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昨日は、4月から豊田市で働いている三女のところで一泊して、今日、鈴鹿市の実家へ帰った。母が倒れて空き家になっている家。田舎だから、敷地も家も広い。それに、田畑もあれば、山林もある。管理するのは大変なことだ。山梨でヤギと暮らしている場合じゃないだろうと言われるかもしれない。鈴鹿でもヤギが飼えるし、土地を借りる必要がないのだから、ヤギたちの住処を作るにしても、もっとやりやすいのは間違いない。しかし、ぼくは山梨から鈴鹿という流れは必然だと感じている。まずは山梨なのだ。実際、山梨でいろいろな動きが出てきている。東京から直接鈴鹿に来ては味わえなかっただろう刺激をもらっている。山梨でしっかりした足跡を残して、あるいは残しつつの鈴鹿だろうと思う。それまでの間、まわりの人たちの力を借りながら、時期を待とうと思う。ある程度の動きを作れれば、力強い応援団が出てくるはずだ。別に、大きなことをやろうという気はない。あくまでも、家族的なレベルでの動きだ。一昨日も、静岡から3家族13人が訪ねてくれた。3歳から60代まで、ヤギさんも一緒に盛り上がった。あんな場を作っていくことだ。氣恵のキッチンカーにも、学校帰りの子どもたちが寄ってくれる。買い物をするわけではないが、いろいろお話をして、中には、車の前にある小さなテーブルの上でランドセルをあけて、宿題を始める子もいる。そういう人とのかかわりが生まれるとうれしい。この間、ぼくは帯津先生の一泊セミナーを開催した。いい感じだった。先生に、「山梨養生塾」を立ち上げていいですかと話したら、「やってください」と了解してくれた。養生というのは、決して健康法ではない。もっと広いものだ。いのち(生命)を正しく養うこと。まずは、ぼくの人脈の中から、すてきな方を呼んで講演会をやることにしよう。映画上映もいい。自分だけのことを考えて生きるより、自分と家族のことを考えて生きる方が幸せだし、自分と家族と仲間のことを考えて生きるともっと幸せだし、自分と家族と仲間と地域の人たちのことを考えて生きれば、幸せはさらに膨らむ。山梨では、養生をテーマに一緒にやっていける仲間ができつつある。鈴鹿でも種をまいている。本当にじわじわだが、妄想が現実化しつつある。さらに前へ進むには、ぼくがもう少しレベルアップしないといけない。がんばりがいがあるというもの。家族のいない故郷はさみしくもあるが、エネルギーが湧き上がってくる場所でもある。明日は山梨へ帰って、またヤギさんたちやスモモのお世話だ。そこから、また何かが生まれてくる。
2022年05月30日
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ぼくが伝えたいことは「もっと気楽に生きようよ」ということ。気楽というのは、怠けることでもないし、楽をすることでもない。東洋では生命エネルギーのことを「氣」と言うけれども、気楽というのは、エネルギーが楽しんでいる状態を言うのかもしれない。氣が喜んだり楽しんだりしていると、宇宙からたくさんの氣が入ってくるし、自分の中の氣は躍動する。氣が不足したり滞ったりすることがない。氣が躍動していると、その状態は、大脳を通して、感情としてぼくたちに喜んでいることを教えてくれる。わくわくしたり、ときめいたりするときは、氣が大いに躍動していると思う。そういう状態を気楽と呼ぶのでは。義務でやっていたり、仕事だから仕方ないと思っていやいや働いているときは、わくわくしないし、ときめかない。氣が不足するしうまく流れない。川が干上がったり、ごみでせき止められたりした状態だ。気づまり。気が重い。中には、はたから見ればつまらないと思えるようなことを、嬉々としてやっている人もいる。そういう人を生命力のある人と言う。気楽に生きている人だ。草刈りはだれもが嫌がる仕事だけど、ぼくの場合、ヤギのエサをとるという目的で草を刈るから苦痛ではない。ヤギのおかげで生命力が高まっている。気楽さをもらっているわけだ。
