全10件 (10件中 1-10件目)
1
今日は今年最後の日。昨日は一番最後となった"仕事部屋"(ん?一体なんのお部屋でしょうね(笑))を丁寧に丁寧に掃除して、これでいよいよ今年も終わりだなあと感慨にふけっていた私。さて、そろそろ年賀状に取りかかりましょうか・・。ふと時計を見ると夜9時を回っている。なぜか急に眠気が。しばらく作業を進めていた私の頭に、ふとある考えがよぎりました。"そういえば、夜は手紙を書かないほうがいいっていうよね、年賀状もきっと同じよね"事の真相はともかくとして、すべては明日に託すことに。・・というわけで、今日は一日年賀状を書きます。今年お世話になった方ひとりひとりを思い浮かべながら、一枚、また一枚・・。そう思うと、一年の締めくくりである365日目に年賀状を書くってなんだかとても素敵なことではありませんか。今年は"濃い"一年だったなあ・・。新たに出会った人もたくさん、初めての経験もたくさん、今まで知らなかった世界に触れて刺激を受け、今の自分の身の丈を思い知らされ、それでも自分らしさを失わないことの大切さを学び、良いこともそうでないこともきっとプラスになったであろうと思えた一年。来年はさらに自分自身の内面を見つめながら何かに惑わされることなく直感を信じて、自分が本当にやりたい方向を目指して、目に見えない一歩だとしても信念を持って前に踏み出して行きたい。私の意味不明のブログを読んでくださった皆様、そしてさらにコメントまでくださった皆様、ありがとうございました。どうぞお元気でよいお年をお迎えください。また来年お会いいたしましょう。マルガリータ(^-^)/
2010年12月31日
コメント(2)
今年も残すところ、あと2日。その日の気分によってお掃除したり本を読んだり、ふと思い立っては外の空気を吸いに出たり。年賀状もまだ書いていないのに、なぜか焦らない私。マイペースにもほどがあると言われそうですね。"人生の四季"とは、よく耳にする言葉ですが、1年は人の一生に似ているなあと私は思います。人の一生を、その長い短いにかかわらず、ギュッと凝縮して1年に置き換えられそうに。1月は生まれたての赤ちゃん。ゆっくりゆっくりと時が流れます。春が近づくにつれて、木々や草花が少しずつ芽を出しながら外の寒さや温かさを知るように、人もまた、世の中の厳しさや温かさ、楽しいことや辛いことを少しずつ経験しながら成長してゆくのです。夏はさんさんと降り注ぐまぶしい太陽のように、人の人生の最も力強く輝いている時かもしれません。エネルギッシュで、まるで怖いものは何もないかのように、前を向いてひたすら走り続けます。でも次第に落ち着きを取り戻し、秋には空が蒼く高く澄み渡るように、また、木々の葉が赤や黄金色に姿を変えてしっとりとした美しさを醸し出すように、人もまた、人生の様々な経験を経て時にはそれまでの自分を振り返り、嬉しいこと悲しいこと楽しいこと辛いことなど様々な想いを辿りながら、意のままになることなど滅多にないのだということを悟り、だからこそ、人としての厚みが一層増し、自分のためだけでなく誰かのために生きたいと望むようにもなり、本当の意味で優しさの備わった最も魅力的な時期を過ごすのでしょう。冬。12月の声を聞くと、もう今年も終わりか、早かったなあ・・などと街じゅうがせわしくなります。やり残したことはないか、年が暮れてしまう前にこれだけはやっておきたい、そんなことが山積みとなって人々は走り回るのです。人は死期が近づくと、もしかするとそんなふうにやり残したことはないか、生きているうちにこれだけはやっておきたい、などと思うものかもしれません。それでもいよいよ大晦日という段になると、もうこんなものでいいか・・と諦めにも似たような気持ちになります。冬には木々がその葉をすっかり落として、新たに生まれてくる命のための栄養素となるように、人もおそらく、後に続く新しい命に想いを託すのでしょう。"生きた"ことではなく"生かされた"ことに感謝しながら。
2010年12月29日
コメント(2)
Father and Daughter 、そして・・富士山。私の最近の出来事。Father and Daughter という短編アニメーションの動画。どうして私にこの動画を送ってくれたのだろう。何度観ても涙が溢れてくる。Father and Daughter ... 父と娘。富士山を見た。よく晴れた空気の綺麗な冬の日の夕暮れ。山。すっと伸びた木々。沢の冷たい水。忘れられない思い出。
