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こんばんは。明日は奈良のお寺を巡ろうかなって思っていましたが、天気がいまいちなので、キャンセルして自宅周辺をウロウロすることにします。そして、月曜日にセミナーがあるので、それの準備もしなくてはいけません。来週の日曜日に晴天になることを祈りつつ…さて、昨日の続きです。一休寺には国宝は存在しないものの、重要文化財は多数残されています。その1つが、本堂です。入母屋造りの桧皮葺の建造物です。薄暗い内部には禅宗にはお約束の釈迦如来像、文殊菩薩像、そして普賢菩薩像が安置されていました。一休さんが亡くなってから、このお寺は段々と荒廃していきました。おそらく跡継ぎの弟子たちがダメなお坊さんだったのでしょう。そこへ、一休さん没後約170年経った後、大坂の陣のために加賀城主の前田利常がこのお寺を訪問しました。その時、あまりにもこのお寺が荒れ果てているのを見てひどく嘆きました。そして、前田利常の力によって、方丈が再建されました。今では重要文化財に指定されています。さて、中に入ると木像の梁が大胆に組み込まれていて、天井が高くまで広がっている様子が伺えます。さらに奥へと進むと、このような囲炉裏を発見!昔、あの一休さんも弟子たちを囲んで、鍋をグツグツ煮込みながら食事をしていたのかなぁって思わせられます。さらに奥に進むと、昔見た一休さんのアニメの挿絵がいくつも展示してありました。そして、ここの1番の見所である、枯山水の庭園です。後から来た参拝客の方が、この庭園を見ながら座禅を組んでいました。確かに、何時間眺めていても飽きません。そして、面白いのは『一休禅師木像』です。一休さんが亡くなった年に、等身大の一休さんの木像を作成し、一休さんの頭髪とヒゲをその木像に貼り付けました。その木像は昨日のブログで紹介したあの石像にそっくりで、おそらくこの木像を模倣して作られた石像でしょう。昨日の石像は托鉢をしている一休さんでしたが(普段着の一休さんって感じ)、この木像は法衣を何重にも身に付け、いかにも威厳のある一休禅師像です。次回は、一休寺の小ネタを書きます。お楽しみに…
January 27, 2007
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ご無沙汰しております。さて、サイクリングの締めくくりとして『一休寺』に行ってきました。一休? はい、そうです。とんちで有名な一休さんですよ。すっかりテレビのマンガでお馴染みになりましたね。今でも、一休さんのマンガをテレビでやっているのかなぁ~?一休寺という名称は通称であって、正式には『妙勝寺』と言います。あの一休さんがこのお寺で人生の後半を過ごされ、1481年11月21日にお亡くなりになられました。享年88歳でした。一休さんの遺骨は当寺に葬られていて、一休さんの立派なお墓を見ることができます。今日は眠いので、お寺の見所はまたの機会に書きます。そういえば、境内に一休さんの石像がありました。ちょっと僕のイメージと違うんですが…一休さんといえば、頭が丸坊主でしたが、この石像を見ると頭に毛が生えていますね(笑)。なんか困った顔をしたおじさんって感じで、威厳のある一休禅師というオーラは感じられませんでした一休さんのとんちで有名なものと言えば…『このはし 渡るべからず』ですね。つまり、『この橋を渡ってはいけない』と解釈をせずに、『橋の端を渡ってはいけない、つまり橋の真ん中なら渡ってもよろしい』と解釈して、堂々と橋を渡ったというとんち話です。境内に『このはし わたるな』と書かれた看板が橋の隣に立てられていました。僕は堂々と橋の端を歩いて渡りましたが…。つづきはまた明日書きます。おやすみなさい。
January 26, 2007
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自転車で巡礼の旅はまだまだ続きます。この日は暴風のために、列車の運休が相次いだ日で、こんな中を自転車に乗るのはホントにきついです。特に逆風が吹くと、急勾配の下り坂でさえ、どんどんスピードが落ちていくという悲劇がおこります。20歳後半になると、昔のように活発ではなく、やっぱ電車で来るべきだったと何度も悔やみました。さて、本題にいきましょう。今までいくつかのお寺を紹介してきましたが、この一帯は非常に優れた仏像を見ることができます。それらのお寺に共通点があります。それは、木津川沿いにお寺が建立されていると言うことです。つまり、自動車なんて存在しない当時、木津川は交通の要になっていて、船による物資の運搬が盛んに行われていました。