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皆既日食を境に、バシバシ感じている、何か。「パライダムシフト」個から、和へ連鎖、法則性、システムそれらを使用する、人たるやバランス、柔軟性、データ負けること知らざれば、害、その身に至る根本原理の逆転が起きる何が正しくて、、、何が間違いか、、、月が太陽を飲み込みはじめる少し前から気づかぬフリを出来ぬほど陰陽逆転劇が繰り広げられている点が線になるこたえは、調和。知っているお前は間違ってない。間違ってないよね?太陽と月自我と感情重なり合う時、ルールが変わる
2009/07/27
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胸騒ぎがする。いつもの感覚か、天気が悪いせいか。何も感じない。思い込みだと何度言い聞かせても、この感覚の時、きみは私を想っていない。些細なしぐさ、目線、声のトーン。・・・うそ。敏感すぎる感覚が、捉える。いつまで経っても、ひとりぼっち。昨日、夢にアイツが出てきた。そういえば、もうすぐ誕生日。私は、相も変わらず、素直になれず、気が付くと強がっていて、ありのままであることに、恥らいを持ってしまう。いつからだろう。この空虚な感覚から抜け出ることは出来るのだろうか。・・・心臓がキリキリ痛む。いっそ、、、、本当に進んでるのかな。
2009/05/28
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夢を見た。すごく、懐かしい姿。一瞬、夢なのか、現実なのか、判らなくなった。目線を隣に向け現実に引き戻される。・・・ただ、頭の中に、懐かしい聞きなれた声と残った台詞。「素直なんがお前や。 それでいいんや。」一日、憂鬱だった。どこで何をしているのか。幸せに笑っているのか。不器用なアイツ。生きて幸せであって欲しい。アイツと私が交差することはきっとない。夢に現れたのは私の何かがそうさせたのかアイツに何かがあったのか・・・アイツを感じられない。時間が経過し感じなくなったのかそれとも、、、その不安を解決することは出来ない時間だけが経過するどこかで生きていて
2009/03/27
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どんな環境であろうと、どんな状況であろうと、諦めることなく、「、、、よりよく。」常に佳き日々をと、向上心を持ち次の一歩を歩むこと。完璧を求めたその瞬間完璧なものはなくなる。すべては微妙なバランスで成り立っていてその微妙なバランスは象れるものでなく感覚や感情に近い、言葉にもならない、微妙なニュアンスのもの。その法則を垣間見る感覚を忘れ去ってはいけない特別なものでもなく与えられるものでもなく誰もが当たり前に持つ感覚「幸福」とは多感にそれらを受信しその中に”福”という微妙な法則を多く感じ取ることではないかと思う今日この頃
2008/05/17
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この持論は、私自身が、25年の人生に於いて体感して学んだできたこと。私の持論が正しいものだとか、私がヒトよりも勝っているとか、そんな、自己満足的かつ浅はかな理由で、記載しているのではない。今の私は、何かを、罵倒しているのでもなく、攻めているのでもなく、追い詰めているのでもなく、取り巻く環境に対して、現実、事実を述べているに過ぎない。はっきり、言って、議論しようなどと思っても居ない。これから記載する事項は私の現状に置いて、冷静かつ客観的に分析した結果導き出された持論である。繰り返すが、前提として、私の見解が良いとか悪いとかでは、ない。物事には適材適所があり、すべては、バランス感覚だと思う。どこにどの理論が合致するかによって、その理論によって「結果」を導き出せた時、初めてその理論は「正論」となる。よって、結果がない理論は、仮説に過ぎず、良いとか悪いとか、正しいとか、間違いだとか、ジャッチするまでもない。「~たら、~れば」という理想論に過ぎない。現実を捉えるためには、冷静かつ客観的に現実を分析した時、ありのままを、フィルターを通さず、描写できれば、正しい問題定義が浮かび上がってくる。そして、より至難の業を要するのはそれらの問題定義を踏まえて解決(=結果)に行き着く過程の方法論を構築していくこと。この所、「問題」を”点”として、「過程」を”線”「結果」を”和(○)”だと仮説を立てて、物事を考える。和(○)についての定義は、正直、もう少し書き記したい所だが、この場に於いては、”結果”や”成果””解決”などとしておく。点在して、存在する、各、”点(問題)”が見えていない場合方向性を見失い、”線(過程)”が絡まりあう。結果、その”線(過程)”はいつになっても”和(○)”「結果」になることはない。グルグル、グルグル堂々巡り。さらに、気づかずに、長い年月を要していると絡み合った”線(過程)”の複雑化は年月と比例するように加速しそこに前提としてあったはずの”点(問題)”すら見えなくなる。今私に在る、問題は、すでに、上記の状況にある。本来の問題すら、理解できていない環境の中現実を直視せずに、不平、不満、偽り、理想的理論を振り飾す。本末転倒、本来の問題すら見えていない者だらけである。私は、その違和感だらけの現状に問題定義を投げかけたに過ぎない。”結果”(=和)”を求めるか、求めないか。極論、それだけのこと、だ。そして、正直求める、求めないの賛同など、どうでもいい。時に人は求める”結果(=和)”のためにどうしても、やらなければいけない事がある。誰に何と言われようが、結果を導いたものこそが、その過程を声を大にして正論だ、と言える。クドイようだが、結果という証拠があるからだ。私は、苦しみを知り、痛みを知り、迷い、知ったことがある。生きるか、死ぬかの時、過程よりも、最大限生きた結果である、と。まっすぐに胸を張って生きたい。幸せに生きていくことは、日々幸せという「結果」”和(○)”に向かって、そのための、「過程」”線”を結び続けること。「過程」”線”を繋ぐための妨げとなる「問題」”点”を捉えながら。そうして、「結果」”和(○)”を広げて、幸せの「結果」”和(○)”を連鎖させていく。この持論を極論化すれば世界平和やすべては、ひとつなのだ。などという理想的理論に近しいものに行き着くかもしれない。しかし最大は最小であり最小は最大であるという、年長者からの格言から推測するにすべては、表裏一体でありそんな大それた、理想的理論を掲げなくとも日々、最小を正しく見ていればよいのだと思う。私は、この持論が正論なのか知りたい、、、のでもなく、この持論を誰かに偉そうに語らいたい、、、のでもなく、ただ、結果が欲しいだけ。ただ、単純なこと。私の追い求める結果、「幸せになりたい。」ただ、それだけのこと。きっと、誰もが同じ。
2007/12/09
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「現状に、問題がある」その周知の事実の上に居るにも関らずグダグダと浅はかな理論のぶつけ合い。正直、それ自体が意味を成さない。良いとか悪いとかではない。今の現状で求められている事が見えてない。根底問題が見えていない。根底問題の解決をせず、その時々起きる事象に対してあーだの、こーだの、悪者探し。そこには、すでに根本目的である問題解決から程遠い責任の押し付け合いが始まる。正直、誰に原因があろうが誰が悪者だろうが、どうでもいい。そんなものを突き詰めた所で、全く以って、意味を成さない。【結果<経過】私から言わせれば、そんな偽善者ような正論を翳してる自体甘く浅はかだと思う。目指すゴールの見えない人間が、どんなに走った所でゴールに到達する訳がない。たどり着きたい結果から、経過を産み出して行く物だと思う。【結果<経過】と胸を張って言えるならば、周りの環境や状況に沢山の事に感謝すべきだと思う。。結果に結びつく経過や、結果の責任を担っている人がどこかに存在しているのだから。そんな環境に居る人間ほど「一人で生きれる、生きていける」”つもり”の人間に多い。物事の捉え方が、甘く、浅はかだ、と私は思う。なぜなら、自身がそうだった、から。今の私が、【結果>経過】になる理由。物事を客観的に捉え、分析し、検討すれば、自ずと見えてくる。問題と解決方法。明確すぎるほどに、深く関わる人間が口を揃えて言う。現状に於いての問題。それは、「依存関係」。深く関わる前は”思いやり”や”優しさ”と言った美しい言葉と捉え違いをしやすいと思うが、明らかにその性質は違う。そして、「依存」という問題から目を背け”思いやり”や”優しさ”などといった現状に置いては、理想的正論となる理論を振りかざし、現実とのギャップから逃げ回る。正直、私自身、そんな浅はかなで”なぁなぁ”な甘ーい現状の繰り返しの人生に嫌気が刺したのだ。これまで、散々、理想的理論のために現実に存在する自分自身から目をそむけてきた。環境を見渡したとき自分ひとりがその問題に疑問を投げかけているように感じたから。私ひとりさえ、黙って居れば、ガマンしていれば。なんて、浅はかな考えだったのだろうと今になって思う。気づかぬうちに、グルグルとめぐる流れの中私自身も逃げ回っていた。認めるのに、時間を要してしまった。私自身、いつの間にか偽善者にすぎなくなっていた。しかしながら、私は、感謝すべき事象によって思い出しつつあった。祖父だけが、教えてくれた、「大切なこと、正しい」こと。母親という責任に恵まれ、きみというパートナーと出会った。真剣にきみと向き合い、確認し合い篩をかけ、きみと体感した。ずっと、ずっと、追いかけてきたはずの自身のパラダイムシフト。理想と現実のギャップから逃げ回れるような甘い環境から抜け出したい。私は、すでに、問題が見えていなかった。きみたちが現れて私の世界は、一掃した。私は、「私はひとり」などという浅はかな考えを持った偽善者だった。私は、偽善者のままではいけないのだ。なぜなら、今の私の現実に、余裕はないのだ。日々、子供は成長していく。・・・時間がない。私の環境が子供の環境である。子供に私が子供の頃から体感してきた、偽善者、仮面の人間関係の多い環境を体感させたくない。祖父が、私にしきりに掛けていた言葉「翠にはいつもどんな時もじいちゃんが居るよ。」私は、その言葉だけで、今まで立っていた。墓前に立って、確信した。いつも私を見守ってくれる存在が今の私には、子供ときみが居る、という確信の確認であったのかもしれない。私はいつも、どんな時も、ずっと、ひとりなんかじゃなかった。私のこれまで築いてきた持論の集大成としての結果が、今、求められている。それが、今の私。
