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まずはネットニュース記事から。【菊川市のおやじ倶楽部(伊藤彰彦部長)は29日、初の水鉄砲大会を同市西方の菊川運動公園の芝生広場で開いた。園児や小学生約50人が参加。昔懐かしい竹細工の水鉄砲を使い、白熱した試合を繰り広げた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/静岡新聞:2007年7月30日) 夏のこどもたちのあそびとして、水に関わるあそびは最も夏らしい」あそびのひとつだろう。中でも「水鉄砲」を使ったあそびは昔も今も人気がある。私がこどもの頃(1950年代)に愛用したのはブリキ製の黒いピストル型のものだった。また、小学校の工作で作った竹筒製のちょうど注射器を大きくしたようなものであそんだ事がある。 その後、透明のプラスティック製のものが出始めたときは、中の仕組みが見えたていたことに感激したこともあった。しかし、竹、ブリキ、プラスティックと材質が変わるとともにその性能も上がっていき、当然ではあるが残念なことにそれと平行して価格も上がっていった。 昔は駄菓子屋さんに置いてあったように、こどもたちの普段のお小遣いで十分に買えていたが、最近では豪華・高性能で時には「水機関銃・水ライフル」のような「水鉄砲」は昔のものとは違ったジャンルの玩具になったような感がある。 ところで、記事にあるような大人数であそぶチーム対戦の「水鉄砲あそび」は、最もこどもたちが喜んでくれるあそび方だろう。私が勤めていた学童保育所の経験では、全員が水着に着替えてそれぞれが自分で作った竹筒製の水鉄砲をもって「水鉄砲戦争」をしたことがあるが、その時の嬉しそうなこども達の笑顔が今も鮮明に蘇る。こうした「戦争?」はいつ何時勃発しても大歓迎だ?「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.31
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「伝承遊び」は、伝承されて今もあそばれている「あそび」というより、昔から遊び伝えられていたが今ではほとんど見かけなくなった「あそび」というニュアンスで使用されることが多い。そんな後者の意味の「伝承遊び」に新顔が加わった。こう思っているのは私だけかもしれないが、そんなネットニュース記事を紹介する。【遊びを子どもたちに伝える「けいはんな伝承あそびの会わらべ」は1日、京都府精華町精華台のけいはんな記念公園でザリガニを釣る会を開いた。(中略)ザリガニ釣りを現代の子どもたちに伝え、外で遊ぶ楽しさを知ってもらおうと企画した。地元の親子連れなど約50人が参加した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/新潟日報:2007年7月28日) 「ザリガニ釣り」は、ザリガニのいる適当な池が近くにあれば、今でも盛んなあそびだと思っていた。実際に、ザリガニ釣りをするこどもを見かけることもある。そんなあそびが「現代の子どもたちに伝え」なければならない「伝承遊び」に加わるとは思いもよらないことだ。 確かに、こどもたちの身近なところからザリガニが釣れる池が減少してきていることは確かだろう。また、ありふれたザリガニがペットショップなどでも売られ、買いに来るこどもも多いので、実際に「ザリガニ釣り」の経験のあるこどもはすくなくはなっているのかもしれない。 要するに、「外で遊ぶ楽しさ」を知らないから「ザリガニ釣り」を知らないのではなくて、ザリガニが釣れるような地域環境ではないことが「ザリガニ釣り」を知らない理由だろう。「ザリガニ釣り」を昔はあったという「昔あそび」にしてしまわないように、地域の環境を「こどものあそび」の観点からも考えていくことが大切だろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.30
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震災などの復興期におけるこどものあそびの重要性を以前にもこのブログで書いたが、この度の中越沖地震におけるこどもたちのあそび場についての記事がネットニュースにあった。【中越沖地震で被災した柏崎市で、夏休みの子どもたちの遊び場に影響が出ている。学校施設などを利用した児童クラブの一部で、施設が被災したり、避難所になったりしてスペースに制約が出ているためだ。プール遊びをとりやめるなど対応を迫られるところも出ている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/新潟日報:2007年7月28日) 記事は学校内に設置された児童クラブ(おそらく学童保育所)の事だと思われるが、そうした私設では学校の運動場や体育館などがあそび場となっている場合が多い。また、都市部では学校の校庭開放による放課後のあそび場ともなっているところもある。 だから、地震後の避難場所として学校が使用される場合、そうした運動場や体育館が使用できなくなるのだ。また、広い公園や空き地なども避難所や仮設住宅の用地になることも多いので、被災地全域にわたり、こどもたちのあそび場の確保が難しくなる。 短期間なら、さして問題ともならないかもしれないが、地震などの大災害の場合、避難場所が長期にわたって設置される。被災後の厳しい条件下ではこどものあそびは二の次にならざるを得ないが、こどもの「心の復興」にあそびが寄与できることは大きい。是非、適切なあそび場の確保をふくめて、こどもたちのあそびを復興支援にしっかりと位置付けることが大切だろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.29
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ますます低年齢化するインターネット(以下ネットと略記)利用の中で、こどものネット利用に関して様々な調査も行われている。すぐ直前のブログにも書いたが、別の調査もネットニュースに配信されていた。【中学生にとってのインターネットは「遊び」よりも「コミュニケーション」のツールとなっており、主な利用目的は、「趣味などの情報収集」、「友達との連絡」「ひまつぶし」がそれぞれ7割を超える。頻繁に利用するサイトとしては、「Yahoo!などのポータルサイト」、「ブログ」が3割以上、「YouTube」も3割近くの回答を集めた。男子では、ブログよりもゲームができるサイトの人気が高く、2ちゃんねるや面白いフラッシュ、モバゲータウンについても、女子よりも男子に人気がある。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MarkeZine:2007年7月27日) 「ブログ」「YouTube」「フラッシュ」「モバゲー」、少なくはない親たちが耳にしたことがない言葉が並ぶ。記事には【中学生にとってのインターネットは「遊び」よりも「コミュニケーション」のツール」】とあるが、記事から受ける印象はネットは中学生にとって、すでに「遊び」の「場(ば)」として確立しているように思える。 ネットが「コミュニケーション」の「ツール」との記述があるが、確かに他の人間との「コミュニケート」をとっている事には違いがないが、見えるところ、というより手で触れられるところに「コミュニケーション」をとる相手がいないという問題点を抱えていることを見逃してはならないだろう。 だから、この記事の引用部以外の個所にも書かれているが、ネットがいじめやトラブルの要因にもなっており、さらに時には匿名性がその事に拍車をかけることもある。単に一対一の関係でなく、瞬く間に一対何千何万というこれまで考えられなかった「超集団的いじめ」が起き得るので、その深刻さが増大している。 そして、最大の問題点と思われるのが、そうした「いじめ」がまさに「遊び」としての性格を強くおびながら行われる場合が多いことだ。ネットは見知らぬ相手から「遊び」感覚で「いじめられる」ひとつの「場」であることも忘れてはならないだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.28
