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前回の続き。参照:荘子と進化論 その80。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201106230000『論語』の微子編で登場した、田畑を耕していた隠者の話をしましたが、その長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)に共感する人物が現れます。遙遙沮溺心 悠悠とした長沮や桀溺の心は、千載乃相關 千年を時を経て相照らすものがある。 但願常如此 いつまでもこうあって欲しいものだ。躬耕非所歎 耕作に精を出すのは、(苦しいけれども)嘆くようなことではない。(陶淵明 『庚戌歳九月中於西田穫早稻』より)・・・次なる荘子読みは、 陶淵明(Tao Yuanming 365~427)であります。参照:Wikipedia 陶淵明http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%B7%B5%E6%98%8E若き日に大いなる志を持って役人に仕官したものの、官職が性に合わず、職を捨て郷里で農作業に明け暮れ、貧しい中でも酒と田園を愛し続けた詩人であります。陶淵明といえば、なんといっても菅原道真の訓読で知られる「帰去来兮(かへりなんいざ)」ですが、今回は省略。隠遁と言っても、漂泊ではなく、帰郷や、帰農に近いですね。参照:帰りなんいざ、田園將に蕪れなんとす:帰去来辞 http://tao.hix05.com/102kaerinan.html・・・現在の福島を思わざるを得ません。歸園田居五首 其一 陶潜少無適俗韻 若いころから世俗に合わせることが苦手で、性本愛邱山 元々邱山を愛する性分だった誤落塵網中 誤って俗塵に身を投じることとなり一去三十年 めまぐるしく三十年の歳月が過ぎた羈鳥戀舊林 繋がれた鳥はかつて暮らした林に恋焦がれ池魚思故淵 池の魚も生まれ育った淵を思う開荒南野際 南野の荒地に鋤を入れ守拙歸園田 拙を守って園田に帰る方宅十餘畝 方宅は十餘畝草屋八九間 草屋は八九間楡柳蔭後簷 裏の楡柳は軒に影を落とし桃李羅堂前 表の桃李は枝を連ねている曖曖遠人村 隣の村が霞んで見える依依墟里煙 墟里の煙は親しげに誘う狗吠深巷中 深巷の中に犬は吠え鷄鳴桑樹巓 桑樹の巓に鶏が鳴く戸庭無塵雜 戸庭に余計なものを置かず、虚室有餘間 部屋には光差すゆとりをもたせた久在樊籠裡 籠の中にいた私だが、復得返自然 復た自然に返ることができた儒学の教養の基礎もありますが、『歸園田居』には老荘思想の影響がまざまざと。実は陶淵明は若き日に荘子の墓を訪れているんですよね。彼の荘子からの影響は、いちいち挙げるのは大変ですので一部だけ。『澤雉十歩一啄、百歩一飲、不?畜乎樊中。神雖王、不善也。』(『荘子』養生主 第三)→沢のキジは十歩に一度エサをついばみ、百歩に一度水を飲む。そんなキジでも籠の中に閉じ込められる事を望まない。人間で言えば王様のようにエサや水にありつけても、心がそれを善しとしないからだ。」『子獨不知至徳之世乎?昔者容成氏、大庭氏、伯皇氏、中央氏、栗陸氏、驪畜氏、軒轅氏、赫胥氏、尊盧氏、祝融氏、伏羲氏、神農氏,當是時也,民結繩而用之,甘其食,美其服,樂其俗,安其居,鄰國相望,?狗之音相聞,民至老死而不相往來。若此之時,則至治已。今遂至使民延頸舉踵曰“某所有賢者”,贏糧而趣之,則?棄其親而外去其主之事,足跡接乎諸侯之境,車軌結乎千里之外,則是上好知之過也。』(『荘子』キョキョウ 第十)→あなたは至徳の世について知っているだろうか?(中略)その当時は、民は文字の代わりに縄の結び目を使い、自分の手で作った食べ物を美味いと思い、自分の手で織った着物を立派だと思い、その土地の娯楽を楽しいものと思い、粗末であっても自分たちの住まいで十分だった。隣の国とは鶏や犬の聞こえるほど近かったが、人々は老いて死ぬまで往来をしなかった。このような時代にこそ、人々はのんびりとくらしていた。ところが今では、つま先で立ってせかせかと歩き回り、遠くに賢人がいると聞くと、教えを請いに遠くまで出かけていく。故郷の親を捨て、ゆかりのあった人たちも捨て、国をも越えて千里の外へ車で走り回るようになった。参照:荘子と進化論 その76。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201105200000・・・最後にある「復得返自然」は、現代の感覚では「自然(じねん)」と読むか「自然(しぜん)」と読むか、どちらが自然でしょうか?ちなみに、陶淵明の詩に出てくる守拙歸園田 (拙を守って園田に帰る)という場合の「拙」は、『老子道徳経』の第四十五章、『荘子』で言うとキョキョウ篇の「大巧若拙(大巧は拙なるが若し)」の拙です。これは鈴木大拙の「大拙」の由来である「拙」です。