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イギリスがEU離脱を決定した国民投票から今年で10年。これで離脱派が勝利し、EU離脱が決定。離脱移行期間が終了して完全離脱してから今年で5年になります。しかし国民投票そのものが離脱賛成51.9%、反対48.1%と拮抗しており必ずしもイギリス国民の総意とはいいがたいのですね。そもそもイギリスはなぜEU離脱の道を選んだのか?ひとつは移民の問題です。EUに加盟してると、パスポートチェックなしに移動が自由にできるため、多くの移民が流入し、雇用や社会保障制度への圧迫感が強まったのですね。しかし現在はEU離脱後の人手不足対応として非EU圏からの移民受け入れを進めた結果、言葉やスキル不足の定住者が増え、逆に財政負担や労働市場の歪みが指摘されるようになってます。また英仏海峡を小型ボートで渡る不法移民や亡命希望者が後を絶たず、公費によるホテル収容や社会コストの増大が住民の強い反発や抗議デモを招いている現実があります。移入者数から移出者数を差し引いた純移民数は、2010年代が25万人だったのに対し、ブレグジット後の新制度が導入された21年以降の平均は55万人。23年には史上最多の95万人を記録してます。もうひとつの重要な理由は、国内制度と国際制度の整合性の問題です。大陸法の国と英米法の国の制度が異なるということです。どっちが良い悪いではなく、社会法制度の考え方が根本的に違うんですね。しかしEUに加盟してるとEUの規制や法規範に従わねばならず、イギリス国内の国会による決定権が制限されているという反発が大きかったのです。そしてもうひとつはEUに支払う多額の分担金を、国民保健サービスなど国内の医療や福祉に回すべきだととの主張が強かったのですね。これの恩恵は新型コロナやプーチンによるウクライナ侵攻と云う不可抗力が影響してるため、測りがたいのですが、イギリスのブレグジット投票後から2018年の初頭までは英国経済がどのG7諸国よりも速く成長していました。しかし2018年と2019年にはG7の中位まで低下し、2020年に新型コロナが到来すると、G7の中で最低水準に落ち込んでます。さらに2024年までにG7の最下位近くまで落ち、2025年半ばには中位に浮上、2026年第1四半期までその地位が維持されましたが、これはドイツと日本の低経済成長の恩恵を受けてのことです。ブレグジットによってイギリスの政治中枢に混乱を引き起こし、首相の交代が繰り返されてきました。エコノミストらはブレグジットがイギリスの国内総生産(GDP)を推定2~6%も減少させ、経済成長力を圧迫してきたとの見方でほぼ一致しています。離脱派のエコノミスト、ジュリアン・ジェソップでさえ、離脱による「当初の影響」は「明らかにマイナスだった」と認めているのです。さらにそれまでEU諸国に関税無しで自由に輸出できた物品が離脱によって通常の通関手続きが必要になりました。つまりイングランド南東部の農家は離脱前だったら、トラックに積んだじゃがいもをロンドンへ出荷するのと同じようにパリにも出荷できました。しかし離脱後は、同じじゃがいもをフランスへ越境させる前に、まず税関検査や衛生検査を通さなければならないのです。イギリスからの物品の輸出は16年以降、ほかの経済大国と比べて落ち込みが目立ちます。EU以外の国との間でも同じ傾向がみられ、ブレグジットが英国の貿易全体に悪い効果をもたらしていることが分かるのですね。
Jul 31, 2026
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新潟県三条市と云うとなうての豪雪地帯ですが、同時に江戸時代の和釘作りを端緒とする「ものづくりのまち」で、日本有数の金属加工を中心とする産業集積地でもあります。それとともにコシヒカリなどの稲作や、下田郷ではサツマイモ「越紅」の生産が盛んな土地でもあるんですね。そんな三条市の田んぼに囲まれた地に「長谷弘工業」と云うちっちゃなスピーカーメーカーがあります。メーカーと呼べるのでしょうか?なにしろスピーカー作りの職人にして社長の長谷川安衛の他に従業員は5名しかいません。ところが長谷川安衛の作り出すスピーカーの音の良さは有名で、オーディオファンにはここの製品を使ってる人も多いのです。「UMU-131XS」と名付けられたA5サイズほどの非常にコンパクトなブックシェルフ型モデルは、ふるさと納税の返礼品にも選ばれてます。上の画像をご覧になってオーディオファンだったらお気づきですが、長谷弘工業のスピーカーは全て「バックロードホーン」と云う形式をとったスピーカーです。バックロードホーンとはスピーカーの仕組みのひとつで、箱(エンクロージャー)の内部に、だんだん広がる長い道(ホーン)を作って、スピーカーの背面から出る音をこの道に通すことで、低音を大きく力強く増幅させる方式です。ただ、そのホーンはエンクロージャーの中で複雑に折れ曲がってるので、ただの箱にスピーカーを取り付けた普通のスピーカーと違って、製作が困難になるのですね。それでも、ぼやけやすい低音がハッキリと鳴り、打楽器やベースの音の立ち上がりが速くなるので長谷弘工業のスピーカーはこのバックロードホーンにこだわってるのです。長谷弘工業はこのバックロードホーンを作るにあたって、木材の繊維を細かく砕いて接着剤で固め、熱と圧力で板状に成形した「中密度繊維板」MDF材厚さ3cm にホーンの形状と同じ形で切り抜き、それを数枚重ねることでエンクロージャー内部に完全な曲線のエクスポネンシャルホーンを造りだしてるのです。複数枚すべて同じサイズに切り抜かなければならないのですが、これを全て手作業でやってるのです。なんとも手作り感満載のスピーカー製作ですが、長谷弘工業のスピーカーは生演奏のような臨場感で、ボーカルや楽器の音がまるで目の前で演奏されているかのような、リアルで骨太なサウンドスケープを楽しめるのでオーディオファンの間ではつとに有名なんですね。オーディオファンでも、特にジャズやクラシックファンの支持率が高いスピーカーが長谷弘工業の特徴なんですが、とりわけ「UMU-191M Mark3」と名付けられたスピーカーは、ジャズファン向けに特化して設計された、歯切れがよくストレートな音質のスピーカーなんです。このスピーカー1セットで275,000円ですから、ピュア・オーディオ用としては破格の安さですね。一度、音を聴いてみたいものですが、その辺のオーディオ店には先ず置いてないので困難なんですね。
Jul 30, 2026
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パンダと云えばアドベンチャーワールド!と、云うよりアドベンチャーワールドのある和歌山県 白浜そのものがパンダにおんぶに抱っこ。そんなパンダ一色のアドベンチャーワールドから最後の4頭、良浜、結浜、彩浜、楓浜が中国に返還されたのが2025年6月。さて、それからの白浜ってど~なってるのでしょう?JR白浜駅の駅舎正面にまでパンダのモニュメントを設置してたほどなのに。情報では白浜のホテル宿泊者数はパンダが去ってから1万人も減ったそうです。私が最後にアドベンチャーワールドを訪れたときは、まだパンダが全員揃ってて、もう街中が賑わってましたが...具体的な数値は非公表ですが、中国へ返還されて以来、アドベンチャーワールドの入園者数が減少傾向にあることは園長も認めてます。しかし、そもそも白浜そのものが、パンダを除いて魅力のある観光資源の少ないところです。温泉だけでサービスのイマイチな旅館は多いし、観光地特有の人をバカにしたようなレストランとか、「とれとれ市場」や「フィッシャーマンズワーフ白浜」なんて観光客だけ狙いのボッタクリ商売。なにもかもアドベンチャーワールドに便乗した商売ばかり。まぁ、江の島のボッタクリさざえのつぼ焼きと五十歩百歩ですなぁ。しかし、私が体感したアドベンチャーワールドは何もパンダだけのテーマパークではありませんでした。実にさまざまな生き物、約120種、1,600頭が生活してるのです。特にイルカショーは圧巻で、他の同様施設に引けを取らない。パパゴリラ!さん大好きホワイトタイガーもいまっせ。他にはフタユビナマケモノの赤ちゃん、母親が体調不良で亡くなった後、スタッフの手で人工保育され、今では一般公開もされてます。2025年に、オス2頭、メス1頭で誕生したアムールトラの赤ちゃんが今大人気。今では大人のアムールトラたちが暮らすサファリワールドで母親と一緒に暮らしており、回遊式の列車「ケニア号」に乗車すれば見れます。さらに昨年は世界最小コガタペンギンの赤ちゃんが誕生して、今は一般公開されてます。関西エリアで見れるのはココだけです。とにかく、あんだけ大騒ぎした上野のパンダは合計8頭のパンダが誕生していますが、そのうち無事に育ったのは5頭だけです。それがアドベンチャーワールドでは、合計17頭の赤ちゃんパンダが誕生していて、中国本土以外では世界最多の繁殖実績を誇ってるのですね。とかくパンダばかりが話題に登りますが、アドベンチャーワールドはとにかく子育て上手で、そして見る生き物が豊富ですから、白浜町はともかくアドベンチャーワールド自身はとっくにパンダ卒業してますね。
Jul 29, 2026
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神奈川県茅ヶ崎出身の歌手と云えば...加山雄三?ハズレではないけど、こりゃああまりに古すぎでしょう(笑)加山雄三がデビューしたのは、私が高校生のときで、もはや89歳ですよ。何と云っても桑田佳祐ひきいるサザンオールスターズですね。じつは茅ヶ崎って昔からミュージシャンを多く排出してた地なんですね。作曲家の中村八大を始め、古くはロカビリー歌手で作曲家として活躍した平尾昌晃、「また逢う日まで」で一世を風靡した尾崎紀世彦、ロックバンドSuchmos のボーカリストYONCE(ヨンス)こと河西洋介、シンガーソングライターのTani Yuuki(タニ ユウキ)など新旧おり交ぜて大勢います。同じく茅ヶ崎出身の音楽評論家 宮治淳一は、サザンの桑田佳祐と小・中学校の同級生でした。ニール・ヤングの「サザン・マン(Southern Man)」と、ファンク・サルサバンドの「ファニア・オールスターズ」を組み合わせて「サザンオールスターズ」と命名したのは、この宮治淳一なんですね。宮治淳一は、山下達郎とも仲良しです。もうご存知の通りサザンは、1975年に青学の音楽サークルで桑田佳祐らを中心に結成されました。メジャーデビューは1978年に発表した「勝手にシンドバッド」ですね。私は邦楽の男声歌手で好きなのは極端に少なくて、ミスチルの桜井和寿とか最近では米津玄師くらいで、それに桑田も入ってきますね。なにしろサザンがデビューしたとき私は二十歳前半。メッチャ音楽を聴いてたころです。とは云っても、サザンのコンサートを直接目で見たのは大阪ドームで開催したの1回きりです。お定まりの特製Tシャツを会場で買って、コンサート始まったらと~ぜんスタンディング。お客さん全員これだから、座ってたら何も見えません。しかしコンサート後半になったら疲れ果てて、音楽が耳に入っていかなくなりました。なにしろ私が60歳くらいの時ですから(笑)桑田の唯一の失策は1990年に監督した映画「稲村ジェーン」ですね。いくら音楽の達人でも、映画監督のセンスは無かった。それに主演の加勢大周の演技もクサかったし。それでも、この映画の挿入歌「真夏の果実」「希望の轍」はヒットしましたね。サザンらしいいい曲です。では、サザンの曲を1曲。2023年に茅ヶ崎公園野球場で行われたコンサートから「涙のキッス」を。
Jul 28, 2026
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うちの地域の夏祭りが25日の土曜日に行われてました。なんで天神祭と同一の日にするの?みんな天神祭のハイライト、3,000発の奉納花火 見たいだろうに。日本三大祭りのひとつ、大阪天満宮の天神祭は1,000年以上の歴史をもつ大掛かりなお祭りです。私の古い楽天ブログのお友達で、今はFacebook なんかで活躍されてる石見一女さんは、この天神祭の神事「陸渡御」を昔からお世話されてるひとりなんですね。私が天神祭に行ったのは、遠い昔の1回だけ。なにしろ芋の子を洗うものすごい人出。あのあたり一帯は、天神祭になると電波の取り合いで、スマホが繋がりにくくなるくらいです。天神祭そのものは24日の「宵宮」、25日の「本宮」、2日間にわたって開催されるお祭りですが、先立つこと23日には日本一長い商店街「天神橋筋商店街」を"ギャルみこし"が練り歩きます。こっちも見応えあって、何よりピチピチお姉ちゃんのお神輿かつぎが楽しいです。本番の船渡御は、大川に約100隻の船が行き交い、かがり火たいた船上で大阪を代表する大槻能楽堂の面々が能の舞いをおこないます。酷暑のなかでかがり火ですから、船の上はタイヘンな暑さでしょうね。そんな今年の天神祭、ニュースで観てたら...ここにも大勢いますがな。外国人観光客です。よくまぁ、海外でこんな雑踏の中に入れ込めるものです。大阪人の私よりよっぽどバイタリティがある。天神祭奉納花火 2023年の様子です。
Jul 27, 2026
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私もそうでしたが、若い方たちは夫婦がともに歳とって、どちらか片方が介護を必要とするなんて考えてもいないですよね。しかし人間いつかは死ぬものだし、夫婦そろってある日ポックリなんて考えられない。日本の65歳以上の高齢者は3,619万人で、総人口に占める割合は29.4%にも登ります。今でも介護要員の不足などで、高齢化社会の介護問題は深刻なのに、これが団塊世代や団塊ジュニア世代の高齢化により介護問題の深刻さがますます増すワケです。ここで問題なのが核家族化になって、しかも高齢者が医療の進化などで長寿化していくなかでの「老老介護」です。ときどきニュースなどで報じられてる、老老介護に疲れて介護者が介護受けてる連れ合いを殺してしまったり、心中したり。身近で介護してない方には信じがたい出来事ですが、介護者自身が加齢で体力が低下しているため、移乗や入浴介助などが重労働となり、慢性的な疲労や睡眠不足に陥ったり、さらに「他人に迷惑をかけたくない」という思いから外部へのSOSが遅れがちになると云う事実。もっと悲惨なのは介護者自身も認知症の初期症状があるとき、薬の管理や火の元の確認ができず重大な事故や詐欺被害につながる恐れがあります。こんな話題を取り上げたのも、私のヨメが長期入院してて今は自宅に返すことを病院に止められてるけど、本人は1日でも早く自宅に戻りたがってるからです。私は今月の終わりで76歳、立派な高齢者です。これでヨメの体調が上向いて自宅に戻すと云っても簡単な話ではありません。先ず、自宅に介護できる設備を整えることから始まります。ヨメは寝たきりで酸素吸入でかろうじて命を永らえてるので、酸素供給の設備、これは私が就寝中でも酸素が何かのはずみで途切れた場合の通報装置までいります。そしてベッド脇には簡易トイレや食事なんかをとるためのキャスターつきのオーバーベッドテーブル(ベッドサイドテーブル)など点数が多い。そして定期的な診察のために通いの医師と看護師の確保が必須になります。私の住んでる地域は島のような構造の特殊なとこなので、通ってくれる医師を見つけるのは至難なんですが、入院してる病院から紹介してくれます。他に日常の世話を手助けしてくれる介護士も必須ですが、これは大阪の場合「地域包括支援センター」と云うところが斡旋してくれます。私も「要支援1」の身なので既に地域包括支援センターに担当者がいますのでこれは問題ありません。それでも病院の説明では介護する家族は最低2人必要で、このふたりが交代で昼夜を問わず介護し続ける覚悟が必要だと。これが老々介護での悲惨なニュースと結びつくのですね。それくらい高齢者が自宅で高齢者を介護することはハードルが高いのです。入院患者がど~してもと希望しても、一時の感情に負けて簡単に踏み切ることはできません。介護側が倒れてしまったら共倒れなんですから。そう云うことで、今のところヨメは入院したまま病院の看護ケアを受けさせてます。ただ現在入院してる病院は自宅から遠くって、車で1時間、電車だと1時間半もかかってしまうため、現在近場で看護ケアを受け入れてくれる病院を、今入院してる病院のお世話で探してる最中です。こうしてうまく近くに看護ケアしてくれる病院が見つかったら、そこに入院させ、様子を見ながら最初は1日、次は2日と短期からしだいに長期的に自宅療養を試みる考えです。これによって自宅での介護の問題点もハッキリするし、改善ヶ所もわかってきます。今のところそんな状態ですね。
