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2月11日朝5:50、東京駅八重洲口に夜行バスが到着しました。バス停前の牛丼の吉野家で食事を済ませ、JR東海道線に乗って鎌倉を目指します。実は鎌倉に行く前に1ヶ所立ち寄りたい場所がありました。電車は大船駅に到着。ここで下車し、駅の改札を出て徒歩1分…。昔からこの大船観音を一目見て見たかったのです。朝焼けに照らされた巨大な『白衣観音像』と青空のコントラストが素晴らしかったです。朝から、なんだかすがすがしい気持ちになりました。ちなみにこの観音様は小高い山の上に建てられていて、胸から上だけの像となっています。そのため、胸から下はまるで山に埋まっているかのように見えてしまうのです。高さ:25.39 m(頭のてっぺんから胸部まで)、重さ:1915トンです。当初は、頭から爪先まで造ろうと計画をしていたそうですが、この山の地盤が悪いために、諦めて胸部より上だけを造る事になってしまいました。いや~、でかいっすね~。さぁ、鎌倉・江ノ島に向けて出発~。つづく。
February 27, 2007
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東京⇔京都・大阪を移動する場合、新幹線を利用する方が大半だと思います。僕もそうしたいところですが、早朝(朝6時頃)に東京に着きたいなら、夜行バスを利用するのがベストだと思います。前のブログでも書いた寝台急行列車の『急行銀河』を利用することも考えましたが、新幹線の料金よりも値段が高くなってしまうので、選択肢から外しました。以前急行銀河を利用した理由は、夜行バスに自転車を持ち込む場合、重量制限(10 kgまで)にひっかかるためです。今回は、早朝に鎌倉へ到着できるようにと思い、激安の夜行バス『フライングスニーカー京都・茨木号』を利用することにしました。お値段を聞いて、びっくりされると思いますが、大阪⇔東京の片道料金がな、な、なんと4800円です。京急のホームページより近鉄バスと京急バスの共同運行です。僕は職場から路線バスで15分ぐらいの阪急茨木駅から乗車しました。このバスは、阪急茨木→JR茨木→京都駅→東京駅→東京営業所の順に停車して行きます(往路はその逆)。さすが大型連休の影響でバスは超満員になるだろうと予測していました。しかし、阪急茨木駅でこのバスを待っているお客さんは、数人しかいません!?あれ?っと思いつつ、JR茨木駅に到着。ここでも数人のお客さんしか乗ってきませんでした。こりゃ~ラッキー、隣の席が空いているし、座席2つを独り占めできる~と喜んでおりました。バスはJR茨木駅を出発し、高速道路を走り、約30分ぐらいで京都駅に到着。すると、さっきまでの喜びも一発で吹っ飛んでしまいました。京都駅から、わんさかわんさか乗ってきます。あっという間にバスは超満員。僕の隣には同い年ぐらいのまじめそうな男性が乗っています。京急のホームページより一般的に夜行バスといえば、3列シートですが、このバスは格安と言うこともあって、4列の狭いシートです。座席を取るなら、絶対通路側がオススメです。窓側は隣にお客さんが乗ってきた場合、すごく狭く感じるし、バスの後方に設置されたトイレに行くには、お客さんをまたいでいかなくてはいけません。しかも冬場は窓から冷気が来て、寒い。さらに、消灯後には街灯や車のライトが車内に入るのを防ぐために、カーテンは絶対に閉めていなくてはいけません。ですから、窓側に座るメリットはありません。今回、僕は通路側だったので、ラッキーでした。ところが…いつもhappyなわけではありません。京都駅から僕より2~3歳若いと思われる女性が、通路を挟んだ僕の隣に乗ってきました。その人…香水の匂い、臭すぎ~~~その人が動くたびに香水の匂いが車内に充満します。「もう、頼むから動かないでくれ~」って嘆いていました。バスは養老サービスエリアで停車し、約20分ほど休憩をとります。ほとんどのお客さんが下車して、トイレに行ったり、食べ物や飲み物を調達します。面白かったのは、なんと別の夜行バスに乗車している人が間違えてこのバスに乗って来ました。1人や2人ではありませんよ。4人ぐらい間違えて乗ってきて、「アレ?」っと気付いて、サッサと降りていきました。養老サービスエリアを出ると車内は真っ暗になります。バスの中は意外と静かです。イビキも聞こえません。て言うか、みんな眠れないんでしょうね~。養老サービスエリアを出ると、さらに2ヶ所のサービスエリアで停まりますが、お客さんは降りる事ができません。その停車は運転手さんが仮眠を取るための休憩で、1ヶ所に付き1~2時間ぐらい停車します。その停車中に、バスの下で何かがゴソゴソしています。と言うことは…僕の推測ですが、バスの荷持室(トランク)に運転手さんが入って、そこで寝ている!?のではないかと思います。そんなところで寝て、寝坊でもしたら、どうするの?バスは無事に予定よりも10分早く東京駅前に着きました。嬉しい事にバス停のすぐ前が牛丼の吉野家です。もちろん、朝っぱらから焼肉丼を食べました。さぁ、これから鎌倉に向けて出発です。つづく。
