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ある日、老人は黒い小箱を持ってきた。箱は和紙のこよりを編んだもので、うるしを塗ってかためてあった。老人がおぼつかない指先で古めかしい紐をほどくと、中から二センチほどの厚さの”雲上便覧大全”と書かれた一万円札くらいの大きさの水色の本が出てきた。和綴じの本の最初のページには「百二十二代、今上皇帝」とあり、「総裁、有栖川宮」「参与、西郷吉之助」などという名前に並んで、「百五十石、海鰭太夫実文」とあった。老人の祖父なのだそうだ。 いままでに、老人が何かのおりひょいと見せる上品な所作がお能ではなし、お茶の作法でもなしと、いぶかっていた私の疑問が解けた。老人は運上人の家庭で育った人であったのである。急に降り出した雨のために、自宅まで老人を車に乗せて送っていったときに見た、骨董屋と間違えたほどの調度品の数々は、ゆいしょある品であった。
2005年05月31日
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海鰭老人は、若い女性に待たれるだけあって、なかなか魅力ある人なのだ。暇な時間が多いから、新聞など丹念に読んでいるらしく、我々より新しい話題に精通している。そのうえ子供のように好奇心が強く、店に珍しい宝石があると根ほり葉ほり聞く、私が驚くのは、次に会ったとき前に話した専門的な宝石用語も間違いなく覚えていることである。そんなだから、一度聞いた女店員の好物なども覚えていて、必ず土産に持ってくる。 その記憶力のよい老人が、着ている物はいたって無頓着で、ほころびたシャツやボタンの取れた上着を平気で着てくる。それがまた女店員の母性本能を刺激するらしくて、店内でときならないパントマイムを展開しながら繕ってやることもあった。「こんな記事があったよ」 老人は新聞や雑誌に載っていた宝石関係の記事をいくつも切り抜いて持ってきてくれる。しかし、その記事はしろうとの人々を対象にしたものだから、私にはあまり参考になるものではないが、好意がうれしいので喜ぶと、次には倍も三倍もの切抜きを持ってくるのである。
2005年05月30日
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「これを貴殿に進呈する」 老人は次の日、ほこりだらけの矢立を持ってきた。それを自分との会話の補いに使えというのだ。話には聞いていたが、矢立を初めて手にした私は目を丸くした。 ショーウインドウの飾りつけに使っていた孔雀石の原石のとりもつ縁で、老人と親子ほど年の違う私との奇妙な交際が始まった。 耳のほかはいたって健康な、海鰭善興と名乗る老人は、なにが気に入ったのかその後、定期便みたいにやってくるようになった。いかめしい言葉使いや耳の遠さに最初は敬遠していた女店員も、老人のくる日が一日でも遅れると、「おじいちゃん、どうしたのかしら」と心配するほどになった。
2005年05月29日
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華やかな女性相手の宝飾店に、まったく場違いなおじいさんがやってきたのは二年前のことであった。老人はムーンリバーのバックミュージックの流れる店内に、重力の少ない月面でも歩くような緩慢な動作ではいってきた。用心深く、手から下げた黒革の鞄の締めたチャックの輪に白い紐を通して手首に巻きつけ、そのくせズボンのチャックは開けっぱなしで、メリヤスの下着が見え隠れしていた。「率爾ながら物をお尋ねする。店頭のウインドに陳列してある緑色の石は、売り物であろうか」昔、道場破りが「タノモー」と大音声を張り上げて訪れたという、講談の語りとおなじ調子であった。「ドーレ」と応ずるかわりに、大声にびっくりした女店員が飛び上がった。「済みません社長、話をうかがって下さい」 女店員が音をあげるのも道理、老人の耳は度の強い難聴で、応対を引き継いだ私もついに筆談に切り替えた。★★ジュエリー、アクセサリーの藤宝飾TEL045-782-0200横浜市金沢区泥亀1-25-3京急サニーマートB館2F京浜急行金沢八景駅徒歩5分
2005年05月28日
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長い間体の中で大きくしたものだけに、尿路結石の一種で、リン酸塩が核ととなった、シュウ酸結石であろうとのことであった。「まあ年をとると、いろいろなことがおこるから気をつけるのですなあ」と慰められたが、手術してとる人もあるのに、一人でに出てくれたことに感謝すると同時に、今度はなにがおこるのか、びくびくものである。 S51・10.25記次回から「骨董品」を掲載します。
2005年05月27日