2007/12/09
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この世の中には、根底的に存在する普遍的な原理原則がある例えば、男と女例えば、自然例えば、時間軸例えば、食事例えば、住空間普遍的に存在する、原理原則を理解し生きることは現代においては、難題であるホモサピエンスの時代人間となる根底にあるその存在は現代の人間と決定的な違いを持っている気がするそれは、原理原則自然の摂理と共存し目に見えないものを創造して進化を繰り返しいたのではないかそうして、進化を繰り返し形成された今の人間は根底的にあったものに劣っているような気がしてならない現在の人間は過去の存在が望んだ形であるだろうか原理原則根底的にあった存在が望んだ進化なのだろうか進化の先に見ていた世界は、きっとこんな世の中じゃないと思うだからこそ過去の創造を踏まえて未来を想像出来るそんな芯を持った、ヒトに私はなりたい
2007/10/02
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ドン底ってきっと今のこと。今までも、何度も、何度も、その時々のドン底を味わってきた。その度に逃げたり、諦めたり、投げ出したり。そんな事を繰り返してきた。壁にぶつかっては、逃げ。我慢できなくなっては、諦め。背負えなくなっては、捨て。見ないように・・・感じないように・・・気づかないように・・・苦しくないように・・・きっと、無意識の自己防衛。きっと、当たり前の生存本能。今までは、そうしないと、生きて来れなかったのかもしれない。私の心は、いつも独りだった。甘えたり、頼ったり、誰かと支えあったり、出来なかった。幼少期に、植付けられた、そうすることへの不信感、恐怖心、猜疑心。正しいと想うことを正しいと表現出来ない。私、間違ってない・・・分かってる・・・分かってる・・・なのに、・・・出来ない。自問自答。そして、自分に対して疑心暗鬼。幾度となく底を経験してひとつ知ったことがある。精神が崩壊する前に、体が悲鳴を揚げるように私の体は出来ているらしい。今、体がSOSを出している。体が崩壊していく。そして、このままじゃ、いずれ精神も崩壊する。体が崩壊を始めている、今。精神を正常に保つことが今の精一杯。ギリギリ糸一本で繋がってる、今の私。ふと、独りになると、涙が溢れ出る。独りの時間がとてつもなく怖い。理由なんて、判らない。私、この糸が切れたらきっと、崩壊する。判っている。分かってる。知ってる。逃げてしまえば、諦めてしまえば、捨ててしまえば、葛藤。だけど、今、変化しなければ、この先も、何も変化しない。口先だけの自分自身も、結果を求めない人間も、もう、うんざり。自分自身のパラダイムシフト。知っているだけ、判っているだけ、それじゃ世の中何ひとつ変わらない。変化という結果を求めるならば、行動あるのみ。「有言実行」言葉にしてしまえば、容易い事のよう。この状況を気力と根性だけで、耐え抜くのは、きっと、至難の業。だけど、私は、まっすぐ、ただ、まっすぐ正しいことを正しいと言えるきみのような人間になりたい。先にある私の姿を根拠なく、信じてくれる、きみが居る限り。きっと、愛ってそうゆうこと。
2007/09/13
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この一年、二年。やれるだけの事をしてきた。捨てられなかった。諦め切れなかった。例え、手放したほうが、自分にとっては楽だと知っていても。周りが何を言おうと、周りにどう思われようと、自分が正しいと思うベストを尽くしてきた。私は、間違っていない、という無根拠の自信。結局、世の中、判断されるのは、結果でしかない。それまでの、苦しみや不安や、不満や色んなことや、色んなものを耐えてきた事。結果を出すまでの過程や努力なんて見る人は限りなく少ない。いくら、声を荒げて相手を否定しても同じ穴のむじな。相手の土俵に上ってやることやってやり切った上でモノを言うしかないんだ、と。どんなに、正しいことでも個人のエゴの強い物欲至上主義の中では正しい事が、正しいとされない。だっったら、相手の土俵の中で納得させるしかない。そう思った、昨日。いくら言っても理解できない人はいつまで経っても、理解できない。結局は、己自身で気付き、修正していくしかないのだから。「言われるうちが華」と昔の人はよく言ったものだと思う。もういい加減本人たちに不満をぶつけてもいいのかもしれない。なんで、人のことを敬えない、気持ちを酌むことの出来ない人たちのために、私が苦しまなければいけない??愛する人を苦しめなきゃいけない??ふざけるな。いい加減テメーらの責任は、テメーで取れ。家族、だ?ふざけるな。人のことを舐めるのもいい加減にしろ。いつまでも黙ってると思うなよ。自分のことしか考えられない人間は結果として、人が離れていく。周りを見渡せば理解できるはず。なぜ、自分から人が離れていくのか。離れていく人間に理由を求めているうちは気付かない。そんな単純なことすら理解できないのだろうか。私は、結果だけで判断するような人間になりたくない。過程と努力、その上での結果見て評価出来る人間になりたい。「継続は力なり」本当に、全うしている人が口に出来る言葉。継続し続けている人間だけが語れる経験。「継続は、力なり」と経験から語れる人間になりたい。
2007/09/01
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「曲がった事が大嫌い」この言葉とイコールで結べるような彼。私は、彼のまっすぐさが、大好きだ。どんな事に対してもまっすぐでまっすぐすぎて、不器用。今の世の中まっすぐな人は生きづらい。嘘をついたり騙したり妬んだりエゴで動いたり物欲至上主義だったり。彼のようなまっすぐな人間になりたい。私は、結局、物欲至上主義の概念が邪魔をする。根本では、まっすぐさを求めているのにまっすぐになる方法を知らない。彼と居たら、まっすぐになる方法を知る事が出来る。エゴやプライド、私が持つ邪魔なフィルターに疑問を投げかけてくれる。私は、最高のパートナーに出会う事が出来たのかもしれない。
2007/08/30
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世の中が二極化しているように見える陽と陰 白と黒善と悪何という言葉に該当するかは判らない結局の所偏ってはならないのだと思う大切なのはきっとバランス完璧なものなどこの世界にはひとつとして存在しない何かを得れば何かを失いその中でバランス感覚を失うと今の世の中のような状態になるのだと思う二極化している、今すべての崩壊は近いのだと思う私は、二極化のどちらに存在しているのだろうか
2007/07/29
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一体、私に何が出来る。理想や未来を描くことは容易い。その描いた絵を現実に近づけていく努力を出来ているか。己の答えは、出来ていない・・・悔しい。色々なしがらみを理由にしている自分が大嫌い。しがらみに巻き込まれる度にブレる自分が大嫌い。死に物狂いになれない自分が大嫌い。嫌なことに目を背けず現実として受け入れる事は難しい。どうして上手く行かないのだろう。悔しくて悔しくて私はこの感情を消化できないで居る。
2007/07/09
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「まずは己の生を認めること」1年半前の彼女の台詞今なら理解することが出来る。自分自身を愛せない者は他者を愛する資格などない「すべてはひとつ」内なるものの訴え最大は最小であり最小は最大である論理的思考精神性スピリチュアリズム多くのものをフィルターを通さずに見れるようになった今私が一体きみに何が出来るのだろう己を愛しその愛を貫く目に見えぬものを愛する強さが私は欲しいそうしてI&Iになるのかもしれない
2007/05/23
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ある、映画を観た。キレイな沖縄の景色、ゆっくり流れる時間。「なんくるないさぁ」ダメになったら、またいちからやればいい。ダメでもともと。ダメになったらまたいちから頑張ればいい。そんな当たり前で単純なこと。忘れていた何かを思い出した気がした人には希望や夢や理想があってそこに行き着きたい、得たい、という欲がありそして、その道の先の光を目指して進むその光が障害によって見えなくなると行く先を失い困惑し途方もなく翻弄するそんな時はゆっくり立ち止まって自分の周りにあるものをゆっくり眺めて足元を確認して自分に必要なものだけ持ってもう一度光を探す道のりを進めばいい長い道のりで、得たプラスとマイナス多くの荷物を持って歩くのは困難。欲を追うが故に意地やプライドがジャマをして前が見えない意地やプライドが邪魔をしていつまでも前に進めないのなら捨ててしまえばいい諦めたらそこで終ってしまう本当に大切なものをゆっくり確認して大切に大切にしていきたいと思うなんくるないさー。生きていればいかようにもなる毎日、小さな幸せに感謝して生きて生きたいものだ