Jul 26, 2026
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若いころ司馬遼太郎の歴史小説を読み漁った記憶あります。私がもっとも好きな小説は大ヒット作「竜馬がゆく」よりも、明治の壮大な叙事詩「坂の上の雲」や新選組の存亡を描いた「燃えよ剣」でした。とりわけ新選組副長"土方歳三"にスポットをあてた「燃えよ剣」は肩入れが大きいです。しかし数居る新選組隊士で司馬遼太郎がチョイスしたのがナゼ土方歳三だったのか?天然理心流の4代目で局長だった近藤勇をはじめ、新選組最強とも称される天才剣士で、若くして病没した悲劇のヒーロー沖田総司や無外流の使い手で、剣の腕前もさることながら、数少ない明治以降まで生き延びた人物として知られる斎藤一、「北辰一刀流」の遣い手で、若年層の隊士をまとめた藤堂平助など個性派ぞろいだったのにナゼ土方歳三だったのか...ご存知の通り新選組のスタートは京都に上る14代将軍 徳川家茂を警護する「浪士組」に参加することを目的に集まった約250名の壮士から始まります。一行は中山道を進み京都に着きましたが、到着早々、浪士組の発案者である清河八郎がとんでもないこと云い始めます。「われわれの目的は将軍の警護でなく、攘夷の先鋒になることである」と。これでは話がまったく逆転。それで幕府は、浪士組に江戸へ帰るように命じます。そのとき、あくまでも将軍の警護を主張して京都に残留したのが後に局長となった近藤勇と芹澤鴨。彼らは京都守護職 会津藩お預かりの「壬生浪士組」になり、そして「新選組」と名を変えて京都の治安維持にあたったのですね。近藤とともに筆頭局長だった芹澤鴨は、北辰一刀流の達人で腕前は超一流でしたが酒癖が悪く、気に入らないことがあると商家を脅迫したり放火したり。それで規律を重んじる近藤らと対立していくのですが、文久3年(1863年)に近藤や土方歳三らによって暗殺されてしまいました。お話を土方歳三に戻しましょう。司馬遼太郎が土方を主人公に選んだのは、局長 近藤勇が慶応4年(1868年)下総国流山で新政府軍に投降後、板橋宿(東京都板橋区)の刑場で斬首されたのに対し、近藤が処刑された後も旧幕府軍の副長として北関東から会津、そして函館へと転戦し徹底抗戦を続けた最も長く戦い抜いた新選組隊士だからでしょう。近藤は武士にも関わらず、切腹ではなく斬首と云う盗人同然の扱いを受けたのに対し、土方は箱館の最期まで信念を貫き通したまさに武士そのものであることを体現した人物だったからです。土方はもともと武士ではありませんでした。東京都日野市にあたる武蔵国多摩郡石田村の豪農の生まれで、次兄 喜六夫妻の手で養育されて家伝の石田散薬行商の傍ら、厳しい身分制度の中で武士になることに強く憧れ、天然理心流の剣術を学んだのですね。そして文久3年に「浪士組」として上京したのは前述の通り。近藤勇を支えるNo.2として厳格な隊内統制(局中法度)を敷き、規律を破った隊士には切腹をも辞さない容赦ない態度で組織を統率したことから「鬼の副長」の異名で恐れられました。司馬遼太郎は土方を評し、新選組時代は京洛で過激志士達を追い回し、戊辰戦争では幕軍残党の将官として戦いに明け暮れる日々を送った。「芸術家が芸術そのものが目標であるように、喧嘩そのものが目標で喧嘩をしている」と評し、明確な政治思想も持たず、さながら芸術的興奮を求めるように戦い続けたその生き様を「喧嘩師」と形容してます。徳川慶喜との主従関係からいつのまにか解き放されて、新撰組からも離れ、自らの意志で行動するようになり生き生きして見えるひとりの男。ここにはカラー分けできない次の時代に適合しようとした武士の姿があるように思えます。江戸城無血開城後も土方はあくまで抗戦を続けることを譲らなかった。その後大鳥圭介ら幕府陸軍残党と共に各地を転戦した土方は会津に入り、奥州諸国を奔走して諸侯を説得し、奥州同盟を固めさせます。そして江戸を脱走した幕府海軍副総裁 榎本武揚率いる艦隊と合流するのですが、同盟した諸藩がどんどん腑抜けになって同盟は崩壊。土方は艦隊とともに風浪を切り開いて北上し、一躍北海道を目指すことになるのです。北海道へ上陸した一行はまず函館を占領し、函館郊外にある西洋式要塞「五稜郭」に本営を築きます。さらに松前城を奪取すると北海道全域を支配下に置き、榎本を総裁とする蝦夷共和国を樹立させたのですね。この動きに新政府は速やかな攻伐を決定、最新鋭の装甲艦を駆使して猛攻を仕掛け榎本軍はどんどん衰退していきます。しかし酸鼻を極める数多の戦闘で、土方は天賦の才と云える采配で鮮やかに部隊を指揮。寡兵をもって官軍の進撃を押し留め続け函館政府軍唯一の常勝将軍として名を馳せたのです。多勢に無勢、いくら土方が獅子奮迅の働きをしても、劣勢はくつがえりません。土方も五稜郭まで退くものの、もはや敗戦は避けられぬことを痛感し己の最期を考え始めます。敵砲が豪然と火を噴く中、土方は新選組の残党とともに吶喊攻撃を敢行するものの、寡勢の不利を覆すことは叶わない。覚悟を決めた土方は、参謀府に斬り込みをかけんと単身敵陣に突撃し、官軍の一斉射撃を浴びて腹部を銃弾で撃ち抜かれ、落馬してまもなく絶命するのです。現在、函館市若松町の「土方歳三最期の地碑」が建つ場所 がその最期の地とされています。土方は、正規の武士の出でないだけに武士というものに鮮烈な理想像を持ち、加えて故郷の多摩が天領で源平時代に剽悍をもって鳴った坂東武者の発祥の地でもあることから、その理想を前にして容易に命を投げ出すことを己の信条としてました。自らを思想もなければ天下国家のことも頭に無く新選組を天下第一の喧嘩屋に育て上げる職人であるとし、人を斬るためのみに作られ余計な存在目的を持たない剣のように、武士は小理屈を持たず粛然と節義のみに生きるべきと考えています。そのため隊規の紊乱を寸毫も許さず、隊律を乱せば即死罪という苛烈なまでの掟で隊士を縛り上げ、戦慄恐懼をもって統率したのですね。まことにもって、戦国武将のような考え方です。
Jul 25, 2026
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女性が「セクシーだね」と云われると、褒め言葉でなく軽い女に見えるって云われてると思い込んでしまう人も多いですね。こうなるとセクハラの世界。なので日本人男性はうかうかこの言葉を発せない。しかし欧米人に「セクシーだね」と云うとメチャメチャ喜びます。欧米で「セクシー(Sexy)」は相手に対する褒め言葉としてポジティブに受け取られるのです。それは外見だけでなく、知性や自信、振る舞いを含めた大人の魅力を表現する最高の褒め言葉なんですね。「セクシー」は単に露出が多いといった意味やメイクだけでなく、その人の「自信に満ちた態度」「知性」「姿勢の良さ」「声のトーン」「しなやかな身のこなし」に対して使われることが多い言葉です。「美しい」や「可愛い」とは異なり、その人自身の生き方や内面の余裕が空気感として表れてるからこそ出る言葉なんですね。欧米では「セクシー」は女性だけでなく、男性に対しても使われます。男性に云う場面は「男らしさ」「色気」「知性」「ユーモア」を総合的に褒めるときに使いますね。知的な会話ができることや、ユーモアのセンスがあること、才能に溢れていることはもっとも大切なセクシーな要素とみなされてるのです。そしたら大阪のオッサンの「ボケ」「ツッコミ」もセクシーの部類かいな(笑)もちろん使う場面には注意!ビジネスシーンや初対面でいきなり云うと、それこそセクハラとか軽薄な印象を与えてしまうのは世界共通。日本の女子高生からとったアンケートでは「カワイイ」は最高の褒め言葉だけど、セクシーは「気持ち悪い」「バカにされている」「セクハラ」の声が大多数です。もっとも女子高生でセクシーな子おるんかいな?いまどきは、おるんかなぁ。と、まぁ相手やシチュエーションにもよるけど、セクシーと云われるのは、自分でも気づいていない隠れた魅力が外に溢れ出ているのですからポジティブに受け止めて。とは云え、欧米と日本では受け止め方が違うこと多いから、日本で使うには難易度が高いですね。欧米人と接触がない日本人男性には「死ぬまで使わない言葉」の筆頭か?言葉と云うのはムツカシイ...
Jul 24, 2026
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コンピュータと云うのは、性能の良し悪し、古い新しいに関わらず2進数で命じられた処理を行ってます。2進数と云うのは普段私たちが使う10進数と違い、「0」と「1」の2つの数字だけで数を表現する方法で、数が「2」になる瞬間に桁が上がります。電気のON/OFFで処理を行うコンピュータにとって最も扱いやすいのですね。物理的に云うと、電圧が「無し=0」、「有り=1」と云うことです。ここで云う電圧とは例えば「5V」と云った特定の電圧で、中途の2Vとか3Vは存在しません。コンピュータが理解できる2進数のことを「機械語」と呼びます。この機械語をひとつひとつコンピュータが読み込んでは、処理していくのですが、現在のCPU(コンピュータの頭脳)はこれを64個並列に、しかも一昔前では考えられないスピードでおこなうため、どんどん性能があがっていくのです。ところが、この機械語は述べましたように「0」と「1」の組み合わせですから、とても人間が目で見て理解できるものではありません。理解できないものを開発できるワケがない。それで「コンピュータ言語」と云うものが開発されました。これは人間が理解しやすい言語で、これで書いたプログラムをコンピュータに翻訳させて2進数に置き換えるのです。しかし、いくらコンピュータに翻訳させると云っても、プログラミングする人が勝手な構文をそれぞれ書いたのではコンピュータの翻訳が書いた人によって違ってきます。それで「コンピュータ言語」は、一定のルールに従った文字列の組み合わせで表現されるのですね。文字列は基本的に英文が使われますが、英語の単語そのものとも異なります。で、このコンピュータ言語ってのは、使う場面によって幾種類もあるのですね。種類によって構文も使う単語も異なります。AIだってコンピュータのプラグラムのひとつですから、と~ぜんコンピュータ言語で書かれてます。AIでは「Python(パイソン)」と呼ばれるコンピュータ言語を使ってます。この楽天ブログは「CSS」と云うWeb ページのデザインを定義する言語の中で、「HTML」と云うWeb ページの骨組みを作る言語で書かれたものを、「JavaScript(ジャバスクリプト)」と云うWeb サイトに「動き」や「対話的な機能」を加える言語を通してアップロードされてます。他にはデータベースから必要なデータを検索・抽出・操作するための言語として「SQL」と云うのがあったり、処理速度が非常に速く、家電やOSなどハードウェアに近い制御を得意とする「C」や「C++」と云う言語、古くは科学技術計算に向いたプログラミング言語「Fortran(フォートラン)」や金額計算など事務処理用に広く使われていた「COBOL(コボル)」なんて言語もよく使われてました。このようにプログラミング言語ひとつでオールマィティではなく、使う場面によって得手不得手があるのですね。私もいっときは「C++」や「JavaScript」を勉強しましたが、使う場面が無くなってきれいさっぱり忘れてしまいました。今では「HTML」と「CSS」をかろうじて覚えてるだけです。こうした多種多様なプログラミング言語の中で、「COBOL(コボル)」が開発されたのは1960年と非常に古い言語です。1954年に開発された「Fortran」に次ぐ古さでしょう。しかしCOBOLは、金額や利息など1円の狂いも許されない金融・会計システムに特化しており、小数点以下の計算を誤差なく処理できるのです。そのため銀行の勘定系システムやクレジットカードの決済処理、官公庁では年金、税務、住民情報などのシステム、一般企業では給与計算や人事管理、受発注・在庫管理などの基幹システムなど幅広く使われた言語なんですね。私が長年勤めてた会社の大型コンピュータも、このCOBOLが稼働してました。ここで2025年、イーロン・マスクがトランプと仲違いする前、彼が率いて連邦政府の無駄な支出や過剰な規制の削減に取り組んだ政府機関「DOGE(政府効率化省)」のことについて。アメリカの社会保障局と云うのは年金の支払いや社会保障番号の管理をしている機関で、ここで稼働してるコンピュータ・システムが支えてるのは6,500万人を超える受給者の年金です。そして、この社会保障局のシステムは6,000万行の全て「COBOL」で書かれてました。これをイーロン・マスクは、生成AIを使って、この古いCOBOLのコードを数ヶ月で新しい言語に書き換える作業を命じたのですね。AIは古い言語を読み取って、新しい言語に変換できるからです。結果は...みごとに失敗しました。確かにAIはコードが読めました。しかし結果は何度テストしても、期待したコードは生成されなかった。では何が壁になってるのか?原因はふたつです。ひとつはAIが勝手に古いコードの一部を省略してしまうこともうひとつは同じコードを入力しても、1回目と2回目で違うコードを排出する「ゆらぎ」の問題。なまじ、推論を勝手にするAIだから起こりうる問題だったのです。これが0(ゼロ)からAIにシステムを作らせてれば、こんなことは起こらなかったのですが、それでは仕様を決めるのに何十年の歳月が必要になります。膨大なCOBOLプログラムとそれを処理するデータが、企業や政府機関に長年開発し続けられ今なを稼働しています。メインフレームが世界に1万サイト以上あって、導入から長期間が経過し、技術の老朽化や度重なる改修によって複雑化・肥大化した旧型のレガシーシステムがあります。COBOLは全プログラム約3,100億行のうち約65%の約2,000億行あって、今なを毎年約50億行が増えているのです。ここに日本固有の問題が出てきます。2019年に日本のIT国家戦略を技術面・人材面から支える経済産業省所管の独立行政法人「情報処理推進機構」は国家試験の基本情報技術者試験から「COBOL」を外してしまいました。現場ではまだ必要とされる言語を国が「もう勉強しなくていい」と判断してしまったのです。そうして若手の技術者は誰もCOBOLを学ぶことが無くなった。まだまだ現場では必須の知識が若い世代に受け継がれなくなっていったのです。これこそ現場を顧みない役人の悪癖の最たるものなんですね。IT業界では、経産省が警鐘を鳴らす「2025年の崖」問題がありましたし、それは今も継続してます。多くの企業で老朽化・複雑化したレガシーシステムが残り続けることで、デジタルトランスフォーメーションが進まず、2025年以降に最大で年間12兆円の経済損失が生じる可能性があると云うことです。ところが、この問題はひとり日本だけの問題で、他の国では声高に云われてないんですね。フィリピンのマニラにあるアイルランドに本拠を置く世界最大級の総合コンサルティング企業「アクセンチュア」1社だけで、1,000人を超えるCOBOL専門家が在籍してます。世界的にCOBOLプログラマーは減少しているのは事実ですが、技術者の減少と裏腹にシステムの維持・改修・移行の需要はますます高まっており、希少価値から高賃金で採用されてるケースが多いです。そんなことで海外は言語の新しい古いに関わらず、必要な技術者を育て続け、日本だけが人材のパイプラインを枯らしてしまったのです。京都市は30年間稼働し続けてたCOBOLによる基幹システムを2014年からAI使って刷新しようとしました。その費用80億円以上、そして2度失敗。日経クロステックの報道では最終的な損失は最大99億円に登ると報じてます。京都市民ひとりあたり約7,000円が消え去った計算です。日本情報システム・ユーザー協会の調査では、企業のIT予算の77.5%が、既存システムの維持・管理に使われてました。100万円の予算があっても、新しいことに使えるのは22万円だけです。日本でCOBOLを扱える技術者の平均年齢は50代後半とされています。毎年、約3,000人規模で減っていってるのです。10年で30,000人、これは地方の小さな市がひとつ消えるくらいの人数です。それもこれも情報処理推進機構が国家試験から「COBOL」を外してしまったからです。
