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6月29日 午前9時38分 父が旅立ちました。 とても静かな、とても穏やかな旅立ちでした。 闘病に入って初めて父の夢を見たのは27日。 その前日くらいから、父の反応が薄れてきました。 27日には、呼びかけても視線が動くことがなくなりました。 目は開いてるんだけど、もう視線を動かす力がなかったんだと思います。 それでも、なんとか父と目を合わせたくて、自分の顔を父の目の前に持っていき、無理やり話しかけたりしてました。 その夜から泊まりで対応しようと母とも話をしていましたが、 看護師さんから「もう少し大丈夫だと思うので、休める時に休んで、何かあれば早めに連絡する」と言ってもらい、それでは、と帰宅。 その約1時間半後。 ちょうど、在京の姉に連絡し、一週間後の帰省予定より早く帰った方がよさそうだと話してベッドに横たわった時でした。 母の携帯が鳴ったのは。 一気に走る緊張。 血圧が急に下がったので、今すぐ来れるか、と。 「何分かかりますか?」と看護師さんは切羽詰まったようだったと。 病院までの20分が長かったこと。 母と落ち着こう、と言いながら急ぎ病院へ。 病室に着いたのは23時頃。 「血圧が60まで下がりました。呼吸も不安定になってきたので、もう少ししたら止まると思います。その場合は教えてください」 看護師さんは静かに伝えて、部屋を出て行き、 私と母と父の三人だけにしてくれました。 ホスピスだから、この時に向かって過ごしてきたのです。 最期は水入らずで、という方針なのでしょう。 転移がわかった2月から気持ちの整理と覚悟はしてきたつもりだけど、つい声が出ます。 「お父さん!お父さん!」 父の耳元で声大きく呼びかける私に、母は 「呼んじゃダメ」と。 これまで何度となく母と話してきたこと。 寝たきりで、食事もとれず、意思も伝えられず、食べたい、家に帰りたいという思いも叶えられない状態の父を、寂しいという思いだけで引き留めてはいせないと。 少しでも長くそばにいたいと言う私に、 母はいつもそう言ってきました。 父の辛さ、悔しさを本当に感じていたからなんでしょう。 最初こそ反発していた私も、父の姿を見るにつれ、私自身が覚悟をしなくては、と思いを改めるようになりました。 だから、この時、私を止めた母の気持ちも、 そして父の気持ちも、私なりに理解できたつもりです。 二人で父の両手を握り、脈を確認しながらただ黙って見守る時間。 「脈が止まった」 母のつぶやきに息をのむも、父の呼吸自体は止まっていない様子。 「まだ呼吸はしてるよ」 すると「脈が戻った」と… さすがの母もどことなく安堵した様子。 もしかして、またもや『そろそろ詐欺』か? 医師も驚く生命力をこれまでも何度となく見せてきた父。 その度に呼び出され帰省する姉。 私達の間では、そんな風に笑い飛ばしたりもしてたんです。 姉が帰ると奇跡の復活を見せる、と。 そんな詐欺なら、またあっても構わない。 どこかそんな思いもあり、姉に急ぎの帰省を促しました。 つい2時間ほど前に相談したばかりなのに、さらに早めて。 なんとか姉にも会わせてあげたい。
2015年06月30日
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今朝、久しぶりに夢を見た。 これまた久しぶりに父が出てきた。 姉は時々父が登場する夢を見ていたので ちょっと羨ましかったけど、ようやく私も見れた。 目が覚めてリビングに行くと、犬のチャッピーと 猫のミィと父がいる。 初めの癌が見つかる前の、スレンダーでダンディなカッコいい父。 めっちゃ笑ってた。 元気な時にも見たことがないくらい笑ってた。 そして、普通に立って歩いてた。 ただそれだけの夢。 ここ2日、父は、眼は開けてても、 呼びかけにはほとんど反応しなくなった。 夢の中では、かつての父以上に元気だった。
2015年06月27日
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「ちゃんと眠れてますか?」 「ちゃんと食べられてますか?」 看護師さん達に最近よく言われる言葉。 その度に、一瞬間が空き、「大丈夫です」。 間が空くのは、質問の意図が私と母にはピンとこないからだ。 家で眠れる限りは、しっかり寝てます。 爆睡と言ってもいいほど。 私はたいてい10時半〜11時の間に寝落ちしちゃうほど。 あ、早朝から猫が動き出すので、猫に起こされることはあるかな〜。 猫って夜型なんですよね〜 ^_^ なんて、そんなレベルです。はい。 食事もしっかりとれてます。 しっかりお腹もすくし。 東京に比べて歩かないし、運動量が格段に減ったので、夕食は炭水化物を抜いてるくらいです。 むしろ、なんだか、太っちゃって(^◇^;) 通常は、心配で眠れなくなるのかしら? 食事も喉を通らない、とか? もちろん心配はしてます。 起きたらできる限り早く病院へ行こうと思うし 泊まりについても、病院と相談しながら判断してます。 でも、何より共倒れはよくない。 それこそ、連日の泊まりになった場合に備えて 体力をつけとかなきゃいけないし。 「家族の方の健康が大事です」 看護師さんのおっしゃる通り! 寝られるうちに寝て、食べられるうちに食べとかなくちゃ! ひょっとして鈍感なの? いえいえ、使命に忠実なんだと考えましょう。 「生命力ありますね〜」 父もこれまで、何度か院長先生を唸らせてきた。 その生命力を受け継いでるんです。 タフなファミリーです。むんっ!
