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皆さん、今晩は。12月17日から急に空気が冷たくなりましたね。 さて、今夜は苦労について書きたいと思います。 人間は生まれてからさまざまな苦しみを経験します。私自身も、つらい経験をしているので、子どもを産むことに抵抗がありました。特に、大学生の頃は、「独身のまま一生を終えても良いのではないか。」と真剣に考えました。 自分で自分を幸せだと思うことができる人は、親になることに抵抗が無いかもしれませんが、自分を幸せだと思うことができない場合は、「我が子にも苦労を背負わせてしまうのではないか。」と、「生まれることで苦労が始まる。生まれて来なければ、苦労も始まらないのではないか。」と自問自答しました。 万人(ばんにん)に当てはまることですが、人間が生まれること自体が幸せではないのではないか、と悩みました。 人それぞれ苦しみの質が異なります。 ☆ ☆ ☆ そんな私でしたが、4年制大学を卒業して、社会人(教員)になりましたが、すぐに結婚しました。 それは、私には男兄弟がなくて、墓守(はかもり)の宿命を背負わせられていたからでした。 もしも、私に男兄弟があったら、私の人生は(今の私の半生とは)異なるものだったかもしれません。 しかし、宿命こそが定めなのだと気がつきました。 人間は、それぞれ質の異なるものを背負って生きています。 読者の皆さんにも当てはまりますが、あなたが背負っている苦労の内容と他の人たちが背負っている苦労の内容は質が異なっていても、苦労の量は同じなのかもしれません。 ☆ ☆ ☆ 占い師の経験を通して私が実感したことは、「人間は苦労があるからこそ、幸せの有り難味がわかるようになる。」ということです。 あなたが、今、何かで苦しんでいたり、つらい思いをしているのであれば、「私の今の苦労は、将来やってくる喜びや楽しみをさらに大きくしてくれるためにある。」と考えて下さい。 これから先、1年後あるいは2年後、内容によっては5年後、10年後にやってくる幸せに深く感謝できるために、今は努力をしているのだと思って、つらい出来事にも耐えて生きていって下さい。 私も、今では、「私は幸せだ。」と思うことができるようになりました。 文責 ルビー < 後書きとして > 中学生や高校生にも読んでほしいと思って、私は日記を書いています。 おとなのかたには、おこがましいですが、ご容赦下さい。 ↓ マカロンをクリックして下さる人たちの幸せを祈念しています。 人気ブログランキングへ とれまが
2014年12月20日
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ひとつ前の記事の続編として読んで下さい。 人間の願望や欲望は際限がないところがあります。欲を言えば限りなく不満が生じます。 姫路城や日光東照宮の建造物から私たちが学ぶことは、「完全な形を作ってしまえば衰退が始まる。あえて未完成のものを残しておくことで未来への発展に願いを込めた。」という先人の知恵でしょうね。 日常生活においても、親に不満を抱(いだ)いたり、友だちの誠意が足りないように感じて悲しくなったり、人間はとかく他者(自分以外の人間)の言動に心を左右されやすいものです。 しかしながら、実際には自分も相手から見たら、完全円満な人格ではないものです。 もちろん、比較的に良く出来た人格のかた、高潔な人格者も、世の中にはいらっしゃいます。長所が多くて短所は少ない(と思われる)立派な人に出会ったこともあります。 私自身も欠点が多い人間です。しかし、こんな私でも子ども時代から心掛けていることがあります。 それは、相性が合いにくい人たちや好きになりにくい人たちの長所を探(さが)すことです。 あっさり言うと、ウマが合わない人や好きになれない人の長所を見い出すことは難しいことですが、人を見る目を養うことができます。自分の人格の向上につながります。 ☆ ☆ ☆ さて、占い師の経験から私が実感したことは、人間も完全ではないし、どなたの人生も完璧(かんぺき)ではないということです。 どなたの人生も、球(のように、どの角度から見ても円形)ではなくて、いびつな形になっているものです。 欠けている部分だけを追い求めて、不幸な気持ちになって悲観するのは、どんなに聡明な人間にも起こりうる感情です。 人間の幸福は数値化できないですが、仮に幸福の物差しが10項目あるとします。その場合に、9項目において幸せであっても、たったひとつの項目が叶えられていないと嘆き悲しむ傾向があります。 