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「瞑想力」の次回作を企画検討会議にかけるという連絡が、出版社からついに届きました成功と幸せを手に入れる瞑想力
2009年11月30日
人生の節目には良いこと、悪いことの両方がやってきます。悪かったことは、あれとあれとあれ…(笑)良かったことは、あれとあれとあれ…(笑)これが多いほど、今が人生の節目かどうかのバロメーターになります。
2009年11月29日
自己嫌悪している時は、何もやる気が起こりません。 自分の殻に閉じこもっていたくもなります。 なぜでしょうか? 嫌いな人のために、何かしてあげたいという気持ちになれないものです。 好きな人のためなら、いろいろしてあげたいという気持ちに自然となります。 それと同じで嫌いな自分のために、何かしたいという気持ちにはなれないのです。 だから、自己嫌悪している時は何もやる気が起こりません。 やる気を持って前向きに生きるためには、自分が好きであることが不可欠です。 日頃、なかなかやる気が起こらない人は、 まず自分を好きになることを考えなければなりません。 あなたは自分のことがどれだけ好きですか? やる気と自分が好きは比例します。 やる気にムラがあるのも、 自分に対する好きさ加減が曖昧だからです。 あなたは自分のことを、どれだけ明確に好きだといえますか? 自分を好きになれない人たちは、 遡れば子供の頃からすでに始まっています。 だから、その子が将来やる気を持って前向きに生きられるか、 親の果たすべき役割は重大です。 その子が自分を好きになるよう、 しっかりと育てなければなりません。 Tatsu
2009年11月27日
「貧すれば貪する」と言います。 貧しくなると、心が汚れて卑しくなることです。 貧しさとは経済的にばかりではありません。 精神的な貧しさも、貪する原因です。 精神的な貧しさとは「真善美」の価値観が脆弱なことです。 真善美は感性がもたらし、理性によって強化されます。 「清貧」という言葉がひと頃流行りました。 精神的な豊かさは、経済的な貧しさを克服して、 貪することなく、清貧をもたらします。 したがって真善美の確立が、 貧すれども高潔に生きる道を与えてくれます。 そのためには真なるもの、善なるもの、美なるものに、 少しでも多く触れて感受することが大切です。 Tatsu
2009年11月23日

映画館に足を運ぶのは本当に久しぶりです。20年以上前の映画館の印象の方がまだ強く残っているので、ロビー、各部屋の入り口、お店のテーマパーク的な雰囲気に、それだけで心は無邪気にはしゃぎました。で、映画自体はどうだったかというと、正直な感想は、永ちゃんのテレビCMの台詞のように「あ~、もったいない」というところでしょうか。テレビ番組の特集でも、過去に幾度となく永ちゃんのドキュメンタリー番組は放映されてきました。その中には秀逸なものもありましたから、映画となるとこちらも一層期待してしまいます。予告編も素晴らしかったし!(笑)ファンクラブの特典DVDなら、映画館の大画面と音響で観る90分は、十分に贅沢で楽しめましたが、一つの「映画作品」として観たら、もっと深く練って欲しかったなという印象です。矢沢永吉という素材も十分だし、膨大な過去の映像もあるわけですから、人生、幸せ、仕事をテーマに、この30年間の永ちゃんの心の移り変わりに、もっと深く焦点を当てて描いて欲しかったですね。本番同様の熱いリハーサル風景は、永ちゃんの大きな魅力の一つには違いありませんが、これまでにも幾度となく映像化され紹介されてきました。また、織り交ぜられている過去の映像も、中途半端に使用されている印象がありました。古くからの熱心なファンにとっては、すでに観たことのある映像も多かったので、過去の足跡を流すために挿入するにしても、もっと心の変遷を深く映し出すような発言の映像も採用して、ドキュメンタリーなりに起承転結を持った物語に仕上げて欲しかったです。この映画に先だって東京ドームの還暦ライブを追ったドキュメンタリー番組が、テレビで放映されていましたが、そちらの方が私的にはインパクトがありました。