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昨日の夜から、70年代のディスコ音楽をずっと聴いています。(今はダンシングクイーン♪)私は大学を卒業するまでは、「まじめちゃん」だったから、ラジオの深夜放送も聴かず、授業をさぼることもなく、読書と就職試験のための勉強をがんばっていました。1977年に無事就職し、職場に行くと、やたら同年代がいっぱいいて、20代の人だけで30人近くいました。それで、有志で集まって、仕事の準備をしたり勉強したり、いろいろやっていたけれど、飲み会にもよく行きました。もちろん、職場全体の飲み会もあったけれど、若者は2次会、3次会へ。で、よく行っていたのがダンスホールやディスコ。年配の方が一緒だと、ジルバとかワルツも踊ったけれど、ディスコ音楽がかかると、「イェ~イ」と、各自で好きに踊っていました。クリスタルキングが、確かまだデビュー前で、福岡中州のダンスホールにもよく出ていました。あの声で、洋楽を生で歌ってくれていたんですよ。楽しかったなぁ。50年代の曲とか60年代の洋楽は、ほとんど母が聴いていたラジオで覚え、70年代の曲は、踊りながら覚えた。というわけで、急に懐かしくなって、ディスコ音楽を聴きながら、こんな本をダウンロードして読んでいました。学生の頃には興味がなくて、読んでいなかった本。「紫式部日記」です。中はこんな感じ。本当に原文のままだと、濁点とか、句読点がないし、変体仮名がいっぱい。とても読むのが大変。この本は、ひと区切りずつ、注釈がついていました。それと、もう一冊こんな本も買ってみました。こちらは、ずいぶんとくだけた雰囲気です。私が大好きな和泉式部も出てきます。どちらも、U-NEXTのポイントで購入したので、パソコンやスマホ、タブレットなどでいつでも読むことができます。ちゃんと読んでいたページが表示されるので便利ですね。では、大好きな庭の花。絞りの椿の写真ね。この花には、まだ小鳥の足跡がついていませんでした。あ、今、ビレッジピープルの「YMCA」が流れていますよ。youtubeで、映像とともに、いっぱい音楽が聴けるのは良いですね。最後に、今朝の私の机(こたつ)の上のゴミ入れの写真。虹の色って、本当に美しい。
2024.02.10
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昨夜は、漢字パズルの答え画像を作り、さて日記を書こうとしたところで、一応、出てきたことわざの意味を確認しておくことにした。結局、それが間違いの元。延々、中国古代史の世界にどっぷりと浸かっていましたよ。今もまた、日記を書こうとして、魏晋南北朝時代の話に・・・いかんいかん、ひとまず日記を書こう。まずは、パズルの答えです。使った漢字を消していくと、「空、秋、心、女」の四文字が残りますね。それにかな二文字を加えてことわざを作ると・・・正解は、「女心と秋の空」です。この言葉の由来を調べたら、びっくり。もともとは「男心と秋の空」だったそうですよ。室町時代の狂言『墨塗(すみぬり)』には、「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」というセリフが登場するそうです。…女のうそ泣きを、墨をまぜた水で見破る話また、江戸時代の小林一茶の俳句に、 はづかしや おれが心と 秋の空というのがあるらしく、移り気な自分を恥ずかしく思う内省的な心情が吐露されています。つまり、「男心と秋(飽き)の空」という言い回しがベースになっているわけですから、それが一般的だったということでしょう。明治時代に入ると、西洋文化に触れる機会が増え、小説家・尾崎紅葉が『三人妻』という小説の中で 欧羅巴(ヨーロッパ)の諺(ことわざ)に、女心と冬日和といえりと書いています。イギリスなどの諺に、 A woman's mind and winter wind change often (女性の心情と冬の風はよく変わる)というのがあるそうですよ。それをふまえての一文だったのでしょうね。その後、大正デモクラシーなど女性の地位向上にともなって、日本では 女心と秋の空ということわざが定着してきたようです。何気なく使っていることわざや言い回しでも、時代によって意味や使われ方が違ったりするんですね。面白かったです。昨夜は、「快刀乱麻を断つ」の由来を調べていて、あっという間に真夜中。さっきも危なかった。長くなりそうなので、今回はこの紹介はやめておきますね。では、次の漢字パズルです。漢字リストがないので、見やすいと思います。→の向きに読むと熟語ができるように、漢字を入れます。すると、上の三つの漢字で三文字熟語、下の二つの漢字で二字熟語ができます。どちらも秋の行事に関係のある言葉です。難易度が★ひとつですから、簡単だと思います。よかったら、どうぞ。では、昨日のせるはずだった庭の写真です。こうして拡大すると、ものすごく派手なのですが、実物は2cmくらいの虫なので、そんなに目立ちません。大きな「イヤミの出っ歯」みたいな部分が目立ちますが、オスメスを見分けるには、キバを見ます。オスは、先まで真っ白でとても長く、交尾のときにメスをがっちりつかむことができるようになっています。メスは、キバの先の方が濃い緑色で、オスほど長くありません。バラにバッタくんが乗っかっていました。全部抜いてしまっていたけれど、新芽が出てきたので、しばらく様子を見ることにしました。花も葉っぱも大きな「ハナカタバミ」です。この花は、母が亡くなった兄嫁さんからもらってきたものだそうですよ。思い出があるのかもしれないので、少しは残しておこうかな?このモミジアオイは今日はしぼんでいたけれど、手前にもう一つ咲いていました。今年の夏は、いったい何個くらい花が咲いたんだろう・・・ブラックベリーのプランターに、棒を立てていたけれど、自分ではまきついていかないんですね。こちらがのびたつるを固定していかないといけないらしい。大いなる勘違いでした。最後に、白の秋明菊の後ろ姿です。白い花びらに見えるものはガクで、その下の少し色の濃いものはつぼみを包んでいた皮です。
2021.09.27
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「菜根譚」というのは、中国の古典の一つで、明代末期のものです。人との交わり方、自然と閑居の楽しみなどが書かれている、別名「処世修養篇」随筆集です。※この本は、中国ではあまり重視されてなくて、日本で盛んに読まれたもの。「菜根は堅くて筋が多いけれど、よく噛みしめて食べると、真の味わいがする」ということから名づけられたそうですよ。失敗や逆境は、うまくいっているときに芽生えはじめるもの。物事がうまくいっているときにこそ、先々の災難や失敗に注意したほうがよい。また、成功、勝利は逆境から始まるものだから、思い通りにいかないからといって、決して途中で投げやりになってはいけない。という、人生訓が語られている本です。これを、子供むけに書かれた本が、これ。原文とか難しい解説は全くなくて、楽しい絵と短いことば、そして、ちょっとだけ説明が書いてあります。これ、そのまま日めくりに使えそうですね。さて、今日はコミュニティセンターへ行ってきました。明日から例年通り「文化祭」があるので、作品搬入に行ったのです。いつも早めに行くのが好きな私。でも、今年はダメでした。密になるのを防ぐために、指定された時間にならないと、会場に入れてもらえなかった。それで、時間つぶしに隣の図書館に行って、本を借りてきましたよ。次に私が何をしたいか、丸わかりですね。そう、ちょっと縮緬(ちりめん)や和布を使った小さな細工物にチャレンジしたいのです。気に入った作品のページは、カメラで撮っておけば、あとからも見ることができますからね。さて、本を借りたらようやく入場できる時間になりました。飾り付けに30分くらいかかりましたよ。まあ、たったこれだけなんですけれど、移動式パネルにあまり傷をつけないために、上のところからチェーンを垂らし、それにS字フックを引っかけて作品をぶら下げるのです。私たち短歌会の展示物はとても軽いけれど、額装したものや、とても大きな掛け軸を展示する団体もあるので、画びょうでは留まらないのかもしれませんね。そして、展示が終わったら、お買い物へ。途中の道路の街路樹の紅葉がとてもきれいだったのですが、運転中ですので、良い場所で撮れませんでした。残念。今日買ってきたのは鯛の切り身とまびき(シイラ)の切り身。鯛は明日にまわして、今日はまびきのソテーにしましたよ。小骨がなく、あっさりとしているので、シンプルな味付けで、おいしく頂きました。千切り大根は、「空飛ぶ玉ねぎドレッシング」と「金のごまだれ」をブレンドした物で和えました。これも美味しかったです。では、庭の花ね。右側の植え込みはとても小さいので、オキザリスでいっぱいになってしまいました。以前は、ここにネジバナが咲いていたのに、オキザリスが占領してしまいました。残念。左側には、私が植えたビオラが。昨日より元気になっています。この水色と白のビオラは、今までうちの庭に咲いていたことがありません。おまけです。このような模様の蝶は、なんども見かけたことがあったけれど、写真に撮ってみて初めて、体が緑色に光っていることに気づきました。びっくり!!!
2020.11.06
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昨日は、「すけるくん」アジサイの花のブローチとクリップを持って、6月に作った短歌を、いつものお寺に届けに行ってきました。いつものように五首清書して持っていったのですが、プッと笑って「これを載せましょう。」と選んでもらったのは、この歌です。 給付金 使ってエアコン 取り替える そのメーカーの 名前は コロナ あじさいの 季節のうちに また会えた 歌の仲間に 手作りの花というのもいいけれど、今回のは8月頭に配布される広報誌に載せる分なので、さすがに「アジサイ」は季節外れだろう、ということになりましたよ。追記 いつも真面目な歌ばかりでは面白くないので、このような狂歌っぽい歌もまぜています。川柳にするなら 給付金 買ったエアコン コロナ製といったところでしょうか。お寺の中は、どの部屋も戸を開けてあり、密にならないようにしてありました。そうそう、こんなものを頂きました。締め切りは、9月1日で、出詠料は1000円。天賞1首、地賞2首、人賞3首、佳作5首が選ばれるようです。昨年の受賞作品を見ると、まじめな歌ばかりですね。「そのメーカーの 名前はコロナ」みたいな歌はありません。うーむ、どうしよう。この要項の裏に、白秋の歌が四首のせてありました。「な鳴きそ鳴きそ」の歌は、あまりにも有名ですね。おかげで、青空文庫で、白秋の歌集「桐の花」を読むことに。 かくまでも 黒くかなしき 色やある わが思ふひとの 春のまなざし あまりりす 息もふかげに 燃ゆるとき ふと唇(くちびる)は さしあてしかな 薄暮(たそがれ)の 水路に似たる 心あり やはらかき夢の ひとりながるる やはらかき かなしみきたる ジンの酒 とりてふくめば かなしみきたる 指さきの あるかなきかの 青き傷 それにも夏は 染みて光りぬ アーク燈 点(とも)れるかげを あるかなし 蛍の飛ぶは あはれなるかな フラスコに 青きリキュール さしよせて 寝(ぬ)ればよしなや 月さしにけり さしむかひ 二人暮れゆく 夏の日の かはたれの空に 桐の匂へる ほのぼのと 人をたづねて ゆく朝は あかしやの木に ふる雨もがな 蛍飛び かへろ(カエル)啼くなり おづおづと 忍び逢ふ夜の 薄霧の中 白き猫 膝に抱(いだ)けば わがおもひ 音なく暮れて 病むここちする 入日うくる だらだら坂の なかほどの 釣鐘草の 黄なるかがやき 夏の日は なつかしきかな こころよく 梔子(くちなし)の花の 汗もちてちる 涙して ひとをいたはる よそ人の あつき心を われに持たしめ つくづくと 昼のつかれを うらがへし けふもラムプを 点(とも)すなりけり ひとすぢの 香の煙のふたいろに うちなびきつつ なげくわが恋 君と見て 一期の別れ する時も ダリヤは紅(あか)し ダリヤは紅し 罪びとは 罪びとゆゑに なほいとし かなしいぢらし あきらめられず 夕されば 火のつくごとく 君恋し 命いとほし あきらめられず 空見ると 強く大きく 見はりたる わが円(つぶ)ら眼に 涙たまるも 吾が心よ 夕さりくれば 蝋燭に 火の点くごとし ひもじかりけり 一応最後まで読んで、ちょっといいな、と感じた歌を書きぬいてみました。この歌集「桐の花」は、白秋が28歳の時に刊行された第一歌集で、ちょうどその頃、隣に住んでいた女性と恋に落ちていました。ただ、その女性が別居中の人妻であったために、その夫から「姦通罪」で訴えられて、監獄につながれていたそうです。その時の苦しい思い、やるせなさ、恋しさが歌われていますね。無事、許されて、後にこの女性と結婚しましたが、両親との折り合いが悪くて離婚。その後、また別の詩人の女性と結婚したけれど、いろいろあって離婚。36才の時に結婚した菊子さんとの間には子供も生まれ、幸せに過ごされていたようですが、糖尿病と腎臓病のために57才で亡くなったそうです。「邪宗門」とかの詩集は読んだことがありましたが、今回はじめて白秋の歌集をまともに読みました。なかなかよかったです。では、昨日の空ね。昨日はこんなに青空だったけれど、今日は降ったり止んだり。そして、今は凄い豪雨になっているみたい。音が響いています。最後に、昨日の朝ご飯今日の朝ご飯は、撮り損ねてしまいました。サラダとピザトーストでしたよ。では、今から台所の片づけをしてきます。
2020.06.25
