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酷い雨にも遭わずに無事バス旅行から帰宅しました。でも明朝の起床が早いため、詳しいことは明日改めて記すことにします。いつもご来訪いただき、心から感謝しています♪<今月のラン&ウォーク>参加レース:1回 走行回数:13回 走行距離:199km ウォーク回数:毎日 ウォーク距離:215km 月間合計:414km 年間走行距離:991km 年間合計:1821km これまでの累計:67,243km
2009.05.31
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昨夜のこと。何気なく本棚の側にある甕の蓋を開けてビックリ。中には青いものがビッシリ。カビだ。この甕には昨年庭で採れた梅が入っている。つまりこの甕は梅干用のもの。重たい甕を台所まで運んでおいた。朝起きて甕の蓋を開けた妻が驚く。彼女にとっても予想外だったのだろう。 塩梅(あんばい)とは良く言ったもの。文字通り塩加減そのもの。酸っぱくて普通は長持ちする梅干も塩加減を間違えばカビが生えてしまう。前に我が家の梅で作った梅酒も苦かったことがある。砂糖の量を減らしたからだ。妻は体のことを考えて塩や砂糖の量を減らした。そのお陰で腐ったり、苦味が出たわけだ。 昔の人は文字通りその「塩梅」を心得ていたのだろう。程よい砂糖の量は、浸透圧の作用で梅酢を引き出してまろやかな味になり、程よい塩の量は美味しく長持ちする梅干を作る。今回のことで妻も一つ勉強をしたようだ。本来塩梅と按配は異なる意味を持つ言葉だが、現在は誤用の結果どちらも同じ意味として使われているのだとか。 今日も朝から雨。昨日のうちに庭仕事を全て片付けたため、することがない。休日には珍しくバスで街へ出かけた。駅前の大型量販店2箇所でパソコンの値段を比べるのが第一の目的。最初に初めての店に入る。並んでいる品数も多く、値段もかなり安いのがある。メーカーやタイプによって値段に相当の格差。ふ~む。メカに弱い私には、最低の機能があれば十分なのだが。 続いて以前購入した店へ移動。こちらの方は品数が少なく、値段も少し高めの設定みたいだ。これで比較研究は出来た。今使っているパソコンも寿命が近づきつつある。もし家計からの援助がなければ小遣いから出さざるを得ないが、果たして次なる機種を無事買うことが出来るかどうか。 次に時計コーナーへ。実は昨夜、時計が誤作動したのだ。週に数回は帰宅ランをし、月1回レースに出ている私にとって、ストップウオッチ機能がついた時計は必需品。10年間使用しており、修繕に出して電池を替えれば5千円はかかるはず。絶対新品を買った方が得だ。懐具合や操作性などを考慮し、今使っている機種の色違いを買うことにした。 帰宅すると何かが届いていた。先日葉書で申し込んだ小型の本棚のようだ。早速自室へ運び、組み立ての手順書に従って作業開始。工作が不得意な私でも何とか大丈夫そう。30分後には目出度く完成。早速辞書、地図、時刻表、郷土史資料、文具類などに分類して書架に配置。 う~ん、これは良い。これまでよりもずっと能率的。座っていながら資料に手が届くため、パソコンで文章を書くにはとても好都合だ。喜んでいると階下から妻の声が響いた。「ちゃんと掃除機をかけておいてね!」。パソコンが壊れた際の交渉も控えているし、ここはじっと我慢の子か。一応蚊の泣くような声で「へ~い!」と返事はしておいた。 さて明日は雨の中、妻とバス旅行に行く予定。帰宅が遅くなった場合は日記が書けないことがあるかも。その際はご容赦を。
2009.05.30
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昨夜の楽天は中日にサヨナラ負けだった。悔しかったが延長戦まで漕ぎ付けたし、先発の永井が良く頑張ったので止むを得ない。それにサヨナラホームランを打ったのが、西武から移籍した和田。彼は東北福祉大学の出身で、西武時代はレフトを守る後ろ姿をKスタで良く見ていた。かつて広島カープで活躍した「鉄人」衣笠に似た風貌も憎めない。まあ許してやるか。 今朝は4時過ぎに目が覚めた。睡眠時間は6時間ちょっと。そのまま起きて愛犬と朝の散歩に行き、帰宅後は庭仕事に取り掛かる。今日は午後から雨の予報。そして明日も明後日も雨。その前に気になっていた植木と花の移植を済ませておけば、植物達も喜ぶに違いないと考えてのこと。 先ずは花壇から野草のミズを抜く。まさに花を咲かせようとしているこの野草が何故花壇に生えているのか。落ちた種が発芽したのだろうが、その種がどこから飛んで来たのか謎だ。これは美味しく食べられる野草なので畑の隅に移植。次にサンザシ、万両、ツツジを移植。これで朝食前の作業は終了。 出勤時、第1現場へ夏の制服を持参。厚く重たい冬の制服を着るのは今日まで。やれやれ、来週はさぞさっぱりして涼しいだろう。勤務後、駅の名産店で長男にホヤ、カキ、タコなどの珍味を買い、クール宅急便で送る手続きをする。帰宅後、再び作業開始。朝の続きで、今度は主に花壇とアプローチ周辺の整理。 アプローチにはマツバボタン、クリスマスローズ、ヒメシャガを移植。ガレージの柵に沿ってユリとワレモコウを移植。そして花壇へはバラ、スズラン、フリージア、ミヤコワスレ、スイセン、ゼラニウムを移植。庭石を一つ配置し、その側には万年青を。どうやらこれで格好がついたみたい。 昼食はザルうどんを作る。若干の休憩の後、最後の仕上げとしてアプローチに小さな柵を設置。これは愛犬の乱入防止のため。餌の時間や庭に放された時、つい喜んで跳ね回り花壇に入るのだ。まだ植木が小さかった頃は、被害を受けた木がたくさんあった。 作業が終わる頃、計算したように雨が降って来た。既に水遣りは済ませてはいるものの、雨は大歓迎。この後2、3日は水遣りしないで済む。和室から畑を眺め、居間からは花壇やアプローチの草花を眺める。モロッコインゲンは蔓を伸ばし始めた。タマネギの球も少しずつ太って来た。庭もきれいになった。そんな小さなことがとても嬉しい。さて明日は何をしようか。
2009.05.29
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山の木も街路樹も、すっかり緑が濃くなった。気温もぐんぐん上昇し、季節はまさに初夏だ。さて、この季節の旬の食べ物は何だろう。我が家で良く食べたのがタケノコ。他所から戴いたもの、市道に生えたのを「退治」したもの、竹薮の主が間引きし放置したもの。それらは妻が、煮物や炒め物や混ぜご飯などにした。良く灰汁抜きしたせいか、舌が荒れずに済んだのは幸いだった。 フキも良く食べた。農家の人から買ったもの、我が家の裏庭に生えていたもの、早朝土手で刈って来たもの。その多くはタケノコと一緒に煮物になった。戴いた山ウドは酢味噌和えやお浸しに、ギボシを食用に改良した「ウルイ」もお浸しにして良く食べた。 裏庭の三つ葉は澄まし汁などに重宝したし、山椒の芽や葉ワサビは素麺の薬味として使った。ニラはギョウザの具となり、あの独特の風味のアシタバは直ぐに次の若葉が芽吹く。これらは旬と言うよりは年間を通じて食事を豊かにしてくれる。 カツオが美味しい季節になった。いわゆる「初鰹」だが、三陸沖で獲れるカツオは「戻り鰹」で、脂が乗っているため特に美味しい。今頃の三陸の旬の名産と言えば「ホヤ」もそうだ。不思議な色合いと形。そして殻を切ると飛び出る独特の汁の味。この辺では「海のパイナップル」と呼ばれているがご存知だろうか。薄切りにしたキュウリと一緒にして酢で和えると、酒の肴にぴったり。まさに珍味だ。 さて、「仙台鉄人会10時間走」の最中に構想していた庭の柵だが、レースの数日後早速実行に移した。先ず和室前の庭の柵を作り変え、裏庭にも柵を巡らせた。先に完成していた東側の畑の柵と合わせた3部作は、我ながら見事な出来栄え。この出費で小遣いが減ったが、その分妻の笑顔が見られたら安いものか。 また伸び過ぎたキンモクセイ、ヒイラギナンテン、山椒の枝をかなり大胆に剪定。花が咲き終えたらキンシバイとコテマリも剪定する予定だ。家庭菜園の方は少し早めではあるがキュウリの苗に支柱とネットを施し、小カブの間引きを実施。 どうやら今週末は天気が悪いみたいで、明日の金曜から3日間雨模様とか。まだ走り梅雨でもあるまいが、雨を利用して樹木の植え替えを試みようと思う。少しでも見栄えが良くなってくれれば嬉しい。 昨夜の東北楽天は中日を相手に苦戦した。やきもきした試合運びだったが何とかマー君に7つ目の白星が転がり込んだ。肩の具合が心配だが、次の阪神戦でもさらなる熱投を期待したい。彼も今が売り出し中。旬の真っ盛りなのだろう。
2009.05.28
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「仙台鉄人会10時間走」から10日目。ようやくレースの疲れが取れて来たようだ。たかだか75kmしか走ってないのに、こんなに疲れが長引くのはやはり歳のせいだろうか。連日同じくらいの距離を走る「トランスヨーロッパ」は今日で39日目。そして走った距離の総計は2665kmになるようだ。 私と同い年で宮城県出身のSパパも頑張ってレースを続けているが、昨日のレースではビリになっていた。ここ数日足が痛むようで心配。M橋さんという方がリタイヤし、残っている日本人ランナーは男女各5人の合計10人。スエーデンの片田舎はとても淋しい風景が続いているみたい。 リタイヤしたもののスタッフとして随行しているHさんへ、お嬢さんの伝言がK枝さんのブログに書き込まれていた。お母さんが病気のため急遽奥様が看病に行かれた由。伝言はちゃんとHさんに伝わったようで一安心。一方「アースマラソン」の寛平ちゃんはアメリカ大陸横断も3千kmに達したみたい。これまでの総移動距離は16,445km。こちらは連日応援の方が押しかけているとか。 「川の道」520kmを走破した秋田のJunさん。レース後も食事が喉を通らないと彼のブログへ書かれていたが、検査の結果胃に10個から15個の潰瘍が見つかった由。あのレース中、埼玉長野県境の三国峠付近で書き込まれた彼の短文は、熱中症の影響で文字変換がしどろもどろだった。頑張り屋の彼のことだから、きっとあの後も夢遊状態で新潟のゴールまで走ったのではないだろうか。超長距離を走るストレスが体に与えるダメージの凄さを思い知る。 数日前、9月に開催される「佐渡島一周」206kmへのエントリーを済ませた。まだレースまで4ヶ月もあるが、それまで足や膝の状態が良好のまま保てることを願っている。エントリー料は仮眠のための費用や、打ち上げまで含んで2万1千円。その他に交通費と宿泊費がかかり、よほどの覚悟がないと簡単には申し込めない。来月のレース「いわて銀河」100kmは、「佐渡島」へ向けての練習台だ。 今日はランネットから半袖Tシャツが届いた。Tシャツは既に50枚以上もあり、引き出しの底板が外れるくらいなのだが、今回のは太陽熱と紫外線対策用。7月の石巻~気仙沼単独走、9月の「佐渡島一周」、11月の沖縄本島東海岸縦断走など、長距離のマラニックでリュックを背負って走ることを想定しての発注だった。 今週の前半は帰宅ランで新しいシューズの履き心地を試している。底が柔らかく軽いもの。底が硬く軽いもの。底が硬くやや重いもの。今の足の状態では3足のどれでも100kmを走れそうだと分かったが、このうち最も足に優しいシューズを「いわて銀河」で履く予定。86.3kmの関門に捕まった昨年のリベンジを、何とか果たしたいと願っての実験なのだが、今日届いたTシャツの効果も近く試してみたいと思っている。
2009.05.27
