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実は、今日は眠いです。かなり眠いです。今日は、我が町の新調屋台の入魂式。神社行って、お祓いして、入魂してもらったらええんやけど、そうも行かないのが、「祭」今日はあいにくの雨、鈍色の空が憎憎しいなあ。まあ、天気予報に怒っても仕方ない。でも、絹の化粧まわしを辞めて、泥まわしで御蔵へ。実のところ、昨日は子供のようにワクワクして寝られなかった。ともかく、屋台にカッパを着せて、出立ち。入魂式と言えど、実質的は祭りモードであり、神社での神事を除けば、普段の祭りに遜色ない。つまりは、入魂式にかこつけて、余分に祭りをしようと言う算段。御蔵から外に出してみるとこの屋台、なかなか大きく見える。大きい方が、もちろん、見場がええし迫力もあるけれど、その代わり、重く切り回しに苦労する。大丈夫かいな、この人数で上がるんかい。ともかく、ふれ太鼓、町練りに出発。超練りは、車輪をはめて、すごすごと。雨が、ほんまに、気分悪。ところが、いざ神社へ出発と言う時期に雨が上がった。「さあ、担ぐぞ!担ぐぞ!」檄が飛ぶ。「さあ、太鼓叩け、上げるぞ!!!」銀タテは拍子木、怒鳴りながらかち鳴らす。「アイヤ-ショイ、アイヤーショイ、ソラ、ヨイヤサ、ヨイヤサ、ヨイヤー、ヨッソオイ」1トンばかり屋台が数十人肩に上がる。「楼門を抜けて境内に入る」擬宝珠を外して楼門をくぐると境内の中では独壇場です、何せ、今日は我が町だけ、普段やったら18町もあるから。「宮練り、そして初練り」よー練るわ、疲れも知らず。自画自賛やけど、なかなかええ姿してる。これで、3年たって、露盤、狭間の彫り物や本飾りが完成すればええなぁ、子供のように思う。「練り上げる、実は銀タテ登場してます」この神社では、拝殿の中に屋台を引きずり入れてその高い床と低い梁の間で屋台をかき上げるのが名物。梁にぶつかって、よく屋台が壊れます。今年は、初めての屋台、大丈夫かいな、心配。「ごじゃごじゃ言うな!いくで、いくで!」気持ちとは裏腹に、祭りに弱気は禁物や、「上見とけよ!行くぞ!上げるぞ」「拝殿練」ぴたっと、決まった。やった!やった!そら、ヨーイヤサ!みんな、祭りキチガイです。帰りも、一度も屋台を落とさず、担いだままで帰ってきました。男気があって、勇壮で、今日はほんま、感慨深いです。さ、今度は、ほんまの祭りや!
2007.09.30
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大きく 溜め息をつきました。何だか 悲しい気持ちになった。仕事も 多分 目一杯、手抜きはない。祭りの練習にも 時間が許す限り顔をだしています。人の中にいると、揉め事の仲裁や、相談ばかり嬉しいとか、楽しい生活じゃないけど、間違っていないと信じている。勝手気ままな生活をして、若い時は散々回りを苦しめた。だから、誰かが傷付くことや、悲嘆することに尋常でいられない。善人の振りはしない。どうせ、人を救えるほどの才はない。一人では生きられない。より多くのものの一人として僕はいる。分かってもらえないこともある。嫌われることもある。一通の短いメールでも、僕は また同じように声をかけるだろう。ただ、今日は体調不良のせいか、元気がでなくて。悲しさが、小さな刺になって 残った。
2007.09.27
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I シャル リターン。「必ず私は戻って来る」企画のチームに、マッカーサーを真似て、退任の挨拶をして、本店を出てから、既に4年になる。あの言葉は果たせていない。約束が果せないことも沢山ある。自分の力のなさを痛感する。親には、「約束は死んでも守れ」と教えられた。でも守ってもいないし、死んでもいない。『もう、仕事いやいや、もういい』連日、仕事帰りが11時を回るあいつ。「まあ、そうグチらんと、頑張ろ」もっと、気の利いたこと言えよ。ゴールしてからまだ100m走れと言ってるみたいだ。ほんまはうなずくだけで良かった。「みんな、だらだらで仕事遅い。誰もリーダーがいない」実に疲れ切って声がかすれていた。そうそう、ボスたらん人物はいない。上司はいっぱいいるが。でも、どんなに指導力があり、カリスマ性があっても、支える皆が居らんと、決して、何も達成できないだろう。「周りに見当たらないってことは、お前がボスなんだよ」『私は、すでにボツです』うまい事言ったつもりだったが、眼には涙が浮いていた。「困った時は、何時でも助けたる」と、言いながら、やれ仕事、やれ祭りと、自分の余裕さえない。肝心な時に、全く当てにならない。『ありがとう』と言ってくれたが・・頑固でいい、何事でも、最後までスタンスを変えてはならない。約束に、損得勘定の測りを持ち込んでは、ならない。下手な説教をするな。優柔不断なうなずきマンの方がマシ。そして、守れそうに無いと分かっても、途中で投げ出してはならない。約束は、どんなに軽くても、約束なのだから。
