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突然ではありますが、、。僕はカレーが好きです。いつも電車に乗りながら、今日はどういうルートで仕事に行くか、、考えますが、、そのルートにどうやってカレー屋さんを入れるか、、もとても大きなテーマになっています、、。以下、今までに食べたカレー屋さん僕のベスト4です、、。リンク集です。(本当は自分で撮った写真があれば良いのだが、、)他にも知らないお店は一杯あると思うので、、どなたか、、教えて下さい、、。☆No.1インデアンカレー芦屋店に良く行きました。引っ越してからも何度かわざわざ行ってます。此所を超えるカレー屋は未だに出合わず、、。辛さ、味、甘み、香り、とろみ、全て良し!メニューもインデアンカレーの「インデアンカレー」が良い!大阪にもあちこちあります。最近東京に進出したらしいです、、。☆No.2ミンガス阪神梅田駅に一店舗。プレーンな「ビーフ」も良いが、「野菜カレー」もルーとマッチしていてとても美味しい。「カツ玉」というトンカツに半熟目玉+野菜も上手い。「厚切りビーフ」も上手い!☆No.3ピッコロ (千里セルシー店)カレーのピッコロは大阪に沢山ある、、が、何故か僕はこの千里のお店が好きだ。中でもカツカレーは先のミンガスよりバランスが良いと思う。ルーとご飯、カツのバランスは好きだなぁ~。思わずチーズもトッピングしてしまう。カツの肉がもう少し充実してくれていれば(少し高くても)、、と思う点はあるのだが、カツの揚げ具合も悪く無い。☆No.3 印度屋大阪、京橋にあるお店、、実は以前から店の前を何度も通っていたが、、当たりかどうか判断しかねていた、、。がつい先日入って、上手い! と思った。具の肉の充実度がすばらしい。でも、このルーとご飯のクォリティがあればこそ。本当はミンガスと同じぐらいか、もしかすれば、、などと迷っている所、、でもまだ一度しか入っていないので、、またこれからしばらく通ってから、、僕の中で順列がどうなるのか楽しみである、、。今日の日記はカレー屋さん。でした。
December 26, 2006
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昨日の晩、魔笛の合わせがあった。久しぶりに動きをつけて歌う。懐かしい感覚が蘇って来る、、。どうして、これまでやってなかったんだろう、、。そう思った。モーツァルトはバロックのスタイルを完全に応用して歌えるし、、いや、むしろその方がよりモーツァルトの音楽が豊かになる、、古典のためだけにではなく、バロックの歌唱スタイルは絶対に要るよな、、。僕なんかひょっとしたらいけるかも、、軽々しくも、、そう思った。が、、、、、、、今朝、少人数のコーラスで中世のスコットランドのミサをヘクサコードで歌おうとしたら、、、頭が、、体が、、、、ついて行かない、、、、あれ、、、、?ルネサンスをやると多少ましにはなったが、、あらら、、、戻らん、、。で、四線ネウマでグレゴリオを歌うと、、ホッとした、、。様式の違いが記譜上でもはっきりとしているので助かる、、。考えなくても体が自然にその音楽に反応する、、。中世やルネサンスで、モダン譜、、やめようかな、、とも、考える、、。が、やはり、時代時代で音楽は違う、、そんな事を今さらながらに痛感した。盛期バロックから古典派、古典派からロマン派まで、、はほとんど共通した記譜法に乗っ取って曲が作られている、、という事実、、。しかし、初期バロック以前になれば記譜法は違う。いくら今の時代古典派以降の記譜法や演奏法が一般的だ、とはいえ、、それをあたかも人類が進歩した結果得られた「文明の利器」の如く何もかにも応用させる姿勢はほとんど暴力的ですらある、、。一通りを勉強しその上でこれこそ最終結果だと言うのならばまだ少しはましだが、何もやった事が無いくせに「現代の一般的」イコール「人類の到達地点」、、の如く古典派以降の音楽を捉えるのは正に無知蒙昧そのもの、、。違いを探し認識する事は共通点を求めるよりもより互いの理解に繋がる。違いばかりを言い立てるのもどうかとは思うが、、。共通点だけを言うのも大きな問題だ、、。
