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祝2万名様突破 今朝、目が覚めてメールをチェックしていると、楽天からメールが届いていました。それは、僕のブログの閲覧者が2万人を突破したことを報告するものでした。改めて、いつも僕のブログを読んでくださっている皆様、そしてこのブログを読んだ感想などを書きこんでくださる皆様に感謝しています。これからも、頑張ってブログを更新していきますので、よろしくお願いいたします。 さて、今日も山陰の旅を書いて行きますよ山陰本線とは京都駅⇔下関駅間の1067 kmの路線を言います。この沿線の魅力と言えば、何と言っても温泉ですね。京都側から城崎温泉⇒湯村温泉⇒三朝温泉⇒東郷温泉⇒皆生温泉⇒玉造温泉⇒温泉津温泉⇒川棚温泉という有名な温泉が点在しています。もう1つの魅力と言えば、車窓からの景色が素晴らしい事です!!10年前にも山陰本線を旅しましたが、そのときに車窓から眺める海がとてもきれいで、その光景にすごく感動して、それ以来いつの日か山陰本線をもう一度旅してたいと願っていたところです。さて、前置きが長くなりましたが、昨日の続きです……東萩駅で次の目的地である長門市へ向かう列車を待っていました。相変わらずの強風で、風のビュービューという轟音が鳴り響いています。この強風が理由かどうかは分かりませんが、列車がかなり遅延しているようで定刻になっても来ません。ただ、もし列車が運休になったらどうしようっていう不安が時間とともに増していきました。東萩駅から乗車するお客さんは約20人ほど。そのほとんどが観光客で、彼らもおそらく同じ気持ちだったのではないでしょうか……。列車の発車予定時刻から10分ほど経った時…遥か遠くに列車の姿が見えました。そのとき、安堵感でいっぱいになりましたが、それと同時に失望感もありました。実は、その列車は「キハ120系」という車種で、横一列のロングシートの気動車です。そのために車窓の景色を眺めるのには適していません。待ちくたびれた様子も見せずに次々とお客さんが乗り込み、その後から僕も乗車しました。案の定、座席は満席。 でも、立ち乗りでもいいことはあるんです。 実は、この列車には運転席の隣にスペースがあり、その窓から列車前方に広がる景色が独り占めできるんです(左の写真)。まるで運転手さんになった気分です♪ 列車が東萩駅を出てしばらくは、萩の街中を走り、やがて山間を走り抜けます。その道中、山陰海岸の絶景が一望できるスポットがいくつかありますが、もたもたしていると、トンネルの中に入ってシャッターチャンスを逃してしまいます上の写真が僕の一番のお気に入りです。他にも絶景ポイントはあったんですが、もたもたしているうちに、写真に収める事ができませんでした(いつもマイペースだもん…)。このように絶景を眺めたり、写真を撮ったりしていると、時間が経つのを忘れてしまいますね。列車は長門市駅に到着。この列車はこの駅止まりです。ほとんどのお客さんが小串行きの列車に乗り換えていきました。次回は金子みすゞのふるさと、仙崎を紹介します。
August 29, 2007
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今日は萩の名所を一挙に書いていきますよ~。1.萩の城下町菊屋家を拝観し終わり、裏口を出ると、そこには純白の白壁が遥か遠くまで連なっています。ここに立つと、城下町の奥ゆかしさを楽しむ事ができますよ。そう言えば、何十年も昔はあの大阪城周辺もこのような白壁がきっと連ねていたことでしょう。今では、近代的なビルと幹線道路に囲まれ、大阪城の周辺に城下町が存在したのだろうかと疑うぐらい、変わり果ててしまいましたね。 ミヨシノ醤油の蔵は、国道262号線沿いにあります。この名前は創業者の三好松蔵の名から取り、亀甲に松の紋章を使用しています。 2.木戸孝允旧邸あれ?っと思った方もいらっしゃるでしょう。木戸孝允邸は京都にもあるのでは……?はい。京都にも、ここ萩にもあります。木戸孝允って言う人は、改名を幾度と繰り返した人物でもあります。