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昨日から都内で絵のグループ展が始まりました。私にとっては今回が初出展です。自分の好きな詩に絵を添えるという企画展。詩の雰囲気を壊さないように、絵が主張しないようにと、気をつけて描くのはとても難しい。結局すべてを間に合わせることができず、今日また追加で会場に持っていきます。描くことは楽しいけど、自分の絵を飾って人に見せるのは恥ずかしい。それでも私は少しずつでも前に進みたいから。幼い頃からずっと探しつづけていたものがようやく見つかりました。どんなに探していても見つけることができずにいて、もうあきらめようとしていた私にとって、これは本当に奇跡です。奇跡的に見つけることができた探しもの、ずっと欲しくて欲しくてしかたのなかったもの、私にとってこれ以上ないほど大切なもの・・・それはこんなに近くにあるのに、こんなに遠い。手を伸ばせばすぐ届きそうなのに、それは宇宙のかなたのはるか向こうよりももっともっと遠くて、どんなに手を伸ばしてもどうしても届かない。いっそのこと見つからないままのほうがよかったのかもしれない。
2010年07月26日
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早く描かないと間に合わない。今日こそは仕上げなくちゃ、今日こそは、今日こそは・・。「急がば回れ」「急いては事を仕損じる」都合のいい言葉だなあ。でももうそんなことは言ってられない。タイムリミットはすぐそこに。描くのは大好きだ。それなのに描けないでいる私。なぜ?
2010年07月16日
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昨日は七夕の日。そして2010年7月7日は私にとっての記念日となった。最初の記念日。最後の記念日。今日も笑顔の私です。
2010年07月08日
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梅雨だというのに真夏のような暑さ。私は早くも少々バテ気味です。夏は父の命日。私には父との思い出がほとんどありません。ガンを宣告されて一ヶ月足らずで逝ってしまった父。私にとってはただ怖い存在でおわってしまった。今もまだ生きていれば、どんなだっただろうか。命日やお盆には一人で父のお墓参りをする。生前できなかった親子の会話をするのだ。父はどこかから私を見ているだろうか。私の質問に何と答えているのだろうか。いろいろなことを想像してみる。いくら想像してもやはりわからない。娘にとって"お父さん"とはどのようなものなのか。今年ももうすぐ命日がやってくる。そして私はまた一人父のところに向かうだろう。競い合うように鳴くセミの声とじりじり照りつける真夏の陽射しの中、ただ小さな花束を持って。
2010年07月06日
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どんよりとした梅雨空のせいか、あまりにも切なく悲しいお話に私の心は苦しくなり、思い切り泣いてしまったのであった。ただのお話なのに・・。でも忘れられないお話。私はやはり涙もろいのだ。
2010年07月04日
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今日から7月。図書館にも大きな笹が飾られた。去年の七夕からもう一年が経ったのだと思うと、月日の流れは何と速いのでしょう。人はなぜ、故意にあるいは無意識のうちにも誰かを傷つけてしまうのだろう。喜ぶ人の裏には悲しむ人がいる。幸せを噛み締めている人の裏には悲嘆に暮れている人がいる。勝者の裏には敗者がいる。学生の頃、卒論のテーマに、アメリカの作家である"ナサニエル・ホーソーン"の研究を選んだ。彼は「人は誰しも生まれながらにして罪を背負っている」という考えを持っている。いわゆる"原罪"というものだ。学生の頃の私はなぜかそのようなことに興味を持っていた。暗いと言われたことはなかったけど、きっとどこか暗い素質があったのでしょう(笑)。だれも悲しむことのないように、だれも不幸にならないように、勝ったとか負けたとかそんなものがないように、どの人の一生も満たされた穏やかなものであればいいのに。梅雨の夜空を見上げると、灰色の雨雲が浮かんでいるかと思えばその横に明るい星が煌いていて、月にはうっすらと雲がかかり幻想的なおぼろ月をなしている。そんな芸術的な夜空をしばらく眺めていると、いつのまにか心が慰められるのです。
2010年07月01日
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