December 26, 2006
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でも、合唱の仕事をしていると、何とかもう一歩良いものが出来ないか、、と、色々考えてしまう、、合唱団の規模や組織と合致すればいいのだが、、そうでない少人数のなどで組織として未完成で、責任の所在も不明確な場合は、準備の外注等とんでもない、、!こういった場合、、僕はどうもお節介になってしまう様だ、、結果は良いものが出来るのだが、、僕自身も手が届かない仕事を増やしてしまう、、もう一歩互いに歩み寄れば手が届く、、そういう予見がミスを招く、、。結果は僕も合唱団も手が届かない、、お見合いポテンヒットを許してしまう、、。コンサート作りに関しては、指導者である演奏家も基本的には素人、、善意のボランティアの提供のし合い、、という部分は避けられない、、でも、この事情の説明も難しい、、という場合も多い、、。いくらボランティアで組織の未完成の部分をフォローする積もりでも、コンサート作りの段階を説明する事はしてはいけないのだろうか?みんな、どうしてるんでしょう?さきの「未完成」も未完成ではなく、、一つのスタイル、、一つのやり方、、なんだろうか、、?アマチュアや組織のあり方でコンサートの作り方も変わるんだろうか?無理に良いものは作らなくても良い、、のかも、、、今の力では、何なら出来て、何が出来ないか、出来る事が皆の希望とは裏腹であっても、、それを情を挟まずに冷静に伝えるべきなのだろう、、。でも、これが最も難しい作業だ、、。どう思います、、?悩んでいます、、。
December 24, 2006
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以前、自分の企画に舞台監督をお願いした、、。別にオペラ等の大掛かりな出し物ではない。出演者は多かったが、、。コンサートである、、。恥ずかしながら、、本番の進行表を作る段になって初めて、、その自分の作った進行表を見て、、「わ~、えらいこっちゃ!!これでは自分はキャストが出来ん!!」で、出演者の一人の等々力政彦さんに相談、、で、一人の舞台監督さんに辿り着いた、、。偶然本番の日が空いていた、、。業界用語で「ブタカン」、、。このときの「ブタカン」は亀井利之さんという方、、仕事を外注する事の意義を本当に教わった。そして、僕ら演奏家が如何にコンサートの運営では素人であるか、、ということも改めて教えてもらった、、。少々大きなプロデュースをした企画の時、しかも自身も出演するとき、、亀井さんの存在は大きかった、、。音響、照明、など舞台の係をまとめてくれる。それだけでなく、進行、出入りや、立ち位置様々な仕事同士のリンクを行ってくれた、、。それでも、プロデュースやマネージは僕が兼任していたので、ミスや反省はどうしても付いて来る、、。規模に合わせた予算作りは大きい、、。もし、大きな規模のものをやるならば、あらかじめ資金づくりから考えはじめなければいけない、、。そうすれば舞台監督だけでなく多くの仕事で外注が出せる、、とその時の反省、、でも、協賛金なども貰う算段に走り回り、企業メセナや文化支援財団からいくらか貰えた、それで助かってはいるのだが、、、、-----------------------------------------------------------で、、この時の後日談がある、、、今度は僕がとある人のコンサートのスタッフを引き受けた、、あろうことか僕がプロに外注した「舞台監督」である、、。その時、ある出演者の通り道と別の出演者の立ち位置で矛盾が生じ、舞台の設営担当係と頭を抱え込んだ、、、担当の人は「出来ない、、。」「何か方法は無いですか、、?」と困っていたら、、照明の人があらわれた、、。先日の亀井さんと旧知の照明の人だった、、、「これで行くしか無いやろ。」その照明さんの鶴の一声で事が動き始めた、、僕が「ありがとうございます。」と礼を言うと「良くある事よ。」と笑って一言、、。餅は餅屋だ、、と思った、、。