彼は1833年8月11日に生まれ、和田小五郎と言う名前を授かります。彼が15歳のときに、元服して正式に桂家を継ぐことになり、桂小五郎に改名します。33歳のときに藩命によって木戸貫冶に改名したと思ったら、すぐに同年木戸準一郎に改名する。そして、それから3年後、木戸孝允にまたまた改名し、以後逝去するまでその名前を使いました。43歳という若さで逝去しましたが、何と逝去後に木戸松菊に改名… 亡くなっても改名するとは…さて、桂小五郎、後の木戸孝允について、彼のすごい人生と業績についてこのブログに書きたいところですが、とても書ききれないのでやめておきます。木戸孝允は、萩にいた頃、吉田松蔭に出会い、その才能をだんだんと開花させていきました。そんな彼が過ごした旧邸が残されていて、内部も無料で拝観できるようになっています。家の中は思ったほど広くはなく、質素なたたずまいでした。壁には生前の写真や肖像画がたくさん飾られていました。3.萩城址木戸孝允旧邸を後にして、蝉がうるさく鳴く中、自転車を走らせること10分、萩城址に着きました。かつては5層5階の複合式後期望楼型のお城がそびえたっていました。しかし、明治7年に発布された廃城令により破却されてしまい、今では石垣のみが現存しています。今では創建当時の華やかさや威厳は全く感じられませんが、その姿はすっかり萩の落ち着いた街並みに溶け込んでいるかのように思えました。石垣の周りの堀には鯉が泳いでいて、餌を求めてきます。でも、餌をあげないよ~。4.海水浴場何で海水浴場が観光名所なの?と思われた方がいることと思います。いやいや、立派な観光名所だと思いますよ。萩城址前を流れる小川にかかる橋を渡ってすぐのところに、海へとつながる小道があります。その道を少し歩くと、このような絶景が見渡せます。右を見れば松林の広がる砂浜が見渡せ、たくさんの海水浴客でにぎわっています。一方、左を見れば萩城址と、松島を思わせる小島が見晴らせます。この辺りの水質は大変良く、海の水の透明度にびっくりしました。この風景は、何時間眺めていても、飽きることはありません。これ以外にも、見所はたくさんあり、いろいろと見てまわりたかったんだけど、列車の時刻が迫ってきているので、急いで東萩駅にもどりました。続きはまた次回…
August 27, 2007
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こんばんは。今日は僕の誕生日です。でも、いつもどおりの休日でした。さて、山陰の旅の続きをお話しましょう。ウニ釜飯のお店から自転車に乗り、日中の暑苦しい中を萩の繁華街であるアーケードを通り抜けると、小京都と呼ばれる萩の城下町が見えてきます。自転車を止めて、白壁の美しい屋敷を記念にと思い写真を撮っていると、中からおばさんが出てきました。「ここは、萩の中でも最も大きな屋敷です。主屋、本蔵、金蔵、釜場、米蔵がそれぞれ重要文化財に指定されています。見る価値がありますから、是非立ち寄っていってください。」と僕を誘ってくださいました。入場料を払い、中に案内されると、別のおばさんが待機していました。実は、このおばさんはお屋敷のガイドさんで、1部屋ごと見物客を案内して、それぞれの部屋にある展示物やお屋敷の歴史などを丁寧に説明をしてくれるんです。さて、家の蔵から出てきた資料によると、慶安四年(1651年)に建てたものと推定されています。現在のお屋敷は古図面を参考にして復元されたものです。菊屋友味きくやゆうみはかつては武士の身分でしたが、 武士を捨てて町人になりました。彼は関ヶ原の戦いの後の毛利輝元の財政難に献金をして、 毛利家とのつながりを深く持ちました。それ以来、菊屋家は萩藩の御用商人となり、今でも、大商人の商家の面影がよく見られます。まず、ここの一番の見所は、書院から眺める庭園でしょう。決して大きいとはいえない庭ですが、この書院から眺めると夏の蒸し暑さを忘れさせてくれます。実はこれ以外にも庭が造られていて、そちらの方が素晴らしい庭園だそうです。でも今は残念ながら公開されていません。春・秋の限定公開だそうです。 書院 仏間何畳あるのか知りませんが広い書院があり、かつて幕使の応接として使われていたそうです。