2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
全38件 (38件中 1-38件目)
1
ネットニュースは物事を違った視点から見せてくれるが、おなじみの話題をお隣の韓国からみて見るとこうなる。【老人大国の日本でゲームやパズル市場が活性化している。中年以上の年代が若者が楽しむゲーム機とパズルに興味を持ち始めたからだ。 ゲーム市場の規模は1990年代末から縮小一辺倒だった。少子化の影響により20歳未満の若者の人口が減っているからだ。しかし2005年からは市場の規模が拡大化し始めた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝鮮日報:2007年3月27日) ここで面白いのは、韓国から見れば日本はすでに「老人大国」となっていることだ。日本の高齢化は将来のことではなく、まさに日本が高齢化の真っ只中にいることを物語っている。そして、その日本で高齢者がゲーム機とパズルに興味を持ち始めたことに、お隣の国の人たちは感心しているのだ。 ところで、「中年以上の年代がゲーム機とパズルに興味を持ち始めた」の表現は間違いではないが、「老人大国」に対応したゲーム機メーカーの巧妙な戦略に、「中年以上の年代が」動かされたと言い換えたほうが正確だろう。 これは、少子高齢化社会に向かって、これまでこどもたちや若者を主たる販売先にしていた、玩具・ゲーム機メーカーが必要に迫られた転換であった。当然ながら、あらゆるメディアを通じて毎日のように大宣伝・大キャンペーンが繰り広げられた。 これは、「あるある」事件のように虚偽の煽り言葉により納豆が店頭から消える現象に見られたように、メディアとくにテレビに弱いという、ある意味では日本の国民性?が「脳トレ」ブームに拍車をかけ、それにのってゲーム機メーカーの戦術が大成功に導かれたことを意味する。 団塊の世代をはじめとする中高年は、とりあえずこどもたちよりは自由に使えるお金がある。だから、それをターゲットにした商戦が今後さらに一層激しくなっていくだろう。しかも、それが本来こどもたちの領分であった「遊び」をキーワードとして展開される。それは、ますますこどもたちから「あそび」が減らされていくことと際立った対照を示している。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.31
コメント(3)
「論理的読解力」、私の読解力が乏しいせいなのか意味がにわかには理解できない言葉が「遊び」をキーワードにしたネットニュース検索でヒットした。【市教委は、文章から問題解決に必要な情報を的確に選んで論理的に考え、自分の考えを相手に正確に伝える力を「論理的読解力」と定義。小学5年までに言葉遊びやカルタで表現の基本的な「型」や語彙を身に付ける。小学6年以降は相手の立場を理解しながら自分の考えを実際に表現できるようにする。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/神戸新聞:2007年3月29日) 記事は京都市の話だが、記事が短すぎるかもしれないが、この教育委員会の考え方には正直言って、「論理的」なおかしさを感じざるを得ない。まず、引用部前半の「文章から問題解決に必要な情報を的確に選んで論理的に考え」ここまでは「論理的読解力」と定義できるかもしれないが、その後の「自分の考えを相手に正確に伝える力」は強いて言えば「論理的表現力」と定義した方が的確に思える。 さらに、引用部後半「小学5年までに言葉遊びやカルタで表現の基本的な「型」や語彙を身に付ける。」、「論理的読解力」をなぜ「言葉遊びやカルタ」で育てなければならないのかがもうひとつピンとこない。 引用部以外の記事を参照すると、日本のこどもたちの「読解力」が他国に比べて低いので、「読解力」が優れているフィンランドの国語の教科書を翻訳した教材を使った実績をもとにしたように思われるが、こうした方法論も全くのピンとはずれだと思う。 なぜなら、そもそも「読解力」を吟味するには、「国語」という学校教育における「教科」だけの問題ではなく、友達とのあそびや読書する機会が減ったと思われるこどもたちの生活の有り方、漢字にひらがな・カタカナといった日本語という「言語」からもたらされる問題などから「読解力」を総合的にとらえる必要があるからだ。 フィンランドと日本の違いを論点に加えれば、京都市教委のこうした方法論は出てこないように思われるが、こどもたちに「論理的読解力」を云々するよりも市教委みずからが「論理的」思考を鍛える必要があるように思う。結果として迷惑するのは、肝心のこどもたちなのだから。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.30
コメント(0)
【私の息子は、小学校6年生ですが「カードゲーム」に夢中になっています。先日、息子とゲームセンターに行きました。なかなか手に入らない「レアカード」を手に入れようと、100円玉を手に握りしめた子供たちでいっぱいでした。 その中には3歳か4歳ぐらいの幼児たちの姿もありました。幼児たちは、100円硬貨でぎっしり詰まった小銭入れのような物を持ち、無造作に100円硬貨を入れて「レアカード」欲しさにゲームを続けていました。幼児たちの金銭感覚が麻痺しているのでしょうか?。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/オーマイニュースインターナショナル:2007年3月29日) 「幼児たちの金銭感覚が麻痺している」かも知れないが、少なくとも幼児たちにそうした「金銭の使い方」を許している「親」の感覚がおかしいと考える方が、こういった事態の本質に近づけるだろう。何故なら、少し前のシール付チョコ菓子の箱買いがそうだったように、こどもたちは自由に使えるお金が多ければ、そういった行動に出ることは珍しくはない。 さらに、この記事で注目しなければならないのは、ここで言う「レアカード」の「レア」は、企業により意図的に作られた「レア」で、100年前に出されかろうじて現存する「カード」のような「レア」ではないのだ。販売を増やすために企業としては当然のことかも知れないが、相手が自己制御が未熟なこどもたちであることを考慮すべきだと思う。 要するに、「レアカード」に夢中になりすぎて「金銭感覚が麻痺している」ように見えるこどもたちを作り上げたのは、親であり企業である「おとなたち」なのだ。こうして意図的につくられた「レア」は、正真正銘の「貴重」という概念さえ、こどもたちから奪い去ってしまうだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.29
コメント(0)
【第3回全日本折り紙ヒコーキ大会が24日、福山市御幸町上岩成のビッグローズで開かれ、全国各地と海外普及先のタイ、フィリピンから、子どもから大人まで約640人が出場。入念に折った自作の紙飛行機で滞空時間や飛距離を競った。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山陽新聞:2007年3月24日) 近年、町中で折り紙飛行機を飛ばすこどもたちの姿がグンと減ってきている反面、記事のように「折り紙ヒコーキ」の大会や記録会が開催されることが増えてきている。こうした大会は、記録の正確性や飛行の公平性を期するため、風の影響のない室内で行われることが多い。 昔は室内で紙飛行機を飛ばしてあそぶことはほとんどなかった。風が吹けば、その風に乗せて長時間飛行や長距離飛行ができて、かえってこどもたちは興奮したものだ。そして、何よりも飛行機には青空が似合っている。 真っ青な空をバックに、すがすがしく風をきりながら飛ぶ、それぞれの自慢の愛機を見つめて、パイロットや時には宇宙飛行士を夢見たこどもたちも多いかっただろう。是非、大会だけの競技に終わらず、外へ出て紙飛行機を大空に飛ばしてほしい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.28