2007/03/27
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=======================サイクル 1 [cycle] (1)あるものの状態が一定の変化を経過した後、 再び元の状態に戻ること。周期。循環過程。(2)振動数または周波数の単位の慣用呼称。=======================幾度も、幾度も繰り返す学びのサイクル私ときみは何度、出会いと別れを繰り返してきているのだろう理屈なんかじゃなく私はきみとひとつだったんだと遠い昔から知っていたようにただ、ただ、ひとつになりたいと強く願った「I&I」消えようとしたあの日消えたのは私ではなく大切なきみの心だったふと、思うことがあるもしかしたら、この世界にはまだ知られていない大きな大きなサイクルがあってそこから観れば私の一生なんてちっぽけな大きさでそんなちっぽけな糸を紡いで大きなサイクルを担っているのかもしれない、と。あの日消えようとしたのは私だったはずなのに消えてしまったのは大切なきみの心ただ一言「お前だけは、立ち上がってくれ」きみはそう言ったそれは私ときみの大きな一歩きみが私に助けを求めた気がした消えようとしたあの日消えたのは私ではなく大切なきみの心だったきみは私を消さないでくれた今度は私の番私の心が灯ればきみの心が灯るそれでいいんだよね。間違ってないよね、私。今度は消えたものを私が必ず取り戻して見せるから消えようとしたあの日消えたのは私ではなく大切なきみの心だった待っていて、もう、ブレたりなんかしないから信じてくれなんて軽はずみな言葉はもう言えない今度は私の番あの日消えようとしたのは、私。消してくれたのは、きみ。きみの心を代償に・・・
2007/03/25
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どんなに相手を愛していようとどんなに相手に愛されていようと人と人はすれ違っていく「私であり、私である」とはいえ、何の努力もなく”私”を知ることが出来るだろうか・・・。私を知るということは自分自身の社会的位置を確認し自分自身の精神性を知りその為には、多くの感動、経験、学びが必要だと思う。日々鍛錬を怠ることなく努力し続ければ己を知る「私であり、私である」ということは、すれ違いもまた努力ひとつで解決できる、と。前提として違うものであることを理解しひとつになろうと努力する結果相手を知るために、会話をしたり顔色をうががったり喜ばせてみたり触れてみたり・・・そんな風に2人で多くの経験(2人の歴史)と感動(思い出)と学び(相手を理解する)を繰り返していく会話が出来ないのなら抱きしめてお互いの感情を認識しあってその存在に、感謝しあえたらただ、それだけでいいのに。そんなことを共有出来るあなたとわたしならきっとこの先すれ違いはなくなる。大丈夫、もう独りなんかじゃない。幸せになれる。
2007/02/15
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to Jahずっと前から決まってたみたいにあなたと出会って他愛のないことも他愛のあることもあなたと見てきた。あなたと私は似てたのか、似てきたのか。あなたが私で…私があなたで…そんなあなたは今、隣に居ない鏡みたいに、いつも隣に居た光も影も、陰も陽も、表も裏も、見てきたあなたを通して、私は、過去の悲しい出来事頑張らなくてもいいこと家族仕事自分自身生きること・・・愛。沢山のことを知って、感じてあなたという安らげる場所を知った。あなたの奏でた「10年先も20年先も・・・」心が暖かくて、一杯になって始めて感じた感情に困惑しながら頬が塗れた何一つ変わらないはずだったのにどこで、ボタンを掛け違ってしまったのかな「私なんてあなたに釣り合わない」不安定で軽はずみだった自分時間が何もかもきれいに洗い流してくれないかな本当は分かっていたはずなのに独りになることを恐れて目の前に見える形を信じて恐れを消した形を失って始めて大切なものに気がついた私の心にあなたが居るあなたを想うだけで暖かくなるただ、そんなシンプルなことだったあれから、涙を流してない。・・・だけど、本気で笑えないんだ沈黙を続けてごめんね本当は、どんな言葉も届かない気がしてどんな言葉も嘘になってしまいそうで今の私を言葉で表すことが出来ないんだ私ね、声が出なくなったんだ。苦しいよ。「傍に居て欲しいよ。」ただ、そんなシンプルなことなのに届かない。ただ、隣で笑っていて欲しいだけなのに、届かない。いつもみたいに「ごめんね」私が肩に顔を乗せて「好きだよ」って顔キスをして・・・黙って見つめあって苦しいほど抱きしめて欲しいアイタイヨ。
2007/01/24
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人を信じることほど難しいことはない。私は、ずっと自分以外の何もかもを拒絶し傷つかないためのフィルターをかけて生きてきた。分厚い鎧をまとって、一人殻に閉じこもりすべてを、周りの環境、状況、人、自分以外のものに言い訳をつけて生きてきた。今までは、そうしないと生きてこれなかった。そんな風にただ、息をして生きていた。生きているのか、死んでいるのか分からない毎日。人から見れば普通だっただろう。仕事もしていたし恋愛もしていたし普通の人生を送っているように見えていただろう。だけど、生きているのか死んでいるのかわからない日々の中私は子供を授かった。産まれて始めて生きてる気がした。ちゃんと生きようと思った。だけど、ちゃんと生きられなくてもどかしくて苦しくて立ってる事すら精一杯な日々を送っているある日彼と出会い愛すること愛されることを学んだ。
2007/01/15
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人間として人生を歩む上で日々忘れてしまいがちだが忘れてはならぬことがあると知った2007年。日々、最大限の努力すること。昨日よりも、一歩、半歩、数ミリ。止まらないこと、きちんと生き抜くこと。今の状況、環境に、甘んじてはいけない。どんなに辛くても、心が痛くても立ち向かわなくてはいけないということ。いかにして死ぬか。という武士道は、如何にして生くのかということ。心を強く養いたいものだ。
2007/01/13
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自分自身について葛藤してきたこの一年もあと3日で終わる。一年どん底を見たと思う。自分自身を追い詰めて来たと思う。でも、だからこそ分かる事がある。人に優しくなると言うことは自分自身にも優しくなるということだ、と。愛するということは自分自身も愛するということだ、と。人は多くを求め人はエゴで動き人は人の事は理解できない。経験と感動がすべてだと。経験したことのない人間には経験した人間の痛みは理解できず経験したことのある人間は痛みを理解できない事を前提として理解しようと、受け止めようとする。感動もまた同じく。そして一度感動を味わうと人はその感動を失う怖さと戦い続ける。生きるということは、日々戦いである、と。頭で理解できたところで心が壊れてしまいそうだ。多くの学びを得たが多くの課題が見えたそんな一年だった。来年の課題。それは、心を養うこと。ただ、それだけ。隣に彼が居ようと居まいと。
2006/12/29
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今日は彼の誕生日。最低の誕生日を2回愛する人に味合わせた。昨年、この日私は、初めて自分の意見を親にブツけた。・・・上手く伝えられなかった。顔と心に深い傷を負った。生きる希望を失くしかけていた私に生きる勇気を自分自身で立つ力を教えてくれた彼の存在。私はあの日イエローハットで彼と生きることを決めた。私の隣にはいつも彼がいていつも支えててくれた。そんな彼を私は心から愛してる。上っ面だけの私の家族。いいたい事も言えない。意思表示も出来ない。そんな風にしたのは私か家族の誰かか。そんな事はどうだっていいのに。責任の押し付けあい。阪神大震災からずれたその関係。皆が傷つき余裕もなくただ、精一杯だった。誰かを助ける余裕なんて誰も持ち合わせてはいなくて一番助けなければいけない人を傷つけあった。傷ついたのはみんな同じなのに。10年、生きるか死ぬかの状況で助け合い支えあうことが出来なかったものは信じあうことなど出来るはずがなかった。誰が悪いわけでもなく誰も悪くない訳でもなく今この瞬間より過去に起きたことなんて許せる心を持てるのか、持てないのか。ただ、それだけの事なのに。エゴや感情が邪魔をして頭でそれを理解していた所で何の意味も持たない。一時の感情やエゴによって無くしてはならない物を人はなくしてしまう。時に人は感情やエゴによって何もかもが見えなくなってしまう。そんなことを理解できたところで私には成す術はなくただ、ただ、自分を責めるのみ。その傷を癒すことは愛すること、愛されることただそれだけ。少なくとも私にはそうだった。彼に愛されること彼と子供を育てていくことただそれだけが私にとっての生きる意味だった。私が、唯一望んだ、夢。唯一自分を愛せた。家族になりたいと初めて心から思った。初めて本気で望んだ私の夢。ただそれだけだった。私は、他に何もいらなかった。一番なくしたくない者を失くした。・・・自らの手で。私、ふつうになりたかった。彼とならふつうに、みんなと同じようにふつうにすべてが当たり前のように人を愛して信頼して生きていけると思った。私はそんなふつうを手にしていたのに。もう二度と自分なんか愛さない。普通になりたい。ただ、それだけなのに。「一回死ね」そんな風に私を愛してくれている人の口から言わせてしまうほど私はふつうではないようだ。何が原因で私は壊れているの。誰か、助けて。ただ、愛して、愛されて何気ないことに幸せを感じて暮らしたいだけなのに。