February 26, 2007
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今日で、奈良一人旅の最終回です。静けさにつつまれた斑鳩の田畑の広がる道をひたすら歩いていき、『法輪寺』と言うお寺に着きました。もう夕方の4時過ぎ。観光客の姿も見えなくなってしまいました。このお寺は親子のきずなが縁で創建されました。聖徳太子が病におかされてしまい、それを心配した聖徳太子の息子と孫が病気平癒を願ってこのお寺を創建したと伝えられています。聖徳太子は素晴らしい息子と孫をお持ちであった事が分かりますね。しつけが良かったからでしょう(笑)。さて、このお寺の見所は仏像でしょう。講堂と呼ばれる建物の中にはたくさんの優れた仏像が安置されています。6体の重要文化財を含め9体の仏像を拝観する事ができます。平安時代に最も栄えたお寺なので、その時彫刻された仏様が多数見られます。もちろん創建当時のものと思われる飛鳥時代の作品も見る事ができます。仏様以外では、聖徳太子の像も必見です。聖徳太子が2歳と16歳の時の像が講堂の隅に安置されていました。法輪寺金堂法輪寺が現在の規模になったのは江戸時代です。というのは、江戸時代(正保2年)の台風により、ほぼ全てのお堂が破壊されてしまいました。残ったのは3層目を失った三重塔だけと言われています。その後、再建されて、このお寺のシンボルでもある三重塔が国宝に指定されました。ところが、昭和19年にこの三重塔に雷が落ちて全焼してしまい、国宝から外されてしまいました。すると、どうなるか…。なんと、再建の費用が国から支払われなくなってしまったのです。このような悲運に遭遇してしまいましたが、地元の皆さんや作家の香田文さんをはじめ、全国からたくさんの支援を頂いて昭和50年に元の姿によみがえりました。いつの時代になっても、税金の無駄遣いや横領が盛んな日本ですが、このような文化財保護には税金の投入が無関心なのは情けないところです。さて、奈良の旅はいかがでしたでしょうか?次回からは鎌倉の旅を綴って行く予定です。寺院の紹介はもちろん、江ノ電、グルメ、江ノ島についても書いて行きます。鎌倉尽くしだと飽きてくるので、たまには日常の出来事も書いていきたいなぁと思っています。法輪寺住所:奈良県生駒郡斑鳩町三井1570電話/FAX:0745‐75‐2686 URL:http://www1.kcn.ne.jp/~horinji/
February 24, 2007
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今朝、研究室に来て「さぁ、実験を始めるぞ。」と意気込んでいましたら、「別の研究錬を改修工事するから荷物運びを手伝って欲しい。」と言われました。そういう事は直前に言うのではなくて、事前に知らせておいて欲しいですね。というわけで、今朝から約2時間ぐらい重い荷物を運んで、行ったり来たりしていましたので、午前中だけで疲れ果ててしまいました。さて、昨日のブログの続きです。昼下がりのために、徐々に気温が低くなってきました。日本庭園の素晴らしい慈光院をあとにして、バスで次の目的地の法起寺へ向かいました。法隆寺はご存知の通り有名なお寺ですが、法起寺はあまり耳にしたことがないと思います。しかし、法隆寺と同じく、世界文化遺産に指定されています。このお寺の歴史を少しだけお話します。聖徳太子が法華経というお経を岡本宮(宮殿)で講説しました。その後に岡本宮を寺に改め、その名前を岡本尼寺(岡本寺)と命名したそうです。ですから、もともとはここに宮殿があったという事です。さて、ここの見所は三重塔(国宝)で、日本最古の三重塔らしいです。しかし、残念ながらそれほど古風に満ちているとはいえません。なぜなら 昭和47年から三重塔の解体修理が行われ、50年に完成したものが現存の姿です。実はこの三重塔はわざわざ拝観料を払って寺内に入らなくても、お寺の外から良く見えるのです。むしろ、寺の外から眺めた方が三重塔の風格が感じられると思います。そのため、寺の外のコスモス畑から三重塔を撮った写真が人気が高く、テレビのCMにも使われたことがあるそうです。僕が興味を持っているのは上の写真の講堂です。これは江戸時代に再建されたそうですが、すごく特徴的な建物でしょ? このような形をしたお堂は、なかなかめったに見られないです。この中がどうなっているのか興味津々でしたが、残念ながら内部を見ることはできませんでした。さて、重要文化財に指定されている『木造十一面観音菩薩立像』が拝観できるということで、楽しみにしていました。