全11件 (11件中 1-11件目)
1

聡明なおでこにこんなものを貼っているが ちょっと使い方が違うと思うでへへへの顔を見て、つい笑っちまったお昼ご飯を焼きそばにしたけれど こんなに必死になるこたぁないと思うがあまりに美味しそうに食べるのでちょっと自信を持った毎日散歩のたびに将来に向けて余念のない二人は欠かさないものがある 私には表彰台の二人が見える気がしないでもない『らりるれろ』が苦手なのでボールがボーボーになったりする何がボーボーなのか考えてみたりもする朝起きた時の私の髪はボーボーだがけっしてじさまの頭髪がボーボーではないことだけは申し添えたい確かにボールの表面はツルツルではあるがそこまで深く読み取っているかどうかは怪しいもんであるポチッとクリックしてやって! ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こちらを押してごらん!
2009年05月31日
コメント(22)

朝一番に北の国から届いた素敵なもの 送ってくれたのは blackberry2 さん私が小学校3年の夏休みまで住んでいた北海道の鹿追町その鹿追の懐かしいものがいっぱいそば枕の上に鎮座しているこれ 十勝石=黒曜石のこと町に流れる川の岸辺に時々転がっていたようなそんな思い出があるような それはいつ頃のこと??なんて事は聞かないようにパンフレットに載っている町のどこを見ても私の記憶の中の鹿追はどこにもないけれど心がきゅ~んとなるような懐かしさで胸がいっぱいになる二十歳の頃に一度だけ鹿追に行ったことがあるあれからん~~~~~十年 何十年??なんて聞かないように町並みはすっかり変わっているそれでも、どんなに変わっていてももう一度行ってみたいそんな思いにさせてくれた blackberry2 さんからの贈り物あ石を包んでいた新聞なんだけどこんなものが載っていたのよ これって偶然?って blackberry2 さんのブログを読んだらそれが何かわかるわよ懐かしくて切なくてあったかい優しい風が吹いた今日の始まりの朝だった 懐かしい思い出にポチッとクリックしてみてね。 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こっちを押しても構わなくてよ!
2009年05月28日
コメント(18)

ついこの前77777HITしたと思ったらあっという間に80000HITを過ぎていたしいったいその奇特な方はどなただろうと 80005 2009-05-26 18:43:07 ***.yahoo.net 80004 2009-05-26 18:41:16 ***.ad.jp 80003 2009-05-26 18:07:55 mamimami178さん 80002 2009-05-26 17:59:20 Yahoo!ケータイ 80001 2009-05-26 17:40:51 *.so-net.ne.jp 80000 2009-05-26 17:32:30 iモード 79999 2009-05-26 17:32:20 iモード 79998 2009-05-26 17:27:34 *.plala.or.jp 79997 2009-05-26 17:22:12 *.mes.co.jp なんとiモードさんではございませんか最近とみにiモードさんやYahoo!ケータイさんやらがとっても多くてどなたが踏んで下さったのかさっぱり分かりませぬまぁそれはそれとして80000を踏んで下さったiモード様ありがとうございましたこの次は末広がりのおめでたい88888HIT77777も80000もどなたか分からずキリプレキャリーオーバー中!!!!もし、踏んで下さる方がいらっしゃったらアクセス数の所をコピーしてお知らせ下さるととってもうれしゅうございますそんなこんなの今日雨模様でパートに出かけるお嫁ちゃんを車で送って帰ってくるとゴロゴロと雷が鳴る恐れおののくタイガー&ドラゴン遠くで落ちる雷の音顔が引きつるタイガー&ドラゴン吹き出した強い風に横殴りの激しい雨いつもは次から次に繰り出すいたずらも今日はなんだかちょっと大人しい・・・・・気がする気温が上がらなくて雨と風のお陰でなんだか寒い・・・・・気がするそうなのよね洋服の冬物と夏物の入れ替えをするとこんな日が絶対あるのよもう6月になるというのになんつーことよタイガー&ドラゴンは雨のせいでいつもの散歩に行けなくて元気をもてあまし気味・・・・・・でもない最近なかなかお昼寝をしなくて手こずらせていたのによほど雷が怖かったと見えてお昼ご飯を食べたら素直にお昼寝してるじゃんあぁ今日はいたって平凡な一日だったとさちゃんちゃんポチッとクリックしたら楽しいかもよ。 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こちらを押すと素敵な事が!! あるかもよ
