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週に一度は食べたくなる、行きつけの蕎麦屋さんの糠漬け。 女将さんは栃木の生まれで、先祖から伝わってきた糠床を御嫁入りのときにゆずられて30年余りその糠床をずっと使い続けて糠漬けを一年中つくっている。 自然薯とか、玉ねぎとかの糠漬けでとにかく美味しい。生姜と削りたての鰹節をたっぷり載せて出してくれる。 蕎麦屋さんの漬けものもお店によって様々で、買ってきたたくあんなどですませているお店も多いけど、このお店の漬けものはこのお店でしか食べられない美味しさ。 お店が混んでいるときには、女将さんとお話しする暇はないけど、お店がすいているときには時々世間話をする。蕎麦を待つ間、仕事関係の雑誌などを読んでいるのであるとき「御客さんはいつもお勉強をしているけど、お仕事は何をしているの」ときかれ、訪問看護ステーションに勤めていると話してしまった。看護師をしていることを他人さまにそうそう話たくないのだけれど、ついつい話すことに。 そんな話をした次の時、「○●の△さんを知っている。すごく感謝していましたよ」って教えてくれた。 その△さん、お母様を最期までおうちで看たいと思っていたのだけれど、末期の乳がんであることが分かって、やむなくお母様を特別養護老人ホームに入所することに。化学療法で90%は進行を止めることができると医師に説明されたが、治療はしないで自宅で過ごすという。 この方滅法明るくて、いつも前向き。苦しいことがあっても笑って吹き飛ばしてしまうような方。 こんな性格の方は、臨床医が余命3カ月と診断しても、ずっとずっと頑張って生きている方が多い。 治療しないでほっておくとどんなふうに進んでいくか承知しているかと尋ねてみると、そのことについては全く知らないので、癌がどんどん成長してカリフラワー状態になって出血したり臭いがきつくなって苦しいことになることもあるので、治療をしないと決断する前に、主治医にもっといろいろなことを教えてもらってから、治療をするかしないか決めても良いのではないかとお勧めした。 いままでも、癌と知らされた時に一切の治療を拒まれて、結果、消化管が閉塞して全く食べられなくなったり便臭のする吐物を吐き続けられたりして、「どうして医者は何もしてくれないんだ」と怒りまくった方がいたりした。 化学療法は本当に日進月歩で、化学療法の副作用対策も進んで苦痛を最小限にする方法もどんどん新しくなっている。この方の主治医は、40代の女性で患者さんの気持ちを汲んでくださるような温かみのある医師。 看護師としても信頼できる医師と思えて、そのこともお伝えした。 家族は、息子さんもご主人も、姪や甥まで治療を受けて一日でも長く生きてほしいと願っていた。日曜日には、姪や甥まで参加した家族会議で、みんなでこの方の決意を翻す努力をするつもり、とご主人。 結果、治療をすることになり、余命3カ月を超えて入退院をしているものの元気で過ごされているという。 蕎麦屋さんのおかみさんが、この方とお知り合いだったとは。 世の中狭いとはよくきくが、本当に狭い。
2014年11月29日
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ここ2週間ばかり、ちょっと変。 ちょっとしたことでカッチッと怒りっぽくなったり、スッポリ記憶が無くなったり。 先週は、患者宅にカルテを置き忘れてそのまま連休に入りカルテのことは全く思いださず連休を終えて指摘されるまで分からず、指摘されてもどういう経緯で忘れたのか全く思いだせない。 ハサミや使い捨て手袋を入れるバッグを患者宅に置いてきたり、タオルを洗面所に置いたままだったり。 今までは、指摘されればどの時点で置き忘れたか記憶をたどることができたのに。すっぽり記憶が無くなるのは初めて。若年性の認知症、還暦前なので若年性じゃァないかもしれないけど、でも何となく怪しい。 さらに追い打ちをかけるように、今日は財布が見つからず、昨日の夜買い物をしたときまでは覚えているのだけれどそのあとどうしたのか思い出せない。忘れ物を少なくするために、バッグはいつも同じものを使い、以前は黒い財布ばっかり持っていたけれど、外出中に無くしてしまったことをきっかけに赤い財布に変えたのに、それでも無くしかけてしまった。 お昼御飯を買うお金くらいは仕事中も持っていたいので、仕事用に大きなガマ口にナナコやワオンにチャージしておいて財布をなくしても良いようにして置いているから、今日のお昼はコンビニでお弁当を買えたけど。 