そして、夏目漱石の「木瓜(ぼけ)咲くや 漱石 拙を守るべく」の「守拙」です。才子群中只守拙 才子群中 只(ただ)拙を守り小人囲裏独持頑 小人囲裏 独り頑を持す寸心空託一杯酒 寸心空し 一杯の酒に託し剣気如霜照酔顔 剣気 霜の如く酔顔を照らす(漱石作「無題」より)飲酒二十首 其五 陶潜結廬在人境 庵を結びて人境に在り而無車馬喧 しかも車馬の喧しき無し問君何能爾 君に問う 何ぞ能く爾(しか)るやと心遠地自偏 心遠ければ地も自ずから偏なり采菊東籬下 菊を采る 東籬の下悠然見南山 悠然として南山を見る山気日夕佳 山気 日夕に佳く飛鳥相与還 飛鳥 相い与(とも)に還る此中有真意 此の中に真意有り欲弁已忘言 弁ぜんと欲して已に言を忘る都会の喧騒を避け、貧しいながらも、その生活と郷土の山河から詩を綴る彼の態度は、地に足がついていながらも、何かしら達観したものがあります。昔は日本にもこういう人がたくさんいましたね。「欲弁已忘言(弁ぜんと欲して已に言を忘る)」は、禅においても重要な「忘筌(ぼうせん)」です。『筌者所以在魚、得魚而忘筌。蹄者所以在兔、得兔而忘蹄。言者所以在意、得意而忘言。吾安得忘言之人而與之言哉。』(荘子 外物 第二十六)→魚を得てしまうと、魚獲りの道具である筌(ふせご)は不要になって忘れてしまう。ウサギを獲ってしまうと、ウサギの罠の存在を忘れてしまう。言葉もまた、真意を得てしまえば価値を失い、言葉そのものを忘れてしまう。私は、どうにかして、このような言葉を忘れてしまった人と語り合いたいものだ。参照:中島敦「名人伝」と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5014有名なのは「菊を采る東籬の下 悠然として南山を見る」ですね。《苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。 うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥(しょうよう)したいからの願い。一つの酔興だ。≫(夏目漱石『草枕』より)参照:荘子、古今東西。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5038荘子の処世と、価値のない木。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5028正岡子規と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5076『予惡乎知説生之非惑邪。予惡乎知惡死之非弱喪而不知歸者邪。』(「荘子」斉物論第二) →生きることだけを喜びとするようなことを、私は人の迷いではないと言うことができない。逆に、人間が死を憎んでばかりいるのは、旅人が故郷に帰ることを忘れるということに似てはいまいか?(晋の淵明をうらやむ) 窓形に昼寝の台やたかむしろ草の戸や日暮れてくれし菊の酒 芭蕉憂ひあらば此酒に酔へ菊の主菊の香や故郷遠き国ながら 漱石今日はこの辺で。
2011.06.25
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今日はまず、『論語』から。『長沮桀溺藕而耕、孔子過之、使子路問津焉。長沮曰「夫執輿者為誰」子路曰「為孔丘」曰「是魯孔丘与、対曰是也、曰是知津矣、問於桀溺」。桀溺曰「子為誰」曰為仲由、曰「是魯孔丘之徒与」対曰、「然、曰滔滔者天下皆是也、而誰以易之、且而与其従辟人之士也、豈若従辟世哉」憂而不輟、子路行以告、夫子憮然曰「鳥獣不可与同群也、吾非斯人之徒与而誰与、天下有道、丘不与易也。」』(『論語』微子編)→長沮と桀溺(けつでき)とが並んで耕していたところ、孔子の一行がそこを通り過ぎていった。子路が船着場を探すため長沮に話しかけたところ、長沮は「あの馬車の手綱をとっているのはどなたかね?』ときいてきた。子路は答えた『孔丘先生です』。長沮が『魯の孔丘かね?』と尋ねるので子路は『はい』と答えた。すると『孔丘ほどの物知りなら船着場くらいは知っているでしょうに』。次に子路が桀溺に尋ねてみると、桀溺は「あなたは誰かね?』ときいてくる。子路「私は仲由と申します」と答えた。「あなたは孔丘の弟子なのか?」。「そうです」。桀溺は「天下はまるで滔々と流れる大河のように留まることを知らない。選り好みをして人を使い捨てにするような人と天下を治めようとなさるくらいなら、いっそ世の隠者と共にいた方が良いのではないかね?」とつぶやき、再び耕し始めた。子路が孔子にこのことを伝えると、先生は残念そうにこうおっしゃった「鳥や獣とは人間は一緒に暮らせない、人間以外のだれと共に暮らしていくというのだろうか。天下に本当の道が行われているならば、何も私が改革者になったりはしなかったろうね。」 『論語』のこの部分は『荘子』を読む時の前提として必要なところでして、『故至徳之世、其行填填、其視顛顛。