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インターネットも各家庭への普及が進み、こどもたちのインターネット利用も急速に増えつつある。【PCネットの利用内容は回答が多い順に、小学生が「学校の宿題などの答えを調べたり探したりする」(67.2%)、「ホームページやブログを見る」(57.5%)、「メールをする」(15.6%)。中学生、高校生では1位と2位が入れ替わり、「ホームページやブログを見る」(中学生:66.8%、高校生:68.5%)「宿題を調べる」(中学生:51.0%、高校生:48.5%)、「メールする」(中学生:33.9%、高校生:28.1%)だった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ITmedia:2007年7月10日) パソコンでのインターネット(以下ネットと略記)利用は記事のような状況だが、まだこどもたちは自由にパソコンでネットにアクセスできる環境にはないが、携帯電話からのネットアクセスを考えると、ますますこどもたちがネットにアクセスする頻度が増えるだろう。 記事によると、勉強・学習のためのネット利用が優位になっているが、これは学校や家庭などでの教師や保護者の一定の監視下での利用と思われるので、携帯からのネットアクセスを考えれば今後は、「あそび」でのネット利用の割合が大きくなるだろう。 また、「ホームページやブログを見る」が「宿題などを調べる」と分けて集計されていることから見ると、このHPやブログの閲覧は「あそび」的な傾向が強いかもしれない。そうすれば、すでに「あそび」に占めるネットの位置づけも高くなっているとも考えられる。 テレビやゲーム機の出現・普及が、こどものあそびを大きく変えたように、パソコン・携帯によるネット利用の増大はこどものあそびをさらに大きく変化させるかも知れない。その変化に機敏かつ適切に対処しないと、こどもの成長にも大きな影響それも悪い影響を与えることが心配される。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.27
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最も単純な集団あそび「おにごっこ」についての面白い記事があった。京都府宇治市立北小倉小学校の5、6年生に聞いた「変わったおにごっこ」の調査結果だ。【たかおに 23人 こおりおに 9人 いろおに 9人 手つなぎおに 6人 ろうそくおに 3人】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年7月25日) 記事には、「歩きおに」・「ジャングルおに」が掲載されていたが、「おにごっこ」はその変化形の最も多いあそびだ。昔盛んだった、二チームに分かれての「陣取り」「水雷艦長(駆逐本艦)」「ドロケイ(探偵ごっこ)」なども「おにごっこ」に分類できる。多くの「おにごっこ」は道具なしで手軽にしかも簡単なルールなのが、こどもたちに愛されるのだろう。 そして、大事なのはそうした様々な「おにごっこ」の多くは、こどもたちが実際にあそぶ中で造り出していった「あそび」なのだ。その事は、ある「おにごっこ」が他の地域へ伝えられ、その地域独特のルールや形態に変化もすることにも伺える。 さて、一般にジャンケンで負ければ「鬼」になるケースが多いことを考えれば、「鬼」になるより逃げ回る方になるのが面白そうに思えるし、実際に逃げる方が好きだという子も多い。しかし、時にはやたらと「鬼」になりたがる子もいる。 ともあれ、ほとんどの「おにごっこ」は、追いかける立場と逃げる立場が交代することを基本としている。これは、場合によって、違った立場(反対の立場)に立つということが必須となり、そのことが反対の立場を経験し、反対の立場のことが理解できるといった、人と人との関係を学べる条件ともなる。 まして、先に例示した二チームに別れての「おにごっこ」は、協力・共同などのさらに高度な人間関係をも要求される。たかが「おにごっこ」されど「おにごっこ」、いろんな「おにごっこ」をたくさん知っているこどもたち、そんなこどもたちがいつまでもいつまでも多く居続けて欲しいものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.26
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あそびが何であるかを考える上でのひとつの糸口とも思われる記事がネットニュースに配信されていた。【このミラーニューロンによる神経活動の一例として,茂木氏は「ふり」をする行動を挙げている。例えば,親が幼児に対してくすぐる「ふり」をする遊びである。人間の子供は成長のある段階でこの「ふり」を理解して,人間らしくなっていくのだという。ここで重要なのは,相手が「実際にはくすぐらないけど,くすぐる『ふり』をしている」という心の状態を理解するために,「自らの心の状態を他者の立場に置き換える」(同書p.114)ことができるようになることである。つまり,相手の心の状態を鏡のように自分の心に映し出すことによって,他人の心の状態が分かる,ということのようだ。】(【】内は記事から一 なぜなら、「ごっこあそび」などに典型として見られるように、あそびにおいて「ふり」は極ありふれた活動なのだ。しかも、一方的な「ふり」ではなく、例えばごっこあそびなら参加者全てが「ふり」をし、参加者全員が「ふり」を見聞きするのだ。 また、あそび全般にも典型的にみられる「まね(真似)」は、おそらく人間だけでなく多くの動物の、成長にとっても欠かせない活動だと考えているが、この「まね」は「ふり」と同義だ。この点でも、記事の「ミラーニューロン」の働きは、「あそび」がこどもたちが「人間らしくなっていく」ために欠かせない活動であることの補強理論となるだろう。部引用、Google ニュース/Tech On!:2007年7月24日) 記事中の「同書」とは『意識とは何か――「私」を生成する脳』(茂木健一郎,ちくま新書)のことだが、私はこの記事ではじめて知った。だから同書を読んでいないので、そこで展開されていることが、どれだけ「遊び」と関連があるかどうかは即断できないが、常々関心のある「遊び」、とりわけこども期に於ける「あそび」を考える上で、「ミラーニューロン」や「ふり」が参考になりそうだ。 なぜなら、「ごっこあそび」などに典型として見られるように、あそびにおいて「ふり」は極ありふれた活動なのだ。しかも、一方的な「ふり」ではなく、例えばごっこあそびなら参加者全てが「ふり」をし、参加者全員が「ふり」を見聞きするのだ。 また、あそび全般にも典型的にみられる「まね(真似)」は、おそらく人間だけでなく多くの動物の、成長にとっても欠かせない活動だと考えているが、この「まね」は「ふり」と同義だ。この点でも、記事の「ミラーニューロン」の働きは、「あそび」はこどもたちが「人間らしくなっていく」ために欠かせない活動であることの補強理論となるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.25
