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今日は、久しぶりに教会に行って来ました。日本出張中を除いて、3週間も行かなかったのは初めてかも知れません。 なぜかここのところ、土・日が忙しく、行く余裕がなかった、というだけの話ですが。私が教会に行き始めてから、かれこれ5年以上経っているでしょうか。 クリスチャンでもない私が教会に通うのは、1. 一週間で一番、精神的に静謐な時が持てるから2. 過去の偉大な書物(聖書)を勉強できるから3. いろいろな意味で考える材料を豊富に提供してくれる場だからというような感じです。 聖書は、さすがに2000年の歴史がある本だけに、昔から神学者や哲学者は言うに及ばず、文学や芸術に大きな影響を与えてきました。それだけの「人類の知恵」的なものを、全く知らない、というのは余りにももったいない。そんな気持ちもあり、機会があれば聖書勉強会にも参加してきた5年間でした。 ただ、周囲のクリスチャンの方々の期待とは裏腹に、私のキリスト教に対する、いえ、宗教というものに対する見方、考え方は、逆に、それらを部分的に否定する方向にますます行くようになり、今日に至っています。 一言で言えば、キリスト教に限らず、ほぼ全ての宗教において、その恩恵とかめぐみ、もっと即物的に言えば、「ご利益」というものの話しばかりが強調され、あまりにも、その「闇」 「影の部分」 を無視しすぎている、という認識が深まってきたからでもあります。 キリスト教などの「一神教」に、必然的につきまとう、「独善性」と「排他性」。 その中にいる人がいくら「恩恵」を被ろうと、「恵み」を受けようと、この「闇」の部分で人類に災厄をもたらしている事実を、けして、これらの宗教の人たちは認めません。 事実としてそうなのに、けっして認めません。 私には、どうしてそう無視出来るのか、その方が不思議なくらいです。 話が、テーマとしてあげた「存在そのものが罪」というものからだいぶ逸れてしまいました。本当は、キリスト教の、根本となる「罪」というものに関して、今日の教会で考えたことを書く予定でした。が、これを書き出すと、この日記の2倍や3倍書いても、間に合いそうもありませんので、またの機会にしたいと思います。 ちょっとだけ覚書を。人間存在の意義を考えると、私たちは、なんのために、この「世界」に生きているのかを突き詰めていく過程で、必然的に「神」あるいは「あるもの」の意図にぶつかります。 その「あるもの」の意図を考えた時に、この「人間存在」そのものの意味、意義、目的と言ったものがおぼろに浮かび上がってくる気がします(完全には、人間の知性では把握できるものではないでしょうから) その「意図」を考えていくと、キリスト教の言う「罪」の解釈が、聖書に書かれえいることや教会で解かれていることとは全く別の意味をもってきます。 それに照らして考えた時に、あまりにも、今の宗教の、キリスト教の、考え方は、「人間的」と言わざるを得ません。 逆に言えば、それが「神の言葉」だとは到底思えない、ということです。 このことについてはまたの機会に。
2012.03.19
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昨日は、一昨日の知人の送別会で飲み過ぎて一日中ボーっとしてました。で、今日は、やっとの思いで、アメリカの確定申告を終了しました。 長かった~、というか、一部の書類が来ておらず、準備は2月中に終わっていたのに、今日になってしまった、というだけですが・・・・。 結果、昨年以上のTax Return!! サラリーマン収入から天引きされていた所得税がほとんど戻ってきます! やった! って、喜ぶべきかどうか・・・・・。 なにせ、つまりは「極貧家庭」だ、ということが数字の上でもきちんと出ただけの話しですから・・・ 収入に対する所得税というのは、累進課税のため収入の高い人程、税率が高い、というのはどこの国でも一緒。 その「収入が高いと所得税率が高い」ハズの所得税率がなんと・・・・ ほとんど”0”!! (笑) それも、日本での収入も含めての話ですから・・・。つまりは、無収入と同じなんですね。 Taxが帰ってくる、と喜んでいる場合じゃない! ああ、早く、きちんと税金を納める身分になりたい・・・・・・・・・ (← ホントかよ!)
2012.03.14
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さて、今日二つ目の日記。 軽い順番で、と思いましたが、この日記も重くなるかもしれません。 先日からヒマにまかせて読んでいる「雲 黒斎」さんのブログ、2006年の分を読みきらないうちに、昨年2010年からこの9月まで続いていた連載小説のような「極楽飯店」というのを先に読んでいました。 昨年の8月20日から書き始め、黒斎さんいわく、はじめは3日ぐらいで終わるはずが、だんだんと伸びて、とうとう一年以上の長期連載になってしまった、とのこと。なかなか面白い話でした。このブログの内容、「あの世に聞いた、この世の仕組み」というブログタイトル通り、守護霊から受け取った情報を、管理人さんが「翻訳」して伝えている、という形になっています。 で、この「極楽飯店」というのは、小説の形でこの守護霊が話をしてそれを翻訳した、というよりも、守護霊の話をわかりやすく翻訳するために「小説」の形をとった、という方が当たっている気がします。それはともかく、「知識」として、この「極楽飯店」に出てくる「この世の仕組み」は、特に目新しいものはなかったんですが、説明の仕方がなかなか面白く、かつ説得力がありました。たとえば、「全ては一つだ!」と知っている事と、それを誰かに説明することとでは、大きなギャップがあります。 この小説、この「誰かに説明する」という部分で、なかなか秀逸でした。 まあ内容を書くとこれから読む人に失礼でしょうから、それは置いておいて、その中で、「なぜ人を愛するのか」ということの説明がありました。その説明をし出すと、この方のブログを転載するような形になってしまうので、それはやめますが、簡単に言えば、「もともと一つの源から来ている『私たち』なのだから、『他人』というものはない。 『他を愛する』ということは、とりもなおさず『自分を愛する事』なのだ」ということをなかなか面白可笑しく説明しているわけです。 翻って、例えばキリスト教で、この「他を愛する」ということに関してどう説明しているか、というと、下記の文章は、今日の教会で配られた牧師さんの「今日の一言」です。・・・・・・・・・・・・・・「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15:12)イエスの究極の教えとも言える言葉である。愛とは惜しみなく与える事だと言うが、問題はその与え方である。私たちは与えると言っても、自分の分からその一部を与える、自分のものも確保した上でしか与えられない。だが、自分の余りのもの、できる範囲を分けるのが本当の愛と言えるだろうか。 イエスはこの掟に続いて「友のために自分の命を捨てる事、これ以上に大きな愛はない」という。持っているものからあれこれ分け与え、時間を少々割く、ということではない。命を捨てる愛とは自分自身をすべて削って捧げる愛である。事実、イエスは十字架にかかり、その命を差し出し、私たちのために捨てる事で大きな愛を示された。ここに究極の愛があるのだ。イエスは互いに愛し合うように命じられたが、互いに、だから、一方的にではなく、私たちが互いに与え分かち合い、受けていくように求められる。だがそれは、まずこのイエスの愛を受ける事から始まる。そこで一方的に全てを受けているからこそ、自分を削って愛を与えていくことが可能となる。イエスの大いなる愛を受けている喜びの内に、主の新しい戒めを生きて行く者となろう。・・・・・・・・・・・・・・・ どうですか?まあ、イエスを愛を、そしてそれへの感謝を全面に出す、というのは、キリスト教なら当然ですが、それ以前に、「なぜ愛さなければいけないのか」という部分で、ここに述べられているのは「イエスによる戒め」であり、「求められている」のです。 これを裏返すと、「イエスの愛を知り、それを受けている事を知って感謝して、初めて他者を愛せるようになる」という風に聞こえます。 でも、私たちは、イエスを知る、知らない、に関わらず「互いに愛し合う」ことの大切さを知っています。 この二つ、つまり、「雲 黒斎」さんのブログにある「守護霊」の「互いに愛すること」の説明と、この牧師さんの言われる「イエスにあって、人を愛する」ことを主張するクリスチャンと、どちらがすんなり皆さんの胸の中に入るでしょうか?
2011.10.03
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前の日記の続編です。 今日も、土曜日にも関わらず、いや、独立記念日の月曜を含めての久々の連休にも関わらず、不動産エージェントのお仕事。賃貸を希望する方の家探しを手伝い、やっと入居までこぎつけたのが昨日。ところが入居するだんになって、家の清掃が十分ではない、という問題が発覚。前のテナントが犬を飼っていたこともあって、窓のさんや壁の下部には犬の毛が残っているし、ほこりも積もっている。これをこれから新しい入居者に貸そう、という状態にはなっていない。この状態に対して、相手のエージェントは、それ以上きれいにならない、の一点張り。入居申し込みをして、入る事になっている日本人テナントの奥さんは、あかちゃんがいることもあり、絶対にこんな状態では住めない、ということでお冠。しかし、やり取りをしていると、相手のエージェント(女性)にしても、この奥さんにしても、たったこれだけのことでカリカリしていて、怒ったり、イライラしたり・・・それは分からないでもないが、そう怒ったりイライラしても何の役にも立たない。感情的になって相手と言い争っても何の進展も期待できない。この家、95%は、入居者の希望に合致し、家賃もまあまあ。つまりは95%は満足しているのだが、この「あまりきれいになっていない」という一点で、この奥さんは感情的になっているし、それを受けて相手のエージェントも感情的になっている。結果、どちらにとっても、きわめて後味が悪い入居になってしまった。しかし、人によっては、全く同じ状況でも、やっと希望にほぼ近い物件に入居できることで、この「小さな」ことは無視してでも95%の満足の方をとって、幸せな気分で入居できる人もいるだろう。つまり、それだけイライラし、怒って、結果、自分を不幸にしているだけだ、と言えなくもない。先日も書いたが、どんな「客観的状況」を、どんな自分の「現実」とするかは、その人次第。 その中で、自分の感情をどうコントロールするか、いや、それ以前に自分の感情をどこまで冷静に見つめることができるのか、が、こういった「望まない現実」を作り出すことを阻止してくれる最強の方法ではないだろうか。
2011.07.03
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ここアトランタに、日系のコミュニティー誌がある。個人で発行しているので、内容的には偏っているかもしれないが、どこから拾ってくるのか、時々面白い記事がある。今月のものに載っていた、子供の逮捕の増加、という記事。日本では、子供が警察に逮捕されたらニュースになるでしょう。こちらではあまりこの手のニュースはありません。でも事件がなくてニュースにならないのではなく、逆に多すぎてニュースにならない・・・それが、傷害事件や発砲事件などなら、良くはないが、まだわかる。この記事で言っている「異常性」というのは、逆になんでもないことで逮捕される小学生、中学生が激増している、という点だ。たとえば、極端な例だろうけれども、「机にいたずら書きして逮捕された」小学生。xxが大好き、と書いただけで、学校が呼んだ警察官に校内で手錠をかけられて逮捕された。普段問題児でもなんでもない、普通の子。いじめに会い続け、とうとう爆発して「これ以上、いじめを続けたら撃ち殺すぞ!」と反撃に出た(言葉だけ。銃などは持っていない)子が、学校側が警察を呼び、校内で逮捕された。いじめに対して、両親は何度も学校側に対処を求めたが、警察も学校も先生もなにも手を打っていないという。なのに、この子は「恐喝罪」で逮捕されたのだと。一瞬、人種差別か?と思ったが、なんとこの子の写真が載っていて、彼は白人だった。「〇やXを机にいたずら書きして逮捕された高校生」これも、上と同じ、問題児でもなんでもない子だが、やはり校内で皆の前で手錠をかけられて逮捕される。理由は規則違反。普段から少し問題のある子供で、暴れることがよくある小学生。この3ヶ月で5回、警察に逮捕されたらしい。何かあるごとに学校が警察に通報し、そのたびに逮捕。しかし、カウンセリングなどはまったくされていない。「かんしゃくを起こして、周囲に当り散らした5歳の女の子」手を焼いた学校がやはり警察を呼び、この5歳の女の子(園児)も手錠をかけられて逮捕!!全国的な統計はないそうだが、あるフロリダ州のカウンティー(郡:人口13万人)では、過去二年間で400件以上、生徒が学校内で警察に逮捕された、という。もう唖然とするしかない。この記事でも筆者が書いていたが、「そこには、子供への愛情も、教育とは何か、という問いかけも存在しない」。手がかかったら、あるいは「規則を破ったら」警察を呼んで、生徒を逮捕させる・・・・。これを「異常」と呼ばずして何と呼ぼう・・・・
2011.06.12
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昨日まで居た日本で、滞在中に感じた事のメモ書きです。いつも同じようなことを書いている気もしますが(笑)、ダブりは承知で・・・。1.道路事情 :大都市集中の弊害でしょうか。実家周辺でも、スピードを出せるようなところはなく、いつもノロノロ運転。せいぜい40kmか50kmが関の山。そのくらいのスピードが出せてもホンの一瞬で次の信号・・・。こんな道路事情だったら、やっぱり低速時の燃費重視のトヨタのプリウスが人気なのもうなづけます。アメリカだったら、もう少し、高速燃費を改善するほうに少し振って欲しいんですが・・。2.湾岸 :今回の東日本大震災のことを考えながら、湾岸道路を走っているときに周囲をずっと見ていました。日本という国は、やっぱり海岸から数キロのところにほとんどの建物・施設が集中しているなあ、と言うことと、それがために、もし10mとは言いませんが、5mぐらいの津波が来ただけで、この辺り一帯はほとんど壊滅状態になりそうだな、と思いながら見ていました。ことは、原発だけじゃないような・・・3.高齢化 : 街を歩くと、周りの人の平均年齢の高さが日本に帰るたびに上がっているような気がします。自分のことを差し置いてなんですが、子供の数が少なく、70歳以上ぐらいに見えるお年寄りが本当に多い。今回は、父の入院、退院、そして介護付老人ホームということでいろいろな場所に行きましたが、病院などは本当に大半がお年寄りですし。高齢者医療の問題、介護の問題、そしてそのための財源の問題・・・・。こんな状態で、いつまでも消費税5%で済むはずがない。ヨーロッパではすでに20%の声を聞く昨今、政府にとって消費税上げは政権失脚の理由とされてきましたが、もうそんなことを言っている状況ではないし、それが遅くなればなるほど、日本の財政は破綻に近づきそう。今でさえ、財政健全化には最低でも15%ぐらいの消費税にしなければ間に合いそうもない、というのに。4.デパート :あるお土産を買いに街へでて、いろいろなところを探し回りました。しかし結局見つからず・・・・。デパートも駅前を中心に6つほどあるのですが、小田急、東急、丸井、相鉄ジョルナ・・・・、どこに行っても同じような店ばかり。それもファッション、アクセサリー、そして宝飾品、などなど・・・。確かに売れ筋と利益から言ったらそうなるのでしょうけれど、もう少しそれぞれが個性を持ってくれないかな、と思った次第。そして、客の大半が若い女性を中心に、女性が圧倒的に多く、男が買い物を楽しむようなところはほとんどなし。これは仕方がないことなのか?5.食事 : やはり日本は食事がいい! 今居るアメリカの家の周囲は、やはり住居区域が大半で、そのため生活用品・食料品、そしてレストランなど、アメリカの平均的なレベルに比べても便利なほう。しかし、ちょっと昼食を、と思っても、食べるところはせいぜい10軒から20軒、それもファスト・フードが大半。本当に選択枝がない。その点、日本は駅前を中心に、数百軒の店・レストランがあり、それぞれが違った食事を提供している。このバラエティーの多さは、もう圧倒的。 やっぱり日本はいいなあ、と思う大きな理由の一つです。6.クレジットカード :日本は電子マネーでは世界の最先端を行っていると思う。しかし、その反面、クレジットカードが使えない店が多いのには閉口する。普段現金を持ち歩かず、かと言って日本の電子マネーを持たない私にとっては、クレジットカードが仕えないと不便この上ない。勢い、銀行に行って現金を下ろし、常時いくばくかの現金をもちあるいているのだが、それがあっと言う間になくなる・・・・。こちらでは$100もあれば二週間ぐらい持つというのに。 これは、やはりクレジットカードでの支払いに対しては、店側としてコストが高くつくからなのだろうか。 それと、クレジットカードで支払いが出来る、ということのメリットを比較すると、あまりそのコストをかけるだけの価値がない、ということなのだろう。以下、項目のみ。7.リムジンバスの英語によるアナウンス : ちょっとなあ・・・。私が聞いても変な英語・・・8.リムジンバスの乗客 :下手をすると、日本人より外国人の方が多い?周囲で日本人と見えた人たちは皆、中国人か韓国人だった・・・・9.「便利屋」という商売 :今の時代、とくに高齢者が多くなり、需要が多くなるとおもっているのだが、そうでもないのかな?10.日本の労働生産性 :これだけ勤勉な日本が、なぜ「労働生産性」で世界の中で低い位置づけにあるのか? やはりシステムの差か?