しかし、悲劇が起こりました…その仏様を収蔵庫の外から見られるようになっていて、しかもガラス越しに仏様を見なくてはいけません。当たり前の話ですが、内(仏様側)が暗く、外(見物人側)が明るいとどうなるか?当然、ガラスに自分の顔が反射して、仏様を見るつもりが自分の顔を見ることになってしまいます(笑)。これには、本当にガッカリでした。比較的小さなお寺で、他の見物人の方もさっさと見て、すぐ帰る人が多かったように思います。確かに、あまり感動するようなところは無かったような気がします(個人的な意見として)。ただし、コスモスの美しい季節には、寺の外のコスモス畑越しに眺めるのがいいと思われます。また、歴史的に価値の高いお寺なので、仏教などを勉強されている方にとっては歴史的な面で興味深いお寺といえるでしょう。法起寺住所:奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873拝観料:300円拝観時間:8:30-17:00(冬季16:30)
February 23, 2007
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ご無沙汰しております。鎌倉を訪問してから早いもので2週間経とうとしています。しかし、まだ奈良の旅のエピソードをまだ書き終わえていません。ということで、鎌倉の旅のお話はもう少し先に書く予定です。ということで、今日は素晴らしい景観を誇る奈良のお寺をご紹介します。郡山城からバスに乗り『慈光院』にやってきました。まず、慈光院に来て一番最初に感銘を受けたのは『茨木城楼門』でした。茨木城は奈良から遠~く離れた大阪府茨木市にありました。残念な事に茨木城は徳川家康の一国一城令により取り壊されてしまいましたが、その中の楼門だけはこのお寺に移築され、茨木城の唯一の遺品が遠くはなれた奈良で見る事ができます。今の茨木城跡には茨木小学校が建っております。おもしろい事に、この小学校に茨木城楼門が復元されました。確かに、『慈光院の茅葺の楼門』と『小学校の瓦屋根の楼門』を比較してみると、ホントに良く似ている。茨木小学校の楼門はこちらhttp://www.wind.sannet.ne.jp/settunokami/koujyouki_kinki_ibaraki.htm玄関で拝観料を払って中に入ると、いかにも和室にふさわしい風格を感じることができます。廊下の中央付近には小さな仏様が安置されていて、1本のお線香から心安らぐ香りが廊下一帯に漂っていました。このお寺には茶室がいくつか造られていて、各茶室ごとに異なった風情を楽しむ事ができるよう配慮されていました。このような活け花や、炭火の温まった火鉢も見ているだけで心が和みますね。しばらくすると、美しいお庭の見える茶室へ通され、ここで抹茶をいただくことにしました。すると、茶室にはご住職さんが先客の方とお話をされていました。僕もご住職のお話を聞きながら、お庭を眺めつつ抹茶を頂くことにしました。お庭には横幅5 mぐらいはあると思われる巨大な『さつき』の丸い刈り込み(写真右側)と、様々な木々(クチナシ、カナメ、ツツジ、サツキ、ツバキ、カシなど)の刈り込みが見渡せます。ご住職のお話によると、ただ漠然と木を植えたのではなく、周囲の風景、景観と調和するようにこれらの植物を植えて、そして手入れをしているそうです。さて、上の写真をご覧になって、この茶室の天井と鴨居が低くなっていることに気付かれましたでしょうか?実はこれにはちゃんとした理由があります。茶室では立って庭を眺めるのではなくて、座敷に座って庭の景観を楽しむものですね。ですから、座敷に座ったときに最も美しく庭が見れるように、わざと天井と鴨居を低く設計してあるそうです。さて、ここのご住職さんですが、茶道のお話がお好きのようです。お茶の心、茶道の歴史と文化などいろんな話題をお話してくださいました。先客の方(おそらく茶道を習われている方だと思いますが…)の質問にも、的確にお答えになっていました。すべてのお話が興味深く、茶道に無縁だった僕が、茶道に興味を持ち始めた一時でした。是非、茶道を習われている方、興味がある方はここのご住職さんとお話されてみてはいかがでしょうか?ただし、話し出したら1~2時間ぐらい話が止まらないので、ご注意を…(笑)。先客の方のお話によると、このご住職さん、茶室に座ってお客さんが来るのを待っていらっしゃるそうですよ(笑)。さて、慈光院はお寺と言うよりも、日本庭園の素晴らしい茶室と言うべきですね。と言うのも、元々は片桐石州(茶人)によって境内全体が1つの茶席の風情となるように造られていていますから。拝観料が1000円で少し高いのは、抹茶とお菓子がセットになっているからです。ご住職さんのお言葉で印象に残っているのは、『最高のおもてなしは、お客様に一番良い茶室にご案内し、お庭を眺めながら抹茶を味わってもらうこと。』です。確かに、抹茶を飲みながらお庭を眺めていると、景色だけでなく、そよ風の心地よさまで感じることができます。仕事などで疲れたときは、このお寺に足を運びたいですね。もちろん、ご住職さんとお話を楽しみながら…おみやげ『石州麺』 江戸時代にはそうめんを作る時、そうめんに油を塗らずに造っていたそうです。その製法を元に再現されたのが、石州麺です。どんなそうめんなのか興味がありますね。僕の意見としては、抹茶と一緒に出されたお菓子が美味しかったので、そっちもお土産としてオススメです。慈光院住所:奈良県 大和郡山市 小泉町 865番地電話:0743-53-3004ホームページ:http://www1.kcn.ne.jp/~jikoin/
