ダンスというものが学校の主催であった。あのプロムのようなものである。特別ドレスアップしたりとか本当の高校のプロムのようにリムジンなんかに乗っちゃってプロム会場に横付けしたりというのはなかったらしいが、彼は2-3週間前からそわそわしていた。話によると、彼と彼の親友と二人で、自分達の好きな女の子に一緒にそのダンスに行こうと誘うつもりでいたらしい。え~~~え~~~え~~~そんなのってまるで高校のプロムみたいジャン!!!まま、ちょっと焦り気味....それでも彼はそのこのことを私たちに隠そうとしないで名前とかどこに住んでるとかいろいろ話してくれる。だからちょっとは安心。私はいつも彼に、男の子でも女の子でもいいからいい友達になりなさいって言っている。ボーイフレンドやガールフレンドなんて一時のものだけれども友達は一生友達でいられるよ。その子が好きだったらベストフレンドになってその子が何かで困っていたら助けてあげなさい。その子もきっとあなたのことを助けてくれるから...といっている。そのいつもの忠告もあったのか、そのダンスの当日には何人かの友達とわいわいとダンスに行って楽しんできたようだった。なんだか彼もどんどんままの手を離れていくのよね...本当に毎日のように学校から帰ってくると”HI,Mom.... Bye, Mom”そのまま夕食時まで帰ってこない。そして、週末は毎週、毎週、友達からのお誘いで、彼はスリープオーバーに行ってしまって家にはいない。今週のメモリアルデーにも、何組か友達達を呼んで一緒にBBQをしたけど、彼は向かいの親友の両親に映画に誘われて行ってしまった。帰ってきて おなかはすいてないのかとたずねると、向かいの家からデイナーに誘われているけど行ってもいいかだって....そのまま、また行ってしまった。そうかと思うと、友達と一緒にバンドを作りたいからお金をためてギターを買うと言い出したり、いきなり 何とかというスケートボードのブランドの靴を買ってくれといったり、ジーンズはリーバイスのしかはかないと宣言してみたり....なんだか今までのかわいい長男くんとはちょっとわけが違うのよ。そういえば私も中学校あたりから仲良しの友達がいてぜんぜん家にいなかった。学校から帰ってかばんを置くとすぐに出かけていく。そしてご飯まで帰ってこない。土曜日、日曜日のその友達達と一緒に遊んでいた。〔遊ぶといってもかわいいもんで、おにぎりをもって近くの海岸へ行って、好きな男の子のことを何時間でもキャッキャキャッキャとしゃべる程度よ)だから私も長男くんのことは余り言えない。自分の通って来た道だから。これは親として見守ってあげないと...それは私が子離れしないという意味にもなると思う。これからどんどんとこういう機会が増えて彼も少しずつ成長していくんだろうな...寂しいけど仕方がないよね。ちょっと前にマスターカードのコマーシャルで、子供が生まれてから何があって、これがあって、こうして..そして最後に両親がこの子供を大学のドームの前に降ろしてバイバイと手をふるバージョンがある。それは”be able to let him go...be able to let him go...priceless(彼を行かせてあげることができる...プレイスレス....)というので、そのコマーシャルをみるたびになんだか自分の将来を見ているようで心が ”キュン”となる。あと何年一緒にいられるかわからないけど、少しずつ子離れしなくっちゃ。長男くんは知らず知らずのうちに親離れし始めようとしているみたいだから。心の準備はしておこう。〔だけどあと少なくても8年はあるのにね...)いまきっとその兆候が出てきたからままはちょっと戸惑っているのよね。だけど私はわたしなりにそんな長男くんの成長を見守ってあげようと思う。やっぱり宇宙人でも私のかわいい長男くんだからね..
2006.05.31
コメント(6)
昨日、ここに引越ししてきて初めて友達を呼んで一緒にご飯を食べた。前々から何人かの知り合いを呼ぼうと思っていたのだけれど、つい2-3日までまだうちのロフトにはダンボール箱がごろごろしていたし、それにリビングルームにはまだ家具がないのでそれをそろえてから...と思っていたのだが思ったより時間がかかりそうなので、それはあきらめた。昨日あそびに来てくれたのは、私のカリフォルニアでの某日系企業で私ののボスだった男の人と彼の奥さん。彼こそが6年半前に私をその某会社に雇ってくれた人。実は彼の奥さん日本人。彼は、しばらく私のボスだったが、そこからセールスの部署に仕事を変えたのだが、約2年前、会社が彼の仕事をなくしてしまったため、彼はレイオフというかたちでその会社を去った。ところがところが、1年ちょっと前、彼はまたその会社のセールス部門のここコロラドのテリトリーの仕事に応募し、見事にその仕事を得、カリフォルニアのうちを売って、去年ここコロラドに移ってきたのだ。私がカリフォルニア脱出計画を練っているときには彼にコロラドのことをいろいろ聞き、それはかなり私たちにとって有力な情報だった。そして私たちも思考錯誤の上ここコロラドに移ってきて、そしてなんと彼らの家と私らの家は本当にウォーキングディスタンス、1マイルぐらいのもんです。私は友達から教えてもらったカルアポークをクロックポットで作りそれにもちろんキャベツとにんじん、それにガーリックとしそを一緒に炊き込んだご飯、玉ねぎをスライスして水にさらし絞ったものにサラミをのせて、そのまえお友達にいただいたとってもおいしい、イタリアンドレッシングをかけて〔めちゃおいしかった...