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1週間前。あれは最高気温が29度にもなった、とても暑い日だった。そんな日に私はネクタイを締め、スーツを着て街へ出かけた。いつもはラフな格好で、帰宅ランのためランニングシューズを履いているのだが、この日は珍しく黒の革靴。私が書いた論文が入賞し、宮城県警備業協会総会の席で表彰式があったのだ。 会場のホテルに着き、早速2階のロビーへ。県内から集まった大勢の警備員の中に、我が社の方の顔を幾つか発見し安堵。受付で名前を告げ、名札とリボンを左胸に装着。間もなく点呼があり、全員揃ったところで式典の練習。幸いにして3位の私は代表で舞台へ登壇する必要はなかった。 勤務成績優秀警備員は5年以上勤務した警備員のうち成績優秀者で、47名中我が社が3名。労災防止関係論文入賞者は3名で、私がその中の3位。労災標語が3名で3位の方が我が社の仲間。そして警備員論文「信頼される警備員をめざして」は1位から3位までを我が社が独占だった。 前にも書いたが、今回応募した労災関係論文で入賞するとは意外。私より上位の2人はいずれも警備員教育に携わる指導者で、パートの警備員が応募すること事態が異例だと思う。警備員論文で1位になった我が社のS氏が言う。「論文はあまり書き過ぎてはいけない」。 確かに入賞を目指すなら言葉巧みに美辞麗句を連ねていれば良い。だが私が書いた論文は違った。昨年夏の厳しかった残業の実態や、ウルトラマラソンでの異常な体験まで書いた。会社にとっては職員の健康管理上不都合な点もあり、社内で「没」になった可能性が高い。だが厳しい勤務実態を上層部に知ってもらう機会にはなったはず。それだけでも苦労して書いた甲斐はあったと思うのだ。 表彰式後の懇親会で、普段顔を合わすことのない部長2人と話をした。1人の方からは不況下における我が社の取るべき戦略について話を聞き、私は昨夏改正された事務組織について忌憚の無い意見を言った。かなり酔ってはいたが、「何か」は感じてもらえたと思う。 驚いたことに、2年前私が書いた警備員論文が県内で2位となり東北地区でも2位となったことを、今回受賞した若い警備員が知っていた。ネットで検索したら、たまたま私のブログに遭遇した由。偶然性に驚くと共に、ネットの怖さをも感じた次第。それは兎も角、2人の若い部長。そして異業種から転身した若い社員と接して、我が社の将来性について認識を新たにした私だった。 翌日係長から電話があり、主任が賞状と副賞を届けてくれた。前回の2年前は表彰式後3週間も放っておかれたことを思うと段違いの扱い。おまけに副賞が2個あるとのこと。「1つは没にした論文の分だろう。1万円の商品券が2つだったら何に使おうか」。帰りのバスで1人ほくそ笑む私。帰宅後、妻に報告してからようやく包装紙を破いた。 軽い方は2足の靴下。これは選外になった分。もう一方は5千円分の商品と交換出来るギフト券だった。あれ~っ。前回は2位で1万円分のギフト券だったのに、3位が5千円とは差が大き過ぎるなあ。それでももらわないよりはマシか。早速その日の内に葉書を投函。第1希望は小さな本棚で、パソコンの側へ置き辞書や地図などを並べる予定。きっと今後「素晴らしい文章」を書くのに役立つはず。 「獲らぬ狸の皮算用」だった今回の受賞だが、社内に私の存在をアピールする効果はあったと思う。今日は主任が「雇用契約書」を持って現場のビルにやって来た。これでまた半年は「首」がつながる。そして第1現場の管理会社で上位に入選した「安全標語」の表彰も遠からずありそう。副賞はズバリ現金と聞いたが、「狸騒動」の二の舞にはならないことを祈りたい。
2009.05.26
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韓国のノ・ムヒョン前大統領が自宅の裏山から飛び降り自殺した。つい数日前のことだ。不正蓄財の嫌疑がかかっていたらしい。国民からは、政府の追及が厳し過ぎたからだとして強い批判が出た。そして政府側では「国民葬」を執り行うことで批判をかわそうとしているとか。 それにしても韓国は不思議な国だ。イ・ミョンバク現大統領も特定の企業から不正な献金を受領したかどで、親族が逮捕されている。大統領自身及びその親族の逮捕は、これで6代連続らしい。事件の背景には、成功者は同郷の人を大事に扱い、親族にも恩恵を与えると言う風習があるみたい。彼の国には儒教の精神が今だに根強く残っているのだ。 写真を見たら、ノ・ムヒョン氏の自宅裏には小高い山があった。また大統領官邸である青瓦台も、北岳山の麓にある。この共通点は偶然ではない。姿の良い山の麓に集落を作るのは、中国から伝わった「風水思想」に基づいている。琉球王朝時代の沖縄でも集落や墓地を築く際は、風水に適した土地を選ぶ風習があった。 それは兎も角、今日は北朝鮮による核実験と言う物騒なニュースが伝わった。同じ日に短距離ミサイルが1発(さらに追加で2発)発射されたとか。まさか韓国の動揺を狙った訳ではないだろうが、先日表明された国連安全保障理事会の議長声明に反発しての行為であることは明らかだ。 「偉大なる将軍様」の健康状況が芳しくない彼の国では次期後継者の決定を巡って、血生臭い話でもあるのだろうか。飢えや貧困に苦しむ大多数の国民にはまともな情報を与えない政治体制。そして世界に対しては「恐喝外交」を押し通す。何時までそんな無法が罷り通るのだろう。今の内に何とかしないと、そのうちあの国はとんでもない暴走を仕出かすよ~。 今月の初めにロシアのプーチン首相が来日した。その時我が国の麻生総理と何を話し合ったのかは不明だが、ロシア極東部の再開発と経済援助や我が国との領土問題などで意見の交換があったのだろう。あの国にとっては日本の経済力を頼りにしたいだろうし、逆に日本ではそのことを「てこ」に、長引く領土問題に決着をつけたいのが本音。 昭和20年代後半。私がまだ小学生の頃の話だが、学校で「北方領土」に関する講演会があった。「千島列島」がかつて我が国の領土だったことを知ったのはその時だ。千島列島全島の延べ面積は、確か京都府に相当すると聞いた。あれから55年以上経つが、一向に解決を見ない北方領土問題。この辺で何とかして欲しいねえ。 小沢さんが民主党の代表から降りて、鳩山さんに代わった。いよいよ衆議院選も近いような雰囲気だが、どちらが勝っても「バラマキ行政」だけはゴメンだ。国民の関心を買うための安請け合いや、将来へ過大な「ツケ」を残すような無策は止めて欲しい。同時に我々国民もマスコミに煽られて「人気投票」に甘んじてばかりいてはダメ。後で困るのは国民自身なのだから。「新型インフルエンザ」問題も少し神経質になり過ぎのように、爺には感じられるのだが・・。
2009.05.25
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自転車で妻と球場へ向かう。少しは急いで欲しいのだが、普段よりずっと遅いスピードで走る妻。ようやくKスタへ着き、急いで外野の入場口へ向かう。ところがビックリ。まだ4時の入場開始時間前だと言うのに球場の外まで続く長蛇の列。行けども行けども最後尾に辿り着かない。妻はようやく私が急いでいた訳が分かったようだ。 昨夜は楽天対巨人の交流戦。前日は巨人の圧倒的な攻撃の前にボロ負けした楽天。だが岩隈の先発が予想されている第2戦はどうしても観たい試合なのだ。チケットを買ったのが確か3月15日の夜。本来ゴールド会員の私は前日の14日にチケットを先行購入出来たのだが、生憎その日は「八丈島一周」の当日。だから帰宅した夜しか買えなかったのだ。 私が買えたのは外野の自由席2枚。指定席は全て売り切れ状態だった。ましてファンクラブに入会していない人はとても買えない人気カードなのだ。夕方4時。ようやく人の波が少しずつ動き出す。この人数では自由席の座席に座れるのは無理。最初から芝生席に行くことに方針変更する。芝生席の最前列でレフト指定席の直ぐ後ろ側だから結構観易い場所だった。 妻にKスタを案内しようと一旦外へ出る。先ずファンクラブの会員証と入場券の控えを見せてピンバッチを入手。巨人とコラボレーションのバッジだった。次に屋外で繰り広げられているショーを見物。楽天のオフィシャルストア、場外を一周する乗り物、数々の食べ物屋さん。Kスタでは食べ物飲み物は一切持ち込めないシステムだ。 再び球場内に戻る。両軍の打撃練習、守備練習、親子キャッチボール、国歌斉唱などの後、ようやく試合開始。風が冷たい。出来るだけ厚着し、その上にユニフォームを羽織る。妻の首には田中投手のタオルを巻く。だが、期待の岩隈の調子が今一つ良くない。3回には巨人の怒涛の攻撃であっと言う間に4点献上。7回にも1点をもぎ取られて、試合は決まった。この日を楽しみにして来た楽天ファンはガッカリ。対する巨人ファンは2日連続の大勝で大喜びだった。 私達は8回裏終了時点で家路に着いた。その後9回にも2点を失い、その裏ようやく1点を返したことをスポーツニュースで知った。やはり巨人は強く、リーグ1位の勢いがあった。首を長くして楽しみにしていた試合があれでは台無し。岩隈の不調がとても気掛かりだ。試合内容は兎も角として、妻が喜んでくれたのが唯一の収穫かもね。 さて、この夜は所属する走友会の会友であるT橋夫妻の送別会があった。東京の本社に転勤するMさん。奥様のY子さんも仕事を辞めて一緒に行くのだろうか。残念ながら参加出来なかったが、今日H田さんのHPで送別会で撮ったたくさんの写真を拝見した。これまで走友会の中心となって活躍したお二人。東京へ行かれてもどうぞお元気でお過ごしくださいね。そしてたまには仙台へ帰って、レースで一緒に走れたら嬉しいです。Mさん、Y子さん長い間、本当にお世話になりました。
2009.05.24
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雨の「仙台鉄人会10時間走」から6日間が過ぎた。あの日「野辺山100km」でも何人かの走友が走っていたようだ。名うての難コースである「野辺山」も、当日は終日雨だったとか。宮城県大崎市のK彦さん、C一さん、T田さんの3人が参加したことはT田さんからのメールで知った。そして厳しいレース状況の実態は、彼が宮城UMCの掲示板に書き込んだ報告で分かった。 ネットの走友である千葉の亀仙人さんが「野辺山」に参加していたことは、彼のHPで知った。毎年のように「富士登山競走」に挑戦している彼は、見事何連続かで完走出来たようだ。10時間走で女子の部の新記録を達成したリリーさんと言い、ほぼ同年代のランナーの活躍ぶりに頭が下がる。 「10時間走」の完走記を書き続けていた今週。レース当日から6回の連載だったが、驚くべきことにアクセス数が130を越える日が何日かあった。また、レースで一緒に走った複数のランナーの書き込みがあったことも不思議な縁を感じた。レース後の疲労と寝不足、表彰式での飲酒と気疲れ。今週は連日クタクタ状態で、勤務中に眠気を堪えるのが大変だった。 たかが10時間走の完走記に、何故全国からそんなアクセスがあったのかが謎。「意外な好評」に応えるべく書いた訳でもないが、どうしても早朝に目が覚め止む無く日記を書いた。昨朝書き終えて、ようやくほっとしている。私にとって完走記を完成させることは、レースでの完走と全く同じ意味を有する。まさに真剣勝負なのだ。 昨日の午後、仙台鉄人会から郵便が届いた。中には大会の結果とゴール時の写真。写真の中の私は意外にも元気そうで、満面に走り終えた喜びを湛えていた。10時間走の参加者中最高齢の私(Yちゃんの年齢が10歳違っていた)だが、レース後の疲労がなかなか抜けなくなったのも事実。しかしあのコースの25周は延べ75kmの距離もさることながら、海抜0mから標高1500mの山を登って降りた計算になる。 私が完走記と戦っている最中、海外でも走友が奮戦していた。「トランスヨーロッパ」のSパパはまだレースを続行中。私と同学年の彼の頑張りと活躍には、驚きと同時に嬉しさがこみ上げる。「旅がらす」さんことK本さんは、レース中に危うく交通事故に巻き込まれそうになった由。危険を感じて咄嗟に畑に飛び込んだお陰で死を免れたが、衝突で車を運転していた3名の方が亡くなったとか。 その彼らもスタート後今日で34日目。走った距離は既に2361kmに達している。レースはドイツからフェリーでスエーデンに渡り、52名のランナーは目下スカンジナビア路を一路北極圏目指して走り出した。 一方大阪をスタートして158日目の「アースマラソン」の寛平ちゃんの移動距離は、延べ16,213kmに達した模様。目下ミズーリ州をシカゴに向かっているようで、1日60kmほど走っているが、休日の夜はビールを40本も飲むとか。翌日は二日酔い状態で走るとの話にはビックリ。取材も日に日に多くなり、アメリカでも有名人になりつつあるとか。