2009年05月27日
コメント(20)

昨夜はちょっとばかり部屋が暑かったので窓を開けて寝たのだけどその窓から見える風景を見て思い出した去年、長女ちゃんが退院してここに帰ってきたときまだ部屋のカーテンの準備をしてなくてカーテンなしのまま何日か過ごした事があった夜になって窓から見えたのはその向うの大きなマンションと駐車場昼間は車も少ないけれど夜になると駐車場は車で満杯当たり前のことなのだけれど長女ちゃんがその車でいっぱいなった駐車場を見て「わぁ~~~昼間は車があまりなかったけど、たくさん止まっているねぇ」と、しみじみと言ったのだ長女ちゃんが中学2年の2月までこの社宅に住んでいてその頃、そのマンションと駐車場が建っている場所はなんと谷になっていて底には沼があったのだだから11年ぶりに見た景色があまりに違っているのを見てそんな言葉が出たのだろう大きなマンション、広い駐車場、たくさんの車、多くの灯りその場所との間には、例の不思議の小道や桜並木があるベランダから見るのと違って長女ちゃんの部屋から見るそれは不思議な世界につながっているようだそんな事を思いながら昨日のブログを書いていて寝たのは朝4時近かった新聞配達の車の音が聞こえる中でうとうととしたと、思ったらコツンコツンと音がするあ、窓を開けて寝たんだよなぁ・・閉めなくっちゃと起き上がって窓を閉めようと目を開けたあ・・・明るいし・・・朝??? 時計を見たら7時半ベランダから外を見たら下の芝生でじさまがゴルフのパターの練習をしているし最近新しくゴルフクラブのセットを買って暇さえありゃゴルフの練習をしている土曜日もゴルフに行ったばかりで私もボウリングに行ってるのでここは黙っているけどいつもは朝寝坊を決め込んでいるじさまがこんなに朝早くからやっているのはこの次の日曜日もゴルフに行くらしいそんなこんなで今日は久しぶりにのんびりした日曜日冬物と夏物の洋服もやっと入れ替えを済ませたしあとは長女ちゃんの部屋の押し入れを片付けて洋服の入れ替えをしなきゃ長女ちゃんがいなくなった時のままのこの部屋が私のものが少しずつ増えている状態だし「A型なのに片付けられない女」だと言っていた長女ちゃんだがやるべきところはきちんと片づけている捨てられない女の私が物持ちよく取っていても片付かないので私が着なくなった昔の服は思い切って捨てることにしようあ長女ちゃんが来ていた服は可愛いのやら素敵なのが多いので引き続き私が着ることにしようなんてねここらでちょっとポチッとクリックしてみる。 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑やっぱりここを押してみる。
2009年05月24日
コメント(18)

更新停滞気味のブログへようこそ相変わらずタイガー&ドラゴンは可愛い ち・ちかい しか~し花瓶の花を引き散らかす花瓶の水をぶちまける花瓶にひびが入るマダム 「何してるのよぉ~~~」タイガー&ドラゴン 「ぎゃぁ~~~ん」 こらっ 涙は流れてないっっ なんつーことを繰り返してるわけでそれでも癒されているからまぁいいかな一緒の時間は楽しいしで美容院に行ってきた長男くんの高校時代の同級生がしている美容院でヘッドスパをしてもらって髪もちょっとだけ切ってもらったなんだか居心地のいい優しい美容院で彼のブログ 一国一城の主として頑張っている彼にエールマダムなヘアースタイルでボウリングもミニスカで投げちゃうよなんてねポチッとクリックらんらんらん!! ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こちらを押してらんらんらん!!