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ひと言に「遊び場」と言っても、その形態やそこで展開される活動には様々な違いがある。そんな遊び場について、私はこどもたちの遊び場を「あそび場」と表現するようにしている。ちなみに、こどもたちの遊びも単に「あそび」と表記することが多い。さて、そんな「あそび場」の一つをネットニュース記事から見てみよう。【7月28日、札幌市厚別区の商業施設「サンピアザ」(中央2条5丁目)に「ファンタジーキッズリゾート新さっぽろ」がオープンする。(中略)会場では、弾力性のある大型滑り台やボールプールなどを設置した「ふわふわ遊具」や子どもが一緒に楽しめるイベントを毎日開催する「イベント・TOY広場」、「電動キッズカー&バイク」、「抗菌砂場&室内公園」など多様な遊びが体験できる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/BNN:2007年7月21日) この記事ある施設に先駆けて、「キッザニア」「ターザニア」などの大型の商業あそび場が相次いで誕生しているが、私はそれらのあそび場を、あそび場ではあるが「あそばせ場」と定義している。おとなが設置したり準備するあそび場、これには公園・プレーパークなどがあるが、それと同様におとなが設置・準備するが、「あそび」が展開中にかなりの部分におとなが関与し、極端な場合はその関与が無ければ「あそび」が成立しないような「あそび場」を「あそばせ場」と表現している。 反対に、おとな(自治体など)が設置するが基本的にこどもたちだけであそぶ公園と、こどもたちがあそびに転用する路地や空き地などは、「あそぶ場」と定義できる。「あそぶ場」は、こどもたちがほぼ完全に自主的・主体的な「あそび」が展開される「場」ということになる。 その中間的な「あそび場」としては、「遊び塾」や「遊びの学校」などのイベントや行事などの取り組みが展開される「場」がそれにあたるだろう。遊園地やこの記事にある施設は、「あそばせ場」の性格の強い「あそび場」といえるだろう。 「あそばせ場」も大いに意義のある「あそび場」には違いがないが、「あそばせ場」が増加傾向にある中で、こどもたちが主体的にあそべる「あそぶ場」が年々歳々減少傾向にあるのは残念なことだと思っている。こどもたちが自らの力で自らの人生を切り拓いていくには、「あそぶ場」が欠かせないからだ。 なお、「あそばせ場」はおとなの側から見たもので、こどもの側から見れば「あそばされ場」となる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.24
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大阪市のような大都市のこどもたちにとって羨ましい取り組みがネットニュース記事にあった。【子どもたちが整備された公園ではなく、自然の中で思い切り自由に遊べる場「プレーパーク」を多摩区内に開設しようと、区民会議の外遊び部会が7月30日(月)、「こどもの外遊び場モデル事業」を実施する。(中略)外遊び部会では昨年から、区内の子どもの遊び場事情を調査。区民会議で「宅地開発の影響で空き地や原っぱなどの遊び場が減少している。公園整備によってドロ遊びや木登りなどの機会が減ったり、ボール遊びや水遊び、大声を禁止している公園もある」と報告し、プレーパーク開設の必要性を訴えてきた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/タウンニュース:2007年7月19日) 記事にある「区民会議の外遊び部会」もユニークな組織だが、話し合いだけでなく、その話し合いの成果を実際に「プレーパーク」として取り組まれる事は、大変大きな意義のある取り組みだ。記事によると「ゴルフ場の一般開放」にあわせた一日だけの取り組みだと思われるが、都市部では新たに自然いっぱいのあそび場を造るのはすぐには難しい。恒久的なあそび場が出来るまで当面は、このような取り組みが大切なのだ。 記事にある「プレーパーク」は大阪でも徐々にではあるが拡がりつつあるが、大阪市内ではまだその絶対数が足りないと思っている。また、大阪市などの自治体の協力もあまり無いようだと理解しているが、今のこどもたちの状況を考えれば、自治体がもっと主体的に取り組むことも大切だろう。大阪市内でも大規模公園や大和川の河川敷など、民と官が協力すればもっともっとこうした取り組みが進んでいくだろう。 今年は、大阪市では市長選挙も実施される。その際に、各候補者は「外あそび」政策でも競い合って、新市長誕生の暁には、「外あそび」施策として実施され、数多くの「プレーパーク」と、できれば恒久的な自然あふれるあそび場を実現させていただきたい。こどもたちが生き生きとしている街は、それだけでも十分に素晴らしい街なのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.23
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ネットニュースに配信された記事によると、あのTOKIOの山口達也さんも、こどもの頃「Sケン」であそんでいたそうだ。【小学校時代は、冬でも半ズボン。授業が終わると校庭の片隅にランドセルを放り出し、日が暮れるまで友だちと走り回った。熱中したのは、チームに分かれてする鬼ごっこ「ドロケイ」や地面にS字を描き、ケンケンで相手の陣地をめざす「Sケン」など、当時、定番の遊びだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2007年7月20日) 記事にある「当時」とは、山口さんの年齢から推測して1980年代となるが、「ドロケイ」「Sケン」などのあそびが定番だった時期は、おそらくこの年代が最後ぐらいになるだろう。山口さんが、こうした典型的な身体を使った「外あそび」に熱中しておられたことは、私に「Sケン」という懐かしい響きとともに新鮮な感激をもたらせてくれた。 大阪市内でも、1980年代当時、「ドロケイ」、大阪では「たんていごっこ」と呼ぶが、その「ドロケイ」は地域でもこどもたちが自主的にあそんでいた。しかし、すでに「Sケン」は過去のあそびとなっていたようだ。正確には、学童保育所や学校で指導員や先生方に(おとなに)教えられて「あそぶ」という形態では細々とあそばれていた。 「ドロケイ」「Sケン」ともに、二チーム別れてあそぶので、それなりの人数が必要だ。少なくとも10人程度はそろっていないとあまり面白くない。だから、こうしたあそびが廃れていくのは、こどもたちがそれだけの人数を集められる事が出来ないような事情ができたのだろう。 その事情とは、今大きな社会問題ともなっている「少子化」ではないばかりか、反対に「ドロケイ」「Sケン」ができなくなったから少子化になったのではないかと、私は考えている。「ドロケイ」「Sケン」を出来なくなるような、時間・空間そして仲間、いわゆる「あそびの三間(さんま)」にしてしまった、第四の「間(ま)」といえる「世間」のあり方だろう。 「Sケン」で汗みどろであそびほうけるこどもたちの、笑顔と歓声が再び地域のあちらこちらで見聞きできる時代が来るように、世間の重要な構成員である一般の「おとな」たちには、そのためにそれぞれの立場で奮闘することが望まれているだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.22
