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今日は、朝から川端商店街に行き、友禅和紙の専門店へ。 その時ちょうど、今日の午後にイギリスに帰るという若い男の人と一緒になりました。 私が5枚選んで、包んでもらっている間、その方は、どれをお土産にしようかと、熱心に和紙を見ていて、買い終わった私が、「どれも綺麗ですねー。全部買いたくなりますねー。」と話しかけると、「本当に。だけど、飛行機に乗るので、全部買ったらアブナイ。」ですって!! 盗まれるかも、ということなのかしら。それとも、シワシワになってしまうということなのかなぁ。 私は和綴じ本の表紙に使うキラキラした友禅和紙を買いましたが、その方は、ぼかし染めの美しい和紙を見ていらっしゃいましたよ。 良いお土産になったことでしょう。 その後、私は天神の方に向かい、ジュンク堂へ。 この間から気になっていた、「写仏」の本を見に行ったのです。 5種類ほど置いてあった中から、一冊を選んで購入。 本の上に薄紙をのせて写す方式だったので、地下1階の丸善に行き、B5とA4のトレーシングペーパーも購入。 それで、さっそくやってみました。 初めに描いたのが、これ。 釈迦如来のご尊顔 二枚目に描いたのは、こちらで、施無畏・与願印の釈迦如来です。 本の初めのほうに、写仏の意義が書いてありました。 この中で、私の場合は一番目と二番目かな。 写経と同じことなので、真剣に書いてみましたよ。 今回買った本には、仏様の持ち物やしぐさの意味も詳しく書いてあり、次にお寺に行った時には、また違った見方ができそうです。
2016.04.30
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今日はとてもお天気が良いですね。母がプールに行ったすきに、庭に出てのんびり写真撮影。 紫色の都忘れが、満開です。 ふと気づくと、私の後方から蝶がやってきました。 アオスジアゲハですね。オスかメスか、模様だけではわからないので、あとで、パソコン画面で調べました。これは、腹部が短くて、先がとがっているので、雌ではないかと思います。 私は白いつば広の日よけ帽子をかぶっていましたので、蝶からは、見えにくかったのかもしれませんね。 私と蝶との距離は、1.5mくらい ふだんなら、あっという間に飛び去ってしまうので、 せいぜい、2、3枚しか写真が撮れないのに、今日は、ずっと都忘れのところで、モデルをやってくれています。 あら、飛んだ・・・ と思ったら、今度は隣の都忘れのかたまりに。 3分間くらいしたら、飛んでいきましたよ。 今度は、西側の甘夏の方へ行ってみました。 花数がだいぶ増えてきています。写真を撮ったあとで、右下の花の中に、小さなクモを発見。 もう一度、寄って撮りました。 これは、ハナグモですね。 ここに、紹介されていますよ。 青空をバックに、若々しい咲いたばかりの花を激写。 すると、なんとそこにまた、アオスジアゲハがやってきました。 その後、私のすぐ横の枝の先の花にやってきました。 私との距離は、1mほど。 やっぱり、白い帽子をかぶっていると、私の姿が見えにくいのでしょうかね。 写真を撮っていた時には気づかなかったのだけど、パソコンのモニターでよくよく見たら、アオスジアゲハって、脚も青いんですね。 知りませんでした!!! 今度は、2分間ほど、一緒でしたよ。 アオスジアゲハが飛んでいったあとは、今度は、アゲハ蝶がやってきました。 キアゲハとナミアゲハは見分けにくいのだけど、あとで、確認したら、これはナミアゲハのようです。 ナミアゲハの幼虫は、ミカン科の植物の葉を食べますから、そのうち、卵を産みにくることでしょう。 では、おまけ。 こんなに可愛いのに、母の天敵なんですよ。 ハタケニラ。 私としては増やしたいのだけど、農業をする人にとっては、「強害草」らしいです。 それから、これは昼咲き月見草の一番花。 赤いラインの入ったつぼみの皮が、とってもキュートです。 今日の最後は、このお花。 これはだいぶ前に、母の日のプレゼントとして、取り寄せたもの。 今、我が家の庭は、ピンクや紫の花がいっぱいです。
2016.04.29
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昨日紹介していた高野切の三種類の筆跡です。 右から、第一種(一番えらい人)第二種(個性的)第三種(若手、のびやか) 今回私は、この中の、一番左の、第三種を練習することにしました。 例として載せたのは、すべて紀貫之の和歌。 右は、古今集の2番目の歌で、袖ひじて むすびし水の凍れるを 春かた今日の風やとくらむ(暑い夏に袖をぬらしてすくった水が、冬の寒さで凍っていたが、それを、春になった今日、風がとかすだろうか) 真ん中は、256番の歌で 秋風の 吹きにし日より音羽山 峰の梢も色づきにけり (秋風の吹いたその日から、音羽山の峰の梢も色づきはじめただろうか) なんか、そのまんまですねー。 左は、 980番の歌で思ひやる越の白峯の知らねども ひと夜も夢に越えぬ夜ぞなき (あなたのいる越の国の白山の様子は知りませんが、ひと夜も夢でそれを越さない日はありません。いつも、あなたのことを思っています。) 越の国とは、後の越前、越中、越後などのこと。 遠方に住む知人への見舞の気持ちを表した歌だそうです。 お習字的に言えば、筆使いを学び、そっくりに書けることがとても大事なことになるのでしょうけれど、私は、つねに、その歌がどんな場面でどんな気持ちをこめて歌われたのかを知っておきたいです。 そして、その和歌にぴったりの料紙を選び、その歌の作者の気持ちを考えながら書きたいと思っています。 ときどき、たった一つの和歌から、どんどん寄り道してしまい、王朝文化や、当時の物の考え方、事件などを調べて、手がとまってしまうことも、よくあること。 でも、それが楽しいです。 名前だけ知っていた僧正遍昭と素性法師が実は親子だったのは、びっくりだったし。僧正遍昭が、じつは深草の少将のモデルになった色男だったとか、面白くてたまりません。 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ という百人一首の歌が、急に好きになっちゃいました。 あ、また脱線してしまいそうなので、ここらで軌道修正。 今日は、昨日行った植物園のお花の続きを紹介するつもりだったの。 では行きます。 まずは、入ってすぐに見つけた真っ白の花。 あれなんだったっけ? と思ったら、ナンジャモンジャでした。正式には、ヒトツバタゴ(一つ葉田子) ヒトツバタゴがあるのなら、タゴもあるはず・・・と思ったら、ありました!!田子というのは、トネリコの木のことで、トネリコは葉っぱが複葉で、この木は単葉だからだそうです。 くわしく知りたい方は、こちらをどうぞ。 ここで書くとややこしくなるので、省略させていただきます。 これは後で調べてわかったことなので、写真を撮ったときには、よく見てなかった!!残念。 では、次に行きますね。 このカマツカという木は、鎌の柄に使われる木で、別名がなんと、「牛殺し」 えぇっ、牛を殺すのに使っていたの?? と思ったら違いました。 牛が角をこの枝の間に入れてしまうと、抜けなくなってしまうほど この木の枝が強靭だ、ということでの命名らしいです。 ほっ!! カマツカの反対側をふと見たら、あら可愛い。 タニウツギが咲いていました。 いつも通る場所なのですが、花の無い時期は、見過ごしていました。 これからは、空木のシーズンですものね。 その隣には、ツクバネウツギ。 こちらの方が、少し花が大きいです。 柵ごしに撮りました。 ツクバネとは、羽根つき遊びの「つくばね」に、実が似ているから。 実ができた頃に、また写真を撮ることにします。 花びらがキラキラしていて、綺麗でした。 それと、もう一つ、ピンクのお花。 ものすごーーく大きな木に、ピンクのお花がいっぱい咲いていました。 何、これ??と思ったら、目の前の低い枝に名札がぶら下げてありましよ。 西側のトチノキには、白いお花が咲いていましたが、これは、紅花のトチノキなのだそうです。 今まで、見たことがありませんでした。 何度も通っている場所なのにね。 彩りが、とても可愛らしい。 夢見る少女の雰囲気で、撮ってみました。 家に帰って、よくよく見たら、 花びらの表面に、いっぱい何かついています。カノコユリについている突起と少し似ています。 この時、実体顕微鏡を持っていっていたら、もっとよく見ることができたでしょうに、残念でした。 この部分には、人生が・・・ 下は、咲いたばかりの若いおしべ。(まだ花粉を出していません)右は、今がさかりの花粉を出しているおしべ。そして、左上は、もう役目を終えて、黒くしなびたおしべ。 この花の房の中に、雄花と雌花が混在しているそうですが、たくさん撮ってきた写真を見ても、よくわかりませんでした。 これ全部があのトチノミになったらすごいことになりますものね。 来週あたり、バラまつりに行くつもりなので、まだ咲いていたら、見てみたいです。 さて、では今から、高野切のおけいこの続きをしますね。