床の間のある座敷は一種特別な部屋であり、その当時は家族でも立ち入れない場所になっていたらしいです。 土間 みせ土間は、先ほどの仏間より低い位置にあり、床板がなく土です。だから、土間と呼ぶようになったのかな?写真のような『かまど』がありますから、板張りにはできなかったのでしょうね。僕の旧家も土間(台所)の床は土になっていて、お料理を作るときは靴を履いていました。『みせ』は、かつて大商人だったことを偲ばせる唯一の部屋です。この部屋の造りはよく時代劇に出てきますよね。 柱時計 デルビル磁石式乙号電話機 屋内はこのような骨董品、そして萩焼のお皿や壷、萩人形など多数展示してあります。この柱時計ですが、伊藤博文(旧千円札の人)が初めて洋行した際のアメリカ土産らしいです。米国コネチカット州セット・トーマス社製です。今でもちゃんと時を刻んでいて、ねじ巻きを欠かさずに行っているそうです。そして、興味深いことに、ここで電話交換がされていたそうです。萩では明治43年3月に電話交換が初まったそうです。おまけ (食事中の人はご遠慮ください。) 小便器と大便器です。昔は畳の上に木製の便器が設置されていたんですね~。でも、こぼすと大変そう… いわゆる『ボットン便所』で、大きいモノを落とすと、おつりが返ってきます。菊屋家住宅住所:山口県萩市呉服町1丁目1番地電話:(0838)25-8282入場料:500円インフォーメーション(非公開の庭園、人形などが見れます):http://kikuyake.exblog.jp/
August 26, 2007
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こんばんは。大阪は昨日と今日の大雨の影響で、かなり涼しくなりました。でも、家に帰ると蒸し暑くて、クーラーをいれないと不快です。さて、もうすぐ誕生日を迎えますが、今では誕生日と言ってもそんなに嬉しくはありません。なぜなら1歳老いるのですから…。では、昨日のブログの続きです。東萩駅でレンタサイクルを借りて、萩の城下町を探検します。でも、腹が減っては戦ができませんから、どこかで腹ごしらえをしなくてはいけません。僕が持っているガイドブックを見ると、ウニ釜飯が美味しいお店が近くにあるらしいので、そこに行くことにしました。自転車で走る事10分、『つぼ半』を発見。このお店の外観がすごくいいですね~、萩の城下町をモデルにして建設されたと推測されます。ここに着いたのが12時過ぎで、僕が今日最初のお客さんらしいです。お目当てのウニ釜飯を注文することにしましたが、それだけだと何だか物足りないから、『たれくち鰯』のお造りの付いたセットを注文しました。注文してから数分すると、たれくち鰯のお造り、お吸い物、そして小鉢のついたお膳が運ばれてきました(ウニ釜飯は注文を受けてから炊き始めるので、その間に鰯のお造りや小鉢などを味わうことになります。)。関西では主にたれくち鰯と呼んでいますが、これは『かたくち鰯』の事です。イタリア料理で良く使われる、アンチョビーのことです。ちなみに、その稚魚は『チリメンジャコ』や『しらす干』としてご飯と一緒に食べると美味しいアレです。萩の方では、夏みかんをたれくち鰯のお造りの上にしぼって食べるそうです。お刺身と言えば、醤油にわさびが定番ですが、夏みかんがたれくち鰯のお刺身にこんなにも良くあうとは思いませんでした。意外にも美味しかったので、いつの日か鰯のお刺身を買って、みかんをしぼって食べてみたいと思います。この鰯のお造りを食べていると、今日のメインディッシュのウニ釜飯が運ばれてきました。食べる前に、お店の方から食べ方を教わりました。まず、お茶碗1杯分を取ったら、すぐに釜の蓋を閉めます。すると、残りのご飯に『お焦げ』が付いて、美味しくなるとか…。これは、美味しい!!おそらく、粒ウニの一夜漬け(馬糞ウニをお酒と一緒に漬け込んだもの)を使っているものと思われます。ですから、ちょっぴりのお酒が釜飯の美味しさを引き立てています。昆布ダシと一緒に炊き込まれているのでしょうか、ご飯にもしっかりとその旨みが出ていて、そして何と言ってもウニの香りがすごくいいです。