全17件 (17件中 1-17件目)
1

1890年にゴッホがオーヴェールで自殺し、滞在していたラブー亭に600点ほど残された絵画の一枚が「医師ガシェの肖像」でした。決して傑作とは言えないらしいこの絵は1897年ゴッホの弟テオの妻ヨーがデンマーク人コレクターに300フランで売った後、13人の持ち主を経て1990年のクリスティーズの競売で大昭和製紙の元会長が約124億5千万円で落札しました。日本で一般公開された事はなくウィキペデアでは1996年に同氏の死後2回競売にかけられ2019年の時点で所在不明という謎多き1点になっています。 昨年読んだ望月諒子著「大絵画展」はこの事実を踏まえて、その後1990年の競売で競り負けたフランス人コレクターがこの絵を取り戻すまでの経緯が描かれています。そして「大絵画展」では投機目的で値段を吊り上げ、絵画を売り買いする裏事情についても書かれていて、絵画好きとしては複雑な気持ちにもなりました。 個人蔵(或いは所在不明) オルセー美術館蔵 油彩のガシェ医師の肖像画は2枚だけで右は左を複製した1点らしく、ゴッホの死後ガシェ医師に贈られ、ガシェ医師の死後に遺族がオルセー美術館に寄贈した経緯を見るとほぼ同じ絵がドイツナチスによる影響を受けたり、投機目的で翻弄されたりと違った運命を辿っている事にもしみじみします。死の2か月前からゴッホが滞在していた「ラブー亭」3階の屋根裏部屋(芸術新潮から) ゴッホの最期を看取ったガシェ医師の肖像画はゴッホ好きとしてはやはり鎮魂のためにも「ラブー亭」に飾って欲しいものだと思います。原田マハ著「リボルバー」でラブー亭にはゴッホの絵が一枚も無い事、ゴッホの自殺に使われたらしいリボルバーを競売に出品した理由を「ラブー亭にゴッホの絵を飾るため」とある事も思い出します。
2025.01.31
コメント(0)

昨日のTOKYO fm「村上RADIO」の「村上の世間話6」の1つ目の世間話で大谷選手、ベーブルース選手と現在活躍するメジャーリーグ選手の話がありました。 村上氏がボストンのフェンウェイ球場で、エンゼルス時代の大谷翔平のプレイを三塁側のホームベースから割と近くの席で観戦した時。大谷選手のスイングがめちゃくちゃ速い事に驚いたそうです。風を切るビュンという、うなりが聞こえてくるくらい速いという表現を使っていましたが、その速さはテレビで観ていては実感できないと感じるほどで。あんな鋭いスイングでよく厳しい変化球に対応できるものだと大谷選手の「動体視力が優れている事」に感心したという話です。 そう言えば本帰国後昨年初めてエスコンで試合を観た時にストライクをミットで受け取る時の音が大きく響く事に驚いたのを思い出しました。 そしてベーブルースの話です。動体視力と言えば、ベーブルースは78回転しているSPレコードのラベルの細かい字を、楽にすらすら読み取る事が出来たそうです(村上氏は33回転のLPレコードの字だってなかなか読み取れないと言っています)その視力があってこそ飛んでくるスピードボールの球筋を瞬時に見極めてがツンと当てる事が出来たんだと・・。 最後に大リーグのある有名選手が小学生から「どうやったらあなたのようにたくさんヒットが打てますか?」という質問に『ピッチャーがボールを投げてくるじゃない。そうしたらさ、フィールドをざっと見回してどこに隙間があるかを見定め、そしてそこをめがけて打球を飛ばせばいいんだよ』 これは奥が深い言葉で野球だけでなく人生のいろんな場面で「広い視野を持って」とか「物事や状況を俯瞰する」等の大切を教えてくれている気がします。 村上氏はヤクルトスワローズのファンクラブ名誉会員第一号の3名の1人で(2名はさだまさしさんと出川哲郎さん)大の野球好きで知られていますが、村上氏ならではの世間話以上の話と思いました。 余談ですが。日米で「殿堂入り」を果たしたイチローさんのユーモアたっぷりTシャツを昨日NHKの「サンデー・スポーツ」で取り上げていました。いくつかのデザインの中で「明日から本気だす!」が個人的には一番受けました。今日はちょっとダメだったかなぁ・・と思う時に「明日から~!」って何だかふっと笑顔になって元気が出る言葉です。今季開幕まであと2ヵ月ですが、どんな名勝負が見られるのかとても楽しみです。
2025.01.27
コメント(4)