たまねぎも辛くなくて、子供たちまでシャリシャリたくさん食べていました...ありがとう!!)、その他、サラダと、ブレッド、そしてフルーツ、そしてまたお友達から教えてもらった洋ナシのタルトと大人たちはビールとシャンペン、子供達はDR PEPPERとみんなでだわいわいがやがやとっても楽しかったです。その後はわたしと彼女は日本語で喋り捲り...旦那達は外のデッキでビールをの飲みながらご歓談..そのあとベースメントにゲームをしに行ってたっけ。彼の奥さんには何回か会ったことがあった。彼女はとってもがんばりやさんというのは前々から聞いていたけど昨日が本当にはじめてゆっくりとお話しするん機会だった。彼女....すっごく素敵な人でした。とっても明るくって、面白くって、すっごくポジテイブな人でした。すっごく楽しかった。彼女は某航空会社のセールスをしているということ。本当に体からオーラが出ているように人をひきつけてとても楽しい気分にさせてくれる人。日本語でも英語でのどちらでのジョーク連発~!!そのジョークもとっても軽いタッチで笑えちゃうようなジョークでした。うちの旦那も、奥さんのほうに会うのは初めてだったけど、彼のことはずーっと知っていたから今回が初対面というわけではなかったので、わりかし話も弾んでいたようでした。子供達も彼のことは ”ママのボス”ということで知っていたので昨日も彼に 質問攻め...なんだか友達感覚...そういえば、そこ彼、私らはがここに引っ越してきた日の夜、いきなり訪ねて来てくれたっけ。彼いわく、知らない土地にきて、不安なのは自分達が一番よく知っているからなんていって、一緒にピッザを食べ、ビールを飲み、子供たちのベッドを組み立てるのを手伝ってくれました。家の旦那はとってもありがたがってたっけ...〔私はそんなこと手伝わないから...)そんなこともあって、彼とは不思議な縁があって、またこのコロラドでも友達でいられるみたい。そして、彼の奥さんともっと仲良くなれそうだわ...今度私の数少ないお友達を呼んだときにまたみんな招待して、もっとこのお友達増やせればいいと思っている。そうだよね...そうしたらここの生活ももっと楽しくなるよね...
2006.05.25
コメント(4)
最近専業主婦になってから暇なせいも手伝って結構料理にも燃えてみたりしています。ダンボールの中から古い料理の本を引っ張り出してきていろいろトライしてみたりしています。夕食だけでなくておやつのにデザートとかブレッド類だとかちょっとがんばっています。働いているときも結構なんだかんだいって週に5日は家でご飯を作るようにしていましたが今ではほとんど毎日作っています。すっごいよね...自分でも感心します。だけど別に私が自分で自分のことをえらいと思っている イコールご飯を作らない人を非難しているわけではありませんが、私が思うに、アメリカ人、私の場合は特にカリフォルニアの人々のことですが、料理に対してプライオリティー〔自分の中の優先順位)が余り高くないお母さんが多いように思います。でもそれはそれぞれの環境とそれと国民性の違いではないかと思うのですが...うちの長男のカリフォルニアにいたときの近所の大親友、彼はひとつ違いの妹もいますが、両親が離婚して、お母さんは近くの大きな病院で事務長のような仕事をしています。彼女は結構収入も多いはず、なんたって大病院の事務長だもの。彼女は毎日5時過ぎに帰ってきて、子供達をつれて外食に行きます。ファストフードだったり、レストランだったりします。その親友は毎日のようにうちに遊びに来ていました。そしてたまに私もご飯をたくさん作ったときには彼に”うちで夕食食べていく??”というと、とっても嬉しそうに ”Off COURE”といいます。そして”いいな~~毎日こんなデイナー食べれてな~~”といっていました。〔私もたいしたものは作っていませんが...)私の昔のボスのボスは、3人の男の子のお母さん。その子供達はみんな テイーンネイジャー。彼女のだんなさんはいつも定職がなく、自分で事業を起こしたり、フリーのセールスの仕事をしたりしていましたが、食事は彼の仕事です。私のボスはいつも家に帰るとだんなさんの作ったあったかい食事が彼女を待っています。うらやましい~~~私のもう一人の友達、子供が二人いるのですが、だんなさんはフットロッカーという大きな全国チェーンのスポーツ靴の店でマネージャーをしています。朝10時ごろからよる帰ってくるのも10時過ぎ。彼は毎日外で昼食、夕食を済ませます。私の友達、いつも会社帰りにテイクアウトのお店で子供達への夕食を買って帰ります。たまには自分の昼食でチャイニーズを頼んで半分残して子供の夕食に持って帰ります。そのほかにも料理をしない母親が私の周りにはたくさんいますが、かといって彼女らがこどもにかまってないかといえばそうでもありません。例えば、あるお母さんは子供達にいろいろなアクテイビティーをさせていて毎日のように4時ぐらいから7時位まで子供のアクテイビティーに付き合ったり、挙句の果てにはチームママになって子供達の面倒を見たり、学校のPTAの活動に力を注いでいろいろな活動をしたり、私のようにフルタイムで働いて、子供にはある程度の生活をさせてあげている代わりに、夕食までには体力と時間が注げなかったりしているようです。