当是時也、山無蹊隧、澤無舟梁。萬物群生、連属其郷。禽獣成群、草木遂長。是故禽獣可係羈而遊、烏鵲之巣可攀援而閲。夫至徳之世、同與禽獣居、族與萬物並、悪乎知君子小人哉。同乎無知、其徳不離。同乎無欲、是謂素樸。素樸而民性得矣。』(『荘子』馬蹄篇 第九)→「ゆえに、至徳の世というのは、束縛もなく人の行いは穏やかで、人々の瞳は明るかった。かつての至徳の世では、山には道も拓かれず、川にも船は無かった。万物は群生して、棲み分けをする必要もなかった。動物たちは群れを成し、草木は伸びやかに成長した。ゆえに、動物を紐に繋いで共に遊ぶことが出来たし、木によじ登って、カササギの巣をのぞいてみることができた。その至徳の世においては、動物たちと同じ場所に住み、万物と並んで暮らしていた。そこに君子や小人なんているはずがない。人々はさもしい知識も持たず、徳が心から離れず、無欲でいた。これを「素樸(そぼく)」という。素樸だからこそこそ民はあるがままでられる。」鳥獣を退け、人間社会に生きる孔子と、鳥獣を含めた万物と共に生きる荘子の対比として興味深いところです。参照:当ブログ 孔子と荘子と司馬遷と。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5029『莊子釣於濮水、楚王使大夫二人往先焉。曰「願以境?累矣」莊子持竿不顧、曰「吾聞楚有神龜、死已三千?矣、王巾笥而藏之廟堂之上。此龜者、寧其死為留骨而貴乎、寧其生而曳尾於塗中乎?」二大夫曰「寧生而曳尾塗中。」莊子曰「往矣、吾將曳尾於塗中。」』(『荘子』秋水 第十七)→荘子が濮水のほとりで釣りをしていたところ、楚王の二人の使者がやってきて「あなたに楚の国の政をお願いしたい」と言ってきた。荘子は釣竿を持ったまま、身じろぎもせずにこう言った。「楚の国には神龜という亀がいるそうですね。死んでからすでに三千年も経っていて、楚王はこれを大事にして、廟堂に祀っていると聞きます。その亀の身にすれば、死んで骨を大事に祀られていることを望んだのでしょうか?それとも、泥の中で尻尾を振ってでも生きていくことを望んだでしょうか?」使者は「泥の中でも生きていたいと望んだでしょうな」と答えた。すると荘子はこう言った「そうでしょう。私も泥の中で生きていたい。」・・・荘子という人は諸子百家の中でも抜群に賢い人なので、仕官の道はいくらでもあったでしょうが、この「曳尾塗中(えいびとちゅう)」の故事にもあるように彼は明確に政治の世界に入ることを拒否します。世俗との交わりを絶つ姿勢を示しているわけです。もう一つ重要なのが、動物の比喩です。『北海若曰「牛馬四足,是謂天。落馬首,穿牛鼻,是謂人。」故曰「無以人滅天,無以故滅命,無以得殉名。謹守而勿失,是謂反其真。」」』(『荘子』秋水 第十七)→北海若はこういった。「牛馬に四本の足がある。これを天という。馬に手綱を付けたり、牛の鼻輪を通すために穴をあけることを人(人為)という。だから昔の人は言ったのだよ『人(人為)を以って天を滅ぼすな。故意に命を滅ぼすな。名利のために徳を失うな。』とね。この考えを慎み深く守ること、これが人間の本性に立ち戻るということだ。『馬蹄可以踐霜雪、毛可以禦風寒、?草飲水、翹足而陸。此馬之真性也。雖有義臺、路寢、無所用之。及至伯樂曰「我善治馬。」燒之剔之、刻之?之、連之以羈?、編之以?棧、馬之死者十二三矣。飢之?之、馳之驟之、整之齊之、前有?飾之患、而後有鞭筴之威、而馬之死者已過半矣。』(『荘子』馬蹄 第九)→馬には本来霜や雪をしのぐための蹄があり、冷気に備えるために毛が生えている。草を食み、水を飲み、大地の駆け上がる。これが馬の本性である。立派な厩を建ててやったところで、馬にとっては本来無用なものなのだ。ところが、馬を養う伯楽達は「私は馬を養う名人です」などとのたまう。蹄鉄と称して焼いた鉄を埋め込み、毛を剃り落とし、焼印をして、紐につなぎ、すのこの板に桶を据え置いて馬を並べて育てるようになってから、十中二、三頭の馬が死ぬようになった。馬の飢えや渇きを見殺しにして、競争や仕事に駆り立て、前からは縄で縛りつけ、後ろからは鞭で脅すようになってからは、馬の過半は死ぬようになった。『莊子應其使曰「子見夫犧牛乎?衣以文?、食以芻叔、及其牽而入於太廟、雖欲為孤犢、其可得乎。』「お前は生贄になる牛を見たことがあるか?綺麗な錦に飾られ、豆や草も上等なものを与えられてはいるが、いざ、生贄になるときになって『ああ、子牛の頃に戻りたい』と願っても、もう、どうにもならないのだ。」(『荘子』列禦寇 第三十二)これとかは、分かりやすいですね。参照:Wikipedia ドナドナhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%89%E3%83%8A・・・人間の都合で駆り立てられ、使役されていく動物と同じように、人間が「社会」を形成するようになってから、人間自身ががせきたてられ、追い詰められていくということの隠喩があるわけです。