December 24, 2006
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今「魔笛」を歌っている、、もちろんお仕事を頂いて、、。コンサート形式だが、、、24年ぶりのオペラ。実は僕はオペラは大学卒業以来歌っていない。新作の創作オペラに出た事は一度だけあるが、、本当に例外中の例外だった、、。その時のオペラを引き受けた動機は、、「ちょんまげのカツラがかぶれる、、、」という事が最も大きく僕の心を動かしたのだった、、。それに声楽家である以上、日本文化と西洋音楽の折衷も一度経験しておかなければ、、と思った事も事実、、ずっとオペラをやっていない、、という僕に声がかかった事はとても有り難い事だった、、。そう。仕事が貰えるのに断るなんて、、これまで、本当に不遜な事であったとは思う、、でも、バロックや古楽をフリーの立場で取り組む事、その事が、あれやこれやをやりながら一緒に出来る様な、生半可な相手では無いと言う事実もその理由、今までオペラを断って来た理由としてあった。今回、お話を貰ったのは偶然の出会い。指導している合唱団の練習である会場を訪れた時、テノールのC氏も他の合唱の指導で来ていた。彼とは以前ヘンデルの客演ソロで一緒に舞台を踏んで以来だった、、。そのC氏が僕が学生時代歌った「ドン・ジョバンニ」のレポレロを覚えてくれていたのだ。その「ドン・ジョバンニ」、学生が制作し、学生が道具を作り、学生が衣装を作り、学生がオーケストラを組織し、学生が指揮し、学生が舞台監督など全てのスタッフをこなし、学生が演出をし、学生が合唱も歌い、学生がソロも歌う、、そういう催しだった、、。僕は心密かに「オペラはこれが最後、、、」そう思って臨んでいた、、。本当に楽しく、そして本当に素晴らしい舞台だったと思う、、で、他の音大で学生だったC氏がその公演を覚えてくれていた、、そして、今回の依頼となった訳だ、、この四月頃、依頼の電話を受けた、、C氏「パパゲーノ、歌って頂きたいんですが、、」僕 「ありがたいけど、24年オペラやってないですよ。」C氏「大丈夫ですよ。抜粋ですし、何とかお願いします。」僕 「昔の事で、コンサート形式でも多分、、動けませんよ。」C氏「清水の舞台から飛び下りる積もりで、、!」僕 「では、、僕ではなく、、Cさんが清水の舞台から飛び下りるのなら、、。」で、引き受けた、、、、不安だらけである、、が、こうやって書いてみるととても有り難い話だ、、。昔の僕の演技と歌がある人の心に残っていたなんて、、頑張らねば、、あ~、でも、暗譜最近してないよ!しかも五十前だし、、記憶力も、、あ~、でも、モーツァルトはやっぱ、、良いぞ、、。今日、急遽コレペティをお願いし練習をした帰り、、DVDとMDウォークマンを買った、、。暮れも正月も無い、、。でも、やっぱり、、C氏の人柄、、、大きい、かな、、、
December 23, 2006