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絶叫マシンが大流行(おおはやり)の遊園地が数ある中で、遊園地のひとつのあり方を教えてくれるネットニュース記事があった。【「るなぱあく」は、無理な拡張もせず、半世紀以上前の雰囲気を残す。園内の看板には、「日本一懐かしい遊園地」と掲げられている。「最新の『絶叫マシン』なら、ほかの施設に行けばいくらでも乗れる。昭和のデパートの屋上にあった遊園地。そんな、ここだけのスタイルを維持していきたい」と、佐藤園長は言う。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/EICネット:2007年7月18日) 同記事の他の個所に、「遊具の利用料が1回10円か50円」とあるように値段までが「懐かしい遊園地」というスタイルに徹している。そうした低料金で経営が成り立つのだから、如何に大型マシンの設置と維持に経費がかかり過ぎていたのかがうかがい知ることが出来る。 次から次へと新型マシンを投入するような莫大な投資が、遊具の料金や入園料に跳ね返り、そのことがかえって経営環境を悪くする一因ともなっている。新型マシンの導入競争が激しくなって以後、相次ぐ廃園は単に少子化だけが原因ではないだろう。 このブログでも以前に取り上げたが、昔の「懐かしい遊園地」は幼児から高齢者までが、こぞって楽しめる遊園地だった。遊具も幅広い年齢層が一緒に楽しめるものも多かった。そうした遊園地には「遊」だけでなく「団欒」もあったのだ。「日本一懐かしい遊園地:るなぱあく」の健闘を祈る。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.21
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あそびの分類には様々な方法があるが、そのひとつを「昔」をキーワードにしてネットニュースからひろってみた。(以下の【】内はGoogle ニュースに配信された記事からの一部引用)【ハンカチ落としや「だるまさんが転んだ」など、昔ながらの遊びを堪能した。】(中日新聞:2007年7月18日)【「昔の遊びを孫に伝える」(中略)こども会の会員ら五人を講師に、ベーゴマ、けん玉、お手玉の実演】(徳島新聞:2007年7月10日)【同祭りではこのほか、けん玉、竹馬、たこ作りなどの昔遊びコーナー】(十勝毎日新聞:2007年7月7日)【子育て支援ボランティア・渭東こども会の会員が、めんこやおはじきなど昔の遊びを孫に伝える方法をアドバイスする。】(徳島新聞:2007年6月29日)【地元の小学生に草笛やお手玉など、昔の遊びを伝授している。】(山梨日日新聞:2007年6月28日) これらの記事で気付いた点を挙げてみる。一つは最初の記事にある「昔ながら」の「ながら」の表現だが、これは素直に受け止めると、昔あったあそびだが今もあそばれているあそびと考えていいだろう。そして、その「昔」は大正・明治やそれ以前に溯るほどでもなく、昭和で十分に「昔」だといえる。 次に、最初の記事を除き他の記事の「昔」は、今はあそばれなくなったあそびだけでなく、今はほとんどあそばれていないという意味をこめた「昔」と考えてよさそうだ。また、例示されているあそびのほとんどが、それ以前に生まれたあそびかもしれないが少なくとも昭和の中ごろまでは、大いにあそばれたあそびがほとんどだ。 また、その「昔」あそんだとされるあそびは、保育所や学童保育所・学校などでは、今でも時折見かけるあそびだが、路地や空き地などでこどもたちの多くが日常的にあそんでいる「あそび」ではなくなっている。だから、「昔」に分類されるのだろう。 これらの記事を総合すると、昭和の中ごろ、おそらく高度経済成長期より以前が、すでに「昔」といってよさそうだ。また、その時期は受験戦争・交通戦争などがあった時期と重なるのは偶然ではないだろう。だから、「昔あそび」は受験戦争・交通戦争の「戦前」のあそびと言い換えられる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.20
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まずは、今回の地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様方にお見舞いを申し上げる。 思い起こせば、阪神淡路大震災の時にも「想定外」という言葉が乱発された。その反省が生かされないまま再び地震に関わってまたもや「想定外」の語が飛び出した。【東京電力(株)柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市)1号機、5号機、6号機の原子炉建屋基礎版上で観測された「新潟県中越沖地震」による地震動最大加速度が、設計時に想定した最大値を超えていたことが平成19年7月17日に東京電力から発表された。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/EICネット:2007年7月18日) 震度6強や震度7クラスの地震は、地震国日本においては珍しいことではない。しかも、その実際のゆれの大きさには幅はあるもので、立地場所の地質などによっても大きく違う。「地震動最大加速度が、設計時に想定した最大値を超え」るような甘い「想定」では、一旦事故が起これば極めて甚大な被害をもたらせる可能性がある原子力発電所だけに、大きな危惧を抱かざるを得ない。 また、NHKラジオニュースによると、多くの国民が固唾を呑んで見守った「原子力発電所での火災」に対しての、東電社長の弁にまたまた驚いた。聞き流したので正確ではないかもしれないが要約すると「消火対策、そこにちょっと弱点があったかなという気がしてます。」となる。 このような軽い感覚で原発を運転してもらっては困るのだ。この記事以降も放射能漏れの数値が1.5倍に訂正されたが、大変国民や地域住民を馬鹿にした話だ。その結果、地元の柏崎市長から柏崎刈羽原発に緊急使用停止命令が出されるに至ったが、その処置は極めて適切な対応だろう。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.07.19
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ネットニュースに配信されていた「そろばん(算盤)」についてのエッセイの一部を引用する。【そろばんの形と感触は、子どもだった私にそれを使ってどんな面白い遊びができるかを、自然な形で教えてくれた。マニュアルを読む必要はなく、そろばんはごく自然に、楽器となり、電車となり、孫の手となった。デジタル情報の物理的表現であるそろばんの珠の感触を手や背中に感じながら、私は遊んだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ASCII.jp:2007年7月15日) 引用の一文(一部分)は石井裕(MITメディア・ラボ教授)によるものだが、団塊の世代の私もこどもの頃全く同じ経験した。正確には、当時は今ほど玩具が巷に満ち溢れているという状況ではなかったし、多くのこどもたちの経済事情では駄菓子屋さんで玩具を買うぐらいが関の山で、いろんなものを玩具に転用したのだ。 だから、当然生活の身の回りの様々な物が玩具として活用された。なかでも算盤は、玉があるのが玩具として転用するための格好の特徴ともなっている。そんな特徴が記事にもあるように、「楽器となり、電車となり」、時には人形のすべり台ともなったのだ。 ところで、算盤のように様々なあそびに転用できるのは、基本的に単純に出来ている、言い換えれば極シンプルな形状をしているからでもある。同じ回転する仕組みが付いている玩具の自動車は、算盤ほどの転用の多様さはない。形が単純であればあるほど他のものへの転用に幅が出来るのだ。 また、形の単純さは、ある物を他の物に見立てるという、ある種の大事な能力を育む。算盤で言えば、そんな形の電車はないのに電車に見立てる。時には、トラックになったり台車になったりもする。今、電卓が算盤にとってかわったが、電卓では「見立て」が難しい。さて、今時のこどもたちどんな物をどんな物に見立てているのだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.18