2007.09.26
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今日は、屋台に刺繍ものの飾りつけ。それから、入魂式に使う感謝状作り。それと、新調屋台の建設委員会。それと・・・・なんや、「祭」ばっかりやん。写真は、幕を付けたところ。「龍の玉取り」の図。祭り好きと、人に言われるけど、ほんまに、祭りが好きなんかどうか?嫌いでないこと、と好きであることとは、随分違う。幼い頃、祭り太鼓の音に ワクワクした。でも、父も母も祭りには連れて行ってくれなかった。でも、理由は 聞いたことが無い。猜疑心や不信感で、人の心を計ったらみんな相手は嘘つきに見えてしまう。悪口を言っても、自分が良く見える訳でもない。なのに、人を非難する光景が多すぎる。それは、仕事場であったり、自治会の会合であったり友達や仲間同士の諍いであったり、どんなところにも。仕事場の信頼できる先輩に、「お前、ムシって知ってるか」と聞かれた。知ってるさあ、虫ぐらい。いや、無視ってことかぁ?「無私だよ、自分をまず無しにして、相手と向き合う」『それで、どうなるんですか?』「カラカラのスポンジはどんどん水を吸う」『禅問答ですね』「自分の中が相手の気持ちで一杯になる、相手が分かる」無私になる、かぁ。それもええかなぁ、自分ばっかり主張しても、誰も喜ばへん。出来るかどうか、とも思うけど、「無私」で頑張ってみるか。
2007.09.24
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今年の秋祭りに備えて、新調屋台がやって来た。昭和50年に作られて以来、実に30年ぶりだ。これは、実は9月17日の光景。直ぐにブログにと思っていたけど、何せ、仕事・祭・寝るの生活の銀タテ・・・でも、紹介せん訳には行かない。何セ、銀タテにとっては一大事やから。ただ、ブログに載せても、似てくれる人々が面白いかどうか・・ほら、年賀状で、赤ちゃんの写真の もらうでしょ。確かに、おめでたいことやけど、相手さんのことやしとか・・興味薄やったらと。押し付けやったらごめんなさい。でも、本当に知ってほしいから、紹介します。雨がちの9月の中旬にしては、清清しくよく晴れた。建設業者からトラックに乗せられ坦々と運び込まれる。白木の檜の香りがええなあ。なかなか、屋根の格好がええです。しかし、これは「自画自賛」と言うやつですね。神社の秋季祭礼では、もう柱幅2尺8寸を超える大屋台も多い。そんな中で、2尺4寸の屋台は小ぶり。でも、小さな我が町には充分大きい。ここは、新町で、銀タテが小学校の低学年までは自治会も無かった。当然、祭り屋台も無く、隣の旧町に混ぜてもらっていた。肩身の狭い子供時代だった。なんか、大きなおもちゃをもらったようで、子供のようにはしゃぎたい気持ち。大工は、ここの浜手の屋台業者や無かったけど、立派な御輿屋根を作ってくれました。宮脇建設さん、ありがとう。 左のは、仮路盤。来年は露盤の彫り物が出来上がるのでたった1年でお払い箱なんですが、立派です。右は正角の彫り物。井筒の上の屋根を支える4箇所にこの彫り物があります。福井の大木光氏、ありがとう。御輿屋台も、仮金具を付けると、グッと様になってきます。実は祭り屋台、完成までは3年ほど掛かります。飾り金具もいっぱい付きます。でもええんです、最初はこの白木の屋台がいい。太鼓を入れると、こんな感じ。太鼓も新調、鏡面が2尺3寸、胴幅3尺、丈3尺。なかなかデカイですよ。網干の真田太鼓さんありがとう。あと、刺繍ものがあって、これらを、屋台に飾り付けて、太鼓ののり子が乗って・・説明難しいから、9月30日入魂式なので、そこでの写真をまた紹介します。やけど、まわし巻いてて写真とれんかも。ちなみに、刺繍ものも紹介。幕の図柄は「龍の玉とり」 高欄に掛ける布団の図柄は、一の谷の合戦から「鵯越(ひよどりごえ)」鷲尾三郎、亀井六郎、源義経、武蔵坊弁慶・・あってるかなあ、日本史苦手!ししゅうのおくむらさん、ありがとう。ちなみに、読売新聞に載りました。地方版ですけどね。
2007.09.22