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11時半だと聞いていたのに、少し過ぎてからの発表でした。これはどうにも気になって、珍しくテレビを見ていましたよ。で、発表されたのは「令和」まさかの頭文字R出典が万葉集だとわかり、どの部分かいな、と万葉集を引っ張り出しました。すぐに、ネットでどの箇所かという情報が出て、梅の花の歌32首の序文にあるとわかりましたが、その梅の花の歌がどの巻にあるのかわからないと、探せない。しばらくしたら、それも載せてある記事がありました。第五巻でした。最初からずーっと読んでいくのでは、とても時間がかかったことでしょう。教えてくれた人に感謝です。この本でいうと、377ページでした。大伴旅人が書いた、漢文の序の中の文字です。これでは雰囲気が伝わりにくいので、現代語訳を。この中の最初のところ、「時あたかも新春のよき月、空気は美しく風はやわらかに」のところからとられた二文字です。現代語訳を見ると、なかなかの名文。みなを招いた旅人(たびと)さんの気持ちの高ぶりが感じられますね。ちなみに、この大伴旅人(おおとものたびと)さんは、万葉集の最終編纂者といわれる大伴家持(おおとものやかもち)さんのお父さんです。お酒をこよなく愛した人としても、有名です。さて、「令和」は、初めて日本の書物からとられた年号だということですが、序文は漢籍の影響をいっぱい受けているのも、確か。「蘭亭序」とか張衝さんの「帰田賦」の影響が残っている、ということですが、ここは大目に見て、日本人が書いた文章の中から、ということで話をすすめます。この旅人さんが催された梅の花を愛でる宴で歌を詠んだのは、こんな人たち。筑前は地元ですから、守(長官)と介(次官)、掾(三番目の人)がいますね。豊後と筑後、そして壱岐は長官だけ。対馬、大隅、壱岐、薩摩からは、目(四番目の人)が来ています。あとは、大宰の中の官吏、神司、陰陽師、薬師、算師など。では、どんな歌を詠んだのか、少しだけ。長官である大伴旅人さんは、 わが園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来るかもと詠んでいます。意味は、 私の庭に梅の花が散っている。天の果てから雪が流れ来ているのか・・・ (散る梅の花びらを、雪に見立てた)です。雪にみえるほどに、花びらがはらはらと散っていたのでしょうかね。「令和」という年号について息子たちと話をしていたら、「どうも、平和にすごしなさい、と命令されているみたいな気がする」と言うので、とっておきの漢和辞典で調べてみましたよ。そしたらね、やっぱり。「令」は、神のおつげをきいている神官の形からできた漢字でした。命令の「令」だもんね。おつげの通りにやったら、「良い・正しい・めでたい」ということなのでしょう。そして「和」は、そのまま和平の意味。だけど、従う、応えるという意味もありました。ということは、「令和」とつながると、(神のおつげに従って、正しく平和に生きていきましょう・・・)という雰囲気が漂うのは仕方ないことですね。納得でした。さて、年号が変わる5月1日までは、まだ平成です。何をするにつけても、「平成最後の・・・」とついてしまいそう。
2019.04.01
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昨日、デコちゃんさんから、福井県で話題の「たのしみは ~とき」短歌のことを教えていただいたので、私も作ってみました。あ、元になっているのは橘曙覧(たちばなあけみ)さんの「独楽吟(どくらくぎん)」全五十二首です。この方は幕末の歌人で国学者。後に正岡子規に絶賛され、斎藤茂吉にも多大なる影響を与えた方らしいです。今まで知らんかった・・・では、昨日から今日にかけて私が詠んだ「yumin版独楽吟」五十二首をどうぞ!!1. たのしみは 量りもせずに味付けた 晩のおかずが 美味なりし時2. たのしみは 穏やかな日に庭に出て 生命(いのち)の不思議を 写真に撮る時3. たのしみは 水面(みなも)に映りし日の光 時を気にせず ながめおる時4. たのしみは 留守で静かな家にいて したいことから やっている時5. たのしみは きれいな模様のクローバー 四つ葉なりしを 見つけたる時6. たのしみは たまに手抜きで どの弁当を 買って帰るか 悩みおる時7. たのしみは 見つけた花や虫の名を ネットで調べ 判明した時8. たのしみは 我が手のひらの 吉相を 思いもよらず 見つけたる時9. たのしみは 楽譜もらって 歌いしに しゃれた編曲 心地よい時10. たのしみは 夢中で手作りやっていて はっと気づけば 真夜中なる時11. たのしみは 本や道具や材料を 分類整理し 並べたる時12. たのしみは はさみやナイフを 使いしに 力まずすぱっと よく切れし時13. たのしみは まとめ買いした 接着剤 使い切って 次のを出す時14. たのしみは 心づくしのその後で ありがとうの言葉 言われたる時15. たのしみは 心落ち着け 墨をすり 新しき筆で 和歌を書く時16. たのしみは ただ一心に見つめくる 文鳥のぬくもり 感じている時17. たのしみは 難問ホワイト漢字クロス 予想的中 全てとけた時18. たのしみは パズル雑誌を 解き進め すべてのページが 埋まりける時19. たのしみは きれいな色の柔らかい 布をたたんで 保管する時20. たのしみは それまで知らぬやり方で 珍しき形の 折り紙する時21. たのしみは 宇宙の神秘の番組を 繰り返し繰り返し 見ておれる時22. たのしみは いじわるな人や陰謀の 出てこぬドラマを 見つけたる時23. たのしみは 朝日夕日に照らされて 透けて輝く 花を見るとき24. たのしみは 顕微鏡のぞいたその中に 知らぬ世界が 広がりし時25. たのしみは めったに降らぬ 雪つもり いろんな形の結晶見るとき26. たのしみは 知人に会いて あいさつし にこっと笑顔に なれたその時27. たのしみは 浜辺を歩き 砂を踏み 貝を拾いて 手にのせた時28. たのしみは 夜の庭にて 空見上げ 流れる星を 数えたる時29. たのしみは 料紙の上の仮名文字の 墨の濃淡 よく出たるとき30. たのしみは 毎年芽吹く 花や木の 今年のつぼみに 出会いたる時31. たのしみは 家族で祝う 誕生の 歌がきれいに重なり合う時32. たのしみは パヴァロッティやカバリエの 豊かな声に 包まれし時33. たのしみは 届いた頃には その中身 忘れた荷物を 開けてみる時34. たのしみは 雨の上がった空に虹 見つけて人に 教えたるとき35. たのしみは ふと見上げたる青空の 飛行機雲の行く末見るとき36. たのしみは こちらを向いた ハンミョウの 牙をはっきり 確認した時37. たのしみは 気になったこと パソコンで 時間忘れて 調べゆくとき38. たのしみは まとめ買いした 本の山 次々読んで 筋を追うとき39. たのしみは たまたま見つけた シミ・汚れ 拭いて磨いて きれいにするとき40. たのしみは 眠気の限界 感じ取り ついにベッドに 倒れ込むとき41. たのしみは 韻を踏みたる 美しき 詩を書き写し 口ずさむとき42. たのしみは 小言いわれず のんびりと 庭の虫など ながめおる時43. たのしみは 小枝につきし 水滴の 中に景色の 映るを見るとき44. たのしみは 次のデザイン ひらめいて 図案に描いて とりかかる時45. たのしみは 目と目を合わせ 息合わせ 美しき音色 響かせるとき46. たのしみは ひらひらそばに 舞い降りて 蜜吸う蝶の 写真を撮るとき47. たのしみは 美しき絵を 額に入れ 飾りて独り ながめおる時48. たのしみは 万年筆の ペン先を 洗いて次の インク試す時49. たのしみは 好きな短歌を 筆ペンで ノートに書きて ながめている時50. たのしみは 辞書のページを 随筆の ごとく気ままに 読みふける時51. たのしみは ナッツ・チータラ つまみつつ 美味しいお茶を ひとり飲む時52. たのしみは 母寝た後の台所 ひとりおやつを 作っている時まだまだ時間をかければ作れそうな雰囲気ですが、まあ、ひとまず五十二首ということで。あ、元の「独楽吟」は、ここで読めます。みなさんも、作ってみられると楽しいかもしれませんよ。では、文字ばかりで疲れたあなたに、庭の花の写真を、どーんとまとめてさて、文鳥を出して、遊ぼうかな・・・
2019.03.27
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この間図書館から借りてきていた二冊の本は、一応全部読みました。そして、結論。「私は、現代風の短歌(今風の言葉遣い・破調)は、好きではない」面白いな、とは思っても、心に響かないのだからしょうがありません。というわけで、「短歌の技法」という本をじっくり読んで、内容を簡単にまとめてみました。一つの項目ごとに、短い言葉で書いてみましたよ。この中で、短歌を勉強しようとしたら、まずは「万葉集・古今和歌集・新古今和歌集、そして斎藤茂吉」の短歌を読みましょう、と書いてあったので、借りてきましたよ。中身は、こんな風。茂吉の短歌は全部で1万7000首ほどあるらしいのですけれど、その中から1690首を選んでのせてある本です。全部のページを書き写すのはとても間に合わないので、とにかく全部読んで、気に入った短歌を書きだすことにしました。茂吉の歌集は、「赤光」「あらたま」「つゆじも」「遠遊」「遍歴」「ともしび」「たかはら」「連山」「石泉」「白桃」「暁紅」「寒雲」「のぼり路」「霜」「小園」「白き山」「つきかげ」があるみたいですね。私は「赤光」と「あらたま」くらいしか知りませんでしたので、どんな短歌がのっているのか、楽しみです。斎藤茂吉の歌論である「万葉秀歌」は持っていたのですけど、これは短歌集ではないからね。それでは、我が家の庭の写真です。まずは、ブルーベリー。見事に紅くなっています。ためしに画像検索してみたら、すごいです。ブルーベリーの果樹園に行ったら、見事でしょうね。それから、姫沙羅の紅葉もなかなかのものです。枯れて散ってしまった葉が多いけど、散り残りの紅葉がなかなかの風情。それから、冬に元気な花たち。つぼみがたくさん見えますから、これからどんどん咲くことでしょう。そして、バイオレットクレスも咲き始めました。この花は、雪に埋もれても、大丈夫なんですよね。春までずっと咲き続けます。さて、それでは斎藤茂吉の続きを書こう・・・と思ったら、もう寝る時間ですね。
2018.11.29
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10月13日から始めた「書道誌」の読み込みとノート整理。昨夜、ついに、一冊分まとめおわりました。まずは読んで、大事そうに思える場所、気に入った言葉のところに線を引き、そのあとで、この間作った粘葉本タイプのノートに、まとめていきました。書くと頭に入りますからね。受験用のノート作りみたいです。縦書きなので、右から左へと続いています。大事そうな言葉は赤で、気に入ったところは四角で囲んでいます。この写真を撮り終わってからも、まだ寝るまでの時間があったので、この本を読み始めました。これは、「100分de名著」という番組で、「古事記」の回の講師をされていた方の本です。せっかくだからと思って、買ってみたのでした。調べたら、買ったのは一昨年だったんですねー。この間、古事記の中にたくさんの和歌が載せられているということを知ったときに、この本を取り出して確認したのでした。ただねー、昔学生の頃には、原文(漢字のままではなくて、書き下し文みたいな文章)で読んでいましたから、口語文で書かれていると、ちょっと違和感が・・・たとえば、こんな感じ。有名な出だしの部分。(私が読んでいたのは、下の文章)この「たまひき」という口調が、なんともカッコいい。それから、ここもまた有名な箇所。イザナギとイザナミが結婚し、イザナミが次々に国生みをしたあと、今度はたくさんの神々を生んでいた時のこと。燃え盛る火の神を生んだときにひどい火傷をおい、病に臥せりました。病気になってからも苦しみつつたくさんの神を生んだのだけれど、ついに亡くなってしまったの。残されたイザナギは哀しみのあまり、原因となった火の神の首を剣で斬り落としたのですが、剣から落ちる血から八柱の神が生まれたのでした。殺された火の神の亡骸からもまた八柱の神が生まれたのですよ。原因となった神を斬り殺しても奥さんは戻ってきません。それで黄泉の国に迎えに行くことにしたイザナギ・・・せっかく会えたのに、「な視(み)たまいそ」(見ないでくれ)と言われていたのに待てなかったイザナギは、屍となったために醜くなってしまった奥さんの真の姿を見てしまう。それで追いかけられて・・・という場面ですが、ここも、元の文章の方がカッコいいですね。口語訳で読むと、どうしても間の抜けた雰囲気になってしまうけれど、後半の人代篇になると、ほとんど読んでいなかったので、違和感が少ないです。せっかくだから、全部読んでみようかな?あ、それと、同じ方の著書で、こんなのも買っていました。これも、面白そうでしょ。同じ時期に買っていたのに、ちらっと読んだだけでした。これも、もう一度ちゃんと読んでみようかな。では、今朝の空です。これは、飛行機雲ではないみたいでしたよ。
2018.10.16
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今日は朝から、ちょっとドキドキしていましたけど、知らないうちに外は青空が見えていました。今回は、台風の被害を受ける方はなくてすむのかな? 収穫の季節なので、お気の毒ですものね。天気予報の動画を見たら、台風25号が、ちょうどこの間地震の被害があったあたりに行くようです。ひどいことにならなければいいですが・・・さて、今日はこんな本が届きました。粘葉本和漢朗詠集についての特集が組まれた雑誌です。私がやってみたいな、と思っていたことのお手本がのっていました。そして、粘葉本の作り方(粘葉装といいます)も紹介されていましたよ。作品例として、短歌を二行に書いた物も載せてありました。最近短歌をたくさん作っているから、自分の短歌を短冊に二行で書いてみたいな、と思い、こんなのを注文していました。本物の短冊にいきなり書くのは、さすがにハードル高すぎだし、もったいないので、まずはこの練習用紙に書いてみます。普通使われている半紙よりも一回り大きな「半懐紙」という物が、仮名書道用にあるのですが、その紙を縦に切れば、ちょうど短冊の大きさになります。この紙で慣れたら、今度は半懐紙を切って作ってみようかな。と、ちょっと格調高い生活を送っているみたいですけど、午前中は台風の音を聞きながら、腐女子の愉しみを味わっておりました。昨日書いた「おっさんずラブ」関連のいろんなTwitterの投稿をまとめた物とか、座談会の書き起こし、pixivに投稿された牧春小説、胸キュン場面を編集して素敵な曲をつけたYouTube動画など、いろいろ見て楽しんでおりました。で、私のパソコンの壁紙は、今こんな感じ。最初の方で出てくる胸キュンシーンを画像キャプチャしました。色が変になっていますね。これです。切ない牧くんの、背伸び・でこチューです。今まで通り、仲良しの友達のままでいたい春田くんと、(受け入れてもらえないだろうけれど、もう元には戻れない)と切ない胸の内を明かした牧くん。このあとずーーーーっと、最終回の終わりぎりぎりまで、牧くんは可哀そうなくらい健気なんですよね。せっかく付き合うと言ってくれても、自分のことで迷惑をかけられないと、自分から別れを切り出して・・・ 同じ職場だから、見ているのがつらかったはずなのに、じっと自分の気持ちを押さえて。最後、春田くんがようやく自分の気持ちに気がついて結婚式場から走り出し、ひとりで旅に出ようとしていた牧くんに出会えて、本当によかった。送り出した部長が本当に男前だったねー。それを暖かく包んでいた元の奥さんや職場の人たちも、みんな素敵だったよー。というわけで、また最初から見ています。
2018.10.06
