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昨日の日記で、ちらっと張國榮さんのことに触れたら、その後止まらなくなりました。アメリカン・パイという曲で準優勝してから芸能界入り。それが、1978年。たくさんの映画やドラマに出ていますけど、今回は、歌に絞った日記ですよ。これは、自作のファイルですが、こんなもの作ったの、世界で私一人ではないかと、自負しているものですよ。 昨日のコメントのお返事を書いていて、このファイルのことを思い出しました。 インデックスを見てもらうとわかりますが、このファイルにのせているだけで、60曲あります。何のために作ったかというと、一緒に歌うため。 私がファンになった当時は、張國榮さんの歌集なんてあまりなくて、楽譜もありませんでしたから、CDを聴いたり、DVDの字幕を見ながら、一つ一つ、書きためていったものです。ただ歌うのでは覚えられないし、楽しくないので、辞書を引き引き、自力で翻訳。 このおかげで、ずいぶんと中国語には慣れましたね。でも、広東語は基本、話し言葉ですから、こういう歌詞には、汚い言葉は出てきません。あくまでも、美しい言葉が並べられています。まずはこれ。「無心睡眠」 歌詞がとても早口なので、覚えるのが大変でした。次は、昨日ものせた「H2O」 これは、家の中でしょっちゅう歌っていましたから、うちの子供たちは、「トーキーオ」でなく、「エーイチツーオー」の歌詞で覚えてしまいましたよ。 次は、「共同渡過」 一人でいる夜なんかに歌うと、最高です。 次は、北京語の曲を。「Love like magic」です。 この歌も、ちゃんと今でも全部歌えますよ。 これ曲に日本語の歌詞がついているのが「マシュマロ」こちらもいい曲ですが、歌った感じは北京語の方が好き。どんどんいきましょう。張國榮さんは、一度引退したのですけれど、その時に、みんなに向けて歌った曲です。「風再起時」フォンゾイヘスィ 引退の時の演唱會(コンサート)のDVDの映像でした。次は、電影「倩女幽魂」の主題歌。映画の最初に流れます。良かったら、この動画を見てみてくださいね。私、はたちそこそこの若い男の人だと思っていて、主役だし、主題歌も歌っているから、すごいなぁ・・と思っていたの。そしたら、この時、31歳だったって。知りませんでした。その衝撃もあって、ファンになったのかも。 映画「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」は、特撮とかはチャチですが、なかなか楽しめます。子供たちと一緒に、ビデオを何回も見ました。次の曲も、映画の挿入歌なのですけど、ドラマーになる夢を持った青年のお話。最後は、クラスメートと舞台で演奏してハッピーエンド。 この歌は、しっとりとした感じですけど、とても力強い意志を感じます。大好きな歌。次は、張國榮さんが演唱會の時に、お母さんへのプレゼントとして歌った歌。 テレサ・テンさんの歌で、どうぞ。「月亮代表我的心」それから、同じ曲でも北京語と広東語とでは、曲名が違うので、別の曲と思ってしまうもの。 國語というのは、中国の人にとっては北京語のこと。そうですね、私たちも、日本語の学習を「国語」と呼びますもの。 では、絶対にはずせない名曲を「追」です。映画のシーンから。これ何回見たことでしょう。軽く100回は見ているはずですよ。 おかげで、長い長い歌詞も、ちゃんと歌えます。こちらが完成形。そして、私が必ず泣いてしまうという名曲。なんでかな、サビのところにくると、涙がこみあげてくる。「有心人」 私の思い入れに付き合っていただき、ありがとうございました。 あきれた方も多いことでしょう。60曲分ですから、まだまだページはあるし、(120ページ)その曲についての思い入れを語り始めたら、それこそ、夜が更けて、さらに夜が明けても終わらない。この歌集の画像はこれくらいでおしまいにしましょう。では、ここからは、思い出をほんの少しだけ。1998年くらいからファンになったので、まずは、歌う俳優さん? というイメージでビデオを見ました。そのうち、最初は歌手だった、それもアイドル歌手で、人気がものすごかった人だと知って、今度はCDなどを探し始めました。でも、当時は、日本で手に入るものがとても少なくて、しょうがないので、香港グッズ屋さんで買ったり、東京の神田にある、怪しいアジア関連の店で買ったり。古いテレビドラマなんかは、誰かが録画したものを何度も何度も繰り返しダビングして映像が溶けているようなもの。香港のがなかったら、ハングル字幕なんかがついているのを買ったり。香港に行った時には、たくさんのVCDを買ってきたけれど、北京語に吹き替えてあったりするので、内容を知るには英語や中国語の字幕が頼り。というわけで、私ががんばって翻訳して、ファン仲間の人や、業者の人に教えてあげていました。元々中国語は好きだったし、漢詩も好きだったけど、広東語は初めてだったし、歌詞を訳すのは新鮮だった。字幕を訳すのは、みんなの役にもたって、とてもやりがいがあったっけ。そういえば、映画一本分、字幕を翻訳したら、広東語の翻訳者の人から、メールをいただいたことも。私のがんばりを褒めてくださって、その後に、自分がつけた字幕のデータも送って下さいました。とても嬉しい出来事でしたね。というわけで、今日は、興味のない人には、とてつもなく鬱陶しい内容の日記だったと思います。ま、私が凝り性だということは、十分に伝わったかな?