マイケルの「THIS IS IT」もそうですし、やはり数ヶ月を追う番組に比べて、30年を追う今回のような映画は、よほどコンセプトが綿密に深く練られてないと、膨大な映像量だけに焦点が絞りきれずにぼけてしまうのでしょう。監督の増田氏ご自身がプロデューサが本職で、業界の人とはいえ、プロの映画監督ではないので、力量的にこれも致し方ないかもしれません。ただ、ファンとして「今」の永ちゃんを知ることが出来たことは、増田監督には本当に労いと感謝の言葉を贈りたいと思います。特に映画の後半…、生活保護を受けていた少年時代の思い出を語る永ちゃん。酔っ払いながら、娘に対して無償の眼差しを向ける、とてもプライベートな親の顔。過去のさまざまな人たちと映っている自分の数々の写真を見て、ややろれつの回らない口調で「俺 いっぱいの人に、たくさんの人と交わって、愛されてきたんだな」としみじみいう言葉が、とても重く印象的でした。これは今までにないような、とても深みと重みのある映像でした。永ちゃんの人生を追い続けて生きた者としては、これだけでもこの映画を十分に価値のあるものとしました。…と、以上はあくまでも矢沢永吉の人生に多大な影響を受け、これまでの映像を見尽くした者ゆえの、たいへん辛口の感想と、わがままな願望であって、それ以外の人が観たら、きっと違った感想を持つことと思います。まだ観ていませんが、おそらく作品としてはマイケルの「THIS IS IT」の方が、観た方々の感想からもだいぶん完成度は高そうな気がしました。評価★★★☆☆映画「E.YAZAWA ROCK」http://www.rock-yazawa.com/
2009年11月21日

1ヶ月ぶりに、また岡やんさんに釣りに連れて行ってもらいました。ところが今回は前回と違い、全然釣れません。大漁だった1ヶ月前を嬉々と期待していた子供たちは、想像もしなかった不漁にがっくり。と言ってもひとり1尾は釣れたのですが…。そこで上の息子に訊ねました。「こんなことなら退屈しのぎにゲームでも持って来られたら良かったね」と言っても、本当は我が家にはゲーム機が一つもありません。とうとう上の子は小学時代をゲーム機なしで全うしてしまったのです。しかし、これが本当に良かったかどうかは正直わかりません。なにしろ友達の家に遊びに行った時には、飢えた子供のようにゲームを貪るようにしていると聞きます。しかもゲームの持ち主よりもうまいらしいのです。それくらい家の外でゲームに集中して、上達してしまったということに他なりません。とにかくそんな息子に「退屈だからゲームがあったら良かったんじゃない?」と訊ねたわけです。そうしたら息子は答えました。「全然釣れないのはつまらないけれども、釣れるまでの間、ゲームに熱中して『知らないうちに釣れていた』なんて、そんなつまらない釣りもないよ」どれだけゲームが好きでも、ゲーム機なしでじっと当たりを待つ方が、まだましとのことでした。さすがにそれはわかるらしい。「やっと釣れた」というプロセスを味わうことの大切さは、ちゃんと理解していました。息子の頭の中がそこまでは冒されずにいて、「無事」で良かったと安堵しました(笑)港へ向かう道釣れずに倒れ込む同じく弟も
2009年11月15日

前日の滝行に続き、この日は椿大神社の奥宮登拝に参加しました。総勢28名。Tatsuメンバー6名。ただし、いつもの登拝と違いこの日は「天皇陛下御即位二十年」というたいへんな記念日です。山上の奥宮大祭では「天皇陛下万歳」と、登拝者全員で万歳三唱しました。きっと神道や神社に馴染みのない人たちは、びっくりしたかもしれません。それを象徴するのが、自宅で式典のテレビ中継を見ていた子供たちの言葉です。「みんな、『天皇陛下万歳~!』ってやってたね」「天皇陛下万歳~!バタン!」と倒れるゼスチャーをする子供たち。子供たちが「天皇陛下万歳」と人々が万歳する場面を見るのは、ほとんどが戦争ドラマのシーンです。出征を見送るシーン。自決するシーン。だから、子供たちにとっての「天皇陛下万歳」=「戦争で死ぬ」というイメージになってしまっているのです。