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先週の金曜日、土曜日は診療所の看護師とのやりとりで腹ただしいことが続き、帰宅しても怒りが鎮まらず土曜日は睡眠2時間ほどで出勤。 あの床ずれ患者さんに対しての、その後に連絡して土、日の対応をどうするか確認してみたが、月曜日に往診するまで指示は出せないので、それ以上のことは言えない、と。「土曜日と日曜日はどうしたらよいんでしょうか」と再度聞くと、詳しいことは師長しか知らないので、私にこれ以上のことをきいてもらってもこたえない」ですって。 「がん末期で、これ以上のことはできないのでケアマネージャーさんにもそのことを話している」と繰り返す。処置に必要な医療材料や薬剤は担当する主治医から提供されるべきもので、訪問看護ステーションではそれはできない。 とりあえず、必要な医療材料や軟膏をいただけませんか、と頼んでみても「医師が診察していなければ出せません」との答え。だから早めに往診を頼んだのに、全く。 「これ以上対応することはできない」との判断は、誰がしたんですか?」 「ご家族には、そのことを伝えて了解をいただいていますか?」 在宅医療に限らず、医療はチームワークで情報共有しているのが当然のあり方なのに、「私は知りません」の一辺倒。ふーん、カルテにも家族への説明内容についても記載がないんだな。 在宅医療については、もう20年以上前から治療を提供するというより、ケアを提供するもの、と言われている。 この診療所の所長や、この医療法人の理事長に「質問状」を出そうとまで考えてしまった。 そもそも治療としてやれることは無い、という考え方は大間違い。床ずれの痛みを少なくしたり、悪化を防いだり、臭いを最小限にしたりと、ケアとして出来ることは沢山あるのに。癌、非癌に限らず、痛みを緩和することは絶対しなくてはいけないことだし、床ずれを予防したり、肺炎や関節の拘縮を出来るだけ防ぐのだって緩和ケアの中心になるのに。 ひょっとして、この診療所は現在の治療やケアを組織として学んでないの?と勘ぐりたくなる。 日曜日、一日緊急用携帯電話の連絡を待ちながら、月曜日になってこの診療所の師長と話してもきっといい訳しかしないだろうな、そんな人たちには医療をする資格なんて、無いように思ってしまう。
2014年03月30日
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連携している在宅専門の診療所の師長から、12時過ぎ携帯電話に連絡があった。 今週の水曜日に初回の訪問診察に行った方の膀胱留置カテーテルがぬけてしまったので臨時訪問をしてほしいとの要請。今日の午後は、二人の医師が訪問診察に行く予定なのに訪問看護ステーションに臨時依頼をするというのは、往診体制に大変な状況があるのだと解釈し、初回訪問をしてない方なのだが、臨時に訪問してカテーテル処置をすることを約束した。 頂いた電話で失礼とは思いつつ、褥創が急速に悪化している乳がん末期の方の臨時の訪問診察を依頼した。火曜日の訪問入浴で仙骨部の褥創が悪化し不良肉芽や出血があり、処置に必要な薬や医療材料が一つもなく、医師の診察で今後の治療方針を立てていただきたい旨をお話しする。 師長は二つ返事で、午後の往診をすることを約束してくれた。 それなのに、それなのに、夕方6時前に診療所の看護師が本日の往診の結果の内容に、そのひどい褥創患者の往診はしていないし、知らなかったという無責任な回答。ケアマネージャーに、訪問介護のヘルパーさんがこれ以上対処できないので訪問看護の回数を増やしてほしいと、切実な訴えがあったことを伝えても、「医師の指示がなければ訪問看護の回数は増やせないし、診療所は褥創が悪化していることは知っているが対処のしようがない、といって往診に行ってくれない。ケアマネージャーとして、水曜日から状態を報告しているのに動いてくれないので、訪問看護から診療所にかけあってほしい」と。 うーん、どいつもこいつも状態悪化している患者さんのことをどう考えているんだ。それぞれの専門職としてどう果たすべき責任を考えているんだ!!