2015年06月24日
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父は酸素マスクが嫌いらしい。 そもそも、顔に何かを装着しているわけだから、 好きな人はいないんだろうけど。 前回の急変時に、それまでの酸素チューブがマスクになった。 その方が取り込みやすいらしくて。 でも、容態が落ち着くにつれ、外そうとするので、院長の許可を経て、チューブに戻してもらった。 父は、血圧などは比較て安定してるけど、だいたい酸素が低い。 通常よりも低いけど、これくらいなら、と大目に見てもらってるレベル。 特に夜、眠りが深くなると吸い込みが弱まるのか低下するという。 だから、チューブは必須。 だけど、父はこれも取りたがる。 とにかく嫌がる。 ちょっと目を離してて、静かだな、と見ると チューブを外してる。 「だめだよ!これは!院長と約束したじゃん!」 すると、イラついたように 「わかっちょん!」と。 でも、頑として付け直させない。 先日はチューブを戻そうとした看護師さんの手を払った時に、 看護師さんの顔を叩くような感じになってしまって さすがの父も慌てたらしく、ゴメンゴメンと看護師さんの顔をナデナデしていたらしい… 院長先生の前では、いつもシャキッとする父だが 先日は目の前でさりげなさそうにチューブを外してみせてた。 さすがに先生に「それをやってもらわなきゃ困ります」とチクリと注意された。 よっぽどイヤなんだな。 容態が落ち着いてきたので、もしかしたらまた酸素なしの可能性もあるか? なんて、勝手に思っていたけど、 今日、またマスクに逆戻り。 昨夜遅く、急激に酸素が下がったようで その後上昇したからよかったが、危なかったと報告を受けた。 安心はできません、と。 午前中、付き添った母から話を聞いて 交代で午後病室を訪れたら、父は目覚めていた。 「昨日、苦しかったん?」と声をかけると 本人はよく覚えていないようで首をかしげる。 ふと見ると、頭頂部あたりに、プラスチックのカバーがかけられている。 あれ?ケガでもしたかな? よく見ると… 酸素マスク!! また外して頭の上に動かしたらしい。 「酸素が足りんのに外したらダメやん!」 慌てて戻して付け直したら、ハァハァと荒い息づかい… 何やってんのよ〜 「苦しかったでしょ?」と言ったら、こくんとうなづく。 どこまで本気かわかんないけど、本気で焦りましたよ! 外したまではよかったけど、物を掴む力も低下してるから、戻すに戻せなかったんじゃないかな。 びっくりした〜 これで、少しは懲りて マスク嫌いが緩和されるといいけど。
2015年06月23日
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父の病院では、母の日や父の日のイベントを看護師さんが計画してくれる。今日は父の日。ラウンジには出ていけないので、病室で開催!イベントと言っても、用意してくれた花とメッセージカードを渡して記念写真を撮る、というシンプルなものだけど。カードは、先週渡されて、ちょうど帰省していた姉と一緒に予め書き込んでおいたもの。本来は土曜日に行う予定だったけど、看護師さんが気をまわして私が東京から戻るのを待ってくれた。父の日に直接プレゼントをするなんて何年ぶりだろう?GWに帰省して、父の日を早めて、一緒に買い物に行ったのは・・・2年前くらいかな。ちょうどスッキリと目が覚めたらしい父にカードと花を渡すとビックリしたような顔をして見せた。カードを開いて見せると、じーっと読んでいる様子。目の前でそんなにじっくり読まれると照れるな~
2015年06月21日
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父の容態が少し落ち着き、夜通しでの付き添いは見合わせてよいだろうと病院側からも言われ一安心。数日なら大丈夫でしょう、との院長からの話もあり、週末を利用して一時帰京してきました。私のワガママを黙って許してくれたうえに、3週間の不在中も会話の際には必ず、「今日のお父さんは?お母さんの様子は?」と聞いてくれる「神なの?」と問いかけたくなるようなダンナさんにも会いたいしなんだかんだと、まだ新婚ですから(^_-)-☆東京の家に戻るのは実に3週間ぶり。思えば、この3週間は、当然ながら父がメインで付添いの半日交代や1日交代、具合が悪ければ、夜間も、1日2回当番も。それは別に苦労でも大変でもなかったんだけど。何でもないことだと、普通にそうしていたつもりだったんだけど。帰京した2日間、短い時間だったけど、実際の時間以上にものすごくゆっくりできた気がしている。父の容体が落ち着いていたという前提だけではないはず。久しぶりに家族と過ごす安心感。そして、万が一に備えなくてよいという開放感。