全10件 (10件中 1-10件目)
1
![]()
蔵書点検のため長期休館中の近所の図書館、今日は開館していることがわかっていたので、先日の落丁本を持って行って来ました。「この本、ここから30ページほど抜けてるんですよ。書棚に戻さないでボツにしてください」「ちょっとお待ち下さいね」と若い男性職員、PCのキーボードをカタカタ。「書庫にもう一冊ありますね。取って来ます」「いいんです、もう読みましたから、別の図書館で借りて」で一件落着。一冊落丁。また一冊新たに藤原伊織氏の本を借りて帰って来ました。奥さんの運転する車から降りて、買物袋を二階に運ぶのが私の仕事です。何気なく「ゆ~き~が~ふ~る~♪ あなたは来ない~」と季節外れの歌を口ずさみながら。5分ほど遅れて奥さんが杖を突きつつヨタヨタと部屋に入って来ます。思い出したように彼女も「ゆ~き~が~ふ~る~♪」「あっ、シンクロニシティ! ぼくも今その歌うたってたよ」不思議な符合に喜び合う二人であった。でも、シンクロニシティ(共時性)はそう日常的に起きる現象ではありません。今回もそうでないことが、しばらくして判明しました。今日、図書館で借りて来た本がテーブルに無造作に置かれていました。今日の土鈴。河童はわかるのですが何処のものでしょうか。息子の土産だったか。
2006年05月30日
コメント(13)
![]()
早川いくを氏の『へんないきもの』(バジリコ株式会社/2004刊)を読みました。書店で初めて手に取って見た時、なんだか手抜きの本だなあ、その割には値段も高いし。ということで、すぐには買わなかったのですが。 でもやはり気になる本であることは確かなようで。だいぶ迷った挙句、中古で手に入れました。寺西晃氏のイラストもなかなか見ごたえあります。ただ、変な生き物の紹介だけならわざわざブログでコメント書くほどのこともないのですが、著者の文章が面白い。現代風刺に富んでいて、痛快です。 著作権の関係で引用はやめておきますが、書店で立ち読みしても、店員に注意されるまでには半分くらいは読めると思います。私は、こういう図鑑のようなビジュアルな内容の本はできるだけ家に置いておきたいので買ってしまいましたが。今日の土鈴は天竜下りの図柄を配したもの
2006年05月26日
コメント(12)

相互リンクの夢子さん(現在イベリア旅行中、いいな)のお奨め、藤原伊織氏の江戸川乱歩賞受賞作品『テロリストのパラソル』(1995年刊)を読んでいました。8割がた読み進み、いよいよ話は佳境、謎解きの糸口も見つかってこれからというところで、 あれっ 文がつながってないやん よく見るとページが・・・30ページほど飛んでます。そんなアホな。図書館の職員さんよ、これはむごいよ。恐らく誰かが故意に破ったのではなく、傷みがひどくなってきて自然に落丁したと思われますが・・・ 別の図書館に行って同じ本借りて来ますぅ 今日の画像は金毘羅さんの土鈴
2006年05月24日
コメント(6)
今月は後半に用事(遊びともいう)が集中していて、毎日どこかに出掛けます。今日は雨の中、神戸まで車を走らせました(走らせたのは言わずもがなの我が女房)。 向かったのは神戸市立博物館。先日の教育テレビ「新日曜美術館」で紹介されていたボストン美術館所蔵、肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」を観るためです。神戸開催はこの28日(日)まで。そのあとは名古屋、東京へと移って行きます。 浮世絵といえば版画という固定観念が誰しもあると思いますが、浮世絵師として名を馳せた名人には金満家からの肉筆画制作の依頼があったと言います。ただ残念ながら、明治期にアメリカのビゲロー氏によって買い漁り持ち帰られたため、多くの肉筆浮世絵が我が国から消え失せ、この百年間だれの目にも触れなかったのです。 ただビゲロー氏は自分が買った作品のほとんどをボストン美術館に寄贈してくれたお陰で、こんにち我々はまとめてそれらを観ることができますし、ひょっとしたら氏は戦災で焼失するのをあらかじめ救い出してくれた大恩人と言えるかもしれません。 何はともあれ、その作品の数々、いやあ見応えありましたよ! 特に歌麿、北斎らの美人画に描かれた着物の模様の細やかなこと! 単眼鏡で淡い色の生地を観察するとそこにも手抜きすることなくびっしりと美しい模様が。かつてレンブラントの描くレースの細やかさに仰天したことがありましたが、それに勝るとも劣らぬ神業的技量にまたまた脱帽! 北斎と言えば、極彩色の鳳凰図屏風が圧巻でしたね。これだけでも観る価値充分の展覧会です。 いつもは音声ガイドのお世話にはならない我々ですが、今回は落語家の柳家花緑さんがナレーターを担当してらっしゃるというので、それも楽しみでした。ここでおちゃらけを期待してはいけません。 開催期間あと5日というので結構混んでいました。雨天ということもあるし2時間もあればゆっくり観てまわれるだろうという目論見は甘く、最後は駆け足状態でした。 今日の土鈴は那智の滝のもの