(怒りモード急上昇) 診療所の看護師に、「2月末から褥創の悪化については、毎回報告しているのにどうして対処方法を明確に指示できないの?乳がんの末期なので褥創が悪化するのは止むをえないけれど、せめて悪化の進行を食い止めるとか、痛みを和らげるためにはどんな医療材料や薬剤が適切か、具体的に考えないのは無責任すぎる!」と怒った。 その診療所の看護師は、看護経験がそろそろ25年になるベテランになのに、往診をして創の状態の見極めをしなかったことは棚上げして「医師の診察がないのに薬や医療材料は出せない」と言い張る。「褥創について訪問診察をずっと依頼しているのに、創の状態を診察して指示を出さないのは在宅診療所として無責任すぎるし、処置物品が一つもないことをどう考えているの?褥創に悪化進行について、家族に説明しているの?訪問看護師の報告をどう考えて、往診につなげているの?」と、やや興奮してその無責任な態度について声を荒げて不満を述べた。 「私は知らなかった。師長と相談して連絡します」とだけ、言い残して診療所に帰って行った。 その時間が、17時50分。本日中に連絡があるはずと事務所で記録等の作業をしながら待つこと1時間、18時50分になっても電話連絡さえもなかった。診療所の前に行ってみたら、すっかり電気は消えていて、玄関の鍵も閉まっていた。 今さらでもないが、昔から「患者のために奔走する医師」はいたことはいたけど、「切れ目ない医療を、病院から在宅まで責任を持って行います」なんてかっこいいことを言いながら、このざまは何だ。24時間、自己犠牲をしながら医療を続けるのは無理と思うが、日中に対処できるのに其れを怠るその精神が信じられない。 緩和ケアは痛みや吐き気、倦怠感などは比較的対応できているのに、スキンケアについて対応が甘いのはどうしてだろう。在宅診療は、全身管理をきっちりして、患者さんや家族のQOLを高めたり維持するべきなのに、急性期医療のようにただ疾患しか見ない。 今日は、全く持って腹ただしい一日であった。 私が怒ったとしても、何も変わらないのだけど、それにしてもどうしてこうも無責任な医療をしていることに恥を感じないのか、反省しないのか本当に不思議だ。たった2回の訪問診察をすると、患者一人当たり10万円ほどの収入になるので、往診患者さんを確保することには一生懸命なのに、頂くお金に見合った診療をしないことをどう考えているのだろう。本当に、不思議な医療機関!!」
2014年03月28日
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同僚I さんが職場を去った日その夕方、部長以外の幹部数人がパワハラ上司と面接。今週の月曜日には、緊急手術で入院された部長が出勤を初めてさっそくその晩に面接があった様子。 サービス残業を拒否することから始めようと決心し、「今5時半ですが、これこれの仕事がまだ残っており1時間ほど残業をしてよろしいでしょうか?」と上司に伺ってみた。「あぁ、いいですよ」の一言ですんだ。部下に言われると、機嫌が悪くなり返事もしなかったのに、幹部から言われたことなら従う人のよう。 日本の為政者が、アメリカにはNOと言えず、韓国や中国には強気で突き進むと似ている。 何ともえげつない話だが、とりあえず残業は申告できるようになったのでこれはこれで先ずよいとしよう。 「新患は決して断らない」とは部長からきつく言われているらしく、一人欠員なのに、ドンドン新患を受け入れている。今までは、すべて自分でやっていたが、それは無理と思っているようで新規の患者受け入れの初回訪問やアセスメント・看護計画の立案などがメンバーに廻ってきた。考え仕事をする機会になるので、これも良い変化だと思う。 一昨日は、春めいた陽気になり午後にはあちらこちらで桜が咲き始めた。今週末は携帯当番だけれども、石神井川の桜もきっと見ごろになりそう。 季節は巡り、変わって行く。 人も環境(人、モノ、金)が変われば、変わりうる。 もう来週は、4月。気分一新して、頑張って行こう。
2014年03月28日