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東京消防庁が一昨年度行った調査の記事の一部を紹介する。【東京消防庁は一昨年度、公園で遊んでいる子供の実態調査を行いました(都内3か所、子供約400人対象)。 6歳未満と見られる子供のぶらんこ遊びでは、「立って遊ぶ」「勢いよくこぐ」「横向きに乗る」など、危険が予測される行動をした子供が70%に上りました。滑り台では「逆から上る」「走って降りる」、ジャングルジムでは「ぶら下がって遊ぶ」「飛び降りる」という例が多くありました。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2007年7月17日) 記事にある公園でのこどもたちの遊具の使い方は、それ自体は珍しいことでも目新しいことでもないが、とかくこどもはこういった、親から見れば危なっかしいことをよくやるものだ。記事には「6歳未満」とあるが、こうしたことは小学生以上のこどもたちの方こそ得意となっている。 こうした「危険が予測される行動」を見かけたら注意することが大切だが、禁止されてもするのがこどもたちだろう。適度な冒険を楽しむことは、一方で危険性の認識を育てることもまた事実なので、できればそうした行動を予測した遊具の開発・設計・デザインを考えていただければと思っている。 また、遊具の設置する方法や場所もよく考えて設置していただきたい。例えば、滑り台やジャングルジムなど高所へ登ることが必須な遊具の下の地面がコンクリート舗装されていたり、硬い設置物があったりしてはいないかの配慮も必要だろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.17
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「かくれんぼするもんこの指とまれ!」、今、こうした掛け声であそびを始めるこどもはどれくらいいるだろうか。学校や保育所などのこどもたちが集まる施設や団体、おとなが運営するイベントなどでは、そうした「あそびの始め方」をやっているかも知れない。しかし、少なくとも路地や空き地や公園などに自主的に集まってくるこどもたちの間ではほとんど見かけなくなった感がある。 そうした「この指とまれ!」の掛け声が自然成立するには、幾つかの条件が必要なのだ。それは、まず適当に大人数のこどもたちが集まれる場所が必要となる。また、場所があっても、幾つかのあそびが同時にでき得るだけのこどもたちの人数がいる。今、この両方の条件がそろう事が難しくなっている。 昔、こどもたちはそうした空き地や公園などへは、するあそびを予め決めて友達と連れもって行くこともあったが、あそび仲間や面白そうなあそびを探しに行ったものだ。そして行った先には、同様のこどもたちがたくさんいたし、すでに同時にいろんなあそびが展開されていた。 さらに、「この指とまれ!」が成立する上で、忘れてはいけないのが、物怖じしないあそびのリーダー(ある時は年長者、ある時は「ガキ大将」)の存在だ。「この指とまれ!」の掛け声がかけられるには、人望や度胸などの、こどもたちのある種の能力が必要となってくる。だから、「この指とまれ!」に一種の憧れさえこどもたちは抱いていたのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.16
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「小三・中六・高九」、ネットニュースが伝える携帯電話の普及割合だ。【携帯電話の使用率は小学生31%、中学生58%、高校生96%。01年の前回調査では設問の仕方は異なるが、中学生は26%、高校生は77%だった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年7月6日) 記事によると数字は「内閣府の意識調査(速報)」の結果だが、当然今後は各数字は100%に向かって推移するだろう。電話機(固定)がほぼ全家庭に普及したことが、いい意味でも悪い意味でもこどもたちのあそびに少なくない影響をもたらせたが、今や携帯で通じる「携帯電話機」のこどもへの急速な普及は、こどもたちのあそびに固定電話機の普及以上に大きな影響をもたらせるだろう。 電話機がそうであったように、話している相手が目の前に居ないという空間的に隔離した状況が、例えば面白半分の悪戯や、さらに悪質になって「いじめ」などの行為を、助長させる残念な状況がすでに各地で起こっている。 また、固定・携帯を問わず電話機などの「個人への普及度合い」と「人が時間に縛られる事」とが比例して推移していることも、こどもたちのあそびに大きな影響を与えていくだろう。それは、携帯電話には時計機能が付随しているので、それだけをとっても「忙(せわ)しなくあそべる」条件ともなっている。 それでなくとも、こどもたちのあそびの時間、正確には小学生とそれ以下のこどもたちのあそび時間は、量的に見て全体量と継続時間の双方で少なくなりつつある中での、携帯電話機の年少のこどもたちへの普及を考えると、こどもたちのあそびへの悪影響が懸念される。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.15
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多くの反対にもかかわらず実施された「全国一斉学力テスト(以下、全国学力テストと略記)」のその後が気になっていたのでネットニュース検索をしてみた。そんな中から、とんでもない一つの実態が明らかになった。【文部科学省が四月に実施した全国いっせい学力テストの採点業務に携わっている派遣労働者から、「採点の基準がころころ変わり、混乱している」「やるはずだった日に仕事がないことが多く、生活できない」「こんなやり方ではまともなデータはとれない」との告発が日本共産党や赤旗編集局に寄せられています。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/しんぶん赤旗:2007年6月15日) 今日のあるラジオ番組でも週刊誌に掲載の、同様事例が紹介されていたが、全国学力テストの「採点の基準がころころ変わ」るようでは、このテスト結果を分析して「学力の向上」を図るという目的の肝心の土台を揺るがすことになる。記事には、その実態を詳しく報道しているが、その一部を書きに引用しておく。 【国語の採点をしている男性は「記述式の問題では多種多様な答えが次々と出てきます。そのたびにリーダーに尋ねるため、採点はなかなか進まない。以前は不正解だった答えが正解になったり、逆に正解だったものが不正解になったりしています。でも、以前に採点した分をやり直しているようすはありません」と語ります。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/しんぶん赤旗:2007年6月15日) 同様のことを、ラジオの番組で聞いたことをまとめると、「記述式の答案で漢字の綴りなどが一箇所なら正解で、二箇所以上なら不正解にする。」といった、そもそもの出題意義から考えても誤った採点方法となっているそうだ。これだけをとっても今回の「全国学力テスト」が極めていい加減で安直な考えから実施されたことが伺える。 また、その他の報道では、「市全体の結果を公表する」とか「学校全体の結果の概要を説明する」さらに「市内の児童・生徒の検査結果を分析する」などの動きが出ているが。しかし、前記のようにそもそもの採点が不確かであることを考慮すれば、当然ながらそれらの「結果」は不確かなものになるだろう。 なお、こうした不確かな採点を導く要素は幾つかあるが、同記事によると文部科学省の下請けの「NTTデータと教育測定研究所」がさらにあのグッドウィル・グループの派遣会社に採点従事者を頼むような、責任の押し付け合いが出来る体制をとっていることにも一因があるだろう。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.07.14