2016.04.27
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高野切というのは、とても有名な古筆のお手本です。 もちろん、お手本用に書かれたものではなくて、平安時代の後期、11世紀に書かれた「古今和歌集」の写本の一つです。 古今和歌集は、和歌が1100種くらいありますが、現存する高野切には、そんなにたくさんは載っていません。 室町時代以降、元々巻物とか冊子本だった和歌集などを、鑑賞用に切断し、 掛け軸や手鑑(てかがみ)にされていました。 そのうち、高野山に伝わっていたものを「高野切」と呼び、その見事な書風は仮名書道の最高峰と言われているものです。 書いた人は、紀貫之と伝承されていますが、筆跡を研究したら、三種類あることがわかり、それで、第一種、第二種、第三種と呼び分けられています。 昨年は、この三冊を買って、大胆にも、すべての臨書を、やっています。 こんな感じで、白いノートに和紙を貼って、書いていました。 今回は、ちょっとグレードアップして、粘葉本みたいに製本した半懐紙版の料紙ノートに、ほとんど原寸大でおけいこしていますよ。 そして、せっかくなので、横に仮名をふり、和歌の意味も小さく左側に書きました。 昨年は、とにかく一回、全部書いてみることが目的だったけど、今年は、とにかくそっくりに書くことが目的。 それで、3回から4回ずつ、同じ物を書いています。 お手本を一行ずつ折って、すぐ横に置いて見ながら書くのに、なかなか、同じようにはいきません。 とにかく、文字の大きさから、墨の濃さ、かすれ具合まで、本物とそっくりになるように書くの。 ひとまず、それをとことんやって、筆使いを身に着けるのですね。 今は、3、4回くらいで先に進んでいますが、それが終わったら、今度は、どれかページを決めて、お手本を見なくても、本物そっくりに書けるまで、何回も何回も、お稽古する予定です。 まずは、一つのお手本を三年間練習する、というのが基本だそうです。 私は、高野切第三種を練習することに決めたので、和綴じノートを作っては、どんどん書いていこうと思います。 さて、実は今日、福岡市の植物園に行ってきました。 緑色の桜、御衣黄と欝金がどうなったか、見に行ったのです。 だけど・・・・ 残念、ほとんどが散ってしまっていました。 先週の初めくらいに来たほうが良かったようですね。 だけど、なんか地震のことで頭がいっぱいになり、植物園に行くことなんて、思いつかなかったのですよ。 今週末から、春のバラまつりが始まります。 今日は、まだまだほんの一部のバラしか咲いていませんでしたから、来週くらいに行こうかな。 では、植物園の中で、毎年楽しみにしている花の一つ、ユリノキをご紹介。 手がとどく高さの枝の花は、もう散っていたので、上の方の花の写真ばかりです。 この葉っぱの形から、「ハンテンボク」とも呼ばれています。 つぼみの時の皮が、下に下がっていますね。 右下のが、皮をかぶったつぼみ。左上は、まだ咲いたばかりのお花。 おやっ?? このユリノキの花の、オレンジ色のあたりから蜜が出ているらしく、花を傾けると、けっこうたくさんの量の蜜が飲めるそうですよ。 でも、高い枝の花ばかりでしたので、それは、断念。お花を傷めたらいけませんしね。 このスズメバチ君も、ユリノキの蜜を吸いにきたのかな? メープルのような、さわやかな蜜だそうです。 楽天で売ってないかなぁ・・・と思って、検索したら、 茨城県古河市のふるさと納税の返礼品として、載っていました。 1万円納税したら、「 ユリノキ」「アカシア」「アカメガシワ」「エゴの花」の、四種の蜜が届くそうですよ。(古河養蜂場から) うーーーむ、 心が動いてしまいそう。 だけど、実は私、蜂蜜は子どもの頃から苦手なのよねー。 甘すぎて、身震いがするのでした。 残念!!
2016.04.26
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お正月に、娘に大量の装身具をあげたのですが、それでも、まだまだたくさん残っています。 それは、指輪。 私は結婚前は8号サイズくらいだったのに、一人産むごとに、じわじわと指が太くなり、12号くらいになりました。 それが三人目の子ども(次男坊)を産んでからは、体質が変わってしまって、指輪をし続けるとかぶれるように。 それで、お気に入りの指輪だけを15号くらいに大きくして、両手どこにでもはめられるようにしました。 仕事をしている時は、あまり派手なものを身に着けられなかったので、退職後、「今日はどれにしよっかなー?」と楽しんでいますよ。 だけど、指輪はまだまだたくさん。 そのうち、石の大きい物を、今回ペンダントトップに作り替えました。 私は三月生まれなので、誕生石は、サンゴとアクアマリンとブラッドストーン。ブラッドストーンは、装身具には不向きなので、結婚前には、旦那から、珊瑚の指輪をもらいました。 一番右のYの字の形をした指輪は、もらった瞬間、あまりのインパクトに、絶句したもの。とうとう、一度も身に着けて外出することはありませんでした。 その後、婚約指輪として、博多駅のサンゴ屋さんで買ってもらった丸い玉のサンゴの指輪は、けっこう使いました。 真ん中のアクアマリンは、自分で買った誕生石の指輪。 あこがれのブラックオパールとか、立爪ダイヤ、V字ダイヤなどは、旦那には、値段を秘密にしているもの。ボーナスで買いました。 子どもたちがまだ小さかったので、指輪でおしゃれしていたんですね。 どれも12号サイズだったのですが、娘にあげるとなると、みんなゆるゆる。 娘は7号サイズくらいなんです。 というわけで、指輪屋さんに持って行って、ペンダントトップに。 加工料がかかりますが、指輪のリング部分を買い取ってもらえるので、チェーン代と合わせてだいたい、同じくらいです。 真ん中の四つは、チェーンを買わず、作るだけだったので、お店で受け取る時に、現金をもらってきたんですよ。 プラチナや金は、その日の相場で、その場で計って買い取り。 3万円くらい、もらってきました。 これで、サイズを気にせず、娘が身に着けて楽しむことでしょう。 それでもまだたくさん指輪が残っているのですけれど、それは、娘にどうするか、まかせることにします。 お正月に、すでに持っていった指輪があったのですが、それは、もうサイズ直しをしてもらったらしいですよ。 プラチナや18金の物は、いつまでも変色しないし、今回のように、作りなおしてもらうこともできるので、結局は、お得だということかもしれません。 では、このへんで、お庭の花の写真を!! これは、昨日、一つだけ咲いていた花。 甘夏の花です。 今日は、もっと咲いていることでしょう。 次は、来週あたり咲きそうな、芍薬。 去年は、花数が少なかったのですが、今年は、数えてみたら、16個つぼみがあります。全部咲いたら、すごいことになりそうですね。 それから、これは、おまんじゅうのようになったツツジ。 下の方に、もうひとかたまりあるのですが、そちらは、もう茶色に変色してきています。 上の方は、まだまだきれい。 それから、今どんどん花数が増えていっている都忘れ。 庭のあちこちに、このような集団があります。 小人さんたちも、嬉しそうです。 こちらは、花ではなくて、姫沙羅の若葉。 今年もたくさん、花をつけてくれるかどうか、ここを通るたびに、つぼみ探しをしています。 これは、昨年の6月7日に咲いていた姫沙羅の花。 今年も、待ってるよ~~
2016.04.25
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蔵王堂とその周辺の吉野宮跡などを十分に散策した後は、参道を通りながら、お土産の下見をして、 左の谷側にあった「吉水神社」に行きました。 ここは、明治時代に、吉水院というお寺の建物から、神社になって、存続してきたところ。 漢字パズルに「一目千本」という熟語が出てくることがあったけどここの景色のことだったのですね。 ここは、なんと、写真を撮ってもよい場所。珍しいですね。 すぐそばで見ることができました。(ただし、これは、秀吉さんが修復されたものだろうとのこと。) 後醍醐天皇のご宸筆(しんぴつ)もありました。後醍醐天皇って、ものすごーく達筆だったのですね。 この展示品を見たときは、びっくり。 あの、蝉丸の琵琶の本物です。後醍醐天皇が吉野にこられたときに、もってきたものだとか。 琵琶の名手であった蝉丸の元に、同じく笛や箏、琵琶などの名手だった源博雅さんが、 なんと三年間通い続けて、ようやく秘曲を伝授された話は、今昔物語集にも、出てきます。 現代語訳は、こちら。 他にも、達筆の古文書がたくさん。このくらい美しく書けるといいな・・・・ こんなお手紙もありました。 上が助さんこと佐々介三郎さんからのお手紙。下が、水戸光圀公からのお礼状。 こんなお宝も、展示されていましたよ。 触ろうとすれば、すぐに触れそう・・・ 義経と静御前が隠れていた部屋なども見てから、出ました。 帰ろうとしたら、こんな掲示物を見つけましたよ。 「りんぴょうとうしゃ、かいじんれつざいぜん!!」 昔、子どもたちが小さかった頃に見ていたアニメで、よく、この早九字護身法 を唱えるシーンがあったような・・・・ さて、元の参道に戻ってから、次の目的地に向かいます。 京都に戻れぬまま亡くなった後醍醐天皇の御陵があるところ。 如意輪寺です。 ただし、遠い。せっかく高いところに登っているのに、一旦、谷底まで下っていって、あちら側の山に登るの。 すれ違う人たち、皆と声をかけ合います。 ようやく、着きました。 この日の天気予報では、夕方から雨。 吉野山では、五時間の自由散策時間がとってあったので、ゆっくり見学したり、お土産を買ったりすることができました。 お土産を買って、もう一度金峯山寺に行って、バスに戻ったところで、雨が パラッパラッ・・・ 大阪に着いた頃は、雨がやんでいたので、とうとう、雨具は使わずにすみました。 一人参加の仲間の人たちとも、いっぱいおしゃべりしたし、 今回の奈良旅行も、とても素敵なツアーになりました。 次のツアー予定は、6月に隠岐の島四島をめぐる旅ですよ。 楽しみです。