NHKドラマ10で現在放映中の「東京サラダボウル 国際捜査事件簿」は原作が漫画で(著者は「黒丸」)タイトルに惹かれて見始めました。 奈緒さん演じる国際捜査の刑事「鴻田麻里」の鮮やな緑色の髪に初めは「ギョッ!」と思いましたが、よく考えるとこんな外見のお医者さんや学校の先生がいたら患者や生徒によってはもっと親近感を覚えるのではと思ったりします。鴻田刑事の相棒を務める松田龍平さん演じる「有木野了」は警察の通訳部で中国語を担当する役で通訳部の存在をこのドラマで初めて知りました。 「東京サラダボウル」は秀逸なタイトルと思いましたが、NHKのホームべージにこのドラマ制作の意図について「1つの言葉への理解が、“誰かの人生”への理解に繋がれるかもしれない…。 昨今メディアに躍る“外国人犯罪・外国人事件”という言葉。犯罪が起きる事実はあっても、言葉が独り歩きすることで一部に偏見や差別を生んでいます。 これは「事件」と一括りにせず、外国人居住者の方たちの暮らしや人生に光を当て、そこに向き合う刑事と通訳人の目線で、異国で生きる葛藤に出会っていく物語です。 ますます未来は多文化が共存する“サラダボウル”になっていく日本・・・」とサラダボウルの奥深い意味の説明がありました。 個人的な経験で札幌で日本語教師をしていた時に担当したクラスの中国人学生が犯罪に巻き込まれ、母国に強制送還された事があり、その時の思いは未だにしっかり記憶にあります。もしその時、このドラマのような刑事や通訳人がいたら・・とも思います。 松田優作さん)1949-1989) 話は変わって、通訳人を演じる松田龍平さんの演技が何とも魅力的で父親であり名優だった「松田優作」さんをどうしても思い出してしまいます。写真を見る限り面長の顔や目は父親譲りかなと思います。そして松田優作さんのドラマと言えば、一番印象に残っているのは1982年のお正月ドラマ「春が来た」です。それまでのハードボイルド系の役ではなく普通の心優しい繊細な青年を好演し、新境地を開いたドラマとも言われました。松田優作さんが亡くなる7年前のドラマです。脚本家の向田邦子さんと言えば辛口の家族ドラマで有名ですが、タイトルの「春が来た」とは裏腹な結末に「人生って・・」と考えさせられたドラマでもあります。
2025.01.26
コメント(0)

アルコール度数 13.5% 1月の「晴れの日ご飯」のための1本はイタリアの「リパッソ」と思い、ワインショップ「ヴィノスやまざき」に行きましたが、税込みで4000円台と高めで店主からリパッソではないけれどアマローネと同じように陰干し葡萄を使って造っていて2千円台は絶対にお値打ちとお勧めがあり購入しました。 リパッソは「発酵が終わり搾りかすの残る高級赤ワインアマローネの樽に普通のワインをもう一度注ぎ、2~3週間ほど熟成させる製法」ですが、辛口のアマローネに比べ若干の甘みがどんな料理にも相性が良いと在星中にも何度か飲みました。 「RUBINCONDO ROSSO VERONA 2021」の葡萄品種は「コルヴィナ・ヴェロネーゼ」「ロンディネッラ」「メルロー」の3種で、この3種のミックスは初めてです。店主からは果実味、凝縮感ともに満足のいく1本という事でした。 昨日はノルウェー産のミンククジラのお刺身と北海道産の牛肉のステーキに合わせましたが、これはかなりのマリアージュで至福の時でした。久々にシンガポールのラッフルズホテルで買ったマットを敷いて、シンガポールで飲んだリパッソやアマローネの味も思い出しながらの「晴れの日ご飯」となりました。
2025.01.23
コメント(0)