February 22, 2007
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こんばんは。今日は風がめちゃくちゃ強かったですね。洗濯物を干してきたので、吹っ飛んでいないか心配です。さて、昨日のブログの続きを書きます。近鉄電車で、大和郡山駅までやってきました…次の目的地は『郡山城跡』です。明治初年に城の建物は壊されてしまったために、石垣や堀だけが築城当時の面影を残しています。昭和後期になって、追手門、追手東隅櫓、追手向櫓などが復元され、お城らしさを取り戻しました。さて、この城跡の見所は、一体どこでしょうか? 正解は『石垣』ですよ。いやいや、本当に! この城を建築する時に、石垣を造るための大きな石をどうやって手に入れるのか?。山に行って岩を削ってくる?そんな面倒くさい事はしませんよ。じゃ、どうするか......なるべく近くから石を集めることです(笑)。では、早速解説をしましょう。この石垣にはいろんな石が使われているのです。びっくりするかもしれませんが、あの羅城門の礎石もこの石垣に混じっているんです。さらに、近辺の寺院の石塔、伽藍礎石、五輪塔までもが寄せ集められて、お城の石垣に使われました。しかも、なんとお地蔵さんなどの石仏までもが、石垣の中に組み込まれています。このことは寺院の力を弱めるための方策と考えられますが、急ピッチで築城を行った当時の慌てぶりが想像できますね。ここで、面白いエピソードを1つ紹介します。このとき集めた石仏を逆さまに使ってしまいました。それが悲劇の始まりで、城主が頻繁に替わる事態(おそらく病死などによるものだと思いますが...)を招いてしまいました。その事を恐れて『逆さ地蔵の祠』を城内に設けて供養をおこなっているそうです。境内は美しい日本庭園がタダで拝観できます。羅城門の模型もちゃんとありました!?ここには羅城門の礎石が混じっているのでしたね。ちなみに芥川龍之介の小説は『羅生門』です。漢字を間違えちゃうんですよね~。春になると桜が城内を彩り、お花見客でにぎわうそうです。是非、皆さんも石垣の中をよ~く見て、石仏や五輪塔などを見つけて見てください。宝探しのように楽しいですよ。郡山城跡住所:奈良県大和郡山市城内町電話:0743-53-1151 (部署:大和郡山市教育委員会)行き方:近鉄郡山駅より踏切を渡って徒歩約10分
February 15, 2007
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昨日は菅原天満宮をご紹介しましたが、1つ言い忘れたことがあります。それを言う前に、『何でこんなところに天満宮があるのか?』という疑問をもった方も多いと思います。実は、天満宮が建っているところが菅原道真の生誕地であると伝えられています。生まれた場所が奈良の菅原町(地名も菅原道真に由来しています。)で、亡くなった場所が福岡の大宰府と言うことになります。その天満宮から徒歩数分のところに、『喜光寺』と呼ばれるお寺があります。昔は、菅原道真にちなんで『菅原寺』と呼ばれていたそうですが、寺名を改めて『喜光寺』になりました。なんで寺名を変更したのでしょうか?それには次のような言い伝えがあります。聖武天皇が菅原寺を参拝された時に、ご本尊から不思議な光が放たれ、それを見た天皇は大変喜んだそうです。このエピソードに基づいて、『光が出て喜んだ』⇒『喜光寺』へと寺名を改めたそうです。ちなみに僕が訪れたときは、ご本尊から不思議な光が出ていませんでした。もし、そんな光が出ていたら、腰を抜かすぐらいびっくりする事でしょうね~(笑)。さて、これが本堂ですが、皆さんはこの本堂をどこかで見たことありませんか?きっと、どこかでこれと類似したお堂を見たことがあるはずです。もう、気付かれましたか? そうです!『東大寺の大仏殿』です。実は、東大寺の大仏殿の建設を行った『行基』という偉いお坊さんが、東大寺を建立する前にその試作品を作りました。その試作品である建造物が、ここ喜光寺の本堂です。その試作品を行基がご覧になって、「うん、これならいける。」と思って、今の東大寺を建立したということです。このような理由でこの本堂を「試みの大仏殿」と呼んでいます。