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19日の朝は快晴で、見晴らしも素晴らしかったです。午前8時に撮影。左下の見えるのが富士山です。拡大して見てみると・・・見事に雪化粧しておりました。イギリス巨石めぐりの旅のブログは、今しばらくお待ちください。
2012.10.19
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私は今まで、占いを全く信じていませんでした。あんな非科学的なもの、当たるわけない、どうせ当たるも八卦でしょ、ぐらいにしか思っていないかったんですね、少なくとも今年の4月ごろまでは。ところが、偶然は神であり、偶然律(たとえば、異常な事態が起きる時にはぞろ目など普段ではありえない数字の羅列が現れる)というものが存在すると仮定した場合、占いも非常に大きな意味を持ってくるということが、最近わかってきたんですね。すると、およそ二年前だったでしょうか、伊豆半島の下田に行くその日の朝、目覚めた瞬間にやってきたイメージである「山」と「37」の意味もようやく判明して、驚くことになります。ムーの記事でも触れたと思いますが、同じ日に伊豆に向かう電車の中でも半覚醒状態でマージャン牌の3ピンと7ピンを見ています。それは、朝見た37は3と7であり、マージャン牌は占いであることを示すためのシンボルだったことがわかるんですね(当時はその意味がまったく謎でした)。秋山氏の『願望実現のためのシンボル超活用法』と易経の本を読めば、3は火で7は山、それを順番をひっくり返して山火として、山火賁が導き出されます。それによって、私たちが巫女的能力(直観)と審神者(知識)の助けを得て発見した利島、寝姿山、下田富士、山岡町ピラミッド巨石群を結ぶラインと、鵜渡根島、寝姿山、下田富士、笠置山ピラミッド石群を結んだラインがほぼ夏至の日の日没ラインであり、まさに山火賁の風景がそこにあることに気づきます。山火賁とは夕陽に山が照らし出される美しい風景のことですね。つまり夏至の日の夕方、ピラミッド石のある笠置山や山岡町の巨石群(あるいはその上空)から夕暮れによって延びる影のラインに沿って東の彼方を望めば、下田富士、寝姿山、鵜渡根島、利島といったピラミッド型の山々と島々がほぼ一直線上に並び、同時刻にすべてが綺麗に夕陽に染まっていくのを見ることができるのです。このようにして、直観と知識で発見されたラインに意味があることが、占いによっても裏付けられるわけです。占いとは「裏をなう」「裏をなす」ことだと秋山氏は言います。つまり記者用語でいえば「裏を取る」ことでもあります(もちろん新聞記者は占いで裏を取ることはありませんが、精神世界では「それもあり」ということですね)。巫女的な能力(直観)や審神者(科学的知識や知恵)だけでは、十分ではなく、まさに占い(裏をなす)ことによって、直観(天からのメッセージ)がより客観性をもつことになる。直観のメッセージの本当の意味を知るわけです。巫女と審神者と占いはそれぞれが関連しあっており、どれ一つに偏重してもうまくいかないことを暗示しているようでもあります。つまり、どれか一つを絶対視してはいけないし、どれかを無視してもいけない。占い原理主義にも、審神者原理主義にも、巫女原理主義にも陥ってはいけないという戒めも込められているようです。私はこれまで占いをほとんど認めていませんでしたが、裏をなす手段として、これからは活用していこうと思っています。一段落したら、イギリス巨石めぐりの旅のブログを再開するつもりです。いましばらくお待ちください。
2012.10.06
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