知らず知らずのうちに行動に制約をつけてたんだと気がついた。そういえば3週間の後半は、いつでも出動できるように、ビールもやめた。別に誰に言われたわけでもないけど。でも、東京では、ランチタイムにも「休みだねぇ」と言いながら心おきなく一杯母も父の影響か映画好きで「これ観たいんよ~」とTVの告知を見て言うには言うけど、少しすると「病院から連絡があるといけんから、映画は無理や」と諦める。私がいるからいいんでは?と促しても、やっぱり行かない。知っている限りでも3作品くらいは見逃してる。母はもう半年以上も体や心が自由じゃないんだな。そして、母には、私にとっての東京の家のようなホッとできる異空間はないんだ。のんびり過ごした週末に、その時間に感謝しつつ、母の今の状態がどんなことなのか今さら実感したのでした。もう一つ、遠距離夫婦を経て、家族と過ごす時間の大切さやダンナさんをはじめ、周囲のみんなに心身ともに支えてもらってることへの感謝の思いがあふれてくる。青臭いと思われるかもしれないけど、これが本心。これもきっと、父がくれたチャンスなんだと思う。父が伝えたいメッセージなんだと思う。ちゃんと受け止めてるよ。会話が成り立たないことの方が増え、もどかしさを感じることも多々あれど父の病院に通うことを習慣や義務と思うことなく、今日も会えることを楽しみに病院に行こうっと!
2015年06月21日
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夕方6時から朝まで6時半までの父との時間。 基本的には眠ったままなので、やることと言えば、 父の呼吸に気をつけること。 そして、酸素マスク装着を確認すること。 ちょっとした変化を見落とさず、看護師さんに報告すること。 父の命の番人みたいで、さすがに緊張する。 痰がからんでむせたり、酸素マスクがずれたり 寝息が変化したり… こちらもウトウトしながらも、思ったより気になることが多い。 状況が状況なので当然だけど。 そんな風に過ごした夜も明けるまであと数時間。 3:30。いきなり母が登場。 ??家で寝てるはずでは?? 「目が覚めたけんなぁ」 きっと、父が気になってあんまり眠れなかったんだろうな。 だったら、病院にいた方がいい、って。 母と交代し、イヌネコの世話をして朝また病院へ。 母は当初、昼前に到着する姉を迎えに行ってから病院に来ればいいと言っていたが、やはり早く来るようにとの連絡があった。 父は相変わらず目覚めないまま。 院長からも、よくない状況との話があった。 「娘さんの到着までは、頑張ってもらわなくちゃですね」と。 とにかく、私と交代して母は姉を迎えに行った。 姉の到着予定まで、あと2時間。 父が手に力を入れる度に、 「力を抜いて。疲れるから。あともう少しだから。力を残しておいて」と何度も話しかけた。 最後の力をふりしぼっているように感じ 少しでも体力を温存してほしいと願った。 あと少し、あと少しだから。 このまま、母さえも会えないんじゃないかと思う瞬間もあり、母を呼び戻そうとしたけど、 姉のことを思ってか、聞き入れない。 そして、雨の中少し遅れて姉の乗った飛行機が大分空港に到着。 「お父さん、お姉ちゃん、空港に着いたって」 ちょうど先生も病室にいた。 その時、明らかに父の表情が変わった。 ??? ものすごく、意識がハッキリした目、顔つきになった。 ??!! 「あれ? 意識が戻りましたねぇ」 私と同様に戸惑いの間のあと、先生が言った。 あれれ? 病室にたさあった緊張の糸が一気にとれた感じがした。 それからは、まるで何事もなかったかのように 私の語りかけに応じるほど。 「すごいなぁ。娘さんの力って。お姉さん来るって言ったら、また回復しちゃいましたね」先生もしみじみ。 本当に。 娘治療を実現させてくれた私たちの家族にも 感謝しなくちゃ! 次第に酸素マスクも嫌がり、先生の許しを得て簡易チューブに交換してもらうことに。 「でもさ、酸素マスク外したら、お姉ちゃん、想像してた状態と違うから拍子抜けしそうだね」と言うと、父は二ヤーっと笑ってみせた。 久しぶりの父の表情にホッとして涙が出てきた。 この2日間で流した涙とは違うもの。 その後、慌てて到着した姉とは 拍子抜けするくらい明るい再会で泣き笑い。 でも、これって、これからまた父は、 夢と現実が混同したり、思いが伝わらなかったりするやるせない時間を過ごさなくちゃならなくなったということでもある。 でも、今は、神様がくれた時間だと思って ありがたく思いたいな。
2015年06月16日
