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二日目は、とにかく乗り物をいろいろと乗り換えた一日でした。いろんな島を次々と訪問したわけですから、仕方がないですね。先に乗り物だけ書いてみると、1. ホテルから9人乗りタクシーで漁港の「せり」を見に2. 9人乗りタクシーで漁師食堂へ行き朝ごはん3. 9人乗りタクシーで福江港へ4. チャーター船で久賀(ひさか)島 五輪教会へ徒歩5. チャーター船で奈留島 江上教会へ徒歩6. チャーター船で洞窟クルーズ(若松島)7. チャーター船で上五島へ8. 9人乗りタクシーで有川港そばの昼食会場へ(地獄炊き五島うどん)9. 9人乗りタクシーで上五島飛行場へ10. シャトルバスで頭ヶ島教会へ11. シャトルバスで上五島飛行場に戻る12. 9人乗りタクシーで矢堅目の塩釜見学13. 9人乗りタクシーで有川港に戻る14. 高速船ジェットフォイルで長崎港へ15. 普通のタクシーでJR長崎駅へ16. 特急かもめでJR博多駅へ17. 博多駅から新幹線で博多南駅へ18. タクシーで自宅に帰るというわけで、さささーっと紹介しますね。みんなでぞろぞろと、せりの見学へ漁師食堂に行くと、背広姿のお役人風の人が数人いるなぁ・・・と思ったら、なんと、五島市の市長さんでした。サザエのせり体験の時に、みんなが内心(重い物はいやだなぁ・・・)と思ってあまりせりに参加しなかったのですが、このおじさんが「2500円!!」と元気に叫んだので、無事落札。あとで、屋久島の町長さんだとわかりました。みんなが大体食べ終わった頃に挨拶をされたこの方は、八丈島の町長さんでしたよ。こちらに帰ってきてから確かめたら、本当でした。食べている時も、会場を出てからも、いっぱいお話しました。私が「今度屋久島に行きたいな、と思っていたんですよ。」と、町長さんに行ったら、「八丈島だったら、そのまま行けばいいけれど、屋久島に来るなら体を鍛えてから来てくださいね。」ですって!! 屋久島の自然を満喫するなら、体力勝負ということなのでしょうね。そうそう、クイズが出され、二人の人が答えたけど正解でなかったので、しょうがないので私が手を上げて答えを言ったら「正解」というわけで、頂いた景品が「くじらクッキー」でした。5枚入りで380円のもの。(あとでよく見たら、クジラと椿油が入っていましたよ。味は微妙・・・)食後は、いよいよいろんな島をチャーター船で周ります。久賀島の次には、お隣の奈留島へ。この、大量にいた小さな青い魚はルリスズメダイだそうです。近くにいた年配の漁師さんに尋ねたら、以前はいなかったけど、海水の温度が上がったからか、沖縄あたりからやってきたのだそうですよ。水の中にいるときは青いけど、すくって手に載せて見ると、少し赤みがさす・・とおっしゃっていました。次は隠れキリシタンが発見されたという洞窟の見学。波が荒い日には近づけないらしいのですが、この日はとても波が静かだったので、岩場に上陸できました。それから、前日に私一人で見た若松大橋をくぐり、上五島につきました。有川港まではけっこう遠かったです。港近くの料亭で五島うどんの昼ご飯を頂き、その後は自由時間。それから、飛行場へ頭ヶ島教会に行く道は狭いし、近隣の住民の迷惑になるので、一般の車が入らないように、ここに駐車場がありシャトルバスで送り迎えをしてくれるようになっています。ここでも、けっこうのんびりできましたよ。それからまた飛行場までシャトルバスで戻り、タクシーで次の見学地へ製塩工場と聞いていたのだけれど、こんな風にまきをくべて煮詰めているとは知りませんでした。昔ながらの方法なのでしょうね。塩田を作るような平地が少ないので、こういう方法で塩を作るのだそうです。出来上がるまでに、二週間くらいかかる、と言われたので、買うつもりはなかったのだけど、つい買ってしまった・・・三回の旅行で、これだけの塩が・・・ それからまたタクシーで港へもどり乗り込むとき、皆で「かもめなのに、なんでツバメの絵がついとーとかいな??」と話しましたよ。この列車は、もう左右に揺れまくりでびっくりしました。キャスター付きのバッグを足元に置いていると、横の通路に滑っていってしまいます。だから、ずっと足で止めていました。帰ってきてから調べたら、この車両はスピードが出せるように、振り子式の車体になっているのだとか。酔う人が多いらしいですよ。なんか、みぞおちから下の部分がずっと左右に揺さぶられ続けている感じでした。それに、時々耳もつーんとなったし・・・乗り心地は新幹線の方がいいです。というわけで、五島の旅の紹介はおわりです。これが12月の分なので、次の旅行は1月の終わり頃になるか、2月にするか・・・まだ未定です。
2018.11.10
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熊本の地震をきっかけに、国内旅行を控えていた私ですが、そろそろいいか・・・と思って、9月から一か月に一回のペースで小旅行に行くようにしました。9月の終わりには、対馬ツアー。ジェットフォイルであっという間に国境の島へ。10月の終わりは、飛行機でひとっ飛び、1時間15分で奄美大島へ。11月の初めには、バスツアーでお隣の佐賀県へ、唐津くんちとバルーンフェスタを見に。そして、今回ですけれど、12月は何かと気ぜわしいし、旅行に行くのは気が引けるので、11月に前倒しして行ってきました。今度は、フェリーでしたよ。早めに博多港に行き、ポートタワーから乗る予定のフェリーを見下ろしました。出航は23:45なのですが、21:45には乗船開始でした。なんと、乗り込んで二時間は動かないのです。自動車の乗り入れに時間がかかっているのでしょうかね。ようやく出航してからすぐに消灯。私は窓のすぐそばの場所でしたので、窓から外を見ていると、博多湾の中ほどで、波間に光る物を発見。ひょっとしたら「夜光虫」かな? 刺激で光るので、船が立てた波のところで光るんですよね。外海に出たら見えなくなりました。夜光虫のシーズンは春から夏にかけて。そして多い場所は湾内らしいですから、この時期は少ないのかもしれません。朝、空が明るくなってから、デッキに出てみました。お客さんはたくさん乗っていましたが、デッキにはものすごく強い風が吹いているせいか、私以外には、一人若い男性が出てきただけ。その人もすぐに戻っていきました。というわけで、デッキも独り占めです。せっかくだから、お日様が上るところを写真に撮りたい!!待って待って、ようやくパチリ。もう少し早めに島影のところを抜けていたら、海から日が昇るところを見られたんだけどなぁ・・・ま、しょうがないです。五島の真ん中の奈留島で、お弁当をもらって朝ごはんの予定。食べ終わったら、わりとすぐに福江港に着きました。そうです。今回の旅は「世界遺産の島 はじめての五島」ツアーです。一日目は、一番大きな福江島を一周する予定。奄美も、大島椿で有名でしたが、五島も椿が名産なんですね。それで、こんなデザインのバスでした。最初の目的地は井持浦教会です。ルルド、という聖なる水で有名な場所と関係あるようで、ここでみんな聖水を頂きました。(何か奇跡が起きると信じましょう)そのあとで、大瀬崎の灯台を見にいきました。私達が景色を楽しんでいたら、バスから降りてきた運転士さんが、「今日は男女群島がはっきり見えてるよ。こんなにはっきり見えるのは珍しいからね。」と教えてくださいました。さすがに、女島灯台は見えませんでした。この後は、またバスに乗り込んで、近大マグロの養殖の様子なんかを見ながら移動し、高浜海水浴場に着きました。11月ですが、とても暑い日でした。引いた海水が残っている浜辺をどんどんすすんで貝殻も、ちゃんと拾いましたよ。これは、同じ場所をバスの道路から見下ろしたところ。向こうの奥の方に、もう一つ海水浴場があるのがわかります。つぎに、焼酎工場に寄って、説明を聞き、少しだけ試飲して、欲しい人は焼酎を買ってから昼ご飯でした。この工場の隣が「遣唐使ふるさと館」なんですね。バイキングの食事をたっぷり頂いたあとで、館内の展示物をじっくりと見せていただきました。遣隋使は、対馬を通って、朝鮮半島ぞいに隋に行きましたが、遣唐使の頃には、途中で朝鮮新羅との関係が悪くなってきたので、五島を通るコース、そして南西諸島をめぐって行ってから大陸に渡るコースで行くようになったみたいです。当時の船がどんな造りだったのか、はっきりとした資料は残っていないそうですが、四隻にお偉方と留学生がそれぞれ分乗して唐に向かい、難破しないで残った船に乗っていた人たちが長安に行き、そしてまた危険な海を航海して日本に戻ってきたのは、凄いですね。実にたくさんの人材が亡くなっています。今名前が残っている遣唐使経験者の人たちは本当に運がいい、としか言えません。しっかりと日本史のお勉強をした後は、またバスで移動です。島ですから、どこに行っても綺麗な海が見えます。実際に信者の方たちが祈りの場所として使っていらっしゃる場所を見せていただくのですから、失礼のないように、注意深く行動しましたよ。そのあとで、福江港の方に戻り、今度はお寺です。当たり前のことですが、五島には、教会だけでなく、神社やお寺がたくさんあるんですね。もっともっとお話を聞いていたかったのですが、あと二か所訪問予定の場所があるので切り上げ。福江島で三番目に高いという「鬼岳」に登りました。ここには樹木は生えていませんので、とても見通しが良いです。元気が残っている人たちは、頂上を目指しています。ここで、カメラのバッテリーが終わったので、これ以降はスマホで撮影。天文台よりも高い場所から、海を見ました。あたりは夕暮れが近づいているせいで、オレンジっぽくなってきていますね。そして、最後には、鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸へ。ここから見た鬼岳は、なんだかプリンみたいな、子供が作った砂山のような・・・展望所がありましたが、横の道を下りて、溶岩を触ってみましたよ。それからまた、福江港の方にもどってホテルにチェックインしました。このお膳にのっていた「ヒオウギ貝」の貝殻をもらって帰りたかったのですが、焼きカマスや天ぷらを出すのに、さささっと片づけられてしまいました。残念!!というわけで、一日目は終了。用心して早く寝たら、翌朝3時半くらいに目が覚めてしまった。しばらく漢字パズルを解いて、眠くなってから、もう一度少しだけ寝たら6時前。それでちゃんと起きました。二日目は朝7時10分にホテルを出て、朝市を見学し、そのあと漁師食堂での朝ごはんなんですよ。では、二日目のことは、次の日記で・・・
2018.11.08
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この島にある「宝当神社」は、宝くじが当たると言われ、参拝者がとても多いらしいです。はい。私達がやってきたのは、唐津くんちの会場です。今日は12時から「お旅所」という場所への曳き込みがあるので、人がたくさんあつまっているのです。途中の渋滞と、駐車場に入る車の列が長すぎたのとで、ちょっと遅れてしまいました。こうして、写真を並べるとすんなり通ったように見えますが、長い長い。待ちくたびれました。何を待っているのでしょうか。これが、今回一番見たかった「鯛」の曳山。唐津くんちといえば、これですね。全部通るまで待っていたら、自由時間が終わってしまいそうなので、「鯛」の後をついていきました。この人ごみの中を行きたい方へ行くのって、とても大変。ここは、下が砂地なので、曳くのがとても大変なのだそうです。それにしても、いろんな国の言葉で紹介されるアナウンスが長い。間延びするのは、そのせいなのかしら。ここまでで、一時間たってしまいました。戻るのも時間がかかりそうなので、少しずつ戻りはじめましたよ。全部は見ていませんが、雰囲気は十分伝わりました。街中を曳くときにはどうなんだろう。山笠を見慣れている者としては、のんびり通っているだけに見えるなぁ。でも、綺麗でした。バスに乗りこみ、次の場所へ。一応、3時からの競技は行う予定らしいので、どのチームも準備を始めました。途中で、全員でのラジオ体操があって、ずっと進行の人たちのお話を聞いていたのだけど、ついに、中止になってしまいました。がっくり。サービスで、5個の気球をふくらませてくれましたけど、私達はバスに戻りましたよ。でもね、帰りのバスでいいことが・・・窓から「彩雲」が見えたんです。肉眼で見たときの方が、もっと色がはっきりしていた気がします。佐賀平野の夕空。お土産は、途中で買った小城羊羹。母に渡したら喜んでいました。小城羊羹は、銀色のラミネート紙の筒に流し込んで作るのではなく、木箱に作った物をサイズに合わせて一本一本包丁で切り分けて作られていたもの。それで、周りが乾燥してシャリシャリになり、中はしっとり・・・・こんなのです。一度書いたのが、アップするときに消えてしまったので、今度は、ちゃんと下書き保存してからにしよう。
2018.11.03
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途中で、「とびんにゃ」の話が入ったので、なんか気が抜けましたね。今回の日記で、奄美の旅のお話はおしまいです。あと少しだけお付き合いください。お昼ご飯を頂いたあと、マングローブパークで、のんびりと蝶の舞い飛ぶのを楽しんだあとは、いよいよ最後の訪問地「奄美パーク」へ行きました。ここは、元の奄美空港があった場所で、広い土地に博物館みたいなのと、田中一村さんという画家の美術館、そして展望台があるところです。新しい空港がすぐそばにありますので、飛行機もどんどん飛んできました。最初に入ったのは、奄美の暮らしについての展示物があるところ。ルリカケスの写真を撮っている私が写り込んでいますね。もっとたくさんありましたが、省略します。ここを出て、次には展望台に行きました。バスガイドさんは、台風24.25号の強風でガラスが全部割れて、上ることができなくなっています、と言われていましたけれど、ダメもとで行ってみたら、よかった!! 修理が終わっていましたよ。これで、この日三つ目の展望台です。奄美空港に着陸しようとする飛行機が見えました。さっき入った博物館みたいなところは、巻貝を伏せたような形ですね。あたりは、だんだんと暗くなってきます。展望台を下りて、広い場所に行きました。ここは、私だけ。この広い場所に、鳥さんたちが10羽ほどいたので、その動きを楽しくながめておりました。しかし、今回の奄美ツアーは、本当に観光客が少なかった。ツアーのバスは、私達以外ではあと一台見かけただけです。あとは、全部車で移動しているお客さんだけ。奄美の観光客は、夏場が多いのでしょうかねー。でも、おかげで本当にのんびりと美しい景色を堪能することができました。海岸も、プライベートビーチ状態でしたからね。福岡・奄美間の飛行機は、行きも帰りも、76人乗り(19列まであって、横は4人だから)の小型ジェット機でした。福岡からは、たった1時間15分で着くのですから、近いです。奄美を6時45分に出発して、8時には福岡空港に到着、そして、9時には自宅に戻っていましたから、ラクチンな旅でした。お土産は買わない予定でしたが、奄美の塩と、黒糖三種類、そして田中一村の絵葉書を買いました。今回、ずいぶん楽しませてもらった「ツマペニチョウ」の入った絵葉書にしました。どこに飾ろうかなぁ・・・それでは最後に、鬼まんじゅうのの残りをレンジで温めて、バターをのせたもの。美味しかったです。そして、我が家の周りの写真を二枚だけ。
2018.10.29