2011.05.22
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先週、日本の仙台を中心に復興支援に行っていた教会の牧師さんが帰米し、今日の礼拝は、いつもの説教の代わりに、募金などに協力したいただいた皆さんのために、と、日本での活動報告をやってくれました。たった二週間ちょっとでしたが、ほとんど寝る間もないほどの忙しさだったようです。彼の目的は、日本のバプティスト連盟が今後被災地の復興を支援していくための調査と、海外からの支援部隊受け入れの窓口の双方があったそうです。とにかくインフラが寸断されているのと、被災地域が非常に広範囲にわたっている為、今のところ、どこから、いや何から手をつけていったらいいのか、という糸口さえも明確になっていない地域がたくさんあるそうです。そうした地域を、支援物資を配りながら、避難施設をまわり、被災現場を視察し、今後のボランティア派遣の土台を作るのが彼の使命だったようです。 その被災地を中心に300枚以上撮ってきた写真のうち100枚程度を見せてくれながら、その地域、地域の状況、人々の状況、そして協力や支援に懸命になっている人たちの姿などが写されていました。 そのどれもが、新聞などで見ている写真同様、いやそれ以上に、悲惨な状況をありありと伝えていました。 その牧師さんが一番感銘を受けたのは、そういった被災者の方々、特に避難生活を余儀なくされている人たちの間から、「私たちはまだいい方、もっと過酷な状況に居る人がたくさんいるから、そちらを是非支援して欲しい」と言う言葉をたびたび聞かされた、ということだったそうです。牧師さんにおっしゃるには、そう言った当人達も、寒さと食料不足に、あるいは家や財産を失った悲しみに押しつぶされそうになるのを必死にこらえているように見えたとのこと。そうやって自分自身を必死にこらえながらなお、他の人たちのことを優先してくれ、という言葉に、たびたびなんとも言えない悲惨さを逆に実感したそうです。これからこの復興は長くかかるでしょう。写真でみた瓦礫の山と化した町並み、あるいはほとんど使い物にならなくなった家々、そういったものを片付けるだけでも一仕事。そこから、本当に元に戻そうとするなら、相当な時間と資金が必要です。継続して、自分達に何が出来るのか、考えていかなければなりません。
2011.04.11
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昨日は、夜7時から9時半まで、毎週恒例の「勉強会」。5時ごろにサンドイッチをつまんで、それで夜10時半ごろまで持たせました^^;勉強の内容は種々雑多ですが、基本的に「人間について」の勉強。その勉強する内容そのものも確かに勉強になるのだが、それよりも勉強になるのが、その後の自由報告会。これは、今日の勉強を通して、それを自分はどう受け止めたか、と発表しあうもの。昨日は10名の参加者がいたのだが、本当に読んで字のごとく「十人十色」、おなじビデオを見て、同じものを勉強したはずなのだが、その受け止め方は千差万別。へえ~、あれを見てそんなことを考えたんだ~、とか、そんな見方もあるのか、というようなコメントが、ほとんど全員の人から出てくる。人それぞれだな、ということを改めて感じると同時に、同じ現象、同じ事件、同じ客観的事実に対する人々の反応、というのは、ことほど左様に、人それぞれで、ぜんぜん異なるんだな、ということを再認識させられる。人間、ともすると、自分が感じたように、あるいは自分が考えたように、他の人も感じ、考えている、という思い込みを持ちやすい。ところが、ふたを開けてみると、結果はてんでばらばらで、そこに至って、「なんで?」という疑問が出るのだが、もともとの「客観的事実」そのものの受け止め方、つまり「主観的事実」が各個人でばらばらなので、それに対する反応や対応もばらばらになる、という、ごく単純な事実を忘れがちだ。こういったことを積み重ねると、そのうち、他の人の見方は異なる、ということを物事を考える前提にすることがだんだんできるようになるんだろう。
2011.03.30
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今朝の新聞のどこかに、人間の一生を一日に例える話が載っていて、妙に印象に残っている。つまり、人生を、生まれたときを午前0時として、死ぬときを次の午前0時とすると、何歳が何時ごろになるのか、という類の話だ。そうすると、例えば、人生88年とすると、午前6時:22歳 やっと、これから社会に出る、つまり人生の「朝」だ。正午:44歳 朝の眠気も覚め、やっとエンジンがかかってきている午後6時:66歳 やっと、今日一日の仕事も終わり、これからが「自分の時間」だ。午後11時:ほぼ84歳:ようやく、一日が終わり、ゆっくりと風呂に入り、ベッドで読書か?こう考えると、50代なんていうのはまだまだ「勤務中」だ。そして、66歳になったら、さあ、これからが本当の「自分の時間」だ。定年が第2の人生とはよく言ったもので、一日のたとえでも、それまで家族のため、子供のため、ということで会社に行き、あるいは自営業でも、仕事にせいを出していた時間がほぼ終わり、それからが、本当の自分の時間が持てる時期でもある。まだ66歳には間があるが、早退して、早めに自分の好きなことをやっても、別にバチが当たるわけでもあるまい・・・・
2011.02.07
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妻に反対されながらも、今年の目標に挙げた「ピアノを弾くぞ!」というものに、まだ向かっている。つまり、「三日坊主」にはとうとうならずに済んだ(笑)と言っても、大して時間はかけていない。せいぜい15分から30分ぐらいの練習。というより、30分以上やると、腕のひじから先が痛くなってくるので、それ以上続けると腱鞘炎になりそうな・・・・^^;毎日新しい曲にチャレンジしていて、昨日は「メリーさんの羊」「一週間」、そして「ジングルベル」などなど・・・・とにかく、両手を同時に使う練習だ。大して難しくない「はず」なのだが、弾いていると、最初から最後までノーミスで弾けることが滅多にない(泣)それに妻にうしろから「もっと左手の伴奏を弱くして!!」とか言われるが、そんなことは出来ない。左手を弱く弾くと、つられて右手も弱くなる・・・・、う~ん、まだ先は長い・・・・・・
2011.01.05
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今日は、午前中からみぞれのような雪が降り始め、夕方からはそれが積もり始め、本当の「ホワイトクリスマス」になってしまった。明日は日曜日。朝教会へ行くのは車なのだが、この雪がどれだけ積もっているかによって、明日は家にとじこもっていないといけないかもしれない。そんな中、魂の存在について。全てのスピリチュアリティー、ほとんどの宗教は、人間を肉体を超えた存在とするか、魂の存在を前提としている。そこで、それを信じるかどうかで二通りの人間が現れる。つまり、魂の存在など信じない人間と、それを信じる人間と。でも、もう少し言えば、魂の存在を信じるのではなく、「体験的に」知っている、という人もいるかもしれない。この「体験的に」ということは、あくまでもその個人の主体的な経験なので、これでもって魂の存在を証明することにはならない。だが、その人間にとっては、自分の疑い得ない経験から、魂の存在を知る、ということになる。これが全ての人に起きれば話は簡単なのだが、それがそうでないから少しややこしい。いくら体験した、と証する人が居ても、あくまで自分が経験しない限り納得しない人間が大部分だろうし、いわんや経験したとしても、それを思い違いや幻想として片付けてしまう人間がいることは否めない。この「魂の存在」を、もし全ての人に「証明」できたら、もしかすると全ての人間の生き方が変わるかもしれない。すでに、「知」ってはいなくとも、「信じる」だけで変わった人は多い。それが、今度は「知っている」という形になると、劇的に変わるのではないだろうか。ではその「証明」は可能か。もし、可能ではないとすると、宗教やスピリチュアリティーはいつまで経っても「信じる」か「信じない」という問題に帰着するだろうけれど、もしこれが「証明」できたら、それは「知っている」か「知らない」か、の問題になる。今の人類、「心」さえよく分かっていないのに、ましてや「魂」をや、かもしれない。でも、もしこの「証明」が可能であれば、人類の未来は圧倒的に明るいものになるという確信がある。なんとかならないだろうか?