2022年05月29日
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これも「虫の知らせ」か。昨日のこと。午前中、ヤギたちを畑に連れて行き、おいしい草をたっぷり食べさせた。天気もいいので、そのままにして、午後から氣恵のキッチンカーの手伝いに。2時を過ぎたころだったか。畑のヤギたちが気になった。「ヤギたち、家に戻すわ」氣恵に言って、弘美と手伝いを交代した。畑へ行くと、ヤギたちは待ちかねていたように、メーメーと鳴く。急に空が曇ってきて。遠くに青空はあったが、ぼくの上には黒雲が。「雨か」急いでヤギたちを車に乗せた。女の子を家に連れて行く途中、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。女の子を小屋に入れ、畑へ取って返す。ぽつりぽつりの雨足が少し強くなってきた。雷も鳴り始めた。こういうときに、急に土砂降りになるものだ。男の子を車に乗せた。家へ帰った。と、そのとたん、大粒の雨が落ちてきた。1時間ほど、雨は降り続いた。間一髪。畑からヤギを家に戻すのは3時か4時でいいのに、2時に、「行かないと」と思ったのはどうして?あのまま行かないでいたら、ヤギたちは大嫌いな雨に濡れて、かわいそうなことになったし、ぼくだって、大慌てだった。そうならないように、何かが仕組んでくれた。こういう感覚、大事にしないとと思う。ありがたいことだ。感謝、感謝。
2022年05月26日
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毎日、スモモの木を見上げながら思うのだが、一個も病気にならずに実らせることはできるのか?できないだろうな。できないのに、一個でも病気らしき実を見つけると、「全滅するかも」と心配心が顔を出す。これは精神衛生上、よくないな。無農薬というは、農業初心者のぼくにとっては、はらはらどきどきの毎日だ。「果樹は農薬なしではできない」そんな話をあちこちから聞く。うまくいかなかったら、「農薬を使わないからだ」と言われるに決まっている。木村さんの物語を知っているだけに、当時の木村さんの畑のように、虫だらけ、病気だらけ、葉っぱが落ちて、実など一個も姿が見えない状態になったらどうしようと思うわけだ。木村さんのように、近所から村八分にされるかもしれない。けっこう怖い冒険をしているわけだ。でも、何とか実は梅干し大まで育った。普通の栽培だと、これからぐんぐん大きくなるらしい。無農薬で育つには、木にどれくらいの生命力があるかがカギだ。「がんばってるな」「ありがとう」と一個一個の実、一枚一枚の葉っぱ、一本一本の木に声をかけ、微生物培養液を噴霧し、エネルギー陶器をぶら下げ、ヒーリングミュージックを聞かせる。生命力に響くはずだ。それに、ぼくが借りたスモモの木は、これまで低農薬栽培で育てられてきたが、オーナーは大切に大切にしてきた。生命力がないはずがない。見た目もエネルギーにあふれている。あと1ヶ月。絶対と言うだけの自信はないが、大丈夫だと思う。自信満々で成功するよりも、びくびくしながらの方が、いい結果が出たときの喜びは大きいから、今しばらくは、おどおどびくびくしながら畑へ出かけていくことにしよう。
2022年05月24日
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自分で情報を集め、考え、あるいは直感で、道を選択するのが大事なのではと思う。たとえば、予防注射を打つというのも、打つか打たないは自分で決めるしかない。選択できないことはいっぱいあるけれども、できることもいっぱいある。自分で選択・決断できることなのに、国が悪い、行政が悪い、専門家が悪いというのでは、何とも主体性がないではないか。がん治療で言えば、どんな治療をするかは、医者の話や本を参考にしつつ、最終的には自分で選択し決断するしかない。