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今まで年金機構からはがきが届いていても、そうそう丁寧に見たことがなかった。 定年まであと3年。年金だけで暮らせるかどうかが自分にとって大事な情報であることを自覚し始め、昨日きたはがきを開封して一か月どのくらい年金が支給されるか計算してみた。おおよそ月額15万円ほどの年金から、国民健康保険料、所得税、住民税、介護保険料を支払い、さらに光熱費に上下水道料と家賃。食費、雑貨費、医療費。 ざっと計算しただけでも、食費に使えるのは2万円くらい。被服費とか家電の買い替えなどを行おうとするなら相当計画的に、しかも節約を重ねなければそういったものにお金を使うことはできそうもない。 年金だけで暮らそうとするには、本当の意味で科学的なものの見方が重要になる。 今更ながらだが、今の健康状態がこれから続く保証は何もないし、膝や腰が痛みだしたり、ちょっと躓いて骨折をしたり、内臓の病気になったり、年齢相応の変化がやってこないわけでもない。 食すること、住まうことなどについてなんてこれまで雑に、何の考えも持たずに月日を重ねてきてしまったことだろう。 自分のことながら、愕然としてしまう。 必要十分というより、必要最低限という考え方。知恵と知識で乗り越える暮らし。必要最小限で暮らすためには健康でいることが大前提。 本当は、定年を迎えるまでというより、今の自分の年になるまでにそういう暮らし方を身につけておくべきだし、高齢になればなるほど健康でいるためには丁寧に無理をせずに暮らさなければならない。 なのに、なのにそんな当たり前のことにやっと気が付いたというわけ。 足腰が丈夫なうちに、物を整理し不要なものを処分して、調理や掃除など暮らしていくために技術を身につけて。 これまでもそうだったけど、これからの日本で暮らすために「自助、自立」が強制されなくても、ごく当たり前になってしまいそう。電気、ガス、水道が止めらるということが自分に暮らしに忍び寄ってくる日も。近い将来の自分の経済力がこんなにも頼りないものとは、ね。 80代や90代の方の「年をとることがこんなにもつらいものとは」、「元気なうちに施設入所をしたい」とか、そういう大先輩たちのつぶやきが非常に身近に感じられる。 シミや皺をなくすとか、そういうCMが全く心に響かなくないというよりむしろ不快。 「老後の準備」が差し迫ってきたということにやっと気が付き始めた今日この頃。
2016年07月27日
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昨日、神奈川オルタナティブ協議会主催の「高齢者医療と介護の今後を考える3ー精神薬の使用を目指す特養から学ぼう!-」という学習会に参加した。午後1時から5時までの4時間は、衝撃の4時間だった。 これまでも、ずっとずっと「こんな看護師でいいのか」という自問を繰り返してきた私はいつもいつも現場で出会う患者さんの姿を目の当たりにして、自分の力不足を自覚してとにもかくにもその都度その都度学んできた。 「認知症」に対しても自分の力は全く足りない。たとえ暴言、暴力を受けたとしても、その方を尊重してケアをするためには自分がどのように変わればよいのか。挨拶をするところからどのような接し方をすればよいのか、私の存在を認めていただけないときにはどう対応してその方が私を認識してくれるまで待つかなどなど、自分自身を変えなければならないことは山ほど。 つい最近NHKスペシャルで「介護殺人」について取り上げられていた。たまたま私が看護師としてかかわってきたご家族からはまだそのようなことは起こらないでいるけれど、それは全くの偶然に過ぎない。超高齢者社会になり、高齢者の二人に一人は認知症との報道もある。 医療の現場では、高齢で入院される方が多く、自宅から病院という生活環境の変化もあり認知症症状が顕在化したり、一時的に精神症状が認められることもある。残念ながら、医療現場では一人一人の患者さんにじっくり対応する余裕がない。そこで、夜間の「不穏」を避けるために向精神薬で一時的に鎮静せざることもしばしば。そうしなければ夜間に40人、50人の患者さんを看護師が二人ないし三人で看なければならない夜勤業務はできない。 つまり、看護体制を理由としてやむなく鎮静を図らなければならない。向精神薬を使うことに対して医師も看護師もそのことが患者さんの身体能力を低下することを十分承知していてもさえ、そうしなければ医療を継続できないという現状があるのだ。肺炎の治療をするための抗生剤の点滴のために、四肢を抑制したり非人間的なことをせざるを得ない。点滴をしない代わりに抗生剤の内服をして自宅で治療をするという選択もあるが、誤嚥性肺炎を繰り返して抗生剤の内服治療を繰り返せば今度は耐性菌が発生してしまうということも起こる。 医療の現場は矛盾に満ちている。しかし医療に携わっている限り、その矛盾に抗しながら少しでもベターの方法を模索しながら医療を行わなければ患者さんを救うこともできない。その苦しさに耐えながら現場で働いている医師や看護師も多いと思う。 在宅で介護(看護)をされているご家族にとって、ご自分の大切な肉親であっても夜間に眠らずに独り言を大声で繰り返したり、トイレの場所が分からなくなって居間で排泄したり、失禁を繰り返したりすることが続けば、「何とかしてほしい」と医師に訴える。やむなくご家族の介護負担を減らすために、比較的副作用が少ないと言われている入眠導入剤や向精神薬を処方する。