2010.12.26
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前にも書いたが、日本人の留学生が減っている、という記事がまた出ていた。過去最大の減少幅だと言う。一方、日本の大卒などの就職状況はかつてないほど厳しく、大卒でも就職先内定がまだ6割にも達していない、という記事もどこかで読んだ。今の日本の就職というのは、いろいろ改善されてきているとは言え、未だに新卒優遇である。つまり、大学を卒業してから何年か経つと、一段と就職状況は悪化の一途をたどる、ということである。中途採用が増えているようだが、この中途採用にしても、一度どこかへ努めてから転職する、つまり、採用側としては即戦力を求めてのものが多い。新卒でもなく、一度も正規雇用になっていない人間は、その面でもますます不利になる。昨日の日記でも書いたが、日本の学生の、特に高校生レベルの学力は、諸外国と比べても引けをとらない、と思っている。書いたように、例えばアメリカでSATやACTを受けるとすると、内容的には相当な高得点を期待できる高校生はたくさん居る。当然、英語がネックになってくるが、この英語にしても実際に、若いうちに現地で勉強したら、せいぜい一年で相当な実力が付くに違いない。日本では、高校から大学へ進学する段階で、相当数の高校生が浪人する。また、先に書いたように、大学を卒業してから、正式な就職をせず(あるいは出来ず)に、何年も過ごす元学生も増えている。この二つを考えると、もっともっと海外に目を向けてもいいのでは、と思えるのだが、実際はますます「内向き志向」が強まっており、留学生は減少、会社に入ってからも、海外勤務は敬遠する傾向が強まっているという。なぜだろう?就職氷河期だ、とか、いろいろ言われる日本だが、その背景に、学生側のリスク回避、挑戦意欲の減少などがあるように思えてならない。日本は居心地が良すぎるのだ。反対する人はいるとは思うが・・・・・。
2010.12.23
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毎週、勉強会を開いているお宅へ昨日も伺った。なんの勉強か、というと人間の生き方に関するお勉強。そんなお宅へ、日本から二人の若い人が今来て滞在している。どちらも30歳前後。そして、どちらも、アメリカのこのお宅へ来た目的が似ている。その目的というのは、「自分の本当の願いを見つけたい」というもの。あるいは、本当に自分がやりたいことを見つけたい、という言い方でも良いかもしれない。一人は女性で、数ヶ月いる予定だが、昨日来られた男性はたかだか20日間ぐらいの滞在だそうだ。20日間でなにができるかは疑問だが、本人曰く、来ることが待ち遠しくてたまらなかったし、来れば短い間であるにせよ、なんらかの答えが見つかる、という予感がある、という。少し以前から滞在している女性の方は、すでになにかしらの手ごたえをつかみ始めている様子。これから、この一家と、私と、それにこの二人の訪問者を交えて、この勉強会が続く。毎回、多くの学びがあるが、こういった他の人の、違った考え方、違った感じ方に出会うこと自体も多くのきづきを与えてくれる。人はそれぞれだ。しかし、だいたい、その人の良いところや、逆に悪いところは、本人にはあまり見えていない場合が多い。おそらく私自身もそうなのだろう。他の人からの指摘を受けて、初めて、そうかなあ、という感じがすることもしばしばある。まあ、自分を見つけるのに、自分だけで頑張らなければいけないという理由もない。私は個人的には一人で何かを学んでいくというのが好きなのだが、ある意味、切磋琢磨ではないけれども、グループで学習してゆく、というのもなかなか捨てがたいものだ。
2010.12.15
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こんな記事がありました。 ↓ 「地球外知的生命体」Mixiの記事なので、もしかしたら見られない人がいたらごめんなさい。つい数日前に、カール・セーガン著の「コンタクト」という小説を読み、また映画も観たくなって、一昨日、この映画のBlue Ray Disc版を購入して観たところだった。この「コンタクト」、人類初の異星人との接触がテーマ。まあ、天文物理学者であるカール・セーガンが、彼自身力を入れてきた、地球外知的生命との交信プロジェクト(SEIT)に関連して、「もし」という仮定で異星人との接触が実現したらどうなるのか、ということをかなり現実的に書いている。その中では、当然、「神の存在」と「信仰」というのがもう一つのテーマになっており、小説の中では、かなりの部分がこれに割かれているし、登場人物の発言も、この「宗教」「神」「信仰」に関連する部分が相当部分を占めるので、これが第2のテーマかもしれない。いずれにしても、このタイミングで、NASAから「地球外知的生命」に関するなんらかの発表が12月2日ある、という。どんな内容なのか興味深々だが、いままでの発表のような、紋切り型の発表にだけはなってほしくないなあ、と。
2010.12.01
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日本と違って、アメリカは連休というものが少ない。その数少ない連休のひとつが先週のサンクス・ギビング(感謝祭)の連休で、久しぶりに木曜日から日曜日にかけて4日間の連休となった。学校の方は火曜日から休みで、久しぶりに息子も帰宅して、一家そろって約一週間ごろごろしていた。もっとも買い物の好きな人は、この時とばかりあちらこちらへ出かけて買い捲っていただろうから、忙しい連休だっただろう。私は、ほとんど外へ出ずに家でじっとしていたが・・。しかし、仕事の方は、市場が海外であることもあって、こんなアメリカの連休なぞ関係なしに飛び込んでくる。そして、なぜか今回は、普段よりもメールが多い、ということで、休み中に合計4件の案件が入ってきた。まだ見積もりの段階だが、結構確度が高そうな案件で、今日の休み明けはいつもより忙しい。年末にかけて最後の12月をきっちり締めたいものだ。
2010.11.30
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人生は「創造」の過程だ、と言う。そして、創造は、考え⇒言葉⇒行動によって完結する、という。単なる知識は考えを補強するかもしれないが、それ自体なんの「創造」ももたらさない。それを言葉にして、周囲に発して、やっと創造の一端が始まる。でも、本当に人生を創造しようとしたら、最後には行動にまで至らないといけない。昔は陽明学などがあったなあ、などと考えながら、最近出入りするWebサイトで、いろいろな人がいろいろな形の苦しみ、悲しみを背負いながら生きているのを見るにつけ、自分では何ができるんだろう、と考えることが増えてきた。自分の経済的成功、自分の幸せ、そんなものを考えていても、それが人生の創造に結びつくことはまれかもしれない。人のために、自分の人生と時間のすべてをかけている人がいる。そこまではとても出来ないなあ、とそれを横目で見ながら感じている自分がいる。せめてもと、Webを通してできるだけのコメント、アドバイス、なぐさめ、元気付けをしてはいるけれども、所詮、それはWeb上だけのこと。中には、苦境を脱して、感謝してくれる人も居るには居るが、私が何もしなくとも、こうした人は自力でその苦境を脱することができたんではないかなあ、と思う。自分自身、この世界に、いったい何を創造することが出来るのだろうか。
2010.11.24
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日本の方から言わせると贅沢と言われるかもしれませんが、今欲しいもの、それは「地下室」。こちらの家は広くて、大抵200平米ぐらいあるんですが、なにせ部屋と部屋の間の区切りがない。一階は、ダイニング、リビング、ファミリールーム、キッチン、そして私の書斎といくつも部屋があるのだけれど、全部繋がっていて、戸やドアというものがない。なので、私がギターを弾いていると、それこそ回り中から「うるさい!」と文句を言われる。せっかく買ってあるエレクトリック・アコースティックギター(略して、エレアコといいます。マイクが繋がるやつ)をアンプに繋いで、マイクも使って、などをしようものなら、非難ごうごう、即中止せざるを得ない。地下室だったら、がんがん音を立てても誰も文句を言わないだろうし・・・・。最近、競売の家が多く売られていて、ひところでは考えられないような価格だ。昨日も、頼まれてある売り出し中の家を下見に行ってきたのだが、やはり地下室をのぞいても220平米強、そして地下室はちゃんとフィニッシュしてあって、ベッドルームやバスルームもある。ベッドルームは合計5部屋。バスルームも三つ。それでいて、2000万円しない。 (日本円だと1700万円ぐらい)う~ん、引っ越そうかな・・・・・。しかし先立つものがないか・・・
2010.11.19
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最近、と言っても急にではないけれど、だんだんとブログが書きにくくなってきた。昔はこのブログを書いていることを知っている人はごくわずかだったので、割と気安く(?)いろいろな日常的なことを書けたのだが、最近はあらゆる人、それも私を個人的に知っている人が読んでいるようだ。まあ、近況を知らせる一面もあるので、それはそれでいい面もあるのだが、逆に、日記の内容はある程度制約を受けざるを得ない。一日の感想として、こんなことを書こうかな、と思ったとき、ふと、読む人の顔が浮かんだりして、あ、これはダメだ、なんてこともしょっちゅうある。また書くには書くが、内容的に少し「感情」のレベルを落として書く、つまり、ある程度当たり障りがない内容にすることも一度や二度ではない。こうなってくると、自分で自分のためだけに書く日記、というものとは大分違ってくる。あとは、表に出ない、自分だけの日記の部分がこの楽天ブログにはあるので、そこに書き込むことぐらいか。だったら、ある程度、自分自身だけの内容も書ける。しかし、面倒だなあ・・・・・
2010.11.18
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日本に来て3日目。今日は昼間時間が出来たので、恒例のBookOffに足を運んだ。3階建てのBookOffで一階の105円均一コーナーを回っただけで1時間を超え、買った本は以下の17冊。高橋佳子 「永遠の生命」「サイレント・コーリング」「レボリューション」谷口清超 「人生の断想」「大道を歩むために」「無限を生きるために」カール・セーガン 「コンタクト 上・下」マイケル・クライトン 「タイムライン 上・下」ウェイン・ダイアー 「ダイアー博士のスピリチュアルライフ」R・E・デービス 「心の力の秘密」エリエット・アベカシス 「クムラン」ビートライス・スパークス 「少女が大人の女になるとき」スティーブン・ホーキング 「ホーキング 未来を語る」東京大学出版会 「知のモラル」う~ん、なかなかの収穫だなあ、と、自己満足して会計へ・・・・と、ここで驚くことに、従来のポイントカードが使用できなくなっていた。まあ、これだけならよくある話なのだが、新規のサービスに移行してください、という。で、この新規サービスというのが、携帯電話を使用した電子マネー「フェリカ」に対応したものだと言う。こちらは携帯こそ持っているが、2次元コードの読み込みも出来なければ、インターネット接続もしておらず、ましてや「フェリカ」などの電子マネーにも対応していない。要は、たまに日本に帰ったときの通話用だけのために持っている携帯だ。こんな場合はどうするんだ?と聞くと、申し訳ないが、その場合はサービスが利用できない、という。なんと言うこと。サービスが進化した、というより、サービスを受けられる人を限定しているのだ。これがサービス向上に繋がるのだろうか?日本に居るからと言って、携帯も持たず、持っていても私のように電子マネーに対応していない人間は除外されるわけだ。これって、一種のデジタル・デバイド?
2010.10.27
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とうとう80円台に突入。日本のニュースは、円高による景気停滞などの負の影響ばかり報道されているが、本当のところ、どうなんだろう。久しぶりに日本に来て、今日半日街をぶらぶらしていたが、食事も含めて、ほとんどの物価が下がっているか、下がらないまでも数年前、あるいは10数年前と比べて変わっていないものがほどんだだ。一方で収入の増加が期待できないとか、平均可処分所得がここ数年続けて減少している、という事実はあるにしても、物価の面ではこの円高(あるいはドル安)の影響は確実に人々の生活にいい影響を与えていると感じる。私個人としては、この円高は、アメリカへドルで送金している生活資金のドルベースでの収入増加に直結しているので、これはもう大歓迎である。たとえば、月に30万円のネット収入があり、これをドルでアメリカに送金するのに、数年前は1ドル115円とか下手をすると120円のレートだったものが、ここに来て81円台にまで来ているので、ドルベースでの送金金額は、115円時 30万円=$2609 だったものが 81円では30万円=$3704ということで、ここ数年で、なんと42%の収入増になったに等しい。アメリカは物価が多少上昇しているが、それでもこんな数十%なんてことはなく、年に2,3%であるから、実質的に見ても30%以上の収入増になっている。まあ、円高(ドル安)は両刀の剣なので、一方で良いこともあれば、もう一方では悪いこともあるわけだが、今のところその恩恵を受ける割合が大きい。これは、海外旅行に出かける人の感覚に近い。つまり、今日本円を持っていて、海外へ旅行に出かけることを考えると、海外での買い物の代金がえらく安く感じるはずだ。それは単に円に換算して「安い」と感じる「錯覚」なのだが、それでもやはり同じ収入なのに、海外へ出かけると、数年前よりよっぽど使いでがある、というようなものだ。また、日本の年金を受け取りながら、海外で定年後の生活をする人も増えているが、その人たちにとっても、同じ年金額をもらいながら、ここ数年で、数十%も日本からの仕送りが増えていることになり、やはり円高・ドル安の恩恵をかなり受けている人たちだろう。個人的には、日本経済がこれ以上沈滞しないかぎりにおいて、今の円高・ドル安状況が続いて欲しいと思っているのだが・・・・。
2010.10.26
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先日、 この日記 で書いたように、人を初めて裁判で訴え、今日その裁判がありました。実は、アメリカの裁判所に出廷するのは今回が初めてではありません。しかし、過去の2回は、被告 でした。(理由は聞かないでください。笑)今回は「原告」となって初めての裁判所。行ったのはMagistrate Courtという所で、郡の、主に軽犯罪を扱う裁判所で、日本で言えば簡易裁判所にでもあたるのだろうか。でも簡易裁判所というのは、Summary Courtという英語が別にあるので、この裁判所は郡裁判所とでも言うほうが適当かもしれない。で、ここの法廷の一つに出かけたのだが、行ってみてびっくり。一つの法廷で5,60人分の座席があるのだが、私が着席してしばらくすると満員になり、かなり通路などに立っている人もいて、直接の被告・原告以外は退廷するように言われてからも増え続け、最後にはおそらく80人ぐらいの人が法廷に居たと思う。今回の裁判は、大家とテナントの裁判、つまり家賃滞納や居座りに対する立ち退き請求や支払い請求に関する件を集中的に行うものだったが、これほど多くのケース(事件、訴訟)があるのか、と目を見張るほど。したがって、原告は不動産管理会社か大家、被告はテナント、という形になり、これだけの人数からして、40件ぐらいの判決を2時間ぐらいでやることになる。これだけ多いので、名前を呼ばれて返事がなければその場で「裁判放棄」とみなされ無効に。そして、訴訟事実について争議が必要なものとそうでないものがまず分けられ、争議が必要でないものは、別の法廷に移って、Mediater(仲裁人)を交えて、双方の意見を取りまとめて、合意書を作成し、その合意書が束になって裁判官のもとに運ばれ、次々と判決・処理がされてゆく・・・まるで流れ作業だ。毎日、こんな件数を扱っているんだろうか?とにかく、今までの滞納分の家賃を、延滞金や利息を加えて返済義務有り、とした判決文に、双方サインして、それに裁判官の判ををもらって終了。これで、この滞納家賃は、一大家とテナントの間のことではなく、公に、裁判所の判決として、支払い義務が生じ、テナントはこれにサインをした以上、支払わないとまた別の裁判になる。これは公に記録され(Public Record)、テナントのクレジットに完璧に記録が残ることになる。アメリカにおいては、このクレジットにこの種の記録が記載されること自体が、一種の制裁と同じぐらいの重みがある。さて、仲裁人を介して合意した内容を、本当にこのテナントが守ってくれるかどうか。守ってくれればこれで終わりになるが、これでもまだ、この判決に不服従だと、再度また裁判所に申し立てを行うことになる。なんとか、これで終わりにしたいのだが・・・・
2010.10.19
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いつごろだったか忘れたが、なぜか「死後」の世界というものに非常に興味が出てきて、「臨死体験」やら「死後体験」「対外離脱」やら「過去生体験」に至るまで、非日常の世界へ招き入れてくれる本を読み漁った。そこで見えてきたことは、こういった体験は、ともすると、人に話すと変に思われる、とか、頭がおかしい、と思われると心配して、実際に体験をしても他の人には話さない人が多い、ということだった。だからこそ、逆に大学などでこの種の調査をやるにあたって体験談などを募集すると、ここぞとばかりに「聞いて欲しい」という人が多いという。また、研究者が講演会などを行うと、講演のあとに、決まって、「こんな話をすると頭がおかしいんじゃないか、と思われるかもしれませんが・・・・」とか「こんな話、今まで人にはしたことないんですが、けっして嘘ではないんですが・・・・」とか言って、話をしてくれる人が多いそうだ。私自身は、幸いにも、というか、不幸にも、と言うか、そういった超常的な体験というものが全くない。しかし、知人には、霊が見える人もいれば、ヒーリングと言って、手かざしで、人の体の不調を直すことが出来る人がいる。こういったことを、言下に、迷信やら思い違いやら、単なる幻想と片付けてしまうにはあまりにも体験者が多く、その状況も千差万別で、けっして幻想や見間違いでは片付けられず、中には、本人すら知らない事実が霊から話しかけられてわかり、それが本当のことだった、と証明されることすら珍しくない。知人の霊が見える人、というのは、やはり家系にその手の能力が高い人がいて、子供の頃には、その人を中心に交霊会が開かれ、そこでは、まさに信じられないような出来事が目の前で繰り広げられた、という。この人もごく普通の人で、けっしてわざと嘘を言うような人ではないし、こんな話を嘘でしても、変に思われるだけで、けっして何のご利益もないだろうから、正直に話をしているに過ぎない、と私は感じている。しかし、どれだけ興味を持っても、どうも私自身はまったくその手の「霊感」とか言うものが欠如しているらしく、体験したくても体験する機会には一向に恵まれない。一度でもいいから「幽霊」なるものに会って、話をしてみたい、と思っているのだが・・・・。しかし、本によると、こういった霊現象というのは、あきらかに霊現象だ、と思える物もあれば、そうではなく、すぐに見過ごしてしまうような現象もあるらしい。たとえば、何かをなくして探したが見つからない。ところが、ひょんな時に、何度も探してなかったはずの場所で、その探していたものが見つかった、というようなことも、その一つとしてあるらしい。同じようなことを、私はごく最近経験した。妻に言わせると、歳のせいで頭がぼけてきたんでしょ!で片付けられてしまったが、いや、自分的には絶対そんなことはない、と思う。なくしてから、それこそ、思い当たるところを全て探してみた。それでもなかった。それが、ふとした拍子に、いつもはいているズボンのポケットから出てきたのだ。もちろん、このポケットも何度もチェックしたし、ポケットを引き出して、裏表まで確かめたのになかったのだ。それがなぜか、いつの間にか入っている・・・・・。これはなにか(あるいは誰か)のいたずらだったのだろうか? それとも!?