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別に、毎日が不満な訳じゃない。ただ、振り返る 余裕が無いだけ。毎日、全速力で走ったか、と聞かれると、まあ、シャカリキも似合わない歳だし、と半分だけ、はぐらかしを 試みる。仕事帰りに、振り返れば、電信柱に絡みつくように、半月の瞬き半分だけ 輝いて見せて、後の半分は そっと、隠しておく。隠れた半分を、使わないのですか?使ってしまって、絶望したら・・自分を慰めるものが、無くなってしまうでしょ。無くして困るほどの 自分が居るとは思えない。半月は、陰のある自分の横顔みたいだ。僕は、苦い顔をして 車のエンジンを掛けた。
2007.09.20
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仕事が終わって、家に帰って来ると、蒸し暑くて、ネクタイもズボンも脱ぎ捨てる。シャツとパンツだけになって、やっと、家に帰った実感がわいてきます。おやじ(銀タテ)と息子1は、いつも同じスタイル。つまりは、娘1.2には非難轟々の「パンツ同盟」である。父「おい、祭りのまわし買うて来たぞ」息子1『まわしなぁ、好かんけど、ま、今年はしゃーないな』「アホか、これからは、お前も毎年まわしやぞ」まわしとは、あのお相撲さんの、アレである。祭りには、このスタイルが不可欠だ。『まわしやったら、トイレ困りそうやな』「そんなもん、ガーッと出して、ドーッとやって、ギューッと引き上げといたらええ」『ガーッ、ドーッ、ギューッやな』「おお、飲み込み早いやないか」「そろそろ、車買わへんのんか?」『そやなぁ、金、掛かるしなぁ・・』「早よ買うて、お前のデートから、おやじの車を解放してもらいたい」『別にええやん、ガソリン代も出しとるし』「いや、シート使いすぎで破れるかもしれん」『アホか、おやじとちゃうわ』『マニュアルが欲しいんや』「説明書やったら、どの車にも付いとるやろ」『マニュアル・シフト!』「軽トラやったら、だいたいマニュアルやぞ」『軽四トラック買うてどこ行くねん!田んぼか!』『アメ車でも買うかな』「あめ玉にしとけ」『昔のカマロがカッコエエけどな、ガス食うからな』「そんな臭いもん食わんやろ」『燃費が悪いと言うとんねん』「ほら、便秘は体に悪いわ」『正露丸飲んでき』「マジな話し、よけ便秘するやろ、あれピッピ止めやぞ」『バイクもええなあ』「バイクはええぞ、風になれるからな」『俺小さい時、おやじずっとバイク乗っとったやろ』「おう、風になっとったな」『遠い星になってしまわへんか心配したわ』「あの、ホンダCXは良かったぞ、GLやから。横置きVツインで、ドライブシャフトで」『あのシャフトはなかなかのもんやったわ』「やろう、やろう、ツー好みや」『だいたい、大型スクーターに乗りたい気がしれん』「スクーター言うたら、昔は医者の往診か坊さんぐらいやった」『そろそろ、俺の部屋から出て行ってか』「部屋キレイになったなぁ、彼女でも来て掃除したんちゃうか」『・・・・な、なんで知っとん・・』「え・・・・・・、ほな、さいなら」まあ、くだらない親子の会話でありました。
2007.09.10
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テレビ朝日系(こっちでは朝日放送)のドラマ「生きる」を見ました。実は、太鼓の練習で、全部は見られなかったので、後半だけ。この「生きる」は、1952年、志村喬主演、黒澤明監督で映画化されています。ベルリン映画祭で銀熊賞を受賞した名作です。主人公は、市役所の課長、可もなく不可もなくで過ごしてきた平凡な課長、渡辺勘治がガンと診断され余命幾ばくも無いことから物語が始まります。自分の人生は、一体何だったのか。愕然とする自分と向き合い、奔放に生きる部下、小田切とよと出会い、人生を見つめ直します。テレビドラマの方も、筋書きや場面構成はだいたい同じです。僕らは、「生きる」と言う事実を、時々忘れがちになります。「当たり前」と言う言葉で毎日を片付けてしまいます。考えてみれば、僕だって、死にそうになったことがある。6歳の頃、肺門リンパ腺炎にかかり、40度以上の高熱が3日も続き、往診に来たお医者さんが「覚悟も必要です」と両親に話したそうです。「生きる」ことと「生きている」こととは、違いがあります。ただ生きているのでは無く、自分が望んで生きる。そのことが、とても大事。大失恋をしたとしても、その涙は、生きる証だ。時には、泣いてみよう。生きることの意味を発見できるかも知れない。 祭太鼓のズシンとした音が、心地よく響いています。 まるで、心臓の鼓動のようです。ドン・ドン・ドドン! どうしたって、死ぬまで、生なあかんのやら、 ただ、淡々と「生かされる」より、 自分に真剣に「生きる」を考えてみよう、と思った。●生きる胃がんに冒されたある公務員が選んだ生き方、そして人間の生き甲斐とは……。主役の志村喬をはじめ多くの名優を起用し、作品に重厚感を与えることに成功。ベルリン映画祭銀熊賞に輝く名作。 特別価格 5,400円 (税込 5,670 円) 送料別