アメリカに来てこうやって長い間生活をしていると、日本で例えば家の母達が私たちにしてくれていたことはここでは普通のことではないということに気が付きます。日本のお母さん達、すごいです。アメリカのお母さんたち、”I DON’T COOK”〔私は料理はしません)とか”I DON’T CLEAN”〔私は掃除はしません)とか平気でいっちゃいますからね。私が思うにこれはアメリカの国民性だと思います。ここでは ”母親はこうでなくてはいけない”とか”母親がこれをしなくてはいけない”といった暗黙のルールが日本のようにありません。なんでもありです。料理しなくても非難されません。だからきっと、お母さんが毎日料理をするのが普通だった日本人の私にとってはちょっと勝手が違うように感じるのでしょう。そしてお母さん達がひとりひとりとっても個性が強いのもそのセイでしょう。時間が合ったら、私の大好きなテレビ番組 ”WIFE SWAP”みて見てください。いろんなお母さんがいますよ~~~
2006.05.21
コメント(10)
ここ何日か子供達の使っている2階にあるバスルームのシャワーのノブを閉めてもぽたぽたと水がたれているのに気がついていました。だけどそんな量のぽたぽたではないのでちょっと気に留めなかったのですがここ2-3日そのたれている水の量がひどいのでうちの旦那に ちょっとみてくれるように頼みました。家の旦那は、ちょっとしたハンディーマン。旦那のお父さんは本当のハンディーマン。一般的な物は自分達で直したり、作ったりできます。車のオイル交換なんて朝飯前...自分でちゃんとやります。その他、ちょっとした、ドアの取り付けから、セイリングファンの取り付けだとか、ガラージの中に棚を作ったり、本当にすごいところでは、昔、家を持っていたとき、その裏庭にグリル付き、流し付き、冷蔵庫付き、ファイヤーピット付きの屋外バーまで作ってしまいました。なんで彼がそこまでするかといえば、単に彼は ドけちなので他人にお金を払ってそういう仕事をしてもらうんだったら、自分で汗水かいてしたいタイプです。単にけちなだけ..そう..けち...それだけです。そんな彼なので私がそのシャワーの水がもっているということを聞いたとき、配管やに電話するなんて夢にも思ってなかったようです。自分でガラージから、いろいろな工具を持ってきてバスルームに向かいました。そうして約20分、私はバスルームに様子を見に行きました。彼はなんだかんだと一人でぶつぶつ言いながらこれはここに入るからこうで、これをとるとこことつながっているから...その瞬間.......................................................シャワーの取っ手が落ちすごい量も水が噴出すように出てきました。彼....パニック状態...私...パニック状態....彼...xxx元栓を閉めてくれ~~~~~~~私...どこにあるか知らないから あんた閉めてきて~~~~私は手でそのシャワーのとってのあった穴をふさいでいるのですが、あまりにも水圧が強すぎて抑え切れない!!!、水はバスルーム中に噴出し、その時点で床は水浸し!!!そしてバスタブの水ももうあふれそう。そうなったらもっと床が水浸し!!私....はやく元栓をしめてよ~~~~~~と叫びながらすぐ隣の息子の部屋へ行きゴミ箱をつかみ、それを使ってバスタブの水をトイレに流すことにしました。もう...わたし全身びしょぬれ...それでも旦那がウォーターヒーター〔熱いお湯をためている大きな入れ物)の元栓を締めてくれたので、出てくるのは水ばかり...そうでなかったら、私はきっと熱湯で全身おおやけどだったことでしょう。5分ぐらいしてやっとその噴出していた水がとまりました。話によると、旦那もどこが元栓かわからなくて近所の人に聞きに言ったとか..通りで時間がかかったわけだ...それから...それから...下に行ってみると、 家のガラージ...水浸し...ちょうどこのバスルームの下がガラージだったのです。旦那はガラージの中に5個も6個もバケツを置いてぽたぽたと天井からしたってくる水を入れていました。それから家中のタオルを持ってきてバスルームの床に敷き水を吸収させました。それが夜の7時くらい。それでもけちなうちの旦那、今配管屋に電話をしてきてもらうと時間外料金を取られるから明日まで電話するのは待とう...だって私は切れました。”あんたね~~そんなことうだうだ言ってないでさっさと電話しろ~~~”って結局は配管や、誰も捕まらなくて、家を買った時のワランテイーの会社が誰かを探して次の日の朝によこしてくれることになりました。うちのだんな、息子達に ”今日はもう水の元栓を締めるから、明日の午後までウンチできないからすぐにトイレに行ってうんちしてこい!!”だって...そんなめちゃくちゃな...結局元栓を開けて、夕食を食べて、みんなで早めのシャワーをして、必要なだけの水をとっておいて、水の元栓を締めて寝ました。そうでないとものすごい量の水がバスルームのシャワーの穴からたれてくるのです。そして今日配管屋の人が来て無事に直していってくれました。よかった...よかった....これでひと安心。そうしたら旦那...今日になって”昨日の教訓...水の配管と電気の配線に関しては何か合ったらすぐに電話すること”だって...その通り。あんたのおかげで私らはひどい目にあったのだから。そして私の教訓”住んでいるうちの、水、ガスの元栓と、電気の配線の箱の位置は日ごろから確認して置きましょう。”