2010.10.15
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久しぶり、と言っても、5月以来だが、また今月末に日本へ行くことになった。今回もなんとか仕事にかこつけて、会社の出張扱いで行きたかった(5月はそうした)のだが、あいにく、出張してまでする必要がある仕事もなく、仕方がないので、自分のマイレージを使うことにした。日本航空のマイレージなので、ここアトランタからは直行便がない。仕方がないので、シカゴ⇔成田間のみマイレージで取り、アトランタ⇔シカゴ間は、別に自腹を切って購入。しかし、アトランタ⇔シカゴ間はデルタ航空で、これもまたマイレージのたまるクレジットカードで買ったので、多少は許せるとして、許せないのがJALのTAX&サーチャージというわけのわからないもの。せっかく航空券はただなのに、このTAX&サーチャージが2万8千円も取られる。まあ、全区間普通に購入したら$1200ぐらいなので、それでも安いことは安いが、アトランタ⇔シカゴ間の航空運賃と合わせると、両方で$550にもなってしまう。$550で日米間を往復できるのだがら安い、という見方もできるし、マイレージをつかっているのに、$550もかかる、という見方も出来るが、私としては後者の方。マイレージを4万マイル使って、浮いた金額がたったの$650とは・・・・まあ、航空運賃が高い季節だったらもっと普通運賃との差があるのだろうけれど、今の時期は比較的普通に買っても安いので、あまりマイレージの効率的な使い方とは言えない。こうなったら、意地でも普通のエコノミーからプレミアムエコノミーにアップグレードしてもらおう!だったら、ビジネス並みの広さで行きが13時間、帰りが11時間以上のフライトも多少は過ごしやすいし、プレミアムエコノミーを普通に買ったら$1900以上する。これだったら、4万マイルで$1350の価値がある、ということになり、マイレージの利用価値がある、というものだ。しかし、同じ区間を直行便のビジネスクラスで取ろうとすると、$7000から$1万ドル!!日米往復で100万円近くも払う人がいるのか?と思ってしまう。私などは、$500で文句を言っているのに・・・・^^; リクライニング付きで、余裕のプレミアム・シート。ビジネス料金よりも断然安く、快適性はエコノミーの比ではないので、私はこれで十分満足。 あ、私はけっしてJALの回し者ではありません。ただ、エコノミーが狭いので嫌いなだけです^^;問題は、アップグレードをただでしてもらえるかどうか、でしょうか。(もちろん、マイルを使えばアップグレードしてもらえますが、それをせずに・・・・笑)
2010.10.14
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先日から、購入したハイブリッド車の燃費状況を逐一報告しているが、まとめると次のようになる。 (数字は、メーター上の数字)第一回目給油時 :32.7 Miles/Gallon(M/G)(13.45 km/L)第二回給油時 :35.1 M/G (14.44 km/L)第三回給油時 :36.1 M/G (14.85 km/L)そして、今現在は、200マイル強を走った時点で、37.5 M/G(15.42 km/L)となっており、燃費は回を追うごとに改善されてきている。そして、いまや15km/Lという、当初目標とした燃費を今のところ達成している。しかし、この数字を達成するための運転というのは、やはり「普通」の運転ではない。同排気量の普通の車で同じような運転をしたら、やはり結構いい燃費になるだろう。その燃費というのは、恐らく2.4LのDOHCエンジン車でも、27 M/G(11.1 km/L) ぐらいではないだろうか。そう考えると、ハイブリッドの恩恵は、普通車の27M/Gに対して、36M/Gということで、たった33%強の効果しかない、ということになる。まあ、33%というのは、見方によっては大きいと言えるかも知れないが・・・・。しかし、ここでのテーマは、このハイブリッドの効果ではなく、この燃費を実現する上で必要な運転技術である。ハイブリッド車に限らず、燃費の向上のために必要なことは、1・急加速をしない。(発進時も、できるだけゆっくりと加速する)2.ブレーキを出来るだけかけない (ブレーキは、エネルギーの無駄遣い以外の何者でもない。)3.2を実現するためには、(A)車間距離をとる (B) 二つ先の信号まで見て、車の速度をコントロールする (C) 坂道では、くだりの加速を利用し、アクセルは踏まない などの項目が燃費向上に貢献する。ハイブリッド車になると、さらに、ハイブリッド特有の、ガソリンエンジンと電気モーターの切り替えタイミングを出来るだけ、電気モーターを利用する時間を長くするための別のテクニックがあるが、これは普通の車の場合は関係ない。ここで、普通の車を含めて燃費向上に必要なスキルを一言で言うと、「面の皮を厚くする」これに尽きる。スタートでゆっくり発進したり、前の車との車間距離を十分にとったり、また先の信号が赤になったから、速度を落としてゆっくり走る、ということをしていると、後ろの車がかなり「イライラ」しているのがわかる。中には、2車線の道路だったら、猛然と、これみよがしに追い越してゆく車も多い。そんな時、そんなことはわれ関せず、と、あくまでも燃費優先の運転を維持するには、よほどの「面の皮の厚さ」が必要だ。とにかく、相手も、自分に合わせて運転してくれれば、向こうの燃費も良くなるはずなので、何も悪いことをしているわけではない。しかし、あまりにも遅いと、やはり後ろの車のイライラ感がダイレクトに伝わってくるが、そんな時でも、これを無視する、いわば「無神経さ」が必要だ。これさえできれば、普通の車でも、燃費の10%や20%の改善などは、簡単にできるのだろう、と思う。
2010.10.13
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クリスチャンでもないのに、教会へ通いだしてから早くも丸三年になろうとしている。初めのきっかけは、職を求めて登録していた職業斡旋会社の夕食会で、同じ休職中の人で、ここアトランタの日本人教会の会員の方が居られ、一度教会にいらっしゃいませんか、と誘われたことだ。いやいや、クリスチャンでもないし、と断ろうとしたのだが、いえいえ、そんなことは関係なく、どなたでも来られて構わないんですよ、ということで、では、と行き始めたのが始まりだった。 教会に通っている動機としては、キリスト教そのものに対する興味もあるが、それと同等か、それ以上に、自分がそう簡単には信じることができない「キリスト教」の教義というものを、クリスチャンの人はどうして信じることができるのだろう、という、少し偏屈した理由もあった。そして、以来約三年間通ってみて、今さらながらわかったこと、それは、キリスト教というのは、キリストが言ったり行ったことを信じる宗教、というよりは、キリストを神の子として、その十字架上での死を、神の人類救済のための愛の表れ、としてそれを信じる宗教である、ということであった。この二つ、つまり、キリストの言説を信じることと、キリストを神の子として信じることは、似ているようで全く違う。ヨハネの福音書に「神は、その一人子をお与えになったほどに、世を愛された。一人子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあるが、宗教改革者、マルチン・ルターはこれを「小福音書」と呼んだ。つまり、新約聖書にあるいくつかの福音書を煎じ詰めると、このキリストが神の一人子として、人類の罪を一身に背負って、十字架上で死に、そのために人類は、その罪から救済される、ということを「福音」と呼び、つまり「いい知らせ」と呼ぶ。そして、キリスト教というのは、この「福音」を、全世界に伝えて、すべての人類はこの救済にあずかるようにしなければならない、というところから出発している。しかし、この「小福音書」にしても、「一人子を信じるものが・・・」とあるが、これがいつの間にか、「一人子を信じるもの『のみ』が・・・」に変わってしまったことが一つの問題なのだ。キリスト教というのは、いくつもの世界宗教がある中で、もっとも排他的、独善的な宗教でもある。つまり、キリストあるいは聖書を絶対視し、それに反すること、あるいは「異なる考え」を排除する傾向がもっとも強い宗教である。その「聖書」なるものが、人間の言葉で書かれ、人間によって編集された、と言う事実はこの際に無視される。そして、あくまでも「聖書」つまり、キリストの弟子達の言説を絶対のものとするのである。この聖書に書かれていることと、キリストその人が言ったり考えたりしていたことは、似ているようでいて、確実に異なる。しかし、そんなことは考えては「いけない」のである。そして、この宗教、キリスト教という宗教を信じることは、キリストを神の一人子として、その救済を絶対のもの、あるいは「唯一のもの」と信じるところにある。そして、私がクリスチャンには絶対なれないだろう、と思うのも、またこの点においてなのだ。
2010.10.12
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アメリカの大学へ入学するには、SATとかACTという全国共通のテストでそれなりの成績を取ることが必要になる。息子の場合も2年前にこのテストを受け、今、娘がこのテストを受けようとしている。科目は数学と英語のリーディングとライティングの三科目で、各800点、合計2400点満点のテストである。子供たちが行っている高校は、ジョージア州ではTOPの高校の一つであるので、みなそれなりにいい点を取っているが、だいたい毎年1名ないし2名の満点の生徒が居る。で、数学で満点というのはすごいことだな、とプリSATというSATの練習テストみたいなのがあるので、それを見てみた。数学と言っても、日本で言えば、数学I、あるいはせいぜい数学IIぐらいのレベルであり、もっと言えば、日本の中学生でもほとんど出来る問題ではないか、と思えるレベルである。かなり基本的な問題から、ちょっと思考力を必要とする問題まであるが、問題は、時間が少ないこと。このプリSATでも、25問で40分というから、1問平均2分もかけられない。当然、数秒で出来る問題もあるので、それで時間を稼いで、多少込み入った問題に時間を振り向ける、ということになる。多少込み入った問題と言っても、それほど大した問題ではない。例えば、三つほど例を挙げると、1.BX^A=X^(A+1) (ここで^はべき乗を表す。例えばXの二乗はX^2と表す。)のとき、X-Bの値はいくらか?2.時速70kmで走る長さ100mの列車がトンネルに入ってから抜けるのに7秒かかった。このトンネルの長さはいくらか?3.500から999までの三桁の数字で、それぞれの桁の数字が全て奇数である数は全部でいくつあるか?(例:511とか 739)というような問題である。これは数学というより、頭の体操に近いが、こういったものが出来ない生徒が大勢いるようだ。たぶん、日本だったら、中学生でも、このぐらいであれば、一分もかからず出来る子が多いのではないか、と思うが、アメリカでは、これらは「難問」のうちに入るようだ。現に高校2年のうちの娘も出来ない・・・、というか、わからない・・・。もちろん、受験者の大多数はアメリカ人なので、当然英語のライティングとリーディングでは良い点を取るのだろう。しかし、うちの子供もそうだが、英語はそれほど得意ではないので、この数学で点数を稼ぐ、というパターンになる。上の問題ができない娘でさえ、数学では、全米でTOP10%に入る成績を取れる、ということだから、一般のレベルは押して知るべし、という感じである。
2010.10.05
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またまたハイブリッド車の記事です。今日で、このカムリハイブリッドを購入以来ガソリンを入れたのが3回目になりました。まず何はともあれ燃費ですが、一回目のガソリン補給時は。車の燃費積算メータ上 前回のガソリン補給時から平均32.7マイル/ガロン つまり、13.45km/Lガソリン補給量と走行距離からの計算では、燃費は32.4マイル/ガロン (13.3km/L)二回目のガソリン補給時はメータ上 平均35.1マイル/ガロン つまり14.44km/L計算上での燃費は34.7マイル/ガロン (14.27km/L)そして、今日の三回目のガロリン補給時はメータ上 平均36.1マイル/ガロン (14.85km/L)同じく、計算上では、35・4マイル/ガロン (14.56km/L)という結果になりました。三回目のメータと計算の差が大きいのは、ガソリン補給時に満タンを通り越して、少しあふれてしまったせいでしょう(^^;それにしても、だんだんハイブリッド車の運転に慣れてきて、どうやったら低燃費で走れるかというコツがつかめてきたので、一回ごとに燃費が良くなってきている。またこれなら一回のガソリン補給で、560マイル(900km)ぐらいは走りそうです。ガソリンタンク容量が17.2ガロンなので、16ガロンで補給したとしても、35マイルx16マイル=560マイルですし、17ガロンぎりぎり使ったら570マイル走ってしまいます。まあ、でも普通はガソリンランプが点灯した時点で補給するので、だいたい14ガロン、つまり、一回の補給で、35x14=490マイルぐらいでしょうか。ほぼ一回の補給で500マイル(800km)は確実に走れる、という感じです。これは、今までのレクサスに比べて、やはり3割から4割以上良い燃費になっています。この車はハイブリッドで、かつ掘り出し物的に安かったんで購入したのですが、買ってからいろいろハイブリッド車の評価をしています。