Jul 23, 2026
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昨夜からヨメが入院してる病院お泊まりで、帰ってからの更新のため、こんな時間になってしまいました。2017年に広瀬すずが出演したアパレルブランド「アース ミュージック&エコロジー」のTV CM「幸せについて~線路沿い~」篇のこと覚えてらっしゃいますか?彼女はCMのセリフで「人の悪口は云わない。とにかく、人の悪口だけは云いません。私は...幸せになれますか?なれますよね?」ってくだり。このCMが放映されたら、ネット上で「台詞に説得力が全くない」「どの口が云うてるねん」と猛批判。と云うのも、広瀬は2015年に出演したラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」で、局の照明スタッフに対し「どうして、生まれてから大人になった時に照明さんになろうと思ったんだろう?」音声スタッフの仕事についても「なんで自分の人生を女優さんの声を録ることに懸けてるんだろう?ってすごい考えちゃいます」とステッフを軽視する発言をして大炎上したからです。しかし昔のことより、このCMセリフで違和感を覚えた人も多かったハズ。その違和感の正体は「悪口は云わない」を繰り返すことで悪口を云う人の悪口を云ってるように聞こえたからです。「悪口はむやみに云わない」と云う倫理観やマナー意識が日本人には浸透してますね。そもそも人の悪口を云うことは、影で自分も悪く云われてると云う観念とともに、悪口を云うことでトラブルになることを恐れるのが常人。ところが倫理観やマナーを共有することで社会生活を維持する一方で、人はそこから外れて楽しむことも知ってます。「源氏物語」の作者 紫式部も「もの言ひさがなきやうなれど」=「ものの云い方が下品なようですが」と云い、末摘花と云う姫君の容姿の問題点を詳しく描写してます。読んだ人が「ひどい表現だなぁ」と思いながらも笑ってしまうことを計算した上で書いてるのですね。マナーから外れることであっても、いや外れるからこそ、人を笑わせる力が悪口にはあります。民俗学者 柳田國男は「笑はひとつの攻撃方法である」と述べてます。他人の悪口を云って笑うほど、攻撃的な言語活動はないでしょう。それをパワハラととるか、心を開いて遠慮のない言葉が交わせるかで、双方の人間関係が分かりますね。大阪人はみんなで食事や飲みに行って、ひとりがトイレに立ったあと暫く帰ってこないと、帰ってきたとき相手が女性であっても「ウ◯コしてたん?」と必ず尋ねます。このとき当の本人の答え方はひとつです。「そや、ウ◯コしててん」。たとえしてなくても、これが大阪人の答え方なんですが、なんともえげつない会話です(笑)東日本大震災のおよそ1年前、民主党鳩山内閣の末期、と云っても組閣からまだ半年ほどの2010年、週刊文春に「鳩山首相、ほんにお前は屁のような。ここまでアホとは思わなかった」と云うタイトル記事が掲載されました。「ほんにお前は屁のような」を文春が使うのはこれが初めてでありません。1998年には「戦後最悪の失政内閣-橋本総理殿、ほんにお前は屁のような」と云う記事を掲載してます。「声はすれども姿は見えずほんにお前は屁のような」と姿を見せずに良い声で鳴くウグイスを愛でた都々逸からきた言葉。それが無能な総理には悪口になってしまうのですね。>
Jul 22, 2026
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ヒット曲を自分で歌った動画をYouTube やTikTok なんかの動画投稿サイトに投稿する「歌ってみた」や、同じくヒット曲の振り付けをマネて投稿する「踊ってみた」もたいへん盛況ですね。ユーザーがマネして投稿する曲は、もともと作曲家や作詞家、振付師、それにレコード会社が著作権をもってるものですが、それをネットにアップすることって著作権法違反にならないの?まず「歌ってみた」動画から考えると、誰かの曲を自分個人で楽しむ範囲で演奏したり歌うことは著作権侵害になりません。まぁ、世間一般の常識ですね。では自分が歌った動画をネット上にアップするのはどうでしょう?作権のひとつに「公衆送信権」と云うのがあります。これは著作物をネットなどで不特定多数に向けて送信する権利で、著作権者だけが持つものです。他人の著作物を勝手にネット上に投稿して、他人が閲覧できる状態にしただけでも「送信可能化」したとして公衆送信権の侵害になります。なので他人の曲を自分で演奏したり歌ったりした動画を著作権者の了解を得ずに動画投稿サイトにアップすれば、「原則的に」違法とみなされる可能性があります。「原則的に」と云うのは、アウトにならないケースがあるからです。YouTube やニコニコ動画などの主要な動画投稿サイトは、音楽の著作権団体であるJASRAC(日本音楽著作権協会)と、同団体の管理楽曲を使用していもいいと云う年間包括契約を結んでます。つまり動画投稿サイトが著作権団体にお金を払って公衆送信を許諾してもらってるので、ユーザーが「歌ってみた」動画をアップしても著作権法違反にならないのですね。ただ世の中すべての楽曲をJASRACが管理しているワケではなく、他団体が管理している楽曲を使う場合、動画投稿サイトが契約を結んでいなければアウトになります。問題はもっと深刻で、JASRACと取り交わしている包括契約で対象になるのは曲と歌詞の著作権だけ。アーティストの音源に関する著作権は契約外です。なので自分で演奏したり、歌ったりするのはOKでも、CDの音源なんかを使って投稿することは許されてません。となると「踊ってみた」がヤバイことに。「踊ってみた」動画の投稿を観ると、バックに流れる楽曲はアーティストの音源なのがほとんど。これは著作権法違反になるケースが非常に高いことになります。ただレコード会社側でダンスとともに拡散されるのを狙って条件づきで使用を許諾してるケースも結構あります。たとえば新垣結衣主演TVドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で星野源の「恋」が使われてましたが、レコード会社は「90秒程度」「ドラマ放送期間中」と云う条件をつけて公開を認めてました。ただ「踊ってみた」には「振付師」の著作権問題も発生します。国立病院で長らく療養してるヨメのことですが、今日は私が別の病院受診でヨメ面会時間がかなり遅くなります。そしたらヨメの病室が個室なので、私が一緒に宿泊していいと国立病院が了承してくれました。なので、明日の投稿はいつもの時間ではなく、明日帰宅してからの投稿になりますので、かなり遅い時間の投稿になるかと思います。
Jul 21, 2026
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最近は多くの企業が代表電話番号を告知してなかったり、応対がメールやチャットのみと云うとこも増えてきましたね。電話番号を告知してても、イザ掛けると音声案内で要件ごとに番号入力させられて、やっとオペレーターに繋がったと思ったら「現在、タイヘン混み合ってます。そのままお待ちください」とまた音声案内。この手間なんとかならんものかとイライラさせられます。やっとオペレーター登場と思ったら担当者ぢゃなくて別企業のコールセンターに繋がっててなんやと思わせることも多い。このコールセンターのオペレーターと云うのは、電話対応のプロだけどこっちは直接担当者と話したいと意思表示しないと転送してくれないし。コールセンターのオペレーターが応答するときの決まり文句は「お電話ありがとうございます。〇〇でございます」ですね。アメリカだと「Thank you for calling [会社名]. My name is [担当者名]. How can I help you today?"(お電話いただきありがとうございます。〇〇でございます。本日どのようなご用件でしょうか?)と云うことで日本と変わらない。ここで「もしもし」が登場するのですが、日本のコールセンターのオペレーターは、けして「もしもし」とは云いません。「もしもし」=英語だと「Hello」ですが、アメリカではコールセンターでも使われてるようです。まぁ、私たちの日常の電話でも今どき「もしもし」なんて云いませんね。そもそもスマホに着信したら登録番号か番号未登録、発信者番号非表示が表示されるので、それに応じて対応しますし、未登録や番号非表示だったら応答しないでしょう。「もしもし」と云うのは「すみません」とか「ちょっと」と云うニュアンスの言葉ですが、これは1890年(明治23年)に日本で初めて電話のサービスが開始された当初に生まれた言葉から派生したものです。この時代、電話をかけるには必ず「電話交換手」という局員を呼び出して、繋ぎたい相手の番号を伝える必要がありました。電話の受話器をあげると、先ず交換手につながるのですね。そこで相手の所在や名前を告げると、交換手が電話回線を接続してやっと通話ができるって仕組みです。当時、電話は非常に高価で地位の高い人が使うものでした。そのため、電話交換手は失礼のないように「これから申し上げます(お話しします)」という意味を込めて「申します、申します」と先ず断ってから回線をつないでたのですね。これが略して「もしもし」となり、やがて電話の挨拶として日本中に普及していったのです。そうすると「申す(申します)」は謙譲語ですが、「もしもし」は略語にあたるため、ビジネスシーンや目上の人に対して使うのはマナー違反なんですね。と云うワケで日本のオペレーターは「もしもし」を使わないのです。ちなみに電話交換手と云うのは女性の職業でした。今のコールセンターのオペレーターもほとんど女性ですね。これは「女性の方が声が高いから聞こえやすい」「男性だと利用者とけんかになってしまう」「女性の方が感情をコントロールできるから」と云う理由らしい。政府や公社は、限られた予算の中で電話サービスを普及させる必要がありました。電話の場合、利用者と直接コミュニケーションする場面があり、そこをおろそかにすると利用者が満足しません。そうした問題に対処するために注目されたのが、育ちの良い「ミドルクラス」の未婚女性です。日本で創世記に電話交換手の担い手となったのは、旧士族など高い社会階層の娘たちでした。時代の変化と経済的な理由から働く必要のあった彼女たちは、一定の教育を受け、高い文化資本を有しているものの低賃金で使える労働者として活用されました。しかし、ナゼ「申します、申します」「もしもし」と繰り返すのか?「申します」ひと言でいいぢゃないか。それは日本人が一声呼びを忌み嫌う考えがあるからです。「申します」「もし」と一節だけ言葉を発することが不吉と云う概念があるからなんですね。高知や島根、沖縄など日本各地で、妖怪が動き始める時間に人を呼んだりすれ違うときに「もし」とか「おーい」と一声だけ発するのをタブーとしてきた歴史があるのです。仮に一声のみで話しかけられたら、返事をしてはならない。それは妖怪や悪霊で、取り憑かれてしまうからと云う言い伝えです。このしきたりの根底には、二声と比べたときの一声の不安定さ、さみしさ、そこはかとなく感じられる不気味さがあると云われてます。例えば、ドアをノックするときでも、一度だけだと不穏な空気を覚えるから「ノックは2回」。それで高知では葬儀の出棺のときなど、死者に対して「お~い」と一声だけ呼びかける習慣があるそうです。また、イタチやカラスなどが一声だけ鳴くと火事が起こると云う俗説もあります。「一杯茶」と云って、客が茶を一杯だけ飲んで辞去することも縁起が悪いと云われます。われわれ日本人には「ひとつ」に対する畏怖が染み付いてるのですね。仏式の葬儀で故人の枕元にお供えするご飯(枕飯)「一膳飯」は生者と死者が別々の世界へ行く(縁を断つ)ための儀式として供えられます。
Jul 20, 2026
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平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた"藤原定家"の歌にこんなのがあります。「見渡せば 花も紅葉も なかりけり浦の苫屋の 秋の夕暮れ」この歌は漁師小屋のほかには何も無い海辺の寂しさを歌った歌ですが、その光景を定家は「花も紅葉も なかりけり」と歌いました。それによって私たちの心象には、何も無いはずの海辺に突如として花と紅葉が咲き乱れるのです。何も無い空間をあえて「花も紅葉も なかりけり」と詠むことによって、それを聞く者が自ら花と紅葉を探し求め始めてしまう。これが「引き算」という方法を如実に表してます。これが絵画だと余白のある日本画や水彩画でしょう。画面のほとんどが余白ということです。その余白が「何も描いていない」のではなく「書かないことで何かを表現している」。描くものを少なく、一方で表現する何かは大きく。ここに見えない「差」が有ると云う考え方なんです。これが写真だと、不要な背景や要素をボカしたりフレームから外したりして、被写体の存在感を高めるのですね。インテリアのような現代的なものにも引き算の美学が追求されてます。装飾を極力減らし無駄な要素を省くことで、本当に伝えたいメッセージや素材そのものの質感を強調しようと云う考え方です。その典型が日本庭園の「枯山水」でしょう。眼前に広がる大きな海を表現するために、水を張るのではなく、むしろ水を抜くことで表わします。あえて抜いて、そこに仮の物としての岩や砂を置き、岩を島に、砂を波に見立てることによって見る者の心により強く呼び起こす何か。これによって「見えている三次元世界」に、もう一次元の奥行きを加えようとするのです。このような「抜き」と「見立て」と云う方法によって、私たちの感覚できる世界のその奥に独特な超感覚的世界を構築してきたのですね。千利休が確立した茶道はまさに引き算の美学です。限られたスペース(茶室)と最小限の道具だけで空間を仕立て、その瞬間の一期一会を大切にします。これは、華美な装飾や、物質的な豊かさよりも「心の豊かさ」「静寂の中にある美しさ」を大切にする、日本人の精神性を表してるのですね。華道においても、花をたくさん盛るのではなく、数本の花と空間(余白)のバランスで美を表現します。まさに日本文化の「わび・さび」や「間・余白」の精神そのものなんですね。和食も「引き算の料理」と云われますね。素材の臭みや余分なアク、雑味を丁寧に取り除くことで本来の旨味や季節の味わいを引き出している。これがフランス料理やイタリア料理と根本的に違うとこです。スマホやネットによって、私たちは膨大な情報に日々さらされ、常に「つながっている」ことを求め、求められるようになりました。それによって心は休まる暇がなく、ストレスや不安を抱えやすくなっているのですね。情報が洪水のように押し寄せ、モノが溢れかえる時代。「情報過多」によって、本当に大切なものを見失い「モノ」に囲まれながらも、心が満たされないと云う矛盾した状況に陥っている。何かを「足す」ことは誰にでもできますが、物事をシンプルに本当に重要なものだけを残して他を捨てるという「潔さ」が、洗練された美や感動を生み出すのですね。医療の分野でもこの引き算を実戦してらっしゃるお医者さまは大勢おられます。あえて薬を減らすことで、予期しにくい薬の副作用を減らし必要最小限の薬で「ちょうどよい健康」を保つ。それが、医療における引き算の美学なんです。薬を減らすと云うと「治療をやめる」ような印象を持たれがちですが、実際は「この人にとって本当に必要な薬だけを残す」と云う前向きで慎重な判断を要するのですね。
Jul 19, 2026