「お任せします」と言うのは、自分に対して無責任だし、そんな大切なこと、本当にお任せしていいのと、ぼくは思ってしまうけど。米国産スモモの輸入が解禁になったという記事が山梨日日新聞に出ていた。桃も解禁になりそうだということだ。ぼくもスモモを栽培し始めた。それで生計を立てているわけではないので問題はないけれども、山梨の果樹農家は大きなダメージを受けると思う。ぼくは、無農薬でがんばっている。病気も出ているし、うまく実るかどうかわからないが、無農薬で栽培しておいしければ「いくらでも買い取りますよ」という人が現れた。そういう人は、安いアメリカ産のスモモではなく、農薬を使わないおいしいスモモを欲しがる販路をもっている。アメリカから入ってくるスモモは、船で運ばれてくるのだろうから、いろいろな薬剤を使って、痛まないようにしているはずだ。それを食べるのか、国産のものにすのか、無農薬のスモモにするのか。それも消費者の選択だ。そして、生産者も選択を迫られている。これまで通りのやり方だと、売り上げは落ちるだろうし、さてさてどうするか?打開策は自分で選択して決めないと。無農薬で果樹を育てるのは大変なことだとされているが、挑戦する人が出てくるといいな。売ってくれる人も増えてくるはずだ。ぼくのスモモがいい感じでできれば、どんどんアピールしていこうと思う。あと1ヶ月くらいで収穫できるはずだ。
2022年05月23日
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ぼくは三重県鈴鹿市で生まれ育った。大学時代は名古屋で下宿生活。卒業後は、富山県→実家→名古屋→東京→埼玉県→東京と移り住んで、今は山梨県にいる。実家に帰る道を避けてきた。東京から山梨へ移住したとき、田舎で生活したいなら鈴鹿へ帰ればいいじゃないかと、まわりから言われた。実家では老いた母が一人で暮らしていた。人情的には、母のそばにいてあげたいと思った。でも、その選択をせずに山梨に来た。どうしてだろう?自分でもよくわからない。でも、最近わかった。ぼくは、実家では思い切った生き方ができない。母が元気なうちは特にそうだ。人と違うことをやるのが大嫌いな母。「無農薬で畑をやろうかな」「そんなことやったら何言われるかわからんよ。だれもそんなことやっとらへんがな。絶対に反対!」友だちを集めてイベントでもやろうものなら、「そんな大騒ぎして、近所の人が何と思うか」とにかく、波風立てずに静かに生きることを大切にしていた。母が倒れて山梨の施設に入ったが、実家へ帰ると、母の呪縛を感じてしまう。「やっちゃんはええ子やな」そう言われることが、父にも母にも誇りだった。ぼくも、基本的にはいい子だったが、「いい子でいないといけない」という窮屈さが小さいころからあった。実家へ帰ると、「いい子」に戻らないといけないという、強烈な縛りがあるのだ。本当は、そこを突破する必要があるのだが、すぐには難しい。そこで、思いっきり生きるトレーニングを山梨の地でやっているのだ。ヤギを飼い、無農薬ですももや野菜を育てているが、山梨だからこそ思い切ってできたことだ。このまま山梨で過ごすのか、鈴鹿へ帰るのか、よくわからないが、山梨である程度の結果を出せば、同じようなことを鈴鹿でもやるかもしれない。70過ぎてから、故郷へ帰って、ヤギを飼って、無農薬栽培をやってもいいかもな。
2022年05月19日
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今日は父親の命日。2018年に88歳で亡くなった。職人で、絵にかいたような頑固おやじ。何でも自分でやった。仕事も、人がやっているのを見て覚えてしまう器用さがあった。子どものころ、父親に髪の毛を切ってもらい、顔もそってもらって、「自分にはこんなことできない。大人になれるんだろうか」そう不安に思ったものだ。8人兄弟で、今残っているのは、90歳になる父の妹だけ。彼女の話によると、父は四男坊だったが、愼一郎という長男のような名前だった。長男は戦死、次男は幼いころに亡くなり、三男は養子にいった。