そのため、お寺を建築する木材の運搬が容易であったために、木津川沿いにお寺が点々としているものと考えられています。また、台風などの集中豪雨により度々大氾濫を起こしていました。そのため、水上の交通安全、集中豪雨による被害を抑えようと、それらを祈願する目的で木津川沿いにお寺が建立されたとも考えられます。その木津川の支流として『普賢寺川』が流れています。その川沿いに自転車を走らせていると、同志社大学の大きなキャンパスが見えてきます。こんな田舎に通う学生は、退屈していることだろうなぁと思ってしまいますが、まっ、勉強するには最高の環境ですね(笑)。その同志社大学の隣に『大御堂 観音寺』と呼ばれる小さなお寺があります。京都で『観音寺』と言えば『今熊野観音寺』を連想されることでしょうが、これからご紹介する観音寺では大変素晴らしい観音様を拝見することができます。現在残されている国宝の十一面観音像はわずか8体だけです。そのうちの1つがここ『大御堂 観音寺』に安置されています。仏像を拝観したいと申し出ると、『本堂の前でお待ちください。』と言われました。しばらく待っていると、法衣に着替えたご住職さんがお見えになりました。僕1人で訪問しているのにもかかわらず、ちゃんと正装をしてお出迎えしていただいて、そのおもてなしに大変恐縮してしまいました。ご住職さんのご案内により本堂へ上げていただくと、外観からは想像もできないほど広い空間に、その真ん中には扉が閉ざされた大きな厨子がありました。ご住職さんがお香を焚き、ろうそくに火を灯されると、昨日のブログでも紹介したように、ご住職さんのお念仏が始まりました。そして、念仏の最後に『この参拝者の、家内安全、心願成就…』という意の呪文が唱えられました。またまたご祈祷をしてもらいました♪そして、ご住職さんが厨子の扉を開けて下さると、そこには非常に美しい国宝十一面観音像が金箔の施された厨子の中に収められていてました。漆が厚く盛られているために、金箔から発せられる黄金の光が観音様に反射して、その光景といい、彫刻の素晴らしさといい、今までに見てきた観音像のなかで最も素晴らしい作品であると感じました。学術的には観音様に性別はないと言われていますが、明らかに女性をモデルにして作られた作品だと思います。そう考えると、この仏像の作者が、好きになった女性の姿を思い浮かべながら、日夜彫刻を刻んでいたと想像すると、何かロマンが感じられますね(笑)。その美しい仏様の前で、心を奪われたかのように眺めていると、後ろからご住職さんが観音寺の歴史や仏像をご丁寧にご説明をしてくださいました。その中で気になったのが、このお寺は奈良の『東大寺のお水取り』と密接な関係があるんです。そう言えば、本堂の前に根っこから抜き取られた竹が置いてありました(写真の左奥側が竹の根です。)。実は、お水取りを最初に初められたのが、このお寺の第1代住職、実忠僧正です。この近辺でとれた竹をこのお寺に運び、観音寺から東大寺二月堂までの道中の安全を祈願します。その後、この竹に『山城松明講』の文字を入れて、二月堂へ向けて出発します。ここのご住職さん、とても気さくな方で、僕の質問にも丁寧に答えてくださいます。是非、このお寺にご訪問されて、美しい観音様をご覧になってみてはいかがですか。☆住所 京都府京田辺市普賢寺(同志社大の隣)☆電話 0774-62-0668 (要予約)
January 21, 2007
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昨日ご紹介した蟹満寺を出発して神童寺を目指します。神童寺への道のりは厳しく、急な山道をぐんぐん登って行きます。ここは宇治のお茶の産地だけあって、まるで段々畑のように山の斜面にお茶畑が折り重なるように作られています。初夏にはおいしいお茶の葉に育っていることでしょうね。それにしても、この山道は狭くてしかも勾配がきついです。「まだ着かないかなぁ~」なんて思いながら自転車で坂を登っていると、お城のような城壁と石垣が見えてきました。これが、次の目的地の神童寺です♪神童寺は桜で有名な吉野山にある金剛峰寺と密接な関係を持つ修験道の霊地です。このお寺の歴史は大変古く、聖徳太子の創建と伝えられています。その後、役行者(えんのぎょうじゃ)が彫刻した蔵王権現(ざおうごんげん)の像を安置しました。このようにして、一時期は30近い数の寺院がこの一帯に建立されて、修験道や仏教文化で大変栄えていました。しかし、現在ではこの寺のみが残されていて、お寺の規模も本堂だけが存在しています。その本堂の前で記念撮影をしましたそして、仏像の拝観をするために寺務所に行きました。すると、ご住職さんがお見えになって、「本堂へお上がりください。」と言われ本堂へ向かいました。