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誰かさんの タイトルを盗んじゃったみたいでごめんね...今日はコロラドに来て初めてお医者さんにアポイントメントをとって、今日がその日です。毎年この時期になると感心な私は(???)主治医に定期検診のアポイントをとります。今回も女性検診〔英語ではパップスメアーといいます)、子宮ガンの検診ですよね。それとここ5-6年毎年やってもらっている乳がん検診のオーダーを出してもらうつもりで、その他尿検査と血液検査も予定していました。そのドクターは初めての会うドクターだったのですが、年のころは50台半ば、彼の話によると彼は昔しばらくハワイすんでいて、そこで日系の診療所で働いていたのでその時期は少しは日本語のしゃべれたのですがいまは全部忘れてしまったとのこと。そのドクターと少しばかり、私の病歴について話しました。去年の不安神経症候群から始まって、薬をしばらく飲んでいたこと。あとはとりあえずいつもだいだい健康であること。実は私は20年以上の喫煙家だったのが去年の妹がなくなった日から一切タバコはすっていないこと。お酒は一滴も飲まないこと。週に2-3回は1時間ぐらいのウォーキングを実行しようとしていることなどを話しました。それからぱパップスメアーです。これはアメリカでは確か35歳以上の女性にはレコメンドされているはずです。だけど何度やってもこれは気持ち悪いものです。そのあとドクターに乳がん検診のリクエストをもらいました。アメリカではだいたいドクターのオフィスと、そのような特別な検査はそれぞれべつの場所、またはそれ専門の会社に委託してしています。ですからそのリクエストを持ってまたその場所にアポイントを取れなければなりません。この乳がんの検診は本当は40歳以上からの検診なのですが、私は母が40台半ばで乳がんを患ったことがあるので5年くらい前から毎年してもらっています。それから尿検査と、血液検査です。これで血糖値や、コレステロール、尿のたんぱくの具合などを調べます。この結果は来週の月曜日にです予定です。おかしかったのは、看護婦さんがわたしの血をとるときに、やたらと”大丈夫???大丈夫???これでも大丈夫???”と聞きまくるのです。何でだろうと思ってきいたらここでは結構注射とか血液の採取で失神する人が多いようで...だからあんなにしつこく聞いていたのか....そのほかに私はみぞおちにたまに圧迫感があって気持ちわるいといったら、おなかのウルトラサウンドもリクエストしてもらいました。これは月曜日に行ってきます。なんだかあれやこれやでいろいろなテストを受けることになりましたが、やっぱり最近思うのが、自分が病気をしたら子供達はどうするの???なんて考えます。それを考えて最近は、食べ物にも気をつけて、ビタミンのサプリメントも進んで飲むようにしていますし、適度な運動と、十分な睡眠もとるようにしています。特に私のように、あのように妹を突然亡くすると、否が応でも自分の健康には敏感になってしまいます。まあ、そなえあれば憂いなしといったところでしょうか...関係ないかっ...みなさんも体にだけは気をつけましょうよね...