つい先日まで、健康と好奇心さえあれば老後は何とか過ごせるかもしれないと思っていたけれど、認知機能が低下してしまったら好奇心なんて言っていられない。 脳ドッグを受けなくっちゃいけないかもしれないと、本気で考えてしまった。 その上に、最近何やら怒りっぽい。怒鳴ったりはしないけれど、あれやこれやカリカリ、イライラ。年は年なので、何に腹が立つのか理解できる範疇にいるので、何とか社会生活はできているけど、怒りっぽさがさらにひどくなったら仕事も続けられないかもしれない。 ジプレキサを服用し始めて2カ月目に入るので、そのせい?とも思ってみるけど、鬱になる前の自分はどうだったのか、随分前になってしまうのでそのころはどうだったのか、思い出せない。どちらかというと、無口でおとなしいと思われていたので本当のところどうなんだろう。 兄弟姉妹や、かっての同僚に聞いてみたいが、もともと怒りっぽかったでしょう! とも言われてしまいそうで怖くて訊けない。 性格なんてものは、環境による影響を受けることもあり、職場では多少ごまかせても私生活では素顔をさらさなくてはとてもやっていけないので、本当のところの私ってどうなんだろう、と思春期帰り?? とりあえずは、来週のメンタルクリニックの受診で相談してみよう。
2014年11月25日
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何回かブログで紹介したことがある、赤羽自然観察公園。 この公園に最初に出かけたのは、10年以上前のこと。 ディケアに勤めていたころ 車いすの患者さんと一緒に訪れた。葦なのか2m以上ある草の間を日向ぼっこをしながら散歩した。自衛隊が移転した後、まだその後の「整備」がされていなかったので、東京にもこんな自然が残っているのか驚いたり嬉しかったり。 その後も年に数回、季節ごとに樹木観察を目的にしてお散歩がてら出かけて行ったが、ここ数年「過剰な管理」の行き過ぎで 散歩道に沿ったウツギがドンドン枯れ初めて、ニシキギやマユミ、ムラサキシブも無残な姿。 今日の午後に足を延ばして行ってみたものの、葉が落ち始めているだけに痛々しい姿が露。 公園の中を足を進めるほどに、怒り心頭に。 見ないようにしても眼に入ってくる木々の痛々しい姿。 写真をとるのもはばかれるような、何とも乱暴な「伐採?」とも言えてしまう枝の刈り方。何でこんな乱暴をするのだろうかと、呆れることを通り過ぎて腹が立つこと、腹が立つこと。 散歩道の枯れ葉を掃いている方(70歳前後の紳士といった方)に「どうしてウツギを枯れてしまうようなことをするんですか?」と訊いてみた。 ボランティアの方々が管理を任されていて、草刈りも枝掃いもみんなボランティアの方が無償でしているから仕方がない、と申し訳なさそうに答えてくれた。 池の周りの柳も油桐も丸裸同然にに枝枝が切られている。ここまでする必要が分からない。 管理室の前の掲示板をみたところ、「草刈り楽しみ隊」が草刈り機を用いてガンガン草刈りもしている様子。林床の草花が見られなくなったのは、こんな草刈りのせいだ。自然観察公園なのに、自然に対して無知同然の方々が「管理」と称してドンドン自然を破壊していく。エビネが見られなくなったのも当たり前。 この秋にデング熱が発生したこともあって、区民のため、市民のためと言い繕ってドンドン酷い管理になって行くんだろうか。 自然保護協会とか自然に詳しい方が沢山おられるはずなのに、どうして専門家に指導を求めないんだろうか。 自宅に戻る途中の街路樹をあらためて眺めてみると、どこもかしこもやっぱりひどい。 都市計画の際、樹木のことなんか眼中になかったんだろうな。 気分転換の散歩なのに、ドンドン気持ちが落ち込んでしまった。 北区の公園課の皆様、どうぞこれ以上木々を苛めないでください。お願いします。
2014年11月17日