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映画「ラヂオの時間」を見た。 しかも、16日の夜見た。つまり、17日に「詩人の恋」を歌う前の晩、、、に見た、、。本番の前の晩、見る映画じゃないよ!でも、本番当日出番前、、蝶ネクタイが壊れているの発見、、しかし、動ぜず、、、藤村俊二の台詞、、「自分の頭で考えるんだよ。」が、頭の中で鳴り響いた、、。すると、見えて来た、、「紐は健在、、」「蝶の部分が外れている、、」この紐を、、こうやって巻いて、、括って、、上手く行くかも、、、あ、、出来た、、でも、舞台関係の人、、この映画は本番の前の日には見ない様に、、。で、詩人の恋は、、、どうなったか、、?全て遥か海の底の彼方に沈んで昇華してくれたかな、、?四曲目の"Ich liebe dich"、、あまり上手く思った通りには歌えなかった、、と思ったら、直後に雷が鳴った、、。すごいタイミング、、。で、メインの「まる♪ 」さん こと、張智慧さんのピアノは、、?良かったですよ。ファンの人に囲まれて、、良い空間でした。張智慧さんの旅に同行させて貰った様な冬の一日でした、、。謝謝!張智慧さんのページhttp://www.geocities.co.jp/MusicHall/2233/(楽天からはリンクがはれないので、、アドレスのみ)
December 18, 2006
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こんなことして良いの?(でもありがたいけど、、)「モーツァルト全楽譜をネットで=無料で公開、印刷も-オーストリア財団」2月18日7時1分配信?時事通信 【ベルリン17日時事】モーツァルト全作品の楽譜をネットでどうぞ-。今年で生誕250周年を迎えた作曲家モーツァルト(1756~91)の文化遺産を管理する国際モーツァルテウム財団(オーストリア・ザルツブルク)はこのほど、全作品の楽譜をホームページ(HP)で公開した。閲覧は無料、印刷も可能で、世界各地のモーツァルト・ファンの関心を呼んでいる。 公開された楽譜は、「魔笛」「フィガロの結婚」などオペラのほか交響曲、ピアノ協奏曲など600を超える作品。PDF形式でファイル化されており、ダウンロードや印刷が簡単にできる。 New Mozart Edition online でも、まだ繋がんないよ~、、、、
December 18, 2006
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今度の12月17日、神戸でピアニストの「まる♪ 」さんのコンサートに呼んでもらい「詩人の恋」を歌う事になっている。 昨日(一昨日)はその練習があった。「まる♪ 」さんのお宅へ向かう途中、旧神戸移住センターがあった。 思わず泣きそうになった、、。というのは、以前ボリビアで一か月間お世話になった沖縄系の方が「神戸から船で来た。」と話されていた事を思い出したから、、。また、ボリビアで出合った移民のほとんど全部の方がこの旧神戸移住センターから海を渡ったのだ、、。このセンターが目に飛び込んで来た瞬間、彼等、彼女らの顔が頭の中に蘇った。海を渡ってから大変な思いをしたこと、壮絶な戦いを強いられたこと、、全てはこの場所から始まっていた事だったのだ、、。 僕の胸の中で何かが大きく渦巻いて来る。後で聞いた話によれば、移民の人たちはここから港まで歩いて行く途中、必要なものを買いそろえて行った。それが今の鯉川筋の商店街になったらしい。ああ、あの人も、あの人も、そうだったんっだ。此所を歩いて港へ行き、ボリビアに辿り着いたんだ、、。 さて、「まる♪ 」さんはドイツリートに取り組む機会は今まであまり無かったという事だ。が、それはやはりピアニスト人口がとてつも無く多い、という事に一因があるようにも思う。キャリアが少ないとはいっても、その取り組む姿勢は決して侮れる様なものではない。ベテラン伴奏者に引っ張ってもらう事に匹敵するぐらい学べるものも多い。久しぶりのリートでもあるし、面白い。「詩人の恋」を歌っていると、シューマン自身の可愛らしさ、純粋さがとても愛おしい。クララへの思い、、。 「まる♪ 」さんのご主人はアマチュアのホルン奏者。僕もアマチュアのホルン奏者であった(ある?)