2006.04.29
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小さいころから結構からだを動かすのが好きだった私は、いつも 気がついたようにエクササイズを始めます。学校のころの 卓球(くっ暗い....)、バスケットボール、ソフトボール、バレーボール...働き始めてからは、いきなりそのときはやりのエアロビクスをいちはやくはじめ、毎週3回、渋谷のエクザスへ通っていました。思いっきり流行の最先端のレオタード(わあ~~~)を着てそこへ行き、友達と会うと、そのあと渋谷でご飯食べちゃったりして...何のためにエクササイズしたのかわからない状態だったりしました。だけどいいんです。半分流行に乗ってやっていたような感じですから...それからアメリカへやってきて、最初の一年は大学の寮生活。食事はカフェテリア方式の食事で、夕食は6時ごろまでには終わってしまいます。そうすると、夜の9時ぐらいにはおなかがすいてきて、そういうところには必ず悪い友達がいて、おなかすいているのならそのまま寝ればいいのにその夜9時過ぎに、 パンケーキや〔IHOP - 24時間営業)とか チャイニーズのテイクアウトに行こうと誘いがくるのです。そうでなければピザをたのもうといってエクストララージのピザをたのんじゃったりします。そして、一年もそんな生活をしていると...さて...どうなったでしょう???..ぶよ...ぶよ...洋服がきっ...きつい~~~~~そんな時うちのいまの旦那にめぐり合いました。彼は典型的アメリカ人。食べる量もすごいけど、週三回のジム通いは欠かしません。そんな彼に背中を押されてまたアメリカのジムに通い始めました。そのころ昼間は学校に行って、夜は日本食レストランでバイトをしていたので、結構時間はありました。毎日ジムに通っていると...おちるんですよ~~~体重が~~~キット若かったせいもあるんでしょう。だってまだ20代でしたから。けっこうやれば出る結果にはまってしまって...けっこうその時期はエクササイズ全盛期でしょう。エアロビクスのクラスや、ステップエアロビクスのクラスに出たり、トレッドミルで走ったり、そのうえ1時間以上もウェイトトレーニングを毎日するんですからやせないほうがおかしいでしょう。と...いっているまに私たちは結婚し、次の年には長男が生まれました。もうそれからはなにをやっても昔のように体重は落ちません。悲しいかな...といっているうちに次男も生んでしまって、私はますます太るばかり....自分では空気を吸っただけで太っているんじゃないかなんて思うほど、やせない~~~ここ2-3年、この40の声を聞いたあたりから、なんだか自分の体が急に年をとったような気がしています。もう走れない..昔のように...もう...あんなえ派手なエアロビクスの動きができない~~~やっぱりとしなのかしら~~~カリフォルニアの家の近くに人口の湖がありました。うちからそこまで歩いて一回りして帰ってくるとだいたい一時間ぐらいです。はまってしまいました。ウォーキング~~~!!!いまはこればかりです。カリフォルニアにいたときには週末、家族でその湖に行きます。わたしとだんなはひたすらウォーキング、そして長男はローラーブレードに乗り、次男はスクーターで一緒に湖の周りを何週かします。とにかく気持ちがいいイイ。走るとなんだか苦しくて苦しくて自分といつも戦っていなくてはいけないけれど、ウォーキングをは周りを見ながら、自分のペースで歩けます。太陽の光にあたりながら、あおい空を見上げながらウォーキングをしていると本当にしあわせな気分になります。ここコロラドに引っ越してきてからは、この近所にいわゆるトレールパスが網の目のようにあるのです。私としては嬉しい限りです。いま毎日そのトレールの探索に行っています(わたしの暇だよね...)そこは家といえのあいだに広いオープンスペースがあって、コンクリートで舗装された小道が続いています。そこで..モグラ...見ました。モグラって キィーキィーって泣くんですか??あと小さなきつねを見ました。”がらがら蛇に気をつけて”という看板を見てからは一人で行くのが怖くてうちの愛犬マックスを一緒につれて歩いています。すっごく気持ちいいです。ロッキー山脈はいまだに雪をかぶっていますがそれがとってもきれいなんです。このウォーキングは絶対お勧めです。運動靴さえあればどこでもできます。〔前の会社にいたときは、午前と午後の15分ずつ休憩時間には毎日同僚と会社の周りを歩いていました。)ジムなんかに行く必要ありません。どこでもできます。自分と戦わなくてすみます。高いレオタードも要りません。できれば誰か友達やパートナーとおしゃべりしながら歩くとよいと思います。ぜっていいいコミュニケーションの場にもなりますよ。私は個人的にはあきらめました。このウォーキングではきっとやせないけれど体には絶対いいからずっと続けようと思っています。絶対お勧めだから試してみて...