今朝のニュースでイチローさん(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が2025年の「アメリカ野球殿堂入り」を果たした事を知りました。ネットの記事によると殿堂入りの資格は「メジャーで10年以上プレーし引退から5年で資格を得て、10年以上所属する記者による投票で75%以上集めると殿堂入り」とあります。2019年にシアトル・マリナーズを引退しているので昨年でちょうど5年が経った事になります。満票には1票届かなかったけれど99.7%という高い得票率でアジア選手として初めての快挙には胸が熱くなります。 改めてイチローさんの軌跡を辿ると、1991年ドラフト4位で翌年オリックス・ブルーウェーブ入団。8年間プレイした後でメジャーリーグに移籍し、シアトル・マリナーズ、ニューヨーク・ヤンキース、マイアミ・マリーンズを経て現役最終年の218/2019は古巣シアトル・マリナーズでプレイしています。ドラフト4位というのに今更ながらに驚きますが、愛知県出身の知人に少年野球時代にイチローさんと一緒だった人がいて「あんな凄い子がいるなんて・・」と野球を諦めたという話を思い出します。イチローさんのプロになってからの凄まじく絶え間ない努力を彷彿させてくれる話だと思います。 因みに今月16日には日本野球殿堂でもイチローさんの殿堂入りが発表になりました。こちらは349票中323票で92.6%を集め史上17人目となる同じく資格1年目での殿堂入りでした。大谷選手もそうですが「本当に野球が好き好きで・・」の思いで努力を重ね、目標を達成し夢を叶えるというのがどれだけ後に続く人達に勇気を与えるかと思うとやっぱり胸が暑くなります。
2025.01.22
コメント(0)

渡星前に実家に預けていた画集の何冊かを昨年末に送って貰い、その一冊「印象派・光と影の画家たち」の最後の8ページに掲載の「林忠正と印象派の画家たち」の別稿を読まずにいた事に気が付きました。この別稿の筆者が林忠正の孫「木々康子」さんで、画集が44年前の1981年発行である事にも驚きました。 原田マハ著「ゴッホのあしあと」の中で氏は『このまま日本人が林忠正が残した功績を知らずにいるのはもったいない。私たちはもっと彼について知るべきだし、その偉業をシェアするべきだと思う。小説「たゆたえども沈まず」を書く目的の1つは19世紀パリで活躍した画商・林忠正の復権にある」と書いています。私自身も「たゆたえども~」で初めて林忠正(1853-906)の存在を知りました。 日本でフランス語と工学を修めた後、1878年のパリ万博開催に当たって林忠正25歳の時に「起立公証会社(副社長は若井謙三郎)」の依頼で通訳として初めてパリを訪れ、そのままパリに留まることになります。巧みな語学力と日本美術の知識でフランスを中心に浮世絵などの日本美術を広め、印象派や後期印象派画家たちへ多大な影響を与える一方で印象派の画家たちの絵画の購入も積極的に行い、いずれは日本に美術館を建設してその絵画を展示するというのが「林忠正の夢」でもありました。 ルノワール(1841-1919)のデッサンによる林忠正(ルノワールへの援助にも尽力を) 彼の偉業に対してフランス政府から1894年と1900年に2度「教育文化功労章」を受賞し、また同年1900年には「レジオン・ドヌール」を受賞しています。これに対して日本で林忠正の名前がある意味消されてしまったのは「浮世絵を海外に流出させた国賊」としてのレッテルを貼られた事も一因なのだと思います(木々康子さんの記述では1890年から1900年までの10年間で10万枚もの浮世絵をパリに送ったとあり、それ以前の数については分からないですが浮世絵で膨大な利益を得たのは事実とあります) 江戸時代に浮世絵は蕎麦一杯の値段(16文程度)で売り買いされ、その価値が日本ではあまり評価されていなかった事を思うと、このレッテルは安直で的外れという気がします。浮世絵で得たお金はヨーロッパの絵画を購入する資金となり、いずれは日本の芸術家たちに見て欲しいという大きな夢があった事を思うと猶更です。 余談ですが、小説「たゆたえども~」の中では林忠正とゴッホ(パリにいたのは1886年2月~1888年1月)が直に会っていたという設定ですが、これはあくまでも小説の世界で実際に会ったという証拠のような物は一切残っていないようです。何故会えなかったのかが個人的には疑問でしたが、木々康子さんの別稿を読んで謎が解けた感じです。林忠正が経営するお店では顧客は金持ちの「ドガ」や売れ始めた「モネ」や「ピサロ」等に限られていて、ゴッホやゴーギャンのような貧乏な画家はお店に近づくことも出来なかったと書かれています。ゴッホは当時林忠正と同じように浮世絵も扱っていたユダヤ系ドイツ人の画商「サミュエル・ビング」のお店で無償で浮世絵を模写させて貰っていた話は有名ですが、彼のお店は開放的でお金がある無いに関わらずオープンだった事も初めて知りました。ただ閉鎖的も商売の上では数々の利点があったようで、商売人の林忠正の力量も見る思いです。増刊「中央公論」
2025.01.21
コメント(2)