2009年05月23日
コメント(14)

日曜日の午後から1年1か月ぶりに小倉へ行ってきた1年半前長女ちゃんが入院してから私は何度も1人で大分への日帰りをした外泊の時は長女ちゃんも一緒に往復をしたその時の景色が少しも変わらずそこにある長女ちゃんが元気な時はこの景色を見ながらいつも往復をしていたのだそんな事を思っていたら胸が痛くて苦しくて涙がぽろぽろ出てくるその痛みは小倉が近づくほどに大きくなっていたホテルにチェックインをして時計を見ると16時を過ぎていたこの時間だと病院はちょうど夜勤と日勤の人達の入れ替わる時間だいてもたってもいられなくて病院に向かった病院への風景も少しも変わってない入院していた5か月間毎日通った道を運転しながら私はいつの間にかその頃に戻っていた駐車場に車を置いて、いつものように病院の玄関からロビーへロビーを横切って病棟へのエレベータに乗り階数ボタンを押すエレベータのドアが開いてそのまま病室のある方向へいつもの見慣れた病棟の廊下、病室そして長女ちゃんのいた病室の前へ病室の角を曲がるとスタッフステーションが見える看護師さんたちが見える「あの~すいません」看護師さんに声をかける「はい」と振り向いたその顔は長女ちゃんと仲の良い看護師さんだ「あ~長女ちゃんのお母さん!!」と言って笑顔で迎えてくれる他にも何人かの看護師さんが私を見かけて近寄って来る懐かしい看護師さんたちの顔を見て私は涙が止まらなかったステーションも窓から見える景色も何も変わっていないただ、あの病室に長女ちゃんだけがいない長女ちゃんの主治医だった先生に会いたいと言ったらその先生は長女ちゃんが亡くなった去年の夏の終りに広島の田舎の方の診療所に自分から希望して移って行ったと言うリハビリ室でいつも長女ちゃんの運動療法をしてくれていた療法士の先生も辞められて他の病院に移っていたああ、やっぱりもう時間が流れているんだなと現実が戻ってきた小倉から長女ちゃんを連れて帰ってから一度も来る事がなかったこの1年はやっぱり時間は確実に過ぎていてどこを探しても長女ちゃんはいなくて見える風景は変わっていないのに現実はあの頃と違っていた夕ご飯は長女ちゃんと一番仲のよかったIちゃんと一緒に食べた保育園に同期で入って、何をするにも一緒で本当に仲が良かったのだ長女ちゃんの写真をたくさん持って行って食事をしながらIちゃんとその写真を見ながら話をした二人とも涙が止まらないわたしの知らない小倉での長女ちゃんの話Iちゃんの知らない退院してからの長女ちゃんの様子お互いに話しながら、その話は止まることがなかったIちゃんが長女ちゃんが倒れる前の頃の話をしてくれた少し前から頭痛がひどくなっていて、それでも保育園を休むことはなかったひどい頭痛に、鎮痛剤のバッファリンをこれでもかというぐらい大量に飲んでいた同僚のみんなは「そんなに飲んだら危ないよ」と言っていたらしいその痛みが肩こりから来ていると思って整体に通っていた長女ちゃんは日に日に強くなる頭痛にとうとう10月30日に早退して31日は仕事を休んだ整体院から整形外科を紹介されて、そこで貰う痛み止めも効かず11月1日に整形外科を再診して総合病院を紹介されたのだ31日がお給料日でそれを受け取るために保育園へ痛みはかなりのはずだったのにそんな様子は見せなかったらしいそんな事をお互いに話した私とIちゃんの涙は食事が終わっても止まることがなかったその夜、たった1人で痛みと嘔吐を耐えていた長女ちゃんを思ってなかなか眠ることができなかった翌日、長女ちゃんが入院した時最初に担当になった看護師さんと当時同じチームの看護師さん2人と4人でお昼ご飯を食べたその時、整形外科から救急で脳神経外科に来た長女ちゃんの話を聞いたその日の朝痛みと嘔吐で眠れなかった長女ちゃんは診察開始を待てずに朝7時に病院へ行った救急窓口へ行けばすぐに診察をしてもらえたのだろうけれど結局は診察開始の8時半まで、ロビーの椅子で痛みに耐えながら待っていた紹介された整形外科の先生は長女ちゃんのその様子を見てすぐに脳神経外科の救急に回してくれたその1時間半後に電話がかかってきて私達は小倉へと向かったのだCTに映し出された長女ちゃんの脳は頭蓋骨の中でパンパンに腫れ上がり激しい痛みを訴えて泣く長女ちゃんを前に看護師さんたちは、どうしていいのかわからなかったそうだぴったりしたGパンを脱がせた時よくこの痛みの中でこんな服を着て来た、と思ったと言っていた入院中の長女ちゃんは病名を告げられた時に泣いた以外に一度だけ泣いて不安を訴えた時の事を話してくれた2月の大きな痙攣発作があった時で看護師さんたちの処置はとてもすばやくて時間はそんなにかかってないのだけれど長女ちゃんにとってはとてつもなく長い時間だったのだ痛みと嘔吐を繰り返した夜を思い出してその不安がよみがえったのかもしれないその発作が落ち着いた時、泣きながらその担当の看護師さんに訴えた「みんなすぐに来てくれない!!死ぬかと思ったじゃない!!!」