ただそれだけなのに。どうして上手くいかないの。どうして発狂してしまうの。どうして彼を傷つけてしまうの。どうして自分を傷つけてしまうの。どうして怖くて怖くて息が出来なくなるの。どうして、どうして、どうして。もう、どうして。自分でだって分からないのに。自分が自分で制御出来ない。それっておかしい事?普通のこと?それすら分からない。失うことへの恐怖、存在の否定。最も怖いもの。これが邪魔をする。”家族”という愛されるべき存在に傷ついた過去を捨てたい。信じたい、ちゃんと愛したい。ただそれだけなのに。私は普通じゃないの?一体どうすればいい。見ないようにして来たどうしようもない自分自身。心の傷を理解しようなんて自分自身ですら難しく私自身一体自分がどれだけ傷つき、影響が出ているのかなんて分からない。ただ、当たり前のように家族仲良くしたかっただけ。必要以上に家族の愛情に飢えてた。崩壊すれば、するほどその想いは強くなりいつしか自分の心を捨てた。自分の家族が欲しかった。私を必要としてくれる人が欲しかった。私にはあの子が居る。だから、もう死んだりしない。自分で自分が制御出来ない私がここに居る。どうして、私はこんな風になっちゃったんだろう。これは弱音?努力不足?結局、自分のせいにしても回りのせいにしても苦しい。同じ状況でも一生懸命生きてる人だって居る。努力すれば変われる。気の持ちよう。ポジティブに。そんな事分かってる。私の知りうる理屈なんてもう自分で自分に対して散々、言い聞かせてきた。この所安定していた感情の起伏。自分自身で変わるしかない事なんて分かっている。最低だろうと異常だろうと普通だろうと関係ない。人の陰の部分なんて自分自身も他人も理解することなんて出来ない。どうしたらいい?もうどんなに理屈でまとめようとしても感情で信じ抜こうとしてもわからない。正常な自分を保てない。「もう、目が覚めた」一体私の何を愛してくれていたんだろう。私って一体なに。・・・もう駄目。こんな所に本音を書くしか出来ない事許してください。本当にごめんなさい。絶対にちゃんと戻ってみせる。前をキラキラ輝いて歩いて見せるから。唯一残った私の正常心。もうこんな自分に負けたりしない。どんなに壊れてしまおうとそれだけは真実。最後の希望。どんなに時間が掛かったって生まれ変わる。彼に教えてもらった強さ。彼に愛されて、知った自分。それが私のすべて今の私は・・・・。I&Iこの言葉を知った日から。
2006/11/02
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今日、とある勉強会に参加してきました。「古きよきものを未来へと伝承し 新しきものを産み出す。」要は、過去を蔑ろにしてはいけない、という事。時間の流れと言うものは自然の摂理であり人間ごときに変化させられるものではない、ということ。現代の日本において、その考えを持っている者がどれ位の数いるのだろうか。「原点回帰」日本人として最も大切にすべきは何だろうか。物的なものではなく心ではないだろうか。【武士道】志を持ち、和を重んじる、農耕民族である日本という国に産まれたわたしたち。西洋文化の普及の中もっとも大切にすべきを見失い崩壊の道を突き進む私たちの日の国、日本。今、ここで行動しなくてはいけないのではないだろうか。和の国日本において行動すなわち「繋がること。」人と人の融合が新たなものを産むそんなことが必要な時代になってきているのだと痛感した今日の勉強会でした。インプットを右脳的に行う私にとって学びは左脳的アウトプットの引き出しを多くするためのツールであるのではないだろうか。もっと、多くを学びたい、とここに強く思う。
2006/10/29
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世の中には、感情だけでどうにもならない事がある。世の中には、環境や論理だけではどうにもならない事がある。その双方ともに、どちらかにバランスを崩してはいけない。いかに、2つの条件に対してバランス感を保つかという事が大事なのではないか、と思う。どちらか一方に偏ることによって問題が生じる。なぜなら、感情に比重を置くことによって周りの環境や論理から外れてしまう事が多い。環境や論理に比重を置く事によって周りの感情を踏まえることが出来ない。どちらも主観ではあるがようは、問題を考えるときに自分自身だけではなく周りに存在している人間の感情・環境・論理を踏まえる必要性があるのではないか。・・・と最近強く思う。とても、難しいことではあるがその人と人との繋がりを忘れると人は孤独になってしまう。人との繋がりを忘れると気が付いたときには時すでに遅しとなりやすい。いかに、日々人との繋がりを意識し感謝しながら生きるということが大切なのか、という事を学んだこの一ヶ月。私は大切に出来ているのだろうか。私の周りに存在している人たちに感謝できているのだろうか。強く、以前にも増して強く思うこと。私は、人の繋がり、その人との歴史を大切に出来る人間になりたい。
2006/10/05
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人にはそれぞれの愛情のカタチが在るどれも間違ってなんかいない十人十色人の数だけ恋愛のカタチが在り同じカタチに巡り会う奇跡など簡単に手に入れることなど出来ない不幸せを手に入れることは容易く幸せを手に入れることは至難の業道の途中止まってしまえば不幸せがすごい勢いで向こうから向かってくる長い道苦難の道のりを諦めず努力して突き進む事でその先に幸せの光が見えてくる幸せだと感じる努力を怠っていませんか誰かに幸せを運んでもらおうと思っていませんか生きるうえで、幸せを感じるも感じないも紙一重幸せという感覚はいつしか慣れてしまい当たり前のものとなる不幸せという感覚は次々とスパイラルとなり訪れ苦痛のものとなる人は、なんて悲しい生き物なのだろう。不幸せという苦痛の中幸せの光に向かって突き進み眩しさを感じ、光に包まれそして、その光に慣れてしまうこんなサイクルを進むことが人生と言うのなら幸せな人生などありはしないのではないかとといてしまう。人生が100%だとしたら85%は模索して居て残りが幸せな時間なのか。沢山の努力と頑張りで築き上げることが至福なのか答えなどではしない愛情のカタチは人それぞれ違うのだから私は沢山のモノを積み重ねた幸せを手にしたい深く強い絆を持って人を愛したいし愛されたいと願うからそれが私の愛情のカタチ
2006/09/24
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パラダイムシフト。この言葉を2年前に知った。当時の私は何も考えていなかった。ただ、すべてを自分以外の何かのせいにして逃げるように言い訳しながら生きていた。この時の私は自分自身にパラダイムシフトが起ころうとは思いもしていなかった。あれから2年。多くのことを知り、多くのものを訂正し自分自身の情報サーバーである脳のデーターを書き換える作業を続けてきた。書き換えれば、書き換えるほどに点だったものは線へとつながり細胞分裂、電気伝達を繰り返し吸収したデーターは脳へと変化していた。テレビや本やインターネット情報収集しようと思えば簡単に専門の知識などが得られる現代のシステムに感謝する。しかしながらこの情報の漏洩した世の中でどのデーターが自分にとって必要でどのデーターが正しいのかを判断するには相当な精神力、自己鍛錬が必要だ、と知った。私はやっとこのステージにたどり着いたのかもしれない。今まで、自分自身の考えがまとまらなかった。いつも、直感や目に見えないものから得てきた私の知識やそこから形成された自己の芯は理論武装するには自分自身の知識が足りなかったのだ。ここに来てパラダイムシフトが起こっているという認識のものと必要なデーター得るべきデーターが明確に分かるようになった今すごい速度で考えは一人歩きし成長を遂げている。小さい頃から、自分に自身がなかった。自分を必要としてくれる人などいないと思っていた。いつも、何かに怯えていた。だけど、今より過去のひとつでも何かが違えば今の私は存在しないのだ。私は、必然的にパラダイムシフトしている。すべては、必然なのである。”生きる”事が分からない人間が多い今の世の中において「哲学」という名の、生きる術を世の中に提唱したい、いや、しなくてはならない、と本気で思い、その重い使命を達成しようと決意を決めた私は、ちっぽけなただの人なのだ。過去の哲学者もしかりだが大きいことをしようと思う訳でも、驕りでもなくただ、当然のことを当然のことだ、と正義を正義だ、と声を大きく語りたいだけなのだ。過去の想像から創造を止めた現代は滅びの道を突き進むしかなく救世主たる人間というすべての存在が気づかなくてはならないのだ。私が救世主だ、という驕った存在だと言いたいのはなくすべての人間に赫々意味があり存在しているのだ、と言うことを伝えたい。私という小さな存在に起きたパラダイムシフトは大きな波紋へと繋がる。そして、小さな点であるパラダイムシフトによって世の中に大きなパラダイムシフトが巻き起こることは間違いないだろう。気づいてシフトを始めている人間は多い。これからは、気づいている人間が繋がる事だ。”絆”所詮、人は一人では生きていけないのだ。「右の人、左の人 僕らは連鎖する生き物だよ。」by Mr.children タガタメ私のパラダイムシフトはこの一文から始まった。
2006/08/30