奇しくも長男の役割を背負わされることになったのが、父は、農業をやるのは嫌だったみたいだ。父の父(ぼくの祖父)に、「上の学校へ行かせてくれ」と頼んだらしい。勉強する意欲はあった。姉が優秀だったようで、自分からすすんで教えを請うていたらしい。だけど、祖父は「百姓はあほでもできる。学校なんかいかんでええ」と聞く耳をもたなかった。悔しかったと思う。自分の夢を息子に託した。ぼくは、長男でありながら、父から田んぼを手伝えとは一回も言われなかった。勉強をして大学へ行って、いい会社か県庁に勤める、いわゆるホワイトカラーで生きることを求めた。大学生のころ、父の運転する車で駅まで送ってもらうとき、父が言った。「あのブロック塀は俺が作ったんや」駅までの20分ほどの間に、いくつもある。ぼくは思った。「子どもに、これは俺がやった仕事や、と言えることをやりたい」それが今のぼくの生き方の原点になっている。父の期待にある程度はこたえられたと思う。そして、本を書くという仕事をして、「俺が書いた本や」と言えるものは残せた。今、ヤギを飼って畑をやっているが、どうあっても父のようにはできない。ただ、父に言いたいのは、「百姓はあほではできへんで」ということ。父の時代、農業は虐げられていた。これからの日本に農業は必要ないというような政策だった。とんでもないバカなことを、政治家は平気でやっていたし、庶民も、農業なんてと思っていた。息子にはそんな底辺の仕事をさせたくないと、切実に思ったのだろう。だけど、こんなにも奥深い仕事はないぞ。ぼくには、父のように、農業で飯を食べていくだけのセンスはない。でも、農業の大切さを伝えることはできるはずだ。あるいは、ぼくがやっているような、家庭菜園レベルで自分と家族の腹を満たすくらいの農業なら、だれでもその気になったらできるわけで、片手間農業を啓蒙することはできるのではないか。ぼくに、父のような器用さと観察力、集中力があったらと思うこともあるが、それがないからこそできることもある。父に自慢できることをやって、それから父に会いに行けばいい。「ようやった。がんばったな」と、ほめてもらいたいね。
2022年05月18日
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2019年の6月だったか、母が白内障の手術をした。病院に付き添って、待合室にある血圧計に手を通した。何となくだ。それまで、めったに測定しなかったが、計ったときは、130・80くらいの極めて正常な数字だった。ところが、そのときは、なんと180・100くらいあった。驚いた。もう一回計った。同じような数字だ。実家では、いろいろな問題が起こっていた。2018年2019年というのは、ぼくにとっては「よくぞ耐えた」と思える年だった。2018年に父が亡くなり、2019年には2人の兄弟が相次いで旅立っていった。身内の死が、これほどまでに心身にダメージを与えるとは思ってもみなかった。以来、ずっと高血圧が続いている。家庭用の血圧計を買って毎日測定した。サプリメントも飲んだし、神経ブロック注射にも通った。気功もやった。だけど下がらない。病院へ行ったこともあった。検査をしても、どこも健康。ただ血圧だけが高い。「食事に注意して様子を見ましょう」ということで帰された。「もういいや」と開き直った。血圧計も使わなくなった。山梨へ越して、母が倒れたが、母をこちらの施設へ入れて、やっと一息入れられた気がする。昨日、2年ぶりくらいで計ってみた。147・88。あの病院での衝撃以来、もっとも低かった。病院へ行けば高血圧と診断される数値だが、これなら大丈夫。いろいろ体の不具合が起こってくるのは仕方ない。いちいち気にしていたらキリがない。適度な健康で満足しつつ、もちろん健康には気をつける必要があるが、健康第一ではなく、健康は、あくまでもやりたいこと、やるべきことをやるための手段と考える。今は、やるべきことをやるに十分な健康状態だ。そのことに感謝し、無理せずあわてず、一つひとつ、目の前のことをこなしていこう!