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先週末は3連休で某学会に参加予定だったが、何となく気持ちが重くTV(BS、CS)を観たり、家事をしたり。 最近、池波正太郎の「剣客商売」「鬼平犯科帳」や山田洋二監督の「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」にはまっている。相手の立場を斟酌し決して相手の自尊心を傷つけたり、一方的に責めないその姿勢に教わることが多い。日本人の大人は、以前はこういう方が多かったのかもしれない。 戦後民主主義の教育を受けた私は、自己主張をすることや、自主性を重んじること、議論は徹底的にすることなど小学校高学年で躾けられこの癖がなかなかとれなくって、上司でも同僚でも「言いたいことは言う」がずっと続いていた。でもそれは大人無い言動で、相手に受け止めてくれる余裕があるか、どんな表現をすれば受け入れられるかなど、言いっ放しではダメなんだと、やっとそんなことを考えるようになった。 本当に相手を思いやるなら、話を良く聴き、何を望み何を苦痛としているかなど、相手を知ることをまずしないと自分の言葉は伝わらない。 やっとこんなことに気がつき始めた。若い時から自然にできる人も多いと思うけど、色々痛い思いをしてやっとたどり着く私のようなものもいる。年を重ねるのも悪くは無いものだ。 さてさて、関東はお彼岸が過ぎてからめっきり暖かくなり、昨日の昼間は上着を着ると暑く半袖のポロシャツと夏用のUVカットのパーカーで大丈夫だった。 街路樹の辛夷は咲き始めていたが、都会の木々は落ち葉対策や電線に枝が触らないようになどと、ガンガン枝が切られてしまっていてとっても痛々しい。 桜のつぼみがふっくらしてきて、早咲きのものはもう咲きだしている。今年の冬は、大雪に2回も見舞われ寒さが続いたが、やっと春がやってきた。 自然の中で、野生のままに成長した樹木を見たい。
2014年03月24日
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一昨日のこと。所長が休みだったので出勤するつもりでいたI。それが8時10分過ぎ所長が間違って出勤し、「休みの日には休まれたほうがいいですよ」と伝えたが、「事務仕事が残っているから今日は働く」と。 Iには、所長が出勤しているので休んだほうが良いと思うと電話で話すが,ポカ休は自分の信条から出来ないと出勤してきたが、玄関の前から泣きだし、やっとのことで「今日は働けません」と所長に伝え事務所を去って行った。 最近 同僚Iは所長が居ると職場を離れ、患者さん宅の移動中にゼリー飲料などを飲んでやり過ごしていた。自宅では食べられるのに、仕事中は全く空腹感がなく低血糖で手が震えたりしているそう。所長の近くに行くと、のどが詰まり声が出なくなり、心臓がバクバクして息がつけない。 所長を以外のメンバーには、1月末に伝えできるだけフォローを皆でするようにしていた。問題は 同僚Iと所長が二人になるとき。メンバーへの苦情を同僚Iに伝え、それを何となくメンバー全員に伝えるように仕向けていたようだ。愚痴をこぼしたり、メンバーの欠点を話したり、ときには 「Iが所長になればよいのに」とか、「私が所長で困っているでしょうなど」とも。そのくせ、朝礼など公的な場では何も言わないのだ。 Iは最古参の一人で、業務全般を習熟しており、他の訪問看護事業所や居宅介護支援事業所などと顔見知りであり、所長が移動当初 I宛に電話や文書がくるのも気にいらなかったらしい。「何でIさんあてにみんな連絡があるの」ともいったという。 こういったやりとりは、1対1の場面で起こったことらしく、メンバーは殆ど気がつかなかった。 正月明けから、腹痛も起こすようになり、これ以上今の職場で働き続けることは無理と判断し、退職届を提出したが受け取らず、部長に相談するので待ってほしいと言われて1カ月、何の音沙汰もなし。「今のままで退職はできない。次の後継者を育ててからでないと締めさせない」とまでいったそう。 この話をきいて、すっかりこの所長に呆れ果ててしまい「Iさんが辞めてしまうのは寂しいけど、体を壊してまで働き続けることないからもう早く退職してしまいなさい。