2016.04.24
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奈良旅行の二日目のお話です。 朝の8時10分にホテルを出発したので、吉野山についたのはまだ朝のうち。 それで、バスの駐車場も、参道も、人が少な目で良かったです。 桜が赤っぽいですね。これは、花びらが落ちて、紅くなった軸の部分が目立っているから。これはこれで、美しかった。 八重や、枝垂れは、満開。 まずは、今回の旅の一番の目的地、金峯山(きんぷせん)寺へ 仁王門が工事中だったのは残念!! ネットで覆われた仁王様たちも、お疲れ気味。 バスの中で、団体割引券を購入していたので、すぐに蔵王堂へ 蔵王堂の中は、撮影禁止ですので、写真がありません。 すみません。 券をちぎっていただくと、靴用のエコバッグとお札が渡され、中へ進みます。 まだ人が少なかったので、青い御本尊 秘仏「蔵王権現」をゆっくりと参拝させていただくことができましたよ。 大きくて、ダイナミックで、色彩がすばらしくて、5分くらい、見とれていました。 奥の方に他の仏様もいらっしゃるということで、そちらの方の入り口に入ると、「発露の間」が・・・・。 全く予備知識がなかったのですが、そこにいらっしゃった方から、「ここは、おひとりだけで仏様とお話できる場所です。他の人には聞こえませんので、どうぞ、安心して仏様にこれまでのことや、これからのこと、お祈りされてください。」 と、言われ、障子で囲まれた、畳半畳くらいの空間に入りました。 そこに座ると、本当にすぐ目の前に蔵王権現様がいらっしゃいます。 どうお伝えしたら良いかわからないのですけれど、今までの人生でのことなどを感謝する言葉とか、至らなかったことをおわびする言葉とか、いろいろお話しているうちに、突然、涙が出てきてしまったんです。 不思議でした。 熱心な仏教徒ではなく、修験道に興味を持っていたわけでもないのに、この青い仏様の前で、一人でお話させていただいているうちに、 なぜか、感動が湧きあがってきたんです。 初めての体験でした。 それから、たくさんの仏様を拝んで、法話の間でビデオを見て、それからもう一度蔵王権現様を拝んで、外に出ましたよ。あ、出るときに、お下がりのお餅も頂きました。(これは、母へのお土産にしました) さて、蔵王堂から出ると、いろんな建物があります。 ここは愛染堂。 立派な威徳天満宮 久富大明神など、 境内には、鳥居もいっぱい。 それから、「脳天大神」もありました。 ネットで検索すると、頭を割られた大蛇が祀られているのですが、これは、蔵王大権現の変化とされているようです。 急な石段を下ると、 こんな建物が見えます。 ここは、トイレの建物ですが、 「吉野朝宮跡」 と、表示されていましたよ。 吉野は、修験道の聖域ですが、 南北朝時代に、後醍醐天皇が南朝政権を置いた場所としても、有名ですね。 後醍醐天皇は、中継ぎの天皇として即位したため、自分の子どもには皇位を継がせられないことになっていて、それが、鎌倉幕府への反感の元にもなっていたそうですよ。 一度、倒幕計画が発覚し、比叡山に頼ろうとして失敗。そして、捕えられて、隠岐の島に流されました。 ここで、後醍醐天皇は名和一族を頼って、隠岐の島を脱出。 そして、今の鳥取県で挙兵しました。 この後醍醐天皇軍を追討するために鎌倉幕府から派遣されてきた足利高氏(尊氏)が天皇の味方について叛乱を起こし、 鎌倉幕府の重要機関であった、六波羅探題を消滅させました。 ※探題というのは、警察と裁判所を兼ねたような機関です。 六波羅にあった平清盛邸を改築して役所にしたので、六波羅探題と呼ばれたのだそうです。 この後、後醍醐天皇の独裁「建武の新政」がすすむにつれ、天皇と尊氏の関係が悪化していき、 いろいろあった後、後醍醐天皇は捕虜にされたのですが、そこから脱出して、この吉野で、南朝を開いたというわけ。 後醍醐天皇の人生は、本当にドラマチックですね。 その南朝で、天皇の行宮として定められていたのが、金峯山寺横の 「金輪王寺」 今は、公園と、金峯山寺の妙法殿になっています。 その公園で、良いものを見つけました。わかりますか? 記念撮影です。 実は、吉野山をいろいろ巡った後、帰りにまた金峯山寺に。 もう一回入りたいな・・・と思って、入場券の半券の裏を見てみると、 「再入堂の際は必ずこの半券と靴袋を受付にご提示ください。」という一文が。それに、有効期間が、表記ご開帳期間となっています。 一度入った人は、何度でも拝観できるということなんですね。 びっくりしました。 朝と違って、午後でしたので、お参りの人がたくさん。入り口で半券と靴袋のエコバッグを見せて、また中へ。 見事な青い仏様たちをしっかりと拝み、拝観順路にしたがって、右の入り口へ進みました。 今度は、「発露の間」のところにたくさんの人が並んでいたので、そこは素通りして、奥の仏様たちをまた拝んでまわります。 ぐるっと回って、出口近くに行くと、反対側の「発露の間」には、人が並んでいません。 ありがたい!! と、また入らせていただきました。 なぜでしょうねー。もう一度拝んでいるうちに、また涙が・・・・ この小さな空間には、何か力がありそうです。 二度も入らせていただいたので、出口の授与所で、この本を買ってきました。 表紙に、蔵王権現の写真がついていたからです。 修験道の修行のことや、金峯山寺のこと、吉野山のことなどが、詳しく書かれていました。 その中に、三体の仏様の写真も。 真ん中の仏様は、7.28m。 下の写真で、お坊さん方が座ってらっしゃるところに、「発露の間」が設置されていたんです。 仏様の真下・・・ 奥の方には、このような、彩色されていない蔵王権現像も。 これは、巻末に綴じ込まれていた写仏用紙。 あれ、なんか、左右が逆になってる・・・と思ったら、 このまま塗り絵するのではなく、裏返して、まず仏様を線で描き、それから彩色するらしい。 写経はしたことがありますが、写仏の経験はありません。 調べてみたら、なぞって書くだけで、心が安らぐらしいです。本も、たくさん出版されていました。 行として、お寺で行う写仏だけでなく、自宅で心を落ち着けるために書く写仏も、今、静かなブームになっているそうですね。 なんだか、この紙に直接書くのはもったいないような気がします。 どうしよう・・・ というわけで、次に行った「吉水神社」からは、次の日記に書きますね。
2016.04.20
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奈良のお花見ツアーについて、熱く語っているうちに、我が家の庭は、どんどん花が咲いて、とてもきれいになりました。 それで、今日はちょっと一息ついて、お花の紹介をします。 まずはオダマキ。もう花が終わって、実ができてきました。 オダマキって、初めは下向きに咲くけれど、だんだん、顔を上げてくるのです。 それから、ツツジがどんどん咲いてきました。 うちにあるのは、ピンクと赤と白と淡いオレンジ、そして、濃いピンク色と、いろいろ交じったもの。 この可愛いピンクのツツジは、娘のお気に入り。 一つの木なのですが、 濃淡が、いろいろ 首筋も、初々しい。 横顔は、可憐。 ほら、淡い色の中に、ちょっと濃い色の花が・・・ ぐぐっと寄って、 更に寄ったら、光が透けて花びらがキラキラ・・・ 赤いツツジも、真っ盛り。 この写真、後で見て気づいたの。 四枚花びらの物があった!!! さっそく、ゲット!!! また庭に出ました。 観察した後は、ちゃんと水に浮かべて、洗面所に置きました。 あと、今どんどん咲きつつある花は、 では、最後に、こんな物をご紹介。 これは、吉野山のお土産店で買った、コーヒー味の葛湯。 飲むというより、食べる感じですね。 さて、ここからは別のお話。 今日は、オカリナサークルの日でした。 集まったら、皆地震の話でワイワイ。 みなさん、寝不足だったようです。 いつも隣に座る方は、お孫さんが熊本大学に通ってらっしゃるとかで、車で、熊本までお迎えに行ったそうですよ。 九州自動車道が不通になっているので、ものすごーく渋滞している初めての道を、がんばって、行ったそうです。 それから、日曜日の夜に、うちの地域の懇親会があったのですが、その時に、最近越してきた家の奥さんが、南阿蘇の出身で、一回目の地震の後、里に帰ろうとしたけど、行けなかったとか。 そしたら、次の日の地震で、実家がつぶれて、いつも自分が寝ていた部屋がぺちゃんこになったらしいです。 行ってなくて、良かったですね。 (実家の皆さんは、無事だったそうです。) 私の従兄夫婦も熊本城のすぐ近くに住んでいますし、今回の地震は、本当に、他人事ではありません。 今日も、ちょっと揺れました。 いつまで続くのかなぁ。 東日本の方も、まだ元の町に戻れないままの人がいっぱい。もうあきらめて、別の町に住むことにした人もいらっしゃいます。 一回の災害で、こんなにも大勢の人が苦しむことになるなんて・・・ 本当に怖いです。