ただ、動物に置き換えることだけで気づくものです。こんなもん、http://www.youtube.com/watch?v=CM4tAGl6G50ですよ。『澤雉十歩一啄、百歩一飲、不?畜乎樊中。神雖王、不善也。』(『荘子』養生主 第三)→沢のキジは十歩に一度エサをついばみ、百歩に一度水を飲む。そんなキジでも籠の中に閉じ込められる事を望まない。人間で言えば王様のようにエサや水にありつけても、心がそれを善しとしないからだ。『此以己養養鳥也,非以鳥養養鳥也。夫以鳥養養鳥者,宜栖之深林,遊之壇陸,浮之江湖,食之鰍?,隨行列而止,委蛇而處。』(『荘子』至楽 第十八)→人の養生を鳥の養生に押し付けたとしても、それは鳥を養うことにはならない。鳥を養うならば、森林に住ませ、平らな丘に遊ばせ、ドジョウをえさとして、群れの中に入れてやり、のんびりさせてやるべきだ。これは『徒然草』にも引用されています。『養ひ飼ふものには、馬・牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。犬は、守り防くつとめ人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家毎にあるものなれば、殊更に求め飼はずともありなん。 その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。走る獣は、檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は、翅を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遙の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。』 (『徒然草』第百二十一段)・・こういうこととか、http://www.veoh.com/watch/v1585990kTakJ4JEですよ。荘子が「泥中の亀でありたい」と呟くのも、誰のものでもない生を誰かの都合に縛られる「生なき秩序ある生き方」よりも、「生死ある秩序なき生き方」を選択するという態度と読めるんです。誰かに飼いならされて、しがらみの中に囚われることを断ち切る生き方。人工物に取り囲まれた「籠の中の鳥」ではない生き方。その一つとして、隠遁という思想が荘子という書物から育まれていったと感じるんです。参照:当ブログ 世捨て人の系譜。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5063The beatles - Free As A Bird (HD) http://www.youtube.com/watch?v=glUFjjkYuAk・・・で、こう感じる人にはきっかけというか、初期症状があるんです。阮籍の『詠懐詩』にすでに現れているものです。夜中寐ぬる能わず起き坐して鳴琴を弾ず薄き帷に明月の鑑清風は我が襟を吹く孤鴻は外野に号び朔鳥は北林に鳴く徘徊して将た何をか見る独り憂思して心を傷ましむ眠れない夜 泉谷しげるhttp://www.youtube.com/watch?v=B20dEIgRXdA&feature=relatedThe Beatles "I'm so tired"http://www.youtube.com/watch?v=-Tu2eZpA4yo参照:荘子の養生と鬱。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5030ユングとタオと芭蕉の鬱。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5050・・・眠れないんです。今日はこの辺で。
2011.06.23
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まだまだ荘子やってます。今日は基本中の基本、逍遥遊篇から。坪内逍遥の逍遥です。『北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。化而為鳥、其名為鵬。鵬之背、不知其幾千里也。怒而飛、其翼若垂天之雲。是鳥也、海運則將徙於南冥。南冥者、天池也。齊諧者、志怪者也。諧之言曰「鵬之徙於南冥也、水?三千里、摶扶搖而上者九萬里、去以六月息者也。」野馬也、塵埃也、生物之以息相吹也。天之蒼蒼、其正色邪。其遠而無所至極邪、其視下也亦若是、則已矣。』(『荘子』逍遥遊 第一)→北冥に魚がいる。その名を鯤という。鯤の巨大さたるや幾千里あるかわからないほどだ。化して鳥となり、その名を鵬という。翼を広げた鵬の巨大さたるや、これまた幾千里あるかわからないほどだ。ひとたび鵬が飛び立つとなれば、その翼は天空に雲がたれこめるのと見紛うばかり。