2006年05月23日
コメント(12)
![]()
公共施設のイベントとして催される映画会によく出掛けます。賞味期限の切れた映画であっても、低料金かつ大画面で観られますから、特に見逃した作品の場合は嬉しいかぎりです。 きのうの映画はそんなに古いものではなく、年末に公開されたばかりの話題作「SAYURI」でした。例によって原作は読んでいませんが、当時テレビで予告編を見るかぎり、ビミョーなとしか言いようのない内容に思われたので、それほど食指は動きませんでした。 この映画は御覧になった方も多いと思われ、あまり悪口を書いてアラシを呼ぶのも厭なので、あっさりと感想を述べたいと思います。 予告編で感じたビミョー感は、映画が始まってもしばらく続きました。違和感と言っていいでしょう。どうやら舞台は日本の京都。時代は昭和の初頃~終戦直後にかけて。登場人物は大半が日本人という設定にもかかわらず、主役級の芸者(ゲイシャと書く方がいいのかな)にチャン・ツィイー、ミシェル・ヨー、コン・リーというアジアンな女優陣。日本の俳優陣は渡辺謙、役所広司、桃井かおり、工藤夕貴ら。 これがハリウッド映画ということで台詞は何とイングリッシュ! じゃあ全部英語かというと、さにあらず。効果音としての人声や流行歌は日本語。どうなっとんねん、いうこってすな。上記のアジア女性がこれまた日本人以上に日本人らしくって。チャン・ツィイーチャンさんなんか、どうしちゃったの、こんなに奇麗で!って言いたくなるぐらい。 で映像がまた何ともジャポニズムなんですなあ。蝶々夫人のオペラやることになったで、思いっきりコテコテの背景画描いたってちょー、なんて頼まれたNIPPONおたくのガイジン画家が腕によりをかけて創ったような、妙に作り物然とした気恥ずかしいばかりの京都花街。 ストーリーはというと、嫉妬+一途の恋+出世=女の一生。スピルバーグ製作だからといって、自転車で空を飛んだりはしません。ひたすら夢幻の中にのみ存在するニッポンの美を愉しむだけの映画、と言ってしまってはあちこちから石つぶてが飛んで来るかな。 今日の土鈴は京都つながりで三千院のもの
2006年05月20日
コメント(14)
清少納言の『枕草子』は我が国最古の随筆と言われていますが、現存するものではという但し書きがいりそうです。『枕草子』出現まで、掃いて捨てるほどあった凡庸で退屈な文章が、本当に掃いて捨てられて、『枕草子』だけが王朝文学の中でただ一つ、綺羅星のごとく燦然と輝いているのでしょう。ともあれ、著作権のうるさくない平安朝の女房達の間では、次から次へとまたたく間に書き写されて一大ブームになったことは間違いなさそうです。「ねえねえ、清の少納言さまの新作お読みになって? 今度のはおなか抱えて笑えるそうでございますわ」なんてね。 そもそも清少納言は、女房連のオピニオン・リーダー。中宮定子の家庭教師でもあったのですから、誰も異議を唱えることなどできなかった。また、彼女の意見は妙に説得力があったのですな。「わたし随筆書くから、あんたら読む?」ではなく、「清の少納言さまのお口から出る言の葉はいづれも素敵。どうか料紙にものしてたもれ」などと周囲の連中がけしかけたものと思われます。 じゃあってんで、清女は考えた。開口一番は皆の者が度肝を抜かれるような奇抜な名キャッチコピーを。 そこで「春はあけぼの」。どうじゃ、恐れ入ったか! ここで解説の時間となりました。中学や高校の国語の時間、覚えさせられてみんなの前で大きな声で言わされましたよね。覚えて、言って、訳して終わり。これじゃあ、作者の決死の「春はあけぼの」がわからない。彼女は一か八かの大勝負に出たのです。 彼女の人気を妬んでいた女房がいたとすれば、こう思います。春はあけぼのだって? 馬ッ鹿じゃないの。春は宵に決まってるじゃないのさ。春宵一刻価千金。春の曙なんて誰が見るのさ、春眠暁を覚えずってね。 そうです。清女は誰もがそう反論することを見越していたのです。それでも敢えて、あけぼのと言い切った。