2016.04.19
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石舞台古墳の後は、一日目の最後の訪問地、石上神宮です。 ここは、非常に歴史が古く、『古事記』や『日本書紀』にもその名が出てきます。 古事記では、「神武東征」のところに、熊野で 難に遭った天皇を救うため、建御雷神が剣を降された・・というお話の中で、「この刀は石上神宮に座す」と、書かれているそうですよ。 わかりやすく書くと、神武天皇が、熊野に上陸した後で、土地の女賊を殺したところ、熊野の神様の毒気に当たって、 動けなくなってしまった。その時、熊野の高倉下という男の人の夢枕に建御雷神が現れ、「ひと振りの神剣をお前の倉に降ろすから、それを、天孫に献上するように。」と、命じられたそうな。 翌朝、目が覚めた高倉下さんが倉を開くと、本当に剣が落ちていたので、すぐにお届けして、その神剣により、一行は蘇ることができたとか。 その剣が、この神剣「布都御魂剣」 この神宮には、奥の禁足地から発掘された布都御魂剣が、祀られています。 この石上神宮は、神剣を祭祀する神社であっただけでなく、大和朝廷が、全国支配をすすめていく中で、各地の豪族から取り上げた膨大な量の武器を保管し、管理する武器庫の役割も果たしていたらしいですよ。 管理していたのは、物部氏。 ただし、「日本後紀」という書物によると、平安時代初期に、 のべ15万7000人を使役して、 ここに保管されていた武器を「山城国葛野郡の兵庫」へ移したとか。 これは、今の京都市内です。 兵庫県 の方は、大化改新の後に、須磨関を守るため、関門に、朝廷の武器庫「兵庫(つわものぐら)」が設置されていたから。 兵庫県って、「武器庫県」という意味だったんですねー。 なーるほど、と思いました。 では、いよいよ中に入っていきましょう。 まっすぐ行くと神宮の拝殿の方に行けるのですが、今回は、「山の辺の道」の散策がメイン。まずは、右手に行きました。 すると、あらまあ、牛さんの向こうには、放し飼いの鶏さんがいっぱい。 (鶏口牛後という四字熟語を連想してしまいますね。)今は、30羽ほどいるのだそうです。 足首のあたりまで、羽毛に覆われた、もこもこの鶏さんに、しばらく見とれていました。 後で、なぜ鶏がいるのかわかりましたよ。 はい、これ。 天の岩戸に籠っていらした天照大神を、岩戸から出てくるようにするためいろいろとやってみた中の一つですね。常世の長鳴き鳥というのはニワトリのことなのだそう。 鶏を鳴かせ、朝が来たとだましたお話は、他にもあったような・・・ あ、そうだった!! 「中国の函谷関で、鶏の声にだまされた関守が、朝と思って門を開け、おかげで、斉の孟嘗君が討手から無事逃れることができた」というお話でしたね。 この故事をふまえて、清少納言が夜をこめて 鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじと、詠んでいたのでした。 この歌は、百人一首にも入っているので、聞き覚えがありますね。 実は、これは清少納言のところへ来ていた大納言藤原行成さんが、「宮中に物忌みがあるから」と言い訳して早々に帰ってしまい、よく朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって・・・」と、言い訳の文をよこしたのに対して、詠んだ歌なんですよ。 「もう、絶対に会ってあげませんからね。」と、言っているのです。 そして、さらにまた返歌があって、 逢坂は 人越えやすき関なれば 鳥鳴かぬにもあけて待つとかだそうです。 意味は、「あなたはいつでも容易に人に逢うとの噂ですよ」 清少納言も、藤原行成卿も、二人とも機知があって、すごいですね。 ちなみに、このお話は、 枕草子第129段に書かれています。 あ、またしても脱線してしまいましたね。では、山の辺の道へ進んでいきましょう。 つい、笑ってしまった看板。手作り感があふれていました。 そうそう、途中にいくつかあった歌碑の一つを。 これは、僧正遍昭が詠んだ歌「里は荒れて 人は古りにし宿なれや 庭もまがきも秋の野良なる」 光孝天皇がまだ親王であった頃に、布留の滝を見に行く途中、遍昭の母親の家に泊まり、秋の野に見立てて作った庭を見ながら詠んだ歌なのだそうですよ。 僧正遍昭は、実は平安京に遷都した桓武天皇のお孫さん。遍昭のお父さんは、 良岑安世と言って、皇子だったのだけど、お母さんがとても低い身分の女官(そうじなどの雑事)だったので、 親王にもなれず、臣下になり、良岑という姓になりました。 だけど、歌舞・音曲、騎射なども得意だったので、認められ、大納言にまでなった方だそうです。 その息子僧正遍昭は、俗名「良岑宗貞」 これがまあ、びっくり。 なんと、小野小町のお話で有名な、あの深草少将のモデルなんですって。 小町に言い寄るけれど、受け入れられず、百日間通い続けたら結婚しようと言って、九十九夜通ったけど、 そのまま亡くなってしまった・・・というお話ですね。 モデルになった良岑宗貞さんは、有名なプレイボーイだったようで、いろんな女性と浮名を流したとか。 百人一首に選ばれている 天津風 雲の通ひ路吹きとじよ 乙女の姿 しばしとどめむという歌は、まだ宮中に出仕していた頃に、五節の舞姫の姿を見て詠んだ歌なのだそうですよ。 お坊さんになってから詠んだわけではなかったのですね。 では、なぜ出家したのか、というと、とても可愛がってくれていた仁明天皇が崩御されたからだそうです。 その頃、三人の妻がいたらしいのですが、二人の妻には出家のことを話したけれど、一番愛していた妻には秘密にして、だまって出家してしまったとか。 その妻は、そのことをとても恨んだのだけれど、実は、「愛する妻 にその話をすると、決心が鈍ってしまいそうだったから」だそうです。 「大和物語」や「今昔物語」などに、そのお話が書いてあるようです。 きっと、熱い心をもった方だったのでしょうねー。 天皇の喪が明けると、皆のところに手紙が届き、みな人は 花の衣に なりぬなり 苔のたもとよ かはきだにせよ (皆さんは花の衣にお着替えになったのでしょうが、私の僧衣はまだ涙で濡れたまま。せめて乾いておくれ)と良岑宗貞の筆跡で書かれていたそうですよ。 元は、有名な色男だったのに、出家後は、光孝天皇の和歌の師となり、 ついには、天台宗の僧正の位にまでなった人。 僧正遍昭のイメージが、ころりと変わりましたよ。 調べてみて、よかったぁ・・・・ では、石上神社に戻ります。 お参りをして、 奥の方へ進みます。 この奥に何があるのか、グーグルアースで、上空から眺めてみましたが、鎮守の森が見えるだけで、よくわかりませんでした。 立ち入り禁止になっていると、入ってみたくなりますね。 せっかくだから、摂社のほうにも立ち寄って、 高いところから、奥の奥の、本殿をちらっと眺めて、建物の周りを点検して、やっぱり本殿には行く道がないとわかり、バスの方へ戻りました。 これで、ようやく、一日目の行程のご紹介が終わりました。 脱線が多くてすみません。 だけど、こういう脱線部分が、私の一番感動した箇所なんです。 次の日記は、いよいよ吉野。 どうぞ、お楽しみに。
2016.04.18
