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寂しい。さびしい。サビシイ。どうしても、やはり、一向に、相変わらず、逃れることができません。私の心の中に棲みついて、出て行ってくれないのです。一体私はこのお方とどのように付き合って行けばよいのか、依然としてわからないのです。サビシイ・・。なんて冷たい響きなのでしょう。なんて儚い言葉なのでしょう。どうか皆様、誠に勝手ですが、コメントはなさらないでください。せっかくいただいても返す言葉が見つからないのです。ただの愚かなつぶやきとしてこのまま閉じてください。
2011年06月29日
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イラスト関係のイベントでたまたま知り合った人たちとの飲み会。こんな機会でもなければ知り合えなかったであろう人たちと、こんな風にお酒を飲みながら会話していることがとても不思議に思える夜だった。同じテーブルを囲んで4人で会話していたときのこと。20代の男の子B君が私に言った。「〇〇さん、変わってますよねー。オレ、今までかなり色んな人と接してきたけど、なかなかいませんよ。かなり変だと思います。」お酒が入っていたとはいえ、唐突なこの言葉は衝撃的だった。その日初めてまともに会話した人に、変わってる変わってるとこれほど強く言われたのはかなりのショック。変わってるどころか、言葉のニュアンスからして変人扱いである。一体この人は私をけなしているのだろうか、それとも単に素直な感想を言ってるだけなのだろうか。変わってると言われてもそれは仕方ないと自分でも思えるけど、さすがに変人扱いは未だかつてされたことがない。次に、30代後半と思われる女の子がそれを受けて言った。「自分の世界を持ってますよね。変わってるというより、うーん・・、声の感じなのかなあ、同じことを〇〇さんが言うとすごく響いてくるんですよね、何なんだろう、周波かなあ・・、違うなあ・・。」一応変人扱いの発言ではなかったけど、やはり私は普通ではないような言い方だ。自分でも普通だとは思わないけれど、まだ会って間もない人からこのような発言、特に「かなり変だ」と言われたことには辟易した。何て失礼なことを平気で言うのだろう、もう首絞めちゃおうかな・・なーんて思ったけれど(笑)、まあ今時の若い子は私にとっては宇宙人のようなものだから、ここは気にせず流しておこうと思った。ところが一夜明けても、その発言が私のガラスのように繊細な心に(?)グサグサ突き刺さったままで痛いのだ。傷口が疼いて心が泣いているのだ。ねえ、B君、私はそんなに変人ですか?ああ、一体この傷は癒されるのだろうか。
2011年06月28日
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無念にも事故や病で命を絶たれてしまった場合を除いて、生きとし生けるもの、みんな平等に寿命は決まっている。アリにはアリの、ゾウにはゾウの、そして人間には人間の寿命というものがある。人間の寿命は約80年として、その人生は人間にとって果たして短いのだろうか長いのだろうか、それとも妥当なのかな?もしも倍の160歳まで生きられるとしたら、さすがに長すぎるかな。もうやめて~、もう十分だから死なせてくれぇ~~~、なんてことになるかな。まあ、感じ方は人それぞれだと思うけど、それにしても時間という概念はとても不思議だ。そんなことをイラストレーターの寺門孝之さんも先日お話しされてたっけ・・。夜眠れなくなるので、あまり考えるのはやめよう。
2011年06月27日
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今朝ちょこっとテレビをつけてみたら、震災被害地でのチャリティライブの模様が出ていた。知らないオジサンが歌っている。でも声には聴き覚えが、曲にも・・なんと、あの稲垣潤一だ!暫く見ない間にこんなに年とっちゃったんだあ、でも声は変わらないなあ。次に登場したのは、「元気ですかぁ~!?ダーーーッ!!」のアントニオ猪木。名前の横には年齢が。68歳。猪木もいつのまにかこんなに年とったんだ。それなのにあんな大きな声で叫んで、脳の血管が切れないか思わず心配になった。気力はあってももう若くないんだから、ほどほどにした方がいいですよ。それにしても、人は皆、年をとるんだなあ、当たり前だけど。いつまでも同じではいられないんだ。どんな人も平等に年をとって、やがては死を迎える。人生を楽しく生きてもそうでなくても、成功してもそうでなくても、お金持ちでもそうでなくても、孤独でいてもそうでなくても、結局みな、最後は同じ。いったい、生きるって何なんだろう。あ、思考が変な方向に行きそうなので、もう考えるのやめようっと。
2011年06月27日
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相変わらず公募に挑戦しているのだけれど、落選つづきの日々。たとえダメ元でも、応募するからには心のどこかに僅かな期待を潜ませているのが人間というもの。私ももれなくそんな人間の一人である。落選通知が届いた瞬間、微かな希望の光が一瞬にしてポッと消えてしまい、暗黒の奈落の底へと真っ逆さまに突き落されてしまうのだ。しかし、このままではいけないと一生懸命に心を奮い立たせ、ひとしきり落ち込んだ(ひとしきり泣いた)後は性懲りもせず次に向かって再び進むのです。自分のやり方に固執していた私。そろそろこのへんで新たな試みをしてみようかとも思う。落選、絶望、リベンジ・・の苦悩の日々は果たしていつまで続くのかな?