2006.05.18
コメント(6)
このコロラドに引っ越してきて私はつくずく私たちはカリフォルニアというとてもユニークな環境に居たのだな~思う。私はここアメリカに来てからいくつかのステートに住んだが、カリフォルニア、特に南カリフォルニアはとても特殊な土地だと思う。全世界から自由を求めて、そしてよりよい生活と環境を求めて、そしていわゆる アメリカンドリームをつかもうと毎日のようにここアメリカに人々がやってくる。そういう人々が一番最初にたどり着くのがロサンジェルスとニューヨークだ。そしてたどり着いたアメリカで、その気候に魅了され、そそのままそこに住み着く人々がきっと多いのだろう。そしてそういう人たちを頼りにまたその家族、友達達がやってくる。そのため特にロサンゼルスとニューヨークは人種のるつぼといわれるゆえんだと思う。今私たちの住んでいるここデンバーの南の地域は、比較的アッパーミドルクラスの白人の人たちのコミュニティーである。あまりアジア人にはお目にかからない。長男の学校のクラスのの子供達を見ても、35人中、白人25人、黒人5人、メキシコ人3人、アジア人2人といったような割合だ。私たちが住んでいた南カリフォルニアの長男の学校では、数えてみると、28人の子供達のうち、アジア人10人、メキシコ人6人、白人4人、黒人3人、アラブ人5人という割合である。驚き...驚き...公園へいくと、アラブ系のターバンを巻いた人や、女の人たちのシースルーの民族衣装を着たお母さんや、おでこに赤いしるしをつけたインド系のおばちゃんや、黒い布で頭を巻いている女の人や...いろいろな人たちがいろいろな国の言葉で子供達に話しかけている。そしてそこにはありとあらゆる国の料理を食べさせてくれるレストランや、いろいろな国の食材から、何やらかが手にはいるスーパーもたくさんある。おかげでこのカリフォルニアにいた8年間、私の料理のレパートリーも広がったし、新しい食べ物もたくさん食べた。聞いた話では長男の元の学校では約40%の子供達が英語以外の言葉を話したり、理解したりできると言っていた。昔は家の長男、幼稚園におにぎりをもって行きたがらなかった。彼はおにぎり大好きだったのに、幼稚園でおにぎりを馬鹿にされるのがいやだったらしい。けれども最近では、お弁当におにぎりはもちろん、三色ご飯〔卵とそぼろと野菜がご飯の上に乗っかっているもの)とか、餃子、焼肉とご飯後などなどなどなど...まったく躊躇しない。それもそのはず。彼の周りの友達はアジア人が多いのと、あまりにもたくさんお国の食文化が入り混じって、気にする人が居なかったみたい。かえって、三色ご飯を持っていったら友達にうらやましがられたなんていっていた。ところがところが...ここに移ってからは長男もお弁当を持っていこうとしない。だってここは典型的アメリカンランチ地区で、彼はサンドイッチがあまり好きではないので、毎日ランチはカフェテリアで買っている。ちょっとお金はかかるが長男の意思を尊重しようと思っている。そういう体験のせいか家の長男は、誰とでも仲良く遊んでいる。彼の中には人種とい言葉が存在しないようだ。これはこれからの彼の人生の中できっと大きな意味を持つだろうと私は思っていて、そういう環境の中で彼を何年かでも育てられたことをとても幸運に思っている。この先も彼らはこのアメリカという国でいろいろな人、人種のひとと出会うんだろうと思う。その中には人間的に合う人、合わない人が出てくるだろうと思う。彼らには人種という偏見での差別ではなく、人間の中の要素で友達なり、ガールフレンドなりを選んでいってほしいと思っている。
2006.05.16
コメント(11)
母親にとって子供達をこの異国の地で育てている中で、いろいろな心配ごとのひとつに言葉の問題があります。うちも例に漏れず頭の痛い問題でです。私は長男が生まれて1歳半ぐらいまで一日の大半は家にいることができたので、もう毎日毎日日本語の世界でした。そしてカリフォルニアに移り私も働きに出なければならなかったときにちょうどよく日本人のグループの経営しているデイケアー +保育園にはいることができました。そこはスタッフはすべて日本人、朝ごはんもお昼ご飯も日本風、お正月にはおもちつき、3月には桃の節句、5月はこどもの日、運動会までしてくれた。長男はその環境のなかで日本語が第一母国語のように育った。本当に日本語のほうが英語より流暢だったのです。それがある日突然そのデイケアーが閉鎖することになり、私は泣く泣く彼を一般のアメリカのプレスクールに入れました。彼が4歳半、あと半年でキンダーという時期でした。それから半年後、キンダーに入った彼は最初ものすごく苦しんだのです。というのも彼の得意なのは英語より日本語だったし、普通のアメリカ人の子供達は、キンダーの前の2年ぐらいをプレスクールで過ごし、アルファベットやら童謡やら何やらを習った上でキンダーにあがっていきます。彼は半年プレスクールに行ったとはいえ、周りの子達に比べると各段にレベルが低かったのです。でもキンダーのオリエンテーションに行ったときに先生は自分の名前が書ければいいですよといっていたのに...しかし...しかし...ふたを開けてみると...キンダーの生徒はアルファベットのアッパーケース〔大文字)とローアーケース〔小文字)がすべて書けるのが当然!!! そのうえフォニックス〔英語のスペリングの仕方で、音でスペルしていく方法)を使い、毎日ジャーナル〔日記)を書かされる始末。