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長谷寺、談山神社と、桜の名所を一時間ずつ散策した後は、 石舞台古墳に行きました。 タクシーで奈良観光をしているらしいカップルが、運転士さんに、二人並んで写真を撮ってもらっていました。 桜の花見ツアーなのに、なぜ古墳なの?? と思ったら、ここは桜の名所だったのですね。 ただ、ソメイヨシノがほとんどなので、もう散っていましたよ。 満開の頃には、夜はライトアップもされて、本当に美しいらしい。 これは、本当は盛り土の中に隠れている石室の石。 なぜ盛り土がなくなったのかは、はっきりしないそうですが、もし残っていたとしたら、1辺が50mの方墳で、周りには幅8.4mの外堀があったらしいです。 この近くに、蘇我馬子の庭園があったことから、馬子のお墓なのではないか、といわれているそうです。 談山神社の後に、蘇我馬子のお墓に来るというのは、ちょっと面白いですね。 だって、談山は、馬子の息子と孫が倒された「大化改新」の談合をした場所なんですから・・・・ 大化の改新、虫五匹(645ひき) と覚えましたねー。 当時、どんな人たちが、どんな思いでこの地に立っていたのかなぁ。 史跡をめぐるたびに思うことです。 すると、あら?? なんか聞こえる。 尺八でした。 この石舞台古墳の下の空き地で、この方が、ずっと尺八を吹いてらっしゃったの。 曲は、「夏も近づく八十八夜~」「みかんの花がさーいてーいる~」「うみは広いな大きいな~」「しゃぼん玉とんだ、屋根まで飛んだ~」など、 それが、けっこうお上手で、音程はばっちり。こぶしが回って、尺八っぽい。 四つ葉を探しながら、時間いっぱい聞いていましたよ。 バスに戻るとき、気になっていたピンクの花に近寄ったら、「きくもも」と、名札がつけてありました。 確かに!!! 白い桜は、満開で残っていました。 駐車場の近くに、こういう看板があり、石舞台の、石の組み立て方が紹介されていましたよ。 この後は、「古事記」に出てくる、日本最古の道を散策したのですが、それはまた、今度にします。 実は今日、旅行社のHPで、バスハイクのキャンセルをしました。 なぜかというと、5月7日に、くじゅう花公園と日田往還の散策をして、阿蘇五岳を一望する予定だったのですよ。 だけど、こういう状態では、道も怪しいし、何より、被災して苦しんでいらっしゃるところに、のんびり、遊びに行くわけにはいきませんからね。 申し訳ないですもの。 しかし、眠い・・・ 一昨日の夜は9時半からずっと地震情報を見ていて、1時半くらいになって、やっと眠ることにしたのだけど、昨夜は、寝ようとした1時半からが、間断ない地震で、とうとう徹夜してしまったのです。 悪天候になるという予報だったので、どきどきしていましたが、今のところ、割とおだやか。 どうか、熊本や大分で、大規模な土砂崩れとか、家屋の崩壊とかが、起きませんように。
2016.04.16
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奈良花見ツアーの二ヶ所目は、談山神社。 ここは駐車場ですが、神社へ行くには、まず階段を下ります。 けっこう急な階段を降りたら、今度は登り。 談山神社は標高が高いので、けっこう桜が残っているようですね。 本堂へは、直通の急な石段があったのですが、みんな遠回りのだらだら坂を上って行きました。 この「談山神社」は、藤原氏の祖の中臣鎌足さんの長男さんが、お父さんのお墓をここに移し、十三重の塔を建立したのが始まり。 多武峰妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)という名前でした。 この山は本来多武峰(とうのみね) という山だったのだけど、蘇我氏の専横を阻むため、中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我氏を討ち大化改新をすることの談合をしたので、後に「談い山(かたらいやま)」と呼ばれるようになり、「談山(たんざん)」 となりました。 朱塗りの建物と、青空と桜のピンクとで、とても明るい雰囲気です。 この十三重の塔は、 678年に建てられていたそうですが、後の時代になって、興福寺との争いがあり、1108年には、 たくさんの建物と周りの村を焼かれ、 1173年には、この塔も興福寺衆徒により焼き討ちされました。 今、私たちの前にあるこの十三重の塔は、1532年に再建されたものだそうですよ。 同じ仏教なのに、宗派が違うと争いが起こるのですね。 争ってはいけません、という教えなんじゃないのかなぁ・・・ 不思議。 塔のある場所からさらに登って、塔を見下ろして、記念撮影。 なかなか良い気分でした。 一時間の自由時間がありますので、みんなけっこうのんびり散策しています。 談山神社には、恋神社と呼ばれる摂社・東殿があるようですが、そちらには行きませんでした。 下手に恋が成就してしまったら、不倫になってしまいますからね。 というわけで、私はお花見に夢中。 特に、この枝垂れ桜がお気に入り。 総社拝殿の横です。 うーーん、可愛い・・・ でも、いつまでもそこにいるわけにはいきません。 白い桜を眺めながら、バスの駐車場の方へ戻ります。 参道に出たところで、立派なカメラと三脚を持った男性から、「あのー、綺麗な桜は、どの辺にありますでしょうか?」と尋ねられたので、「あ、結構いっぱい綺麗な桜が残っていますけど、私は、あの建物の横の、あの枝垂れ桜が気に入って、ずっと写真を撮っていました。」とお答えしましたよ。 この桜も見事。 そして、参道を過ぎて、駐車場への階段を登ろうとしたら、今度は、年配のご夫婦から、「あのー、神社へは、どのように行ったらいいでしょうか?」と、道を尋ねられてしまいました。 もちろん、今戻ってきたばかりなので、ちゃんと教えましたよ。 「その先の道を左に曲がったら参道で、ずーーっと行くと、急な石段があります。そこを上ると本殿がありますけれど、登らないで、そのまま行ったら、なだらかな坂を上って、神社に行くことができますよ。」と、教えてあげました。 ふと見ると、栃餅と草餅の焼きたてがあったので、自宅へのお土産用に8個と、バスに戻ってから食べる自分用の2個を買って、大満足で戻りました。 アツアツのお餅は、美味しかったですよー。 この写真は焼く前のお餅。これを両面、焦げない程度に焼いてくれます。 というわけで、今回のご報告はここまで。 ここからは、地震のお話。 昨夜は、熊本の方たちは、さぞかし怖かったことと思います。家が全壊とか半壊になった方たち、お怪我をされた方たち、一日も早く、元の暮らしに戻れますように。 また、不運にも、亡くなってしまった方のご冥福を祈っております。 そろそろ眠ろうかと思っていたのですが、突然の揺れでびっくり。昨日のよりもよっぽど強い揺れです。 スマホの警報が何度も鳴るし、テレビでも地震警報を出しています。 さっきは、地域の有線放送も鳴っていました。 小さい揺れは続いていて、時々強くなります。 熊本の方は、どんどん被害が広がっているのではないでしょうか。 我が家は、家具が倒れるような揺れではありませんが、がたがた音がするのは落ち着きません。 今夜は、なんか、眠れそうにない気がします。
2016.04.15
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今回も、新幹線の博多南線で出発。乗り込む時に、なんか車体の色が変わってるなぁ・・と思っていたのですが、降りて、ふと見たら、あらまあ。 エヴァンゲリオン初号機タイプの新幹線でした。 なんだか、カシャン、カシャンと変形してロボットになりそう!! で、のぞみ号であっと言う間に新大阪へ行き、そこからは奈良交通のバスで長谷寺へ。 ガイドさんのお話では、吉野の桜は期待できますが、今日行くところの桜は、ちょっと・・・ もう散ってしまっているようなお話で、ちょっと残念。 というわけで、期待せずに行った長谷寺のお話。 前日読んだガイドブックに、この石段のことがついていた。 399段ということで、どきどきしていたけれど。一段一段の段差が小さく、楽勝でしたよ。 登る途中、左右に牡丹がいっぱい植えてありました。 これが全部咲いたら、すごいでしょうね。 でも、今はつぼみ。 境内の桜は、染井吉野はもう散ってしまっていましたが、いろんな品種があるので、まだ咲いているものもいっぱい。 特に、八重桜と枝垂れ桜は、今が盛りでしたよ。 赤いハナミズキと桜が一緒に咲いていて、きれいでした。 ようやくたどりついた本堂前 この五色幕には、きっと意味があるのだろうな、と検索してみました。 すると、 青は「成所作智(じょうしょさち)」あらゆるものを完成に導く智慧 白は「平等性智(びょうどうしょうち)」すべてのものが平等であることを知る智慧 赤は「法界体性智(ほっかいたいしょうち) 」物事の本質を明らかにする智慧 黄は「大円鏡智(だいえんきょうち)」 鏡のように、あらゆるものを差別なく見ることのできる智慧 黒(緑)は「妙観察智(みょうかんざっち)」 平等であっても、それぞれ違うものであることを知る智慧 を表していると書かれている仏教関係の資料を見つけました。(だけど、Wikiでは、入れ替わっています。あれ?) これは、仏教とは関係なく、人が生きる上で、ぜひとも身に着けたい智慧ですね。 今書いていて思ったのですが、この幕、青というより紫に見える。おかしいなぁ。 あ、青は緑で、黒は紫で表されている、という記事も見つけましたよ。