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よくみると二、三ミリの径で岩塩みたい。店の宝石顕微鏡でみると、金平糖などという生やさしい物でなく、尖った水晶の原石状、これでは痛いのは当たり前だと、鳥肌を立てて眺めていると、「随分ご熱心ね、珍しい石なら私にも見せてよ」と、客の中では一番美人と評判のお得意様。見せしぶれは余計みたがる。「とっても綺麗、何の石?」「コ、コレハーあのーですね・・・」 いいかげん言葉をにごしたが、今日はなんたる厄日か、脂汗のあとに冷汗をかく。大勢友達でもつれてみにこられては一大事と、早速特別貴重の札をつけてしまったのが仇となり、値のはる外の石には手もふれず、それだけを盗まれてしまった。
2005年05月27日
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香港ですごした日日が脳裏をかけ巡り、とっさに性病にかかったと思う、餅肌の姑娘のストリップを、かぶりつきで眺めたことが想いだされて(カゲの声、見ただけで病気になるか!)見つめていただけで妊娠すると思っていた、純情な私のことだから、瞬間、そう考えても仕方ないワサ。 なにを思い、かにを考えても、現実はでるものが出ない苦しさ、代わりに溜息がでて、終いには脂汗が出てきた。最終的には医者にゆけばよいのだからと、我慢しながら力むと、焼けつくような痛み少しずつ移動する。悪戦苦闘三十分。朝顔の中に、カチカチと白いものが転がりだし、痛みは嘘のように消えた。★ジュエリーの藤宝飾、デザインの藤宝飾!045-782-0200京浜急行金沢八景駅徒歩5分横浜市金沢区泥亀1-25-3京急サニーマートB館2F
2005年05月26日
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香港のヒルトンホテルで開かれたダイヤモンド・フェスティバルから帰って、丁度七日目、商店会の早朝野球で「ボールとバットの間を鯨が通るよ」と野次られた空振りをして、しおしおと家に帰った。 シャワーのあと、放尿しようとしたとたん、尿道の奥深く焼け火箸を差し込まれるような激痛で一瞬棒立ち。(勿論体のほうが)
2005年05月25日
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今月は十月、所属クラブの仲間がハッピーバースデー・トューユーと祝って下さる私の誕生月である。 ハテナ?私は今度幾つになったのだっけ。人間年を忘れる程長生きすると、体のあちこちに故障がおこる。 宝石の裸石を入れておく、ガラス蓋の小さいケースがあるが”特別貴重”と朱書きしておいたのを中身諸共盗まれてしまった。中国料理の宝山は東所沢駅から徒歩2分ガストの隣TEL04-2944-8889所沢市本郷1092-1
2005年05月24日
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明治の昔、日露戦争(明治三十七年~三十八年)で革命が起こり、ロシア貴族の一部は国を追われてパリに亡命した。日本は憎い国である。発明されたばかりの合成宝石を?ますくらい、赤子の手を捻るより容易いことであったろう。それとも、生活に追われて生きるためにはと、手を合わせながら売りつけたものであろうか・・・もはや、今となっては真実を知るすべはない。 S52・3・25記次回から「盗まれた宝石」藤宝飾 045-782-0200横浜市金沢区泥亀1-25-3 京急サニーマートB館2F京浜急行金沢八景駅下車徒歩5分ジュエリーの藤宝飾★★宝石鑑定の藤宝飾★★宝石教室の藤宝飾
2005年05月24日
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見分け方は、人口の物は回しながら結晶を成長させるため、弧をえがいた成長線(カーブライン)がある。天然の物は六方昌形に結晶してゆくので、成長線は直線である。そして、結晶柱面に並行に交差する。六十度百二十度の直線のシルク・インクルージョン(絹状内容物)がある。なお、まん丸の気泡は天然のガラスを除いて、天然の石には絶対にないものである。 そのように話して、天然のルビーとお婆さんの持ってきた石を、顕微鏡で見比べていただいた。お婆さんは私の説明でやっと納得された。
2005年05月23日
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その製法は、酸化アルミニュウムを、酸、水素、の二、〇五〇度という焔の中で溶かして、透明な結晶核とし、暫時、核を回転させながら結晶を成長さてゆくものである。成品は、「硬度ー九度」屈折率ー・一七七〇」比重ー四・〇〇」「偏向性ー明」「多色性ー強」「透明度」「光沢」と全く天然コランダムと同じである。
2005年05月22日
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宝石鉱名コランダム(鋼玉)の中で、酸化クロムがはいって赤色をした石がルビーで、酸化チタン及び酸化鉄がはいって青色をした石がサファイヤである。まったく同じ性質の兄弟宝石である。そのコランダムの合成が、一八九一年(明治二四年)フランスの科学者ベルヌイによって発明された。そしてルビーもサファイヤも、一九〇四年(明治三七年)には採算的に生産されるようになった。
