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こどものあそびの変化は、「ウルトラマン」をめぐる事情さえ変化させつつある。【ここ数年バンダイナムコグループのウルトラマン関連ビジネスは低迷。同様にテレビ番組などの映像を制作する円谷プロダクションの経営も厳しい状態が続いていた。 だが、今年に入って両者共に復活の兆しが見え始めている。今回はウルトラマンビジネスの復活と円谷プロの再生に関する動きを追ってみる。(中略)カードゲームという子供向けゲーム関連商材をラインアップできたことで、復活の道筋が見えたウルトラマンビジネス。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日経ビジネス オンライン:2007年11月29日) 記事の全体は長文なので、気になった部分を以下に要約する。こども、中でも低年齢児のあそびが、「人形やプラモデルといった“玩具らしい玩具”」によるあそびから「テレビゲーム(携帯型含む)」へと変化する中で、既存の「ウルトラマン関連ビジネスは低迷」していたが、そのこどものあそびの変化に呼応した戦略をとることで「復活の兆しが見え始めている」らしいのだ。 こうした動きは企業としては当然のことかもしれないが、それはこうした「こどものあそびの変化」をさらに加速する事となる。「人形やプラモデル」が、あそびにおいて様々な能力をこどもたちに育んできたことを考えると、そうした変化の加速は残念な事と言えるだろう。 ウルトラマン人形や怪獣人形は、それ自体を所有する事の喜びもさることながら、それを使って「ウルトラマンごっこ」や「怪獣ごっこ」であそぶことにより、保育や教育の場で取り組まれる「劇活動」に匹敵する様々な能力をこどもたちに育んでくれる。 喋らない人形や怪獣に成り代わって、それらになりきって演じる「台詞」や、時にはおとなの想像をはるかに超えた架空の場面を創り出すような「舞台設定」を、台本も無い状態の中でこどもたちが創造していく。その有様は、そばで見ているだけでもおとなが感心するほどだ。 一方、ゲーム機であそぶことだけでは、こどもたちに育まれる創造性は極めて乏しいものになるだろう。カードゲーム機を介在せずに、こども同士でおこなうカードゲームでも、そのカードの設定範囲だけの狭い活動となり、機械相手に比べると少しはましではあるが、「ごっこあそび」の比ではないだろう。 こどものあそびの中に、大企業が深く関わり始めて久しい、携帯ゲーム機の誕生が生み出したとも言える、こどものあそびの大きな変化、そのあそびの変化にただ迎合するだけの戦略ではなく、こどもたちの健やかな成長を見通した、こどもたちに優しい戦略を、こどものあそびに関わる大企業が今こそとるべきではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.30
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また「脳トレ」の類(たぐい)の記事かと読み進んだが、違った点で興味をもったネットニュース記事を紹介する。【一枚の段ボールが、動物に生まれ変わる。段ボールから型紙をくりぬき、それをはめ合わせて、猫や犬、いのししなどを作り出す。3次元の造形ミニチュアキット「d‐torso(ディー・トルソー)」を開発したのは、大分県国東市安岐町にある「アキ工作社」の松岡勇樹さん(44)。(中略)高齢者にも評判が良い。細かい組み立てが手先を使うので脳に良いと、大量に買い求める高齢者もいる。熊本県水俣市の一ノ瀬正敏さん(84)は、最初に豚を組み立てて面白さにはまった。全種類を取り寄せて、友だちにも配った。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年11月28日) 記事にある「造形ミニチュアキット」だけでなく、昔かあった組み立て模型なども指先を使うので、同様に「脳に良い」。その組み立て模型だが、その材質は時代とともに変遷してきている。私がこどもの頃(1950年代)は、木製の戦艦や竹ひご・木・紙などを使った飛行機などが代表的なものだった。また、少年少女向け月刊誌の付録の紙工作による模型作りもよくやったものだ。 その後、模型作りはプラスティックが主流となりプラモデルが全盛時代を迎える。昨今はエコブームもあり再び紙や木の素材の模型作りが増えてきている。その流れが記事にある「d-torso」となるだろう。さらに、それと前後して模型作りの流れの中に、接着剤を使わず組み立てられるプラステッィク模型やフィギュアが出現する。記事の「d-torso」も、その流れをも汲んでいる。 さて、この「d-torso」などのような精密なカットが可能になるのは、レーザー光による加工技術が格段に進歩したからだろう。精密にカット(断裁)できるから、部品と部品の接合がきっちりとして、その結果ダンボールと言う素材を使って頑丈な模型が作ることが出来るようになった。 その加工技術の進歩が、手先を使うことで脳に良い影響をもたらすのであれば、それはそれで人間にとって喜ばしい進歩となるだろう。ただ、「d-torso」はこどもたちがあそぶためには、価格がかなり高いようだ。廉価版が発売されることを期待したい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.29
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壊れたおもちゃを修理してくれる、いわゆる「おもちゃの病院」はよくある話だが、そんな「おもちゃ病院」のユニークな取り組みがあった。【(前略)嶋田弘史さん(69)は、「おもちゃ病院は壊れたおもちゃをボランティアで修理する場所ですが、ものを大切にする親の姿勢を子供に伝える場所でもあるのです」と説明します。(中略)こうしたやりとりを、子供たちはじっと見つめています。「不安そうだった子供の目が、最後にぱっと輝きます。きっとその子供は、それまで以上におもちゃを大切にするようになるでしょう」と嶋田さん。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2007年11月27日) 記事にあるように、壊れたおもちゃを直す過程をこどもたちに見てもらう事は大変大切なことだと思う。その事により、おもちゃがどのように作られているのかその構造や仕組みと、おもちゃが作り上げられる工程・工夫など、を想像しやすくなり、その中には新しい発見もあるだろう。 また、一所懸命におもちゃを直す姿を間近に見る事は、使い捨ての品々があふれる時代にあって、ある意味ではこどもたちに新鮮な感動を与える。そのような、おもちゃにたいする発見・感動は、結果としておもちゃを大切にする心をこどもたちに育んでくれるだろう。 私が学童保育所の指導員だった頃、こどもたちの使うけん玉は使用頻度が高く、特に中皿の一部分が欠ける場合が多いが、欠けた部分があれば接着すれば直る。しかし、時には欠けた部分を紛失する事もある。そうした時は、良く似た材質の木切れを接着し、元の中皿の形に彫刻刀等で成型したりもする。 普段は、けん玉を何本かまとめて保育前の時間に修理するのだが、時折保育時間中にこどもたちの見ている前で、わざとそうした成型修理をした。皆がそうではないが、中にはその一部始終をずっと熱心に見てくれるこどももいて、「すごいな!そんなん出来んの?」と感心もしてくれた。 また、壁掛け時計が壊れた時も、こどもたちの前で分解修理をしてあげると、「へえー!時計の中、そうなってんの?」と関心を示し、そんな子が自分のおもちゃが壊れた時に、直るかどうかは別にして、分解に挑戦するようにもなった。私のこどもの頃は、結構自分で壊れたおもちゃを分解するこどもたちが多かったが、それが復活したようで嬉しくなる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.28
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(その1からの続き) 将棋を使ったあそびは、種類の多さもさることながら、それぞれのあそび方やその呼び名について地域色が豊かなのだ。だから、それだけのあそびの豊富さを形作るだけ、将棋が一般庶民の家庭への普及する多さと、普及してからの年月の長さが必要なのだ。 この将棋の庶民性は、今でも100円ショップで買えることにも端的に示されている。それは、私のこどもの頃に比べても、数倍も安価になっている。しかし、その安価さとは裏腹に、残念ながら、その将棋を使った「こどものあそび」は、すでに過去のあそびとなっている。核家族になったこと、各家庭から将棋盤が消えたこと、人と人とのつながりがこどももおとなも希薄になったことなどなど、社会の変化が複雑に絡み合って、将棋あそびを「なつかしのあそび」に追いやったのだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.27