2009.05.23
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< 栄光の新記録達成 > 午後3時。5時間走の選手(個人、駅伝の部)がコースから消える。逆走が多いため良く出会った仙台明走会のM井会長。先日走った「仙台国際ハーフマラソン」について、「あれは半端じゃなかった。練習不足で出て苦しかった」と話していたひょうきんなAさんも、きっと今頃は着替えを終えたころだろう。 シニアマラソンに出ていたA山さんはレースを終えて本来のスタッフに戻り、ASに座っていた。心臓の不調でここ数年走れない日々が続いた彼だが、ようやく病が癒えてフルマラソン完走100回を達成した。きっと今日も気持ち良く走れたと思う。 もうコース上にいる選手は僅か。相変わらず降り続く雨。4時まで残り42分でASを通過した時にA山さんが言った。「後1周だよ」。「もう2周走らせて」。咄嗟に私は怒鳴った。朝のスタート時間に12分遅れて参加した私。あの分をプラスすれば後2周は出来るはず。「だが」と走りながら考え直す。我がままを言えばスタッフの人に迷惑を掛ける。ここは潔く止めよう。周回数は25周目。距離に直せば75kmに相当。これは私の自己新記録なのだ。 最後の坂道を登りASに到着。周回札を1枚剥がし、スタッフの人に「これで止めます」と宣告。直ちにゴールの記念写真撮影に向かう。両手を広げてゴールのポーズを決め、ようやく微笑が浮かぶ。 YちゃんとH口さんは既にレースを終えて荷物をまとめていた。この近くにある市のセンターでお風呂に入りたいと2人。雨の中を訪ねると、お風呂は3時半で終了していた。だが親切な職員の方に更衣室を借りることが出来た。脱いだ靴下が泥だらけ。着替えの前に、まずその靴下を洗った。玄関で脱いだシューズも泥だらけ。そのまま地下鉄に乗れる状況ではない。慌ててティシュで泥を落とす。 仙台明走会のリリーさんが女子の新記録を作ったことを知ったのは、レースの数日後だった。会の掲示板に彼女が書き込んでいた。周回数31回距離93km。彼女自身が昨年出した記録を塗り替えたのだ。昨年3回骨折して以降、長い距離を走ってなかった彼女にとって、きっと今回のレースは不安だったと思う。だが彼女のペースは最後まで変わらなかった。あの冷静な試合運びは、きっと記録達成を狙ってのものだったのだろう。さすがは一流選手だ。 さて今回の私の課題事項だが、「八丈島一周」での62kmを上回ると言う1つ目の課題は、案外簡単にクリヤーすることが出来た。2つ目の「底の堅いシューズでのウルトラマラソン完走」も無事達成。3つ目の「高機能ロングタイツのテーピング効果」だが、これもかなりの効果があったように思う。 翌日は打って変わっての好天気。早速泥だらけのシューズを洗った。昨年の8月に怪我をして以来、底の堅さを感じてなかなか履けなかったこのシューズだが、ようやく履けるまで足が回復したようだ。その感謝を込めて丁寧に洗った。「まだまだ行けるぞ。俺の足もこのシューズも」。シューズを干しながら、私は心の中でそうつぶやいた。 地下鉄の階段で足を引きずりながら歩いていたH口さんの疲れは取れたろうか。そしてレースの途中で帰ったEちゃんと最後まで頑張ったYちゃん。この3人がいよいよ来月、制限14時間に延長された「いわて銀河」の100kmに挑戦する。自分も同じだが、結果を怖れずひたすらゴールを目指したい。緑のシャワーを浴びながら走ったあの10時間は、決して無駄にはならないと思うから。<完>
2009.05.22
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< ウルトラと復活 > 早朝から藤棚の下で響いていた尺八の音も止んだ。雨の中で白鳥が泳いでいる池。今日は日曜と言うのにほとんど公園内に人影がない。その池で偶然カワセミを発見。翡翠色の羽が美しい。午前11時、疲労骨折の影響があると話していたランナーがレースを終えた。自分では「根性無し」と言っていたが、その足で5時間走れれば十分。何事も無理は禁物だ。 空腹を感じ、コンビニで買ったお握りを食べる。飲み物の他にお握りを3個自分でも用意していた。そのうちタラコ入りのを選ぶ。お茶と一緒に食べるお握り。その塩味が美味しい。ASにも炊き込みご飯のお握りはあったのだが、芯が残っていて食べにくかったのだ。レース中に少しゆっくりしたのはこの時くらいか。 逆周り中に出会った時、M井さんが私とT橋さんの写真を撮ってくれた。後日M井さんのHPを観たらビニール袋が写ってないため、早い時間帯だったかも知れない。そのM井さんとEちゃんは午後1時でレースを終えると言う。逆周りをしながら2人と握手。今月「吾妻スカイライン」でも走る予定のため、今回はあまり無理をしないのだと思う。 さらば友よ、後はまかせて。YちゃんとH口さんは最後まで走るみたい。これは楽しみだ。T橋さんが午後2時で走るのを止めたのを知ったのは後日のこと。コースから徐々に選手の姿が消えて行く。私は相変わらず歌っている。静かな朝は「アヴェ・マリア」。午後からは「ヒナゲシの花」や「夜明けの歌」など色々。そして楽しい空想も。それは庭に垣根を作ること。「あの場所にはこんな材料で」などと考えていると退屈しないで済む。 ASに戻った時に何度か栄養ドリンクを飲んだ。受付でもらったものと、自分で買ったもの。ところが最後のドリンクの後にヴァーム水溶液を飲んだ途端、口の中が苦くなった。体調が悪くなった訳ではない。きっと成分が混じり合って変化したのだと思うのだが、慌ててペットボトルのヴァーム液を半分ほど捨てた。ゴール時間まで残り少ないから、それでも間に合うはず。 黄色の合羽のYちゃんを追い抜く。ゆっくりだが足取りはまだしっかりしている彼女。「また抜いてね」。レース後、彼女が言う。「一度はダメだと思ったけど、また走れるようになった」と。「ウルトラマラソンには復活があるからね。だから諦めてはダメなんだよ」。私はそう答えた。また彼女の話では、千葉からこの朝会場へ着いたT野さんは5時間走に出て30km走った由。仙台に来たのは用事があったからとか。道理であんな大きな旅行バッグを持ってた訳だ。 赤い合羽のH口さんも良く頑張っている。だが走後聞いた話では、レース中に胃がムカムカしていたとか。長い時間走るウルトラでは、血液が足の筋肉などに多く使われるため、本来食べ物を消化すべき胃に大きな負担がかかる。またどんどん水分を摂るため胃液が薄まり、それをカバーしようと逆に胃液の分泌が活発になり過ぎるのがムカムカの原因。走後彼女には、「ウルトラでは食べながら走るのも練習のうち」と。 「記録を狙う」と話していた山形の青年が坂道を歩いている。「もうギブアップです」と彼。きっと飛ばし過ぎて体力を消耗したのだろう。「このコースは最初からペースを守って走らないと、最後には坂を登れなくなるんだよ」。ところが後日この青年が私のブログに「あの叱咤激励で最後は復活出来ました」と書き込みしてくれた。だからウルトラは面白い。人生と同じで何が起こるか分からないのだ。<続く>
2009.05.21
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< 会話と課題 > 降り止まない雨。スタート時に雨を気にしていたのが山形のランナーだった。これまで1度も雨の中で走ったことがないと言う。確かに濡れながら走っていると体が冷えて来る。手袋はビショビショで、軽く握ると水が滴り落ちる。再びビニール袋を被る。それだけでも寒さを防ぐことが出来る。この日の最高気温は13度のようだが、森の中のコースはさらに低く感じる。 あれは何周目だったか。偶然ASでEちゃんと会えた。調子が良さそうな彼女に、思い切って疑問をぶつけてみた。そんなことを全く予想してなかった彼女は素直に私の話を聞き入れ、「周回札」を1枚めくるのを止めた。「気分を悪くさせてゴメンね」。私の言葉を彼女は笑って否定した。ほぼ同時にスタートしたM井さんや私の周回数と比較すれば一目瞭然なので、彼女も納得してくれたのだと思う。 快調なリリーさんの走り。「もう体調は戻ったの」と尋ねる。「多分大丈夫だと思う」。そりゃそうだ。もしそうでなければそんなに速く走れる訳が無い。「あんまり無理しないでね」。ランキング日本一のランナーに言う言葉ではないが、「ありがとう」と答えた彼女の後姿が見る見る遠ざかって行った。 生意気そうな「Ironman」シャツのランナーに尋ねる。「バイクの距離は180km?」。答えは「さあ忘れた。背中に書いてるから見て」。だが、背中にそんなことはプリントされてない。言葉を交わすのはどんなランナーなのかを知りたいからなのだが、相手にその気がなければ会話は成立しない。 緑の森を走る赤い合羽を発見。あれはH口さんの姿。いつの間にかYちゃんと離れたようだ。長い距離を走るウルトラマラソンでは、無理にペースを合わせるといつしか調子が狂ってしまう。だから自分のペースを守ることが大切なのだ。「頑張って。辛くても最後まで走れたら「いわて銀河」の練習になるからね」。そんなことは彼女自身も承知のはず。でも生真面目に「ありがとうございます」と頭を下げる。 一方、このレースでの私の課題は3つ。1つ目は昨年8月の大怪我以来走った距離の最高は、3月の「八丈島一周」の62km。今回はそれにどれだけ上乗せすることが出来るかだ。2つ目は底の堅いA社のシューズで走って、怪我をした足がどれだけ耐えられるのか。そして3つ目が新しく買ったロングタイツの効果。つまり両膝にテーピングしたと同じ効果が、このタイツで得られるかどうか。無事ゴールするまで「実験結果」は分からないが、今のところすこぶる順調。次第に自分のペースが掴めて来た様だ。 午前10時。5時間走の部(個人および駅伝)、フルマラソンの部、3時間走の部。ペアの部が一斉スタート。新たな仲間が加わった。たすきを肩に掛けた若者が、もの凄いスピードで追い抜いて行く。彼らの脚は既に泥だらけ。走り易かったコースが、どうやら降り続く雨でぬかるんで来たようだ。ゴールまで残り6時間。まだまだ先は長い。<続く>
2009.05.20
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< AS風景 > ここでエードステーション(ASと省略)のことを記しておこう。コースは1周3kmの周回だから、ASは1箇所で十分。トライアスロンチームである仙台鉄人会の方がスタッフとして、このASで色んなお世話をしてくれる。もう何度か参加しているため、スタッフの方とはすっかり顔なじみだし、色んなレースで一緒に走ることもある。 ここのレース参加費は2千円と格安。それで当日自宅から出て間に合うし、10時間も楽しめるのだから、私にとってはお気に入りの大会なのだ。そして特筆すべきが当日参加も可能と言うこと。つまり「飛び入り歓迎」ってのもなかなか国内では珍しい。 ASには心の籠もった食べ物や飲み物が用意されている。それはこれまでの長い経験から割り出されたもの。大福、草もち、バナナ、オレンジ、梅干、キャベツとキュウリの漬物、お握り、お菓子など。そして走り終わった後は味噌汁のサービスも。当日受付を済ませた後に手渡される袋の中には、ご丁寧にも栄養ドリンクや栄養補助食品が入っているから安心してレースに臨むことが出来る。 私は自分でも幾つかのものを準備していた。まず大き目のドラ焼き2個。これは全く不要だった。それにペットボトルが4本。まずヴァーム粉末と塩、アスリートソルトを入れたのが2本。これは前夜のうちに冷蔵庫に入れておく。ハーブティーが1本。これは普段から愛用しているもの。スポーツドリンク系を飲み続けていると味に飽きるし、お握りを食べる時にもお茶はに飲みやすくて貴重なのだ。そしてCCレモンが1本。ビタミンCやクエン酸は疲労回復に役立つ。 汗っかきの私はレースではいつもペットボトルを手に持って走っている。飲みたくなったら直ぐに飲めるし、場合によっては給水所やASに寄らずに済むからだ。今回はその3種類の飲み物を交互に飲んだ。本当は牛乳も欲しいところ。長時間走ると体内のカルシューム分がかなり消費されるからだ。 何周かするうちに不思議なことに気づいた。まだ1度も抜かされていないEちゃんの「周回札」が、常に私より先行した周回数になっている。あらら。これはきっとどちらかが間違っているに違いない。雨で濡れ、冷え切った手で札をちぎると2枚一緒に取れる場合がある。それとも私が1回ちぎるのを忘れたのか。ふ~む。<続く>