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安心して読んでいただくために、はじめにお伝えします。 父は丸2日の昏睡状態から、本日目覚めました。 日曜、出先に病院の母から連絡がありそのまま病院に来るように、と。いつもなら、迎えに来てくれるのに交通手段については何も言わないから離れられないんだな、ピンときた。考えられる理由は父が動き続ける or 容態がよくない のいずれかだ。後者だった。 土曜日に落ち着いたはずの熱がまだくすぶっていたのか。朝方、また熱が出て、血圧、酸素が低下したらしい。一週間前は、抗生剤が1日で効いたのに、効いたと思ったら、一時的なものだったみたい。ベッドの上の父は、明らかに今までとは違う。最近は半目で寝るし、今は目が覚めてても動かないから起きているのか、寝ているのかもわかりづらい。まばたきらしいことをしているから、起きてるのかな?でも、呼びかけても反応しないし、寝てるのかな?昼過ぎに母が着いた時には、呼びかけても全く反応せず、看護師さんが大きな声で呼びかけ体を少し揺すったら、ふっと意識が戻ったという。そんな状態なのに、腕にはすごく力を入っていて 一度手を握ると、ギューっと離さない。 この衰弱した体のどこにこんな力が残っているのか、と思うほど。とりあえず、一旦母を帰し、私が夜まで付き添い泊まりは母がすることに。 そして、月曜朝も父は眠ったまま。 前日よりは落ち着いたのではないか?とのことで、午後、母と交代。 でも、夕方、母と私と一緒に話をしたい、と 担当看護師さんから呼び出された。 今後想定される症状と対処、そして、心づもりや段取りについての説明を受けた。 いよいよ、そのタイミングがきたのか。 院長先生からも、東京にいる姉を呼ぶことについて 名言は避けてたけど、5月の肺炎の時のように 回復するかもしれないとの含みはもたせつつも、 遅いタイミングではないようなニュアンスの回答をされた。 子どもも仕事も義兄の店もある姉を呼ぶのは つい慎重になってしまう。 でも、父との別れは一度しかなく、やり直しが効かない。 あとで、あの時、もっと早く知らせておけば、という思いはお互いに残したくはない。 私が泊まり当番となり、翌朝の姉の到着を待つことに。
2015年06月16日
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やっぱり。昨日、お風呂に入ったから。しかも浴槽が故障中で、シャワーだったせいもあるかな。また高熱が出た。当番の母から連絡があり、今日は交代で付き添った方がいいかも、と。でも、また抗生剤で夕方には熱も下がり落ち着いたと帰ってきた。ホッと一息。病室に行って、父の様子がいつもと違うと母はきっと不安になるんだろうな。その気持ちを誰かと共有したいんだと思う。今日は、初めて鼻と口を覆う酸素マスクをつけた姿を見てビックリしたんだと思う。看護師さんに状況を聞く前に電話してきたから。「看護師さんは何て?何があったって?」と聞くと、「まだ話してない。これから聞く」って。慌てたんだね。父の場合は、「治る」ものではなく、弱っていくものだから、きっとこういうことの繰り返し。一喜一憂はしないようにしなくちゃ、きっと、こっちがもたないな。「私はビックリしたのに、看護師さんは落ち着いちょってなぁ」と母は感心しつつ、その対応に拍子抜けな感じだったけどそれもホスピスで働く経験から身についたことなんだろうな。さてと、明日からまた暴れるかな〜
2015年06月13日
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父に悩みとか迷いとかを相談したことなんてあったっけ。母にもそんなに話した記憶はない。遠く離れている分、話せば心配する。様子がわからないから、心配だけが膨らみ、結局話した自分は楽になって遠くにいる親を辛くさせるだけ。ずっとそう思ってきた。でも、今、不思議と病床の父には話せる。それを理由としていいのかはわからないけど、父は、忘れてしまうから。多分。そして、今はかなり秘匿性が高い。なんだか因果なことだけど…でも、不思議なことに、私が話を始めるとその時だけは正気に戻る。そして、ポツリポツリと、ちゃんと反応をしてくれる。「そういうこともあるわな」とか「頑張っちょんのにのぉ」とか。絞り出されるその一つ一つがなんだかとっても深いような、あったかいような。こんな父とのやわらかい時間は、初めてだなぁ。
2015年06月12日
