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今日は久々に図書館に籠って調べもの。割と収穫があったので大満足。 思えば、最近、雑用の多さにかまけて図書館もご無沙汰でしたけど、ようやく少しヒマになってきたので、この辺で少し自分の仕事をしておこうと思いまして。 で、必要な資料をコピーし、うちの大学図書館にないものは他の図書館に発注し、とりあえず集めるべき資料をかき集めた、という感じ。なんか、それだけでいい気分。 やっぱり、研究者は研究しないとダメだね。 さて、明日から研究日も入れて4連休。最近思いついた計画を実現すべく、集中して書き物をしようかと思っておりまして、ちょっと楽しみかな。 ま、モノになるかどうかわからないけど、とりあえず頑張ろう!
October 31, 2013
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東京にある某有名書店が「秋のサイン本フェア」みたいなのをやるというので、私もサイン本をもとめられちゃった! しかし、どうなんだろうね・・・。欲しいか、私のサイン? 有名人でもないのに。 でもま、話のネタとして面白いし、そういう経験もしておいて損はないかと思ったので、引き受けましたけどね。 というわけで、週末はせっせと拙著にサインしなくちゃ。やっぱり、万年筆でやった方が喜ばれるのかしら。
October 30, 2013
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まあ、いつも思うことですが、最近の若者は何も知らないねえ・・・。 私のところのゼミ生で、米国デトロイト市の破綻問題について卒論を書いているのがおりまして、当然のことながら自動車産業のことにも触れなくてはならない。 で、「GMが、クライスラーが、フォードが・・・」ってなことを言うもので、「ところでお前さん、アメ車のことはちゃんと知っているのかい? 例えばGMブランドの高級車と言えば何だ?」と尋ねてみたら、答えられず・・・。 で、「キャデラックだよ!」と答えを言うと、そのゼミ生、そもそもキャデラックを知らなかったというね。 うそ! キャデラックを知らないのかよ? アメリカの高級車の代名詞じゃないか! じゃあ、ビリー・ジョエルの「Moving Out」という曲の中に「シェヴィーからキャデラックに買い換えたところで何の意味がある?」みたいな一節があるけど、それが大衆車から高級車に買い替える、という意味であることは分からないわけね・・・。 いや、「キャデラック」のみならず「シェヴィー」が何かすら分からないのだから、ひょっとしてこの歌詞が「クルマを買い替える」という意味だということ自体、分からないのか。あれ~・・・。 そこで気を取り直して、「キャデラックだよ、キャデラック。ほら、最近、ピンク色のトヨタ・クラウン売っているだろ? あれはピンク色のキャデラックのもじりじゃないか。ピンク・キャデラックって、エルヴィス・プレスリーの愛車だよ」と言ったら、今度は「あのぅ、エルヴィス・プレスリーって誰ですか?」って聞かれちゃったよ! ええ! エルヴィス・プレスリーも知らないの? そこで、その場でパソコンを起ち上げ、プレスリーが「監獄ロック」を歌い踊っている動画を見せてやりました。どうよ、この独特の腰つき! で、「ほら、『フォレスト・ガンプ』の最初の方で、南部から出て来たとっぽい兄ちゃんが、足が悪くて器具をつけていたフォレスト・ガンプのぎこちない動きに、ダンス・ステップのヒントを得るシーンがあっただろ? あの若者がエルヴィス・プレスリーなのさ」と言ってみた。すると・・・ 「『フォレスト・ガンプ』って、何ですか?」だって! もう! 何にも知らないんじゃないかっ!! 5つの事柄があったとして、このうちの3つか4つは知っている、という場合、知らなかった1つか2つのものを教えてあげれば、5つの事柄全部が有機的につながって、「ああ、そういうことか!」というひらめきが生まれるのでしょうけど、5つのうち5つ全部知らないとなると、もう、5つ教えたところで、ひらめきなんて生まれないよね。 だから、何か、今時の学生たちって、ブラックホールみたいな感じがするわけよ。こちらがしゃべったことが、すべて暗黒に吸い込まれてしまって、こだますら帰ってこないという。こちらが教えたことが彼らの好奇心を刺激した、という手応えが全然ない。私が教えた分、この子らは賢くなった、という印象もない。まさに永遠のタブラ・ラサ、モービィ・ディックみたいな白い壁だよ! 今から半世紀ほど前、かの大宅壮一大先生(学生たちは、「大宅壮一って誰ですか?」って言うんだろうな・・・)が「一億総白痴化」という流行語を作ったけれど・・・ ・・・実現したな。
October 29, 2013
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大学院生を相手に、「翻訳演習」の授業を続けているのですが、これが実に面白い。自分でやってて面白い。 やり方はシンプルで、有名作家の短篇小説やエッセイの冒頭の1ページを実際に院生たちに翻訳させ、私自身も翻訳し、それらを比較検討しながら最良の訳とは何かを考えていく、というもの。 で、これを実際にやってみると、実にいろいろなことが分かるんだなあ。 まずね、院生レベルですら、全然英文が読めない、ということがよく分かる。文法を読み違え、語法を読み違え、文意すらとれないというケースが続出。これはもう、翻訳以前の問題だよね・・・。 しかし、それはさておき、私が自分で訳していても、1ページの文章に1、2カ所程度は、ちょっと苦労するところが出てくる。 例えば、15、6歳の女の子が母親を呼ぶ時どうするか。「お母さん」とするか「ママ」とするか。そういうことだって、微妙に影響してくるのよ。 あとね、どうしても日本語にならない英語の言葉が出て来た時、どうするか。例えば「antihero」とかね。英語ではよく使う言葉ではありますが、日本語には相当する言葉がない。だから「アンチヒーロー」と訳すしかないような気もするけれど、さて、「アンチヒーロー」という概念が、洋モノの小説とか映画に縁も興味もない後期高齢者のオジサマ/オバサマ方に、果たして通用するものか? ね? こんなの一つとったって、悩むでしょ? だから、翻訳って難しいな、と。 あと、もう一つ分かるのは、有名作家と呼ばれるような先生方の技量の凄さね。さらりと書かれている冒頭の1ページの中に、いかに沢山の情報が込められているか。その情報量たるや、半端ないのよ。ぱっと読み飛ばしてしまうと、なんてことない書き出しのように見えて、一字一句おろそかにせず、きちんと翻訳してみようと思うと、その凄さがよく分かる。これは、翻訳をやって初めて分かる、小説の醍醐味ですな。 で、今週、院生たちに課している宿題は、ヘミングウェイの「医師とその妻」という短篇でありまして、これはごく短い短篇なので、冒頭だけでなく、全文を4週くらいかけて全訳しようと思っているのですけど、これを自分でも翻訳してみて、あらためてヘミングウェイってのはすごいものだなと、つくづく思います。 前半、医師と彼が雇ったインディアンとが喧嘩するシーンも素晴らしいけれど、後半、医師とその妻が会話するシーンも素晴らしい。もう、一行一行が珠玉の文。どの一文も、後の部分の伏線になっていて、無駄な文章が一つとしてない。その芸たるや、驚くべきもの。 しかし! それを日本語に訳そうとすると、これが難しいんだなあ! 特に、ヘミングウェイの文章は短文が連続することが多いのですが、それがすべて過去形なので、これを日本語にすると「○○した。○○した。○○だった。○○した」という風になって、文末が非常に単調になってしまうんですな。これは、英語と日本語の文の構造が違うので、仕方ないことではあるのですが、元のヘミングウェイの文章が素晴らしいだけに、訳した日本語の出来に、我ながら幻滅せざるを得ないというね。 あと、例えば「They came in through the back gate out of the woods, Eddy carrying the long cross-cut saw.」みたいな文を訳す時が難しい。これ、原文は一文なんですけど、日本語に訳すとなると、「三人は森の中から姿を現すと、裏口を通って敷地に入って来た。エディは長い横挽き鋸を担いでいた。」みたいに二文になってしまいます(一文のまま、自然な日本語に直すことが、少なくとも私には出来ない!)。そうなると当然、原文が一文のものを翻訳者が勝手に二つに分けていいものか? という疑問が出てくる。 ね! 難しいでしょ? これ、ただ読むだけでいいのなら別に悩みはしないのですが、翻訳するとなると、途端に難しくなるわけですよ。 難しいね、翻訳は! ということで、院生と一緒にウンウンいいながら、頭を悩ませているワタクシなのでありました、とさ。でもね、こうやって、久しぶりに丁寧に文学作品を読んでいると、ほんと楽しい。やっぱり、文学研究の基本は、読むこと、ですなあ。