コメント(2)
「遊山」といってもピンとこない方や正確に読めない方も少なくないが、「物見遊山」と書けば「遊山」が「ゆさん」と思い当たるだろう。その「遊山」の面白い記事がネットニュースに配信されていた。【徳島市中心部にある籠屋町や両国本町などの商店街計50店舗で、かつて子供たちが使っていた持ち運び可能な重箱「遊山箱」が展示されている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日本経済新聞:2007年3月27日) 「遊山箱」とは今流に言えば「行楽弁当箱」が適当だが、この記事の徳島でのことで面白いのは、その「遊山箱」をもっぱらこどもたちがあそびに行くときに持っていったことだ。それがこどもたちにとって極めて楽しいことであることは、小学校時代の「遠足」の前夜を思い起こせば理解できるだろう。 しかも、徳島のこどもたちの「遊山」は、「うっとおしい?!」おとな無しにこどもだけで行くのだから、もっと楽しいことに違いがないだろう。こどもたちの日常生活のなかでの安全が危惧される今の時代を考えれば、こうしたこどもだけのお弁当持参のあそびに、安心して送り出せるような時がまた来ることを願わずにはいられない。そして、そうした時が来るように微力ながらも努力したい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.27
コメント(0)
(昨日の紹介記事の再録)【小学3年の息子を持つ鳥取県の主婦(42)は、「休み時間に友だちとヒーローごっこをしたがるが、先生に止められる。『(けがなど)何かあったら大変』という理由からだが、顔や腹をたたくのは反則、などとルールさえ決めれば問題ないはず。戦いごっこすら伸び伸びできない状況に、危機感を覚える」。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年3月26日) 最近の「プロレスごっこ」特に中学生以上の比較的年齢の高いこどもたちがやる「あそび?」は、人が痛がるのを面白がる事が目的となる場合が少なくないようだ。「あそび」でありながら「いじめ」でもある状態と言っていいだろう。同じ「ごっこあそび」でも年齢によってそこに求めるものが違うのだ。 だから、記事にある「顔や腹をたたくのは反則」などのルールは、小学校低学年までには有効かもしれないが、それ以上の年齢のこどもたちの「ヒーロー」になることより「人の痛み」が「あそび」の楽しみになっている「ごっこあそび」には通用しないだろう。 そうだからといって「禁止」という方法も、教師などの目が直接届いている場合においては有効だが、こうした「あそび?」は多くの場合、そうした目の届かないところで行われ、「禁止」は思ったほど効果が現れない。 要するに、「いじめ」になるような「ごっこあそび」は、「人の痛み」に優しく思いやる心を育てる様々な手立てと、それを自然な形で育める小学校低学年までの「あそび」を考える必要があるだろう。そんな「あそび」のひとつがくんずほずれつしてあそぶ「ヒーローごっこ」かも知れない。今は、この幼いこどもたちでの集団「ヒーローあそび」が少ないように思われる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.27
コメント(0)
昔なら「鞍馬天狗」や「月光仮面」、少し以前からなら「何とかレンジャー」など、時には雑誌・映画・テレビとメディアを変えながらも、こどもたちは「ヒーローごっこ」してよくあそんできたが、そんな「ごっこあそび」にも時には思わぬ強敵も現れる。【小学3年の息子を持つ鳥取県の主婦(42)は、「休み時間に友だちとヒーローごっこをしたがるが、先生に止められる。『(けがなど)何かあったら大変』という理由からだが、顔や腹をたたくのは反則、などとルールさえ決めれば問題ないはず。戦いごっこすら伸び伸びできない状況に、危機感を覚える」。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年3月26日) この記事のように、学校では危ない「あそび」は禁止されるのは、昔からよくあることで、ある面では仕方がないことだろう。特に、最近では「いじめ」との関連で「プロレスごっこ」や「格闘技ごっこ」などは禁止される場合が多いように思われる。特に、加減の仕方が下手になったように思われる最近のこどもたちの状況は、そうした「禁止」の増加に拍車をかける。 昔を振り返ると、「プロレスごっこ」なども含めた「ヒーローごっこ」は、どちらかといえばせいぜい小学校中学年ぐらいまで時期のあそびで、中学生やまして高校生などが「ヒーローごっこ」であそぶことはほとんどなかった。しかし、最近の「いじめ」のニュースなどによると、今は中高生でも少なからず見られるようだ。(明日に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.26
コメント(0)
手作り版「キッザニア」ともいえるイベントの記事がネットニュースで見つかった。【市役所に銀行、英語教室、飲食店-。子どもたちが銀行員や商店主になり、一つの“まち”をつくるイベント「ミニたまゆり」が二十四日、川崎市麻生区東百合丘の田園調布学園大のキャンパスで始まった。楽しみながら、社会性を身につけてもらうのが狙いで、会場はたくさんの子どもたちでにぎわった。 同大や地域の自治会、子どもの保護者らでつくる実行委員会の主催で、今年で二回目。準備段階から、小学生を中心とした地域の子ども約五十人も参加した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2007年3月25日) 本物そっくりの「キッザニア」も面白いが、こうした手作りの「町ごっこあそび」ともいえるイベントも面白い取り組みだ。しかも、「キッザニア」がおとながそのほとんどを企画・運営するのと違い、こどもたちが企画に参加していることだ。その分、こどもたちの活躍と楽しみの場が増えるし、同じ地域の他の子やおとなたちと交流できることだ。こうした取り組みは、それを支えるおとなの皆さんのご奮闘無くしては成立し得ないので、そのご努力に大きな賛辞をおくらずにはいられない。 こうした取り組みで、こどもたちに「社会性を身につけてもらう」事が必要なのは、こどもたちの生活のあり方が変化したためと思われるが、日常的に家の「お手伝い」や「お使い」なども含めてもっと積極的にこどもたちが町の人たちと本物の生活の中で触れ合う機会も増やしていければと思っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.25
コメント(0)
なお、この記事はまったくの私的目的で利用しておりますので、一切のコメントはご容赦のほどよろしくお願いいたします。、よりまして、書き込まれたコメントは全て削除させていただきますので、ご了承してください。 今日、(本当は翌日の書き込み)上の娘の結婚式だった。そのことへの思いを簡単に書きとめておきます。(その思いは、非公開日記に書き込んでおります。)