高齢の方は腎臓の機能が異常値でなくても成人期に比べれば低下しているので、副作用が予想以上に出現して意欲低下や嚥下障害などが起こることもある。 だからと言って、向精神薬を使わない病院は先ほどの記述のように医療機関はその対応ができないし、精神薬を使わない特養も数少ないうえに、そもそも特養施設にすぐ入居できない。 講演をされた特養の施設長も、精神薬を使わないことを理解する医師を探すにに大変苦労されたという。介護士の方々の反対も強く、看護師も精神薬を使わないことに対して問題意識を共有されなかったという。向精神薬を注意深く減量したとしても、一時的に意欲低下や食欲低下が起こるが最終的にすべての向精神薬を中止してから、認知症症状や鬱症状もなくなり暮らすことができているという。 残念ながら、在宅でも入院施設や入所施設でも向精神薬は使われている。酷い例では、精神科と心療内科を受診して何種類もの向精神薬を服用してすべての薬を中止したら、一年ほど時間はかかったが食事ができるようになった、この方は私共のステーションを利用されている方なのだが。 自分は昨日の4時間で知った事実に深い衝撃を受けた。一つには、認知症の周辺症状にたいして、看護師として一人一人の患者さんの個別性に応じた対応ができないこと。それゆえ、その方を看ていらっしゃるご家族の相談に的確にこたえられないこと。二つ目は、様々な事情を抱えて在宅で介護をされているご家族の困難は分かっていても、一時的に非難してその方が向精神薬を使わないで症状を安定して再び自宅に戻るようなことができる施設がほとんどないということ。 そして、精神科医でも心療内科の医師でも、向精神薬について使用を最小限にするというスタンスがないということ。 薬に依存しないためには、患者自身が食事、睡眠、休養、生活環境の整備などセルフケアが不可欠。即時的に医療では対応しきれないことが山ほど。何もかもをいっぺんに変えていくことが難しいことは承知しているけれども、でもどこから手を付けていけばよいのか。 昨日、学習会が終わってからおいしいものを食べたりして見たけれど、私のため息は止まらない。
2016年07月18日
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小学生や中学生の時日本史や世界史を習ったのだけれども、時間間隔がないので百年前のことでも想像できないような昔々のことに思えて、自分の生活とその歴史的出来事がどう関係しているかなんてさっぱり理解できなかった。明治維新も関東大震災も、テストのために文字と数字を覚えてみたけれど、なんだか全く違う世界の出来事のように感じていた。 ただ第二次世界大戦は、敗戦が昭和20年で祖母や叔父や叔母、両親から食糧難がどれほどひどかったか、物資不足で物がない暮らしはどんなものだったかをきくことがあったので、敗戦後の歴史については比較的身近に感じられた。 それがアラカンになって、60年と40年をたすと100年になるので、100年という時間の単位がどうな時間の積み重ねを多少は受け止められるようになった。 そういう今、日本史の年表をみると明治維新は1868年なので、自分が生まれる100年前は武士が髷を結って刀をもって街を闊歩していたのだと思うと近世から現代への歴史の流れの速さが感じられる。刀で人殺しをすることで権力争いをしていた時代がこんなにも身近にあったのだと考えると、敗戦国として「西洋思想」として生まれた人権とか国民主権という考え方を、占領軍のアメリカの強権で戦争中の教科書を黒塗りして、新しい考え方を生徒に教えようとした教員が心の底からその考え方を生徒に教えることができたのだろうかと思う。つい、昨日まではそういう考え方を口にするだけで売国奴とか罵られてしまっていたのに。 日本人に限らず、強力な武力に脅されながらも新しい思想を学ぶためにはどういう姿勢が必要なんだろうかと思う。 戦後の日本の為政者も、一部のかたは本心から、戦前の非人間的な扱いから「民主主義」「国民主権」「平和主義」『人権尊重』を受けれたものもいたのかもしれないけれど、それはわずかではなかったのか。だからこそ、被爆国でありながら原発を受け入れ、自衛隊を創設し、安保条約も受け入れ、沖縄をはじめ占領国の米軍の基地を全国に残した。 人は何が正しく何が間違っているかは、やはり歴史と科学を学ぶしかないのだと思う。 今回の参院選でも、「憲法改正」が争点とされていたが、「憲法」が権力の暴走を許さないために必要なものだということをどれだけの国民が受け止めていたのだろうか。 SONE某氏のように「身体障碍児」の子供は殺した方が世のためになるという暴論を世に問うてしまう輩がまだこの日本に五萬といるし、国のために血を流さない国民は牢に入れたほうがいいとか、こういうことを平気で口走ってしまう人が政権を担う与党の中に数え切れないほどいる。 世の中にひどいことが続くとよく『戦後教育』が悪かったからという人がいる。敗戦に至った経緯や、敗戦を招くことになった根拠となる思想がどうだったというような検討をせず、一網打尽にただ教育のせいと言い切ることはどうなのかと思う。その論を適用すれば、あの悪夢のような原爆投下や米軍の沖縄上陸だって皆明治維新以後の教育のせいだと思えるはずだが、そのことは棚上げしている。 目の前のことしか興味を抱くだけでは、やはり真実には近づけないのだと思う。 アラカンになって、少しだけれど歴史というものに興味を持つようになった。
2016年07月11日
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