「きゃあ~、清さま、ステキ」 なんとなればですね、「やうやう白くなりゆく山ぎは少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる」様子を想像してごらんなさいな。えっ、そんなの見たことないって? じゃあ、たまには早起きして御覧なさいませよ。極楽浄土もかくやと思える素晴らしさでございますよ。 彼女の美意識が異常でないことを示すために用意した夏秋冬それぞれの風物をとくと御覧あれ。夏は夜の蛍火、秋は夕暮れの雁がね、冬はつとめての銀世界。誰もが異論を差しはさめないでしょうが。ということは逆に、今まで「春は宵」で何の疑問も感じていなかった人々に、清少納言があの研ぎ澄まされた感覚でもって「あけぼの」と言うからにゃ「あけぼの」なんでしょと言わせ、当時の知識人たちの常識を覆してしまった。ついでに言えば、現在に至るまで日本人の美意識に最も大きな影響を与え続けたのも彼女です。 さあ、もうこうなったら怖いものなし。何を書いても支持してくれる。かくしてあの大部の『枕草子』は出来上がっていったのでありました。めでたしめでたし。 今日の画像は枕草子とは何の関連もなく伊豆の踊り子土鈴
2006年05月16日
コメント(14)
昨日は母の日。好物の小豆入り冷菓を二袋(アイスクリームと氷菓)、プレゼントしました。 この歳になって今さら母の話でもないもんですが、どこかにちょこっと書いておきたかったもので。 今同居している母は正確には養母です。私がおめでたいのか、養父母が巧妙だったのか、私は自分が養子であることを三十路になるまで知りませんでした。 養母は近所でも評判の厳しい母親でした。ヒステリーといってよかったでしょう。ただ救われたのは養父(この人も養子として縁付いています)が、穏やかで教養もユーモアもある好人物であったことです。 私の戸籍謄本の実父の欄は空白です。実母にもひと目会いたいが、父親が何者なのか知りたいという思いで、私の実母探しは始まりました。養父母に手がかりを聞くということも出来たでしょうが、それだけは何としても避けました。「母をたずねて三千里」といっても、実際には長期休暇を利用しての大阪府内の役所まわりです。17年目にしてやっと居所を突き止め、会いに行きましたが、出て来たのは同居人の男性。彼女がいつどこで誰と婚姻関係を結んでいるかぐらいのことは調べ上げていますから、もちろんその男の名前も知っていましたが、あまり社会とうまく付き合ってはいない模様。 実母がどういう訳か、私のことなど知らないとその男に(奥で)言ったものだから、それ以上追及もできず、その時点で母探しの旅も終わらざるを得なくなったのでした。今さら会えぬという母の苦渋の選択だったのか、ただ単に惚けてしまっただけなのか。それさえも今となってはわかりません。 実母が亡くなったのは、一昨年の9月のことです。見えにくいかも知れませんが、淡路島で入手した七福神の鈴生り土鈴
2006年05月15日
コメント(16)
A級B級C級にかかわらず面白そうな映画(テレビ放映のものはビデオに録画して後日ゆっくりと)は何でも観るようにしています。アクション物ややくざ映画、あまりにちゃっちいSFは敬遠、最近は何の趣向もないラブロマンス物も飽きました。 私が特にワクワクして観れるのは、アフリカやアマゾンなど(非欧米的な)文化や生活が物語の背景にあるような作品です。そういう場所は現実(の私)には行けないし行きたくない所だからかもしれません。 さて、今日ご紹介する作品は『真実の囁き』(1996年)です。群像映画といってもいい作りですが、幾組かの親子関係が縦軸に、そのそれぞれの世代の人間関係が横軸に、過去の或る殺人事件とその解明をめぐって複雑に話は展開して行きます。 舞台は合衆国のテキサス州の小さな町、メキシコとの国境付近です。白人、黒人、ネイティブ、スペインの血を引くメキシカンなど複雑な人種構成の町。これらの人達が現在どのように共存して暮しているのかを知るだけでも面白いのですが、そこに例によって(笑)親子の確執、過去と現在の恋愛、不正と正義の闘争などが絡みます。 あらすじを書くだけでも大変膨大な量になってしまうこの作品。脚本がいいのか監督の手際がいいのか、とにかくわかりやすいし飽きさせない。ラストに近づくと一つずつのトラブルが良い方向に解消され、ちょっとした意外などんでん返しもあって、気持ちのいい終わり方です。主演のクリス・クーパーの渋い演技も見もの! かなりお奨め!! 画像は室生寺の土鈴