本当は買う前にやるのが普通なんでしょうけれど・・・^^;その評価のひとつとして、コストパフォーマンスを比べるのに、同じカムリの最上級車である、XLEというモデルと、このハイブリッド車がほぼ同じ価格なので、この両車の違いを比べてみた。すると、下記のようになるXLE:エンジン2.4L 169馬力、トルク156lb/Ft 車重3373lb(1530kg)XLEにしかない装備:5速オートマチック、本革シート、フォグランプ、サンルーフ、助手席パワーシート、電熱サイドミラー、バニティーミラーのライト という結果。対して、ハイブリッド車は、Hybrid:エンジン2.4L+モーター、187馬力、トルク199lb/Ft、車重3680lb(1670kg)Hybridにしかないもの:当然ハイブリッドシステム、CVT(無段変速)当然、これで燃費の違いは、XLEの21/31(市内/高速)平均26マイル/ガロンに対して、ハイブリッドは33/34、平均で34マイル/ガロンである。車重が140kgもハイブリッドの方が重いが、馬力もトルクも電気モーター分だけアップしているので、パワー/ウェイトレシオは同じである。しかし、電気モータのトルク特性は発進直後の低回転時に最大なため、トルクに関してはハイブリッドの方がフラットな特性を持っているということになり、発進加速はハイブリッド車の方がいい。つまり、動力性能も燃費もハイブリッド車の方がいいが、本革シートやサンルーフなどの装備は付かない(オプション設定もない)、というのが大きな違いになる。これで、価格がほぼ同じなので、購入者は、この装備を取るのか、やはりハイブリッドというエコカーに乗っているということと同時に実際の燃費の良さを取るのか、という選択になる。(動力性能の違いは小さいので、ハイブリッドの方が少し良いけれどこれは無視する)私の場合は、これらの装備はあるに越したことはないが、なければないで良い、それよりも燃費が平均で、34/26=1.31ということで、30%以上も良い、というほうを取ったわけだ。実際に運転すると、カタログ値の燃費はなかなか出ないものだが、今回のハイブリッドは、丁寧に乗ればこのカタログ値以上の良い燃費が出ることは確認できた。もちろん選択枝には、通常のLEという車種を選ぶ、というのもある。装備はハイブリッドよりも大分落ちるけれども、新車価格は$5000ぐらい安い。年間のガソリン代を考えても、年間15000マイル走ると仮定すると、LE:$2.5x15000/26=$1442 (ガソリン1L $2.5と仮定して計算)Hybrid:$2.5x15000/34=$1103となって、年間でたった$340しか変わらない。この新車価格の差をガソリン代でカバーするためには、15000x5000/340=220600マイル(35万km!!)も走らないとカバーできない。もちろん、ハイブリッドの装備の方がいいので、これを同等にアップグレードしたとしても、15000x3000/340=132350マイル(21万km!!)走らないと元がとれない。この差を計算して、ハイブリッドを購入するよりは、やはり普通のガソリン車を買う、という人の方が多いのが現状だろう。ただし、このガソリン価格$2.5/ガロンというのは今日の価格なので、これが昨年のように、3ドル、3.5ドル、となった時は、この差は大分小さくなるのだけれども、やはり目の前の出費をどうしても重視してしまうのだろう。今回の購入は中古車であったため、この価格差が$2000以下に収まった。なので、この初期投資を回収するためだけだったら、約8万マイル走ればよい、ということになる。まあ、今までの経験からすると、これは5年ぐらいで到達するだろう、と思っている。
2010.10.04
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ここアメリカでは、よくガレージセールとか、ムービングセール、と言って、不要になったものを自宅のガレージや前庭に並べて即売をやることがある。私のサブディビジョン(団地のようなもの)でも毎年一回、いっせいにやる。そして、日本人などは、帰国セールなどともいい、帰国時に日本に持って帰らないもの(たとえば家具は大きすぎるし、電気製品は規格が違う)を格安で譲るために、Mixiなどに広告を出して、買主を募る。先日、この日記でも書いたかもしれないが、ある帰国者がアコースティックギター(昔で言えばフォークギター)を売りたい、という広告がMixi上に出ていて、もし音が良かったら買おう、と行って弾いてみたらまあまあの音。とにかく値段が、ギターケースとギタースタンドをつけて$50ということだから、ギター本体は$40ぐらいか、という安さ。なので、まあ無駄になったらなったで、それほど腹も痛まない、ということで購入。昨日、別サイトでコミュを主催する、うさぎさんという方の誕生日プレゼント、ということで、「大きな古時計」という少し前にはやった曲を弾いてYouTubeに載せて見た。これは、前から持っていたガットギター(クラシックギター、とも言う)で弾いた。で、ついでに、ということで、この新しい(と言っても中古ですが)アコースティックギターの方でも録画してみて、音の違いを聴いてみよう、ということにした。結果がこれです↓ 1)ガットギター版 2)アコースティックギター版録画方法は一緒だが、(1)の方は「お誕生日祝い」ということで、タイトルとエンディングをつけるためにWindows Movie Makerでの編集したので、WMVフォーマットになっている。(2)の方は、$100の安物のビデオカメラで撮影したものをそのままアップしたのでAVIフォーマットのまま。まあ、どちらの音がいいか、というと、人それぞれだろうけれど、私は両方違って、両方好き。家族には、アコースティックギターの方は「うるさい!@@」と言われるが・・・・確かに、私の犬も、クラシックギターを弾いているときは、そばで気持ちよさそうに寝ているのだが、アコースティックギターを弾きだしたとたんに、遠くへ行ってしまう(笑)やっぱり、犬にはガットギターのやわらかい音の方がいいんでしょうね。それとも、こいつはギターの値段の違いがわかるのか?!しかし、この安物のアコースティックギターもなかなかいい音だ。これはやっぱり掘り出し物かな?
2010.10.01
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日記に書きたいことがいくつかあるのだが、ちょっとその気力がない。(というより、ビール2本でいい気持ちになっているので、壊したくない・・笑)で、またまた覚書のみ。今日の教会の聖書勉強会。 テーマは「恵みと感謝」今日のGLAのビデオ鑑賞会。 テーマは、「人は他人とのかかわりで人になる」両方とも、テーマは奇しくも同じ。 偶然の一致。 か?そして、今日は、転入会式とバプテスマが行われた。この転入会とはなにか?そして、洗礼すなわちバプテスマとはなにか。イエスが十字架からの生還後に弟子達に語った言葉にその鍵がありそう。だが、各福音書の記述は微妙に違う。その内容についての疑問と、聖書に対する疑問と。そして、その先にあるもの・・・・・。またまた考えることが盛りだくさんの、充実の日曜日ではあった。
2010.09.13
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2年前の今頃、深刻なうつ病でのた打ち回っていた。眠ることも出来ず、起きていても何も出来ず、ただ床の上でうんうんうなっていた。唾液が出ずに食事ものどを通らず、便通もとまり、生まれてはじめてのような便秘に悩まされ(これが本当の「不便」か?笑)一ヶ月で7kg近くやせてしまった。それがうつ病だとわかり、薬によって好転したのが10月末、以来、抗うつ剤のお世話になっている。分量はだんだん減ってきているが、まだやめられないらしい。自分としてはもう要らないんじゃないか、と思うのだが、医者はまだだ、と言う。この薬、うつ病にはすごく効果があったのだが、ある副作用がある。ひとつは、眠れなくなる、というものと、もう一つは夢見が悪い、というおかしな副作用。眠れなくなる、というのは、それほど大したことはなく、普段より多少寝つきが悪い程度で我慢できる。ところが、この夢見が悪い、という方は、かなり強烈。このために、この薬、効くにもかかわらず、嫌がって他の薬に変える人も居るという。私の場合、よく見る「悪夢」のパターンは、薬の量とともに多少変わってきたが、だいたい1.乗り物に乗っている。乗り遅れたり、切符を持っていなかったり、ぜんぜん目的の方向と違うほうへ行ってしまって、どうしようもできなかったりする。2.乗り物は乗り物でも、車の場合もあり、車が盗まれたり、壊れたり、事故ったりする。3.昔やっていたような仕事をしているのだが、ぜんぜんものにならない。失敗ばかり。4.なにか学校のようなところに居て勉強したり、テストを受けたりするのだが、周囲の皆がなんなくこなしていることが、自分だけ出来ない。5.食堂で並んでいて、おいしそうなものを注文しようとしていると、自分の番になると、もうなくなっている(笑)だったら、と別な場所に並んでも、次々と、欲しいものがなくなって、結局ろくなものが食べられない、というしょうもない夢。この4のテストや勉強で自分だけ出来ない、という夢は、以前から今に至るまでよく見る。大学で、このテストが出来ないために卒業できない、という場合もあり、この夢は根が深そう。(確かに、現実でも似たような状況はあったが・・・^^:)よく、夢は潜在意識が夢になって現れる、というが、もしそうなら、自分の中には相当根の深い劣等感が潜んでいることになる。しかし、薬によって、夢見が変わるんだったら、そもそも、あまり自分の潜在意識とはあまり関係ないのかもしれない。そうでなければ、夢に現れる、潜在意識の「層」が、この薬によって変わるのか?いずれにしても、こうなったら、今晩はどんな夢を見るのかな?と楽しんでいこう、と思っている。
2010.09.08
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今日、ホーキングが今での考えを翻した、という記事が載っていた。 この記事 ホーキングは、車椅子の天才物理学者として有名ですが、今生きている物理学者の中でも、もっとも「宇宙の真理」に近づいている人の一人、とよく言われます。その彼が、以前は、この精妙な宇宙が誕生したきっかけ、つまりビッグバンの背後には、やはり神の摂理、神の意思がある、と言っていたものです。ところが、彼の最新刊「The Gound Design」で彼はこう言っている。「宇宙の青写真をつくり、それが生成発展することに神を引っ張り出す必要はない」「たとえば重力の法則のような物理法則によって、宇宙は自らを無から生み出すことができる。自発的な創造こそ、無ではない何かが存在する、今宇宙があり、私達が存在することの理由なのだ。」「新しく見出された物理法則は、神を不要のものにしつつある。」と。過去の一般相対性理論と量子論を融合した大統一理論に対して、どれだけの発展が近年見られ、彼自身がそのどの部分を以って、こういった見解を出してきたのかは知らない。しかし、一般的には、最先端物理学の世界では、東洋の古典的な宇宙観や、神の意思の偏在を裏付ける方向で、いろいろな発見がなされてきた、という認識がある。今回の彼の発言は、その流れに一石を投じることになる。一方では、究極の人間のあり方として、「神が不要になる」ということが挙げられる。犯罪がなければ警察はいらない。病気がなければ医者は要らない。同じように、全ての人が悟って、悩みもなければ、生きる上での課題もなくなれば、神も要らなくなる。そこでは、人間=神であって、あえて神に祈ったりすがったりすることも不要になる。この神=人間、というのは、けっして思い上がりとしての概念ではなく、魂・精神の成長の結果として到達できる究極の状態を指している。その意味では、ホーキングの「宇宙が存在し、私達が生きている、という事実を説明するのに神は必要ない」という言葉も、あながち突飛ではないのかもしれない。ただし、「神の一撃」をも物理法則の当然の帰結とすることと、その物理法則がなぜ、今ある形で在るのか、ということとは、また違った次元の問いであることも確かだろう。物理法則の当然の帰結として「必然的に」この宇宙が自発的に発生し、生成発展している、ということをいわんや認めたとしても、この物理法則自体の存在と、その精妙さの背後にあるものを考えざるを得ない。 この上なく美しく、かつ同じものが二つとない、雪の結晶 太古から人類を魅了してやまない、宇宙の神秘
2010.09.03
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昨日の日記で書いた車、今日再度ディーラーへ行って試乗。結構気に入ってしまったので、思い切って買っちゃいました^^;2.4L DOHC 187馬力。ハイブリッドで、燃費は市街・ハイウェイ平均で14km/Lぐらい。いいところは、市街地走行でも、この値がほとんど変わらないこと。トヨタのディーラーだったので、オプションで、5年間、バンパーTOバンパーで、走行距離制限なしの保証をつけました。これで、ハイブリッド系も含めて、なにかあれば全部直してくれます。走行距離8万キロ、一年落ちの車ですが、まだまだいけそう。走行距離8万キロというのは、こちらではまだまだLOW Milageの部類です。たぶん、かみさんの車になると思います^^;しかし、これで、借金の山の上に、また借金が・・・。さあ、働かなきゃァ。
2010.08.26