October 28, 2013
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今、スカパーの奴隷となっていて、やたらに映画を観まくっているのですが、先日、シュワちゃんが出たSF映画の傑作『トータルリコール』のリメイク版、コリン・ファレルが主演したヤツを観てしまいまして。(以下、ひょっとしたらネタバレ注意。) まあ、元の映画が傑作である場合、そのリメイク版に期待しちゃあいけないのでしょうけれども、やっぱり駄作でしたな、リメイク版は。 オリジナル版が地球と火星の話だったのに対し、リメイク版はリッチな人々が住むヨーロッパと、それを支える労働者たちの住むオーストラリアの間の話になっていて、両者をわずか十数分で連絡する未来版地下鉄みたいなのが通っているのですが、この設定からしておかしい。 ストーリーの中では、ヨーロッパ側の土地が少なくなってきたので、オーストラリア側に兵隊を送り込み、労働者たちを蹴散らして、そこにヨーロッパ側の人が住む土地を確保する、という話になるのですが、それならそうで、別に武力で蹴散らさなくてもいいような気がする。平和的にいくらでもやれそうなのに、なんで武力に訴える必要があるのだろう? 第一、ヨーロッパ側の労働力は、オーストラリア側の住民が支えているのだから、その住民を殺してしまったら、労働者がいなくなっちゃうじゃないの。 それに、二つの土地をつなぐのは、ハイテク地下鉄しかない状態なのであれば、ヨーロッパ側から武装勢力を送ってこられても、そのハイテク地下鉄を破壊してしまえば簡単に防げるのじゃないの? 実際、たった数個の時限爆弾でこの地下鉄は壊せたのだから、ヨーロッパ側が送り込もうとしたロボット兵隊群なんて、そもそも恐れるに足らずよ。 それに、最後の場面にしたって、主人公のクエイド(ハウザー)を殺すのであれば、彼が眠っているうちに殺してしまえばいいのに、わざわざ彼が起きるのを待ち、しかも殺し屋の正体を彼が暴くのを待つ必要がどこにあるのだろう? というわけで、このリメイク版は、物語上、おかしな点がありとあらゆるところにある。 で、オリジナル『トータルリコール』の面白い所、いい場面をそのまま踏襲することを恥じたのか、そういういい場面に限って全部カットされているので、新作の方には見るべきところがひとつもないという。まさに「オリジナル『トータルリコール』-面白い場面」=リメイク版『トータルリコール』」という図式が成り立っていて、何のためにリメイクしたのだかわかりゃーしないというね。 それに、オリジナルの方では、最後の最後で、シュワちゃんの冒険すべてが、ひょっとしたら単なる夢だったかもしれない、という仄めかしがあって、それがいいところなのに、リメイク版ではそれすらもない。 まあ、ひどいもんでございました。 でもね、そういうひどい映画でも、テレビをつけさえすれば観られるという状態だと、見ちゃうんだなあ・・・。 さて、スカパーの無料期間、まだあと1週間くらい続くらしいですけど、この間、私は一体何本の駄作を観てしまうのでしょうか。実は今日も『ミッシングID』という駄作を見てしまったのですが、先が思いやられるばかりでございます。
October 27, 2013
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食事時、何となくテレビを見ていたら腹話術のいっこく堂さんが出演されていて、その卓越した芸を見せておりまして。 で、それを見ながら私の思えらく・・・ 確かにいっこく堂の腹話術は凄い。だが、その芸を羨ましいと思えない・・・。 例えばマジシャンの凄いテーブル・マジックとか、カード・マジックなどを見ると、ああ、私もマジシャンになれば良かった・・・とか思いますし、一流の音楽家の演奏を聞けば、ああ、私も楽器の一つもマスターしておけば良かったなどと思うのですが、凄い腹話術見ても、ああ、私も腹話術師になれば良かった、とは思わないんだなあ。 いっこく堂さん、ごめんなさい! でも、あなたは凄いと思うよ。 で、そんなことを思いながらも、とりあえず自分でもやってみた。腹話術を。生まれて初めて。すると・・・ できた! ウソみたい。私、腹話術、できるわ。少しも口を動かさず、明瞭に発音できるじゃないの。 自分の才能が怖い・・・。 だけど、せっかくの才能なのに・・・ 別にいらん! ということで、埋もれていた才能が開花した瞬間に、あだ花として潰えたのでありました、とさ。残・念!
October 26, 2013
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週末、東京での学会に備えて、今日は東京に移動する予定だったのですが・・・ 台風で学会延期! かくして、金曜・東京へ移動→土曜・学会→日曜・名古屋へ移動、でつぶれるはずだった3日間の予定がすべてぶっ飛んでしまったという。 で、今週は帰らないことになったよ、と実家に電話したら、母が残念そうな声で、「そうなの? せっかくあなたの好きな料理を作ろうと準備していたのに・・・」ですと。うーん、母は、私が帰るのを楽しみにしていたのかな・・・。がっかりさせてしまって、申し訳ない・・・。 ということで、予想外の休日を得ることになってしまったワタクシ。今日はのんびりと本などを読んで過ごしました。まだ若干、風邪の気配が残っていることもあって、難しい本はやめにして、気楽に読めそうな本の中から澁澤龍子著『澁澤龍彦との日々』(白水社)を読むことに。 で、読み始めたのだけど、何だか既視感ありあり・・・。何だかおかしいと思ったら、これ、前に新書版で読んだことあるわ。同じ本、別な版で買っちゃったよ・・・。まあ、良い本だから、いいか。 で、澁澤龍彦が松ぼっくりが好きで、ヨーロッパを旅した時に松ぼっくりを沢山拾って帰った話とか、「ブス」という言葉が嫌いで、家人にも使わせなかった話などを再読してニヤリ。実は私もまったく同じなもので。 とまあ、そんな感じでリラックスした読書を楽しんでおったわけですよ。 さて、明日からの二日間も私にとっては予想外の休日。何か有意義なことをしてすごしましょうかね。
October 25, 2013
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今日、大学からの帰りに道場に寄って一汗流してきた後、9時半頃自宅に戻ると、マンションの入り口に猫ちゃんが丸くなって寝ていました。 自動ドアの内側、マットが敷いてあるそのど真ん中に丸くなって。 あらま、ねこちゃん、どうしたの? 郵便受けから手紙を取り、エレベータが来るのを待つ間、ねこちゃんのところに行ってなでなでしたのですが、疲れているのか、弱っているのか、か細い声でにゃあとひと声鳴いただけで、あとは私になでられるまま。 うーん。大丈夫か、この子。ただ眠いだけならいいのだが。 で、自宅に戻って遅めの晩御飯を食べ、テレビも見て、そろそろ風呂でも入ろうかということになっても、なんとなく猫ちゃんのことが気になって、さっき、家内と二人で様子を見に下まで行ってきました。 そしたら、もう、猫ちゃんの姿は影もなし。 寝て、元気が出て、また野良の生活に戻ったのか。しかし、明日以降、台風が来たら、野良猫だって寒かろうに。雨露をしのぐ場所は確保してあるのだろうか。 ああいう、物言わぬ生き物ってのは、物言わぬだけに、一度接すると、何だか後を引くようにずっと気になりますね。 栄華を極めたソロモンですら、野の花ひとつほどにも着飾っていなかったとか。神さまが、あの猫ちゃんのことも、ちゃんと気にしていてくださいますように。
October 24, 2013