おそらく子供たちだけではなく、戦後世代の大人たちの多くも、やはりそうではないでしょうか。戦後世代の日本人は「天皇」がどのような存在なのかほとんど知りません。知っているのは「国の象徴」という、本当に上辺の知識だけです。後は「天皇陛下万歳」=「戦争で死ぬ」というような偏った情報です。元来、天皇というのは神道の神主の中にあって、最高位に位置する存在です。ちょうどローマ=カトリック教会の最高位がローマ法王であるようにです。 昔から神主は「言挙せず」といいます。神主の役割使命は、神(天)と人の間に立って「唯、神の意思を人々に指し示す」ことです。だから、そこに神の意思以外の、個人的な主観や主張が混じってはなりません。 ※言挙(ことあげ)せず…自分の意見や考えを主張しない。その中でも最高位にある天皇は、最も厳しくそれを求められ、手本とならなければなりません。それでは神の意思とは何かといえば、それこそが日本人の精神性である「和」です。「互いに許し合い、愛をもって、皆仲良くしなさい」ということです。ですから天皇の言動や生き方のすべてが、和するための手本となるように、徹頭徹尾全うされています。だから、そのような身を捧げて「無私の精神」で人々の幸せを祈り、和するための生き方を人々に指し示す天皇を、昔の日本人は「自分たちには到底真似の出来ないこと」と敬い慕ったのです。さらに天皇に剣を向ける者がいようものなら、決してそれを許さなかったのです。それくらいに天皇という立場は、自らが捧げものとなって「無私の精神」で、神の意思を体現し、公に生きることが求められているのです。「天皇陛下万歳」にはそのような、人々の幸せのために自らを捧げるものとする天皇に対する、日本人の感謝の誠が込められているのです。
2009年11月12日
2ヶ月ぶりの滝行でした。以前は1ヶ月に2度、滝に打たれていた時期もありましたが、間が開いて久しぶりだと緊張します。前日が近畿各地で記録的な大雨だったわりには、思ったほどの水量ではありませんでした。しかし、十分に手応えを感じる水圧です。季節のわりに気温も水も、さほど低くありません。久しぶりの滝行にはとても有り難い条件です。しかし、私的には納得のいかないものでした。身体も一瞬ふらつき、定まらない心が、打たれる姿勢にそのまま表れていました。わずか10秒程度。その一瞬にいかに意識を「理想の状態」に保つか。しかし、意識を立て直す前に、道彦の合図で滝から出なければなりませんでした。 やり直しが効かないから真剣にもなります。 しかし、心が定まっていなければ真剣にもなれません。 迷いが生じると、心は定まりません。 信念が弱まれば、迷いも生じます。 自分は神に守り導かれているという信仰が、 信念を生み、迷いを打ち破ります。 しかし、信念も信仰も、心を込めて、 日々を大切に生きなければ、生まれません。 日々の実体験の積み重ねからしか、 確信は得られないからです。 日々を大切に生きることの難しさ。 一瞬のふらつきにそれを感じます。
2009年11月11日
ウクライナでH1N1新型インフルエンザ感染者が呼吸器疾患で大量死亡http://www.sasayama.or.jp/wordpress/?p=11942009年11月9日 ウクライナで、この2週間で、80名が呼吸器疾患で死亡しており、現在、同様の疾患の患者が40万人いるという。そのいずれも、H1N1新型インフルエンザにかかっているところから、WHOから非常事態チームが派遣され、現地で監視に当たっている。ウクライナ政府は、学校や大学の三週間の閉鎖を決め、各種イベントの取りやめも決めた。ウクライナ大統領は、現在、三種類のウイルスが感染とているとし、その変異について危惧しているという。WHOの緊急事態チームは、患者から9つのサンプルを、ロンドンのミルフィルにある研究センターに持ち帰り、その分析に当たっている。分析結果の詳細は、明らかにされてはいないが、大きな変異は、見られず、小さな変異にとどまっているという。ニーマン博士は、ポジション225での変異ではないかとしている。ポジション225変異は、H3N2によく見られるアマンタジン耐性変異であり、H1N1においても、劇症性を付与しうる変異であるされている。