長男は完璧に落ちこぼれ!!!それから毎日15分ずつ英語のお勉強!!!長男は泣きながらしてたっけ...だけど...落ちこぼれてクラスで何をやっているのかわからなくなったらかわいそうなのは彼だったので心を鬼にしてがんばらせた。けれどもその反面、その年、ついていけなかったらもう一年遅らそう〔アメリカでは結構これって普通です)と思っていました。そのうちに彼もある日突然脳みそがクリックしたようで、その年の終わりにはみんなのレベルまで英語もかけるようになりました。ところがところがところがところが...今度は日本語が出てこない!!!仕方ないよね..昼間は普通のアメリカの学校に通って、話すのは英語ばかり...家に帰ってきてもその時期私は次男が生まれたばかりだったので、ゆっくりぅ長男と日本語のお勉強なんていう時間もなかったし...言い訳...その間に彼は英語のほうがすらすらと出てくるようになってしまいました。なんだか彼によると日本語をしゃべるのが面倒くさい...だって。それから毎週土曜日に日本語学校に通わせることにしました。はっきり言って、その学校に子供達を入れると、お母さん達はとてつもない時間と労力をその学校へのボランテアーに費やすことになります。けれどもこれだけが私が息子に与えてあげられる財産なんだと思ってがんばりました。息子はきっとこの先10年私のことを恨むだろうけど〔土曜日が日本語学校でつぶれてしまうこと)、その先はきっと私に感謝してくれるだろうなんて思っていました。けれども1週間に4時間の日本語学校がどれだけ彼のためになるんだろうと思うとそうでもありません。言葉は使ってなければ忘れます。私はそれをいま まざまざと思い知らされています。普段日本語を使わない私は...漢字が書けない...言葉の言い回しが出てこない..文章がヘン...そんなものです。私がもう少しがんばってあげればよかったのだけれど、私も普段英語でばっかりの生活をしていると、英語の言い回しのほうが自分の意思を的確に相手に伝えられることのほうが多くなってしまって、日本語で話してあげようと思っても、お母さんちょっと怠慢しちゃうことのほうが多いです....ごめんね..けれども彼は日本に行くと彼の頭の中の引き出しを開けて彼の日本語のボキャブラリーを出してきます。去年はひらがな、カタカナ、少し漢字も日本語学校で習ったので、看板とかサインとかを読むのが楽しかったみたい。今年は家の両親に相談して、日本の小学校に2週間ぐらい入れようかと思っています。何せここコロラドには日本語学校がありません。日本に補修校ならあるのですが、その学校は日曜日9時から3時まで、国語、算数、理科、社会をやるようです。私はそこまで彼をプッシュできないな~って思います。今日彼は学校からかえってきたら”おかえり~~~”といっていえに入ってきました。それって ”ただいま”じゃないの??? 私...大爆笑!!!この前家族で夕食を食べていたら”まま...これおいしいだよ!!!”彼も努力しているんです。笑ってごめんなさい。だけど彼だって私が発音できない単語を私に何度も発音させて ”まま~~ちがうよ~~~”といって爆笑しているからそれはおあいこかもしれない。だけどこれからもこの日本語の問題は頭が痛い...うちには次男坊もいるんだわ...だけどわたしが思うには日本の文化を理解するにはやはり日本語を理解する必要があると思っているのですが...やっぱりたいへんですよね...
2006.05.13
コメント(8)
うちの旦那はあるMortgage Company〔家のローンを取り扱う会社)で働いています。その会社はアメリカ中に支店のある比較的大きな会社です。そしてその会社には姉妹会社としてまた比較的大きなアメリカ人だったら誰でも知っているローン会社があります。最近ここコロラドに引っ越して来た私たちですが、元はといえば旦那の仕事のトランスファーが決め手でした。彼はいまその彼の会社とその姉妹会社が共同で借りているとてつもない大きいオフィスの一角で仕事をしています。そこはもともとはその姉妹会社のデータセンターといってとてつもなく大きなコンピューターのメイン器械がありそれがアメリカ全土にあるオフィスにそれがつながっていてそのデータを24時間毎日処理しています。中にはいると本当にNASAの ”HOUSTON...WE HAVE PROBLEMS"の世界のように、大きなスクリーンに向かってそれを囲むように机が並んでいます。そして何十人もの人たちがヘッドフォンを耳に、スクリーンをみながらコンピューターをたたいています。先週のその姉妹会社で大規模なレイオフがあったそうです。約4000人のアメリカ中の社員がその日何の前触れもなく会議室に集められその報告を受け、その後人事課の人たちにエスコートされながら自分の机の周りの私物を箱に入れ、外まで見送られたそうです。たいてい、このようにレイオフやまたは会社を首になった人たちは人事課の人にエスコートされながらオフィスを出ます。それはきっと会社にとって不合理なことが後から発覚したら困るのでその意味だと思います。(たまにそうやって仕事を失った人たちは腹いせのために会社の重要書類を持ち去ったり、コンピューターのデータを自宅のPC に送ったりした例があるみたいです)旦那の話によると120人ぐらいいた彼のオフィスの人たちも30人以下になってしまったとのこと。