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年を取ると身体のふしぶしにガタがきて、あちこち痛んだり、調子が悪くなるのはアタリマエです。痛みも不調もだましだまし、うまく折り合いをつけていくしか方法がありません。老化に抵抗するなんて、川の流れに逆らうようなものです。身体の具合が悪くなったとき、病名を云われると却って安心し、「歳のせい」と云われるとムッとする人が多いですが、「身体も自然の一部」なんですよ。例えばガンになると云うことは、老化によって細胞の遺伝子に傷がつき、それが蓄積して、身体にさまざまな障害をおこす「老化現象」のひとつなんです。老化も自身のことだし、ガンも自身のこと。「これも自然の摂理」と考えて、できる限り仲良く付き合っていくしかないのですね。ローリング・ストーンズと云ってもイギリスのロックバンドのことではありません。読んで字のごとく「転がる石」は苔むさないのです。身体も頭もほどよく動かしてサビつかせない。喜怒哀楽を豊かにして、五感をよどませない。気の進まないことに執着しないで、生きる喜びを大切にすること。手も口も感情も感覚も、ほどよく動かし続ける。よく歩くようにすれば、血液が下半身に滞留しないでスムーズに体をめぐり、自分の身体にあった血圧が保てやすくなります。声をあげてアハハと笑えば、表情筋も横隔膜も動くし、呼吸も深くなり、血行がよくなります。美味しいものを食べたり、好きなことに打ち込んで幸せな気分になると、セロトニンやドーパミン、エンドルフィンなど、意欲やモチベーションを高める物質がわいて人生が楽しくなります。すると少々の不調は忘れられる。「よどまないこと」が自然の摂理にかなった健康法なんですね。英語の「ペイシェント(Patient)」のイミは「患者」と云うことと同時に「がまんする人」ってイミももってます。ひとりの人間が死にいたる姿は、周囲の人々の心に深く刻まれます。「あの人は最後まで運命を呪い、人を恨んで死んでいった」ではなく、「最後の最後にほんとうに優しくしてくれて有難うと云って去っていった」と云われるほうが自分にも周囲にもどんだけ救いになるか分かりません。苦しくても、周りを思いやる気持ちだけは持ち続けたいですね。
Jul 18, 2026
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「シロクマのことは考えないで」と云われてホントウに考えない人はいないでしょう。むしろ考えてしまうのが人の性です。「このボタンを押さないでください」と書いてあると、無性に押したくなるのも人の性ですね。高齢になると、人の役に立ってる実感が得られなくなることが多い。見る・聞く能力が落ちる上に身体を動かす能力も充分でないため、周りのサポートを必要とする場面が多くなるからです。特にそれまで主婦として家族を支えてきた、仕事で家を支えてきたと云う自負がある人ほど、現在の状況に満足できません。もはや「仕事をしなくてもいい」と云われたら、最初は嬉しいかも知れませんが、何だか満たされない思いにかられがちです。満足できない高齢者は自分が否定されてると思い込んで「死ねばいいと思ってるだろう」とか「早く死にたい」などと云ってしまいます。しかし一方で家族が仕事や家事を肩代わりしてくれているのは、本当に気を使ってくれているのだと云うことも分かってるのです。そしてヘタに家事に加わって火事を起こしたらタイヘンだとか、炊事をしてもつい時間がかかって食事が遅くなることも分かってます。だから「家事をしたい」とは云えないんですね。それで高齢者は「早く死にたい」と云う発言をすることよく耳にします。家族としては「ネガティブな発言をやめさせたい」「愚痴をなくしたい」と思って「そんな愚痴は云わないの」とか「ネガティブ発言は止めなさい」とか注意しますが、これはかえって逆効果です。「シロクマのことは考えないで」と云われたらかえって考えてしまうのが人の性。では問題はどうすれば解決するのか?それは高齢者にとって身体の負担が少なく、危険が伴わないような、例えば庭仕事をしてもらうとか、何かできることを与えることです。高齢者の中には白内障を患う人も多いですね。それで医師が手術をすすめても、家族が「歳だから見えなくていいです。世話は私たちがしますから」と云うと医師は無理強いできません。しかし病気が進行すると食事さえ自分でとれず、介護が必要になってきます。歳とって耳目が不自由になり、仕事もないと刺激が減り、しだいに認知症に進んでいくんですな。目が見えなくても、耳が聞こえなくても、仕事なんてしなくても元気でいてくれればと思いがちです。周りは「ムリをさせない」「身体の安全が第一」と考えがちですが、歳を重ねれば重ねるほどTVやスマホ、新聞や雑誌、家族との会話などが楽しみになるので、それを阻害する要因、白内障なんかの手術は本人が希望する限りやってあげた方がいいのです。認知症になりにくい方法としてよく知られてるのが身体を動かす運動をすること。また頭を使うことも有効ですね。ただ、そうするとTVなんかでよく報じられてる「老人ホームでお遊戯をしている光景」を思い浮かべがちですが、ホントウに高齢者でお遊戯をしたいって思ってる人がいるでしょうか?実際は、高齢者はそれぞれに自分のやりたいことが有るのです。そのためには決まった時間にそれをやってもらう習慣をつけること。若い人でも用事が無いと、日がな一日ゴロゴロ過ごすものです。例えば先程述べた庭仕事でも、水やりの時間を決めることによって生活にリズムがついてくるのですね。なんてことを高齢者の私は息子に云い聞かせてたのですが、息子いわく「オヤジくらい趣味だらけやったらやること探す必要ないやろ」だとさ。
Jul 17, 2026
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「不思議なピーチパイ」「シングル・アゲイン」「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」「純愛ラプソディ」と云えば私の大好きな竹内まりやのヒット曲ですね。同じ竹内のヒット曲「駅」で歌詞の中に登場する「見覚えのあるレインコート 黄昏の駅」の情景は、今はなき「東急東横線の旧渋谷駅」がモデルになったと云われてます。竹内は優れたメロディセンスと普遍的な歌詞で多くの名曲を生み出し、近年は世界的なシティポップ・ブームの火付け役としても知られています。特に1984年に発表した楽曲「Plastic Love(プラスチックラヴ)」が海外で高く評価され、世界的なシティポップ・ムーブメントの象徴的存在となりました。今では竹内のアルバムは夫 達郎のアルバムとともに海外でも高値取引されて、訪日外国人のファンは日本の中古レコードショップで彼女のレコードを漁ってる始末。私はなぜかこの時代のシティポップ、それも女性歌手に惹きつけられるのですね。もはや古いと云えばそうなんですが、あのなんとも云えない女性の心情をしみじみと切なく歌う姿が好きなんです。シティポップは1970年代後半~80年代に流行した都会的で洗練されたポピュラー音楽のことですね。そもそもシティポップは明確な音楽ジャンルと云うよりは、雰囲気やスタイルを指す言葉です。ジャズやフュージョンなど高度な技術を持つスタジオミュージシャンが制作した非常にクオリティの高いアレンジが施されているのが魅力です。そんなシティポップで松任谷由実、竹内まりやの後を継ぐ歌手として注目されてた女性歌手を覚えてらっしゃるでしょうか?最近はとんと表に出てこないシンガーソングライター。"古内東子"のことです。恋愛を主題にした曲のスタイルから「恋愛の神様、教祖」と称された歌手です。私は彼女の歌が大好き。好きさ加減では竹内まりや以上かなぁ。ところが古内が「はやくいそいで」でデビューしたのは1993年。大ヒット曲「誰より好きなのに」のリリースが1996年と、シティポップの全盛期が過ぎて、コアな信奉者だけが引き続き聴いてると云うような時期だったのですね。もし古内が80年代に現れてたら、当時の音楽シーンを席巻していた松任谷由実や竹内まりやのような存在として、トレンディドラマの主題歌を数多く担当し、「恋愛の神様」として女子大生やOLの圧倒的なカリスマになっていた可能性が高いのですが、出遅れてしまったのですね。古内はライブに力を入れてて、2004年からは「小さなホールの方が観客に言葉をよりダイレクトに伝えることができる」と弾き語りライブを定例化してます。2009年と2010年には批評家の間で「ニューヨークで最高の音質」と評価の高い「ジョーズ パブ(Joe's Pub)」で弾き語りライブを実現しました。彼女はアメリカ留学してたので、英語はペラペラなんです。彼女は「恋について歌えなくなったら歌手をやめる」と断言するほど、経験した恋愛のみを歌うことが最大の訴求点なんですね。そのため女性人気が高く、独身OL音楽の第一人者とまで評されてます。しかしなんですな、この世代の女性歌手ってのは、松任谷、竹内、古内だけでなく、「真夜中のドア~Stay With Me」の松原みきとか「みずいろの雨」の八神純子なんて逸材が揃ってましたなぁ。それでは最後に古内東子の「誰より好きなのに」を♪やさしくされると切なくなる冷たくされると泣きたくなる・・・追いかけられると逃げたくなる背を向けられると不安になる...女性の恋愛感情そのものですねぇ。
Jul 16, 2026
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どんなことでもそうですが、ひとつのことで完結するってことの方が珍しい。その典型が有酸素運動や筋力トレーニングでしょうな。筋トレとタンパク質は切っても切れない関係にあります。筋トレで負荷をかけると筋肉の繊維が分解されますが、その修復の材料となるのがタンパク質です。このふたつを適切に組み合わせることで、初めて効率的な筋肥大と筋力アップが可能になります。よく高齢者のなかには野菜の煮物ばかり食べてお肉やお魚を全くとらない方がいます。そんな方でも毎日「納豆」を食べてるのでダイジョウブと思ってるのかも知れませんが、納豆に含まれるタンパク質は豚ヒレ肉100g のタンパク質含有量約39g に対して、納豆2パック食べても約16g しかありません。鶏むね肉100g で約24g のタンパク質、サバでも約20g 有るのにです。いくら高齢と云っても、イヤ高齢者ほど意識して積極的にタンパク質を摂ること考えないとダメですね。私のような高齢者になると、筋力の維持が何にも増して重要になります。特に私の場合は右関節に人工関節入れてるので、筋力の低下=歩行困難に繋がってしまう。車椅子生活が長引くと、ますます筋力は衰えていって、最後は寝たきり老人です。自家用車と同じで、少しは立って歩けても車椅子の利用者はどんなときでも車椅子に頼ってしまう。なので車椅子生活そのものを極力避けるためにも筋トレが欠かせないんですね。筋トレを行う場合、1日に必要なタンパク質の量は体重1kg あたり1.6~2.4g が適正値です。たとえば体重60kg だと1日あたり約96~144g のタンパク質が必要になります。ただタンパク質は一度に大量に摂取しても体内で吸収しきれません。1回の食事で20~30g を目安に、朝・昼・晩・間食などに分けてこまめに摂取するのが最も効果的なんですね。そして筋トレ後1~2時間は筋肉の合成が最も高まる「ゴールデンタイム」で、このタイミングでタンパク質と糖質を一緒に摂取すると筋肉の回復がスムーズになります。食事時間帯とうまくマッチしなければプロティンで補う方法がいいですね。筋トレは「すばやく動くほうが筋肉がつく」と考えてる人が多いですが、勢いをつけてスピーディに筋トレを行うと全身運動になってしまい、効率的に特定の筋肉に負荷をかけることができません。すばやく動くと、それだけ関節に負担がかかり、ケガのリスクも高まってしまいます。筋トレでは「スロートレーニング」の方がより効果的なんです。腕立て伏せであれば、息を吸いながら3~5秒かけて腕を曲げ、息を吐きながら3~5秒かけて腕を伸します。その際、完全に腕を伸ばしきらないようにし、筋肉から力が抜ける時間をつくらないのがポイントになります。そうすることで筋肉の血流が制限されて酸素不足になり、より筋肉が疲労します。この状態が筋力アップに効果的なことが研究で実証されてます。ウォーキングなどに励んでる人の中には「雨の日でも、調子が悪い日でも、同じ距離を毎日欠かさず歩かないとイミがない」と自分に課して歩いてる人が多いですね。しかし、効果面で云えば、日によって歩く距離が違っても、場合によっては休んでも問題ないんです。とくに健康のためであれば、週末に一週間分の運動をまとめてこなすことでも効果はあります。週末の運動でガンなどのリスクが低下することが、2017年、アメリカの医学雑誌「JAMA」に掲載されてました。これが筋トレの場合、2~3日空けて筋力を回復させた方が効率的だと云うことが知られてます。ムリをしてケガしたら元も子もないですからね。ムリのない範囲で続けていくことが大切です。
Jul 15, 2026
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唐突ですが、1962年(昭和32年)~1965年(昭和40年)までTBS系で放映されてた忍者もの時代劇がありました。大瀬康一主演の「隠密剣士」と云うドラマで、霧の遁兵衛と云う伊賀忍者を牧冬吉が演じて、忍者ブームの火付け役となった作品です。女優の高千穂ひづるの旦那だった大瀬康一は「月光仮面」や「豹(ジャガー)の眼」など当時の人気TVドラマでも主役を演じてた人気俳優でした。この「隠密剣士」で霧の遁兵衛が放つ手裏剣が「卍」の形してます。忍者と云えば十字手裏剣ですが、これの先端途中が90度に折れてて卍形してるのですね。実は、この手裏剣、「隠密剣士」プロデューサー西村俊一のまったくの創作なんです。西村に云わせると、この形状は「先が尖っていては危ないから卍にした」と云う単純なもので、ところがその後に出てきた忍者ものドラマで頻繁に使われるようになり、あたかも実在する手裏剣のようになってしまったのですね。手裏剣は元々日本の剣術や忍術の流派で発展した投擲武器で、海外にこれに類似した武器はありません。しかし現在では、海外の忍者ブームやNARUTOなどのアニメ影響により、海外にも手裏剣術の愛好家や研究団体が存在し、日本と同様に武道の一つとして稽古されることがあります。また、観光客向けのお土産として日本各地の土産物屋でも売ってますね。手裏剣は忍者の主要武器のイメージが強いですが、そんなことは無くて武士の一般的な武器でした。古武術で一般的に使用されている手裏剣は、細長い形状の棒状手裏剣ですね。棒手裏剣の投てき方法は、手のひらにのせ、手裏剣を中指・人差し指・薬指で挟み、剣尾を親指で押さえ、上段構えから打ち込む方法が主で、尖端が上を向くように構えて手から離れた後、尖端がそのまま的を目指して飛ぶ「直打法」と、尖端を逆にして持った状態から「打つ(投てきする)」瞬間に剣を反転させる「反転打法」、そして西洋のナイフ投げなどと同じように手から離れた後、回転して的に刺さる「回転打法」の3つの投擲法があります。直打法では、手裏剣がまっすぐ飛ぶワケぢゃなくて、剣で切りつけるように弧を描いて飛んでいきます。対する十字手裏剣は「車剣」と呼ばれ、読んで字のごとく回転して飛ぶので、どこかの歯が刺さることになります。平たい面が当たる平打ちにならない限り、初心者が投げても当たれば刺さる。一説では、棒状手裏剣が非常に難しいので、誰でも投げれば刺さるように工夫されたのが車剣だと云います。ところが車剣(十字手裏剣)を主体にする手裏剣術の流派はほとんど見当たりません。柔術の高木揚心流に「銛板(せんばん)」と云う正方形の板の角が出っ張って刃先になってる形状の車剣があるくらいです。ほとんどの流派では棒状の手裏剣を使ってるのですね。ナゼ、棒状なのか?「手裏剣」と云う呼び方は「手」の「裏」の「剣」、つまり「掌中に隠し持つことのできる剣」と云うイミです。これが車剣だと手に持つと刃先が飛び出て隠しきれない。当然、懐に忍ばせねばならなのですが、専用の革袋でも用意しないと携帯に不便だし、瞬時に取り出そうとすると刃先で自分の指を傷つけてしまう危険が。これが毒でも塗ってたら、自分で毒にあたってオダブツになります。これが棒状手裏剣だと、束ねて帯に挟んでおくことも可能だし、刃先に毒を塗っていても、まず自分を刺すことは皆無に近い。と云うワケで、古武道どの流派でも棒状手裏剣をメインに稽古しているワケです。手裏剣の有効射程距離は2間~3間と云いますから約4~5m くらいでしょうか。それ以上の距離だと、狙って当てるのが非常に難しいらしい。と、云うことは第一撃で当たらないと、刀を持った相手に踏み込まれてオジャンですな。ど~やら実践的な武器にはほど遠い感じです。
Jul 14, 2026