と後にも先にも、そんな事を言ったのはその時だけだったその看護師さんは長女ちゃんはその時ひょっとしたら自分がこれから先どうなるのかを知ったのかもしれないと言った私はどうしても長女ちゃんに余命の事を話せないでいたけれど長女ちゃんはその大きな発作が起きたことで自分の中でそれを感じたのかもしれない・・・とだからこそ、それ以来リハビリにも頑張ったし、泣き言も言わなかった取り乱すこともなかったのかもしれない退院してこちらに帰ってきて家で過ごすようになった時長女ちゃんが体調がよくなったら旅行に行きたいとか映画に行きたいと言っていたそれを無理にでもかなえてあげればよかったかもしれないと今でも思う、と私が言うと彼女は、もし映画に行ったり旅行に行って、発作が起きたりした時に長女ちゃんはその事でとても傷ついて自分はもう何もできないのだと思ってしまったかもしれない退院して家にいる間、一度も発作を起こさずにこれたのはそんな無理をしなかったから、とても穏やかに毎日を過ごせたのだからそれで良かったのだと思います。と言ってくれた私はそれを聞いて、とても救われた気がした短い余命のことを知らない長女ちゃんだったが一番怖がっていた痙攣発作が出ることがなかったし再入院していよいよターミナルとなった時も長女ちゃんは最期まで笑顔を忘れなかったし、自分の力でトイレにも行こうとした誰かが来たときも不安な顔を見せることもなかった私の中で、今でもずっと心残りだった事が彼女のその言葉で救われた気がした長女ちゃんがなにより恐れていた痙攣発作は長女ちゃんにとって、死につながる一番のものだったのだ確かに映画館で2時間近く暗闇で座ったまま見ることなど無理だったしすでに手の打ちようのないほどに増殖していた腫瘍では無理をすれば大きな痙攣発作は避けられなかったかもしれないしかし何よりも、その発作が一度も起きることがなかった事で長女ちゃんは、体調がよくなったら保育に関係する仕事をしたいと夢を持てたし壱岐への旅行に私を連れて行きたいと言ってくれたし鹿児島にも行こうねと希望を持っていたそれは、私への気遣いでも何でもなくて心からそう思って話してくれたのだ長女ちゃんの性格はとてもさっぱりしていて、人間観察が鋭いしかも相手を傷つけるようなことは決して言わない長女ちゃんを知る多くの人が、長女ちゃんを嫌う事がないべたべたな友達関係もないけれど、とても気持ちのいい何かがあると誰もが言ういつも冷静で、でも暖かくて凄く頼りになるのよ~とIちゃんも言っていた言うべき事はきちんと言うし、聞き上手で話はすっごく面白いのよとも言っていたきっとそれは長女ちゃんの生まれ持った性格で親であるはずの私は、そんな長女ちゃんにいつも支えられていた気がする私は長女ちゃんの傍で長女ちゃんを支えていたつもりだったけれど長女ちゃんの存在そのものが、私を支えてくれていたのだ午後保育園に挨拶に行った時この保育園のどこかに今でもいるような気がすると園長先生も言っていた小学校の卒業文集に、小さい子のお世話をする仕事に就きたいと書いてあったその希望をずっと忘れないで叶えた長女ちゃんは毎日子供に囲まれて仕事をしていたその子供たちといる写真は素敵な笑顔の写真ばかりだそんな長女ちゃんがもう一度保育の仕事をしたいと言って病気と闘っていたいつ起こるかもしれない痙攣発作の恐怖と闘っていた旅行や映画に連れ出して、もしその痙攣発作が起きた時長女ちゃんは頑張る意味をなくしてしまったかもしれないどちらが良かったのか、今でもわからない何がいいとか悪いとかではなくて、長女ちゃんにはそれが一番だったのよと看護師の彼女が言ってくれている気がした1年前退院をして大分に帰ってきた時友達に「私の帰りたいのは本当はここじゃない」とメールを送っていた7年小倉で暮らしていて、彼氏がいて、とてもなじんでいた場所だそれでも、どこかでそれをあきらめたのだと思う長女ちゃんはしっかり者だけど、とても気が小さくて怖がりだった亡くなる最後の一週間はもう体力がなくなって話をする元気もあまりなかっただから、彼氏や友達がお見舞いに行きたいとメールが来てもその返事は、「今ちょっとキツイし話せないから無理かも また次にして」彼氏にさえ、会いに来なくていいと言っていた電話がかかってきても、話すことができなくてメールにしてと返事を送っているそのメールのほんの2行の文章に30分もかかって打っていた私が長女ちゃんの親友でただ一人余命の事を告げていたのは高校の時の親友で看護師のAちゃんそのAちゃんへのメールはそれまでになく弱音をはいている病気になってから、ずっと長女ちゃんはAちゃんを頼りにしていたそんな長女ちゃんにAちゃんから14日の17時過ぎにメールが来ていた長女ちゃんが返事を送ったのは15日の明け方4時過ぎ「う~~~ん 医大にいる間はムリかも がんばりよるはずなんやけどね」そしてそれが最後のメール月曜日は9回目の月命日ポチッとクリックして下さいね。 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こちらを押すとOKよ!