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昨日、何となく喉がいがらっぽいなと思ったのですが、どうやら風邪を引いたらしい・・・。季節の変わり目とはいえ、もろもろ忙しくなってきたところへ持ってきて、この体調不良は厳しい。 いつも思うのですが、私の場合、大事な用事がある時に限って、風邪を引くんだよな~。 というわけで、今日は授業も無し、会議も無かったので、大学は休みにし、家に籠って大人しくしておりました。 で、そのおかげもあって、とりあえず某雑誌に頼まれていたエッセイの原稿は一応、完成。月末締切ですので、若干の余裕をもって、差し当たりの責任は果たせたかなと。 で、次の問題は、週末に迫った学会。シンポジウムの司会を頼まれているので、これは休めない。 が! ここへきて台風ですよ。土曜日あたり関東地方直撃の予想。となると、果たしてこの学会は予定通り実施されるのか? メールでの会議では、金曜日の午前中に決行か中止かを決定することに。これによって、私が東京に行くかどうかが決まることになる。うーん、今の体調だと、仮に中止になったとすると、若干ホッとするかも。 しかし、そうは言っても、とりあえずは学会があるものとして準備だけはしておかなくては。 はあ~、風邪、悪化しなければいいなあ・・・。
October 23, 2013
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今日は印象的な「終わり」のニュースが多かったですね。 まずは「大学センター入試」が数年後を目途に終わり、別種のテストに移行するというニュース。共通一次試験導入以来、長く続いてきた制度が終わると。 新しいテストは、基礎学力の判定と、発展的学力の判定を分けるようですけど、これって、個々の大学が実施する学力試験を無くすこととワンセット、なんでしょうかね? それなら、まあ、いいかなって感じはしますが、そうじゃなかったら、試験業務を誰が担当するのか、その主体をハッキリさせてもらいたいもんです。どんな新制度を導入するにせよ、入試業務の簡略化を目指していただきたい。 そしてもう一つ、「終わり」を告げる衝撃的ニュースだったのは、「いいとも」終了のニュース。NHKニュースの冒頭だけみて、今日は特に大きなニュースはないなと判断した後、次の選択肢としてチャンネルを合わせてきた「いいとも」が終わるとなると、何だかちょっとさみしい・・・。 それにしても、むしろ「深夜の顔」だったタモリ氏を真昼間の番組に採用した三十年前のフジテレビの蛮勇に拍手、って感じですね。まあ、いいともが終わっても、「タモリ倶楽部」がこの後も永遠に続いてもらえばいいか。 センター入試も「いいとも」も、ともに三十数年続いた後、終焉を迎えたわけですが、三十数年といえば「1ジェネレーション」にちょうど相当する年数。このくらいの年月で、物事ってのは劇的に変わるものなのかもね。
October 22, 2013
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私の住むマンションの自転車置き場に置いてあった放置自転車をピックアップしたら40台くらいあったんですわ。それで期日までに引き取り手が無い場合、処分することになって、今、特定の場所に置かれているのですけど、誰も引き取りに来る気配がない。 要するに、今日日、自転車なんてのは100円のビニール傘みたいなもんで、使い捨てなんだねえ・・・。少なくとも大切な所有物、家財道具ではないわけだ。捨ててあっても、見向きもしないんだ。 そんなもんですかねえ・・・。 私が子供の頃、自転車は貴重な財産でしたよ。子供にとってはもちろんのこと、親にとってだってかなり重要な財産だったはず。それがなければ、非常に苦労する、といったものだったと思います。 で、そういうものだからこそ、盗まれることもありましてね。我が家でも一度、母の愛用の自転車が盗まれたことがありましたもの。当然、警察に届け出を出して、探してもらった。 そうしたら、なんと、半年後くらいに見つかったんです。10駅くらい遠くの駅の自転車置き場で。しかも、赤い自転車だったのに、無惨に真っ黒にペンキを塗られて。盗んだ方も、容易には見つからないよう、色を塗り替える工作をしたわけだよね。 そういうこともあったりしたけど、とにかく40年くらい前の日本では、自転車は盗むに足る価値あるものだったわけですよ。それが今は、ピカピカの自転車40台が放置だもんね。うちのマンションだけでこうなんだから、日本中のマンションの自転車置き場に放置されている自転車を全部足したら、一体何台になることやら。 まあ、引き取り手のない放置自転車は、何らかの形で、それを必要とするところで使われるようになるのでしょうから、それはそれでいいのか、とも思いますが、何か、ちょっと、どうなんだろうなあ? イタリア映画の傑作、あの『自転車泥棒』の味って、もう、今時の日本では、もう分からなくなっているのかもしれませんな。だけどそれって、寂しいことだよねえ・・・。
October 21, 2013
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平凡社が出している『こころ』という雑誌からエッセイを頼まれていて、見本にこの雑誌を何部かいただいたので、このところこの雑誌をちらほらと拾い読みしているのですが、これがまた不思議な雑誌でね。 まずこの雑誌にはグラビア的なページが1ページもない。そういう意味で、ヴィジュアル重視の雑誌とは対極にあると言えましょう。 で、じゃあクソ真面目な文芸雑誌かというと、うーん、それが必ずしもそうでもない。特集と鼎談とエッセイと小説と詩が、つまり散文と韻文、創作とノンフィクションが混然一体となって、ヘビー級でもなければフライ級でもない、バンタム級くらいの重さの文章が並んでいるという感じ。一体、この雑誌はどんな読者を想定しているのかしら? ま、強いて言うと、『ちくま』とか『図書』とか『波』とか、出版社のPR雑誌が色々ありますが、アレに近いかな。アレの商業版。やっぱりバンタム級の読書好きのための雑誌、というところでしょうか。 で、実際読んでみると、結構、これが面白い。特に保坂正康さんの回想録など、なかなか読ませます。 だけど、じゃあ、私がこの雑誌に何を書くかとなると、なかなか難しい。特に何について書け、という注文がなかったので、逆に何を書けばいいか分からないという・・・。 ということで、昨日今日とちょこちょこ試し書きしているところ。実際に何種類か書いてみて、この雑誌に合いそうな主題は何か、考えてみようかなと。 締切まで後10日。そろそろお尻に火がついてきたので、今週はこの仕事中心に頑張ります。
October 20, 2013
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今、スカパーが無料放送をしていて、一日中、どこかのチャンネルで映画を放映しているもので、ついつい見ちゃうんですよね・・・。これでは、まるでスカパーの奴隷だ! で、今日も見るともなく、ついつい『フェイシズ』という映画を観ちゃった。ミラ・ジョボビッチ主演の奴。ネタバレで言いますと、連続レイプ殺人犯の犯行をたまたま目撃してしまったミラが、その犯人に橋から突き落とされた拍子に頭を強く打ってしまい、失貌症になってしまうんですな。これになると、(自分の顔も含め)人の顔が見る度に変わってしまうので、覚えられなくなってしまうわけ。だから、犯人の顔も思い出せないし、それどころか自分の恋人や親友の顔さえ覚えていられない。 だからミラは、目撃証人の役にはまったく立たないわけで、犯人も彼女のことは放っておけばいいようなものの、何故かこの犯人は、一応ミラを殺しておこうと思うんですな。 で、このような状況の中、果たしてミラは、見てもそれと分からない犯人の襲撃から身を守れるでしょうか、ってな話。 ま、大して面白い映画でもないので、別におすすめはしません。 だけど、この映画を観てて思うのは、私自身も相当な失貌症だということ。 実際、私も人の顔がまったく覚えられないんです。いや、病的というほどではなく、もちろん家族や友人の顔を忘れるということはないのですが、1回会っただけの人の顔を思い出そうと思っても思い出せない。今朝会ってしばらく話をした人の顔も、午後には完全に忘れていて、その日のうちに再会してもそれと気づかないと思います。 まあ、3回くらい会うと、覚えるかな・・・。 しかし、これって結構困ることも多くて、学会などのパーティで、以前、お会いしたことのある方から親しげに話しかけられて、「この人、誰だっけ?」と思いながら曖昧に会話をする時など、冷や汗ものよ。いや、実際、何度もお会いしたことのある人に向って「はじめまして」なんて挨拶してしまうことだって、あったかも知れません。 その点、家内は逆に、一度でも会った人の顔は絶対忘れないんですけど、その能力が羨ましい・・・。 ということで、ミラの悩みが他人事でない私にとって、『フェイシズ』という映画は、何だか見ていて心づまりな映画だったのでした、とさ。