2010年12月22日
コメント(8)
昨日ちょっとばかり不思議なことがあった。ネット上で起きた不思議なこと。これまで似たようなことは幾度かあったけど、それらとは何かが違うような気がする。偶然かな?いったい何だろう?気のせい?んー、誰にもうまく説明できない、自分にしかわからないこと。今の私の頭の中はこんな感じ。「?????????????????」神様からのちょっとしたプレゼントかな?眠れなくなるから、もう考えないようにしようっと。
2010年12月16日
コメント(8)
好きな言葉はいろいろある。静かな部屋の中で今思うのはこんな言葉。「どこで、どういう風に一緒になったものが、どこの追分でどういう風に別れるという、その逢い別れの姿を考えて、私はいつも、ある深い悲しみに打たれる。」 久保田万太郎『わかるるとき』「人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人にはわからない。」 モームこの永い永い時間の流れの中で、人間の一生などまばたきほどの瞬間だ。その瞬間に、同じ時代に生まれて出会うということは、不思議な縁があるとしか思えない。そして、その人との出会いは、悲しみや切ない思いをもたらすこともあるだろうけれど、それよりもたくさんの喜びや感動をもたらすに違いない。奇跡的に出会った人とのかかわり。そのかかわりにしりごみしていると自分の気持ちは伝わらないし、相手の思いを受け取ることもできない。相手の心に届くボール、相手がしっかり受け止められるボール、強すぎないか?ゆるすぎないか?それてしまうのではないかな?いろいろ考える、私自身の心の中で・・・。
2010年12月13日
コメント(8)
人生の大先輩である方にお会いした。私のこれまでの人生の倍くらい生きてこられた方だ。彼女の言葉はいつも厳しさを含んでいるけれども、厳しさの中に本当の思いやりが感じられる。"女性の品格"という本があるけれど、「品格とは思いやりのことです。」と学生時代の恩師がおっしゃっていた。まさにその通り、彼女は思いやりのある、真の品格のある方だと思う。高そうな服を着ているわけでもなければ上品そうに気取っているわけでもない。"品格"の意味をはき違えることなく、彼女のように私も本当の意味での品格のある女性になりたいと思う。私は彼女を前にすると思わず目頭が熱くなるほど素直な気持ちになれる。もの静かで口数の少ない方だけれども、これまでの人生を独りで生きてこられた強さを秘めている。私は彼女にいつも何等かの答えを求めてしまうけれど、決してアドバイスめいたことはおっしゃらない。でも同じ女性としての彼女の言葉のひとつひとつに私は考えさせられ、自分の人生を生きるためのヒントをいただくのだ。「昨日の自分を振り返ってくよくよしたり明日のことを思い煩って過ごすのではなく、とにかく"今"を一生懸命生きるのです。こうしている間にも時は流れ、未来は"今"という時の連続なのですから。」ありきたりな言葉かもしれないけれど、彼女のこの言葉が私は大好きだ。私は子供の頃にも学生の頃にもどんな過去にも戻りたいとは思わない。これまでの人生の中で今が一番しあわせだと思える。決して平穏な日々ではないかもしれないけれど、今自分が置かれている環境にも人生の大先輩である彼女にもそして縁あって接してくださっている周囲の方々にも、とにかく感謝したい気持ちでいっぱい。そんな風に思える今の自分が好きだなあと思う。
2010年12月09日
コメント(8)
岡本太郎の『壁を破る言葉』という本を教えていただいた。言葉のひとつひとつが胸に突き刺さってきた。芸術についてだけでなく、人生の生きる術まで示してくれるような言葉が書かれている。『~の言葉』とか、私は本来この類の本にはあまり感動しない方なのだけど、これは違っていた。これまで私は岡本太郎という人について、何も知らなかった。"知らない"というのは何ともったいないことだろう。知る機会を与えてくださったことに感謝します。
2010年12月06日
コメント(4)