ここは参拝客がかなり少ないので、本堂の扉は普段閉じられています。ご住職さんが本堂の鍵を開けて、本堂の中へ案内して下さいました。すると、ろうそくとお線香に火を灯され、須弥壇の上の扉を開いていただくと、その中には役行者が彫刻したご本尊蔵王権現像、聖徳太子の作と伝えられている十一面観音像などの仏像が安置されていました。「こちらへお座りください。」と言われ、正座をして仏様を眺めていると…ドンドン、ドンドン…と、ご住職さんが太鼓を叩かれています。太鼓の音がお腹の中まで響いてくる~。さすが、修験道の霊地だな~って、思いました。そう言えば、吉野の金剛峰寺でも般若心経(お経)が木魚ではなく、太鼓の音にあわせて詠まれていたことを思いだしました。さて、このご住職さんの呪文をお聞きしていると、どのようやら僕の心身健康、交通安全、心願成就…をお祈りする呪文のように思えました。いや~、一種のご祈祷までして頂いて、すごく嬉しかったです♪。その呪文が終ると、ご住職さんが神童寺の縁起、歴史、そして仏像のご説明をご丁寧にしていただきました。そのお話によると、十一面観音像は本当に素晴らしい作品ですが、残念ながら激しく痛んでいるために国の重要文化財には指定されなかったそうです。本堂のご説明が終ると、本堂の上に設けられた宝物殿に案内されました。そこには、国の重要文化財が大切に保管されています。ご住職さんが、1つ1つの仏像について、「ここがすごいんだよ!」とか「この仏像はすごく珍しいんだよ~。」と言うように、誇らしげに語られていたのが印象的です。特に、このお寺の不動明王立像は素晴らしく、白不動明王と呼ばれて、ここにしか存在しません。かつては国宝でしたが、現在では国の重要文化財に指定されています。京都市内の大きなお寺ですと、お寺の説明が書かれたパンフレットを手渡されて、これを読んで拝観してくださいっていう感じですが、神童寺の場合ご住職さんが一つ一つご丁寧に説明をして下さり、大変好意的であると言えます。ただし、ご住職が不在の場合がありますので、拝観される際はあらかじめ電話でご連絡されることをおすすめします。ここで、マメ知識!お不動さんという愛称で親しまれている不動明王ですが、赤、黄、青不動明王が存在しています。もちろん、体の色が赤、黄、青色をしているので、このような名前が付けられています。なんだか信号機みたいですが…。そして、皆さんに知っていただきたいのは、『日本三不動』で、高野山金剛峰寺の赤不動、琵琶湖のほとりの三井寺の黄不動、京都の青蓮院門跡の青不動です。いずれも国宝に指定されています。神童寺の国指定重要文化財 ・神童寺本堂・愛染明王(あいぜんみょうおう)坐像・不動明王立像・毘沙門天(びしゃもんてん)立像 ・日光・月光菩薩立像・阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像・伎楽面(きがくめん)なぜ、こんなにたくさんの文化財があるのかと言うと、かつて30近いお寺がこの一帯に存在していた事はすでにお話しましたが、これらのお寺が廃寺になるにつれて、仏像などの文化財が次々と神童寺に集められたと言うことです。神童寺では数多くの貴重な文化財のほか、春にはミツバツツジ、秋には紅葉や銀杏など四季折々の風情が楽しめますよ。所在地:京都府相楽郡山城町神童子小字不晴谷112交 通:奈良線棚倉駅下車徒歩30分連絡先:0774-86-2161
January 20, 2007
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『蟹のお寺』と聞いたら、皆さん何を想像されるでしょうか?実は、おもしろい昔話が伝わるお寺が京都府の奈良市に隣接する山城町にあります。その名前は蟹満寺といいます。今日は、そのお寺のお話をします。昨日のブログに書いた禅定寺から自転車で蟹満寺へと向かいます。木津川沿いにひたすら自転車で走って行きますが、逆風が強くてスピードが出せないし、しかも体力がかなりいるから、こりゃ大変でした。右を見れば木津川の穏やかな流れが、左を見れば田畑の広がる田園風景が見渡せます。時々JR奈良線の列車がのんびり走っている様子がうかがえます。さて、このお寺が創建されたのは、白鳳時代の7世紀末で、当初は大変大きな金堂(本堂)が建っていたそうですが、今ではその本堂の規模も大幅に縮小されてしまい、閑疎なお寺になってしまいました。ところが、この小さな本堂の中には、なんと国宝があるんです(写真の奥が本堂で、手前が観音堂です)その国宝とは、本尊の釈迦(しゃか)如来座像で、大変貴重な仏像として珍重されています。