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先日、このブログで紹介した、責任逃れとも取れる横浜市の「遊具事故防止対策プロジェクト」のような「プロジェクト」ではなくて、遊具に関わるまともなプロジェクトがネットニュースで紹介されていた。【産業技術総合研究所 デジタルヒューマン研究センターでは、子どもの事故予防工学カウンシル(中略)という研究グループをつくり、子どもの事故予防に関する研究を進めてきました。遊具プロジェクトは、その一環として進めたもので、医師、保育士、遊具メーカー、保護者、認知科学や機械工学の専門家などに参加頂くことで遊具の問題をできるだけ複眼的な観点から、安全で楽しい遊具をデザインする可能性を探りました。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/産業技術総合研究所:2007年7月9日) この二つのプロジェクト、そのメンバーを比べても横浜市の「プロジェクト」は市の関係部局の担当者だけと、「遊具プロジェクト」の方は様々な分野から専門家を集めているという大きな違いがある。しかも、後者は保育士・保護者という、遊具を使うこどもたちと日ごろ接しておられる方がメンバーになっているのが大事な点だ。 横浜市の「プロジェクト」もそうした方々に意見は聴取するだろうとは思うが、一緒になって「遊具の事故防止」を考える上では決定的な違いがある。なお、意見を聞くならば、遊具の利用者であるこどもたちから、是非素直な意見を横浜市の「プロジェクト」は聞いていただきたい。 こどもたちの楽しい遊具あそびをより安全なものにするために、「遊具プロジェクト」の活躍を期待するとともに、できれば学童保育の指導員、小学校の教師など小学生の日常に詳しい方々の、同プロジェクトへの参加を希望したい。なお、「遊具プロジェクト」が、すでにそうしたメンバー構成になっていたならば、お許しいただきたい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.13
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こどもたちや、その親御さん方にとって朗報となるのか、「公園遊具にJISマーク」の見出しの記事がネットニュースに配信されていた。【経済産業省と国土交通省、文部科学省は、公園の滑り台やブランコなどから転落したり、遊具に挟まれたりする事故が相次いでいることから、遊具の安全性に関する日本工業規格(JIS)を今後3年間かけて策定する。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2007年7月11日) 公園などに設置されている遊具には、すでにJIS規格があるものと思っていたが、そうではなかった。箱型ブランコによる死亡事故などが報道されて以後、かなりの年月が経過しているにも関わらず、緩やかな指針はあるものの、遊具の厳格な安全基準を策定して来なかったのは、行政の怠慢と言えるかもしれない。 ともかく、監督官庁の重い腰があがり「公園遊具の安全性」にJIS規格が策定されることを喜びたい。できれば、諸外国の同様の基準を参考にするなどして、「3年」と言わずもっと短期間に決めていただきたいと思っている。 また、そうした基準には当然ながら、定期点検の義務付けとその方法や部品の交換年限、遊具そのものの耐用年数などの基準が明記される必要があるだろう。さらに、設置場所と設置方法などについての規定も不可欠だろう。 しかし、エキスポランドのジェットコースター死亡事故で明らかになったように、そうした基準が守られなかったという残念な事例がある。だから、せっかく策定するJIS規格が実効性のあるものにするためには、法整備と検査体制などの整備も必要となってくるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.12
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先日の日曜日、夕方六時半からのTBS系(大阪ではMBS)の番組「夢の扉」を見ていて驚いた。それは、ドリームメーカーにドリームナビゲーターがインタビューしているバックで、ほんの僅かな時間ではあったが、現地マダガスカルのこどもたちがあそんでいる場面が映し出されたからだ。 そして、そのあそびが何と私がこどもの頃(1950年代)よくあそんだ「石蹴りケンパ」にそっくりだったのだ。女の子が手に持った小石と思われるものを前方に投げた後、ケン、ケン、パーと跳んでいくのも全く同じだった。 日本のあそびが誰かによって伝えられたのか、それともマダガスカルで独自に発展してきたのか定かではないが、はるかな時間と空間を超えて、同じあそびが行われる。何か不思議な感覚に引き込まれた映像だった。そして、無邪気に「石けりケンパ」であそぶマダガスカルのこどもたちの笑顔に、どことなく心温まるものさえ感じさせられた。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.11
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昔のあそびをこどもたちに教え伝える取り組みの一つがネットニュースに配信されていた。【五反野小学校では、学校が休日の第1・3土曜日午前中に地域の人たちが講師になり「のびのびスクール」が実施されている。7日は、足立“学び”応援隊の林太一さん(74、足立三)が講師となり、戦前から昭和初期に流行った竹返しゲームを子どもたちに教えた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/足立よみうり新聞:2007年7月9日) 記事には「竹返しゲーム」とあるが、もちろん昔は単なる「竹返し」と呼んでいたが、今のこどもたちには「ゲーム」が付くと興味をもってくれるのかも知れない。記事によると、「竹返し」が流行った時期が「戦前から昭和初期」とあるが、戦後生まれの私のこどもの頃(1950年代)にも、私を含めて多くのこどもたちがあそんでいた。 大流行とはいかないまでも、駄菓子屋さんには「竹返し」用の竹が売られていたぐらいだから、商売が成り立つ程度には、こどもたちの間に広まっていたのだろう。そして、当時のあそび方の一つに、実際に「竹」を賭けあって勝負もしたように記憶している。もちろん負ければ自分の「竹」はとられてしまう。 ただ、「竹」はメンコやビー玉やオハジキのように安価ではなかったので、そうした本気の勝負をする機会は少なかった。それでも、けっこう難しい技が出来るぐらいには、「竹返し」を楽しんだものだ。なお、当時は「竹返し」は主に女の子があそんでいたが、男の子の中には私のように腕の立つ子も多くいた。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.10