職場の休憩スペースのテーブルには常にお菓子があります。皆さん何処かに行かれるたびに職場にお土産を買ってきてくれるのです。国内は北から南まで、海外はアジア、欧米各国・・・私と違ってグルメな方々ばかりなので、珍しくて美味しいお菓子ばかり。一年ほど前のことでしたが、私も横浜・元町に行った際、お気に入りのお菓子を皆さんに買ってきました。お昼休み、そのお菓子を食後に皆さんで食べました。「おいしい!」と言ってくださって、それはそれは好評だったのです。で、休憩時間が終わりそれぞれ仕事に戻りました。しばらくするとあちこちから何やらつぶやきが。「今日はなんだか暑いわねぇ・・」とか、「ちょっとめまいがする」とか、そんな声がちらほら。手で一生懸命扇ぎながら仕事している人もいれば、真っ赤な顔をしてだるそうにしている人も。どうやら、さっき食べたあれが原因では?・・と、私が持参したおみやげのお菓子に白羽の矢が立ったのです。あー、やっぱりまずかったかな~と一瞬後ろめたさを感じた私。それは、ラムボールといって、ラム酒の入った直径5センチほどの丸いチョコケーキ。その時に限ってラム酒がいつもより多めに入っていた感じが。私は元町に行くとたまに買ってくるのですが、さすがに仕事の合間に食べるお菓子ではなかったかなあ・・。「ラムボール、美味しかったよね~」と今でもたまに言われながら、ちょっと伝説になってしまったエピソードです。
2010年12月04日
コメント(4)
人はみな孤独です。孤独だと感じている人も、それに気づいていない人も、みな同じように孤独です。人はみな自分勝手です。自己中心的な生き物です。それは当たり前のことであって悪いことではありません。ただ、だからお互い孤独なのです。神様はどうしてこんなに孤独な生き物を創ったのでしょう。私は孤独であることが時々無性に怖くなります。誰といても何処にいても孤独から逃れることはできません。息がつまりそうになるくらい怖くなります。でも孤独だらかこそ何も期待しないからこそ思いがけず人の温かさに出会うと、飛び切りの喜びを感じるのでしょう。人が孤独であることは、そんなふうに何か意味のあることなのかもしれません。
2010年12月03日
コメント(6)
フジコ・ヘミングのコンサートに行った。特にクラシックファンというわけではないけれど、フジコ・ヘミングのリストの演奏だけは格別だと思う。中でも彼女の弾く『ラ・カンパネラ』は最高だ。そこにはこれまでの彼女の生きてきた想い・・喜び、悲しみ、嬉しさ、寂しさ、怒り、絶望、希望の光・・そんなものすべてが込められている。自分の人生を生きることが苦しくてどうしようもなくなり、絶望が最高潮に達して、"もうラクになりたい、これで幕を閉じてもいいかな・・"と異国の土地で思っていた頃があった。そんなときにたまたまフジコ・ヘミングの演奏に出会ったのだ。舞台に現れた一風変わったスタイルの彼女を初めて見たとき、こんなピアニストもいるんだなあなどと冷めた想いで私は客席に座っていた。ショパン、ドビッシーなどの演奏のあとに『ラ・カンパネラ』が始まった。初めてフジコ・ヘミングという人のカンパネラを聴いたそのときの気持ちは今でも忘れられない。自分が今どこにいるのかもわからなくなるほど自分の中の何かがこみ上げてきて、涙がボロボロとこぼれ落ちた。力強く美しい鐘の音がこれでもかというほど響いていて、そのときの私の行き場のない感情を受け止めてくれたのだ。「こわれた鐘の音が響いていたっていいじゃない。」そう語る彼女の言葉どおり、素人の私が聴いていてもわかるほど彼女のカンパネラは外れていたけれど、そんなことどうだっていいと思えた。大切なのは、上手いかどうかではなく心に響いてくるかどうかなのだ。今回久しぶりに聴きに行った彼女のカンパネラ。目をつぶって聴いていると、その頃の想いもよみがえってきた。フジコ・ヘミングの『ラ・カンパネラ』、私を救ってくれた大切な曲。自分にとって大切な人がもしも何かで悩み苦しんでいるとしたら、この鐘の音を聴かせてあげたい。フジコさんの奏でる壊れたように力強く美しい鐘の音が、きっと迷いも不安も苦しみも悲しみも和らげてくれるだろうと思うから。何もできないちっぽけな私の代わりに・・。
2010年12月02日
コメント(2)
全10件 (10件中 1-10件目)
1