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今、真剣に車を探しています。当然、安い、比較的新しい、燃費がいい、かっこいい、という欲張った条件なので、なかなか見つかりません。5月に愛車のLexusを$4000で売ってしまったんで、今度はぜんぜん違う車にしようかな、とか、マニュアル車がいいなあ、とか、いろいろ希望があちこちに飛んでしまう・・・それとも、娘の車を今しばらく乗り続けるか・・・・。これもひとつの選択肢。で、今のところ、これにしようか、と思っていると思っているのがこれ ↓↓↓↓ トヨタのカムリハイブリッド。日本では売っているのだろうか?Wikipediaで調べて見ると、*********************************2006年1月30日に登場。目標月間販売台数は国内では1,000台、北米では30,000台と発表されている。エクステリアデザインは今までのカムリのイメージを覆すスタイリッシュでアグレッシブなものとなる。2005年末をもって生産終了されたウィンダムを統合する役目もあるため、今回のモデルではさらに上質感に磨きをかける。日本仕様はベージュ内装でエアロパーツの設定もないが、北米仕様にはSE、オセアニア仕様にはスポルティーボと呼ばれるスポーティなモデルが存在しており、3本スポークステアリングを装備し、内装色もブラックである。また、横幅がセルシオ並みに拡大され、エンジンは従来と同じ直列4気筒2400ccだが、馬力が159馬力から167馬力となった。北米仕様にはV型6気筒3500cc仕様やハイブリッド仕様も設定されるが、日本で販売される予定はない。*********************************となっているから、このハイブリッドは北米向けだけのようだ。日本のウィンダムを統合、とあるから、私の乗っていたLexus ES300の後継でもある。 基本はカムリで、そこへプリウスのハイブリッドシステムを搭載したモデル。当然、プリウスほど燃費はよくないが、日本で言えば市内、高速ともリッター14.5km走るし、ガソリン満タンで、900kmは走る。2.4LのDOHCエンジン車としては、破格の燃費の良さだ。装備も至れり尽くせりで、皮製シートが無い以外はほとんど付いている。Dual A/C,All Auto,JBL Stereo System,BlueTooth,Alloy Wheel,AUX,・・・上のWikipediaでは5速Autoとなっているが、このモデルはCVT。乗ってみると、さすがにハイブリッドで、始動時、アイドリング時も静かだし、加速もなめらか。欠点と言えば、バッテリーの分だけ車重が重いことと、トランクスペースが多少犠牲になっているぐらいか。ただ、新車だと最低$26000(約220万円)もするので、とてもじゃないが買えない。これでも、日本の新型プリウスが同じくらいなので、安いといえないこともないが。それでも、やっぱり私には高いので、この一年落ちの車(2009年モデル)で、走行距離もそこそこのものを半額ぐらいで買えないか、と探しているが、どうも$15000(約130万円)ぐらいはするようだ。まあ、10万キロも走っている車なら$13000(約110万円)ぐらいであるんだが、ちょっとそこまでは・・・となると、当然一括ではやはり払えない。他のアメリカ人と同じで、ローンにしようかな・・・ガソリン代は普通の車に比べると、年に7~8万円ぐらいは節約できるので、初期投資はちょっとかかるが、3年も乗れば、普通のカムリを買うよりも得になるハズ、と踏んでいる。その節約代が当面、ローン返済に回る、という感じか・。さて、どうしようか・・・・
2010.08.25
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いわゆる「霊感」などを総称した言い方で「超常能力」というのがある。つまり「常」ではない能力、ということだ。「常」というのは「普通の人」に置き換えても良いかもしれない。この類には、超能力といわれるものも含まれる。しかし、霊感と言った場合は、超能力という場合より、多少狭い語義になるのかもしれない。その大分は、普通の人では感じることが出来ないことを感じたり、場合によっては「聞く」ことが出来たりすることを指しているようだ。自分の周囲には、そういった人がいないこともないが、あまり極端ではなく、多少「感度」が良い、というぐらいだった。ところが、今回、そういう能力を持つ人を実際に目の当たりにした。他の人の手を取ると、その人の過去、現在の様子がどうもわかるようなのだ。本人しか知らないはずの過去のことがすらすらと出てきたりする。もちろん、人に話したことなどない、という事柄だから、言われる方はびっくりしてしまう。なぜ、そんなことがわかるのだろう?と。仏教の中で、悟りを開いて、ある階梯に至ると、こういった「超常能力」を得る事ができる、という考え方もある。それは確かにあるのだろう。しかし、問題は、そういった「能力」を持つ人が、全部が全部、そういった人間的な修行やらなにやらで後天的に獲得したのではなく、多くが先天的に、つまり生まれた時からその能力をもっている場合が多い、ということだ。私が見た人もその類で、小さな頃からその手の能力があったらしい。ただ、子供の頃、非常に敏感で、ある程度能力があっても、歳とともに衰えて大人になるとなくなってしまう人も多いらしい。こう考えると、この「超常能力」と言われるものも、普通私達が言うところの「才能」みたいなものだと考えたほうがつじつまが合う。音楽や芸術など、特に感性に関する才能にあっては、子供の頃には秀でたものを持っていたものが、環境によっては歳とともにただの人になってしまう、ということは多い。この「霊感」と言われる能力にしても、これをもっているから他の人と違う、あるいは一段、人間として上の段階にある、とは言えまい。音楽が子供の頃から出来る子供が人間として優れているのではない、というのと同じだ。ただ、能力の現れ方が現れ方なので、どうしても「特別」なものと考えてしまいがちだ。一番始末が悪いのは、本人が「自分は特別だ」と舞い上がってしまうことだが、そうでなくとも、周囲の人が、そんな人を担いでしまう場合もある。そのうちに、本人もその気になってくる、というわけだ。そんな人が日本にも居る。人間としての「謙虚さ」も持たない人に、どうして、こんな「能力」一つでもって、「神に近い」人間だ、などと思ってしまうのか理解しがたいが、多くの場合、そこに人間の欲得がからんできたりするから、ますます厄介なものになるのだろう。才能を持つ人は、その才能ゆえに傲慢になってはいけない、これは常識だろう。その才能を与えられたことに感謝し、その持てる才能に対して謙虚である人こそが、その才能を本当の意味で生かせるし、伸ばすこともできるのではないだろうか。
2010.08.18
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今日は、Mixiで出ていた、ムービングセールでの掘り出し物をゲットしてきました!! 実は食器棚なんですが、私はこれを本棚に利用。ちょうどガラス戸がついていて、棚もあるし、ちょうどいい。日本製だとのことですが、$80で譲ってもらいました^^;とにかく、下の写真を見てもらうとわかるように、私の部屋には本や書類があふれ、足の踏み場もない、というくらいの部屋だったので、かみさんから、プレッシャーかけられまくり・・・本を捨てたら?と言われるが、なかなか愛着のある本たちなので捨てられない。それに輪をかけて、今年は日本に行って合計70冊ぐらい仕入れてきてしまった^^;これらは当然、まだ読んでなくて積読状態。本当に積んであるので、かみさんからやいのやいのと言われる。ということで、今回は、これらをなんとか購入した食器棚に収めようと言う魂胆。これが ↓ 前の状態。(自分で言うのもなんだけれど、ひどい!!) これが ↓ 後の状態。 腰痛のため、途中でストップしています^^;この食器棚を車でピックしてきて、部屋へ搬入。部屋の家具類もついでに移動。全部重たいものばかり・・・・。 歳ですかねえ・・・。
2010.08.14
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7月の頭から、息子が私の会社でアルバイトをしている。息子にとっては初めての本格的なアルバイトである。もともとは、成績の低迷から、返済不要の奨学金の受給資格を失って、親である私の負担が年に60万円ほど増えることから、自分のせいでこうなったのだから、自分で稼げ、と無理やりにアルバイトをさせた、というのが始まりだ。でも、レストランやスーパーマーケットでのアルバイトは、学業にはなんのメリットもないので、紹介したうちの会社の仕事と言うのはソフトウェアのテストである。息子は工学部なので、いまどきはどの分野でもソフトウェアやPCの知識や技能は欠かせない。うちの会社でアルバイトとは言え働くことで、少しでも最先端の技術の一端を垣間見る機会にもなるだろう、という思惑もあった。一応、成果は???だが、一日一日と新しいことを吸収しているようで、当初の目論見がある程度達成されているようだ。しか~し、目的の一つである、授業料の本人負担の目論見の方は、何を考えているのか、ぜんぜん無視して、自分の好きなものにほとんど全ての稼ぎをつぎ込んでいる^^;で、その使い道というのが、大部分はPCである。すでにデスクトップPCとラップトップPCの両方を持っているにもかかわらず、最先端のものが欲しくなったらしい。これは、仕事ですごいPCを使っていることと、アルバイトの一環で、新しいPCを組み立てたことが、息子の興味に火をつけたようで、この仕事をアルバイトに選んだ私の想定外の影響となった。まあ、遊びに使うわけではないので(もっとも、新しいPCはゲーム目的のようだが・・)、完全に無駄遣いとは言えないが、授業料の方はどうすんだよ!!しかし、アルバイトとこの「遊び」を通して、確実に、息子のPCやソフトに関する知識は、すでに私を超えている。喜んでいいことなのだろうが、なんとなく悔しい・・・・・ 一緒にアルバイトをしている友人と組み立て中 一応組みあがった高性能(?)PC。ほんとに動くのか?^^;
2010.08.05
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ふと娘が漏らした一言・・・ 「新しいバイオリンが要るかなあ・・・」正直、ギクッと・・・(笑)先日までの集中キャンプ前までは、今のバイオリンで十分、新しいのは要らない、と言っていたんだが。今のバイオリンでも、買ったとき(もう4年ぐらい前かな?)には、プロにでもならない限り、これで大学までは十分に使える、といわれるものを購入した。( この時の日記 ) したがって、決して安いものではない。バイオリンなどの弦楽器は特に、本当にピンきり。数万円のものもあれば、上はそれこそ何百万円、中には千万のオーダーのものもある。当然、好きでやっているので、親としては出来るだけよいものを使わせたい、という思いはあるが、そこはおのずと限界がある。今のものも、多少弾きづらさはあるようだが、音そのものはまあまあ。でもさすがに1万ドルを超えるようなものと比べると、やはり差が歴然としている。娘が成長した、ということでは喜ばしいことではあるが・・・・困った。困っても、ない袖は振れないし・・・^^;
2010.07.27
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材料の整理 1.環境 ☆ アメリカ在住になっためぐり合わせ ☆ 子供・家族 ☆ 「今」という時代 ☆ 会社 ☆ 出会い ☆ 仕事 ☆ 学校 ☆ 組織 ☆ 趣味 ☆ 友人・知人 ☆ 親 ☆ 兄弟 ☆ ネット 2.生まれ ☆ 性格 ☆ 能力 ☆ 興味 ☆ 好き嫌い ☆ こだわり ☆ 感受性 ☆ 3.学習・経験 ☆ 知識 ☆ 思想 ☆ 信仰 ☆ 価値観 ☆ 考え方 ☆ 先入観 ☆ 後悔 ☆ 高揚感 ☆ 興奮 ☆ 悩み ☆ 絶望 ☆ 失望 ☆ 失敗・挫折 ☆ 成功 ☆ 喜び ☆ 悲しみ ☆ 楽しさ ☆ 怒り ☆ 羨望 ☆ 嫉妬 ☆ 尊敬 ☆ 友情 ☆
2010.07.27
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昨日の日記、よくわかりませーん、というご指摘をいただきました(笑)自分でもわからないものを、自分で理解しようという意図で書いているので、そんなものかな?とも思いますが、ご質問にお答えして、あるいは自分の考えをもう少しはっきりするために、ここで回答を書かせていただきます。まずは、昨日の日記、オーラの泉とか見て、江原啓之の本を一冊でも読んでいる人にはわかると思うんですが、そうでない人にはわかりにくいかもしれません。まあ、難しいことを考えているわけではなく、もやもやとしているものを明確にしようとすると、こんな文章になってしまうんで。。簡単に言うと、質問された方が仰っていた「自分の尻は自分で拭く」そのものです。汚したのも自分なら、それをきれいにするのも自分でやるしかない、っていうことです。ただし、汚したのが「前世」だったりする場合がある、ということだけが「スピリチュアル」の世界の考え方です。選択は、その時々の自由意志です。ただし、与えられる環境・条件は、自分の意思で選んでいるわけではありませんよね。ここで言っている「意図されたもの」「計画されたもの」というのは、そういった自分が置かれる状況や環境のことをさしています。けっして自分の選択が誰かに決められているわけではありません。それはあくまで自分であり、自由意志です。仰られるように「今の」科学では説明できないことはたくさんあります。ただ、人間の存在意義や、人間の意識といった今までではまったく科学の領域に含まれない部分まで、最近は科学の裾野が広がってきています。そのうち相当部分まで、「科学的に」理解することができるようになると思います。ただし、この「科学」、すでに人間の「常識」とはかなりかけ離れた内容になっていて、それ自体を理解することが困難になりつつあります。人間の常識は、いまだにニュートン力学から離れられないし、相対性理論や、ましてや量子力学は、頭で理解しても、感覚が付いていきません。で、実験というのは、そういった理詰めのアプローチではなくて、自分の心の中に、どんどん入っていく、という、より直接的な方法を取ります。この「全ては必然」の考え方で言うと、与えられた環境は計画されたものですから、自分が経験する困難・試練というのは、計画されたもの、つまりはなんらかの意図が隠されているもの、ということができます。で、自分が今直面している困難や試練の中に、この「意図」を見出すために、どんどん、その「現象」に対する自分の心の反応を突き詰めていきます。つきつめて行った先になにがあるのか? それが実験です。この実験は長丁場です。たぶん、今後一年ぐらいかかって、結果がどうなるか、だと思います。