October 19, 2013
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今日は教育実習の研究授業参観で、某小学校に行って参りました。 で、たまたま担当学生が1年生の算数を教えるというので、それこそ私自身が7歳だった頃から何十年かぶりに小学1年生が算数を学ぶとはどういうことなのかを見る機会を持ったのですが、まあ、これが、恐ろしいまでにまどろっこしいのよ。 今日の単元は「長さ比べ」で、二つのもののどちらがどれだけ長いかを知る方法を考えるというもの。 で、例えば机の縦と横の長さを比べるのに、手の大きさの幾つ分かで比べたりするわけ。そうするとある子からすると「縦4個分、横6個分」だし、ある子の手で測ると「縦3個分、横5個分」だったりする。 で、それじゃあ、個々の手の大きさで変わってきてしまうので、もう少し統一した測り方が出来ないかという話になって、最終的にマス目を使って測る、みたいな方法を提示すると。 で、今日のところはそれでおしまい。これが、この子たちが小学校2年生になって、物差しを使ってモノの長さを測る、ということを教える準備になるのだそうで。 ひゃ~! まどろっこしい! 物差しまで到達するのに2年もかけるのかい! いやあ、小学1年生の能力って、そんなもんかねえ? 子供だって、物差しを手渡して、「はい、これが1センチね。それで細かい方の目盛が1ミリ。これで色々なモノの長さ測ってみ。」って言えば、それで通じるんじゃないの? だって、3歳位からピアノ習わせて、7歳くらいだととんでもなく上手に弾く奴っているじゃん? 楽譜だって読めているわけでしょう? それと比べたら物差しの目盛くらい、教えりゃ理解するでしょうに。私自身、物差し手渡されて、その使い方が分からなくて途方に暮れた、なんて記憶ないよ。 こういう授業参観していつも思うのは、現在の教育のシステムが、子供の能力を過小評価しているんじゃないかなあってこと。子供の学習能力なんてこちらが思っている以上に大きいのだから、容赦なくジャンジャン教えればいいのに。 今の教育は、教えることをしないで、逆に子供に尋ねるからね。知識を持っているのは教師の側、知識を持ってないのは生徒の側なのに、なんで生徒に聞くかねえ。「どうやったら、モノの長さを比べられると思う?」なんて聞いている暇があったら、さっさと子供たちに物差しを与えて、その使い方を教えてやればいいのになあ。 そんなスローペースでやっているから、今時の子供はいつまで経っても成長しないんだろうね。昔の子供なんて、16歳くらいで立派に社会人だったじゃないの。江戸時代くらいだと、16歳くらいで、大がかりな土木工事の責任者になって、大勢の大工たちを率いた例だってあるよ。 ほんと、日本ももうちょい、教育の在り方ってものを考えた方がいいんじゃないかって、思いますなあ。
October 18, 2013
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いやあ、今日は久々に柔術の道場に行って参りました。8月半ば以来ですから、およそ2ヶ月ぶり。ロス出張に校務が重なってなかなか行く時間が取れなかったものでね。 で、久しぶりに行くとめちゃくちゃ楽しい! 道場の仲間というのは、同好の士ばかりですから、なんかこう、利害関係まったく抜きの付き合いができるっていう感じですかね。おまけに、道場での付き合いというのは、言葉だけではなく、投げたり投げられたり、極めたり極められたり、全身を使うもの。確かに稽古は強烈な痛みを伴いますが、そうであっても互いに怪我をさせないよう細心の気を使う、そういう人間的な、根源的な「優しさ」がありますから、実に気分がよろしい。で、気分がいいもので、稽古によって疲れるどころか、逆に疲れが吹き飛びます。 でまた、皆さんに「釈迦楽さん、久しぶりですね」なんて声を掛けていただいて、自分の居場所がここにある、という心地よい感覚を味わいましたよ。やはり、「家」と「職場」の他にもう一か所、自分の居場所があるって、いいですね! というわけで、今日は稽古を存分に楽しんだ私だったのでした。これからも頑張るぞ~! 目指せ、三段!
October 17, 2013
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つい先ほど、衝撃の報せがありまして。 同じアメリカ文学の研究者で、まだ四十台の若さであったMさんが亡くなられたとのこと。今は東京の大学の所属ですが、10年くらい前まで名古屋の大学にお勤めだったこともあり、私もよく知っていた方なのですが・・・。 で、しかも、Mさんと私は高校が同窓だったという・・・。先輩後輩で言えば私が先輩、彼が後輩なのですが、Mさんは恰幅がよく、加えて髪の毛方面が若干夕暮れていらしたので、大抵の人はMさんが先輩、私が後輩と思っていたかも。 学風の面から言うと、Mさんは批評理論にも強く、研究スタイルとしては正統派。ただ研究対象がちょっと変わっていて、あまり人が研究対象にしない作家を研究していたり、Mさんの見た目には似合わず、意外に児童文学などを研究したりするところがあった。一方、私は批評理論に弱く、研究スタイルは異端ですから、そういう意味では対照的なところがありましたが、それでも同世代の俊英ですから、Mさんが学会などで発表する時は、私も殊勝に聴きに行ったりしたものでした。 独特の存在感、独特の文体を持つ研究者でした。 その後輩のMさんが、こんなに早く亡くなるとは・・・。病気らしい、かなり具合が悪いらしい、ということは風のうわさで耳にしていましたが、まさかそこまで悪かったとは・・・。 ちょっとショックですなあ・・・。 今はただ、ご冥福をお祈りするのみ。合掌。
October 16, 2013
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昨年、定年を迎えられたY先生が久々に大学にいらしたので、しばしコーヒーを飲みながら歓談してしまいました。 その先生は、ほんとに上品な美しさを湛えた方で、私も初めてこの大学に赴任した時、「あら、まあ、こんなにお美しい方がいらっしゃるの?」と驚いたほど。定年を迎えられた今も、その美しさに陰りはありません。 さて、そのY先生ですが、もちろん今なおご自身のご研究は続けられておられるのですが、その傍ら、高校時代の同窓生の方々と「旧街道を歩く会」というのを結成され、定期的に旧街道を歩いておられるのだそうで。もう既に中山道は踏破され、今は東海道を東京に向って歩いておられるのだとか。 やり方はこう。会の中心メンバーが「次回は○月○日、東海道線の○○駅に○時に集合」と声をかけ、それに応じて日本中に散らばっている同窓生の方々がその駅に集結する。で、そこから東海道をてくてく、大体一日2万歩を目安に歩かれ、適当なところで一泊して、次の日も2万歩ほど歩き、それで行当った駅で解散する。で、次回はその駅から歩き始めると。こうやって、時間をかけながら東海道を踏破する、というわけ。 で、東海道を歩くと、面白いことはありますか?と問うてみたところ、やはり東海道は日本一の大街道だけに、道々、城だとか戦場だとか、いわゆる名所旧跡が色々とあるのだとか。 それから、やたらに見かけるのが芭蕉の句碑なんですってね。さすが芭蕉、日本中、歩き回っているようで。 で、またそうやって歩いていると、同じようにグループで歩いている年配の集団にやたらに出くわすというのですな。で、その都度、「おお、皆さんは東京から京都方面へ向かって歩いておられるのですか。我々は逆ですわ」みたいな会話の花が咲くらしい。 東海道を旅人が歩く、なんてのは江戸時代の話かと思いきや、21世紀の今もなお、東海道は股旅物の舞台になっておるらしいですぞ! そんなお話を一緒に伺っていた「アニキ」ことK教授が、後で「俺も、早く大学なんか辞めて、旧街道を歩きたい・・・」と言っていたのが印象的でした。K先生、その時は不肖・私もご一緒しやすぜ! 熊さん、八っつぁんで東海道珍道中と参りましょうや!