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ゆふみ病院に入ってから、2ヶ月半。母はその間、毎日通ってきた。週に一回の人形教室で遠出する時だけ休憩。でも、前日に父が元気なかったとか、何かの不安要素があると、帰りに寄ったりしていた。そんな教室も先月末からはお休みにしたらしい。片道1時間半かかるので、万が一の時にすぐに駆けつけられないから、と。私がいるからいいんでは?と言ったけどその時には既に生徒さんにも伝えてあったからとりあえず様子を見ることに。最近、よく看護師さんに「お母さん、お疲れじゃないですか?」と聞かれる。「人形教室、今は行ってないんですか?」なんて聞いてくる看護師さんも。どうやら、理由は二つ。毎日、二交代制で付き添ってたけど先週末、昼当番を終えて帰宅すると、母が珍しく夜当番を休んだ。父が数日落ち着いていることもあったからだろう。でも、その夜、母がめまいがする、と早々に横に就寝した。一晩ゆっくり休んだら、回復したので一安心ではあるけど、いわゆる、看護疲れかな。そして、もう一つは…点滴を外したり、帰るから服を出せとか聞き分けのない父を制止する時に、どうやら大きな声を出しているらしいのだ。母は保母さんでしたからね… 汗暴れん坊を止めるには、ついつい出ちゃうんでしょう。とはいえ、静かなホスピスですから。声は部屋の外にも漏れるらしく、看護師さんに「ちゃんとしてないと、奥さんに叱られますよ」なんて言われちゃったり。今日は、「娘さんちょっと」と呼び出され「これから大変になった時にこそ、ご家族には元気でいてもらわないと」と気遣いの言葉をいただきました。看護ノイローゼとか思われてるのかな。それでヒステリックになったとか。そんなわけで、父の様子に応じて1日交代に変更。私が頑張っちゃうと母もやらなきゃ、って思うみたいだし。何事も、やり過ぎず、自然体で。
2015年06月11日
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父が楽しみにしている入浴。火曜日と金曜日の週2回。すっきりするんだとは思うけど、実は翌日はたいてい具合が悪い。疲れちゃうのかな。昨日も入浴日。そのせいか、今日はずっとうつらうつらと眠ってる。最近は日中は目が覚めていることが多いのに、珍しい。目が覚めていると、いろいろと主張もするしその多くが、家に帰るとか食べさせろとか実現不能なことだから、それはそれで対応に苦慮するところだけど…静かに寝られると、かえって不安になる。不安になるなら、攻撃的な方が安心できる。おーい。目を開けて、かかってこーい。
2015年06月10日
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6月8日 空腹父にとっては、いつも昨日から何も食べちょらん先週末に、食事については休み明けに先生に相談しようと看護師さんに言われていた。でも、週末に高熱を出しちゃったから、またしばらくは無理だろうな、と私達はわかってます。はい。昼に行くと、看護師さんから報告が。今朝、先生に話す前にもう一度父の意思を確認したらしい。何か食べたいですか?食べたい。ハッキリとした父の答えに、先生に話してみたけど、やっぱりNO。残念だったね。わかっているのか、わかってないのか、黙る父。しばらくして、お菓子とって。そこの棚の。棚はあるが、そこにお菓子はない。探すふりをして、ない、と言うと不服そう。あんた達は、何でも、ない、って言うなぁ。そりゃ、食べさせてあげたいよ。でも、無理なんだもん。飲み込めなくて、むせて、また具合が悪くなったら…と思うと怖くて冒険もできない。またしばらくすると、「冷蔵庫からソーセージを出せ」「ないよ。あの冷蔵庫、何にも入ってない。」「つまらんのぉ。買ってこい。」お金をやるから、とばかりに、父の中ではあるはずの胸ポケットに手をやる。ソーセージ。父の大好物。昔、ドイツで食べたフランクフルトが忘れられないらしい。食べさせてあげられるものなら、いくらでもあげたい。いつか、食べれるといいね。
2015年06月08日
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付き添いの昼当番の母から電話あり。 「お父さん、39度も熱があってなぁ。 寝たり、ボーッとしたりを繰り返してるんよ」 不安そうな母の声。 夜は交代せずに二人で付き添うことに。 しばらくして一度帰宅した母は (大丈夫らしあから、交代しよう」と。 どうやら、看護師さんに、何かあれば知らせるから大丈夫と言われたらしい。 きっと、病院での母は、疲労困憊に見えるのかもしれない。 でも、母は一日に一度は顔を見ないと落ち着かないらしい。 それは私も同じだけど。 昼前に母がついた時には、父は寒い寒いと言っていて、母は厚手の掛布団を依頼したそうな。 熱のため、顔はほてり、ふー、ふーと言っていたとか。 「いつもと全然違うけん、驚いてなぁ」 午後になって、熱が上がったらしい。 確かに二日ほど前から、寒さを訴えていて その度に毛布をかけてあげたりクーラーを切ったりしてた。 熱はずっと微熱は続いていたけど、 こんなに上がることはない。 抵抗力の下がっている時だけに、心配なのはよくわかる。 結局、夜当番で行くと、薬ですっかり熱が下がった父は、表情もしっかりして、 絡み方が普段と同じで安心した。 とりあえず、今日は復活。 楽観視できる状態ではないけど、 今回も復活してくれた父。 ケンカしても、怒られてもいいから やっぱりもう少し、ね。 仮想世界の話でも構わない。 とはいえ、弱ってきているのは確か。 父の寝顔を久しぶりに見た気がする。 最近は行くとずっと起きてたから。
