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先日、珍しく旦那と子供達をつれてスーパーへ行った。普段は、子供達を連れて行くと、あれ買ってだの、コレ買ってだのといつもうるさいし、旦那を連れて行くと彼はいつも頭の中の計算機で、これとあれを比べると1パウンドあたり、コレはあれよりXXセント安いからコレがいいとか、自分はドけちなくせに、食費は私の予算から出るとすると、高いものばかり、あれを買えだのコレがいいだの、結局家の男共はうるさいから私は一緒に行きたくないのだ。でも、この日は何がどうなったか、一緒に行く羽目になった。缶詰のセクションを見ていたらだんなが突然”XXX(私もこと)、コレかってくれ..オレが作り方を教えるから...や~~~懐かしい”といって私に見せたのは....鮭の缶詰。だんなによると、だんなが小さかったころ、彼のうちはとっても貧乏だったらしい。市販のおやつなんて買ってもらえなくて、トーストの耳をお母さんが揚げて砂糖をまぶしておやつに出したりしていたらしい。その時代に、お母さんがつくってくれたこの鮭の缶詰で作ったパテーがいまだに忘れられないらしい。それを私に作れということなのだ。まあ...たまにはいいっか...作り方は...簡単...簡単...1.鮭缶の水を切って、ボールに移す。(骨も柔らかいのでそのまま入れる)2.その中に、リッツクラッカー(パン粉でもよい)を細かく砕いて、卵1個を混ぜる。3.塩、胡椒で味をととのえて、ハンバーガーのパテーのように俵型にする。4.フライパンに油を引いて、こんがり焦げ目がつくまで焼く。5.それにケチャップをつけて食べる。コレがうちの旦那のお袋の味なんだそうです。結構、外側はカリカリしているし、中はじゅわっとしていておいしい。その上、なん骨まで入っているから、カルシウム満点、、その上.....安い!!!そしてその夜、旦那はその時代、彼の家がいかに貧しかったか、その鮭缶パテーを食べながらえんえんと語っていた。そんなことがあって、私もお袋の味を考えていた。やっぱり、私にとってのお袋の味は、お雑煮。青森のお雑煮はしょうゆ味。それに、大根、鶏肉、ごぼう、にんじん、かまぼこなどが入っているさっぱり味。私はいつもお餅を入れないでそれだけでも食べる。だっておいしいんだもん。それと、家の母がよく作ってくれるのは、そば。このそばは、家の父の実家のそばで、家の母は鶏肉としいたけでだしをとり、あったかいそばをそれに入れる。もちろん刻みねぎも一緒に、よく昼食に食べるのだが、これがおいしいのだ。それと、なぜか.....しそこんぶ。コレは、中学、高校とお弁当の生活をしていたときに、いつもお弁当の片隅に入っていたもの。この、独特の味はお弁当の味、イコールお袋の味なんだよね。いまでも大好き!!!そうやって、私にもお袋の味がある。今日も、夕食を作りながら、”家の長男くんと、次男坊もいつか大人になって、この家から旅立って行った後、何をお袋の味だって思い出すのかな???”なんて考えていた。皆さんにも、お袋の味ってありますか???ちょっと好奇心...