2009年05月19日
コメント(27)

母の日の10日に3年目に突入77777アクセスも踏んで下さったありがとうございますでは、ちょっと見てみましょうほっほう~~~~ 77780 2009-05-12 05:54:39 59.106.*.* 77779 2009-05-12 05:41:29 熊の助9672さん 77778 2009-05-12 05:19:34 HTNMさん 77777 2009-05-12 04:48:17 SARA-CERAさん 77776 2009-05-12 04:38:03 66.160.*.* 77775 2009-05-12 04:37:30 Nジマさん 77774 2009-05-12 04:31:50 miemie0722さん 77773 2009-05-12 04:26:43 218.42.*.* 77772 2009-05-12 04:25:53 熊の助9672さん 77771 2009-05-12 04:23:49 *.ucom.ne.jp 77770 2009-05-12 04:14:00 *.infoweb.ne.jp SARA-CERAさん ありがとうございますそして、こんな拙いブログを読んでくださっている皆様本当にありがとうございますちょうど一年前は15000アクセスぐらいだった ← 証拠はココあの時あんなに可愛いタイガー&ドラゴンも今ではこんなになっちゃって 最近は小憎らしい事をやってくれっちゃったりするブログを始めてこの2年の間にいろんな事があってどうしようもない時が多くて書く事ができない時も多かったそれでも続けてこられたのは読んで下さる方たちにいつも励まされていたからあまりに悲しみが深すぎてそこから抜け出ることなどもうできないと思っていたでも、ブログを書き続けていたら少しずつそこから前に進むことができた素敵な人たちの存在に助けられてきた3年目はもう始まっているその記念の日に 77777アクセスを踏んでいただけるなんていい事が起きる前兆かしら宝くじでも買ってみようかしらああ~~いかんいかん欲を張っちゃあいかんいかんマダムはそんな欲には溺れないものなのよーーーーーーーーってかブログランキングも気になるわ!ポチッとクリックお願いね。 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑ここを押して、あなたの1票お願いよ!