2009.05.19
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< 10時間走のメンバーは > 2周目は反時計周りに廻る。ここの大会は逆周りも許されている。同じ方向にばかり回っていると、なかなかランナーの顔を見ることが出来ない。果たして10時間走にどんなメンバーが出ているのか確認しよう。そのための逆周りだった。1周して暑くなったため、被っていたビニール袋は脱いだ。 仙台明走会のリリーさんがやって来た。彼女は1歳刻み全国ランキングの1位の人。年齢は確か私の1歳ほど下のはず。昨年は3回色んな箇所を骨折した彼女。だが、今の走りっぷりではすっかり回復したようだ。快調なピッチ。この10時間走レースの記録保持者(女子の部30回90km。男子は34回102km)である彼女の足取りは、いかにも軽やかだ。 坂を下り切るとコースは平らになり、地下鉄「旭が丘駅」の前を通過する。前日はここに「走る男」こと森脇健児さんが来ていたようだ。フラットな部分は3km中この周辺の、わずか300mほど。後はアップダウンの連続で極めてタフなコースなのだ。今度は緩やかな登り坂が続く。 色んなランナーと摺れ違う。どうも知り合いはいない感じだ。仲間のM井さんが誰かと連れ立って向かって来た。県内のランナーT橋さんとM井さんが紹介してくれた。かつて開催された「SUGOマラソン」以来の知り合いなのだとか。驚いたことにT橋さんは私のブログの愛読者とのこと。ふ~む。意外なところに接点があったとは。 雨の公園内に人影は少ない。木々の緑がここ半月ほどの間に、すっかり濃くなった。美しい新緑。その鬱蒼とした茂みの間から降り注ぐ5月の雨。これは緑のシャワーだ。レースともなれば脳内から興奮物質が分泌されるせいか、雨がちっとも苦にならない。今日は一日、この緑のシャワーを浴び続けよう。思わず歌を口ずさむ。 向こうから赤と黄色の合羽を着た2人連れが近づく。良く観ると仲間のY広さん(以下Yちゃん)とH口さんだった。ラジオ体操を終え、ようやく走り出したようだ。思わず「信号機コンビだね」と漏らす。それとも黄色は交通整理の小母さんか。笑い出す2人。その調子で最後まで走れたら、きっと自信につながるはず。こうして熟年ウルトラランナーが誕生するのだ。 2周目のAS。ここは1周する毎に周回告知用の紙を自分でちぎるのがルール。3周目は再び通常の時計周りに戻す。何周かしてランナー同士で会話を交わすうちに、おぼろげながら10時間走のメンバーが分かって来た。 仲間のM井さん、Yちゃん、E名さん(以下Eちゃん)、H口さん、明走会のリリーさん、ハワイのトライスロンレース「Ironman」のシャツを着たスピードランナー、筋トレの指導者をしてると言う若者、疲労骨折の影響で無理出来ないと言う中年ランナー、山形県大江町から来た若者、東京から山形へ転勤して20年目の「サロマ100km」初挑戦の若者、そして私のブログ愛読者のT橋さん。 全国トップクラスのベテランからホヤホヤのウルトラランナーまで。この12名が雨中の10時間走に挑戦する仲間。それにしても毎周のようにリリーさんに抜かれるように感じるのは、私のペースがあまりにも遅いせいか。それとも彼女が速過ぎるのか。<続く>
2009.05.18
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< 走友の顔ぶれ揃う > 地下鉄の「台原駅」が近づいた。ホームに下りると誰かが手を振っている。同じ走友会に所属しているM井さんとE名さんだった。M井さんが10時間走に参加することは知っていた。だがE名さんも来ていたとは。そしてエスカレーターに乗ろうとしたE名さんが、突然大きな声を上げた。 一体何事?と振り返ると、千葉へ転居したT野さんが大きな旅行バックを持って立っていた。あらら。これは一体どうしたのだろう。それにしてもたかがマラソンでこんな大きな荷物が必要なの? と、思う間もなく彼女は私達に早く受付に行くよう勧め、ロッカーを探しに行った。 急げや急げ。10時間走レースのスタートは6時。もう時間が無い。台原森林公園の受付場所へ行くともうスタートした後で、選手は誰1人残っていない。ゼッケンナンバーをTシャツにつけ、ビニール袋を被り、手袋をはめる。今日はロングタイツに宮城UMCの半袖Tシャツと帽子。オレンジ色だから良く目立ち、サボれないのがきっと役立つはず。 M井さんが一足先にスタートした。私も正規の時間から約12分遅れでスタート。敢然と雨の中に飛び出す。3kmの周回コースを1周すると、約60mの高低差があるこの難コースのキーワードは「辛抱」。雨の中を10時間飽きずに走ること。それが来月の「いわて銀河ウルトラマラソン」100km完走につながるはず。 そのために必要なのは、イーブンペースで最後まで走り通すこと。そうじゃないと厳しい高低差の坂道が、後になればなるほど効いて来るのだ。ここの大会にはこれまでに6回は出てるだろうか。10時間走が今回で2回目。5時間走が1回でフルマラソンが確か3回。昔に比べれば相当走り易く改善され、ずいぶん足にも優しいコースに変わった。 1周してASに戻ると同じ走友会のY広さん、先月「かすみがうらマラソン」で一緒だったH口さんを発見。E名さんも含め3人とも、今年から制限時間が14時間に延長された「いわて銀河」へ向けての練習とか。うち2人が初挑戦なのだ。ここで最後までしっかり走り切れたら、結構良い線行くだろう。だが慎重なH口さんが準備体操のため、ラジオ体操をしたいと言い出した。う~む。私達より遅れて来たこの2人。何時になったらスタートする積りだろう。<続く>
2009.05.17
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朝、男はいつものように愛犬と散歩に行く。だがこの日は愛犬のウンチを入れる袋の他にも袋を持っている。それに鎌もだ。男と黒犬は竹林の前で止まった。「これは公務執行妨害だな」。男は訳の分からぬことをつぶやきタケノコを蹴った。タケノコはあっけなく折れ、男は何食わぬ顔をしてそれを袋に入れた。 男と黒犬がその次に向かった先は小川の土手。「獲物」を見つけた男は、ずんずん草叢に入って行く。老眼の割りに目は見えるようだ。黒犬に「お座り」を命じた男は袋から鎌を取り出し、何かを刈り始めた。獲物はどうやらフキのようだ。20本ほどのフキを刈り終えると、男はそそくさと家路に着いた。 朝食後庭の草を抜く男。じっとしていないのが男の癖らしい。妻が仕事へ出かけた後、男は自転車でHCへ行った。男が買ったのは長目の杭5本と少し短い杭4本。そして長さ2mほどの白竹4本だ。帰宅した男は早速作業に取り掛かる。家の東側にある畑と、和室前の庭に垣根を作るようだ。 妻が仕事から帰ると、やがて男は妻と連れ立って街へ行った。今日は「60歳のラブレター」と言う映画を観る約束になっていたようだ。昼飯は讃岐うどんでそそくさと済ませてシアターへ。観客はやはり中年の男女が多かったようだ。 建設会社の役員の中村雅俊と原田美枝子が演じる夫婦。近所の魚屋夫妻を演じるのはイッセー尾形と歌手の綾戸智慧。そして井上順演じる医者は翻訳業の戸田恵子と親しくなる。2組の夫婦ともう1組の男女はすべて熟年。ストーリーがどう展開するかは書かないが、夫婦の在り方、中年以降の人生をどう生きるかがテーマだと男は感じた。 ラストシーンが迫った時、男はそっと妻の手を握った。結婚して40年目を迎える2人にも、映画同様に長い葛藤の歴史があったのだ。「元々他人同士の夫婦が理解し合えるには、ずいぶん多くの時間を必要とする」。それが映画を観た男の感想だ。恐らく妻も同じ意見だったに違いない。 帰宅後、男は作りかけていた畑と庭の垣根を仕上げ、おまけにゴーヤのためのネットも張った。それから愛犬と夕方の散歩。朝と違って獲物は取らない代わりにラジオを聴きながら歩く男。どうやら楽天が2対1でソフトバンクに勝ったようだ。エースの岩隈で連敗を免れた楽天。ようやく男の顔に笑みが浮かんだ。 帰宅した男の鼻に何かが匂って来た。男が黒犬に教えた。「おいマックス、お母さんがタケノコとフキの煮物を作ったようだぞ」。「な~んだ」。黒犬は詰まらなそうにそっぽを向いた。さて、男は今夜、どんな日記を書くのだろう
2009.05.16
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今朝、第一現場のトレーの中に1枚の案内が入っていた。我が社の労務担当部局から送られたコピーで、来週の火曜日にある県警備業協会総会の席で、表彰式を行うため出席を求めるものだった。以前上司からこの話は聞いた。だが受賞論文が自分の予想と異なっていたのには驚いた。論文のテーマは職場の労働災害防止に関するもので、1位と2位の方は警備員の研修担当者、つまり本職の方のようだ。 別途提出した論文のテーマは例年同様「信頼される警備員とは」で原稿用紙4枚分。前回は東北地区第2位に入賞し、今回も気合を入れて書いた積りだった。それに原稿用紙6枚分の労働災害のテーマは、本来パートタイマーの警備員には無理な注文。だからもし入賞するとすれば、当然「信頼云々」の方だと思い込んでいたのだ。 「信頼云々」の論文には会社にとって不都合なことも書いた。昨年の夏以降3か月間第2現場で行った時間外勤務の実態と、趣味のウルトラマラソンで疲労骨折や腱鞘炎になったことだ。論文は「責任感」と言うテーマで貫き、その例として挙げただけなのだが、私の勤務の実態を把握してなかった係長や所長は、さぞ驚いたことだろう。 200km超級のウルトラマラソンのことなど知る由も無い上司達にとって、過酷なレースで生じた疲労骨折のまま勤務に就くなどは、とても信じられないことに違いない。疲労骨折など3週間走るのを休めば自然治癒することなど想いもよらないはず。まして2日間眠らずに走って、幻覚や幻聴を体験したと書けば、驚くなという方が無理。 私にすれば過酷な残業に耐えながら本来の警備業務を全うしたパートタイマーの存在を会社の首脳に知ってもらえれば十分だった。我が社では論文の執筆は予め特定の者に依頼しているようだ。だから依頼された2つの論文を期日までに書いて提出するだけでも名誉だし、まして入選となればむしろ会社にとって名誉なのだとか。副賞は1万円分の商品券になるはず。 ところが話はこれで終わらず、第1現場の管理会社宛てに提出した「安全標語」が、東北支社で主席となり、本社に送付された由。本来は管理会社内の行事で、私達警備員は「協力会社」と言う立場で応募しただけ。それが安全管理のプロを押しのけて主席となったのだから意外だった。 これまではほとんど「俳句形式」の標語を提出し、全員に配られる千円の図書カードが嬉しかった。今回は方針を変え「短歌形式」で6つの標語を提出した。最初から入選は無理と諦め原稿も捨てた。だからどんな標語だったかも覚えていない。こちらの副賞は現金とか。選考する支社長が人事異動で代わったのが良かったのか、短歌方式に変えたのが良かったのか入選の原因は謎だが、太っ腹な管理会社に礼を言いたい。 第1現場の勤務後に1時間清掃夫として働く現場が4月以降未定のままだ。それでも正規分の手当をもらっているのは、ひょっとして「握り潰された論文」の代償ではないか。つまり会社にとって不都合なことを書いた論文を、県の協会に送付しなかった代わりに私に「ご褒美」をくれたとは考えられないか。もっとも年間約2週間分の有給休暇を行使しないまま捨てている私には、その代償とも思えるのだが真相はどうなのだろう。