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この間博多ふ頭のターミナルで、待ち時間にもらったパンフレット。こういうのがあったら、ちょっともらってくることがよくあります。観光客用に置いてあるものですが、日本語の物と中国語の物を見比べると、面白いんですよ。動物とふれあう、という表題が、「与動物們近距離接触」となっています。「与」は「~と」という意味、「們」は人数が多いことを表す漢字なので、「動物たちと近距離で接触する」という意味になりますね。ソフトクリームが「霜淇淋」。「淇淋」の部分は音で「クリーム」を表していますから、漢字の意味は関係ありません。そしてアイスクリームが「冰淇淋」。「冰」は氷という意味の漢字です。「氷」と「霜」で、普通のアイスクリームとソフトクリームを表現しているのが面白いです。 ちなみに、クリームという意味の中国語は「奶油」このページには、「ちびっこ」が「宝貝」と訳されています。「宝貝」は文字通り貝のことも意味しますが、「バォベィ」つまり英語の「ベイビー」という意味でも使われます。面白かったのが、じゃぶじゃぶという擬音語。こんなのは中国語の授業では出てこなかったし、基本中国語会話なんかにも出てきません。中国では、大量の水が波立つ音が「フアラー、フアラー」と表現されているのですね。面白かったのが、この言葉が、本をぱらぱらとめくる音にも使われていること。水音と本をめくる音は、相当違うような気がするのだけど・・・あと、サンシャインプールが「露天水上遊楽園」となっているのも、なるほど、という訳です。ウオータージャングルが「水上丛林」となっていたので、どういう意味なんだろう・・・と繁体字に直してみたら、「水上叢林」だとわかりました。これなら意味がわかりますね。「叢」はくさむら、隙間がないくらいに茂っている様子を表します。ただ、「叢林」というのが、お坊さんたちが修行するお寺のことも表すらしいので、それがまた面白いなぁと思いました。さて、今朝のことですが、にととらさんのコメントに「詠進歌」を筆で書いたとあったので、すぐに調べたら、お正月の歌会始の短歌を作って宮内庁に送られたのだとわかりました。それで、せっかくならと、すぐに作って郵送しましたよ。初めてのことです。なんかドキドキ。 〇 詠進歌 今度のお題は「光」だと 知りてすぐさま 作りて応募そのあと買い物に行ったのですが、母が苗をなんか買ってきてくれと言うので、母を園芸店につれていくことにしました。私が選ぶと、必ずあとでなにか一言ケチをつけるからです。母が選べば安心。 〇 母をつれ 園芸店で花えらび 元気な苗と 球根 肥料も一旦、母を家に送り届けてから、今度はスーパーに食材を買いに行きました。今夜はナスと豚肉の味噌炒め煮にしようかな、と思ったのですが、出ていたナスが小ぶりの割にとても高かったので中止。それなら、焼きそばにしようか・・・夕食の支度にとりかかる前に、旦那が帰ってきました。自転車で山を登るレースに参加してきたのです。そしたら、お土産に立派なナス10本ときれいなキャベツ、かぼす、栗、そしておせんべい。まあ、心が通じたのか、とうれしくなって、今夜はナス料理にしました。 〇 レースから 戻りし夫(つま)のみやげ物 ナスを炒めて 皆でいただく 〇 二日ぶり もどりし夫(つま)の腕にのり はしゃぎ甘える 桜文鳥最後に 〇 湯につかり 手足のばして 今日もまた 良い日だったと ふりかえりおり
2018.09.24
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お習字をやっているときには出せないのですが、漢字パズルや読書の時には、文鳥たちも一緒に楽しむことがあります。今回の日記では、どの漢詩を紹介しようかなぁ・・・とこの本を取り出します。秋の詩がぴったりの季節になったからね。このページを見ていたら、ころちゃんも気に入った様子。私が説明を読んでいると、ころちゃんは、探検を始めます。本を読みながらでも、片手で相手したり、鼻歌を歌ったりしていればご機嫌ですが、じっと集中していると、目の前に出てきて、邪魔をします。手の中で大人しくにぎにぎされていたらいいんだけど・・・というわけで、今日の漢詩はこれです。 独り江楼(こうろう)に上(のぼ)れば 思い渺然(渺然) 月光 水のごとく、水 天に連なる 同(とも)に来たりて月を翫(もてあそ)びし人は 何処(いずこ)ぞ 風景 依稀(いき)として 去年に似たり ※江楼・・・川辺に建つ高い建物、 ※渺然・・・果てしなく広がっていること ※翫ぶ・・・ここでは、深く味わうの意味、翫味。 ※依稀として・・・ぼんやりとして、よく似ている。意訳すると、ここに、中国語で読んだ動画がありますが、題名が江楼感旧となっています。中国語で読んでもらえるのは、ちょっといい感じですが、途中絵物語になっているところで、去年ともに楽しんだ人が「男友達」になっています。でも、「唐才子伝」という書物を見ると、話が違うみたいですよ。「趙嘏(ちょうか)には寵愛していた女がいた。しかし、彼が科挙受験のため都に上っている間に、節度使(せつどし…辺境警備のための軍人)に奪われてしまった。それを知った趙嘏が詩を作ると、その節度使は可哀そうに思って、女を長安に送った。途中、ばったり出会った二人は、抱き合って泣いたが、女は二晩ののちに亡くなってしまった。趙嘏はその後、その女を生涯思い続けたとのことである。」つまり、この詩では、去年一緒にこの景色を見ていた女性が今年はもういないことを、美しい秋の夜を描くことでより一層哀しみを際立たせている、ということですね。日本人の方が、この詩を吟じていらっしゃる動画もありました。 詩吟「江楼にて感を書す」詩吟は、書き下し文を気合を入れて吟ずるので、なんか気持ちよさそうですね。中国のサイトで、この詩の解説がされているものも、参考にしました。水辺の高い建物から川の方を眺めると、きれいな月が川に映っているのが見える。月光は水のように澄んでいて、水面に映った月影は、そのまま天の月にもつながっているように見える。こんな美しい景色を昨年も見た。そのときに共にこの景色を楽しんだ人は、今どこにいるのだろう。風景はよく似ているというのに、その人はもういないのだ。こういう内容の短歌は、日本の短歌にもたくさんありますね。柿本人麻呂の「泣血哀慟の歌二首(妻の詩を悼む歌)」。 去年見てし 秋の月夜は照らせれど 相見し妹は いや年離(さか)る …(去年見た秋の月は今年も同じように夜空に見えるのに、そのとき一緒に月を見た妻は年月が経ってさらに遠い存在になってしまった)なんて、そっくりです。でも、人麻呂さんが真似をしたわけではなさそうです。だって、柿本人麻呂さんは660年~724年に生きていた人で、趙嘏さんは844年に進士に合格した人。つまり、人麻呂さんの方が先なんです。中国でも、日本でも、美しい景色を見て、亡き人を偲ぶ思いは共通しているのでしょう。では、昨日練習していたお習字。「樹涼山意秋」これは、高啓さんの「林下」という漢詩の一節。例の朱元璋の怒りにふれて、腰斬りの刑で殺された詩人さんの作です。さて、今からお習字の続き。今日は小筆で古筆の臨書です。「寸松庵色紙」の臨書で、中身は素性法師(そせいほうし)の和歌こづたへば おのがはかぜにちる花を たれにおほせて ここらなくらむ(うぐいすが枝を移ると、自分の羽風で花が散るのを、誰のせいにしてあのように鳴くのであろうか)でも、ここでちょっと疑問。自分の羽風で梅の花びらを散らして鳴いていたのって、メジロじゃないのかなぁ。梅の花とウグイスの鳴き声が春を代表するものであることは間違いないけれど、梅の花にやってきてしきりに蜜を吸っているのはメジロです。きれいなウグイス色をしたメジロ。本当のウグイスは、茶色っぽくて、目の横にすーっと線を引いたような模様があります。木の実なんかも食べますが、基本は小型の昆虫・クモなんかを食べます。メジロは、いわゆるうぐいす色で、目の周りだけが白。虫なども食べないことはないけれど、花の蜜が大好き。人がいる場所までやってきて花の蜜を吸っているのはたいていメジロで、ウグイスは警戒心が強いので、林の奥の方にいます。だから、素性法師が様子を見ることができたのなら、メジロっぽい。 ウグイスとメジロの違いでは、今から練習します。
2018.09.14
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今日晩御飯の準備をして、旦那が帰ってくるのを待っていたら、8時ちょうどに帰宅。すぐに晩御飯となりました。二階の呼び出しチャイムを鳴らしたら、旦那も息子たちも降りてきたのですが、なんと、旦那がワインを持っています。???あっ、そうやった、今日は私達の結婚記念日やった!!今日もとっても閑だったのに、忘れていたから、何も特別なお料理をしていません。まだ仕事をしていた頃は、ほとんど忘れてしまっていて、いつも旦那が買ってきたワインを見て思い出すというパターンでした。退職してからは、カレンダーにも書き、ちゃーんと晩御飯もそれらしくして、結婚〇〇周年を祝っていたのにね、今年は、全く忘れていました。1983年の9月10日に結婚していますから、今年は35周年。「珊瑚婚式」または、「翡翠婚式」らしいです。せっかくだから、記念撮影。婚約指輪は、珊瑚だったんですよ。でもねー、こんな指輪なかなかつけている人いないでしょ? ほとんど使わないまま、ケースに入れて保管していたの。でも、退職してから、なんかもったいないのでペンダントトップに作り変えてもらって、普段用にしていました。ちょうど「Y」の字に見えるから、私のイニシャルということで。それから、右側は、台湾旅行の最後に、使い切れなかったお金で買ったもの。普通のホテルに二泊して、一日だけは現地のツアーに混じって観光、もう一日は友達と映画を見たり本屋さんに入ったり、お店をうろうろしたりして十分に楽しみました。ところが、帰りの飛行場で、ダブルブッキングで私達は乗る席がない、ということがわかって、さあ大変。HISの人がいっぱい謝ってくれたけど、もうお金も使ってしまったし、どうしようか・・・困るよねー、と言っていたら、そのおわびが凄かった。もう一泊、今度は超高級ホテルに泊ることになり、5000元のお小遣いももらえました。それに、次の日に乗る飛行機は、なんとビジネスクラス。突然の不運が、ものすごい幸運に変わった瞬間でしたよ。そのホテルはなんと、昼も夜も朝もビュッフェだったから、高級料理の食べ放題。つまり、食費がいらない。お茶とか小物のお土産はもう買ってしまっていたから、買わなくていい。というわけで、もらったお小遣いは、そのホテルの売店で使いました。そのうちの一つがこのヒスイのでっかいペンダント。でっかすぎて、あまり使っていませんが、しばらく壁にかざっていました。さて、昨日あたりから、急に涼しくなって、嬉しい限り。庭の植物も生き返ったようです。というわけで、漢詩コーナー。今日は秋の有名な詩です。最初に出てくる「琪樹」というのは、仙界の樹木で、美しい玉(ヒスイかな?)がなる樹のことですが、ここでは庭の樹のこと。寝床も涼しいから、寝苦しくないのですね。「楚雲」は、楚の襄王が神女と遊んだ故事、「湘水」は舜王の二人の妃が王の死後身投げして、湘水の女神になったという伝説があるので、二行目では、昔美しい女性と共に遊んだ思い出のことだと思われます。それを思い出して、思わず高らかに歌おうとしたら、鏡に映った現在の自分の姿が目に入って、思わず覆いをかけてしまった。あの頃の若者は、もう白髪頭の老人になってしまっているのだ・・・というちょっと寂しい詩ですね。作者の「許渾(きょこん)」さんは、科挙には合格し、お役所勤めをしていたのだけれど、病弱なために免職となったらしいです。ずっと仙人世界に憧れていた人らしく、次のような話も伝わっているとか。 「許渾はあるとき昼寝の夢で、崑崙山に登り、仙人たちの宴会に招かれた。席上、一人の美女に詩を求められたのだが、作っているうちに目が覚めてしまった。夢の記憶を頼りに詩の続きを作って完成させたのだけれど、それから間もなく許渾は死んでしまった。仙女が呼びにきたのである。」なら、ひょっとしたら、仙人世界で、ずっと詩作を楽しんでいらっしゃるのかもしれませんね。では、最後に一句。以前紹介した発掘中の遺跡、今は放置されているけれど、もうしばらくしたら埋め戻される予定のようです。そこに白い蝶がいたのをパチリと撮りました。そこで一句「埋め戻す 遺跡まもるか 秋の蝶」 季語は「秋の蝶」です。
2018.09.11
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これは、朝9時半頃の空今日も暑かったけれど、なんか空が高い。澄み切っているみたい。台風が来ているのよねー。こちらは、4時頃の空。雲が薄くなってきました。今日は、午前中に普通のオカリナ、午後からはトリプルオカリナのサークルにいきました。同じセンターに二回行ったのです。これは、朝のオカリナサークルでもらったキュウリ。畑を借りて、自分と旦那さんで少し野菜を作っている人が、自分の家で食べきれなかった分を、時々みんなに持ってきてくれるのです。ありがたいですね。さっそく、夕飯のサラダに使いました。つまり、私の明日のお弁当に出てきますよ。そういえば、昨日はなんか、時間がなくてブログをアップしていなかったので、昨日のご飯から。今日と書いているけれど、昨日です。で、こちらが今日の昼ご飯。珍しく、ブルーマウンテンのコーヒーを淹れました。この間旦那に「これ、いつものコーヒーより、3倍くらい高い豆よ。ブルーマウンテン。」と言って渡したら、違いが全くわからなかったらしい。「もったいないけん、僕はいりません。お母さんがどうぞ、一人で飲んでください。」と言うので、お昼に私だけで頂くことにしたのでした。庭の花も、少しだけ。花がないわけではないけれど、どれも小さめのような気がします。そうそう、今日この本が届いたのですよ。この間朱元璋さんの事をいろいろ読んでいたときに、注文していたの。第二章に、明朝を建てた朱元璋さんが取り上げられています。この筆者の文章はなかなか面白いです。まだ全部読んだわけではないけれど、〇太平天国というのは、エホバの神と関係があったらしい。〇太平天国を興した洪秀全さんは、食料がなくなったときに「マナを食べて生き延びるのだ」と言って雑草ばかりを食べて死んだらしい。〇満州だと思っていたのは「満洲」で、実は民族の名前。うむ、なかなか面白そうな本です。
2018.08.21
