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明日から11月。秋の国東滞在記はここらで閉じ、HP内に記録を移すことにした。その前に「STAGE」ブログに記載した2日分を「楽天」に転記する。★国東半島秋 4 勲章の始末 [2007年10月28日(日)少年時代の文章や通知簿を眺めていると、あっというまに時間が経つ。「いじめ」からかばってくれた先生、学芸会で「青い鳥」のミチル役をしてくれたかわいこちゃんは、今、どうしているだろうかななど・・・。これらはぼく自身のことだから、記憶力を奮起させ頭を活性化させハートを燃やす効果がある。さて、お地蔵さんの引き出しに無造作に入っていたオヤジの勲章を見つけたときは驚いた。勲六等旭日章や勲四等瑞宝章などである。「勲章Wikipedia」を読むと、勲章の由来や種類、価値があるていどわかる。しかし、オヤジもお袋も、その勲章について話をしたことがなかった。「ねうちもんとちゃいますか」「ヤフーのオークションで高く売らはったら」という人がいたが、さあ、どうしょう。僕が持っていても、箔がつくわけはない。とりあえず、次の機会まで、お地蔵さん、守っていてくださいね、とお願いして引き出しを閉めた。国東半島秋 5 またくるね [2007年10月30日(火) ]週末は天気が悪いようである。急がなくてはと思うけれど作業にノルマがないから適当に休む。ノルマがないのがいい。トンボを観察していると、別府のかんちゃんから「あす、日本一の吊り橋へつれて行くぞ」の声。ありがたい。翌朝、分家のHさんの車に便乗、日豊線の杵築駅へ。Hさんは駅の近くに車をあずけ、大分市内へ出勤である。あと数年で長距離通勤を卒業したいと言っていた。杵築駅は昭和41年春に廃線になった国東線の終点であった。国東から一時間以上かかった。左へ行けば別府へ、右に行けば門司へ、そして京都へ。いかんいかん。また脱線である。先へ行こう。別府駅でペロくんのぺろぺろに歓迎され、由布院へ。途中、由布岳で山岳遭難者救助訓練を見学、中谷健太郎さんの亀の井別荘と金鱗湖をひとまわり。チカちゃんに歌ってもらった「夢鹿」でコーヒーをいただき、去年10月に開通した九重町の「九重“夢”大吊橋」へ行った。吊り橋は長さ390m、高さ173m、人専用としては日本一の規模らしい。すでに200万人が橋を渡ったという。ぼくは行って戻るだけの橋には用がないので遠くから眺めるだけにしたが、どうかブームにおわらないように…。奈良にお住まいの手描き友禅染ときり絵の名手ババドルさんのおかげで、ブログをつづってきたが、あさっては11月。もたもしているうちに2007年秋の国東日記は来年に突入しそうなので、明日でおしまいにすることにしよう。ペロくんとかんちゃんありがとう。ひでさん、ババドルさんありがとう。10/30記
2007.10.31

26日午後、吹田市のメイシアターで、関西民放クラブ・混声合唱団「コールまかーな」の15周年記念コンサート。入部のお誘いを受けて数年、二住生活を理由にお断りしつづけただけに足が重かったが、節目のコンサートです。やはり聴かなくては。「まかーな」は関西の民放各局で働いていた人たちの合唱団で、「まかーな」をひっくり返すと「なかま」になる。1992年に男声5人で産声あげた「まかーな」は、ただいま37人。平均年齢72.6歳の盛青合唱団です、と司会の高田日出子さんと高梨欣也さんの軽妙なやりとりからはじまった。第1部は「コーラスで綴る私たちの時代」から。「雪の降る町を」「高原列車」「ブルーシャトー」「瀬戸の花嫁」「川の流れのように」の合間に「民放の歴史」をゲストが語る構成だった。大阪初の民放ラジオ・新日本放送の第一声を発した坂本登志子さん(元MBS)。昭和38年11月22日、ケネディ大統領暗殺というショッキングなニュースを伝えた前田治郎さん(元MBS)らが登場した。第2部は「フォークソング集」。曲は「バラが咲いた」「白いブランコ」「神田川」「結婚しようよ」「秋桜」「てんとう虫のサンバ」「走れコータロー」「青葉城恋歌」「酒と泪と男と女」「桃色吐息」「青春時代」。せいいっぱい働いた時代だった。いろんなことが湧き出てきて、歌に集中できなかったけれど、頭がつーんとしたり、こころがあたたかくなりました。みなさん、ありがとう。
2007.10.28