日本最古のお寺として有名な飛鳥寺の『飛鳥大仏』、薬師寺の『釈迦如来像』などと同じく、奈良時代よりも古い丈六仏のひとつで、今残されているものはわずか5体だけです。像高は240 cmもある大きな仏像で、この小さなお堂では窮屈ではないだろうかと、かわいそうに思えてしまいます。そして、黒光りをしているので、ブロンズ製の重量感が伝わってきます。お顔はちょっと怖い顔をしてらっしゃるので、びびってしまいましたがそして大きな特徴として、螺髪(“らほつ”と言って、パンチパーマみたいなもの)がないなど、白鳳文化の特徴が現れています。一番おもしろい点は、この仏様には蛙のようにミズカキがあるんです。これは、緩網相(まんもうそう)と呼ばれるもので、みんな一人残さず救って下さるという意味があります。皆さん、どのような仏様なのか見たいでしょ?それじゃ、下をクリックしてくださ(JR東海のホームページに飛びます。)。http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_kanimanji/$file/SS50.jpgさて、何で蟹に縁があるのでしょう?実は『蟹の恩返し』という物語が今昔物語集に書かれています。そのあらすじはこちらをクリックしてください。http://www.anraku.or.jp/jiin7b.htmその物語をすごく簡単に言いますと、『蟹が大蛇をやっつけた』と言うことですが、観音堂にその時の様子を描いた額が掲げられています。さて、余談ですが、昨日ご紹介した禅定寺の観音様は柿の木を持っていましたが、こちらの観音様はしめ縄を持っていらっしゃいます。よーく観察すると、おもしろい事がたくさん発見できますね。蟹満寺京都府相楽郡山城町大字綺田0774-86-2577JR奈良線「棚倉駅」下車徒歩20分拝観時間 8:00~16:00
January 19, 2007
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こんばんは。もう1週間前の話ですが、久しぶりに大阪から京都の端っこまでサイクリングをしました。朝5:45に家を出発して、まだ真っ暗な中、京都の宇治田原を目指しました。まだ朝早いというのに、近所の美容院に明かりがついていて、しかも美容師の方が忙しそうにヘアメイクをしているではありませんか!?最初、何でこんなに早い時間に美容院が開いているのか不思議に思いましたが、よく考えて見るとその日はちょうど成人の日!一生に一度の式ですからね、華やかな着物を着て、そして美しくお化粧をして式に出られることでしょう。さて、僕の家から宇治田原まで45km。途中、松屋でカレー牛を食べて、ほとんど休憩をせずに自転車で突っ走りました。空模様は相変わらず曇り空で、気温が4℃!?自転車で進むにつれて、大阪の都会の景色からから段々とのどかな田舎風景へと変わっていきました。宇治田原市内に入ったとき、お茶畑が山の斜面に沿って広がっています。宇治のブランドのお茶がここで生産されています。この日は運良く、道に迷わなかったので、予定より30分も早く最初の目的地の禅定寺に到着しました。ふぅ~田んぼや畑の広がる景色の中に、ぽつんとお寺が建っていて、京都市内で見るお寺の雰囲気とは全く異なるものでした。自転車を止めて、石段を登っていくと、観音様を発見。この観音様、柿の身の付いた枝を持っています(笑)。なんとも可愛かったので、写真を撮らせていただきました。さて、本堂の拝観が9:00からなので、まだまだ時間があります(早く着きすぎちゃった…)。と言うことで、山門の前で、セルフタイマーで写真撮影をしました。僕の写真、久々に出ましたね(笑)。なんでこのお寺に行こうと思ったのか?それは茅葺の本堂に興味を引かれたからです。桧皮葺きの屋根で有名な清水寺も素晴らしいけど、この禅定寺の茅葺の屋根も風情があってすごくいいです。そして、この屋根をさらに注意深く見てください!屋根の上に白く光るものが点々と見えていませんか?実は、これの正体は…アワビの貝殻なんです!?何でアワビの貝殻が屋根に設置されているのか分かりますか?アワビの貝殻って、宝石みたいにキラキラ光るんです。その性質を利用して、鳥が屋根の上で休まないように、つまり鳥を除けるためにアワビの貝殻を吊るしておくらしいです。昔の人の知恵が今でも生きているんですね。しばらくお庭を拝見させてもらっていると、9:00になりました♪ と言うことで、本堂へと案内されて、ご住職の奥様に壁画のご説明を頂きました。その壁画とは…高さ8メートル、幅45メートルにも及ぶ巨大な壁画です。この壁画には公募によって選ばれた素人や仏画の専門家によって個性豊かな仏様が描かれています。みんなそれぞれの想いを込めて描いたことでしょう、その気持ちが1つ1つの仏画から感じ取れます。