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本屋で手にしたある男の本。そこには、東洋の思想・人間とはなんたるかが書かれていた。他愛もないキッカケで手に取ることになった本が私の人生に大きく作用しようとしている。彼の言葉は、私の脳みその中にある思想の点を次々と線へと変化させ新たなる思想論、哲学論を具現化してくれるのだ。驚きと共についにこのステージまで上りついたという自信。ただし、具現化した思想論、哲学論をどう使いこなすか、にすべてはかかっている。まずは、具現化した論を日常に落とすことが重要だというとこは明確である。行動の伴わない論述は、所詮誰でも論ずることは出来るのだ。行動、経験の伴った論述が間違っていることなどありえはしない。実体験から来る論述なのだから。ある男の本に出会って知ったこと。崇拝者や崇拝物は所詮虚像でしかなくそこに存在する崇拝する自身の心こそが真の神と呼ばれる位置に存在するものなのだ、と言うこと。神や生き神に祈りを捧ぐも良いだろう。しかし、その裏にある真実を知らねばなんら祈りの意味はなく所詮神頼み。自身のマインドからすべてはないか。神なる偶像物は自身の心を移す鏡でしかない。ある男の本を読んで気づいた真の祈りの意味だ。
2006/08/22
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人は、生きる上で何度となく、何かを諦め新たな何かを手にし生きているのではないか。・・・ふと、そんな事を思った。小さな子供を見ていると沢山の”新しい何か”を得ている。しかし、歳を重ねるほどに”新しい何か”に触れることは少なくすでに得たものを必死で失わないように生きる。人生という道の途中に沢山のものを得て、ゴールへと進む。だけど、本来持てる容量は決まっていて取捨選択を繰り返し、”今”必要なものを出来るだけ多く抱えようとする。自分自身の容量を把握せず多くのものを望み多くのものを持ち、その道を進むと、転んでしまう。なんて単純なことだろう。単純だからこそ見えないのだろう。あなたがゴールの前に立った時手にしていたいものはなんですか。今の私にはその答えがハッキリと見えている。だから、もう、揺るぎはしない。言い訳も、逃げることも慣れてしまって当たり前のように繰り返しいつしか、分からなくなっていた。私は、人生という長い道を最愛の異性とその人と築き上げる家族という形を進み長い道のゴールが近づいたとき2人で手をつなぎ、長い道を振り返りにっこり笑って、その時を迎えたいのだ。そのためには、多くのものを欲する気持ちなど「しょうがない」と言って2人でにっこり笑って捨ててしまおう。だって、私は、彼を「しょうがない」と言って諦めることなんて出来はしないし彼のためなら、彼以外のものなんて私には、必要ないから。私にとって、すべては、彼と、一緒に共有するために欲するもので私1人で欲するものなんて存在しないから。それを、馴れ合いの中で忘れてしまうと彼の幸せの為に「しょうがない。」と言えなくなり本末転倒、本来望んでいたはずのゴールすら見失うんだと、知った。「人間として、最低だ」そう発する人間に言いたい。他者に発する言葉の切先をわが身に向けてみろ。・・・もう、発せられる言葉など存在しないだろう。誰がために「しょうがない」と言える強さを持てない人たちへ。
2006/06/30
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3年前の誕生日お腹に小さな命を感じた。多くの不安を抱えながら・・・「変われるかもしれない」漠然とそう思った事をいまでもハッキリ覚えている。2年前の桜が咲く頃小さな命をこの手に抱いた。独りの孤独の中、涙を流しながら・・・「変わろう」小さな命に、強く誓った事をいまでもハッキリ覚えている。私は小さなこの命に触れた時から変化を始めているのである。振り返れば3年という月日が流れていた。変化のその途中独りだった私は彼と出会い、恋をした。その彼も変化を求めていた。独りだった、私は、彼と出会い、恋をして、彼と、一緒に生きたいと思ったあの日から大きく、変化を遂げられたと思う。私を変化へと導くきっかけをくれた私の大切な、大切な、まだ小さな命。私の変化を大きく加速させ、愛をくれた私の大切な、大切な、心の大きな彼。私はこの2人と共に生きる為に「強くなる」と自分自身に誓った。もう、絶対に逃げない。まっすぐな強さを教えてくれた、彼。正しいと思うことを、胸を張って言えなかった、私。そんな私を愛し、すべてを認め隣にいてくれる。失うことが怖くて、後ろばかり見て、助けを求められないことに、何か理由をつけていつも逃げていた。それなのに彼はいつも、助けを求めると手を差し伸べてくれた。どんなに私自身が愚かだったか、と言うことを初めて私に教えてくれた彼。彼の愛情の形は時に、小さく見えてしまう。しかし彼の本当の愛情はとても大きく男として、とても誇れる男なのだ。その彼に見合う女でありたい。そう思える彼が隣に居て愛すべき小さな命を2人で育てる事で私は大きく変化し続けられるのだろう。これから先の見えない未来大きく困難な壁がいくら私たちの前に立ちふさがろうとも乗り越えてみせる。彼のこの半年間の大きな、大きな愛情は私のこれからの人生すべての基礎となるだろうから。もしも、もしも、彼が、隣に、居なくなろうとも私は、彼の大きな愛情によって生かされるだろうから。彼が居なければ今の私は居ないのだから。
2006/06/28
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ふと、日付を確認した。6月9日アイツの誕生日。過ぎる時間の中で、いつしか思い出す事もなくなっていた、アイツの存在。彼との時間を過ごす中でアイツとの7年が薄れていく。アイツを思い出して胸が苦しくなるのは未練が残っている訳でもなくただの、自分で描いた未来への罪悪感。アイツとの未来には感情からくる多くのエゴが大部分を占めていた。アイツが家庭的な姿や愛妻家になれる要素なんて何一つ存在していなかったのに私の感情からくるエゴがアイツを形どって居たのは確かだと、今なら分かる。この8年間何度度なく迎えた、アイツの誕生日は再会の日でもあり、別れの日でもあり多くのシーンを描いてきた。今年は、ふと、日付を見るまで気づきもしなかった。携帯を手に取り悩んだ末に非通知で発信してみた。「もしもし?」いつから聞いていなかったんだろう。懐かしいアイツの声。だけど、私は、その声で罪悪感だけを感じ、何も発する事も出来ずに、電話を切った。私とアイツはすでに違う道を進んでいていつか、描いた未来などとうに捨ててしまっている。ふと、そんなことを考えてしまった。今が、幸せであればあるほどアイツとの7年間に杭を感じてしまう。まっすぐにぶつかる事が出来なかった私。いつも、素直な感情をぶつけられなかった。苦しいほどに、愛していた。自覚したのは、つい最近のこと。・・・過去形になってから、だ。ねぇ、心から愛していた人。あなたは、誕生日を幸せに迎えられていますか。臆病な私と臆病なあなた。同じ道を歩むことはないけれどいつも、願っています。あなたが6月9日のこの日を幸せに迎えられることを。思い出すたびに胸が苦しくなるこの日。愛した人だからこそ幸せで居てほしいそう願っています。届かない、ハッピーバースディ。
2006/06/09
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この所、彼との関係が安定している。それまで散々傷つけ合った。相手を、憎いと思ってしまうほど傷つけあった。どうして、わたしたちは不器用な方法でしか愛情を表現できないのだろう。傷つけて、傷つけてそれでも離れない事で愛情を確認しあう。最後の最後まで本心を言えない不器用な2人。理論武装して相手をねじ伏せる。最近彼との関係が安定している。散々傷つけて、醜くなって、嫌な所をすべて見せた。本当は知ってるんだよね。ただ、自分が信じられないだけ。約束した。傷つけて、傷つけて自分のこと守るだけ守って相手にぶつけてスッキリしたらリセットしよう、って。純粋に好きなだけの気持ちでもう一度、向き合おうって。だから、喧嘩の最後どちらかが、最後の切り札「別れ」を出したら「嫌いになったなら、そう言って振れ」と。私たちは最後のその言葉だけは嘘をつけない。その言葉が言えないのならどんなに傷つけ合ってももう一度方法を考えよう。不器用な2人なりの方法で。
2006/04/19
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お互いにもう大人になった。お互いに色んな事がある。これから、今までのようにずっと一緒に居られる訳でもない。あなたは、ずっと私の言葉に忠実だった。でも、それは、私が父親に強要されていた環境と同じ。もう、大人だから。自由に進めばいい。思うようにやってみればいい。だけど、ひとつ忘れてはいけないのは闇雲に走ってはいけない事。闇雲に、経験をして自分自身のデータを蓄積することもいい。人からの提示される正解なんて結局は”正論”でしかない。正解は自分自身が決めること。私は、見えない自由の中そうして沢山傷ついてきた。だけど、何一つ間違ってたなんて思ってない。姉として、同じように傷つくことは、避けられるのであれば避けてほしいと思う、エゴがある。結局は正論でしかないけど。でも、それは経験しているから言える事。まだ、経験をしていないあなたにその経験を、経験した私と同じように、すべて分かれというのは、無理な話。ここからは自由に選択し進む時に少し、一人で考えておいてほしいこと。一番忘れてはいけないことは最も大事にすべきは誰なのか。自分自身なのか他者なのか。私は沢山の人を傷つけ、失いやっとここまできた。すべてを得ることは出来ない。何かを得ると同時に何かを失う。多くを望んではいけない。多くを望むことがどういう結果を引き起こすかあなたは、一番知っているはず。私たちの、家族がなぜ壊れたのか、分かってるよね。彼を一番に、とは言わない。彼を大切にすることが、結果自分自身を大切にするという事だと気づいてほしい。あなたの描く未来に彼が無条件で必要なのであればどんな時も手を離さないこと。どんな時も、心が寄り添っていること。ひとりで何とかしようと思わないこと。一緒に苦しんで傷つけあうこと。人間は、強くも弱くもない。それは誰かと自分を比べるだけ。自分自身以外の何者でもない。強くなろうと、思わないこと。