なんか、ややこしいですね。 五色の吹き流しが、青空に映えて、きれいでした。 そういえば「五色の短冊 私が書いた ~」と七夕の歌で歌われますね。 織姫から、機織り、お裁縫と連想されて、 はじめは五色の糸が飾られていたのだそうですよ。つまり、「お裁縫の上達を願うお祭り」だったのです。 それが次第に布に変わり、江戸時代には、紙の短冊に変わっていったのだとか。 また、願い事を書くのも、文字の上達を願って、木の葉に和歌を書いてつるしていた貴族の習慣から、庶民が願い事を書く風習へと変化。 色は、やはり同じで、 赤・青・黄・白・黒ですが、 黒はちょっとね・・・・ということから、紫がよく使われているようです。 でも、保育園とか小学校などで作る七夕飾りは、ものすごーーーーーくカラフルですよね。 では、話を長谷寺に戻します。 これは、境内に祀ってあった「長谷大黒天」 大きな打ち出の小槌がありますね。 大黒天は、日本では大黒様として親しまれていますが、もともとは、インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラです。 マハーが「大、または偉大なる」という意味。カーラが「時、または暗黒」を意味するので、大黒天、または大暗黒天と漢訳されました。 それが、日本に入ってきて、神道の大国主と神仏習合して、 五穀豊穣の神様になったのですね。 インドの人が見たら、びっくりするかもしれません。 でも、もともとのマハーカーラも、不老長寿の薬を持って、力ずくで人々を救済してくれる神様だそうですから、まぁ、重ならないこともないか・・・ シヴァ神はというと、暴風雨を起こし、世界を破壊するけれど、同時に、土地に水をもたらして植物を育てる生産の神でもある。 何事にも、二面性があるということでしょう。 あら、また脱線してしまった。 最近は、楽天の許容文字数が増えたので、安心して書けますね。 次に見かけたのが、これ。 えっ?? 紀貫之の桜?? と思ったら、梅でした。 奈良時代、平安時代の初めくらいは、花といえば、梅のこと。 百人一首にも載っているこの和歌は、 貫之が、長谷寺へお参りに行くたびに泊まっていた宿に久しぶりに行ったとき、 その宿の主人から「お宿はこのように昔のままでございますのに、あなたさまは心変わりをされて、ずいぶんおいでくださらなかったのですね。」と言われたとき、梅の枝をひと枝手折って、詠んだ歌です。 「あなたの方は、いかがなのでしょうか。昔よく訪れていたこの里には、このように、昔と同じ梅の良い香りを漂わせていますのに。」 それにまた宿の主人からの返歌があって、 「梅の花でさえ昔と変わらず咲くのですから、それを植えた私の心を察してください。(心変わりするわけないではないですか。)」 そして、二人は仲直り。 宿の主人が女性なのか男性なのかで、雰囲気が変わってきますね。女性なら、恋のかけひきで、男性なら友情。 さて、どっちだろう。 紀貫之は、「古今和歌集」の撰者の一人ですよ。 本堂に登る途中で見つけたこの看板が気になっていたので、戻りがけに行ってみました。 今回は36人のツアーですが、こういうお寺の見学の時は、自由行動ですので、時間さえ守れば、好きに過ごすことができます。 ありました。二本の杉の木が、並んでいます。 この立札を見ながら、「源氏物語」を思い出していました。昨年、源氏物語の一部を、筆で書いたりしていたので、この玉鬘のところは、気になっていたのです。 「帚木」の巻の中の有名な「雨夜の品定め」で、男四人で女性談義をしていますが、その中で、 頭中将が語った話。子どもまでいる内縁の妻が、正妻の嫌がらせでどこかへ消えてしまった。 その内縁の妻が夕顔で、子どもが玉鬘。 市井にまぎれてひっそりと暮らしていた夕顔を源氏が見初めて、身分を隠して通うようになったけど、深夜に女性の生霊(たぶん六条御息所) が現れて、夕顔は気を失い、そのまま明け方には亡くなってしまいました。 のちに源氏は、その女性が友人の頭中将が語っていた女だったと知り、その娘を引き取ろうと、家を訪ねたけれど、もうすでに、誰もいなくなっていた・・・ 後でわかったことだけど、その4歳の娘は、乳母一家と一緒に、筑紫へやってきていたけれど、あまりの美貌のため、求婚者が多すぎて、乳母は困惑。家も誰に嫁がせるかでもめて、この乳母が長谷寺へ願掛けへ。 この二本の杉のところで偶然、源氏に仕えている侍女の右近と出会い、そこから、京にもどるきっかけができて、ついには、 玉鬘は源氏の養女になったのでした。 これは、お話だけど、なんかゆかしい気分になりました。 そういえば、「わらしべ長者」 のお話も、この長谷寺の観音様のおつげから。 今昔物語にありますよ。 現代語訳を読んでみたい方は、こちら。 原文で読んでみたい方は、こちら。 あ、また脱線してしまった。長谷寺の二本の杉の先へ進みましょう。 なんだか、境内からずいぶん離れた場所にあるなぁ・・・と思ったけど、昔は、こちらの方が、参道だったらしいです。 それなら、登り口に作られたということで、定家さんと、そのお父さん藤原俊成さんを偲ぶのも良いですね。 ただ、不思議なのが、片方は塚で、片方が碑だということ。 お墓ではありません。 だいたい、塚は、盛り土とかしてあって、 お墓の場合、信仰の対象に石などを置いた場合、 結界を表している場合など、いろんな意味があるけれど、ここは、有名な歌人の定家さんの業績を讃えるものなのでしょうね。 集合時間に間に合うように、駐車場に戻る途中、この白い桜が綺麗に咲いていました。 大島桜かな? というわけで、一日目の、長谷寺だけで、まずは切ります。 ここから、追加の記事です。 さきほど、お風呂から上がって、髪を乾かしていたら、あらららら・・・・何か音がして、けっこう揺れています。地震でした。 服を着ている時でよかった!! 揺れが収まってから、二階に上がったら、みんな部屋から出てきて、テレビのニュースを見ているところでしたよ。 何か落ちたんではないかな・・と思ったら、私が微妙なバランスで積み上げていた書類入れが、ずるっと落ちていました。 何も割れたり、こわれたりはしていませんでしたけど、まだ時々余震があるようです。 なんか、落ち着かない夜になりそうです。
2016.04.14
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またまた奈良に来ています。今日は、長谷寺と談山神社、石舞台古墳、石上神宮、山の辺の道などに行きました。桜は残っていないだろうと思っていたのですけれど、枝垂れ桜や八重桜がとても綺麗で、大満足でしたよ。明日は、吉野山に行きます。5時間滞在して桜を満喫する予定。楽しみです。
2016.04.12
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今日は晴れの予報でしたので、また、植物園に行ってきました。 だけど、なんだか薄曇り。 どんな写真になるかなぁ・・・ と思いつつ、楽しみにしていた場所に行きました。 植物園には、桜の散歩道みたいな場所があり、 緑色の代表的な品種である「欝金(うこん)」と「御衣黄(ぎょいこう)」が、向い合せに植えてあるんですよ。 まずは、欝金。 淡黄緑色の、八重咲きの桜です。 白っぽい花びらに、黄緑色のすじが入っていますね。 その向かい側に咲いている「御衣黄」は、これ。 ピンク色の背景は、向こうにさいていた「福禄寿」という八重桜 この御衣黄は、黄緑色の桜です。江戸時代に、京都の仁和寺で植えられたのが始まりとか。 突然変異なのかなぁ。 花びらの緑色は、葉緑素があるからで、花びらの裏側には、気孔もあるのだそうですよ。 まるで、葉っぱみたいですね。 触って比べていないので、わかりませんけれど、欝金よりも、御衣黄の方が、花びらが厚いそうです。 欝金は、葉緑素が少ないので、薄い黄緑色。そして、花びらの裏の気孔もないのだそうですよ。 これは、頭の上の方を写した写真。 向かい合っているので、道の上は、両方の花が見えています。 白っぽくて、少し大きめなのが欝金(うこん)緑色が濃くて、小さ目なのが御衣黄(ぎょいこう)です。 じっくり見ると、だいぶ感じが違いますね。 咲いてすぐの頃は、あまりわからないのですが、これが咲きすすむと、はっきりと違いがわかるようになります。 これは、以前、お天気の良いときに撮った写真ですが、黄緑色がとても濃いですね。それに、花びらの真ん中が真っ赤。 どんどん、この赤いすじが出てくるんです。 欝金の方は、どうかというと・・・・・ このように、ほんのりピンク色に染まってくるの。 綺麗ですね。 そして、花が終わると、はなびらがついたまま落ちます。 これは、落ちていたものを拾って、写真に撮ったものですよ。 ずいぶん感じが違うのがわかるでしょうか。 両方の木の下には、つつじの植え込みがあるので、その花の上にも、うまいこと乗っかっていました。 私がカメラを持ってこの桜の方に歩いて行っていたら、植物園の職員の人が、「今、緑色の桜が満開ですよ。きれいですから、ご覧になってみてみださい。」 と言われたので、「私、毎年この御衣黄と欝金を楽しみに来ているんですよ。写真も毎年撮っています。」と答えたら、ものすごーく嬉しそうでした。 職員の皆さんとか、植物ボランティアの皆さんのおかげで、いつも気持ち良く、お花や緑を楽しむことができています。 草取りも花ガラ摘みも、落ち葉の片付けも、水遣りも消毒も、いっつもきちんとやってもらって、私は写真を撮るだけ。 うちの庭とおんなじです。