2022年05月14日
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ゴールデンウイークに入ったころから、何年ぶりかの便秘状態だった。出ないか、出ても申し訳程度の少量。お腹が痛いとか張るとかつらいということはなかったが、気持ち的に晴れ晴れしない。朝、それなりの量が出てこそ、気持ちのいい一日を過ごすことができるものだ。3日ほど前から回復してきた。2週間かかったな。その間にやったこと。松葉ヨーグルトに粉寒天(食物繊維)、アガベシロップ(甘味料)、長沢オリゴという腸内細菌にいいサプリを混ぜて飲む。弘美のヒーリング。お風呂でのお腹のマッサージ。お腹に力を入れて姿勢を正す。運動はヤギたちの世話で十分にやっているけれども、腹筋運動をやってみた(昔買った器具を引っ張り出してきた)。おかげさまで、以前と同じように出るようになったが、年を取れば、体の不具合は出てくるんだろうと実感した。今年に入って、なかなか寝付かれない日が続いた。坐骨神経痛があった。めまいがして半日寝ていることが一度あった。節々の痛み、筋肉痛は慣れない農業のせいだろうな。そして今回の便秘。便秘が解消して、体の痛み(苦痛ではない)以外は解決したけれども、体のメンテナンスも考えないと。気功をやろうかな。呼吸と姿勢を意識しよう。食事は少なめ。間食を少なくする。腹筋運動も続ける。ときどき温泉に行ってリラックスする。日々の暮らしのリズムは出てきたけれども、もう少し余裕をもった方がいいかな。まだやりたいことがいくつもあるから、病気で挫折しないようにする。健康は目的ではなく、何かをやるための手段である。貝原益軒も、70歳で退職したあと、自分がやりたいことをやろうと決めて、養生に励んだ。70歳以降に、200冊を超える本を書いたそうだ。健康でいることの意味も心に刻んで、人生の終盤、すてきに生きたいと思う。
2022年05月13日
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「あいつ、面白いことやっているな」「一生懸命にやっているな」そう思ってもらえると、味方が増えてくる。それも、味方を作るためにやっているという計算があると、いずれは見透かされてしまう。無に近い状態になって、まわりから見れば、「ばかみたい」と思われるようなことでも、夢中になって取り組んでいくことだ。そのためには、好きなことじゃないと続かない。お金にならなくても、人から評価されなくても、好きだからやり続けている。その姿勢が、人の興味のスイッチをオンにする。ぼくが毎朝、ヤギを連れて畑へ行き、畑の草を、夜のエサ用に刈り取っていく姿。まず思われるのは、「ヤギを飼って何をしようとしているのだろう?」多くの人が仕事とつなげるから、「乳をとるの?」「繁殖させて売るの?」と考えるけれども、こちらは大した目的もなくヤギを飼っているわけで、それだけでも「面白いな」と思ってもらえる。自分で言うのも変だけど、これまでの人生の中で、一生懸命に楽しそうにやっている姿をまわりに見せられているという点では一番じゃないだろか。もちろん、計算なしで。好きなのか?と言われると、いわゆる、通常の好きの概念とはちょっと違う。どうしようもなくヤギが好きだということではない。彼らをいかに快適に過ごさせるかを考えるのが面白いのかな。どんな草が好きだろう?リードでつながれてもできるだけ自由に動けるにはどうしたらいいか?雨をしのぐのにいい方法はないか?そんなことを考えて、いろいろ工夫して、彼らのとっての快適な日々を作ってあげようとするのが、好きなのかなと思っている。ヤギの世話は、収入とはほとんど関係ない。趣味とはまた違う。感覚的には仕事だ。だから、午前中だけと決めている。半農半文筆。午後は、パソコンに向かって原稿を書く。ぼく自身、ぼくのような生活をしている人を見たら、興味をもつ。それが快感かな。今日もこれからヤギさんを畑に連れて行く。昨日、ちょっとした工夫をしたから楽しみだ。
2022年05月12日