自分自身が、自分自身を愛せることが一番、大切なこと。誰かと、自分を比べない。誰かと、人を比べない。新たなスタートを選ぶのは、あなた。何を選択しても反対するつもりはない。すべてありのまま受け入れたい。だけど、忘れてはいけないのはあなたの幸せを願っている人があなたのそばに居ること。それが、幸せなことだ、と知ること。その人も強くなんてない事。自分自身を苦しい状況に追い込んでまであなたと居ることを幸せだと感じて踏ん張っている人が居ること。・・・一緒に、頑張ろうとしてる事。この状況から脱するのなんて簡単。・・・逃げればいい。気持ちが離れてしまいそうな心配は自分自身の気持ちを信じられてないから。彼のすべてを受け止めてあげられるキャパがないから。強くなるなら自分自身のためじゃなく誰かのために強くなってほしい。自分自身のために強くなっても”強がり”という防御策でしかないから。彼と居るために強くなりたいと思ったのならそれは、まず第一歩。相手に同じ事を強要してはだめ。愛することはギブアンドテイクじゃない。与え続けること。私が、子供を産んで知った愛情の形。私たちの母親が一番教えてくれている。・・・それが、どんなものなのか、私たちが一番知ってるよね。強くなるって定義は人によって違うと思う。私の”強くなる”定義は「大切な誰かを守れる」こと。それが、自分自身にとってどんなに強いものか、理解すること。なぜ、私たちの母親がこれまで、存在し続けているのか。”私たち”という守るべき存在が在ったから。自分自身だけを守るものを得る事は簡単。避けて通る方法を覚えればいい。今回一連の件で私が強く思ったこと。今まで、自分を守る術ばかりだった。誰かを守る強さなんて分からなかった。自分ばっかり守っていたら大切な人たちを傷つけていた。父親と同じようにね。同じことを繰り返してはいけない。間違わないで。私たちがなりたい強さを持っているのは私たちの母親だと言う事。大切な人を、一緒に守れる強さを持とう。言いたいのはそれだけ。
2006/04/18
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昨日、今日、私は、心此処にあらず、だった。私を取り巻く何もかもを捨ててしまいたかった。仕事、家族、恋人。私自身が私自身を信じられないで居る。「助けて」その一言を発する事が怖くて失う事が怖くて相手を傷つけてしまう事が怖くて。弱い、私。彼は、「そのままでいい」そう言ってくれた。ありのままの私を受け止めようとしてくれている。なのに、自分から救いを請うことが出来ない。幼い頃、私は、虐待にあっていた。殴られ罵声を浴びせられ、母が殺されかけている所を目にした。何処かで人を信じる事が怖かった。愛する事が怖かった。今まで、私は、人に取り繕い、自分の意思に嘘をつき嫌われないように、気に触らないように人の動向ばかりを気にして生きてきた。囚われた鳥のように父親のフィールドの中で生きてきた。もう、飛び立っていいんだよね。優しく「大丈夫、怖くない」「俺の目も怖いか?」と解いてくれる彼。弱音を吐くことが下手な私の為に自分自身が聞いてあげられない事の悔しさより私の事を想い私の親友に「話を聞いてあげて欲しい」とメールをしてくれる彼。こんなにも私の事を想ってくれているのに私は、一体何を見てきたのだろう。彼の笑顔を見れるだけで、幸せなのに。
2006/03/31
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この所、彼の様子がおかしい。もともと、何かあると黙る性格。私も昔はそうだった。自分の感情を抑え他者を優先しようと自分を殺す時にそうしていた。彼は私ではない。私は彼といることでそれを克服できた。・・・だけど、彼は?私は、彼ではなくて彼は私ではなくて。同じようにはいかない。彼かのメール。「駄目になりそー俺。」どうしたらいい。きっと、彼は私にしてくれたように同じようにしても駄目だと思う。私は女で彼は男だから。もう駄目かもしれない。何度も私はその壁を彼の手で抜け出させてもらった。私が彼を追い詰めているのだろうか。いくら、そうでないと自分自身に言い聞かせてもそうでない、確証には至らない。私が、彼の前から居なくなればいいのだろうか。私が強ければそうしただろう。私は彼が居る事で立っていられるようになった。今の、私には彼が必要なのだ。一体、どうすればいいのだろうか。私は他者の為に自分を偽らない、と決めた。だが、違うのかもしれない。”生きる”って難しい。彼のためなら私はどんなに苦しくたっていい。彼が笑って居られるのなら。私はそれだけで、幸せ。”愛する”ってきっとこうゆう事なんだ。
2006/02/20
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私には、幼い頃目には見えないはずのものが見えていた。(正しくは、”見えて”いた訳ではない。)世に、第六感と言われるモノだ。ハッキリと人型で見える訳ではなく其処に、在るという事をイメージで捕らえていた。感じる能力が人に比べて長けていたのだと思う。第六感と言われる能力は”霊感”とは少し、違うと思う。私は世に言う”幽霊”と言う物だけが見えた訳ではない。今、目の前に存在する人間の思考すら見えてしまう。そんな、自分自身は頭のおかしい人間なのかと思っていた。自分を自分で認めることが出来なかった。人と自分を天秤にかけていつも人と違う自分を責めていた。見えないモノを見える能力を持って産まれた私は私なのだ。そろそろ、受け入れよう。同じ力を持つ彼女に会ってそう思った。彼女はその力を受け入れ他者を助ける為に使っていた。私もそうあるべきなのだろう。彼女が、この暗闇から私を救ってくれたように私もこの力を持って産まれた事に感謝しよう。そうして攻めや攻撃に使っていたこの能力を守りに使う決意をした。
2006/02/07
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よく私はこんな事を言われる。「翠は、 人の為だとビックリするぐらい強くなれるのに 自分の事となると、ビックリする位、弱い。」そう、私は人は独りでは生きてはいけないものだと知っている。だから、誰がためが一番頑張れる。どんなに苦しくてもどんなに辛くてもその痛みを同じように感じることは出来ない。その痛みを想像出来るだけに過ぎない。人の感じ方はそれぞれ違っていて人と同じように感じて、全く同じように辛い事はない。だけど自分が辛くて、苦しくて、どうしようもない時に”誰か”に居て欲しいと強く願う。何をして欲しいわけでもなくただただ傍に居て欲しいだけなんだ。私はそんな弱い自分を知っている。苦しいんだよね。辛いんだよね。痛くて仕方ないんだよね。どうしようもないんだよね。何かに縋りたいんだよね。全部、知っている。弱くて弱くて嫌になる位弱い自分を知っているから。私は誰がために強くなれる。痛みを分かち合えることが出来るのなら分かち合いたい。だけど人の感じ方はそれぞれだから。痛みを想像して盾になることしか出来ないから。ずっと私はそうしてきたのだから。今までは自分自身の体がボロボロになってしまうまでそうしてきた。だけどこれからは自分自身も愛しながら強くなれる。私の変わりに私の盾になってくれる彼が居る。だから、私は彼の盾になる。似たもの同士の彼と交わした約束。相手のために強くなろう。そうして愛し合っていられればきっといつか本当に強くなれる。「ずっと」も「絶対」も大嫌いな私が交わしたずっと一緒に居るための、約束。
2006/02/02
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「精神的に弱いんだ。」そう言った私に返ってきた思わぬ言葉。「精神の弱い人間なんて どこにも居ない。」取り巻く環境取り巻く人間関係「一体”弱い”とは どの基準に対してだ?」私は自分自身が嫌いで仕方なかった。だが、知人によって他者と己を天秤に乗せ己を否定したのだ、と知らされた。己を愛する事が出来なかった。在りのままを受け入れる事が出来なかった。・・・私はそんな環境に居たのだ。彼の好きなレゲエ。その神とされた男はこう歌う。「EXODUS!!」今頭の中を彼の歌声が後押しする。「EXODUS!!」「EXODUS!!」「EXODUS!!」「EXODUS!!」
2006/01/28
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今日は、大好きだったおじいちゃんの命日。震災の年に亡くなった。あれから、11年。何度も何度も1月17日と1月25日は来る。もう、11年。まだ、11年。おじいちゃんは長く生きたと思う。寿命だったのかもしれない。残った、家族はあの年から何かの歯車が狂った。小学校6年生だった私が初めて「死」というものを知った年だった。「死ぬ」という感覚を人は忘れてしまうのだろうか。歳月が経つごとに分からなくなる。今日久しぶりにその感覚の中憔悴しきり何も手につかない自分が居る。独りはやっぱり嫌いだ。こうゆう時私はやはり独りは駄目だ。友人以外の人に初めて助けを求めた。おじいちゃん私の進んでいる道は、合っている?間違ってはいないだろうか。次から次に起こる出来事にどこまで耐えられるのだろうか。この試練は少しハードルが高い。持ち応えて、自分。大丈夫大丈夫私は、乗り越えられる。そう、言い聞かせ過去に、誤った方向への強がりではなく弱さをも受け入れられる強さを得る為に。いつも、前進してきた。間違ってなんかない。残った、私はもう、おじいちゃんに確認する事は出来ない。残った人間はその日を境に人生が一変する。それが、小学校6年生の私が知った「死」だ。
2006/01/25
