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ねぎ畑にも年の暮れがやってきました。空は何処までも青く澄んでいました。
2006年12月31日
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綺麗なモリオンです。産地はカザフスタン、池袋展でロシアブ-スより購入しました。今年は石三昧ばかりというよりは、旅日記風も多くなってしまいましたが、いつもお越しいただいて、大変ありがとうございました。来年もどうかよろしくお願い致します。
2006年12月30日
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これが世界一のタワ-か、その半分のタワ-か、ちょっと忘れてしまいましたが、とにかく高いタワ-です。(多分こちらは低い方)台北101といわれる、101階の建物は、まさに世界一のビル。、その前の世界一のマレ-シアのビルを抜かしての世界一のっぽビルです。でも良く聞くと、景色を展望するなら半分のビルのほうが良いそうです。101は市街地中心から少し外れていて、それにとにかく高すぎるんだそうです。日本の東京には地震が怖くて、とてもそんな高層ビルは立てられません。台湾も地震国ですが、台北はユ-ラシアプレ-ト側だから大丈夫という事なんでしょうか?そういっている矢先に、先日台湾で地震がありましたね。ビルの上にいて地震が起きると、東京での私の体験では、7階か9階での場合でしたが(記憶があいまい)、とてもユックリゆれていました。隣のビルを観ると地震だとわかりました。早く地上に降りたいと思いました。一方気が付かない人も結構いました。地上101階では一体どんな感じなんでしょうか?高所恐怖の私はとても上りたいとは思いません(^^;;;。
2006年12月30日
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非情城市で名高い、この町「きゅうふん」は、金鉱山の町から、観光地として復活しました。上の2枚のショットは、町のほんの一部に出来たいわばつくられた風景ですが、なぜか心の深奥を刺激する、不思議な風景です。休憩所でいただいた台湾茶に癒されました。・・・・・・・・・・・・・・・日清戦争に勝利してから、太平洋戦争に敗北するまでの50年間、日本は台湾を実質支配しました。その日本時代に金山が開発され、金鉱石の採掘、精錬が実際にこの地で行われていました。ここが日本が掘った最大の抗口(第8番抗)です。乗り継ぎのバス亭より観た海の景色。雨にかすんで、遠い昔が見え隠れしています。・・・・・・・・・・・・・・・PS:台湾映画「非情城市」は、1989年のベネチア映画祭で金獅子賞を獲得しました。以下映画の解説より引用します。---1945年、第二次世界大戦集結直後の台湾。とある港町で酒家を営む林一家は、中華民国から流入して台湾を統治する"外省人"の横暴に苦しめられていた。そんななか、耳の不自由な四男・文清は、仲間の思想家たちと新しい台湾のありかたを夢見ていた。心優しい看護婦の寛美と恋を育み、障害を抱えながらも幸せに暮らしていた文清だったが、1947年から始まった凄まじい弾圧が、台湾の民衆を苦しめはじめる。知識人をはじめとする"本省人"たちは次々と逮捕され、文清もまた追われる身となるのだが…。第二次世界大戦後の激動の台湾を舞台に、歴史に翻弄される一家の愛と悲しみを描いた年代記。---
2006年12月29日
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台北の円山大飯店=まるやまだいはんてん=エンシャンタ-ファンテンは、THE GRAND HOTELと言われるように格式が他のホテルと違う凄いホテルです。元の台湾神社の地に建てられ、迎賓館としてつかわれた歴史があります。無知とはおそろしいもので、写真で観たときには、建物の上に屋根がついてるなんて、変なデザインだな~と思っていましたが、間近で観て、びっくり仰天でした。宮殿そのものです。世界でも何本かの指に入る超一流ホテルです。2泊して朝バイキングだけでしたが、十分リッチな気分に浸れました。ホテルは泊まれたらそれでよい、安い方が良いと思っていましたが、一度位ならバチも当たらないかも。PS:12/16台湾南部で地震が発生。海底ケ-ブルが切断というニュ-スにちょっとドキッとしました。
2006年12月28日
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台湾旅報再開です。---夕食で同行の方からいただきました。横浜中華街からの古いお付き合いですが、最近は、とんとご無沙汰でした。本場の暖かな紹興酒は、なかなか美味でしたよ~♪でもこれで、咳がぶり返しました。咳は幸いにもコンビニ(7-11)で見つけた龍角散のど飴で何とかしのぎました。