もちろん、試作品ですので、東大寺大仏殿の創建当時の大きさの1/10のサイズで造られています。1/10のサイズ…いわゆるミニチュアですが、それでも天を見上げるぐらいの大きな本堂ですよ。この本堂の上部には天窓があり、西方から夕日が射し込む仕組みになっています。夕日によって内部が照らされると、あたかも西方浄土から阿弥陀如来が来迎されるかのように見計らって建築されたそうです。僕が訪問したのはお昼時でしたので、夕焼けに照らされた阿弥陀如来を鑑賞することはできませんでした。また次回ですね。境内にある石仏郡最後に、僕が一番びっくりしたのは、ご本尊の阿弥陀如来像(重要文化財)です。この仏様ですが、僕の記憶が確かならば、宇治の平等院に安置されているご本尊の阿弥陀如来(国宝)にそっくりなんです!?そして、阿弥陀如来の光背には、雲中供養菩薩像(飛天)が備えられていて、極楽浄土を表現しています。雲中供養菩薩像とは飛雲(金斗雲みたいなもの)に乗り、阿弥陀如来とともに来迎する菩薩像を表わしたもので、琴、笛、琵琶、太鼓などの楽器を奏でている像のことです。このように極楽浄土を仏像で表現している点では、平等院鳳凰堂とぴったりと一致してしまうのです。本堂の内部は平等院の鳳凰堂を、そして外部は東大寺大仏殿を連想させる造りになっていて、すごくおもしろかったです。喜光寺住所:奈良県奈良市菅原町508電話:0742-45-4630行き方:近鉄橿原線 尼ケ辻駅下車 徒歩10分拝観料:300円
February 14, 2007
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お久しぶりです。今朝、夜行バスで旅先から帰ってまいりました。そして、家に帰らず、そのまま職場に直行!?もう、ヘトヘトです。先ほど、たわしねこさん(武蔵野三十三観音霊場を一緒に巡った友達。過去のブログにそのときのエピソードを書いています。)が出張で大阪に来てくれたから、居酒屋さんで僕の後輩(登山&サイクリング好き)も連れて旅の話などをして盛り上がっていました。さて、昨日までの旅行のエピソードは今週末ぐらいから綴っていこうと考えています。というのは、奈良旅行のネタを全部書き切れていないからです…。と言うことで、今日は菅原天満宮についてご紹介します。菅原道真をお祀りしている神社を天満宮と言います。例えば、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮のように。北野天満宮と菅原道真のお話は以前のブログをご参照ください。さて、天満宮に行けば必ず『牛の像』と『梅の木』があります。菅原道真が生まれたのが丑(うし)年、丑の日で、亡くなられたのも丑年、丑の日、丑の刻だったことから牛とは縁が深いわけです。そういう訳で、天満宮の境内には決まって牛の像が設置されているのです。ここ菅原天満宮も、大きい牛から小さい牛まで、立派な骨格をした牛から、かわいい子牛までたくさんの牛の石像が奉納されています。こじんまりとした境内にたたずむ、本殿もう梅の花が咲いていました。菅原道真が太宰府に左遷されたとき、京都の梅が道真を慕って飛んでいった!?と伝えられている「飛び梅伝説」は有名ですね。この伝説に基づいて、境内には梅鉢祭が開催されていました。美しい梅の木の盆栽を見ることができますよ。菅原天満宮の筆祭り毎年3月下旬に、筆祭りが行われます。筆祭りでは、古い筆を社頭に納めて感謝とともに祝詞を上げてお供えをし、焚き上げが行われます。このとき、古い筆を納めた人には、神社から新しい筆が贈られるそうです。境内にはまるでロケットのように見える『筆塚』が建っていました。天満宮の境内でのんびりとお昼のひと時を過ごしました。大宰府や北野のように観光神社ではなく、周辺の住民に愛されている神社という感じでした。菅原天満宮奈良市菅原町518 TEL:0742-45-3576
February 13, 2007
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早速昨日の続きを書いていきます。次に向かったのが本堂です。靴を脱いで、本堂内部に入ると、経典、仏教関連の書物、お守り、お土産などがたくさん販売されていました。そして僕の目に留まったのは『福豆』です。そう言えば、昨日は節分だったんですね(西大寺訪問は2月4日でした。)。しかも、ご自由にお取りくださいという張り紙がしてありました。もちろん、頂きましたよ。ご本尊の釈迦如来(普段は秘仏のために見ることができません。)を拝見するために、お堂の中央部に行きました。辺りは一面、灯篭からの赤っぽい光で包まれていました。黒い堂内に、赤い光の調和は素晴らしかったです。さて、ここのご本尊の釈迦如来(重要文化財)ですが、実は京都・清涼寺の釈迦如来像を模倣して彫られたものです。でも、そっくりではないんですよ。