2007.03.25
コメント(0)
こどもたちに「昔の遊び」を伝える取り組みのネットニュース記事。【大仙市は19年度から、公共の設備、職員や市内の人材を生かし、予算を付けずに新たな行政サービスを模索、提供しようという「ゼロ予算事業」に取り組む。 このような事業は、小、中学校の体験学習に地域の昔遊び、和楽器などの「達人」を派遣する事業や市所有のバスで市内の史跡をめぐる事業など、生涯学習分野を中心にこれまでも行われてきた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/秋田魁新報:2007年3月23日) この取り組みでユニークなところが「ゼロ予算事業」だということだ。確かに、全くの「ゼロ予算」ではなくとも、こどもたちに地域に住んでいる「昔の遊びの達人」を派遣し、こどもたちに「あそび」を教えることは大した予算は要らないだろう。是非、多くの自治体で実施していただきたい取り組みだ。 そして、願わくば、せっかく教えた「あそび」が再びこどもたちからこどもたちへ伝えられて伝承していくための、工夫と取り組みがあればと思っている。それには、おとなの「こどものあそび」に対する考え方と、こどもたちに本当の「ゆとり」をつくってあげることがひつようだろう。それもまた「ゼロ予算」で行えることでもある。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.24
コメント(0)
ニュースではないが、テレビのワイドショーからテーマをひろってみた。最近、こどもたちにGPS付携帯をもたせる親が増えてきているそうだが、街の治安悪化に伴ってそれが加速しつつあるようだ。しかし、そんな「安心グッズ」に潜むある落とし穴の話が、今日のMBSテレビ「ちちんぷいぷい」にあった。それは、「塾の帰りが遅いお子さん(6年生)をGPSで調べると確かに塾にいるようだが、それでも心配で『探偵事務所』に調査依頼をして判明したことは、こどもはGPS携帯を塾のゴミ箱に隠してゲームセンターに行っていたそうだ。」まさに、ある意味では今の典型的なひとつの親子関係がここに見て取れるだろう。 そこには親子間の信頼関係が乏しい現実があり、親は我が子より「GPS」や「探偵」にたより、子はそ知らぬ顔で嘘をつき続ける。「GPS」も携帯もなかった時代、親はこどもがあそんでいそうな所は熟知していたし、それでいてこどもたちは四六時中監視もされていなかった。機械や他人に頼らない分だけ、お互いに信頼関係を高めあっていたのだろう。 もちろん、街が危険になった、正確には街ではなく、人間そのものが危険になった今の世では、「GPS」などに頼りたい思いも理解できるし、こどもに「GPS携帯」を持たせるのも一つの選択だ。しかし、それはあくまでも補助的な手段として、信頼ある親子関係を密に保つ中で活用していただきたい。 そして、こどもたちの本音を推測すれば、せめて近所であそぶ時ぐらいは、GPSはもとよりだれの監視もない自由な環境であそびたいと思っているだろう。そうした街(や人)になれば、それも可能ではあるのだが。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.23
コメント(0)
最近のあそび場事情をネットニュースからひろってみた。【館内ではスライダー、ボールプールなどの「ふわふわ遊具」や数百着の衣装やアクセサリーを着用して写真撮影ができるスタジオ、抗菌砂場、各種イベントなどがある。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2007年3月22日) 記事は千葉県にあるショッピングセンター内にできた子ども施設のことだが、このような有料私設や保育所などにある砂場では、抗菌砂を取り入れたり定期的に砂を殺菌するところが増えてきている。 抗菌グッズがはんらんするご時世だから当然の成り行きかもしれないが、このような傾向が続くと、「抗菌砂場でないとこどもたちに砂あそびをさせない」といった現象が出てくるかもしれない。そして、それは普通の地面でさえあそぶことをためらってしまう極端な事態にいきつく可能性さえ感じられる。 確かに抗菌処理すれば、人間に有害な細菌は死滅するかもしれないが、その一方で生態系の底辺を支える大事な「普通の菌」さえ死滅させてしまうことになる。その「普通の菌」には、毛嫌いされる「犬や猫の糞」を無害化させてくれる「菌」がいるのだ。 今の時代より野良犬・野良猫がたくさんいた時代、しかも周りに柵のなかった砂場だけであった時代、そんな時代と今の時代を比べても、「砂場」によりこどもたちの健康が損なわれることは大差がないように思われる。 だから、せめて砂場を柵で囲う程度にとどめてほしい。砂場は、こどもたちがあそべばあそぶほど、適度に砂が攪拌された後は、太陽と「普通の菌」の効果により意外とこどもたちに健康面でも優しいところとなるだろう。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.22
コメント(0)
私が考えている広義の「遊び」のひとつの典型が次の書が雄弁に語ってくれている。「永六輔の芸人と遊ぶ」(永六輔:小学館/2001)表題の「遊ぶ」にもその「遊び」のひとつの姿があるが、それは読んでいただいてつかみとってほしい。また、この書での「芸人」も狭い意味の「芸人」ではなく、歌手・狂言師など幅が広い。 その「芸」の定義に関わって永六輔さんはあとがきに書き留めている。【「芸」という字は、もともと「植物を土に植えて育てる」という意味で、後に「技」とか「極まり」という意味が加わりました。】(【】内は引用)これは、三波春夫さんへの追悼文でもあり、続く一節には【芸人さんたちは、世間という土壌に何らかの種を蒔き、それを育てています。しかし、その種が大きく育って花を咲かせるためには、神様の肩入れが必要です。(中略)芸を育てる神様は、それを生で観るすべてのお客さんです。】(【】内は引用) 実に、永六輔さんらしい温かみのある言葉だ。それは、今にも消え去りそうな「芸」、大メディアがあまり取り上げない「芸」など、「芸」についての新鮮な「知」をそれぞれの「芸人」との語らいの中にもにじみ出ている。だから、是非しばしこの書の中に飛び込んで、永六輔さんとともに「芸人」さんたちと遊んでみることをお勧めする。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.03.22
コメント(0)
都市部では貴重な、自然と触れ合えるあそび場として、河川敷・土手・堤防がある。【荒川土手に新芽を出した春の野草を味わうイベントが、荒川ビジターセンターで18日に行われた。(中略)4月15日には、未就学児とその保護者を対象に、虫や花、野草など荒川にある自然の遊び道具を紹介する「あら川とあそぼう!川のようちえん」が開催される。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/足立よみうり新聞:2007年3月20日) この記事は東京都荒川区での取り組みだが、私の住む大阪市住吉区も大和川に面しているので、自然との触れ合いながらあそぼうと思えば十分にあそべる。実は、この大和川、全国にも名高い日本一二を争う「汚い川」なのだ。それでも、昔ほどではないにしろ、少しばかりは綺麗になってきているようだし、土手や堤防の斜面や河川敷は、面白いあそび場ともなる。 ただ、「草花遊び」や「トンボ捕り」「バッタ捕り」などであそぶこどもたちの姿は、少ないようだ。学校ではこどもだけでのあそびは禁止されているかも知れないが、それでもそのルールを破ってでもあそびたい魅力を持っているのが、川というあそび場だろう。 川はルールを守れば危険が回避できる「あそび場」であり、都市部では貴重な自然の中の「あそび場」だ。せめて、学校や保育所・学童保育所などでは、都市部の川を「あそび場」としてもっともっと活用していただきたい。(私が勤めていた同区内にあった学童保育所では、頻繁に通っていた。)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.21