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自然の本質に近づこうとしようとすると、数学、物理、化学、生化学などの理解が必要になるらしい。 中学校の生物学の教師に生理的な拒否反応を強く感じて、どういうわけかその後も化学や物理の教師にもなじめず試験に受かるくらいの勉強をしてこなかった。高校でも看護学校でもやっぱり理系の科目には興味が持てず試験に受かるために暗記だけをしてきたので気象も宇宙についても、もちろん人体についても自然科学の基礎知識がないと本当の理解には近づけないと今更ながら痛感している。 数学なんて社会に出て何に役立つの? そんな素朴な疑問にたいして真正面から答えを求めて考えてこなかったから、よそ様が考えたことを丸のみにして覚えるという愚かなことをこの年になってもやってしまう。 確かに数式の理解をしなくても、薬の名前や作用を覚えられるけど、そこで終わり。その世界に入っていけない。 テレビのニュース報道のように様々な情報を編集した結果だけしか分かっていない、そういう理解で現実問題を真剣に検討できないではないか。 勿論、謙虚に他者に意見を求めるというスタンスは必要だけど、その真偽を評価できないとしたらどうなってしまうだろうか。 キッチンペーパーで油を拭くのことと布でふいて洗濯してまた使うことと、どちらが環境に優しいのか??? 雑巾を使って拭き掃除するのと、便利なので使っているけど お掃除シートを使うのはどちらがエコ? 1立方メートルの水道水には、どのくらいのお金がかかっているの?(社会資本の整備に必要な経費も含めるとどのくらい?) 社会福祉の制度などについても、同様で「高齢者が増え生産者人口が減少するので、これまでのように支え切れない。高齢者も資産があるので負担を増やすべきだ、負担が可能だ」とここ30年ほどまことしやかに言われ続けて、医療も介護も1割負担になり、必要な介護や医療を受けられない方々がひっそりと生活している。 世界的に自由主義経済が蔓延しているので、勝ち組とか負け組とか、いったんステータスを勝ち取ればそれが一生続くという幻想を抱かせてしまっている。 相続税が払えないので、相続の際に親の土地を建売住宅などにしてしまえば税負担がすくなるらしいそうで、住宅街が3階建ての建売住宅でドンドン埋まって行く。消防車も入れないような道路しかないのに震災になったらどうするのだろう。 目先のことだけしか考えられないような世の中でいいのだろうか。 数式の美しさについて、私が理解できる日は来ないだろうと思う、絶対。でも、単純な分かりやすい言葉に引っかかって騙されないように、分からない世界にも分け入って行こうと思う。 鬱々の時には、自分の世話だって面倒くさくって、何もできない時間を意識さえ出来ずにいたけど、このところ嘘のように元気になってきて、立ち話をすることだけでも楽しさを覚え、ひと様と接することが全く苦にならなくなってきた。 私の鬱も、そろそろ卒業かもしれない。主治医の話だと、鬱の再発率は高いし、再発を繰り返していると脳の器質的変化を起こすので脳の健康を保つためにも、内服薬を中止するのは慎重にしたほうが良いらしいので、まだまだ抗鬱薬をのむつもりだけど、なんだかもう大丈夫って感じがしている。
2014年11月16日
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4週間前に、歩いて3分の近所のお花屋さん(苗や花、植え木の鉢ものを売っている)で黄色の菊の花を買った。 これまで鉢ものを買っても、ゴムの木とポトス以外は皆枯らしてしまった。 花の鉢を買っても一カ月もたたないうちに枯らしてしまったことを女将さんに話すと、お店の外に置いてあるものは基本は室内ではなく外で育てるのだという。花は日光を浴びないと咲かないので、一週間に最低3日間は外に出しておかないときれいに咲かないという。 仕事をしているので早朝と夜にしか水を上げられないのでどうしていいかと訊くと、まず受け皿に水が溜まらないようにすること、気温が5度以下になると霜が降るので、夜にしか水を上げられないなら夜間には鉢を室内に入れておけばよいという。 観葉植物の植え替えをしたいが土はどうしたらよいかと訊くと、花、野菜、球根みんな同じ土で大丈夫で鉢の上の土に追肥を上げると元気に花が咲くとのこと。 ブロッコリー、ソラマメもこれから植えると来年の春には食べられるそう。 球根を植えるときには、球根の高さの3倍の土を球根の上にもらないとだめなので、深い鉢に植えることが大事だから気をつけるように。 野菜栽培に慣れてきたら、種を植えることもしてみると楽しいですよ。とブロッコリーやソラマメの苗を勧めてくれた。 来年は4月頃より緑のカーテンの準備を始めたいので、野菜や花、観葉植物を育てることから始めようと思う。 自転車で地域を廻りながら、色々なおうちの庭を拝見させていただいて鉢の深さと植えられている食物の関係など良く見て、夏には本物の緑のカーテンで涼めたらいいなぁ。 分からないことがあったらすぐにいろいろ教えてくださる方がいらっしゃるのは本当にありがたい。 この花やさんのご主人も奥様も花や野菜作りには相当詳しそうな様子で、花作りのことをききに行くといつも丁寧に教えてくださる。 タノシイマチニヒッコシテキテヨカッタ、ウフフ。