彼もいきなり爆弾が落ちてきたようにこうやって仕事を失って打ちしまった人たちにとても同情していました。ある人は初めての子供が生まれたばかり...ある人は家を買ったばっかり...考えただけで背筋が寒くなります。そんなことがうちにも起こったらなんて....けれどもたいていレイオフされた人たちには会社から失業保険のようなものが何ヶ月か降ります。それと保険も2-3ヶ月延長されてカバーされます。そうはいってもそんなことが起こったら...怖いな~~!けれどもこれはアメリカではごく普通のことです。今では日本でもリストラということが往々にあるようですがそれでもこのアメリカのレイオフに比べると桁が違うような気がします。だからアメリカ人はきっと自分の今働いている会社の状況を見極め、もっといい会社に転職をしたり、仕事をしながら学校に通ってもっと自分の可能性を広げようと努力したりというひとが多いようにみうけられます。特にここ数年のアメリカンの住宅ブームで、誰も彼もが家を買う、家を持っている人は安い固定金利にローンを組み替えたり、持っている家を抵当に入れて現金を引き出し、ローンの組みなおしをして家の改装に使ったり、バケーションに行ったり、車を買ったりとその用途はさまざまらしいですが、とにかくすごかった!!!この時期、南カリフォルニアでは、就業人口の1/3がそういった住宅のローン関係の仕事についていました。そしてそのあおりを受けてさまざまなリテール関係(ホームデ-ポなどのストアーやら、装飾関係の店やもちろん建築関係、庭のリモデルやプール0業者...などなどなどなど...)もかなりの恩恵を受けていたようです。それが去年あたりからの公定歩合の引き上げにより住宅を売買する人も減り、もちろんローンの組み換えをする人もドット減り、持ち家から現金を引き出せないので前のようにお金が自由になりません。そうすると人々はお金を使いません。そうするとお金が世の中を回りません。会社やリテールストアーでは今まで入ってきていたお金がが入らなくなります。そうすると、今までエクストラに従業員を雇っていた会側もその従業員をキープしていくことができません。そこでレイオフに踏み切るしかありません。悪循環です。怖いですね~~~家の旦那に言わせれば彼にとっての一番の恐怖は、ある日突然レイオフされて仕事がなくなることと、またはある日突然自分が事故にあったりまたは病気になって働けなくなることらしいです。一家の主として自分に何かあったら家族を路頭に迷わすのが彼の一番の恐怖らしいです。そのために彼は日々のアンテナを張り巡らし、いま自分の会社はどういう状況かを知り、そして少しのたくわえだけは続けているようです。かの ファイナンスアドバイザー スージー・オーマンによると彼女はいつも、自分の月収の8ヶ月分のたくわえはいつも緊急のお金として引き出せるように蓄えておきなさいと言っています。だけど月収の8ヶ月分を蓄えるというのも容易なことではありません。特にアメリカ人は借金してでも自分のほしいものは買うという人が多いのですから...いずれにしてもここアメリカはここ何年か冷たい風が吹きそうです。あ~~怖い....怖い...
2006.05.09
コメント(8)
ここに引っ越してきてから、うちの長男と次男坊の小さな戦いに少し拍車がかかっている。それを修正すべく母はあれこれと考えあぐねているのであった。家の長男は今10歳、プリ.ティ-ンネイジャーといった年頃である。次男坊はいま5歳。この5歳という年齢の開きはちょっと大きい。ここに引っ越してくる前は近くに次男坊の年の友達がいなかった。長男は10歳なので次男坊に比べると行動範囲も広い。近所からたくさんの友達を家に連れてきたり、一緒に外で遊んだりしていた。その長男にいつも金魚のうんこみたいにくっついてまわる次男坊、彼の頭の中では長男の友達は彼の友達でもあり、彼らのすることはすべて自分でもできるの思っていたらしい。長男の友達達も長男の弟ということで有無を言わさず一緒に遊んでくれていた。その状態がいま少しずつ変わってきている。長男は家の向かいに同じ学年の大親友ができた。朝から晩までそん子と遊んでいる。そしてスリープオーバーも頻繁にしている。それがあまり面白くない次男坊....自分のスリープオーバーに行きたいと駄々をこねる。だけど長男には長男の世界があるからそこまで次男坊を金魚の糞みたいにつけてやることはできない。そして長男が行った後には次男坊が必ず”I am missing him!!! -おにいちゃんがいなくて寂しいよ~~~”といって泣く。普段、夕方子供達が外で遊びたいということになると否が応でも長男に次男のおもりを頼まざるを得ない。私が夕食の仕度をしなければならないのだ。だけど長男だけ外に行かせて次男坊を家の中に縛り付けておくこともできない。長男はそれがあまり面白くないらしい。家の近くにレクリエーションセンターというのがある。毎月アソシエーションフィーを払っていていつでも好きなときのその施設を使えるのだ。うちのだんなはそこに週3回、エクササイズに出かける。そのときにいつも一人で行くのはいやなので、長男を誘う。長男はその大親友を誘う。そして旦那がエクササイズをしている間、彼らは室内プールで遊んでいるのだ。10歳以上なら、保護者が館内にいるのなら、別々に行動してもかまわないのだ。もちろん面白くない次男坊、自分も行きたいと駄々をこねる。