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囲碁と将棋は、日本ではどちらも上層階級の「遊び」として始まり、それが庶民の「遊び」になるのは、その始まりからずっと後になってからだ。そして、こどもたちのあそびの中に取り入れられるのは、さらに後のこととなる。この様に、囲碁も将棋も時期はずれて入るだろうが、ほぼ同じ経過をたどっているが、その両者にはどこか違った感じを受けることも事実だろう。 例えば、囲碁より将棋はより庶民的な印象を受ける。昔に比べ、今では将棋盤も碁盤も無い家庭が多いが、少なくとも私がこどもの頃の1950年代は、将棋盤の方が碁盤より多く家庭に普及していた。もっと端的に言えば、碁盤がある過程は珍しかった。 それは、おそらく囲碁より将棋のほうが簡単に思えるようなルールの違いもさることながら、豪華な物ではなく普及版でみれば、その道具一式をそろえるのに囲碁の方がずっと費用がかかったからかもしれない。将棋の駒は安価な木材でなおかつ彫りなどの手間をかけずにただ墨書きしたもので十分だが、囲碁はプラスティックやガラス製の碁石が作られるまでは、碁石は天然のもので比較的安価なものでも、将棋の駒にくらべれば格段に高価だった。そうしたことは、将棋の方が一般家庭に普及する上での好条件となり、囲碁よりも先んじて庶民一般に普及したのだろう。 そして、この将棋が各家庭に多く普及していたという条件は、こどものあそびの中で大きく発展していく条件ともなったと考えられる。それは、将棋の駒や盤を使ったあそびの種類の多さは、囲碁のそれの比ではない。代表的な「将棋あそび」を挙げてみると、「はさみ将棋」「回り将棋(歩回り)」「山崩し」「積み将棋」「飛び将棋」などがある。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.26
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(その1からの続き) ニュース記事再録【また今の生活で楽しいと思うことについては、「友達としゃべる」「友達と遊ぶ」「寝る」がトップ3。以下、「テレビを見る」「マンガを読む」「ケータイでメールする」「ショッピング」「通話・メール以外のケータイ利用」「ゲームをする」「食べること」となっている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/RBB Today:2007年11月21日) 受験戦争の激しかった時代の高校生の多くは、将来のもっと大きな「楽しみ」のための労苦として辛い日々にも耐えていたのだろう。そのことの是非はともかく、目的をもった日々においては、「眠り」は癒しではあっても「楽しみ」ではなかったのかも知れない。 それに反して、今の時代の高校生たちは、日々の生活に将来への目標や目的を見出せず、ただ消極的に日々を過ごすだけなのかもしれない。だから、「寝る」という自動的な活動に「楽しみ」を感じるのだろう。このことが、私が上記の記事から思いついた、たんなる憶測であって欲しいとは思っているが・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.25
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「高校生とケータイとの関わり方」の調査結果を伝える記事に面白い一節があった。【また今の生活で楽しいと思うことについては、「友達としゃべる」「友達と遊ぶ」「寝る」がトップ3。以下、「テレビを見る」「マンガを読む」「ケータイでメールする」「ショッピング」「通話・メール以外のケータイ利用」「ゲームをする」「食べること」となっている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/RBB Today:2007年11月21日) テレビを見たりマンガを読んだりすることよりも「寝る」ことが楽しみだとは、受験戦争の初期に高校時代を過ごした私には到底想像できない事だ。確かに、その時代は、3当5落と言った言葉もあるぐらいだから、中には連日深夜遅くまで勉強していた高校生もいた。それでも、睡眠を欲してはいたが「楽しみ」ではなかったように思う。 「楽しみ」は眠っている時よりも、起きている時に享受からこそ喜びとなるはずだ。しかし、今の高校生は「寝る」事に「楽しみ」を感じる。今の高校生は、受験による睡眠不足が続く日々よりも、もっと辛い日々を過ごしているのだろうか。それとも、日々の生活のほとんどがつまらない味気ないものになっているのだろうか。そのことについて、記事にある「楽しいと思うこと」の中で「寝る」だけが唯一「目的語」や対象を持たない言葉になっていることから、私が思いついたことを書いてみる。 「寝る」と同義語の「睡眠をとる」を比べてみるとわかるのだが、「睡眠をとる」の文には目的語として「睡眠」がある。即ち、何らかの意思をもって行動しているニュアンスが「睡眠をとる」にはこめられているように思う。反対に、「寝る」にはそうした積極的な意思というより、何とはなしに「寝たい」という感じの、どちらかと言えば、消極的で後ろ向きなニュアンスさえ感じる。 一般的に高校生の時期は、社会へ巣立つ大事な準備期間にあたる。だから、将来への様々な思いをめぐらせ、自分のこれから進む進路を意識の中に形成する時期でもある。たとえそれが漠然としたものであっても、形成された進路は日々の生活の目標や目的となる。 だから、「あれをしよう」「これをやろう」など、能動的な活動にあふれた生活となるのが、高校生の普通の姿だと思われる。しかし、そうした中で「寝る」という消極的な行動が、今の高校生の「楽しみ」の上位に来ている。このことは、そうした将来や未来に対する確固とした目的意識が弱いことの反映なのかもしれない。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.24
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今の時代、小中学校において「教えるべき課題」の多さをネットニュースから見てみる。【人間関係を円滑にするための技術「ソーシャルスキル」を、小中学校の授業で教える動きが広がっている。 幼少期の集団遊びなどを通じて学んでいるはずのコミュニケーション技術が身についていない子供が増え、学校で教える必要が出てきたためという。 11月、神奈川県綾瀬市の市立綾西小学校2年生のクラスで、友達との話し方を練習する「質問ゲーム」が行われた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2007年11月22日) こどもたちは幼少期を主要な時期として、おとなになる全過程を通して、「人間関係を円滑にするための技術(ソーシャルスキル)」の基礎を学んでいく。そして、その主要な時期である幼少期に、最も自主的に「ソーシャルスキル」学ぶ機会が、記事に言う「集団遊び」を含む「他者とのあそび」なのだ。 ところが、その肝心の「他者とのあそび」の機会が極端に少なくなっている現状がある。こどもたちの「一人あそび」や「少人数あそび」の増加傾向がその条件をつくった事は、すでに数多くの指摘がある。そして、それが「あそび時間」の減少と携帯ゲーム機やテレビゲームなどのコンピューターゲームを使った「あそび時間」の増大により加速された。(昨日付けのブログ記事参照) だから、この記事のように「他者とのあそび」をわざわざ学校で「質問ゲーム」などの形の「あそび」を教えなければならないのだろう。こうした取り組みは、学校外でこどもたちの家庭を含む地域社会で行われるべきなのだが、残念ながらそうした取り組みは地域や社会の一致した認識になっていない。 もっと端的に言えば、こどもたちの親たちの多くが、「ソーシャルスキル」より「学力」を重視する偏った教育観があることが、結果として「学力」をつける場である学校に、「あそび」を教えさせることを不可避にさせているのだろう。もちろん、そうした偏った教育観をもった親ばかりではないが、世の趨勢はそう思わざるをえない状況にある。 考えれば、学級崩壊や不登校などの学校教育の現状は、こどもたちの「ソーシャルスキル」の貧弱さを一つの原因と考えることも出来るだろう。昔の時代がそうであったように、放課後や休日には思い切り仲間とあそんでいたからこそ、いろんな意味で学校でしっかり勉強することが出来るのだ。そして、それが幼少期から少年期にかけてのこどもたちの本来的な姿なのだ。 もう一度、教科教育の全てを学校に委ね、あそびの全てを地域にそしてこどもたちに委ねることを提案する。そうすれば、こどもたちは、学力も「ソーシャルスキル」も兼ね備え、賢く逞しいおとなへと大きく羽ばたくことだろう。「こどもたちにあそびを!そして、あそびをこどもたちで!」 以上、「ソーシャルスキル」についての、全くの個人的な私見とする。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.23