粒ウニさえ手に入れば、炊飯器で作れるかなぁ~、いやいや、そんなに簡単にはできないかっ…。そして、デザートはこの夏みかんのジュース。こんなに甘味のしっかりした夏みかんに出会ったのは初めてです。ほのかな酸味もあり、みかん独特の香りがいいですね。実は、夏みかんは萩の名産です。余談になりますが、10年前に松蔭神社を訪れた時、『松蔭うどん』を注文しました。すると、うどんの上にはなんと夏みかんが…。萩ではお料理には何でも夏みかんを使うんだなって感じました(笑)。もう、お腹がいっぱい(^o^)~♪ 城下町を探検するのは、もうやめておこうかなぁ~、っていう気分になります。いやいや、せっかくここまで来たんだから、しっかりと城下町を探検しなくては!外は相変わらず風が強いので、カツラが吹飛ばないようにしっかりとヒモで固定して、出発進行!つぼ半住所:山口県萩市土原400番地電話:0838-22-1684営業時間:10:00~19:00ウニ釜めしセット:1,950円
August 23, 2007
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こんばんは。大阪に久しぶりの雨が降りました。集中豪雨だったようですが、このおかげで気温が下がったようです。これで、寝苦しい夜を過ごさなくていいと思うと、嬉しいです。では早速昨日のブログの続きに行きましょう。五重塔の素晴らしい瑠璃光寺を拝観した後、再び山口県庁まで引き返しました。そこから萩行きのJRバス(特急はぎ号)に乗る予定です。バス停に着くと、すでに2人の男性(親子?)がバスを待っていました。僕は木陰に座ってバスを待っていましたが、定刻より5分過ぎてもまだバスが来ないです。心配になった2人組の男性が、『萩行きのバスはここで待っていればいいのですよね?』と声をかけてきました。おそらく帰省ラッシュの影響で遅れているのだろうと思います。でも、そんなことよりも一番心配なのが、バスに座れるかどうかです……実はこのバス、観光バスタイプのために、座席が満席になったら乗車することができません。一般的な路線バスの場合、立ち乗りOKなんですが…。今朝乗ってきた新幹線のことを思いだすと、帰省ラッシュのために始発駅からすでに満席!しかもデッキや通路で立たされて、不機嫌な顔をしてして乗っている方がたくさんいました。もし、帰省ラッシュのために、バスが満席だったら、どうしよう……って不安を感じていました。こんなことを考えていたら、10分遅れでバスが停留所に入ってきました。首を伸ばして車内を見てみると…な~んだ、ガラガラじゃないか C=(´o`;)ホッしかも、運良く、一番前の座席をゲットできました。実は、周遊切符の中にこのバスの運賃が含まれて入るために、無料で萩まで大移動できるんです♪。電車を使うと3時間以上かかるんですが、バスだと50分ぐらいで萩に行けるんですよ。バスは国道を快調に飛ばして行きます。のどかな風景の広がる田園地帯へ入り、やがて険しい峠を何度も超えながら…。道中、山の合間から山口市内を見下ろすことができ、随分高い所まで登ってきたなぁ~とびっくりします。そして、ガードレールの下は険しい崖!よくこんなところに道をつくったものだと思ってしまいます。峠を超えると、バスは快調に坂道を下って行きます。その途中、赤い瓦屋根が見えてきたとき、あぁもう萩が近いんだなと実感しました。赤い瓦って?と思われた方もいらっしゃるでしょう。これは『石州瓦』と言って、石見地方で多く見られるんです。石州瓦の歴史はかなり古く、飛鳥時代の石見国分寺の建立のときに初めて使われました。石見地方を訪れると、赤い石州瓦の町並みが連なり、この地方独特の風情と景観をかもしだしていて、一風変わった日本の街並みを見て楽しむことができます。そんな景色を眺めていると、バスは萩バスターミナルに到着。ここが萩の中心部で、ほとんどのお客さんがここで下車して行きました。僕は終着駅の東萩駅まで行きます。バスは5分遅れで、12時頃に東萩駅に到着。すると、台風並みの強い風邪が、ビュービュー吹いています。ぽんすけのカツラが吹き飛んじゃうよ~(ToT) ウソです駅前でレンタサイクルを借りて、ウニ釜飯を食べに行きます。次回は、美味しい萩の名物料理を書きます。お楽しみに。