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昨日、ちょっとしかのせていなかったので、山に登ったところから。この男性は、離島めぐりばかりされているという方。奥様は、離島にはついてこないのだそうです。「ぼくが早くしろ、早くしろとせかすから、女房がいやがるんですよ。だから、一人で参加しています。」ということらしい。女性の一人参加も、旦那さんは家にいて自分だけ参加という人ばかり。右側に見えている二人組も、姉妹だしね。この展望台に上るのがきついですよ、と脅かされていたので、念のため杖をもって上りました。だから平チャラでしたよ。養殖場この間の台風で、養殖場の魚たちも少し逃げたのだそうです。でも、自力で餌を捕るのに慣れていないから、きっと弱ってすぐに他の魚に食べられるか、船に釣りあげられるかするだろう、とのことでした。次は、マングローブパークです。まず食事。この貝は、前夜の食事にもついていました。和名は「まがき貝」。まがきというのは、「籬」のことで、竹や芝で編んだ粗い垣根のこと。貝の模様がその籬に似ているから名前がついています。でも、奄美では「とぅびんにゃ」、高知県では「チャンバラ貝」というらしいですよ。貝から出ている赤い爪のような部分で砂浜をヒョイヒョイと飛んだり、刀のように振り回したりするから、こんな名前がついているのですねー。この貝については、またそのうち載せますね。さて、食後は自由時間が1時間あります。希望者の6人は、カヌーでマングローブの観察に出かけました。他の人は、さっき展望台に上ったばかりで、もう登りたくないというので、この展望台に上ったのは私だけ。シーンとしています。おまけに、階段の向こう側があいているから、なんか落ちそう・・・それで、手すりを持ちながら必死でのぼりましたよ。展望台からは、マングローブの間の水路がよく見えました。10分くらい眺めたあとで、移動。奄美にはそこらじゅうにハブがいるので、草むらには入ってはいけないの。でも、この赤い花のところにずっとツマベニチョウがやってくるものだから、なんかずっとここにいました。とにかく速いので写真に撮りにくかったのですが、一度に3匹飛んできたりして、楽しかったです。通り過ぎても、3分くらいするとまた戻ってくるのです。オニヤンマみたいに、コースが決まっているのでしょうか?ここのサンタンカと少し離れたところの赤いハイビスカスに、何度も蜜を吸いにきていたみたいですね。同じ場所で、小さいけれど、はっとする色どりの蝶を見つけました。それで、なんとなく追いかけながら、別の場所に移動それから、こちらの芝生のところには、シロオビアゲハ。これも、福岡にはいない南の蝶です。ツアーの仲間の人たちも、パーク内をうろうろしていたので、私が見つけた蝶について熱く語っていたら、その人たちもまた蝶を見つけて喜んでいましたよ。集合時間が近づいたので、元の建物に戻ったら、こんな額がありました。私が追いかけた綺麗な蝶は、何だろう・・・・と思ったら、これでした。アオタテハモドキのオスですね。南の島の蝶をたくさん見ることができて、本当にうれしかったです。このあと、奄美空港のすぐそばにある「奄美パーク」に行ったのですが、それはまた次の日記にのせます。
2018.10.26
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これは、朝の7時。朝食に向かう時に撮った一枚。なんかいいことありそうな・・・きれいな海をみながら、最初の景勝地へ。「まねん崎」です。景色の良いところでしたが、ギャーギャーとルリカケスがずっと鳴いていました。木にとまっている時には、逆光でよく撮れなかった。これは、つがいが飛んでいるところ。まだ朝なので、太陽が低く、こんな感じに光っていました。崖下を眺めると、パパイヤがたくさんなっていましたよ。次に行ったのは「ヤドリ浜」。浜ですから、海に近づくことができるみたい。高齢の人が多いのだけど、みなさん、急ぎ足で波打ち際へ。奄美の海は、少しエメラルドグリーンっぽい色になっています。みんな、貝殻を拾ったり、波をさわったりして遊びました。車エビの養殖場の横を通って、次の浜へ。向こうに海が見えないけれど、まっすぐまっすぐ進んでいくと、今度は、「ホノホシ海岸」です。大きな丸い玉のモニュメントが・・・この海岸の丸い石は、昔はもっともっとたくさんあったのだそうです。でもずいぶん減ってしまったので、今では持ち出し禁止になっています。せっかくだから、手にのせて記念撮影をしました。この海岸でも、30分くらい遊んでから帰りましたよ。売店や自動販売機もなく、トイレと駐車場だけ。ホテルでもらったお水を飲みながら、バスで移動します。バスから見た景色も、素晴らしいんです。次は、山の上の展望台に上って、加計呂麻島などを見る予定。これは、120段ほどの階段を上ってたどり着いた展望台からの景色。空気が澄んでいたおかげで、53km離れた徳之島まで見えました。普段は、見えないことが多いらしいです。マグロやタイなどの養殖をしているところも見えました。二日目の午前中は、とにかく海ばかり眺めていましたが、本当に綺麗でした。海辺にはプラスチックごみなんか、一個も落ちてなくて、道路も綺麗。定期的におそうじをされているのでしょうか。とにかくびっくりするくらいに清潔で、美しい色の海でした。午後は、たくさんの生き物に会いましたが、それはまた次の日記にのせます。
2018.10.24
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昨日は、むこうを6時45分に出たのですが、夜の9時には、もう自宅にもどっていました。でも、写真を整理していたら、遅くなってしまったので、日記は今日書いています。まずは、一日目(10月21日)のお話から。はい、やってきたのは、「奄美大島」です。「いもーれ奄美!」だそうです。沖縄だったら、「めんそーれ沖縄!」ですね。さて、奄美は、九州と沖縄県のちょうど中間くらい、東シナ海と太平洋に挟まれた島です。空港のすぐ近くにある、絶景ポイント「あやまる岬」まさに、南国・・・という感じ。バスでの移動中にも、綺麗な海がずっと見えていました。NHKの大河ドラマ「西郷どん」効果で、西郷ゆかりの地を次々に見ていきます。資料館にも行きました。でも、みんなが喜んだのは、ここです。黒糖焼酎の工場を見学したあと、焼酎の試飲、昼食、お買い物タイムとなります。今回のツアーメンバーは、16人。バスの乗り降りもラクチンでしたよ。二人組(姉妹ばかり)の人が3組、あとの人はみんな一人での参加でした。夫婦参加はなし!ふだんは全く飲まない私ですが、せっかくの試飲なので、全種類飲んでみました。氷や冷たい水が置いてあったのですが、薄めたらよくわからなくなるので、すべてそのままくいっと飲んで、その後少し水を飲んで口直しして、また次の焼酎・・・という感じで試飲していきました。お昼ご飯は、その昔薩摩の侍をもてなすための物だった鶏飯(けいはん)。さっぱりした味でした。昼食後は、みなさん、焼酎やお菓子、奄美の物産なんかをいっぱい買って、家に宅配便で送っていたみたいですが、私は「お土産は買ってこんけんね。」と言って出てきていますので、気楽なもんです。出発の時間まで、のんびりと工場の周辺を散歩しました。海を眺めたり、水路の周りを歩いたりしていたら、あら、足元に小さな小さなシジミチョウがいます。あとで調べるつもりで、たくさん写真を撮りました。とにかく、小さなシジミチョウだったのだけど、調べてびっくり。あの、あこがれの「シルビアシジミ」だったのです。撮っといてよかった!!それから、バスの方に戻ると、今度は何やらでっかい白蝶が・・・ガイドさんが「あれはツマベニチョウですね。」と教えてくれたので、私は大喜びで、蝶に近づいていきました。こんな、駐車場の植え込みにいるんですね。感激です。このあとも、何度もこの蝶を見かけることになったのですが、これが最初の出会いです。やった!!午後に、本来なら原生林に行く予定だったのですが、この間の台風で途中の道が崩れてしまい入れない、ということで、大島紬の工場に行きました。そこで見つけたものは、この鳥。逆光だったけど、鳴き声でわかります。ガイドさんが「あれはルリカケスですねー。」と教えてくれたので、撮りました。カメラのモニターでは真っ黒に見えていたけれど、パソコンでレベル調整すれば何とかなるかも・・・期待して写真に撮りましたよ。PhotoshopElementsで処理したら、色が見えるようになりました。間違いないですね。この鳥は、奄美大島と、隣の加計呂麻島、請島だけの固有種なのだそうです。これも、写真に撮ることができて良かった!!また、こんな赤い実が、そこらじゅうにありました。「月桃」の実です。この木も、妙に気になったもの。幹にたて筋があって、こんなにでっかい木なのに、葉っぱが小さすぎ・・・と思ったら、この間の台風24、25号で、葉っぱが全部飛ばされてしまったのだとか。この小さな葉っぱは、飛ばされたあとで出てきた葉っぱだったのですね。これは、椎の木。島中に生えているのだそうですよ。原生林に行けなかったので、ホテルに着いたのが4時頃。夕食までたっぷり時間があったので、自由行動になりました。ホテルでもらった地図を見ながら、私は漁港の方へお散歩に行きました。夕食は、西郷さんと愛加那さんが結婚式の時に食べたのと同じ「三献」を中心に、それはそれはいろんなお料理が出てきましたよ。夕食のあとで、また漁港の方に散歩に行こうと思ったのですが、街灯がほとんどなく、道が真っ暗、家の灯りもほとんどついていない、人通りもほとんどない、ということで少しだけ行ってもどりました。では、続きは、次の日記でね。
2018.10.23
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忘れないうちに、短い対馬旅行二日目の記録を書きます。二日目は、厳原(いずはら)の町を歩いて、歴史のお勉強です。 〇朝鮮の 客をもてなし 国守る最初は、対馬の国分寺。建物は新しかったけれど、石垣や山門は、昔のままでした。それから、八幡宮神社へ。対馬は海に囲まれているので、海から無事に帰ることができるように拝む神社がたくさんあるそうです。八幡宮の跡は、対馬藩主の宗家代々の墓所がある万松院へ。途中、いろんなものを見ました。まずは、これ!!! 初めて撮った「ミヤマカラスアゲハ」です。 〇あこがれの 蝶に出会えた 対馬旅 〇厳原は 石垣残る 城下町 「宗家」です。 〇阿比留氏と 宗氏がつなぐ 歴史かな宗氏の前にここを治めていたのは阿比留氏。遠い昔に、関東から派遣された防人だったそうです。町の中は、どこもかしこも、石垣だらけでした。これにはびっくり。そして、また対馬の真ん中のくびれたあたりまで戻って、昼食。農地が少ない対馬では、サツマイモの栽培が奨励され、長期保存する方法も生み出されました。 〇苦労して 美味しく食べる 芋の麺食後は、みんな近くを自由散策。私はクズの花がいっぱいある場所へ以前、ごねあさんにお願いしたけれど、クズの大量に生えているところにやってきたので、自分で探します。(当たり前か…)一日目は、とても良いお天気で、二日目は薄曇りでしたが、歩き回るのには、ちょうどよかったです。ツアーでしたが、お土産屋さんにつれていかれることがなかったので、買った物はこれだけ。墓所の売店で買いました。以前から欲しかった「藻塩」があったので、大喜びで買いました。この袋、160g入りで500円です。(実は、3袋買いました。) ひじき藻塩≪焼仕込み≫ ひじき 藻塩(30g,60g 卓上用) (のし可 敬老の日 ギフト) 新入荷対馬海峡 ひじき藻塩 160g×2個セット メール便送料無料感想。ジェットフォイルは、気軽に遠くまで行けるのはいいけれど、船旅という感じではないですね。私はデッキから風を感じて、遠くの海面、近くの船の泡なんかをゆっくり眺めたい。というわけで、今度はフェリーでの船旅に行きたいです。(計画中)
2018.09.19
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昨日、船に乗って、一泊二日の旅に行きました。これに乗ったわけではありません。私が乗った船は、こちら。今回初めて体験する、ジェットフォイルという高速船です。集合時間よりずいぶん早く行ったので、お散歩して四つ葉をゲット。(ちゃんと押し葉にしました。)そして、渡された船のチケットは、これ。対馬の厳原(いずはら)行きです。指定席です。窓際じゃなかったけど、文句は言えません。最初、壱岐の芦辺港に寄りました。ここで、半分以上の人が降りました。びっくり。そして、2時間15分の船旅で、見えました。良いお天気だったので、空も海もきれい。 〇せっかくの 船旅ベルトで 固定され 〇窓からは 位置がわからず スマホ見る 〇二時間で 国境に着く 高速船 全員揃うまで、10分くらい待ったのですが、みなさん日陰に隠れています。私だけはうろうろして、波のキラキラを写真に撮っていました。バスに乗り込んで最初に行ったのは、対馬の地形がよくわかるところ。対馬の北と南はつながっていて、ひとつの島なのだけど、真ん中あたりが九十九島みたいになっているの。で、狭いところは陸の幅が160mくらいしかないので、北の端っこをまわったり、南の端っこを回っていくよりも、真ん中をがんばって通った方が速いし楽。というわけで、明治時代に旧日本海軍さんは、軍船が通れるように人工の瀬戸を作りました。そして、ここに橋をかけて陸の南と北が行き来できるようにしたそうです。でも、太古の昔には、そんな技術がなかったので、人力で渡していました。小さな舟だったら、そのまま陸を運んで渡したそうです。乗っていた人は舟から降りて歩いて向こう側へ。160mだから、ラクチンです。遣唐使の皆さん、みんなそうやって渡っていったのねー。知らんかった。 〇まわるより 渡ってしまえ 島の胴 〇陸の幅 わずか百六十メートル 〇対馬では 歩いて渡る 遣唐使それから、神社に行きました。ミラーに、偶然私達のバスが映っていました。途中の景色も、素敵でしたよ。そして、ついたところは「海神(かいじん)神社」お参りするには、石段をたくさん上らないといけません。休み休み行きました。ここは、2012年に、韓国人の窃盗グループにより、仏像が盗まれたことでも有名になった神社です。御祭神は「豊玉姫命」。 〇石段を 上って出会う ありがたさ 〇心臓が 飛び出す前に 無事着いた 〇のぼりより 下りが怖い 宮の道対馬の歴史のお勉強のために、豊玉町郷土館へ。この中は撮影禁止でした。その次には、「和多都美(わたづみ)神社」に行きました。ここは竜宮伝説で有名なのだそうです。対馬は干満の差が2m以上あるので、満潮の時と干潮の時で、景色が全く変わってくるとか。今回は、ちょうど中途半端な水位だったようです。満潮の時には見えなくなるご神体のうろこ模様の岩が見えていました。おくに行くと、もう一つ、三本足の鳥居(三柱鳥居)がありました。こちらには、亀の形の岩が。この奥の方へ進むと、 豊玉姫の墳墓がありましたよ。ここは、神域と言われていて、なんかひんやりした場所でした。 〇山幸彦 針をさがして 嫁みつけ 〇満潮に 水に浮かぶか わたづみ宮 〇磐座(いわくら)に 豊玉姫を 思いやるそれから、一日目の最後の見学場所へ。どんどん上ったところで、バスから降りて、今度は石段を登ります。 〇展望台 見るより先に 休憩す 〇烏帽子岳 とんびが下で 舞い遊ぶ 〇浅茅(あそう)湾 島の子どもが ぽこぽことそれでは、烏帽子岳頂上の展望台から見た景色です。写真は、一日目だけで300枚くらい撮ったのですが、これくらいにしておきます。で、こちらが、泊った部屋です。ビジネスホテルですが、十分くつろげました。晩御飯はホテルの近くの料亭で、石焼料理を楽しみました。ガス台の上に石が乗っていて、焼けた石の上にお刺身とか野菜を載せて焼いて頂く、というものでした。けっこうお腹一杯になりました。では、二日目のことは次回の日記に書きますね。
2018.09.17
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台風の被害にあわれた皆様、まだまだ片づけが終わらず、大変なことだと思います。昨日はまた、北海道での地震のニュースにびっくり。日本列島、いろんな場所で、いろんな災害が発生しています。ある程度予知できるものもありますが、ほとんどがいきなりの災難。被害にあわれて亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された方、どうぞ、今後の事もありますので、お気をつけて。一日も早く元の生活が戻りますよう、お祈り申し上げます。さて、昨日は地震のニュースは気になりながら、予定していたのでお出かけをしました。向こうに見えるのは韓国との往復をする船。ここは、海側の公園みたいな場所。ふだんはもっと人が多いのかな?こんなところに神社があるとは知りませんでしたよ。船を見に行きました。ポートタワーの中は韓国語の嵐。こんな平日でも若い観光客がたくさんいました。さっき見たマリエラが、博多湾に出かけていく途中。のんびりと360度の景観を楽しんだ後、また下に降りていきました。10時過ぎから、1時くらいまでうろうろしていましたよ。今度、ここに用事があるので、「下見」に行ったのでした。雨も降らず、青空がちらっと見えるくらいの曇り空だったので、よかったです。帰りのバスの中で、ゆったりと座っていたら、座席と車体の間から手が出てきて、「あのー、もし」と、声をかけられた。「二時間くらい前に、博多駅行きのバスに乗ってありませんでしたか?」というお尋ねでした。「いやぁ、その頃は、ベイサイドプレイスにいましたよ。」と答えると、「あらー、そうですか、なんか、おたくとそっくりな方をバスの中でお見掛けしていたので、てっきりまたお会いしたと思って・・・」と言われましたよ。えぇ?? 私とそっくりな人がいるの? その人を見てみたいな、と思いました。というわけで、無事半日の小旅行でした。