次に、宝物殿に案内されて中に入ると、その奥の中央にすごく大きな十一面観音(高さ3メートル弱)が安置されていました。かつては国宝でありましたが、今では重要文化財に格下げになったそうです。そのほか四天王立像など藤原時代に作られた仏像がたくさん残されていて、どれも保存状態がすごく良く、そのうち10体が重要文化財に指定されています。仏像についてはこちらをクリックしてください。http://www.town.ujitawara.kyoto.jp/tourist/walk/p041.html禅定寺は超オススメのお寺です。ただし、交通の便が大変悪いので、遠方からいらっしゃる方には、ご参拝が大変かと思います。注意 あるホームページに『京阪宇治交通バス「維中前」下車徒歩20分』と書いてありますが、これは間違いです。正しくは走って20分です!自転車で下り坂をぶっ飛ばして、禅定寺から「維中前」バス停まで5分かかりましたから…禅定寺京都府綴喜郡宇治田原町字禅定寺庄地1000774-88-4450境内8:00~17:00宝物殿9:00~17:00
January 18, 2007
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こんばんは。僕のふるさとは山の奥深くにあるために、食べ物と言えば旬の新鮮な山の幸を食べることができます。野菜や山菜はもちろんのことで、川魚や山に住む動物の肉を食べたりします。お正月に食べたものは、ぼたん鍋です。猪の肉を薄切りにして、牡丹の花の形に盛り付けると言うことから、この名前が付いたそうです。僕の実家では、野菜と一緒に煮込んで、味付けは醤油味です。地方によっては味噌味と言う所もあるそうです。豚肉に比べて、脂っこくなくて、ちょっと肉が硬いのが特徴です。そして、あまご料理です。あまごは鮭科の魚ですので、お刺身にするとこの写真のようにお寿司屋でよく目にするサーモンと見た目はほとんど変わりません。さて、気になる味ですが、海で育つサーモン(鮭)と異なって、体に脂肪がほとんど付いていないために、食べると淡白でさっぱりしていて、歯ごたえがしっかりあり、コリコリしています。そして、あまごの一番美味しい食べ方は、やっぱり塩焼きでしょう。もちろん頭からかぶりついて食べるのがいいです。骨は柔らかくて、そのまま食べられます。あまごは、炊き飯や甘露煮にしても美味しいですよ。三重県の山奥にはとても美しい渓流が残されていて、天然あまごはもちろん、鮎、やまめなどの新鮮な魚が食べられますよ。
January 15, 2007
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お久しぶりです、1週間ぶりですね。先週は『論文審査』をしてほしいという依頼が来ていましたので、それをずーっとやっていました。この仕事は、あるアメリカの化学雑誌に研究を掲載するのに相応しい学術論文であるかどうかを審査するものです。その論文を読んで、このような追加実験をするべきとか、この解釈は間違っているなどのアドバイスやクレームをつけるという仕事です。1年に2~3件来ますが、無報酬でやるのであまりいいものではありません(笑)。でも、クレームを付けるのは楽しいですから、へへへ… まっ、こんなことをやっておりましたので、ブログを更新できずに1週間ぶりにお目にかかることになりました。さて、お正月の話をします(笑)。『何を今更』っていう声が聞こえてきそうですが、まぁ、だまって聞いて下さい。僕の実家の近くに『川上山若宮八幡宮』という神社があります。実は先日のブログでお話した北畠神社を訪れたついでに、ここに立ち寄ってきました。興味深いのは主神として、仁徳天皇と磐之媛皇后(いわのひめ)をお祭りしていることです。このお二人をお祭りすると、いろいろなご利益が授かると言われています。それは、何かというと…1.長寿実は仁徳天皇は長寿の神様として尊崇されております。なんと享年143歳ですから、今でも信じ難いぐらい長生きをされた天皇です。ただし、古事記によると83歳で亡くなったと記されていますが、いずれにせよその当時にしては長寿と言っても過言ではないでしょう。ということで、病気平癒、家内安全、交通安全などなど長寿に関するご利益があるということです。本殿にはたくさんの参拝客で賑わっていました。神社なのに、ろうそくを奉納するのは珍しいですね。2.繁栄仁徳天皇は皆さんご存知でしょう。というのも、歴史の教科書に必ず出てくるアノ写真をすぐに思い浮かべられる方が多いと思います。そうです、日本一大きな前方後円墳、つまり鍵穴に似た形をした古墳の写真です。その古墳の下に眠っているのが、仁徳天皇です。