狂言師の四世・茂山千作さんが文化勲章を受賞されるという嬉しいニュース。千作さんは1919年生まれの87歳。『狂言名作シリーズ』をテレビで放送させていただいたときは、40代突入前後。脂ぎった、渋くて大きくて元気になるお声で、千之丞さんたちと代表的な作品や新作狂言を伝えていただいた。昭和35年春にスタートした番組は「棒しばり」「千鳥」といったポピュラーなものから「うつぼ猿」「髭櫓」の大曲を毎週一番ずつ紹介し、ゲストにその魅力や楽しさを語っていただいたものである。このシリーズのあと、『夏体みこども狂言』を放送したが、なかでも京都・清水寺から生中継した『蟹山伏』は圧巻だった。大峯山の修行をおえた山伏が強力たちを従えて帰国の途中、カニの精があらわれ、「二眼天(じがんてん)にあり、一甲(いっこう)地に付かず、大足(たいそく)二足(にそく)、小足(しょうそく)八足(はっそく)、右行左行(うぎょうさぎょう)して遊ぶものの精にてあるぞとよ」とハサミを振りたて、山伏と問答する筋書きだった。舞台に見立てた清水さんの石段で、いま、日本の狂言を支えているちびっこ狂言師たちが熱演した。『狂言名作シリーズ』最終回の記念写真である。中心にいるのは先代の千作さん(昭和61年7月19日逝去)、その左で「1960年8月」のパターンを手にされているのが現在の千作さんである。後ろのちびっこは、千五郎さんか七五三さんか。どちらだろう?太郎冠者さま、まことにおめでとうございます。
2007.10.28

4日目。きょうは笹竹に侵入された勉強部屋の片付けだ。長持ちや座卓などをとりあえず庭先に運んだが、床板が腐っているので這うような作業。西向き。屋敷林のかげで暗い。隣りはポットントイレ。今はそうではないが、よくもまあ、こんなところで勉強したもんだと思うのである。座卓の引き出しに、油紙で包んだ束があった。開ける。小学校と中学校の卒業証書、期末テスト、通信簿、そして作文。「農繁期休み 稲刈り」ふと目が覚めた。遠くの方で脱穀機の音。僕はふとんをけって飛び起きた。外に出てみると空は青々として、朝風がそよそよと吹き、東の空は日の出前でうす赤く、きれいだ。大根の葉やなっぱは、露で新鮮味を帯びている。「お母さん、うちの稲はいつ刈るのですか」とお聞きしますと、「さあ、もう刈っていいでしょう。まだちょっと青いけれど。今からお母さんは配給物を取ってきます」と母は言ったので、田圃に行った。まだ露がいっぱいだ。しかし、横に三列だけ刈ってみた。露が手について気持ちが悪い。露が晴れるまで勉強しようと思って国語一の「お母さん」と二の「外国から来た言葉」を十ぺんずつ読んだ。今度の国語教科書は面白くもありむつかしくもある。露もだいぶ取れたので、稲を刈っていると、宮田一昭君と台君が手伝いに来た。ちょうど2丁鎌があったので貸してあげた。風のため稲が倒れているので、刈るのに苦心している。ふたりとも初めての稲刈りで、刈っているのを見ると、まるでのこぎりのようにゴシゴシとやっている。もみが落ちそうだ。しばらくするうちにだんだん慣れてきて面白いほど進んでいく。そのうちに母も帰ってきて、昼前に刈ってしまった。ほっとして、辺りを見回すと稲の立っているところはあまり見当たらない。午後はお地蔵様の前の田を刈った。明日は脱穀をしようと思った。欄外に 6年2組「河野」の検印。「今度の国語教科書は面白くもありむつかしくもある」なんと生意気な書き方か。「お母さん、うちの稲はいつ刈るのですか」 なんとも他人行儀の書き方か。河野先生の渋い顔を思い出した。あとでカズアキとヤスシとのスリーショットがあったので、記念に貼り付けておくことにした。ふたりは元気にやっているだろうか。こんなことをしているから、作業ははかどらない。
2007.10.25