コメント(0)
こどもたちの体力低下を改善する取り組みのニュースは多い。【子どもの体力低下が指摘される中、京都府精華町の精華台小で体力向上を目指して3年間、親子で参加する毎月1回の「スポーツデー」などが開かれ体力アップの成果があがった。本年度まで文科省の「体力向上実践事業」の指定を受けて取り組んできた。同町体協が中心になって運営する地域ぐるみの事業にしたのが特色で、多彩なスポーツ教室を開催。子どもたちのスポーツや外遊びの時間が増え生活も変化したという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/京都新聞:2007年3月20日) この記事もそんな「体力向上」の取り組みのひとつで、こうした取り組みが全国のあちこちで盛んに取り組まれるようになった。これはこれで大変意義のある活動で、今後ももっと広げていただきたいと思っている。 そうした前提にたっての提案だが、体力だけでなく今のこどもたちに低下してきているといわれるコミュニケーション能力をはじめとした「社会生活力」向上の取り組みを、是非そうすた取り組みに加味していただきたいと思っている。 体力は、比較的に測定できて数字化しやすいが、「社会的生活力」は今のところ数字では表しにくい力となっている。しかし、「社会的生活力」の低下は、今のこどもたちに「いじめ」「自殺」などとして衝撃的に顕在化しているように思われる。 私は、この「社会的生活力」を育むには、友達との「あそび」が最も有効だと考えている。しかし、「社会的生活力」の向上が目に見えてあらわれるには、体力のように2・3年の取り組みでは難しいかもしれないが、昔のような「友達とのあそび」を質・量ともにとり戻せば、必ずや大きな成果として実を結ぶと思っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.20
コメント(0)
近年増えてきている遊具に、滑り台の王様ともいえる「スーパースライダー」がある。【郡山市大槻公園の「スーパースライダー」が、今年の営業を開始した。スライダーはカーブのある全長200メートルの2基の滑り台を、そりで滑る遊具。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/福島放送:2007年3月19日) 全長が200mともなれば、遊具というよりも遊戯施設と言って良いだろう。だから、ネットで検索してみると、それを作っている会社は、道路建設をしている会社だった。「スーパースライダー」は設置するというより建設する表現があたっている。 だから、「スーパースライダー」は有料の遊具となるのが一般的で、この記事の私設では、基本的には100~150円で、3歳以下は無料なのだ。でも、おそらく幼児は一人では危険なので、大人に抱っこされて乗るのだろう。 それにしても、私の子どもの頃(1950年代)は、もちろんのこと「スーパースライダー」はなかった。だから、私を含めた当時のこどもたちにとって「長い長い滑り台」は夢の「滑り台」だった。今のこどもたちがほんの少し?だがうらやましい私である。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.19
コメント(0)
北陸電力の志賀原子力発電所1号機の臨界事故に関連した私の気がかりのひとつが悪い方向で進展している。それは、中部電力の浜岡原発3号機と東北電力の女川原発1号機であいついで、北陸電力と同様の制御棒脱落トラブルがあり、しかもどちらも社外には公表していなかったことだ。 これだけ制御棒の脱落が起きているのは、人為的ミスだけでなく、そういったトラブルが置きやすい原子炉設計になっていたと思われてもしかたがないだろう。一旦事あれば悲惨な大事故になる可能性があるような原発では、たとえ人為ミスが起きたとしても、臨界事故さらに原子炉暴走に至らないように、肝心要の制御棒が抜け落ちない仕組みを備えるべきだろう。 あのチェルノブイリ原発事故では、30km以内の地域の住民が避難したという。ロシアという広大な国土の国と違って、日本で同様の事態になった場合を考えれば、今回の事故で事件はただ単なる「隠ぺい事件」に終わらせてはならないだろう。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.03.19
コメント(2)
昨日に続いての昔懐かしいあそびのニュースから。【日南市の飫肥城下町を舞台に、子供たちが忍者に扮して遊ぶ催し「忍者ごっこ」が11日あった。風呂敷ずきんをかぶった子どもたちは、城下町を歩いて「忍者修業」に取り組んだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/宮崎日日新聞:2007年3月14日) 記事は、おとなが企画したイベントでのことなので「あそび」ではないが、面白い企画だと思う。掲載の写真を見ると、私がこどもの頃(1950年代)と同じ、風呂敷を三角にたたんでからかぶり、頭の後ろで結ぶやり方のようだった。このやり方、おそらくこの記事のこどもたち(小学生低学年ぐらい)はもとより、その子たちの親の世代の皆さんも知らないだろう。 今は、風呂敷すら家庭に無いか、あってもこどもたちがあそびに使えるほどの使い古された風呂敷は無いだろう。当然ながら、風呂敷でずきんをつくろうとも思わないだろう。「鞍馬天狗」や「紫頭巾(ずきん)」は、もはやこどもたちのヒーローではないので仕方がないだろう。 昔は、風呂敷ずきんだけでなく、手ぬぐいで男の子は「ほおかぶり」や「ぬすっとかぶり」、女の子は「あねさんかぶり」など、身近なものを使った「かぶりもの」であそぶことも多かった。しかし、今は風呂敷も手拭(てぬぐい)も、その現物どころか名前さえ知らないこどもたちも多くなったのかもしれない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.18
コメント(0)
北陸電力の志賀原子力発電所1号機の臨界事故に対する、私の気がかりの続きを書いていく。その後のニュースによると「経験のない係員」が操作したことや「操作手順書」の誤りがあったことが明らかになり、臨界事故そのものは人為的ミスにより起こったということになる。ここで気がかりな点が大きく言ってふたつある。 そのひとつは、核物質を扱い最悪の場合世代を超えて重大で深刻な事態を引き起こす恐れのある原子力発電所で、「経験のない係員」に操作させるような考えられないことが行われていたということだ。それが、たまたまこの原発だけのことであっても、あってはならないことだ。この点でも北陸電力の「原子力」を甘く見る姿勢が問われるだろう。 つぎに、「操作手順書」の誤りだが、手順書にそわない操作があったとしても安全装置が働くように設計しておくのが、このような深刻なリスクが起こる可能性のある原発などの必須条件だろう。特に、制御棒の抜き挿しなどの誤れば極めて深刻な事態に陥る作業には、「手順書」というソフト面だけでなく、何重もの安全装置というハード面の整備が必要だろう。 以上が、新たな情報を知っての気がかり点だが、果たしてこの二点について、今回の事故があった時点以後に改善があったのかどうか、さらなる不安点が沸き起こる。このような状況では、新たな原発建設は一時ストップして、原発政策を含めて総点検する必要があるだろう。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.03.18