2014年11月15日
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9/27のNHKスペシャル「老後破産」を観た方も多いだろうと思う。 先日職場の話題になって、昨日やっと観ることとなった。 10万円の収入で6万円の家賃を支払えば、たったの4万円。水道光熱費を支払ってその残りが食費。預貯金を切り崩して、年金支給日前に手元にあるのは100円玉と、袋にためた1円玉100枚くらい。 生活保護を受けるという選択はせずに、真夏なので昼間は高齢者が行ける施設で休み、日が暮れてから電気を止められた自室に戻り、ガスの日を頼りにソーメンを茹で月明かりで食べる。 20数年ビール会社に勤めた後に、飲食店を経営したものの借金がかさみ店を手放し、その借金のために貯金はなくなったという。 秋田県に住む女性は、田圃と家を守るために年金は3万にもならない額で生活をしている。水道光熱費等を払って、食費は4000円と決め、近くの川で魚を採り山菜を調理したり、畑で作ったキュウリを漬けものにして生活をされている。どこまで自分がやれるか、頑張るのだという。生活保護は田圃や持ち家があれば受けられないのだという。 この番組に出ておいでになった方は、どなたも国や地方自治体の無策を全く指摘されない。 年をとるほど体のあちこちが故障を起こす。病気によっては色々な障害が残る。高齢者の終の棲家には、医療と福祉と介護が必要なのに、特別養護老人福祉施設の待機者は全国で50万人。認知症など医療が必要になったら退去しなければならない「サービス付き高齢者住宅」をなぜ政府はどんどん作ろうとするのだろう。 率先して作らなければならないのは、特別養護老人福祉施設なのに。医療や福祉、介護の税金を使いたくないだ。 人生をコマ切りにして、人生をどう全うしたいか、一人一人の意思は宙に浮いたままで、施設の限界(あらかじめ限界を設定しているんだから)を理由に次々に言われるままに施設を数カ月単位で移っていく。病院を退院しても行き場がない人は、NPOが経営する施設にやむを得ず退院するという。みんなで集まって食事などができる食堂などの設備は無く、つっけんどんに食事を個室に運びテーブルに置いて行く職員。NHKの取材を了解した施設だから、それ相応の心意気があって開設したのだろうけど、それにしても酷い。 働けなくなり、歳をとり、病気になり、そしてこの世を去る。 労働者を使いだけ使って、自助自立を押しつけて、責任をとる気もない日本の為政者たち。 別に今始まったことではない。水俣病しかり、精神疾患にかかっている方を牢獄に押し込めたという事実もある。 日本は棄民社会といっても過言ではない。 どこで歯止めをかけるのか。 闘病している方も老後の苦しさと闘っている方も、みな孤独で社会と断絶状態に近い。 NHKの報道については、政府からの垂れ流しという一面もあるが、この番組のように問題意識をもって現実社会に切り込んでいく報道していこうという方々もいるのだ。 ここ2、3日降ってわいたように、衆議院議員の解散総選挙が取りざたされていて、都内の就活ようの写真店にポスター用の写真をとるために国会議員の利用者が増えているとかいないとか。 だってね、消費税って社会福祉のために使うからって導入されたんですよね。なのに、高齢者の負担が増える話ばかりが取りざたされているって、なんなのさ! って、私は怒り狂ってます。
2014年11月13日
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昨日の夕方、所長が何気なく突然に「忘年会は診療所と一緒に(12月)17日でいいよね。(診療所と)別にやるのは面倒くさいから。あれっ、Iさんは都合が悪いんだっけ」ですって。 私とIさんは、思わず顔を見合わせて、「えーっ、診療所と一緒なんですかぁ。色々とみんなで好き放題おしゃべりしたいのに・・・・・」と私。大人のIさんは、「みなさんで楽しんでください、私はいいですから」と即答。 未就学児もいる子育て中の職員は、夫や姑や舅に子守をお願いして忘年会だけは万障繰り合わせて参加するので、職員みんなの都合をきいて廻って日程を決めるのが常だった。