2009.05.15
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試合が始まったがどうも様子がおかしい。楽天の先発田中の調子が今ひとつなのだ。テンポが違うし球の切れが悪い感じ。昨夜の座席はレフトの自由席。マウンドまでかなり離れているためはっきりとは分からないが、田中の本来の投球ではない。案の定先頭バッターにヒットを打たれ、不安が募る。 田中は4月29日に完投で4つ目の勝利を挙げた後、肩の張りを訴えて2週間試合から遠ざかっていた。WBC出場のため例年より1ヶ月早く仕上げたことに加え、今季4連続で完投したことが「張り」の原因。それでも2軍での調整ではなく、1軍に帯同しての休養だったために、さほど試合勘を失わずに済んだのだろう。 田中は2週間のブランクに苦しんでいた。ストレートの速度は上がらず、中盤からは変化球での交わすピッチングに切り替えたようだ。だが、その田中を味方の打線が援護した。3回は地元出身の小坂の移籍後初打点などで3点。4回には鮮やかな2者連続スクイズバントで2点。さらに5回には頼れるベテラン山崎の6号2ランで2点と、前日食らった完封負けの鬱憤を晴らすような怒涛の攻撃だった。 この夜田中は4回ヒメネスにソロホームラン、6回には稲葉にデッドボールを与えた後2点タイムリーを打たれ、7回3失点でマウンドを降りた。試合後は野村監督から頭を小突かれたようだ。戦線離脱の原因となった肩の張りは、2週間のブランク中投球練習が出来ないほどで、昨夜の不調は投げ込み不足からのものとか。 8回を小山、9回をグウィンがしっかり無失点で閉め、田中に5勝目が加わった。ただ、稲葉のデッドボール退場に続き、内角を攻めた小山の投球にヒメネスの怒りが爆発して、一時は険悪な雰囲気が球場を包んだ。この夜はバックネットから外野に向かって強い風が吹き、球場内の体感温度は8度ほどに感じる寒さ。勝利者インタビューでの田中の言葉にも、いつものようなトーンの高さはなかった。 彼は自分の不調を十分分かった上で、勝つための投球に徹していたのだ。調子が悪ければ悪いなりに、試合の中で調整する能力をしっかり身に着けたようだ。「次回にはもっと良い投球をします」。力強いその言葉が、ファンには何よりも嬉しいプレゼントになった。 好調だった高須と鉄平が外野に飛んだフライを巡って衝突し、目下2人とも故障中の楽天。昨夜も直人(渡辺)が4回の走塁中に怪我をして退場した。3人とも楽天の快進撃を支えた3割バッターだっただけに、彼らの欠場は実に痛い。ここは若手がチャンス到来と考え、奮起して欲しい。 楽天の攻撃中は立ちっ放しで応援する厳しさと楽しさを、昨夜は久しぶりのレフト自由席で満喫出来た。やはり応援するならあの席だ。ただし、新しく出来た個人応援歌を6人分ほどと、チャンステーマの新バージョンを覚えるのが難しい。 次の観戦は交流戦の対巨人戦。妻と2人、ユニフォームを着て応援するのが楽しみだ。
2009.05.14
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< 家庭菜園と園芸 > 5月1日の午後野菜の苗を買い、翌日の朝に植えた。南側の畑にはトマト10本、ミニトマト2本、シシトウ1本。そしてキュウリとモロッコインゲンの種を蒔く。トウモロコシの種も買ったのだが、これはタマネギの収穫後(6月末)に蒔く予定。東側の畑にはカラーピーマン4本と、塀際にゴーヤを4本。空いてるスペースを使って春菊と小カブの種を蒔いた。 本格的な支柱を施したのはトマトとミニトマトだけ、シシトウ、カラーピーマン、ゴーヤはまだ仮の支柱。そのうちモロッコインゲンにも本格的な支柱を施し、キュウリとゴーヤには支柱とネットを施す予定だ。蒔いた種からは既に可愛い芽が出始めているし、気温が上がって来たせいか苗の成長具合も良いようだ。 連休に入って直ぐの朝、2日間をかけてバケツ5杯分の石ころを捨てに行った。これは畑や庭を掘った時に出たのを1年間貯めておいたもの。土地を買ってから転勤で30年ほど留守をしているうちに、何と「ゴミ捨て場」状態になっていたのだ。畑の部分はほとんど石が無くなったけど、畝の間や庭の部分を掘れば今でもわんさかと石が出る。 別の日の早朝には篠竹を20本ほど切りに行った。支柱にするためだ。比較的近所に適当なのが生えている場所があり、毎年そこから切って来る。シャツが汚れるのが難点だ。剪定をしたのが花が終わったばかりのユキヤナギとレンギョウ。大きくなり過ぎたアオキも剪定して移植したら、塀際のモッコウバラが居間から良く見えるようになった。最初は移植を渋っていた妻も、作業を終えた後は上機嫌だった。 アオキの後にはまだ小さな万両を移植。他にバラ、クリスマスローズ、ガザニアなども場所を移し変える。こぼれ種から発芽した朝顔は植木鉢に移植。買って来たルピナス、マリーゴールドを植木鉢に定植。畑や庭の雑草を連休中に3回ほど取る。多分バケツで8杯ほどになったと思う。剪定した枝や雑草はイチジクの根元に積んでおくと大抵は数ヶ月ほどで土に還る。また、生ゴミや愛犬のウンチはコンポスト容器に蓄えて堆肥を作っている。 連休中の作業で庭と畑が見違えるようにきれいになった。毎朝妻と庭の花々を眺めるのは楽しいし、畑の作物が育って行く姿を見るのは嬉しい。そんなこんなで、連休中のんびり休んだ日は一日もない。連日体を動かして汗をかき、実に充実した期間だった。お陰で体の疲れも取れ、リフレッシュが出来た。その上妻にも感謝され言うことがない。メデタシ、メデタシで終わった今年の連休だった。<完>
2009.05.13
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< 美術展と博物館巡り ><河北美術展> 5月2日(土)妻とデパートで開催中の美術展に行く。東北で最大の美術展は、出品数もべらぼうに多くて見るのが大変なくらい。目を奪われる完成度の高い作品も多いが、中には素人から見ても稚拙な作品も混在。妻が油絵を習っているM先生、私の2番目の職場で美術を担当していたW先生の最新の作品が、ともに招待として別室に展示されている。90歳近いM先生だが、絵にはまだまだ若さが漲っていた。<レオナール・フジタ展> 河北美術展を観た後、メディアテークで開催中の同展を観た。藤田嗣治の絵は、乳白色の絵の具で描かれた女性が有名。奥行きの無い平板な印象しかなかったのだが、今回実物を観て考えが変わった。特に1992年にパリ郊外の倉庫から見つかった縦横3mの4点の作品は圧巻。彼はフランス人のモデルなど生涯に5人の妻を娶るが、最後は日本人の君代夫人だ。 晩年カソリックに改宗しフランスに帰化。クリスチャンネームの「レオナール」は、尊敬するレオナルド・ダヴィンチから借用したものとか。晩年君代夫人と過ごした片田舎に、自ら構想を練った「平和の聖母礼拝堂」を建て、聖書の場面から取った宗教画をフレスコ壁画として描く。彼の深い宗教心と至高の想いを、今回初めて知り感激した。 <芹沢けい介コレクション「日本の絵画」展> 東北福祉大学芹沢美術工芸館で開催中の同展を、5月5日に妻と観覧。<「けい」は金へんに圭>日本の代表的な染色研究家である芹沢は世界的な民芸品の収集家でもあり、その収集の対象はとてつもなく広い分野にまたがる。今回の展示物はそのうち絵馬、泥絵、ガラス絵、大津絵、奈良絵、仏画、屏風絵などで、大部分を静岡市立芹沢美術館から借用している。常設展も含め質の高い美術工芸品に溢れた素晴らしい展覧会だった。 <「朝鮮王朝の絵画と日本」展> 仙台市博物館で開催中の同展を5月6日に1人で観覧。朝鮮王朝時代の絵画が、我が国の絵師である俵屋宗達、池大雅、伊藤若冲などの絵にどんな影響を及ぼしたかの比較考察が中心の展示。古い時代の絵はくすんで良く判別出来ないほど。またそうでない絵もどこか形式的でつまらなく感じた。ただし、江戸時代に何回か我が国を訪れている朝鮮通信士関係の絵画は、当時の風俗などが良く分かって面白かった。 <「富沢あたりの今・昔」展> 「地底の森ミュージアム」で開催中の同展を5月6日に1人で観覧。「富沢」は自宅付近の町名。この周辺には旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良時代以降まで、幅広い年代にわたる遺跡が地下に眠っていることで有名。予算不足のためか、「高校の文化祭」程度の内容で終わっているのが残念だった。 <「みやぎの昔々・地中からのメッセージ」展> 東北歴史博物館で開催中の同展を5月4日に1人で観覧。県内16箇所の旧石器時代から近世までの遺跡から出土した遺物を中心とした特別展。ずいぶんじっくり観たのだが、印象に残っているのは矢本横穴墓群出土土器の見事さ。横穴墓は付近の赤井遺跡(奈良時代の役所跡で都から派遣された役人が勤務)の役人やこの地の豪族の墓で、房総地方や東海地方で生産した土器と類似した特長を持つ。当時の日本政府の最前線にまでこのような質の高い生活品が届いていたことに驚いた。<続く><仙台国際ハーフマラソンの追加記録>442位 1:29:50 南仙台走友会 M川さん 頭の上の矢印「↓」を見落とした!575位 1:33:40 南仙台走友会 I垣さん あれからが相当頑張ったんだねえ!834位 1:43:00 住吉台走友会 S田さん まだ完全復活とは行かなかったかな? このほか見損じた方はお許しを
2009.05.12
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< ランニング関係 > 連休の前半は疲れが残っていて走る気が全く起きなかった。こんな時、私は決して無理をしないことにしている。先ずは疲労の除去と体力の回復が優先と考えるからだ。それでもこの連休中は、色んな刺激があって全然退屈はしなかった。 「刺激の元」は、やはりランニング関係の話題。昨年の暮れから続いている寛平ちゃんの「アースマラソン」は、毎日公式ブログを覗いて確認していた。また、連休前半の「さくら道ネーチャーラン」250kmには大崎市のK彦さんが出場して、見事完走のニュースを聞いていた。 4800km以上の距離を走る「トランスヨーロッパ」は、出場している2人のランナーのブログでレースの様子が良く分かるし、公式HPではS原パパや日本人ランナーの皆さんの成績も確認出来る。「萩往還」250kmの部に出られた走るナースさん、140kmの部に出られた大崎市のT田さんの奮戦振りも伝わって来た。 10日間の「うらエゾ」の走り旅に雲峰師匠やさり~さん、ちっちさんご夫妻が参加されたことも分かったし、師匠のHPで毎日の旅の様子も少し感じることが出来た。圧巻は520kmの長丁場を6日間で走る「川の道」。出場した秋田の走友Junさんの動向にはハラハラしたし、大会の公式HPで同じ走友会のD口さんも出場したことを偶然知り、大変驚いたものだ。出場した知り合いが全員完走出来たのが、連休中の嬉しいニュースだった。 満足に走れなかった私だが、他に救いがあった。前から欲しかったランニング用のグッズを買うことが出来たのだ。まずA店でランニングシューズ購入。翌日B店でワ○ール社のロングタイツ購入。その後前日得たポイントや割引券を使ってA店で、ポシェット、ソックス、テーピング用テープを揃えて大満足。 新しいシューズは100kmやフルのレースで大事に履く予定。これまでの底の堅いシューズも、足の状態がようやく履けるまでに回復したので時間走やマラニック及び練習用に使い、一番底が厚いシューズは散歩用と使い分けることにした。 何とか走る気が起きたのは「こどもの日」。この日は家から走友会の練習コースを一周。距離は自宅から自宅までで22km程度だが、まあまあ軽快に走ることが出来た。昨日は「仙台国際ハーフマラソン」の応援に行き、たくさんの仲間や走友達が頑張る様子を目の当たりにして刺激を受け、午後から走りに行った。前回同様に練習会コースの22kmだった。 昨日のランニングは「実験走」。ワ○ール社のタイツの「締め付け」具合、摺れ具合、走っていて暑く感じないかなどを実際に走って試すのが目的。曇天で気温も21度ほどだったためか、汗っかきの私でもさほど暑さを感じずに済んだ。体温の調節は上半身のシャツで出来そうだ。インナーは必要と感じたが、「締め付け」具合はほとんど苦にならない。ただ、走っていて若干脱げそうな感じが気になった。 そんな訳で、次の日曜日にある10時間走レースも、このタイツで走ろうと思う。曇り時々雨の予報なので、さほど暑さは感じないはず。調子が良ければ来月の「いわて銀河」もロングタイツで行くかも。今月はさほど距離を走れていないが、全然焦ってはいない。疲れを貯めず、レースでマイペースを守ることが、鈍足ランナーの爺には何より大事な「作戦」だからだ。<続く>