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彼と一緒に居ると時折触れられる距離の彼が、遠い。孤独感に駆られる瞬間がある。激しいほどに他者の感情に敏感な私は、すぐに、それを察知してしまう。その時私はなす術なく黙り込んでしまう。一体目に見えぬこの感覚をどう説明すればいいのか。私は異常なほどに”独り”が怖い。これまで”独り”を感じないようにしていた。その時々男や友達、家族・・・常に、”誰か”を求めていた。私は愛に飢えているのだろうか。そんな疑問すら自身に対して感じている。これほどまでに両親の愛情が子供に与える影響が大きいものなのだと、自分自身で理解する。私は、いつも、独りだった。その時々の男と過ごしても友達と過ごしていても時間を消化するだけでしかなかった。今の彼は違う。いや、正しくは違っていける、だ。彼もまた孤独な人間なのだ。その孤独を彼は自身で理解していない。私が彼の孤独を敏感に察知してしまうのはその孤独の苦しみを知っているからだ。ねぇ、私たちまっすぐ進めているのかな。いつか、この闇から抜け出すことが出来るのかな。ただ、ただまっすぐ手をつないで進みたいだけなのにね。何がいけないんだろう。私が何かしたのなら”孤独”以外ならなんでも我慢する。改善する努力をする。だから、神様もう、許してはくれませんか。私の心はこれ以上耐える事が出来なさそうです。
2006/01/24
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私を19歳の頃から知る知人に会った。その人は、とても大人で、ターニングポイントとなる時期によく遊んでいた。「俺、親父くさいな」って言いながら、沢山の事を学ばせてくれた。そして、いつも同じ台詞で話を締めくくる。「今は分からないだろうけど、 いつか分かる時が来るよ。」と。私はその言葉がいつも歯がゆかった。そんな知人に2年ぶりに会った。私は彼と会っていない間に、彼の話してくれた”いつか”を沢山経験した。その事を、沢山、彼に話した。話し続ける私に彼は「大人になったね。」と一言。とても、嬉しかった。他者に、自分の成長を認められ指摘されると言う事がこんなにも、喜ばしいことだとはじめて知った。彼は当時の私に理解させるのではなく”いつか”というキーワードを残して私自身の成長を促してくれたのだ。「いい女になれるよ、翠は。」と子供をあやすにかのように言われていた。彼と出会えたことに感謝する。私は、あの時期に彼に”いつか”を与えられていなければ今の私ではないだろう。「ありがとう、ごめんね。」を言えなかった、自分を卒業して。ありがとう。
2006/01/22
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私は勘違いしていたのかもしれない。ある人に聞いた話、だ。[I have to]私はそうしなければなりません。[I must to ]私はそうしなければなりません。同じ和訳になる英語だけれど示す意味を知るまで気にもとめなかった事、だ。[I have to]立場や外的原因によってしなければならない事。[I must to]自身の心から発せられるしなければならない事。私は、この2つを混同して考えていたのだ。~の為~だから人のため、誰がため・・・彼の好きな宗教思想には「You」「あなた」などの1人称以外がない。「私と私」「I&I」対する他者を[ I ]と呼ぶ。私は、勘違いしていたのかもしれない。私が我慢すれば・・・相手のために・・・相手を汲んで・・・私自身が幸せでないのに、何故、他者を幸せにする事が出来るのだろうか。私自身が満足していないのに、何故、他者を満足させられるのだろうか。人と相対するとき相手は己の鏡なのだ。己が相手を他者と認識することで自身を孤独にさせる。そして、対する相手を孤独にさせてしまう。彼の瞳が独りっきりのように見えたのは己の作り出した孤独なのか。はたまた、彼の作り出した孤独なのか。私は彼ではない。彼は私ではない。いずれにせよ、答えは分からない。・・・まずは己の孤独を捨ててしまおう。相対した彼の瞳に孤独の影がなくなるのならばその原因は私でもなく彼でもなく[I&I]私と私の原因なのだから。彼だけではなく自身以外のすべての人間に対して私は常に[I must to]であれる自分になりたい。博愛の心を持てる人間になりたい。自身のスパイラルの中強く願うこと、だ。他者に願うのならばまずは自身から、だ。そんな事をぼんやりと考えていたときテレビで見た風習を思い出した。プレゼントをもらった人間が「ありがとう」と言うのではなくプレゼントを渡した人間が「ありがとう」と伝えるのだ。そこには私を「プレゼントしたい」という気持ちにしてくれたあなたに感謝するという意味が込められているのだそうだ。それだけ、「愛させくれたあなたに感謝する」という意味が。恋愛も友情も人と相対するときにそうゆう感覚を共有出来る人間とならば慣れ合うことなくいつも、向上しあい関係を続けていけるのではないだろうか、と。私はまず彼とこの感覚を共有したい。私が私自身を少しずつ愛せるようにしてくれた彼だから。
2006/01/21
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「他者を理解する。」という事はとても、難解なこと。私と彼は、両者共に”超”のつく気使いの受身人間。普段は、相手を思いやれるという意味でとてもよい事なのだが、喧嘩となると、やっかい。の一言。お互いが、相手の意見を把握してから自身の意見をはじき出すと言う同じ手法で解決策を考える。違うタイプの人間ならばとても相手を思いやるという意味でよい事。・・・だけど、私と彼は超がつく程似ている。喧嘩のたびに、この壁にぶつかる。だけど、今日その壁をひとつ乗り越えられた気がする。初めて彼が言った。「自分の意見を先に素直に言うのは ・・・怖い。」本当に、似ている。私も、相手の顔色、対応、反応を見てから行動、発言しないと怖い。どう思われるだろうか。嫌われるかもしれない。傷つけるかもしれない。だけど、初めて知った。「信じる」相手に出会えると、そんな恐怖は捨てられるんだと。彼は、少し前の私に、似ている。だから、彼の言葉が痛い程わかる。私は、彼の存在で前に進むことが出来た。彼にもそうであって欲しかった。喧嘩の度に、自分だけ素直なのが、歯がゆかった。彼にも同じように想って欲しかった。今日、初めて、彼の言った言葉は、第一歩。私もそこから始まった。「怖いよ、助けて」この一言が言えた時から。
2005/12/19
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私の頭の中には、糸がある。・・・表現する言葉が見つからない。自分と言うものが確立されていない。自分自身の中に確たるモノがない。揺るがない自分自身。こんな所だろうか。私は、いつも受身だった。自身のキャパを超えてもなお、他者の思考を優先していた。そうしているうちに自分自身というものが、よく分からなくなった。いったい、自分がどうしたいのか。彼は、私の確信を知りたがる。彼も、私とよく似ている。お互いの存在は、鏡で自身を映したかのように、似ている。彼を見ていると自分自身のことがよく分かる。彼と居ると、失っていた自分を取り戻す事が出来る。私の頭の中には、糸がある。今まで、私は、他者を優先して生きてきた。それは、自身のキャパを超えても、だ。ここまでは、今までも自身で理解していた。・・・そして、気がついたこと。私は、キャパを超えたとき頭の中の糸が切れる。「プツン。」と音を立てて。その瞬間から、何も感じなくなる。怒りも、悲しみも、苦しさも、マイナスの要素何もかもをだ。そうしないと生きてこれなかった。私の生きる術だった。・・・彼は私によく似ている。極限のある一瞬からこの世に独りきりのような瞳に変わる。彼は、私に言った。「この世に、独りみたいな目をするな。」その目を私は知っている。その時、どうすればいいかも。いや、正しくはどうして欲しいか知っているか、だ。何も言わず強く抱きしめる。切れた糸は、”感じない”という方法ではなく”素直”という方法を導き出せるようになる。私は、ずっと独りだった。誰にも、理解してもらえる筈などないと思っていた。頭がおかしいとすら思っていた。こんな私を愛してくれる人など居ないと思っていた。彼は、私によく似ている。私は、彼を愛している。彼は、私を愛している。映し合わせた鏡のように、よく似ているから。彼と、私は、離れる事は出来ないだろう。ずっと、独りだったのだから。独りではない事を、知ってしまった。幸か不幸か今は分からない。だけど、彼は、私によく似ている。紡ぎ合わせた糸のように運命があるとするならばこの事なのかもしれない。
2005/12/13
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「もう限界。」そう思った瞬間からすべてが崩壊しだした。何もかもが嫌になった。強迫観念でいっぱいになった。体がおかしくなった。生理が来ない。震えが止まらない。嘔吐してしまう。私は、壊れた。頭は冷静に今の自分を判断している。原因はわかっている。極度のプレッシャーとストレス。ため続けていた我慢。他人の感情に敏感な自分。何もかもが、嫌だ。そう、生きている事すら。死んでしまえば楽になる。・・・出来なかった、出来る訳がなかった。 私は、死を目の前に、生きる事を選択した。逃げたいと思う気持ちよりも、失いたくなかったのだ。彼と子供と生きていたいと思う気持ちが強かった。子供の顔と、彼の顔。私を、冷静にさせてくれる唯一の存在の、彼。発狂と暴言と嘔吐を繰り返す最低な私を強く抱きしめる。彼しか知らない私の最悪な姿。そんな私を愛してくれる彼を大切にしたくて傷つけたくはなくて今は、毎日必死で立っている。今の私にはそれだけ、だ。彼のために元に戻りたい。今の自分は自分ではない、と。自分自身が自分自身を攻め続ける。小さな、ほんの小さな今までの自分なら何ともない出来事で私の壊れた体と、心のスイッチが入る。その度に、安定剤を要する患者のように彼を必要とし、最悪な自分で彼を困らせる。このままでは、彼すらも可笑しくなってしまう。一体どうすればいいのだ。こんな筈じゃなかった。ぐるぐる回れば回る程に壊れていく体、心。私の、心は壊れてしまった。精神的に、崩壊しているのだろう。”何か”が怖くて仕方ない。一旦そうなると、冷静な頭を、心が否定し、狂った行動を取り続ける。彼に抱きしめられて少し元に戻るとまた、自分自身が自分を攻撃する。この迷路から抜け出せないで居る。悪循環に、続くのだ。他人事のように自分を判断し、攻撃し続ける。私は、この暗闇から抜け出せないのだろうか。唯一の出口、彼の「お前の何がおかしい。」という言葉だけを残して。