2009年05月12日
コメント(24)

久しぶりに映画を見に行った見たのは「余命一ケ月の花嫁」去年テレビで放映されたこの映画の元になったドキュメンタリーはどうしても見ることができなかったちょうど長女ちゃんが退院して7年間住んでいた小倉を離れ大分に帰ってきた頃だった退院する前、主治医の先生から「もうあまり長く頑張れないだろうから、今のうちに家族と一緒に過ごして、やりたい事や好きな事をさせてあげてください。」と、告げられていた確かに、長女ちゃんが激しい頭痛で倒れてそれが悪性の脳腫瘍であることやその腫瘍は手術をしても完全に取り除く事ができないことも放射線をしても、抗がん剤を使っても余命は一年ぐらいだとも言われていた抗がん剤も最初はうまく効いているような感じがしていたが長女ちゃんの場合、その抗がん剤との相性があまり良くなかったのか2クール目を終わって少し経った時外泊をしたのだがその外泊から帰って3日後の夜に急変し大きな痙攣発作を起こし、小さくなりかけていたと思っていた腫瘍がまたその悪の手を広げ出していたのだそれはちょうど、2クール目が終わって退院の話が出ていたまさにその時だったこの痙攣発作で長女ちゃんは一時的に左半身に麻痺が出て退院の話は消えてしまったのだった幸いにも左半身の麻痺は長女ちゃんの懸命のリハビリで10日も経たないうちにほとんどわからなくなったそして、5年目になっていた大好きな保育士の仕事には復帰は難しいということで2月末で辞めざるを得なくなったのだそれから、3月のお彼岸に外泊を利用して二人で温泉に泊まりに出かけた今になって思うのだけれどその時の温泉旅行は、長女ちゃんの私へのプレゼントだったのかもしれない3月の定期のMRIの検査が終わって告げられたのがもう、あまり長く頑張れないかもしれない・・・・・という言葉長女ちゃんには、このまま病院にいてもリハビリぐらいしかすることがないから通院でリハビリと抗がん剤の治療をしましょうと言うことにした二人で話して、小倉のアパートを引き払って大分に帰ることにしたのだが本当は長女ちゃんは小倉を離れたくなかったのだと思うそれは、長女ちゃんがいなくなった後、彼氏が「私が退院しても、家の事はほとんどできないし、私の面倒を見れないでしょ」と、言っていたと話していたもし、こんな病気にならなかったら長女ちゃんと彼氏は、一緒に住もうとまだ建築中だったアパートを借りようと決めていたのだそのアパートは退院にした時には既に入居が始まっていて私に「このアパートにしたかったんよ」と教えてくれたのだったちょうど一年前の事であるそんな事があって、『余命一ケ月の花嫁』のドキュメンタリーを私はどうしても見ることができなかった長女ちゃんがいなくなって、ある時書店で本になっているのを見たけれどその時も表紙の文字を見ただけで内容を見ることはできなかったただ、こうしてブログを続けていることでその内容がどういうものなのかを知ることはできたけれど余計にその話を詳しく知ることはできずにいただから、このお話が映画になった時見に行こうかどうしようかとかなり迷っていたけれど長女ちゃんのように病気と闘ってきたその証を見たいを思った映画を見ながら、その姿が長女ちゃんと重なって始まった途端に涙は止まらなかった映画の中にいるのは長女ちゃんだった入院中、彼氏が付き添いのベッドで寝ている姿は私だったいつも笑顔で話している姿は長女ちゃんだった余命を告げられた時、予後を週単位でと言われたそれも長女ちゃんと同じだった再入院した時の長女ちゃんもすでに脳全体に腫瘍が転移していて主治医に言われたのは「一週間持つかどうか・・・お盆は越えられないかもしれない、誕生日は迎えられない」手術をした後の検査で、余命1年と言われたことが現実になった瞬間だったそんな事を次々と思い出し、オーバーラップする息を引き取る瞬間も臨終を告げられた時も全く同じでまるで、9か月前の私達の姿がそこにあったその時、彼氏が長女ちゃんの手を握って声をあげて泣いていたのを思い出した『24歳6ヶ月で生涯を閉じるその瞬間まで、人を愛し、人に愛され、人を支え、人に支えられた長島千恵さん』それはまさに長女ちゃんそのものだったその瞬間まで生きていた2人は今頃向うの世界で知り合っているのかもしれない遺してきたこちらの愛する人たちを優しい思いでいつも見ていてくれているのだろうかとても辛かったけど、最後まで見ることができた自分の病気と向き合って頑張って闘った長女ちゃんはその日までちゃんと生きていた千恵さんが最後に流した涙を見ながら長女ちゃんが流した最後の涙を思い出したポチッとクリックして下さいな。 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こちらを押してもOKよ!
2009年05月11日
コメント(18)

タイガー&ドラゴンにいったい何が起きたのかっ! 世の中にはいろいろとあるさ まぁ お前も飲めよ 今日は無礼講だぜ ぐぐっと飲んで~!飲んでぇ~っ!! 酔っ払ったぜ~~~ぃっっ!!!じさまの部屋に隠してあったビールを見つけ出したタイガー&ドラゴンは何の罪もないぷーを仲間に引き入れてしまい酩酊状態となったぷーはデビルぷーになってしまったまた、ある日はスーパーカーサンリンを乗り回し おおお~い こっちだぜ~ やぁやぁ 待ってくれよ へ~いっ!呼んだかい おねいさん やがて花の天使となりぬるを・・・・・・ってか ポチッとクリックおしぬれば~! ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こちらを押すとよろしけれ!
