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昨日の私は、これまでの私とは何かが違うと思った。それは私にとってとてもいい意味で、すごく新鮮で、すごくすがすがしくて、周りの温かさや素晴らしいところをすごく感じることができて、これまで気付かたかった素敵な何かを発見することができて、うまく説明できないけど、なんだかわからないけど、とにかくすごく幸せな気持ちになった。よくわからないけど、いいなと思った。私の中では何も変わってはいないのかもしれないけど、もしかするとそれはよい形に変化しつつあるのかもしれない。そしてそれは決して自分の力だけではない。今、感謝したい気持ちでいっぱいです。今日の私、これからの私も、さらによい方に向かいますように。
2010年11月29日
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なぜか急にファンタグレープが飲みたくなってお財布片手に近くの自動販売機に買いに行こうとした。家を出たとたんに「石焼きいも~~~」と歌いながらゆっくりと走っている車に出会い、気が付いたら手を挙げて「おいもくださーい」と言ってる私。ファンタを買いに出て、おいもの声をきいて、条件反射で手を挙げていた自分の不可解な行動に自分で驚く。焼きいもなんて、もう久しく口にしていない。トラックの中で焼けているおいもを見てなんだかすごく懐かしい気持ちになった。「大きいのは400円、小さいのは350円。」50円しか変わらないけど、大きいのは食べられないかなあと思い、「じゃあ、小さいのひとつください。」と言うと、「いいよ、これ350円で。」そう言いながら大きなおいもを紙袋に包んでくれたおじさん。手渡された焼きいもはほっかほっかだったけど、そのおじさんの笑顔もほっかほっかで温かかった。うれしくなって家に入ろうとしたけど、あれ?私何か忘れてる??そうそう、ファンタを買わなくちゃね。「石焼きいも~~~」の声がゆっくりゆっくり遠くなっていく。焼きいものおじさんがゆっくりと冬を連れて来たのでした。
2010年11月26日
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秋に入ってから年末にかけてのこのシーズン、ギャラリーではアートの個展、グループ展が目白押しです。昨日もある絵本作家さんの個展に行ってきました。個展ではその作家さんの滅多に見られない作品などが展示されることもあるので、新たな発見があったりします。それにしても、個展の準備って大変なんだろうなあ。伺う側は気楽に楽しめるけれど、開催する本人は会期初日まで大変な準備に追われ、会期中もずっと気遣いと緊張の連続なのでしょう。そう思うと、壁面に飾られた作品の一つ一つを丁寧に見させていただこうという気持ちになります。私も、描いて描いて、自分らしい絵を見つけて、いつか堂々とギャラリーに展示できる日がきますように・・。
2010年11月23日
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作家の佐野洋子さんが亡くなった。絵本『100万回生きた猫』の作者だ。私は佐野洋子さんという人についてよく知っているわけではないから、特別好きでも、特別嫌いでもない。ただ、『100万回生きた猫』はやはり最高の傑作だと思う。生きるとは?愛するとは?幸せとは?そんな壮大なテーマに基づきながら、この絵本は決して媚びることなく、私たち読者に多大な感動をもたらしてくれる。彼女は自分の余命を知ってから、最高に楽しい毎日を過ごしてやろうとあちこちの誌面で語ってきた。一見なんと勇ましく強く明るい人なのだろうと思う。でも、病と闘いながら彼女が遺した晩年のエッセイからは、彼女の心の悲痛な叫びが聞こえてくるような気がする。人は皆、弱い生き物だ。彼女もきっと例外ではなかったと私は思う。例えば自分の命があと2年とわかったとき、残された時間をどのように過ごすだろうか・・。彼女の死をきっかけに、そんな話題を最近よく耳にする。ある人は、海外旅行などして自分のために時間を使うと言い、ある人は、仕事を辞めて自由になると言う。私だったら?・・私だったらどうする?私はだったらきっと自分のためではなく、少しでも人のためになる何かをしていたい。最期のその瞬間まで。