2018.09.07
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昨日土砂降りだったので、雨の中のお出かけはいやだなぁ・・・と思っていたのですけれど、なんとまあ、今日はカンカン照りでした。天神バスターミナルのところでバスを降り、アクロスの方へ向かうと、すごい声でシャウトする男性の歌声が・・・それも、よく知っている曲です。 この市役所前では、よくイベントが開催されているので、今日も何かあるのだろうね、と思ったのですが、なんか様子がおかしい。周り中を柵で囲んで入れないようになっています。 やぐらが組んであって、テレビカメラのような物が2台並んでいました。テレビ放送があるのかな?市役所の北側道路を抜けると、アクロスが見えます。 バス通りからは、この緑は見えないので、久しぶり。公園横の入り口から入ろうとすると、通路に、このポスターが・・・ アクロスの入り口には、この立て看板。 私が出るのは、矢印のところ、「古楽ステージ」です。ちゃんと確認してから、中に入りました。建物の中には、ものすごく大きな立て看板がありました。ワクワクします。 アクロスの中は、天井が吹き抜けで、自然光がたくさん入ってきます。 今日私が使った楽器です。長さ1mのバスリコーダーです。 終わったあと、楽器は古楽祭の受付の人が預かって下さったので、紅茶の入ったマグボトルとバッグだけもって、アクロス登山をしました。 虫もいましたよ。バッタかと思ったら、イナゴの仲間でした。 花が終わってしまった萩のところに、黄蝶が2頭、ひらひらと飛び回っていたので、がんばって撮ったけど、2頭一緒の写真は、ピンボケ。 飛んでいったあとで、確認したら、ちやーんと卵がありましたよ。これは、そのままにしておきました。 屋上には、ちゃんと警備の人がいます。飛び降りたりしないようにでしょうか。 大きなクルーズ客船が停泊していました。 あとで調べてみたら、中国のクルーズ船のようです。次の寄港地は、上海。 キャナルシティにも、ずいぶん行ってないなぁ。開業が1996年だそうですから、そのあと2回くらい行っただけ。 中学生の頃には、この場所にはカネボウプールがあったので、友達と泳ぎに行ったり、冬になったら、ローラースケートをしに行ったりしていたのに、キャナルになってからは、さっぱりです。 この公園では、「九州うまいもの食堂」というイベントがあっていましたが、美味しそうなところには、長蛇の列ができていたので、何も買いませんでした。というわけで、今日は、古楽祭で(一応)立派に演奏し、その後、アクロス登山をして、大いに満足しましたよ。その後は、ジュンク堂で2冊本を買ってから帰りました。おかげで、足がくたびれました。今夜は早く寝ようかなぁ。
2016.10.09
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蔵王堂とその周辺の吉野宮跡などを十分に散策した後は、参道を通りながら、お土産の下見をして、 左の谷側にあった「吉水神社」に行きました。 ここは、明治時代に、吉水院というお寺の建物から、神社になって、存続してきたところ。 漢字パズルに「一目千本」という熟語が出てくることがあったけどここの景色のことだったのですね。 ここは、なんと、写真を撮ってもよい場所。珍しいですね。 すぐそばで見ることができました。(ただし、これは、秀吉さんが修復されたものだろうとのこと。) 後醍醐天皇のご宸筆(しんぴつ)もありました。後醍醐天皇って、ものすごーく達筆だったのですね。 この展示品を見たときは、びっくり。 あの、蝉丸の琵琶の本物です。後醍醐天皇が吉野にこられたときに、もってきたものだとか。 琵琶の名手であった蝉丸の元に、同じく笛や箏、琵琶などの名手だった源博雅さんが、 なんと三年間通い続けて、ようやく秘曲を伝授された話は、今昔物語集にも、出てきます。 現代語訳は、こちら。 他にも、達筆の古文書がたくさん。このくらい美しく書けるといいな・・・・ こんなお手紙もありました。 上が助さんこと佐々介三郎さんからのお手紙。下が、水戸光圀公からのお礼状。 こんなお宝も、展示されていましたよ。 触ろうとすれば、すぐに触れそう・・・ 義経と静御前が隠れていた部屋なども見てから、出ました。 帰ろうとしたら、こんな掲示物を見つけましたよ。 「りんぴょうとうしゃ、かいじんれつざいぜん!!」 昔、子どもたちが小さかった頃に見ていたアニメで、よく、この早九字護身法 を唱えるシーンがあったような・・・・ さて、元の参道に戻ってから、次の目的地に向かいます。 京都に戻れぬまま亡くなった後醍醐天皇の御陵があるところ。 如意輪寺です。 ただし、遠い。せっかく高いところに登っているのに、一旦、谷底まで下っていって、あちら側の山に登るの。 すれ違う人たち、皆と声をかけ合います。 ようやく、着きました。 この日の天気予報では、夕方から雨。 吉野山では、五時間の自由散策時間がとってあったので、ゆっくり見学したり、お土産を買ったりすることができました。 お土産を買って、もう一度金峯山寺に行って、バスに戻ったところで、雨が パラッパラッ・・・ 大阪に着いた頃は、雨がやんでいたので、とうとう、雨具は使わずにすみました。 一人参加の仲間の人たちとも、いっぱいおしゃべりしたし、 今回の奈良旅行も、とても素敵なツアーになりました。 次のツアー予定は、6月に隠岐の島四島をめぐる旅ですよ。 楽しみです。
2016.04.24
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奈良旅行の二日目のお話です。 朝の8時10分にホテルを出発したので、吉野山についたのはまだ朝のうち。 それで、バスの駐車場も、参道も、人が少な目で良かったです。 桜が赤っぽいですね。これは、花びらが落ちて、紅くなった軸の部分が目立っているから。これはこれで、美しかった。 八重や、枝垂れは、満開。 まずは、今回の旅の一番の目的地、金峯山(きんぷせん)寺へ 仁王門が工事中だったのは残念!! ネットで覆われた仁王様たちも、お疲れ気味。 バスの中で、団体割引券を購入していたので、すぐに蔵王堂へ 蔵王堂の中は、撮影禁止ですので、写真がありません。 すみません。 券をちぎっていただくと、靴用のエコバッグとお札が渡され、中へ進みます。 まだ人が少なかったので、青い御本尊 秘仏「蔵王権現」をゆっくりと参拝させていただくことができましたよ。 大きくて、ダイナミックで、色彩がすばらしくて、5分くらい、見とれていました。 奥の方に他の仏様もいらっしゃるということで、そちらの方の入り口に入ると、「発露の間」が・・・・。 全く予備知識がなかったのですが、そこにいらっしゃった方から、「ここは、おひとりだけで仏様とお話できる場所です。他の人には聞こえませんので、どうぞ、安心して仏様にこれまでのことや、これからのこと、お祈りされてください。」 と、言われ、障子で囲まれた、畳半畳くらいの空間に入りました。 そこに座ると、本当にすぐ目の前に蔵王権現様がいらっしゃいます。 どうお伝えしたら良いかわからないのですけれど、今までの人生でのことなどを感謝する言葉とか、至らなかったことをおわびする言葉とか、いろいろお話しているうちに、突然、涙が出てきてしまったんです。 不思議でした。 熱心な仏教徒ではなく、修験道に興味を持っていたわけでもないのに、この青い仏様の前で、一人でお話させていただいているうちに、 なぜか、感動が湧きあがってきたんです。 初めての体験でした。 それから、たくさんの仏様を拝んで、法話の間でビデオを見て、それからもう一度蔵王権現様を拝んで、外に出ましたよ。あ、出るときに、お下がりのお餅も頂きました。(これは、母へのお土産にしました) さて、蔵王堂から出ると、いろんな建物があります。 ここは愛染堂。 立派な威徳天満宮 久富大明神など、 境内には、鳥居もいっぱい。 それから、「脳天大神」もありました。 ネットで検索すると、頭を割られた大蛇が祀られているのですが、これは、蔵王大権現の変化とされているようです。 急な石段を下ると、 こんな建物が見えます。 ここは、トイレの建物ですが、 「吉野朝宮跡」 と、表示されていましたよ。 吉野は、修験道の聖域ですが、 南北朝時代に、後醍醐天皇が南朝政権を置いた場所としても、有名ですね。 後醍醐天皇は、中継ぎの天皇として即位したため、自分の子どもには皇位を継がせられないことになっていて、それが、鎌倉幕府への反感の元にもなっていたそうですよ。 一度、倒幕計画が発覚し、比叡山に頼ろうとして失敗。そして、捕えられて、隠岐の島に流されました。 ここで、後醍醐天皇は名和一族を頼って、隠岐の島を脱出。 そして、今の鳥取県で挙兵しました。 この後醍醐天皇軍を追討するために鎌倉幕府から派遣されてきた足利高氏(尊氏)が天皇の味方について叛乱を起こし、 鎌倉幕府の重要機関であった、六波羅探題を消滅させました。 ※探題というのは、警察と裁判所を兼ねたような機関です。 六波羅にあった平清盛邸を改築して役所にしたので、六波羅探題と呼ばれたのだそうです。 この後、後醍醐天皇の独裁「建武の新政」がすすむにつれ、天皇と尊氏の関係が悪化していき、 いろいろあった後、後醍醐天皇は捕虜にされたのですが、そこから脱出して、この吉野で、南朝を開いたというわけ。 後醍醐天皇の人生は、本当にドラマチックですね。 その南朝で、天皇の行宮として定められていたのが、金峯山寺横の 「金輪王寺」 今は、公園と、金峯山寺の妙法殿になっています。 その公園で、良いものを見つけました。わかりますか? 記念撮影です。 実は、吉野山をいろいろ巡った後、帰りにまた金峯山寺に。 もう一回入りたいな・・・と思って、入場券の半券の裏を見てみると、 「再入堂の際は必ずこの半券と靴袋を受付にご提示ください。」という一文が。それに、有効期間が、表記ご開帳期間となっています。 一度入った人は、何度でも拝観できるということなんですね。 びっくりしました。 朝と違って、午後でしたので、お参りの人がたくさん。入り口で半券と靴袋のエコバッグを見せて、また中へ。 見事な青い仏様たちをしっかりと拝み、拝観順路にしたがって、右の入り口へ進みました。 今度は、「発露の間」のところにたくさんの人が並んでいたので、そこは素通りして、奥の仏様たちをまた拝んでまわります。 ぐるっと回って、出口近くに行くと、反対側の「発露の間」には、人が並んでいません。 ありがたい!! と、また入らせていただきました。 なぜでしょうねー。もう一度拝んでいるうちに、また涙が・・・・ この小さな空間には、何か力がありそうです。 二度も入らせていただいたので、出口の授与所で、この本を買ってきました。 表紙に、蔵王権現の写真がついていたからです。 修験道の修行のことや、金峯山寺のこと、吉野山のことなどが、詳しく書かれていました。 その中に、三体の仏様の写真も。 真ん中の仏様は、7.28m。 下の写真で、お坊さん方が座ってらっしゃるところに、「発露の間」が設置されていたんです。 仏様の真下・・・ 奥の方には、このような、彩色されていない蔵王権現像も。 これは、巻末に綴じ込まれていた写仏用紙。 あれ、なんか、左右が逆になってる・・・と思ったら、 このまま塗り絵するのではなく、裏返して、まず仏様を線で描き、それから彩色するらしい。 写経はしたことがありますが、写仏の経験はありません。 調べてみたら、なぞって書くだけで、心が安らぐらしいです。本も、たくさん出版されていました。 行として、お寺で行う写仏だけでなく、自宅で心を落ち着けるために書く写仏も、今、静かなブームになっているそうですね。 なんだか、この紙に直接書くのはもったいないような気がします。 どうしよう・・・ というわけで、次に行った「吉水神社」からは、次の日記に書きますね。
2016.04.20
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石舞台古墳の後は、一日目の最後の訪問地、石上神宮です。 ここは、非常に歴史が古く、『古事記』や『日本書紀』にもその名が出てきます。 古事記では、「神武東征」のところに、熊野で 難に遭った天皇を救うため、建御雷神が剣を降された・・というお話の中で、「この刀は石上神宮に座す」と、書かれているそうですよ。 わかりやすく書くと、神武天皇が、熊野に上陸した後で、土地の女賊を殺したところ、熊野の神様の毒気に当たって、 動けなくなってしまった。その時、熊野の高倉下という男の人の夢枕に建御雷神が現れ、「ひと振りの神剣をお前の倉に降ろすから、それを、天孫に献上するように。」と、命じられたそうな。 翌朝、目が覚めた高倉下さんが倉を開くと、本当に剣が落ちていたので、すぐにお届けして、その神剣により、一行は蘇ることができたとか。 その剣が、この神剣「布都御魂剣」 この神宮には、奥の禁足地から発掘された布都御魂剣が、祀られています。 この石上神宮は、神剣を祭祀する神社であっただけでなく、大和朝廷が、全国支配をすすめていく中で、各地の豪族から取り上げた膨大な量の武器を保管し、管理する武器庫の役割も果たしていたらしいですよ。 管理していたのは、物部氏。 ただし、「日本後紀」という書物によると、平安時代初期に、 のべ15万7000人を使役して、 ここに保管されていた武器を「山城国葛野郡の兵庫」へ移したとか。 これは、今の京都市内です。 兵庫県 の方は、大化改新の後に、須磨関を守るため、関門に、朝廷の武器庫「兵庫(つわものぐら)」が設置されていたから。 兵庫県って、「武器庫県」という意味だったんですねー。 なーるほど、と思いました。 では、いよいよ中に入っていきましょう。 まっすぐ行くと神宮の拝殿の方に行けるのですが、今回は、「山の辺の道」の散策がメイン。まずは、右手に行きました。 すると、あらまあ、牛さんの向こうには、放し飼いの鶏さんがいっぱい。 (鶏口牛後という四字熟語を連想してしまいますね。)今は、30羽ほどいるのだそうです。 足首のあたりまで、羽毛に覆われた、もこもこの鶏さんに、しばらく見とれていました。 後で、なぜ鶏がいるのかわかりましたよ。 はい、これ。 天の岩戸に籠っていらした天照大神を、岩戸から出てくるようにするためいろいろとやってみた中の一つですね。常世の長鳴き鳥というのはニワトリのことなのだそう。 鶏を鳴かせ、朝が来たとだましたお話は、他にもあったような・・・ あ、そうだった!! 「中国の函谷関で、鶏の声にだまされた関守が、朝と思って門を開け、おかげで、斉の孟嘗君が討手から無事逃れることができた」というお話でしたね。 この故事をふまえて、清少納言が夜をこめて 鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじと、詠んでいたのでした。 この歌は、百人一首にも入っているので、聞き覚えがありますね。 実は、これは清少納言のところへ来ていた大納言藤原行成さんが、「宮中に物忌みがあるから」と言い訳して早々に帰ってしまい、よく朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって・・・」と、言い訳の文をよこしたのに対して、詠んだ歌なんですよ。 「もう、絶対に会ってあげませんからね。」と、言っているのです。 そして、さらにまた返歌があって、 逢坂は 人越えやすき関なれば 鳥鳴かぬにもあけて待つとかだそうです。 意味は、「あなたはいつでも容易に人に逢うとの噂ですよ」 清少納言も、藤原行成卿も、二人とも機知があって、すごいですね。 ちなみに、このお話は、 枕草子第129段に書かれています。 あ、またしても脱線してしまいましたね。では、山の辺の道へ進んでいきましょう。 つい、笑ってしまった看板。手作り感があふれていました。 