October 15, 2013
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昨日も書きましたように、今、実家では母の故障で、父が代わりに食事を作ることもあるようで。 と言っても、父に作れるのは、例えばパスタを茹でてレトルトのソースをかける、程度のことしかないわけでして、私も一回、父がそうやって作ったパスタを食べたのですが・・・ ひょえ~! ま、不味い!! もうね、一口食べたら、もう後が続かないほどの不味さ。驚愕の不味さでございました。 ただパスタを茹でて、出来あいのレトルト・パスタソースをかけるだけなのに、どうしてこんなに不味いものが出来るのか?! なぜそうなったかというと、明らかにパスタの茹ですぎでございます。 パッケージに書かれている適切な茹で時間は9分。それを父は20分近くかけて茹でていたのでした。倍もの時間茹でれば、そりゃ、パスタとは呼べないものが出来ますわなあ・・・。 で、「これは茹ですぎだよ~!」と指摘すると、父は平気な顔をして「そうか? 僕にはちょうどいいが・・・」ですと。年をとって歯の悪くなった父にしてみれば、アルデンテなんてもってのほか。この位柔らかく煮ないと、駄目なのだそうで・・・。 それにしても、規定時間の倍茹でると、パスタがこれほど衝撃的に不味くなる、というのは、今回初めて知りました。それだけ茹でると、「柔らかいパスタ」ではなく、何かもっと別のもの、ちょっと独特の臭みさえ生じる何かが出現するのです。 パスタというのは、茹で加減もまた、味の一部だったのですなあ・・・。 ということで、早く母の怪我が良くなることを祈るしかないワタクシなのでした。もう父のパスタは御免だ!!
October 14, 2013
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今日は学会の最終日。私は昼から会議をもう一つ。 で、午後からのシンポジウムも聴きたかったところなんですが、今日は速攻で実家へ帰宅。 と言いますのも、実は少し前に母が家の近くで転びまして、結構大きな怪我をしてしまったんですな。で、右手の親指をどうかしてしまったらしく、包丁も持てない状態。というわけで、今、私の実家では食事問題が深刻なんです。 でまた、若い人ならレトルトでも、コンビニ弁当でも、マックでも、食べる手段には事欠かないわけですけれども、年寄り二人となると、そういうわけにもいかず、といって父もそんなに器用な方ではありませんから、どうしても佃煮にご飯、おしまい、みたいになってしまう。 というわけで、せめて今日くらいは栄養をつけてもらおうと、夕食は私が準備することに。 で、今日の夕食はカニ鍋! こんなの、レトルトの鍋つゆ買ってきて、野菜とカニをぶち込んで、最後に卵雑炊にすればいいだけなので、簡単、簡単! で、久しぶりに料理らしいものをたらふく食べてもらったところで、私は名古屋へ。 連休中ゆえか、途中、20キロの渋滞もあり、結局、家に着いた時は夜中の12時を回ってしまいましたが、それでも明日は休みですからね。寝坊も出来るし。 ってなわけで、学会に出て、親孝行して、5時間運転して、名古屋に戻るの巻でございました。さあ、もう寝よう! おやすみなさーい!
October 13, 2013
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さてさて、今日は学会の本番初日。開催校である明治学院大学に乗り込んできました。 が! その前に・・・ 神保町の古本屋街に行っちゃった! 学生の時分はほとんど週3ペースぐらいで通ったこの古書街。しかし、名古屋に赴任してから足も遠のいてしまいまして。こういう機会にたまに来ると、前にあった店は潰れ、前にはなかった店が現れ、って感じで、街の新旧交代がどんどん進んでいることが判ります。それは、昔の神保町を知る者として、淋しいところもあり、また、新しい店がどんどん増えているという意味では、嬉しいところもあり、複雑なところ。 しかし、今日は古本の神様が私のもとに降臨してくれたらしく、いきなり収穫あり! 澤口書店という、比較的最近出来たと思しき、少なくとも私が20年前に通いつめていた頃には存在しなかった古本屋さんの前を通りかかった途端、髪の毛を引っ張られるような感覚を覚え、そのままふらふらと店内に入ったら、これがいい店でね。池田満寿夫の本2冊もゲットできちゃった! これでまた私の池田満寿夫本コレクションが、一歩、完璧に近づいたというね。 そしてもう一軒、夏目書房にて、我が師匠O先生の手書き原稿を落手。これはネットでその存在は知っていたので、偶然発見したわけではないのですが、やはり、恩師の懐かしい手書きの文字を見ると、感慨があります。内容はフォークナーの『八月の光』の解説のようですが、多分、冨山房から出ていたフォークナー全集の巻末解説か、あるいは月報の類いではないかと。今後、調査を進めていきたいと思っております。 で、これだけで今日一日の収穫としては十分なのですが、それでも頑張って明治学院大まで行き、ちゃんと研究発表も聞いてきましたよ。 そして、その後、旧友のT君と新宿の「つばめグリル」にて夕飯を共にして、大いに歓談して先ほど帰って来たという次第。今日は、盛りだくさんな一日だったにゃあ。 ということで、数々の戦利品を胸に、今日はそろそろ休みたいと思います。明日はもう一日、会議があるもので。それでは、皆様、お休みなさーい!
October 12, 2013
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今日は学会の代議員会と懇親会に出席してきました。 代議員会というのは、学会の運営に必要なことをあれこれ決める会合でありまして、それはいいのですが、問題はその後の懇親会。 この懇親会には、各支部からの精鋭が集っておりますので、そこで雑談を交わしながら、色々な情報を引き出したり、外交したりというのが面白いところなんですな。 で、私も今日はあれこれ外交してきましたよ。 が! 残念ながら成果の方は今ひとつ・・・。 というのは、今私が編集している本を、母校の出版会から出してくれないかしら? と、おそるおそる打診してみる、というのが今日の外交の最大の焦点だったのですが、どうもダメらしいというのが判明したから。 最近、その出版会から同種の本が出たので、二番煎じを狙ったのですが、色々聞いて見ると、先に出た本は、出版会が費用を負担したのではなく、スポンサーが別にあった、というのですな。その費用200万円。だから、もし私が200万円出すのなら、出版会から出してもいいよ、ということらしい。 だけど、ワタクシ、懐に200万円なんてないもん。じゃ、ダメじゃん。 ということで、やはり世の中、そんなに甘くない。今回の件も、また前の本と同様、またゼロから出版元を探さなくてはならない、ということらしいですわ。 はあ〜。やっぱ、そうか・・・。 ま、しかし、ダメだと判れば別の方針も建てられるわけで、甘い期待を抱かなくて済むようになっただけ良かったと思わなくてはなりませんね。 ということで、外交は失敗でしたけれども、色々な情報を得られたので、学会初日はまずまずの成果というところですかね。 さて、明日は学会の本番です。何かいい発表があることに期待することにいたしましょう。
October 11, 2013
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この前サンタモニカに行った時、スーパーでミルクを買おうとすると、すぐ隣に「アーモンド・ミルク」が売っていて、ほう、最近ではこういうのが流行か、と思ったものの、何せ3週間の滞在故、なかなか実際に買って試してみるチャンスがなく、結局、トライしないまま帰国してしまいまして。 で、あれは惜しいことをした、試しにどんな味か飲んでくれば良かったと思っていたら、最近では日本でも売っているんですってね。 で、先日、家内が買って来てくれたので、今日、それを飲んでみた。 ゴクゴク。 プハー! うーん。めちゃくちゃ旨いかと言われると、そうでもないけど、決してまずくはないね。確かにアーモンドの味はする。ナッツ系のフレーバーの飲み物ってあるじゃないですか。あれのうすーいバージョンみたい。 これ、このまま飲んでもいいけど、コーヒーとかチョコレートとか、そういう系の味が加わっていると、さらに美味しいかもね。 ということで、ビタミン豊富なアーモンド・ミルク、教授のおすすめ、と言っておきましょう。豆乳に飽きたら、これかもよ!これこれ! ↓アーモンドブリーズ オリジナル 200ml×24本/ブルーダイヤモンド/アーモンドミルク(マクロビオ...価格:2,350円(税込、送料込)アーモンドブリーズ チョコレート 200ml×24本/ブルーダイヤモンド/アーモンドミルク(マクロビ...価格:2,350円(税込、送料込) さてさて、ところで私は、週末の学会に備え、早くも東京入りしております。学会は土曜日からだけど、明日は代議員会とその懇親会があるもので。というわけで、週末は東京からのお気楽日記、お楽しみに〜!