August 22, 2007
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山口県庁前から大通りを歩いていると、瑠璃光寺の看板が見えてきます。そこを左折して、車1台がやっと通れるぐらいの狭い幅の路を歩いていきます。さっきまでの慌しい大通りとは異なり、まるで田舎ののどかな街を歩いているかのような気分にさせてくれます。瑠璃光寺へと続く緩やかな坂道を歩いていると、壮大な五重塔が見えてきます。高さ 31.2 mで屋根は檜皮葺となっており、二層にだけ回縁がついているのが特徴で、国宝に指定されています。何故か知りませんが、お寺の境内なのに『香山公園』と呼ばれていて、桜や梅の名所にもなっているらしいです。ここはこのお寺で1番の撮影スポットになっていて、鯉が気持ちよく泳いでいる池の前に立って記念撮影をされる方がたくさんいました。今回は、池に落ちる人はいなかったようです……。僕が帰るときには、写真撮影のための行列が出来ていました。上の写真が本堂で、急勾配の屋根が珍しいです。ここは、靴を脱いで堂内へ入る事ができます。その中にはご本尊の薬師如来が祭られていますが、その脇にいらっしゃる弥勒菩薩像に関心を引き付けられてしまいました。なぜなら中宮寺の国宝弥勒菩薩像にとてもよく似ているからです。ちなみに中宮寺の弥勒菩薩像は、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。最後に、この五重塔には、こんな歴史があるのです…室町時代、大内義弘が現在の場所に寺を建立して、香積寺と名づけました。しかし、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こして、足利義満に敗れて戦死しました。彼の弟である大内盛見が兄を弔うために、ここに五重塔の建設を始めました。しかし……残念なことに、盛見がこの五重塔の完成を見る事なく、彼自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いに敗れ、永享3年(1431年)に亡くなりました。でも、五重塔は盛見の意思を継いで建設が続けられ、1442年頃に完成しを遂げました。もし、盛見が生きていたら、この立派な五重塔をどのような気持ちで眺めていたことでしょうか…瑠璃光寺住所:山口県山口市香山町7-1電話:083-922-2409 拝観:無料
August 21, 2007
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次の目的地、旧山口県庁・会議事堂に行って来ました。ここまで来るのにザビエル聖堂から徒歩5分です。わずか5分間歩いただけなのに、汗が滝のように流れています… 旧山口県庁舎の前に立ち、改めてその姿を見上げたとき、中学生のときに国会議事堂へ修学旅行で訪れた時のことを思い出しました。後で知ったのですが、実は国会議事堂をつくりあげたスタッフである武田五一と大熊喜邦の両氏が、この県庁舎と次に紹介する県会議事堂の建設に携わっているんです。確かにこの旧県庁、どことなく国会議事堂に似ているような気がします…。旧県庁の後ろに隠れて見えている近代的な建物が、現県庁です。現県庁には失礼ですが、全く風格がありませんでした…。さて、旧県庁に話を戻しますと、その屋根の部分には3連の半円形の飾り窓、そしてその上には突起型の装飾物が施されています。本当に細かなところまで、彫刻、装飾が施されていて、見ごたえ十分です。旧県庁の内部には、当時の面影を残しつつも、県内の特産品が展示されていたり、県政のあゆみなどのパネルが設置されています。さらに、喫茶店も設置されていて、重要文化財にも指定されている旧県庁の中でゆっくりコーヒーを味わうこともできます。さて、旧県庁の隣に建っているのは旧県会議事堂です。こちらも重要文化財に指定されています。外観も素晴らしいですが、ここの1番の見所は何と言っても議場です。