そうそう、途中にいくつかあった歌碑の一つを。 これは、僧正遍昭が詠んだ歌「里は荒れて 人は古りにし宿なれや 庭もまがきも秋の野良なる」 光孝天皇がまだ親王であった頃に、布留の滝を見に行く途中、遍昭の母親の家に泊まり、秋の野に見立てて作った庭を見ながら詠んだ歌なのだそうですよ。 僧正遍昭は、実は平安京に遷都した桓武天皇のお孫さん。遍昭のお父さんは、 良岑安世と言って、皇子だったのだけど、お母さんがとても低い身分の女官(そうじなどの雑事)だったので、 親王にもなれず、臣下になり、良岑という姓になりました。 だけど、歌舞・音曲、騎射なども得意だったので、認められ、大納言にまでなった方だそうです。 その息子僧正遍昭は、俗名「良岑宗貞」 これがまあ、びっくり。 なんと、小野小町のお話で有名な、あの深草少将のモデルなんですって。 小町に言い寄るけれど、受け入れられず、百日間通い続けたら結婚しようと言って、九十九夜通ったけど、 そのまま亡くなってしまった・・・というお話ですね。 モデルになった良岑宗貞さんは、有名なプレイボーイだったようで、いろんな女性と浮名を流したとか。 百人一首に選ばれている 天津風 雲の通ひ路吹きとじよ 乙女の姿 しばしとどめむという歌は、まだ宮中に出仕していた頃に、五節の舞姫の姿を見て詠んだ歌なのだそうですよ。 お坊さんになってから詠んだわけではなかったのですね。 では、なぜ出家したのか、というと、とても可愛がってくれていた仁明天皇が崩御されたからだそうです。 その頃、三人の妻がいたらしいのですが、二人の妻には出家のことを話したけれど、一番愛していた妻には秘密にして、だまって出家してしまったとか。 その妻は、そのことをとても恨んだのだけれど、実は、「愛する妻 にその話をすると、決心が鈍ってしまいそうだったから」だそうです。 「大和物語」や「今昔物語」などに、そのお話が書いてあるようです。 きっと、熱い心をもった方だったのでしょうねー。 天皇の喪が明けると、皆のところに手紙が届き、みな人は 花の衣に なりぬなり 苔のたもとよ かはきだにせよ (皆さんは花の衣にお着替えになったのでしょうが、私の僧衣はまだ涙で濡れたまま。せめて乾いておくれ)と良岑宗貞の筆跡で書かれていたそうですよ。 元は、有名な色男だったのに、出家後は、光孝天皇の和歌の師となり、 ついには、天台宗の僧正の位にまでなった人。 僧正遍昭のイメージが、ころりと変わりましたよ。 調べてみて、よかったぁ・・・・ では、石上神社に戻ります。 お参りをして、 奥の方へ進みます。 この奥に何があるのか、グーグルアースで、上空から眺めてみましたが、鎮守の森が見えるだけで、よくわかりませんでした。 立ち入り禁止になっていると、入ってみたくなりますね。 せっかくだから、摂社のほうにも立ち寄って、 高いところから、奥の奥の、本殿をちらっと眺めて、建物の周りを点検して、やっぱり本殿には行く道がないとわかり、バスの方へ戻りました。 これで、ようやく、一日目の行程のご紹介が終わりました。 脱線が多くてすみません。 だけど、こういう脱線部分が、私の一番感動した箇所なんです。 次の日記は、いよいよ吉野。 どうぞ、お楽しみに。
2016.04.18
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長谷寺、談山神社と、桜の名所を一時間ずつ散策した後は、 石舞台古墳に行きました。 タクシーで奈良観光をしているらしいカップルが、運転士さんに、二人並んで写真を撮ってもらっていました。 桜の花見ツアーなのに、なぜ古墳なの?? と思ったら、ここは桜の名所だったのですね。 ただ、ソメイヨシノがほとんどなので、もう散っていましたよ。 満開の頃には、夜はライトアップもされて、本当に美しいらしい。 これは、本当は盛り土の中に隠れている石室の石。 なぜ盛り土がなくなったのかは、はっきりしないそうですが、もし残っていたとしたら、1辺が50mの方墳で、周りには幅8.4mの外堀があったらしいです。 この近くに、蘇我馬子の庭園があったことから、馬子のお墓なのではないか、といわれているそうです。 談山神社の後に、蘇我馬子のお墓に来るというのは、ちょっと面白いですね。 だって、談山は、馬子の息子と孫が倒された「大化改新」の談合をした場所なんですから・・・・ 大化の改新、虫五匹(645ひき) と覚えましたねー。 当時、どんな人たちが、どんな思いでこの地に立っていたのかなぁ。 史跡をめぐるたびに思うことです。 すると、あら?? なんか聞こえる。 尺八でした。 この石舞台古墳の下の空き地で、この方が、ずっと尺八を吹いてらっしゃったの。 曲は、「夏も近づく八十八夜~」「みかんの花がさーいてーいる~」「うみは広いな大きいな~」「しゃぼん玉とんだ、屋根まで飛んだ~」など、 それが、けっこうお上手で、音程はばっちり。こぶしが回って、尺八っぽい。 四つ葉を探しながら、時間いっぱい聞いていましたよ。 バスに戻るとき、気になっていたピンクの花に近寄ったら、「きくもも」と、名札がつけてありました。 確かに!!! 白い桜は、満開で残っていました。 駐車場の近くに、こういう看板があり、石舞台の、石の組み立て方が紹介されていましたよ。 この後は、「古事記」に出てくる、日本最古の道を散策したのですが、それはまた、今度にします。 実は今日、旅行社のHPで、バスハイクのキャンセルをしました。 なぜかというと、5月7日に、くじゅう花公園と日田往還の散策をして、阿蘇五岳を一望する予定だったのですよ。 だけど、こういう状態では、道も怪しいし、何より、被災して苦しんでいらっしゃるところに、のんびり、遊びに行くわけにはいきませんからね。 申し訳ないですもの。 しかし、眠い・・・ 一昨日の夜は9時半からずっと地震情報を見ていて、1時半くらいになって、やっと眠ることにしたのだけど、昨夜は、寝ようとした1時半からが、間断ない地震で、とうとう徹夜してしまったのです。 悪天候になるという予報だったので、どきどきしていましたが、今のところ、割とおだやか。 どうか、熊本や大分で、大規模な土砂崩れとか、家屋の崩壊とかが、起きませんように。
2016.04.16
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奈良花見ツアーの二ヶ所目は、談山神社。 ここは駐車場ですが、神社へ行くには、まず階段を下ります。 けっこう急な階段を降りたら、今度は登り。 談山神社は標高が高いので、けっこう桜が残っているようですね。 本堂へは、直通の急な石段があったのですが、みんな遠回りのだらだら坂を上って行きました。 この「談山神社」は、藤原氏の祖の中臣鎌足さんの長男さんが、お父さんのお墓をここに移し、十三重の塔を建立したのが始まり。 多武峰妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)という名前でした。 この山は本来多武峰(とうのみね) という山だったのだけど、蘇我氏の専横を阻むため、中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我氏を討ち大化改新をすることの談合をしたので、後に「談い山(かたらいやま)」と呼ばれるようになり、「談山(たんざん)」 となりました。 朱塗りの建物と、青空と桜のピンクとで、とても明るい雰囲気です。 この十三重の塔は、 678年に建てられていたそうですが、後の時代になって、興福寺との争いがあり、1108年には、 たくさんの建物と周りの村を焼かれ、 1173年には、この塔も興福寺衆徒により焼き討ちされました。 今、私たちの前にあるこの十三重の塔は、1532年に再建されたものだそうですよ。 同じ仏教なのに、宗派が違うと争いが起こるのですね。 争ってはいけません、という教えなんじゃないのかなぁ・・・ 不思議。 塔のある場所からさらに登って、塔を見下ろして、記念撮影。 なかなか良い気分でした。 一時間の自由時間がありますので、みんなけっこうのんびり散策しています。 談山神社には、恋神社と呼ばれる摂社・東殿があるようですが、そちらには行きませんでした。 下手に恋が成就してしまったら、不倫になってしまいますからね。 というわけで、私はお花見に夢中。 特に、この枝垂れ桜がお気に入り。 総社拝殿の横です。 うーーん、可愛い・・・ でも、いつまでもそこにいるわけにはいきません。 白い桜を眺めながら、バスの駐車場の方へ戻ります。 参道に出たところで、立派なカメラと三脚を持った男性から、「あのー、綺麗な桜は、どの辺にありますでしょうか?」と尋ねられたので、「あ、結構いっぱい綺麗な桜が残っていますけど、私は、あの建物の横の、あの枝垂れ桜が気に入って、ずっと写真を撮っていました。」とお答えしましたよ。 この桜も見事。 そして、参道を過ぎて、駐車場への階段を登ろうとしたら、今度は、年配のご夫婦から、「あのー、神社へは、どのように行ったらいいでしょうか?」と、道を尋ねられてしまいました。 もちろん、今戻ってきたばかりなので、ちゃんと教えましたよ。 「その先の道を左に曲がったら参道で、ずーーっと行くと、急な石段があります。そこを上ると本殿がありますけれど、登らないで、そのまま行ったら、なだらかな坂を上って、神社に行くことができますよ。」と、教えてあげました。 ふと見ると、栃餅と草餅の焼きたてがあったので、自宅へのお土産用に8個と、バスに戻ってから食べる自分用の2個を買って、大満足で戻りました。 アツアツのお餅は、美味しかったですよー。 この写真は焼く前のお餅。これを両面、焦げない程度に焼いてくれます。 というわけで、今回のご報告はここまで。 ここからは、地震のお話。 昨夜は、熊本の方たちは、さぞかし怖かったことと思います。家が全壊とか半壊になった方たち、お怪我をされた方たち、一日も早く、元の暮らしに戻れますように。 また、不運にも、亡くなってしまった方のご冥福を祈っております。 そろそろ眠ろうかと思っていたのですが、突然の揺れでびっくり。昨日のよりもよっぽど強い揺れです。 スマホの警報が何度も鳴るし、テレビでも地震警報を出しています。 さっきは、地域の有線放送も鳴っていました。 小さい揺れは続いていて、時々強くなります。 熊本の方は、どんどん被害が広がっているのではないでしょうか。 我が家は、家具が倒れるような揺れではありませんが、がたがた音がするのは落ち着きません。 今夜は、なんか、眠れそうにない気がします。
2016.04.15
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今回も、新幹線の博多南線で出発。乗り込む時に、なんか車体の色が変わってるなぁ・・と思っていたのですが、降りて、ふと見たら、あらまあ。 エヴァンゲリオン初号機タイプの新幹線でした。 なんだか、カシャン、カシャンと変形してロボットになりそう!! で、のぞみ号であっと言う間に新大阪へ行き、そこからは奈良交通のバスで長谷寺へ。 ガイドさんのお話では、吉野の桜は期待できますが、今日行くところの桜は、ちょっと・・・ もう散ってしまっているようなお話で、ちょっと残念。 というわけで、期待せずに行った長谷寺のお話。 前日読んだガイドブックに、この石段のことがついていた。 399段ということで、どきどきしていたけれど。一段一段の段差が小さく、楽勝でしたよ。 登る途中、左右に牡丹がいっぱい植えてありました。 これが全部咲いたら、すごいでしょうね。 でも、今はつぼみ。 境内の桜は、染井吉野はもう散ってしまっていましたが、いろんな品種があるので、まだ咲いているものもいっぱい。 特に、八重桜と枝垂れ桜は、今が盛りでしたよ。 赤いハナミズキと桜が一緒に咲いていて、きれいでした。 ようやくたどりついた本堂前 この五色幕には、きっと意味があるのだろうな、と検索してみました。 すると、 青は「成所作智(じょうしょさち)」あらゆるものを完成に導く智慧 白は「平等性智(びょうどうしょうち)」すべてのものが平等であることを知る智慧 赤は「法界体性智(ほっかいたいしょうち) 」物事の本質を明らかにする智慧 黄は「大円鏡智(だいえんきょうち)」 鏡のように、あらゆるものを差別なく見ることのできる智慧 黒(緑)は「妙観察智(みょうかんざっち)」 平等であっても、それぞれ違うものであることを知る智慧 を表していると書かれている仏教関係の資料を見つけました。(だけど、Wikiでは、入れ替わっています。あれ?) これは、仏教とは関係なく、人が生きる上で、ぜひとも身に着けたい智慧ですね。 今書いていて思ったのですが、この幕、青というより紫に見える。おかしいなぁ。 あ、青は緑で、黒は紫で表されている、という記事も見つけましたよ。なんか、ややこしいですね。 五色の吹き流しが、青空に映えて、きれいでした。 そういえば「五色の短冊 私が書いた ~」と七夕の歌で歌われますね。 織姫から、機織り、お裁縫と連想されて、 はじめは五色の糸が飾られていたのだそうですよ。つまり、「お裁縫の上達を願うお祭り」だったのです。 それが次第に布に変わり、江戸時代には、紙の短冊に変わっていったのだとか。 また、願い事を書くのも、文字の上達を願って、木の葉に和歌を書いてつるしていた貴族の習慣から、庶民が願い事を書く風習へと変化。 色は、やはり同じで、 赤・青・黄・白・黒ですが、 黒はちょっとね・・・・ということから、紫がよく使われているようです。 でも、保育園とか小学校などで作る七夕飾りは、ものすごーーーーーくカラフルですよね。 では、話を長谷寺に戻します。 これは、境内に祀ってあった「長谷大黒天」 大きな打ち出の小槌がありますね。 大黒天は、日本では大黒様として親しまれていますが、もともとは、インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラです。 マハーが「大、または偉大なる」という意味。カーラが「時、または暗黒」を意味するので、大黒天、または大暗黒天と漢訳されました。 それが、日本に入ってきて、神道の大国主と神仏習合して、 五穀豊穣の神様になったのですね。 インドの人が見たら、びっくりするかもしれません。 でも、もともとのマハーカーラも、不老長寿の薬を持って、力ずくで人々を救済してくれる神様だそうですから、まぁ、重ならないこともないか・・・ シヴァ神はというと、暴風雨を起こし、世界を破壊するけれど、同時に、土地に水をもたらして植物を育てる生産の神でもある。 何事にも、二面性があるということでしょう。 あら、また脱線してしまった。 最近は、楽天の許容文字数が増えたので、安心して書けますね。 次に見かけたのが、これ。 えっ?? 紀貫之の桜?? と思ったら、梅でした。 奈良時代、平安時代の初めくらいは、花といえば、梅のこと。 百人一首にも載っているこの和歌は、 貫之が、長谷寺へお参りに行くたびに泊まっていた宿に久しぶりに行ったとき、 その宿の主人から「お宿はこのように昔のままでございますのに、あなたさまは心変わりをされて、ずいぶんおいでくださらなかったのですね。」と言われたとき、梅の枝をひと枝手折って、詠んだ歌です。 「あなたの方は、いかがなのでしょうか。昔よく訪れていたこの里には、このように、昔と同じ梅の良い香りを漂わせていますのに。」 それにまた宿の主人からの返歌があって、 「梅の花でさえ昔と変わらず咲くのですから、それを植えた私の心を察してください。(心変わりするわけないではないですか。)」 そして、二人は仲直り。 宿の主人が女性なのか男性なのかで、雰囲気が変わってきますね。女性なら、恋のかけひきで、男性なら友情。 さて、どっちだろう。 紀貫之は、「古今和歌集」の撰者の一人ですよ。 本堂に登る途中で見つけたこの看板が気になっていたので、戻りがけに行ってみました。 今回は36人のツアーですが、こういうお寺の見学の時は、自由行動ですので、時間さえ守れば、好きに過ごすことができます。 ありました。二本の杉の木が、並んでいます。 この立札を見ながら、「源氏物語」を思い出していました。昨年、源氏物語の一部を、筆で書いたりしていたので、この玉鬘のところは、気になっていたのです。 「帚木」の巻の中の有名な「雨夜の品定め」で、男四人で女性談義をしていますが、その中で、 頭中将が語った話。子どもまでいる内縁の妻が、正妻の嫌がらせでどこかへ消えてしまった。 その内縁の妻が夕顔で、子どもが玉鬘。 