大海に嵐が湧き起こるのを見るにおよび、巨鳥はおもむろに南冥へと飛び行く。南冥とは天の池のことだ。怪しげな事象を記述する「齊諧」によれば、『鵬が南冥へと移るとき、三千里の水面を打ち、風の助けを得て、半年もの間休むことなく、九万里の空へと上昇する。』とある。見るがいい、陽炎が立ちのぼり、塵埃が吹き流れ、生物が互いに息づいていいる地上の様を。空が青々としているのは、本当の「空の色」なのだろうか?限りなく遠いところにあるから青く見えるのではないだろうか?鵬の高みから見下ろせば、この大地は青一色なのだろう。「生物之以息相吹也」とかの表現もゾクゾクします。参照:長岡半太郎と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5007『且夫水之積也不厚、則其負大舟也無力。覆杯水於?堂之上、則芥為之舟、置杯焉則膠、水淺而舟大也。風之積也不厚、則其負大翼也無力。故九萬里則風斯在下矣、而後乃今培風。背負青天而莫之夭閼者、而後乃今將圖南。』(同上)→水かさが減りすぎると、大きな船を支えることができないように、土間に杯の水を零しても、せいぜい埃を浮かばせるくらいのものだ。杯を乗せたところで地面に足がついてしまう。風もその厚みがなければ大鵬の翼を支えることはできない。大鵬は己を支える風を求めて、遥かなる上空に舞い上がり、しかる後に進むべき道を定める。背負うのは蒼天のみ。さえぎるものの何一つない大空で、大鵬は今まさに南を目指そうとしている。・・荘子はまず、鵬という巨大な鳥の話をもってきて、しがらみのない世界を示します。ま、「翔べ」ってことです(笑)。上の図は鵬(ほう)を「スケールに入りきらない」という表現をしています。上手いですね。日本でも辞書に載っている成語として「大鵬図南(となん)」というのがありますが、知名度はいまいち。参照:Wikipedia 鵬http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%AC この逍遥遊篇の冒頭は詩聖・杜甫の『泊岳陽城下』で、「図南未可料 変化有鯤鵬 (図南未だ料(はか)る可からず、変化鯤鵬(こんほう)有り)」と表現されています。「南を目指すが、先は見えない。この世は鯤が鵬に化すように定まらない」くらいの意味ですかね。『蜩與學鳩笑之曰「我決起而飛、槍?、枋、時則不至而控於地而已矣、奚以之九萬里而南為」適莽蒼者三?而反、腹猶果然、適百里者宿春糧、適千里者三月聚糧。之二蟲又何知。小知不及大知、小年不及大年。奚以知其然也。朝菌不知晦朔、?蛄不知春秋、此小年也。楚之南有冥靈者、以五百歳為春、五百歳為秋。上古有大椿者、以八千歳為春、八千歳為秋。而彭祖乃今以久特聞、衆人匹之、不亦悲乎。』→鵬が飛び立つ姿をみながらヒグラシとハトが笑ってこう言った。「おれたちはニレやマユミの木の間を飛べれば充分だし、たまにおっこちたりもしているけど、あの鳥は九万里の先を目指そうとしている、なんてバカなマネをしているんだろう。」→野原に出かけるくらいなら、三食も携えれば満腹でいられるだろう。百里の先を旅するならば一日中米を搗いて食べ物を用意する必要があり、千里の旅をする人は、三月の間食料の用意に走り回るものだ。ヒグラシやハトに、大鵬の飛翔の意味は分からない。小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばない。何を以ってそのありさまを知るのだろうか?朝の間しか生えないキノコは、夜の存在を知らず、夏の間に命を落とす蝉は、春と秋の存在を知らない。これが小さな歳月だ。楚の国の南に霊木があり、この木は五百年を春とし、五百年を秋とするという。太古の昔には、大椿という木があって、八千年を春とし、八千年を秋としたという。世の中では伝説の中にある八百歳の長寿を保った彭祖(ほうそ)にあやかって長生きしたいという人がいるが、悲しむべきことではないか。ちなみに、儚い命の象徴としての「蝉」というのは、「箕踞洛之草廬、而談李老之虚無、説荘生之自然」という吉田兼好の『徒然草』の第七段「あだし野の露に消ゆる時なく・・」に使われています。『あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。』 (『徒然草』第七段)(「命長ければ辱多し」は『荘子』の天地篇です。)これは芭蕉の、「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」でもあるわけです。仏教だと思われがちですが、老荘思想です。で、南郭子?隱机而坐,仰天而?,荅焉似喪其?。顏成子游立侍乎前,曰:“何居乎?形固可使如槁木,而心固可使如死灰乎?今之隱机者,非昔之隱机者也。”子?曰:“偃,不亦善乎而問之也!今者吾喪我,汝知之乎?汝聞人籟而未聞地籟,汝聞地籟而未聞天籟夫!”子游曰:“敢問其方。”子?