綺麗ごとのように聞こえるかもしれないけれど、私だったらきっとそう望むだろうと思う。人の命はいつ尽きるかわからない。2年どころか、それはもしかすると明日かもしれない。死について考えることは、生について考えることだ。どのように生きるか、何のために生きるのか。私はこれまでの人生の中でいつもそれについて考え、自分自身に問い続けてきた。そして今の私はこう思う。人として奇跡的にもこの世に生を受けた私の心が満たされるのは、他者のために生きていると実感できた時ではないだろうか。佐野洋子さんは自らの生き方を示すことによって、人々に"生と死"について考えるきっかけを与えてくれた。そういう意味では、彼女は他者のために生きることができたのかもしれない。
2010年11月21日
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6月に応募した絵本の文章のコンペ、今か今かと首を長くして結果を待っていましたが、先日ようやく結果通知が届き、落選。結果を待っていたといっても入選を期待していたわけではないけれど、やはり落選の文字を見るとさすがに気落ちする。絵も全然だけど文章もダメだなあとしょんぼり。そして先日ちょっとした童話を書いてみたのだけれど、こちらも訳あって諦めなくてはならないことに。そんなこんなで、気力も低迷気味。でもこれくらいのことで負けていてはやっていけません。落ち込むことはあっても気持ちを切り替えてがんばろう。励ましの言葉をくださる方に感謝しながら。簡単に手に入るものは、きっと失うのも簡単。努力してようやく手に入れたものこそ一生の価値があるのですよね、きっと。いろいろと楽しみながら目標に向かってがんばります。
2010年11月18日
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先日、念願の自転車を購入した。自転車通勤をしたいと以前から思っていたのだ。職場までは交通の便があまりよくなく、バス2台を乗り継ぐか、バスと電車の組み合わせで通わなくてはなない。いっそのこと自転車のほうがラクかも・・と思いついた。自転車に乗るのは本当に久しぶり。小学校6年生の頃以来だから、久しぶりなんていうものではない。忘れもしない、小6のある日曜日。どこかに行くために私は自転車で家を出た。しばらく走って細い道路から出た瞬間、左から飛ばして来た車に撥ねられたのだ。身体もまだ小さかった私は、思い切り飛ばされたけれど幸いにも擦り傷程度で済んだ。その代わり、乗っていた自転車はガタガタ。私の身代わりになってくれたのだ。それ以来、なぜか自転車に乗る機会がなかった。長い空白時間にもかかわらず、乗れたことに感激。子どもの頃に身につけたことってちゃんと覚えているものなのだなあ。秋の朝の冷たい空気の中、緑の香る風をきって職場へ向かう。緑の多い場所を選びながら今まで通ったことのない道を走ると、真新しい色んな風景が目に飛び込んでくる。時計を気にしながら所々で停まっては携帯を取り出して写真を撮ってみる。携帯だから情けないような写真ばかりだけれど、あれもこれも撮りたくなる。なんて新鮮なのだろう。自転車のおかげで、身の回りの自然がグンと身近になった気がする。自転車ライフ、最高です。
2010年11月15日
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神奈川県近代美術館葉山に古賀春江展を観に行った。この美術館はJR逗子駅からバスで15分くらい行ったところの海岸沿いにある。素晴らしい作品の数々を観て回り、最後のお部屋から出口を出ると目の前には海が広がっていた。ちょうどサンセットの頃だった。ほどよく浮かんだ雲が夕日で赤く染まり、真っ赤な太陽がみるみるうちに水平線に沈んでいく。幻想的で息を呑むほどの美しさ。私はしばらくの間その場に佇んでいた。その日の朝、ちょうどYouTubeで海の様子を見たところだった。中国の船と日本の巡視船が衝突した瞬間をとらえた話題の動画だ。領土問題を巡って国と国が争っている海、夕日に赤く染まりながら穏やかに一日を終えようとしている海、どちらも同じ海なのだ。いったい人間というものは、どこまで愚かな動物なのだろう。この大自然を前にして、いつまで争いの歴史を繰り返すのだろう。美しい夕日を見ながら、ふとそんなことを思ったりした。もうほとんど太陽が水平線に隠れて見えなくなる頃、我に返って慌てて携帯を取り出した。とても携帯カメラなどで撮れるような光景ではなかったけれど、この美しさを少しでも誰かに伝えたいと、とっさに思った。美しいと感じた瞬間を自分の中の切ないほどのときめきを誰かに伝えたくて。太陽がすっかり沈んでしまったあと、自然と涙が頬を伝ってきた。寂しいからではなく、悲しいからでもなく、 なぜなのか自分でもわからなかった。とにかく、たまたま美術館に絵を観に訪れた私に、自然は素晴らしい感動を与えてくれたのだ。