October 10, 2013
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まあ、ストーカーってのは怖いねえ・・・。被害者は可哀想だ。 でまた、警察ってのは、何にもしてくれないからね。殺されない限り、全然動いてくれない。私だって、三年くらい前にひき逃げにあったのに、私が死ななかったので、捜査も何もしてくれないもんね。「事故を見かけた方はご連絡下さい」って立て看板立てて終わりだよ。 それでいて、あいつら、ネズミ取りとかしてんじゃん。ほんと、許せん。そんな暇あったら、もっと恐ろしいストーカー対策を講じろって。物陰に隠れてスピード違反取り締まるくらいなら、物陰に隠れてストーカーの見張りとかしろ。 しかし、ストーカーから身を守る方法ってないもんですかね。 私は家内に護身術を伝授しているけど、普通はそういうわけにもいかないし。アメリカではよく護身のために電気ショックを与える「テーザー」が使われるけど、テーザーが出回ると、逆に悪い奴らに悪用されそうで怖い。 やっぱ一番手軽なのは「催涙スプレー」かと思うのだけど、モノの本によると、ああいうものを日ごろ持ち歩いていると、それ自体、まずいのですってね。要するに、刃物などを持ち歩くのと同じで、違法になってしまうらしい。 でも、せめてそのくらいは、護身のために必要なんじゃないかなあ。 例えば、ストーカー被害にあっている状態の女性とかで、警察に相談に行っているような人には、警察の方で合法的に催涙スプレーを一定期間貸し出す、なんてのはどうかな? その場合、常に携帯できるという風にしておけば、ある程度、護身の役に立つのではないかと。 ま、私にはそのくらいのアイディアしかないですけど、とにかくこの世からストーカー殺人を無くすべく、皆で知恵を出し合うようにしないといかんのじゃないですかね・・・。
October 9, 2013
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みずほ銀行の佐藤康博頭取が暴力団関係への融資でニュース・ネタになっておりますなあ。 つい最近のことですが、この方のことが、我が家がとっている新聞に取り上げられていて、その記事がすごく面白かったんです。 記憶に頼ってあらましを述べると、ある時、佐藤さんはアメリカ勤務に回されたのだけど、当時佐藤さんは英語が出来なかったと。で、現地の会議などで、佐藤さんも出席しているのに、会議の内容は、佐藤さんの頭の上を通過して、英語が堪能な上司とアメリカ人たちの間だけで決まっていく。そのことに、佐藤さんは言いようのないほどの疎外感を感じたというわけ。 で、そこから奮起した佐藤さんは、死ぬ気で英語を勉強した。 そしたら三ヵ月後には、英語が使えるようになったと。 とまあ、そんな話だったのですが、それを読んだ私は、「ほう! 頭のいい人が死ぬ気で勉強すると、英語って三ヶ月でマスターできるんだ?!」と、びっくりしたわけ。 で、そんな具合で、頭もよく努力もする人ですから、見事、大銀行の頭取に収まったと。当該の記事の脇には、余裕で静かに微笑む佐藤さんの写真が掲載されておりました。 ところが、その余裕の微笑が一転、今日は深々とお詫び会見ですからね・・・。 禍福はあざなえる縄のごとし、と言うけれど、出世物語の直後にこういうことがあるんだからなあ・・・。人生ってのは、なかなかどうして、浮き沈みなく平らかに過ごすことが難しいもんですな。 私も気を付けようっと。 いや、待て。よく考えたらワタクシ、全然出世してなかったよ~! 低空飛行で既に十分平らかだった~!
October 8, 2013
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訳あって、大学時代の恩師(S先生ではなくO先生の方)が1960年代から80年代にかけて新聞や雑誌に発表された文章を集め、それを暇な折を見てはパソコンに打ち込んでいるのですけど、これがまた結構な分量があって、既に10万字、すなわち原稿用紙250枚くらいの量にはなっているものの、まだ全体の半分くらいしか終わっていない感じ。全体では500枚くらいにはなるんじゃないかな。 しかし、なにせ4、50年前の新聞記事ですから、今のと比べても文字が小さくてね! 打ち込むのも大変よ。眼鏡をはずしたり、つけたりで、疲れる、疲れる。だけど、そんな苦労をしながらも、恩師が若い時に書かれた新聞記事なんかをトレースしていると、結構面白くて。 何が面白いかっつーと、もちろん先生が書かれた記事の内容自体も面白いのですが、それと同時に、1960年代から1970年代くらいまで、アメリカ文学の動向というのは日本人にとってもニュースだったんだ、ということがよく分って、それで面白いわけ。 だって、新聞とか雑誌の記事なんて、新聞社や雑誌社が「何か、アメリカ文学関連のことで書いて下さい」ってな感じで適当な書き手に頼むわけでしょう? つまり、依頼されて書く文章なわけだ。 で、我が師匠がこれだけの分量の文章を、新聞社・雑誌社に頼まれて書いていたということは、それだけアメリカ文学関連の文章がニュース・バリューを持っていたということなんじゃないかなと。 今、一般の日本人が、「最新のアメリカ文学、どうなってんだ?!」なんてこと、気にしているとは思えないもんなあ。やっぱり、当時はまだ、文学が熱かった、ということなんじゃないでしょうかね。 ま、今、日本人が気にする文学のニュースといえば、アレかな、ノーベル文学賞を誰が取るかということ・・・というか、村上春樹はノーベル賞を取るのか? ということくらいなものなんじゃないかしら。ある筋によれば、今年の候補第1位に挙げられているそうですが。 どうかね? ちなみに、2位はアメリカの作家、ジョイス・キャロル・オーツなんですが、これまたどうなんだろうか。私は、オーツがあまり好きではないので、正直、とらないで、って感じかな。 実際、オーツの書くものって、ちょっと見、いいように見えて、その実、よーく考えるとなんか張りぼてみたいな感じがして、胡散臭いのよ。 ・・・と思っていたら、我が師匠O先生が、デビューから間もないオーツのことを書いている文章を発見! さて、師匠は飛ぶ鳥を落としていた頃のオーツについて、どんなことを書いていたのかな? (前略)一九六〇年代から現在に至るアメリカ小説の分野で、もっとも注目すべき新人の一人であることは確実であろう。