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まずは、先日立ち寄り先で見つけたマンホールのカラー塗装蓋の画像を掲載しておく。こうしたカラー塗装蓋は、最近徐々に増えてきているが、都市部では新設はあまりないと思われるので、おそらく老朽化した蓋を交換する際に設置されているのだろう。金属への塗装技術が進歩したのだろうが、これでますます「路上の蓋」から目が離せなくなる。 さて、このマンホールなどの路上にある蓋を、こどもたちはあそびに活用することも昔からよくあることだ。二組に分かれてする「陣取り鬼ごっこ」などの陣地に活用されたり、マンホール(の蓋)から次のマンホールまで何歩で行けるか競い合ったりしている。 車のほとんど通らない路地にあるマンホールの蓋は、そうしたあそびに活用されるのは、ロー石などの道路に線やマークを書くための道具がなくても、道路にある蓋は最初からわかりやすい目印となる。そして、蓋と蓋との間隔がそうしたあそびに適当な間隔になっているのも都合がいいのだろう。 また、時には悪戯の対象ともなる。蓋の穴から小石を落としたり、ふとどき者はその穴に酒ビンの蓋を詰めたりもする。マンホールの穴はそれなりの目的を持って開けられているので、そうした悪戯は大きな事故にもつながりかねないので、こどもたちには強く注意する必要がある。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.09
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「遊具事故防止対策プロジェクト」、こどもたちにとって頼もしい味方であれば嬉しいのだが、はたしてそうなるだろうか。【横浜市は六日、阪東橋公園(同市南区高根町)でブランコの支柱が腐食により根元から倒れ、児童三人が軽傷を負う事故が起きたことを受け、「遊具事故防止対策プロジェクト」の設置を発表した。同プロジェクトは、小松崎隆環境創造局長をリーダーとし、関係局区の局区長級、部長級計九人がメンバー。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/神奈川新聞:2007年7月5日) 記事にある事故は、先月に起こった「危険箇所発見放置遊具事故」に引き続いて起きた事故だ。先月の事故以後適切な対応がなされていれば今回の事故は起きなかった。今回の「遊具事故防止対策プロジェクト」には、そうした適切な対応をしなかった担当課の幹部が揃ってメンバーになるという。これでは、横浜市民とこどもたちを完全に愚弄する「プロジェクト」と言っても言い過ぎではないだろう。 「遊具事故防止」は、きちんとした定期的な点検と、その結果如何による迅速な対応をやれば済む事だ。「対策」や「プロジェクト」などの仰々しい組織などは全く必要としない。敢えて言うなら、市民「対策」としての全く責任逃れのまやかし「プロジェクト」に過ぎない代物だ。 これは、たまたま横浜市で露呈した最悪の遊具事故対策だが、ひょっとすれば多くの自治体でもあることかもしれない。こどもたちが安心して遊具で楽しむためには、行政にだけ任せていてはだめで、地域ぐるみで遊具の自主的な点検や、不良個所発見時の通報体制、使用禁止などの迅速な対応を考えていくことが大切だろう。(そのための自治体なのだが、安心して任せられる自治体になるまでは、こうしたことも必要だろう。)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.08
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【最近見かけなくなった「駄菓子屋さん」が月に1度、大津市の新興住宅地、仰木の里地区に開店する。地元の主婦らが中心になって4月から始めた。店には工作コーナーもある。子どもだけでなく、昔の遊びを知るお年寄りも集まって、交流の輪を広げていこうという試みだ。その名も「だがしや楽校(がっこう)」。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2007年7月5日) 駄菓子屋さんについては、このブログでも度々取り上げているが、昔は一つの小学校区に数軒はあったが、今では数小学校区に一軒有るか無いかで、僅かに残った駄菓子屋さんもまた一軒また一軒と消えつつある。そうした一方で、繁華街などには主におとなを顧客層にした「駄菓子ショップ」が増えてきている。 こうした「駄菓子屋」事情の中で、この記事のように定期・不定期のイベント的「駄菓子屋さん」の取り組みがある。こちらは、こどもたちを対象にして、駄菓子の販売だけでなくいわゆる「昔のあそび」も行われている。こうした取り組みが出来るのは、一頃に比べて激減はしているものの、駄菓子メーカーや駄菓子問屋さんなどが健在であるからだ。 ただ、昔の駄菓子屋さんには駄菓子だけでなく、私が「駄玩具(だがんぐ)」と定義しているような、面子(メンコ/ベッタン)やビー玉などの小物おもちゃも置いていた。その「駄玩具」の多くが駄菓子以上に急速に姿を消しつつある。大阪では、お土産・景品用の「メンコ」は製造されているが、これまでこどもたちがあそんでいた「メンコ」は製造中止になったそうだ。 日本の下町が育んだ駄菓子屋文化の灯火(ともしび)を守る上でも、今ある駄菓子・駄玩具のメーカー・卸問屋・販売店(駄菓子屋さん)の頑張りを期待しつつ、「だがしや楽校」などの取り組みがさらに一層発展することを願うものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.07
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自然と戯れることの少なくなった都市部のこどもたちにとって、有意義なひとつの取り組みが広がりつつある。【飯田市の下久堅小学校は四日、玄関前にある池を「分校」とする開校式をした。児童たちが生き物を大切にする心を養ってもらおうと計画。子どもたちが池にメダカや川エビを放して“入学”を喜び合った。(中略)水面にはスイレンが広がり、コイやメダカ、ザリガニなどがすみ、子どもたちが遊びながら多様な生き物に触れる場になっている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2007年7月5日) この記事にあるような人工の池もさることながら、出来るかぎり自然に近い状態の再現を試みた「ビオトープ池」を敷地内に作る学校も全国的に増えてきている。ただ、学校の敷地だけで考えると都市部の学校には、そうした「ビオトープ」を作る余地が無いところが多く、別の手立てが必要だ。 それは、学校がある地域全体の中、例えば校区内でビオトープを作るのだ。適当な遊休地があればいいが、無ければ比較的広い公園の中でもいいし、大きな公共施設の屋上に作るのもいいだろう。工夫をすれば大都会のど真ん中でも、こどもたちが自然と戯れることのできる「池」を作れるだろう。 今、バブル崩壊後久しぶりに、住宅地の大規模な開発が始まっているところもあるが、そうしたところは既存の自然を潰すこともあるかもしれない。そんな時でも、そうした大規模住宅地には「ビオトープ池」などを最初の段階から必ず整備して欲しいものだ。後になればなるほど作りにくくなる・・・。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.06