所長一人が一方的にメンバーの都合を確認もせずに決めてしまうなんて今まで一度もない。 所長は管理職なので、毎年診療所の忘年会には招かれて参加しているから、ご自分にとっては一度に終わってしまうので確かに面倒くさくなくなるのだろうけど。去年は暮に所長の都合が悪くって新年会にしたのに、その当日に自分は休暇をとっていて、19時過ぎても現れないのでメールをしたり電話をしたりしたのに連絡がつかず、仕方がないので19時半過ぎてやっと乾杯をしたのに、21時くらいに幹事あてに電話が入って「私は聞いていない」の一言。 別に忘年会や新年会ごときで目くじらをたてるのは大人気ないが、このことが特別なことではなく万事が自分の頭の中だけで決めたことをメンバーにも知らせずに、しかも今までの決まりごとを無視してどんどん進めていくので、患者さんの家族から確認をされて初めて知るようなことが続くので困ってしまうのだ。 これこれこうなっているんですか? と確認すると、「エッ、話していなかったっけ」ととぼける始末。 こんなことが1年半も続いているので、いまさら何をどういっても仕方ないので、患者さんから「連絡をしていたはずでしたよ」と不信がられても「ごめんなさい、最近忘れっぽくって、もう一度事務所に戻って確認しますから」と言い繕って謝る始末。 停年退職まで後数年の私は、そんなやりとりが何回もあっても「まぁ、しょうがないか」ですむが、30代、40代の職員はまだまだ働き盛り。ドンドン仕事の幅を増やしていきたいだろうから、事務所内の連絡ができていないことで謝ったりしてやり過ごすことはたまらなく嫌なことだろうと思う。 Iさんはラインの3月末日に雇用契約が切れるので、この分では再契約はしないだろうなぁ。 地域の中小病院の看護師不足は続いているので、新しい職員が就職してくるのはなかなか厳しいはずだから、これまで何とか事業を継続してきたが、定員割れが続くようなら廃死という事態に陥るかもしれない。
2014年11月11日
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今朝のこと。 小学校の教室では、図画工作の授業中。 私は一番後ろの席で何をして良いやら困り切っている。 切絵とはがき絵の時間。他の生徒がモクモクと作業をしているのに、手元には何もない。隣の席にいるお年寄りに何をして良いのか聞くと、教師から紙や色鉛筆、絵筆などを受け取って絵を描くという。 右奥の教師の席を振り返ると、机の上に色々な教材が並んでいる。探しに行く途中で広い広い工作室に迷い込み、教室に戻れない。扉を開けるとホームセンターのような部屋が次々と現れ、さらに奥に進むと今度は荷物置き場。そこには家具やら衣装やら。 扉を開けるごとに違う部屋に。何人かの生徒が輪になってりモクモクと勉強をしている。きくと、不登校や病気で就学期間に卒業できなかった人たちの学校という。私は車いすに乗っていて胸には色々なブローチがついている。私のクラスを表示するマークだという。 私は新たに資格をとるために進学するためにどうしても学校に行くと願い出て小学校6年生のクラスに入学したいと願い出てそのクラスに編入したという。オリエンテーションも済んで授業が始まったところとのこと。そんなことは一つも思い出せずに、さらに別な教室に迷い込み途方に暮れていると、店員らしき人が来て社会人のためのフリースクールなので展示している商品を自由に変えるので、私もスーツやらバッグやらを選んで着ている。 何のことも分からず、店員に案内されるままに広い学校のなかをやっと自分のクラスに戻る。そこに大先輩のOさんが現れて、数ヶ月前に私は統合失調症になり入院して、退院と同時にこの学校に通うようになったという。家族も同僚もそのことは承知しているのだという。薬のせいでだるさや眠気が強くて今のところ授業になじめなくても通うだけを目標にして様子をみているのだと。 混乱に陥っている自分の状況がやっとのみこめ、切れ切れの記憶の意味が分かる。 これからどうしようと不安になっているところで、目が覚めた。 夢の時間はそう長いものではなかったはずだが、恐怖と不安に追い込まれ身が縮む思い。 何でこんな夢をみたのだろう。 一つ分かったこと。 不安を出来るだけ少なくして安心できる看護ケアが大事だということ。
2014年11月01日
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