コメント(0)
昔懐かしいあそび復活のニュースがあった。【土岐市土岐津町土岐口の菱田鉄工所社長の菱田昇一さん(74)が開発した現代版輪回し「ラン・リング」が市内の3小学校で遊具として使われ、児童に好評を得ている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2007年3月17日) 記事によると、「あまり外で遊ばない」お孫さんのために考案されたそうだが、おじいさん方にとっても今の子の「外あそび」の少なさが気になるのだろう。「輪回し」は、そんなこどもたちにうってつけのあそびだろう。何故なら、「輪回し」は、たえず走っているか歩いているかしていないと「輪」は倒れてしまうからだ。 ところで、記事の「輪回し(ラン・リング)」は輪と棒を連結している改良版だそうだが、それは初心者には良いかもしれないが、輪回しの醍醐味は離れている輪を棒で上手く制御する事にある。また、輪と着かず離れずにスピードを調節して走ることも大切なのだ。 だから、私は昔のように自転車のホイールか箍(たが)を使ってあそぶ、リサイクル的あそび方がいい様に思う。ただ、街の事情は「輪回し」で走ってあそべる場所も少ないのが残念だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.17
コメント(0)
北陸電力の志賀原子力発電所1号機の臨界事故の隠ぺい事件について、素人の気がかりを書き留めておく。話題の中心が臨界事故の隠ぺいになっているようだが、この事故の大事な点は別のところにあると思っている。もちろん、隠ぺい自体は大問題だが、隠ぺいしていた事故そのものが極めて重大な事故であるが故、隠ぺい行為が重大問題になるのだ。 その「臨界事故」とは、一時的であるにせよ原子炉を制御できず、つぎつぎと核分裂を起こす臨界点を越えた事故で、しかも原子炉を覆う格納容器や圧力容器の上ぶたが開けられた状態での事故だった。たまたま、外れた制御棒が3本であったこと、その制御棒を手動で挿入できたことで最悪の事故にいたらなかっただけだ。 外れた制御棒の数がもっと多かったり、制御棒を短時間に元に戻せなかった場合、あのスリーマイル島やチェルノブイリでの事故と同等かそれ以上の深刻な事態に発展する可能性もあったかも知れないのだ。 格納容器や圧力容器の上ぶたが開けられた状態での点検中に制御棒が外れるような構造上の問題なのか、作業方法そのものやミスなどの人為的な問題なのかが、事故の原因と考えられるが、果たしてその事への適切な改善がなされたのか。また、今回の事故がこの志賀原子力発電所1号機特有の条件下で起こったのかどうか。こういった点の一刻も早い解明を望むものだ。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.03.17
コメント(0)
日本版トランプとも言える「ウンスンカルタ」の話題をネットニュースからひろってみた。【ウンスンカルタは天正年間(一五七三~九二年)、ポルトガルから伝わった南蛮カルタが起源といわれる。江戸時代に全国的に普及したが、とばくに用いられたため幕府が禁止。(中略)「札決めには仲間と目配せを交わすコンビプレーが重要で、奥が深い」】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/熊本日日新聞:2007年3月16日) この記事で面白いのは、「ウンスンカルタ」のあそび方が、トランプの「ナポレオン」などと同様にチーム対戦なのだ。「ウンスンカルタ」と同じルーツと思われる「花札(花ガルタ)」や「カブ札」などがほとんどの場合、個人の勝負となるのとは違っている。「ウンスンカルタ」も個人対戦のあそび方もあったかもしれないが、県無形民俗文化財として伝えたれている人吉球磨地方では、チーム対戦なのが面白い。 この「ウンスンカルタ」とトランプの「ナポレオン」などは、集団あそびとも言えなくはない。正確に表現すると、屋内集団あそびとも定義できる。だから、いわゆる「集団あそび(屋外集団あそび)」と同様に、人間関係力を育む「あそび」となる。 だから、「ウンスンカルタ」は無理にしても、トランプの「ナポレオン」なら小学生でも十分にあそべる。学童保育所や子ども会などで、トランプあそびをする機会に、このような「屋内集団あそび」を試してみるのもいいだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.16
コメント(0)
壊して元に戻すことを楽しむのは人間だけかもしれない。そんなあそびの典型である「ジグソーパズル」の記事がネットニュースにあった。【18世紀に生まれ、当初はヨーロッパの複雑な国境を覚える教材として使われていたおもちゃをご存知だろうか? それは「ジグソーパズル」。普段ありふれているだけに見過ごしがちだが、根強い人気を誇る定番商品だ。(中略)ただ、現在の規模は全盛期の何分の一かになっていますね】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MYCOMジャーナル:2007年3月13日) おもちゃとしては記事の通りに「国境を覚える教材」がルーツかもしれないが、その始まりはバラバラに割れた皿や細かくちぎれた絵などを元に戻すことをいつの日か修理ではなくそれ自体を楽しみにするようになったのだろう。皆が皆までそうではないが、こうした復元の作業に面白さを感じる人は多いと思うからだ。 つぎに、この記事で気になったのは、「ジグソーパズル」の人気がなくなってきていることだ。パズル好きの私には信じられないことだが、これも「ゲーム機」の影響なのかもしれない。さらに、「ジグソーパズル」を組み上げるまで結構時間がかかるが、そんな悠長な時代ではなくなったからなのだろうか。それなら今は「ゆとり」のない時代と言えるかも知れない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.15
コメント(0)
昔ながらのあそびのなかで、特に活発な女の子があそんでいたものとして「ゴム跳び」がある。その「ゴム跳び」最新事情。【でも最近、ゴム跳びをする子はすくないよう。NHK教育テレビ「からだであそぼ」には、金曜に「ゴーゴーゴムだん」というコーナー(3月で終わり)がある。高く跳ぶのが目標で、残念ながら歌はないけど、番組をみてゴム跳びをはじめる子もいるそうだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年3月14日) 確かにこの10年をみても、こどもたちが「ゴム跳び」をするのを見かけるのは少なくなっている。特に、「ゴーゴーゴムだん」と同じ「ゴム段跳び」大阪で言えば「一段跳び(略して「いちだん」)」などの単純に飛ぶ高さを競うあそび方は、ほとんど見かけなくなった。 一方で、替え歌にあわせてリズミカルに跳んだり引っ掛けたりする「リズムゴムとび」系のあそびは、それぞれの地域的なバラエティーを持って比較的よく見かける。 この「地域的なバラエティー」があるというのは、その「ゴム跳び」がその地域で遊び伝えられていることの証でもある。これは、画一的で地域色の薄れた「あそび」が多い現状の中では珍しいこととなっている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.14