2016.04.10
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昨日はものすごい雨でしたので、いろんな場所の桜が、もう、おしまいになってしまったのではないでしょうか。 でも、我が家の八重桜は、これからですよ。 で、よろこんで写真を撮っていたら、あら、あれは何?? この間、植物園の「一葉」という八重桜が、中心のめしべが葉化している、というけどわからなかったのに、なんか、我が家の八重桜も、中心が葉っぱのような・・・ それに気が付いたら、もう止まりません。 一輪、もらってしまいました。(植物園では、そんなことできませんからね。) この中心をよく見ると、 なんだか、ギザギザも見えて、葉っぱみたい。 さっそく、実体顕微鏡で、覗いてみましたよ。 すると、立派に、葉脈もあって、葉っぱの形をしています。 めしべが、この葉っぱに変化してしまっているのですね。知らなかったよぉ~~~!! 二つ折りになっている葉っぱを、両面テープで固定して、写真撮影してみました。 本当に葉っぱだ!! せっかくなので、ついでに、花びらも写真撮影 光が当たると、きらきらして綺麗なんですよ。 はい。やっちゃいました。 いつものことですが、数をかぞえてみましたよ。 おしべの方は、花びらになりかけて、めしべは、立派な葉っぱになっています。 あれ??それじゃぁ、うちの八重桜は、「一葉(いちよう)」なの?今まで、「関山(かんざん)」だと思っていたのに・・・ それで、調べてみましたよ。 ここに、ずいぶん詳しく、見分け方が紹介されていました。 関山は、1~2本のめしべが葉化することがあり、 花の色が濃く、若芽は赤味を帯び、 葉の生えはじめは、赤茶色なのだそうです。 要するに、うちのは間違いなく「関山」だとわかったの。 おっと、それなら、真ん中のめしべが2本のものもあるはず。 そう思って、以前撮っていた写真を見直したら、ありましたよ。 1本は長く、その下に、もう1本、小さな葉っぱがついています。 もう少したくさん咲いたら、また調べてみることにしましょう。 さて、明日は「かな書」ですよ。 今回は、5月の分の課題まで練習したので、それも持っていきます。 新年度の一回目。 1人、新メンバーが増えるらしいので、どんな人なのか、楽しみです。
2016.04.08
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今日の三線(さんしん)教室は、11時からだったのに、妙に落ち着かなくて、10時過ぎには家を出ました。 会場についた時には、まだ初心者クラスがあっていて、三線の音が、ジャン、ジャン、・・・と聞こえてきます。 まだ曲にはなっていません。 生まれて初めて演奏している人たちですから、ドキドキしてらっしゃることでしょう。 その音を聞きながら、廊下の机といすとで、漢字パズルをしていたら、次々と、三線のケースを持った人たちがやってきました。 待っている間にも、少しお話をしましたよ。 11時に始まった時には、2名欠席で、11名でスタート。 三線(さんしん)のことをあまりご存じでない方もいらっしゃるので、少しだけ、三味線との違いを書いておきます。 これは、三味線のフリーのイラストです。 「あさが来た」では、ご主人が弾いていらっしゃいましたよね。 三味線も三線も、どちらも三本の糸が張ってある点では同じ。 だけど、三味線の胴には猫の皮や犬の皮、三線の胴にはニシキヘビの皮が張られています。 今は、どちらも合成の皮を使ったものがあるようですけどね。 あとは、使ってある木材とか、サイズとかがいろいろ違いますが、三線の方が、歴史が古いのだそうです。 この写真の右側の物が、三線のバチで、人さし指に差し込んで使います。 パチン、バチン、と、良い音が出るのですよ。 普通は、水牛の角とか黒檀の木とかで作られているようです。 左側の調子笛は、今日全員に配られたもので、1500円でした。 チューナーは使わず、この調子笛で聴いた音に、自分でカラクイを回して、合わせないといけません。 私は、自己流でやっていましたから、このやり方を練習しないと!! これは、なかなか難しいですね。 それから、普通の五線の楽譜は読めるし、知っている曲なら、楽譜も手元も見ずに弾けますが、漢字で書かれた楽譜も読めるようにならないといけません。 それで、今日は、「あい、おつ、ろう、しー、じょう、ちゅう、しゃく、こう」 「こう、しゃく、ちゅう、じょう、しー、ろう、おつ、あい」と、ドレミの音階を歌いながら、何度も唱えていました。 あともう一つ、三味線との違いですが、 この図のように、三線では薬指を使わない、というのがあります。 バンドでベースギターを弾いていた時に、「島唄」と「涙そうそう」では三線を演奏していた私。普通に、薬指を使ってしまっていたので、今回、それを直そうとがんばっています。 今日は、さっそく、曲の練習がありました。 そのうち、八重山の民謡なんかもされるらしいのですが、まずは、みんなが知っている曲ということで、「ふるさと」でした。 うさぎ追いし かの山 ~の、あの「ふるさと」です。 これは、ものすごーく良く知っている曲ですので、楽譜なしで、すぐに歌いながら演奏できましたよ。 昨年度の初心者クラスでやった曲らしく、皆さんも、ちゃんと歌いながら弾いてらっしゃいます。 11名でしたが、けっこうみんな大きな声で歌ってます。なんか、楽しくなりました。 次回は、漢字で書いた楽譜を頂けるらしいので、楽しみです。 さて、何の曲かなぁ。 「海の声」をやってみたいのだけどなぁ・・・・ では、今日の庭の写真です。 我が家には、原種のチューリップが植えてあります。これだと、植えっぱなしでも毎年花を咲かせてくれるし、楚々として、可愛いの。 芝桜も、どんどん咲いてきました。 フリージアも、庭の何か所かで、咲いています。 この、八重桜の根元が一番多くかたまっているかな。 その、八重桜は、このくらい。 まだ、ほとんどが蕾です。 あ、そうそう、 つつじも咲き始めました。
2016.04.06
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私が行った時、大島桜は、満開。 美しかったですよー。 この大島桜は、園芸品種ではなくて、 野生種です。 関東より南の海岸沿いなどに多く分布していますが、特に伊豆大島などに多いので、この名前がついたそうです。 あ、 私の大好物の桜餅の葉っぱは、 この、大島桜の若葉を塩漬けにしたものを使うそうですよ。 それだけでなく、樹皮は工芸品の材料、せきとたんに効く、漢方薬の材料に。 木材は、木炭の原料とか建材、家具にも。 なんとまあ、いろいろとお世話になっているものですね。 花言葉は、「純潔」「心の美」「優れた美人」 なんか、いいですねー。 今、日本中にたくさん咲いている染井吉野は、この大島桜と江戸彼岸桜を交配して作られたそうですよ。 他にも、大島桜を親に持つ桜は、 昭和桜・三島桜・天城吉野・帝吉野・山越桜・染井匂い吉祥寺・海猫・河津桜・伊豆桜・大箱根桜・冬桜・・・・など、たくさんたくさんあるようです。 では、その大島桜の写真ですよ。 すっきりとした白の桜で、葉っぱの色も綺麗です。 よく見ると、こんなのも。 他の桜も同じですが、時々こんな四枚花びらの物が見つかります。 裏から見ても、がくがちゃんと四枚です。 こういうのを見つけると、うれしいです。 さて、その大島桜の大木の前に、淡いピンクの桜が・・・ 曇り後雨の天気予報のおかげで、人が少なくて、大きな桜の木を独り占め。 花がびっしり!!! よく見ると、ひとかたまりは、丸くなって咲いていますよ。 はじめはもっと白っぽいのだけど、咲きすすむうちに、次第に紅色が差してきます。 独身の頃は、お友達とよく夜桜見物に行きました。 だけど、今はお昼の桜ですね。 我が家の八重桜も、少しずつ咲いてきましたよ。 もう少し咲いたら、ご紹介しますね。 これは、お花見に行ったときに見つけた四つ葉です。手帳にはさんで持って帰ってきて、便箋に貼りました。 これは、おこられないでしょう。 今までで一番四つ葉をたくさん見つけたのは、新婚の頃、旦那と行った筑後川の河川敷。 30分くらいの間に、両手でもちきれないくらい見つけました。 両てのひらの上に、山盛りになったんですよ。 あとで、押し葉にするのがとても大変でした。 さて、いよいよ明日は「三線」サークルの一回目。 楽しみです。 ちゃんと持っていきますよ。 念のため、これも持っていってみよう!!
