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かかりつけのメンタルクリニックの受付の女性は、規則を守るよう慇懃無礼かとも思えるほど厳しい口調で対応される。昨日の午後、訪問の合間に恐る恐る今日の診察の予約を電話で依頼。 「分かりました。明日18時までに必ずお越しください」、エッツ、18時に間に合わないと診察をしてもらえないんだ。 今日の午前中は急遽休みになったが18時までにクリニックに行くには、職場を20分前に出発しなければ無理。昨日は、怒りで眠れなくなったため夕刻には眠気が強くなって18時半には帰りたくてたまらずに退社。今日の朝職場に出向いて、「午前中仕事をさせてください」と所長に話したが却下。「出勤したら訪問に出てもらわなくなるから帰って!仕事が残っているなら、午後早めに着たらいいじゃないの」と暗にサービス労働の要求。 このところ、あまり人様に不満を感じなくなった私は、ちょっと変な指示?とは思いつつも、さっさと退社。 今日は、からっとした秋日和。まぶしいほどの明るい日差しに、このところご無沙汰であった自然観察公園で散歩して、昼食を食べて、本日2回目の出勤。午後の訪問開始までに事務作業をして、午後の訪問を済ませたらもう17時40分。 お巡りさんの気配がない信号を無視して自己ベスト記録の15分でクリニックに到着。やれやれ。 「御無沙汰しています」と主治医にあいさつ。 「どうしていた?大丈夫だった?薬はたりたの?」と先生。 「全然足りなかったんですけど、のみ残しの薬を携帯当番のある日は眠剤をのまなくして、デパスやレメロンを体調に合して飲んでいました。」に続けて、体調や気分、欠勤せずに働けたなどなどを報告。 「結構元気に過ごせたんだねぇ。それだったら、今までの薬はのまなくてもいいのかなぁ。今までのんだ薬でどれが一番効くか分かる?」 (全然わからないので)「眠剤はのんでいたほうがいいと思いますが、抗鬱剤はどの程度のんだほうがいいんですか」 「確かに眠剤は飲んでいたほうがいいねぇ。鬱の再発予防で抗鬱剤は続けたほうがいいんだよね。3、4年前に保険適用になった比較的新しい抗鬱剤のレキサプロをのんでみる?副作用は非常に少ないし、これ一種類にして大丈夫だし、4週間処方も出来るけど、どうする?」 「じゃぁ、それで様子を見てみます。お願いします。」で本日の診察終了。 今日メンタククリニックで処方箋が発行してもらえなかったら、眠剤だけでも内科の主治医にお願いしようとも思っていたのでとりあえずホッ!内科医にこれまでの経過やどの程度眠りたいかなどを説明するのもしんどいし、同僚の看護職にその話を聞かれてしまうのも嫌だし。 またまた本日3回目の出勤をして22時半にはエネルギー切れで終了。 やれやれの一日だった。
2014年09月30日
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今日のこと。 ある家族から、先週の金曜日の訪問診察で「出血は少しあるけどアズノール軟膏とラップを巻いて様子を見ていて良い」と言われたが、血が出ていて浅い亀裂が1cm幅であるのでたいしたこともないと思うが見てほしい」との依頼があり。 家族としての緊迫感はなく、午後でもよいとのことで褥瘡の処置の方が終わったら訪問することにしていた。 「これから用事があるので、さっと見て終えてね」と家族に危機感はない。 布団をめくって両足を見ると、踝から12cmほどから皮膚の色が赤紫に変色し足底全体に皮下血腫があり大きな水疱になっている。痛みも昨日より強くなってきているそう。自宅で治療をするには適切な外用薬はなく、ここ3日間ほどの変化なので血栓による動脈閉そくなどの血管系の急激な変化が予測され、病院受診を勧めた。 明日の訪問診察を待つゆとりはなさそうな病状と考え、救急車要請をし救急隊がきたものの、家族にも私に対してもタメ口。患者に何が起こっているか理解できない様子で、しつこく同じことを訊いてくる。救急車は要請されたらコンビニ受診でも受けなければならない。 どの病院に連れて行けばよいか、迷っているので「○●病院なら救急体制があるので、精密検査、治療ができると思われ家族も○●病院を希望しています」と伝える。 しぶしぶその病院の救急担当医に連絡をとる。状態を把握できっていないので、医師にプレゼンが不十分で色々訊かれている。足の状態さえ明確に報告すれば即刻連れて来い、って言われそうな状態なのに、相手の救急医も救急医で年齢と認知症ということもあって受け入れを渋っている。なんと電話を入れてから延々30分。