それは仏様を彫刻する人柄が作に出るそうで、清涼寺のものとは異なり、穏和な感じがします。像の高さはは167.0 cmで、人間とほぼ等身大に作られています。でも、僕が一番気に入ったのは、文殊菩薩騎獅像です。すごく大きな獅子に比較的小さな文殊菩薩が乗っています。これは彫刻がホントに素晴らしく、見ごたえは十分にありますよ。その隣に善財童子像があります。これは昨年亡くなられた灰谷健次郎さんの小説『兎の目』の中に出てくる有名な仏様です。西大寺の仏像リストですhttp://www.naranet.co.jp/saidaiji/境内には、巨大な観音様が…。この独特の色は人目を引き付けますね。ここで話題を変えまして、西大寺で有名な儀式があります。それは直径30 cm、重さ7 kgの大茶碗で抹茶を1人ずつ回し飲みする恒例の「大茶盛式」です。鎌倉時代にこのお寺を復興させた叡尊上人が、近くの神社に献茶したとき、その残りの茶を人々に振る舞ったのが起源とされています。お寺の僧侶は戒律によって酒を飲まないので、酒盛りに代わって「茶盛」とも呼ばれています。 この大茶碗が展示してあったので、僕も持ち上げてみましたが、重いです。7 kgの巨大なお茶碗にさらに抹茶が入るから、総重量は軽く10 kgを超えると思われます。写真のように女性一人では口元まで持ち上げられないので、隣の人に手伝ってもらって抹茶を飲みます。ちなみにこの大茶碗は赤膚焼の超高級品です。かつて、赤膚焼の湯呑みを買いに奈良へ行ったことがありますが、値段を見てびっくり!?結局、何も買わずに帰ってきました。朝日新聞より今晩から夜行バスに乗って、お出かけをします。そのため、火曜日までブログ更新はお休みします。行き先は…昨日のブログで書いた『長谷式』がヒントです。
February 10, 2007
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では早速昨日の続きを書いていきます。今日は西大寺の仏像のお話をしたいと思います。このお寺にはご本尊が3体もあるんです。一般的には、1ヶ寺につき1体のご本尊が安置されていますが、このお寺はちょっと違うんです。今日は、その内の1つをご紹介します。まず、東側の門をくぐってしばらく歩くと、右側に四王堂が見えてきます。西大寺で、一番最初に建てられたのが、この四王堂です。ここにはご本尊の十一面観音立像を囲むようにして、四天王が安置されています。しかし、不思議なことにご本尊よりも四天王が最初に祀られて、その後にご本尊の十一面観音が他寺からやってきました。通常はご本尊を先に祀りその後で四天王を安置しますが、ここでは逆だったんです。四王堂さて、四王堂にはこんなエピソードがあります。かつての大火災によって、銅製の四天王像は熔けてしまいました。しかし、おもしろい事に、唯一火災の難を逃れた像があります。それは四天王に踏みつけられている邪鬼(奈良時代の作)です。なんでかと言うと、これらの邪鬼は瓦と同じ成分で出来ているために高温に耐える事ができました。そして、火の性質として、火は上へ上へ登るために、四天王の足の下の邪気はそれほど高温にさらされなかったと言うのも理由の1つです。以上のことから、邪鬼を踏んづけた四天王が熔けてしまい、その邪鬼が生き残ったと言うのは、滑稽な話ですね さて、ご本尊の十一面観音立像ですが、京都のあるお寺からお見えになったそうです。ご本尊はすごく大きくて、この四王堂の屋根に支えるぐらの高さです。でも、京都から奈良の都までどうやってこんなに大きな仏様を運んだのだろう?と首を傾げてしまうぐらいです。ご本尊さんが夜中にここまで歩いてきたのではないかと、想像してしまうぐらいです。では、彫刻の観点から言いますと、長谷式と呼ばれる観音様です。長谷式と言うのは、お地蔵さんがよく持っている錫杖を右に そして左手に華瓶をもっている観音様のことで、その名前の通り、奈良県の長谷寺、鎌倉の長谷寺のご本尊もこれと同じ様式です。ということで、長谷式の観音様は日本に3体ありますが、足の爪先から頭のてっぺんまで見られるのは、ここ西大寺だけとなっております。明日は、それ以外の仏像について述べたいと思います。西大寺の彫刻(仏像)リストですhttp://www.naranet.co.jp/saidaiji/
February 9, 2007