2015年06月07日
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4月下旬から3週間くらい、父は食べ物を受け付けなかった。物を口にすると吐き気がするのが嫌で、食べたくないといった。この間、かなり衰弱したように思う。でも、その後、また受け付けるようになりおかゆから始まり、プリンやメロンなどの柔らかいもの、そしてパウンドケーキのような固形物まで食べられるようになった。吐き気も出ない。「から揚げ食べたいなぁ」とまで言い出した。どうしても、期待してしまう。食事ができるようになって、十分に栄養が採れるようになったらまた抵抗力がついて回復するのではないかと。でも院長先生は「進行を止めたり、遅くしたりすることの助けにはなるかもしれませんが、回復するわけではありません。」ゆっくりとはっきりと答えた。から揚げについては、「本人が食べたいのであれば、いいかな。でも、言ったことも忘れているかもしれないので、 もう一度くらい確認してからがいいですね」と笑いながら言った。食べさせてあげたいけど、それをきっかけにまた吐き気が出たりして食べられなくなるのは怖い。「吐き気をもよおしても、一時だけです。何日も続くものではありません」なんか、そう言われると気が楽になる。入院直後には、「今、食べられるうちに、食べたいものは何でも食べていいですよ」と言われた。治療はしないので、やりたいと希望することはできる限りやらせるという方針らしい。そんな状態だった父は、から揚げを口にすることなく、肺炎になった。同時に、物を飲み込む力が急に弱くなった。水すらも飲み込もうとすると、激しくむせる。だから、液体も与えられず、喉が渇いた場合は、スポンジにすこしとろみをつけた水分をしみこませさらに絞って、口の中を湿らせることしかできない。だけど、回復傾向?にある父は、食への欲求はあるらしく数日前から「何も食べてない・・・」と言い出した。でも、「弁当」という単語を聞くと、即反応し「弁当どこだ?弁当出せ!」とイライラしながら言い出す。昨日は「どこかで弁当を売ってる」と。どうやら「べんと~~~、べんとぅ」という昔懐かし弁当売りの声が聞こえたらしい。あまりの空腹に幻聴か??付き添いの夜当番は、夕食をお弁当にして持参しているけど私も母も、父に気づかれないように、部屋の隅でこそこそと食べてる。先日はうっかりリンゴを持って行ってしまい、シャリシャリという音が聞こえそうでいつもよりかなりゆっくりと、そ~っと噛んでなんとか食べ終えたくらい気を遣っている。今日はついに「食べる物ないか」と言ってきた。私「お父さん、今、何かを飲み込むとむせて苦しくなっちゃうんだって。」父「誰が言ってるんだ?」私「先生がいいって言うまで我慢して」父「昨日から何も食べてないんだぞ。先生に聞いてこい(怒)」実際には肺炎からの10日間、固形物どころか液体物も口にしていない。さすがにかわいそうになって、前みたいにプリンくらいならいけるんじゃないか?と思ってしまう。ちょうど看護師が来た時に、それとなく話してみたら、少し迷った後、「週明けに、かき氷くらいから始めて様子をみましょうか。先生にも相談してみます。」と言ってくれた。すると、夕方早速先生が来てくれた。父は自分で「昨日から何も食べてないんでね。どうかな、と娘に先生に聞け!って言ったんです」とかなりはっきりしっかりと伝えた。よっぽど食べたいんだね先生も、少し迷っている様子。「食欲が出たのはいいことですね。少し考えましょう」少し希望の光が見えたか?今日は夜当番だったけど、さすがに父に隠れてもお弁当を食べることはできず、そのまま持って帰って食べました。来週、食べられるといいね。
2015年06月05日
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現実の世界と仮想の世界が錯綜する父はよく自分が病気であることを忘れる。明日、遠方から幼なじみが会いに来ると聞いた父。「シャツとズボンを取って」ものすご~く自然に聞いてくる。私「え?シャツとズボン?なんで??」父「人が来るんだから着替えるからに決まってるやろうが!」私「着替えなくていいよ。さっきお風呂に入って、着替えたばっかりよ」父「・・・着替えたばっかり・・・?」とりあえず収まったと思って、しばらく黙っていると父はベッドの上でごそごそし始めた。タオルケットをはいで、動く方の足を上げて姿勢を変えようとしている。私「どうしたん?」父「早く靴下出せ」私「靴下いらんでしょ」父「裸足で(靴を)履けっち言うんか?!(怒)」またしばらくして父「早くズボン持って来い!(怒)」私「着替えなくていいよ」父「こんなんで会えるか!早くズボン出さんか!!」私「足をけがしてるんだから、履くの痛いよ」父「うるさい!履かせろ!」私「点滴も足にしてるから、履けないし」父「点滴?!・・・点滴なんかしてませ~ん」と、両腕をひらひらさせてみせる。いや、してます。足に。手にしてた点滴を昨日自分で外しちゃったから、足にすることになっちゃったんです~~~こんなやり取りは日常茶飯事です。ハイ。