曰:“夫大塊噫氣,其名為風。是唯無作,作則萬竅怒?。而獨不聞之??乎?山林之畏佳,大木百圍之竅穴,似鼻,似口,似耳,似枅,似圈,似臼,似?者,似?者;激者,?者,叱者,吸者,叫者,?者,?者,咬者,前者唱于而隨者唱?。?風則小和,飄風則大和,萬風濟則?竅為?。而獨不見之調調、之??乎?”子游曰:“地籟則?竅是已,人籟則比竹是已。敢問天籟。”子?曰:“夫吹萬不同,而使其自已也,咸其自取,怒者其誰邪!”(『荘子』斉物論 第二)→ 南郭子?(なんかくしき)は肘掛にもたれ、空をあおいで大きく呼吸をしている。まるで何かの抜け殻のようにみえた。前に控えていた顔成子游(がんせいしゆう)は気になって「先生どうなさいました?まるで外から見れば枯れ木のよう、心のうちは灰のようになっていらっしゃいます。昨日までの先生とは別人のようです。」「偃よ。お前には隠せないな」ふと我に返った彼は答えた。「今、私は無になったのだよ。いやいや、お前は人籟(じんらい)が聴こえても、地籟(ちらい)は聴こえないだろう。地籟が聴こえても天籟(てんらい)は聴こえないのだな。」「なんです、その天・地・人の声というのは」。子?は答えた「大地の吐く息、それを風という。ただ吹いているのではない、ひとたび大地の息が駆け抜けると、地上のあらゆる穴がいっせいに鳴り響く。お前も聞いたことがあるだろう。風が山林に吹いてざわざわと鳴り出す様を。巨木にあいた数百のあな、鼻のような、口のような、耳のような、枡のような、杯のような、臼のような、井戸のような、水溜りのような、形も深さもさまざまな穴を通して、いろんな声を出す。ごうごう、ざわざわ、ひゅうしゅう、しゅうしゅう、さらさら、ちりちり、きいきい。前の風がひゅうと鳴って、後の風はごおっと去る。大地の呼吸が止むと、ただの空っぽの穴ぼこだ。お前は木が大きく揺れた、小さく揺れたとしか見ていないだろう。しかし、そこには大いなる大地の呼吸の音がある。」「地籟は風があらゆる穴から通り抜ける音、人籟は人の息が空っぽの木の管に息を吹く音、笛や笙のようなものですね。ならば天籟とは何ですか?」「天籟はこの世界のあらゆるもの。万物が鳴るに任せて鳴らせている音さ。おのおのが、おのおのの、おもむくままに鳴り響く。はたして、この世にあふれる音はいったい誰がならせているのかね?」(『荘子』斉物論 第二)逍遥遊篇と斉物論篇の最初の部分を合わせると、こんな感じになるんです。参照:From a Distance (with lyrics) http://www.youtube.com/watch?v=1A6pUSy5tP8(やっていることは同じなんです。ベット・ミドラーの“Wind Beneath My Wings ”も荘子っぽい。)遥か遠くから見下ろせば、人間の対立や差別は実にくだらないものだと気づきます。高尚な政治理論さま同士の争いが、よくよく見ると犬も食わない夫婦喧嘩と同程度であることはよくある話です(笑)。しかし、人間の都合を捨てて、自然の営みを見渡すと、実に調和が取れている。万物を楽器にたとえるとして、その万物がそれぞれ奏でる音は総体においては一であり、足すことも引くこともせずに、調和しているではないか。という意味もあるわけです。これが、老荘思想における「和(和諧)」であるとすると楽です。参照:Ebony & Ivory-Stevie Wonder & Sir Paul McCartney http://www.youtube.com/watch?v=CmALA8miQY8参照:智者老子http://www.youtube.com/watch?v=KwbbWZftyJ4後で推敲します。今日はこの辺で。
2011.06.12
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今日はほとんど記録用。『山林與。奉壌與。使我欣欣然而樂與。樂未畢也、哀又継之。哀樂之來、吾不能禦、其去弗能止。悲夫。世人直為物逆旅耳。夫知遇而不知所不遇、知能能而不能所不能。無知無能者、固人之所不免也。夫務免乎人之所不免者、豈不亦悲哉!至言去言至為去為。齊知之所知、則浅矣。』(『荘子』知北遊 第二十二)→山林に入り、草原を逍遥すれば、美しい景色に心を奪われ、楽しい心持ちになるが、その気分がおさまらないうちに哀しい気分が湧き起こってくる。その変化を留める事もできない。悲しむべきことだ。世の人々は、外物の「逆旅(仮の宿)」に過ぎない。出会うことのできる範囲でしか知ることはできず、出来ることの可能性の中でしか生きることはできない。知ることができる力も、することができる力にも限界があるのは、人の免れえぬところだ。さかしらな知識や、力へのうぬぼれで、それを越えようとする人のありようは、悲しむべきことではないか。至高の言葉は言葉を捨て去り、至高の行いは行いを捨て去る。知るということを知らずして全てを知った気でいるのは、浅はかなことだ。