2005/10/26
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私には子供が居る。母親になって、とても不安だった。私は、自身の母のように子供を愛せるのだろうか。母親としての自身がなかった。子供を愛せるのか怖かった。他の母親のように私は子供を愛してはいないんじゃないか。私はこの子を愛してるのか。・・・自分が母親であると言う事実。一年もの間、私は自分が母親で在ると言う事実を受け入れられずに居た。母親だと認識する事はとても容易い事だった。ある日、子供が、入院した。目の前にある現実に直面するだけだった。私は2週間もの間病院で子供と過ごした。自分の身を削って看病した。寝ないで看病した。その時、気が付いた。「母親であらなくてもいいんだ。」私が、私自身で在るという事実。母親が私なのではなく私が母親なのだから。そう想った瞬間から私は子供に対して無償の愛を与える事が出来るようになった。
2005/10/08
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この夏私は傍から見れば、狂っていた。変化を自身に強いていたからだ。自分自身を模索していた。私とは何なのか。私の家族とは。私の恋愛とは。私の仕事とは。私が母親であると言う事とは。変化を強いている、自分自身に歪が生じる。己の持って産まれた性質を根本から変化させるという事がこんなにも大変な事だろうと、創造もしていなかった。古きよきものを未来へと伝承し新しきよきもを抵抗なく取り入れる。客観的に考えてしまえば簡単だ。私は、今発展途上の道の上に立っている。時々振り向き歩んできた道を確かめながらまだ見えぬゴールを目指して進んでいる。この道の先に何があるというのか。何があろうと、そんな事は問題ではないのだ。そこに何もなくとも振り返ればそこには進化した軌跡が必ず残っている。そうして、人は進化して来たのだから。数万年前の人間が今の世の中を目指し歩んだだろうか。今の人間が数万年先を創造し生きるだろうか。私たちなど宇宙の点でしかないのだ。その小さな点の小さな進化が先の小さな点を繋いでいくのだ。私などほんの小さな存在でしかない。ならば、精一杯生きてみよう。そう思った、この夏。
2005/09/27
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アイツは、私に何かを振舞うかのように焼肉屋で待っていた。「好きな物食べな」と第一声。・・・少し、痩せた。何時もと変わりのないアイツは、それを諭さないようにか、無口だった。想定していた通り顔を見ると、言葉が出てこない。ただ、ただ、何時もと変わりのない言葉のない時間が過ぎていく。何時も、そうだったように。ひとつだけ違っていたのは私の心が此処にはないという事だけ。・・・いや、無いこと、だ。アイツを取り巻く不幸な環境。理解しているのは自分だけではないか。突き放すも愛情。独りっきりにしてしまうのか。大切なことに変わりなどない。私はアイツを裏切ったのか。・・・・・・・。有りと有らゆる感情の中で私は答えを見出せずにアイツの問いかけにだけ、耳を傾けていた。アイツと私の間には言葉など必要ない。「ワカッテイル。」今まで、言葉が必要なかったのだ。今更、言葉へ逃げられる筈がない。アイツはきっとすべてを、悟っていた。それには、触れずあの自信家のアイツがこう言った。 今まで俺お前に優しくなかったな。 これからは、ちゃんと優しくする。 俺、変わるよ。・・・こんな言葉アイツから聞きたくはなかった。アイツを壊してしまった。言葉を失った。それを、聞いた私がこれ以上言葉を続けることなど、出来はしなかった。そこからは、その場をやり切るので精一杯だった。何を話したかあまり覚えていない。惚れた男を、変えてしまった変わった、私。何度も、何度も、恋愛を繰り返し一体、その先には、何があるというのか。前を見失い、光を探し、その光を得たと同時に、失うリスクを抱え生きる。終わりのない永遠を願うのは、野暮でしょうか。その先にあるモノを知り得るためにはこの苦悩のサイクルを歩み続けるしかないのだろうか。私自身の、知りうる教養と、人間の作り上げた情報を吐き出す機械を持ってしても答えは見つかりはしない。この先も何度も何度も繰り返すのかもしれない。ただ、幸せの答えを見つけるために。・・・ごめんね。アイツと望んだ永遠。
2005/07/05
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アイツから「今から会おう」と突然の連絡。待ちに待って嬉しくて、仕方のないはずだった。・・・以前の私なら。・・・だけど、もう、それは、私にとって幸福ではなかった。罪悪感が私を追い込む。どんな顔をして会えばいいのだろうか。どんな言葉で伝えればいいのだろうか。アイツの顔を見た私はどうなるのだろうか。不安の中で彼に全てを話してしまった。失いたくはない。と強く思ったから、だ。アイツと彼を天秤にかける事など出来はしない。ただ、ただ、彼を裏切りたくはない傷つけたくはない。・・・それだけだった。冷静さを失う中彼はすごく冷静だった。「会いに行っておいで。」と。私の、愛した男だからちゃんと会って話しておいで、と。そして、彼は、こう続けた。「今の翠なら、大丈夫。 俺はこの4ヶ月間翠の傍に居た。 そいつと翠の7年は知らないけれど 俺は俺なりの自信がある。」・・・と。彼の傍に居たい。と、強く想ったのだ。私は、アイツに会いに行く決心をした。そして、別れを告げようと。彼と、前に進もうと。
2005/06/28
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「手首を切った」・・・と親友から、電話。虚ろな声と可笑しな言動。スグに彼女の元へとタクシーを飛ばした。彼女の元へ向うタクシーの中例えようもない恐怖と、喪失感、無力さ・・・。感情が次から次へと廻ってきて自分を支える事すら出来ない。彼女の自宅へ着きドアを開けて彼女の名前を叫ぶも返答がない。脱力に駆られ、全身の力が抜けそうになった瞬間、彼女の部屋には見知らぬ男が居た。「アイツなら飲物買いに言ったよ」全く、状況把握が出来ない。 「お前は誰だ。 いや、彼女は無事なのか。」その男に問いかけるも、上の空の男。その時、後ろから彼女の声。「・・・来なくて良かったのに」そう囁いて彼女は、私を見ずにまっすぐ奥の部屋のベッドへ。未だ、状況の把握が出来ないまま呆然と立ち尽くしていると奥の部屋から、聞いたことも無いような発狂と、破壊音。すぐに、奥の部屋へと向うと彼女は、崩壊していた。私は、力ずくで彼女を抱きしめながら「大丈夫、大丈夫だから」と叫び続けた。どの位の時間そうして居たかは分からないけれど途中で腕の傷が手首から肘の辺りまで隙間なく斬りつけられているのが見えた。力ずくで止める私の胸に潜り込み泣き出した彼女は「翠がする事じゃない、あの男がすべき事なの。」と男を指差した。男は、そんな状況の中ですら、虚ろな目でぼんやり空を眺めていた。私が、その男に怒りを強く感じ立ち上がった瞬間その男は立ち上がり、こちらへと向ってきた。男は、何も話さないまま、彼女の横に座った。彼女が、その男に罵声を浴びせ続ける中私は、この現状を把握するために、頭をフル回転させていた。そんな中2人の会話が聞こえた。「また打ったんでしょ。」「いつ打ったの。」・・・・・。冷静ではない自分の頭で冷静さを保とうと必死だった。いくら、冷静ではないと言っても男の虚ろな目、彼女の可笑しな言動そして、会話から推測する事は容易だった。彼女とその男は覚せい剤を使用してた。私は知ってしまった事実の重さにただどうしていいのか分からず立ち竦んでいた。そうしているまに彼女が私の元へ来た。「翠、ごめん。 今日は帰って・・・。」私は素直に応じ家を出た。何も出来ない無力さ事実への怒りたばこを一服し冷静に状況を把握する。すぐに、幼馴染の友達を2人と彼を呼ぶ。4人で話し合って警察にいく事にした。
2005/06/27
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云いたい事が、どんな言葉にも当てはまらない・・・。伝える手段は言葉しかないのに、言葉では、伝えられないものが多すぎる。何時も、どんな時も、どれだけの言葉を用いても結局は、ひとつしかないんだ。それを表現するために、人は沢山の言葉を用いるんだ。だけど、その言葉がなくならないのは、結局どんなに沢山の言葉を用いてもその言葉以外で伝える術がないからなんだろう。愛してる。
2005/06/20
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私がクラブと呼ばれる場所に好んで足を運ぶようになったのは、つい最近のこと。それまで、お酒の飲めない私には、多少苦手な場所だった。今の彼とクラブに行くようになって覚えた”踊る”事の楽しさあの何とも言えない音が体に響く感じ、トリップ感。彼が私に言った。「翠はクラブ映えするね。」それは、きっと、私自身が最高潮に、幸福を感じその場の誰よりも、楽しんでいるからではないかと。限られた空間で、同じ音を感じ知らない人たちが沢山踊り狂っている。何とも、不思議な空間だと思うのは私だけだろうか。
2005/06/01
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