具体例を挙げると、若い女性にとっては、「恋人がいない」という現状は、「大変に寂しい心理」であるようです。 その女性は、9項目で満足していても、1項目で充(み)たされていないと、その1を拡大してしまい、10の悩みになり、9の幸せと逆転するようです。 若い人には難しい発想かもしれませんが、もう少し、目の前にある幸せに感謝してみませんか。 健康な体に恵まれている、親から愛されている、など沢山の幸せがあるはずです。 たったひとつの欠けている部分を追い求めて、自(みずか)ら窮屈な穴の中に入って行く人たちを見ると、「そこ(=窮屈な穴)には幸せはないよ。」と言いたいです。 「若いのに、時間の使いかたも心の使いかたも、もったいない。」と、私は(他者の人生ながら)残念に思います。 自分の人生に不満を抱(いだ)いている心理状態で、異性の友人と巡り会おうとした場合は、あなたの心の隙間(すきま)を利用されて、空(むな)しい交際になるでしょうね。 寂しい人間には、寂しい人間しか寄って来ないです。「類は友を呼ぶ。」です。 まずは、豊かな趣味を持って、心を充実させて、自分の人生に満足できるようになって下さい。 文責 元・占い師 ルビー < 後書きとして > 中学生や高校生にも読んでほしいと思って、私は日記を書いています。 おとなのかたには、おこがましいですが、ご容赦下さい。 ↓ マカロンをクリックして下さる人たちの幸せを祈念しています。 人気ブログランキングへ とれまが
2014年12月04日
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昨年の11月30日に占いイズムが閉鎖されてから、丸1年の歳月が経過しました。その後も私のブログを訪れて下さる人たちがいらっしゃって、深く感謝します。 ☆ ☆ ☆ さて、人生の年輪を重ねると共に、完全なもの(者あるいは物)は無いことを実感する日々です。 私自身、お恥ずかしい話ですが、10代の後半から20代前半にかけては、他者(自分以外の人間、家族も含む)に対して不平や不満を抱(いだ)くことが多く、その不満が不幸な感情につながっていました。 1.人間そのものが完全ではない。人格者でも欠点はある。 2.人生そのものが完全ではない。不平や不満を抱(いだ)いていたら際限が無い。 まず、上の1について、 人間は欠点がある者です。あなたにとって身近な他者は家族です。皆さんは、家族の欠点にも気がついていると思います。同様に、家族もあなたの欠点に気がついているでしょう。 だから、人間がふたり居れば、なんらかの意見の違いがあるのか当然でしょうね。他者の欠点に対しては寛大になれるように努力したいものです。 次に、上の2について 私は「人生そのもの」という表現をしましたが、平たく言うと人間が気に掛かるのは幸福でしょうね。 幸福については、自分で「私は幸せだ。」と思うことができてこそ幸せでしょうね。 世間の人たちがあなたを見て、「〇〇さんは幸せだ。」と思ったところで、あなたが幸せだと思うことができない場合は、不幸にして幸せではないことになります。 では、どうすれば、「幸せだと思うことができるか。」が肝腎要(かんじんかなめ)ですね。 これは年輪を重ねると次第に理解できることですが、「完全なものは無い」と悟ることでしょうね。 悟るという言葉が抹香臭い(まっこうくさい=仏教的)と感じるのであれば、「手放す」と考えて下さい。 完全なものはいない。→ 完全な者(=人)は、いない。 完全なものはない。 → 完全な物 (品物、土地や家といった有形のもの)や、完全円満な幸せはない。 読者の皆さんには釈迦に説法ですが、日光東照宮の陽明門の逆さ柱(さかさばしら)、姫路城の揚羽蝶(あげはちょう)を逆さにした家紋の瓦などで、おわかりだと思います。 日光東照宮の柱も姫路城の瓦の文様も、「完成した瞬間から建物の崩壊が始まる」という故事に則(のっと)って、職人らがわざと逆さにして未完成のままにして繁栄を願ったそうです。 人間も願望の全てが叶ったら、衰退が始まるのでしょうね。 < 後書きとして > 中学生や高校生にも読んでほしいと思って、私は日記を書いています。 おとなのかたには、おこがましいですが、ご容赦下さい。 文責 元・占い師 ルビー ↓ マカロンをクリックして下さる人たちの幸せを祈念しています。 人気ブログランキングへ とれまが
2014年12月03日
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