直属の上司を飛び越えても仕方ないので、部長に直接話をしていいんじゃない」。それが2月中旬のころ。 そして一昨日、彼女は職場を去って行った。 何でこんな深刻な事態になるまでIを追い込んでしまったのだろうか。 少数職場は、職責者もメンバーと同様に現場業務をこなしながら管理業務をせざるをえない。ましてや、経験のない職場に配属されたら、最低半年か一年は現場業務を一から学ばなければならない。職責でもメンバーから一つ一つ教えてもらわないと仕事ができない。 看護ケアの進歩は著しく、数年前までの知識や技術が役立たないことも多い。 約一カ月半、前職の所長からオリエンテーションを受け現場業務に入ったころは、明るく元気な方だなぁ、といった印象しかなく、まさかパワハラをする所長に育っていくとも思いもせず。 職場会議は開かないし、会議録を公表しないし、突然クレームを厳しい文面で連絡ノートに記入したり、ちょっと変な人かなぁ、という感じはしていた。訪問記録を記入せずに何日も自分の机の上に置いておいたり、他の事業所からの新規受け入れの情報を皆に伝えていなかったり、少しずつ所長不在時に対応に困ることが増えて行った。 訪問看護は春夏秋冬を最低1クール経験しないとなかなか把握できないから仕方がないかと受け止めていたが、Iから所長の言動をきくまで、その実態をメンバーは知ることがなかった。 前任の所長は管理業務経験が長く、Iを頼り、Iもその期待にこたえ、主任という役職は無いものの管理業務の一部を引き受け懸命に頑張っていた。前任は、その彼女の頑張りを認め彼女を立てていた。その時期には、所長に対してIから殆ど苦情をきくことは無かった。まぁ、簡単に言ってしまえば、主任にしなで、うまく使いこなしていたに過ぎない。 職場の決定は、所長とIとの相談で決めることが多く、前任も職場会議を開くとか、研修会に積極的に受けさせるとか、カンファレンスを開くことも殆どなかったし、メンバーは、命じられたことを命じられたように仕事をすれば特に注意を受けることなく職場で仕事ができるといった具合だ。 少数職場にありがちな運営方法だろうが、これでは人は育たない。一人ひとりの患者に合った最適なケアを工夫することができない。さらに、患者の状態が安定している場合は問題が表面化しないが、状態に変化があったときには対応が遅れて状態を悪化させてしまう。 少数職場でも、組織的運営に心掛けなければ、様々な問題がいずれは表面化して大変な事態を招くことになる。 今回のIさんの件は、不幸にもIさんの身に起こってしまったが、従来通りの管理方法が続くなら、次の犠牲者が生まれるかもしれない。 慎重に事を運ばないと混乱するだけになってしまうだろうし、「いい大人」の所長に問題を指摘しても相手は変わるはずもなかろうし、何かを言えば変わるなら、もうとっくに変わっているもの。 好き嫌いの私的感情を職場に持ち込まないで、冷静に状況と人物を観察して作戦を何通りも立ててやっていくしかないだろう。まずは、メンバーが元気に明るく働けるように頑張るしかないかな。
2014年03月21日
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かかりつけのメンタルクリニックは、地下鉄で2駅。 通勤で使っている電動自転車はパナソニックと合併したSANYO製(eneloop)。坂道などでは自家発電できる。5年前に購入したが、リチウム電池だが八分ほどの片道通勤なのに3日ともたない。 冬のボーナスで思い切って新品を購入し、ちょっと遠くでも出かけられるようになった。 3月になっても最初の通院時に思い切って地図を片手に自転車で、約10分で到着。 もう迷うことは無いと自信がついて、昨日も自転車。 埃っぱくて混雑している地下鉄に乗るより、ずっと快適。 最高気温が20度を超えた春めく空気の中、ささやかな冒険気分。 こんな気分になれるのだから、最近は結構調子よく、携帯当番が3日間続いて眠剤を服用しなくても熟睡感が得られる。家事は苦手だけれど、仕事はやっと普通並みに近づいてきた。先生の「2週間どうでした?」と尋ねられても、「家事以外は、まあまあできるようになってきています。」と返答。 