2009.05.11
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10時過ぎに自転車で家を出る。もう女子も男子もスタートしたはず。風が少し冷たく感じる。昨日の天気予報だと最高気温が25度になるとのことだが、まだ午前中だし風もあるので、それほど高い感じはしない。だが走っている選手はどう感じるだろう。 国道286号線まで行くと交通規制にかかる直前で、大勢の警察官が慌しく働いている。それを横目で見ながら、どんどんコースを北上する。上空ではヘリコプターのエンジン音が迫る。パチンコ店の横で新聞社が配っている応援の旗を1本もらう。15km地点を通過し、さらに北上。愛宕神社前のカーブになっている坂の頂上に陣取り、ラジオのスイッチを入れる。 解説は増田明美さんのようだ。間もなく車椅子のトップ選手が通過。速い速い。圧倒的なスピードで2位の選手にかなりの差をつけている。目の前が緩い登り坂。車椅子の選手達は苦しそうな表情で車輪を廻す。中には左手一本で懸命に廻している選手も。思わず「頑張って~!!」と応援。 暫くして先導車の後から男子のトップグループが通過。4、5名のアフリカの選手に混じって日本人選手が2名。男子は結局小森コーポレーション所属のジョロゲ選手が1時間02分02秒で優勝したようだ。その後から女子のトップが見えた。ホクレンの赤羽有紀子選手だ。思わず大声で叫ぶ。「赤羽~っ、世界選手権のマラソンも頼んだぞ~っ」。女子の部は彼女が1時間08分50秒のタイムで、2位に圧倒的な差をつけて優勝したようだ。 有力な実業団、大学、クラブチームの選手達はやはり速い。仙台と友好都市の協定を結んでいる外国の選手にも精一杯声援する。この後、所属走友会の仲間が次々に目の前を通過し、その都度思わず大声を上げた。殆どが分かってくれたようだが、中には逆に私を見つけてくれた仲間も。以下に走友達の記憶と記録を列記したい。<走友会の仲間達>171位 1:18:51 H郷さん 着ていたユニフォームがどんなのか分からずに残念!200位 1:20:15 O内さん さすがはサブスリー選手だけあって余裕でしたね♪230位 1:21:31 A部さん 余裕たっぷりの表情で笑顔で通過でしたね♪241位 1:22:01 TMさん 奥様は余裕の笑顔でしたが、ご主人様は?306位 1:24:29 S水さん わざわざ東京からの参加、ご苦労様でした!460位 1:30:27 K野さん 飲み会では名司会の事務局長も今日はお疲れ?472位 1:30:41 H岡さん 疲れているはずなのに、良く見つけてくれましたね!477位 1:30:51 D堂Jr 昨年より楽そうに走っていたのは練習の成果ですね♪803位 1:40:40 M仙人 最高齢完走者の名誉を今年もゲットはさすがですね♪女子55位 1:32:18Y子さん あの余裕の笑顔はさすが。堂々の復活おめでとう♪<その他の走友>303位 1:24:27 市役所G藤さん 安定した走りっぷりはベテランの領域ですね!408位 1:28:39 市役所A部さん 冷静そのものの表情は十分な練習のせいか?818位 1:41:26 明走会TAさん サングラスでしたが確かAさんですよね?838位 1:43:15 明走会M井さん 私を見つけてくれたのは余裕?それとも?女子102位 1:39:39 明走会リリーさん とても私と同い年とは見えない若さ♪252位 1:22:29 住吉台走友会 走る気象予報士さん 八戸でも頑張ってますね!273位 1:23:10 住吉台走友会 S木Kさん 淡々と走ってましたが強かった!761位 1:39:00 住吉台走友会 S木Sさん 元会長かなりお疲れ気味でしたが?735位 1:38:10 大崎市C一さん ウルトラも強いけどスピードも凄い爺ちゃん♪764位 1:39:09 大崎市S木さん 気づかなかったけど名簿で分かりました!513位 1:32:00 仙台のH景さん 「東北ブロック新春」では苦しそうでしたが? このほか我が走友会のI垣さん、住吉台の走る魚屋さんの姿を確認したのですが、フルネームが分からず、完走者名簿で見つからず済みませんでした。また、これまで第1回から連続出場中だったU海さんの姿が見られなかったのが、とても淋しく感じました。出場された皆様、大変お疲れ様でした。
2009.05.10
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< カラオケ大会 > 毎年4月28日には我が社のカラオケ大会がある。「天皇誕生日」→「みどりの日」→「昭和の日」と呼び方が変わった4月29日の前日と開催日が決まっているのだ。会場の店に行くと受付で会社の役員などが待ち受けている。指定された部屋は他の現場の方と一緒。果たして知ってる人がいるのか心配だったが、3月まで同じ現場だった人が2人居て安心する。 お寿司が各人について、他にもたくさんのオードブル。既にビールで酔った仲間が歌い始めていた。私も急いで食べ、かつ飲んで、曲をリクエスト。年に1度のカラオケなので調子が出るまで若干時間がかかるが、全部で6曲は歌った。全て昔の歌ばかりだ。他の現場の知らない人と飲みかつ歌うのにも慣れ、あっと言う間に2時間が経ち解散となった。< 走友会のお花見 > 翌日は走友会のお花見が近所の公園であり、愛犬を連れて参加した。ソメイヨシノは既に散っているが、この公園には八重桜もたくさんあって花の時期が長いのだ。おまけに花見客は少ないためほぼ貸しきり状態なのが嬉しい。幹事さんが準備してくれた団子や焼き鳥などをつまみにして、仲間と飲む酒は楽しく酔える。おまけに我が愛犬マックスも色んな人に可愛がってもらえて感謝でした。 後日M井さんやK野さんのHPに、楽しげな仲間と共に我が家の三男坊マックス君(10歳オス)の写真もたくさん載せていただいた。あの節は主従共々お世話になりました。私はかなり酔ったものの「草なぎ状態」にならずに済み、何とか愛犬に連れられて無事に帰宅出来たことをここに報告します。< 動物園 > 家から3kmほどの動物園に行ったのが5月3日。妻は以前孫達と一緒に入園したことがあるが、私は今回が初めて。「豊齢カード」で無料なのが嬉しい。中は結構広くて歩き甲斐があり、お握りが美味しく感じた。特に珍しい動物はいないが、オオワシの大きな鳴き声にはビックリ。帰宅ランの際に聞こえた声の主がオオワシだと判り謎が解決した。< 食事と映画鑑賞 > 明日は母の日だが、妻も私も用事がある。そこで我が家では1日早目に母の日を迎えることにした。昼食は妻の希望で近所のレストランへ。妻は鶏肉がメインのコース料理、私は仙台牛のハンバーグのセット料理。そして小ぶりだがとても美味しいパンが食べ放題。もちろん料金は私の小遣いから。 その後鑑賞した映画は「重力ピエロ」。原作者の伊坂幸太郎は宮城県出身の作家。そして撮影現場の殆どが仙台市内と言うことで、全国公開の前に県内で先行公開中の話題作だ。一応サスペンス映画なのでストーリーには触れずに置く。懐かしい風景がスクリーンに映し出されると「あっ、あそこだ!」と心の中で叫んだ。因みに母親役の鈴木京香は大学の後輩。この料金も私の小遣いからで、妻も喜んでくれた「母の日」だった。。次回に観る映画も決定。<続く>
2009.05.09
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< 紀行文執筆と応援に熱中した日々 > この連休は、先月行った平泉の歴史と俳句を中心とした紀行文の執筆に熱中していた。書き始めたのが4月27日の月曜日で、書き終えたのが5月7日の木曜日。毎日3千文字から4千文字以上を書き続ける作業は、私にとってかなりきついものだった。 自分が作った下手な俳句についてはどうにでも書ける。また現地で見て来たことを再現するのは、さほど困難な作業ではない。問題は歴史的な事実を書く際の調査だ。平泉の資料は4月に旅行した際に何種類か入手していて、かなり参考になった。後は伊達藩、一関藩、宇和島藩のことなどをウィキペディアで調べた。それでも私が書いたことに事実誤認があって、翌日慌てて書き直した箇所もあった。 俳句と歴史を交えた紀行文執筆。この試みは苦しくもあったが、またその一方で楽しい作業でもあった。変な譬えだが、調査を要する長い文章を書くことは、案外ウルトラマラソンに似ているかも知れない。苦労を乗り越えた先に喜びが待っていると言うか、或いは挑戦した者だけに与えられる喜びと言えようか。 前半の自分はかなり草臥れていた。その疲労の中で、1回の執筆が4時間にも亘る日もあったし、調査だけで1時間以上かかる日もあった。書きたいと思うことの殆どを書いた積りだが、書き忘れたこともある。例えば中尊寺金色堂の須弥壇の下に、奥州藤原氏初代清衡、第二代基衡、第三代秀衡のミイラと第四代泰衡の首級が納められていることなどだ。 頼朝軍によって滅ぼされた泰衡が首を切られたことは理解出来るが、胴体はどうなったのか。何故三代に亘って藤原氏がミイラとなったのか。これは生前からの意向が強く影響しているように思う。つまり死後自らも仏となって平和都市平泉を守ると言う考えだが、果たして実際はどうだったのか。 紀行文を連載しながら、2つのことが気掛かりだった。1つ目は走友が参加していた「川の道」520kmのレース。秋田のJunさんのブログへの書き込みが、スタート後190kmの埼玉長野県境辺りで途絶え、その後の状況が掴めずはらはらしたことだ。だが、彼の性格と昨年のレース状況を知っていたため、苦しみながらもレースを続けていることを信じていた。 新潟の走友、銀のねこさんが第5日目にゴール地点まで行き、スタッフの方にJunさんの情報を確認してくれ、彼が苦戦しながらも頑張って走っていることが判った。結果は制限まで30数分を残してのゴールだった。傷む足、襲う眠気と戦いながらも完走した彼は、その翌日秋田の自宅まで車を運転して帰ったはず。その気力には脱帽だ。 気掛かりの2つ目は我が東北楽天の動向。田中マー君が4連続完投勝利の後、「肩の張り」を訴えて戦線離脱。やはり開幕後の勢いは一時的なものに終わるのかと思ったのだが、その懸念は良い方に裏切られた。思わぬ新人井坂の活躍などもあって、魔の9連戦で何と7勝2敗の好成績。全く嬉しい誤算だった。そして登録抹消の田中にも、初の月間MVP受賞の嬉しいニュースも飛び込んだのだ。連休中の他の話題については明日に譲ることにしよう。<続く>
2009.05.08