2015年06月05日
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肺炎を発症したのは、もう10日前。まだ喉にたんが絡んだり、のみこむ力は弱ったままだけどそれでも、かなり回復したように思う。だけど、2日前、院長が母に話したのは「あと、半月からひと月。五分五分といったところでしょうか。」という現状。飲み込む力がないため、食べることができない。今は、点滴で栄養素を補っているだけ。本来は、点滴も治療。ホスピスだから治療はしない。だけど「点滴で栄養を与えないと餓死することになる」という。体の機能はまだ働いていて、栄養を欲している。だから何も与えないということは餓死させるのと一緒だとか。そういえば、初めて院長から直接話を聞いたとき、左肺がほぼ壊滅状態のレントゲン写真を見せて説明してくれながら「本当だったら、この状態だと、かなり苦しいはずなんですよね。 でも、今見られる症状としては骨のみ。 年齢(80歳)の割にもお元気で。」と言っていた。「肺炎など、特別なことがなければ、2か月~半年でしょう」と私たちに伝えたうえで「でも、お父さんは、1回の肺炎くらいなら乗り越えてくれそうです」と父の生命力の強さを認めてくれていた。今回、父は本当に肺炎を乗り越えてくれた。だから、さらに短い期間を告げられたけれど、延長してくれると思ってる。目標は7月の81歳の誕生日。と、勝手に設定しちゃいました。
2015年06月04日
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午前中にも散歩に連れて行ってくれたのに 午後にも看護師さんが覗いて誘ってくれた。 「今、手が空いたんで。行きませんか?」 明日はまた雨らしいので、今日のうちに貯金だ! と、連れ出してもらいました。
2015年06月04日
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一昨日、梅雨入りしたというのに、 今日は突き抜けるような晴天! 病室の窓からも、緑が眩しい。 午前中にはお散歩に連れて出てくれたって。 それはさぞ気持ちよかっただろう、と 聞いてみたら 「どうでしょうねぇ?」といたづらっぽく言う。 やっぱり天気のせいか、穏やかでご機嫌な午後。
2015年06月04日
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今日は夜当番。夜当番は16:00頃~20:00頃まで。最近の父はすごく元気。元気な分、おしゃべりは止まらないけどやっぱりわからないことが多い。頭の中でいろんなことを考えたり、たくさんの思いが浮かんでるのかもしれない。「焼酎出せ」焼酎??父は下戸だからお酒は飲めない。飲みたいはずはないのに・・・「お父さん、飲まないのに?」驚いてみせると「飲む飲まないは関係ないやろうが!当たり前や。正月やのに」かなり本気モードで怒られる今日の父は、お正月だったのね。しばらくして、ベッドの傍らにボーっとしてたら「何しよんのか。ボーっとして。準備はしよんのか?」準備???「雑煮はできたんか」おおお、お正月がまだ続いていたのね。「雑煮はお母さんが作ってる。おまかせ~」中途半端に「やる」とか言って、突っ込まれるのは嫌だったからノー天気に答えてみた。「・・・」無言で見つめる父。「はぁ・・・。娘やろうが」お正月の準備すら手伝わない娘を残念がる父。ありゃりゃ。この期に及んでも、ご期待に添えず、どうもすみませんm(__)m
2015年06月03日