今日は一年で寒さがもっとも厳しい日「大寒」です。大寒を調べてみると「一年を24に分けた二十四節気の最後の暦で寒さが一番厳しい頃」とあります。節季は旧暦で使われる言葉で確かに今年の旧正月は1月28日の夜から始まるので、ちょうどその一週間前辺りで寒さが一番厳しいという事なのだと思います。 そして寒さが一番厳しい日が北海道に生息する野鳥「シマエナガの日」である事をネットの記事で知りました。シマエナガを愛する写真家「やなぎさわごう」氏が申請し2019年に日本記念協会によって登録・認定されたそうです。「何故この日?」の答えは「寒くなるほど羽毛が膨らむシマエナガの特徴に因んで」のようです。 シマエナガはエナガの亜種で日本では北海道のみに生息し体調は約14センチ、体重は7グラムほどでスズメより小さいのが魅力の1つです。個人的には2023年末に本帰国してシマエナガが大人気になっている事を知りその人気は未だ衰え知らずという感じです。 札幌の中心では北海道大学の構内や旭山公園、南区の真駒内公園(午前中に望遠カメラを持っている人はほぼシマエナガ狙いと)でも見られると情報はあるのですが、一度も直に見た事が無く今年の冬には愛らしい姿を一目見てみたいものだと思っています。
2025.01.20
コメント(2)

歌声は変わらず。 17歳でデビュー。 先週のワインセミナーの後でワイン仲間と2次会で行った初めての居酒屋で席についてすぐ耳に入ってきた曲が「スローモーション」でした。男性歌手のカバーで歌手名を3人で調べても分からないまま「中森明菜」のデビュー曲であるこの曲で話が盛り上がりました。 今から43年前の1982年にリリースされた「スローモーション」で一気に昭和にタイムスリップでしたが、歌詞といい曲といい今聞いても新鮮な感動がありました。翌日になってもこの曲が頭から離れず、本家本元の中森明菜、この曲を作曲した来生たかお(作詞はお姉さんの来生えつこ)のヴァージョン、徳永英明のカバーも聞いてみましたが、来生たかおの歌声が個人的にはピタッと嵌りました。 歌声がもっと聞きたくなってYouTubeで来生たかお・えつこの代表的な名曲「セカンドラブ」「シルエットロマンス」、映画「セーラー服と機関銃」の主題歌の「夢の途中」等を聞きましたが昭和の名曲ではなく「令和」の名曲と言っていいほどの斬新さも感じました。 話は中森明菜に戻って「スローモーション」はロサンゼルスでレコーディングされたミディアム・テンポの曲で、当時新人アイドルが多数デビューしていた時代に異彩を放った事、デビューのきっかけは1981年の「スター誕生!」で歴代最高得点で合格した事がネットの記事にありました。たまたま昨年NHKの「The Covers」で男性歌手が「飾りじゃないのよ涙は」をカバーし、その時中森明菜の歌唱力を初めて実感しちょうどもっと聞いてみたいなぁと思っていたところでもありました。
2025.01.19
コメント(4)

昨年末に実家から「シンガポールから送ってもらった物で自分の手元に置きたい物があればどうぞ」と小包が届き、まるでサプライズプレゼントのようでした。 しっかりと左手でフクロウに🦉 そのうちの1つが2006年パリからブルゴーニュのボーヌに向かう途中で立ち寄った街「ディジョン」の「 i (インフォメーションセンター)」にあった日本語版のカタログと幸福のフクロウの絵ハガキでした。カタログを改めて読むと「2001年1月5日から6日にかけての夜、このフクロウの左脇腹が大きな損傷をこうむりました。その時のディジョンっ子の嘆きと怒りは大変なもので、フクロウは直ちに修復。しかしそれ以来、我らがフクロウを見守る者の視線は昼夜絶える事がありません」とあります。ディジョン訪問の5年前にこんな事があったのを今更ながらに知りました💦 世紀を経て幸福のフクロウと呼ばれるようになったこの像は13世紀にディジョンに建てられた「ノートルダム教会のシュエット通り沿いの壁に掲げられ、「地球の歩き方」にご利益を得るための触り方「右手で金製のものを触りながら左手でフクロウを触る」とあり、日本語のカタログにも同じように書かれています。ちょうど通りかかった2人の女子高生に写真を撮ってもらったのが良い思い出です。絵ハガキは何枚か買って友人達にも送りましたが、手元には残っていなかったので家の壁にしっかり貼って今年は日課のように幸せを願って左手でなでるつもりです。 ところで世界的に縁起が良い動物と言われるフクロウはヨーロッパでは「森の賢者」と呼ばれているそうです。そのイメージはギリシャ、ローマ神話にあるらしくローマ神話に登場する「ミネルヴァ(ギリシャ神話ではアテナ)」という知恵を司る女神の肩に英知の象徴としてフクロウがとまっているそうです。「不苦労」「福老」「福路」のようなゴロ合わせは勿論日本だけですが「夜目が利く」とか「先見性がある」とか「蛇年の運」も合わせて今年の幸運に繋がるような気がします。
2025.01.17
コメント(0)