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【コンピューターゲームをする子は5割を超え、2人に1人は習い事をしている-。5歳半の子供のこんな生活実態が21日、厚生労働省の「21世紀出生児縦断調査」で分かった。子供の成長とともに、習い事などの経済的負担を重く感じる親の姿も明らかになった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2007年11月21日) ある程度の予想はあったとは言え、就学前のこどもたちのこの実態には驚かざるを得ない。さらに、同上記事には、【友達関係で気になることは「近所に友達がいない」が最も多く34・4%を占めた。このうち半数が「ひとりでよく遊ぶ」と回答した。】(【】内は同上記事からの引用)とある。このことは、よりあそび時間が少なくなる就学後の問題が深刻になるだろう。 一般的に、こどもたちはその年齢増加とともに「あそび」のために使える時間が減っていく傾向にある。少なくとも昔はそうであった。その成長の初期段階ですでに「あそび時間」が削られると、それ以降の「あそび時間」は昔に比べ極端に少なくなるだろう。 また一方で、中高生になってから就学放棄やドロップアウトなどによる、親の希望や願いに反した「あそび時間」増加という事態が急速に進行している。それは、前記の幼少期(小学校時代を含む)の「あそび時間」の減少と無関係ではないだろう。 昔に比べ少なくなった幼少期の「あそび時間」、その貴重な時間とも言える「あそび時間」をコンピューター相手の「あそび」に費やすのは大きな損失となるだろう。今やコンピューターゲームは、親よりも友達よりも「上手に?」あそんでくれる時代だ。おとなでも、その魔力から逃れるのが難しい。こどもたちはさらに難しい。 小刀などの刃物をこどもたちから遠ざけるおとなでも、すすんでコンピューターゲームをこどもたちに与えることも少なくない。刃物もコンピューターも使い方しだいなのだ。こどもたちに与える時期や時間も含めて、その与え方・付き合い方には、賢明な配慮が必要だろう。それは、コンピューター時代に生きるための、そして健やかな子育てのための術(すべ)でもある。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.22
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どこか懐かしさのこみ上げてきそうなネーミングのゲームソフトが発売されるそうだ。【「放課後少年」は、学校が終わってから日が暮れるまでの時間を、自由に行動して少年時代を体験できる。誰もが経験した子供の頃、懐かしい、あの時代をニンテンドーDSでもう一度! 会社帰りや、生活の合間に、ちょっとだけ少年に戻ることができるソフトだ。遊び方は、限られた1ヶ月間で、友情を深めるも良し! アイテムを集めるも良し! 最後まで自由に気ままに放課後ライフを送ることができる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/GameSpot Japan:2007年11月13日) このゲームソフトの時代設定は昭和50年代初頭となっているようだが、私のこどもの頃とはほぼ一世代の違いとなる。それでも、同上記事の引用部以外にある登場する「なつかしい遊び」の【「スーパーカー消しゴム(相撲&レース)」「メンコ」「石切り」「手すりすべり」「落書き」】には、懐かしさがふつふつと蘇る。 そのあそびは、団塊の世代である私自身のこどもの頃のあそびとは当然違っているが、私が学童保育の指導員を始めた頃と重なっているので、保育していたこどもたちを通して懐かしさを感じるあそびだ。それは、都市部にも駄菓子屋さんが多く残っていた時代、そして簡易型自動販売機「ガチャガチャ(ガチャポン)」が出始めた頃のあそびだ。 そして、その時代は、まだテレビゲームやゲーム機がブレークする前のことで、そのゲーム機以前のあそびが、ゲーム機ソフトの中だけの「あそび」として今の時代に蘇る。できれば、ゲームの中の世界でなく実際の世界に蘇ってほしい。本当は、さらに時代を溯って私のこどもの頃の「もっとなつかしいあそび」が復活してほしいのだが。 このソフトであそぶ世代は50年代にこどもだったおとな、あるいはその世代を親にもつこどもたちかもしれないが、「なつかしい遊び」できれば「もっとなつかしいあそび」が復活する、せめてものきっかけとなるソフトであってほしいと思っている。そうでなければ、このソフトの今日的意義は極めて小さなものになるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.21
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体験型テーマパークの人気のせいか、「社会体験応援サイト」なるものもあらわれた。【クイズやゲームなどのコンテンツで遊びながら「お仕事」や「社会の仕組み」について学べる、社会体験応援サイトです。(中略)お仕事に即した内容をFlash ゲーム化。遊びながら身近な職業がバーチャル体験できます。お寿司屋さんやお花屋さん、大工さんなど、子どもに人気の職業が揃っています。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/News2UNet:2007年11月19日) 「Flashゲーム」での「バーチャル体験」を体験と呼んでいいのか疑問も多いし、例として挙げられた職業の「お寿司屋さんやお花屋さん、大工さん」はどれも、今でも実際にその働いている姿を見ることが出来る職業だ。だからこそ、こどもたちに人気があるのだろう。おそらく「3K」と呼ばれる職業は、こどもたちの目に触れないことも多い。そうした職業こそ、こどもたちに理解してほしいと思う。 ただ、「バーチャル体験」という形式をとらなくても、映像コンテンツで実際に働いている姿を紹介することは大切だろう。特に、傘を作ったり直したりしていた「傘屋さん」をはじめ「桶屋さん」「提灯屋さん」などの職人さんたちの働く姿を紹介してほしい。物を作ったり直したりする実際の姿を見ることが少なくなったからだ。 そうした職業をはじめとして、記事の例の「お寿司屋さんやお花屋さん、大工さん」も、物を作り出したり、新たな価値を創り出したりすることに、その職業の意義がある。そして、このことはバーチャルでは体験できないことが多いのだ。だから、体験のバーチャル化が難しい職業を無理にゲーム化して「バーチャル体験」と銘打つ必要も無い。実際の働く姿の映像コンテンツで十分だろう。 そして、こどもたちは、これらの職業も「ごっこあそび」という空想の世界の中の方が、「Flashゲーム」で学ぶことより多くのことを学ぶだろう。こどもたちは、「ごっこあそび」において、積み木ブロックの一片や野の花の一輪でさえ、逞しく想像力を働かせて、にぎり寿司にもブーケにも見立てることが出来るのだ。 「ごっこあそび」における体験は、そのあそびが真似ている職業の「体験」ではないが、想像が創造を生み出す貴重な体験になっているのだ。そして、その職業についても、こどもなりの考えや想い、時には夢さえ抱いているだろう。安易な「ゲーム化」は下手をすれば、そうした「ごっこあそび」の機会さえ奪いかねない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.20