2006.08.26
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先週のに日曜日から、うちの旦那はカリフォルニアに出張している。旦那が前にいたオフィスだ。私たちのもと住んでいたところ。旦那の会社に監査が入って、うちの旦那の助けが必要なのと、それとその会社では1年に2-3回、社員慰労パーティーがあって、それに参加するためだ。ホテルは要らないと会社に言い、お父さんお母さん達のところに泊まっている。毎日、忙しいようだけど、それでもお父さん達と食事に行ったり、弟クンにぅ会ったり、友達に会ったりとそれなりの時間を過ごしているようだ。最初の日に電話したら、”いま、ビリヤードの順番を待っていて、うるさくて聞こえないから明日電話するよ....”(会社のパーテーでD & Bにいたらしい)なんていって電話のかかってきたのは水曜日...二日後....いいんですよ...どーせ...そして、私たちといえば...”パパがいないと、楽しいね~~~”とは長男くんの言葉...何回も、何回もいっていた。私も”楽だわ~~~~”今週は長男くんも次男坊も新学期がはじまった週なので、私としては何かと忙しいのだが、それでも旦那がいないと本当に楽なのよね....ごめんよ~~~まず1、食事の心配をしなくてもよい。 旦那がいないと毎日ご飯と味噌汁とおかずを作って食べている。旦那の分の食事 を心配しなくていいのでとってもラクラク~~~2、掃除をこまめにしなくてもよい。 旦那がだんないるとやっぱり少しいは掃除しないとぶーぶー言われますからね..3、朝起きて旦那のランチを作らなくてもよい。 みなさん、知っての通り、家の旦那はドけちなので、毎日サンドイッチをもって行きます。外で誰かと ランチをなんて彼の頭にはありません。4、いらない喧嘩をしなくてもよい。 やっぱりこれでしょう。毎日顔をつき合わせていると、いやがおおでも意見の違 いで喧嘩になることもしばしば...それないと本当にストレスが減りますよね~5、お互いがお互いを思いやる気持ちが普段より強くなる。 いつもお互いがお互いにしてあげていることが、一方がいなくなると途端に、あ りがたみが増すってことが多いです。コレはよい距離を保ちます。かといって、家の旦那にいつもいないでほしいと言うのではありません。いつもいなけりゃあ困りますけど...だけど、毎日毎日、はんこで押したように6時に帰宅されても困るんですけど...特に家の旦那はあまり出張のない仕事なので、こういう機会はめったにないのです。先日、友達と電話で話しをしていたのだけど、彼女は昼働いて、彼女の旦那は夜、働いているらしい。”たいへんでしょう...よる毎日旦那がいないと...”というと、”そんなことないよ~~~楽だよ~~~”そう...私たちのCONCLUSIONは...”だんな元気で留守がいい”ということになりました。同感!!!ごめんよ..だんなたち...
2006.08.19
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というわけで、今日8月14日、月曜日からここ、コロラドのダグラスカウンテー(郡のようなもの)の学校の新学期が、一斉に始まりました。少し、州によってもこの新学期の始まる時期がここアメリカでは違うのですが、カリフォルニアでは9月のレイバーデー明け、フロリダでは8月のはじめ、ここコロラドは8月の2週目の月曜日からです。学校が始まる前に、幼稚園もミドルスクールもコレでもかというぐらいの長いサプライリスト(アメリカでは新学期の初めに各生徒がその年に使う教材を自分達で買い集めて学校に持って行き、それをみんなでシェアーして使うのです)をもらってきて、それを買うのでもまた一苦労でした。だって、30項目以上の教材を買い集めなくてはならないのです。例えば、普通の鉛筆とか消しゴム、カラーペン、マジックマーカーなどのほかに、コピー用紙1パック、クリネックス1箱とか、バンドエイド1箱、ウェットテツシュー1箱、カメラのフィルム、工作用ののり、毛糸(??)ステッカー、などなどなどなど...それが二人分...お金もかかるわな...うちの長男クンはこの新学期から6年生。ここのカウンテーでは今年から、6,7,8年生がミドルスクール(日本の中学校に当たるもの)に行くことになっていて、長男くんの学校では今年、6年生と7年生が一緒にミドルスクールに行き始めることになりました。私たちの近辺からだと、ミドルスクールまで徒歩30分ぐらいかかるので、カウンティーではバスを出すことになりました。長男くんの行っていた小学校から朝の7:27と7:39の二本です。