2006年12月27日
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実際にこの目で拝見してびっくり!よくもここまで~(^^;;;。我家から約10KM。沢山見物人が来ていました。私達もその中にいました(^^)。個人で無償ですからね~TV取材もあったとか、納得です。
2006年12月26日
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高雄は台湾の南西部にある港町です。人口160万人、横浜のようなとても素敵な町です。台北は人口270万人、東京のような町です。その間を特急列車で4時間半かけて上りました。車窓の景色は、矢張り南国ですね、日本との違いを楽しみました。でも後1月程度で、台湾新幹線が開通します。日本の700系相当でかっこよい列車です。チラッとお姿も拝見出来ました。それにのると、1時間半に短縮されるそうです。
2006年12月25日
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スノ-マンでしょうか?まるでサンタクロ-スです。普段は無色ですが、リチウム電池で七色変化して、イブの夜を飾ります♪
2006年12月24日
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虎のうちから出る。奥の龍の口から入って、幸いを手にして、手前の虎の口から出て、災いから退避する。そういういわれを具現化した高雄市の蓮池譚にある建物です。約10台湾元(約40¥)を寄付として収めて中に入り、塔の上まで上って、降りて、虎の口の方から出てきます。私は疲れて汗をかきたくないので、上らずに出ました。とっても中国的な眺めで、台湾を代表する景色でもあります。
2006年12月24日
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高雄の町や港が一望できる丘の上に建てられた、戦争犠牲者の慰霊碑。その公園にあった岩です。ふとみると、それは珊瑚礁化石です。ベトナムのホ-チミンでも良く観ましたが、ここ高雄も珊瑚化石の多いところ。この珊瑚礁化石は、昔のユ-ラシア大陸東縁に形成された付加体です。高雄市は珊瑚礁化石(石灰岩)の上に出来た町のようです。実は台湾と中国大陸は台湾海峡を隔てていますが、フィリピン海プレ-トとユ-ラシアプレ-トとの衝突によって段々近づいています。遠い将来、台湾は中国と合体するでしょう。その時に中華人民共和国と中華民国はおそらく存在しないでしょうが。
2006年12月23日
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高雄で売っていました。皮は真っ黒けです。煎ってあるんでしょうか?皮をむくと、栗の実のような白い実が現れます。ちょっと他人様のを写真に撮らせていただきました。ひとついただき食べてみると、そう、栗に似ていて、なかなかおいしいです♪
2006年12月22日
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この食べ終わった果物、名前は中国語でバイシャンコウ。百の香の果物とかきます。高雄の翌朝、ホテルのバイキングでテ-ブルが同じだった台湾人に教えてもらいました。そう、パッションフル-ツですね。その名の通り、すばらしい香りが忘れられません。日本に帰国して、休みに探しましたが、夏に入荷するもので、今は無理とのこと。あ~高くても良いから、またあの香をもう一度♪
2006年12月21日
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太極拳でしょうか。高雄市内で夜市のあと、ホテルから近くを散策した時にやっていました。音楽にあわせて、ゆっくり踊るような、なかなか良い感じでした。
2006年12月20日
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台湾の国政選挙ポスタ-です。日本のようにサイズ制限がないようであり、建物全面に、このように大きな、垂れ幕のようなポスタ-を張っています。各候補者の番号が付されているのは、うまいやり方ですね。候補者が総じて若いという印象です。行った日が、選挙運動最後の日でした。うわさに聞いていたほど激しくはありませんでしたが、それでもあちらこちらから爆竹音が聞こえてきました。結果は野党の勝利だったようです。
2006年12月19日
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ベトナムもそうでしたが、ここ台湾もバイクがやたらと多いです。ガソリンスタンドまで、このようにバイクの行列でした。一方自転車がとっても少ないのです。そういえば、ガソリンのお値段、日本より安いようです。どうしてでしょう?