彼女の短篇は、一九六七年度のO・ヘンリー賞第一席を獲得したばかりか、一九六三年以来今日まで、毎年恒例の幾種類かの短篇小説秀作選に彼女の作品がのらなかった年はほとんどないといってもよく、それらに関連した賞も非常に多い。そればかりか、今日でも、何々レヴューと名のつくお堅い文学評論誌やハイブラウな文芸雑誌などに、彼女の作品が掲載されていない月はほとんどなく、そのいずれもが一応水準以上であり、また、作品といっても小説ばかりではなく、時には詩もあり評論もあり、さらには戯曲にまで及ぶとあっては、まさに驚嘆に価するというほかない。 ふんふん、なるほど。それで? (中略)これくらいの活躍を示していると、たいていジョイス・キャロル・オーツ論の一つや二つは出てもいいところだが、筆者の知るかぎりではそれもない。察するに、オーツ論を書こうにも、次々と生産される(こうなればまさに生産である)彼女の作品の応接に追われて、それどころではないのだろう。その上、写真で見るかぎりにおいては、彫りの深い一種神話的な風貌をたたえたなかなかの美人であり、年令も昨年中に三十四歳の誕生日を迎えたばかりのはずである。 若いのに、すごいねえ。それで? ・・・もっとも、彼女の実際の容貌は、写真とはちがって、ぜんぜん美人などではないという。もしそれが事実であるとすれば、そのことと、彼女の著作用のジャケットの一面いっぱいにほとんど例外なく写し出されている映画スターばりのさまざまな美しいポートレートとのあいだに、なにやら彼女の本質にかかわりのある一種のキナくささが感じられないこともない。 お! なんか風雲急を告げてきたぞ・・・。それで? (中略)その筆の速さは目を見はるばかりで、たいていの短篇は一晩か二晩で書き上げてしまうという。彼女の作品は、家庭と社会、老若の葛藤、社会の残酷さ、宗教、悪、愛情、性の問題など、広範な主題を透徹したリアリズムに女性らしい感受性を付与して追求し、ときにはアイロニックに、ときにはヴァイオレントに、ときにはゴシック風に、現代世界のさまざまな恐ろしさを描き出しているが、それらを見ていると、彼女の頭の中にはすでに個性をもった無数の人物がたえず宿っており、それらの人物が次から次へと彼女の筆にのってたえまなく表出されているかのようである。しかも、面白いことに、それらの人物はほとんど例外なく、彼女が生まれたあの一九三〇年代の不況と危機の暗い影をなんらかの形で背負っている平凡な市井のアメリカ人であり、存在の意味を意識せぬままに生活の悲惨さや社会の騒乱の中に吞みこまれている哀れな人たちである。そこに、私たちは彼女の現代社会についての危機意識や悲劇意識をさぐりあてることができるだろう。彼女のすさまじさを、頭から出てくるばかりの形の整わない未成熟なすさまじさだとする批判も一方にあるが、そういった危機や悲劇についての意識が、きわめて刺戟的な鋭敏さをもっていることは認めなければなるまい。 筆は速いわけね。自動筆記みたいに、じゃんじゃん書ける人なんだ。それで? (中略)ところで、先にもちょっと述べたように、彼女は創作のかたわら評論もいろいろなところに発表している。それは、一見、大学の教師という彼女の立場がそうさせているようにも受けとれるが、これまで二、三読んでいたところでは、なかなかどうして、文芸評論家としての野心さえうかがえるようなものが多かった。しかも、その多くが一貫して文学作品における悲劇性の追求といった主題であるように思っていたところが、果たせるかな、昨年初夏のころに、彼女はそれらの評論を一巻にまとめ、「文学における悲劇の形」という副題のついた『不可能の縁』を公刊した(The Edge of Impossibility, 1972. Vanguard)。この評論集、その副題や表題からも明らかなように、近代文学において悲劇を創造しようという衝動がどのように展開してきたかを新しい角度から検討しようとしたもので、引合いに出されている作家や詩人は、シェイクスピアにはじまってメルヴィル、ドストエフスキー、チェホフ、イェイツ、トマス・マン、ベケット、イオネスコに至っている。彼女によれば、近代文学における悲劇への衝動は、「自我と社会とのあいだの断絶、疎外意識、その根底にひそむ怖れ」から生まれたものであるとしているが、その発想において、ジョージ・スタイナーの「悲劇の死」論やライオネル・エイベルの「メタテアトル」論などを多分に意識し、いわばかれらに対する反論の形で問題提起を行なおうと考えているかのようである。 多才だなあ。それで? (中略)だが、正直な結論をいうと、この書物は才女が才に溺れたスキだらけの本ではないかと思う。なぜなら、シェイクスピアからイオネスコに至る作家や詩人たちの中で、筆者が多少とも知っている人たちに関する部分は、論旨の明快さにもかかわらずいずれもお粗末というほかなく(その委細を語ることはもはや紙数がつきたのでできないが)、それから推測するに、他の部分は筆者がよく知らないから面白いと思ったに過ぎないのではないかと怪しまれるのである。もし彼女が本格的な評論活動を目ざすのなら、もう少しスキのない武装が必要だろう。ただ、ここに展開されている悲劇論を、彼女自身の作品についてのコメントとして見るときには、それはそれなりに有益であるといえるかも知れない。しかし、その作品にしても、最近は質的にいささか下降していることは否めない。才女の自重を望みたいものである。 ひゃあ! 「才女が才に溺れたスキだらけの本」だって! さすが師匠、言うよね! 要するに、我が師匠O先生は、「オーツって、一応評判にはなっているけど、マユツバだぞ」と言っているわけですな。「本のカバーに載っているポートレートはすごい美人に写っているけど、実際の本人はそれほどでもないのと同じように、彼女の作品や評論もなんかウソ臭いぞ」と。 うーむ。先生がオーツのことをどう思っていたか、この記事を書き写す過程で初めて知ったのですけど、私がオーツの作品を読む度に感じる張りぼて感とまったく同じことを先生も感じていたんだな、ということが分かって、めちゃくちゃ嬉しい。 ということで、ノーベル文学賞の選考委員の皆さーん! オーツに賞あげちゃ、駄目よ! by O先生&釈迦楽教授、ってことで、ひとつ、よろしく!