どちらでもあいているほうにのって学校まで行くそうです。ミドルスクールともなると、選択式の授業が多いので、生徒達はロッカー荷物をおいて、その科目ごとに教室を移動して歩きます。今年から外国語も始まります。彼はスペイン語を取る予定です。なんだか、本当に長男くんは大人の世界へと歩き出しています。そして、家の次男坊も今年から幼稚園です。アメリカでは幼稚園も義務教育の中に組み込まれていて、小学校に併設されています。コレが今日の朝の次男坊の晴れ姿...バックパックが彼よりも大きいんですけど...ここの小学校は普段は9:10から4:00までですが、幼稚園は早いクラスと遅いクラスがあり、早いほうは9:10から12:05まで、遅いほうは1:05から4:00までです。その中で、スペリング、算数、音楽、図画、工作などなどをとするそうです。クラスは大体20人強です。最初はちょっと緊張していた次男坊ですが、教室についたとたん、夏の水泳のクラスで一緒だった男の子が同じクラスにいることが判明し、それと、家の向かいの女の子も同じクラスだというのがわかり、少々緊張も溶けてきたかな????ここアメリカの学校では、親達がボランテイアーという形で、とてつもない時間と労力を学校に注ぎます。この学校は前のカリフォルニアの学校と比べて、働いていないお母さんが多いようで、みんながみんなこのボランテイアーを率先してしています。私も、去年まで、仕事をしていたという理由で、何も出来ませんでしたが、今年はちょっとこのボランテイアーをしてみようと、いくつかの項目にサインアップしました。とくに、小さい子供達にとっては、お母さんが学校にいる...またはクラスの先生の手伝いをして教室の中にいるというのはとても心強いみたいです。さてと、今年一年、長男クンはミドルスクール、次男坊は幼稚園と初めて尽くしです。私もボランテイアーをしながら、ゆっくり子供達の成長を見守ってあげようと思います。
2006.08.15
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そうして私のかわいい弟君の招待で東京ディズニーランドへ行く日が近ずいていた。子供達はとてもとても楽しみにしていたし、私も本当におのぼりさんのように、東京ディズニーランドの本なんぞを買ってみた。だって...私が最後に行ったのは私がまだ学生だったとき...ということは...20年以上も前のこと。いま東京ディズニーランドとディズニーシーというのがあるんだって???そんなの知らなかったよ。まあカリフォルニアのディズニーランドとカリフォルニアアドベンチャーが隣同士であるのと同じもんだと友達は言っていたので、それで納得。その、当日、母に駅まで送ってもらって、青森からの電車に乗る。その前に、コンビニによって、お菓子とかジュースとかをたんまり買い込む。もう私たちは遠足気分。そこから1時間で八戸。八戸で新幹線に乗り換えて東京駅まで3時間。子供達は、初めての新幹線。座席は広いし、きれいだし、早いし大満足。そして仙台あたりでおなかがすいてきたのでこれまた駅弁などを買い込んで三人で食べる。なんだか、オツですね...いいね...東京駅についてそこから山手線で大崎に向かう。弟が大崎の駅前のホテルをとってくれたのだ。10年ぶりぐらいで乗る山手線。何ですか???あの女性専用の車両は...あんなの知らなかった。ちょってためらってしまいました。だって子供とはいえ一応私も男性を連れていますからね。そして、よく見たらラッシュアワーの時間だけというのでほっとして乗りましたよ。それと電車の中に席がありません。あれも初めて見ました。ああするときっともっとたくさんの人が乗れるのでしょうね。大崎に着きホテルへチェックインしたのが3時くらい。弟との夕食の約束が6時だったので、こともたちと遊びに行くことにしました。さあて...どこに行こうか...そこで思いついたのが品川...また山手線に飛び乗り、品川へ。そしてそこで次男坊はボーリングの初体験をしてしまったのでした。はじめは出来るかな???っと思っていたのですが今はレーンに柵があってボールがガータにうのならないようになってるんですよね...3人でおおはしゃぎはしながらボーリングしちゃいました。それから夜は弟家族と一緒に夕食を食べ、いよいよ次の日は東京ディズニーランドです。10時に大崎ニューシテーで待ち合わせをし、電車を乗り継いでいよいよ到着です。久々の東京ディズニーランドです。弟の所は女の子二人、4歳と2歳です。うちは男の子二人、10歳と5歳。しばらく一緒に見てまわってから、義妹が気を使ってくれて、”お姉さん達、大きいこの乗り物にのってきたらどうですか???どこかで待ち合わせしましょう。