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わたしがまず向かったのは、
日曜日しか一般公開していない モンテチトーリオ宮
。
現在、イタリア議会の 下院
(代議員)議事堂が置かれているところです。
建物の名前の「モンテチトーリオ」が
「下院」の意味として使われているほど名前が定着しています。
建物の前のモンテチトーリオ広場のオベリスクについては
以前書いておりますので こちら
をご覧下さい。
その広場には既に長蛇の列。
誘ってくれた73ちゃんとちゃこちゃんとうきちゃんが並んでいてくれました。
夜8時からの開放で、
その少し後、まだ明るいうちから並び始めたのですが、
入れたのは9時前くらいだったかと思います。
カメラや携帯電話は預けさせられました。
空港のような厳重なチェックを通って、
数十人グループになって蝶ネクタイ姿の職員さんの話を聞きました。
この建物は、17世紀のローマ法王 インノケンティウス10世
が、
ベルニーニ
に命じてルドヴィシ家の住居として造らせたものです。
わたしはインノケンティウス10世に会ったことあります!
と言っても17世紀の人に本当に会ったことがあるわけはなく…。
ベラスケスが描いた肖像画を見たことがある、というだけです。
ここ
に行けばいつでも会えますよ。
お墓は ナヴォーナ広場
の一角、
サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会
にあります。
ちなみにナヴォーナ広場は彼が整備しました。
ベルニーニの四大河の噴水はこの人が造らせたものなんです。
19世紀後半から議会が置かれることになり、
20世紀に入ってパレルモの建築家 エルネスト・バジーレ
が
リベルティ様式の内装に修築しました。
海外からの使節を迎える応接間や記者の待機室、
王政時代に王妃を迎えた広間などを次々と見せてもらい、それぞれには古くて由緒あるだろう絵画やものすごいシャンデリアや
きっと偉いであろう人の胸像やらがいっぱいありました。
最後にメインとなる 議事堂
を見てきました。
建物内の丁度真ん中から北側に半円の劇場の形でそれはあり、
日本の国会議事堂もこんな感じだったかなあ、と考えました。
下院の630人がここで議論を交わすわけです。
ハイテクな投票方法なども見せてもらい、なかなか体験できない、
ためになる社会科見学となりました。
夜の10時くらいにお腹が空きましたので、
通りすがりのバーガーキングに入りました。
こんな日なのでやっぱり混んでいます。
わたしたち4人はまるで女子高生のように(実は アラフォー
)
ハンバーガーをパクつきながら、
噂話に話を咲かせ、時の経つのも忘れてしまいました…と…。
それじゃいかんのです。
せっかく無料の日なんだからできるだけ多くのものを2時までに見なきゃ。
次に目指したのはスペイン階段上の
ヴィッラ・メディチ
(メディチ家の邸宅=現フランス・アカデミー)。
建物内やお庭を見られるのかと思ったら
企画展のみだったので、ここは早めに切り上げ、
大統領官邸脇の スクデリーエ・デル・クイリナーレ
で行われている
ロレンツォ・ロット
の展覧会に行ってきました。
イローナに、絶対行きなよ、と薦められた展覧会でした。
だいたい誰なのよ、ロレンツォ・ロットって、
世界史の教科書にも載ってないし、と思っていたら、
イローナにも73ちゃんにも
これを知らなきゃモグリだくらいの言われようでした。
その理由は彼の絵を見れば分かるのです。
ロレンツォ・ロットは30歳で、
時のローマ法王 ユリウス2世
からローマに呼ばれました。
ミケランジェロやラファエロ
と同時代の人です。
日本だと、ちょうど 応仁の乱
が終わった頃です。
その時代の多くの芸術家のように、
生まれ故郷のヴェネツィアや
ヴァチカンのあるローマに留まったわけではなく、
イタリア中で様々な宗教画や肖像画を残しています。
色使いが中世の人と思えないほど斬新で、
描いている物自体も古典的である題材を完全に打ち破っています。
現在では、パリのルーヴル美術館や
ニューヨークのメトロポリタン美術館などでも収蔵されている
彼の多くの絵画が一同に会する、
とても素晴らしい展覧会となりました。
照明をはじめとする展示方法もとても良くて、
73ちゃんのガイドも有り難く、満足の展覧会でした。
ロレンツォ・ロット
ぜひ展覧会に足をお運び下さい。
6月12日までの開催です。
出不精のわたしを誘ってくれてどうもありがとう。
73ちゃんとちゃこちゃんはウチの並びに住んでいるちょおおおおおご近所さんです。
夜遅くても一緒に帰って来られるし、よかった!
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