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メールって、便利なコミュニケーション・ツールではあるけれど、one way ticketのように寂しく不安なものだなあと思う。人とはやはり会って顔を見てお話しするのが一番だなあ。さもなければ、せめて電話で声のトーンを聴きながら話したいものだなあ。こんなふうに感じているのは私だけだろうか・・?今日も満員電車の車内では、人々が黙々と、それぞれの携帯と睨めっこしながらパチパチ文字を打っていた。まるで何かに憑りつかれたように・・。
2011年04月23日
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サン=テグジュペリの『星の王子さま』が大好きです。文庫、ハード、絵本・・とすべて持っていますが、少し前に新潮文庫から河野万里子さんによる新訳が出ました。読んでみると、旧訳よりもわかりやすい!旧訳ではよくわからなかったという方には是非おすすめです。心が疲れているとき、『星の王子さま』が無性に読みたくなります。「たいせつなものは目には見えない」というなんとステキなキツネの言葉、ところどころにある優しい挿絵にも心が安らぎます。子供だけでなく、大人にも読んでもらいたい深いお話。きっと大切なことに気付かされるでしょう。
2011年04月21日
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今回の大災害では、たくさんの子供たちが親を失くして震災孤児となった。メディアでそのような子供たちの様子が時折報道されているが、そこに泣いたり悲しんだりしている姿はない。むしろ達観したように笑顔で元気に過ごしている子供たち。私は孤児となったそのような子供たちの様子を見るたびに、胸が痛くなる。人は、乳児期から青年期までの各成長段階を追って人間形成が成されると言われている。乳児期にはその時期の人間形成が、幼児期にはその時期の人間形成が成され、最終的に青年期での人間形成が成されて、その人の人格が形成される。そのすべてが順調に満たされて初めて一つのアイデンティティーが確立されるのだ。しかし、その各段階において、そこで必要なものが満たされないとその段階での人間形成に欠落が生じ、後遺症が残ってしまうと言われている。例えば、乳児期に親から虐待を受けた子供は、後に人間不信になると聞く。今回の災害で親を失くした子供たち。今は平気で過ごしているように見えるけど、私にはその笑顔の下から悲痛な叫び声が聞こえる。子供たちは、無言のSOSを発信しているのだ。そんな子供たちを救う手立ては一体あるのだろうか。
2011年04月18日
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こんな詩がある。一杯のジュース 生まれつきの小児麻痺の子どもを初めて飛行機に乗せた生涯寝たきりだった子ども仙台発大阪行き日航812便67歳の私は妻と二人で東北旅行を終えて帰路につく機中の人小児麻痺の子どもは昨年40歳でなくなってだから、写真が飛行機に乗った生涯寝たきりだった子ども初めての飛行機旅行あっ、富士山!霊峰富士が雲海から頭を出していた40年の生涯を寝たきりで過ごしこの美しい富士のお山を見ることもかなわず昨年、遠くへ旅立ったわが子さぁ、見てごらん 富士山がきれいだよ写真を窓際に置いた客室乗務員の女性が飲み物を配っていた私の席のところへ来ると「お写真の方にもどうぞ」と一杯のジュースが差し出された一杯のジュース「お写真の方にもどうぞ」美しい富士山とわが子よ40年の生涯を寝たきりで過ごしたお前のための・・・短い生涯を一生懸命に生き抜いた一つの命。年老いた夫婦のわが子への永遠の愛。そして、一人の客室乗務員の真の優しさに心を打たれる。こんな女性に私もなりたい・・。
2011年04月16日
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原発事故の評価がレベル7となりました。過去のチェルノブイリ事故についてのこんな動画が。http://www.youtube.com/watch?v=PHeq8TfSRBM&feature=relmfuこのようなメディアからの情報をどのように受け止めるかは人それぞれですが、今回の震災事故によって、価値観についてあらためて考えさせられた人も多いのではないでしょうか。仕事の関係もあり、震災直後から被災地に出向いている友人がいます。その友人から想像を絶するほどの現状の悲惨さを聞くと、本当に胸が痛みます。被災者の方々はこれからが本当に大変、数人で現地に向かっているけれど女性の手も必要、一日二日だけでも構わないから一緒に行かないか・・と友人から。友人同様、たとえ微力でも自分にできることをしたい気持ちでいっぱいの今の私だけど、でも・・。今夜は澄んだ空にお月さまが煌々と照っています。被災地の方々もこの明るいお月さまを見ているでしょうか。
2011年04月14日
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宇宙を旅してきた。宇宙と言っても私の中の宇宙。地球時間では10日間、でも宇宙時間ではほんの60分くらいかな。たくさんの星のかけらが行ったり来たり。当てもなく彷徨う私。暗闇の中に思いがけず差し込むひとすじの光。その光を掴もうと手を伸ばしてみたけれど、掴めたのかどうかは自分でもわからない。気が付くと私はまたもとの日常の中にいる。あちらこちらの桜が見事な花を咲かせている。まだ硬い蕾しか付けていなかったのに、私が立ち止まっている間にも桜はいつの間にか着実に準備を進めてその最も美しい姿をこれでもかというほど見せつけてくれた。何があっても季節がくると桜は咲くんだなあ。それにしても桜って不思議な花だといつも思う。葉っぱもないのに、あんなに硬い枝からあんなに柔らかく優しい花が無数に咲くのだから。「桜の木の下」って実は本当なのではないかなあなどと思う。自然はなんと神秘的で偉大なのだろう。人間の悩みなんて本当にちっぽけなのだなあ。
2011年04月12日
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