2010.07.27
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日本で有名になったどなたかの言葉に「全ては必然です!」というのがありましたね。(笑)この「全ては必然」という考え方は、当然スピリチュアル的な考えですが、この世の中はすべて偶然の積み重なりだ、とする物質中心主義・近代西欧合理主義的な考え方の対極にあるものです。「必然」というからには、その裏には理由があります。この考え方では、すべての経験、すべての現象は、起こるべくして起こるのですから、そうなる原因が必ずあります。合理主義的な考え方だと、この「原因」というものを、その現象に先立つ「現象」「事実」や環境などの諸条件を指し、そこから演繹的に、それに続いて起こる現象が確定する、という、力学ではニュートン力学のような考え方ですね。つまり、すべての物理的な諸条件が決定されれば、それに続く現象は全て予測・説明できる、とする考え方です。しかし、現代物理学においてさえこの考えは否定されている現在、残る課題は、その不確定性というのが、単なる物理現象としての不確定性か、という点と、もうひとつは、そういった物理的諸条件が生まれる背景に、なんらかの非物理的な理由が存在するか、という点の両方があると思います。話を元に戻して、「全ては必然」という考え方の背景には、この非物理的な理由が確固として存在する、という考えがあり、その非物理的な理由として、人間個人個人の意志、集団意思、思想、もっと言えば、過去生からのカルマや神の計画といったものが出てきます。この言葉が有名になったあのTV番組で、この「全ては必然」と言う言葉が出てきた時は、この後の方の考え方がその背景としてあります。そして、それをもう一歩進めると、この「理由」というのが、あらかじめ「意図された」もの、あるいは「計画された」もの、というところに求められます。意図するのは誰か、あるいは計画するのは誰か、というのは、それは神であったり、自分自身であったりするわけですが、広い意味では同じです。神であり、自分です。そして、意図されたもの、計画されたものである限り、すべての経験、すべての現象には意味があるはずです。ここにいたって、先日の日記でチラッと書いた、自分の「意図」、自分の「計画」といったものが、もしあるのだったら、いったいそれは何か、そして、その裏にある「意味」とは何か、という風になるわけです。もしそんなものがあるのだったら知りたいし、どうしたら知ることができるのか、ということを勉強しながら、それを確認してみたい、その意味で「実験」という形でトライしてみる、ということを先日の日記にも書きました。さて、いよいよ今日からその実験に入って行きます。どういう結果が現れるでしょうか?
2010.07.26
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我が家のお嬢様がご帰還なされました。一ヶ月半にわたっての集中キャンプ。今までこれだけ長期に渡って家を離れたこともなければ両親と離れて一人で暮らしたこともないので、さぞホームシックっぽくなるだろう、と思っていたが、さにあらず。ぜんぜん、そんな気は微塵もなく、終わってしまうのが本当に悲しそうでした。最後にグループごとに記念撮影。あちらこちらで、ハグ(抱き合うこと)しているカップルも居れば、中には長々とキスをしている奴も!!毎年、このGHPでは数組、いや数十組のカップルが誕生するらしいのですが、まあ、うちの娘はどうもその中には入らないらしい・・・^^;しかし、本当に仲良くなった数人とは、今後も付き合いが続きそうです。早速、来週には、あのゴルフのマスターズが開かれるオーガスタから、友人の一人が我が家に尋ねて来ることになっているそうで・・・・・。え、いや、女の子です。それも、ダンスを専攻した、白人の女の子。アジア系ばかりの友人を持つ娘には異例ですが。やはり州内の高校から選りすぐられた子供たちで、娘も非常な刺激を受けたでしょう。数学や科学などの専攻で着ている子は、ほとんどがその高校でTOPの成績らしいし、音楽、ダンス、コーラス、それぞれ、みな州代表のレベルの子供ばかり。今後もそういった交流をぜひ深めていって欲しいものです。 お世話になった州立大学の学生寮
2010.07.25
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明日は、先月から娘が参加していたGHPというキャンプの最終日です。明日の午前中に滞在先のジョージア州立大学の寮を出なければいけないのと、今晩、その最終演奏会があったので、それを見るのをかねて、一日前の今日からValdostaという町に来ています。演奏会は夜7時半から9時半まで、盛大に行われました。GHPの全参加者が観ているので、親の方は横のもう一つの会場で、モニターを見ながらの見学でしたが、会場の熱気が伝わってきました。最後にすべてのグループの紹介が終わったあとは、皆ステージに駆け寄り、互いに抱き合いながら涙、涙で別れを惜しんでいました。明日はいよいよ、本当のお別れです。一ヶ月半という短いキャンプでしたが、同じところに閉じ込められて寝起きを共にし、専攻は別々でも、それぞれが精一杯学び、遊んだこの時間は、娘にとってもすばらしい思い出になったことでしょう。これから家へ帰ってきたら、その反動で、しばらくはボーとしているかもしれません。あとで、この演奏会のビデオ、もしきちんと取れていたらまたYouTubeに載せたいと思います。
2010.07.24
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時間はどこで生まれるか・・・、これは本の題名ですが、この題名は始め比ゆ的なものだと思っていた。ところが、読んでいくと、これが比ゆではなく、そのものずばり、時間が生まれるのはどこか、について書いているので驚く。前にこの本を読み出した時に書いた日記 (これです) にも少し書いたのだが、時間というものの正体を、科学者の著者が、最近の物理学の先端理論に照らして考えていく、という内容の本。時間はどこで生まれるのか (集英社新書)もう一冊の「時間を哲学する」という本と同時に、ぬらりくらりと読んでいたのだが、いったんあきらめることになってしまった。なにをあきらめるのか、というと、読んで理解することをあきらめた。つまり、よくわからない、ということ^^;他の何冊かの本と同時並行で読んでいたので、何日か置きに手に取る形になるのだが、その前に読んだことをきちんと理解し、覚えていないと、次に出てくる内容が全然わからない。これは、こういった読み方では歯が立たないな、と思ったしだい。でも、書いてある内容は刺激に満ちている。私にとっては新しい見方、考え方がてんこ盛で、ますます、この本をきちんと読んでみよう、という気が起こってきている。時間は、マクロの世界にしかなく、ミクロの世界では存在していない、という科学的な説明から、それではなぜ、マクロになると時間が立ち現れるのか、あるいは、この時間というものが、「どこで」生まれるのか、という、この本の題名そのものが論じられる。我々がいるこの時空というものを考えたときに、時間を実時間とすると、空間は「虚数」になる、という、著者によると、物理学者にとっては「常識」だそうだが、私は知らなかった。しかし、この空間が虚数であることを説明するくだりでは、なんとなく納得してしまった。でも、さすがにまだ「常識」が邪魔をしていて、すんなりと納得したわけではなく、どこかでごまかされたような納得の仕方だ。この辺は、再度、初めから通して、そして連続してこの本を読まないことには、理解できそうもない。時間と言うものは、この時空に絶対的に存在するものではなく、このミクロからマクロになる、どこかの時点で生まれてくるものだ、という考え方自体、新鮮なので、なんとかもう少しトライしてみたい。
2010.07.21
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これは、昨日の日記の最後に書いた疑問への、私なりの答えです。と言っても、なぜ・・・なのか、と言った場合、本当は・・・の部分がデータ的に裏付けられていなければ、そのことを議論する意味さへ本当はない。例えば、「なぜ男は・・・なのか?」とか、「人はなぜ〇〇を好むのか」と言う時は、・・・の部分とか〇〇の部分も含めて、この命題が「真」であることが前提である。ところが往々にして、こういう言われ方をする場合には宣伝文句の場合が多く、実は、そんな事実はないのに、こういう言い方をして、いかにも「それが実際に確かめられた事実」だ、という錯覚を起こさせるためにこそ、こういった使われ方をする場合が多い。だから、こういった言い方に出会った場合は、まず「本当にそれが事実か?」という疑いを持ってかからないといけない。まあ、これは余談だが、元に戻って、なぜアメリカに居る日本人にクリスチャンが多いのか?という命題も、宣伝ではないにしても、事実かどうか、私は知らない。しかし、これは私の実感である。少なくとも、私がアメリカで知りあった日本人の中では、日本に居たときよりも、格段にクリスチャンの比率が高いと感じている。部分的には、現在、毎日曜日に日本人教会に通っているから当然そうなる、という部分もあるだろうけれど、そうでなく、教会を通して知り合った人ではなくとも、クリスチャンに出会う確率は、日本に居たときよりも絶対に高い。反面、日本に居たときの私の生活圏が、クリスチャンに接するような機会が全然なかったためかもしれないので、そこは何とも言えないが、先の命題を自分なりに考えると、いくつかの合理的な説明らしきものが出来る気がする。その理由として考えられるのはいくつかある。 それをまず列挙したいと思う。一点、断っておきたいのは、ここで扱う日本人というのは、アメリカに定住、もしくは個人的にアメリカに来ている人のことで、企業の駐在員を含まない。なぜなら、企業の駐在員やその家族は、アメリカに住んでいる理由からして、まったく個人的な背景を持たず、「たまたま」企業の都合でその人が選ばれたに過ぎないから、いってみれば、日本の一部をそのまま切り取ってアメリカに持ってきただけで、文化的な背景、個人的な趣向その他、日本社会そのままだろうからである。1)まずは、アメリカ定住者の場合、女性が多い。それは、アメリカ人と結婚したから、こちらで暮らしている、という日本女性が圧倒的に多いからである。対して、日本人男性で、アメリカ人女性と結婚して、こちらに定住している人は非常に少ない。2)企業の駐在員は圧倒的に男性ばかりであるが、個人でアメリカに留学したり、就職したりする人の数においては、やはり女性が多い。これらの女性が、上の(1)で述べたアメリカ人と結婚する日本人女性の予備軍となっている。対して、非常に少ないながらも、個人的にアメリカに来ている男性もいることは居るのだが、どうもアメリカ人女性と結婚する人は少なく、日本人でない人と結婚する場合でも、アジア系の女性と結婚する比率が高いような気がする。3)上記(1)と(2)で述べた女性の大きな部分が、日本でいわゆるミッション系の学校で学んだ経験がある。特に、古い世代、たとえばすでに50歳を過ぎている女性が教会にもたくさんいるが、ほとんどがこの範疇に属する。そうでない人は、アメリカ人と結婚してから、夫に連れられて教会に通うようになり、入信した、という人がそれに次いでいる。4)アメリカで暮らす、あるいはアメリカでなくとも、外国で暮らしていると、なんらかの「宗教」を持つ、ということはある意味当たり前であり、逆になんの宗教も持たない、という日本人に多い「無宗教」という方が異常である。5)(4)の理由によって、日本から来たときには無宗教であっても、だんだんと宗教というものに関心を持たざるを得なくなり、勢い、身近な人に連れられてキリスト教の教会に足を運ぶようになり、それがきっかけで入信した、という人もいる。6)普通の人にとって、アメリカに来る、ということは、ほとんど知己がないまま来る場合が多いが、クリスチャンは、たとえ初めはそうであっても、そのクリスチャンのネットワークがたくさんあり、そのネットワークの一つを紹介されたり自分で見つけたりして、アメリカでの生活を、日本人クリスチャンを友人として持ちながら生活する、という人が多く、その面でも、定住する確率も高くなるのではないか、と思える。7)最後の理由は、やはり文化的な親和性だろうか。やはり、キリスト教というのはどんな宗派であっても根本は共通であり、それをある程度知っているからこそ、よりアメリカに興味を持ち、またアメリカに来てもいち早く溶け込める、ということがあるのだろう。以上述べてきたのは、単なる推測に過ぎない。でも、少なくとも私の周囲では、という限定すれば、これは私の実感から来ていることなので、あながち全く的外れではないと思う。翻って、日本はどうなのだろう?もし、似たような状況が有り得るのなら、日本の場合も1)女性が多い。