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世間は、コロナを忘れたゴールデンウイークということで、あちこちの観光地はにぎわったようだ。束の間の息抜きかもしれないが、エネルギーの充電ができたことだと思う。我が家は、正月以来、家族5人がそろった。近くのお店に食事に行ったくらいだったが、みんなで手分けしながらヤギーずの世話をしたり、キッチンカーイベントをやったりと、別にどこかへ遊びに行かなくても、家族で楽しく過ごすことができた。休みには出かけないといけないというのも、思い込みだな。出かけないと楽しめないことは絶対にないし、家にいても楽しめる何かがあると、生活は豊かになると思うな。そんなことを言うと妻は反発するけれども、だいたいヤギを飼おうと言い出したのは彼女で、そのために家を空けられなくなっているわけだ。キッチンカーも妻が言い出したこと。休みの日は稼ぎどきだから、世間並みに旅行を楽しむなんてできないわけだ。たぶん、妻は「こうしないと幸せじゃない」という固定観念が強いから、潜在意識がそれを修正すべく、ヤギを飼わせたり、キッチンカー事業に手を出させたㇼしたのだろう。本人は、口ではハワイへ行きたい、ゆっくり休みたいと言うけれども、ヤギをかわいがり、キッチンカーで忙しく動くのを楽しんでいると思う。ヤギを飼うのをやめてハワイへ行くかい?キッチンカーをやめてどこかでのんびりするかい?たぶん、NO! というだろうと思う。ぼくは、旅行なんかしなくても、おいしいものを食べに行かなくても、今で十分。だから、今の時点では、ぼくの方が妻よりも幸せ度が高いということだ。
2022年05月06日
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かなしい出来事は突然襲ってくる。4月30日。氣恵が企画した「動物の日」。我が家の5頭のヤギ、場所を提供してくれたオギハラさんのところの、5頭のヤギさんとポニー。それに、昇仙峡からオサダさんが馬を一頭連れてきた。保育園にもチラシを配ってもらい、たくさんの親子連れでにぎわいことは間違いなかった。一番の目玉企画は、馬のはじめちゃん(メス6歳)に乗るというエキサイティングな体験だ。「お馬さんに乗るんだ」という、子どもたちの声があちこちから聞こえてきた。ところが、馬運車に乗ってやってきたはじめちゃん。乗馬の準備をしようと馬場に向かう途中、手綱が足に絡まってパニックになってしまう。右に左に飛び跳ねて、ついには転んでしまった。そして、足を痛めて起き上がれなくなってしまった。イベントは、ヤギさんたちが子どもたちの相手をしてくれて、とても盛り上がった。横になっているはじめちゃんを気にして、「だいじょうぶ?」と近づき、横にしゃがんでなでてくれる子もいた。何とか起き上がらせようと、手綱を引っ張ったり、元大工さんのリードで、単管パイプでやぐらを組み立て、滑車を使って立たそうともした。しかし、後ろ足にうまく力が入らないのか、どうしても起き上がれない。重機を使ってもダメだった。結局、横にしたまま、獣医さんを呼んだ。骨折はないようだったが、どうも右後ろ足の付け根の十字靱帯が切れているようだとの診断。「手術ですか?」「いや、ちょっと無理だな」無理だなというのは、暗に安楽死しかないという見方だ。馬は足を怪我すると、体重を支えられず、結局、ほかの病気を併発して命を落とす。長時間苦しい思いをさせるのではなく、薬で楽にしてあげるのが当然の処置だ。飼い主のオサダさんとしては悩むところだ。彼も、はじめちゃんが倒れたときに、右足をはさまれて歩けない状態だった。「何とか馬房まで連れて行ってあげたい」それが彼の希望だった。横たわるはじめちゃんの目はキラキラしていた。苦痛があるとは思えないすんだ目だった。飼い主さんが決めたことには従うという決意が感じられた。重機で引きずるように馬運車に乗せ、はじめちゃんはお家へ戻った。オサダさんは病院へ向かった。明日は、オサダさんもつらい決断をしないといけないだろう。突然のかなしみ。声も出ない。なぜ、このタイミングではじめちゃんは命にかかわる大けがをしないといけなかったのだろうか?「すべてのことには意味がある」ぼくが心に刻んでいることだ。かなしい出来事ほど強い意味をもつような気もする。翌朝、氣恵から連絡があった。「はじめちゃん、朝の4時ごろに亡くなった」安楽死ではなかった。自分が選んで旅立って行った。「オサダさんにつらい決断をさせたくなかったんじゃない」弘美が言う。そうだと思う。動物たちは、人間以上に生と死のタイミングを感じ取れる。生があれば死がある。当たり前のことだけれども、生と死のはざまには、強烈なエネルギーがあって、まわりの人たちの心を大きく揺さぶる。揺さぶられた心から、ぼくたちはさまざまな気づきをもらえる。それが人の成長へとつながっていく。はじめちゃん、君はよくがんばってくれた。はじめちゃんにあったみんなが、君のこと大好きになった。ありがとう。
2022年05月03日
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