2009年05月07日
コメント(18)

気がつけば、もうすぐ77777HITしかも、もうすぐブログ開設2周年うんうん、よく続いてる最近は更新も滞りがちで放置ブログと化してはいるがまぁ、マダムな私がやることだからこんなもの?あんなもの?そんなもの!誰が踏んでくれるのかしら 77777番目どなたかもし奇特にも踏んで下さった方にキリプレね『メッセージを送る』からお知らせ下さいねさてさて、今日はタイガー&ドラゴン主役、端午の節句、子供の日お嫁ちゃんがパートの仕事だったので、我が家でお祝いっつーことで、こんなものを作ってみた これはタイガー&ドラゴン用 こっちがおとな用押し寿司で作ってみた鯉のぼり桃の節句に長女ちゃんに作った雛祭りのお寿司も結構OKだったし鯉のぼり寿司はちゃんと美味しかったタイガー&ドラゴンには手作り揚げチキンボールとうずら卵を串でさしてみた二人にはどうも鯉のぼりよりチキンボールの方に興味があったようで長男くんとお嫁ちゃんがケーキを買ってきて もちろんタイガー&ドラゴンもがっつり食べていたしまぁ、何よりも一番喜んでいたのはじさまがプレゼントしたアンパンマンのボールのようで『る』をまだよく言えないタイガー&ドラゴンは「ボーボゥ」と言いながら大事に抱えて持って帰ったあまりたいしたことはできないけれど私とじさまにとって孫はこの二人だけで長女ちゃんが産んだかもしれない子供の分も一緒に毎年お祝いをしたいこんな風に可愛いイベントをするのが好きだった長女ちゃんもきっと喜んでくれているかもしれないそんな事を思っていたら涙が出てきた長女ちゃんに会いたいなぁと心の底から思う長女ちゃんのケータイのビデオに長女ちゃんの声が残っている退院してこちらに帰ってくる前に保育園に寄った時自分が受け持っていた園児の姿を撮りながら他の先生と笑いながら話しているかぶっていた帽子を取って、放射線で髪が抜けたことを説明している1年前タイガー&ドラゴンが初めてうちわを使った時その様子を撮りながら私と話しているその声を聞くと確かにまだ長女ちゃんが生きているのだ亡くなる一ケ月前の声はまだとても元気でいつもの長女ちゃんだ相変わらずの冷静にツッコミを入れたり、受け狙いの笑いを入れたりしている声を聞くと思いだして会いたくて涙が出てくるけれどこの声に私は勇気をもらっているのかもしれないと思うもし、この声がなかったら私はあまりの悲しみにとうに気が狂っていたかもしれない長女ちゃんが遺してくれた私への最後のいたわりなのかもしれない1人で起きている長い夜今夜も涙が止まらないポチッとクリックしてね。キリプレするわ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こちらを押してもOKよ!
2009年05月05日
コメント(26)

気がつきゃ5月になっていたもうすぐあれから一ケ月が来てしまうすでに記憶が薄れているような気がするそうでなくても、最近物覚えが悪いっちゅーのにどうしたもんかねぇっつーことで、かねてよりの備忘録備忘録が備忘録にならないかもしれないけど一応の備忘録『マダム花の東京~ディズニーランドへ行く』花の東京&ディズニーランドへ行ってきたよ報告 その2さて、4月6日の朝すっきり快晴いいお天気ホテルでの朝食バイキングでしっかり食べたのはもちろんのことホテルからバスでディズニーランドまで義妹ちゃんから渡されたパスポートを握りしめ長女ちゃんの写真を抱いて一緒に入場口へ月曜日で開園前だというのに既に長蛇の列パスポートを持っていてもこれなんだからパスポートをこれから買って入場する人はどの位時間がかかるのだろう…なんて事を思いながら並ぶ・並ぶ・並ぶ開園と同時にみんな走る・走る・走る私は義妹ちゃんと姪っ子ちゃんに置いて行かれないようについて行く何をどうしていいやら全く分からないおのぼりさん状態のマダムな私ショーを見るための座席の確保の為にまず並ぶ・並ぶ・並ぶ・・・・無事確保春休みのためかそりゃあもう凄い人・人・人の数ベビーカーもすげ~~~~んで、アトラクションなんだけれども残念ながら長女ちゃんの好きなプーさんのハニーハントはお休みファストパスを取れるところは取るそれもこれも義妹ちゃんがしゃんしゃんやってくれるショップに入って買い物もする可愛いものがたくさんあるものだから入るたびについ買ってしまう途中で、ミニーちゃんやらドナルドやらシンデレラやらと会って 