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前回の日記で、明初期の詩人「高啓」さんのことに触れ、Scotchケンさんのコメントへのお返事の中で、「この太祖(朱元璋)さんは、家族が飢え死にした後乞食僧となっていたところ、紅巾軍に入ってから、頭角を現して、ついには明国を建てて皇帝となった人物です。世界で一番、悲惨な境遇から身を起こした人と言われています。太祖は、たくさんの優れた部下を持っていたのですが、次第に年をとるにつれ、「自分の地位を危うくするのではないか」と疑い始め、たくさんの優秀な人たちをどんどん殺していきました。皇帝となった年から、亡くなるまでの30年間に、大きな粛清だけでも6回、一連の犠牲者の数は、十数万人にも及ぶだろうと言われています。この人の長男朱標さんがとっても気が優しかったので、心配でならなかったから、という話もあります。この長男が病気で亡くなってからは、また一層粛清が激しくなって、周りの人たちも大変だったことと思いますね。 …以下略」と書きました。その後、本棚から朱元璋のことを書いてある本を出してきて、ずっと読みふけっておりました。まずは、台湾で買ってきたこの本。そして、朱元璋さんは、10代で、主な親族をすべて亡くし、出家して托鉢僧になっていたそうですので、肉親に対する思い入れがとても深かったようです。まず、素晴らしい出会いをしたのが、奥さんの馬氏。紅巾軍に参加して、郭子興の元どんどん戦果を挙げて、信頼も厚く、養女の馬氏を奥さんにもらうことができました。でも、名声が上がるにつれて、郭子興は疑いを持つように。謀反の疑いです。それでついに朱元璋を幽閉して餓死させようとしたのですが、奥さんの馬氏がふかしたての餅を胸元に隠して食べさせて、餓死から救ったそうです。その後、疑いは晴れて釈放してもらったけれど、もう郭子興の元にいる気にはならず、幼馴染たちと共に、南へ。わずか一か月くらいで各地の民兵組織を吸収して数万の大軍となり、次第に「仁義礼智」を重んじる儒教的理念を出してみんなをまとめるようになりました。27才の時に形だけ白蓮教主の小明王に服従する形をとって、元軍と戦い続け、ついには明王朝を建てて皇帝の位につきました。それが41才のときです。元号を「洪武」としたので、朱元璋は「洪武帝」とも呼ばれます。朱元璋は、元という国が弱っていった様子を見ていたので、二の舞にならないようにとまずは「白蓮教」を邪教として禁止し、民衆を道徳支配、思想統制する方針をとりました。とだえていた「科挙」を復活させて、すぐれた知識人たちも集めて支配体制を固めたのですが、次第に不安にかられます。若い頃の貧しい自分、荒くれものだった自分を知っている人たちの存在は許せなかったし、昔から共に戦ってきた家臣たちが次第に収賄とか派閥争いで、風紀の乱れを見せてきた、これではいけない。また、身内以外の者はなかなか信用できない、ということで、権力を持ったものの、孤独感に苛まれることなりました。それが、何回にも及ぶ大粛清の原因だったみたいですね。前回紹介した「高啓」さんも、そんな被害者の中のひとり。問答無用でみんな殺されたようですから、無実の罪の人がたくさんいたことでしょう。悪いことをしたと断ぜられた人の親族も皆同じ罪で殺されたということですからね。それでも奥さんが生きていた頃には、少しはブレーキ役となっていたようですけれど、朱元璋が55才の時に馬皇后は亡くなってしまいました。その母親に似たのか、心やさしい長男の朱標さんも、言いがかりで殺されそうになった人たちを何人もかばって助けているみたい。でも、その朱標さんも病気で亡くなってしまった・・・(没後「懿文太子」と呼ばれた) 日本の豊臣秀吉も、貧しい身分から天下人になりましたが、子供に関しては、人数が全く違います。朱元璋には男の子が26人、女の子が16人もいます。(このうち馬皇后が産んだのが男5人、女2人)跡継ぎの心配なんていらなそうですけれど、そういうわけにはいかなかったのでしょうね。皇太子の長男朱標が38歳で亡くなったとき、朱元璋はすでに65才、白髪のおじいさん。すぐにあととりを決めたかったのですが、次男と三男は評判が悪く、文武両道の四男を跡継ぎにしたいと思うけど、家臣たちが納得しない。というわけで、長男の息子、まだ9歳だった朱允炆を世継ぎに決めました。それから、亡くなるまでがまた大変。衰えていくにつれ、疑心暗鬼で、どんどん優秀な部下から殺していく。そんなこんなで、亡くなったときには、頼りになる人がいなくなってしまったというわけです。それで、四男の朱棣さんが挙兵したときには、16歳の新皇帝の軍は人数も武器も優れていたというのに、負けてしまったのですね。四男さんは、甥の皇帝を廃して、自分が皇帝となり、元号を「永楽」と決めたので「永楽帝」と呼ばれています。このあたりのことは、この本で。何か気になると取り出す本。カラー写真もたくさんあるし、特集記事が面白いのです。ネットで面白いものを見つけました。中国歴代皇帝のトランプだそうです。まずは、朱元璋(洪武帝)そして、永楽帝ちなみに、このトランプのジョーカーは、秦の「始皇帝」と漢の高祖「劉邦」でしたよ。面白い!!劉邦は、前漢を興した人。「項羽と劉邦」で有名ですね。あ、いかんいかん、また脱線してしまいそう。では、ご飯コーナー今から、また読書にもどります。
2018.08.17
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昨日、前から気になっていた「遺跡発掘」の様子を、ついに写真に撮りました。まだ発掘が始まって、半年くらいかな? だから、詳しいことは調査中。この間までは、作業をしている人がたくさんいたけれど、最近は、どうなっているのだろう。穴は、竪穴住居の柱の跡、そして、かまどの跡など。溝は、雨水を流していたのかしら。二つの家がくっついているような跡は、面白い。親戚の家かな?この、洗面台みたいな組み合わさった穴は、何だろう??いったい、いつごろの物なのか、さっぱりわかりませんが、竪穴住居の跡でしょうね。縄文時代や弥生時代だけでなく、一般庶民は、古墳時代とか奈良時代、そして平安時代でも、竪穴住居に住んでいたらしいですから・・・平安貴族の絵巻物などに描かれている姿と、一般庶民の暮らしは、全く違うものだったようですね。というわけで、今日の朝ごはん。キュウリは、3本をぶつ切りにして入れていたけれど、半分食べたところでお腹一杯になり、また冷蔵庫に戻しています。ごはんは、ウインナや目玉焼きの下に隠れているのですが、こちらもお腹いっぱいになってしまったので、1/3くらいの量を残しています。牛乳と納豆、厚揚げ豆腐で、満腹感が凄い!!お昼ご飯は、この残りと、賞味期限のせまったシュウマイの予定です。お腹がいっぱいになったところで、腹ごなしに、一眼レフを持って庭へ。今年初のゼフィランサス・カリナタです。白のシャクヤクも、まだまだきれいで良かった!!今日もたくさんチリアヤメが咲いていたのですが(一日でしぼむ花)、小雨のせいか、開かないままでした。ミミエデンのつぼみが、少しずつ咲きかけています。花付きが良いし、四季咲きで、冬までは咲いてくれるらしいけれど、うどんこ病にとても弱いらしい。水やりは母に任せますが、時々、うどんこ病よけのスプレーをシュッとして、守りたい。暑くならないのはいいけれど、雨が多いですね。お花のためには、もうすこし晴れ間が欲しいです。
2018.05.13
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今日はとても暖かでしたね。日中も今も、暖房は入れずに過ごしています。さて、今日は日記をアップした後で、文鳥sのおうちのお掃除をしました。その間、ころちゃんはずっとまとわりついていて、特に、下に敷いている糞切り網が大好きなものだから、ふきふきしていると、必ず網にしがみつきます。裏側を拭く時も限界までしがみついていて、ムリ!! となったら、じたばたとホバリングをしてから、また上になった面にしがみつく。それが遊びなのかもしれませんね。その点、もちは冷静です。私がおそうじしているのをちょっと離れたところからじっと観察していますよ。で、おそうじが終わると飛んできて、私の頭や肩にとまります。今日はあまりにもじたばたしていたので、先にころを戻しました。もちはおとなしく待っていたので、もう少し遊んであげます。遊んでいるとき、もちの鳥かごの入り口はあけたままにしてあります。しばらくパソコンデスクのところで遊び、肩に乗って、おとなしくしているなぁ・・と思ったら、ばたばた・・・と鳥かごの方に飛んでいきました。そして、自分でかごに入っていきます。(この写真は、4mほど離れたパソコンデスクの方から撮りました。)1月からは、ずっと同じ部屋で過ごしているので、安心しているのでしょうね。気が済んだら自分で戻ります。だいたい毎日お掃除するのですが、時間は決めていません。調べたら一週間に一度くらいでも良いと書いてある記事もありましたけれど、糞と食べかすだらけになるし、毎日水浴びをして周りに水を飛ばすので、きれいにしてあげます。窓際に置いてあるので、晴れた日にはカーテン越しの光を浴びることができるようにし、寒い寒い日は、日中用のカバーをかけて、鳥かごの中の熱が逃げないようにしています。で、夜は、安心して眠ることができるように、夜用のカバーにお取替え。この夜用のカバーは布が二重になっていて、中は真っ黒、外側はベージュで、娘がもってきたものをそのまま利用していますよ。では、ここで薄田泣菫さんの詩を。「二月の一夜」きさらぎ寒(ざむ)のゆふべや、牧(まき)のうなゐも通はね、眺めよ、寂しき末黒小野(すぐろをの)に、ささら河門(かはと)水かれて、湿(うるお)ひ足らぬ荒びや、艮風(ならひ)のかざ吹、羽(は)むけ強(づよ)に、根白たか萱(がや)うら葉のいたづらさやぎにささと鳴りぬ。かなた天路(あまぢ)のはづれに、白衣(びゃくえ)の靡(なび)きゆららに、今宵し六日のかたわれ月、(さはあえかなる病女(びやうによ)の夕眺めするなよびや、)さ青のまなじり伏目がちに。吾世すがれの悲み、吐息もするやと惑はしむる。あなせつなさの今宵や、野もせに靡(なび)くさびれの身に沁み入りては心弱に、別れし人のおもかげ、くづをれ泣きし身様(みざま)のそれさへ正目(まさめ)にながめられて、思ひ出いたき昔日(むかし)の歎き、ふたたび浮び来ぬる。・・・後略・・・全部書くと長くなるので省略しますが、下線を引いているところを見てください。言葉が四文字で切れています。声に出して読むと、なんだか、余韻が残るような・・・そして、緑色にしたところ、七五調ではなく、八六調になっています。次の詩は、もっとすごい「雛祭」青磁に乱るる 糸柳の若芽をきざめる 片枝(かたえ)がくれ、かざれる雛(ひいな)の 玉の殿を誰(た)が子か見入りて 独り笑むは。玉(ぎょく)をちりばむる 金の冠(かむり)、龍頭(りゅうづ)を彫(ゑ)りたる 剣太刀(つるぎだち)の花いろ衣(ごろも)を 透きて見ゆるあてなる姿を 君や恋ふる。春知りそめつる 糸柳の嫋(しな)えて見ゆるも 哀れなるに、緋桃を浮けつる 瓶子(へいし)とりて、沈める思(おもひ)に 注ぎてみまし。弥生のみ空と 若き命、いずれか白日(まひる)の 夢に似ざる。詩の各行すべてが、八六調になっています。この泣菫さんは、日本にソネット形式の詩の形を導入しようといろいろやってみた最初の人らしく、十四行にしてみたり、四つのかたまりにしたり、八六調で雰囲気を出そうとしたり・・・でも、日本語の場合、漢詩や欧米の詩のように韻を踏むのが、なかなかに難しいみたいですね。ではもう一つ八六調の詩を「夕」彼方(かなた)にけむれる 森のあたり、乳房(ちぶさ)によりそふ 稚児(ちご)の如く静かに眠れる 空の色も、浅葱(あさぎ)にしみゆく この夕暮。願ふは艶なる 君と二人、野末の逍遥 心足りて、情(なさけ)に燃ゆめる 胸の中に秘めつる小琴や 弾きてみまし。さらずば千種(ちぐさ)の 花をともに、さしそふ瑞枝(みずえ)に そよぎわたる涼しき夕風 髪にうけて、霞(かすみ)に眠れる 野辺の如く、優(いう)なる姿に 倒れ伏して、ねさめぬ夢こそ 切(せち)に願へ。面白い。あ、もちろん七五調の詩も、たくさんあります。最後に、七五調の詩をのせます。「春夜」春の光りの 薄くして、若き快楽(けらく)の 短きに、花咲く影に 酔ひしれて、酒甕(もたひ)叩きて 歌ふかな。花の香砕く 風をあらみ、細き眉毛を 顰(ひそ)めつつ、燈火(ともし)にかざす 少女子(をとめご)の袖の心を 知るや君。花を踏みては、和(やは)らかき踵(かかと)にしめる 紅色(くれなゐ)の名残の色を かへりみて、暮れゆく春を 惜しむかな。脆(もろ)き此世(このよ)に又いつか春を抱(いだ)きて 楽しまん。せめて今宵は 歓楽に、智恵の瞳なめぐらせそ。盃(さかずき)含み 目を閉ぢて、たださびしらの 物思ひ、君よ涙のせかれずば、火影(ほかげ)にそむけ、人知れず。七五調の詩は、明治!! という感じで、好きです。西洋から入ってきた近代詩の世界を、明治の詩人たちは、日本古来の七五調にのせて歌いあげました。島崎藤村の詩とか、うっとり。その後次第に自由な形の詩がたくさん出てきたけれど、私はやっぱり、美しい言葉がたくさん入った七五調の詩が好きです。土井晩翠さん、蒲原有明さんなどの詩も、読んでいたので、あら、こぎん刺しが進んでないよ。
2018.02.15
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昨日は、朝からずっと雪がふっていました。10時過ぎに少しだけ雪がやんだので、二階の洗面所の窓をあけて記念撮影。まあ、きれいな青空です。でも、この後また雪雲が出てきて、あとはずっと夜まで雪が降り続いていましたよ。それでも、北陸とは違い、地面の雪はすぐにとけて、まったく積もりません。日差しのおかげで、地面が暖まっていたのでしょうか・・・ここで、またまた文鳥sの写真を。私がいつも座っている場所から撮りました。二羽とも、私が作り替えたT字型止まり木がお気に入り。かごの上の方でのんびりできるので、ずっとずっと私の方を見つめています。で、私が振り向くと、ピッと鳴いたり、少しだけジタバタして「出して」アピール。そうそう、ころのかごを替えたので、カバーも縫い直し、ついでに名前の刺しゅうをしましたよ。せっかくだからね。 はやく、普通のデジカメにも慣れてほしいです。撮るときに出てくるレンズが怖いみたいですね。スマホはその点、でっぱりがないからか平ちゃらです。それでは、昨日知った四字熟語を。『閑雲野鶴』(かんうんやかく)昨日といていた漢字パズルに出てきました。四字熟語辞典を読んでいた時には、まったく記憶に残っていませんでしたよ。意味は、「隠士の心境のたとえ。なんの束縛もなく、のんびり暮らすこと。「閑雲」は静かに空にうかぶ雲のこと「野鶴」は原野に悠然と遊ぶ鶴のことで、悠々自適の生活のたとえ」と書いてありました。出典は「全唐詩話」らしいですが、使用例として石川啄木の「葬列」という小説があげられていたので、青空文庫で読んでみました。私は啄木の小説を読んだことがなかったのですが、この「葬列」という小説は主人公が立花浩一。・・・立花浩一と呼ばるる自分は、今から二十幾年まえに、此盛岡と十数哩(マイル)を隔てた或る寒村に生れた。其処の村校の尋常科を最優等で卒業した十歳の春、感心にも唯一人笈をこの不来方城下に負ひ来つて、爾後八星霜といふもの、夏休暇毎の帰省を除いては、全く此土地で育つた。