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大分に着いて、そのまま病院へ。私と母が交代で付き添う。今日は先に私が担当。13:30過ぎに到着すると、ベッドはなく、部屋のお掃除中。そうか、今日は火曜日。入浴デー。毎週、火曜と金曜。30分くらいで戻ってきた。すっきりと気持ちよさそう。入浴後の父は、いつも比較的意識がはっきりしている。お風呂には癒しだけでなく、覚醒作用もあるのかな。意識がはっきりするからか、要求もはっきりしている。父「食事は?」看護士さん「(ものを飲み込めず)むせるから、点滴で栄養を入れてるんよ」私「お父さん、お腹すくん?」父「すくわ。なんも食べてないんで」そうだよね。肺炎発症から一週間、基本的に飲まず食わず。飲み込む力が弱って、水でさえ飲もうとするとひどくむせる。「のどが渇いた」と言われても、スポンジに水を含ませて絞ってからなので口を湿らせる程度。前回、看護師さんが氷を削ってカルピスをかけて持ってきてくれた。口の中で融かして飲み込もうとしたところ、むせて焦った。看護師さんからも「もうやめましょう」と。食欲は三大欲求の一つだから、ふと意識が戻った時に一緒に思い出すんだと思う。持って行ったシャンプーの入れ物が白かったから、勘違いして「牛乳、出せ。どこにやったんか」さすがにかわいそうになってくる。だから、父の前では食べ物の話は厳禁。夜当番は、お弁当を持参して夕食は病院でとるけど、父に隠れてこっそりと。意識がはっきりするのって善し悪しだ。
2015年06月02日
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今日、父は船を盗んだらしい。 警察が捕まえに来るから、お前逃げろ!と 母に言ったらしい。 船を???? やるねぇ。ついに盗んじゃうとは。 どんだけ、海好きなんだよ… 更に、こんな格好(病院着)では逃げられないと、着替えるからズボンを出せと大騒ぎ。 「そこの棚の紙袋に入ってるんやろうが!」 何も入ってないと言っても聞かないので 母が 「何も入ってないやけん、かぶればいいわ」 と言ったら 「うん、かぶる」と。 結局、何にも入ってないのを見て納得したようだけど、その後も看護師さんにまで 「ズボン出せ!」と大騒ぎしたそうな。 トホホ そんなやりとりをひとしきり終えた頃、 私が現れると、いつの間にか 船を盗んだのは、母になってた… 父は母を逃がして、身代わりで逮捕されるつもりらしい。 「え?お父さん、お母さんの代わりに捕まるん??」 愛だねぇ。 「なんで、船とか盗むかなぁ…」と、ぽつり。 うん、その疑問は正しいよ、父。 その後も、事情聴取に備えて、 「免許証番号、名前、住所を書いとけ」と。 細かいところはちゃんとしてるのね。 でも。メモを取れと言われたけど、 ペンも紙も出せない私に 「記者になるやつが、何も持たんっち、どういうことか?!」としっ責。 私、記者になりたいなんて言ったことあったっけ?
2015年06月02日
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今月から本格的に介護休業に入ります。もともとその予定だったけど、1週間前の肺炎発症で急きょ帰省し、実質休業開始を早めたんです。2月の父のがん再発から約4か月。ちょうど自分の働き方について考えていたタイミングでもあったので「これは父からの贈り物。”ちゃんと考える時間”のプレゼント」だと思った。もちろん、70代半ばの母一人での老々介護は厳しいだろうという思いとこれまで上京して20年以上、自由気ままな生活を許してくれた父と最期くらいはゆっくり一緒にいたい、という思いもあった。迷いは、家族のことくらいかな。仕事で東京を離れられないダンナ様と離れることになるので。一応、これでも新婚なんです。ギリギリね会社にはもちろん迷惑をかけるし、部下には不便をかけるけれどわが部署のナンバー2は、長年そのポジションだったので、能力はあってもなかなか目立てることがなく、のし上がるいいチャンスかと。スタッフたちにもきっと自立心が生まれ、大きく成長してくれるはず。彼らにとっても、環境を変えるチャンス!上司の皆様にとっても、「慣れてるから使いやすい」ということで私を動かしづらかったこともあったと思うけど、家族の事情ならやむを得ない。女性管理職を動かすのは、今のご時世ではなかなか配慮が必要なだからね。そもそも私は、「もう少し家庭に比重を置いた働き方をしたい。せめて50/50に」と相談していたので、むしろ、会社にとってもいい理由ができたんだと思う。いえいえ、本当に、申し訳ないと思ってるんです。役員に近い部署の責任者という立場で、数か月の休業を、たとえ家族が理由でも取得するのは、賛否両論あると思う。男性はだいたい、同じくらいのポジションの方々はノーコメント。自分だとそうするか?と自問自答しているのかも。女性はだいたい、認め、応援してくれる。「よく決心した」「自分もそうする」と言う人も。なかには「結局、動かなくちゃいけないのは自分しかいないですもんね・・・」と将来、覚悟しているという人も。こういうところにも、男女による考え方の違いがあるのかも。とにもかくにも、自分で決めたこと。ダンナ様にも我慢してもらって、全面サポートしてもらって、それでもやろうと決めたこと。とはいえ、力を抜いて、自然体で過ごします。
2015年06月02日
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