原田マハ著「ゴッホのあしあと」の中にゴッホ、テオ、林忠正の3人を主人公に描いた小説「たゆたえども沈まず」のタイトルについての説明がありました。 ゴッホの人生そのものを表すような小説のタイトルと思っていましたが、パリ市を象徴するエンブレムの紋章の一部にラテン語で記載されている言葉だそうです。この「Fluctuat nec nergitur」はパリ市民に何世紀にも渡り愛されている言葉で氏によると誰が訳したのか分からないけれど「たゆたえども沈まず」と日本語訳があるという事です。 パリ市のエンブレム シテ島 パリ市のエンブレムに帆船が描かれているのは船頭の組合長が代々シテ島を支配してきたことによるそうです。昔からパリの街は水害に悩まされ続け、市の中心部を流れるセーヌ川はたびたび氾濫しセーヌ川の真ん中に浮かぶ船のような中州のシテ島は水中に埋没する事もしばしばあったようです。けれども一度水が引くとこの島が蘇って姿を現し市民はまるで「パリそのもののようだ」と「革命」「災害」「戦争」という歴史に思いを重ねたようです。 著書の中では更に第二次世界大戦中の4年間パリがドイツに占領され、1944年連合軍が「パリ解放」を掲げパリに押し寄せた時、ヒトラーが奪われるくらいなら自分のものであるうちに全部燃やし尽くしてしまおうと「パリに火を放て」と命じるものの部下たちが「パリは美しすぎるから」という理由で命令に従わなかったという逸話も書かれています。 「たゆたえども沈ます(揺れはしても、決して沈まない)」は国や街や芸術家たちだけの言葉ではなく広く全ての人に「耐える時間の大切さ」を教えてくれている気がします。 余談ですが、ちょっと気になって札幌市の市章を調べてみると、外側の六角模様は雪に因み、内側の円形模様は札幌の札の字の図案化で、中央の星形は北斗星によって北方の意を表すそうです。やっぱり「星の街」なんだなぁと改めて札幌がもっと好きになりました、
2025.01.14
コメント(0)

2021年の朝ドラ「おかえりモネ」で気象予報士の斉田季実治さんが本職である気象予報士の役で好演し、次回は大河に出演したいと抱負を語った時に「温度計」の発明もした「平賀源内(1728-1780)」の役はどうかな?と思いその時の日記に書きました。 現存する「平賀源内」唯一の肉筆画で日本最古の油彩画。 日本の「レオナルド・ダヴィンチ(1452-1519)」と称されるほどの多才な平賀源内は「エレキテル(静電気発生装置)」で有名ですが、オランダ製の壊れた器械を長崎で見て復元させたり歩数計や温度計の発明もしています。更に地質学者、蘭学者、小説家、俳人という肩書の他、昨日の「厠の男」では吉原に客を呼び込むためのコピーライターとして登場しています。もう1つの肩書と言えるのか「画家」としての才もあったようで、平賀源内による日本最古の肉筆の油彩画が残っているそうです。 田沼意次(1719-1788) 肖像画の飄々とした表情から「非情の人」とも言われているようですが、安田顕さん演じる平賀源内は表情といい言葉使いといいとても魅力的な人物でした。そしてもう1人気になる人物は渡辺謙さん演じる「田沼意次」です。歴史の教科書で「賄賂政治を行った田沼意次」という負のイメージが私を植え付けられた感がありますが、百田尚樹著「新版 日本国紀 上」の江戸時代の章で「傑物、田沼意次」というタイトルで彼の偉業が書かれています。彼の偉業やその後については下記の通りです。 悪化していた幕府の財政立て直しのため徳川第10代将軍「家治(1737-1786)」に側用人・老中として仕えた田沼意次は紀州藩の足軽の出でしたが家治の祖父8代将軍「吉宗」の能力重視方針によって世に出ることになります。著書の中で、彼の一番の偉業として「商人から初めて税金を徴収したこと」を挙げています。長く農民からの「年貢米」が主な税金源であった時代に、当時多くの利益を得、大名に利子を付けてお金を貸していた商人から税金を取ろうと考えた最初の人物で、それ以前に商人から税金を取るということを考えた将軍も老中もいなかったそうです。 更に「鉱山の開発」「干拓事業」「清との貿易の拡大と専売制」「ロシアとの交易の可能性を探るための蝦夷地(北海道)の天然資源調査」など数々挙げられています。 商人の税金は具体的には「株仲間(幕府から独占権を与えられた商人の仲間)」を奨励し、そこから「冥加金(百田氏によると現代の事業税)を取り経済も潤いを見せるようになりました。もしこの政策がその後長く続いていれば世界に先駆けて日本が「資本主義時代」に入っていた可能性もあったと予想しています。 将軍の死と共に田沼意次の反勢力の「商人と武士を結びつける」等のデマや中傷で失職してしまい、財産も全て没収されてしまいますが、驚くのは彼の私財はほとんど無かったということです。全ては個人の資産を増やすためではなく天下国家のための偉業であったことを知ると、偉業の凄さが倍増される気がします。 「べらぼう~」の主人公「蔦屋重三郎(1750-1797)」は私は全く知らなかった人物で、大河好きとしては今までスポットライトが当てられなかった人物が登場するのは嬉しい限りですが、後世に名を残した人物たちとの関わり合いが今後とても楽しみです。
2025.01.13
コメント(0)