「何か問題はありますか?」 「自分についてはありませんけど、職場は問題だらけです。」 パワハラ上司に参っている同僚について相談してみた。 「上司がいると感じるだけで、心臓がバクバクして言葉が出なくなってしまう。その上司と30センチほどの距離に机があるのだけれど、その距離では言葉が出ずに話したいと思っていることも声が出ない。感情のコントロールができなくなって急に涙があふれてくる」など同僚のようすを話し、「しばらく職場から離れたほうが良いと、同僚間では話し合っているんですが、どんなことができますか」 「ストレスによる障害なので、薬物療法をしても、ストレスの元凶がある限りは治らない。退職するか、配置転換するか、ストレッサーと接しないようにしないと治らない。先生としては、重症だと考えるので、最悪の事態(自殺)を回避するために、もう今の職場で仕事をしてはだめだね。」と先生。 彼女はとっても責任感が強く、そのパワハラ上司と接して心臓がバクバクして苦しくなったのは12月初旬のころ。1月初めのころ、その話をやっと上司以外の同僚に話してくれた。 仕事も子育ても家事もそつなくこなしている、いわゆるできる人だったので、メンバー間で出来るサポートをしていたが、上司との関係はやはりつらいもので、とうとう一緒にご飯を食べることができなくなり、家では食事ができるのに、仕事中は空腹感もなく、食べたくなくなるという。エネルギー不足になるので、手が震えたりするという。 先生の見立てを伺い、言葉もない。 私たちメンバーも実力ある彼女に頼り過ぎていたのだ。「最悪の事態を避けなければならない!」という先生の言葉はこたえた。 もう来週からは、出勤しないですむようにみんなで頑張ろうね、とメンバーで決めてはいたけど、そんなに重症にしてしまったかと思う、あと3カ月早く休職を進めていたらこんなにもならなかったのに、と涙が出てきた。 人は人に対して、こんなにも相手の精神を追い込んでしまうのだ。 彼女は上司がいなければ、何とか話ができたり食事も食べられる。明日は上司が休みなので、最後の出勤日。何ともやりきれない事態だけど、一番に守らなければならないのは彼女の健康。 それから、もうパワハラで体調を崩す同僚を一人も出さないことだ。 職場で一番の年寄りなので、何とか職場の雰囲気をよくして、機を見てこの上司と対決しなければと思う。
2014年03月19日
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私の信条として、仕事を始めて以来、個人的感情を職場に持ち込まない、ということがある。 それが、それが停年まで後3年余といった今日現在、人生で最高に嫌いと思ってしまう職責に出会ってしまった。 なんといおうか、上司には猫なで声であまえ、レクチャーを受けても全然覚えない。同じことを何回も訊くのに、その甘えた口調や態度で、苦笑されはするが指導を受けたり叱られたりしないでいる。 そのくせ、部下に対しては高圧的で、いわゆる「上から目線」。 経営が厳しいことを理由に、職場で合意を得る努力をせず一方的に命令してくる。どんなことでも口頭で、上司本人に報告しないと機嫌が悪くなる。私的理由で1週間休暇をとったとにも、申し送りノートや記録を見もしないで口頭報告を求める。 終業時刻が過ぎてから、明日の仕事に対して指示をするくせに時間外手当を申請するようなことは一切口にしない。始業前に出社し、事務的なことや掃除や洗濯などいつもしているメンバーに対して感謝の言葉はなし。 メンバーには、報告を求めるのに、患者家族と約束したことを記録にも載せずにいる。記録も雑だし、看護的判断も弱い。急性期の病棟で働いていた方だから、慢性患者の看護に対しては力量が足りないのだろうが、学習もせず、メンバーに尋ねることもせず、ケアマネージャーに言われたままのケアしかしていない。 看護師なのだから、その方の人生をどう豊かにしたり、苦痛を軽減したり、体力を維持して行動範囲を少しでも広げていくとか。ご本人が何を望んでいるのか、それを明らかにして看護ケアを組み立てて行ってほしいのに、ケアマネジャーに入浴介助と言われたら他の健康問題には一切触れず入浴のみだけ。 