・・・・・・その後、或るうら若き美しい人の、潤める星の様な双眸の底に、初めて人生の曙の光が動いて居ると気が付いてから、にはかに夜も昼も香(かぐ)はしい夢を見る人となつて旦暮(あけくれ)『若菜集』や『暮笛集』を懐にしては、程近い田んぼの中にある小さい寺の、巨(おほ)きい栗樹(くりのき)の下の墓地へ行つて、青草に埋れた石塔に腰打掛て一人泣いたり、学校へ行つても、倫理の講堂でそっと『乱れ髪』を出して読んだりした時代の事や、すべて慕(なつ)かしい過去の追想の多くは、みなこの中津河畔の美しい市(まち)を舞台に取つて居る。盛岡は実に自分の第二の故郷なんだ。『美しい追憶の都』なんだ。 十八歳の春、一先づこの第二の故郷を退いて、第一の故郷に帰つた。そして十幾ケ月の間閑雲野鶴を友として暮らしたが、五年以前の秋、思立つて都門の客となり、さる高名な歴史家の書生となつた。翌年は文部省の検定試験を受けて、歴史中等教員の免状を貰ふた。唯茲に一つ残念なのは、東洋のギボン(※イギリスの歴史家)を以て自ら任じて居た自分であるのに、試験の成績の、怪しい哉、左程上の部でなかつた事である。・・・・あれ? なんかプライドが高そう人なのね、と思って、啄木のことを書いた記事をいろいろ読んでみました。私はあまり、啄木のことは知らなかったの。なんか、親孝行だけど生活に困り、そのうちまだ若いのに病気で亡くなった気の毒な人、というイメージ。でも、調べてみたら面白い!! 啄木って、どうしようもない「たかり魔」だったんだって!! 誰からいくら借りたのかきちんと記録していたのに、全く返さない。それだけではなく、仕事はすぐにやめてしまうし、嫁姑問題は放置、そして妻子がいるのに仕送りもせず、お金が入ると娼妓遊びに全部使ってしまう。その女遊びの詳細(エロチックなことまでも)を、奥さんにばれないようにと、「ローマ字日記」をつけて細かに書いて残していたというのも凄い!! この日記は、啄木が亡くなる前に「燃やして」と頼んでいたのにもかかわらず、奥さんはそのまま保管し、のちに啄木の友人、金田一京助さんにあげてしまったため、啄木の鬼畜っぷりが後世まで残ったというわけですね。啄木は、奥さんにはローマ字が読めないと思っていたようですが、女学校で才女として有名だったのだから、読めたのではないか、という説もあるようです。読んだのに黙っていて、ささやかな復讐として燃やさず人に渡したんだ、という見方もありました。『一握の砂』の中に、 一度でも 我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしことなんて、すごい歌が入っていたのも、知らなったよー。「俺様」な人だったのねー。それでも、良き友人に恵まれ、奥さんや浮気相手からも愛されていたなんて、どんな人だったの?このあと、「葬列」という小説に出てきた『暮笛集』というのを読んでみました。全く知らない詩集で、薄田泣菫さんの作でした。本を買わなくても、青空文庫でさっと読めるのはうれしいですねー。『泣菫詩抄』という岩波文庫から出た詩集の中にありました。すると、私の大好きな島崎藤村と似た雰囲気です。古語や漢語がたくさん入り、七五調の美文の詩。ささっと読んだだけなので、今日またゆっくり読んでみようと思います。
2018.02.13
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次の書道教室の漢字の課題は、西晋の詩人左思の『招隠詩』の一節・・・白雪停陰岡・・・です。そんなに長い詩ではないので、ここに全部のせてみます。左思が生きていた時代(紀元300年頃)、西晋の国は国内では乱が起き、異民族の侵入もあったようです。それで、仕官するよりも、自然の中で生きていた方が良いよ、と歌っているみたいですね。最後の行、「かんざしを投げ捨てたくなるよ」というのは、位を表す冠を留めたかんざしをなげるという意味なので、仕官して地位を得ることよりも、自然の中で生きていたくなる、ということだと思います。この左思さんという人は、家柄が低く、容貌もどちらかというと醜く、またどもりだったとか。それで非社交的な生活をし、ひたすら文学に励んだそうです。でも、10年かけて書き上げた『三都賦』という詩があまりにも見事で大評判となり、洛陽では争って筆写されたために紙の値段があがってしまった、という話が、『洛陽の紙価を高からしめた』という言葉で残っています。では、カッコいい書き下し文で。ピンクの線を引いた部分は、よくわからないところ。「白雲」と書いてあるものと、「白雪」と書いてあるものがあるの。元の詩には、ちゃんと「白雪」と書いてあるのに、花が咲く季節に雪は変だと思った人が「雲」の間違いだと思ったのかもしれませんね。1995年の東京女子大の講演録にも、ちゃんとこの「白雪」で解説されていましたから・・・漢詩の書き下し文は、声に出して読むと、うっとりします。カッコいい。元の漢詩は、中国語で読むとこれまたカッコいい。きちんと詠じてもらうと、その響きにきっとうっとりしますよ。では、お話変わって、文鳥sの登場です。余った止まり木をT字型にしてとりつけたので、文鳥sは、いろんな場所に止まれるのが楽しいみたい。遊ぶのにあきると、私の姿がよく見える場所に陣取って、チュン! ピッ! と私を呼び、ひたすら見つめます。それを見ると、つい出してあげたくなり、交代で連れてきます。今日は、粟の穂を入れてあげました。これを見てもらうと、止まり木がいっぱいあるのがわかるでしょ?だから、高いところの粟も、高い位置の止まり木からは楽々食べることができるというわけ。よかったね。それから、卵は三個目が割れてからは、産んでいません。2個のまま。巣を入れると、次々に卵を産んで体力を使い、寿命が縮むらしいので、このように、卵をプラケースに入れて、見えるところに置いています。ころは3才、もちは2才。普通文鳥の寿命は8年から10年らしいので、元気で過ごせる時間が少しでも長くなるように、お世話したいと思います。
2018.02.12
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いつものことながら、その気になったらとことんやってしまう私。家持の歌を今度の作品展で散らし書きにしようと決めたものだから、本を買いました。今はネットでもけっこういろいろと調べられるのだけど、やっぱり、紙媒体で読んでみたくなり、家持の人生を解き明かしているらしいこの本を注文していました。すると、今日届いたので、さっそく読んでしまったら、また忘れてしまいそうなので、付箋紙をつけるだけでなく、大事そうなところはメモしながら読んでいます。そしたら、あとでこのメモを見ると、思い出しやすいですからね。受験勉強のようなこと、大好きなんです。今度書くことにきめた「うつりゆく時みるごとに こころいたく 昔の人し思ほゆるかも」は、家持が40歳の時に詠んだ歌。家持は14歳の時に父旅人を亡くし、義母もその前に亡くなりました。そして大事に思っていた弟書持(ふみもち)も、家持が越中に赴任してまもなく亡くなり、十代の終わりから5年間ともに暮らし、二人の子供を産んでくれた女性も亡くなってしまいました。お仕えしていた聖武天皇が亡くなり、頼みにしていた橘諸兄も、この年亡くなってしまって、家持はどんな思いだったのでしょうか。「昔の人」というのは、浮名を流したたくさんの女性のことも入っているかもしれませんが、家族や親しかった人たちへの思いがいっぱいだったと思います。それに、実はこの宴会のすぐ後に「橘奈良麻呂の乱」があり、それには家持の親しい人たちがたくさん与していました。長年の友だった池主も、この乱のときにつかまり、投獄されて獄死したそうです。実は家持は単なる歌人ではなく、政治的にもいろんなことに参加していた人らしく、何度も左遷されているんですよ。そのあたりのことを、もっと詳しく知りたくて、この本を買いました。残っている文献がとても少ないので、この作者の方がどんな風に書いているのか、楽しみです。さて、今日はこの布をダイ〇ーで買ってきました。文鳥はとても可愛いのですが、まわりに餌の殻が飛び散るのが難点で、毎日がんばってお掃除をしていたのですけれど、こんなのを見つけたんです。楽天ブログなのに、アマゾンの画面を載せたらまずいかな?でもね、楽天には、ビニールで全体を覆うカバーしか見つからなかったのよねー。この写真を見て、ふと思ったの。「これ、作れそう!!」家の中を探したけれど、さすがに、ここまで透けて見えるような薄布がなかったので、買い物のついでに100円ショップに行ってみたら、やっぱりあった!!45cm×150cmの鳥さん模様のこの布が200円でした。一枚で、ケージ二つ分ができあがり。もう鳥かごに取りつけていますよ。セール価格で1299円の物が、実質100円でできました。これで、明日からはほとんど周りに飛び散らないことと思います。上下にゴムを入れましたから、付け外しも簡単だし、洗ってもすぐに乾くことでしょう。もっと早くからつけておけばよかったな・・・
2017.12.06
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scotchケンさんのところで、朝ドラの「ひよっこ」がなかなか良いという文を読んだあと、あの島谷さんのことが気になり、調べ始めました。だいたい、佐賀の製薬会社といえば、あそこしかない!!それで、「ひよっこ」のWikipediaを見ていたら、下のほうに、「この人物設定は、久〇製薬現会長・中冨博隆氏の青年時代と全く同一で、地元佐賀県では「モデルは中冨会長では」と話題になっている。」と、書いてありました。やっぱりね。 この方です。元慶応ボーイなんでしょうね。(会社のHPに紹介されている写真です。)さてここから、私のネットの旅が始まりました。この会社の本社のHPにアクセスしたら、元の名前が「三養基製薬」だったって・・・佐賀県の三養基郡といえば、私の母の実家があるところ。つまり、子供時代のほとんどの夏を過ごした場所なんです。今でも本家と母の姉の家があります。「三養基」は「みやき」と読み、「三根(みね)」と「養父(やぶ)」と「基肄(きい)」の三つが合わさってできた郡であることを表しています。私は長いこと、「基山」の基だと思っていました。ならば、「基肄」って、何? と思ったら、古代七世紀終わりに中大兄皇子が唐・新羅軍の侵攻に備えて大宰府警護のために作らせた山城の名前だったのですね。これは知りませんでした。基山は、福岡に住む人にとっては、遠足で行くところ、草スキーをしにいくところ、として有名です。そういえば、私も行ったことがあったよなー、と古いアルバムの写真を見ていたら、 ありました。ここからまた、思考が飛んで、ハイキングの思い出が・・・これは、仲良しだった高校二年生の時のクラスで、休みの日にハイキングに行ったときの写真。 この中に、私も、付き合っていた人も、写っています。これは、誰が撮ってくれたのかわからないけど、みんなで遊んでいるところ。 学校でもよくやっていた鬼ごっこの写真です。クラスでもやりましたし、ブラスバンドの仲間たちとも、しょっちゅうやっていた遊び「のがし」です。要するに助け鬼で、鬼につかまった人たちは手をつないで一列に長く伸びていく。それを助けに来た人が、手のつなぎ目をカットすると、そこから先の人は逃げることができる。全員捕まったらおしまいで次の鬼を決める。というルールでした。これを男女交じってやると、思わぬ人と公然と手をつなぐことができるので、楽しかった・・・。フォークダンスもいろんな人と手をつなぐことができるけど、休み時間に楽しむには不向き。この鬼ごっこが手っ取り早く、いろんなチャンスも生まれてドキドキわくわく楽しいのです。中学生の頃にも、よく男女まじったグループで遊びに行っていましたが、これは筑紫耶馬渓。 自転車がない人たちはバスで行きました。このバス停から少し歩いて川に降りると、大きな岩がごろごろしているとても楽しい場所に行けるのですよ。福岡市内から、バスでどれくらい行ったところだったかわかりませんが、けっこう遠かったです。私が当時住んでいたのは博多区ですから、地図を見ると、14kmくらいかな?それにしても、休みの日に遊びに来ているのに、学生帽をかぶっている人が三人いますね。中学一年までは全員丸刈りだったのが、二年生になって耳にかからないなら長髪もOKになったのでした。これは季節は秋だから、坊主頭の人たちは、野球部ですね。小学生の頃には、近所の人たちとわいわい草で遊んだり、蜜を吸ったりしながら男女まじって登下校していたし、中学生になったら、スケートとかプール、映画などにも、男女交じったグループで行っていました。高校生になったら、今度は大濠公園にボートを乗りに行ったり、大宰府園に行って、ゴーカートに乗ったり、ハイキングに行ったり。振り返ってみると、受験で忙しいはずの中学・高校時代も、こまめに遊んで、本も読み、音楽も楽しんで、あまり追い詰められるような生活はしていなかったみたいです。勉強して、重要事項をまとめたノートが増えたり、問題を解いたノートがたまっていくのが、とても楽しみでしたし、何かを暗記するのも面白かった。覚え方を工夫するのが楽しかったのです。ケンさんのところで「ひよっこ」の話題に触れてから、どんどん自分自身の青春時代まで思いが続いていって、あっという間に夕方になってしまいました。ここには書きませんでしたが、ほかにも、遠足でよく行った宝満山、背振、九千部、四王寺山、大宰府政庁跡、油山、雷山など、いろんな場所についてもネットの記事を読んでいたのですよ。たぶん、もう山登りはしないと思うので、ネットで見るばかりです。あとは車で行けるところくらいでしょうが、遠出をするのが苦手だし、人の車に乗せてもらうのも苦手なので、公共交通機関で行けるところくらいのものでしょう。ま、いっかー。
2017.07.16