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町から駄菓子屋さんがどんどん消える中で、健闘している店もある。【夜店などでおなじみのレトロな遊び「カタヌキ(型抜き)」を目当てに、仙台市宮城野区銀杏町の駄菓子屋「よしぎん」に連日、大勢の子どもたちが詰めかけている。人気の秘密は、駄菓子の模様をくりぬくというだけでなく、断面をきれいに削って完成度を競い合う独特のルール。手先の器用さが要求される遊びには、テレビゲーム世代の子どもたちも引きつける魅力があるようだ。 カタヌキは、動物や花などの模様(型)が切り込まれた板状の駄菓子から、針で模様をくりぬく遊び。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/河北新報:2007年11月16日) 記事の「カタヌキ」は、今でも市販されておりネットでも買えるが、私がこどもの頃(1950年代)の「カタヌキ」と言えば「カタヌキ飴」だった。ベッコウ飴を薄い板状にして、模様の線のところが溝になっており、裏から舌でなめるとその溝の部分が薄いので早く溶けるので、型に抜けるのだ。 また、ヨーグルトもどきの菓子を厚さおよそ5mmで3cm角程度の板状にした物を竹べらで丸く穴を開け、その穴に硬貨を通り抜けさせる「カタヌキ」もあった。当時一番大きな硬貨であった旧50円硬貨が通り抜ける穴を開ければ賞品がもらえた。ただ、その「カタヌキ」の大きさは50円硬貨ギリギリの大きさだったので、めったに成功しなかった。 ところで、こうした「カタヌキ飴」や「カタヌキ」は、当時は駄菓子屋さんよりも、定期的にやってきた紙芝居屋さんで多く売られていた。そして、必ず上手に型が抜けたときは賞品がでたものだ。紙芝居屋さんでは、他にも練り飴の白さを競い合ったり、中にお菓子の入った貝殻を割り合う勝負なども賞品付の菓子だった。 要するに、昔も今もこどもたちは、どこかにあそびの要素が加わったお菓子が大好きなのだ。記事の、駄菓子屋さんの「カタヌキ」も難しさに応じた賞品付なので人気があるのだろう。駄菓子にはそういった要素が加わった物が少なくない。また、賞品付と似たような物に、「当て物」「くじ引き」の駄菓子もあり、これもこどもたちには人気が高い。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.19
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都市部では、こどもたちが安全に水あそびの出来る所がほとんど無い。そんな現状を改善するためのヒントを与えてくれそうなネットニュース記事を紹介する。【国道36号沿いの道の駅「花ロードえにわ」(南島松)と隣接した漁川沿いの堤防外の河川敷に多目的広場を設置する市の「道と川の駅整備事業」の工事がほぼ終了した。(中略)広場内には、漁川へ流れる全長約百メートル、幅約一・五メートル、深さ約十センチの小川もつくり、子どもが川に入って遊び、水と親しめる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/北海道新聞:2007年11月16日) 私の町にも、人工の小川が作られている。河床は舗装されているので、本物の川と状況が違っているが、それでも、要所要所に水生植物の鉢植えが設置されていたり、最下流部の少し広めのところにはさらに多くの植物がある。そうしたところには、夏の時期にこどもたちの水と戯れる姿を何度も見かける。 ただ、できれば河床は粘土・土・砂・小石などが望ましく、植物もそうしたところに直に植えてほしいものだ。さらに、河岸も自然に近い状態であればいいだろう。ちょうど、人工の川のビオトープといった状態になれば、一番いいだろう。 最新の豪華な遊具のある公園も、それはそれでいいのだが、町中の公園の幾つかには、前記のような小川のある公園も必要だろう。そして、それは別の意味で豪華な公園となるだろう。そこで、こども達がミズスマシやトンボやメダカを追いかけたり、岸に生えているジュズダマを採ってあそぶことが出来れば最高だ。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.18
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近くの公園のブランコが支柱だけになって、2ヶ月以上もたち、スプリング遊具にゴミ袋が被せられてから1ヶ月近く、ついにそのスプリング遊具も撤去されてしまった。違った色の土で、そこがかつてスプリング遊具があったことがわかる。もちろん、そこにスプリング遊具があったことを知っている人だけが、その事を理解できる。 ちなみに、一昨日までゴミ袋を被っていたスプリング遊具、そのゴミ袋には使用禁止の張り紙があったのだが、度々ゴミ袋と一緒にはずされていた。その都度、新しいゴミ袋と新しい張り紙が張られる。これが、大阪市のやる遊具使用禁止措置の一典型だ。 このスプリング遊具は、事故があった同型遊具に比べてはるかに新しく設置された物だ。市が直接管理していない公園には、上図の遊具より確実に古い遊具が、こどもたちを楽しませている。もし、点検の結果撤去しなければならないのだったら、それまでゴミ袋を被せただけの使用禁止措置では、いい加減すぎる。 この間、所用で幾つかの区の公園(大阪市が管理する)の様子を見たが、全く似たような有様だった。全てのブランコが支柱だけで、全てのスプリング遊具が使用禁止になっていた。ただ、スプリング遊具の周りに囲いを設置しているところもあった。これは、我が地元の公園より、少しは丁寧な使用禁止措置だとは言える。 ともかく、一刻も早くこどもたちにブランコとスプリング遊具のある公園を返していただきたい。これだけ長く点検・整備をしたのだから、以前よりは数段と安全になった遊具となっているはずだ。かけた費用も、馬鹿にならない。結果として、点検業者だけが儲かっただけでは、許されないだろう。さて、公園に遊具が戻るのが早いか、新しい年がくるのが早いか・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.17
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面白い「あそび」の記事があった。【空き缶を足で踏みつぶす。ただそれだけのゲームが意外な人気を呼んでいる。滋賀県在住の会社役員が発案し、主にイベントを盛り上げるのに取り入れられている。勢いよくアルミがつぶれる音でストレスを発散でき、つぶした缶は再利用して環境保全にも役立つ「一石二鳥」の魅力が受けているようだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/京都新聞:2007年11月13日) この、アルミ缶にはひとつの思い出がある。保護者が設置運営する学童保育所で指導員をやっていた頃、運営経費を捻出するためにアルミ缶集めをやっていた。集まったアルミ缶を保護者が施設の近くの路地で「空き缶つぶし」をしていると、学童保育所のこどもたちが大勢やってきて、たちまち「空き缶つぶし合戦」のようになったことが懐かしく思い出される。 だから、この記事の「缶つぶし」の楽しさはよく理解できる。ただ、これが何回も続くとそうでもなくなるのが、おとなの常だが、こどもたちは意外とそうでもない。例えば、足で踏んづけたアルミ缶が、足の土踏まずに挟まると、下駄のように両足にわざわざ空き缶を着けて歩き出す。一人が始めると、何人ものこどもたちが同じ事をする。 空き缶を使ったあそびは昔にもあった。今は缶と言えばアルミ缶が思いつくが、数十年前にはブリキの缶ばかりだった。それも缶詰の缶がほとんどで、こどもたちはそれを「缶けり」に使った。今のアルミ缶では軟らかすぎて、一回蹴っただけでも潰れてしまう。その点、ブリキ缶はある程度長持ちする。 また、このブリキ缶に紐を通して、「缶ポックリ」にしてあそぶこともあった。これも、ブリキ缶に、こどもが乗っても潰れない程度の丈夫さがあったからだ。もちろん、今の飲料用アルミ缶では不可能なあそびだ。しかし、状況が変われば、前記のように違った使い方の「履き物あそび」をこどもたちは考え出す。このあそびは、昔も今も変わらないこどもの創造性を象徴する、差し詰め「アルミ下駄」とも言えるあそびかもしれない。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.16