からその点では先輩にあたる、、。普段はなかなか出来ないホルンのお話も出来た。 練習終了後、ご主人も交え、春日道にあるneo@choさんのライブ会場「神戸天昇堂」へ出向いた。Erryさんもフルートを吹いていた。あおさんの個展でのイベントということ、、。その後ミュージシャン連中と居酒屋へ、、。Erryさんとは十年以上前に会っていた。忘れていたよ、、。でも、話をするうちに思い出した。もう一人笛吹きがKBCさんも居て、ほとんどその席は彼女の独壇場(?!)と化していた。neo@choさんやその仲間のコミュニケーションにしばし見とれた感じ、、。久しぶりに腹の皮がよじれた、、、。いろんな意味で体の中に新しい血が入った様な、一日でした、、。 Vielen Dank! Alles!夕焼けを見て、そこにあこがれを感じてしまう、、。そのきゅんとした瞬間、それこそが、ひょっとすると僕の古郷かな、、、。って、昨日の話の流れに居無けりゃ、ちょっと解らんですかね、、すみません。
December 11, 2006
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カタールの首都ドーハで第15回アジア競技大会が開かれている。アジアの仲間がスポーツで競い合う、、、って、、人と人がスポーツで競い合う事は間違いなく素晴らしい。でも、、、アジア、、、亜細亜、、、、 「アジア」って誰が言い出したか?(またまた出た!語源癖)ラテン語で"Asia"ギリシャ語でもiにアクセントがついてほぼ同じ、、アッカド語 では"asu"何れも「日が昇る地方」という意味、、そしたら日本から見たらアジアはアメリカか!?つまり「アジア」という言葉はヨーロッパ人の主観から出た言葉。決して客観的に物事をとらえ、公平につけられた名前ではない。誰が「アジア」って言ったか?世界地図を西へ辿ってどっからがアジアじゃ無いか、それを見ればその中に居る事は間違いは無さそうだ。「アジアの仲間」って、、別に自分達でそう言い出した訳じゃ無いって事か、、ヨーロッパ人に「あんたたちは『アジア』って事で、、」そう言われただけじゃん!何だかくやしい、、そう思うのは変、、、?でも、、、まぁ~、、「俺たちはここは一つ『アジア』って事で、、」!? ん~何か俺たち主体性、無くない?「アジア」ってことば、、、いや「俺たち」って括ったのも、もともと「俺たち」じゃないもん!「小学館ランダムハウス英和大辞典(第二版)」参照
December 8, 2006
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夙川のねこ芦屋川のねこ「高所作業車でネコ救出、松の木に登って4日ぶり」夙川は良く良く知ってる馴染み深い所、、なんでこんな事が全国ニュースになるのか、、?ようわからん、、?このニュースで思い出しました。たまにちょくちょく居ますよ、、おっちょこちょいなこういう奴(猫)。2002年11月5日の朝のこと、芦屋川の上流高座の滝でもこんな猫が居た、、。「なぁ~、たすけてぇ~、降りられへんねん~。」何度も救出を試みた、、しかし、木と道の間は結構幅があって下は川が流れていて崖になっている。仕事へ行く時間も迫り、助けを呼ぶ声をしり目に後髪を引かれる思いで立ち去った、、。(すまぬっ!誰かに助けてもらってくれっ!)が、、、、数日後、、同じ場所を通ると、、、 誰かに助けて貰った様子、、でも、、照れ隠しか何か知らんが、寝そべって、、しかも舌まで出して、、、 「へんっ。どうってことあれへん、、。」って、この前は「な~ぁ、たすけてぇ~、、頼むわ~」「降りられへんねん。どうしよう~。」って、猫なで声で言ってたくせに、、。でも、まあ、夙川の猫も良かった、それ自体は良かったのだが、、でも、全国ニュース、、っていうのが今ひとつ居心地が悪い、、。何でだろう?