家族が入院の必要がない場合は、自宅に戻って良いことの確約を受けてやっと、搬送の受け入れが決まった。 この救急隊の責任者は、家族や看護師にはタメ口だったのに、医師に対しては自信がなさそうな様子で敬語を使いまくっている。 なんなんだこの態度。 結局血管造影をしたり血栓の除去を行ったりが必要で、入院治療が決まった。救急車の要請が16:05、搬送受け入れが決定17:00、入院決定が20:00過ぎ。 遠慮がちに電話をかけてきたのに、電話をかけてきたということの背景に心配のあまり故だろうに、家族に何が怒ったら異常だとも言われていないのだから、午後と言わず午前に訪問していたら良かったのに。 思い出すうちに、怒りの感情がフツフツ。 深夜1時になっても眠れない。コンビニに行ってアイスクリームを購入したりして、しばらくしたらどうも眠ってしまったみたい。 何事もなかったら「良かったね」ですまされるのだから、心配ごとの電話があったら即刻訪問すべきなのだ。
2014年09月28日
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定期受診していたメンタルクリニックの夜間外来といっても受け付け終了が18時。 中断をクリニックのせいにしてはいけないのだけど、ここのところ受診日の火曜日の夕方はいつも患者さんのお宅にいて、処置中だったりして受診できないことを連絡も出来ず、翌日の水曜日の日中は昼食も取れずに午後の訪問に出かけざるを得ない日が続いて、嘘のようだけど、そんな週が2カ月も続いている。 木曜日はクリニックがお休みだし、平日のお昼は職員の方が昼食で外に出ているらしく連絡がとれない。 のみ残しの薬を体調に合わせてデパスとかレメロンとか、携帯当番でない日にはマイスリーだのアモバンとか服用してぐっすり眠って、何とか抗鬱剤は極端に少なくなったけど8月を乗り切った。だるさや頭の巡りの悪さなどあったが休薬のための症状で極端のものはなかった。 どうも振り返ると(10代後半から)、たびたび鬱的な日々があってしかも妙に元気な時があったものだから、躁鬱病ではないかとの不安もあったので受診もせずに自己判断で薬をのんでいて良いものか不安もあった。 でもどういうわけか、セクハラ上司の言動も気にならず、ちょっと普段の私より饒舌であったりするくらいで、部屋の片づけや断捨離をし始めるとか、怪しい感じもするのだけれど、自分としては良い感じなのだ。お酒を飲み過ぎたり、買い物をしすぎたりもせず、ひょっとして私らしい元気さを取り戻したのかとひそかに鬱回復を信じたいのだけれど、100%そう信ずる確証はない。 鬱の再発を繰り返すことで、脳の器質的変化を招くので、再発予防のために服薬は続けていたほうが良いと説得されてのみ続けてきたので、70、80と年を重ねていく中で治療をやめて良いのか不安はあるのだ。 同僚や患者だけでなく、世間の目とかも気にならず、「まァ、自分はこんなものだ」と思えるようになり他人の言動に左右されなくなっている。 確かに休む間もない位に忙しかったので、件のセクハラ上司も気を使ってくれて、「連休を(勤務表に)入れなくてごめんね」「何とか明日は休みをとってほしかったんだけど、無理なので何とか午後だけでも出てきてくれない?」なととおっしゃるのだ。 「本当に私は大丈夫なので、気を使わなくって良いですよ。今一番仕事が楽しくって仕方がない位ですから」と平気で言えてしまう。「今、誰か一人倒れたらこのステーションは閉鎖の危機が訪れかもしれないですから、所長こそご自分の労働時間を規制して、頑張りすぎないでくださいね」とも。 職場って不思議なところがあって、イケイケで誰もが頑張れるときもあるが、どんなに頑張ろうと思ってもうまく噛み合わずドンドンメンバー間で不満が蓄積したりしてしまうときもある。60近くまで働いてきたので、言葉にならない雰囲気というものや、各人の仕事内容が深く追求しないで流しているな、とか何となくマイナス要素が伝わってくる。 今まで一杯不満や愚痴を言ってきたこともあるだろうし、そうそう人は変わるものでもなく、自分だってたいして変わってこなかったし。職場の雰囲気や上司の言動、組織の退行などに自分自身が左右されるのも口惜しく、そもそもそんなことのために自分はこの仕事を選んだわけではない。 大学病院からこの小さな病院に就職したのも、地域の人がまず一番にかかるところで踏ん張って仕事をしたいと思ってずっと働いてきたのだもの。20代前半にそんな思いに駆られていた私をやっぱり裏切れない。自分の原点を思い出したら、色々悩んできたことはそれはそれと自分の関心から少し外して眺められるようになったのだ。 今週は、やっと2連休がある。上野の秋を楽しんだしたいものだけど。 オッとその前に、メンタルクリニックには受診して治療の継続についてきっちり指示を仰ぐつもり。