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公園の遊具事故が続いている中で、各地で「遊具点検マニュアル」の作成が行われている。【今年四月から九月にかけて児童がけがを負う遊具事故が多発したことを受け、再発防止策を検討していた横浜市は十三日、「遊具点検マニュアル(案)」を作成した、と発表した。これまで不明確だった不具合発生後の報告・連絡体制や、使用禁止措置の流れを明文化したほか、図や写真で分かりやすく表示しているという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/神奈川新聞:2007年11月14日) 「遊具点検マニュアル」の作成は遅きに失した感があるものの、この間の遊具事故の多さから考えれば当然で大切なことだ。しかし、このブログでも強調してきたが、横浜市の事故例は単に「マニュアル」が無かった事に原因があるわけではない。(このブログの過去記事参照)その一端は引用の短い記事の「これまで不明確だった不具合発生後の報告・連絡体制や、使用禁止措置の流れ」という部分に典型的にあらわれている。 「不具合発生後の報告・連絡体制や、使用禁止措置の流れ」が不明確では、事故が防げるはずがなかったのは当然のことだ。そして、重大なのは、「遊具に不具合があれば、すぐに報告して直ちに使用禁止措置をとる事」は、マニュアルが無くてもやらなければならないことで、簡単に出来ることなのだ。 この簡単な事が出来ないことに、横浜市の最大の問題点がある。その改善が無ければ今回の「遊具点検マニュアル」もただの机上の空論に終わってしまうだろう。横浜市でもその事が検討済みかもしれないが、この記事には前記の最大の問題点にたいする改善策については触れられていない。 なお、同上記事には、すでに2002年に「市公園施設点検マニュアル」が作成されていたとあるが、そのマニュアルに改善すべき問題点があったとしても、「マニュアル」だけでは、遊具事故は防げないことの一つの傍証となっているのは皮肉なことだ。 一般に、今後起こる全ての事態に対処できる「マニュアル」の作成は理論的に不可能だ。だから、このブログでも度々繰り返しているが、「こどもたちの顔が浮かぶ遊具点検」が必要あり、そういう点検・整備ができる担当者と体制づくりが大切なのだ。遊具関連部署において、こどもを愛する心と遊具に関する必要最低限の知識をもった人材を育成することが、遊具事故を防ぐ最大の保障のひとつとなるだろう。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.15
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【かつて何度かブームとなった「口笛」が、今、再び脚光を浴びている。米国で4月に開催された世界大会で日本人が3部門制覇したのをきっかけに、ブームが再来。口笛教室に通う受講者が激増しているほか、今月には口笛CDも発売された。来年、日本で世界大会が開かれることも決まり、ブームはさらに加速しそうだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/サンケイスポーツ:2007年11月12日) 初めて口笛が出来たのはいつの頃だったか忘れてしまったが、鮮明な記憶が無いから小学校入学以前の事だとは思う。当然、誰から教わったのかは定かでない。おそらく、特定の個人からではなく、何人かの身近な人からだろう。あるいは、教わるより見よう見まねで覚えたのかもしれない。 口笛と同じように、こどもの頃に覚えた笛、それも身体以外に何も使わない笛にもいろいろあった。なかでも、指笛には幾つかののやり方があるが、中学生ごろまでには、腕前はともかくその基本形のほとんどはマスターしていた。その他にも、両手の掌をお椀のように合わせて吹くと、フクロウの鳴き声のような音がする笛、その笛も二通りの作り方も知っていた。 さらに、草笛、草笛に似た紙笛、ビンの口を吹く笛、さらにハマグリの貝笛など、さまざまな笛を知っていた。こうしたことは、私だけに限ったことではなく、多くののこどもたちはあそびの中で覚え知っていたのだ。そのほとんどの場合が、こどもたちからこどもたちへ伝えられていた笛だった。まさに、伝承されていた笛だった。 今、こうした伝承笛とも言える笛の多くがこどもたちの間では途絶えてしまっている。それだけ、こどもたち同士の、あるいは人と人とのつながりが希薄になっているのだろう。だから、逆説的に「口笛教室」が流行る理由がわかる様な気がする。要するに、伝承が途絶えたときには特別の手立てが必要なのだ。 そのことは、口笛に限らず、これまで伝承されてきて現在途絶えかけている多くのあそびにも言える。そして、その伝承を特別の手だてで進めようとする試みも全国各地で始まっている。楽観はできないかも知れないが、こうした新しい形態の「あそびの伝承」に期待したい。私も、その役割のほんの一端でも担えたらと思っている。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.14
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これまで述べてきた「あそび道具」について、私見によるその分類をまとめておく。まず、おもちゃ(玩具:がんぐ)から遊戯設備にいたるまでの全体を「あそび道具」と定義する。おもちゃ・玩具(がんぐ) 基本的に手に持ったり、手足だけで操作してあそぶことのできる「あそび道具」とする。但し、原則としてその物に人が乗ったりぶら下がったりしないであそべる物。 例.人形、けん玉、ビー玉、トランプ、ボール、ラジコン模型など遊具 主として、その物に乗ったり(登ったり)ぶら下がったりする「あそび道具」で比較的に単純な物もしくはその組み合わせた物で、基本的に動力装置などや付属の大型設備(専用軌道・レース場など)などを必要とせず、基本的にその物だけであそべる物。 例.三輪車、スケートボード、ブランコ、滑り台など遊戯機器 設備と表現するほど大きくはない「あそび道具」だが、専用の機械装置やテレビやコントローラーなどの入出力装置を必要とする物。 例.ゲーム機、テレビゲーム、ゲームセンターのゲーム装置など遊戯設備 あそぶためには、動力装置やそのための専用の場所や設備が必要で、結果としてかなり大型となり、遊園地やテーマパークなどに設置されることが多い物。 例.ジェットコースター、観覧車、ウォータースライダーなど 以上が「あそび道具」の基本分類だが、それらからの派生語も考えられる。例えば、移動式遊具・固定式遊具・携帯遊戯機器などがある。また、遊戯機器にはパチンコ・スロットマシーンなどの遊技機が含まれる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.13
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一昨日のブログでも、「玩具」及び「おもちゃ」と「遊具」の違いにもついて簡単に触れたが、この二つの言葉も基本的には重なる部分がある。特に、「遊具」と呼ばれる物は、おもちゃ屋さんで買えるけん玉から遊園地にあるジェットコースターまでその領域が広い。だから、「遊具」とだけ書かれていたら、どんな物か簡単に想像することは難しい。 そこで、手で持つことのできる、いわゆる「もってあそぶ=もてあそぶ」ことが出来る「あそび道具」を「玩具・おもちゃ」とし、滑り台などのように固定されていたり、三輪車などのように比較的に大きな「あそび道具」を「遊具」と整理して、これらの言葉を使用することを提案したい。現状でも、ほぼそれに近い使用のされ方をしているので、その再確認と言えるかも知れない。 それでも、前記のように「遊具」は滑り台とジェットコースターの区別はない。できればそれを区別できる言葉があればいい。そこで、遊園地やテーマパークなどを遊戯施設と呼称されることも多いので、比較的小型の「遊具」と区別して、すでに一部で使用されている「遊戯設備」とするのも一案だ。 「あそび道具」の中には、他にもパチンコやスロットマシンのように「遊技機」と呼ばれる物や、その同義語として「遊戯機」という表現もあるが、これらを含めて主としておとな対象の物を「遊技機器」と呼ぶのも私案として掲げておく。なお、パチンコやスロットマシンなどを示す言葉としては「遊技機」を採用したい。(その3に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.12