2006.04.27
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そうして イースターサンデーの前のGOOD FRIDAY, 義母がデンバー国際空港に到着しました。義母は 現在うちの旦那の元働いていた銀行で、トレイナーとして働いています。その関係上、ビジネストリップに行くこともしばしばあり、それでマイルをため、そのマイルをも使うべく、私らの引越しが決まったころにこの旅行のプランを立てました。そのため、私たちは最後の2日カリフォルニアを出るときに義母の家に泊まらせてもらいました。だって...全部パッキングしちゃったんだもの...そして私たちの旅立つ朝、”それじゃあね、ばいばい” の代わりに”じゃあ、2週間後、空港に迎えに行くからね、”といって別れることができたので、うちの旦那の私も義母も 涙ぼろぼろでさよならをいわずにすみました。次男坊と義母をピックアップして家に連れてきました。彼女は、私たちの新居をとても喜んでくれました。それから、旦那の帰ってくるまで、義母とコーヒーを飲みながら、語り合いました。私たちの近況と、それと旦那の悪口です..いえ...悪口ではありません。ちょっと彼女の意見を聞いてみているだけです。例えば.....旦那と私は次男坊のプレスクールの件で大喧嘩しました。私は次男坊を週に2-3回、プレレスクールに送ってあげたいと思っていました。長男は4時にならないと学校から帰ってきません。周りに子供達はたくさん住んでいますが、みんな学校だのプレスクールだのに行っていてやはり4時過ぎ出なくては帰ってきません。そのあいだ私と次男坊はうちにいて、私は掃除、洗濯、料理、買い物、荷物にかたず家などやることがたくさんあってなかなか次男坊にかまってあげられません。そうすると彼はゲームをしているか、テレビを見ているかになってしまいます。これは健康上よくありません。かといって、ひとりで外にも出してあげられません。次男坊も同じくらいの子こと遊んで、それにプラス、8月からの幼稚園に向けて今まで習ったことを忘れないでほしいのです。〔数字とかアルファベットと...)そのためにはプレスクールに週2-3日行かせて理想だと私は思ったのですが、それを家のケチな旦那に話すと..”君が働いていないで家にいるのに何でプレスクールに送らなきゃならないの??うちにはそんな予算はない!!!”だって...これは私が一瞬 ”切れる”までの大喧嘩に発展しました。私は情けなくてしょうがなかったのでした。なんでふつうのことが家の旦那には通用しないのか....言うまでもなく...彼は究極の ”けち!!”だからです。まあそれはさておいて、それを義母に話しました。彼女はやはり”その方がいいと思うわ...次男坊も同じ年の子供と接する機会がもっと必要だし、幼稚園の準備だと思わないとね..” やった~~~へへへ~~~ざっまーーみろ!!!けち親父!!!そして義母が何気なく旦那にはなしてくれることになりました。不思議なもので旦那は、私に言われると かあっー!!!となることも義母に言ってもらうと素直に聞くことが多いです。ははは....参ったか!!!それと家具のことも義母に事の次第を話し、彼女を連れて家具屋に行き、彼女は私らの二人の間に入って、私たちは念願のダイニングセットとリビングルームのソファーセットを買うことができました。これで立ってご飯食べなくてすむ~~~っ。そして私たちは彼女をつれて近所の観光案内、そして旦那のおごりで〔?! wow!!)デイナーを食べに行ったり、そして彼女は月曜日に帰っていきました。。空港に彼女をおろしに行ったとき、一緒に行ったうちの次男坊、大泣きでした。カリフォルニアを去るときにも泣いてなっかあの子が空港で大泣き、すすり泣き、しゃくりあげ泣きでした。そんな彼をみてちょっと涙ぐむわたしとを義母でした。またすぐ会えるよなんていっても、彼女はまた夏に来る予定を立てているみたいですがまだその予定もはっきりしていません。やはりコロラドとカリフォルニアは遠いな~~~だけど義母よ...ありがとう...たまにこうやって来てうちの旦那に説教してくださいな..