コメント(0)
多くのこどもたちが嫌がる宿題にも、時には楽しいものもあるようだ。【「放課後、外で5人以上で遊ぶこと」。荒井育恵養護教諭(50)が埼玉県の小学校に勤めていた時、出した「宿題」だ。(中略)筋力の低下は外遊びが減ったためではないか。そう考えての「宿題」だった。「学校が指示しないと、自分からは遊ばない子どもが増えた」】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年3月9日) こうした「あそび」を宿題にする学校は、ずっと以前からありその数も少なくないが、特に「外あそび」の宿題はよくある事だ。しかし、この記事では「5人以上で遊ぶこと」と指示があるのは、それだけ今のこどもたちが少人数であそぶことを物語っている。 さらに注目する点は、「自分からは遊ばない子どもが増えた」、そのまま額面通りに受けとれないが、少なくとも「自分からは屋外で多人数であそべないこども」は増えたことは間違いがないだろう。 アンダーラインを付けたように、「あそばない」ではなくて「あそべない」としたのは、その原因がこども自身だけにあるのではなく、おとながもたらせた「屋外であそべない」「多人数であそべない」事情にも大きな要因があるからだ。 ボールあそびができる公園がなかったり、治安の悪化などで、外で遊ぼうにもあそびづらくなった街の実態。塾や習い事その他の事情により、こどもによって内容がバラバラな放課後の生活。これらのことを改善しないと、いくら宿題として「あそび」をこどもたちに課しても、それは大きく実を結ぶものにはならないだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.13
コメント(0)
今日の午前、高知空港で全日空機の胴体着陸があり、テレビの各局が生中継をしていた。結果は、機長の的確な操縦により「理想的な胴体着陸」であった。まずは、ご乗客・乗務員の皆さんの全員無事を素直に喜びたい。しかし、そのテレビの映像を見ていて気になった点があったので、書き留めておく。 それは、確かに「理想的な胴体着陸」だったかもしれないが、機長の操縦技術はさておいて、今回の胴体着陸は幾つかの「良い偶然」が重なったようにも思える。出なかったのは前輪だけで飛行機を支える主要輪(主脚)は完全だったこと、プロペラが滑走路に接しない形態の機だったこと、比較的離着陸頻度が少ない空港だったことなどがある。 さらに、滑走路に撒かれた消火剤が少なかったように思えた。テレビ映像ではっきり断定はできないが消火剤が途切れた地点で機首部分が接地していた。そのことによるものか、機体から火花が出ていた。しかし、幸いなことに燃料漏れが無く、火災とならなかった。 この消火剤の撒き方について素人にはわからないが、もっと滑走路全体に撒ける程度は確保していただきたいし、もし確保が無理なら消火剤を散布する位置を慎重に選んでほしいものだ。 以上、航空機にまったくの素人の老婆心的思いつきだが、下手をすれば我が身に起こる事態となりかねないので、政府などの厳正で徹底した事故調査を願うものだ。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.03.13
コメント(2)
公園の遊具によるこどもの死亡事故ほど痛ましいものはない。ネットニュースにあったタイでの事故を紹介する。【全国の遊具の約9割がセメント敷地の上に建てられているなど安全基準を満たしておらず、過去2年で6人の子供がジャングルジムなどの遊具で事故死しているという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/バンコク週報:2007年3月5日) 驚きなのは、「安全基準」があるにもかかわらず、「全国の遊具の約9割が」その基準を満たしていないことだ。何のための「安全基準」か、その存在意義が全くといって無いという状態だ。 我が日本でも、当然ながら遊具の安全基準があるが、それは業界団体の自主的な基準に過ぎず、しかも全国の各地にある遊具が基準を満たしているかどうかが全て点検されているわけではない。 私が住む大阪市では、公設の公園(都市公園)にある遊具より、地域住民が作った公園にある遊具や団地・大規模マンションなどの付属遊具などの私設の遊具の方が多い。遊具事故が起きるたびの一斉点検や定期点検は、公設遊具に偏っており、私設遊具の点検は行き届いていないようだ。 おそらく、他の地域でも同様の状況にあるかもしれない。こどもたちにとって楽しいはずの公園が、悲しい現場にならないように、公的な遊具の点検が行き届くまでは、何かのついででも良いので時折はお近くの公園の遊具を見て回ることも大事だろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.12
コメント(0)
公園の遊具をめぐる最近のニュースで多くの人が怒りを感じる事の記事【全国で金属の盗難が相次ぐ中、徳島県内でも今年に入って公園のブランコや排水溝のふた、鉄板などが盗まれていることが八日、分かった。関係者は「金属価格が高騰しているためでは」として県警に被害届を提出。県警のまとめでは、届け出は今年に入って十五件、被害総額は約三百八十万円に上っている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/徳島新聞:2007年3月8日) こんな記事が珍しくないほど、想像を絶する新手の「金属の盗難」が続出している。なかでも、公園の遊具や備品などでのそれは、公園がこどもたちのあそび場であるが故、こどもたちの楽しみを奪うばかりか、排水溝のふたなどはともすればこどもたちの命にも関わってくる重大事態だ。 公園の遊具で言えば、欠陥遊具・未点検遊具などの問題、事故による一斉遊具の撤去などなど、公園の遊具は受難の時代に入った感がある。そして、それはこどもたちのあそびに直結する。ともすれば、外あそびの場が減る中でも、かろうじて残された外あそびの場としての公園がこのような有様では、あまりにもこどもたちがかわいそうだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.11
コメント(0)
昨日紹介したニュースの後半に【かつて、子どもたちが遊ぶ時は、リーダーがいた。「ガキ大将」だ。集団での遊びが減り、ガキ大将が姿を消したのと、従来のケンカとは異なる「校内暴力」「いじめ」の増加は関係があるのではないか。群馬県高崎市で民間団体「アドベンチャー集団Do!」を主宰する黛徳男さん(52)は、そう感じている。】(【】内は見出しおよび記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年3月9日)と言う一節があった。 この記事が指摘する、ガキ大将のこどものあそびに於ける意義には、基本的には私も同感だ。特に、こどもたちの集団の大小を問わず、複数のこどもたちで構成されるあそびには、「ガキ大将」であるかそうでないかに関わらず、あそびのリーダーやリーダー的存在の子が、時には複数で存在する、その意義が大きいのだ。 かえって、絶対的な力を持った「ガキ大将」がいない時の方が、多くのこどもたちに、リーダー的役割が回ってくる。だから、そのことから育まれる様々な力の素晴らしさを考えたとき、複数でやるあそびの教育的意義が理解できるだろう。 その「複数」というのは最低の二人から十人以上の大集団まであり、必ずしも人数の多いほうが優れているわけでもない。正確に言うと、二人から大集団までの「あそび」を満遍なくやることが、様々な力を育む条件となるだろう。 だから、私は「ガキ大将」を育てることも意義があるが、それよりも様々な人数の集団であそびほうける「ガキん子」を多く育てることをおすすめする。そうすれば、こどもたちの集団の自然な成り行きで「ガキ大将」が生まれることもあれば、何人もの優れた「あそびのリーダー」が生まれることもあるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.10