2006年12月18日
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高雄の夜市を見た後、バスでホテルに戻る途中にあったのが、この愛の河です。河口付近のゆったりとした流れと、岸辺から対岸のビル群の夜景や橋のネオン飾りがム-ドを盛り上げてくれます。ナイトクル-ズもやっていて、川岸には沢山のカップル達もいて、誰が言い出したのか、まさに愛の河ですね♪
2006年12月17日
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台北で有名なのが、この夜市。ここ高雄でもありました。高雄市は台湾第2の都市。人口160万の大都会です。沢山の人の波、波、波でした。夕食後で、ツア-見学コ-スのため、食べる時間はありませんでした。とってもおいしそうで、ヨダレが出まくってました。機会があれば、是非また来て、ゆっくり味わってみたいです。
2006年12月16日
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台湾のほぼ中央山間部に位置する湖、日月譚(にちげったん)は、英語では単純にサンム-ンレイク。譚は湖、池などを表わすのでそのままです。湖の形が丸い太陽の形=日と、三日月形=月が、合体した形になっているからだといわれます。その形も面白いですが、この湖の色、エメラルドですね~実に美しいです!そばにある文武廟(ぶんぶびょう)から撮影したのがこの写真です。実は湖の中央に小さく島が見えているのですが、その島、なんと1999年のあの大地震で島の高さが数米も沈下したのだそうです。そうです、ここはその大地震の震源地近傍です。
2006年12月15日
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逆断層地帯を過ぎてから見えてきました。これはまた一体どういう地形でしょうか?石灰岩地形でしょうか?地元の人は「月の世界」と呼んでいるそうです。あの大地震の震源地のかなり近くです。
2006年12月14日
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この写真は南から北をみています。地層が右斜め下に走っています。実は、この右側の地層、フィリピン海プレ-トの西縁部にくっついた付加体だろうと思います。普通は海溝部で発達する地層です。台湾では、フィリピン海プレ-トの西縁に乗っかっているルソン孤と呼ばれる部分が東部(海岸山脈部)を構成し、そこに西からユ-ラシアプレ-トが沈み込んでいます。つまり二つのプレ-トの沈み込み境界=海溝が陸地に出来上がっているような島です。付加体ならば堆積岩の集合ですが、奇岩をみていると、石灰岩がかなりしみこんでいるようにも思えます。西南部高雄ではあとで写真も載せますが、いたるところに珊瑚礁化石が転がっていました。
2006年12月13日
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台中市から、台湾の中央部にある日月譚という湖までバスで行きました。途中の風景はもう南国そのものです。台湾の中間部には北回帰線が走っていて、その南部は熱帯、北部も亜熱帯です。なんだか、昔の怪獣映画でモスラでもでてきそうな風景ですね。他にもブ-ゲンビリアの木、眠気覚ましで有名なビンロ-の木、台湾バナナもなっていました。温泉も多いそうですが、暖かいので、あまり人気はないそうです。
2006年12月12日
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台中市ではまず、宝覚寺という台湾にしては古いお寺にいきました。そこは巨大な布袋様のコンクリ-ト像があることで有名です。私達も写真を撮ってもらいました。その脇にひっそり立っていたのが、この慰霊塔。なんと第二次世界大戦の時に、日本兵として徴兵されて戦い、犠牲になった台湾人兵士の慰霊塔でした。そばには日本語の解説もありました。おもわず脱帽し、手を合わせました。台湾は親日で有名です。それは日清戦争後の日本支配時代に、インフラ整備をしたために、台湾の近代化に功績があったからですが、このような影の部分も忘れてはならないでしょう。それなのに親日であることのありがたさ、韓国も同じような経緯があるのに、全然対応が違うのは何故なんでしょうね。
2006年12月11日
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行く前には、ヤフ-の天気予報で、世界の天気を毎日眺めていました。週間予報になっていて、行く直前まで、晴なし、くもりと、曇り時々雨が半々というがっかりな予報でした。行程ではまず当日台北におりて、高速バスで台中まで行ってホテル泊です。写真はその翌朝の風景です。100万都市の眺めもいいですが、空をご覧ください。なんとみごとな晴ではありませんか♪結局その後の日月譚、高雄までは晴。台北に戻ると曇り、きゅうふんで雨、台北に戻って曇り、翌朝曇り+晴と、まあまあの天候に恵まれました。日月譚(湖)では、霧がかかることが多く、快晴はガイドさんもはじめてということでした。日ごろの善行の賜物でしょうか(笑)