その古墳は大阪の堺市にあり、墳丘の大きさでは全長486mで、クフ王のピラミッドや中国の始皇帝陵よりも大きく、世界三大墳墓の一つとして数えられています。さて、話を元に戻して、仁徳天皇は大阪の難波に都を定めました。その時、民衆の生活が大変貧しいことを哀れに思いました。そこで、3年間に渡り、年貢を免じて国民の繁栄の為に尽されました。その人柄の良さといい、一般庶民の繁栄を第一に考える心優しさは、神様として崇めるのにふさわしいぐらいです。また、土木工事、田園の開拓などを進んで取り組まれた業績があり、故に豊産、豊漁、繁栄、繁昌としてご利益があるとされています。非常に清らかな川が境内を流れています。そんなに深くないのに、水の色がスカイブルーをしています。この光景はまさに圧巻ですよ。神様がお住まいになるのに相応しい場所と言えるでしょう。3. 良縁??では、磐之媛皇后のご利益は何でしょう?それは、良縁に恵まれると言われていますが、あくまでも私見ですがこれについては首を傾げてしまいます。というのは、仁徳天皇がなんと八田皇女を妃にしょうとしました。これを聞いた磐之媛皇后は激しく怒って、家出をして山城筒城宮に住み、難波宮に帰ることなく亡くなられました。いわゆる、浮気、不倫、家出、別居…と波乱に満ちた人生でした。ちなみに磐之媛皇后のお墓は奈良市佐紀町にあり、仁徳天皇のお墓と離れた場所にあります。ちなみに仁徳天皇と同じく前方後円墳です。というエピソードを考えると、良縁のご利益というのは、ちょっと納得がいかないように思えます。境内を流れる川を泳いでいるのは、あまごや鱒と思われます。清らかな水の中を悠々と泳いでいました。場所 三重県一志郡美杉村川上3498URL http://www.wakamiya.info/cont/index.htm
January 14, 2007
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今朝、目が覚めて窓の外を見たら、大雪が降っていました。ところが、昼過ぎになると、さっきまでの大雪とは打って変わって、素晴らしい青空が広がりました。明日もこの晴天が続くそうで、久しぶりに奈良県の近くの京田辺までサイクリングをする予定です。さて、1月3日に僕の家の近くにある神社にお参りしました。そして、今年1番におみくじを引いてみました。すると、『吉』が出ました。そして次の神歌が書き添えられていました。松枝に 鶴の羽音のきこえつつ 啼く一こゑの いさましきかなこの神歌の意(こころ)は……初春の日出に、松の枝に鶴の群れが遊んでいて、その羽の音や鳴き声が聞こえている。それを聴いた人々は喜んで、今後の幸せを願って待っている。まぁ、なんて縁起の良いくじを引いたのだろうと、嬉しくてたまりませんでした。ちなみに、○願望歓喜の沙汰あり ○待ち人来る ○争いごと勝つ ○遺品出可 ○売買大いに利あり ○疾病全快すべし ○方角、東南方吉 ○家造、移転、婚礼、旅行大いに吉という恐ろしいほどに恵まれた1年になりそうです。方角は東南がよろしいということなので、大阪の東南に位置する京田辺へ向かう予定です。そして、古寺を巡礼しようと思っています。京田辺のお寺には国宝、重要文化財の仏像がたくさん安置されています。そのときの出来事を今週後半にご紹介できればと思っています。皆さんにもこの幸せをお裾分けできますように…
January 7, 2007
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今年の初詣はどこへ行かれましたか?僕は実家から車で30分のところにある『北畠神社』に行ってきました。この神社は三重県津市美杉町(旧美杉村)にあり、のどかな田園風景の中に建てられています。南北朝時代の公家、北畠氏の住居跡に建てられているために、当時のお屋敷の面影を残しています。例えば、神社なのに、大変美しい武将庭園を鑑賞することが出来ます。池泉観賞様式と呼ばれていて、中央部には池があり、その池は「米字池」と呼ばれていて複雑に屈曲しているのが特徴です。武将庭園でありながら、樹齢400年以上の杉の大木が立ち並んでいる光景は神社の風格にふさわしいほどです。この庭園は南北朝時代(1336-1392)の代表的な造りになっていて、日本三大武将庭園のうちの1つ、そして日本名園五十選のうちの1つに選ばれています。この庭園に関する詳細は僕が語るよりもホームページをご覧になった方が、より正確に情報が伝わりますので、詳細は省かせていただきます。http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kitabatake16.html さて、この神社には後に伊勢の戦国大名ともなった一族、北畠氏(北畠顕能公・北畠親房公・北畠顯家公)が祀られています。