市井にまぎれてひっそりと暮らしていた夕顔を源氏が見初めて、身分を隠して通うようになったけど、深夜に女性の生霊(たぶん六条御息所) が現れて、夕顔は気を失い、そのまま明け方には亡くなってしまいました。 のちに源氏は、その女性が友人の頭中将が語っていた女だったと知り、その娘を引き取ろうと、家を訪ねたけれど、もうすでに、誰もいなくなっていた・・・ 後でわかったことだけど、その4歳の娘は、乳母一家と一緒に、筑紫へやってきていたけれど、あまりの美貌のため、求婚者が多すぎて、乳母は困惑。家も誰に嫁がせるかでもめて、この乳母が長谷寺へ願掛けへ。 この二本の杉のところで偶然、源氏に仕えている侍女の右近と出会い、そこから、京にもどるきっかけができて、ついには、 玉鬘は源氏の養女になったのでした。 これは、お話だけど、なんかゆかしい気分になりました。 そういえば、「わらしべ長者」 のお話も、この長谷寺の観音様のおつげから。 今昔物語にありますよ。 現代語訳を読んでみたい方は、こちら。 原文で読んでみたい方は、こちら。 あ、また脱線してしまった。長谷寺の二本の杉の先へ進みましょう。 なんだか、境内からずいぶん離れた場所にあるなぁ・・・と思ったけど、昔は、こちらの方が、参道だったらしいです。 それなら、登り口に作られたということで、定家さんと、そのお父さん藤原俊成さんを偲ぶのも良いですね。 ただ、不思議なのが、片方は塚で、片方が碑だということ。 お墓ではありません。 だいたい、塚は、盛り土とかしてあって、 お墓の場合、信仰の対象に石などを置いた場合、 結界を表している場合など、いろんな意味があるけれど、ここは、有名な歌人の定家さんの業績を讃えるものなのでしょうね。 集合時間に間に合うように、駐車場に戻る途中、この白い桜が綺麗に咲いていました。 大島桜かな? というわけで、一日目の、長谷寺だけで、まずは切ります。 ここから、追加の記事です。 さきほど、お風呂から上がって、髪を乾かしていたら、あらららら・・・・何か音がして、けっこう揺れています。地震でした。 服を着ている時でよかった!! 揺れが収まってから、二階に上がったら、みんな部屋から出てきて、テレビのニュースを見ているところでしたよ。 何か落ちたんではないかな・・と思ったら、私が微妙なバランスで積み上げていた書類入れが、ずるっと落ちていました。 何も割れたり、こわれたりはしていませんでしたけど、まだ時々余震があるようです。 なんか、落ち着かない夜になりそうです。
2016.04.14
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またまた奈良に来ています。今日は、長谷寺と談山神社、石舞台古墳、石上神宮、山の辺の道などに行きました。桜は残っていないだろうと思っていたのですけれど、枝垂れ桜や八重桜がとても綺麗で、大満足でしたよ。明日は、吉野山に行きます。5時間滞在して桜を満喫する予定。楽しみです。
2016.04.12
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なんだか、山陰の「角島大橋」と似た感じの風景。 絶景と評判らしい「古宇利島」に着きました。 シーズン中は、ものすごい人で、とてもこんな写真は無理でしょう。 ここは、全くの自由時間。みんなのんびりと、写真や貝殻やサンゴ拾いに興じていました。 今帰仁(なきじん)は、沖縄の中西部でしたが、次に行くのは、南東部の斎場御嶽。 結構長い時間、バスに乗りました。 途中、海洋博公園の近くでお食事と自由時間。 この街路樹に、いっぱい実がなっていました。地面にもたくさん、落ちていました。 記念に一個もらおうか・・・とも思ったのですけれど、結構でっかいのでやめて、写真だけ撮りました。 後で調べてびっくり。 有毒だったようです。 さわったら、すぐに手を洗った方がいい、とも書いてありましたよ。 拾わなくて、正解でした。 残念ながら、浜には降りられなかったので、霊園公園のところから、パチリ。 最後に行く斎場御嶽は、ドラマ「テンペスト」でも出てきました。聞得大君が、就任したり、祈りをささげたりする神聖な場所。 ・・・の割には、庶民的な「券売所」 なんか、のんびりお花の写真を撮りながら、歩くこと10分ほど。 ようやく、着きました。 祈りの場所に行く途中、マングース、発見!!しかし、写真は、通り過ぎた後です。 今回も、この斎場御嶽に情熱を傾けてらっしゃるガイドさん。 胸に提げているのが、私たちのイヤホンに声が届くようにする装置。マイクが、口の近くあたりについています。 たまった聖水をおでこにつけて、聞得大君の就任式に使われるらしい。 上の方の、2本の突起は、鍾乳石。 他にも滴っているところがあったので、私はそちらで水滴を浴びました。 このすぐ横に、ものすごく大きな岩が寄りかかっている場所があり、三庫理と呼ばれています。 この中に入り、琉球の最高神が降りてこられるのを待ったり、聖地久高島を拝んだりするの。 石積みの上には登ってはいけないので、頑張って、背伸びして撮りました。 たっぷりと、私たちも祈りをささげた後で、元の道を帰ります。 こんなに離れても、ガイドさんのお話は、ばっちり聞こえているのですよ。 結局、券売所では、何も買わず、海を眺めておわり。 これでもう、琉球王国の世界遺産を巡る旅はおしまい。 そういえば、「サトウキビ畑」の写真を撮らなくちゃ!! 那覇を夜の8時に出る飛行機に乗る予定でしたけど、6時にはもう到着。 搭乗券をもらい、荷物を預けてからは、また自由時間。 本当にのんびりした旅でしたよ。 あとで、万歩計を見てみたら、三日間とも、2万歩近く歩いていたようです。 足元が悪く、滑りやすかったり、引っ掛かりそうになったりしたけど、杖を持っていっていましたから、大丈夫でした。 これで沖縄は三回目だったのだけど、今度は、石垣島とか、 宮古島、西表島、波照間島なんかにもぜひ、行ってみたいと思います。 その時は、人が多くても、夏が良さそうですね。 そうそう、沖縄の方言で、西は「いり」と言いますよね。これ、お日様が入る方向だから、「入り」なんだって!! で、東は、当然「あがり」 すんなり覚えちゃいました。 ちなみに、北は「にし」、南は「はえ」 そのため、北にある門を「にし門」と言ったりするの。 北が「にし」というのは、ややこしいですね。 はい。これで今回の沖縄(琉球王国)の旅の報告はおしまいです。
2016.02.11
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広い部屋でのんびりと一夜を過ごした翌朝、朝食の戻りがけにホテルの売店に寄ったら、あっ、ありました。 国際通りには、売ってなかった物が・・・・ うれしくて、二枚購入!! 黄色は、王妃の着物の色らしいので、何か作ろうっと!! バルコニーから海を見ると、遊んでいる人たちがいる・・・ 早めに部屋を出て、私も海へ。 この写真を撮った直後、また靴が濡れてしまいました。 だけど、可愛い貝殻を見つけたので、よっしゃ!! 前夜は、ライトアップで見たけれど、景色はよくわからなかったから、わくわく。 この今帰仁城は、とても広そうですね。 ガイドさんのお話では、やっぱり、ここが一番大きいようです。 ちなみに、日本百名城に選ばれている沖縄の城は、この今帰仁城と、中城城、そして、首里城の三つですよ。 やはり、選ばれるだけのことはある!! と思いました。 今回のガイドさんも、とても素晴らしかった。詳しいし、面白い。いっぱい、いろんな物を見せていただきました。 これは、ガイドさんが自分で作って、準備してくださっていたもの。 子どもの頃は、この中につかまえた虫を入れたらしいです。 これも、勝手にちぎったのではなくて、ガイドさんから勧められたの。手のひらではさんで、バンッとたたくと、香りが立ちました。 良い匂い。 これが、昨夜のようすです。 わくわくしながら、石のアーチを抜けると、桜並木。 長い石段は、昭和34年に、ここが整備された時にできたもの。 見学がしやすくなっています。 途中に、黒檀の木があったので、びっくり。 ガイドさんが、そのうち盗まれるかもしれません、とおっしゃっていました。 「そんな・・・・ どうやって、持って帰るとよねー。」なんて言っていたら、「ちゃんと道具を持ってくるんですよ。」ですって。 私も、黒檀なら、小枝一本でいいから、もらいたい気になりました。 上の方に登ると、本当に見事な景色。 谷底を覗くと、見えないけど、一番下は川です。 昔は、子どもたちが、毎朝水汲みをしていたらしいですよ。 私も、石積みにへばりついて、景色を見ました。 川の向こう側にも、何か見えました。 ここは、沖縄の方たちがとても大切にしている火の神さま。 一番上は、女だけの場所「御内原 (うーちばる)」ですが、男性の観光客も、ちゃんと入れました。 白い波は、サンゴ礁のせいでできるらしく、その切れ目のところは、サンゴ礁の切れ目。つまり、舟の出入り口。 なぜ切れ目があるのかというと、さっきの、水をくんだ川があるので、その川の水が出てくる場所。真水があると、珊瑚が成長しないのだそうです。 ふーむ、なるほどね。 消防自動車が二台来ていて、何やら、施設の人たちとお話。 防火訓練だったそうですよ。 世界遺産だし、日本百名城の一つですものね。 でも、石積みは、燃えないような気がするのだけど・・・ このあと、ここから出てきたいろんな文物の展示を、みんな、じっくりと見て、午前の部、終了です。 いやぁ、中城城も良かったけど、今帰仁城も良かったなぁ・・・
2016.02.09
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ここは、護佐丸が中城に行く前に住んだ場所。 石積みの城郭めぐりの旅ですね。 日本のお城と同じで、いろんな場所に敵の目を欺くしかけがあります。 石積みが倒れにくいように、曲線に作られているのですが、曲がり角のラインも、美しいです。 城内はそんなに広くはないのですが、なんか、のびのびとした気分になれます。 ここの城壁は、上の部分がとても広くてびっくりです。 そして、今帰仁城跡に近いビーチのリゾートホテルに到着。 二月初めなので、お客さんがとても少なかったです。 この部屋は、家族用らしいですよ。子ども用のベッドなんかを入れることができるようになっているらしい。 夕食のあと、「桜まつり」を見に行きました。 石段で転ばないように気を付けて、 一番上の段に到着 この時にはわからなかったのですけれど、翌朝、また今帰仁城跡に行って、同じ場所で見たら、 海が見える場所だったのですねー。 戻る道筋で、今度は桜の写真も撮りましたよ。 下まで降りたところで、泡盛と桜ちんすこう、そして、300円分の金券で、桜ソフトクリームを頂きましたよ。 それから、またのんびりして、ホテルに戻りました。 これで、二日目が終わりです。
2016.02.08
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先に護佐丸さんの「中城城跡」に行ってお話を聞いていたものだから、今度は、その護佐丸さんを攻めた人のお城よね、と思いながら訪ねました。 バスの駐車場から、城跡が見えています。 私たちは、この一番上の曲輪(くるわ)まで登ります。 同じような石積みの城跡。 途中、こんな泉がありましたよ。 なぜ、高台なのに水が湧いているのかというと、水を通す地層の下に水を通さない地層があるので、ここまで水が上がってくるらしいです。 どんどん登ります。 上の想像画のようにして、使われていたのですね。 一間に一つずつくらい、たくさんの柱が建っていた建物。 どんな雰囲気だったのでしょうね。 二階建てだった・・・という話もあるそうです。 ここは大事な火の神様。 拝んで通りました。 ようやく登り着いた 一の曲輪から、まわりを眺めました。 この勝連城からは、東シナ海と太平洋の両方が見えました。 護佐丸の娘は、琉球の王の妃になっているし、王の娘は、阿麻和利の妃になっている。 王から見ると、二人とも親戚なのだけど、勇猛果敢な豪族で、民衆の人気もあったらしいから、反逆者として、二人とも抹殺したのでしょうね。 だけど、その後すぐに、第一王朝は滅びてしまいます。 結局、王の家臣の中で、とても人望があったらしい金丸さんが、次の王に推されて、 尚円王となりました。第二尚氏王統の始まりです。 栄枯盛衰、盛者必衰 ついでに、生者必滅・・・と並べたらいいかな。 城跡を見ると、つい考えてしまいますよね。 軽くお食事した後は、お土産なんか買わないで、建物の裏のビーチへ直行。 ここの岩は、全部斜めに筋がはいっていました。 隆起したあとなのでしょうかね。 せっかくだから、水を触って、記念撮影。 この後、靴が濡れてしまいましたよ。 この後は、護佐丸さんが中城城の前に作ったお城、 「座喜味城跡」へ行きましたけど、それは、また次の日記へまわします。 これで、二日目のお昼までのお話でした。
2016.02.07
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沖縄二日目、みんな雨を心配していたけど、なんとか、持ちこたえそうな感じも・・・・ というわけで、私たちは、「中城城跡」に行きました。 何も予備知識を持たないままに行ったせいでしょうか、もう、びっくりしてしまって、ガイドさんのお話に聞き入っていましたよ。 山城とは聞いていたけれど、こんなに見事な石積みだとは・・・ 美しいアーチの門をくぐって、どんどん奥の方に入っていきました。(こちらは、裏門なんですって!!) 城の敷地のあちらこちらに、ツワブキの花が咲いていました。 (クリックすると大きくなります。) 積み方が三種類あって、どれも、それぞれ美しい。 アーチのところには、防御のための木戸を取り付けるための穴が・・ 日露戦争の戦没者5名の慰霊碑は、この場に合わないとのことで、撤去する話もあったそうです。 「テンペスト」は、以前見たことがあったけど、あんまり覚えてなくて・・・ 確認するため、帰ってきてから、10話とも全部見てみました。 はい、このシーンですね。ドラマでは、一応、首里城の南殿のあたり、ということになっていました。 島津の殿様が突然亡くなったため、朝倉さんは、薩摩へ帰るのです。もう、会えないかもしれない・・・・ついに、二人は、抱きあう、そんなシーン。 それを、なんと、王が見ていました。側室の真鶴(孫寧温)を愛しているのに、あぁぁぁぁ・・・ ドラマの撮影の時とは違って、木の葉が落ちていますね。 この石積みの材料は、すべて琉球石灰岩。 本当に広々としていて、優雅な曲線に囲まれています。 ざっくりと、ここの歴史を書くと、14世紀後半に作られたこの城を、1440年に座喜味から移封させられた護佐丸が増築して、見事な形に仕上げたのだそうです。 有力な豪族だったため、首里城にいた王から警戒されて、勝連城のアマワリを使い、攻めこまれたとか。 その時 70才くらいだった護佐丸ですけれど、自分の身の潔白を証明するために、見事自決したのだって。その時、まだ乳飲み子の子どももいたけど、落ち延びた先で、大事に育てられたそうです。 城づくりも名人、戦いも名人、そして、子作りも名人だった護佐丸。 その後、尚氏の第一王朝が滅び、第二王朝になってから、この護佐丸の子孫が探し出されて、重用され、三司官(宰相)を15人も輩出する家となったんだって。 今でも、この護佐丸の子孫だという人が、沖縄に8万人とか、10万人とか・・・ 勝連城のアマワリさんの方は、気の毒に、利用されただけ。その後、 逆臣の汚名を着せられて、非業の死をとげたらしい。 ドラマ「テンペスト」は、主人公の真鶴は、第一王朝の子孫。 元の王朝を復活させるために、宦官の孫寧温となり(男に化けて)、 第二王朝に重臣として入り込んでいたのだけど、それがバレて、八重山に島流しの刑にされた。(女であることは、まだバレてなかったの、不思議) なんとかして、王宮に戻りたくて、今度は女の姿で、機織りの腕と、踊りの見事さを認められ、首里城へ。 そこで、なんと、側室になってしまい、王の子を身籠って、第二王朝が倒れたあと、自分が産んだ子供を、第三王朝の王に即位させ、薩摩の朝倉さんと再会して終わり。 首里城のガイドさんが、「テンペストでは女が男のふりをして役人になっとったけど、そんなことは不可能だから。絶対に無理。」と、おっしゃっていましたけど、ドラマだからね。 私、一応原作も読みましたよ。 さてと、アップできるかな?