2006年05月09日
コメント(6)
最近お見えになったばかりの方はご存じないかも知れませんが、私の妻は、姿かたちは女性ですが脳の配線はどうもおじさんらしいのです。ええ、私よりもおじさん度は上ですね。 喫茶店でケーキセットでもどうと言うと、返って来る答は「焼き鳥かラーメンの方がいいけどな」。私、大阪に生まれて大阪に育った生粋の浪速っ子ですが、再婚して今の奥さんと一緒になるまで串カツ屋さんに入ったことがなかったのです。えっ、私も変わってるって? まあ、確かにそう言われるとそうなんですが… 妻は、いわゆる女性的なことが苦手です。裁縫、編み物、お菓子作り、花いじり、部屋の模様替え、すぐに思いつきませんが、そういう類のことですね。リウマチなどの病気があって、手足が自由に動かないということもありますが、もともとダメなようです。妻の名誉のために言い添えておきますが、料理はいろいろ工夫して満足のいくものを作ってくれます。 逆に一般的に女性が苦手としている分野に能力を発揮します。例えば地図を読むのが得意だとか、機械いじりが好きだとか。機械オンチの私が今こうやってブログなるものに手を染めたのも、実は奥さんの影響というか、お導きの賜物です。ここまでが、今日の話題の序章です。 ここからが本題。最近、奥さんのパソコンの調子がどうも良くありません。すぐにフリーズしてしまうのです。不要なものを捨てないでいつまでも取ってあるからじゃないのと言うと、その通りだと答えます。そこで意を決して不要なものをごみ箱に捨て出したところまでは問題なかったのですが、勢い余って何か大変重要なものまでやっちゃったらしんですよね。「あっ、インターネットがつながらない!!」 奥さんが悲愴な顔でこう叫んだのは、新聞少年やお豆腐屋さんが起き出そうかという夜中の3時過ぎ。高慢そうな金持ちのご婦人が何かにけつまずいて転んだのを見て見ぬ振りして行き過ぎるように、私も無言のうちにそそくさと寝室に向かいました。こうなると奥さんのいつもの徹底追究が始まるのは目に見えています。 そーっと寝室の引き戸が開けられたのは、世間では朝という名の7:30。「直った?」「ダメ!」普通に、と言っても我々の普通は世間様の普通ではありませんが、ベッドに入っても昼過ぎまで起きれない奥さん、今日はいったいどこまで寝続けるものやら。そして起きてきても、頭はパソコンのことでいっぱいに違いありません。さて、どうなりますことやら。今日の土鈴はどこで買ったものやら。大津絵の鬼のようではありますが。
2006年05月06日
コメント(8)
![]()
リンクで行き来していない方なのでどなたか失念しましたが、藤原伊織という作家を大層評価されている方がおられました(恥ずかしながら私はこの作家をほとんど知りませんでした)。一流広告代理店に勤めながら二足の草鞋で小説を書いて来られた作家だそうです。大阪出身というのも興味をそそられます。寡作なのでその気になれば今からでも全作品読めるかなと、近くの小さな図書館で、試みにまず一冊借りてみました。 『ダックスフントのワープ』これがデヴュー本らしいです。メルヘンチックな挿話と渇いた現実の物語が螺旋構造のように絡まりながら展開していきます。前者は、主人公の青年が自閉気味の少女に語る作り話なのですが、この残酷なメルヘンの行方が気になって読者の興味は作者の罠にはまってどこまでも引きずられていきます。心憎いばかりの計算です。 「ネズミ焼きの贈りもの」というのも収録されていましたが、これは私には古典的な手法で書かれた短篇と映りました。でも1980年代の前半に書かれたものとわかり納得できました。 興味が出てきたので二冊目に挑戦。最新刊『シリウスの道』(2005.6)を借りてきて読みました。これは読書の醍醐味をたっぷり味わえる骨太で痛快な作品です。読書の楽しみの一つは、知らない世界を垣間見れることですが、広告代理店を退職して書いたというだけあって、広告代理店の仕事や内幕が生き生きと描かれています。籍を置いていたんじゃさぞ書きにくかろうという所まで、さもありなん風に描出しています。 登場人物が、組の人達や会社内の下劣組はさておき、皆がみな気風が良くて大人の言動に終始するのも心地よい。主人公たちの中学時代の舞台が、我が近鉄沿線とJR環状線の交わる辺りであるのも嬉しい。藤原さんは私にとって今年の大きな収穫と言えるでしょう。 本日の土鈴は出石の辰鼓櫓を描いたもの
2006年05月04日
コメント(10)
全10件 (10件中 1-10件目)
1
![]()