2005年05月22日
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次の日、どうしても腑に落ちないからとやってきたお婆さんが話すには、「月にでも行ける現代ならともかく、七〇年何年を昔、このような偽物ができたのでしょうか。このルビーは祖父と親交のあった、ロシアの貴族から譲られたもので、名誉を重んじる貴族がそのような破廉恥なことをするでしょうか」と私に食って掛かるのである。私も乗りかかった舟でやむなく、わが宝石の鑑別眼を釈明する羽目に至った。ジュエリーの藤宝飾!宝石の鑑別の藤宝飾TEL045-782-0200横浜市金沢区泥亀1-25-3京急サニーマートB館2F京浜急行金沢八景駅徒歩5分
2005年05月21日
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早速、宝石用顕微鏡で見る。石の内部はどの角度から見ても、天然のルビーの特徴が何も無い。もしやと顕微鏡の倍率を上げてみる。すると、石の中心部に雲のように霞んで、まん丸な気泡が固まっている。おまけに天然石には絶対にないカーブラインが見える。やはり人口のルビーで、二束三文の値うちしかない真赤な偽者である。本物なら何百万円もするものだが、お婆さんはがっかりして帰った。
2005年05月20日
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「外交官をやっていた祖父が明治時代にパリで買ったのだそうです。今年、孫娘が成年に達したので指輪を作ってやろうと思いまして」と、品のよいお婆さんが一〇キャラット以上もあるルビーのルース(裸石)を持ってきた。枠の金属は戦争中、供出してしまったのだそうである。
2005年05月20日
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その後、週刊誌などの報道によれば、上総町ではめのうを巡って、波乱に富んだドラマが展開されたという。めのうは、ダイヤモンドやエメラルドに比べればそれほど高価な宝石ではない。それにもかかわらず御婦人方が大事なお尻を露出させたり、目の色を変えて行動した町の人々がいるということは、めのうという石の持つ魔力としか思えない。 私は、現在その時に採集しためのうで作ったペンダントの変化ある縞目を眺めながら、自然の妙に感心している。それと同時に、眉毛に唾をつけて、たぶらかされないようにまじないもしている。 S63・5.24記次回から「ルビー」を連載します☆藤宝飾 Tel045-782-0200横浜市金沢区泥亀1-25-3京急サニーマートB館2F京浜急行金沢八景駅徒歩5分ジュエリーのお買い物のときはアイケンのホームページで見たといってください御優待価格で提供させていただきます。
2005年05月19日
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我々は、採集してきためのうを使って作品展を開いた。「御木本」や「和光」にもないユニークな作品揃いで、製品一つ一つに会員の汗がこもった力作揃いであった。私は、展示場の雰囲気を盛り上げるために、めのう採集の八ミリを映写した。東京ではお上品なご婦人方も、採集に熱中のあまり、背中はいうにおよばずお尻も半分くらい露出させての奮闘ぶりに、撮られた本人より撮った私の方が冷やかされた。あげくの果てに、意識してそのような場面を撮ったのであろうと、つるし上げをくい、聖人君子を自称していた私は、一度で男を下げてしまった。
2005年05月18日
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一通り採集が終わって上総町へ下山すると、町では、ビニール製の”水盤用宝石”と印刷された袋を、各自一個ずつくれた。中には小さいめのうが沢山はいっていた。上総町のPR品である。(その石は、今でも我が家の金魚鉢に入っている)
2005年05月18日
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ところが、めのうも泥にまみれているから下の谷川で洗ってみるまで、ただの石と区別がつかない。やっとの思いで川に辿りついて洗ってみると、漬け物の重しにもならない石であったりする。するともう登って行くのが嫌になってしまう。だが中には美しい柱化木(木がめのう化された物)が混じっていたりするので、女性を含めた会員は夢中になって山を登り下りした。私は、八ミリを回してその採取風景を撮った。最後に山々をなめるように撮影機を回すと、はるか彼方にエメラルド色に輝いた美しい太平洋が見えた。ジュエリーの店「藤宝飾」TEL045-782-0200横浜市金沢区泥亀1-25-3京急サニーマートB館2F京浜急行「金沢八景」駅より徒歩5分
2005年05月17日