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近年になって訪日外国人の中には東京の台東区にある合羽橋道具街を巡って、食器などの小物と同時に「包丁」を買い求める姿がよく見かけられるようになりました。訪日外国人が日本の包丁を購入する主な理由は、その圧倒的な切れ味と高い職人技術、そして機能美が世界的に高く評価されているためです。和包丁は刃が薄く鋭角であるため、食材の細胞を潰さずに切ることができ素材本来の味や食感を引き出せますし、中華包丁が主流の国とは異なり、魚用、野菜用、薄刃、刺身包丁など、用途に合わせて細かく種類が分かれていることに驚き、機能性を高く評価しているからなんですね。ひと昔前はドイツ製ナイフが最高評価でしたが、ゾーリンゲンの包丁も今はステンレス製一辺倒です。ところが日本の包丁はステンもあるけど、やはり主力は硬くて切れ味に優れる「鋼(はがね)」ですよね。特にプロの料理人に愛用される伝統的な和包丁は、軟鉄などの「地金」に硬い鋼を鍛造(たんぞう)で接合した素材が主流で、これが鍛冶技術によって作られ、その切れ味と耐久性は「職人の魂を感じる」と訪日外国人は云います。しかし鋼の包丁は放って置くと錆びるし、砥石を使ってちゃんと研がないと切れ味が落ちるけど、欧米人で研げる人いるのかしら?鋼の包丁と云ったら、私には「堺打刃物」しか思い浮かびません。堺打刃物は、大阪府堺市で作られてる刃物です。ここ堺は、今から約2,000年前、弥生時代中期には既に集落が営まれ石包丁が使われていました。世界文化遺産に認定された世界最大の古墳「仁徳陵」は堺の東部丘陵地帯にあり、当時この造営は想像を絶する大土木工事であったものと推察されますが、この工事用に鋤、鍬などの土工具が沢山生産され、職人は集落をつくって住みつき、今では丹南(タンナ)や日置荘(ヒキソウ)などの地名として残ってます。戦国時代の堺は自由都市として大いに栄えていて次第に刀鍛冶が増えていったのですが、天文12年(1543年)ポルトガル人によって鉄砲が伝来すると、堺刃物の優秀な技術はここにも生かされて、戦国時代堺は鉄砲の産地として一気に著名になりました。同時にポルトガルからもたらされたタバコの葉を刻むたばこ包丁が天正年間(1573~)に堺で造られるようになり、徳川幕府は堺極印を附して専売したために、これで堺刃物の切れ味と名声は日本各地へ拡がったのですね。これが後の堺刃物の起源と云われてます。堺打刃物は、丈夫さと切れ味を両立するために、地金(軟らかい鉄)と刃金(鋼:はがね)の2種類の異なる材料を合わせて作られます。ここで熟練の職人による優れた「鍛造(かじ)」と「研ぎ」の技術による研ぎすまされた刃先の「切れ味」を両立させてるのですね。刃物は鍛造だけでは完成ではなく、そこにすぐれた研ぎ職人の技術が無いと完成とは云えません。近年の包丁は、鉄板をくり抜いて刃の部分を削るものが増えていますが、堺打刃物は二つの鉄を打ちながら包丁などの形に仕上げるもので、これにより鍛えられた刃物は硬度が高く、抜群の切れ味が長く続きます。堺打刃物では鍛冶、研ぎ、柄付け(えつけ)と云う工程をそれぞれ専門の職人が分業して作る特徴があります。手技TEWAZA「堺打刃物」Japan Sakai Forged Knife/伝統工芸 青山スクエア Japan traditional crafts Aoyama Squareそんな堺で日本刀が作られ出したのは15世紀の室町時代ころからです。全国を回っていた刀工たちが優れた港町である堺に定住し、本格的な日本刀の製造が始まりました。戦国時代に鉄砲の製造拠点となったと述べましたが、同時に武士たちの需要に応えるため多くの名刀も引き続き打たれました。そんな刀鍛冶は現在でも堺には職人や工房が存在します。たとえば1872年(明治5年)創業の「水野鍛錬所」では、包丁の製造とともに伝統的な古式鍛錬による日本刀の製作が今も受け継がれているのです。日本刀は「折れず、曲がらず、よく斬れる」と云いますが、ヘタに使えば「折れるもの、曲がるもの」なんです。よくTVなんかで剣術の達人が太い真竹や畳を見事に切断してるシーンが出てきますが、これは身幅が広くも鉄の質がよい頑丈な造りの試し切り向きの刀を使ってます。時代劇なんかで、剣客が大勢の敵を峰打ちでバッタバッタとなぎ倒していくシーンが出てきますが、あんな刀の使い方したら曲がるか下手すれば折れてしまいます。なぜなら、刀の峰には焼きが入ってないので、鉄が柔らかく、強く打てばわずかに伸びます。しかし反対側の刀の部分には焼きが入っているので、硬いから伸びない。となれば、片方は伸びて、片方は伸びない。しかも刀の峰側には反りがあります。ここが伸びれば、刃の側に大きな負担がかかり、硬化している刃部にひび割れができてポキッと折れてしまうのです。これを防ぐには、最初から峰打ちを想定して、峰側にも焼きを入れた特殊な刀を注文するしかない。そもそも刀は「斬る」目的で製作されたもので、「殴る」ことは想定してません。ただ正しい使い方をしている限り、滅多に折れるものではありません。鋳物だったら素手でも折れますが、鋼鉄の棒の日本刀は簡単に折れない。ヨーロッパで放映されたTV番組の実証実験では、現代刀でさえ重機関銃から打ち出された50口径弾丸を7発まで両断してから、ようやく折れたくらいです。ヨメの長期入院で毎日見舞いに行ってるため、往復2時間と病院滞在時間を足すと家事ができかねてます。洗濯やお風呂洗いはなんとかできても、広くもない我が家ですが、部屋の掃除がいきとどかない。で、最後の手段でロボット掃除機買いました。幸いワンフロアーのマンションなのと、以前にリフォームして段差をなくしてたので、ロボット掃除機使うにはうってつけ。ところがロボット掃除機と云うのはアメリカのiRobot「ルンバ」一社以外全て中国製です。と思ってたらiRobot 自体が倒産して中国企業に買われてしまった。いゃだなぁ~と思いつつ、他にチョイスが無いのでシェアNo.1のECOVACS (エコバックス) のT80を購入。ローラー式モップを備えてて掃除とともに水拭き両用で、すべてAIが勝手に部屋の状況を判断して掃除するし、バッテリーがなくなったら勝手にステーションに帰って、充電後、再度掃除再開。音も今使ってるダイソン掃除機よりかなり小さいです。ステーションに帰ったら、自動でゴミ収集してくれるので、まったく手放しで他の用事ができます。使い始め、最初に掃除機が複数の部屋をくまなく移動して、部屋のマッピングまでしてくれるのですね。あとはバッテリーがどれだけ持つか?安くない買い物なので、せいぜい働いてもらわないと。
Jul 13, 2026
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お盆と云うのは全国的に8月13日~16日ですが、東京や神奈川、静岡、石川などの一部では1ヶ月早く7月13日~16日ですね。これは明治時代に行われた改暦が関係しています。改暦は明治時代に暦の国際基準化を目的として行われました。改暦に伴って日本の各行事は30日遅れとなり、 もともと旧暦の7月13日に行われていたお盆も、改暦後には新暦の8月に行われるようになったのですね。農業が盛んな地方の7月は農繁期で忙しいため、1ヶ月遅らせてお盆を行ったと云う説もあります。お盆には先祖の霊が帰ってくると云われ、みんな故郷に戻って墓参りしますね。13日の迎え盆では、キュウリを馬に、ナスを牛に見立てた精霊馬を作って盆飾りにします。降りてきた霊はこの馬に宿るのですね。ウチはチャッピくんとミミちゃんが逝ったころは精霊馬と迎え火をしてましたが、そのうち止めてしまいました。怒ってるかな?「迎え火」は夜道をやって来るご先祖さまの霊が迷わないよう、玄関先やお墓で焚くのが慣例ですね。火の代わりに提灯を使用することもあります。「送り火」はお盆の最終日にあの世に戻る御霊をお見送りする習わしですね。お盆は、仏教における 「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が正しい呼び方です。古代インドのサンスクリット語「ウランバーナ(ullambana)」が語源と云われてます。イミは「餓鬼道に堕ちて逆さ吊りにされ、苦しみもがいてる」ことらしい。お釈迦様のお弟子の中で、もっとも神通力の優れた目連(もくれん)が、亡くなった母親がどうしているか透視しました。すると、母親は「餓鬼道」に落ち、逆さ吊りにされて飢えと渇きに苦しんでる姿を察知したのです。なんとか救ってやりたいと釈迦に相談すると「夏の修行が終わる日に、多くの僧侶を招き、心のこもったご馳走を施して供養しなさい」と教えられました。そのご馳走の一部が母の口にも入り、苦しみから解放されるだろうと。目連が云われた通りに僧たちを歓待し、それによって母は地獄から助け出された。お盆とは地獄に堕ちた死者を救った故事に由来する習慣だったのですね。今でもお寺では、お盆に「施餓鬼(せがき)供養」と云う法会を行うことが多いのはこれに由来してます。こうして救われた死者は、嬉しさのあまり踊りだしました。これが盆踊りの起源なんですね。やぐらの周りを輪になって踊る姿は、死者の葬列なんです。福島県いわき市を中心に盆踊りの原型のような行事が残ってます。お盆のいわき名物となってる「じゃんがら念仏踊り」です。1年以内に亡くなった人がいる新盆を迎えた家などを巡り、鉦(しょう)や太鼓とともに祈りの念仏を唱え、踊る慣わしです。先祖の霊が帰ってくるときの「迎え火」や終わりのときの「送り火」は、どちらも家の軒先で行いますが、はるかに巨大なものがあります。京都で有名な「大文字焼き」です。神奈川県の箱根町や栃木県佐野市なんかでも行われてますね。京都の大文字焼き、正しくは「五山送り火」と云います。その名の通り、これは送り火の一種なんです。夏に花火が多いのもお盆が関係してます。江戸中期の1732年、西日本では瀬戸内海を中心に不作に見舞われ、享保の大飢餓が発生します。一節によれば約100万人が命を落としたと云う。また同年、江戸では疫病コロリ(コレラ)が猛威を振るいました。日本中で多くの死者が出たことを重く見た8代将軍 吉宗は両国で行われる夏の納涼祭(川開き)のときに、慰霊と疫神退散のため花火を打ち上げたのです。これが「隅田川花火大会」のルーツなんですね。コレラだけでなく、当時は多くの疫病が発生してました。これらは細菌やウイルスが繁殖しやすい夏場に流行するのが常です。病で倒れた人々を花火で慰め、あの世に送る。それはお盆と結びつき、日本中の夏のイメージとなってくのですね。中国から伝わった思想に、人は生きているあいだ「魂(精神)」「魄(肉体)」とが融合しており、死後にはこれが分離して「魂」は天に、「魄」は地上に行くという考え方があります。これを 「魂魄(こんぱく)思想」 と呼びますが、地上の「魄」を祀るために造られたのがお墓だとされます。お盆になると、天へ行った「魂」はお墓に眠る「魄」の下まで帰ってきます。この「魂」をお墓から自宅へ迎えるためのものが「迎え火」。要するに、お盆に家に帰ってきたのは「魂」だけで、「魄」は依然お墓に残っているというわけです。この「魄」も供養するためにお墓参りをするのです。日本のお盆は、中国から伝わった儒教や道教の伝承や死生観に、仏教や日本古来の信仰が交じり合ってできたものです。まぁ私みたいに信仰心のカケラもない人間でも、お盆くらいお墓参りはしますね。
Jul 12, 2026
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「あらゆる手段を使う」「これは脅しでない」。プーチンがウクライナ侵略に関してウクライナとNATOに度々宣言してきた言葉。「あらゆる手段」ってのはもちろん「核」のことです。第二次大戦以来、一度も使われたことのない核ミサイルをウクライナに発射することも辞さないと身の毛も凍ることを云う。ストックホルム国際平和研究所2026年のデータによると、ロシアの核総保有数は約5,580発で、うち現役配備は約1,710発。対するアメリカの総保有数は約5,042発で、うち現役配備は約1,770発と拮抗してます。このうち大陸間弾道ミサイル(ICBM)など「戦略核」ではなく、短距離・局地戦用の戦術核兵器ではアメリカのは約200発程度なのに対し、ロシアが保有する戦術核は推定約1,400~1,500発と大きく水をあけてます。これは核戦争=国が滅びる=地球壊滅と云うスタンスのアメリカと、局地的な紛争でも積極的に核兵器を使うと云うロシアとのスタンスの違いです。ウクライナ侵攻当初こそ自国内のみで戦ってたウクライナ軍。これは、プーチンの脅しがあったからですね。ヘタにロシア領内に侵攻したら、核兵器で対抗してくるかも知れん。ところが、最近はロシア領内も領内、首都モスクワにもドローン攻撃やミサイル攻撃仕掛けてて、精油施設が破壊されたものだから、資源大国のロシアがガソリン不足に見舞われて、いままで原油を売ってた先のインドから逆輸入しなければならないハメに。インドにしたら経済制裁で売り先困ってたロシアから原油を安く買い叩いて、それで今度は言い値で売れる。こんなボロイ話しはない。インドにしたら、売った原油の穴埋めは中東から輸入すれば済むことですから。あれほどプーチンが強気の発言してるのに、ウクライナは核の脅しに動じていない。これは、ウクライナはプーチンが実際には核を使うことはないだろうとの読みか?実際、自分の足元モスクワに攻撃かけられてるのにプーチンは核のボタン押さないですね。まだ通常兵器だけで充分と思ってるのか? それとも押せないのか?答えは「押せない」んです。ロシア軍がアクライナに侵攻した当初のニュースを見れば分かりますが、第2次大戦当時そのままに、大群の兵士と戦車など戦闘車両が群れをなして襲いかかってきました。ところが5年目に突入した今は戦術が大きく変わって、戦闘の主力はドローンを使った攻撃に様変わり。これが先だってのロシア精油施設攻撃にも繋がってるのですね。こうしたドローンの攻防になると、兵士は空からの偵察ドローンを避けるために、極めて少人数に「分散」して戦います。戦略国際問題研究所(CSIS)が昨年発表した現地調査によると、ウクライナ軍歩兵は2~4名の極小チーム単位で行動し、塹壕線に広く散らばって戦ってるとか。司令部ですら地下深くに作られた小さな拠点に分散してるのです。つまり1発の戦術核で戦局を決定づけられるような大規模な「兵力の集中地点」が存在しないのですね。これでは国際世論とさらに厳しい経済制裁を無視して核を使うイミが無いワケです。前線のウクライナ軍を壊滅させようとするなら、数十発~数百発の戦術核を発射する必要がありますが、そんなことをすれば放射能汚染で自軍も進めなくなります。いまや戦争形態そのものが大きく様変わりしようとしてる。海上自衛隊の護衛艦でも「V-BAT」と云うアメリカ製の垂直離着陸式の偵察ドローンを運用しています。航続時間10時間のV-BATにより、これまで人が操作するヘリによる海上・地上部隊の警戒監視任務が無人でできる時代になったのです。このV-BATはウクライナの実戦で証明された無人偵察機で、つまりウクライナの戦場は最新兵器の実験場と化してるのですね。それでは前線ではなく、キーウなど主要都市に核を使ったら?都市を破壊することによって、ゼレンスキー政権そのものを破壊する。昨年、プーチンがトランプと停戦についてアラスカで会談したとき、ウクライナの土地割譲についてトランプが提案しても、プーチンは一瞥もしませんでした。プーチンにとってウクライナ全土が放射能汚染されても、それによってNATO侵攻の障壁をウクライナがつとめてくれる。プーチンの興味は土地ではなく、ウクライナ全土をプーチンの傀儡政権に変えることなんですから。ところが、ここにどうしようもない問題があります。「風向きの問題」です。もしプーチンが核のボタンを押してウクライナが壊滅状態になった場合、被害はウクライナ1国だけではとどまりません。ロシアが実行支配してるドンバス地域やクリミア半島、あるいはロシア本土、同盟国のベラルーシーに流れていく可能性があります。つまり自国の兵員や国民が、自国の核によって被爆する確率が高いのです。さらに、もしロシアが核兵器を使えば、世界中でパニックが起き。金融市場も物流網も大混乱をきたします。そうしたときに、ロシアを支え続けてきた中国やインドなどに対しても、西側諸国は経済封鎖をする可能性が高くなります。かれらにとってロシア1国を支えるために、世界中から総スカンをくらうことを選ぶでしょうか?利にたけた習近平とモディのふたりが...ロシア経済を支えてきたこれらの国のエネルギー資源購買が停止される可能性が大になります。つまり核兵器=ロシア経済の破滅に繋がるのです。アメリカ政府やNATOは、ロシアが核兵器を使用した場合、ロシアに対して「破滅的な結末」をもたらすと繰り返し警告してます。もしロシアがウクライナで核を使えば、核 対 核ではなく、圧倒的な通常兵器で報復する可能性が高いのです。長引く消耗戦で疲弊したロシア軍を膨大な西側諸国の連合軍によって壊滅させる作戦です。それによって西側の同盟国がロシア本土になだれ込んだ場合、ロシアそのものを地方ごとに分割する可能性も見えてきます。もし、そんなことが起これば、それはすなわちプーチンにとっての「完全な敗北」となり、敗北を招いた指導者を今までプーチンを支えてきたロシアの政治家が許すでしょうか?核を使えばプーチン自身の「命が危ない」。それは政治生命の終了とともに命を危険にさらす行為です。暗殺やクーデター、民衆蜂起によって、プーチンそのものが消されてしまう可能性が大きいのですね。つまりプーチンの核使用発言は「コストの安い交渉ツール」でしかないのですね。プーチンは非常に計算高い人物なので、万が一にもやぶれかぶれで核を使うなんてことは起こらないと思いますが、こればっかしは予想できません。