December 8, 2006
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先の「くまのはなし」を聞いて思い出した、、。ねこのはなし、、。だいぶ以前、実家で暮らしていたとき、、のら猫が庭とエアコンの室外機の隙間に子猫を生んだ。ミーミー、ミーミー、と鳴く複数の細い声で気が付いた。確か冬だったと思う。庭に面した部屋は父親が寝起きしていて、夜はエアコンをつけっぱなしにしていた。僕は子猫の事が気掛かりだったが、父は一向におかまいなしだった。ある時から子猫の声が止んだ。僕は子猫の事は忘れ、ある日一人で家に居た。すると、玄関のドアの下の方30センチぐらいの高さの所を、誰かがガタガタとやっている。近所の子供のいたずらか?そう思ってしばらく放っておいた。でも、まだガタガタとやっている。しつこいな。とすこし苛立って玄関を開けた。すると、少し離れた正面に猫がこちらを向いて座っている。じっと僕を見つめるその猫の眼差しを見て、僕は子猫の事を思い出した。「母猫、、、。」と、すぐにわかった。「ちょっと待って、見てくるから。」思わず僕はその猫に声をかけ、玄関とは全く逆方向の庭へ行った。室外機と壁の間を見た、、そこには小さな猫の亡骸が五つほど、身を寄せ合っていた。黒や白、虎の模様、、僕は玄関に戻った。母猫は僕を待っていた。まだ動かず、同じ場所できちんと座り、じっと僕を見つめ続けていた。「わかった。ちゃんと埋めとくから。」そう声に出して言った。「ごめんな。こうなる前に、気が付いてやれなくて、、。」そう心の中で言ったが、母猫がかわいそうで口には出来なかった。「すみません。よろしくおねがいします。」母猫はそう言っていた。と僕は感じた、、。子猫をすぐ埋葬し手を合わせ、また玄関に戻った、、母猫の姿はもうそこには無かった、。 庭からで無く、、ちゃんと玄関へ回って、、人がする様にノックをして、挨拶とお願いとをしに来た母猫。「礼」とは何なのか?「礼」を人間固有の文化と考えるのは思い上がりかもしれない。「礼」とは命あるもの共通の文化かもしれない。と、、そのときの事を思い出す度に考える。「愛」って何なんだろう?「心」って何なんだろう?「人」って何なんだろう?僕らはひょとしたら、猫以下の礼節しかしらない存在になっていないだろうか?街を歩いているとそう思える時がある。
December 5, 2006
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ブログやmixiの写真をかえてみました。以前にブログにも書いた赤阪友昭さんの写真です。赤阪さんとはお会いしてまだ間もないのですが、自然の中に身を置く人共通の臭いがします。(別に本当に臭う訳ではないのですが、、)その赤阪さんから聞いたお話。アラスカでヒグマの親子を撮影していた時の事。母グマと子グマを何日か追いかけて撮っていたそうです。本でも読んだ事がありますが、子供を連れた母グマは神経質で気が立っている、、。そんな親子に密着し言葉をかけながら撮影する。そんな事を何日も続けていたそうです。そして、あと二日で帰る、、というとき、母グマが、「こっちへ来て撮ってもいいよ。」「そう言った様に感じた。」と、赤阪さんは言いました。「これは大丈夫だ。撮らしてくれる、。」それまで入っていた檻から出た赤阪さんは、親子に近付いて行きました。すると母グマは小グマを赤阪さんの前に残し、狩りに出かけたというのです。その母グマが鮭を採る姿や小グマの姿、親子の様子を何枚もカメラにおさめた、、ということです。心が通うって何だろう?人と人の方が言葉が通じる分、そこに甘んじていないか?「お約束」の上であぐらをかいていないか?心と心の対話って?街の中って沢山あるようだけれど、、本当だろうか?あ~、冬が来た、、雪山の中で一人佇んでいるとき、、何も音が無くて、全く無音で、キーンと鼓膜が言って、、木の枝から雪が少しパサッと落ちる、その音に凄い大きな命を感じる瞬間。 あ~、雪山行きた~い!自然の中に身を置くと、自分の中の命が生き生きと動き出す。その力を感じる瞬間が必ずある。 30歳位の私、、、、
December 5, 2006