今朝のNHKのニュースで今日が「鏡開きの日」で2段の丸餅が「太陽と月」を表し「福が重なる」とか「円満に年を重ねる」という意味がある事を初めて知りました。 何故餅の前に「鏡」が付くのか調べてみると、餅の形が昔の鏡に似ていたからだそうで鏡餅の風習は奈良時代の神事に始まり、平安時代に現代のような形になり室町時代に庶民に伝わったそうです。鏡は弥生時代(今から2およそ2200年前)に中国から青銅製で伝わっているので、どちらも長い歴史があるものです。 お正月に飾った鏡餅を食べるのは「年神様」の力を借り健康や長寿を願うためで「お雑煮」や「おしるこ」にして食べるのが良いそうです。ちょっとした知識があると鏡開きのお餅に込める思いも違ってきそうです。 ところで今年は「巳年」で「蛇」は命や生命力、不老長寿、富や繁栄を象徴し、また蛇が脱皮する事から復活と再生も意味する縁起の良い動物と昔から言われているので、鏡餅とのコラボ商品があるのかネットで調べてみるとガラス製の製品など何点かありました(白蛇が特に演技の良い生き物として知られている事を思い出しました) 2025年が一つでも「実(巳)を結ぶ年」になるように、まずはお昼ご飯に「おしるこ」作りです。
2025.01.11
コメント(0)

ワイン仲間との先週の新年会の2次会は札幌中央区にあるカウンターだけのワインバー「Bistro Oignon」でした。1次会の居酒屋でビールや日本酒でしっかり食べてしまったので、おつまみ程度でワインを楽しもうという事になりました。赤、白それぞれ3種類の店主のお勧めのワインボトルがカウンターに並び、私は白の中にあったロゼをグラスで注文しました(他の2種類の白は葡萄品種「アリゴテ」と「シュナン・ブロン」) 「LA VOIE ROMAINE]」2022 アルコール度数12% 選んだ理由は店主の説明で葡萄品種「シラー」100%で造られたロゼで、産地がPessac Leognan(ぺサック・レオニャン)だった事です。ぺサック・レオニャンと言えばメドック地区以外で唯一「5大シャトー」の1つに名前を連ねる「シャトー・オー・ブリオン」がある「グラーブ」地区(ボルドー左岸、メドックの南)で、ここで造る赤、白ではないシラー100%のロゼガ飲めるというのは貴重な経験と思ったからです。肝心の味わいは程良い辛口と果実味の絶妙なバランスで後で調べてみると、このワインを造る「Chateau Haut Vigneau(シャトー・オー・ビニョー)」では年間5400本しか造っていないということです。 2杯目のワインを考えながら店内の壁にある料理のメニューを見ていると「エゾシカのロースト」が目に留まりました。本帰国後、札幌ではエゾシカ肉を使った製品をよく目にし、今まで「エゾシカのテリーヌ」「エゾシカ肉まん」を試しましたが、他の2人も「是非試してみたい!」という事で注文しました。 それに合わせて私が選んだのはローヌ地方の「Domain De Givaudan Cuvee Elise」で葡萄品種はグルナッシュとシラーです。エゾシカ肉はシェフの腕も良いと思うのですが、柔らかく野性味のような物もなく極上の一品でローヌのワインとは完全にマリアージュでした。古くからヨーロッパでは一般的だったシカやウサギなどのジビエ料理は1990年代にフランスから日本へ伝わったそうです。 今年はどんな素晴らしいフランスのワインと料理に出会えるのか期待で一杯です。
2025.01.09
コメント(0)