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こんばんは。最近の大阪は、もう春が来たのかな?って思うほど暖かいお天気が続いています。日中は上着無しで外出できるぐらい穏やかな一日でした。さて、今週末の連休はどこか遠くへお出かけをするつもりです。もちろん一人旅ですので、自分の好きなように計画が立てられるから楽しいです。旅行しているときはもちろん、計画を立てているときも楽しいです。その計画が出来上がって見たら、相変わらずハードスケジュールです( ̄へ ̄;)。往復夜行バスで、しかも2日目は朝の5:30起き!?はは…。行き先は今後のブログでお知らせします。さて、前回のブログ(大安寺)の続きです。大安寺からバスと近鉄電車に乗って、西大寺にやってきました。駅から歩いて2~3分です(カップラーメンが出来上がる時間内に到着できます)。もう、お気づきだと思いますが、西大寺(平城京の西側のお寺)という名前は東大寺(平城京の東のお寺)に対してつけられたものと思われます。面白いことに、東大寺は聖武天皇の勅願によって建てられたお寺で、それに対して西大寺は聖武天皇の娘さんの称徳天皇(女帝)によって創建されました。何で、西大寺が創建されたのか?その目的は2つあって、1つは国の平和を祈願するためで、もう1つは政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとしたためです。称徳天皇の平和を切望する優しさがうかがえますね。本堂とワシさて、創建当時はすごく大きなお寺で、薬師如来と弥勒菩薩を安置した2つの金堂や東西に塔が建てられるなど、百を超える数のお堂が存在していました。しかし、残念なことに平安時代に度重なる災害によって、創建当時の素晴らしい伽藍はほとんど崩壊してしまいました。でも、鎌倉時代になって、叡尊という僧侶がこのお寺にやって来て、ようやく復興し始めました。現在は、本堂、宝物館、愛染堂、四王堂、奥の院などが残されているだけで、創建当時の1/17の規模に縮小されてしまいました。あっ、もう夜中の1:30だ!?眠いから寝ます。続きはまた明日~。
February 8, 2007
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こんばんは。最近、神社仏閣に関する話題ばかりですので、たまにはグルメについて書こうかなと考えております。ということで、今日はこのからあげ弁当を見ていただこうと思います。から揚げがめちゃくちゃ大きいんです。1つのから揚げの大きさが、直径5 cm以上はありますね。それが4つも付いてくるのです。『こんなに大きかったら、中まで火が通らないのでは?』と思っている方もたくさんいらっしゃることでしょう。もちろん、ちゃんと火が通っていて中までアツアツです。しかも、すごくジューシーで、鶏肉の肉汁が溢れてくるんです!?しかも、副菜の煮物もすごく美味しいです。このから揚げ弁当はお弁当屋さんの一番人気のメニューです。気になるお値段は、なんと550円。超オススメです。十八屋(とはちや)大阪府箕面市小野原東3-8-27 第2ハイツスリーアロー106072-729-1560 地図
February 6, 2007
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こんばんは。先週、定期健康診断を受けて参りました。尿検査、視力検査、レントゲン、問診については問題がないのですが、血液検査だけはどうも苦手です。2年ぐらい前までは血液を抜かれると、唇がしびれ、貧血状態になり、めまいや吐き気がしました。多分、精神的なショックから来るものだと思いますが… そんな人間ですので、献血だなんて、もっての他です!? さて、健康管理にはいつも気を付けたいところですが、なかなか思うようには行きませんね。ついつい夜食を食べてしまったり、睡眠時間を削ってしまったり…。もう、この歳になると成人病にならないように十分に気を付けたいところですね。さて、今日のテーマは『ガン封じのお寺』です。ここ大安寺には昔からおもしろい行事が行われています。毎年1月23日に『光仁会』という笹酒の接待が行われて、この儀式が『がん封じの笹酒』として人気を集めています。この儀式がはじまったのは、今から1200年ぐらい昔のことで、光仁天皇が大安寺の竹林にて竹を切り、その竹筒に酒を注いで呑むことを好んでいたと言われます。光仁天皇は非常に健全な体を維持されていたと伝えられていて、享年73歳で、当時としては珍しく長生きをされた天皇です。この生竹でお酒を呑むと言う風習が、いつの間にやら悪病難病を封じ、末永く健康に過ごせますようにと願い、催されるのが『笹酒祭り』です。今では、がん封じの笹酒祭りとして、人々に親しまれるようになりました。この本堂には、御本尊の十一面観音が安置されていて、ガン封じの観音様として広く知られています。そう言えば、僕が本堂を拝観しているときに、ちょうどガン封じのご祈祷が行われていました。密教寺院のために色々な鳴り物が鳴らされ、そして『声明』って言う仏教音楽だと思いますが、それも聞く事ができました。また、般若心経と言うお経が唱えられるときは、太鼓の力強い音にあわせて読経されていました。なんだか僕までもが祈祷をしてもらっているみたいで、ちょっと徳をした気分です。さて、このお寺にお邪魔をしたのはガン封じのためではなく、素晴らしい仏様が安置されているというウワサを聞きつけてやって参りました。