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< 平泉と世界文化遺産 > 高舘義経堂前から再びバスに乗り、柳之御所資料館へ向かう。その途中、田圃の中に島のようなものが車窓から見えた。奥州藤原氏第三代の秀衡が京の宇治平等院を模して建てたといわれる、特別史跡の無量光院跡だ。この寺は祖父清衡が建てた中尊寺や父基衡が手がけた毛越寺と同様、この世に建てられた極楽浄土であり、発掘調査によれば平等院の鳳凰堂より一回り大きく作られていたことが判ったそうだ。 バスは間もなく北上川方向へ左折する。国指定史跡の柳之御所は、長い間初代清衡の私邸と考えられて来た。ところが長期間の発掘調査によって、そこは藤原4代に亘る平泉の政庁だったことが判明したのだ。膨大な埋蔵物を収めているのが「柳之御所資料館」。かねがね噂には聞いていたが訪れるのは初めてのことだ。 発掘された遺物の中には中国渡来の白磁の壷や青白磁の皿も。これは奥州藤原氏の有り余る財力を物語る。大量の「かわらけ」は「政庁」には大勢の侍が仕え、頻繁に儀式を行っていた証。そして烏帽子や儀式の際の服装を墨書した「折敷」(おしき)の出土は、ここ平泉が整然とした政治体制の下に治められていたことを意味する。 井戸の跡、下駄、宋銭などからは、生活の匂いが感じられる。その典型は「ちゅうぎ」(ちゅうは竹かんむりに寿)だろうか。これは当時のトイレットペーパー。つまり排便時には木製の棒を使用していた訳だ。厠(トイレ)からは当時の人々が食べた、瓜の種なども出土している。ここで往時を偲んで一句。35) 四代の 栄華の跡や 春の夢 <柳之御所跡> 先に世界文化遺産候補として申請したテーマは、「平泉と浄土思想」。そしてその候補となった構成要件は、1)中尊寺 2)毛越寺 3)柳之御所遺跡 4)無量光院跡 5)金鶏山 6)白鳥舘遺跡 7)長者ヶ原廃寺跡 8)達谷窟 9)骨寺村荘園遺跡 であった。昨年の暮れだったか世界遺産の事務局から再検討を求められ、6)以降の4件を除外して再申請手続きを取ったが、とても残念なことだ。これはあくまでも一時的な措置と聞いている。 ひょんなことから夫婦二人で平泉へ花見に行くことになった今回の旅。たまたま妻がメモ帳と筆記用具を持っていたことから、偶然下手な俳句を作ることになった。また、待ち時間がありJR一関駅の改札口を出て少しの間だけ市内を散歩したことが、東北の歴史を振り返るきっかけとなった。全て偶然から出た俳句と歴史の旅だったが、さらに紀行文を書くと言う課題にも挑戦することになった。 ろくろく知りもしない東北の歴史に加えて、全く出鱈目な俳句作り。恥を曝すのは承知の上で挑戦した紀行文だが、今は拙いなりにも書き終えてほっとしているのが正直なところだ。歴史の真実を極めることは、俳句が上達することよりもさらに困難な作業を要する。日本史の謎が少しでも解けるよう、今後も呆けた頭をより一層絞って考えたいと思う。11回(第5回がダブっていたため訂正)にも亘る駄文に付き合って下さったことに心から感謝し、筆を置きたい。<完>< メモ > 1)「川の道520km」関係。今日の午後、大会事務局のHPを確認したところ、完走者の名簿が記載されていました。応援していた秋田のJunさんは第6日目まで走り続け、制限時間の約50分前に、ゴール地点の新潟市に無事到着したようです。タイムは131時間12分20秒で第31位の成績でした。同じ走友会のDさんも19位で無事ゴール。かつて「佐渡島一周」を走った仲間のT内さん(千葉)が9位で、S潟さん(神奈川)が37位でゴールされていました。多くの走友が頑張って完走出来て喜んでいます。 2)「萩往還道」140kmの部に出ていた大崎市のT田さんは無事完走。T田さんおめでとうございま~す。一方250kmの部に出ていた長野の走るナースさんは、200kmを越えた地点で残念ながらリタイヤしたみたいです。皆さんそれぞれ良く頑張りましたね~。お疲れ様でした
2009.05.07
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< 英雄義経の最後と伝説 > バスの中から旧観自在王院庭園が見える。今は広々とした庭が残っているだけだが、基衡の夫人が造営した寺は毛越寺と競って、さぞ見事な景観を呈していたことだろう。清衡が建てた中尊寺は「陸奥中央に位置する尊い寺」。そして基衡、秀衡親子によって建立された毛越寺は、きっと「毛人=蝦夷=を越えた寺」との想いを込めて名付けられたのだと思う。 高舘に向かう途中、車窓から「金鶏山」と言う小山を探す。山頂には平泉の永遠の繁栄と人々の平和を祈念して、藤原氏が経典を埋納したと伝えられている。仏教都市平泉の原点とも言えるその山を、私はどうしても確認したかったのだ。探しあぐねて運転手に尋ねると、「あれがそうだ」と教えてくれた。ぶっきらぼうな答えではあったが、場所が確定出来て良かった。 再び中尊寺の前を過ぎ、高舘義経堂(たかだちぎけいどう)前で下車。小高い山に向かって歩く。石段の脇に案内所。ここで200円の拝観料をしっかり取られた。急な石段を登ると眼下に北上川の流れが見えた。その対岸には大文字の跡を残す束稲(たばしね)山。きっと討たれた義経だけでなく、頼朝軍に滅亡させられた奥州藤原一族の冥福を祈って、今でもお盆には送り火が焚かれるのだろう。 29) 山霞み 大河悠然 陸奥の春 <義経堂> 右手に進むと芭蕉の句碑があった。 「夏草や 兵共が 夢の跡」 松尾芭蕉 京の鞍馬山から平泉へ逃れていた義経が、兄頼朝が平家を討つために挙兵したと聞いて馳せ参じようとした時、秀衡は必死に止めたようだ。だがどうしても兄の元に行きたいと訴える義経を止められず、何人かの郎等を彼に与えた。黄瀬川の陣以降源氏の勢いが勝り、天才的な戦いぶりの義経が加わったことで、平家打倒に一層はずみがついた。 従兄弟である木曽義仲の京からの追討、一の谷の戦いから屋島の戦いへ。そして壇ノ浦での海戦でついに平家を滅亡させての凱旋。だが兄頼朝は怒って義経追討の宣旨を出した。義経が勝手に帝から官位をもらったと言う理由だが、武士による天下統一を目指していた頼朝にとっては、戦上手で人気の高い弟をそのまま放置しておいたら、やがては問題が生じると考えたのだろう。 京から逃れた義経を匿った藤原第四代の泰衡に対して、もし義経を討てば平泉は安泰だがそのまま庇護すれば滅ぼすと迫った頼朝。あれほど父秀衡からは、「戦上手の義経とは誼を通じ、最悪の場合は義経と共に頼朝軍と戦え」と諭されていたにも関わらず、泰衡は平泉の安寧のため義経を急襲したのだ。泰衡の裏切りを知った義経はここ高舘において自害する。享年31歳だった。 弁慶は最後まで主を守って奮戦。全身に敵の矢を受けての大往生だったと言うのが後世に作られた物語。ただ、弁慶のモデルとなった警護僧が義経の身辺に数人いたことは確かなようだ。芭蕉の句は義経と、泰衡ら奥州藤原氏の栄枯盛衰を偲んでのものだろう。ひっそりと静まり返る高舘で、今は満開の桜が咲き誇るばかりだ。30) 俳聖の 句碑在り 大河前にして <義経堂> 31) 春麗 義経死して 九百年 <同> はるうらら32) 春爛漫 枝垂れ桜や 義経堂 <同>33) 急坂の 桜潜りて 義経堂 <同>34) 義経が 討たれし館の 桜かな <同> 判官びいきの日本人は義経が好きだ。その強い気持ちが、義経はここから落ち延びて蝦夷地(北海道)から大陸へ渡り、チンギスハーン(ジンギスカン)になったと言う突飛な伝説になった。明治期に入ると北海道のアイヌを同化するために、政府は日本人とアイヌとは同祖と言う作り話をでっち上げ、平取村に「義経神社」を作った。アイヌの英雄と義経が同一人物だとの触れ込みだった。<続く>< メモ > 1)今日はまず地底の森ミュージアムで企画展「富沢あたりの今・昔」展を観覧。これは我が家のごく近所のちょっとした歴史を扱っています。その後仙台市博物館へ行き、特別展「朝鮮王朝の絵画と日本」を観覧。こちらは朝鮮王朝の絵画が我が国へどのような影響を及ぼしたかを考察するものでした。 2)「川の道520km」を走ったJunさんの情報は、その後入っておりません。今朝はゴール地点の新潟から秋田の自宅まで、痛む足で運転しながら何とか帰宅されたことと思います。きっと明日にでも彼のブログに結果が載ることでしょう。
2009.05.06
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< 毛越寺(もうつうじ)にて > 表門を潜って毛越寺の境内へ入る。真っ直ぐ本堂へは向かわず、池の周りを反時計回りに廻って常行堂方向へ。ここの庭園は平安時代の庭園遺跡がほぼ完全に残っていると言う理由で、特別史跡と特別名勝に指定されている。その池へは山からの鑓水が大きく蛇行しながら流れている。 これは確か何年前に発掘されたと聞いた。平安時代、酒を注いだ杯が自分の目前に流れて来るまでの間に歌を詠む、つまり曲水の宴を楽しんだ遺構なのだ。かつてそのような優雅な遊びがここで行われたと知ってか知らずか、一体の地蔵尊が佇むばかり。そして鐘楼があった場所には1本の枝垂れ柳が心もと無さそうに立っていた。24) 曲水も 桜も観ずに 石地蔵 <毛越寺>25) 大池や 鐘楼跡に 桜立つ <同> 大池に浮かぶ中島。かつてはその中島を経て、対岸まで朱塗りの橋が架かっていたとか。また池に船を浮かべ、観月の宴を催していたようでもある。高橋克彦の小説「炎立つ」でも、都から遥々落ち延びて来た義経主従を、第三代藤原秀衡が池に船を浮かべて歓迎したと記されている。 今でこそ境内に遺された寺の数は少ないが、全盛時は40余の堂宇と500余の禅房があったと言う。40余の塔頭、300余の禅房があった中尊寺より、さらに大規模の寺だったことがそれで分かる。今は寺院の柱の基盤だった礎石(そせき)しか残っていない。まさに栄枯盛衰の理(ことわり)そのもの。松が美しい塔山を春風が吹き過ぎる。その静けさも借景の一つ。26) 伽藍無き 礎石を撫でて 春の風 <毛越寺>27) 静謐を 借景にして 古寺の春 <同>28) 古池や 松籟一千年 止まず <同> しょうらい=松風 緑溢れる広い境内を妻と歩く。朝からかなりの距離を歩いたせいか、妻は疲れて来たようで寡黙になった。本堂を経由して表門へ。さて、次は何処を訪ねようか。再び巡回バスに乗って高舘(たかだち)の義経堂(ぎけいどう)へ行くことに決めた。そこは義経が住まった屋敷跡で、第四代泰衡が頼朝の甘言に乗って義経主従を襲った場所でもある。<続く>< メモ > 1)「川の道520km」Junさん情報。今朝、新潟の銀のねこさんが、ゴール地点までわざわざ出向いてスタッフの方に確認したところ、秋田のJunさんは足を痛めて苦戦してはいるもののまだコース上を頑張って走っていると教えてくれたそうです。ゴールの最終制限は、今夜の9時。残り数十分だけとなりました。制限時間内に何とかゴールしてくれることを祈っています。 2)今日はようやく疲れが取れたと感じ、この連休中で初めて走ることが出来ました。距離は22kmほどです。午後から妻と東北福祉大学の芹沢美術工芸館へ行き、芹沢コレクションの一つである「日本の絵画特別展」を観覧して来ました。今日のブログが遅くなったのは、一度書いた日記がミスで消え、再び書き直したことも関係しています。
2009.05.05