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昨日のブログでは「あそび道具」について書いたが、この「あそび道具」にあたる日本語には、その他に幾つかの言葉がある。おもちゃ・玩具・遊具がそれだ。このうち「おもちゃ」と「玩具」はほぼ同義で、「遊具」とはニュアンスの違いがある。また、「あそび道具」は、「おもちゃ・玩具・遊具」を全て含む言葉としてとらえられる。 「おもちゃ」と「玩具」はほぼ同義と書いたが、「玩具」の読みは「がんぐ」と「おもちゃ」の二通りあるが、「おもちゃ」と読んだ場合、当然その意味は前記の「おもちゃ」と全く同じになる。ただ、「がんぐ」と読んだ場合、ほんの少しだがニュアンスの違いが感じられる。 そもそも、日本語としては「おもちゃ」が先行すると思われるが、「おもちゃ」は「もちあそぶ」からきていると考えられている。そして、「玩具」の「玩」の字は「もてあそ(ぶ)」や「もちあそ(ぶ)」であることを考えると、「おもちゃ」と「玩具」は同義で当然で、「玩具」を当て字的に「おもちゃ」と読んでいるのだろう。 反対に、「おもちゃ」に相当する漢字となると、これまた当て字的に「玩具」となるが。その「玩具」に読み仮名をふる場合、「百舌鳥」を「もず」と読むように、当て字では漢字一文字ずつに読み仮名を振り分けられないのだ。 ところで、私が「玩具(がんぐ)」と「おもちゃ」との間に、若干のニュアンスの違いを感じるのは、声に出した時に感じる響きの違いからきている。それは、「音読み」と「訓読み」の違い、「外来語(漢語)」と「日本語(和語)」の違いに感じる感覚でもある。 この様に「玩具(がんぐ)」と「おもちゃ」の違いは、全くの感性的な受けとめ方の違いであって、本質は同じなのだが、こどもたちにお似合いなのは「おもちゃ」だろう。そして、こどもとおとなに共通な言葉として「玩具」をあてたい。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.11
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まずはネットニュース検索で目に留まった見出しを紹介する。【「子どもの成長を支える「あそび道具」、知っていますか?」~ご意見受付中!(後略)】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/CNET Japan:2007年11月8日) この見出しを私なりの意見を加味して表現すると、「こどもの成長を支えるのは『あそび』であって、『あそび道具』はその一つの手段にすぎない。」と言うことになる。だから、あそびには当然ながら、あそび専用の「道具」が必ずしも必要ではない。石ころのような物をあそびの「道具」に転用する必要も無く、なんら「道具」を必用としないものも多い。 ただ、こどもたちのあそびをより豊かにより楽しくするために、長年にわたり洗練されてきた「道具」も少なくないことも、また事実だ。そんな中には、知育玩具・教育玩具・保育玩具などの呼称で、おとなが様々な意図をもって、こどもたちに提供する「道具」もある。 さらに、一般的に玩具より大きいか、地面や床などに固定されている「道具(器具・装置・設備)」として「遊具」がある。これらにも知育遊具・教育遊具・体育(スポーツ)遊具・保育遊具などがあり、それらもまたおとなが意図をもってこどもたちに提供する道具類だ。 これらの、おとながこどもたちに与える(提供する)「あそび道具」に託されたおとなの意図は、「知育・教育・保育・体育」などが冠されているように、こどもたちが知識(学力)や運動能力(体力)などを身に付けてほしいという、思いや願いなのだ。 しかし、このおとなの意図が、往々にしてこどもたちの意図とずれる場合も少なくない。このことを、こうした玩具・遊具をこどもたちに提供する時に留意する必要があるだろう。あそびは楽しくてあそびであり、こどもたちがあそびたいからあそぶのであって、そこにこどもの意図に反するような強制は避けるべきだろう。 また、知育・教育・体育などを目的として作られていない玩具・遊具でも、知の育ち・体の育ち・心の育ちを促す物も、数限りなくあることを忘れてはいけないだろう。例えば、けん玉やお手玉などは、けっこう全身を使った運動にもなり、時には体育の授業よりも脚力や手足のしなやかな動きを培ったりもする。 知育・教育と修飾語のついている玩具・遊具は、一般的に普通の玩具・遊具に比べて高価な場合も多い。そして、今や巷には知育玩具や教育遊具などと謳われた「あそび道具」が氾濫する時代、もしそうした玩具・遊具をこどもたちに与える場合、ブームや宣伝に惑わされず、冷静な目をもって選び、こどもたちに本当にためになる「あそび道具」を与えていただきたい。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.10
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次の記事は、こどもたちの「ゲーム機漬け」に悩む親の皆さん方にとって、一つの朗報になるかも知れない。【Family Timerは、Xbox 360のパレンタルコントロール機能に子供たちがゲームをプレーできる時間の制限を追加する。日ごと、週ごとの時間制限が可能。制限に近づくとプレーヤーに残り時間が少ないことが通知され、制限に達するとXbox 360がオフになってしまう。同機能は12月上旬にXbox LIVEからダウンロード可能になる予定だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/マイコミジャーナル:2007年11月8日) この様に、時間制限機能を付加しなければならないほど、アメリカでもこどもたちのゲーム機への依存が、大きな問題になっているのだろう。そのような付加機能をつけずに、こどもたちが自主的に、そうしたゲーム機依存の問題が克服できれば、それに越したことは無いだろう。 しかし、自己制御力の乏しいこどもたちにとっては、自らの力でゲーム時間を制限するのは難しい。親などの他者による半ば強制的な制限があって、ゲーム時間を守れるこどもたちも少なくない。だからと言って、いつもそうした時間制限を助けてくれる者がいるわけではない。だから、ゲーム機に付属した時間制限機能が、意義を持ってくるのだろう。 ただ、その機能を活用するには、幾つかの留意点がある。その一つは、同上記事の他の個所にあるように、家族で相談をして、こどもたちの納得の上で、その機能の使用や制限時間を決める事だ。こどもたちの意見を無視した頭ごなしの時間制限強制は、その効果が良い方向であらわれないこともある。 次に、ゲーム時間を制限して残った時間、特にあそびとして残された時間をどのように活用するかも重要になってくる。できれば、屋外で友達と身体を使ったあそびが望ましいが、それにはそれなりの条件が必要になってくる。 その条件は、あそびに活用できる時間帯が同じであるあそび仲間がいることだ。できれば、広場や空き地などの空間的条件があればいいが、前記の条件があれば、けっこうこどもたちだけであそび場を見つけることが出来るだろう。そのためにも、同じ地域の親たち、それが無理ならこどもが友達同士である親たちで、ゲーム機以外であそぶ時間帯を同じにするような相談も有効だろう。 この様に、今のゲーム機事情は、ゲーム機に時間制限機能を付加したり地域や家族での相談と協力なしの、こどもたちだけの力では、解決できないくらいに深化してきていることを認識する必要があるだろう。テレビ・ゲーム機・インターネットなしでは、今の時代は不自由といえる状況にある。だから、それらと上手く付き合う方法を皆で見つけていく必要があるだろう。こどもたちの未来のためにもそれは大切なことだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.09