大正5年に完成し、それ以来ここで数々の県政が生み出されていった場所です。もちろん激しい議論の日もあったことでしょう。そして、階段を使って2階へあがると、そこは県民のための傍聴席。この場所から、さまざまな想いで県民の方々が議会を見守っていたことでしょう。ルネッサンス様式を取り入れつつも、日本・東洋建築様式も所々に見られ、独特のつくりになっています。純白の壁、漆の塗られた黒木の柵、そしてオレンジ色の光を放つシャンデリア……どれもこれもすごく調和が取れていて、本当にすばらしいつくりになっています。壁の隅々まで見ると、その細かな彫刻などがとても優雅で面白いですよ。山口県政資料館住所:山口市滝町1-1電話:083-933-2268
August 19, 2007
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おはようございます。今日は久々に土曜日に休日を頂きました。外に出るにしても、この暑さではバテてしまいます。今日はブログを書いたり、英語のお勉強をしながら、部屋の中、または喫茶店で過ごそうと思っています。明日は実家の両親が関西方面にお寺参りに行きたいようなことを言っていたので、それに付き合うかもしれません。さて、昨日の続きです。8:48山口駅に普通列車が到着しました。僕の場合、駅に着いてまず最初にすることは、観光協会を探すことです。そこには、観光マップや名所のパンフレットなどを入手することができるからです。さて、バスの発車時間までしばらく時間があるので、駅周辺を見渡すと、駅舎の2階に観光協会を発見!そこで地図と観光案内のパンフレットを頂きました。さぁ、9:00のJRバスに乗り出発です。実は、このバス、タダで乗れるんですよ。周遊切符の中に運賃が入っているんです。9:05にバスは美術館前に到着。ここから歩いて10分、小高い丘の上にあるザビエル記念聖堂に向かいました。ザビエル記念聖堂は、1951年にザビエルが山口を訪れて布教活動を始めて400年を記念して建てられ、1991年の夏までの約40年間、山口のシンボルとして、近隣に住む人だけではなく、多くの観光客によって親しまれてきました。1991年9月5日 雨の日、突然の火災により、そのすべてを失うこととなってしまったのです。それ以来、あの美しい聖堂は見ることができません。旧ザビエル聖堂のページ→http://www.fmy.co.jp/xmas/xavier01.htmlそして、今…当時の面影は全く残っていませんが、2代目の聖堂として当時の想いを引き継いでいます。現ザビエル記念聖堂堂内は思ったより狭いですが、ステンドグラスからの色鮮やかな光が取り込まれ、外の蒸し暑さを忘れさせてくれました。ザビエルといえば、布教活動に従事したというイメージだけが強いですが、コロンブスやマルコポーロのような冒険家であったともいえます。ザビエルの足跡をたどると、スペイン→フランス→イタリア→ポルトガル→アフリカのマディラ諸島、カナリナ諸島→トリスタン・ダ・クーニャ諸島→モサンビーク→メリンダ→インド→マラッカ→マレー半島→日本→インドとなります。日本の鹿児島に入港してから、長崎の平戸→博多→下関→山口→京都→大阪の堺→岩国→大分→インドの順に布教活動を行いました。まさに冒険家っていう感じですね。話が変わりますが、ここ山口市が日本のクリスマスの発祥の地なんですよ。もし時間があれば、近くにある『ビエルカンパーナ』というパン屋さんに行きたかったんですが、今回は断念。そこはザビエルの故郷のスペインの石釜を使い、山口産の小麦を使い、自家製酵母により美味しいパンを焼き上げるそうです。レストランも弊店しているそうですよ。教会の鐘の音を聞きながら、お食事というのもいいですね。では、これから山口県庁に向かいます。
August 18, 2007