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上総駅から、五・六キロメートル山の中に入ったところに、山砂利採集場があった。緑に覆われた山が巨大な刃物で断ち切られたように、褐色なはだを垂直に現している。その黄色にも近い色の壁に、水平に色の違った線が何本も走っている。その縞が、めのうなどを含む地層であった。大きいものは子供の頭くらい、小さいものは小指の先くらいめのうが含まれている。 ついに覆面の著者が、顔を出しました。ジュエリーのことは、株式会社藤宝飾 TEL045-782-0200神奈川県横浜市金沢区泥亀1-25-3京急サニーマートB館2Fフリーページ宝石に魅せられてに著者の略歴を掲載します。徐々に表れてきます。
2005年05月16日
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上総町役場では、無尽蔵といってよいほど採れるめのうを使った、製品を作る宝石加工場を作ることにした。そして、担当者を研磨技術の研究のために、水晶の町である甲府市に派遣した。それと同時に、研磨機を私の所属する日本ジェムホビー協会に、斡旋依頼してきた。私たち協会員は、研磨場視察を兼ねた、めのうなどの採取される場所への探石行を計画した。
2005年05月16日
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宝の山 日本で、もしダイヤモンドが産出されるとすれば、房総半島を除いてはなかろうといわれている。それくらい房総半島の土地は、古い時代の深いところの地層なのだそうである。 いまから二十年ほど前、木更津から房総丘陵に向かって南下する久留里線の中間駅、上総町の山砂利採集場から、めのう等が大量に出た。このニュースは、新聞にも大々的に報道された。
2005年05月15日
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「不埒者、そこに直れ!」昔だったら、奥方様に褌の話とは不届き千万である。早速、お手打ちになってしまったことだろう。私はまだその後、夫人にお会いしてない。 S63・6・20記終了明日から「宝の山」を連載します
2005年05月14日
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同じ東京駅の出来事でも、原敬や浜口雄幸はお国のために一命を捧げて、日本の歴史に名前を残した。しかるに私は、ロシアを破るほどの威力を持った白い六尺褌を、赤い絨毯代わりに歩くというヘマをやってしまった。その出来事は私の未来を予見したごとく、以後、戦争でも死ななかったにもかかわらず、いくら一生懸命はげんでも、いまだに駅長の先導で赤い絨毯の上を歩くということには至らないのである。
2005年05月14日
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現在の私だったら、「しょうがないなあ、腹巻がほどけちゃって」くらいな独り言をいって締め直しただろうが、当時は厚顔可憐な少年であったから、衆人環視の中での大失態に、穴があったら出ていきたい心境に襲われた。
2005年05月13日
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それから何ヶ月かたち、東京に公用で出かける機会があった。暑い盛りで防暑服を着用していた。海軍省に出向いての用件は恙なく終了、駆け足で横須賀線のホームをのぼった。ちょうどそのとき発車のベルが鳴り響き、私は全速力で走った。
2005年05月13日
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重油の海を泳いだ先輩も、六尺褌の使用は海で戦う者の常識だと言う。鮫のいる海で泳いだことのない私は、経験者の言葉を信ぜざるをえない。そうでなくとも人の言葉に左右されやすい性質だから、その時を境に六尺褌の愛用者になってしまった。
2005年05月12日
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「熱帯の海には鮫がいて艦を沈められて海に浮いていると喰われてしまう。しかし、鮫は自分より大きいものは襲わないから、褌を長々と伸ばしておけば防げる。俺など何度も鮫になめられたけれど、現にこうやってピンピンしている」
2005年05月11日
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私は軍の衣と書いて褌と読むのだから、そうかなとうなづいたが、負傷しても褌の包帯なんかしてほしくないと思った。そして大先輩のような国酔主義物が”猿股”などという侮蔑的な言葉を作ったのではなかろうかと考えた。
2005年05月11日
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私は”乾坤一擲”ではないのかと思ったが、畏れ多くて聞き返せなかった。大先輩は更に、「褌は戦いにはかかせないもので、止血にも使え、又包帯にもなる。高所からの脱出にはなおさら必要」と、利用法をいくつかあげて説明した。