昨年の12月に友人から頂いた原田マハ著「ゴッホのあしあと」は「たゆたえども沈まず」や「リボルバー」でも描かれなかったゴッホ自身と彼の作品の新たな面を知る事が出来た一冊です。 1886年に弟のテオを頼りパリにやった来たゴッホはおよそ2年間、結局彼の画業がパリで受け入れられる事なく都落ちのように未だ見ぬ日本の景色を求めて南仏アルルに向かいます。そして原田氏はパリの象徴であるセーヌ川をゴッホは生涯に一枚も描いていない事に言及しています。1889年「ニューヨーク近代美術館」所蔵 「星月夜」は1889年6月、アルルでのゴーギャンとの共同生活がゴッホの耳切り事件で終止符を打ったおおよそ半年後にサン=レミ収容所で描かれています。原田氏はそこからはこの景色は見られる事はなく、ゴッホの孤高さを表す「糸杉」とそれを横切る雲のようなうねりは「セーヌ川を表しているのでは?」と解釈しています。写実性を重んじていたゴッホに対して想像で絵を描く事を得意としていたゴーギャンの影響が色濃く出ている作品ではの視点はd興味深いものがあります。パリはやはりゴッホにとっても憧れの地であった事を彷彿させます。1889年5月「J.・ポール・ゲティ美術館」所蔵 そしてサン=レミ収容所に入ったゴッホを最初に温かく迎え入れてくれた庭に咲く「アイリス」についても詳細がありました。アイリスの絵は個人的にはメトロポリタン美術館で「アイリスのある花瓶(1890年5月)」を見て一目惚れした絵で思い入れがあります。著書で取り上げていたアイリスは1889年5月(星月夜の1ヵ月前)に描かれたアイリスで、調べた限りはアイリスの絵はこの2枚を含めて4枚です。実際にゴッホが入っていた部屋は原田氏も訪れ「冷たい石壁の3畳1間くらいの狭い部屋。窓には身投げしないように鉄格子がはめられています」とあり、こんな状況下でも絵を描く力、強い意志、光のある方向に向かって行こうという前剥きな気持ちに改めて心からの称賛を示しています。 今年もまた新たなゴッホの一面を見る事が出来る事を願って。
2025.01.07
コメント(2)

札幌芸術の森で明日まで開催の「ロートレック展 時をつかむ線」に昨日行って来ました。在星中はお正月と言えば暑い中(或いは大雨でも)まずは美術館でしたが、雪景色の中の美術館はとても新鮮でした。 今回の展覧会はギリシャ人コレクターの「フィロス・コレクション」の中から「線の画家」と呼ばれるロートレックの「素描」を中心に「リトグラフ」「ポスター」等260点の展示でした。素描については36歳で死去するまで1日1枚描いた計算となる約5000点が残されているそうです(因みに最初に素描を手掛けたのは7歳ごろ) 1864年(パリでジャポニズムの大流行の頃)南仏のアルビで長い歴史を持つ貴族の家系の子として生まれたロートレックは15歳の時には2度目の骨折事故で両足の発育が止まってしまいます。その後パリでレオン・ボナ(後に美術学校エコール・デ・ボザールの教授に)のアトリエへの入門を皮切りに本格的に絵画の世界へと入って行きます。展示は1880年後半から1890年前半の作品がほとんで10代後半から20代にかけて精力的に制作したことになります。 「ディヴァン・ジャポネ」1893年(ロートレック29歳) 展示されたリトグラフはデザインが斬新で現代のポップアートと比べても全く遜色がないという感じでした。そして一番惹かれたリトグラフはタイトルに「ジャポネ」が入ったもので日本風の装飾が施された長椅子の宣伝用のポスターとして描かれたそうです。 「君がため!」のための石販(結構厚みがあります) 1893年 ドイツで発明されパリで花開いたリトグラフ(石販画)の仕組みについても詳しい説明がパネルにあり、実際に画家が石販に描いた絵を初めて見ました。紙に刷ると確かに反転しています。 個人的に特にロートレックについて興味を持ったのは「踊り子」の絵で有名な印象派画家「エドガー・ドガ」を尊敬し画風を真似て油彩を描いていた時期があり、その中の一枚「赤毛の女(化粧)」が私のお気に入りの絵だった事(ドガはロートレックを嫌っていたようですが・・)やユトリロの母でありルノワール等の絵のモデルを務めた「シュザンヌ・ヴァラドン」の絵の才能をいち早く認めた事があります。シュザンヌ・ヴァラドンの絵も力強い線が特徴です。 ロートレックは1899年にアルコール中毒となり入院、退院、そして2年後に脳出血のため36歳で亡くなっています。ゴッホと同じようにまだまだ志半ばでの死だったのではと思うと、もう少し後の作品も見てみたい気持ちになります。
2025.01.04
コメント(0)