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今日は朝から、NHKオンデマンドで「絶景 巨大石柱林~中国・張家界を鳥観する」という番組を見ていました。6月24日(土)の夜9時から放送されていた番組のようですね。(鳥観は、できれば鳥瞰と書いてほしかったけどね。)私はテレビを見ませんので、こういう番組は、後から動画配信サイトで見ることにしています。しかし、この番組、冒頭からその語りにシビレてしまいました。・・・眼下に霧が立ち込め、杳渺(ようびょう)たる水田。煙霧(えんむ)の海を抜けると、奇岩おりなす岩山が現れた。中国、張家界。 石の柱の屹立(きつりつ)すること、地の上遥か200メートル。その数、三千をこえる石柱が立ち並び、一種、形容すべからざる威容を放つ。ここ張家界の比類なき景観は、中国で初めての世界自然遺産に登録された。けだし、まんがん(?)一望せしもの、かつてなし。 鳥の目を借りて、その全貌をお届けしよう。で始まったのです。最初は、だれか、作家さんの文章からの抜粋なのかと思ったのですが、49分の番組の最後までが、なんとこの口調で統一されていました。感激です。・・・中国湖南省、切り立つ山々を背景に張家界の街並みが広がる。 張家界市。面積およそ9500平方キロメートル。広さを青森県とほぼ同じくして、人の数およそ170万。 かつて、張家界という地名を知る者は皆無であった。衆目を集めだしたのは1980年代。巨大な石柱の存在が知られるようになり、また、1992年に世界自然遺産に登録されるやいなや、観光客が大挙して訪れるようになる。今日(こんにち)、その数、年間6000万人を超える。ナレーションは、俳優の杉本哲太さん。決して流暢とは言えない語り口が、漢文読み下し文と妙にマッチして、耳に心地好かった。・・・張家界は少数民族の街でもある。トゥチャ族、バイ族、ミャオ族などの少数民族が全人口に占める割合は八割近い。張家界を取り囲む険しい山脈は、張家界をして、漢民族の世界と分け隔たしめ、そのゆえに、彼ら独自の文化と伝統を維持してきた。 街の中心部より延びるロープウェイにて目的地を目指すとしよう。早く次の映像が見たいのだけど、このきっちりした口調が気持ちいいので、じっくりとロープウェイからの眺めを私も楽しんだ。・・・全長7455メートル、世界有数の長さである。眼前に顕れたるは、あたかも天を衝くかのようにそびゆる「天門山」。標高1518メートル。さながら天界からの授かりものである。到着までおよそ30分。天門洞がぽっかり口をあけて出迎えてくれた。ようやく、奇岩の風景が出てきましたよ。・・・天門洞に至る階段がまっすぐに続く。その数999段。休息をとりながら、一段、また一段。 999段目に至り、ようやく天門洞の入り口にたどり着く。頭(こうべ)をめぐらせば、霞たなびく眼下の世界。その先、遥か彼方に張家界の街並みを望む。 高さ130メートル、幅60メートルの穴だ。威風堂々、訪れる者たちを見下ろす天門洞。その全貌を人の目でとらえることは不可能である。一計を案じて、無人機ドローンでとらえることにした。おおぉっ、すごいです。できれば、そのドローンにのっかってみたい。・・・かつて天門山は、標高1000メートル以上の切り立った崖に周囲を覆われた、一つの大地だった。 伝承によると、西暦263年、大地震があり、山が崩れ、大きな穴が開いた。名の起こりは、三国時代、呉の国の皇帝が、「これこそは、天上界への通り道に相違あるまい。」とて、この穴を天門洞と命名したのが由来とされる。みなさんも、ご覧になりましたか? それはそれは素晴らしい光景が次々に出てきて、びっくり。全部見たあとで、もう一度最初から見直したくらいです。そして、とにかくナレーションが気に入ったので、今度は、一節ずつ聞いては一時停止して、ルーズリーフに書き取っていきましたよ。本当は、番組すべて書きたかったのだけど、ここに載せた分だけで7分間。番組は49分ありますので、この7倍の分量。ひとまず、ここで休憩しました。NHKの番組だから、また再放送されるかもしれませんね。私はオンデマンドなので、何度でも見直すことができそうです。ただ、字幕が出ないのが残念。テレビだったら、字幕を表示できそうなんだけど、オンデマンドでは無理。最初のところの、「まんがんいちぼうせしもの、かつてなし」というところ。きっと、その景色すべてを見た人はいない、という意味なのでしょうが、「万巻」では本みたいだし、「満願」は違う。「満貫」だと麻雀になってしまいます。どんな熟語なのか、ものすごーく知りたいです。さて、今日は取りすぎた税金を返してくれるというので、お役所に行ってきました。私の身元確認をしないまま、すんなり返金してもらえたので、拍子抜け。免許証を出そうか、マイナンバーカードを見せようか、とドキドキしていたのにね。署名とハンコだけで29000円も返ってきたんですよ。その帰りに見つけたお花。 ゴーヤの実になる雌花は、咲く前からすぐにわかりますね。
2017.06.28
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中学生の時には、プラチナ万年筆、高校生の時にはセーラーの万年筆を入学祝いに買ってもらって、ずっと使っていました。日記も、手紙も、授業中のノートにも使っていました。あ、一時期グリーンのボールペンが流行して、みんなで、誰が一番最初に使い切るかという勝負をしたこともあったっけ・・・就職してからは、正式な書類を郵送するときには、筆ペンで表書きを書くようになったので、楷書の筆文字の練習をしていたのだけど、手書きの書類は万年筆ではなく、水性ボールペンを使っていたので、万年筆からはちょっと遠ざかっていました。結婚して、子育てが一段落した頃から、また万年筆を懐かしく思うようになり、一本、また一本と、ヤフオクを利用したり、高級文具店に行って試し書きをしてから買ったり・・・最初は、万年筆のデザインで選んでいたの。金蒔絵の物とか、螺鈿細工の物とか。 だけど、万年筆というものは、書き味が大切。というわけで、今度は憧れの有名ブランドの物を。 だけど、わかりました。私は英文を書くわけではないし、縦書きに使いたい。 となると、やっぱり日本のメーカーの物が書きやすい、という結論に達しました。 昨年からは、「かな書」の硬筆の作品を日本文字用の万年筆で書いています。 私の「かな書」練習の最終目的は、筆で巻紙にさらさらと書いてお手紙を書くことなのだけど、万年筆でも書いてみようと、昨日、やってみた。 右側は、とてもヌラヌラと書けるセーラーの最高級万年筆のキングプロフィット。どんなに放置したあとでも、いきなり書けて、インクが途切れることがないの。どこまでも続けて書けます。真ん中は、細字過ぎました。そして、左側は、インクが出たりかすれたりする、太字の万年筆で、にじむけど面白い文字が書けました。これはいいかも・・・ この万年筆も、こだわりの一本。プラスチックとは違うエボナイトの質感。おまけに漆仕上げだから色に深みがある。書いてみると、書きやすいけど普通の紙に書くときの書き味はセーラーに負けていたのです。ところが、和紙にこんな風に書くとなると、少しくらいインクの出に濃淡がある方が面白い。何事にも向き不向きがあるのですねー。せっかく暇なので、いろいろやってみていますよ。 さて、話変わって、「ホタルノヒカリ」めでたく、シーズン1、シーズン2通しで、21話見るのが、4回目になりました。これだけ立て続けに見ると、さすがに小ネタが出てくる場所を覚えてる。だから、出てくる前から待ち構えて楽しんでいます。 好きな落語を、何回聴いても楽しめるのと同じですね。シリーズ2は、第一話でいきなり「結婚するぞ。」と宣言されて、結婚に向けて主人公の蛍ちゃんががんばるお話なのですが、展開がわかっていても面白い。結果、ちゃんと丸く収まるとわかっているのに、わかっているからこそ、その前から涙がでる。そんな感じ。 ま、最後まで、いい雰囲気になりかけては、口喧嘩のようになったり、がっくし・・・という話になるのも気を持たせていいな。とにかく、このドラマは、〇 小ネタがいっぱいあって楽しい。〇 意地悪な人や、いやな人、陰謀が出てこないから安心。〇 綾瀬はるかさんが、とにかく可愛い。〇 藤木直人さんが、クールで怖がり、寂しがりの40男を演じているのが面白い。〇 「〇〇だもん。」「わかりやした。」「がっくし」などの言葉が楽しい。〇 コスプレがいっぱい。俳優さんたちも楽しそう。〇 とにかく、元が少女漫画なので、乙女心がくすぐられる展開。いやぁ、何回見たら飽きるかなぁ・・・
2017.03.22
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土曜日、日曜日、月曜日と、世の中は連休だったようですが、私は昨夜まで、家事の合間の時間はそのほとんどをドラマ「ホタルノヒカリ」と「ホタルノヒカリ2」に費やしていました。昨夜は、ついに、第一シリーズの三回目を見ていたんですよ。だから、面白い場面になる前からわかっているので、笑う準備。そしてその場面になると、「ハッハッハッ…」と、本当に声を出して笑ってしまいましたよ。本当に気に入ってしまいました。正確に時間を計算してみたら、第一シリーズ10話分だけで479分間の、約8時間。そして第二シリーズ11話分で531分間、約9時間です。つまり、17時間あれば、第一シリーズから第二シリーズまでを見終わることができるというわけ。映画は、二回見ようという気持ちにはならなかったけど、テレビシリーズはいいなぁ。でも、今日もまた朝から見続けるのは流石にあんまりだと思い、今日は詩を書いていました。これです。 ノートは、以前たくさん作り置きしていた和綴じのミニノート。こんな感じに、お気に入りのボールペンで書いていましたよ。 青空文庫で、いつでも無料で読めるのですが、印刷しておいた方が、あとから印をつけたり持ち歩いたりするのが簡単なので、まずはWord2016を開いて、三段組に設定し、島崎藤村の詩集から、好きなのをコピペ。で、題名のフォントを変えたり、切りのよいところでページ送りができるように調整したりして、印刷しました。今数えてみたら、島崎藤村だけでA416枚。 初めて詩の暗唱を楽しんだのが、有名な「初戀」。運動場でも、帰り道でも、暗唱しながら歩いたりしていました。 それから、こんなのも。元はヴェルレーヌの詩ですが、上田敏さんの訳詩は、本当に美しいです。 せっかくなので、詩の原文も書いてみました。あ、それともう一人、萩原朔太郎さんの詩も、同じように青空文庫からコピペして印刷しています。 これを見ながら、ペンで書いたり、小筆で書いたりして楽しむ予定。 今回知ったことですが、萩原朔太郎さんは、15歳から27歳くらいまでの間、たくさんの短歌を作られたのだけど、ほとんどが、影響をうけた歌からの模倣の延長線上にあって、清新な歌は作れなかったという評価を受けています。14歳の時に恋をして、16歳の春から短歌を作り始めた朔太郎さん。 柴の戸に君を訪ひたるその夜より 恋しくなりぬ北斗七星 春ここにここに暫しの花の酔に まどろむ蝶の夢あやぶみぬ えにし細う冷たき砂にただ泣きぬ 恋としもなき浜のおぼろ月 朝ざむを桃により来しそぞろ路 そぞろ逢ふ人みな美しき 忍びつつ人と添ひ来し傘の一里 香は連翹の黄と迷ふ雨 黒髪のながきが故の恨にて 世をばせめにし吾ならなくに 草花にほそうそそぎし涙さへ 君が小袖に堪へざらましを 浦づたひ讃へむすべを又知らず ただ赤人の富士は真白き (田子の浦にて)確かに、なんか聞いたような感じかも。 でも、暗唱するなら、やっぱり五七調のものがいいな。
2017.03.20
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前回の日記に、二十四節気のことを書きましたが、今はちょうど「雨水」のど真ん中。でも、なんで「雨水」?? という疑問を持たれた方があったのではないでしょうか。nikさんからのお尋ねには、コメント欄でお答えしていましたけど、もう少し詳しく書きますね。この「雨水(うすい)」というのは、雨水(あまみず)のことではなくて、雨と水のことみたいです。江戸時代、天明七年(1787年「徳川家斉」が11代将軍になった年、松平定信が寛政の改革に着手した年。アメリカでデラウェアが最初の州になった年。モーツァルトのお父さんが亡くなった年・・・)この年に、江戸で出版された「こよみ便覧」という本に、解説が書いてありました。 これです。「雨水」は、春の二つ目の項目ですね。 〇陽気地上にはっし雪氷とけて雨水となれバなりと書いてあります。空から降るものが雪から雨に変わり、雪や氷が溶け出して水になる時期だから、「雨水」だということです。でも、天気予報を見てみると、まだ北海道や北陸地方では雪マークがついているし、地面の雪もまだまだ溶けなさそう・・・他のページも読みたいかたは、 国立国会図書館デジタルデータを。そうそう、昨日書いた七十二候の中で、バレンタインデーの頃の「魚上氷(うお 氷をいずる)」というのが気になって、どういう状態なのかな・・と調べてみたら、なんと、本朝ではなく、本場中国の「二十四孝」のお話の一つに行き当たりましたよ。・・・その昔、寒い寒い季節に「魚が食べたい」と言った母親のために、川に行った王祥という若者がいました。でも、真冬なので当然のことながら川は凍り付き、魚の姿はどこにも見えません。すると王祥は衣服を脱ぎ、冷たい氷の上につっぷしたのだけど、体温でじわじわと氷が融け、なんとそこから魚が飛び出してきたとか。さっそくその魚をとって持って帰り母に渡した王祥は、孝行息子として評判になったそうです。でも、「王祥」で詳しく調べたら、なんと、このお母さんはまま母だったんです。生母は早く亡くなり、このまま母は、王祥をつらい目にあわせてばかり。この真冬の魚とりも、その意地悪の一つだったみたいですね。ほかにも、リンゴの木に実がなると、「ぜったいに大事に育てるように」と命じられたので、風雨のたびに、王祥はそのリンゴの木を抱いて泣いていたとか。また、いよいよ王祥を毒殺しようとしたのだけど、それを察知した弟が必ず自分が先に毒見をするようにしたので、まま母があわててその器をひっくり返したり・・・その後、動乱のためによその土地に行った後もまま母の世話を続け、亡くなったあとも長く喪に服していたとか。すごいなぁ。こんな親孝行の人だったため、60歳を過ぎているのに、魏に仕えていた呂虔さんが取り立てて内政を任せてくれ、まわりの人からの評判もよかったとか。85歳で亡くなるまでに、地位がどんどん上がっていったけど、決して驕らず、静かに人生を終えたそうです。「魚上氷」を、単に親孝行の話と取るか、ままこいじめに負けないまっすぐな優しい気持ちの持ち主のお話ととるかで、ずいぶんと感じが変わりますね。 さて、では後半は、「甘い香り」のお話。実はなんか気になっていたんですよねー。最近どうも、漢字パズルの本を開くたびに甘い香りがする、そういえば、エプロンも・・・ひょっとして犯人は、君か? 調べてみたら、当たりでした。文鳥って、甘い匂い、香ばしい匂い、個体によって違うらしいけど、たいてい良い匂いがするのだそうです。今日、一羽ずつ連れてきて、匂いをじっくり嗅いでみたら、やっぱり!!写真は撮ってないのだけど、白文鳥の「もち」の方は、甘い甘い匂い。そして、いたずらっ子の桜文鳥の「ころ」は、甘い香り+香ばしい匂い。この匂いがたまらない、という人がいっぱいいて、びっくりしました。 (リコーダーを吹いていると、指に乗ったり、指の間に頭を突っ込んだり)文鳥を飼っている人たちの表現を並べると、・シュガートースト、甘いデザート、お日様の匂い、こんがり揚げた天ぷらの香り、甘いシナモンの香り、ポテトサラダ、キュウリ、カラメルの匂い、日差しを浴びた稲穂の匂い、メープルシロップ、パスタが茹で上がった匂い、コンソメの匂い、昆布の匂い、ハッピーターンかじりかけの匂い、いろいろですね。でも、無臭の文鳥もいるそうですよ。 なぜ、こんな匂いがするのかというと、水浴びの後で、体じゅうの羽に、お尻の尻尾の付け根にある「尾脂腺」というところから出る油をていねいに塗るからだそうです。そのおかげで文鳥は、甘い香りとツヤツヤの羽につつまれて、触って楽しい、嗅いでうれしい小鳥さんとなるわけでした。というわけで、今日の日記はおしまい!!