2014年09月28日
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9月の下旬から常勤職員として二人の看護師が異動してくることになっていたのだた、法人全体で退職があり一人は保留、一人はメンタル系の不調で出勤できないなんてことが続いて、とにかくとにかく忙しい。 契約した高齢者の施設の定期訪問は火曜日だが、往診と重なる日でも「来ていただいたほうが良いのでいらしてください」と施設長。全身の健康チェックと爪切りや摘便など介護職の方の困っていることの相談に対応して大体2時間。 10人のうち7人ほどが爪白癬の持ち主。自立支援を謳っているので、出来ることは入所している方の意思を尊重しているためか、どんなにひどく爪が肥厚して変形していても手を出さず。テーブルと椅子の生活をされているので足を見せていただくときには床に座って観察。足浴をしたほうが硬く厚い爪は切りやすくなるので、施設の方にお湯を用意していただくのだがそのバケツがない。用意してくださるバケツも毎回毎回まちまちでいままで足浴なんてほとんどしてこなかったんだろうなと想像。 この間の木曜日、食堂兼談話室で血圧測定などをしていると、白衣をきた白髪の70前後の男性がお伴のいかにも屈強といった感じの若い男性3人を引き連れ、施設の管理職の職員が二人、そのフロアの介護の責任者が緊張しまくっている。 往診の日と重なってしまったことをお詫びしながら自己紹介すると、その先生「そこは(私があいさつしたテーブルの椅子をさして)私が座る席だから」とあいさつを返しもせず、いすに座り並んで待っている方をごく簡単に診察。診察の記録はお伴の若い医師が行い、処方についても若い医師が考えを述べて老齢の医師が許可している。 フロアの責任者は、女性で60歳前後。私たち訪問看護師には、「何しに来たの」って感じできつくあたっていたのに、医師の前では敬語を使いまくり平身低頭。30年も前の大学病院の回診か教授先生の外来診療みたいでびっくり。 でもね、大学病院の教授先生は、非常に丁寧に診察をするし患者に敬語を使い患者の気持ちに配慮していた。胸の診察をするときだって、不必要な部位の露出を避けるために一人ひとりに白い布のケープのようなものが用意されて看護師が介助していたんだもの。 あまりにも大雑把な診察の様子に言葉もない。そのうえ、心臓の手術をして施設に戻ってきた認知症があるらしい方の介護の方針について責任者が相談すると、「初めて見る人のそんなことが分かるわけがないじゃない」と怒ってしまう。 その雰囲気にいたたまれなくなってしまったのか、診察を終えた入所者の方はそくそくと自室に戻られてしまう。 玄関は暗証番号を押さないと開かないようになっているので、施設長が解錠しながら、その担当の医師が「某大学の名誉教授で、リンパ球などの研究をされている権威のある方」と教えてくれ、「向き不向きがあると思うけどね」とポツリ。 たった2時間の様子だけで判断するのはおこがましいが、なぜ職員の方々があんなにも苦労されているのか、その一端が見えてきた感じ。いまだに、医師の免許だけあって恐れられ敬われている人種がいるんだ。医師がいなければ施設の運営はできなくなるので、どうあってほしいかも医師に言えない施設の管理職。 その地域に住む人しか知らないような、民間の小さな病院の医師のほうが人間的で診療レベルが高いこともある。 現在の日本の介護や福祉は、とにかく医師が介入していないと成り立たない仕組みになっているけれど、その任に就く医師自身が変わらなければいけないし、その仕事を依頼する施設や法人の管理職が本気で高齢者の生活を支えるという責任感で医師にもの申すようにならなければ変わって行かない。 病院選びも難しいが、高齢者の施設選びもなかなか難しそうだ。
2014年09月27日
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最古参の同僚が退職してからもう半年。 この春も夏も、毎日毎日が忙しくあっという間に秋の彼岸も過ぎてしまう。 常勤職員として働けるのもあと3年を切り、忙しいにもかかわらず毎日が充実して、利用者さんのお宅に伺うのが楽しくて楽しくて仕方がない。 余暇を楽しむというより、毎日の仕事を楽しんでいるといった感じ。 看護師になって35年目の秋を迎えて、やっと仕事の楽しさを噛みしめられるようになった。 患者さんや家族、同僚の医師や看護職などと向き合うことができず、自分にたいする拘りもあったのだろうが、還暦を来年にした今、若かった時に苦しい思いばかりしてきたことが嘘みたいだ。