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こどもの成長にとっての一つの課題「親離れ」のひとつのあり方を示唆してくれる記事がネットニュースにあった。といっても実はサルの話だ。【両手の不自由な高崎山のサル、サヤカの子ども・ゲンキが6月に1歳になりました。そのゲンキとサヤカの親子の間に今、新たな変化が訪れています。(中略)ゲンキは今、親離れをしています。1歳のゲンキは他の小ザルと遊んだり1人遊びをしたりすることに夢中です。そうした遊びからサル社会の社会勉強をしています。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/テレビ大分:2007年7月2日) この記事で注目したいのは、「親離れ」をしていく過程で「遊び」が大きな役割を果たしているということだ。親から離れての一人あそびや他の子ザルとのあそびでの楽しさが、親から離れる寂しさや不安をかき消してくれているのだろう。 「親離れ」は自立するきっかけでもあり、自立する能力を培う前提条件ともなっている。だから、こどもたちにとって適切な「親離れ」が将来おとなしての必要な力を育む大切な条件ともなるだろう。 また、記事にあるように、あそびは「社会勉強」にとっても、極めて大事な意義を持っている。この記事は「ニホンザル」についての考察だが、もちろん人間にも同様のことが言える。人間がより複雑な社会を構成する事を考慮すれば、「親離れ」の時期におけるあそびの充実が、もっともっと大切となるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.05
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ネットニュース検索をしていると、どこか懐かしい見出しが目に留まった。記事の内容が伝える取り組み自体は意義のあることなのだが、ある部分では少しがっかりさせられた。【三世代が体を動かして遊びを楽しむ「祖父母と孫・親と子のつどい」(中日新聞社共催)が一日、米原市長岡の山東公民館で開かれた。(中略)新聞紙を折ってハードルにしたり、下に敷いてそりのように引っ張る遊びに、子どもたちは大はしゃぎ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2007年7月1日) 記事の見出しになっている「新聞紙を使った遊び」は、昔は記事のような使い方もあったかも知れないが、こどもたちが最も手に入りやすい大きな紙という新聞紙の特長を生かしたあそび方が多かったように思う。例えば、折り紙のように折って作る「兜(かぶと)」は新聞紙で作れば実際に被ることが出来る。ただ、あらかじめ正方形にする必要があるが、長方形の紙から正方形をつくる方法は、そうしたあそびの中で覚えたものだ。 また、長方形の形そのままで折ってつくるものもいろいろあった。「GI帽」やミット(グローブ)などを作ってよくあそんだものだ。二・三重にしてつくる「パンパン鉄砲」もけっこう面白い。その他、丸めたり切ったりなど様々な利用の仕方をしたものだ。 こうした、あそびはこどもたちからこどもたちへと伝えられていた。こどもたち自身で伝承されていたのだ。今、こどもたちが年齢の違いを越えて伝承されて行くようなあそびは、急速に少なくなりつつある。残念ながら、「新聞紙を使った遊び」もその典型となってしまったようだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.04
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近年、いろんなあそびを電子玩具化(ゲーム化)する動きが進んでいるが、その新顔が発売されるそうだ。【バンダイは、荷造り用エアーパッキン「プチプチ」(川上産業)をモデルにしたキーチェーン型の玩具「∞(むげん)プチプチ」を9月下旬に発売する。プチプチの気泡を指でつぶす遊びが広まっていることに着目し、約4センチ四方のシリコンラバーシート上にプチプチを再現。指で押しても破れないが、感触は実物そっくりという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/時事通信:2007年7月2日) 本家の「プチプチ」メーカーも、本物?の玩具を販売しているそうだが、電子玩具は商品名のように電池を入れ替えればほぼ無限に「プチプチ」ができるのが利点だろうと思うが、一時的なヒットはしても長続きはしないように思う。 何故なら、「プチプチ」あそびの醍醐味には、確かに破裂するときの感触や音があるかもしれないが、それを極めて忠実に再現しても、本物には及ばないだろうと思われるからだ。 それは、本物は押せば必ず割れるとは限らないし、その失敗したときの感触は再現できないし、また上手く破裂させた時でもその一つ一つの感触や音の違いを再現できない。 また、「プチプチ」の最大の面白さは、実際に破裂させる「快感」にあるのだ。これは、元に戻せない事を楽しむことでもある。それは、電子玩具の何度も再現できることとは矛盾する。さて、電子「プチプチ」はどれだけ健闘するだろうか。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.03
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下水道などには、点検・清掃のために人が入るための「穴」、すなわち「マンホール」が設置されている。その穴に誤って落ちないように、普段は蓋がされている。そして、この蓋のことを「マンホール」と誤解もされている。 このマンホールの蓋、多くの場合は円形になっている。これには訳があって、円形だと斜めにしても「穴」に落ちないからだ。四角形の蓋だと、斜めにすると簡単に「穴」に落ちてしまう。三角形でも五角形以上の多角形でも同じことだ。 ところで、このマンホールの蓋、近年それぞれの町や村に特有のデザインのものが増えている。同じデザインのものでも、設置場所によって彩色の施された綺麗なものもある。 また、マンホールの蓋ではないが、路上にはその機能も含め様々なデザインの蓋がある。さしづめ路上の蓋博物館と考えて、たまには路上探索も面白いものだ。くれぐれも、夢中になりすぎず、事故には気をつけよう。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ
2007.07.02
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消え行く「こどものあそび」を後世に伝えるために、これまでも書籍や映画フィルムなどに記録されてきた。それがビデオになり、最近ではDVD化が進んでいる。【路地から姿を消したまりつきの復活を願い、元養護教諭らでつくる「日本まりつきの会」(京都市左京区)が、まりつき歌やつき方を紹介したDVDと冊子を発行した。歌いながらリズミカルにまりをつく楽しさや、発想次第で遊び方が広がる面白さを伝えたいとしている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/京都新聞:2007年6月30日) 保育所や学校などでは時折見かける「まりつき」、地域の路地や公園などでは、ほとんど見かけなくなった。だから、ボールを買う子はいても、いわゆる「まり」を買い求める子もごく僅かだ。「まりつき」は一般的には「女の子」のあそびといわれているが、私はこどもの頃、「男だてら」に「まりつき」をやったことがある。 「まりつき」は、初めてのこどもには、「まり」のコントロールは極めて難しい技術を要するので、なかなか「まりつき」あそびの醍醐味に至るまでが大変だ。昔は、こどもたちの周りに少し年上の、「まりつき」上級者がたくさんいた。だから、その様子を見ることが、そうした難しい技術を覚える上で大いに役に立った。 今、こどもたちの周りに、「まりつき」上級者が圧倒的に少なくなっているので、動く映像としての「まりつき」DVD化は意義のあることだと思う。ただ、本当は映像を見ながら、その傍で実際に「まり」がつける状況にあることが望ましい。出来れば指導者としてのおとなが、DVDを見て十分に上達してから、こどもたちの傍で実際にやってあげながら指導するといいだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト
2007.07.01
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