2016.09.17
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昨日の、nikさんの日記で、オークションのことに触れてあったので、私の、コレクションの一部を載せます。 私は、昭和34年から37年くらいにかけて、母に連れられて、東映の映画を見に通っていました。東京などよりは、遅れてやってきた東映映画が、三本立てで上映されていたそうです。 そして、5日くらいで、次の映画に変わっていたので、その都度、見に行っていたとか・・・・ だから、東映の時代劇全盛時代の映画は、たいてい見ている・・・ということになるのです。 その中で、一番の私のお気に入りは、「大川橋蔵さん」幼稚園児の私にも、橋蔵さんの、凛々しさ、明るさが、とっても印象深く、焼きついたのですね。 というわけで、張國榮さんが亡くなったあと、集め始めた「橋蔵」グッズ。の、一部。オークションで購入した「映画雑誌」ですよ。これだけでも、24冊ありますね。(傷まないように、ビニールに入れてあります)左上の平凡が、どうも、橋蔵さん特集の映画雑誌の一冊目のようですよ。というわけで、少し中身のご紹介。 自筆の文章の初めに、「暑さにも負けず」と書いてあるので、昭和31年(1956年)の夏だと思われます。プロレスラーの「力道山さん」とのツーショット。橋蔵さんの扮装は、「若さま侍」のようですね。 で、こちらは、「水戸黄門」で、格さんを演じているところ。 最初の特集なので、こんな記事もありました。そうそう、「トミー」というのは、美空ひばりさんがつけたニックネームですよ。 久しぶりに中をみたら、こんな特集もありました。この年に、デビューしたばかりの、北大路欣也さんです。6年生の時に、お父さんの映画で共演し、封切りがこの年、中学1年生。 欣也さん、とっても可愛かったのよねー。今は、凄い迫力です。 デビューが、ひばりさんの相手役だったので、その後も、共演した映画がいっぱい。 これが、1956年から1959年くらいの映画ですよ。 ちなみに、この表紙になっている映画は、ビデオ、またはDVDで、すべて持っています。それも、オークションね。 では、雑誌の中をまた覗いてみましょう。 この「恋山彦」は、一人二役で、浪人の方が、御曹司を守って、身代わりに死にます。 これは、陸奥の「胆沢城」を守りに行く密使 「小田の武麿」のお話。 と、ここまでで、一度切ろうかな。
2013.10.25
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この間、ちょっとだけ、あてっこクイズをしたので、今日は、うちにあるブロマイド(生写真)を紹介。と言っても、そんなにたくさん持っているわけではありません。 誰か、というと、大川橋蔵(トミイ)さんのもの。これは、数年前、大川橋蔵さんの古い雑誌やビデオなどを集めていた頃、ヤフオクで購入したものですよ。写真集や、雑誌には、もっと好きな写真もあるのだけど、今回は、生写真だけ。 この中では、中央の上の写真が、とっても好きです。この人差し指が、キュート。 後年の、「銭形平次」しか知らない人は、びっくりでしょうね。 何せ、当時は、アイドルですから・・・・ 幼稚園の頃、ほとんど毎週、母に連れていかれていた東映の映画館で、この可愛い、若侍の橋蔵さんに、胸をときめかしていた、私です。 やくざえいがより、若様、若侍の役が、好きです。 では、アップで・・・ 大川橋蔵さんは、メイクがとてもお上手なのと、歌舞伎の女形で鍛えられた、所作の美しさが、魅力です。映画の中での踊りの場面など、とてもすてきですよ。(これは、舞台での橋蔵さん) いやぁ、久しぶりに、ビデオを見たくなりました。
2011.01.09
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まだ、載せ損なっていたのだけど、これは、植物園の椿です。 中国の三大美女の一人、「王昭君」の名がついた、綺麗な椿です。この間行ったとき、たくさん花が咲いていたので、その場に、20分間くらい立って、ずっと眺めていました。 そしたら、まあ、なんとねぇ・・・ この木の根元に、こんな名札が・・・ 「おうぬま君???、なんじゃ、こりゃ!!」 立派な方の名札には、ちゃんと書いてあったのだけど、「王沼君だなんて、気の毒な感じ」ちゃんと、直していただきたいものです。 では、去年の王昭君も。 さて、2003年の4月1日に、張國榮さんが突然の自殺をされてから、もう7年たつのですねー。私より、1才年下。46才の時に、亡くなってしまったのですよ。 