患者さんに対する「できるだけ苦痛を軽減して、毎日の暮らしを豊かにする」ための努力をされているとまったく感じられない。 看護師になって30余年。自分の考え方と違う方とでも、患者に対して最大限にケアを提供するためにはどうしたらよいか、については話し合いできた。今の上司は、メンバーに指示はするが、ケアについて検討すすことは全くしない。 時間外時間の深刻も、終業時刻が過ぎて業務をしていても、時間外の指示を出さず。記録も他の事業所への連絡も、主治医への報告も業務なのに、「時間外を何時まで記入してね」とのひとことがない。非常勤の看護師たちは、契約時間より早く出勤し、契約時がんが過ぎても業務を終えるまで仕事をしているのに、それらは全く無視。 その彼女たちに、労いの言葉一つ書けない。 この上司に仕事ぶりを見ていると、なんて自分勝手かとガッカリしてしまう。 メンバーの意見を謙虚に聞き、チームで仕事を作りあげるというところがないので、言われたままに仕事をすれば満足なのか?とでもいいたくなる。 独裁的でも、患者やその家族の方に対して真剣に考え、みんなでケアを工夫しようとする人なら、上司として認められるものの、この方は自分一人で予算をつくり、毎月の決算を公開しない。 私たちメンバーは、女王さまのためにただ言われたとおりに働き、勤務時間を超過しても時間外申請をせずだまっていればよいのね。 昨日は、在宅ケアを対象にしている看護師のために、拠点病院で研修があった。 その帰り、ビールを飲みながらメンバー全体が対応に困っているその上司に対して色々話しあった。 上司の話題を肴に御酒を飲むなんてね。何年十年ぶり。 「あなたの方法は間違っている」と早い時期に面と向かって話さなければならないと思う。だって、私は今の職場では一番の年寄りなんです。若者が苦しみ、患者が不利益を与えている人には、年長者がゆったり話していくしかないんだものね。気を伺い、上司にはっきり使えて行かなければ。 昨日、地域の拠点病院で主催されたセミナーの帰り、上司によるパワハラについて愚痴話をしてしまった。機を見て、はっきり伝えなければ。
2014年03月17日
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ブログを書かなくなってもう一年以上。 昨年の春ころより、結構元気になってきて、新聞を読んだり仕事用の雑誌を読んだりすることができるようになり、ブログを書くより他のことをすることのほうが楽しくなってきてすっかりご無沙汰してしまいました。 停年退職まで後3年ほどとなり、自分にとって看護の仕事がかけがえのないものと思えるようになりました。 ラックスクールという、福祉機器の輸入・販売会社で主催している研修で、オランダやドイツの看護師が講師の「キネステティクス」を学び、自分の身体と五感を駆使したケアのあり方を学ぶ機会を得ました。ヨーロッパの医療の基本的理念は、徹底的に個人を尊重することが基本で、患者の体の動かし方から全く違う。 マンツーマンで指導を受けられ、患者中心の看護を体感でき、看護の仕事のだいご味を実感。 また、北海道大学病院の「患者参画型看護計画」を学び、患者に寄り添うことの意味が少しは分かるようになりました。いわゆる「認知症」と診断がついている方に対しても、一つ一つのケアについてその方の意思を確認するようになったり、希望するケアにできるだけ近づけるように努力するようになり、看護の仕事の楽しさを感じられるようになりました。 ただ、自宅で療養する方々のおかれている状況はますます困難が酷くなってきており、4月からの消費税の増税や医療や福祉にたいする国の施策の後退に憤りを覚えるのは今まで以上になりそうです。 労働する時間が限定的になったことも影響して、最後の3年間は仕事中心でも良いかなと思っています。 そんなこんなで、まあまあ元気に過ごしています。 これからは、毎日更新というわけにはならないと思いますが、これからもよろしくお願い申し上げます。
2014年03月15日
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