このお寺には、奈良時代の一木造の仏像を多数見学することができます。これらの仏像の特徴として、金箔や漆が貼塗られてないため、木の美しい自然色をしていて、なんとも素朴で優美な感じがします。しかも、彫刻の表現に誇張したところがなく、木の色が肌色に見えるために、極めて自然な美しさを見せています。ただし、欠点を言うと、漆などが塗られていなかったために、虫や湿気などによって痛んでいる箇所がいくつかうかがえます。これが本堂皆さん、どのような仏様が安置されているのか見てみたいでしょ?ただしガン封じの仏様、つまり御本尊の十一面観音は秘仏ですので、10月1日~11月30日の期間しか見ることはできません。大安寺のホームページに仏像の写真と解説が詳しく書かれていますので、そちらをご参考にしてください。http://www.daianji.or.jp/index.html【重要文化財】木造十一面観音立像(秘仏)木造馬頭観音立像木造不空羂索観音立像木造楊柳観音立像 木造聖観音立像 木造四天王立像 【おまけ】 大安寺のトイレに行ったら、次のような言葉(お経?)が便器の前に掲げられていました。★大安寺★住所 奈良市大安寺2-18-1電話 (0742)61-6312FAX (0742)61-0473交通 奈良交通バス「大安寺」下車、徒歩10分(道に迷わなければ…)
February 5, 2007
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眠いです。今朝2時に起きて、今日の旅の下調べをしました。そして、7時前に家を出て、最寄り駅で列車の往復チケット&近鉄電車のフリー切符&奈良交通バス乗り放題がセットになったお得なチケットを買い、奈良の都へ向かいました。今日は運良くお天気に恵まれて、暖かく穏やかな日でした。特に、路線バスの中はめちゃくちゃ暑く、運転手さんは窓を全開にしてバスを走らせていました。窓からのそよ風を感じながら、奈良の田園風景を眺めつつお寺を巡るという旅になりました。詳細は今後のブログで綴ってまいりますので、お楽しみに… 嗚呼、眠~ぅ おやすみなさい
February 4, 2007
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お久しぶりです。仕事帰りにスーパーに行ったら、めっちゃデカイ太巻きを売っていました。そう言えば今日は節分ですね。今年は北北西の方角を向いて食べるそうですよ。ちなみに食べている間は一言もしゃべってはいけないそうです(学生さんがそう言っていました…。) 僕も、その太巻きを買ってきて、TVも付けずに黙って一人で食べました(笑)。いやぁ~、シーンとした中で食事をするのもなかなか良いものですよ(笑)。皆さんのお家では豆まきをされましたか?豆といって思い出すのが納豆です。もちろん納豆を家の中にまいたらダメですよ!最近では『あるある大辞典』の問題ですっかり話題になってしまいましたね。今日はこの前のブログの続きですが、『一休寺』に伝わる納豆をご紹介します。納豆は中国から伝わったらしく、特に禅宗の寺院では納豆ブームが起こっていたそうです。その当時、仏教僧侶は肉食を禁じられていたために、タンパク質などの栄養不足に悩まされていました。大豆は『畑のお肉』と呼ばれているように、大豆を原料にして作られる納豆にはタンパク質を摂取するのに重要な食材でした。実はその納豆ですが、あの一休さんが納豆の製造方法を考案して、作り始められたと伝えられています。その一休さんの伝統を引き継いて作られた納豆が、一休寺で手に入れることができます。納豆といえば、ネバネバのヌルヌルっていうイメージがありますね。しかし、一休さんの納豆はそうではありません。色は真っ黒で、コロコロしていて、味噌のような風味を持っています。この納豆は少し塩分が多く含まれているので、お茶漬けにして食べると美味しいと思います。ビールやお酒のおつまみにも良いらしいです。この納豆ですが、製造するのが大変らしいですよ。まず、大豆を蒸して、発酵させて、塩湯と共に納豆桶の中に入れて、約1年間天日干しにして出来上がるそうです。禅宗では料理を作るのも修行のうちと考えられていて、このような手間がかかる納豆作りだって修行の一環として作っていたことでしょう。納豆の製造についての詳細はこのホームページでご確認ください。http://www.ikkyu-land.gr.jp/ikkyuuji.htmちなみに、一休さんはなんと81歳にして、あの大徳寺の住職になられました。という事は…(ホームページ検索中)…、発見!大徳寺納豆!?見た目は一休寺納豆と全く同じです。一休さんの足跡をたどると、納豆を発見できちゃいました(笑)。
February 3, 2007
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