October 7, 2013
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私はCMにうるさくて、よく分らないCMがあるとぶつくさ文句を言うもので、家内によく煙たがられます。 最近、分からなかったのは缶コーヒーの「Roots」のCM。竹野内豊さんが出ているヤツ。喧嘩して家を飛び出そうとする彼女さんを追いかける前に、一瞬、パスタに目をやったのを、あとで見とがめられるという設定。 あれさあ、あの場面だったら、普通、「これ、どうすんだよ」って目をやるでしょ。 っていうか、大体、竹野内さんがだよ、彼女さんに食べさせる料理を一生懸命嬉しそうに作ってあげたというのに、さあ、一緒に食べよう!というまさにその瞬間に飛び出したりするかね。 でまた、追いかけていった竹野内さんに「あなた、いっつもそう!」とか言って女がキレるけど、これも驚くんだよね。え? じゃあ、お前は、以前にも竹野内さんがご飯を作ってくれた瞬間に飛び出したことがあるのか?って。 なに? そうじゃなくて、「いつもそう」というのは「以前にも、私より別なものを重視したことがある」という意味だろう、って? いやあ、それにしても、「お前こそ、いつもそういう選択を男に強いるようなことをするのかよ」って言いたいね。 いずれにせよ、魅力のない女だね。竹野内さん、あんな女、別れちゃいなよ。あんたには、もっとふさわしい人がいるよ、きっと。 と、そんなことをぶつくさ言うから、家内に煙たがられるんだろうな、私は・・・。
October 6, 2013
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またまた源氏物語の話題で恐縮ですが、昨夜「夕顔」の項を読んでいてビックリ。 夕顔というのは、まあ光源氏の友人の元恋人みたいな人なんですが、たまたま彼女を知ることになった光ちゃんは、例によってちょっとちょっかいを出したくなったと。 で、うまいこと彼女を誘い出しまして、ひと気の少ない、うら寂しい方面に連れて行って、そこでことに至ろうとしたわけですな。 ところが、あんまりうら寂しいところだったので、しかも平安時代ですから、物の怪みたいなのが感じられ、それにやられて夕顔はトランス状態になり、なんとその果てに死んじゃったと。 で、軽く遊ぼうと思って誘い出した夕顔に、いきなり死なれちゃったものですから、光源氏も焦る、焦る。 しかし、自分にも立場ってものがあるし、このままじゃやばいというので、死んだ夕顔のことは知人に託し、自らは逃げちゃった・・・ ってな話が展開するわけですよ。 これって、さあ・・・ 押○学事件とそっくりじゃん? ひゃー! 光源氏、押○とおんなじようなことしているよ・・・。どうなんだ、それは? 人間的に・・・。 というわけで、平安時代に、既に21世紀の押○事件を予告していた紫式部・・・。侮れないな、と。 ま、そんな風に思う訳でございますよ。 源氏物語、いよいよもって興味津々でございます。
October 5, 2013
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なんかね、愛車アルファの様子がおかしい・・・。 アイドリングが安定しないんですなあ。ドロンドロンと妙な振動があって、時々「エンストするのか?!」と冷や汗をかくことも。 で、そんな風に振動があるもので、助手席に乗っている家内まで車酔いしちゃったりして。 まあ、それでなくとも、アルファ独特の変速システム、「セレスピード」といういのは、運転している人間にはたまらなく面白いのですが、助手席とか後部座席に座っている人には、変速の度に若干のつんのめり感があるので、酔いやすいことは確か。私も、何度家人を酔わせたことか。 はあ~。そろそろ、マジで買い替えかなあ・・・。 そうなると、選択肢は多分二つ。シトロエンC4の旧車か、ゴルフの新車か。ゴルフは、乗った誰もが絶賛しているけど、やっぱりゴルフだからやや平凡。シトロエンC4は、通のクルマだけに私好みだけど、旧車なので、色とかグレードとか、好みのタマが出るのを気長に待つしかない。 ううむ・・・。どうするか・・・。シトロエンの出モノを待つ間に、アルファが完全にいってしまう可能性もなくはないし・・・。 というわけで、ここは思案のしどころ。ま、クルマ好きにとっては、この思案している時が、一番シアワセ、というところもあるのですけどね!
October 4, 2013
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ずっとノーチェックで、シーズン3になってようやくその存在に気付いた『孤独のグルメ』という番組。「井之頭五郎」役を演ずる松重豊さんが、毎回、料理屋に寄り、ひたすら料理を食べるというだけのドラマなのですが、渋い松重豊さんの存在感と、その食べっぷりの良さで、ついつい見てしまうんですよね。でまた、世間的な意味でのグルメではなく、ただ美味しいものが好きというサラリーマンが、何となく佇まいが気に入った料理屋にふらっと一人で入り、そこの料理を堪能するという設定が、なんとも良くてね。 しかし、せっかく楽しみに見始めたところなのに、もう終わってしまった・・・。シーズン4に期待するしかありません。あーん、見始めるのが遅かった・・・。 で、あーあ、と思っていたら、今度は『シノダ課長の推しメシ』という本が話題になっていることを知ったという。 この本、旅行会社に勤めるシノダ課長(実在の人物)が、何十年にも亘って日々自分が食べたものを絵日記風に記録してきたものを編集したものらしい。で、この本を紹介した記事に、実際のシノダ課長の描いた絵が載っていたのですが、これがまた、なかなか可愛らしくてね。 それにしても、自分の食べたものを毎日絵にして記録し続けた、というところが凄い。やっぱり、どんなものであれ、継続することが大事なんですなあ。 というわけで、『孤独のグルメ』と同じベクトルっぽいこの本、ちょっと買ってみようかな~、なんて考えている私なのであります。これこれ! ↓【送料無料】シノダ課長のごはん絵日記 [ 篠田直樹 ]価格:1,365円(税込、送料込) それにしても、『孤独のグルメ』も終わっちゃうし、先日はついに『マツコの知らない世界』も終わっちゃった。大好きな深夜番組が立て続けに終わってしまって、深夜族の私としては寂しい限りでございます。『マツコの知らない世界』、DVD買っちゃおうかな・・・。これこれ! ↓【送料無料】マツコの知らない世界 -極めすぎた男たち 篇ー価格:2,835円(税込、送料込)【送料無料】マツコの知らない世界 -極めすぎた女たち 篇ー価格:2,835円(税込、送料込)
October 3, 2013
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横浜線で起きた踏切事故の報、何と言ってよいやら、本当に痛ましいというか、感動的というか・・・。 踏切内で立ち往生しているご老人を助けるべく、父親の制止を振り切って自ら踏切内に飛び込み、必死で老人を助けたはいいが、自らは電車にひかれてしまったとは・・・。 お父さんとしても、老人を助けずには居られないような気質であることがまさに自慢の娘、その娘さんが眼の前でそういうことになったわけですから、もう、どういう思いをなさっていることか。助けられたご老人だって、居たたまれないだろうなあ。といって、助けられなければ今生きていないわけだし・・・。 まあ、とにかく、こういう人こそ、本当の英雄だよね・・・。 亡くなってしまった後で、何をしてあげたところで、あまり意味はないのかもしれないけれども、しかし、心情としては、この勇気ある女性を顕彰するような、何かがあるべきだと思いますなあ。 同じ状況になったときに、果たして自分は、迫りくる電車をものともせず踏切内に飛び込んでいけるか・・・。考えちゃうよね。 どうなんだろう。私がその場に居たら、どういう行動を取っただろうか。 うーーん・・・・
October 2, 2013
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山崎豊子さんが亡くなりました。享年88。 この人を追悼するほど詳しくない私。実際、この方の作品で読んだのは『白い巨塔』のみですから、そんな私が山崎さんを追悼してしまったら、逆に失礼な気がします。だから「追悼」という言葉は使いたくないのですが、唯一読んだ『白い巨塔』について言えば、読み物として非常に面白かったという記憶がある。本を読みながら、私の空想の中で財前は常に田宮二郎の姿で登場してきましたけどね。 そうそう、それから、いつだったか大学病院の医局に勤めていた友人に聞いたところ、大学病院の内実は、まさにこの小説に描かれた通りだと言ってましたなあ。それだけ、山崎さんの取材が完璧だったということでしょう。 新聞報道によれば、山崎さんは亡くなる直前まで新作の執筆に打ち込まれており、連載の20回分くらいはもう原稿があるとのこと。最晩年に至るまで旺盛な執筆活動を続けられた、というのはやはりすごいことでございます。 ところで、先日サリーナスにあるジョン・スタインベック・センターを訪れたということを書きましたが、その際、強く印象に残ったのは、スタインベックもまた晩年に至るまでスランプなしに過ごした作家だったなあ、ということ。 で、山崎豊子さんとスタインベックに共通することは何かといいますと・・・ 二人共、ジャーナリスティックな作家だった、ということですね。 スタインベックの小説ってのは、よく考えてみると、やっぱりいつもモデルがあるんですよね。それに彼は、もっと明からさまなノンフィクションも書いている。紀行文とかね。で、山崎さんの小説が実在のモデルを徹底取材した上で書かれているのは誰もが知る事実。 そういうことを考えると、「ジャーナリスティックなものが書ける」ということが、結局、息の長い執筆活動を実現させるポイントなんじゃないかな、と。 ま、「だから?」と言われると、答えに窮するのですが、ジャーナリスティックな書き物というものに対し、とかく文学者は軽視しがちなもので、その辺、ちょっとね、偏見がある。そういう偏見を、見直さなくちゃいかんのじゃないかな、なんて思ったりするわけよ。 そう言えば、トルーマン・カポーティも最晩年は、ノンフィクションこそ最高の芸術形式だ、みたいなことを言ってましたっけ。 ま、そんなことを、山崎さんの訃報を見ながら、つらつら考えたことでした、とさ。
October 1, 2013
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