2010年11月07日
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友人に誘われて、初めて宝塚歌劇を観に行った。演目は『ジプシー男爵』。なぜ今、宝塚なのか・・?と思ったけれど、とにかく一度は観てみないとといった妙な好奇心のようなものに後押しされて東京宝塚劇場に向かった。劇場に着くと、お年を召したおばさまたちでいっぱい。どうしておばさまたちばかりなのだろう・・?初めての感想としては・・なかなか面白かった。でもやはり特殊で異様な世界。男役の女優さんたちがそれは凛々しくて、まるで少女マンガに登場してくる王子さまみたい。見ているとだんだん本当の男性のような錯覚に陥る。しかも現実には絶対に有り得ないような美しくロマンティックな。宝塚のテーマは、昔も今も変わらず"愛"と"恋"なのだと思う。とにかく「命をかけて君を愛する」というセリフが多い。日常生活では絶対に言わないようなセリフ。女性の私としては、もしそんなセリフを言われたら、びっくりして戸惑いながらもきっと嬉しいだろうとは思うけれど。私は思いました。ここに来ているおばさまたちは、お姫さまと王子さまに憧れる少女のような気持ちをきっといつまでも持っていて、現実には有り得ないようなロマンティックな夢の世界に浸りたいのではないかと。私の宝塚は・・きっと、これが最初で最後だと思います。
2010年11月02日
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台風がようやく去った。もう11月だというのに、こんな季節はずれにやってくるなんて。この異常気象はこれからますます加速するのだろうか。ニューヨークにいた頃の秋は素晴らしかった。ニューヨークにも日本のような四季があり、8月の終わりには早くも秋風が吹いて11月のThanks giving dayあたりまでの少し長めの秋が始まるのだ。私は郊外の小さな家に住んでいたのだが、自然に囲まれた毎日は本当に満たされていた。たくさんの木々の間に家が点在していて、庭には小さなリスが遊んでいた。家と家との境界が有って無いようなものだから、どこまで行っても自分の庭が続いているようであり、ちょっとした森の中に住んでいるようだった。秋になると一気に冷え込んで、あちこちの木々から葉が舞い落ちる。木の葉は赤や黄色に色付き、地面は黄金色の落ち葉でいっぱいになる。10月に入るとどの家でもハロウィンの準備が始まり、かぼちゃおばけの顔が描かれた大きなオレンジ色の袋に落ち葉を入れて庭先に飾る。10月最終日には、あちこちの子どもたちが仮装して「Trick or treat !」と言いながらお菓子をもらいに家々をまわる。お菓子ばかりではつまらないなと考えた私は、家の戸をノックしてやってきた子どもたちにバナナを一本ずつ折りながら渡した。そのときの子どもたちの驚いたような嬉しそうな顔は今でも忘れられない。そしてもうひとつ、忘れられない秋の音がある。あたり一面の落ち葉を吹いてかき集める機械の音だ。家々の庭や歩道にたまる落ち葉はとても人が箒で掃いて集められるような量ではないので、ガーデナー(庭師)が大きな機械を使って処理する。そのときの「ブーーーン」という音が毎日あちらこちらから、それこそ朝から晩まで遠く響き渡っていて、それが妙に哀愁を帯びている。その音は今でも耳に残っていて、思い出すたびに胸が締め付けられるような郷愁にかられるのだ。秋は私が最も愛する季節。もちろん、日本の秋も大好きだ。でも私はまだ日本の大自然の秋をちゃんと見たことがない。コマーシャルや旅行のパンフレットなどで山々や木々の紅葉の様子を目にするだけだ。今月こそはどこかで秋の深まりを感じることができるだろうか。
2010年11月01日
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