『荘子』におけるこの「逆旅」が李白の『春夜宴桃李園序』の前文で、夫天地者萬物之逆旅 天地は万物の逆旅(仮の旅籠)で光陰者百代之過客 光陰はは永遠の旅人だ而浮生若夢 儚いこの世は夢のごとく爲歡幾何 喜んだところでどれほどのものだろう古人秉燭夜遊 古人が燭台の下で夜遊びしたのには良有以也 それと良とする所以があった況陽春召我以煙景 春は霞たなびくこの景色で誘いよせ大塊假我以文章 大塊は私の詩情を呼び覚ます「天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客」と表現され、日本でも『奥の細道』や『日本永代蔵』にも引用されているものとして有名です。参照:当ブログ 李白の逆旅と芭蕉と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5047・・・これを湯川秀樹さんが素領域理論の参考にしたという話は聞いていたんですが、「素粒子と混沌」ほどには残っていなくて、著作では見つからなかったんです。しかし、講演で李白との関係を述べていらっしゃいました。長いですが、保存しておきます。---------------------(以下引用)---------------------------------素領域と李白 さてわたし自身のことですが、私は素領域というものを何年か前に考え出しました。その話をちょとだけ申します。物理をやっておればそういうものに思いいたるだろうといわれますが、簡単に思いいたらないのです。こういうものに思いいたったのは私だけしかいないんです。その説明は、後回しにして、英語の名前をエレメンタリー・ドメイン(elementary domain)、これは私がかってにこしらえた言葉です。 それはどういうものかと言いますと、素粒子の話に深入りするつもりじゃないんですけども、普通の物というのは空間の中にあるわけです。ユークリッド空間と普通申しますけれども、その中にある。ところが、ユークリッド空間というのは、これは分割していきますと、点になるわけですね。だから、素粒子のような一番小さいもの、これに点を対応させる。もし素粒子が本当に素粒子でないなら、もっと基本になるものを点にしよう、そういう傾向は物理学の発達を見ておりますと、十八世紀くらいから非常にはっきり出てくるわけです。実は、ニュートンとか、あるいは皆さんが学校でお習いになったドルトンの原子論というのがありまして、その原子も点じゃないですね。ニュートンの原子も点じゃない。小さいけれども何か大きさのあるものである。ところが十八世紀以降、みんなが点までもっていこうとするわけです。そうでないことを考える人もありますけれども、大勢は点までいく。これはユークリッド幾何学の伝統に合致している。しかしもともとニュートンが考えたことではなかった。ニュートンはなにか広がりを持ったものを考えようとした。デカルトの考え方はちょっと違いますけれども、デカルトも物質は延長なりとかいいまして、やはり広がりをいつも問題にしているわけです。ただ、彼のは原子論であるのか、原子論でないのか、非常にわからんむつかしいことをいうているわけです。ニュートン、デカルトのころは別として、後になると、要するに分けていけば、空間というのは無限分割できるはずだから、点までいくだろう、それでずっときたわけです。それが今でも物理学の正統、素粒子の正統的な考え方になっている。たいていの人は点まで分けることしか考えない。しかしわたしはずっと前から素粒子自身が広がりをもつと考えていた。それが素領域というような概念へ飛躍したわけです。それは今から十年近く前に考えついたんですけれども、一見何の関係もないようなところからきているわけです。 ヒントは皆さんもご存じの李白という詩人の文章です。李白という詩人と素領域と、いったい何の関係があるのか。李白の非常に有名な文章に「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」という言葉があります。漢文だと接続詞が入りますけれども、省略します。意味もわたし流の解釈はありますけどれども、それも面倒なので省略しますが、こういうところから始まっている文章ですね。これはわたしは若いときに読んで覚えているわけです。ついでに申しますと、芭蕉はたしか『奥の細道』の一番初めにこれを引用している。引用の仕方がわたしと芭蕉の大きく違うところなんですが、その話はやめまして、ご存じと思いますが、逆旅というのは宿屋のことです。ホテルです。天地は万物の逆旅、これで一つの概念構成になっておりますね。これはどういうことか、これば別にこれだけのことです。天地、これをかりに今の空間、宇宙と読んでもいいですね。李白は空間というふうに抽象化しておりませんけれども、これを抽象化しますと、物理に近いような空間、天地と空間といちおう同定するとします。その次に万物とは何か、万物を何に同定するのか。