しかし、だんなひとりでは次男坊は連れて行けない...だったら長男も誘うなよ!!!駄々をこねられてそれをなだめるのは私なのだから!!!!しかし最近、近所に何人か次男坊の友達ができた。次男坊は彼の友達を家に連れてきては長男の部屋に入り、長男のおもちゃを持ち出し、友達に自慢しながら遊んでいる。いくら言ってもすぐに長男の部屋に行ってしまう。ここに来るまで彼らは部屋をシェアーしていたのでその癖がまだ抜けないのか、そのうえきっと長男の部屋にあるおもちゃは次男坊にとってはとってもクールなおもちゃばかりのようだ。そしてそれで遊んで時たま壊して長男を怒らせる。私に言わせれば次男坊はいつも長男を追っかけているようだ。長男は自分で自分の世界にいたいのに次男坊はちょっとじゃまくさいときもある...といった感じかしら...私もうちの旦那も一番上なので長男の気持ちもよくわかる。私だって小さいころ妹や弟におもちゃを壊されていらいらした記憶がある。だけど長男には、”不公平なのはわかっているけれど、少し次男坊のことを多めに見てあげなさい...あなたは年が上な分、たくさんおもちゃを持っているし、それに彼のできないことだってたくさんできるのだから”といってなだめる。次男坊には”不公平なのはわかっているけれど長男にできることもあなたにはできないことがたくさんあるの。だけどその分、あなたもたまに特別なことがあるでしょう。お兄ちゃんが学校に行っている間にママと二人でマクドナルドに行くこともあるでしょう。夜に目が覚めてママのベッドにもぐりこんで来ることもあるでしょう。お兄ちゃんは大きいからもうそんなことできんないんだよ。”お互いの利害を考えながら説得するのって難しい~~~だけど彼らは相変わらず家に帰ってくると仲のよい兄弟やってるみたい。二人で長男の部屋のベッドの上で IーPADのイヤーフォンをシェアーしながら二人で音楽聴いてたり...二人でベッドにテントだといってなんだか囲いを作ってそこで寄り添うように寝ていたり...いつも二人に言う。”たった二人の兄弟なのだからお互いの足を引っ張り合うのではなく、お互い助け合いなさい..”ってどこまでわかっているものやら...だけど親の立場でなるべく公平に年の離れた子供達を育てるのって結構大変!!!...いつまでも仲のいい兄弟でいてほしいわ....
2006.05.06
コメント(4)
私の家の向かいに住んでいる家族....家の長男のいまや 大...大...大親友の家族...たまたまそこのお母さんと話す機会があった。そうしたら...なんと...なんと...その家族は6年前フロリダのタンパから引っ越してきたそうな。私のいっていた ELSのある ユニバーシティー、サウスフロリダをそのお母さんは卒業したそうです。わたしの住んでいた寮も知っていました。そしてだんなさんは私らの住んでいた ポストビッレジというアパートにしばらく住んでいたとか...そしてそこの息子と家の長男...なんと同じユニバーシティーホスピタルというところで生まれていました。なんて偶然!!!その話で フロリダの話に花が咲いてしまいました。そんなことがあって、私はしばらく忘れていたあの楽しかった留学時代を思い出してしみじみと ”あのころは楽しかったな~~~”なんて思ってしまいました。私が思い立ったようにアメリカへ留学しようと思ったのは私が26歳のとき。そのとき結婚を前提に真剣にお付き合いしている人がいました。そしてそのころ日本はバブルの最盛期、不動産関係の大手の会社に勤め、宅建などとって結構な額の給料ももらっていました。そのときから結婚したらできないことをしようと思ったのと、高校を卒業して、専門学校を出て就職した女性の私には何か特別なものがないと男性と対等に給料ももらえない時代でした。その彼に私の気持ちを話して即刻留学の手続きにかかり、場所は常夏のフロリダ、斡旋会社の人から一緒の学校に同じ時期から行くという人を紹介してもらい、それでも不安なのかひとりで成田を飛び立ったのが私が27歳のときでした。いま考えれば自分でもすごいなあ~~なんて思います。不安ながらも、怖いものは何もなかった独身時代です。どうにかなるさ~なんていう軽い気持ちでアメリカへ。1年で帰って来る予定だったのですが...何で私はここにいるの???タンパについて寮に入りました。同じ日本人の子がルームメイトでした。実力テストで4つのクラスにわけれれました。そこが私の運命の分かれ道でした。はっきり言って、そのときまであまり外人に対して免疫がなかった私...私のいったELSのクラスには、サウジアラビア、クウエート、イラク、中国、韓国、タイ、フランス、スイス、ベトナム、ペルシャ、ブラジル、スペイン、イタリア、ギリシャ、トルコ、......ここでは書ききれないくらいいろいろな国からいろいろな人達がそのELSにはいました。みんなたどたどしい英語でほかの国の人たちと意思の疎通を図ります。このELSの学校では英語のほかにそれぞれの国の文化や生活などもレポートとかプレゼンテーショんで学んでいきます。日本という小さい島国で育った私のとってその世界は文字通り カルチャーショックの世界でした。こういう人たちも入るんだ...こんな文化もあるんだ...私の世界が100倍広がったという感じでした。中でも私はサウジアラビア人の友達が何人かいてそれもまた飛びぬけて明るい気のいいやつらばかりでした。