2005年05月10日
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当時、私の回りには日本海々戦に参加した大先輩や、重油の海を何度も泳いだという駆逐艦乗りの歴戦の先輩が大勢いた。大先輩は、「今どきの若い者はたるんでいる。その原因のひとつに締りのない西洋褌があげられる。あの猿股というやつは人間の用いる物ではない。武士はすぶからく六尺褌を締めるべきである。わしなど日本海々戦のときは、堅褌一擲の大勝負ということで、読んで字の通り堅く締めて戦ったものだ。猿股などはいて戦っては力がはいらずあんな大勝利にはならなかった」と、六尺褌がロシアを打ち破ったようなことを言った。
2005年05月10日
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戦時中、横須賀の海軍の学校にいた私は、家が東京の下町にあったから、横須賀線の電車はよく利用した。始発の東京駅の中央には、貴賓通路がホームの下を通っていて、赤い絨毯の上を皇族とか、胸いっぱい勲章を着けた将官などが、駅長の先導で歩いている光景を何度か見かけた。憲兵の物々しい警戒の中を、それはすこぶる華やかな見ものであった。若い私は、大人になったら一度はあの赤い絨毯の上を勲章をぶらさげて歩いてみたいなと、どきどきする胸を押さえて眺めたものである。
2005年05月10日
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ところがである。その随筆は夫人にお見せできるようなものではなかった。「まだ本、出来ないの」しばらくして再度、夫人よりのお言葉である。私は困ってしまった。しかし、約束は約束である。やむなく郵送ということにした。
2005年05月09日
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「ああ、私もこの間、浜口首相の出てくる随筆を同人誌に書いたばっかりなんです」「偶然ね、是非その随筆を見たいわ」「同人誌が出来てきましたら、お持ちします」 元禄の華やかな硯箱と、雅びなお菓子にすっかり酔いしれていた私は、簡単に約束してしまった。
2005年05月09日
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夫人がお茶を運んでこられた。黒漆の銘々皿には、皇后様がお好きだという、京都より取り寄せたお菓子がのっていた。」その皿には金漆で、”山また山や痩馬に春かすみ”と俳句が書いてあり、雄幸と署名してあった。「ライオン宰相の浜口雄幸ですか?」 私の質問に、うなずくと、「父昌達と親交があって、東京駅で負傷された後なくなられた時の、お返しです」 夫人は答えられた。
2005年05月08日
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小冊子は早速コピー取りをし、お返しに参上した。そのとき通された室の、床の間にあった古めかしい松とたちばなの画かれた黒漆の硯箱は、綱吉の生母桂昌院より戴いたものだそうで、直筆の書状がそえてあった。私は、水茎の跡も美しい文字を眺めながら、三百年の時をさかのぼり、元禄のはなやかな雰囲気を偲んだ。
2005年05月08日
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初春のころ、店へ米倉夫人がお見えになった。「新しい資料はがざいませんか?」 私が区役所の勉強会のことを話し、お聞きしたところ、「内閣文庫にある”新編武蔵風土記”の写しがおくられてきたから、よろしければ見にいらっしゃい」という返事があったので、お伺いした。 拝見した武蔵風土記は面白かったが、それにもまして秦野市の安藤道蔵さんの書かれた”米倉一族について”という、五十頁ほどの小冊子は興味津々で、私はお借りしてきてしまった。
2005年05月07日
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現在、サニーマートの建っている泥亀新田の、埋め立て時の、永島祐伯(号は泥亀)の苦心談、また幕末から明治に変わる際、米倉昌言六浦藩主が横浜取り締まりを命じられ、廃藩置県で六浦県の初代知事になった等々、金沢の歴史は即、横浜の歴史に重要に関連していることを学んだ. アイケンのホームページも覗いて http://www.rivo.mediatti.net/~murohasi/index.html 魅せられて http://www.geocities.jp/aiken6684 光と影のJOB http://blog.livedoor.jp/aiken6684/
2005年05月06日