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こんばんは。大阪も猛暑続きで、過ごしにくい日々を送っております。実験室には排気装置が幾つも設置されているために、室内の空気を換気するとともに外の熱気が室内に入ってきます。そのためにクーラーがほとんどきかなくて、暑さに苦しみながら研究をしております。さて、山陰旅行のブログを早速はじめます。パチパチパチ(拍手)今回使う切符は『周遊切符』で、山口県内+益田のJR線特急(新幹線を含む)と一部のバスが載り放題の切符です。大阪から新山口までの乗車券は2割引(学割だと3割引)になり、とってもお得なんです。8月12日(日)、午前4時半頃に起床(いつもなら、まだ眠っている時間です。)。でも、この日はお盆の帰省客でごった返すために、早めに家を出ることにしました。地下鉄に乗り、新大阪駅に到着。駅弁の鯖寿司を買い、急ぎ足でホームに行くと、僕が乗るひかりレールスターの3号車自由席はすでに満席。2号車は空席が少しだけありましたが、喫煙車なので、ダメです。ゲホゲホ…(咳)。一番先頭の1号車に駆け込むと、運良く空席が空いていました。しかも、窓側♪。新大阪駅始発、しかも発車15分前に到着して、ほぼ満席とは予想外でした。新幹線は6:05に定刻どおり新大阪駅を発車。すでに通路やデッキに立っているお客さんがいます。新神戸からはかなりのお客さんが乗ってきて、自由席の通路はいっぱいになりました。これじゃ、トイレに行けそうにないです。通路に立っているお客さんの目を気にせずに、駅弁の鯖寿司を食べながら車窓の景色を…と言いたいところですが、新幹線の場合、新大阪より西側はそのほとんどがトンネルなので、車窓の景色は期待できません。ただし、岡山駅に近づくと、遠くに瀬戸内海が見渡せますので、それが唯一の絶景ポイントでしょう。そして、徳山駅周辺の広大な石油コンビナートも必見です(なんだか工場見学に来たような気分になります。)。列車は新山口駅に到着。ここで大半のお客さんが下車して行きました。ずっと立ちっぱなしの人はここでようやく座ることができます。僕もここで下車し、山口駅に向かいます。新幹線ホームから歩いて5分弱、在来線のホームに着くと、山口線のディーゼル列車が待っていました。先ほどの新幹線とは違って車内はガラガラ。普段なら高校生たちの通学でごった返すことでしょうが、今日はお盆休みで部活に出る学生も少ないようです。さて、新幹線からローカル線に乗り換えると、そのスピードの差異にびっくりします。さっきまで300キロのスピードでとばしていたのが、ローカル線ではその1/5のスピード! でも、のんびり旅行にはこのぐらいのスピードがちょうどいいのかもしれませんね。青空と緑鮮やかな田畑を眺めながら、列車は山口駅に到着。行き先は、宗教に関連のある名所2ヶ所です。どこか、当ててみてください。この旅の続きは、また今度...。
August 17, 2007
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お久しぶりです。1ヶ月以上ブログを更新していなかったので、もうこの世にはいないのではないかと心配された方もいらっしゃるでしょうが、相変わらず元気にやっておりますのでご安心ください。さて、夏休みを4日間頂いたので、山陰(山口⇒島根⇒鳥取)を旅してきました。僕の昔話をしますが、初めて一人旅をしたのが山陰でした。あれから10年経つんです。その当時、青春18きっぷを使ってJR山陰本線を巡りました。山陰本線の列車は、日本海の荒波によって創られた美しい島や岩を望みながら走ります。あの頃は車窓に広がる景色を眺めながら、何度か「途中下車をしたいなぁ」ってため息をついていました。でも、ここで下車したら次の列車が来るのが2時間後。これでは、予定が大幅に狂ってしまって、予約したホテルにたどり着けない…。結局、ゆっくりその景色を眺めることなく、悔しい思いをしたのを覚えています。あれから10年後、山陰を訪れるチャンスを作りました。お天気にも恵まれ、いや、恵まれすぎてバテましたが、とても素晴らしい旅ができました。どんな旅だったのか?それは今後のブログで紹介して行きますので、お楽しみに。では、また明日
August 16, 2007
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