2016.02.06
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国際通りでぷーらぷらした後、少し時間をつぶしてから、皆で、琉球料理のお店にぞろぞろと出かけました。 頂いたお食事は、これですけれど、その後の、琉球舞踊が、予想外に楽しかったのです。 まずは、静かな踊りから・・・・ 着物の柄がとても綺麗です。 次は、男性二人による、太鼓をたたきながらの踊り。 おぉ、迫力!! と見る間に、今度は少し早い曲に乗って・・・ 片方の女性による男踊りも、なかなか見事でした。 次は、琉球の獅子舞。 舞台をゴロゴロ転がったり、踊り回ったら、眼が光り出しましたよ。 全身、真っ白な毛でおおわれています。 お客さんたちの頭を、次々に噛んでくれています。 全員ではないけれど、たくさんの人が噛まれました。 噛まれた人は、「無病息災」「 招福駆邪」 次は、またこのお二人の踊り。 足の使い方とか、振りが、独特ですね。 今度は、でっかい太鼓も出てきて、迫力たっぷり!! これは、村人の踊りでしょうか?楽しいよ。 またまた、迫力の太鼓踊りがあってから、 いよいよフィナーレです。 この方の、カスタネット風楽器のリズム打ちが凄過ぎ!! お獅子がまたまた出てきて、みんなを噛んで魔除け、厄払い。 30分と少しくらいだったけど、ものすごーーーーく楽しかったよ。 琉球舞踊つき・・・・微妙・・・なんて思っていたけれど、いえいえ、そんなことはありません。 飽きさせないプログラムになっていました。 最後に、希望者はみんな、舞台に上がって、記念撮影をしました。 私も、せっかくなので、撮っていただきました。(お獅子の中は、さっきの太鼓の男性二人です) この後、皆でわいわい、「楽しかったぁ・・・」と言いながらホテルに戻りました。 これで、一日目のお話はおしまいです。
2016.02.04
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32年前に旦那と来た時にはなかった場所へ。 傘をさしている人と、そのままの人がいますね。 私は、雨足が強くなった時だけ、差しました。 NHKのドラマ「テンペスト」の最初では、この首里城の龍が、いっぱい抜け出ていましたね。 お城のあちこちに、龍がいました。 ちなみに、中国の龍は爪が5本、日本の龍は爪が3本。 琉球王国の龍は爪が4本だそうですよ。 以前来たときには、まったくなかったけれど、今は、随分と整備された施設になっていました。 歩いて、次の場所へ 琉球は、火葬でも風葬でも埋葬でもなく、洗骨をしておさめてありました。 次は、またバスに乗り、識名園へ 中国からの使節は、風の向きが変わるまで何か月も滞在したから、接待も、大変だったことでしょうね。 40分ほどの自由散策だったのですが、足元ばかりが気になりました。 そうそう、今回、あっとびっくりしたこと、二つ目です。 右側のお二人は、姉妹かな?ペアで参加だったのですが、二人ともTopysのコートです。 このデザインのシリーズは、今はもうなくなっているようですね。 これが、私の持っているTopysのコート。(さっき、撮影) カラフルでしょ? 今まで、こんなコートを着ている人と出会ったことがなかったのに、今回、初めて、全く同じコートを着ている人に出会って、もう、本当に感激してしまいました。 ふだんは、ベージュ色の方を外にして着ることが多いですよ。 すると、脱いだ時とか、風でひらっとなった時に、楽しいの!!! 話はもどって、沖縄ね。 ホテルはチェックインできるぎりぎりの時間について、その後は、夕食まで、自由時間でした。 沖縄のモノレール(ゆいレール)で出かけた人もいたようですよ。 私は、部屋で少し休憩した後、国際通りの散策をしました。 夜のことは、次の日記に書きますね。
2016.02.04
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天候が心配だった、今回の旅行。 沖縄の世界遺産 「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」を巡る旅でした。 お城は、首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡の、五つ、 それと、関連遺産としては、斎場御嶽、 園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園の、四つ。 これを全部周りました。 さて、旅の方は、明日からゆっくりと語るとして、まずは、沖縄への空の旅のお話から。 なんとか、3時半くらいに、目覚ましより早く目を覚まし、旦那の車で送ってもらって、5時50分の始発地下鉄で空港へ。 座った席は、なんと、一番後ろの窓際(西側)でした。 初めのうちは、まだ暗くて、道が車のライトでわかるくらいでしたが、雲の上に出る頃には、明るくなっていましたよ。 久しぶりの空の旅ですから、私は窓に張り付いていたのですが、 なんだか、遠くの方に、小さな光が見えます。 それが、ずっと同じ位置で着いてくるように見えるので、まさか、UFOじゃないよね、なんて思いながら、ずっと観察していました。 しばらくしたら、あらら?? 気が付くと、丸い虹がありました。 だいたいこの位置で、ずっと見えていたのですよ。 真ん中が白くて、その周りに丸い虹があります。スマホで調べたくても、ダメみたいなので、ひたすら観察。 太陽がのぼるにつれ、次第に虹がこちらに近づいてきて、真ん中に、黒い点が見えるようになってきました。 そして、黒い点が、なんだか横長になってきました。 なおも、写真を撮りながら観察を続けていましたら、 おぉぉっ これは!!!! どうも、この飛行機の影のようです。 そして、影のまわりに、丸い虹があるようです。 ますます、目が離せません。 これは、けっこうはっきりと写りました。(写真をクリックすると大きくなりますよ) 着陸してから、すぐにスマホで調べたら、ブロッケン現象だということがわかりました。 富士山頂で「御来迎」というのは、このブロッケン現象のことだとか。 自分の影のまわりに、丸く虹が見えるんですって。 よく見ると、周りに、二重丸、三重丸の虹も見えたのですよ。 飛行機からこの丸い虹を見たら、ラッキーだ、という記事もあって、 るんるん気分になりました。 1時間半ちかく、ずっと窓に張り付いていたら、もう那覇上空です。 着陸が近づいてからは、ずっと飛行機の翼の動きを見ていましたよ。 ようやく着いた那覇は、小雨模様でした。 しかし、この飛行機、可愛いですね。ピンクに白の水玉なんて、初めて見たデザインです。 よく見ると、先端に口があるみたいだし、口の横には、目玉もあります。 そういえば、乗り込む時に、横に縦縞が何本か描いてあった・・・ 確認したら、これ、「さくらジンベエジェット」なのだそうです。 これは2号機で、 1号機のガールフレンドなんですって。ドアのあたりに、そういえば、桜の花が描いてあったような。 妙に可愛いと思ったら、沖縄の早咲きの桜のイメージなのですね。 というわけで、この後は、首里城から見学が始まりますが、それは、次の日記でね。
2016.02.03
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今日の夜は、今帰仁城跡に行き、桜まつりに参加してきました。例年ならば満開らしいのですが、この間の寒さのせいか、五分咲きくらいでしたよ。そうそう、今日は沖縄の海の水をさわったのでした。ちっとも冷たくありませんでした。明日は、古宇利島にも行く予定。詳しいことは、明日からの日記でご報告しますね。
2016.02.02
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今朝は、無事早起きして、旦那に送ってもらうことができましたよ。可愛い飛行機で沖縄に向かう途中、とても素敵なものを見つけることもできました。今日は、首里城と玉うどぅん、識名園に行きました。夜の食事の時に、琉球舞踊を見たのですけれど、ものすごく楽しかったですよ。では、今からお風呂に入ります。
2016.02.01
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日本中、世界中、いろんなところにクリスマスイルミネーションが飾られているのでしょうけれど、 こんな大きなテーマパークの飾りを、たった40人のために灯してもらって、最高!! それも、食べ飲み放題の後、それぞれ好きな場所に移動して、のんびりと見て回ったわけですから、見える範囲は、自分ひとりだけ・・・という時間がほとんど。 なんせ広いですからねー。(八幡製鐵所跡地のテーマパーク「スペースワールド」) 本当に独り占めでしたよ。 クリックすると、もう少し大きくなります。 この写真の下の方にいるのが、たくさんのサンタさんたち。 ずーっと、一人できょろきょろ歩いていったのですよ。 他にもいろいろあったのですけれど、ひとまず、これくらいで。 本当に、文字通り、イルミネーション独り占めの至福の時でした。
2015.12.18
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これは、昨日のことですよ。 食べ飲み放題のバスツアーの、食べ物以外のお話です。 朝、バス停に立っていたら、パラッ・・・パラッ・・・ あちゃ~ぁ、雨になるとかいな。 いやだなぁ、と思いつつ、博多駅の筑紫口に向かいました。 8時26分のバスに乗ったら、一時間かかりました。 10時10分に待ち合わせだったので、帰りのバス停と、バスの時間を確認したら、もうぎりぎり 無事、真っ赤なバスに乗り込んで、まずは宗像大社へ。 さすが、交通安全の神様。駐車場が、合計1000台分あるのだそうです。 自分の車のお祓いも、していただけるのですよ。 本殿の後に行った、第二宮、第三宮は、伊勢神宮と雰囲気が似ていました。 下の写真は、 門司港に向かう途中で見えた海。 曇っていた空の雲が切れて、晴れ間が出てきたところです。 昼食後向かった「門司港レトロでは、まず海を見にいきましたよ。 風が強く、波も高くて、すごかった・・・ 向こう側には、下関の建物が見えます。 スマホでも、自分の位置を確認しました。 出光美術館は改築中だったので、海岸沿いをうろうろ。 煉瓦の建物って、なんか味があります。 あまりに寒くて、売店に入り、時間をつぶした後、今度は、八幡製鐵所に向かいます。 私が小学生の時に、北九州見学にやってきて、八幡製鐵所にも行ったのですけどね。 あの頃とは、空気や水の色が全く違います。 昔、四大工業地帯として有名だったのですが、今では、OECDの、グリーン成長モデル都市に認定されているそうですよ。 これは、誇りにして良いことですね。 がんばって下さい、北九州市。 夜にお世話になったスペースワールドも、元々は、八幡製鐵所だった場所ですからね。 というわけで、イルミネーションの写真は、また次にまわします。
2015.12.17
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昨日は、バスツアーに参加してきましたよ。 題して、「北海道バイキングVS福岡ブランド和牛食べ比べ」 ・・・タラバ ズワイ 毛ガニと地酒 食べ飲み放題 の旅でした。 お昼ご飯は、これ。 制限時間が60分間だったので、バクバク食べました。 和牛も食べたけど、他のお肉もどんどん焼いて食べたから、あまりよくわからなかったよー。 おかずもいっぱいありました。 でも、一番美味しかったのは、烏骨鶏の卵が使われている雑炊。 夜も食べ飲み放題の予定ですから、あまり欲張ると、あとが苦しそう。 というわけで、美味しく楽しくいただきました。 そうそう、今回は、男性がとても多かったのですよ。70才くらいの男性の5人グループとか、夫婦連れとか、一人参加の男性とかね。 全部で40名くらいいた中の、15名くらいが男性だったような・・・ この、焼き肉を食べていた時に、私の向かい側に座っていた男性は、3年前に、49年間連れ添った奥様を亡くされた後、こういうバスツアーに参加するようになったらしく、今回で、ちょうど90回目なんだとか!!すごいですねー。3年間で、90回のバスツアーということは、年間30回。毎月、2回から3回は、バスツアーに行き続けているということですね。 宗像大社、門司港レトロ、八幡製鉄所旧本事務所なんかを見てから、 晩御飯は、夕方5時から、スペースワールドの中のお店に。 これは、まず1回目に取ってきた分。 ホタテとか、ホッケなんかも、その場で焼いてもらえましたよ。 日本酒は、福岡のものが3種類、北海道のものが2種類。一応、全種類頂きました。 最後には、たくさんあるアイスクリームの中から、この3品をチョイス。 チョコミントが、美味しかったぁ・・・ お昼ご飯で一緒だった男性と、今度は隣同士になりました。 カニが大好きということで、私が最初取ったくらいの量を、4皿召し上がっていました。 その後は、お刺身を2回。 今回も60分間でしたけれど、十分にいただきましたよ。 夕方5時半に、イルミネーションが点灯したので、食後は、イルミネーションの見物。 スペースワールドの広い敷地内のイルミネーションが、すべて、私たちだけの貸し切り。 他のお客は全くいなかったの。(休園日だったから。) それが、一番の贅沢かな?? 以前は、毎日だったような気がするのだけど、お客さんが減ったのかなぁ。 金土日と、年末年始だけの営業のようですね。 では、イルミネーションの写真は、まず1枚だけね。 可愛らしかったものをパチリ。 今、これをパソコンの壁紙にしていますよ。 他のは、次の日記で紹介します。 家に帰ってから万歩計を見たら、14439歩でした。 お風呂にゆっくり浸かってから、撮ってきた写真をいろいろ見ているうちに、眠くなり、昨夜は、10時くらいには寝てしまいました。 おかげで、今朝は4時に起床。 この調子で、早寝早起きを続けようかな。
2015.12.16
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今回もまた、おひとり様限定ツアーに参加したのですが、これは、初対面の人たちとの、出会いの場でもあります。 国内旅行が好き、で、一人でツアーに参加できる家庭環境にある、という共通点以外は、どんな人なのか、話してみないとわからない。 今回、ただ19人中ただ一人の男性は、ぱっと見、物静かな紳士。 優しそうな物腰で、話しかけやすかった。 みんな、寂しい思いをさせないようにと、いろいろ話しかけていたのですけれど、初日の夕食の時に、福島県出身の方で、二年間福岡市に避難してきていていたのだけど、福岡がすっかり気に入り、 ついに福岡に永住することを決めて、住み始めて二年・・ということがわかりました。 震災のことは、あまり根掘り葉掘り尋ねるわけにもいきませんので、福岡での生活について話されることを聞いていましたよ。 もう退職されている65才くらいの感じの方。一人暮らしなのだそうです。 ほとんど毎日ジムに通って、体をきたえ、あとは、美味しいお店をさがして、のんびり散策されているとか。 みんなは、美味しいもののお店の場所を教えてあげて、私は、お気に入りのアクロス山のことを話しました。 二日目、帰りの新幹線で、三人掛けの座席で同じ列になったので、また、お話をしましたよ。 その男性は、カキ(牡蠣)が大好きで、福島にいた頃は、車で3時間くらいかけて食べに行っていたとか。だけど、福岡では、唐津に行けば食べられるし、天神まで出れば、カキ小屋がビルの屋上にあるから、手軽に食べられる、と、うれしそうに話されていました。 そして、自分がなぜ福岡に永住することにしたか、を 熱く語ってくださいました。 私とその男性の間に座っていた人も、実は名古屋出身。御主人の転勤で福岡に来て、もう30年。本当はご主人の実家は長崎なのだけど、そちらには帰らず、このまま福岡に永住する予定なのだそうで、帰りの新幹線の中での話題は、福岡の良いところの話がいっぱい。 そういえば私だって、鹿児島で生まれたけれど、両親が福岡に出てきて、そのまま永住している者でした。 その男性がおっしゃるには、こんなによそ者を暖かく迎えてくれる土地はないと思う・・・とのこと。 私は他の土地を知りませんので、うなづくばかりでしたが、余所から来た人たちがすんなりと仲間入りできる雰囲気はわかります。 福岡は、適度に都会で、適度に自然が残り、海や山がすぐ近くにあり、交通の便も良い。(空港が市の中心部にあり、地下鉄がシンプルで便が良い) 古い歴史もあるけれど、新しい物も、すぐ入ってくる。 美味しい食べ物もたくさんあるし、美人が多い(らしい) いろいろ話しているうちに、あっという間に博多に着きました。 そして、別れる時には、ひとり旅の皆さん、すっかり仲良しになっていて、またツアーで会いましょうね、と笑って、お別れしました。 夫婦連れとか、友達同士の人が交じっていると、その人たちには話しかけにくいのですけれど、みんなひとりで参加しているとわかっているツアーは、とても気楽で、楽しいものです。 今よく利用しているツアー会社には、「おひとり様限定ツアー」がたくさん企画されているので、 これからも、利用する機会が多くなると思います。 本当に、楽しい旅でした。 (ホテルから見た大江山) (バスから見た天王山)