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「音楽」という語、小学館の「日本語源大辞典」で引いて見ました。『「音」は歌声、「楽」は楽器の発する音。』更に、「音楽」は「楽」よりも狭義であり、仏教のための法会の舞楽の意味があったとあります。能楽では天上の楽を特に「音楽」と呼び、歌舞伎や御殿、神社寺院での貴人の出入りの「囃子」、つまり声楽ではなく器楽を特別に「音楽」と呼んだようです。「今昔物語集」での世俗の「音楽」つまり「音をたのしむ音楽」という意味には、「管弦」という語があてられて天上のための「音楽」とは区別されていたそうです。やはり「音楽」は高貴なものであった、という事でしょう。明治初期でもまだ「音楽」は雅楽の事を意味していたそうで、「音楽」が今の意味の様に音楽活動やその形の呼び名になったのは、明治十年頃の話ということ、とこの「日本語源大辞典」には書かれています。音楽取調掛が創設されたのが明治12年ということです。今の一般的に思われている「音を楽しむ『音楽』」という語彙はやはり明治以降から現代に至るまでの間に巷で俗説が広まり、そちらが一般化し語彙が変化してきた結果なのでは無いでしょうか。次に、放送大学教育振興会の『改訂版「西洋音楽の歴史」』笠原潔著を見てみます。この本によると、、【中国】〈秦代〉の『呂氏春秋』この三篇に「音楽」という語が登場するのが最も古い例だそうです。但し現代の意味の「音楽」は「楽」の一字で表されています。「音楽」という二字で一つの概念を指す熟語は無く、「音」(おん)という文字は「音」(おと)という意味で独立した別の言葉だったという事です。その他、司馬遷の『史記』にも同様に記述されているそうです。それ以降の他の書では、楽団、楽隊、楽人として記されていたり、また別の書では音楽は舞が中心で君主の功を現し、楽は君主の徳を楽しむものとする、など儒教的なものとしても登場します。また唐の時代の初めになると、儒教の音楽を「楽」と呼んだのに対し、非儒教系の音楽や異国の音楽や俗楽を「音楽」と呼んだそうです。またこの儒教的な伝統に基づいて、漢訳仏典や仏教書で「音楽」は、修行道の妨げとなる世俗の「音楽」浄土で聞かれる「音楽」などを「音楽」と呼んでいたそうです。
December 1, 2006
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(しつこく続きます、、、、、悪しからず)「音楽」と言う語。和製漢語などではなく古来より中国、日本共にありました。が、現代の音楽を指して音楽とはいわれてはいなかった様です。やはり現代の「音楽」という意味で音楽が使われはじめたのは明治時代からで間違い無い事の様です。ということで、これまで書いた日記での音楽とMUSIC の話、、言ってみれば言いたい事の「雰囲気」としては大体合っていました。中国の文献には「音楽は心を楽しませたり、自分を楽しませるものじゃ無いよ!」と、書いてあります。「音楽は正しき教えの始まり。」であったり「音ではなく君主の徳を楽しむのが音楽。」とも書いてあります。日本でも「高尚な・異世界へと誘う・器楽風音楽」として「音楽」や「楽」という言葉が用いられてきました。「音学」という語にも出会いました。これは中国の言葉で漢字の音韻を研究する学問だそうです。音韻の他に四聲、反切などに関する学問であった様です。清代に「顧炎武撰」という音学の著書があるらしいのですが、「音論」・「詩本論」・「易音」・「唐韻」・「古韻表」という五つの区分があり全38巻の書物になるそうです。この「音学」という言葉の方が「音楽」よりも"MUSIC"の語源の「ムジケー」に近い語彙を持っている、と言えるかもしれません。ということは、、『それじゃ音を楽しんでないから「音学」じゃないか!』は、、西洋音楽的にはむしろ「超オーセンティック!」だったりして、、、、(つづく)<参考文献>放送大学教育振興会『改訂版「西洋音楽の歴史」』笠原潔著大修館書店「大漢和辞典」巻12小学館「日本国語大辞典」第四巻
December 1, 2006
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