そのほうが彼らは楽しいでしょう??”お昼に待ち合わせをして、私は子供達をつれて、TOMORROW LANDへ...スペースマウンテンやら、スターウォーズやらレーシングカーやらにのり、最後は私のリクエストでイッツアスモールワールドへ...私コレ...好きなんです。そして降りてきたら弟がいた...どうやら姪っ子たちはこのイッツアスモールワールドが気に入ってもう3回もコレばっかり乗っているらしい。彼女達が降りてきてから、ランチを食べに行った。そこは なんとかって言うレストラン。みんなで一緒に座ってランチを食べたり写真を撮ったり。それからまた、別行動になった。4時に噴水の前で..ということになった。それから私らは パイレーツオブカリビアーンとにのって、それからちょうど行き会ったパレードをしばらく見て、それからアイスクリームを食べ、お土産を買いに行き、それからミッキーの特別ウォーターショウというのがあってそれも見ていた。いつも思うのだが、やっぱりデイズニーのショウはほかと違って演出がすばらしい。さすが世界のデイズニーだといつも思う。その日は平日だと言うのにもかかわらず、すっごい人だった。結局5時ごろにそこを出たのだが、子供達は結構疲れてどろどろ状態だった。だけど、たくさん写真もとったし、お土産も買ったし、乗りたかった乗り物にも乗れたし、子供達はとっても楽しかったらしい。帰りの電車の中でも子供達の口から出てくるのは、あれにのってどうだったとかあれが怖かったとかそんなことばっかり。親たちのほうのすっごく疲れたけど子供達が楽しかったからまあいっかといった感じです。その夜は友達と夕食に出かけた。そして、次の日はホテルをチェックアウトして東京駅へ向かった。最初の日と同じようにお菓子やら駅弁やらジュースやらをたんまり買い込んで新幹線に乗り込んだ。そうして、私たちの2泊3日の東京への小旅行が終わったのでした。そのあいだ、家の父と母は本当に静かな2泊3日をおくったと言うことでした。彼らもちょっと小休止できたでしょうね。子供達も楽しんだし、私の久しぶりの東京、楽しかった。弟君よ...本当にありがとう。
2006.08.14
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今回の日本への里帰り、普段の年より少し長く滞在できるので、私は子供達に何か普段の年と違うことを経験させてあげたいなあと考えていた。いつも私たちが帰国する日に私のかわいい弟(もう40なんですけど....)がいつも忙しい日程をさいて大変だろうと私たちを車で成田空港まで迎えに来てくれる。そしていつも弟が私たちが一泊する品川ホテルまで連れて行ってくれるのが定例になっていた。いつも車に乗り込んで高速を使って都内まで行くのに私は本当におのぼりさんの世界なのだ。いつも上ばかり見ている。だっていろんなものがあるんだもん...大人だって楽しいよ...そして長男くんは彼の知っている漢字を駆使して、ネオンのサインやら、お店の看板やらを一生懸命読もうとしていた。私は18歳からアメリカに来るまでの9年間を東京で過ごした。専門学校へ行ってそれから就職して、あのバブルも真っ只中の時期に不動産屋で働いていた。それなのに、ここ数年、東京に来るたびに私はそのすさまじい速さの変化にどうもついていけないのだ。次から次へといろいろなものが建設されている。弟に ”あれなに???””あんなのあったっけ??”なんて日常茶飯事。お台場なんて私は知らない。ゆりかもめなんてもってのほか...あの巨大な観覧車だって私が日本を出てから立ったものだ。それはさておいて、ちょうど高速から東京でデイズニーランドが見える。私は何の気なしに弟に ”いまデイズニーランドの入場料いくらするの???”って尋ねた。"5000円ぐらいかな?? なんで?”私は今回何か違ったことをしてみようかなと思っていることを弟に伝えた。すると彼は、”じゃあ東京に来なよ。僕達もお姉ちゃん達が青森にいるうちに行きたいと思っていたけど、どうやら無理みたいだから、お姉ちゃん達が来たら、子供達も一緒に遊べるから。一緒に僕が連れて行ってあげるよ!!!電車代もホテルも取ってあげるよ””え~~~~~~そ...そ...そんなあ ~~~~そんなつもりじゃあ~~~~””いいよ...いいよ...子供達だってそんなに会える機会もないんだし。つれて出ておいでよ”というわけで、この私の優しい弟のご招待で、私らは長男クンの2週間の日本の小学校体験入学が終わってから、東京へと向かうことにしたのだった。私にしては、いつもトランジットのために素通りするだけの東京...何年ぶりであの街を歩けるのかと思うと、わたしでさえちょっと楽しみだった。続く...