ポジション225での変異としては、D225N(ブラジル・サンパウロやニューヨークで見られた変異).D225G(ブラジル・サンパウロ、中国・Zhejiang、日本・広島、アメリカ・テキサス、アメリカ・ジョージア、アメリカ・ニューヨーク、メキシコ、スペイン・カタロニアで見られた変異).D225E(日本・長崎、日本・札幌、中国・香港、アメリカ・ニュージャージー、アメリカ・カリフォルニア、フランス・パリ、スペイン・カタロニア、 カザフスタン・アルマトイ、中国・長沙、イタリア・ミラノ、イタリア・アンコーナ、ギリシャ・アテネ、で見られた変異)の変異がすでに、各国で見られているという。ウクライナに隣接するオーストリア、ハンガリー、スロベニアは、ウクライナに対して、ワクチンや消毒液の援助を行っている。ウクライナと国境を接しているスロベニアでは、接している5つの国境ラインのうち、2つを封鎖した。ウクライナでは、すでに医薬品やマスクなどの不足状態に陥っている。一方、この事態は、大統領と首相が争う1月の大統領選挙にも、大きく影響するものと見られている。
2009年11月10日

おかやんさんのご厚意で年に何回か子供たちを連れて、畑の収穫をしています。今回は里芋、ネギ、ショウガ、ウコン等でした。
2009年11月08日
9月から減量を始めて、およそ2ヶ月で5キロ減量しました。予定よりもだいぶん早いペースでの減量です。思うところあっての減量ですが、「何だか小さくなった」「貫禄がなくなった」なんて言われると、ちょっと複雑ですねでもまあ、この調子であと5キロほど減量できたらと思います。なんでも歌手のGACKTさんも夏以来5キロの減量をされ、眠狂四郎の役作りのために、さらに5キロ絞り込むとのこと。GACKTさんのようなスタイル良しのイケメンではありませんが、私も頑張りたいと思います
2009年11月06日

この数日で最高気温がいきなり10度ほど下がる中、入道が岳へ子供3人を連れて、椿大神社の奥宮を登拝しました。子供たちにとって登山は初体験で、しかも冬並みのこの気温の低さ。山頂では風も強く、雪も降っていましたが、親の想像を超えて子供たちは逞しく育っていました。特にまだ年長の次男は上の子たちに比べて小さいため、オンブや抱っこを覚悟していましたが、一言もなく下山後も元気でした。山頂で食べたカップラーメンは美味しかったです。あれで体も温まり、寒さをしのげました。本殿で神様に登拝の安全を願い、10時から登り始めて、山頂まで2時間半。昼食と奥宮登拝を済ませて、2時間で下山しました。改めて思ったことがありました。大人たちは「一番下の子にはまだ無理じゃないの?」「何もそんなきついことをさせなくてもいいのでは?」「こんな寒い日に行って」「遭難したらどうするの?」と心配しました。私も親として今回は案じた末の決断でした。でも当の子供たちは山頂で降る雪や、下山途中に転げ落ちて尻もちをつくこと等、山登りをはしゃぎながら、心から楽しんでいました。フタを開けてみれば、一番下の子が一番元気そうにしていました。もしネガティブ発想に負けていたら、さらに「休みの日くらい、親もゆっくり休んだら良いじゃない?」という甘い言葉に負けていたら、今回の体験を子供たちにさせてあげることは出来ませんでした。子供たちの能力を信用せずに、年長どころか小学生のうちは無理ではないかと過剰に心配して、子供たちのチャレンジする心を奪いかねませんでした。下山後、子供たちはさっき自分たちが登った山を見て、「あんな高い山を登ったんだ」と、しみじみと感心していました。これがまた子供たちにとって、一つの自信になればと思います。大人になると私たちは次第に、ネガティブ発想や自分を甘やかす、ずるさが身についてしまいます。この子たちが大きくなっても、今の天真爛漫さを少しでも失わずに、自分の可能性を閉ざさぬようにと願います。 山頂906M 山頂から望む下界 奥宮登拝
2009年11月03日
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