2007.09.09
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9月に入っての一週間が終わりました。その一週間な、実に長かった。もっとも、その感覚は私的なもので、一般社会は普段通りで、実に何気ない。9月の誕生日もそこそこに、仕事では、膨大な調査資料がデスクを埋めつくした。資料の山を何度も崩しながら、パソコンと格闘する。誰もいないオヒィスが午前0時の闇に沈んだ。一体、誰のために仕事をし、何のために生きているかを錯覚する魔の時間帯。「僕らは幸せのために生きているのではないか」問い掛けて見るが、答えの無いことは知っている。仕方ないわな、強制労働じゃない。命令も無い。でも、やり遂げたい、たかが仕事でも。要領良く生きるコツもある。責任回避も適当にやれば楽だ。部下をグチるのもいいだろう。ただ、そんなことより、自分が何をやったか、その結末の行きどころが気にかかる。苦情もトラブルも多い一週間だった。真剣に答えるとバカを見る。でも不親切は問題拡大を招く。CSが大切だ。これはどの会社の経営陣も口癖になっている。顧客満足とは何だ。苦情があると、すぐに第一線はCSがなっていないと指摘がある。バカバカしい。誰かの心を、温かくさせているだろうか?最近、誰かのために泣いただろうか?ふと、仕事だらけの自分を振り返った時、CSって、実は小さな思いやりだと気が付く。温かい心をたくさん持っている職員が、いっぱいいる会社にこそ、CSは存在し、ギスギスして、職員すら居りにくい会社に、CSなど存在するはずがない。連日の午前様で体力の限界もあるが、案外、仕事の中で感じる自己矛盾の方がこたえる。不眠症と慢性頭痛とジンマシンに悩まされた。誰かに八当たりしたいが、それも自分らしくない。自治会の仕事、祭の太鼓練習、他にもやることが山積だが、全部こなせるはずもない。もし、叶うなら、デッドヒートの巨人×阪神をテレビ観戦するくらいの、慎ましい余裕が欲しい。そして、もっともっと、友人や大切な人や家族や、あなたの、話を聞いてあげたい。[For You]
2007.09.08
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まだまだ、暑い日が続くと言うのに、祭りモードが全快だ。ナンセ、2週間も前から、太鼓の練習が始まり、既に太鼓の音が耳に付く。9月1日、新しい太鼓が入蔵、なかなかの大太鼓で、町民を圧倒。鏡面の直径2尺3寸、胴径3尺、丈3尺で、重量は100キロぐらい。まだ皮が固く、打音が甲高い。しかし、これは新品の証だ。ドンとブイを擲てば、ズドンと勇壮な音が身体に響く。今年から、この音が、この町の伝統になる。今は練習台に吊るされて、本番を待っている。新調屋台は、9月17日に入蔵の予定で、子供のおもちゃの様に待ち遠しい。しかし、この太鼓、4人がかりでも 重い。これからの始末が大変だ。まあ、若衆が一層に励むだろう。
2007.09.02
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Canon S5IS ISO200 友達の招待で、兵庫県宍粟市山崎町の八幡神社で行われた薪能に行ってきました。「ボロボロの能舞台が神社にあってな・・」と言う話で、こりゃ是非行かんとあかんな、と言うことで。ところが、能舞台、「新品になっとるやん!!!」なんと、今日のお昼、竣工祭が行われたとか、おいおい。でも、なかなか立派な能舞台です。よく田舎に行くと、農家を改造したような、いかにも農民舞台という様な能舞台があったりするけど、ここの能舞台は、なかなか本格的。立派です。出し物(演目)は、観世流 能楽 「西王母」・・・・(せいおうぼ)大蔵流 狂言 「伯母ケ酒」・・・(おばけざけ)観世流 能楽 「正尊」・・・・・(しょうぞん)能といっても、内容に精通しているわけもなく、シテ、ワキ、囃子(はやし)、地謡の言葉は知ってるもののどう言う、役目かも知らない。ゆっくりと、時が経って行きます。暗く沈んだ、鎮守の森の中に、能楽の雅楽が響き気持ちが、すーっと、澄んでいく気がする。「ありがとう」自然にそんな言葉が出て、誰に、ありがとうなのか、それすらも定かでなくでも、「ありがとう」薪の炎に揺られながら いい時間を過ごしました。
2007.09.01
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