あの衝撃のニュースの後、たくさんのleslie迷仲間が、病気になりました。偶然かもしれないけど、なんか、不安になるくらいでした。 では、中国美女の名を持つ椿にちなんで、この画像から。この映画は、張國榮さんのファンになる前に、WOWWOWで見ていました。長い長い映画でしたが、終わりまで、一気に見ましたよ。ファンになってからは、その美しさに見とれながら、何度も見ましたっけ・・・ この、星月童話の時のleslieも、とにかく、綺麗です。 レモンコーラと読みます。1977年に、21才でデビューしたのに、若く見えるせいで、いつまでも高校生の役が・・・37才の時も、高校生役で、出ていたのですよ。びっくりです。これは、26才の時。金庸さんの武侠小説「神雕侠侶」が原作です。長い小説を、短い映画にしているため、とってもとっても無理があるストーリー展開ですが、leslieが可愛いので、OK。 これは、ウォン・カーワイ(王家衛)監督作品の「楽園の瑕」中国での題名は、「東邪西毒」同じく金庸さんの「射雕英雄伝」の登場人物の若き日の愛と苦しみの物語です。王家衛さんオリジナルの、外伝ですが、難解なため、興行的には、失敗作らしいですよ。私は、好きなんですけどね。静か・・・・・・・・でも、根底には、熱いものが秘められている感じ。 久しぶりに、ちょっと見たくなりました。
2010.03.30
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これは、懐かし、私が初めて炊いた、ツタンカーメンのエンドウ豆の豆ご飯。 まずは、炊きたてね。普通の、豆ご飯です。 それが、お昼くらいになると、ほら、紅くなった・・・・ 夜まで待ったら、こんなに色が濃くなりました。 これは、2005年の画像です。 CD-ROMに、保存していた写真の中から、見つけたよ。当時は、まだ一眼レフのカメラを持ってなかったから、普通のデジカメで、がんばって撮っていました。 と、言っても、1cmまで近づいて撮れる、マクロに強いリコーのカメラだったのですけどね。 では、ここからは、ちょっと雰囲気を変えて・・・ もうすぐ、命日なので。 サム。ガーボウ。ヨディ。キット。マンキョン。 亡くなって、残念。
2010.03.29
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今日、5年ぶりに、ある人と再会した。 といっても、どこかで待ち合わせしたわけではなく、その人が、私の家に荷物を取りにきたのでした。 荷物の中身は、香港明星(スター)関連の商品。たくさんのビデオとか、雑誌とか、スターグッズとか・・ Leslieがまだ存命中は、このお友達のところで、新しい情報を得ていました。この人は、香港明星グッズの輸入販売業者。ご主人は、フランス料理店のシェフで、娘さんが一人。同じ年、ということもあって、すっかりお友達になっていました。で、Leslieが亡くなったあと、たくさんの商品を張り切って輸入したものの、商品の保管場所に困って、私の家でも預かってほしいと頼まれていたのです。 大きな段ボール3個と、ビデオ10本くらいがつまった箱が20個ほど。 (我が家の甘夏) Leslieが亡くなってからは、次第に足が遠のいていて、荷物を預かったまま、お互いの身の上に、いろんな変化があった。 彼女は、両親を亡くし、ご主人とは離婚し、香港グッズの売れ行き不振から、転職。私の方は、乳がんを経験し、職場を変わり、Leslieのおっかけから、大川橋蔵さん、ジュリーへと、見つめる対象が変移していました。 預かった大きな荷物を見るたびに、「もう、この商品は、売れないんじゃないかなぁ」と、思っていたのだけど、今日、持って帰ってから、どうするんだろ・・ 捨てるのかなぁ。
2009.11.21
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これは、サビタの花。 (えっ、サビタ??? アジサイみたい。)と、思った方は、正解。 これは、ノリウツギの装飾花で、アジサイの仲間です。 原田康子さんの小説「サビタの記憶」で、すっかり有名になったらしい。アイヌの言葉で、ノリウツギのことをサビタというのですね。 この実の形は、ハイドランジア(水壺)ですね。 「サビタ」について検索しているうち、原田康子さんの「挽歌」のことを、ついつい読んでしまっていました。 そういえば、昔、「挽歌」を読んだことがある・・・すっかり忘れていました。 何回も映画やドラマにもなっているようですが、どうも、私の好みとは外れていたようで、見事に、あんまり記憶がありません。 