2017.02.24
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日本には、昔ながらの月の呼び名があって、これが、ちょっと風情があって良い感じ。睦月(むつき)…1月 お正月に親しい人たちが集まって、陸みあうことから。如月(きさらぎ)…2月 衣を更に重ねて着る寒い時期だから。他に、気更来、生更木から来たなどの説も弥生(やよい)…3月 弥(いよいよ、ますます)草木が生い茂る月。と、まずは三月までで切りましょう。この各月に、それぞれ二つづつ節気というものがあって、1月は前半が「小寒」後半が「大寒」2月は前半が「立春」後半が「雨水(うすい)」3月は前半が「啓蟄(けいちつ)」後半が「春分」となっています。一年を二十四に分けた最初の日がそれぞれ、その名前で呼ばれていますよね。だから、今は節気としては、「雨水」です。季節としては、今日から雪が雨に変わり、春に向かっていく節目なのだとか。それで、古来この「雨水」を境に、農作業の準備を始めたり、お雛様を飾ったりしたのだそうです。「生命の源である水の神様にあやかって、雨水(うすい)にひな人形を飾ると良縁に恵まれる」と信じ、可愛い娘の幸せを祈って、お雛様を飾ったんですねー。さて、ここまではニュースなどでもよく出てきますし、カレンダーなんかにも書いてありますが、この二十四節気が、実はまたそれぞれ三つずつの「候(こう)」に分けられておりまして、一年が七十二候となっています。同じように、三月までで切りますので、ご安心を。(実は一月は冬で、二月からが春なんですけど、便宜上一緒に書いています) それから、横に書いた日付は、2017年の物です。睦月(1月) 小寒 1/5~ 初候「芹乃栄(せり すなわちさかう)」1/5~ 次候「水泉動(しみず あたたかをふくむ)」1/10~ 末候「雉始雊(きじ はじめてなく)」1/15~ 大寒 1/20~ 初候「款冬華(ふきのはな さく)」1/20~ 次候「水沢腹堅(さわみず こおりつめる)1/25~ 末候「鶏始乳(にわとり はじめてとやにつく)」1/30~如月(2月) 立春 2/4~ 初候「東風解凍(はるかぜ こおりをとく)」2/4~ 次候「黄鶯睍睆(うぐいす なく)」2/8~ 末候「魚上氷(うお こおりをいずる)」2/13~ 雨水 2/18~ 初候「土脉潤起(つちのしょう うるおいおこる)」2/18~ 次候「霞始靆(かすみ はじめてたなびく)」2/23~ 末候「草木萌動(そうもく めばえいずる)」2/28~弥生(3月) 啓蟄 3/5~ 初候「蟄虫啓戸(すごもりむし とをひらく)」3/5~ 次候「桃始笑(もも はじめてさく)」3/10~ 末候「菜虫化蝶(なむし ちょうとなる)」3/15~ 春分 3/20~ 初候「雀始巣(すずめ はじめてすくう)」3/20~ 次候「桜始開(さくら はじめてひらく)」3/25~ 末候「雷乃発声(かみなり すなわちこえをはっす)」3/30~ なんとも、いいですねー。二十四節気の方は、中国で使われていた言葉がそのまま日本でも使われているのだけど、さすがに細やかな「七十二候」の方は、日本の気候風土に合わせて何度も改訂されているようです。でも、日本は南北に長い国ですから、たぶん江戸のあたりの自然の変化に合わせた物になっているのでしょう。今回の日記には、見たことのない漢字も書いていますが、果たしてアップできるでしょうか。音読みも訓読みもよくわからない漢字は、 このように、IMEパッドの手書き入力を開いて、マウスで書いて探します。右側に出てきた文字をクリックすると、その文字が入力されるので、いつも便利に使ってきました。プレビューを見るとちゃんと表示されているので、大丈夫かな?やってみますね。
2017.02.23
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私のお気に入りの本の一つをご紹介。 高橋克彦さんの「竜の柩」全6巻です。文庫本で2,450ページありますから、なかなかの長編ですが、面白いので、ついつい一気に読んでしまいます。 どんなお話かというと、うーん、何と言ったらよいのでしょうね。本の背中には、「伝奇」と書いてありますが、SFのようでもあり、考古学のようでもあり、本当に面白い。目次を見てみましょう。第一巻 ・プロローグ・津軽・飛龍眠土(ピラミッド)・信濃・龍神・出雲・奔流・ノアね、これだけでもワクワクすると思いませんか?津軽の十三湖から出雲へ龍の道をたどり、ノアの方舟に行きつくのですよ。第二巻・シヴァ・モヘンジョ・ダロ・アナトリア・アララト・エピローグ 「ノアの方舟」は、宇宙船だったのではないか・・・という話第三巻・プロローグ・炎の星・龍の王・新世界・招かれし者シュメールと日本が結びつきます。第四巻・故国へ・新生・帰還なんと、日本の縄文時代にやってきます。イザナミやスサノオとも出会い、それから、元の世界へ帰ることになりますが・・・第五巻・プロローグ・再動・懐旧・瑞光・迷夢現在に戻れたと思ったら、そこは明治時代で、まだ若い宮沢賢治や江戸川乱歩に出会います。そして、英国へ旅することになりました。第六巻・望みの地・幽霊都市・招霊・起点・エピローグコナン・ドイルなどにも出会い、ようやく主人公たちは、元の世界に戻ることができたのではないか・・・というところまで。こう書くと、滅茶苦茶な展開のようですが、読んでいる時には、すーっとこの世界に入っていくことができます。要するに、古代の地球で、龍を神とする民族と牡牛を神とする民族があって、ふたつの民族が争ってきたのだけど、その部族同士の戦いは、神々(宇宙人)の代理戦争のようなものであった。ということを書いているお話なんですよ。ところどころに、主人公が語る蘊蓄話があって、それが実に面白いの。今までに読んだ民俗学やUFO関連のお話、考古学、そしてオーパーツ、地名の由来、各地に伝わる神々の伝承など、盛りだくさん。メモしておきたいようなことがいっぱい出てきます。さて、お話は変わって、本の装丁に目を向けましょう。この龍の絵は、京都花園妙心寺法堂の天井に描かれた「雲龍図」がデザインされています。 かっこいいですね。ちなみに、元の天井画は、これ。 五巻と六巻は講談社文庫なので、表紙の絵が違います。 これまた、凄い絵です。これを写真に撮るまで気づかなかったのですが、この絵は「山本タカト」さんが描かれたものだったのですね。なんだか、この名前には見覚えがある・・・とおもって検索していたら、あら、私が持っている本の表紙が出ています。探したらありました。これ。 いつ買ったんだったかなぁ・・・ そうだ、Amazonで買ったはずだから・・・ ありました。アカウントサービスで、私がいつ注文したのかが、すぐにわかります。もう十年前になるんですね。小学生の頃に読んだときは、たしか子供向きに短くされていた本で、一冊にまとまっていました。それを読んでいたので、NHKの人形劇「新八犬伝」は、とても面白く見ていましたよ。「われこそは、たまずさがおぉんりょぉう」と言いながら出てきた怖い怨霊の人形が印象的でしたね。うむ?? そういえば、「新八犬伝」のDVDがあったような。 これこれ。上の方にいるのが「玉梓の怨霊」です。 この人形劇のおかげで、辻村ジュサブローさんという人形師を知ったのでした。それにしても、声優さんたち、大活躍でしたね。 DVDの方には穂積さんの名前がありませんから、関根さんが両方とも声を当てられたのでしょう。なんか、どんどん話が脱線しています。今日は、このくらいで。
2016.10.31
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これは、11月10日くらいまでに仕上げる予定の、かな書の作品です。まだ途中なので、 手直ししないといけないことがたくさんありますが、今回の日記は、この歌の背景について。百人一首の68番であるこの歌は、三条院と呼ばれる天皇の作です。三条院は、冷泉天皇の第二皇子で、986年に11歳で皇太子になり、それからなんと25年も待って天皇に即位した方です。でも、即位してたった6年間で退位。そして退位の翌年、 苦難の連続の生涯を終えました。表向きは、失明しかけたことが理由ですが、それだけではありません。この方の父は精神を患っていた冷泉天皇で、冷泉天皇が弟の守平親王(円融天皇)に譲位してから7年後に、藤原兼家の娘超子を母として生まれました。でも、その母は彼が7歳の時に亡くなってしまい、しっかりとした後ろ盾のないまま育ちました。ただ、容姿が祖父の兼家によく似ていたため、可愛がられたようです。その祖父の後押しで、皇太子になれたわけですが、即位した一条天皇よりも4歳も年上だったため、「さかさ儲けの君」と呼ばれたそうです。とにかく、藤原家の権力争いの中で、もまれ、苦しんだ人だと思います。皇太子ですから、一条天皇が譲位してくれれば天皇になれるわけですが、それは一条帝が崩御されるほんの数日前。36歳の時にようやく即位できました。でも、一条天皇には、道長の娘彰子が産んだ敦成親王がいました。この親王が即位すれば、祖父である道長が 政権を握ることができます。それで、道長は、ようやく即位した三条天皇に、ずっと退位をせまっていたと思われます。 三条天皇の在位中に、二度も内裏が火事になりましたし、祖父の兼家もとうに亡くなっていて後ろ盾がないため、まわり中から軽んじられていたらしいです。受領たちや、従者、一般の庶民層までもが、三条天皇を侮っていたとか。とうとう病気がちになり、 眼病を患ったときに仙丹を服用したら、その直後に視力を失ったらしく、そのことを理由にいよいよ退位して、道長の孫に譲位することを迫られました。 それで、自分の子ども敦明親王を皇太子にしてくれることを条件に、とうとう退位することにしました。その時に詠んだのが、上の歌です。「心にもあらでうき(憂き)世にながらへば 恋しかるべき 夜半(よは)の月かな」意味は、 本当は、死んでしまいたいくらいだけれど、心ならずも生きながらえてしまったならば、今夜この宮中から眺めているこの夜更けの月が、さぞかし懐かしく思い出されてくることだろうなぁ・・・ 誰も頼りにできないまま、貴族社会を始め、下級貴族、受領、従者、庶民たちからまでも軽んじられた天皇として過ごし、ついには、無理やり退位させられた三条天皇。三条院という呼び名は、譲位後の住まいの名前でそう呼ばれたらしいですが、大正時代以降は、三条天皇という名前で統一されているそうです。 この天皇の息子敦明親王は、そういう父の姿を見ていてひねくれたのか、わかりませんが、相当なワルだったようです。例の「殴り合う貴族たち」という本にも、いっぱい話が出てきます。その話まで書くと、長くなりすぎるので、今回は、ここまで。 ではおまけ。
2016.10.27
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まずは、高村光太郎の詩から。「花のひらくやうに」おのづから ほのぼのとねむり足りてめざめる人その顔 幸にみち、勇にみち理性にかがやきまことに生きた光を放つああ 痩せいがんだ この魂よお前の第一の為事は何を措いても ようく眠る事だ眠って眠りぬく事だ自分を大切にせよさあ ようくお眠り、お眠り眠りは、人間の体と心を和らげてくれる。傷ついた魂を持つ人は、何も考えず、そのままで良いから、ただ眠ればよいのである。ということね。我が家は、今は不眠症の人はいないような。次男坊は生まれて間もなくからずっとアトピー性皮膚炎で、眠ってもすぐに痒みで泣いて起きていました。それをこすってあげたり、薬をぬったりで、私たちも、なかなか続けて眠ることができず、万年寝不足でした。しかし、おかげさまで体質も少しずつ改善して、今はぐっすり眠れるようになったようです。ふだんも、ほとんど痒みがなくなったそうですよ。よかったです。では、次の詩。島崎藤村です。「朝」たれか聞くらむ 朝の聲眠(ねむり)と夢を 破りいで彩(あや)なす雲に うちのりてよろづの鳥に 歌はれつ天のかなたに あらはれて東の空に 光ありそこに時あり 始(はじめ)ありそこに道あり 力ありそこに色あり 詞(ことば)ありそこに聲あり 命ありそこに名ありと うたひつゝみそらにあがり 地にかけりのこんの星と もろともに光のうちに 朝ぞ隠るゝ※「のこんの」とは残りの(まだ残っている)の意味しっかり眠って、朝目覚めると、こんな素敵な朝を迎えることができるのですね。私も、毎朝目覚めたら、まず一番に、「今日もまた目覚めることができたこと」を感謝します。また、新しい一日を過ごすことができるのですから、こんなうれしいことはありません。(寝ている間に、心肺停止になってしまう可能性がありますから)一日の最初が、感謝の気持ちで始まるので、ベッドから起き上がると、神棚に必ずお参りしますよ。