建武中興十五社のうちの1社で、南北朝時代に建武の新政に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする神社です。と言うことで、NHK大河ドラマ「太平記」(1991年)の舞台のひとつにもなりました。話が変わりますが、北畠氏と言えば『白米城』を思い出します。昔、小学生のときに、遠足でこの城跡である小高い山に登ったことがあります。この城は北畠氏の居城で、正式な名称は阿坂城と言います。南北朝時代に、敵軍の足利軍が山の麓まで攻めてきて、城まで生活に必要な水を供給できないように『水断ち』をしました。困った北畠氏はまだ水が豊富にあると思わせるために、米を馬の背に流して、あたかも馬を洗っているように見せかけました。これを山の麓から見ていた足利軍が、「まだあんなに水があるではないか~。」っと言って、包囲を諦めて退散したと言われています。それ以来、白米城と呼ばれています。さて、北畠神社に話を戻しましょう。この写真は何をしている場面か分かりますか?村の人々が竹竿を持って焚き火の中で魚を釣っています。そんなワケないですよね~。実は、お餅を焼いているのです。これも北畠神社のお正月の一風景です。いくらかお金を払うとお餅と竹竿がもらえます。僕はまだ食べたことがありませんが、次回は是非チャレンジしたいですね。
January 6, 2007
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もうお正月が終ってしまいましたが、昨年いろいろお世話になった皆様に年賀状をお送りします。これは今年の年賀状のデザインです。毎年、こんな調子で年賀状を作っております。
January 5, 2007
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こんばんは。今年の冬は去年に比べると雪が少なく、しかも暖かいですね。ですから、過ごしやすい日が続いている点では嬉しいことですが…しかし、去年の秋から曇り空が多く、真っ青な空をほとんど見ていません。スッキリしない天気が続いていないので、気分も今ひとつ盛り上がりません。さて、昨日のブログの続きをお話しましょう。月輪寺を出発しようとすると、さっきまで薪でお風呂を焚いていたおばちゃんが僕に話しかけてきました。『これから、愛宕神社に行くのですか?ん~、その靴(スニーカー)ではちょっと危ないかもしれないですね~。上りは良くても下りが危険ですからねぇ~。』確かに登山道は雪に覆われていて、しかも登山道のすぐ下は崖になっているので、滑って転落する可能性もあります。旅中、選択に迷うことはしばしばありますが、命にかかわることなので、慎重に答えを出さなくてはいけません。その結果、危険と感じたら引き返せばいいやと思い、愛宕神社を目指すことにしました。登山道はすっかり雪に覆われて、所々凍っているために、慎重に登っていきました。すると、その途中で上のほうから楽しそうに会話をしている男女の声が聞こえてきました。おそらくご夫婦で登山を楽しまれているのでしょう。がっ、僕とすれ違ってから、さっきまでの楽しい会話が無くなり、無言で山を下りていかれました。おそらく、僕の軽装備(スニーカー&肩掛けカバン)を見て空いた口がふさがらなかったのでしょう…何人かの登山客が朝から歩いていたのでしょう、雪の上には足跡が残されています。そしてこの写真を見れば分かるように、その下は崖です。途中、はるか彼方に嵐山市内が一望できる丘がありました。その丘からこの景色を見ていると、こんなにも遠くまで歩いて来た自分自身が信じられなくなります。さらに頂上を目指しますが、もうお昼の2時をまわっているので、早く神社へお参りをして下山をしなくてはいけません。ですから、ゆっくり休んでいる暇もなく、どんどん登っていかなくてはいけません。しかも、ここで休んだら体温が下がって危険です。生まれて初めて見る樹氷です。澄んだ空気の中で見る樹氷はなんて美しいのでしょう…苦労して登ってきた甲斐がありました。そしてしばらく歩くと車が1台通れるぐらいの道幅の道路に出ました。この道を見つけたとき、飛び上がるぐらい嬉しかったです。つまり、愛宕神社が近いと言うことです。案の定しばらく歩くと、歩きやすいように雪かきがされた長い石段が見えてきました。この石段を登りきると本殿が見えてきます。辺りは霧に覆われていて何とも幻想的な雰囲気です。もちろん京都市内とは異なり、僕の足音以外は物音一つ聞こえません。こんな雪深くて寒くて、参拝客といえば登山客ぐらいしかいないにもかかわらず、御札やお守りが販売されています。