30年も苦しんだ結果として、楽しめるようになってきたのかもしれないけれど。 年齢から言えば、今更自費で研修に出かけたりして、何を学ぶの? などど言われる方もおられるのだが、経験を振り返れば振り返るほど、自分がいかに無知で無遠慮だったかを身にしみて思う。 彼岸の中日の23日、老人健康福祉センターで介護職や看護職の相談や指導に携わっている理学療法士の「拘縮予防とポジショニング」のセミナーに参加。 眼に鱗、といった言葉通りの衝撃の午後の3時間であった。書籍や動画で学んだ知識は、実践できないと何の意味ももたない。分からないことの恐怖で机での勉強ばかりしていて、ベッドサイドに行けなかった私。自分は何が分からなくて、何ができないのか。何なら自信を持って出来るのか。そんな基本的なことが全く整理できなくて、体を動かせなかったのかもしれない。 教師や上司から、日野原重明先生が良く言われている「医学はアートだ」という言葉を紹介されたが実感としてついこの間まで全く理解できなかった。身体の感覚として言葉を理解できるようになるってことができなく、なぜ自分は他の同級生や同僚のように体を動かせないかずっと悩んできたのだ。 「眼で見て覚える」ことがすごく苦手なのだと思う。 少人数の実習形式で、直接指導者から具体的に教えていただき、五感という身体感覚を研ぎ澄ませて学ぶ経験が足りなかった?? 看護ケアは相手あってのお仕事なので、対象となる患者さんや利用者さんが果たして楽だと感じているのか、そのことを一つ一つ確認していくことをしなければ、ケアの技術は多分変化していきない。 彼岸中日の研修は、そのことが非常に明確になった。言葉にできない方に対して、体の反射で不快を知ることができる。ケアをしている時間は、自分がすることに気をとられるのではなく、相手に感じていること考えることを知らなければ、ケアは遂げられない。 件の理学療法士、「看護師は患者の安全、安楽を追及している」というのに、施設や病院で看護師のケアを受けている患者さんが入院や入所期間に廃用症候群が進行してしまうのはなぜでしょうか」「やさしくしたい、優しくしたいと言っているのに、ケアで表皮が剥離したり、爪切りをしながら出血させてしまうのは、相手の障害特性の理解が足りないのでは?」 要するに優しい看護師になりたい、優しい看護師だ、と言い切るのに実際のケアを患者を苦しめているケアをしていることに気がつかないのですか、という厳しい問いかけなのです。 午後の実習で学んだ6項目の技術。 さっそく昨日と今日、説明しながら実技をして家族に本人の変化を観察、触覚で確かめていただく。 無断で勝手にはできないので、研修を受けてきたことと実習で本当に体が楽になる経験を話してみると、みんなデモンストレーションをしたいという。午後伺ったお家で、息子さん二人はエンジニアなので物理や数学と得意でものづくりの職人さんなので、ケアをしながら説明していくとすぐに理解を示してくれた。今までのケアは何だったの??と言わんばかりに「今日の母は朝から体が緩かったけど」ですって。それに加えて「勉強をしてきたらすぐに試したくなるタイプ?」とも言われてしまった。 ケアの初めにしたポジショニング効果か、ケア終了時まで丸めたバスタオルなどを外しても、全身の筋緊張は少なく体がユルユルしてたのです。 リラックスするって、こんなにも体が楽になるんだなぁとしみじみ。 マァ、自分のことが分からなければ、ひと様に色々言えないわけってことだけど。 頭で考えた通りに、身体が動けるようになるってとにかく楽しい。 おまけ・・・。 先週から整理して、本の断捨理を始めた、ふと勉強用のテーブルの下のボックスに2年前に発行されたこの講師の本が並んであった。ページをめくると、つい先一昨日聴いた内容。なーんだ、一度は眼を通したのに、その時はその内容の素晴らしさを理解できていなかったんだ。何かを分かるようになるには、やっぱり経験と知識の統合が必要だったんだ。 この年になっても、患者さんから学ぶことは尽きず、ずっと昔に養護教諭の実習で「20年経験を積んでも良い授業ができたって思えるのはほんの片手にもならない」とおっしゃっていた教師がいたが、たった一つの仕事しかしていないのに満足できたって思える日がやってくるのだろうか。 無限大の恐怖感におののいて、来る日も来る日も勉強し続けた日々より、今のほうがずっと自分の心や体にとってもましな時間になっているのだけれど。
2014年09月25日
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