コメント(0)
【「子どもは本来、いろんな子と一緒に遊び、感情をぶつけ合ったり、折り合いをつけたりしながら、他者とのかかわり方を覚えていく」。山梨大の中村和彦助教授(発育発達学)は指摘する。(中略)しかも、今の子は学校や塾、スポーツクラブなど、大人がおぜん立てした器の中で、マニュアルに沿って動くことが少なくない。「遊びを奪われた子どもは、集団を自分たちで運営する経験も積めなくなってきている」】(【】内は見出しおよび記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年3月9日) この記事の主張は、今のこどもたちにとって劣ってきていると思われる能力のひとつが、他者とのかかわり方の能力で、その最大の原因が「他者とのあそび」が少なくなってきていると以前から思ってきた私の考えと同じだ。 「他者とのかかわり」は、記事にあるように「大人がおぜん立てした」場では、昔よりも増えてきており、そこではこどもたちは「集団を自分たちで運営」することは稀である。だから、他のこどもたちとのあそびが優っているのだ。 記事には「遊びを奪われた子ども」とあるが、私なりに言い換えると、こどもたちのあそびから「あるもの」が奪われたということになる。そして、その「あるもの」のひとつが「他者とのかかわり」なのだ。 そして、その「あるもの」を奪ったのは、当然ながら「おとなたち」であることを、私たちおとなは自覚することこそ、こどもたちのあそびから奪い去られたものをとり戻す第一歩でもあると思っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.09
コメント(0)
メタボリックシンドローム、略して「メタボ」の語が、「遊び」で検索したネットニュースの見出しにあった。見出しは【“メタボ”小中生に迫る】で記事の一部は以下の通り。【肥満度を測る指標の一つ「ローレル指数」を基にすると、肥満傾向にある県内の小中学生は男女ともに前年度より増えたことが7日、県教育委員会がまとめた「2006年度学校保健統計調査報告書」で分かった。専門医は、子どもたちに広がる夜型の生活や食習慣の乱れ、屋外で遊ぶ機会の減少の影響を指摘し、】(【】内は見出しおよび記事から一部引用、Google ニュース/琉球新報:2007年3月8日) 記事は沖縄県のことで、この傾向が全国的なものかどうかは定かではないが、長いスパンで見ると小中学生が肥満傾向にあることは確かなようだ。また、こどもたちの肥満が問題になり始めてたのはかなり以前のことで、今やこどもの肥満は珍しいことでもない。 ただ、同じこどもの肥満での昔とこの記事の事情は若干様子が違うようだ。昔は、食事の内容・量の問題が主で、今は食事のとり方やあそび方を含む生活習慣全般の問題と違いがある。そして、変わらないのは昔も今も、それはこどもの責任ではなくおとなの責任であることだ。こどもたちの食習慣も生活習慣も、おとなが整えてあげるものなのだから。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.08
コメント(0)
今では日本一有名になった動物園、旭山動物園のその秘密を園長自らが明らかにしてくれる書、「〈旭山動物園〉革命」(小菅正夫:角川書店/2006)はぜひ一読していただきたい本だ。その中で著者は冒頭に、旭山動物園の特徴でもある考えを披露している。【私たちは、動物それぞれの能力を発揮できる行動展示を行うことで、動物がイキイキすることを、飼育する中で確認してきた。(中略)また、イキイキする動物をみることで、人間の側も嬉しくなり、元気になることも、入園者の声を聞いたり、表情を見ていてわかった。(中略)動物も人間も、「自分らしさ」を発揮できる環境はなにものにも替え難いということである】(【】内は引用) まさに、動物たちが「動物らしく」展示されているからこそ、旭山動物園に多くの人たちが訪れるのだろう。この「動物」らしさを如何に実現させて行ったか、私たちの多くが知らないと思われる動物園の新しい役割など、日本一の動物園の園長自身がやさしく紹介してくれている。まだ旭山動物園に訪れておられないなら、この書を読んでから動物たちに会いに行ってもいいだろう。 ところで、この「自分らしさ」、人間のこどもたちには今最も大切なことではないだろうか。「こどもらしさ」を求めようとはしない一部のおとなたち、ともすれば一部のこどもたちは自らすすんで「こどもらしさ」を捨て去ろうとしているように思える。そして、それはこどもたちの「あそび」に集約されていないだろうか。ふと、そんな思いも過ぎった書でもあった。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.03.07
コメント(0)
いつの時代のことかは知らないが、「コマ」に「独楽」の字をあてたのはその時代には「コマ回し」が主として独り(ひとり)で楽しまれていたからだろう。そして、今の時代も確かに一人であそぶことも多いかもしれない。 しかし、団塊の世代の私がコマであそんだ時代は、決してコマは一人であそぶより何人かであそぶことが多かった。何故なら、一人でコマを回すのも楽しいが、友達と回し合い(回し比べ)をする方がずっとずっと面白かったからだ。 また、互いのコマをぶつけ合ってベイゴマのようにあそぶ「喧嘩ゴマ」や、コマを手の平などの上で回しての「コマ鬼ごっこ」なども良くしたものだ。だから、コマは決して「独楽」ではなかったのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.06
コメント(0)
紐を巻いたコマを投げて回す「投げコマ」のネットニュース記事からの思い付きを書いていく。【昔懐かしいこま回しの技を競う「益田投げコマ選手権大会」が四日、益田市本町の市立歴史民俗資料館であり、親子連れらが段級の認定会や記録会に挑んだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山陰中央新報:2007年3月4日) コマ回し(投げコマ)は、回せるようになってはじめてその面白さがわかるあそびだ。だから、こどもたちの身近にコマを回せるこどもやおとなが多くいて、コマ回しが流行っている状態でないと、コマを回す気にはなっても長続きしないものだ。 だから、多くのところで記事のような段級位の認定を行うことによって、こどもたちがコマ回しに取り組む意欲を引き出す活動が行われている。同様のことが「けん玉」の普及団体によって導入され一定の成功をおさめている。 なお、本ブログの本館のサイト「遊び学の遊邑舎」では、はじめて取り組むこどもたちを対象にした「コマ回し(投げコマ)」・「けん玉」・「お手玉」の段級位表を掲載しているので、ご参考まで!「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.05