Jul 11, 2026
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絶え間なく続くことを表すのに「のべつ幕なし」と云いますね。この「のべつ幕なし」と云うようになったのは明治になってからです。ぢゃあ江戸時代は何と云ってたかと調べてみたら、単に「のべつ」だけだったらしい。「のべつ」は漢字で書くと「延べつ」で、これが「絶え間ない」と云うイミなんですね。ところが時代が下がるにつれて本来のイミが希薄になり、改めて似たようなイミの「幕なし」をくっつけたと云う次第。よく「面子をつぶされた」とか云いますが、これも明治以降に使われだした言葉です。面子=世間体とか対面つまりプライドに関する言葉ですが、これは中国の旧唐書(10世紀)などで「面子(ミェンズ)」として既に使われてたのが、日本語としては明治以降に輸入され定着したのですね。しかし江戸時代にも「面子」と云う言葉自体は存在してました。江戸時代の面子=「めんこ」で、つまり子供が遊ぶメンコのこと。この遊びは8代将軍 吉宗の時代に始まりました。ただ、江戸時代は紙が極めて高価だったので、泥粘土を素焼きにしたものがメンコでした。これとは別に麻雀用語にも「面子」がありますね。麻雀用語の「面子(メンツ)」は、麻雀であがるための「牌の組み合わせ」を面子と呼ぶことから、揃えるべき仲間とかメンバーと云う意味に転じました。麻雀は清朝末期の1860年代に中国で生まれたテーブルゲームで、明治の終わりころに中国の四川省で英語教師として赴任していた名川彦作や、夏目漱石などの文人によって持ち込まれたものです。麻雀では正面の打ち手のことを「対面」と呼びますね。麻雀用語ですから、これを時代劇で使うのは間違ってます。時代劇だったら「正面」とか「向かい」と云わなければならないワケです。剣道の「対面」は、稽古や試合において相手と「一足一刀の間合い」で向き合う状態や、互いに面を打ち合う技を指します。「一足一刀の間合い」ってのは一歩踏み込めば相手を打てる、引けば相手の打ちを外せる距離のことです。私は大学一年のとき、剣道部の主催で部員に勝てば日本酒一升くれると云うので参加しました。こっちは刀と同んなじだから、どこでも、ちょっとでも触れたら勝ちと思ってたけど、打ち込む場所が決まってるのですね。アッという間に負けてしまいました。「月命日」って云いますよね。亡くなった日と同じ日にちが毎月巡ってくる日を指す言葉。これとは別に、亡くなった「月」と「日」が一致するのは「祥月命日」。祥月命日は中国の儒教の考え方に由来します。なので月命日は年に11回訪れ、祥月命日以外の日にちにあたるワケですが、江戸時代は月命日は単に「命日」と呼んでました。ところが時代が下がるに連れ、祥月命日を略して「命日」と呼ぶようになったものだから、毎月の命日を呼ぶ「月命日」と云う言葉が近年になって生まれたと云う次第です。
Jul 10, 2026
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大阪にはふたつの繁華街があります。梅田(大阪駅)界隈と道頓堀界隈です。大阪人は梅田界隈を「キタ」と呼び、道頓堀界隈を「ミナミ」と呼びます。キタ=「北」、ミナミ=「南」で地図上の位置を示してるのですが、なぜか大阪人はこの北、南をカタカナで表現します。他府県から来られて、キタとミナミ両方とも歩かれたら分かると思いますが、このふたつの地域、同じ大阪なのにどこか違うんですよね。ハッキリ云うと、キタとミナミは対局にあります。キタは梅田周辺から天満、堂島、中之島あたりです。ミナミはナンバ(難波)から千日前、道頓堀、心斎橋くらいまでの範囲。これもハッキリした境界線は無いのですが、だいたいキタは北区の南半分、ミナミは中央区の南半分くらいになります。だいたいマスコミはみんなキタに集まってます。朝日、毎日、読売、産経と各新聞社が、そして朝日放送、毎日放送とTV両局もキタにあり、ラジオ局や広告代理店もほとんどキタにあります。さらに大会社のサラリーマンもキタに集まってます。大阪証券取引所もキタです。大会社に務める人たちには大阪出身でない人も多く、標準語もキタでは多く聴かれます。対してミナミには中小企業が多く、まぁミナミで大阪弁以外を聞くのは他県からの観光客か訪日外国人くらい。しかもミナミを根城にする人はキタの柔らかい摂津弁と違い、大阪でも言葉の荒い河内と和泉の人が多いから、言葉に飾り気がなく、かなり荒く聞こえます。「~やんけ」とか「ワレ」とか「なにさらしとんねん!」は全部河内弁です。毎年開催される堂島の天神祭の幻想的な伝統行事と、スピード感や豪快さが売り物の河内は岸和田だんじり祭を見ればよく分かりますね。キタは転勤者も抱え込む多様な人の街に対して、ミナミは土着の世界なんです。ミナミの人間は買い物なんかでキタにも行きます。しかしキタの人間がミナミで遊ぶことは少ないでしょう。ミナミは盛り場としての歴史が非常に古いです。運河である道頓堀川は大阪夏の陣の終わった元和元年(1615年)に出来上がりました。この両岸が開かれて新地になったのですね。寛永3年(1626年)、南岸に芝居小屋が公認され、その芝居裏に色街ができあがりました。これが難波新地です。難波新地の南の千日前が焼き場、刑場、墓地でここが当時の大阪の南限になります。道頓堀川の北岸が島之内で、その六軒町に女郎屋が六軒ありました。この辺りが東心斎橋です。当初の南(ミナミ)はこの島之内の遊里のことでした。それから次第に宗右衛門町が中心になってくるのですね。そんなワケでミナミには老舗のお店が格段に多いです。それに比べてキタが本格的に繁華街になったのは太平洋戦争後です。近世の中之島一帯には各藩の蔵屋敷が建ち並んでいました。藩の留守居役を北船場の商人たちが接待したのが堂島や曽根崎の遊里です。これが後に北新地のような高級クラブの並ぶミナミとは隔絶した繁華街に発展するのですね。北新地の高級クラブ、ほとんどは一見さんお断りです。ミナミの宗右衛門町なんか夜歩いたら、呼び込みのオニイチャンだらけで辟易しますが、北新地でそんな風景はほとんど見かけません。タクシーの運ちゃんに聞いても、夜の宗右衛門町はうざくて行きたくないと云ってます。しかし北新地も最近は高級クラブが数多く撤退して、普通のバーが多くなりました。不景気で社用族がめっきり減ったからです。大阪は全国有数の風俗営業が盛んな街でした。大正時代~昭和初期(1930年頃)発行の「全国遊廓案内」によると、公認されていた遊廓の数は大阪が約20ヶ所で約800軒、東京が約10ヶ所で約650軒でした。娼妓の人数は大阪が約7,000人で、全国最大、東京を上回っていました。ホンマに大阪のオッサンはどないなってんのやろ?(笑)大阪の通天閣の先、西成区「飛田新地」には今でも日本最大の遊郭が残っており、1958年の売春防止法施行により遊郭がすべて廃止された後も、「特飲街(ちょくいんがい)」 と云う料亭の営業形態をとって、現在も昭和初期の遊郭建築が約150軒以上軒を連ねてます。一度、飛田新地の写真を撮ろうと歩いてたら、一軒の遊郭からオバチャン出てきて「そんなんしてたら地回り(ヤクザ)にカメラ取り上げられるで」と云われ、あわてて隠したことあります。
Jul 9, 2026
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江戸時代のサムライは「武士は食わねど高楊枝」、どれほど貧しくお腹が空いていても決してそれを表に出さず、満腹を装って悠然と楊枝を使ってたとか。やせ我慢してでも武士の誇りや気高さを保とうとしてたのですね。ところが江戸時代以前の戦国時代は「腹が減っては戦はできない」と云ってたのですから、180度違う展開。これって...戦国時代の「腹が減っては戦はできない」の方が極めて現実的で自然な気持ち現してるのに、なんでこれが「武士は食わねど...」になったのか?これには敵を倒すのが仕事の武士を骨抜きにする、徳川幕府の精神的教育と云うかプロパガンダが見え隠れするなぁ。幕府にとって自分たちの政権を永遠のものにするには、幕府成立まで狛犬のように働いてきた武士が謀反をおこさないようにするのがイチバン。と、なると武士に腹いっぱい食べさせなきゃいいワケで、だけど食べさせないとこれまた謀反の元凶に。そこで、習近平みたいに政府がプロパガンダ打ちまくって、徐々に武士を骨抜きにしてしまう。つまり空腹と云う身体的な現象は、心がコントロールできると思い込ませていたのでは?そもそも切腹って行為そのものが精神性だけの代物ですね。腹を切ったら痛いに決まってる。それを死につつある自分を冷静に見据えながら、逍遥として死んでいくのですから。もっとも赤穂浪士の時代になると、切腹の作法さえ知らない浪士が幾人もいたとか。「士農工商」で階級そのものは武士がトップに立ってるけど、ホントにそうだったのかしら?中国の歴史書「十八史略」には「書は姓名を記せば足りる。剣は一人の敵のみ」と記されてますつまり剣はいくら強くても、ひとりずつしか相手にできない。ぢゃあどうするかと云うと政治家になることです。一対一でやってもラチがあかないから、大勢の人間をいっぺんに統制すると云う考え方です。つまり「士農工商」の上に将軍さまがいて、刀を使わずしてコントロールするには精神性だけを唱えれば済むことです。鎌倉時代から戦国時代は、弓や馬の上手な人が尊ばれてました。鎮西八郎為朝や宮本武蔵が典型ですね。それが江戸時代のすこし前くらいから、個々の武術が上手いのはたいして尊敬に値するとは限らなくなってくる。むしろがむしゃらでただ強いのは「イノシシ武者」なんてね。それが嵩じて、武士は先ず身を修めなくてはダメだ。つまり教養が大事と、これは徳川存続のために打った、柳生宗矩ら徳川家剣術指南の手だったのですね。柳生家は剣術指南ぢゃなくて兵法指南の色合いが強い。とにかく武士に教養をつけ、精神を磨かせる。しかも強制しないで、憧れさせて自然にそう云う風にもっていく。それが「武士道精神」と云う名のもとに。この自己規制の心が今でも電車内で騒がないとか、ゴミをポイ捨てしないとか、列に割り込まないと云った日本人特有の行動様式に繋がってるように思えます。1980~90年代には「恥の文化」と云う背景から生活保護を申請せず、餓死に至る痛ましい「札幌母親餓死事件」や「北九州市餓死事件」がありました。もっとも日本には「旅の恥はかきすて」って言葉もあるけど。
Jul 8, 2026
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訪日観光客で圧倒的なシェアを持つ韓国や台湾などの東アジア圏の観光客は全体の約6~7割を占めますが、例の高市発言が契機となった中国政府による日本への渡航自粛や航空便の減少により、訪日中国人数は約64%も減少しています。ところがその穴埋めを欧米人やオーストラリア人がしてくれていて、全体の約20~25%を占めるとともに、アジア圏が「近隣で短期滞在」であるのに対し、欧米豪の観光客は「長期滞在・富裕層」の傾向が強いので、インバウンド全体の消費額の約3割以上を占めています。特にオーストラリア、ドイツ、イギリスなどからの旅行者は、ひとり当たりの旅行支出が39万円近くと非常に高いのが特徴です。一口に欧米人と云っても、とりわけアメリカ人は全体の約6%強の約270万人、単月では月間30万人を超える月も珍しくなく、欧米の中で最大市場になってます。オーストラリアやイギリス、カナダ、フランス、ドイツなどは全体の約15~19%で約600万~700万人規模を構成しています。こうした欧米豪からの観光客は、地方への訪問意向が非常に高く、東京・大阪・京都の三大都市圏以外での宿泊割合や周遊率の高いのが特徴ですね。さて、ひと口に欧米人と云うけれど、国数はかなりのものです。これらの人たち、どこから来たか見分けられますか?だいたい喋ってる言葉で英語圏かその他の国かは判別できますね。英語圏と云ってもアメリカやイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドと云った欧米諸国もあれば、 シンガポールやフィリピン、インドなどから南アフリカ、ナイジェリア、ジャマイカ、バハマなども英語圏です。フィリピン人の英語はアメリカ英語をベースにしていて、一音一音ハッキリと発音します。Fifty(フィフティ=50)を「ピプティ」と「F」や「V」の音を「P」や「B」で代用したり、「TH」を「T」や「D」と発音することがあります。インド人の喋る英語は、独特の巻き舌で「ル」や「ラ」と強くハッキリ発音したり、単語の最後に「~ィ」や「~ゥ」のような音を付け足す癖があるので分かりやすいですね。さらに厄介なのは「欧米人」=「白人」とは限らないことですね。アメリカは雑多な人種のるつぼですから理解できるとしても、欧州だって黒人もいれば黄色人種もいる。それに加えて混血が多いから、一見白人だと思ったら黒人との混血だったり、なかなか外見で見分けがつかない。下の画像はディズニー映画「モアナと伝説の海」の主人公モアナの声優アウリイ・クラヴァーリョですが、彼女はハワイ先住民であり、プエルトリコ系、ポルトガル系、中国系、アイルランド系の血を引くまったくもってややこしい人種なんですね。同じ英語を喋っていても、それが母国語か母国語は別だけど海外に出たから英語なのかは聞いていて分かりますね。しかし英語が母国語の国民でも国によって違うのはアメリカ英語とイギリス英語が違うようによく聞いてると見分けがつきます。アメリカ英語とイギリス英語の主な違いは、発音、単語、スペル、そして文法にあります。先ず発音では、アメリカ英語は「R」の音を強く巻き舌のように発音し、単語の中の「T」を「ラ行」のように発音することが多いです。いい例が「水」を指す「water(ウォーター)」 を「ワーラー」と発音します。対するイギリス英語は、「T」の音をはっきりと発音し、「R」の音は控えめです。また、全体的に母音が上品で、口をあまり大きく開けずに発音する傾向があります。単語で例えると「エレベーター」をアメリカ英語では「elevator」、イギリス英語は「lift」。「地下鉄」、アメリカ英語では「subway」、イギリス英語は「underground」。「ポテトチップス」、アメリカ英語では「potato chips」とそのままですが、イギリス英語は「crisps」。綴りも「旅行する」の「トラベリング」、アメリカ英語では「traveling」、イギリス英語は「travelling」と微妙に違いますね。ところが、もっと厄介なことが有るんです。ひと口にイギリスと云っても、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドと云う4つの「カントリー(国)」が連合して国を形成しています。これらの人々、外見だけで見分けることは困難ですが、言語やアイデンティティが全く違うのですね。先ほど述べたイギリス英語はイングランド人の英語ですが、これがスコットランド人(スコティッシュ)になると巻き舌(ローリング)が特徴的な力強いアクセントで話します。さらにウェールズ人(ウェルシュ)は、同じ英語でも歌うような独特の抑揚(イントネーション)がありますし、独自のウェールズ語も話します。さらにさらに北アイルランド人(アイリッシュ)は、アイルランド英語特有のメロディックなアクセントがあり独特の云い回しを使います。