『ひのようじん』と言えば『火の用心』を思い浮かべる人が多いと思いますが、おそらくその語源は愛宕神社の御札の『火迺要慎(ひのようじん)』に由来すると(勝手に)思っています。愛宕神社は火伏せ・防火の神様を祀っていて、この『火迺要慎(ひのようじん)』のお札は火を扱う京都の飲食店や旅館などでしばしば見ることがあります。それにしても、たくさんの御札が並んでいます。そして、こんな高い山の上にもかかわらず、立派な社が建っています。そして、御札売り場の隣には、今となっては懐かしい『まきストーブが』参拝客を出迎えてくれます。愛宕神社へは片道1時間30分以上の登山をしないとお参りが出来ません。苦労をしてこそご利益があるんだなぁって思っています。余談ですが、東京にも愛宕神社があります。もちろん山(愛宕山)の上に建っていますよ。その愛宕山は標高26M。いやいや、立派な山ですよ~。その翌朝、全身筋肉痛&鼻水の大量生産に悩まされるのでありました。めでたし、めでたし…
January 4, 2007
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明けましておめでとうございます。昨年は皆様にたくさんのコメントを書き込んでいただきまして、ありがとうございました。これからも、皆様に興味を持っていただけるようなブログを書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。さて、昨年の大晦日から昨日まで実家に帰っていました。昨年のゴールデンウィーク以来の帰郷と言うことになります。そのときの出来事は数日後のブログでお伝えしたいと思います。12月30日に清滝から愛宕山を経由して登山をしました。先日は幽霊トンネル(愛宕山鉄道の廃線跡)について書きましたが、今日はいよいよ核心に迫りたいと思います。京都嵐山の奥地に『清滝』とよばれる田舎町があります。『愛宕山鉄道』が営業していた頃はこののどかな田舎町も大勢の観光客で賑わっていたことでしょう。関西では数少ない清流である清滝川に沿って歩いていくと登山口に到着です。先日の降雪のためか、雪解け水で多少水かさが多いように思います。この清滝川のせせらぎを聞きながら、どんどん山を登っていくにつれて、清滝川の水が流れる音が段々小さくなり、やがて聞こえなくなりました。高校生まで、山で育ったために(猿ではありません)登山には自身がありますが、頂上へ近づくにつれて、雪が深くなってきて、歩くのが難しくなってきました。厚着はしてきたものの、スニーカーに肩掛けカバンという軽装で来た事を何度も悔やみました。約1時間ぐらい歩いたでしょうか…ようやく月輪寺の宝物館が見えてきました。ここは京都のお寺の中で、参拝するのが最も困難なお寺の1つで、標高924 mの愛宕山の中腹にあります。法然上人25霊場第18番札所ある月輪寺は、十一面観音像などのたくさんの重要文化財が安置されています。その重要文化財の観音様ですが、最近になって修復作業を終えて当時の黄金の輝きを取り戻し、本堂の奥でキラキラと輝いていました。しかし、冬場は積雪のために参拝客がほとんど来ないために宝物館は閉鎖されているそうで、他の寺宝を見ることができませんでした。↑本堂また、境内には「時雨桜」と呼ばれる桜の古木があります。春先に花が咲くと、不思議なことに花弁が涙を流したかのようにしっとりと濡れるそうです。この桜が濡れる理由として、法然上人と親鸞聖人の別れを哀しんで、桜が涙を流しているのであろうと古来から伝えられています。信楽焼のタヌキさんも雪に埋もれています。さて、『こんな山の中にお寺があったら、生活が大変不便だろうな?』と思いました。登山中、NTTと電力会社の電柱を至るところで見かけたので、電気はちゃんと供給されていると思います。そして、境内に滑車が取り付けられていて、生活に必要な物品はロープウェイで送り届けられるんだろうなと思いました(今は動いているかどうか知りませんが)。でも、インターネットで検索をすると、ご住職の若い尼さんが大きなリュックサックを背負って、山を上り下りしているという情報もあります。生活に必要なものを手に入れたり、法事などで片道1時間かかる山を上り下りされていると思うと、頭が下がる思いです。それにしても、バスやタクシーなどの交通の便が全く無かった昔では、このように背に荷物を背負い何時間もかけて毎日山を上り下りしていたことでしょう。これも修行のうち…明日のブログは、愛宕神社を目指します。
January 3, 2007
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