2016.04.05
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私がお花見に行ったのは、植物園なので、何という品種の桜なのか、ちゃんと看板がついています。 それで、毎年、じっくりと品種ごとの違いも楽しんでいますよ。 たくさんの桜を全体として楽しむのも良いですが、今回は、個々の花の咲きぶりの違いに注目です。 といっても、まずは、これ。花海棠 桜の植えてあるところへの入り口にあるのです。 バラ科リンゴ属 (普通の桜は、バラ科モモ亜科スモモ属サクラ亜属)花言葉は「 温和・妖艶・艶麗・美人の眠り」 可愛いので、桜シリーズの一番手にしました。 次は、これ。 白妙(サトザクラの園芸品種 荒川堤で発見された) 白の大輪、八重咲きです。 南殿、 奈天 (一名 高砂)丁子桜と他のサトザクラの雑種 淡紅色八重咲き。 東京の駿河台にあった、香りの強い桜です。 一重咲きですね。 これは朱雀(スザク) 明治時代に、荒川堤から全国に広まったとか。名前は、京都の朱雀にあったことからついたそうです。 紫紅色の楕円形の花びらで、下垂して咲きます。 これは、里桜系で、日本最大の桜、直径が5cmくらいあります。 日本では一度絶滅したそうですが、イギリスの桜研究家が私邸に植えていたものを逆輸入し、京都の造園家が育てて普及させたのだそうです。 太白桜 大輪一重咲き 見事ですねー。紅豊です。 里桜の園芸品種で、八重咲き。紅色~濃紅色の花を横向き、下向きにつけます。 これは、まだこれから・・・御殿場桜 名前の通り、富士山麓の御殿場が発祥地の桜。マメザクラと他種の交雑種で、一重咲き それから、変わった名前の一葉(イチヨウ) サトザクラの園芸品種で、めしべが葉化しているそうです。 この一本突き出しためしべが、葉っぱの形らしいですが、見ても見ても、わかりませんでした。 淡紅色 八重咲き 次は、御座の間匂い これも、荒川堤由来の品種だそうですよ。 荒川って、すごいですねー。 おしべが花弁に変化した旗弁が多いのが特徴らしい。 こういう花びらみたいなものを旗弁(きべん)と言うらしい。 これはまた、色が美しい。松前愛染です。 お茶会に下りて行った道沿いにありました。 八重咲きの大輪 淡紅色。 この花は、1963年に、イトククリとイツカヤマを交配して作られた品種なのだそうです。 それから、こちらは、温室の近くで咲いていた山桜 風情のある桜ですねー。 けっこう長い時間、見とれていました。 この桜は、個体変異がとても多く、開花時期、花つき、花の色さまざまあるそうです。 「吉野の桜」は、本来、この山桜のことだったとか。 役小角(えんのおづぬ)さんが、山桜から蔵王権現の姿を彫り出し、 吉野山に祀られたらしく、その後、山桜は聖なる木と考えられるようになり、次々にいろんな人たちが吉野山に桜を植えたので、今のように、桜が山を覆い尽くすほどになりました。 染井吉野(そめいよしの)は、染井村の植木屋さんが品種改良して作った品種で、はじめ「吉野」と命名したけれど、それでは混同してしまうおそれがあるので、明治時代になってから、「染井吉野」と、命名されたそうですよ。 その、染井吉野の写真もたくさん撮りましたが、まずはここまで。 あ、大好きな「大島桜」も、次の回に載せます。
2016.04.04
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皆さんが、お花見に行かれたという日記をいっぱい読んだので、私も、せっかくだから、植物園にお花見に行ってきましたよ。 今日は日曜日。満開情報を聞いて、さぞや人が多いだろうと思ったのに、あらまあ、なんか、がらがらでした。 朝から曇っていて、午後から雨という予報だったからでしょうか。 私も、ひとしきり花を愛でた後、雨が降らないうちに、噴水広場のベンチでお弁当を食べました。 今日のイベントは、春のお茶会。 先着200名ということでしたので、せっかくだから、行きましたよ。 この先です。 傘の柄に、短冊がつけてあって、「白雲自去来」と一言。 要するに、あの白い雲のように、やってきては去っていく。あるがままに、生きて行こう、ということかしら。 受付で、300円を支払って、赤い毛氈を敷いたところに座り、お茶を待ちます。 昨日は、表千家、そして、今日は裏千家。 ごちそうさまでした。 前半、上ばかり見上げてくたびれたので、今度は、下ばかり見てまわりましたよ。 これは、キュウリグサ。小さな小さなお花です。 私の指が、巨大に見えますね。 花のつくりは、忘れな草と同じです。 ムラサキ科で、別名「タビラコ」 撮っていた時には、気づかなかったけど、四枚花びらのものが、写っていました。 キュウリグサのお隣には、これ。 オランダミミナグサです。よく見ると、可愛いですね。 ムラサキケマンも、あちらこちらで咲いていましたよ。 全く似ていませんが、これ、ケシ科なのだそうです。 この花も、有毒ですよ。 この、薄紫の花は、名前がわかりませんでした。 花の形を見ると、シソ科のようです。 家に帰ってきてから調べたら、わかりましたよ。 これが、カキドオシなんですね。 花びらの上の方に、ピンクの小さい花のようなものがついていて、それが、なかなか可愛いです。 これも、シソ科のお花。 ホトケノザですけれど、七草ではありませんので、要注意。 七草のホトケノザは、 キク科の「コオニタビラコ」のことです。 あ、オオイヌノフグリとタチイヌノフグリが並んでる!!と思ったけど、後で調べたら、違いました。 とっても小さいけれど、薄紫できれいです。 実の形といい、毛むくじゃらの様子といい、これはフラサバ草。 フランスの植物学者の フランシェ氏とサバチェ氏の名前から命名されたのだそうです。 変な名前ですね。 では、最後に、四つ葉探しに挑戦してみてください。 さて、何秒で見つかるかな? 今日は、八つ見つけて、押し葉にしてきました。 そうそう、このブログの背景のクローバーにも、一つだけ、四つ葉が交じっているのですよ。 よかったら、そちらも探してみてね。 桜の報告は、また今度。
2016.04.03
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昨年精力的に神社仏閣めぐりをしたので、伊勢神宮で買った朱印帳が、もういっぱいになってしまいました。 というわけで、今回作った蛇腹ノートは、御朱印帳として使う予定です。 それで、表紙が傷まないように、紙用のニスを二回塗り、朱印帳入れも作りました。 中には、永平寺でいただいた「修證義」と、母のお下がりの数珠。 「修證義」には、般若心経やいんなお経が載っています。 そして、この数珠は、白い球の小さな穴を覗くと、南無大師遍照金剛という言葉の真ん中に、弘法大師の坐像が描かれているのが見えるのですよ。 たしか、これは、私の祖母が持っていたもの。それを、母がもらって、私が受け継いだものです。 今度お寺にお参りする時には、この袋にまとめて持っていくことにします。 では、庭のお花の写真も、のせますね。 前回の日記では、二輪だけ咲いていると書いていたスノーフレークが、あっというまに、こんなに咲きました。 庭の小人さんたちも、目が覚めたようです。 可愛いですね。 咲きすすむと、次第に花が開いてくるの。 また明日、写真に撮りましょう。 それから、この花の隣に、 肥後スミレがにぎやかに咲いていました。 庭じゅう、こんな感じで咲いていますよ。 そうそう、一昨日の夜に旦那が話していたのですが、旦那の実家の車庫の中に、私の大量の本を積み上げていたのだけど、それを、とうとう、捨てたらしいです。 もう20年くらいビニールシートをかけた状態で放置していましたからねー。 すごい状態になっていたそうです。 義母の担当のケアマネさんの話では、たくさん買い置きしてあったごみ出し用の袋が、4月1日から別のに替わり、使えなくなるということだったので、 なんと、大きなゴミ袋で30袋分、私の腐った本を出してきたらしいですが、 まだまだ、半分くらいしか減っていないそうです。 何千冊あるのか、わからない。 結婚前に数えた時で、5000冊くらいあったような・・・・ その後も、順調に増え続けていましたから、よくもまあ、職員住宅のアパートの床が抜けなかったものです。 ボロだったけど、一応鉄筋だったからでしょうかね。 残りの本も、そのうち旦那が処分してくれそう。 私はもう、見ないことにします。 それにしても、ゴミの収集に来た人は、びっくりしたでしょうね。本だから重いし、とにかく大量だし、カビだらけだし・・・・ 苦情を言われても、住んでいる義母には通じないことでしょう。 昨日も今日も、ケアマネさんから電話は来ないので、たぶん、問題にはならなかったのでしょうね。
2016.04.02
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今日は4月1日。 さっそく、新年度の第一回目のサークルに参加してきましたよ。 「世界の歌」サークルでは、今日からピアノ伴奏専門の方が参加。 先生は、指揮に専念できることになりました。 これはとても気分の良いものでしたよ。 私が今までやってきたブラスバンドでも混声合唱でも、必ず指揮者がいましたからねー。 その指示に従って、一緒に音楽を作る一体感が合奏や合唱をする醍醐味。 外国の歌ですから、まだ完全に歌詞を覚えてはいないのだけど、なるだけがんばって、指揮者の方を向いて歌いました。 さて、サンドイッチの昼食の後は、リコーダーです。 今日からは、50才くらいの女性の先生で、厳しいかも・・・とドキドキしていたのだけれど、今日の練習は、とっても不思議なものでした。 まずは、最初の30分間くらいは、私たちの自己紹介と先生のお話。 その後の、1時間30分は、なんと、ずっと、呼吸の練習だけだったのです。 これは、基本の「基」で、次からも続けるらしい。 「途中でいやになる人もいるので、その時は言って下さいね。」 ということだったけど、今日は、まだ大丈夫でした。 次回は、全員アルトリコーダーでの練習。 息の使い方と舌の使い方の練習なので、楽譜はまだもらえないでしょうねー。 これから、どんな展開になっていくのか、全く予想がつきません。 この先生は、9月いっぱいで終わりとわかっているので、やりにくいところもあるでしょうね。 10月からは、男性のプロのリコーダー奏者の方が来られます。 その方に引き継ぐために、基本をしっかり指導して下さるのでしょう。 苦しいばっかりだったら、どうしよう・・・・
2016.04.01
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