2011年06月23日
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検査を含めての手術を受けた妹に付き添った。普段は患者さんを治療する立場にいる妹。今回は立場逆転。感情を滅多に顔に表さない気の強い妹ではあるけれど、今回ばかりは心細い表情が読み取れた。医学に関する知識があるだけに、自分でわかっていることもあるのだろう。手術から戻ってきて目を覚ます妹のために、絵本と小さなぬいぐるみのプレゼントを枕元に置いておいた。透明なセロファンに包まれて綺麗なリボンで飾られたそれを見て、目を覚ました妹はにっこり微笑んでいた。「ありがとう」というその言葉はとてもか細かった。多忙で滅多に会わない妹のために、この日だけは夕方まで傍にいた。病気のことではなく、たわいもない雑談をした。妹から聞いた原発関連の話。3.11の後、妹の病院で写した複数の患者さんのレントゲン写真に、小さな黒い斑点がたくさん見られたとのこと。当初はそれが何であるかわからなかったらしいが、それ以降、特に横浜界隈で、そのような報告があちらこちらの病院から上がったそうだ。結局、地震、津波によって水素爆発を起こした福島の原発から、遠く離れた横浜付近に目に見えない放射能の粒子が飛んできて着地していたのではないかと。それがレントゲンに使用するフィルムに付着し、レントゲン照射によって感光されたらしい。レントゲン室には窓は一切ないはずなのに、人の出入りや空気の自然な流れによって密室であるはずのレントゲン室にまで放射能の悪魔は入り込んでいたのだ。目に見えないだけに本当に恐ろしい。私たちは今、たとえ原発からどれだけ離れていようとも、結局人体に何らかの悪影響を受けていることは間違いない。水、食料、空気・・・どれだけ安全に気を遣っても、狭い日本にいる限り逃れることはできないような気がする。おそらく5年後くらいにはガンが多発するだろう。そんな話をしながら病室で妹と過ごした一日だった。妹に悪い結果が出ないことを祈りつつ。
2011年06月23日
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カフカの『変身』を読んだ。以前から気になっていた小説ではあるけれど、今回たまたま読む機会が訪れた。僅か100ページ足らずの短編だが、一見これは非常に奇怪な小説だ。一体どう解釈したらいいのだろう。主人公に救いは全くないように思われる。始めはただただ気持ち悪かった。でも読み進んで行くに連れ、主人公に起きたこの悲劇の結末が一体どうなるのだろうと心配になってきた。微かでも何らかの救いを期待していた私は、最後のページをめくって愕然とした。本当に救いは全く無かったのだ・・と思う。これは一体何を象徴しているのだろう。『変身』は複数の出版社から出されているが、どれも至ってシンプルな表紙のもばかりだ。カフカ自身が扉絵に直接的な絵が描かれるのを頑なに拒否したという。もしかするとあれは美しい光を放って短い生涯を終えるホタルだったのではないかな、などと思うのは、この季節だからだろうか。
2011年06月16日
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ヘルマンヘッセの短編小説『少年の日の思い出』。蝶の採集と標本作りに夢中になる少年の心と罪が描かれたお話。昨夜バスに乗っていたら開け放した窓から一匹の蛾が入ってきて乗客もまばらな薄暗いバスの中を彷徨っていました。それをボーっと眺めていたら、ふとこの小説を思い出した私。やるせない余韻の残る印象的なお話です。
2011年06月11日
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やなせたかしさんの『あれはだれの歌』、私の大好きな本の一つです。前の日記にも書いた『チリンのすず』(絵本よりも童話風)や4コママンガ、詩や挿絵などが収められている、とても素敵な一冊です。『心の中のかもめ』 やなせたかし私たちのいのちのはじまりは海だというのは本当ですか私たちの血の分子構造は塩水に似ているというのは本当ですかだから私たちの中に海があってだから私たちの血は満潮とひき潮をくりかえすのですねだから私たちの心の中の海でかもめが鳴くのですね私のかもめはたった一羽灰色に汚れて方向音痴です
2011年06月07日
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『チリンのすず』 やなせたかしチリンの すずで おもいだすやさしいまつげを ほほえみをチリンの すずで おもいだすこのよの さびしさまた かなしみ・・私の大好きな絵本の序文です。
2011年06月04日
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月に一度、Tさんの講座に通っている。Tさんはイラストレーターであり、大学の先生でもあり、絵本を描いたりもされている。Tさんの講座は約3時間。前半はお話、後半は講座生が持参した絵の講評。以前からクールな方だとは思っていたけれど、大変な自信家であることもわかった。前半のお話では、テーマが一応あるものの、そのテーマに関わらず頭の中から湧き出てくる考えを次から次へととりとめもなく淡々と話す。聴講者の反応などお構いなしに。完全にどこかの世界に行ってしまっているという感じ。大勢を前にして、これだけ自分の世界で語れるというのも凄いと思う。絵の講評は回を追うごとに厳しくなり、辛辣な言葉さえ飛び出す。手描きの絵に切手をコラージュしてきた人に対し、「切手は使うな、ここに切手を使って絵がよくなったとは思えない、僕の場合は切手をコラージュしたことによってあんなに良い絵になるけれど。」・・ううむ。確かにそのとおりだから納得してしまう。しかし、なんという自信に満ちたアドバイス。自分の絵が素晴らしいと、自信を持って言えるところが素晴らしい。自分の作品をその作家本人が素晴らしいと思わなくて、一体誰がそう思えるだろう。私もいつかきっと、自分の作品を胸を張って素晴らしいと思えるようになろうと決心したのであった。
2011年06月03日
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アジサイにカタツムリ、そしてホタル。また梅雨がやってきた。あれから辛い夏を越え、物悲しい秋を過ごし、長く静かな冬を耐えて春になり、そしてまたこの季節が巡ってきた。私は何も変わってない。たとえ新しいことに出会っても、私の中身はきっと何も変わってないのだ。行き場を失った私の悲しい心はいつまで宙を彷徨い続けるのだろう。こんなにも優しく穏やかで温かいところにいるのに。アジサイにカタツムリ、そしてホタル・・。私はあと何回これを繰り返すのだろう。
2011年06月02日
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