国費で留学させてもらっているという彼らは、国に帰ってらそれなりの地位と仕事が待っています。彼らの免許証を見せてもらうとその写真の彼らは白いターバンを頭に巻きそれこそアラブ人です。そこにいる汚れたジーパンとTシャツの彼らではありません。そして彼らは1日何回かの神への祈りも欠かしませんでした。それでも彼らは短いアメリカ生活を私たちと一緒にエンジョイしていたとおもます。一緒にピックニックに行ったり、クラブで鉢合ったり、思い出せばきりがありません。一度私たちが学校のフィールドトリップでどこかの公園に行きバーベキューをすることになりました。そこに現れた二人の彼ら..何とその時期はラマダンといって、イスラム教の人たちは太陽が上っている間は何も食べてはいけないという時期で、それでも彼らはクラスメートと一緒に楽しい時間を過ごしたいとやってきたとのこと。私は彼らがおなかがすいているのもわかっていたので私自身もなんだかそのバーベキュー食べるのに躊躇していたようなことがありました。彼らは本当に いい奴らだったなあ~アメリカで9・11の出来事が何度も何度もとりだたされ、あの犯人たちも学生ビザでアメリカにしばらく滞在していたといいます。その話を聞くたびに私はあの何人かの気のいい陽気な彼らをいつも思い出してどこで何をしているのかな~~なんて思います。彼らもあの楽しかった留学時代をたまには思い出しているのかなあ~~なんて思います。私にタンパの思い出を語らせたらきりがありません。今日はちょっと昔話...してみました。
2006.05.04
コメント(8)
ここコロラドに来て約1ヶ月が経ちます。長いような短いような...私ははっきり言ってこのふって沸いたような専業主婦の生活に少々戸惑っています。今までここ何年も子供を育てながらフルタイムで仕事をしてきて、次男を生んだときも6週間の産休の後、デイケアーへ子供を預けて仕事に戻り、その生活が普通の生活だったのに...ほかの人に言わせれば贅沢な悩みとも思えるのでしょうが、この知らない土地に来て、専業主婦をするというのもちょっと何をしたらいいのかわからない状態です。とくにここコロラドでは5月の末で学校が終わり、8月の2週目まで長い長い夏休みが始まります。〔カリフォルニアの場合は6月末から9月1週までです)8月に新学期が始まると長男はミドルスクール、そして次男坊はキンダーへと進むので何かと予定がたてやすいのですが今はとても中途半端な状態なので身動きが取れません。ここで知っている人でもいれば、昼間に会ってランチでも何てこともできるのですが、それもままなりません。なぜかというと...私も旦那も友達が少ないのです。これは常々思っていたのですが、その原因は...ずばり...わたしも旦那も自分から電話しない人なのです。なんだかひとの家に電話をするのって、”あ~~忙しかったらどうしよう...迷惑だったら...どうしよう....”なんて勝手に考えちゃって、電話をする勇気が出ないのです。それとフルタイムで働いていると、極力電話をかけることのできる時間が限られてきます....言い訳...そのせいで私たちはきっとすごい数の友達を失ってきたのかもしれません。私の数少ない友達たちはいつも私が電話しなくても”ちょっと~~~どうしてた???”なんて電話くれる人たちばかりです。そういう人はやはり友達たくさんいます。私はそういう人たちは 友達つくりの天才だと思っていますし、そのできた友達たちをいい関係できちんとキープしています。よくそういう友達の家に招待されていくと、いったいどこからこんなに友達が沸いてくるんだろう...なんていうこともたびたびあります。うらやましい限りです。昔、学校に行っていた時とか、仕事場などでは否が応でもいろいろな人たちと接しなければいけません。その中には自分と馬の合う人もいれば会わない人もいるわけですが、そんな環境の中では比較的友達も作りやすいですよね。その点、子供達は比較的早くに友達ができたようです。子供達は大人と違って、何の利害関係も気にしなくてもよいですし、それに有り余るだけの時間があるのでその時間で新しい友達達と遊びながらコミュニケーションがはかれます。そこで私と旦那の今の計画では、この周辺であまり宗教色の濃くない教会を探しそこのアクテイビィテイーに参加しようと思っています。結構教会では、子供達のアクテイビィテイーや、男性、女性別のアクテイビィテイーなどをしているところ門たくさんあります。それと来年度からは次男坊の学校でボランテイアーもしようと思っています。そしてこのご近所さんの中にはいっていこうと思っています。それと私のひそかな計画のひとつには、何か習い事をしようというのがあります。同じ趣味を持った人たちと時間を過ごすのもきっと楽しいでしょう。そのほか学校にもいてクラスを少しずつとろうとも思っています。いずれにしてもまた新しい土地で新しい友達を作っていくのは私らにとってはあまり簡単なことではありません。だけど...いいよね....電話しても...たまには...自分で勇気を持たないとって思うのだけれど....なかなかね...数少ない私のお友達の皆さん..そういうわけで、私が電話しなくてもたまには電話くださいね...メイルでも結構ですよ...お願いしますね...今回はちょっと暗くなっちゃいましたね... さあてと...今日も一日がんばリま~~す。
2006.05.01
コメント(5)
全10件 (10件中 1-10件目)
1