2)ある程度、年齢の行った女性で、ミッション系の学校を卒業している人が多い。3)若い人でのクリスチャンというのは、身近に、例えば家族や親戚や親しい友人にクリスチャンが居て、その人との関わりにおいて、いつのまにかクリスチャンになった、という人が多い。というような特徴があるのだろうか?この始めの命題を持ったきっかけは、先日日本から昔アトランタに居た、という牧師さんが見え、日本の教会の現状を聞いたことがきっかけだった。その牧師さんいわく、その教会の信徒の大部分はやはり有る程度の年齢以上の女性が多く、若い人は数えるほどしか居ない、とのことであった。キリスト教というのは「伝道」をクリスチャンの義務と考える人が多く、「善意」で、この「福音」を、まだ聞いたことがなく、したがって「神の恵み」を受ける機会を得られないで居る人に、より多く伝えていくことを心底、自分の「奉仕」の大きな部分として考えている。その「伝道」の主体が上記に述べたような人に頼っているのが日本のキリスト教の現状であるなら、今後の信徒拡大など、全く望めないような気がするがどうだろうか。ただし、私はキリスト教が日本で拡大するとは考えていないし、そうなるべきとも思っていない。逆に、そうなってはいけない、とも考えていないが、多分そうはならないだろう。それは私には自明のことのように思える。そう考える一番大きな理由は、日本人の置かれた状況を考えたときに、日本人が人生や人間そのものに持つ問題意識や課題に対する答えを、キリスト教が提供できていない、あるいは出来ない、ということに尽きる。真理は時代と共に変わるものではないかもしれない。しかし、人生を取り巻く環境、人の知識・経験は時代と共に、特に近年では非常な勢いで変化している。それに対して、キリスト教をはじめ、旧来の宗教は、その変化に対応している、とは到底思えないからである。もちろん、旧知を知る、暖める、ということは変わらずに大切ではあろう。しかし、それにプラスαの部分がどうしても必要になるのだが、その部分で絶望的に進化していない、と思える。では、どう変わったらいいのか、という疑問に対しては、私は明快な回答を持たない。ない、というのではなく、まだ明確な形とはなっていない、という意味で。それを自分の中に醸成してゆくことが、この先の自分としての目標でもあるのだろう。
2010.07.20
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今日、ひまに任せてネット上をぶらぶらしていたら、「開運倶楽部」というページに行き当たった。このページそのものは、なにか御縁起ものとかパワーストーンとか、いかにも怪しげなページなので、内容は全然見ていないが、行き着いたページというのが日本の宗教人口の資料のページだった。これです⇒ 全宗教法人信者数ランキング データの出所はダイヤモンド何月号とか書いてあるので、たぶん月刊誌のダイヤモンドからの転載だろう。(こんなのを転載していいんだろうか?)よく宗教法人の信者数を合計すると日本の人口の2倍を軽く超える、ということが言われる。大きくは、仏教の檀家制度と神道のせいだろうと思われるが、この二つはだいたい信徒(本当の信徒かどうかは当然??だが)がダブっていると思われる。それ以外にも、ほとんど全ての宗教法人で信徒数の水増しが行われているのは想像に難くない。で、この資料を見て驚いた。「幸福の科学」が信徒数1100万人で2位だって!??本当かよ、おい。だったらなんで全員落選なんて結果になるんですかね?(笑)日本人の10人に一人が信者だったら、自分のまわりにもうようよ居るはずだが、私自身は見たことも知人が入会している、という話も聞いたことがない。入っても、皆秘密にしているんだろうか?まあ、日本人は無宗教が多い、というか、神式、仏式、キリスト式、なんでもござれの、言ってみれば節操のなさが日本人の特徴だから、その中に「幸福の科学」がまたひとつ増えても、外観的にはなんにも変わらないかもしれないが・・・しかし、このリスト、見ているといろいろ面白い。よく日本ではキリスト教がねづかない、たった150年の歴史しかないから、とか、いわれるけれど、もともと日本の思想風土にこの一神教が合致していないためだろう、と私は思うが、それでも統計上は人口の1%弱ぐらいは居るらしい。これは地域差が大きいので、ある県では3%と超えるところもあれば、多くの都県では0.5%にも満たない。しかし、ここアメリカで生活していると、やけに日本人のクリスチャンが多い。さて、なぜだと思いますか?
2010.07.19
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昨日、痛い臨時出費があった。それも30ウン万円これは結構きつい・・・・分割払いにしても良かったが、一括で払うと2万円ほど値引きする、というので、思い切って一括払いに・・・・と言ってもクレジットカードで支払ったので、その引き落としは来月の20日。それまでに、なんとかこの金額を貯めなくては。。。この出費、貸し出している家の1軒のエアコン交換費用。一階用と二階用の二つのエアコンがあるが、本来ならより涼しいはずの一階の方が、フル稼働させても29度以下に下がらなくなってしまった。調べてもどこにも悪いところはなく、フレオンガスが漏れているわけでもなく、単純に老朽化による冷房能力の低下だ、という結論になり、仕方がなく、新しいシステムに交換した。2台を一度に交換したら70万円を超えてしまうので、それはとてもできない。特に冷えない一階用の方をとりあえず交換するのにこの出費。家賃が10万円なので、ローン返済も含めると、これを取り返すには8ヶ月以上かかりそう・・・・大家業も楽ではない。
2010.07.15
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先日から何回かにわたって、高橋信次氏のこと、あるいは氏の著書についてここに書いてきた。今回、氏の著書を2冊ほど読んだので若干の感想を書き残しておきたい。その一つは、氏が、自身が工学、科学、医学を学び、自分の超常体験と重ね合わせて、「神理」なるものを述べているのが、氏の著書の内容である。氏の希望としては、世の中の全ての人がこの「神理」を理解し、それを実際の生活に活用してこそ、世の中に平和と調和が訪れる、というものだろう、と思う。ただ、その著書の中で、しばしば「科学」的にも実証されている、とか、「科学」的に考えるとこうである、と言う語りが登場する。確かに氏のバックグラウンドを見ると、そのような切り口で説明すれば、世のいわゆる「科学信仰」一辺倒の人にも理解してもらえる、という希望があったと思われる。しかし、はっきり言って、氏は「科学者」ではない。「科学」の「科学」たる必要十分条件を理解しているとは、その著書を読む限り思えない。「科学的」と私たちが言うとき、それに対する要求事項というのは、まず「疑問」「質問」から発して、実験と論理を駆使してある「仮定」を導き出してその疑問に答え、それをいろいろな条件を変えて、再現できる限りにおいて、その答えや考え方は「科学的」と言えるものになるのだと思う。ところが、その辺の必要十分条件を無視して、ただ氏が学んだ「科学」「工学」「医学」に照らして、こうだ、と言い切る。それは「科学」的思考の持ち主だったら、一番してはいけないことではないだろうか。科学は日進月歩である。昨日の「科学的常識」は今日の常識とはなりえない。したがって、一度、そんな言い方、あるいは考え方を表明すると、その理由づけになっていいる「科学的事実」が覆されたときには、その人の論理そのものが全て崩れ去る。氏の著書を読んでいると、真空管の話、トランジスターの話などから始まって、脳の機能・構造、宇宙の成り立ち、これらの話が、やはり数十年も前の「常識」にとらわれている観がある。これでは、せっかくの内容も、今の時代の知識を持つ読者にはなんの説得力も持ち得ない。宗教家や、哲学者が、最先端の科学知識、あるいは科学的常識をわきまえることは至難の業かもしれない。しかし、今、この科学信仰のきわまっている時代にあって、「真理」あるいは「神理」を、科学的な裏づけの元に説明するとしたら、その辺への配慮は欠かすことができないものだろう。せっかく、内容的にはなかなかいいものを書いているのに、そんなことで、その内容が全否定されるのであれば、もったいない、という以上に、それを継承して、あるいは、科学は仮定だ、との認識を持ちながら、こういった「思想」を表現することが望まれる。
2010.07.13
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先日、 この日記 で書いた娘のサマーキャンプというか、夏季集中学習プログラム。すでに1ヶ月経って、今日久しぶりに電話。(向こうからは全然掛かってこない・・)26日には終了なので、あと2週間、もう家が恋しくなっているかと思いきや、とんでもない。「う~ん、帰りたくないよお~」だと。相当楽しいらしい。当初は、大学のキャンパスに閉じ込められていて、キャンパス外へ出るのは親が来たときだけ、届けを出せば出られるのみ。当然、あのコンサートの時、一度いっただけなので、あとは一歩もキャンパスの外へは出られず、先日は若干不満をもらしていた。とことが今日聞いたら、「もう慣れちゃった!」だと。未だに朝5時半起きのジョギングから始まって規則正しい生活をしているらしいし、今日も別のコンサートがあったとか。また毎日なんらかのスポーツをやっていて、今日はコンサート前に3時間も、この暑い中屋外でバレーボールをやっていたらしい。日射病など大丈夫なのかな、と多少心配だが、そんな心配をよそに、本当に充実していて楽しいようだ。ただ一つだけ、食事が最低にまずいらしく、帰ったら思いっきり、外でおいしいものが食べたい、とだけ言っていた。まあ、これは当初から予想されていたことだったんで、それも想定内ではあるが・・・。こうやって、子供は日々成長してゆく。大人だって、成長しなくていい、という理由もない。娘に負けないよう、こちらも日々なんらかの形で成長を続けていきたいものだ。
2010.07.12
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私の家は、なんとなく音楽一家だと思われている。実際、妻はピアノ、息子はピアノとサックス、娘はピアノとバイオリン、私はギターを弾く。この中で私のギターだけは先生について習ったわけでもないので、やはり完全な自己流。当然、レベルもアマチュアの低いレベルを一歩も出ていない。私がギターを演奏すると、家中から非難が出る。ただ、これはギターが下手だから、というわけでもなさそう。というのは、クラシックギターでクラシックの曲を弾いている限りは「何回同じ曲を弾いているの!?」と言われるぐらいだが、問題は、アコギ(アコースティック・ギターを今日日、日本ではこう言うらしい)を引きながら歌を歌っているとき。「止めて~!」とか「うるさ~いい!!」とかならまだしも、妻からは「子供の音楽教育に悪いから、誰もいないときに弾いて!!」とまで・・・・・(泣)まあ、プロ並みのギターの腕前と歌う技術というか、声がよければ別なんだろうけれど、なにせ、歌う曲も古い歌ばかり、ギターも歌も下手、ということで、仕方がないんだろうとは思うが・・・・・が、しか~し、人が気持ちよく演歌を歌っているときに、水を差すようなことを言わなくてもいいんでないかい?とも思う。海外が長いんで、必然的に知っている歌は、1980年代やら、せいぜい1990年代の曲ばかり。新曲はほとんど知らない。中には妻が「あ、それ私が小学生のときに聞いたことがある!」ってなものもある。(がっくり)それほど歳は離れていないんだがなあ・・・・でも、音楽には古い・新しいはない!! あるのは「いい曲」「わるい曲」だけだ!!で、歌っているのは「いい曲」だ!! 文句あるか!!!なんて言ったら、「曲はいい曲なんだけどね~」だと。つまりこちらはOK ⇒ くクラッシックの曲だけなら・・ こちらはNG ⇒ 歌が入ると・・・
2010.07.08
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先日、高橋信次著の「人間釈迦」を読み終わり、その感想を書いた。なかなか良かったので、ここにあるGLAの拠点(と言っても個人宅ですが)へ行って、氏の著書を6冊ばかり借り受けてきた。最初の本は、「心の発見」。まだ、GLAについてもよく分かっていないが、多分、この高橋信次氏が立ち上げた当初のGLAと、現在のGLAでは、その目的は同じでもアプローチの方法が変わってきているんだろうと思う。行ってみれば、高橋氏はより「宗教的」、こういうと語弊があるかもしれないが、神に向かってまっすぐに人間の本性をみつめて人の道を説く、という感じ。ひるがえって、現在のGLAは、高橋佳子氏の指導のもと、より現実的に、個人の悩みや苦悩をどうやって克服してゆくか、という現実路線に転換しているような感じ。これらも、まだ単なる「感じ」だが、共通しているのは、旧来のいわゆる「宗教」というものに対する批判精神を背景として、現代の心の復権を訴えている、あるいは魂の認識を訴えている、という意味で、宗教というよりも、どちらかというと「スピリチュアル」な傾向がうかがえる。この「心の発見」。まだ読んでいる途中ではあるが、この高橋氏の宗教観、霊魂観があちらこちらに出ていて、氏のGLA創設の背景をしることが出来る。その説くところの「世界観」は、おどろくほど、現在のスピリチュアリティーの世界で言われることと一致している。さて、私にとってのポイントは、これらの本から得ることが、すなわち読書の段階から、行動の段階へ、ということを示唆しているのだろうか。
2010.07.06
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