昨年の2月にお世話になっている知人のMさんから「ちょっと旬が過ぎて酸っぱくなっているけれど」と頂いたのが手作りの大根、キャベツ、人参と身欠きニシンで作った「ニシン漬け」でした。漬物の酸味を和らげるため試しにオリーブオイルをかけてみるとこれが絶妙な味わいとなりました。 そして正に旬の昨年の12月下旬にニシン漬けが届き、今回はエクストラバージンオリーブオイル(ギリシャ産)に加えてギリシャのフェタチーズ(羊と山羊のミックス)を用意して山羊のチーズと相性抜群のロワール地方のソーヴィニヨンブラン100%の「Pouilly Fume(プイィ・フュメ)を2025年の「飲初め」の1本に選びました。 アルコール度数12.5% ニシンが大根の下に隠れてしまいました💦 昨年4月の「ヴィノスやまざき」でのワイン・セミナーでテイスティングをして「晴れの日」ワインとしてチェックしていました。運良く一本だけ残っていて4月より若干の値上げがありましたが、プイィ・フュメで3,980円(税抜き)は「ドメーヌ・フランシス・ブランシェ(Francis Blanchet)」ならではのコスパの良さだそうです。 余談ですが、ニシン漬けは北海道でニシン漁が盛んだった江戸時代から明治にかけて発祥した郷土料理で、日本角地から「蝦夷地」に渡った人々が郷土で作られていた漬物に特産のニシンを入れて作り出したのが始まりだそうです。本来なら北海道産のワインや山羊のチーズと合わせるのがベストかなぁとも思いますが、まだまだ北海道産のワインのレベルはそこまでに達していないというのが昨年1年北海道産のワインも飲んで感じる事です。 そして今月のヴィノスやまざきのワインセミナーのテーマは「ピノ・ノワール」でやっぱりブルゴーニュ産のピノ・ノワールの味わいに感動するのかなぁと・・🍷
2025.01.02
コメント(2)

昨日のNHK紅白歌合戦の特別企画「スピンオフドラマ&米津玄師のコラボ」は朝ドラ「寅に翼」の秀逸さを改めて感じさせるものでした。 スピンオフドラマの時代設定は1937年(昭和12年)の年末で、この年の7月に太平洋戦争へと続く日中戦争が始まっています。寅子の「穏やかな年の瀬を迎えたくても、この世は余りにも穏やさからも平和からも程遠くて・・海の向こうでは戦争をしているし苦しい思いをしているご婦人方は山ほどいる」のセリフには今も続くウクライナ戦争や中東問題も頭をよぎります。 戦争に人生を翻弄された人、男尊女卑という風習に苦しむ弱者の立場に寄り添い誰もが少しでも生きやすい世の中にと努力を続け周りの人達も巻き込んで行った寅子の人生には尊敬の念と共に大きな元気をもらいました。 スピンオフドラマで寅子の両親の「来年はそして次の年はもっと良い年になっている。そして100年後はもっと・・」のセリフの後に自然な流れで米津玄師さんの「さよーならまたいつか!」でした。コラボの撮影が「寅に翼」の中で東京地方裁判所として使われていた現在の「名古屋市政資料館」である事を初めて知りました。調べてみると1922年(大正11年)にネオバロック様式で建てられたレンガ造建築物で、実際に1979年まで裁判所として使用されていたそうです。ライトアップの効果もあり重厚な建物の様子がまた歌やダンスを盛り上げてくれました。寅子との最後の決めポーズにもほっこり。 こんな素敵なマリアージュのようなドラマと主題歌にまた会える事を楽しみにしています。
2025.01.01
コメント(0)
全17件 (17件中 1-17件目)
1


![]()