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< 中尊寺から毛越寺へ > 江戸時代、仙台藩は何度か中尊寺の修復工事を行っているが、芭蕉が訪れた当時の中尊寺はどんな姿だったのだろう。金色堂の昭和大修理が行われたのが昭和41年から43年までの3年間。当時の貫主は小説家として名高い今東光で、僧籍に入ってからの名は春聴。彼はやがて天台宗の大僧正となった。ここ中尊寺で彼から得度を受けたのが同じく小説家の瀬戸内晴美。彼女は師の一字をもらってこの日から寂聴と号した。 帰路、本堂へ立ち寄る。高い樹木に囲まれて静まる堂宇。その近くに能舞台。寺の境内に能舞台とは不思議だが、開祖円仁が加賀の国から白山神社を勧請したと寺伝にあることと無関係ではないだろう。当時は神仏混交の時代だったのだ。22) 悠久の み寺に添ひて 杉と松 <中尊寺本堂> この句は境内で作ったものだが、帰宅してから数日後に浮かんだのが次の句。広い境内に咲いていた桜、スミレ、カタクリ、イチリンソウ、ショウジョウバカマなどの花々が、きっと私の脳裏に強いイメージとして残ったのだと思う。絵で言えば抽象画のようなものだろうか。頼朝軍が弟義経及び彼を匿った泰衡を攻め滅ぼした時も、この寺を焼くことはなかったのだが、1300年代に入って中尊寺は焼失する。原因は野火だった由。23) 往き往きて 往き往きてなほ 花の寺 ずいぶん長い時間楽しんだ中尊寺を退散し、月見坂を下ってバス停へ急ぐ。疲れたのか、どうも妻の歩みが遅い。そろそろ巡回バスが着くころと思う間もなく、バスの姿が見え出す。急がせてもマイペースの妻。思わず大きな声で妻を呼んだ。私が次に行きたかったのは「柳之御所」。ここは藤原四代の政治を司った政庁で、永年の発掘調査で出土した大量の遺物を収容する資料館がある。だが妻の反応が鈍い。私と違って考古学には興味がなく、きっと不満なのだろう。仕方なく第二代藤原基衡が建立した毛越寺(もうつうじ)へ向かうことにする。<続く>< メモ > 1)「川の道520km」関係。トップは本日の未明にゴール。第19CP(新潟県津南町=394km地点)を通過した選手の中にJunさんの名はなかった。ニセコさんこと千葉のT内さんが8位で、また我が走友会のD口さんが朝の5時過ぎに19位で通過したようだ。2)「トランスヨーロッパ4480km」15日目関係。S原パパ59名中51位で本日も完走。既にリタイヤしたのが5人。「八丈島一周」で重たい火山弾を持って走った栃木のHさんも今日はスタートラインに立たず、無念のリタイヤのようだ。3)4万2千kmの「アースマラソン」を走っている寛平ちゃんは、スタート後139日目。今日はアメリカ大陸上陸後の走行距離が2000kmを越え、6つ目のカンザス州へ入った。アメリカ国内2つ目の標準時を通過した由。4)今日は東北歴史博物館で特別展「みやぎの昔々 ~地中からのメッセージ」を観覧。その後スポーツ店でランニング関係のグッズ数点を購入。8月の「立山登山マラニック」ウォークの部に申し込む。
2009.05.04
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< 初めての金色堂 > 「ききもせず 束稲やまの さくら花 よし野のほかに かかるべしとは」 西行 束稲山(たばしね)山は標高600mほどの山で、北上川を挟んで中尊寺の真東に見える。なだらかな山容が良く見える場所に西行の歌碑は立っていた。解説文によれば、天養元年(1144年)彼が26歳の時に詠んだ歌のようだ。彼が再びこの地を訪れたのは死の4年前の68歳で文治2年(1186年)の時。藤原三代目当主秀衡に東大寺再興を勧進するためのようだが、旅の途中で鎌倉で頼朝にも会っている。頼朝が弟義経を匿った平泉の藤原氏を滅ぼすのが文治5年(1189年)だから歴史とは非情なものだ。13) 束稲も 霞みたりしか 西行碑14) 西行の 歌碑苔むして 青樹の実 そんなことにはまるで無頓着のように、苔むした西行の歌碑が立っている。そして碑の側には、たくさんの赤い実をつけたアオキの木。北上川が流れる穏やかな春の風景を目前にして、私と妻はここで遅めの昼食を摂った。 月見坂をさらに登って行くと宝物館の讃衡館があった。金色堂と共通の入場券を買って入館。中尊寺には3000点を越す国宝と重要文化財が遺されているが、その中でも中心となる仏像や経典がここに展示されていた。まさに目を奪うような見事な美術品の数々。15) 閑けさや 古寺の秘仏に 桜風16) 春の古寺 仏三尊 瞑目す17) 鮮やかに 古代甦へる 寺宝かな18) 金銀の経文 密やかに光る 金銀の経文とは、国宝に指定された「紺紙金銀字交書一切経」のこと。一行ごとに金と銀の字に分けて書かれたこの経文が完成するまで6年が掛かったとか。製作に当たった別当職の僧に与えられたのが一関市に残る骨寺荘園。この荘園も世界文化遺産に含めて申請されたのだが、再申請手続きの際に除外された。極めて残念なことだ。続いて金色堂へ。松尾芭蕉がここで詠んだ俳句は余りにも有名だ。 五月雨の 降遺してや 光堂 <芭蕉> 芭蕉にあやかろうとしたわけではないが、私もここで1句ならぬ3句詠ませてもらった。もちろん比べようも無い駄作ではあるが。19) 春風も 閑まりてゐし 金色堂20) 四代の 夢金色に 阿弥陀仏21) 薫風や 一千年の 古寺眠る <続く>< 今日のメモ > 1)「川の道520km」を走ってる秋田のJunさんだが、彼のブログには昨日の朝に埼玉、長野県境の三国峠を無事通過した後のことが書かれていない。大会の公式HPを見たが、265km地点第13チェックポイント(中間地点)の小諸を通過した20位までの選手名が紹介されているが、彼の名前はなかった。ただ、その後に24名の選手が通過したことが記されているが名前までは載っていない。合計44名の中にJunさんも入っていることを信じたいと思う。 2)今日の記録。早朝のうちに畑から出た石ころ(バケツ4杯分)を捨てに行く。午前中妻と歩いて動物園まで行き見学。私は市から給付された「豊齢手帳」で無料だった。今日は竹の子、ニジマスなどのもらいものが多く、早速夕食のおかずとして登場。
2009.05.03
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< 中尊寺境内にて > 月見坂を登って中尊寺の境内に入る。結構急勾配だ。両側には杉の並木があり、やはりここが古い寺であることを感じさせてくれる。えっちらおっちら登って行くと、土手に可憐なスミレの群落。そしてその先に幾つかの堂宇が見えて来る。10) 月見坂 疲れし先に 菫かな <中尊寺境内>11) 杉参道 古代の夢に 繋がりて <同>12) 片栗も 桜もありて 弁慶堂 弁慶堂は弁慶の菩提を弔ってのものだろう。だが歴史上その存在が確かめられていない弁慶を供養するためのお堂が何故建てられたのか。弁慶のことについては、後刻義経堂を訪れる際に併せて記述したい。さて、円仁(794年~864年)開山と伝えられる中尊寺だが、建立したのは奥州藤原氏初代の藤原清衡(1104年~1177年)だ。 清衡の父藤原経清は、今で言えば宮城県亘理郡の長官だった。母は東北古来の蝦夷(えみし=地方豪族)の雄である安倍氏の娘。いわば中央政府の役人と現地人のハーフとして生まれたのが彼。 ここで少し歴史を紐解くことにする。源頼義、義家親子が出羽の清原氏と結んで、奥六郡を支配していた安倍頼時、貞任、宗任親子を滅ばしたのが前九年の役。夫を失った清衡の母は、望まれて清原氏に嫁す。清衡も連れ子として清原氏の一族となり清原清衡を名乗る。だが平安も束の間。やがて一族内で生じた内乱に付け入り、源義家は清衡と結託して清原氏を滅ぼす。これが後三年の役だ。 こうして再び陸奥に平和が訪れ、清衡は奥六郡の主となって父方の姓藤原氏を名乗る。百年間の栄華を誇った奥州藤原氏の誕生だ。清衡は2つの大戦で多くの命が失われたことを悲しみ、亡くなった人々の菩提を弔うために中尊寺を建てた。 清衡の夢はこの平泉を平和な仏教都市、すなわち浄土とすることだった。そのため金鶏山山頂に経文を埋葬し、都市作りする。「陸奥の中央に位置する尊いお寺」として建立されたのがシンボルの中尊寺。長治2年(1105年)に着工し、落成が大治元年(1126年)。完成まで11年を要した。この間、天治元年(1124年)に金色堂が落成し眩い姿を現している。 歌僧西行法師(1118~1190年)がこの地を訪れたのが天養元年(1144年)。まだ清衡が存命中のことだ。きらびやかな奥州平泉の噂は、きっと都まで伝わっていたのであろう。だからこそ陸奥の歌枕を訪ねる旅の途中に、中尊寺にも立ち寄ったのだと思う。束稲山を眼前にした境内の一角に西行の歌碑が立っていた。<続く>< メモ > 1) 秋田のJunさんは「川の道520km」の第3日目に突入。今朝早く埼玉県から長野県に入った模様。既に200kmを走ったのは確実。本人のブログには「眠くて意識が朦朧」とある。初日から熱中症と戦って来た疲れが出て来たのだろう。眠れる時に少しでも眠って、何とか前進して欲しい。 2) 今日の出来事。早朝から野菜の苗を植え、種を蒔き、支柱を施す。午前中から妻と連れ立って「河北美術展」並びに「レオナール・フジタ展」を鑑賞。特にフジタ(藤田嗣治)展は素晴らしかった。
2009.05.02
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< 歴史と真実 > 高野長英はかつて水沢藩士だった。それがやがて敵対する宇和島藩に迎えられるのだから歴史は面白い。伊達宗城は長英から本家筋に当たる仙台藩や水沢、一関両藩の動向などを聞き出したのかも知れない。江戸へ戻った長英は硝酸で顔を焼き人相を変えた。だが脱獄囚だった彼はついに捕らえられ、処刑された。いわゆる蛮社の獄である。 原付で四国一周をした14年前、私は宇和島城へ立ち寄ったことがある。丘の上の可愛らしい小さな城。果たしてあんな小さな城に大勢の藩士が集まることが出来たのだろうか。そう思えるほどの規模だった。「天赦園」とか言う藩の庭園の標識も見た。「四万十川ウルトラマラソン」で高知に向かう途中だったが、時間がなく見学は出来なかった。 どうやら一関でずいぶん道草を食ったようだ。先を急ごう。JR一関駅へ戻った私と妻は再び電車に乗って平泉へ向かった。わずか2駅で平泉駅へ到着。駅前の観光案内図を見ると、中尊寺までは徒歩で35分とある。「結構遠いなあ」。そう思った時、目の前に1台の観光バス。平泉の観光スポットを巡回するようだ。案内所で訊ねると1日フリー乗車券が300円。これは助かった。道理で誰もタクシーに乗らないわけだ。 バスの座席に落ち着き、行き先を決める。何と言っても最初は中尊寺だろう。毛越寺(もうつうじ)で途中下車せず、中尊寺へまっしぐら。ところがバスの中で聞いた音声ガイドがどうもおかしい。何やら「えんじん・・」とか言っている。「エンジンがどうかしたのか?」。やがて真相が分かった。流れていた音声は中尊寺の開祖、円仁の説明だったのだ。 全く呆れた話だ。円仁は「えんにん」と読む。松島の瑞巌寺や山寺の立石寺の開祖と伝えられ、山寺では「えんにんさま」の名で親しまれ、土産品の名前にもなっている。それが世界文化遺産申請中の平泉で重要人物の名を読み間違え、しかも誰も気づかないとは。 第三代天台座主、慈覚大師円仁は延暦13年(794年)下野国(現在の栃木県)に生まれ、貞観6年(864年)没。出自は壬生氏。9歳で仏門に入り、15歳の時に唐から帰った伝教大師最澄に師事すべく延暦寺に入る。44歳の時一念発起して唐に渡り修行を積む。帰国後「日唐求法巡礼行記」を著述。開山、再興した寺院は関東で209寺、東北で331寺と伝えられている名僧だ。 一生涯中にそれだけの数の寺を開山、再興することは常人には不可能なことのように思える。「弘法大師が杖を立てたところから泉が湧き出た」と言う類の高僧にまつわる伝説ではないか。バスは中尊寺の入口で止まった。そこからは徒歩で境内に向かう。その入口に大きな石がある。標識には「弁慶の墓」と記されている。ここで一句。9) 弁慶の 墓も桜に 衛られて <中尊寺> 常に義経と共に行動し、義経が襲われた最後の時も、その身に矢を受けながら死んだと伝えられる僧、弁慶。だが歴史書に彼の名はない。京の五条大橋で牛若丸と戦い、「安宅関」では白紙の経文を読み、義経を杖で叩いた有名な場面。信じられないだろうが、それらは全て後世の物語の中で作られた偶像なのだ。<続く>< メモ > 「川の道」2日目。午前11時現在。秋田のJunさんは埼玉県秩父市の140km地点手前を通過。相当暑さに参っている感じでとても心配。ひょっとして熱中症かも。頑張れ~っJunさ~ん
2009.05.01
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