2006.04.25
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そしてコロラドについて2週間が経とうとしています。カリフォルニアを去るときに私らはかなりのものをガラージセールで売ったり友達にあげたり、GOODWELLに寄付したりして身軽にここまでやってきたつもりでしたが...子供達のたんすはないし、ご飯を食べるダイニングテーブルと椅子もないし、ファミリールームにはカウチもないし、 テレビはつながってないし、コンピューターはもちろんつながってないし、電話帳はないし....もうどうにかしてよってかんじです。ここの地域はデンバーの郊外なので、今まで使っていた AT & Xが使えません。ほかのコンピューターのプロバイダーを探しましたがDSLとなると使えるのはひとつの会社だけ。家の旦那はその会社とも値段が高いだの何だのともめて、10日以上インターネットが使えませんでした。それでもって電話帳もない私たちははっきり行って盲目状態です。電話番号は調べられない..地図は手にはいらない...散々でした。そんな最初の週、朝、次男坊の声で目が覚めました。”ダディー...マミー...雪だよ~~~~~~~~~”家の長男はカリフォルニアと日本で何回か雪を見たことがありますがア、次男坊にしてみれば本物の雪は今回が初めてでした。今回カリフォルニアからデンバーまで来ると中に山のあちらこちらに少しだけ雪が残っていたのを見て次男坊は何回私に”マミー、車を止めてよ~~~雪にさわりたいよ~~~”といったことか。青森生まれ、青森育ちの私にとっては雪は楽しいものではありません。次男坊に ”来年コロラドでいやというほど雪がみられるよ”となだめて走り続けました。それがこの日、外は一面の雪景色!!!私も久しぶりに見たわ~~~子供達は朝ご飯も食べないでジャケットと手袋をして外に飛び出して行きました。家の中から見ていると、 雪の中に仰向けに寝てエンジェルを作っていたり、その後は定番雪だるまを作っていました。旦那も手伝い、頭にはヘルメット、手には工事用グローブをつけて出来上がりです。それから雪は午後の1時くらいまでふり続き、約10CM積もりました。ところが...ところが....午後からは抜けるような青空で太陽も顔を出し、気温もあがってきました。と思っていたら、午後の5時くらいまでには 雪はすべて解け、道路も、裏庭も屋根の上も雪が降った形跡さえありません。これがコロラドの天候らしいです。いきなり凄い経験でした。それから1週間、毎日のように家具や回りです。何せ、まずは子供達のたんすとダイニングセットとカウチを買わないことには座る場所がない!!!!けれど私のほしい家具と旦那のほしい家具がぜんぜん違うのですよ。私は日本人標準サイズの163CM, 家の旦那、アメリカ人でも多きほうの195CM....私がほしい普通の家具では旦那には低すぎるのです。旦那は自分が普通ではないと思っていないので、自分のサイズに合わせて何でもそろえようとするので、私は何回”あんたのサイズに合わせたらみんな家具が高すぎるの!!!あんたは普通のサイズじゃないの!!!”それでも納得のいかない旦那...ああでもない~~こうでもない~と結局は決まらずに家具屋を出ること何十回!!!いい加減にしてよ!!そうして私たちは約10日間、台所のセンターアイランドを囲んでみんなで立ってご飯を食べる羽目になりました。とほほほ...だけどその週末〔先週末〕には旦那のお母さんがカリフォルニアからやってくるので、どうやって旦那のことをちくってお母さんに説教してもらおうかと考えあぐねる私でした。ふふふふ...