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大阪に新しいテーマパークがまもなく誕生する。【大和ハウス工業は6日、関西国際空港対岸のりんくうタウンで大型商業施設「りんくうプレジャータウン SEACLE(シークル)」を12月8日にオープンすると発表した。関西最大級となる高さ85メートルの大型観覧車や子供向け体験型テーマパークなどエンターテインメント施設がそろっており、話題のスポットになりそうだ。】(【】内は記事から一部引用、Yahoo!ニュース/産経新聞:2007年11月6日) 地方自治体による開発事業の破綻の典型例として名高い、関西国際空港対岸にあるりんくうタウンが、遅きに失したが、このところまた開発の新たな動きが起きている。記事の「シークル」も、その一環をなす事業だ。元々、その土地には「りんくうパパラ」があったが、平成16年に閉園している。記事によると、年間500万人の来場者を見込んでいるらしいが、果たしてそのようになるだろうか。 ところで、前記の「りんくうパパラ」はある点でユニークな遊園地だった。それは、入場料金を取らない大阪では珍しい遊園地だった。もちろん、園内にある遊具は有料だったのだが、学童保育所のこどもたちを連れて行くには費用の点で魅力的だったこともあり、何度か遠足で訪れた。こどもたちも、「タダで入れんの?」と不思議がっていたのが、今になってはいい想い出となっている。 さて、この「シークル」には、「子供向け体験型テーマパーク」が作られるそうだが、すでにある「キッザニア」「ターザニア」などに続き、世間では「体験型テーマパーク」ブームとでも言えそうな状況になっているようだ。「体験型」自体は意義のあることだとは思うが、これらの施設に共通して言えるのは、こどもの「あそび」にしては、あまりにも高額な料金となっている点が一つの問題点となるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.08
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コマと同様に、回転慣性とジャイロ効果を巧みに活用したオモチャに「ヨーヨー」がある。【愛知県西尾市在住の西尾高校三年鈴木裕之さん(18)が、十二月にシンガポールで開かれるヨーヨーのアジア大会で大会初の五連覇を目指している。鈴木さんは元世界王者で、世界各国から招待を受けるほど高い技術の持ち主。「将来は米国でプロ活動したい」と夢を膨らませている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2007年11月6日) この「ヨーヨー」、昔のものと違って今のものは「スポーツヨーヨー」「競技用ヨーヨー」と呼ばれて、記事のようにヨーヨーのプロ選手が活躍している。私が、その「スポーツヨーヨー」を初めて手にしたのは、学童保育所の指導員をしている頃だった。 昔の、木製やブリキ製のものと違って、オモチャと言うよりスポーツ用具といった方が適切なほど、洗練されたデザインと性能だった。糸の先で勢い良く空回転しているヨーヨーが、チョッとした手加減で手元に巻き戻ってくる、その感触に大人気なく感激したものだ。 ところで、ヨーヨーが記事のように世界大会の開催やプロ選手がでるほど、大きく発展したのは、単にヨーヨーが糸の巻き戻りで往復運動するだけでなく、糸をヨーヨーの芯にかけただけで固定しない仕組みが、糸が伸びきった状態でヨーヨーを空回りさせるようになったからだろう。 しかも、その空回りの状態で糸を少しだけ緩めると、またヨーヨーが糸に巻き上げれれて手元に戻ってくるような構造が兼ね備わって、連続技を可能にした。こうした、ヨーヨーの進化が、単なるあそびからスポーツへと発展させたのだろう。 なお、ヨーヨーの起源については諸説あり定かではないが、私なりの空想をたくましくして考えれば、糸や紐などを縺れずに整理保管するための糸巻きに、その起源があると考えたい。遠い昔のある時、糸巻きから糸を解いたり、糸巻きに糸を巻いていた折、ふと手から落ちた糸巻きが、再び糸を巻くようにして戻ってきたことに面白さを感じただろう。 そんな、空想をしながら、童心にかえって「ヨーヨー」を楽しむのも、スポーツの秋にお似合いかもしれない。特に、日ごろ動かすことの少ない手首のスナップ運動が楽しく出来る。だから、利き手だけでなく手を変えて楽しむのもいいだろう。こどもたちだけでなく、「いいおとな」もヨーヨーの秋を楽しもう!「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.07
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科学技術の進歩は、オモチャにも大きな影響を与える。それまでが夢であったことが現実のものとなる。【「空中浮遊」のおもちゃはいろいろある。たとえば、電磁石を使って空中に浮く地球儀や写真立てを見たことがある人もいるだろう。永久磁石による磁力反発と回転によるジャイロ効果を組み合わせて長時間「空中浮遊」するコマもある】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/Wired Vision:2007年11月5日) 空中に物が浮かぶことほど、こどものみならず多くの人が夢にえがき、実際にその光景を目の当たりにする時の驚きと感激は大きい。磁石を利用すれば、反発力を利用して物を浮かせることが出来ることはわかっていても、実際には手や支えなどで保持しなければ浮かない。 だから、記事にあるような「空中浮遊ゴマ」が発売されたときはすでにおとなになってはいたが、早速買ってしまった。その当時、学童保育所の指導員をしていたので、早速こどもたちに見せてあげると、みんな大喜びだった。ただ、今の製品がどの程度かはわからないが、その当時のものは、実際にコマを空中に浮遊させて回すには、慣れるまではかなり難しいものだった。 また、今もそうだと思うが、こどもたちが買うには高めの価格だったこともあり、こどもたちがこぞって買い求めるほどではなかった。おそらく、今もどちらかと言えばおとなが買って楽しむ玩具だろう。 ところで、この「空中浮遊ゴマ」、記事にあるように「永久磁石による磁力反発と回転によるジャイロ効果組み合わせ」る事により、空中浮遊が実現しているのだが、コマを磁力反発により空中に浮かせるには、そのコマが磁石との関係である特定の一点に同じ姿勢でいる必要がある。その役割をコマのジャイロ効果が果たしている。 だから、「空中浮遊ゴマ」は、この磁石(磁力)の性質とジャイロ効果を楽しく学ぶ点でも面白い教材ともなる。なお、このコマは机の上など浮遊しない状態で回すより、空中で回すほうが断然長く回っているのも、摩擦の効果を知る上で役に立つだろう。ついでに言えば、空中でもこのコマも数分もたてば、必ず回転を停止するので、見えない空気との摩擦の効果を観察することができる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.06
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表題の「お金・いい成績・時間」は、博報堂「子供調査」の結果で、次の記事の見出しには「子供たちのほしい物ベスト3」とある。【博報堂生活総合研究所は、小学4年生から中学2年生を対象に、1997年と2007年に行った調査の結果から、子供たちの生活行動や意識の違いを比較分析するレポートを発表した。(中略)「欲しいものは何ですか?」という質問に対して、1位はいずれも「お金」。同じく2位は「いい成績」だが、その割合は44.9%から54.0%と1割も増えており、成績アップに対するプレッシャーを感じさせる。また、2007年で3位の「時間」は10年前の26.1%から35.5%に増加している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MarkeZine:2007年11月1日) この調査結果を一まとめにすると、今のこどもたちの現実の姿が浮き彫りになる。「お金のために勉強して、その結果時間が足りない。」なんと現実過ぎるぐらい現実的で、まさに夢のないこども像となってしまう。もちろん、こどもたちが「そうなりたい」と望んだ結果でもない。 さらに、興味を持ったのが次の同記事の一節だ。【「もっと増やしたい時間は?」に対する回答のトップ3は、「睡眠時間」「友達とすごす時間」「ぼんやりすごす時間」。「テレビゲームをする時間」は10年前から10.1%マイナスの19.8%にとどまった。】(【】内は同上記事から一部引用)私を含めた多くのおとなの想像に反して、「テレビゲームをする時間」が減っているのは注目に値するだろう。 しかし、「テレビゲームをする時間」の他の答えは、如何にこどもたちの生活が「忙しすぎる」現状になっているかを痛烈に、おとなたちに訴え迫っていることを示している。このこどもたちからおとなに突きつけられた課題に、真摯に答えていく必要があるだろう。 それは、「ゆとり教育」が「ゆとり」を生み出しえなかった失敗を、さらに「ゆとり」を無くす方向での解決?ではなく、本当にこどもたちに「ゆとり」を返してあげる教育を実現することだろう。 そして、そうする責任は文部科学省もさることながら、子を持つひとりひとりの親の責任であるだろうし、その親たちにそうした責任を果たせるようするためには、社会の構成員であるすべてのおとなの責任が、それぞれの立場で問われているのだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.05