同じようにアメリカ人も、州によって喋る言葉が違います。そもそもアメリカ人は「出身は?」と聞かれると国名でなく州名で答えることが一般的な国です。カリフォルニア、ワシントンなど西海岸の人、特にカリフォルニア出身者は「Hecka(めっちゃ)」などの西海岸特有のスラングを使ったりします。ニューヨーク、マサチューセッツなど東海岸の人は、「R」の音をあまり発音しないなど発音がイギリス英語に近い特徴があります。テキサス、ジョージアなど南部の人は、ドローと呼ばれるゆっくりとした引きずるような発音、いわゆる「南部なまり」があり、初対面でも「Y'all(みんな)」などの代名詞をよく使います。イリノイ、オハイオなど中西部の人は、訛りが最も少なく聞き取りやすい英語を話す人が多いです。これにオーストラリア英語やカナダ英語も加わり、しかもカナダみたいに英語圏があるかと思えば、モントリオールやケベックなんかはフランス語が公用語なんですから、もうお手上げですね。言葉だけでなく、アメリカ西海岸の人々は全体的にフレンドリーで、Tシャツやパーカー、サンダルなど非常にカジュアルな服装を好みます。対する東海岸の人々は合理的、自己主張がはっきりしていて、初対面では少し冷たく見えることもあります。服装は洗練されたスタイルやダークトーンを好み、機能性を重視します。全体的に訪日するアメリカ人の多くはパーカーやヨガウェア、ベースボールキャップ、そして白のスニーカーを履いていることが多いです。また、リュックサックを愛用する傾向があります。対して、欧州の人は、ファッション性やシルエットを重視して、体にフィットしたシャツやジャケット、レザーシューズを好み、白のスニーカーはスポーツする時以外はあまり履きません。外出時のバッグも小さめの上品なものが多いです。よく欧米人が日本旅行に来て、東京なんかの日本人女性のファッションセンスの秀逸さに驚いたと述べてます。同じ日本人としてそう云われるのは、他人事とは云え嬉しいのですが、しかし何処見渡しても思い思いに普通の格好してるだけなのに?これには裏があるのですね。欧米では国や地域によって女性が着る服のパターンが社会通念で決まってるのです。ちょっとでも他の人と違う服装すると「なんて格好してるの!」と罵倒される。それのいい例がドイツ人女性です。足元から襟先まで「黒」でまとめてたら、かなりの確率でドイツ人と分かります。なので日本人女性の自由な服装選びを見て驚くのですね。フランス人は、派手な柄や刺繍よりも、モノトーンや落ち着いた色合いの無地の服を自然に着こなし、会話中によく両肩をピクッとすくめます。これは「仕方ない」「分からない」といった感情を表す代表的な仕草です。驚いた時や呆れた時に、唇を尖らせて「フゥー」と息を吐く特徴的な表情もします。うがいをするような「R」の喉を鳴らす音や、鼻から抜ける母音が多いのが聞き分けのポイントです。ポーランド人は、瞳の色はブルーやグレー系が最も多く、髪の色は黒に近いダークブラウンからブロンドまでさまざまです。他の西欧人に比べてやや面長で、頬骨がしっかりしている人が多い傾向にありますし、ヨーロッパ系の中では比較的小顔で、頭の形がきれいな人が多いですね。イタリア人を見分けるには、「身振り手振りの大きさ」や「会話中の表情の豊かさ」に注目するのが一番の近道です。特に指先をすぼめて振る「ケ・コザ(何てことだ)」のポーズや、頬を人差し指でくるくる回す仕草はお決まりです。まぁ、会話中に手や顔を大きく動かし、ジェスチャーの多さではダントツですね。スペイン人は、同じヨーロッパ系でもイギリスやドイツなどの北欧・中欧系とは異なる特有の性質を持っています濃いブラウンや黒の髪に、深い褐色の瞳を持つ人が多いですね。そして少し小麦色に近いオリーブスキンの健康的な肌で、日焼けを好む傾向があります。南欧系特有の濃い顔立ちで、身長は平均的~やや小柄です。彼らは会話中の距離が非常に近く、相手の肩や腕に触れながら話すことを好み、手振りが大きく、声のトーンも高めで非常に表情豊かです。とくに日本人と比べてかなり声量が大きく、レストランなどでも賑やかになることが多いです。まぁ、日本人以外は中国人ほどで無いにしても、全体的に声のボリュームは大きめですけどね。スペイン人とイギリス系の違いと云うのは、スペイン人はイギリス系を1km 先からでも見分けられると云います。だいたいは服と、立ち振る舞いなど全体の雰囲気で。ジーンズひとつとっても、いかにもアイルランドっぽい着方っていうのがあって、スペインに行くと人の服装の違いがすぐ分かるらしい。スペインの人たちってバーに入ったらまずバーカウンターのスタッフに挨拶することが多いのですが、イギリス人は話しかけられるのを待ってることが多いそうです。こうなると話す言葉での見分け方以前の問題ですね。ポルトガル人は、スペイン人より控えめで口数が少なく礼儀正しいのが特徴です。また同じポルトガル語圏のブラジル人と比べると、発音がこもり気味でボソボソと話す傾向があります。純粋なポルトガル人は、ブラジル人のような陽気でリズミカルなイントネーションではなく、英語の歯擦音(「sh」の音)に近い、少しロシア語やドイツ語に似たこもった発音をします。そして口をあまり大きく開けず、ボソボソと話す印象を受けます。ヨーロッパ大陸の南西部に位置するため、黒髪や濃い褐色の瞳を持つ人が多いですが、ケルト人やその他のヨーロッパ諸国の血も混ざっているため明るい髪色の人も見られます。アメリカでは「月・日・年」の順で表記しますが、ヨーロッパでは「日・月・年」の順で表記しますね。アメリカ人は、スピードを重視するため、歩きながらコーヒーや食事をしたり、カフェで持ち帰り用の紙カップをそのまま使ったりします。それに対して、ヨーロッパ人はレストランでもカフェでも、テイクアウトカップではなく陶器のカップでゆっくり過ごすことを好むのは、食事は社交の場であり、時間をかけて楽しむ文化だからです。まぁ、とは云っても外見だけでどこの国の人か判別するのは日本人にとって不可能に近いですね。欧州の人たちは小さいころから、多国語を学んでるので各国入り混じってたら、どこの国の人かも分からない。そんなもんだと云う知識程度です。
Jul 7, 2026
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ハウス食品のインスタントラーメンに「好きやねん」ってのがありますね。鶏ガラだしとカツオだしのうまみをきかせた、あっさりしたしょうゆ味の浪花の中華そば。このラーメンが発売された当初、大阪の落語家、桂べかこ(現在の南光)が屋台の主人役としてダウンタウンらと共演してTV CM打ってました。この べかこのセリフ「好きやねん」がいかにも大阪らしく、他府県からは大阪弁の代表のように思われたのですね。まだ「知らんけど」が認知される前です。ところが大阪人から云わせると「好きやねん」は純粋の大阪弁では無いんです。ほんまは「好っきやねん」と、小さい「っ」を入れるんですね。何でか?これは恥じらいの言葉だから。「好きやねん」とハッキリ云うのぢゃ無くて、「好っきやねん」と恥ずかしそうにつぶやく言葉なんです。それが証拠に大阪出身のシンガーソングライター"やしきたかじん"のヒット曲「やっぱ好きやねん」の歌詞途中に出てくる「やっぱ好きやねん」をよく聞くと「やっぱ好っきやねん」と歌ってるのが分かります。と云っても「っ」はほとんど認知できないほどちっちゃく云うのですね。やしきたかじん「やっぱ好きやねん」1分30秒くらいにセリフが出てきます。「相撲」のことを大阪では「すもん」と発音します。正確には「すもン」です。「行かンならん」とか「何してんねン」も同様。男の子を丁寧に云うと「ぼン」、それが「好きやねン」でも同じで、要するに「ン」は半音なんですな。まぁ、きっすいの方言です。私見ですが、悪いイミで中国人にイチバン近い人種が大阪人だと思います。先ず声が大きい!大阪人は東京の人と比べて声大きいです。東京で山手線なんかに乗っていても、周囲は静かなのに大阪人の話し声だけ聞こえてくる。きっと東京の人は経験された方多いでしょう。まぁ、中国人みたいに怒鳴り合うような話し方ではないけれど(笑)それと電車なんか待ってるとき、電車が入ってくるまでは東京人も大阪人も同じように並んでるのですが...イザ電車が入った瞬間、大阪人は列乱して乗車しようとする人が結構多いです。だから道頓堀に中国人観光客が多いのか?「けったいな」って言葉ご存じですか?「卦体(けたい)」を強調した言葉で、易経の「卦」に表れた算木の形から来た言葉に、「っ」を入れて強調したものです。大阪人はこの「けったいな」を「いまいましい」とか「気持ち悪い」のイミでよく使います。例えば「けったいな人」はワケわからんヘンな人ってことです。もっと強調して「けったクソ悪い」なんてのも有ります。こうなると「いまいましい」が最高潮に達してるのですね。「ややこしい」も有ります。これは関西で赤ちゃんを指す言葉「嬰児(ややこ)」に「し」を付けたので否定形。これは「込み入ってる」「煩わしい」と云うイミですが大阪以外でも使うとこ有りますね。この「ややこしい」、大阪弁では「怪しい」とか「ウサン臭い」とか「いい加減な」とかの場面にも使います。もっともよく使われるのが「あのふたりはややこしい」と男女の仲を推測する場合。「あの会社はややこしい」と云うと「倒産のキケンがあるよ」ってイミです。わざと分かりにくくして、露骨にできない場面に使う言葉で、この言葉自体がややこしいですね。地方の人が東京に出ると言葉のコンプレックスに悩んで、一刻も早く標準語に直そうとしますね。それに対して、大阪人は東京に出ても大阪弁で通します。明石家さんま見ていたら分かるでしょう。大阪人が日本中どこでも大阪弁で通せるのは、TVのお笑いのおかげでしょうね。
Jul 6, 2026
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イーロン・マスクが運営するスペースXの地球低軌道に数多くの小型人工衛星を網羅的に配置し、連携させることで地球全体を隙間なくカバーする通信ネットワークシステム「スターリンク」によって地球上ほぼ全域で衛星インターネットアクセスが可能になりましたね。これで地上インフラが破壊されても、問題なくインターネットが利用できる。日本ではソフトバンク、au、ドコモ通信3社とも追加料金無しでスターリンクが利用できるようになりました。このスターリンクは1万基を超える小型衛星で構成されてて地球全体をカバーしてますが、実際にサービスが提供されるのはスペースXからサービス提供のライセンスを取得した国に限られ、約45ヶ国がライセンスを持ってます。このスターリンクのライセンスが取得できない国の筆頭がロシアです。ウクライナ戦争に関連し、スターリンクはロシア国内やロシアが占領している地域ではロシア側端末を遮断する措置を講じてます。そのためロシアの軍事的な通信が大きく阻害されているのですね。同じように中国もライセンス取得しておらず、こちらはむしろ海外からの情報阻止のため中国政府がコントロールできない通信網の利用を禁じているからです。政府の許可を得ずに利用すると、刑事罰に処せられます。スターリンクはスペースXが小型化と量産化により製造と打ち上げのコスト削減を実現した人工衛星網です。しかし、こんなに沢山の衛星を打ち上げて、地球の周りはゴミだらけになるのでは?それでスペースXは今年度中に、高度550km を周回する約4,400基の衛星を高度480km まで引き下げることを計画してます。これによって、老朽化し使えなくなった衛星の自然落下までの時間を大幅に短縮し、宇宙空間での衝突事故を減らすことを目論んでるのですね。問題はこの衛星の耐用年数です。いったいどれくらいの期間使い続けられるとお思いですか?それが...たった5年なんです。そのため第1世代から定期的に新しい衛星へ更新・廃棄が行われていて、もうこれで当分安泰は無いんですね。中には太陽の磁気嵐影響で高度が下がり、数年で運用を終えて大気圏に突入する機体もあります。約49年前に打ち上げられた「ボイジャー1号」が電力不足に悩まされながらも、今なを稼働して飛び続けてるのとは大違いです。そのためスペースXは10年におよぶ計画の総コスト、設計・製造・打ち上げなどに100億$(約1兆6,200億円)も費やしてるのです。つまり世界中でスターリンクが普及しても、常に更新のコストが重くのしかかり、いっこうに採算がとれないのですね。ここで思わぬ事態が発生しました。2022年、アメリカのスターリンクユーザーが異変に気づきます。急激に送受信速度が落ちたのです。これが加入者が急増した時期とピッタシ合ってたのです。1万基の衛星を飛ばしても速度が出ない?それはスターリンクが電波を使ってたからです。電波には帯域幅と云うものがあって、一定の帯域の中でしか通信ができません。この限られた帯域にアクセスする利用者が多すぎてオーバーフローしてしまったのです。いわば一車線しかない道路にそれまで数台の車しか走ってなかったのに、いきなり1,000台超の車が押し寄せたようなものです。衛星を増やせば増やすほど、同じ帯域に衛星がひしめくことになります。その結果は...電波は混雑するだけ。道路を広げることは物理的に不可能。車をどんだけ高性能にしても、車線の数は増えません。しかもデータの需要は止まらないどころか、ますます増えるばかり。この問題に回答を出した1企業があります。それは...日本のNECです。NECは電波ではなく、光に着目しました。光通信の帯域幅は電波の10倍~100倍に達します。しかも光は電波に比べてビームがとてつもなく細いので、点ポイントで通信拠点と結べるため、傍受や妨害が極めて困難なんです。光通信においてNECの強みは、国際通信の約99%を担う海底ケーブル市場で世界トップクラスのシェア(約20~35%)を誇ることです。いまや海底ケーブルでの通信は光ファイバを通した光通信なんですね。NECは、深海8,000m の過酷な環境下で25年以上の稼働に耐える製造から敷設、保守までを一貫して手がけ、世界的な情報インフラを支えています。NECが施設した海底ケーブルの総延長は地球11周分を超える45万km に達してるのです。光通信を衛星通信に応用するアイディアはアメリカが一歩先んじました。しかし、それをシステムに統合することができないでいます。それに対してNECは1990年代からずっと宇宙で光通信を使うことに執着して研究を続けてきました。まだ電波で充分だと世界中が考えてた時代からです。そして光ファイバの代わりに、レーザービームで衛星間をつなぐことに成功したのですね。秒速7km で飛ぶ相手にレーザーを正確に当て続ける、その執念が実り、2005年、OICETS(愛称「きらり」)が世界初の衛星間双方向光通信に成功しました。世界が電波衛星の物量戦にあけくれる最中、昨年、「きらり」だいち4号とデータ中継衛星「JDRS-1」の間で光通信が実施されます。その距離、約4万km 。結果は...世界最速記録を出しました。そして今年3月16日、NECは光通信衛星コンステレーション用ペイロードの設計完了を発表したのです。このペイロードの処理能力は、数十基や数百基ではなく、数千基規模のメッシュネットワークを構築できるものです。つまり数千基の光衛星群を統率する頭脳を最初の小さな1基に組み込んだのです。この衛星は来年度中に地球周回軌道に打ち上げられます。もちろんバックには日本政府がいます。防衛省は今年度予算に「JDRS衛星コンステレーション構築」として262億円、「次期防衛通信衛星」の整備に280億円の予算配分しました。つまり政府は光通信を通信インフラではなく、安全保障インフラと位置づけたと云うことです。
Jul 5, 2026