二礼二拍手 お祈りをしてから、また一礼。そうしてから、活動開始です。いっぱい活動して、日が暮れると、こんな詩が。島崎藤村です。「暮」 たれか聞くらむ 暮の聲(こえ)霞の翼(つばさ) 雲の帯煙の衣(ころも) 露の袖つかれてなやむ あらそひを闇のかなたに 投げ入れて夜の使の 蝙蝠(こうもり)の飛ぶ間も声の をやみなくこゝに影あり 迷(まよひ)ありこゝに夢あり 眠(ねむり)ありこゝに闇あり 休息(やすみ)ありこゝに永きあり 遠きありこゝに死ありと うたひつゝ草木にいこひ 野にあゆみかなたに落つる 日とともに色なき闇に 暮ぞ隠るゝいいですねー。静かな夕暮れ。それが次第に夜に移り変わって行くときの、いろんな情緒を、しみじみとあじわっている詩です。そしてまた、最初の高村光太郎の詩にもどり、しっかり眠って、心身を休めるの。美意延年と申します。心豊かに、小さな幸せをかみしめつつのんびり生きてゆきましょう。では、今度は、古今和歌集より、恋の歌を二首。両方とも、小野小町です。思ひつつ ぬれはや人の 見えつらむ夢としりせは さめさらましを(あのひとのことを思いつつ寝たから夢でお会いできたのでしょうか、夢とわかっていたなら、目覚めなかったのに・・・)うたたねに 恋しきひとを 見てしより夢てふ物は たのみそめてき (何も期待はしていなかったのに、うたたねで恋しい人にあえた時から、「夢」というものを頼みにするようになりました)眠ることは、心身を和らげるという詩を最初にのせたけど、眠っている間には、夢を見ることがあるのですね。そのおかげで、恋しい気持ちがなおさらつのることも。次は、万葉集から、大伴家持の和歌を。夜昼と いふわき知らず 我が恋ふる心はけだし 夢に見えきや(私は夜も昼もなく、あなたのことを恋しく思っています。そんな私が、貴女の夢に出てきてはいませんか?)いやぁ、面白いですよね。こんなに恋しく思っているのだから、きっと、恋しい人の夢に自分が出てきているはず、そう言って、自分の思いの強さをアピールしているのですね。でも、もらった女性が家持を好きでなかったら、ちょっと鬱陶しいかも。同じく大伴家持夢に逢ひは 苦しかりけり 驚きてかき探れども 手にもふれねば(夢で逢えたけれど、心がとても苦しいよ。驚いて目覚めて寝床を手探りしても、君に触れることができないのだから)ですって。これ、ひょっとしたら、自分の夢に出てきたのだから、相手も自分のことを恋しがっているのかも、うれしく思う気持ちもあるかも。この歌を送った相手は、従妹で、のちに正妻となった坂上大嬢。この歌の中に出てくる「かき探れども手にもふれねば」というのは、当時大流行していたらしい、中国の「遊仙窟」という小説の中の表現。つまり、この言葉が入っていることで、その小説の官能的なところまでが、この短歌の風情に含まれているのです。贈られた坂上大嬢は、艶めいた気分になったかもしれません。さて、長くなりましたので、今夜は、これくらいで。
2016.09.24
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私は、時代劇とか、時代小説が大好きです。中国の物も大好きなのですが、今回の日記は、日本の物にしぼります。とにかく、昭和34年くらいから昭和37年くらいまで、東映の映画館の近くに住んでいたからか、三本立てのチャンバラ映画をほとんどすべて見ています。母が時間つぶしに私をつれて映画館に通っていたのですね。そのおかげで、昔の武士の言葉遣いとか、時代劇のしぐさとかが、東映仕込み。最近の時代劇を見て、若い武家娘とかが、きゃんきゃん騒いでいると、とても違和感を感じます。主人公の若侍とかの歩く姿、剣を扱う姿なんかにも、違和感を感じることがしばしば。大きな声では言えませんが、だいぶ前に、滝沢秀明君が「雪之丞変化」をやった時、あまりにも、おかまバーのママみたいな動きなので、ひっくり返りそうになってしまいました。女形(おやま)とおかまは違うのよねー。さて、そういうチャンバラで育った私。最初に好きになった映画の主人公は、葵新吾さん。「新吾十番勝負」の主人公ですよ。 ここにストーリーを書いていたのだけど、あまりにもくどくどと長くなったので、消しました!!!ただ、面白いのは確かですよ。このお話のおかげで、吉宗が最初鯖江の殿さまだったこと、大台ケ原というのがあるということ、などを知りました。原作者の川口松太郎さんは、はじめ息子の川口浩さんで映画化したかったとか。でも、橋蔵さんが演じたことがきっかけとなり、その後、橋蔵さんの歌舞伎座公演の脚本を川口さんが、たくさん書かれているそうです。気に入られたのですね。 ビデオもちゃんとありますよ。これでいうと、真ん中の段の、左側です。(本棚は大学生の頃に自分で作った物) では、新吾シリーズのビデオのジャケットをご紹介しましょう。 新吾二十番勝負があったのを、ご存じでしょうか。こちらも、三部作になっています。 橋蔵さんを、銭形平次のイメージだけで覚えていらっしゃる方、若侍姿を思い出してくださいね。幼い私の、初恋の人(⌒∇⌒)です。こんなのもあります。 時代劇は、橋蔵さんのだけでなく、もちろん他のも好きですよ。 又四郎シリーズは、市川雷蔵さんや、高田浩吉さん主演で、映画化されていたようですよ。 これらは、次男の部屋に置かせてもらっている分だけ。 本当は、もっともっとたくさんあるのです。ほとんど全部そろえていたのが、司馬遼太郎さん、柴田錬三郎さん、池波正太郎さん、山本周五郎さん、村上元三さん、吉川英治さん、山手樹一郎さん、藤沢周平さんそして、平岩弓枝さんも。最近では、佐伯泰英さんにもちょっとはまりました。大学生の頃は、特に柴田錬三郎さんの眠狂四郎シリーズが好きで、あの妖しい雰囲気にはまり込み、何度も何度も読んでいました。私は、気に入ったものは、長編でも何回も何回も読み返すのです。(しつこいの)それ以外の時代小説も読んでいましたから、もう、何冊あったのかわからないくらい。その本のほとんどが、今、旦那の実家のガレージにあります。(追記 にととらさんのコメントのお返事を書いていて思い出しました!!!ガレージの本は、春頃に、旦那がすべてゴミに出してくれていた。20年ちかく放置していたので、すっかりダメになっていた。自分で作業をしていないので、忘れていました。)他にも、推理小説が好きだったから、コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、ディクスン・カーエラリー・クイーン、クロフツ、モーリス・ルブラン日本人では江戸川乱歩、松本清張、西村京太郎、京極夏彦、小松左京佐野洋、高木彬光、高橋克彦、夏木静子、東野圭吾森村誠一、山村美沙、横溝正史、和久俊三、和田はつ子…中でも、横溝正史と松本清張は、すべて持っていたような。あ、話がずれてきたので、ここらでやめます。今日は、私はチャンバラ、時代劇、大好き・・・というお話でした。最後に、若様の写真を!!
2016.09.20
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昨日は広東語がいっぱいだったので、今日は、日本の話題にします。私は日本の古典文学が大好きで、高校時代には、図書館で、古典文学全集を借りては、よみふけっておりました。そのせいで、大学は文系で、特に中古文学が専門になりました。卒業論文は、「落窪物語におけるあこぎの役割について」だったかな。ままこいじめのお話なので、母は、「よう、そげなの研究するね、あてつけね。」なんて、いらんこと言っていましたけど、一応私は、実子ですね。だけど、私の興味関心は、文法とか解釈よりも、その時代に生きた人たちの心のありようの方に向いていました。今でも、 こういう本を読むと、わくわくします。おっとり構えているように思える貴族とか皇族が、実はものすごく権力闘争に燃えていたり、乱暴だったりそれから、恋に燃えたり嫉妬したりして、とても人間っぽいの。和歌も物語も大好きですが、とくに和歌は、読んだだけではたいして感動しません。その背景にある、人間関係とか、歴史的背景を知ると、とたんに、生き行きとしたものに見えてきます。具体的なことは、また後日にまわすとしましょう。では、今パソコン周りに置いている他の本を。「大鏡」は、「歴史を明らかに映し出す優れた鏡」という意味で、190歳の大宅世継さんと180歳の夏山繁樹さんの二人が、雲林院というところの菩提講で語り合い、それを若侍が批評する、という対話形式の歴史書です。この本のはじめに、「源氏物語を平安女流文学の最高傑作とするならば、大鏡は平安男性文学の最高傑作であると、躊躇なく言えるであろう。」と、書いてありますよ。王朝のトップクラスの政治家たちが、政権の座をめざし、高位高官を狙って、いかに執念を燃やし、いかに手練手管の限りを尽くしたかを血も滴るばかりの生鮮な筆で描いているらしいです。私はまだそこまでじっくり読んでいないのですけれど、第四巻の18章で書かれている、藤原道隆の孫、伊周の子である道雅のことが読みたくて、この本を買いました。 この道雅さんについては、以前ブログに書いたと思いますので、ここでは、省略しますね。とにかく、悪逆非道、とんでもない人だった・・・というお話。右側の本も、なかなか面白かったです。「教科書にはのらない」というフレーズには惹かれます。「平安京は「キタナイ」「コワイ」「キモイ」の3K」という項目なんかも、とっても面白いです。これまた、詳しく書くと、キモイことになりそうなので、省略しますね。 これまた、「学校で教えない教科書」と書かれています。中身が面白い。本当かどうかわからないけど、興味深い内容です。・紫式部は藤原道長の愛人だった?・紫式部は晩年ノイローゼにかかっていた?・「源氏物語」は藤原氏衰亡を祈る呪いの物語?・「源氏物語」は怪奇小説か?・手紙のやりとりもなく犯す光源氏はレイプマン?・愛人の多くが不美人だった光源氏はブスマニア?・不義の子を生んだ藤壺は光源氏を愛していたか・弘徽殿大后はなぜ悪役として描かれたのか?・光源氏は本当にもてる男だったのか?・柏木はなぜ光源氏に睨まれただけで死ぬのか?・弱い女性の拉致監禁事件は当時ザラだった?・「源氏物語」は本当に未完だったのか?面白そうでしょ?ここにはほんの一部しか項目をあげていませんが、109の項目について、2ページずつ、読みやすく書いてあります。 今昔物語は、高校生の時に全部読んだはずなのですが、自分で買うとなると、第三十一巻まであるので、とてもかさばるし、大変・・・というわけで、この「ビギナーズクラシック」版を買った。お釈迦さまの話から、自分の身を焼いた兎の話、安倍晴明、長大な鼻をゆでて脂抜きする高僧の話、羅城門のある夜のできごと、姥捨ての話など、有名なものが並んでいます。そうそう、こういう万葉集関連の本もありますよ。 左側の本では、万葉集の有名な歌人たちの生涯や時代背景が、けっこう詳しく書かれています。万葉集本編の方は、ちゃんと全巻そろえています。 そして、めざす歌人やめざす歌が見つかりやすいように、本の小口のところに、辞書みたいな印を書き込んでいます。 ちなみに、 そして、 目的もなく、何となく読むだけでも楽しいです。で、気に入った歌があったら、すぐに付箋紙を貼ります。こう並べていくと、日本のものばかりみたいですが、いえいえ、実は私は、大の中国好きなんですよね。近代では、金庸さんの著書は、翻訳されているものはたぶん全て買って読んでいますし、司馬遷の「史記」も、大学生の頃に読みました。(もちろん、解説つきの物です)そして、漢詩も大好き。うちに父の蔵書の「唐詩選」というのがあったので、それをたまに、読んでいましたね。一昨年の股関節手術の時は、kindleで「唐詩選」をダウンロードして、好きな詩を書き写したりして、楽しんでいました。中国語での朗読が聞きたくて、DVDBOXも買いましたよ。 このような、小冊子を見ながら聴きますが、 こんなのもあります。春夏秋冬、それぞれの季節に合った漢詩が100ずつついているの。 これは、秋の詩から、杜甫の「月夜」 45歳の杜甫は、安禄山の乱のときに、捕らえられて、幽閉されてしまうのですが、その時に、妻や子供と一緒にこの月を見たいものだ・・・と詠んでいる詩です。「かな書」サークルでは、和歌を書くのと、漢詩の一部を書くのがありますので、その都度、その作品にまつわる話を調べています。それがまた、楽しくて・・・そちらにはまり込んでいくことが、しばしば。というわけで、今日は、私の文系っぽいところをご紹介させていただきました。
2016.09.18
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