私は素粒子論をやっておりますので、当然素粒子で、万物というのは目に見えるものだけじゃなしに、もっとミクロの世界ということで、空間かなにかが蜂の巣みたいになっている。これすなわち素領域です。つまりホテルというのはどういうものか、ものすごく巨大なホテルがある。たくさんの部屋があって、部屋は無限に細かいのじゃなく、人間がそこに寝たりできるくらいの広さで、ベッドがあり、椅子があるというサイズに分けられている。その分けられているのが逆旅の中の部屋、これが素領域です。つまり、空間というのは無限分割できるのではなしに、適当なところで分割をやめねばならぬ。自然界というのは本来そういう性格をもっているのじゃないか。素粒子というのはつまり宿屋に泊まっているお客さんですね。万物というのは、実はこのコンテクストでいえば、それはつまり旅人、李白は過客ということばを使っていますが、まさにその過客です。万物は過客だという、そういう関係が同時にある。 なぜこういう考え方が都合がいいかというと、詳しくは申しませんけれども、つまり天地をホテルだと思ってホテルの側からみるわけです。ホテルの側から見ると、旅人というのはだれであってもいいわけや。旅人の側からみるんじゃないんですよ。ホテルの側からみるんですよ。そうしますと、たとえば一一〇号室という部屋がありますと、これは一一〇号さんであって、ここにたまたま誰が泊まっていようとも、宿賃を払うてくれたらいいわけや。あくる日になったらまた誰かがやってくる。ホテルにとってはどの部屋がどの部屋に詰まっていることが問題になる。 素粒子というのはそういうもんなんですね。なぜそういえるのか。ここでは物理学の話に立ち入るのはやめますけれども、つまり素粒子というのは、ある程度個性みたいなものは奪われていくわけですよ。入れ代わったりしても、分からない。そうちうことがいろいろありますが、とにかくそこから出発して、そこは部屋が空いているとか、詰まっているとか、詰まっているときにはそこに素粒子があるというような、そういう考え方をしようとしているわけです。 そこで重要だと思われるのは、つまり素領域という概念です。素粒子という概念はも前からあって、それには固定概念がくっついているわけです。そのもうひとつ前に素領域という概念を持ち込んだということで、それまでの素粒子論とは、非常に違う。わたし自身考えておったとしても、そのへんで少し違うことになったわけです。これはしかしある種推論をやっているわけです。とにかく推論だけれども、全然奇妙な同定から始まっているわけです。なんで李白の文章なんかを思い出して、それと素粒子と結び付けたか、それは自分ではよく分かりませんけれども、そういう同定や類推をやった。それから後ずっと発展させてきているというわけです。これ以上立ち入ることはいたしませんが、出発点には同定されるべきものの片一方があって、その相手として素領域という概念が出てきた。それから全体の構造みたいなものがもとの李白の文章の構造と同定された。概念の間の特定の関係が、アナロジーか等価変換によって、新しい概念構成を容易にしている。そういうことが、わたし自身の経験としてあるのです。(1974年10月「創造性について -同定と混沌-」湯川秀樹著作集〈4〉科学文明と創造性より)---------------------------------(引用終わり)-------------------・・・おそらくは、「知魚楽」のある秋水篇あたりから湯川さんが飛躍させた理論であろうと思われます。参照:秋水篇の世界。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5068>また余談になりますけれども、人間というのは非常に違う段階で同じようなことを考えている。非常に天才的な人というのは、同じようなことをずっと昔に考えているんですね。わたしはさっき李白の話をしましたけれども、李白の思想というのはだいたい荘子の思想です。その話を今日はしませんけれども、荘子というのは本の名前でもあり、人名でもあるわけですが、いろんな面白いことが書いてある。わたしは非常に好きでして、そこからいろんなヒントを得られたりする。(同講演より 湯川秀樹の言葉)参照:当ブログ 量子力学と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5057湯川秀樹と荘子 その2。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5009荘子と進化論 その76。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201105200000/今日はこの辺で。
2011.06.07
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