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日本の医療や介護現場で「ぽっと出症候群」と呼ばれる困った事案がよく話題になります。同じ症例をアメリカでは「カリフォルニアから来た娘症候群」と云い、カナダでは「オンタリオから来た娘」と呼ばれ、台湾では「天邊孝子症候群」(空の向こうの孝行息子症候群)と呼ばれてます。ここで云う「カリフォルニア」は、カリフォルニア州から来たとは限らず遠方の比喩です。なので当のカリフォルニアでは「ニューヨークから来た娘」や「シカゴから来た娘」と反対側にある東海岸の都市名で呼ばれてます。また「娘」となっていますが、性別や血縁の関係性は問うてません。どの国の医療現場も、ケアマネも施設関係者も困るのがカリフォルニアから来た娘症候群の人たち。しかし、もっとも困ってるのは介護者を毎日面倒をみている一番近いご家族です。カリフォルニアから来た娘症候群とは、これまで高齢の親と疎遠な関係の遠方の親族が、終末期医療の場面で、それまで近隣の親族や医療チームと時間をかけて築き上げてきた合意を覆し、そのケアに異議を唱えたり、患者の延命治療を強く求めたりする状況を指す言葉なんです。カリフォルニアから来た娘は、しばしば怒りっぽく、自己評価が高く、明晰と自認し、情報通を自称します。これによって、対象の高齢患者とその介護者、医療関係者との同意を否定し、安らかな終末を阻害してしまうのですね。カリフォルニアから来た娘は、普段の治療状況を何も理解しないまま、年に1、2度突然やってきて「治療法が納得できない」「介護サービスが不十分」などと主張する遠方に暮らす子どものことです。日々、介護の現場と連携を取りながら治療を続けていると、患者や家族との関係はとても良好なものになります。しかし、そんな関係をカリフォルニアから来た娘は一瞬で崩してしまうのです。日本でカリフォルニアから来た娘症候群の人は、なぜか東京に嫁いだ娘が多い傾向です。カリフォルニアから来た娘は、普段、高齢患者の生活やケアから遠ざかっていたため、患者の悪化の程度にしばしば驚き、医学的に可能なことについて非現実的な期待を持ってしまうことにあります。また不在であったことに罪悪感を感じ、再び介護者としての役割を果たそうとする心理もあるのですね。これは心理学で云う「罪悪感と否定」であり、必ずしも患者にとって最善であるとは限らないのです。なぜかカリフォルニアから来た娘は、知り合いの医療関係者からの中途半端な知識を持っています。ただ、その場合の「知り合い」とは決して近い身内ではありません。例えば「要介護者の長男のお嫁さんの叔父さん?」のように遠い関係なんです。ところが、このカリフォルニアから来た娘に対して、医療や介護の現場は何も云えないんですね。日本では、2000年に介護保険が施行されるまで、介護とは「行政処分」でした。つまり「介護で困っているから行政が何とかしましょう」というスタンスでした。しかし介護保険の導入により、毎年国民が保険料を負担することで、処分から「権利」にしたものが介護保険制度なのです。医療や介護の現場は、個々のスタッフの人間性に支えられている部分が大です。介護保険制度の中でできるだけのサービスを提供しようしているのですから、「権利の主張」はなじまないのですが、なかなか理解してもらえないのが現状です。このようにカリフォルニアから来た娘対策はなかなか難しい事案なんですね。批判や正論で反論すると、相手は防衛的になり状況がますます悪化します。罪悪感や不安を肯定的に受け止めることで、冷静な対話のテーブルへ誘導することが第一歩です。ここで家族だけで話し合うと感情論になりがちです。医師、ケアマネジャー、ソーシャルワーカーなどの専門職が同席し、客観的な医学的状況やこれまでの経過を説明する必要があります。そして本人の判断力が低下した場合、誰が代理で意思決定をするのかを家族間で公式に合意しておきます。また、本人が元気なうちから希望するケアについて話し合い、エンディングノートや意思表明書として形に残しておくことが最強の抑止力になります。うちも夫婦ともに万一のときは、延命処置はするなと云ってあります。
Jul 4, 2026
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広島にあるお好み焼き店「ロン」はいつも外国人観光客で超満員なのがYouTube でよく紹介されてますね。このお店はメッチャ愛想いい女将が人気者で、カタコト英語でもお客さんの笑顔が絶えない。おなじ広島でも「いっちゃん 本店」は、「ミシュランガイド広島」で優れたコストパフォーマンスの店に贈られるビブグルマンを複数回獲得した有名店です。どっちもキャベツ大盛りの広島風お好み焼きですね。アレアレ!お好み焼き云うたら大阪ちゃうの?まぁ、大阪のたこ焼きに対する兵庫の明石焼きと同じで、よく似た食べ物でもところ変われば品も変わる。お好み焼き、大阪人でも広島焼き大好きですよ。広島焼きのキャベツは大阪のように刻まないし、焼きそばを必ず入れるのがミソですね。お好み焼きの起源は昔も昔、千利休に発します。小麦粉(うどん粉)を溶いてナベに流し、片面に味噌を塗って焼く、そんな茶事の焼き菓子を利休が手ずから作ったのが始まりです。これが「麩の焼き」と云う名で江戸時代に商品になるのですね。あんを巻いた甘い焼き菓子で、後に「せんべい」「落雁」「どら焼き」などの菓子になっていくのです。江戸後期の文政十年(1827年)版の「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」には「杓子(しゃくし)程度では書ケぬ文字焼屋」と云う川柳が載せられてます。文字焼きってのは、駄菓子屋や屋台で、子どもたちが小麦粉を砂糖蜜で溶き、鉄板の上で薄く焼いて食べるのが流行したのですが、このとき溶いた小麦粉で杓子を使って文字を書いて遊んだのが名前の由来。この「文字(もんじ)」がなまって「もんじゃ」になったのです。屋台の文字焼き屋が太鼓をたたいて流して歩いたので、「どんどん焼き」とも呼ばれるようになりました。私は大阪人で「もんじゃ焼き」が好きだと云う人と出会ったことないし、そもそも「あんなゲロ吐き出したようなモン食べられへん」と云うのが大半。大阪のお好み焼きは水溶きした小麦粉を鉄板に流し、順次その上に具を載せ、ひっくり返してすっかり焼き上げる。対する東京は、先ず具を焼き、それでドーナツ状の堤防を作り、その中に小麦粉を流し入れる。周りの具を少しずつそれに混ぜながらいただく。ぐちゃぐちゃのままである。お好み焼きだって美的感覚とは大きく外れてるけど、もんじゃ焼きは美的感覚そのものが無いですな。明治十五年(1882年)、アメリカから小麦粉が初めて輸入されました。それまでの小麦粉が「うどん粉」と云ったのに対し、この小麦粉に英語の「アメリカン(American)」がなまった言葉「メリケン粉」と云う名前をつけたんですね。これによって小麦粉使った食文化が大きく広がります。明治から大正にかけて、桜エビや天カスなどの具を載せる食べ方が広まったのです。これを大阪では「洋食焼き」と呼びました。この洋食焼きは1枚が1銭だったので、「1銭洋食」と称しました。一方、東京では「どんどん焼き」とか「もんじゃ焼き」と名前を継承していったのですね。大阪で1銭洋食にソースを塗りだしたのは、昭和五年(1930年)ころから。ソースは外来の調味料なので、洋食焼きの名前にピッタシだったのですね。小麦粉そのものに味が無いので、粉モンはソースが決めて。国産ソースを最初に作ったのは銚子のヤマサ醤油の「ミカドソース」です。ところが思うように売れず中絶してしまうのですね。で、25年(1892年)に神戸の「日の出ソース」、27年に大阪の「三ツ矢ソース」と「錨印ソース」が本格的に発売され大ヒットしました。昭和四年(1929年)、大阪梅田に阪急百貨店が開業され、大食堂の「ソースライス」が大評判になりました。コレ、ただのライスにソースをかけて食べる、ただそれだけのメニューだったのですね。洋食焼きと云う子どものオヤツがお好み焼きに変貌したワケです。お好み焼きを扱ったのは、先ず大阪ミナミの甘党屋です。洋食焼きを上品(?)でオシャレにしたのですね。好きなものを載せて自分で焼くので、若い女性ファンがたちまち増加したのです。これが招じて専門のお店を構えるようになっていくのですが、洋食焼きみたいに屋台や駄菓子屋ではなく、盛り場の横町に多くできていったのですね。大阪の宗右衛門町や曽根崎新地など花街近くのお店は、旦那衆と芸子が座敷の後の逢引に使ってました。そのため、お好み焼き屋はお店の座敷につい立てや仕切りをしたり、小間に暖簾をかけ、個室もできました。そもそも「お好み焼き」の「好き」と云う字に色気がある。男女の密会にうってつけなんですな。これは飲食店ではなく、風俗営業だと警察がうるさく取り締まり対象にしたそうです。昭和21年(1946年)、大阪でも下町中の下町 玉出にある自宅の玄関先で西野栄吉がお好み焼き屋を開業しました。このお店のお好み焼きは、ぼってりと厚みがあり、具の豚肉が焼けるときに"ぢゅう"と音をたてることから屋号は「ぼてぢゅう」に。この「ぼてぢゅう」が成功して、ミナミの宗右衛門町にお店を出すまでになりました。このとき、それまでのお好み焼き屋の小間をやめて、広いカウンターにしたのですね。お好み焼きが密室からオープンに変わった瞬間です。これによって家族連れも含め、普通の人々が多く食べに行くきっかけになったのです。お好み焼きにマヨネーズをかけたのも「ぼてぢゅう」が最初です。大阪人は「いらち」なので、焼けるのをじっくり待てない。早くひっくり返してしくじります。早く焼けるようにと、コテでしきりに押さえる。それでせっかくの具の肉汁が出てしまう。こりゃあ見てられないと、客に焼かさないようにして、一切を店主が焼くようにした最初は大阪、天満の「菊水」です。昭和31年(1956年)のこと。これが名物になって今でもお客はいっさい触れないのですが、私がいったとき「ちょっとどんな具合?」と触ろうとしたら、「触るな!」と店主に叱られて、えらい客を客と思ってない店やなぁと思った記憶があります。天満の菊水はお好み焼き超有名店でしたが店主が亡くなって閉店してしまいました
Jul 3, 2026
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映画の時代劇でよく登場する大名の「参勤交代」。参勤交代の「参勤」は正しくは「参覲」と書きますが、これは将軍に拝謁すると云うイミです。「自分は将軍家の臣下でございます」と云う意思表示をおこなうことが参勤なんですね。で、江戸に参勤してくる大名と入れ替わりに領地に帰国することが「交代」。なので「参勤交代で江戸に行く」ってのは交代≠帰国になって明らかな間違いなんです。参勤交代の大名が道中で泊まる宿が「本陣」ですね。全国に多数の本陣が存在しましたが、現在も建物が残っている代表的な宿場は、現存する最大級の本陣として知られてる滋賀県草津市の「草津宿本陣」や中山道随一と評される見事な建物で有名な長野県下諏訪町の「下諏訪宿 本陣岩波家」などいくつもあります。映画なんかで誤解されてますが、本陣は大名に宿泊場所を提供するだけ、つまり素泊まり高級旅館なんですね。飲食は持参と云うこと。それで参勤交代する大名は調理器具や食材、料理人、さらには入浴用の風呂桶など一切合切を運ばなければならなかったのです。それどころか「本陣」はそもそも役職のことなんです。まわりくどい云いかたをすると、宿舎は「本陣の館」と云うことになります。本陣は身分的には町人ですが、実は戦国時代は武士だった人たちです。豊臣家や徳川家が天下統一する過程で、どんどん有力大名が滅ぼされていきましたが、そう云う大名家に仕えてた家臣団まで根こそぎ滅ぼされたワケではありません。そんな根絶やしにするような扱いすれば、ひどい叛乱がおきて天下統一なんてできっこありません。有力大名を攻め滅ぼすとき、トップは根絶やしにしますが、その下の「幹部家臣」は、名主、庄屋、本陣などと云う名前と身分を与えて、今までの収入がほぼ維持できるように懐柔策をとってたのですね。今で云えば敵対的企業買収「M&A」でライバル会社は乗っ取っても、社員全員総取っ替えするワケいかないので、代表権をもたない幹部社員はそのまま継続して社員として遇するのと同じことです。したがって名主、庄屋、本陣は身分的には百姓町人でありながら、本人の意識は武士のまんまだったのですね。「苗字帯刀の百姓町人」と云う存在は、徳川家の「戦国期の混乱状態をできるだけ波風を立てずに円満に治める」と云う考え方からきた折衷妥協の産物なんですね。
Jul 2, 2026
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知能や性格、行動など「わたし」を形作る要因には「遺伝」と「環境」があります。遺伝率は双生児の研究などによって推計可能で、それによって説明できない部分が「環境」なんですな。例えばある植物を完全に同一の環境で育てることができれば、背丈の差は遺伝のみによって決まり遺伝率100%となりますが、それとは異なる栄養状態の土壌で育てれば背丈は変わってきます。人の身長の遺伝率はかなり高いですが、20世紀以降、いくつもの国で平均身長が急激に伸びています。これは栄養状態が改善したこと、つまり環境が変化したことによるものです。兄弟姉妹にも、似ているところと似てないところが有りますね。これは環境のなかにおけるお互いを近づけるものと、遠ざけるものがあるからです。一緒に育った双子や兄弟姉妹は、同じ家に住み、同じ親の教育を受け、似た食生活を送ります。一般には子育ての部分ですね。これらは「共有環境」に該当します。同じ家庭にいても、個別の友人関係、部活動の違い、学校での先生との相性などは「非共有環境」です。同じ家庭で育った一卵性双生児でも、見分けがつかないくらいそっくりになることは有りません。どんな子供でもすべての環境を共有するワケが無いからです。双生児の研究によれば、性格の遺伝率は30~50%で、「氏が半分、育ちが半分」と云う諺が正しいことを示してます。一卵性双生児は遺伝子が同じで、同じ環境で育てられた=遺伝と環境を共有してる=非共有環境だけが違うのですから、とてもよく似ているのです。日本で人種問題は存在しませんが(実際には在日系の問題がありますが)、アメリカではこの人種問題が子供の成長に大きく関与します。白人と黒人の生徒が混在する学校に通う黒人の子供は、「勉強するようなヤツは仲間ぢゃない」と云う強い同調圧力をかけ続けられてます。仲間はずれにされたくなければ、意図的に良い点数を取らず、ギャングの振る舞い方を身に着けなければなりません。同様に男女共学の学校に通う女子生徒は、「数学や物理ができる女は可愛いくない」と云う無言の圧力を加えられてる。要するに「バカで可愛い女」でなければ友達グループに加えてもらえないなら、彼女たちはさっさと数学の勉強を止めてしまうでしょう。こう考えると親のイチバンの役割は、子供のもってる才能の芽を摘まないような環境を与えることに尽きます。しかし有名校に子供を入れたとしても、そこでどのような友達関係を結び、どのような役割を演じるかに親は介入できないですね。子供は無意識のうちに、自分の遺伝的な特性を最大限に活かして目立とうとするでしょうが、それは多くの場合、偶然に左右されるものです。もちろん、これは「子育ては無意味」と云うことではなくて、人生とは、もともとそう云うものなんですよね。子育ての大切さが強調されるようになったのは、核家族化が進み、教育が将来の成功を左右するようになった近代以降です。それ以前の子供たちは大家族で育ち、親は教育のことなどあまり気にかけてなかった。子供は男女に分かれて年齢の近いグループをつくり、年上の子供が年下の子供の面倒を見ることで親の肩代わりをする。思春期を迎えるまで、この「友達の世界」が子供にとってすべてなんですな。人は社会的な生き物で、群れから排除されると生きてく術がない。古今東西、どんな社会でも「村八分」は死罪や流刑に次ぐ重罰でした。これは子供も同じで「友達の世界」から追放されることを極端に恐れます。勉強だけでなく、遊びやファッションなんかでも、子供集団のルールが家庭でのしつけと衝突した場合、子供が親の云うとこを聞くことは絶対ありません。それは親を経験しなくても、自分を振り返ったらよく分かることですね。私ごとですが、きのうヨメが息が苦しいと云うので通ってる国立病院に連れていきました。ヨメは昔、肺気腫を患って片肺除去手術をしているので、残ったもうひとつの肺だけで生活してます。この肺にときどき水が溜まるのですね。そうすると、片方しかない肺なのに、それの酸素取り込み量が極端に減ってゼイゼイハアハア。それで今まで2回入院してます。今回は...処方されてた薬のうち、調子が良さそうだからとお医者さまが1種類を減らしたらこの始末。結局、入院になりました。お医者さま自身が判断を誤ったと云ってます。とりあえず水を注射器で抜いて、今は酸素吸って安静。てなことで、しばらく病院通いが続くため、タイムリーにご訪問できないかと思いますがご容赦ください。
Jul 1, 2026
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