2006.08.10
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やっとのことで我が家へ帰ってきた。約1ヶ月ぶりの我が家だった。家に帰ってきてまずびっくりしたのは冷蔵庫の中が空っぽだった。あれだけ日本へ行く前にたくさん買っていった冷凍のデイナーやら、ステーキやら、ソーダやら、ビールやら影も形もなくなくなっていた。そしてキッチンのテーブルの上にはすごい数の手紙やら、カタログやらが山積みにされていた。家のだんなはこの1ヶ月なにをしていたのでしょう???私は文字どおり二人の息子を連れて、日本へ約3週間も行っていたから、まあ少しのことは多めに見ないとね。今回も家の二人の息子達にとっては天国以上の日本訪問だったと思う。長男くんなんてずーっとずーっとほしかったソニーのPSPを早速じじから買ってもらってもう、満足、満足。次男坊だって、ほしい、ほしいといっていたウルトラマンシリーズのウルトラマンやら怪獣やらをたくさん買い集め、挙句の果てに二人ともじじからも、ばばからもは小遣いをたんまりともらい、毎日、毎日、ばばは今日は何が食べたいの...と聞いてくれる。その上、何日かに1回は外へ外食に出かける。回転寿司やら、うなぎやら、おいしい日本蕎麦屋やら...その上、今回は、うちの弟のご招待で、私ら三人、青森から、東京ディズニーランドへご招待していただいて、弟家族と私らとみんなで行ってきた。これが天国でなくてなんなんでしょう。私のほうも、父と母とたくさん時間を過ごし、そして今回は、去年なくなった妹の1回忌があったので、私が渡米してからあってなかったような親戚のおじさん、おばさんやいとこ達と会うことも出来た。そのうえ昔からの戦友、buyernomnomさんとも久しぶりに会うことが出来たし、それに私の実家ではかのたちまゆさんにも会うことが出来た。もう...感激でしたわ...彼女...とても素敵な方でした。たちまゆさん...ありがとう。楽しい時間を過ごせました....それから、私らは、東京からロサンジェルスへと帰米。そこで5日間、だんなの両親の家に泊めてもらいました。そこは、南カリフォルニア、私たちの住んでいたところから、10分もかからないところで、そこは勝手知ったる場所柄、レンタカーを借りて5日間、走りまわりました。義妹が夕食に招待してくれたので、みんなで行ったり、私の元の職場へ行って同僚達にも会ったし、中のいい同僚達とランチに行ったり、友達の家にも遊びに行ったり、長男くんも彼のベストフレンドの所へスリープオーバーに行ったり、いとこが遊びに来たりと、映画を見に行ったり、お気に入りだったレストランへ夕食を食べに行ったり、最後に日は、私の大のお気に入りのHUNTINGTON BEACHのピアーへいってぶらぶらしながらランチを食べてから空港に向かったのでした。ざっとこんな感じの旅でした。まあ、詳しい話はゆっくりとアップします。とりあえず、かえってきましたということで...1ヶ月も行かせてもらって、だんなにお礼しないとね。それと、ああやってまたゆっくりと両親との毎日を過ごせたことが一番に楽しかったことかなあ。パパやママにもほんとうにありがとう。またいけるかな???来年??
2006.08.09
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