2015.11.24
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お弁当を食べ終わったら、こちら、美山かやぶきの里に到着しました。 民俗資料館前まで一緒に行って、その後は自由散策。 少しでも紅葉の綺麗に残っている場所を探して、パチリ!! のんびりと、歩いて回りましたけれど、ここに住んでいる人、何かいいことあるのかな?お店の人はいいでしょうけど、普通の家の人は、洗濯物も見られるし、いつでも知らない人がまわりをうろうろ。庭も覗かれます。私だったら、いやだなぁ・・・・ その後は、またバスに乗り、高雄の方へ。 ここでは、バスを降りたら、二時間の自由散策。その間に、栂尾山高山寺、槇尾山西明寺、高雄山神護寺を好きなようにお参りしてくるのですが、私はまず、一番遠い神護寺を目指しました。 山門の手前に、こんなポスターが貼ってありましたよ。 入山料は、600円。 無事お参りをして、ご朱印も頂いて、次は「かわらけ投げ」に。 自分が投げたかわらけを撮影しようと思っていたのに、ここでバッテリー切れ。ま、いっかー。 思い切って投げた私のかわらけは、二枚とも、くいーんと曲がって、 下の方へ飛んでいきました。 思えば、大学生の頃に、友人5人連れで来て以来。40年ぶりのかわらけ投げでした。 帰りに、他のお寺にも寄るつもりでしたけど、神護寺の石段はかなり手ごわく、足がへろへろになっていたので、あとはのんびりと周りの景色を見ながら バスに戻りましたよ。 では、最後に、これ。 中央に、目が光った太陽の塔があるのですけれど、見えますか? ガイドさんが紹介されたので、皆でバスの窓から見ました。 頭の上も赤く光っていました。 というわけで、今回の、紅葉を堪能する 探す旅は終了です。 さて、アップできるでしょうか。
2015.11.23
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これが、今回泊まったホテル。天橋立と、大江山が見えるホテルでした。 バスに乗ってから、また撮りました。 今回は、歩いて渡ったりしていませんので、そのうちまた来たいですね。 そのまま、海のそばを走っていきます。 たどり着いたのは、ここ、京都府の北部、丹後半島にある伊根町です。 旅行のコース案内をよく読んでいなかったので、こういう舟屋を見ることも、船に乗ることも、わかっていませんでした。 だから、サプライズみたいで、楽しかった!! この船に乗って、伊根湾めぐりをしたのですが、本当に楽しかったの。 船の中でも売っていた、カモメ用の餌は、かっぱえびせん。 手で持って待っていると、ちらっちらっと見ながら旋回して、ひゅーっと後ろから飛んできて、上手に取っていきます。 だんだんカモメの数が増えてきて、 舟と同じスピードで横を飛んだりすると、止まっているように見えます。 すると、妙に大きな鳥までやってきました。 たぶん、とんびですね。 カモメにまじって、とんびもかっぱえびせんを取っていくの。迫力たっぷり!!! 今まで、とんびって、 空の高いところをゆったり飛んでいるところしか知らなかったから、 船のすぐ横を飛んでいたり、ばさばさっと近づいてくるのが、とても新鮮で、みんな大騒ぎ。 楽しかったです。 鳥ばかりでなく、ちゃんと舟屋も眺めましたよ。 その後は、 この3000円分のチケットを使うために、みんなで「道の駅」に行きました。 おつりは出ないということでしたから、3050円分買って、50円払いました。 買ったのは、漬物セット、栃餅、栗羊羹、黒豆の甘納豆などです。 この後、お弁当をバスの中で食べて、次の目的地へ。 ここまでで、ひとまずアップしてみます。
2015.11.22
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丹波三山で紅葉を探す旅の、第一歩は、栗でした。 「帰りに買おうかな?」っと、張り切って出発。 一つ目のお寺は、石龕寺(せきがんじ) 山の上の方に、鐘楼が見えたのですが、そこまでは登りませんでした。 次のお寺に、紅葉は残っているかしら・・・不安に思いつつ、バスに戻ります。 そうそう、今回のツアーもおひとり様限定だったのですが、19名中、男性が一人しかいなくて、びっくり。 なんか気の毒だったので、みんなよく話しかけていました。 あ、これは、石龕寺で一番綺麗だった紅葉。 これくらいでした。 では二つ目のお寺、圓通寺は? 少しは、希望が持てそうですね。 あら、土手に植えてあるどうだんつつじが綺麗。 まあまあでしたよ。 うれしくなったので、もみじの形の和菓子を境内で購入。 三つ目のお寺、高源寺は・・・・ パンフレットと、ずいぶん違いますね。 一面に散紅葉がありましたけれど、すべてが茶色・・・ しかし、境内は山ひとつ丸ごとという感じで、散策には、ばっちりのようでしたよ。 今度、青葉が綺麗な時期に来ると良いかも・・・ 手をつかないと怖いような石段がたくさんあったのが、ちょっと、大変なのですがね。 最後に、ドウダンつつじの名所、安國寺に行きましたが、 あちゃー・・・ がっくりして、写真も撮らず。 そういえば、バスの駐車場所の係のおじちゃんが、ものすごーく気の毒がってくださって、何度も何度も、「葉が落ちてしまって、すみません。」と、あやまって下さっていました。 そんな、おじさんのせいではないのにねー。 安國寺周辺で、一番きれいだったのは、これ。 ヨウシュヤマゴボウです。 懐かしい。子どもの頃は、よくこの実で色水遊びをしたっけ・・・・ というわけで、一日目は終わり。 2日目は、伊根と三尾の旅です。
2015.11.22
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今日は、アクロスで、演奏会に出演することになっていたので、少し早めに出かけました。 11時半に集合することになっていたのですが、10時前には、もう到着していましたので、アクロス山に登ることにしました。 屋上展望台は、10時からですが、たどり着く頃には開いているよね・・・・ というわけで、少しずつ登っていく風景をお楽しみくださいね。 まずは、アクロス山のふもとから見上げた写真です。あの、一番上まで登りますよ。 ちょっと登っただけでも、こんなに美しい景色!! さざんかも、咲いています。その下の階段に こんなものが落ちていましたよ。 どんぐりのなる木がいっぱいはえているの。 私は、このコースの、右側を上り、左側を下ってきました。 この後、リハーサルをして、無事リコーダーの演奏もしてきましたよ。 さて、写真が多いけど、アップできるかな?
2015.11.03
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万葉集でおなじみの、「山部赤人」のお墓の近くを通って、 桜井というところに行きました。 ひょっとして、「あーおばしげれる さくらいのー、」という歌で有名な場所なの? と思って検索したら、全く違いました。 「桜井の訣別」で有名な、楠木正成 と息子正行が別れた桜井の駅というのは、今の大阪府三島郡島本町の桜井だそうです。 さて、最後に私たちがうかがったお寺は、ここ。 ちょっとした、小高い丘の上に、ありましたよ。 「多武峰」と書いて、「とうのみね」と読みます。 ここも、山腹に沿って建てられていますので、境内にも、堂内にも、階段がありました。 本堂に入ったら、まあ、びっくりぽん。 ものすごーくでっかいお地蔵様の坐像がありました。 お顔も、でっかい、でっかい。子安地蔵とかで、子宝に恵まれるとか・・・ 「今さら、子宝に恵まれてもねー」とか言いながら、 みんなで座り込んで拝んでいましたら、 ガイドさんから、『奥の方に、登っていってください。』と言われ、また、階段を上っていきましたら、 コンクリート造りのえらく頑丈そうなお堂がありました。 で、その中に安置されていたのが、国宝の「十一面観音」様。 写真はだめなので、例によって、写真を撮影してきましたよ。 光背も残ってはいるのですけれど、破損がひどいとかで、現在復元中。 その説明パネルです。 右手の指が美しかったですよ。 しかし、お地蔵さんのインパクトが強すぎ。 あんなお地蔵様があるんですねー。 あ、今確認したら、「子安延命地蔵」さんということですから、ま、拝んでおいて、良かったです。 それから、バスに乗り込み、一路「新大阪駅」へ。 途中、えらく煙が上がっているなぁ・・・と思ってみたら、田んぼで、稲刈り後の藁を燃やしているようでした。 今では、藁で筵や縄を編むこともないでしょうからね。 夕方になっても、まだまだすじ状の雲が出ていました。 というわけで、今回の奈良の報告は終わりです。 11月に行くのは京都で、紅葉がいっぱいの景色を堪能する予定。 「美山かやぶき集落」とか「丹波紅葉三山」、「天橋立」そして、高雄・栂尾・槇尾なんかにも。 12月は、お泊りでなく、バスハイク。 その時は、門司港レトロなんかにも行きますよ。美味しい物を飲み食いするツアーです。 この二つは、もう決定していますので、わくわく。 楽しみ~
2015.10.31
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それでは、室生寺ですよ。 美味しい山菜料理を頂いたあとは、みんなで室生寺参拝。 川沿いの並木も、もうしばらくしたら、もみじが美しいことでしょう。 昔、高野山には女性は参拝できなかったため、こちらのお寺にお参りしていたそうです。 役行者(えんのぎょうじゃ)が開かれて、弘法大師が整備されたなんて、凄いお寺だったのですね。 これまで行ったお寺では、他の観光客をほとんど見なかったのに、ここには、いっぱい。 ちゃんと、売店もありましたので、帰りに二つ、買いました。 赤と青の仁王様が、門を守っていましたよ。 この石段が、なかなかの曲者。戻りには、太ももがぷるぷるしていました。 こちらの金堂では、中に入れていただいて、若い、イケメンのお坊さんから、お話を聞きました。 なかなかに、立派な仏様が、たくさん並んでいました。 中でも、干支を表した「十二神将」が良かったです。 「みなさん、ご自分の干支の仏様をどうぞ拝んでくださいね。」と言われるので、数えて、これだ!! と見たら、まあ、チャーミングだこと!! 写真はもちろんダメでしたから、後で絵葉書か何かを買うことにしました。 それから、五重塔の方へ。 また石段ですが、もう一息です。 この塔は、台風で倒れた杉の木が、屋根の端っこをかすめて倒壊。 でも、その修理中に、使われている木材から、800年くらいに 建てられたものに間違いないということがわかったとか。 その倒れた杉の木の根っこも見てきましたよ。白アリが食べてしまい、台風で簡単に倒れたのだそうです。 塔の真ん中をぐしゃっとつぶさないで、よかった、良かった。 前の方の小さいのが、十二神将です。(運慶作らしい) それから、こんなポスターも。 お地蔵さんめぐりツアーが、そのうち出てくるかも。 私は、すでに、三つのお寺のお地蔵様は、拝んでいますけどね。 では、帰りに買ったもの。 この一筆箋は、ちょっと変わっていて、表は、何も書けません。 未(ひつじ)年の神将さま、ポーズが可愛いです。 裏は、こんなの。
2015.10.29
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前回の日記に載せた法華寺のすぐそばに、海竜王寺がありました。(藤原不比等の邸宅敷地の中に、二つのお寺があるのです) ここは、第八次遣唐使の船が難破しそうになったとき、 僧玄[日方(ぼう)]が「海龍王経」を唱えたら、四隻のうち一隻だけ、無事に種子島に漂着したことから、創建されたそうです。 だから、初代住職は、僧玄[日方]さん。 それ以来、渡海安全を祈願するお寺として、有名になったそうです。 これは、入り口にあった、ポスターですよ。 御本尊は、撮影禁止ですからね。 このお寺には、珍しい、屋内の五重小塔がありました。これは、国宝です。(撮影自由でした) 境内のお花も、綺麗でしたよー。 山茶花と、白玉椿みたいなの。 さて、この後は、今回の旅の中では異色の、有名なお寺です。 パスから降りたら、ひんやりしていましたよ。さすが、山の中。 ひとまず、ここで山菜の昼食を頂きました。 これは、料亭からの写真です。 では、室生寺については、次の日記で。
2015.10.29
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まずは、腹ごしらえから。 バイキングでしたから、ちょっと食べ過ぎかも。 2日目の最初は、大安寺。わが国最初の官寺なのだそうです。(当時は「百済大寺」) その後、藤原京に行き、「高市大寺」、「大官大寺」と呼び名が変わり、飛鳥時代は、中心寺院として栄えたのですって。 その時には、なんと、九重の塔があったとか。凄いですねー。そんなの見たことがありません。 一番多い時には、900人近いお坊さんたちが、このお寺で修業していたそうですよ。 だけど、東大寺ができて、都で一番のお寺となったのに伴い、「大安寺」と名前を変えて、次第に勢いがなくなってきて・・・(大仏開眼の導師も呪願師も、このお寺の人なのに) 飛鳥時代にあった九重の塔も、平城京に移転した時には、もう、同じものを建てる余力がなくなっていて、飛鳥に残されていた九重の塔も、崩壊してしまい、今では、石碑のみ。 だけどね、実は、ここが一番好きでした。 できたら、そのうちまた訪ねていって、またお話を聞きたいです。 特に良かったのが、お経さん。真言宗では、太鼓を使うようですが、太鼓に合わせて読経したのは、初めての体験。 本当に、心躍る経験でしたよ。 これなら、毎日でも唱えたい・・・と思っちゃいました。 このお寺は、もともと病気平癒とかのお寺だったけど、 戦後、今の時代何の病気が一番大変か考えて、「がん封じのお寺」ということを全面に出すことにしたそうです。 御堂の中は、全く写真に撮れなかったのだけど、高野山にあるのと同じ黒い石(パワーストーン)があったり、ありがたーい仏様がいっぱいあったり、楽しかったです。 次に行ったのは、法華寺と海竜王寺。 ここは、もともと藤原不比等の邸宅があった場所で、そこに、二つのお寺ができているのだそうです。 不比等の娘さんである光明皇后が、父親の邸の土地に、宮寺を作ったということですね。 中に、光明皇后の写経されたものが展示されていましたけれど、とてもとても、美しい文字でした。 こんな風に書けるといいな。 ここも、団体は、私たちだけ。 静かです。中国語なんて、全く聞こえません。 空がきれいでしょ? 実は、この後ね、空に筋のような雲が現れたのですよ。 法華寺を出て、海竜王寺に行くために、待ち合わせしていた時は、これくらい。 「なんか、向こうから龍が来よーみたいやねー。」「ほんとねー。」なんて言いながら、皆写真に撮っていました。 それが、海竜王寺に行っている間に、だんだんとこちらにやってきて、 元の、法華寺の駐車場に戻る時は、 こんなに美しい、帯状の雲。 真上は、こんな。 そして、二つのお寺を見て、バスに乗り込む前は、こんな。 では、ひとまず、ここで切ります。