2006.04.19
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やっと コロラドに着きました。本当は 4月3日にカリフォルニアを出て、1日目は南カリフォルニアを出て、ラスベガスを抜けて、ユタ州の セントジョージで一泊です。だんながUHAULのでかいトラックを運転してそのトラック後ろには私の車をレッカーで引いて運転しました。だんあの助手席にはちょっと不安げな顔の我が家の愛犬マックスがナビゲーターで乗っています。私は二人のボーイズをだんあのトラックに乗せてはっきり行って遠足気分です。トイレ休憩といえばスナックを買い込み、ジュースも買って、子供達はそれぞれ自分の好きなおもちゃやCDを持ち込み音楽を聴いたり、ダンスしたりとそりゃあもうはっきりいってフィールドトリップです。そうでもなければ1日8時間も運転できません。2日目は、ユタ州を通り抜けやっとコロラド州のグランドジャンクションというところでまた1泊しました。この日はザイオン国立公園の近くを通っていてその景色といったらまさしくザイオンといった感じです。赤茶色の丘の続くとてつもなく雄大な景色はここはアメリカなのだと言うことを私はつくずくと実感させられました。3日目はグランドジャンクションを出て問題の標高3500m級の山々の中を縫って走る最後のドライブでした。その2-3日前からその日はその山越えは吹雪に見舞われるだろうという天気予報だったのですが、おかげさまで青空の広がる晴天の中のドライブとなりました。ただみんなから 高山病〔標高の高いところに行くと、空気が薄くなるため、人によっては呼吸困難とか、ひどい頭痛、嘔吐などを引き起こすことがあるそうです。)に注意したほうがいいといわれていたので子供達には十分な水分を取らせ、それとあまり走ったりジャンプしたりしないように言い聞かせました。そうして 午後2時ごろやっと新居に到着です。だんながあらかじめ頼んでおいた日雇いの手伝いの人たちが家の前で待っててくれました。それからすぐに荷物を家の中に運びました。二人の日雇いの人がほとんどやってくれたとはいえ私もだんなもぐったりです。その日は家中のダンボールに囲まれながらコロラドでの最初の夜を過ごしました。
2006.04.18
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日本ではもう4月1日ですが、ここアメリカでは今日は 3月31日でした。私はこの日で 6年4ヶ月勤めた会社を退職しました。水曜日はみんながランチに連れて行ってくれて、昨日は午後にケーキで 小さなさよならパーティーをしてくれました。この会社は某日系企業なので決算が今日...そう...3月31日だったので 昨日やってくれたのです。そこでみんなから私に関するエピソードが 続々と出てきて私も自分のことながらおなかを抱えて笑ってしまいました。その1、 アメリカ人は などなどなどなど....というフレーズかわりに BLAH BLAH BLAH....というフレーズを使いますが、そこはL とRの発音の区別のできない100%日本人の私....BRAH....BRAH....BRAH...BRAH...になってしまいます。それをみんなは キュート!!といいますが私にしてみれば どっちもおなじだろうがあ~~~~~という感じです。その2、私の中のよい友達が家を買いました。私は カードと気持ちだけですが小さいプレゼントを買いました。そのカードには 開くと ねじ(スクリュー)の絵が描いてあります。これはなんか家に関するカードだろう、だって ねじ(スクリュー)だもの と思ってそれを買ってその友達にあげました。後から友達は 私のところにやってきて、こう言いました。”アメリカではね..Hすることをスクリューであらわすことがあるのよ...このカードはね...本当はガールフレンドからボーイフレンドあげるカードで H しない???という意味なんだけど...あなたまさか私とHしたいわけじゃないでしょ???””だってそんなこと知らなかったんだもん~~~あんたと Hしたいわけないでしょ~~~私ら爆笑!!!そんなエピソードが次々と出てきて...参りました。どうしてこういうことに関してはみんな記憶力がいいのかしらん~~~そして今日は朝から私の超大きなキューブの掃除をしていました。よくもまあこんなに溜め込んだこと...と思うぐらい写真から、食べ物から、会社からのロゴの入ったコーヒーカップだとかクリスマスにもらったサンタの人形だとか...大きな箱で3つありました。長男も今日で今行っている小学校とお別れでした。彼の希望で昨日の夜にスーパーへ行ってブラウニーとクッキーを買ってきて今日の朝に持たせてあげました。本当は、手作りのカップケーキでもと思ったのですが私の家はいま大変な状態になっているので出来合いのもので我慢してもらいました。彼は彼なりにやはり悲しかったようです。そりゃあそうですよね。今まで幼稚園のころから一緒だった何人もの友達と別れなければいけないんだから...それは私も同じでした。ひとりひとりとハグをしてさよならしました。私は本当に仕事だからいいときもあるし、よくないときも会ったけれども、この多くの友達達が支えてくれたからやってこれたのだと信じています。私は今日なんだか定年退職したような感じでした。というか、私の人生にある区切りをつけたという気分です。明日は一日パッキングをして、日曜日はトラックに積んで、月曜日にはコロラドへ向けて出発します。次の日記はコロラドからですね...
2006.04.01
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