2006年12月10日
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12/07風邪をかかえたまま台湾へ旅立ちました。雲を下に従えて、もっと高く~ですね!格安ツア-旅行なので、キャンセルするわけにも行かず、体調はベストにはできませんでしたが、熱がでなかったのが幸いでした。おかげさまで暖かい台湾、湿度もあって、半そでで十分でした。最高28度Cです。でもアルコ-ルを飲むと咳が出てきて、ビ-ルもあまり飲めない旅となりました。続く~
2006年12月09日
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まるで、鍾乳洞に入ったような不思議な景観ではないでしょうか?しかも、石灰岩ではなくて、瑪瑙(玉髄)なんです。なんだかエイリアンのようで、不気味でさえありますね。アリゾナ産だそうです。京都のクリスタルワ-ルド支店2階で5月に見つけました。お気に入りです。
2006年12月08日
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今年は、昨年同様に12月はじめに皇居と六義園に紅葉見物に行く予定でしたが、風邪のためにいけずでした。でも、会社の紅葉も綺麗です。まるでカ-ネリアン♪今日から11日までお出かけです。風邪がなおらないままになりましたが、何とか行ってきます。気分は「さすらい人の子守歌」♪
2006年12月07日
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☆今年も銀杏双樹の落葉シ-ンです。これで3年目です。今年は撮り遅れたので、殆ど落ちた後でした(^^;;;。西日がスポットライトのようです。毎年背が高くなり、とうとう今年は天辺まで写す事が出来なくなりました。
2006年12月06日
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京都展でも、手稲石はありませんかと京都展開催関係者などにも聞いてみたのですがだめでした。ところが、日本では第3番目の産地である和歌山県岩出町山崎という産地名のかかれた石英片がごろごろあるブ-スを見つけました。手稲という言葉の欠片もありませんでしたが、どうやら手稲石を探しに行って見つけた銅鉱物の付着した石英を売っているようでした。その石英を夢中で探したらひとつだけ、やや青い色の付着物がかすかについている物体を見つけました。99%違ってもいいからと買いました。「すこしだけ、夢を見させて手稲石♪」のしみ???ちなみに、日本新産=世界新産の原産地は札幌の手稲鉱山跡です。2番目は伊豆の河津鉱山跡です。銅とテルルが出会う必要があります。手稲石をもってる方が見たら、苦笑するでしょうね~ワッハッハ-
2006年12月05日
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昔は「かがりびばな」とよんだのだとか。この写真は、少しその名も分かります。片栗の花もそうですが、花弁の形に個性がありますね。冬の家を飾る貴重な彩花です。皆さんのお家にもきっと咲いているのではないでしょうか♪
2006年12月04日
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インドの玄武岩中にできた沸石同様の産状だと思います。水色と白が大変素敵です。この石を観ていると、瑪瑙の中に出来るチュ-ブやプル-ムなどが、このドゥル-ジ-の近縁では?と思えてきます。仏頭状瑪瑙のより進化したタイプとも思えてきます。もともとドゥル-ジ-そのものが、瑪瑙と石英の中間体ですから。ここには白い橋が出来ています。もこもこの芸術ですね!白いワイヤ-状の曲線まであります。それにしても、さわやかな水色です。着色の理由が知りたいですね。
2006年12月03日
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真白な大理石のような物体、マグネサイトだそうです。その上に結晶した色違いの鉱物。たしかウバイトだと思いました。堀さんのセ-ルで気に入ったのですが、予算オ-バ-で買えませんでした。ところが、しばらくして、丸甲さんのところで偶然見つけました。かわいらしくぽちっとついた一粒種。自然は面白いですね♪拡大すると、ピントがボケですが透明で綺麗です。おっと、ウバイトって灰電気石のことです。堀さんの図鑑2(p164)にも出ています。
2006年12月02日
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青いペンギンが我家にいます。それも二匹♪周りの沢山の石達といつも遊んでいます。ちょっと化石が目に付きますね~♪
2006年12月01日
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