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日本の先人は、巧みに外来語を日本語に言い換えてきた。その一つが「万華鏡」だろう。【香川県小豆郡土庄町の土庄小学校(赤谷忠校長)で31日、発明工作教室があった。6年生43人が万華鏡作りに挑戦し、鏡の表面反射によってできる美しい世界を体験した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/四国新聞:2007年10月31日) この記事のこどもたちだけでなく、万華鏡を初めて覗いたものは、その「美しい世界」に驚嘆し、しばし時を忘れてただひたすらに万華鏡を回し続けたことだろう。英語で「カレイドスコープ:kaleidoscope」と言うが、元のギリシャ語によると、「美しい形を見ること」となるようだが、「万華鏡」ほどその実態に近い表現はないだろう。まさに、典型的な「言いえて妙」にあたる言葉だ。 万華鏡は、記事のように、こどもたちでも作ろうと思えば比較的簡単にできるほど、単純な構造であるにも拘らず、それが生み出す美しい「華」の形は千変万化(せんぺんばんか)する。万化して万華となる鏡、この鏡は望遠鏡と同じ意味で「映し出すもの」の鏡だ。 この、「単純が創りだす複雑」にこそ万華鏡の面白さと不思議さが集約されているのだろう。そして、手で回すことによりつくりだされた造形美が、偶然の産物であるからこそ、その魅力が最大限に増幅されるのだろう。この「万華鏡の妙」、これからも多くの人々を魅了していくだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.04
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いつの頃からだろうか、こどもたちに「外あそび」を教えなければならなくなったのは。おそらく、受験戦争が死語となるほど、学歴社会や受験競争が極めて当たり前のこととなってからの事だろう。【県教育委員会の諮問機関「県スポーツ振興審議会」(中略)子どもの体力や運動能力が低下していることを懸念。幼少期から外で遊ぶ習慣を身に付けさせ、学校と家庭、地域が連携して体力向上に取り組むよう提案した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2007年10月31日) 記事を逆説的にとらえると、今のこどもたちには「幼少期から外で遊ぶ習慣」が欠如していることで、屋内であそぶことが習慣となっていることとなる。これほど極端ではないだろうが、親が我が子が外であそんでいると思っていたら、屋外でゲーム機であそんでいたりすることも珍しくなくなっている。 だから、記事のように自治体の「教育委員会」がこどもたちのあそびの心配をするだけでなく、外であそばせる取り組みをしなければならないのだ。しかし、かんがえれば元を正せば、文部省(現文部科学省)や教育委員会の教育政策にも、外あそびを減らしてきた一因があると思っている。 そうした教育政策の結果として、公教育でなく塾や家庭教師などのに依存しすぎる世の中になり、こどもたちのあそびの時間や仲間関係を細切れにしてきたことが、こどもたちの外あそびの習慣を激減させて言ったのだろう。 ゲーム機は、リセットやセーブ機能があるなどで、比較的短時間でもあそべる。しかし、外あそびは短時間でもあそべなくはないが、その楽しさはある程度長くあそぶことによりもたらされるものも多い。単純な「かくれんぼ」をとっても、1回こっきりでは面白くない。何回か鬼が交代するからより面白くなるのだ。 ましてや、ドッジボールや三角ベース野球、勝負が決まるまで時間を要する。途中でセーブ(記憶)して、その続きは翌日も可能だが、塾の予定がバラバラなら、はたして明日は同じメンバーが集まるかどうかも疑わしい。かくて、あそびの、時間と仲間が細切れバラバラになり、「外あそび」が難しくなったのだ。 また、都市部では「外あそび」をする場所さえ見つけるには困難な状況なっている。だから、あそびの「三間(さんま)」である「時間・空間・仲間」のこうした現状を改善することが、こどもたちに「外あそび」を復興させる本筋だろう。この本筋の改善無しには、こどもたちに「外で遊ぶ習慣」はもどってこないだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.03
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こどもたちは滑り台をその代表とする「滑るあそび」が大好きだ。そのスピード感もさることながら、滑っている最中の無重力状態に近い浮遊感がたまらないのだろう。あの一瞬のゾクッと来るような感覚は、非日常の感覚だかこそ、スリルであり楽しみとなる。 この「滑るあそび」には、土手の草の上をダンボールなどを敷いてあそぶ「土手滑り」、雪の斜面を滑る「ソリあそび」から遊園地のジェットコースターにいたるまで、数多くあり、こどもからおとなまで「滑り」を楽しんでいる。 そんな「滑るあそび」の中にあって、こどもたちが手作りで楽しんだあそびもあった。木の板に戸車を打ち付けただけの手製のソリに乗って、適当な斜面を滑るあそびだ。これは、舗装された坂道のある街のこどもたちに適したあそびだったともいえる。 この「戸車ソリ」は、今のキャスターに比べると滑りは劣るが、それでも急な坂だとスピードが出すぎるので、ちょうど良い坂道は多くのこどもたちが自作のソリを持って集まった。そんな中には、ハンドルやブレーキまで自作する子もいた。そうした子は比較的年齢の高い子なので、年少のこどもたちはそうしたソリにあこがれたものだった。 今の時代、スケートボードを買ってあそぶ子はいても、自分で板を自作するものはほとんどいないだろう。肝心の戸車でさえ、その存在を熟知している子も少ないだろう。キャスターでもソリは作れるが、滑りすぎの感があるし、お尻に伝わる戸車のあのガタガタ感が、私には懐かしい思い出なのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.02
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昔のあそびをこどもたちに伝える時に、妨げの一つになるのが、そのあそびを楽しむには一定水準の技術が必要となるあそびだ。けん玉・お手玉・コマ回しなどはその典型で、特にコマ回しは回せるようになるにはかなりの努力が必要となる。だから、そんなあそびをこどもたちに教え伝える時には工夫が必要だ。 その一つの条件が、正確な技術(技:わざ)を習得した者、こどもでもおとなでもいいが、そうした者が一定期間、こどもたちにお手本を示し続けられることだ。だから、全くの初めての取り組みなら、そのあそびの指導者であるおとながその技術をマスターしている必要がある。 次に、そうしたお手本を見て興味を感じ、そのあそびを始めたこどもたちが、途中で放棄せず継続して挑戦し続けるためには、またそれなりの工夫も必要となる。その方法の一つが、段級位表などを作って、だんだん上級に進むような取り組みがある。 その段級位の設定にも、最初の何級かは比較的簡単に進級するように、一工夫するのもいいだろう。できれば、各級の段階も極端に難しくならないようにするといいだろう。そして、上級者には、どんどん技を見につける工夫を段の設定で考慮するといい。初心者は級位に、上級者は段位に挑戦するように分けても良い。 私が学童保育所で実践した段級位表があるので、一つの参考としていただきたい。また、このような技術系のあそびは、その始めも途中も、こどもたちの自主性に任せ、あそびの押しつけだけは避けたいものだ。励ましも有効だが、度を過ぎた励ましは強要ともなる場合があるので注意が必要だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.11.01
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