2015.10.28
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今回行ったお寺は、どこも普通の観光コースからは外れているらしく、駐車場で、自分のバスがわからない・・・なんてことはなく、他の団体は、皆無、という感じでした。 その分、静かで、ぴーんと張ったような良い気を感じ、本当に、心が洗われるような思いでした。 まず一番に行ったのが、藤井寺市の「道明寺」 名前は、「道明寺粉」(桜餅とかおはぎ)で知っていましたが、お寺の由来は、全く知りませんでした。 福岡に住む者としては、知っておかねばなりませんね。 道真公が太宰府に左遷されると決まったときに、叔母の覚寿尼を訪ね、「鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音のなからん里の 暁もかな」と詠んで、別れを惜しまれたところだそうです。 で、道真公が亡くなったあと、道真公の号である「道明」をとって、この寺の名前を「道明寺」と改められたのですって。 とても、綺麗な境内でした。 それから、大和川を渡り、 次に行ったのは、 法輪寺 ここは、斑鳩の北方にあるお寺で、聖徳太子のお子さん「山背大兄王」が、太子の病気平癒を願って、建立されたらしいです。 斑鳩三塔の一つであった、国宝の三重塔は、昭和十九年に落雷で全焼し、そのために国宝ではなくなりました。 再建できたのが、昭和五十年だそうで、秋の爽やかな風に、風鐸が鳴るのを楽しませていただきましたよ。 今回、秘仏の限定御開帳ばかりの参拝でしたから、堂内撮影禁止ばかり。 というわけで、観音様の写真はありません。しっかりと見せていただき、拝んできました。 初日、最後に参拝したのは、ここ 764年に、女帝称徳天皇が建立されたもの。なんでも、藤原仲麻呂の謀反を受けて、鎮護国家の願いを込めて、造営されたそうです。 このお寺も、静かで、綺麗で、すてきでした。 桜の葉っぱの紅葉も、なかなかのもの。 というわけで、御本尊や堂内の写真が全くないので、これを。 お寺においてあったパンフレットを頂いたのですが、それを写真に撮りましたよ。 これと、ほぼ一緒なのですが、右下の「長谷寺」へは行かず、そのかわりに、道明寺への参拝でした。 十一面観音菩薩って、みなさん、左手に紅蓮の花を生けた花瓶を持ってらっしゃいます。 そして、右手にはお数珠を持って垂らしていらっしゃるのだけど、長谷寺のものは、右手に錫杖を持っている。というわけで、同じ形式のものを「長谷寺式十一面観音」と呼ぶそうです。 ま、ここにあるように、十一面観音を8体参拝すると、八十八面ということになり、数字的に、 縁起が良さそうだから、でしょうね。 そのうち、四国八十八か所巡礼にも、行ってみたいなぁ・・・ では、二日目のことは、また今度。
2015.10.27
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今日は、奈良に来ています。十一面観音を8体参拝する旅です。今日行ったのは、道明寺と法輪寺、西大寺。どのお寺もとても静かで、ゆっくりと拝観することができましたよ。明日は、大安寺、海龍王寺、法華寺、室生寺、聖林寺に参拝します。普通の観光コースとは、ちょっと違いますね。とても楽しみ・・・
2015.10.25
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今日は、オーケストラの演奏で、熊本県まで行ってきました。 これは、ちょうど鍋が焦げ付かないように、おじさんがかかえて、肉をひっくり返したとき。 会場についた時から目をつけていました。 今日は、イベント会場での演奏だったのです。 朝9時にこちらを出発したのに、ついたのは12時過ぎ。 おなかが減っていましたので、チケットをもらったらすぐに、直行。 どんどん紙皿にのせてくれて、最後に大物をドンッ。美味しかったですよー。柔らかかったし。 30分間ほどで演奏が終わり、その後自由時間がありました。 楽しみにしていた、阿蘇中岳の噴煙です。 噴火以来、かえって観光客は増えたらしいです。 ここは、360度、すべてがこんな風景なんです。 阿蘇の外輪山の上にいるのかな? 丘の上には、こんな巨石がいっぱい並んでいました。 阿蘇中岳と同じくらいの距離の反対側に、九重連山が見えましたよ。 これは、方位磁針を皆さん手に持って、岩の周りをまわっているの。 岩のくぼみには、お金が埋めこんでありました。(お賽銭かな) 本当に、暑くもなく、寒くもなく、絶景かな絶景かな・・・・ 3時には出発して帰る予定でしたので、そろそろ降ります。 イベント会場では、お土産に、栗・トウモロコシ・炭火焼の鶏肉、豚バラを買いましたよ。 それから、半分の団員はマイクロバスで帰ります。あとの人たちは、まだ残るみたいでした。 帰りの高速道路では事故があったらしく、渋滞。 結局4時間半かかって、帰ってきましたよ。 くたびれたけど、楽しかったです。
2015.09.22
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この海は、富山湾。 一日目の午後に行った場所です。 全く知らない地名だったのですが、行ってみてびっくり!! 大伴家持が、万葉集で詠んでいた海岸ではありませんか。 このすぐ近くに、国司として赴任してきていたのですね。 それに、この和歌は、ついこの間、かな書のサークルで、先生から紹介されたばかりのものでしたから、私は、その歌枕にやってきていたというわけ。 この次の「かな書」の時に、写真をもっていこうと思います。 先生も、びっくりするかもしれませんよ。 線路のすぐ横に、義経社があり、 義経一行が、奥州に下る途中で、 雨宿りをしたらしい岩。 中は、結構広いので、全員ちゃんと入れたのでしょう。 さて、私は、海を見て興奮気味。 添乗員さんに、「触っていいですか?」と尋ねたら、「どうぞ、波にさらわれないように、お気をつけて。」と言われたので、よっしゃー。 遠くの方が霞んでいたので、この日は見えませんでしたけど、 冬の晴れた日などは、この写真のように、立山連峰が美しいらしいです。 さて、海岸の横はというと、 このように、単線の氷見線の鉄道がありました。 帰りのバスで、氷見線の車両とすれ違ったので、パチリ!! 藤子不二雄さんが、この近くの出身とかで、このデザインの列車が走っているのだそうです。 客用ドアが、押しボタン式の「半自動ドア」らしいので、次に来たときには、ぜひ体験してみたいものです。 海岸沿いを走る単線の普通列車って、なんか風情がありますね。 というわけで、今回のご報告は終わりです。 ここから、追加なのですが、雨晴海岸に行く途中に、バスの中から全く知らずに撮っていた写真の中に、こんなのがあったのがわかりましたよ。 海の中に、木がはえた岩があったので、うれしくてつい、撮っていたのだけど、これが「男岩」だったらしい。 そして、 この岩も、面白いなぁ・・・と思って撮っていたもの。 この日記をアップした後で、(そういえば・・・・) と、気が付いて、確認しました。 昔の人も、こうして、海岸を歩いている時に気になった岩に、こんな名前をつけて愛でたのでしょう。 昔の人と気持ちがシンクロしたようで、うれしかったです。
2015.09.18
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この間、nikさんのブログで、日本の観光地は、危険を防ぐための、柵や看板が多すぎ、という指摘があって、そうやねー、と思っていたのですが、 今日、行ってきた場所は、そんなnikさんに、ぜひお勧めしたい スリル満点の場所でした。 (あ、今日の写真も、ぜひクリックして大きくしてから見てね。) 心配していた雨もたいしたことなくて、途中からは、傘を差しませんでしたよ。 この景色を見たときは、ちょっとがっかり。 サスペンスドラマで見た景色がなかったから・・・・ 足元がどんどん岩だらけになってきて、 少し濡れていますから、滑らないように気をつけました。 がんばって進んだら、こんな風景が見えました。 でも、真下の海が見えません。 身を乗り出すのは、ちょっと・・・・ それにしても、見事な柱状節理です。 この縦筋のおかげで、何か吸い込まれそうな気分。 左側の方に進めば、もっと真下が見えそうだったので、転ぶなら、陸地側に・・・と、声を掛け合いながら、 もうすこしです。 真下が見えそう。 ここは、崖に切れ目が入っているような場所なんですよ。 やったー!! 真下を覗くことができましたよ。 年間30人位の人が、飛びこまれるらしいです。で、それは、たいてい県外の人。 だけど、これだけ岩がごつごつしていたら、海に届く前に、岩に頭をぶつけてしまいそうねー、なんて話しましたよ。 nikさん、どこにも柵がなくて、危険、注意の看板もないでしょ。 すごいなぁ、と思いました。 私は目的を果たせて、大満足でした。 他の場所については、また今度ね。
2015.09.17
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兼六園は、それはそれはたくさんの観光客が次々に団体でやってくるので、びっくり!! (私も)でも園内はとても広いので、出入口と説明ポイント以外は、静かで良かったですよ。私たちは、40分位、団体で見学した後食事をして、その後は1時間の自由散策。オミナエシにツマグロヒョウモンがいっぱい止まっているのを観察したり、満開の萩の花を愛でたり、まったりとした時間を過ごすことができました。驚いたのは、泊まったホテルの部屋。何と、6人用の和室をひとりで使っています。畳敷きの所だけでも20畳分位あります。お風呂とトイレも別だし、床の間やお縁のスペースもあって、なんか温泉客気分です。今日は、サスペンスドラマの犯人がいそうな場所に行きますよ。海に落ちないように気をつけて、楽しんできますね。では
2015.09.16
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今、ものすごく眠い・・・今朝は、4時過ぎに起きましたからね~今回の旅行は、23人でしたよ。みんな一人で参加した人ばかり。なんか、朝から和気あいあい。どの人もさっぱりして明るい感じです。夕食の時は、同窓会のような雰囲気でした。男性は6人かな?優しいおじ様達です。皆、65才位のようでした。今日行った中では、瑞龍寺が最高でしたよ。もっと宣伝したらいのに!海岸でしばらく遊んだのも楽しかった....貝殻も拾ってきました。明日は、兼六園。楽しみです。では、おやすみなさい!
2015.09.15
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今日は、朝9時に集合して、楽器をトラックに積み込み、団員は、貸し切りバスに乗り込んで、出発しました。 車で約1時間。 ついたのは、箱崎駅です。 今日は、筥崎宮の放生会(ほうじょうや)でのイベントに参加したというわけです。 午前の部が終わった後、500円渡されて、「何かご自分で昼食をとってくださいね。」と言われたので、筥崎宮にまずはお参りに行きました。 とても良いお天気だったので、よかった。 とにかく人が多いので、私はすぐに「御朱印」を頂きに。 こんなパンフレットも添えてくれました。 この敵国というのは、元寇のときのことだから、「元」のことですね。 亀山上皇が祈願されて、この扁額を掲げ、それ以来海上交通・海外防護の神様として、信仰されているそうです。 お腹が空いたので、参道の方へ。 もう、まっすぐ歩けないくらいの人波。 筥崎宮の、放生会の名物といえば、これ。 この新生姜は、母へのお土産です。 これも、名物です。 私は、もう持っているので買いませんでしたよ。 これです。 その後、お昼ご飯には、焼き鳥と広島風お好み焼きを食べ、 筥崎宮名物らしい「社日餅」と「梅ヶ枝餅」を五個ずつ買って、 演奏会場に戻りました。 午後の部も無事終わり、また楽器をトラックに積み込んで、バスで一時間。 自宅に帰りついたのは、4時を過ぎていました。 ちょっと暑かったけれど、会場には涼しい風が吹き抜けて、とても気持ちが良かったですよ。 次の演奏は、熊本県のとあるパワースポットで開かれるイベント参加。 曲は大体同じですが、今度は違う楽器での参加です。 飽きないから、いいけどね。 以上、今日のご報告でした。
2015.09.13
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長い廊下を通っていたら、横に違う道がありました。 ここは、藤原家専用の参道なのだそうです。 こちらの方が近いのかどうか、実際に歩いてはいませんので、よくわかりません。 だけど、さすが藤原家。 専用の道があるのですね。 ここで、自由時間。 待ち合わせは、ここ。 樹齢800年・・・ ということは、藤原氏が栄えた時代に、自分たちで植えたわけではなさそうですね。 ちょっと、残念。 春日大社の中は、朱色だらけ。 ただ、今は遷宮工事の途中なので、なんとなく、せせこましい感じ。 ここから先へは入れません。 工事が終わったら、もっと奥の方まで行けるのでしょうかね。 こんな高札が立ててありました。 宮家の皆様、勢揃いです。 そして、こちらには、 私たち庶民は、この桧皮を一束1000円で、奉納することができるのです。 昼食は、さっきの奈良公園の前の包丁屋さんなのでねそろそろ戻ります。 ここまでで、午前中が終わり。
2015.09.09
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三月堂の前から、隣の手向山八幡宮の方へ 入り口のそばには、この校倉造の建物が・・・ 食事の時などは、和やかにお話していますけれど、移動の時には、みんなバラバラ・・・ 集まった場所には、これが・・・ だけど、ここに座ったりしたら、お尻が腫れそうなので、私は座りませんでしたよ。(バチが当たる) 私、奈良公園って、普通の街中の公園みたいな場所だと思っていました。 こんな、草スキーのできそうな場所だとは、知りませんでした。 鹿さんが、そばに来ると、うっぷ・・・獣の匂いが プンプンと。(ちょっと、苦手) 観光客の子どもが触っていたら、「あ、蚤がいっぱいいるから、触らない方がいいよ。」と、店の人が注意していました。 そうでしょうねー。 相変わらず、皆さん、ばらばらで歩いていきます。 (私もだけどね。) 最近、書いたばかりの短歌の石碑がありました。 まあ、ここが三笠の山なのねー。 もうすぐです。 この春日大社も、20年に一度の遷宮のため、工事中でしたよ。 写真が多いので、ひとまず、ここまででアップしてみます。
2015.09.09
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