でもね、「挽歌」の画像検索をしたら・・・うっふっふ・・・ まあ、懐かしい。「男たちの挽歌」の画像がいっぱいヒット。 ギャングが出てくる話でありながら、大好きで、何度も見た映画。 もちろん、Leslieの出た映画だから観たのだけど、兄さん役の狄龍(ティ・ロン)さんが、本当に名演技。男の優しさ、哀しみを、見事に演じていましたよ。Leslieは、ぴったりの役柄で、文章で説明する気にならないくらい。 狄龍と張國榮の兄弟愛狄龍と周 潤發の友情手下の裏切り、復讐、友の死・・・ 涙なくしては、見られない・・・・ 「男たちの挽歌2」は、さらに進化。もう、涙、涙、涙・・・・ 呉 宇森監督、すごいよ。 なんか、ノリウツギから、大きく、脱線してしまった・・・
2009.09.12
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一昨年、大川橋蔵さんのビデオを集めていた時、発売されていないために、見られなかった作品、「朱鞘罷り通る」を、ついに見ることができました。楽天ダウンロードという、動画配信の場所で、一週間368円で購入し、見たのですよ。 この映画は、1956年の作品。ということは、もう、53年たった作品です。 なら、いっかー、ということで、写真を載せます。 橋蔵さん演ずる中村仲蔵は、市村座の歌舞伎役者。「仮名手本忠臣蔵」で、ぱっとしない役になり、悩んでいました。役は、「斧定九郎」当時、山賊のような姿で出る、端役だったからです。なんとかならないかと、願かけに行き、その帰りに運勢を見てもらったら、なかなか良い運勢だという。信じられぬまま、恋人と会って、励まされるのですが、なかなか良い知恵が浮かびません。「きっと、良い機会を与えられたのよ。」と、言われても、どう工夫したらいいのか悩みます。結局、明日が初日となっても、だめで、恋人と二人、逃げだすことにしました。雨降りの夜、二人が小走りで進んでいると、向こうから急いできた浪人と、突き当ります。これが、実は主役の此村大吉。騙し打ちにあった友人を助けに行く途中、仲蔵たちとすれ違ったのでした。その格好が、まさに、定九郎にぴったり。あぁ、これだ!! 仲蔵は、この姿をヒントにして、舞台に立ちます。 そうしたら、大評判。それまでは、みんなが舞台に背を向けて食事する「弁当幕」と呼ばれるような場だったのに、お客は、仲蔵のこの工夫に大喝采。 しかし、自分の姿を真似されたと知った大吉は、怒って、怒鳴り込んできました。実は、ぐれているけど、大吉さんは旗本。「このようなことは許さん、すぐにやめろ。」と、言います。舞台にまで、飛びこんできました。 それを見て、心を痛めたのが、例の易者さん、実は、仲蔵の実の父親だったのです。こうなったら、此村大吉さんを殺し、自分も死のう、と思いつめてやってきますが、娘として育てたお松に止められます。2人の思いを聴き、すっかり感動した大吉さんは、定九郎の格好を許してあげることにしました。そればかりか、まだ親子の名乗りを上げていない2人を、きちんと会わせてあげたのですよ。「ほら、あそこ」 よかったねー、仲蔵さん。それまで、捨て子から役者という人生だったけど、定九郎で評判を取ったし、家族もできた。めでたし、めでたしのお話です。 こう書くと、橋蔵さんが主役みたいだけど、映画自体は、此村大吉さんの物語ですよ。
2009.06.09
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今夜は、なんと、1963年の映画を見ていました。題名は、「雪之丞変化」 主演は、長谷川一夫さん。出演映画、300本記念映画なのだそうです。 なぜ見たかというと、DISCASで頼んでいたから。なぜ頼んだのかは、忘れました・・・ この時、55才だという長谷川一夫さんは、ちょいとごつかったけど、眼が迫力たっぷりでした。メークも凄いけどね。男役をしているよりは、こちらが、うんと綺麗です。 さて、「雪之丞変化」といえば、タッキー・・・ではなくて、橋蔵さん。こちらは、もともと歌舞伎の女形だから、所作も踊りも、ばっちりです。でもね、でもね、さすが東映。原作にはない、チャンバラが・・・何十人もの悪の手先を、バッサバッサと斬りまくり。最後には、にっくき仇を、めでたく打ち果たします。 これは、橋蔵さんのブロマイド。綺麗ですねー。 でも、私が好きな橋蔵さんは、これ。これは、まだ10代の葵新吾。こちらは、少しだけ大人になった葵新吾。 この髪型が大好きでした。 さて、お風呂に入ってきますよ。
2009.02.18
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