コメント(5)
まず、ひきこもりの思わぬ影響のネットニュースを見ていただく。【母親が自宅にひきこもり、日光照射不足となった乳児が「くる病」に-。そんなショッキングな報告が平成18年1月の「小児保健研究」(日本小児保健協会)に発表された。(中略)藤井医師は乳幼児の「ビタミンD欠乏性くる病」の他の事例も調査。34例のうち17例は「UV(紫外線)照射不足」が原因だった。そのうち13例は母親のひきこもりなどから、「子供が外出や外遊びをしなかった」ことによる症状とみられるという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/産経新聞:2007年3月4日) 日本においては、もはや過去のことだと思っていた「くる病」が、しかも乳児にあったことにも驚いたが、その原因がその母親の「ひきこもり」だったことに大変驚いた。過去時代の人の病(やまい)「くる病」が、病んだ現在のひとつの現象「ひきこもり」が子育てとこどものあそびを舞台にして結びついていたのだ。 この記事の例は、乳幼児の「くる病」のひとつの原因が母親の「ひきこもり」にあったということだが、こども(乳幼児)たちが外出と外あそびの頻度が乏しければ、同様のことが起こりうることもありうる。 ところで、幼い子を持つ母親の「ひきこもり」は、その「ひきこもり」の改善だけでなく、そのこどもたちのケアとして「外出」や「外あそび」への手立てをとっていただきたいものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.04
コメント(0)
こどもの体力の低下の記事は珍しくないが、「体力の全てが低下しているわけではない」、そんなネットニュースを。【岡山県の5歳児の運動能力は過去30年余で投力は低下したものの、走力は向上傾向(中略)走力アップについて「体格の向上に応じたのでは」と分析。ボール投げは腕力に加え体のひねり、体重移動など複数の運動技能を要することから「調整力を高める屋外での運動遊びの経験が減ったのが投力低下の一因」とみている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山陽新聞:2007年3月1日) 近年、こどもたちの体格は著しい伸びを見せているので、普通ならばそれに見合って体力も順調に伸びるはずだが、そうではなかったことが最近でも多くの報告がなされている。そうした動きの中でのこの記事だが、投力低下と走力向上の両立は、見方を変えれば体力の不均衡変化とも考えられることを示している。それをこどもたちのあそびとの関連で推測すれば、偏ったあそびかたをしていることにもなる。 この記事には無いが、こどもの体力だけでなく、その他の身体能力、例えばしなやかな身体各部の動き、適切な反射運動、平衡感覚などなどが、あそびの変化とともに変化してきていることも、これまでに様々な報告がある。 それが、スイミング・少年野球・少年サッカー・武道などなど、いわゆるスポーツに継続的に関わるこどもたちの数は極めて多くなってきている状況下で起こっていることを注目する必要があるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.03
コメント(0)
「遊び」でネットニュース検索をしていて思わぬ記事に出くわすことも多いが、そんな記事のひとつ。【国際NGOである「コンサベーション・インターナショナル」は、自然生態系と人とのかかわりを重視して環境問題を解決することを目的に活動している団体なんだ。ここでは、地球規模で生物の多様性を調べて、評価しているんだ。その調査の結果、大急ぎで、そしてきちんと計画的に守っていかなければいけない地域として、世界中から34カ所を「生物多様性ホットスポット」ということで、発表したんだって。(中略)「ホットスポット」に指定された地域は赤く塗りつぶされているんだよ。この世界地図を見てみて、ビックリなのはなんと日本列島が全部、さらに奄美から沖縄といった八重山諸島、太平洋の小笠原諸島、日本海の隠岐島や佐渡島、対馬など、日本中が真っ赤なんだ!】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/エコロジーシンフォニー:2007年3月1日) とある首相が好む「美しい国」であるべき日本の実態が、生物の多様性から見れば「危険な国」にあたるらしい。そのことは、こどもたちのあそびの実態を見ても納得できるだろう。このブログでも何度か取り上げたが、こどもたちと自然とのあそびが貧弱になってきているし、都会部ではトンボやバッタすら捕ったことのないこどもたちも少なくない。 こどもたちのあそびに大切な空間は、その物理的な狭さだけでなく、生物学的にも貧弱な空間となってしまい、かろうじて残された地域でさえ、「生物多様性ホットスポット」と言う情けない地域に指定されてしまったことは、非常に残念なことだ。 しかし、まだこうした記事が出る内は取り返しが可能だろう。そこで、この記事の結びの一節を引用しておく。【黄金の生物多様性を誇る日本―世界中の人があこがれる美しい国にするためにも、みんなで力を合わせて一刻も早く行動に移さないと、なんだかとっても寂しい国になってしまいそうなんだ。】(【】内は上記記事より引用)これは、こどもたちよりおとなが肝に銘じなければならないことだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.02
コメント(0)
イミテーション系菓子の新顔が発売される、そんなネットニュース記事からの思いつきを書いていく。【明治製菓は、“祭りの屋台”をテーマにした菓子「お祭り横丁」シリーズ3製品を2007年3月6日から全国で順次発売する。(中略)ゼリーパウダーを溶かした水に金魚型のグミを浮かべてモナカですくって食べる「金魚すくいやさん」(価格158円)、チョコクリームをたいやき型ビスケットで挟む「たいやきやさん」(同126円)、ふわふわしたグミにチョコ味ソースとフルーツグミを乗せて巻く「クレープやさん」(同 126円)の3品。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/nikkeibp.jp:2007年2月28日) こうしたイミテーション系のお菓子は、昔からこどもたちに人気がある。いまでも販売されているが、タバコに似せて作られた駄菓子(ココアシガレット)はその元祖的存在だ。最近ではビールに似せたこども飲料も販売されている。この、タバコとビールの本物は、どもたちには禁止されているので、特に人気が高いのかもしれない。 ところで、記事にある「たいやき」だが、昔は小さな町にも1軒や2軒ぐらいは有ったし、無いところでも常設の露店が有ったが、最近ではわが町の近くには1軒もない。だから、本物の「たいやき(鯛焼き)」を食べる機会は極めて少なくなった。 おそらく、おとなの私でそうなのだから、こどもたちではもっと「鯛焼き」を食べる事も少ないだろう。ひょっとすれば、餡子(あんこ)がいっぱいに詰まった「鯛焼き」は、今のこどもたちの口に合わないかもしれない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.03.01
コメント(0)
全38件 (38件中 1-38件目)
1