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去年から今年にかけて金沢区役所の市民課社会教育係が、お役所仕事には珍しく「金沢の歴史教室」を開いた。夜、二時間わずか五日間であったが、参加した私は有意義な勉強をさせて頂いた。
2005年05月05日
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その後、私が調べた資料によると、米倉さんのご先祖が大名に取り立てられたのは、武田が滅んで四散した甲斐のくにの戦闘軍団を統合して、徳川の傘下に収めた功績によるらしい。譜代の臣ならいざしらず、外様の者が大名になるのは、生易しい働きではなかったろう。種継の嫡孫が大阪夏の陣で戦死しているのをみてもうなずける。アイケンのホームページもご覧くださいhttp://www.rivo.mediatti.net/~murohasi/index.html検索窓から(アイケン ユニクロ)(アイケンのホームページ)(起業支援 車とバイク)(アイケン あいおい)などでも検索できます。
2005年05月05日
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夫人は即座に答えた。甲府二十三万石、柳沢出羽守、大和郡山十一万石、本多信濃守。肥前唐津六万石、水野左近将監忠鼎。etc・・・皆、ご親戚であった。大名家というものは、いずこも何らかの姻戚関係でむすばれていることを、私はこのとき知った。
2005年05月04日
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刀や甲冑の話も出て、私が、NHKの”刀匠一代”というテレビのビデオ撮りについていった、笠間十万石牧野家の話をしたところ、「あっ、牧野は家の親戚よ」
2005年05月04日
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甲府には宝石を研磨する所や、貴金属の枠を作る店が二千軒近くあったから、私は 宝飾店を開く前、山梨にはよく行った。そしてついでに、武田家ゆかりの場所を数多く見学していた。米倉重継公の葬られているという、恵林寺にも行った。そのため夫人と話が合い、初めていった家だというのに随分話しこんでしまった。
2005年05月03日
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歴史好きの私が婦人からお聞きした話によると、米倉さんのご先祖は、今NHKの大河ドラマで大活躍している武田信玄の家臣で、隅切り花菱の兜は、長篠の戦いで討ち死にした、米倉重継の被っていたものだという。その後、武田家が滅亡して、重継の子忠継が、徳川家康の旗本として仕え、五代将軍綱吉のとき、忠継の曾孫、昌忠が側用人になった。そして、有名な”生類憐れみ令”によって、四谷と中野に出来た犬小屋の普請奉行を勤めた。「家は犬で大名になったのよ」 夫人は冗談っぽく話された。
2005年05月03日
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どこもかしこも時代がかっているのも道理、この場所は横浜に本拠を持った唯ひとりの大名、六浦藩主米倉丹後守の陣屋跡で、現在は子孫の方がお住まいになっている。気品のある婦人は、当主令夫人で戦前は華族様、昔ならば目通りもかなわぬ大名の奥方様であった。
2005年05月02日
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「今日、横浜市のほうから写真を撮りにきて、まだ片付けてなかったのですよ」出迎えられた婦人は、私の怪訝そうな顔を見ると、そのように話された。
2005年05月02日
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お聞きしたお住居は金沢八景の駅近く、店から歩いて行ける距離だったので、お持ちして驚いた。苔むした石垣と古色蒼然の家、玄関を入ってすぐの所に”隅切り花菱”の紋のついた兜が飾ってあった。
2005年05月02日
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自動車修理工場から宝石鑑定士、宝石デザイナーとなり、大会で優勝し宝飾店と宝石教室を開業したS氏のエッセイから 「武田軍団の末裔」 その一番要注意の新規開店セールで賑わう私の店へ、気品に溢れた中年の婦人がお見えになり、リングを求められた。サイズが合わなかったので修正の上お届けすることになった。光と影のJobはランキングからhttp://www.genki.or.tv/linkrank_b/in.cgi?id=aiken6684&cg=2ライブドアブログへhttp://blog.livedoor.jp/aiken6684/魅せられてhttp://www.geocities.jp/aiken6684
2005年05月01日
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