ケーンタロウです。ことし6月に遇いましたね。あんときはかみさんと一緒になったばかりで、なんとなく気恥ずかしかった。で、いろいろあって家族が増えたんだ。嬉しいね。みんな、掛け声をかけるから、飛んで来てひろまんに挨拶しなさい。と、パタバタ集まってくるキジたち。が、1羽だけ表の通りにとことこ向かう。メスだろうか。先には地蔵堂がある。きのうまで倒れたコスモスの花や雑草が道をふさぎ、お堂に入れなかったが、今朝はきれいになっている。わたしもおまいりしましょう、とキジは思ったのか。【昭和30年ごろの写真】地蔵堂があるところは大分県国東市国東町大字田深。世帯数509、1300人の小さな地域で、最小単位の旦過(たんが)地区には20数世帯がすんでいる。何十年前とほとんど変わらない。草屋根の家はその一角にあり、ぼくは台湾から引揚げてきた終戦翌年から高校までここですごした。しかし、キジの声を聞いたり、見かけたことは一度もなかった。あとで聞いたが、キジたちの活動エリアは旦過全域のようだ。あちらこちらをひょこひょこ歩いて移動しているようだ。地蔵堂前の道路は広く舗装されて車がしきりに走る。たんぼのあいだを流れる溝は暗渠になり、川は上流にダムができて魚影が薄い。そして人影も。こんな環境でキジたちは生きている。帰省3日目の朝の光景だった。
2007.10.18

ガシャガシャ。にぎやかなクツワムシの声で目がさめました。まだ3時、夜明けにはまだだいぶ時間があります。枕もとのケイタイの横に虫がやってきました。キリギリスのようです。窓は閉めても、どこからでも入ってこれるのです。しばらく観察することにしました。きりきりきりきり、きりぎりすがちゃがちゃがちゃがちゃ、くつわ虫あとから馬おい、おいついてちょんちょんちょんちょん、すいっちょん秋の夜長を、鳴き通すああおもしろい、虫のこえ家屋敷の将来を考えると{ああおもしろくない}。草取り、下枝きり、燃やす・・・作業はいつまで続けるか、いや続けられるか。眠れないのは当然だよ、虫君。夜食は、Yさん夫婦が持参されたソーメン瓜。カボス入りの酢味噌につけてつるつる。焼酎「とっぱい」とよくあいました。2日目(9/30)のあすは、竹垣をすっきりさせること、地蔵堂の整理です。
2007.10.15

昼前、大分空港に着いた。ここから我がアバラ屋まではタクシーで15分、2500円はかかるだろう。辛抱である。待つ。小1時間たって路線バスがきた。がらがらである。大型バッグとリュックを座席に放り込むと「どこまでいくんかい」と運転手氏が問うてきた。「目的地へは市役所前が最短距離だと思うけれど、弁当買うとすると、どこが近い?」「それは警察前だね」後ろの座席からおばあちゃんの声。「なにしに行くの?」「お墓参りだよ」バスは走る。田圃の畦は彼岸花の行列である。「ちょうどよい時期に来なさった」ことしの夏はとりわけ暑かったから、1週間ほど花が遅れたようである。目的地が近づいた。地蔵堂の前はコスモスが道をふさいでいた。竹垣ものび放題。どうやら手を休めるひまはなさそうだ。
2007.10.13

きのう、大分県国東半島から帰阪しました。お世話になりました皆さん、ありがとうございました。8泊9日の滞在期間、幸いお天気に恵まれ、草刈りや雑木の下枝払いなどが順調に進みました。毎夕、落ち葉などの焚き火の煙で、遠方までご迷惑をおかけしたと思います。さて、苦役のあいまに撮ったカット数は約600。この中には、ぶじ成長したこども2羽と仲良く散歩するケ~ンタロウ一家や彼岸花とコスモスに囲まれた風景、深夜の来訪者の姿などがあります。秋の夜長のつれづれを、ぼつりぼつりと、披露させていただきますので、ご鑑賞ください。
2007.10.08
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