一緒に写真を撮る・撮る・撮る気温も上がって、日差しも強くなって、日焼け・日焼け・日焼け 右を向いても左を見てもどこを向いてもここはディズニー ファストパスを取っても、並ぶ時間は結構長いすぐそこに見えているのに、ぐるぐるぐるぐる並ぶ・並ぶ・並ぶショップに入るたびにお買い上げ~で増える・増える・増える あまりの人の多さにアトラクションやショップから出て、ふっと気を許したら義妹ちゃんと姪っ子ちゃんが見えな~~~~いどこに行ったかわからな~~~い口を開けてあちこち見ていたら二人がいな~~~いこれはきっと迷子~~~???しまいには姪っ子ちゃんが遅れ気味の私を振り返る・振り返る・振り返るおのぼりさんと化してしまったマダムは迷子なマダムにもなってしまったで、途中でこんなこともしてみた 長女ちゃんとシンデレラ城写真の長女ちゃんの笑顔はいつもより輝いているみたいそういえば、開園前に並んでいる時から隣に長女ちゃんがいるような感じがしていたワクワクしている長女ちゃんがそこにいるような感じがしていたいつもはのんびり歩いていた長女ちゃんが一緒に走っているような感じがしていた長女ちゃんが楽しんでいる気持がすごく伝わって見える人が見たら、絶対に長女ちゃんが一緒にいたと思うそんなこんなで、いよいよ6時からのショーの始まり始まり夕方になって風が強くなって肌寒い昼間は暑くてもコートを持ってきてよかったぁ~ が・が・がっっっ!!!!いきなりの出来事、えええっっ~~の出来事勃発ショーが始まって15分、「強風のためショーを中止いたします」となこれからミッキー達が出てくるっちゅーのにっっ!!!!んが、行動の早い義妹ちゃんと姪っ子ちゃん素早く、アトラクションへGO!!慌ててついて行くおのぼりマダムな私エレクトリカルパレードまでにもたくさんのアトラクションへ 義妹ちゃんと姪っ子ちゃんはすぐに迷子になってしまう私に大変だったと思うでも最後の最後まで楽しかったディズニーどのアトラクション(注↓)も楽しい何回でも来たくなる気持ちがわかる32年ぐらい前、カリフォルニアのディズニーに行ったことがあるその当時はアメリカ以外にはディズニーランドは作らないと聞いたその時ディズニーランドでアメリカの大きさ広さを知ったそのディズニーランドがここにある。凄いなぁ~とホントに思ったホテルに帰って、お腹がすいたのでお夜食バイキングでしっかり補給いったい何を買ったのかとベッドに広げてみた 結構多い!姪っ子ちゃんが「おばちゃんお店に入るたびに買っていたねぇ」とな「た・確かに・・・うぃっしゅ!」これを全部スーツケースに入れなきゃならない入れてみれば、すんげ~重いしそれでもまだなんか買い足りないようなそんな感じ??長女ちゃんはずっと行きたがっていた多分、行くつもりだったと思うだから、行けないままだった長女ちゃんがかわいそうだった長女ちゃんの写真をずっと抱いたままあちこち回っているうちにいつの間にかそこに一緒にいるように話しかけていた今、仏壇の横にある長女ちゃんの写真たちと一緒にプーさんのぬいぐるみがいるこれを書いている長女ちゃんの部屋にもプーさんが増えたこの次はディズニーシーに行かなきゃ!長女ちゃんもきっと楽しみにしてる 注:ホーンテッドマンション・カリブの海賊・白雪姫と七人の小人・ イッツアスモールワールド・ウェスタンリバー鉄道・ジャングルクルーズ・ グランドサーキットレースウェイ・アストロブラスター・・・・・・・ だったと思うが、怪しいものだ 楽しい楽しいディズニーランド。ポチッとクリック OKよ。 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑こちらを押して、パレードへGO!
2009年05月01日
コメント(22)
全11件 (11件中 1-11件目)
1


